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#立花藤兵衛
herofestival · 1 year
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一文字隼人 經典第一次變身!
「お見せしょう」からの途中でファスナー下して「変身」、庵野監督が大好きそうなシーン シン・仮面ライダーにはなかったですなぁ
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gobangiri-news · 5 months
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を���じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。  
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐��によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(��す)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝��
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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nakatani-seminar · 1 day
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
こんにちは!千年村研究ゼミ学部4年の安藤優花です。
今回も前回の投稿に引き続き韓国調査について報告します。
韓国調査2日目の様子です!
<8月22日のスケジュール> 09:00 guga都市建築の設計事務所でミーティング 11:30 昼食 15:00 上党山城到着 16:30 国立清州博物館見学 18:30 グロスターホテル清州到着 19:00 夕食
7時15分に起床し、タクシーに乗り、30分ほどでguga都市建築の設計事務所に着きました。
09:00 ミーティング
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図1 ミーティングの様子 (撮影:2024/08/22 碓井颯) 同行していただく先生方と早稲田の先生と学生で主にこれから行う韓国調査のことについてミーティングをしました。 最初に自己紹介、中谷先生より千年村の意義の説明を聞き、学生で野帖の見方、集落について説明をし、先生方から韓国の地名の読み方や地図の正確な見方など多くのご指摘を受けました。 韓国の絵地図という古い地図があることや、韓国の建築の詳しい本などを教わり、日本での文献調査だけではわからない知識を深める機会となりました。
11:30 昼食
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図2 昼ごはん (撮影:2024/08/22 戸田剣) 近くのレストランで釜めし、スンドゥブチゲなどを食べました。釜めしはご飯を最初からお茶に付けて食べるスタイルで新鮮でとてもおいしかったです。
15:00 上党山城到着
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図3 山城の入り口の門の様子 (撮影:2024/08/22 碓井颯)
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図4 山城の復元図 (撮影:2024/08/22 口石直道) 山の中に石垣が続いている景色が新鮮でした。 山城は防衛的な役割の他に、役所的な役割も果していて、中に畑や民家があり、兵士、山城で働く人たちが住むと植田先生と韓先生に解説していただきました。
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図5 山城の中にある石積み (撮影:2024/08/22 小谷さくら) 石積みが山城の中にありました。韓先生によるとこれは日本で言うお百度参り的なものだそうです。
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図6 山城からの景観 (撮影:2024/08/22 口石直道) 山城から韓国の街や錦江を見渡すことが出来ました。近くに暗門があり、植田先生と韓先生の解説によると、暗門は普段は閉まっていて非常時のみ使われるそうです。
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図7 暗門の様子 (撮影:2024/08/22 安藤優花)
16:30 国立清州博物館見学
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図8 国立清州博物館 (撮影:2024/08/22 口石直道)
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図9 文官石の様子 (撮影:2024/08/22 碓井颯) 博物館の周りに文官石 (韓国の墓に置かれる石像)が置いてあり、形の種類は様々でした。
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図10 王冠の写真 (撮影:2024/08/22 碓井颯) キラキラした王冠があり、韓先生によると勾玉はすべて日本産とおっしゃっていました。この王冠の装飾には鹿の角のような形もありました。
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図11 土器を観察する様子 (撮影:2024/08/22 碓井颯)
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図12 コップのような形の土器 (撮影:2024/08/22 碓井颯)
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図13様々な種類の土器の様子 (撮影:2024/08/22 安藤優花) コップのようになっているのは百済式のもので角のようになっているのは高句麗の様式で、百済の方が古い様式だそうです。朝鮮の土器の装飾の中に見た目が実用性に欠けるような形もあり、印象に残りました。
以上、韓国調査2日目(8月22日)の日記でした!明日から千年村比定地の調査が始まります。お楽しみに!
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iseilio-blog · 3 days
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iseilio 渾話
2022-2023 目次
10/23 Golf History
11/23 古典音樂作曲家特集
影 音  etc
01/22     法 國 香 頌      竹久夢二
05/22     黑 管   台 北 美 食
06/22    超現實主義     越 南 風 情
8/22 浪子的心情 台灣盛夏冰品 台北登山步道
09/22 法 國 女 人
10/22    Adagio from“Spartacus”   半音階
松山公學校    松山探源尋根
11/22   サヨン の 鐘    はしご 酒  小唄 :味
巴哈 之前的音樂家
12/22 台灣百景    台 灣 封 神 榜
登 山   露營
01/23 人生かくれんぼ 摩托車、重機
萬華鏡  半音階    馬 勒 交 響 曲
03/23  南 管 • 北管
05/23 すき 喜歡 Picasso 原住民音樂 論 伊丹十三
A DEAR JOHN LETTER 黃昏清兵衛
06/23  それゆけ !オ一 ケストラ  週刊文春 2017年6月號
宇 崎 竜 童 、aya 俱樂部 院士致詞
07/23 天啟皇帝 日 本 控  Aram Khachaturian
川島芳子 與 李香蘭 吳 晉 懷 風雨夜曲
08/23 美 學
10/23 美學檔 惜別之歌 Final Fantasy  おにぎり
政治
01/22      黑水溝 之 彼方        蔡英文 與 蔣經國
02/22      从地缘战略到币缘战略-全球化的演变       蘇維埃王國
烏克蘭      03/22 意 大 利     核 威 脅 04/22 逃離中國
05/22     新中國聯邦      氣 憤     臉書是台灣自找的「網路長城」
06/22    德被宇宙 07/23 傻瓜 與 大砲
08/22   拜登對華的模糊策略
10/22 離 心 機   蕭茗看世界
11/22   無皇萬歲
03/23   體制、機制  共鳴者被揭穿
04/23   政治施為 的 效果呈現
从地缘战略到币缘战略 — 全球化的演变
05/23 勿謂言之不預 中華大講堂 中華民國台灣化
07/23 哈佛最熱門的政治課 後殖民主義 與 文化認同
10/23 姚立明點破民調 文化與帝國主義
姚立明斷言 藍白到2028都不會合
經濟
01/22   我們的新世 界
03/22    2010-2012 美國赤字預算
8/22  改變歷史 的 經濟學家
10/22 觀 念 經 濟
11/22 The Price of Inequality
04/23 貨 幣
05/23 儲貸社危機 與 RTC的創建 金援無法改變貧窮
07/23 觀 念 經 濟
翻譯
06/22   キマイラ鳳凰變
07/22 The Price of Inequality
08/22   何謂 “意識”(二)
08/22   雁 寺
09/22     夏日女孩 蜜雪兒(十七) 
11/22   平野屋 香魚   眠 狂 四 郎
12/22 大自然的獵人
12/22     岩村賢治 詩集
01/23    個人 的 體驗  不輸的方法 女性的美
為化學所魅惑 讀書術 夢のあと 點描日本音樂的世界
千利休 無言的前衛(二)
02/23 水戀鳥 美男子的 頭 高橋お傳
將軍之御寢 五輪書
03/23   裏声で歌へ君が代   北國通信
04/23   性 感 美 人   日本不足 的 軍事力
為化學 所 魅惑
06/23 それゆけ !オ一 ケストラ
07/23 水 の 手帳
10/23 軍首腦部軍閥化 森鷗外 Poseidon 變幻
雜文
01/22      師 說(一) (二)   像霧又像花       歧視
Deep Sea Drilling Project
03/22 死亡結界 節 制
04/22      簡 樸     黑 管     道 家     主 角     家 計 簿
逃離中國  狼 群
06/23   珠圓玉潤 金光閃閃 
05/22      新中國聯邦  氣憤 臉書是台灣自找的 「網路長城」
07/22     片段一 瞥   傻瓜 與 大砲
08/22    夢 中 囈 語    
09/22   天上掉下來 的 禮物 來自名字的稱呼里幹事
10/22     周 祖 厝   逃離中國大陸
01/23 京都的傳統 生命規則 復 活
02/23 樟腦丸 與 蟑螂 復 活
03/23  秋 意   春 望
04/23   台 灣 料 理  從敕使街道到華燈初上
不容易對話
05/23 勿謂言之不預
06/23 時空觀察力
07/23 抓好重點 風雨夜曲
10/23 人 的 座標系 天人之際 滲 透 復 活
節錄的方法 綴 文、不易瞭解 的 說明 異形
機制與轉折
諸子百家
01/22      傅 科    日傾中、盧 梭        哈佛最熱門的政治課
但丁 神曲       胚胎大勝利     法 國 香 頌      竹久夢二
02/22      但丁神曲     美術心理學     慕春風 日文五十音
權 力、第二性 造型原理     蘇曼殊     戀人絮語   Mansion
詼諧與潛意識的關係      圍城 權力、第二性
意志與表象的世界(一)
03/22      權 力、第二性    文 化 固 守    伊利亞隨筆     電影的語言
電影藝術面面觀    異 域    潛水艦之過去、現在與未來    失去的勝利
太平洋戰爭 島嶼爭奪戰        戰敗��� 的 觀點
04/22     林彪元帥(一)   地下室手記     理則學 被俘心理學
李義山詩析論
05/22      轉 法 輪      唐宋帝國 與 運河
06/22  哲學 的 慰藉(一二 三)  分區 . 繼承
07/22 一封未寄的情書   後殖民主義 與 文化認同
大自然的獵人 物理之美 柏拉圖的天空
父親的眼淚和我的眼淚
08/22 後殖民主義 與 文化認同 改變歷史的經濟學家
10/22   高陽 談 周棄子     未埋庵短書(一)
11/22   T . S . Eliot 的 時代
12/22  文 化 固 守     我迷阮玲玉    康德四論  恐龍再現
記 Robert Frost , 1875-    混 沌   聖經三段經文
01/23 物理 之 美 康德四論 從古典到浪漫
與黑格爾同在的夜晚    貨 幣  權力、第二性
盧 梭 x 2
02/22 權 力、第二性 意志 與 表象 的 世界 造型原理
詼諧與潛意識的關係 蘇 曼 殊 戀 人 絮 語 圍 城
03/22 伊利亞隨筆 電影 的 語言
潛水艦之過去、 現在與未來 所羅門群島 之 戰
失去 的 勝利 戰敗者 的 觀點
04/22   地下室手記   理 則 學  道 家   被俘心理學
07/22   一封未寄的情書   後殖民主義 與 文化認同
02/23 圍 城 末代皇帝外史
03/23   絕妙好辭箋   隨鳥走天涯   飲膳札記   台灣獼猴
法國十九世紀詩選(一)  法國十九世紀詩選(二)
04/23 扶 桑 漫 步   抽 象 世 界   Franz Kafka 的 生涯
恐 龍 再 現 混 沌  貨 幣 現象學 意志與表象的世界(二)
从地缘战略到币缘战略 — 全球化的演变 Covid 調查
台灣社會的存在及其意義
05/23 被俘心理學 15位哲學大師經典講義(一)(二)
宇宙的詩篇(惟強)
06/23 失去 的 勝利 Franz Kafka 的生涯 Casablanca
戰敗者 的 觀點(二) 浮 世 風 呂 羅丹 的 世界
美 的 探 索
07/23 白石老人 青紅幫演義  對於宇宙 的 誤解 歐洲社交界
10/23 葉慈 幾何定理 陳之籓散文集
查泰萊夫人的情人 Modern etiquette in public and private
我們的新世界 我思故我在 紐約的現代藝術
12/23 安藤忠雄的都市徬徨(一、二、三、四)
理性之夢(一、二) 歷史與思想(一、二、三、四)
Chanson 香頌 赫遜河畔談中國歷史(一、二、三、四)
歷史平話:諸葛亮(一、二) 紅朝人物誌(一、二)
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yotchan-blog · 1 month
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2024/8/23 20:00:02現在のニュース
演出家・串田和美さん×若手の新作不条理劇「あざみの花咲く頃」開演(毎日新聞, 2024/8/23 19:59:42) 米国初の女性大統領目指すハリス氏 演説は「効果十分」 識者評価(毎日新聞, 2024/8/23 19:59:42) プレスリリース:「STEPN GO」と“G-SHOCK”がコラボしたNFTスニーカー(PR TIMES) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 19:59:07) 医療改革、スピード不可欠 規制改革会議が答申 看護、薬剤師が分担/介護人員を変更 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 欧州の会計基準 したたかな戦略 十字路 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 経済安保のルール 「甘利議連」が議論けん引 国際社会主導へ新構想 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) コンセッション 公共施設運営に民の知恵 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 被災民営空港に支援素早く 国交省、運営委託ルール見直し 企業の経営参画後押し - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) リンナイ、水素使う家庭用給湯器 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) マツダ、弱い資金創出力 スバル・スズキ下回る 米販売好調もEV投資に影 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) ウイルス使ったがん治療 脳腫瘍など、患部に注入で効果 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 東京外国語大学、英語入試で「話す」導入 発信力、バランス良く評価 青山亨副学長に聞く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 受験生目線で点検続けて - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 53%は再生資源に、20年で8ポイント上昇 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 成長へ改革、投資促す 新資本主義案 人・技術に重点、分配強調薄まる 骨太は防衛力を抜本強化 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:57:22) 野田、枝野、泉の3氏 立憲代表選へ動き活発 野田氏は維新勉強会に(朝日新聞, 2024/8/23 19:56:38) 甲子園V京都国際への差別的投稿、京都府が法務局などに削除要請(毎日新聞, 2024/8/23 19:52:36) 政策立案・改善、機動的に 行革会議、霞が関に提言 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:51:12) 国民に歯科健診義務 骨太案で検討明記、医療費抑制狙う - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 19:51:12) 2年生左腕、代打で機転のバスター のち優勝投手に 夏の甲子園(毎日新聞, 2024/8/23 19:45:15) 「開き直って腹立たしい」 兵庫県職員が証言 知事会見めぐり(毎日新聞, 2024/8/23 19:45:15) 半導体メモリーのキオクシア、東証に上場申請 10月にも株式公開へ(朝日新聞, 2024/8/23 19:42:15) 海の中道大橋3児死亡事故から25日で18年 園児ら祈り 福岡(毎日新聞, 2024/8/23 19:38:00) 小泉氏が30日にも出馬表明へ 斎藤経産相は「決心」 自民総裁選(毎日新聞, 2024/8/23 19:38:00) 東海道・山陽新幹線 27、28日に計画運休の可能性 台風10号で(朝日新聞, 2024/8/23 19:34:53) 「最高幹部、文具投げられた」職員が証言 パワハラ疑惑の兵庫知事(毎日新聞, 2024/8/23 19:30:36) 容疑者、強奪時計を下見後に凶器購入 大阪・宝飾店強盗殺人(毎日新聞, 2024/8/23 19:30:36)
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shintani24 · 1 month
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2024年8月14日
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【速報】岸田総理が自民党総裁選への不出馬の意向固める(TBS NEWS DIG)
岸田総理が来月おこなわれる自民党の総裁選に出馬しない意向を固めたことが、複数の政権幹部への取材で分かりました。このあと、記者会見を開き、岸田総理自ら説明するものとみられます。
総裁選には、石破元幹事長や小泉元環境大臣の他、茂木幹事長や河野デジタル大臣、高市経済安全保障担当大臣らが出馬に意欲を見せていますが、岸田総理を支える立場の党幹部や閣僚が総裁選に出馬することには批判的な声もありました。
岸田総理が出馬しないとなれば、総裁選の構図も大きく変わることになり、「ポスト岸田」レースは激しさを増すことになりそうです。
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岸田首相、記者会見で総裁選不出馬を正式表明 「自民が変わるため私が身を引く」(産経新聞)
岸田文雄首相は14日、首相官邸で記者会見を行い、9月の自身の任期満了に伴う自民党総裁選に出馬しないと正式に表明した。
首相は「今回の総裁選は自民党が変わる姿、『新生・自民党』を国民の前にしっかり示すことが大事だ。自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。総裁選には出馬しない」と述べた。新総裁選出後に岸田政権は退陣し、約3年で幕を閉じる。
岸田首相の在任期間は14日時点で1046日で、岸信介氏に次ぎ戦後8番目の長さとなっている。
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G7広島サミットのワーキングランチで記念撮影に応じるG7首脳。右手前が岸田文雄首相=2023年5月19日、広島市南区、代表撮影
広島から首相、期待したが… 岸田氏の総裁選不出馬表明で被爆者らは(朝日新聞 8月15日)2024年8月14日に追記
岸田文雄首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。広島選出の総理大臣として、被爆地の声を国内、世界に向けて届けることはできたのか。(柳川迅、魚住あかり、遠藤花、編集委員・副島英樹)
広島市の松井一実市長は岸田首相の平和行政について、「ライフワークである核兵器の廃絶に向けて積極的に取り組まれた」「『ヒロシマの心』を世界に発信するために御尽力いただきました」と評価した。自民党の県議や市議と同じく、主要7カ国首脳会議(G7サミット)の広島開催などを成果に挙げた。
一方で、県内に二つある県原爆被害者団体協議会(県被団協)の理事長はいずれも、日本政府が核兵器禁止条約に署名・批准するよう訴えてきた。しかし、核保有国が参加していないことを理由に、岸田首相は後ろ向きな姿勢を示し続けた。
佐久間邦彦理事長(79)は、「これではいつまで経っても(核禁条約に)『入らない』と言っているようなもの。本当にやる気があるのか見えなかった」と振り返る。
佐久間理事長と箕牧智之理事長(82)は、8月6日の平和記念式典に合わせて開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」で、岸田首相と面会したばかり。箕牧理事長は「被爆者の訴えを一つでも受け止めてくれるのではないかと期待していたが、淡々と聞くだけだった」と話した。
広島を拠点に平和活動に取り組むNPO法人「ANT―Hiroshima」理事長の渡部朋子さん(70)は岸田首相の3年間について、「広島にとってチャンスかもしれないとみんな期待しましたが、残念ながら広島の宰相ではなかった」と語った。
昨年5月のG7広島サミットでは、核抑止力を正当化した「広島ビジョン」も発表され、被爆地から選出された岸田首相もその文書に名を連ねる一人となった。サミットについて渡部さんは「広島が貸し舞台として使われ、肩すかしでした」と残念がる。
岸田政権が閣議決定で防衛費拡大を進めたことを「戦争のできる国にし、原発再稼働も進めた」と指摘。「核軍拡が進む状況にのみ込まれ、戦争被爆国としてのリーダーシップが見えなかった」と振り返った。
広島市安佐南区の会社員、末棟将彦さん(44)は、元々外務大臣だった岸田首相の外交に期待していたという。サミットで各国首脳が広島を訪れたことを「歴史に残る」と評価しつつ、「もう一歩、核廃絶に向けて踏み込んだ外交をしてほしかった」と述べた。
統一教会問題や自民党派閥の裏金問題など、数々の「内憂」に見舞われた首相でもあった。
「大変驚いており、本当に残念だ」。自民党広島県連会長代理の中本隆志・県議会議長は県庁で会見を開いた。「安倍政権、菅政権下の色んな問題が浮上し、対応に追われた3年間だった。裏金問題の対応では、身内である自民党議員の協力があまりに少なかった」
広島市議会の会派「自民党・市民クラブ」幹事長の山路英男市議も「国防の強化や経済安全保障は岸田政権の下で進んでいる」と不出馬を残念がる。裏金問題については、「巻き込まれた形だ」と話し、問題を受けて政治資金規正法が改正されたことについて、「党内ではだいぶ反発もあったと思うが、大きな決断をした」とたたえた。
平和記念公園を歩いていた広島市中区の山本裕志さん(67)は裏金問題について「私利私欲のための政治になっていたのでは。広島から出た首相で期待していた。もう少し国民のための政治ができなかったものか」と話した。
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GDPは百年前に「逆戻り」 それでも日本は「強兵」路線に進むのか(朝日新聞 100年をたどる旅~未来のための近現代史~③「持たざる国」の素顔)
「DIME」という安全保障のキーワードがある。 今回はこれを切り口に、「持たざる国」日本がたどってきた100年の歩みを考える。
国内総生産(GDP)は1940年代に生まれた。資源や物資など戦争を遂行できる生産力がどれだけあるか正確に把握する指標として、米英が開発した。「第2次世界大戦が生んだ数多くの発明品の一つ」と英ケンブリッジ大のダイアン・コイル教授は位置づける。
世界に占める日本のGDPは、百年前と同じ水準に逆戻りしている――。英国の経済学者アンガス・マディソン氏の研究チームは、西暦1年から今に至る世界各国のGDPを歴史資料から推計してきた。そこから浮かび上がってきたのは、そんな日本の姿だ。
日本のGDPの世界全体に占める割合は1920年は3・4%。それが戦後の経済成長で急伸。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称された。米国の地位をも脅かす経済力を誇った90年には8.6%に上昇した。
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上位20カ国。マディソン氏の研究チームの最新の推計結果から。1920年の中国はデータが無いため、1900年で代用。1920、90年のロシアは旧ソ連のデータを使用。ソ連以外は現在の国旗
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だが、その後、中国をはじめとする新興国の経済成長が加速。日本は人口減社会に突入して主要7カ国(G7)で唯一足踏みを続け、2022年には3・7%に落ち込んだ。歴史的な「定位置」に戻ったともいえる。
現在の日本のGDPは世界4位。米ゴールドマン・サックスによれば、さらに50年に6位、75年には12位へ転落が予想される。日本は近い将来「経済大国」の看板を下ろすことになるかもしれない。
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問われるDIMEの発想 軍事以外が軽視されていないか
一方、岸田政権は一昨年末、27年度の防衛費のGDP比を倍増させ、2%にすることを決めた。27年度の防衛費は世界5位内に入り、「軍事大国」に仲間入りする可能性がある。
問題は、この歴史的増額が果たして「国力」に見合っているのかだ。マディソン氏の研究チームの一員である深尾京司・一橋大特命教授(国際経済学)は「人類史上まれに見るスピードで人口が減少していく日本の世界における経済的地位が、当面再び高まることは考えづらい。日本が単独で防衛費を拡充しても限界がある」と指摘する。
米国防大のテキスト「国家安全保障戦略入門」には、国家は「外交、情報、軍事、経済(DIME)という四つの主要な手段を駆使して力を行使し、目的を追求する」と記述され、「DIME」の統合的運用が重要だと説かれている
「DIME(ダイム)」という言葉がある。「外交(Diplomacy)」「情報(Information)」「軍事(Military)」「経済(Economy)」の頭文字を取ったものだ。米国が安全保障の指導者育成のため設立し、米軍の将校や文官らが在籍する米国防大(NDU)のテキスト「国家安全保障戦略入門」では国家安全保障の構成要素にこの四つを挙げ、DIMEを駆使して目的を追求するとしている。軍事は大事な要素だが、それだけでは国の安全が担保できない。国力の重要な要素であるDIMEを統合して国の安保を確保する、というのが、欧米では常識となっている。
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近年では中国に対抗するため、「技術(Technology)」を加えた「DIME+T」、あるいは「金融(Finance)」「諜報(ちょうほう)(Intelligence)」「法執行(Law enforcement)」を加えた「DIME+FIL」とも呼ばれる。日本では安保を考える際、これまでDIMEという言葉はほとんど聞かれなかった。
だが日本はかつて「国力」から目をそむけて軍事偏重に走った結果、人的・物的破局を招いた。
むろん、過去と事情は異なる。安保環境の変化を踏まえた防衛力の要素は必要だろう。だが今、安保を議論するのに、軍事以外の要素が、あまりに軽視されてはいないか。
岐路に立つ今だからこそ、「国力」を重層的に、冷静に見つめる視点が求められている。
日本の安全保障にDIMEの発想はあるのか。
日本の国家安全保障戦略、乏しい経済・外交の記述
一昨年改定された日本の「国家安全保障戦略」には「外交力・防衛力・経済力・技術力・情報力を含む総合的な国力を最大限活用して、国家の対応を高次のレベルで統合させる戦略が必要である」とある。
日本はこれまで、安全保障は米国を最重視し、経済面では最大の貿易相手国・中国との協力を深めてきた。だが、その米中の対立は軍事だけでなく、経済や技術といった非軍事の分野にまで拡大。安全保障の裾野が広がるなか、日本もいや応なく「踏み絵」を迫られている。自国の国力を見つめ、「国益」を見定めていこうというのが新戦略の趣旨だ。
しかし、中身を見ると、経済や外交に関する記述は乏しく、経済安保の項目も他の記述とのつながりがない。「戦略」の��部分を担当したある省の幹部は「戦略の全体像の議論もなく、他の項目の記述も見せてもらえず、一部の項目だけ割り振られた。いわば(各省からの文章を短冊状にしてつなぎ合わせる)『短冊方式』だ」と不満をもらす。DIMEを掲げてはいるが、「軍事」に重きが置かれ、政府一体の「総合的な国力」の底上げを図ろうとの意識は薄い。
歴史的な増額を決めた防衛費の財源も宙に浮いたままだ。
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参院本会議で防衛費財源確保法案が審議入りし、答弁する岸田文雄首相=2023年5月24日
岸田文雄首相は防衛費倍増を決めるにあたり、安定財源の確保について「今を生きる我々の将来世代への責任」と訴えた。しかし、首相が確保したとする財源の大半は、1度しか使えない国有財産の売却など安定財源にはほど遠いものだ。唯一、実効性がある防衛増税は、自民党内をまとめきれず、いまだ実施に必要な法律もできていない。
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戦略の策定に先駆けて首相官邸が設置した有識者会議でも、「国力」をめぐる議論はあった。エコノミストの翁百合・日本総合研究所理事長は「防衛力強化には、持続的な経済、財政基盤強化と国民の意識の共有が大変重要だ」と訴えた。エネルギー自給率の低さや、債務残高の国内総生産(GDP)比の高さなどを挙げ、「そのリスクを認識する必要がある」とも指摘した。DIMEに通じる考え方といえる。一方で「『国力に見合った防衛力』と固定的に考えるべきではない」と積極的に防衛力強化を唱える論者もいた。だが、有識者会議は3カ月間に計4回開かれただけで議論は煮詰まらず、メンバーも不満を口にした。
戦前の日本もDIME的発想で自国の国力を見つめようとしたことがあった。(大日向寛文、編集委員・佐藤武嗣)
対米開戦前、日本の「敗戦」を予告する二つの報告が軍と政府それぞれの研究チームでまとめられていました。 第4回「予知されていた『敗戦』」は8 月15 日配信予定です。
コメントプラス
加谷珪一(経済評論家)【解説】 国家の戦争遂行能力は基本的にGDP(国内総生産)に比例するといわれます。当たり前のことですが、軍隊の維持には費用がかかりますし、実際に軍事的オペレーションが始まれば、物流など経済インフラの強さが戦争継続のカギを握ります。一般的にロジスティクスという言葉はビジネスにおける物流のことを指しますが、ロジスティクス本来の意味は軍隊における兵站(へいたん:物資の補給など)です。言い換えれば、日常的に経済活動が活発で、多くの人やモノが移動している国、もっと簡単に言ってしまえば豊かな国ほど、いざという時にこうしたリソースを戦争に転用できるので、高い戦争遂行能力を発揮する仕組みです。世界でもっとも豊かな米国が最強の軍事力を持っているのはある意味で当然のことといえますし、経済規模が小さくなれば、やはり戦争遂行能力も低下せざるを得ません。
ちなみにGDPに対する軍事費の比率は、全世界的に見ると2%程度が標準です。常に何らかの軍事活動を行っている米国や、大規模な戦争を継続しているロシアのGDP比は3.5%~4%と高くなっています。日本の防衛費はGDP比1%という制約がありましたが、岸田政権が防衛費の倍増を決めたことから2%程度に上昇する可能性が高まっています。
不気味なのはやはり中国でしょう。中国の軍事費のGDP比はわずか1.6%ですが、GDPそのものが大きいので、軍事費の絶対値は日本の6倍にもなります。中国が米国並みに軍事費をかけた場合、その金額は途方もない水準となります。
辻田真佐憲(評論家・近現代史研究者)【視点】 戦前と現在の類似性に焦点を当てた分析ですが、差異にも注目する必要があると思います。戦前の日本は、経済的にはそれほど強くなかったかもしれませんが、北東アジアにおいて高度に近代化された軍隊を持ち、自主的に行動することができました。しかし、現在の日本は状況が異なります。日本が大陸で大規模な軍事行動を起こすことなど想像しにくいでしょう。むしろ、現在の北東アジアで軍事力を誇り、主導権を握っているのは中国です。したがって、戦前の日本と現在の日本を比較するのもいいですが、戦前の日本と現代の中国を比較するという視点も合わせてもたなければならないでしょう。
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bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 1201
第一章
20虚無への供物(くもつ) 01
さて、藤木田の推理の披露が終わって、皆がそれにいちゃもんをつけます。 ただ、 鴻巣玄次という与太者が、実在するという前提で推理が成り立っているのがね。
久生もそんなことを考えているのか 与太者の美貌を、「泥棒日記」のスティリターノか「蛭川(ひるかわ)博士」の混血児ならいいと、例えます。
『泥棒日記(ジャン・ジュネ)』 の登場人物であるスティリターノは、男色家のようです。 『蛭川博士(大下宇陀児)』の混血児ジュアンは不良ようです。 これもなにかの伏線なんですかね。
まずは、藍ちゃんです。 藤木田の推理の後半は憶測で、 実は、鴻巣玄次は買収されずに紅司さんに打ち明けて、 二人して逆に伯父さんの計画の裏をかくように手段をめぐらした。 十時半に鴻巣玄次が裏木戸から届けてきたかもしれない。
その後、久生も否定しますが、 そう簡単に死体を移動できるとは思えませんね。
次に、久生がいいます。 鴻巣玄次と紅司の相談を黄司が嗅ぎつけて、 もう一つ裏をかいて別な密室トリックを作りあげた考えてもいい。と。 かなりご都合主義ですね。
ただ、これらも、 藤木田老人がトリックを解明できなければいけないと、 いうことで、沈黙してしまます。
さらに、藤木田は、 私の考えたトリックは前例がないと鼻高々です。 それは、乱歩の「続・幻影城」に掲載されている類別トリック集成の密室トリック(3)犯行時被害者が室内にいなかったもの応用だと。 これは、“被害者自らが密室を作るのは、犯人をかばうためか敵の追撃をおそれるためかいずれかである”ことで、 今回、藤木田打考えたのは、 “ひたすら自分の秘密を守ろうとする咄嗟の心理を巧みに利用された” といいます。 微妙ですね。
そして、藤木田は動機について説明します。 それは、橙二郎の子供、緑司の出生の秘密で、それを、紅司君に嗅ぎつけられたからだと。 久生が、その秘密とは、緑司が生まれなかったのではなかといいます。 藤木田は、感心して、その発想はどこからと聞くと、荒正人(あらまさひと)さんではないが、“薔薇のお告げ”だといいます。 荒正人が、海外探偵小説の翻訳や探偵小説の評論などを発表していて、単純���それを読んでいたということなんでしょう。 「探偵小説小論(荒正人)」なんかを読んだらもっと詳しくわかるかもしれませんね。 緑色の薔薇は存在しないし、これからもできるかどうかもわからない。 だらか、緑司も存在しない。 妙な発想です。
で、藤木田曰く、 橙二郎の子供は死産だった。 予定日が近いのを幸い吉村という衛生兵上がりの子分の女房を亭主ぐるみ抱き込んで同じ病院に入れていて、 橙二郎の方に何かあれば、その子を緑司とすることにしていた。 その秘密に紅司が気がついた。 と、自信満々の調査結果だと、藤木田がいいます。
確かに動機としては有り得そうです。 ただ、状況証拠だけのような気もしますね。
藤木田は物的証拠もないから警察に訴えてもしかたない。 これからどうするかを皆に問います。 向こうが心理的トリックを使ったのだからこちらも同じ方法で、泥を吐かせようと提案します。
方法として、 素人探偵ファイロ・ヴァンスが活躍するカナリヤ殺人事件(ヴァン・ダイン)のポーカーによる心理探偵法と、 アクロイド殺し(アガサ・クリスティ)のジェイムズ・シェパード医師を囲む場面を取り入れ真似てみようといいます。 あれを東洋風にもじって橙二郎と麻雀をやってみようと提案します。
藤木田は、橙二郎と麻雀をやって証拠を掴むと自信満々です。
ここで、今夜の会合は終わりますが、 この提案が実現して暗殺者の驚くべき意図と異様な殺人方法とが暴露される結果になると書かれていますね。 麻雀で何がわかるのか? 楽しみですね。
その後、“アラビク”でひときわシャンソン談義に花が咲きます。 出てくるシャンソンは 「アルフォンソ(リーヌ・クルヴェ)」 「ラ・コンガ・ブリコティ(ジョセフィンベーカー)」 「ラ・ダダダ(リーヌ・クレヴェルス)」 「アリババ(リーヌ・クレヴェルス)」 「恐い病気よりまし(リーヌ・クレヴェルス)」 「紅いさくらんぼと白い林檎の木(ペレス・プラード)」 というところでしょうか。 ちょっと勘ぐると、これも、伏線なんでしょうか? 流石にこれはないでしょうか?
あと、 「怪奇を抱く壁(角田喜久雄)」にでてくる加賀美警部が“アルフォンソ”に聴き入る場面があると書いていますが、 これは、作家が角田喜久雄を好きなのかも。
亜利夫は、 生まれて初めて本当の殺人事件らしいものに直面し、今夜の推理比べで、何を解決したのか?を回想します。 ・蛍光燈の点滅する暗い風呂場に裸のままうつぶせていた紅司の死体。 ・一番の急所に触れたのが藤木田老人らしい。 ・自筆である紅司の日記はなぜ書かれたのか。 ・共犯の鴻巣玄次が実在しているのか。 などです。
亜利夫は、蒼司に相談することを考えます。
藤木田老人が蒼司は、数学者の卵だが僧正(ビショップ)のような殺人哲学は持っていないと言って��たのも思い出します。 「僧正殺人事件(ヴァン・ダイン)」のことでしょうか? この小説の動機は、嫉妬でした。 藤木田老人が蒼司には、嫉妬のような感情はないといっているということでしょうか?
亜利夫は、 塑性(そせい)論の矛盾をめぐって教授と意見が対立し、 ヒヌマ・セオリーとしての発表は沙汰やみになり蒼司が大学院をやめたと聞いています。 アカデミズムの世界はわからない。と、思っています。 紅司の死が氷沼家にもたらした荒廃のせいで、 並みの頭脳とは思えぬ蒼司に相談するのも切り出しにくいと思っています。
ここで、簡単に塑性論について書かれていますが、 このあたりがもし動機になるなら、はあ、そうですか?というくらいで、お手上げです。 まさかですが、そうならないといいな。
事件の後、 橙二郎はほとんど産院に、 蒼司は、映画や小旅行に、 藍ちゃんは試験勉強もほったらかしで麻雀屋に入り浸っているような状態です。
一月の中頃には、 蒼司が二階の部屋全部の改造をしてしまう。 この家を売る話が八田皓吉の世話でだいぶ進んでおり、場所柄、学校や宗教団体にと思っているので、 突飛な装飾は取り払っておきたいとのこと。 “赤の部屋”、“青の部屋”、“緑の部屋”すべて、平凡な部屋に作り替え、 例のオルガン階段もすべて改修した。
亜利夫の問に、 蒼司は「でも仕方がないんです」と悲しそうに答えみたいですけど、 いったいどういう意味があるんでしょうね。
その後、 バラに話が移ります。
蒼司は、亜利夫を庭に誘います。 この二重の垣根で囲まれた日当たりのいい空き地に一本のバラが植えてある。 ただ、バラとは名ばかりで30センチほどの緑色の茎が地面につきささっているだけだった。 何でも枚方(ひらかた)のほうから頒けて貰った試作品の新種だとなっています。
たぶん、 1955年、京阪電鉄が「東洋一のバラ園」を目指し、岡本勘治郎氏にバラ園造営の監督を依頼し誕生したひらかた大バラ園のことだと思います。 ただ、かなり管理が厳しかったみたいですから、 実際には分けてもらえたかかどうか、それともそれほど親しかったということか、あるいはこのバラが何らかの役割を果たすのか。
これが咲いたら、紅司は、“オフランド・オゥ・ネアン(虚無の供物)”にすると行っていたそうです。 ヴァレリーの詩も引用されています。 思わず、おって思いましたけど、これは、作家のお遊びでしょうね。
この場所が気になっている亜利夫に蒼司が、昔ここには花畠や温室があって、 茶色や金茶、スイスジャイアントのパンジーやビオラ、 ヒヤシンス、ラナンキュラスが咲いていたが、 誰かに見せることもせず、 まるで、人を呪う藁人形(わらにんぎょう)をつくるような気持ちでいたらしいといいます。 その相手が戦争で死んでからはふっつり栽培をやめてしまったと。 相手というのはむろん原爆で死んだ黄司であろうと想像します。
祖父の代から氷沼家の人間は名前まで色彩にがんじがらめにされているけど、 本当は色彩ってひどくおそろしいものなんだと蒼司がいいます。 憎しみに支えられて輝きを増すぐらいのことは平気なんだと。 そう考えたから思い切った造作変えをしたと、蒼司は、本心を打ち明けます。
一般の人間にはわからないですね。
蒼司が亜利夫に、親族会議への参加を促します。 親族会議で、この家を売った後のこと等を話したいのだそうです。 と、ここで、牟礼田俊夫のことが話題に出ます。
新聞の支局員を兼ねたラジオの欧州総局にいる牟礼田は、 フランスのピエール・マンデスが1955年2月信任投票により内閣は総辞職、 ソ連のゲオルギー・マレンコフが1955年2月にフルシチョフによる追い落とし工作に遭い首相を辞任、 などありすっかり足止めされていた。
牟礼田が帰ってくるまでの間に、 氷沼家は癲狂院めいた翳りを濃くし始め奇妙な活気を取り戻すことになる。 また事件が起こるってことでしょうね。
癲狂院とは、精神疾患を治療する病院のことで、 この当時はもうそういう表現は使っていなかったみたいなので、比喩なんでしょうね。
それにしても、四人四様ですが、 スッキリした解決にはなっていないですね。 ここまで描写を作家が事実として書いているすると、殺人としては、かなり難しい気がします。
わざと、描写していない部分がまだあるのだとしたら、 それが答えを導くことになるのでしょうね。
つづく
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hachikenyakaiwai · 4 months
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【かいわいの時】慶長二十年(1615)六月八日:松平忠明、大坂城主となる(新修大阪市史編纂所「今日は何の日」)
慶長19年(1614)、大坂冬の陣では河内口方面の大将として参戦し、後に休戦協定が豊臣方と結ばれると大坂城外堀・内堀の埋め立て奉行を担当した。さらに夏の陣では、第1陣・水野勝成率いる7千人、第2陣・伊勢衆5千人を率いる本多忠政に続き、忠明は第3陣として美濃衆7千人を率い、茶臼山方面に参戦。忠明の家来で高齢の奥平金弥が大和口の先手として一番首を上げ、別の家来が大坂方の勇将・後藤又兵衛を道明寺の戦いで打ち取った。戦後、家康は京都二条城において諸将と共に大坂の陣の論功を行った。詮議の結果、松平忠明が戦功第一に決まり、元和元年(1615)、32歳で家康の命により摂津大坂藩10万石を与えられ、藩主として戦災復興に当たった。
忠明は、大坂城の復興よりも、大坂市街地や農村地帯の復興を優先した。天下の台所としての繁栄に不可欠な堀川の開削をはじめ、寺院や墓地を移転して市街地を拡大。大坂城三の丸を開放して京都伏見の町人を移住させ、合計80余町の伏見町を新たにつくった[最近の学説では、伏見町の完成は元和5年(1619)で、忠明の郡山藩主への転出後とされる]。武家屋敷や御用達商人の住居を東横堀川の東側の上町に当て、一般町家は西側に復興させ今日の船場の基礎を確立し、新たな町割りの実施と水帳(検地帳)を作成、さらに戦時中に中断していた道頓堀の開削を行った(江並一嘉)。 なにわ大坂をつくった100人「48話 松平忠明まつだいらただあきら(1583–1644年)」より。
(写真)大坂天満宮梅花殿中庭の石灯籠。天満宮に移設された川崎東照宮の石灯籠三基のうちの一つで、松平忠明が寄進したと伝わる。(画像は、ashisatsのブログより)
当宮境内に忠明が寄進した川崎東照宮の「石灯籠」が3基伝えられている。そのうち1基には「奉寄進 東照大権現宮 元和三丁巳年四月十七日 従四位下行侍従兼下総守 源朝臣忠明」と川崎東照宮の創建と同日の元和3年の銘を持つ石灯籠が梅花殿南側の中庭あり、残る2基は幣殿脇の西唐門前と東唐門前にある。なお、忠明が「従四位下行侍従」になるのは元和5年に大和郡山へ加増移封された後の寛永22年で、「東照宮」と称されるのは前述のとおり忠明が寛永21年に没した後の正保2年で、灯籠の銘は追刻か、あるいは寄進が東照宮創建よりのちの時代であるが遡って刻したとも考えられる。同宮には他に、川崎東照宮の「神輿土蔵」と「神輿」1基が伝えられている(湯川敏男)。「大阪にあった東照宮の“その後”」(大阪府立大学21世紀科学研究センター大阪検定客員研究員平成29年度研究成果報告書)より。
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gobangiri-news · 4 months
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大ヒット御礼舞台挨拶オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の大ヒット御礼舞台挨拶を開催いたしました!熱気たっぷりのスタンディングオベーションで迎えられた草彅さんが「こうやって迎えられるのってうれしいです!」と満面の笑みで感謝し、「みなさんお座りになってください」と観客に優しく呼びかけ、場内はさらに大きな拍手に包まれました。「大ヒット御礼ということで、本当にみなさんがたくさん“おいごばん”をしていただいたということ。とても良い映画になっているので本当に僕も満足、一本満足なんですよね(笑)」と冒頭からご機嫌で草彅さん節を炸裂し、会場を笑いの渦に。「聞くところによると、(映画を観ているのは)つよぽんのファンよりもおじさんの方がすごい多いらしくて。つよぽんのファンは出遅れているのかなと思っていましたが、今日はつよぽんファンの方がたくさんいらっしゃってますね」と客席を見渡しニッコリの草彅さんは、上映後の舞台挨拶のため「ネタバレOKということで、今日は楽しい話を出し惜しみなく(笑)、いろいろとお話していきたいと思います」と気合を入れました。本作が泣ける映画で映像も美しいというMCの言葉に「白石(和彌)監督はバイオレンスのイメージがあって、血みどろの世界という感じ。(斎藤)工くんと斬り合うシーンはあるけれど、ちょっといつもの白石監督のテイストとは違っていて。監督も(時代劇)初挑戦で、新しい挑戦をしている感じがあるので、監督のファンの方もいい意味で驚かれる作品。そのあたりをチェックして欲しいですね」と本作の見どころ、白石監督の新しい色にも触れながらおすすめしました。本作のイベントでは、映画の中とのギャップが指摘されがちな草彅さん。この日もMCの質問に「はい!」と元気よくハキハキと答え、寡黙な柳田格之進とは大違い。「僕、声大きいかな?マイクいらないんじゃないの?マイクなんていらないよ」とマイクなしでトークを開始するなど、自由でありながらも観客を置いてけぼりにすることなく、みんなで楽しい舞台挨拶を作り上げていく草彅さんでした。「今日の僕、元気だな」とニヤリとしながら、生声でトークを続けた草彅さんは「TOHOシネマズ日比谷なのに、生の声がこんなに通る!」とウキウキ。「大きいけれど満員御礼ですからね、ありがとうございます!」と感謝の言葉も忘れずに何度も伝え、大きな拍手を浴びました。そこで、「滋賀県彦根市からあるゲストが来てくださっています」とのMCの言葉に「なんとーーーー!」と驚いた様子で雄叫びを上げた草彅さん。ゲストのひこにゃんが姿を見せると「かわいい!」「カモンカモン」「ようこそ、ひこにゃん」と大喜び!ひこにゃんがステージへの階段を使う際には、手を差し出してエスコート。無事にひこにゃんがステージに上がると「ひこにゃーん、会いたかったよ!」とガッチリと握手。ひこにゃんの兜を触りながら、「ヘルメットなの?どうやってツノが出てるの?」などと質問攻めの草彅さんでしたが「あ!甲冑ってことか。彦根城から来ているんだもんね」と納得した様子。「彦根城を使わせてもらってありがとうございます」と撮影許可のお礼を伝えた草彅さんは、格之進が濡れ衣を着せられる前の回想シーンを彦根城で撮影したと明かし、「でも、ひこにゃんいなかったよね?」と再びひこにゃんに問いかけを開始。次々と飛んでくる質問にちょっとびっくりのひこにゃんの姿に「ひこにゃんってシャイなの?」とツッコミを入れるなど、絶好調の草彅さん。するとひこにゃんの顔をまじまじと見つめ、「ちょっとフレンチブルドッグみたいな感じ」とひこにゃんの顔を触り始め「この辺のフォルムがクルミちゃんに似てるかも!」と愛犬との共通点を指摘し、さらに目尻を下げていました。ひこにゃんに映画の感想を訊ねる場面ではひこにゃんの声も担当した草彅さん。なぜかふなっしーのモノマネでひこにゃんの言葉を代弁し、1人芝居を繰り広げる草彅さんにひこにゃんは後ずさりし始めると会場は大爆笑。ひこにゃんが泣いている仕草で感動したことを伝える流れで、草彅さんは「ここでハンカチで(涙を)拭くくだりだった!」と流れを思い出したことを口にし、さらなる笑いを誘いました。慌ててハンカチを取り出し、その後もふなっしーの声でひこにゃんを演じる草彅さんにMCから「猫なので。猫バージョンもお願いします」とリクエストされると、即座に猫っぽいバージョンのひこにゃんの声に切り替えるなどの草彅さんのサービスに会場は笑い声でいっぱいになりました。ひこにゃんとの2ショット撮影タイムでも、立ち位置やカメラ目線などを優しく誘導した草彅さんが「ひこにゃんの手がめっちゃ熱い!それだけ感動してくれたんだね」とお礼を伝える場面も。フォトセッション中には、カメラに手を振りながら、自身の言葉でも観客に感謝を伝え、さらにひこにゃんのコメントも代弁した草彅さんは「ひこにゃんのキャラが定まった!」と大発見といった様子で「ひこにゃん、強いにゃーん」というキャッチフレーズをつけるなど、終始ご機嫌でした。イベントには、さらに長屋の大家・八兵衛を演じた落語家の立川談慶さんも登場。映画初出演の談慶さんは「リハなしでいきなり本番。でも、目の前に“やさしいマン”がいたから、緊張しないでできました」と、草彅さんがCMで演じたキャラクターを思い出したことを明かし感謝。撮影を振り返り、草彅さんからのお弁当の差し入れにお礼を伝えたところ「談慶さんは2000円でいいですよ、って言われました」と笑顔で告白。すると草彅さんは「2000円まだもらってない!」とニヤリ。草彅さんは談慶さんがスタッフ向けに披露した高座の動画を撮影前に観るよう監督から言われていたそうで「談慶さんがいたから、格之進の役作りができました。談慶さんのおかげで格之進が出来上がったと思います」と深々とお辞儀。談慶さんは恐縮しながらも「想像以上の格之進でした」と大絶賛。さらに映画のあらすじを3分にまとめた「ミニ落語」を談慶さんが披露し会場を大いに沸かせました。イベントには花束ゲストとして本作にエキストラ出演した囲碁棋士の藤沢里菜さんも登場。「綺麗な花束」と笑顔の草彅さん。藤沢さんは「ものすごく強い棋士のオーラが出ていたし、手つきも綺麗。長年囲碁が趣味なんじゃないかという感じがしていました」と囲碁の達人、格之進を演じた草彅さんの演技に太鼓判。「ルールは知らないとのことでしたが、その後、ルールは覚えましたか?」との藤沢さんの問いに「覚えてないです」と苦笑いした草彅さんは「でも、(囲碁の達人って)藤沢さんを勘違いさせるほど、藤沢さんの目から見て大丈夫だという太鼓判を押していただきました!」と胸を張り、「囲碁のルールを知らなくても楽しめるということです」と、映画をアピール。そして、ひこにゃんに再び質問が飛ぶ場面では、草彅さんは「目と鼻が碁石っぽい!碁石つけてるの?」とひこにゃんの鼻を触りながらいじり倒して笑わせました。最後の挨拶で「今日は本当にありがとうございました」と挨拶すると、この日1番の大きな拍手を贈られた草彅さん。「楽しい時間であっという間だったけれど、まだまだ『碁盤斬り』を通してみなさんと深く関わり合っていきたいと思います」と話し、映画を観た感想を周りに伝えて欲しいと呼びかけました。何かが伝わる映画だとし、「これをステップにみんなが次に向かえればいいなと。そういう作品だと思うので、末長くこの作品をお願いしたいと思いますし、1人でも多くの方が観て、何か感じていただけると幸せな世の中になると思いますので、ぜひ『碁盤斬り』を通じて、これから一緒に人生を歩いていきましょう!本日はありがとうございました」と呼びかけ、深々とお辞儀。時代劇に対して、足が遠のいている傾向もある中で、「今、観る作品だと思うし、初めて(時代劇を)観る方にもおすすめしたい。世代を超えて、若い方から年配の方まで、世代問わず、たくさんの方にご覧になっていただきたいです」と呼びかけ、しっかりとイベントを締めくくった後には、再びひこにゃんの鼻を触りながら「碁石じゃないよ」「触らないで!」などと1人2役の1人芝居を続け、退場口のドアが閉まるギリギリまで観客を楽しませました。
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bearbench-tokaido · 6 months
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五篇 下 その七
東海道を離れ伊勢の参宮道に来ている弥次郎兵衛と北八。 明星村の茶屋で、上方者が話しかけてきた。
上方者に、二人が下で馬に乗っていかないかと誘われた弥次郎兵衛は、 「そういえば昨夜、夜道を歩いたんで疲れている。 ちょうどいい。北八、俺は、乗っていくぞ。」 と、弥次郎兵衛が言うと北八は、 「そんなら、この荷をつけてもらおう。」 と、自分の荷物を渡す。 ここで馬の相談も決まり、上方者と弥次郎兵衛は、二人がけで馬に乗って出かけることにした。 北八は、その後ろを、ぶらぶらついて来ている。
馬が 「ヒヒン。」 と、いなないている。 「お前さんがたは、江戸の衆じゃろな。」 と、上方者が弥次郎兵衛に話しかけてきた。 「ああ、そうさ。」 と、答える。 「江戸はいいところじゃが、わしは去年行ってえらい目にあった。 あの江戸には似合わんが、どこへ行っても便所がとてつもなくむさ苦しくて、むさ苦しくて。 わしゃ百日ほどおったんじゃが、ほとんど便所にいかんかった。」 と上方者は、話始めた。 「それから江戸をたって、鈴が森というところまで来てからやれやれと海の中へ、ためにためた小便をいっきに風呂にいっぱいばかりしたが、いい気持ちだった。 あそこは、綺麗でえらく大きな便所であったわいな。ははは。」
弥次郎兵衛は上方者の言いように、ちょっとむっとして、 「京では小便と菜を、取り替えっこするんだろう。 その大切な小便をお前、海の中へ捨てるなんてもったいない事をしたもんだ。 ドラム缶にいっぱいなら五、六頭の馬でも乗せられないくらいの菜になるだろうに。」 と言うと、更に思い出しというふうに、 「そう言えば京では、屁が出そうになるとさっと裏の畑へ駆けていって、植えてある大根や菜の上に屁をするということだが、なるほどこれも肥やしになるだろう。」 と、笑いながら言う。 「そうじゃないわいな。 その屁をした菜をよう刻んで土にまぜて、壁をぬりおるがな。 京ではその土を、へなつち(屁の土)というわいな。」 上方者は、真剣に答える。 「総じて京というとこは、けちな所よ。 前にもわしが行った頃は三月で、ちょうど花見の最中。」 と、弥次郎兵衛は、更に続ける。 「自分勝手に幕をうって、何段にも重ねた蒔絵の重箱などを取ちらしたまではいいが、その重の中には何が入っているかと覗いてみると、残り物を混ぜ合わせたようないろんな漬物におからの煮たやつばっかりだ。 まいった。まいった。」 「いやそれよりか、お江戸の衆が吉原の桜はえらいといたく自慢するさかい、わしゃわざわざ吉原へいって見たが、なんの桜はありゃせんがな。」 と、上方者も負けていない。 不思議に思いながら、弥次郎兵衛は、 「そりゃお前、いつごろ行ったんだ。」 と、上方者に問いかけると、 「わしが行ったは、たしか十月ごろ。」 「当たり前だ。十月に桜があるわきゃない。」 「はあ、そうかいな。 それでも京の小室や嵐山には、年中さくらがちゃんとあるがな。」 と、上方者は、すまして言う。 「そりゃ木ばかりだろう。花は年中ありゃしめい。」 と弥次郎兵衛は、上方者をにらむ。 「そりゃそうじゃが。」
上方者はちょっと黙り込んでから、 「いや又、江戸の衆は長唄をよう歌ってじゃが、京の宮園や国太夫は又、格別なもんじゃわいな。」 「くにだゆうというは、どのような歌だ。」 と根っから歌が好きなので、弥次郎兵衛が聞くと、 「国太夫はこうじゃいな。」 と、真面目に声を張り上げて、国太夫を歌い出した。
「やがて~、私の年季があけて~、お前と夫婦に~、なるならば~、 苦労を供にすることも~、苦労と思わず~、添いましょう~。 ちんちん、ちんちりん。」
「いいな。面白い。ちょっと私にも、一段落教えてくれなさい。」 それを聞いて弥次郎兵衛は、歌ってみたくて仕方がない。 「そりゃ、簡単なことじゃわいな。わしについてやりなされ。」 と上方者が、歌い出す。
後ろ黙ってついてきていた北八は上方者が、あんまりに高慢ちきなので馬から突き落としてやろうと、細長い竹を一本を拾うと馬の後ろから狙っていた。 上方者はそんなことは露ほども知らないで、夢中になって国太夫を歌っている。
「ちんちりっん、ちんちりっん、ちんちん。 ほんに~、おなごは執念深い~、というは嘘じゃない~。 死んでも、責め苛む~夜叉羅刹、杖ふりあげて、頭打つ。」
というところで北八が、手をのばしてさっき拾った竹で、上方者の頭をぴしゃりと叩く。 その後さっと、上方者から見えない方の馬の尻にさっと隠れる。
「やあ、こりゃ、どやつじゃい。人の頭を鞭うちおるがな。」 と、上方者が、叩かれた頭を抑えながら言うと、 「はははもう一度、今の文句を。」 と、弥次郎兵衛が催促する。 上方者は、痛む頭をさすりながら、
「ほんに~、おなごは執念深い~、というは嘘じゃない~。 死んでも、責め苛む~夜叉羅刹、杖ふりあげて。」 というところで又、北八がぴしゃりと、叩いて隠れる。
「あいたたた、どやつじゃ。滅相な。なんで、ぶち叩くな。」 と、上方者は、振り返ってみたが、北八は隠れているので見えない。 「おもしろいがどうも、節が難しい。もう一度やってくんなせえ。」 と弥次郎兵衛が、催促するが上方者は、 「そりゃなんぼでも、やるはやるが又、頭を叩かれやしよまいか。」 と、何度も後ろを振り返っている。
「俺が、見ていよう。心配するねえ。」 と弥次郎兵衛が、上方者を見る。 「そんなら、今一度、やりましょかい。」 と、上方者が歌い出す。
「死んでも、責め苛む~夜叉羅刹、杖ふりあげて。」 またまた、北八が上方者の頭を叩こうとして、何を慌てたのか弥次郎兵衛の頭をぴしゃぴしゃと叩いてしまう。
「あたたた。北八、俺の頭をどうしてなぐるんだ。」 と弥次郎兵衛は、後ろ振り向きながら言うと上方者が、 「はあ、さっきから、わしが頭を叩いたのもお前さんじゃな、なんして叩いた。」 と、竹を持ってうろちょろしている北八に言う。 「わしは、叩いた覚えはない。」 と北八が、目の前で竹をふると、 「なにがないだ。その竹をみろ。やってないとは、言わせんわいな。」 と上方が、竹を指差す。 北八は慌てて竹をそこにほっぽりだすと、 「はて俺は知らねえ。しつこい野郎だ。」 すっかり開き直る。 「野郎とはなんじゃいな。貴様はえらい勝手なことを言う。」 と上方者は、怒っている。
「なんだ、このべらぼうめ。さっきから思ってたんだが、まったく気に食わない野郎だ。 あんまりふざけた事ばかり言うと、その馬から引きずりおろすぞ。」 北八が、けんか腰で言うと、 「おもしろい。さあ、おろして見やんせ。」 と、上方者も負けていない。 「おお、まっさかさまに、落っことしてやろう。」 と馬の尻をぴっしゃりと叩く。 馬は、驚いて跳ね上がる。 「やあこりゃ、たまらん、何するのじゃ。」 と上方者は、びっくりして馬にくくりつけてある荷台にしがみつく。 「ひゃ、なにをする。」 と 弥次郎兵衛も、上方者と同じようにしがみつく。 馬かたが、 「ええ、畜生め。どうどう。」 と必死になだめてどうにか、落ち着いた。
その後、黙って歩いていって、新茶屋、明野ガ原と通り過ぎて小俣町に着いた。 ここで弥次郎兵衛と上方者は馬をおりて、三人で茶屋に休む。
上方者は、北八に向かって、 「これお前は、なんしてわしが頭を叩かした。」 とまた、さっきのことを蒸し返そうとする。 「もういい加減にしなせえ。お互いに旅先じゃ、色んな事があるもんだ。 もう、いいじゃねえか。わしが、一杯おごろう。 もし女中、何ぞ肴があらば、ここへいっぱい出してくんな。」 と弥次郎兵衛が、中を取り持ちこれより酒盛りとなる。
上方者も一杯のめる口なので、だんだん酔いが回ってきた。 「こりゃえらく酔うたわいな。これ弥次さんとやら、わしゃお前が、えらい好きになったが、この野郎はいかんぞや。 うんいかん。しかしお前の連れじゃ、しかたがない。 そうじゃ、こうしようじゃないか。 これから山田の妙見町にいっしょに泊まって、古市をおごろかいな。」 上方者は、いい気分で、弥次郎兵衛に話しかける。 「わしゃ、あそこでは、顔がきくので、 千束屋(ちずかや)の鼓(つづみ)の間でも、柏屋の松の間でもわしが案内するさかい、行かんせか。どうじゃいな。」
弥次郎兵衛は酔って気が大きくなったのか、上方者がやたらに驕り高ぶるので、こいつをおだてあげて遊ぶつもりに胸算用して、 「古市とは、遊郭のことじゃな。なるほど、それはいい。 どうぞ、よろしくおたのもうします。」 と、頭を下げる。 「これからその山田の松坂屋で腹ごしらえして、妙見町の藤屋に宿をとろうじゃないかいな。 さあさあ、もう行こわいな。」 と上方者は、えらく上機嫌である。
弥次郎兵衛は北八と顔を見合わせて、ニヤリと笑うと、 「そうだな、どりゃ、出かけましょう。」 とここの酒代を払い、立出る。 この町の出はなれに、宮川という渡船に着いた。
宮川で 神に機縁を 結ばんと すくった水の かげの白さよ
ここより、中河原を通り過ぎると、山田の町に着いた。
これで、五篇 下は終わりです。五篇 追加に続きます。
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774 · 8 months
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悪の組織ゲドンが尖兵とする獣人は、動物や昆虫の特性を直截的に取り込んだ造形となっており、人間よりも獣の要素が色濃い。ゲドンの獣人は食料となる人間を片っ端から誘拐してはその生き血を抜き取って殺していき、その遺体を食肉として保存する。 しかし、その怪奇性とヒーローの孤独を中心に据えた作品展開が仇となって子供たちに敬遠されてしまい、当初は好調だった視聴率が徐々に低迷してきたため、 第6話でモグラ獣人がアマゾンの仲間になってから大きな方向転換を余儀なくされ、低年齢向けの作風へ変化して視聴率の回復が図られた。そのための強化策は、以下の3点が挙げられる。 アマゾンがキックやパンチといった、従来の仮面ライダー同様のアクションを多用するようになる。 岡村まさひこ、岡村りつ子、立花藤兵衛といった仲間たちのサポートを受けて戦う。 明朗な痛快活劇を基本とした平板な展開が中心となり、モグラ獣人を中心としたコミカルな要素も加わる。 低年齢向けを目指した路線変更は、第14話でゲドン壊滅と共にガランダー帝国が登場してからさらに加速していくこととなる。古代インカ帝国の秘宝と、その秘密のカギであるギギの腕輪をアマゾンから奪うことを作戦の中心に据えたゲドンとは異なり、ガランダー帝国はインカの秘宝よりも世界征服作戦を優先させていく。その結果、従来の悪の組織ではあまり例のない規模の都市破壊をはじめとする大掛かりな作戦を次々と行うガランダー帝国と、それを阻止していくアマゾンの活躍がダイナミックかつテンポよく描かれるようになった。
仮面ライダーアマゾン - Wikipedia
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jimonjitoh · 11 months
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初代庄内藩主酒井忠勝は、正室鳥居姫(山形二十二万石、鳥居左京亮忠政の
息女)との間に子が無かったが、四人の側室との間に九人の男児と三人の女児を
もうけた。世子忠当(ただまさ)の母は花の丸殿と呼ばれていた。
 長門守が鶴岡に住み始めた頃には、忠当は老中松平伊豆守信綱の息女、千万
と結婚していた。この結婚は庄内藩を二度、危機から救っている。一度目は忠勝
の苛酷な農民支配で百姓の逃散事件が起こった時の、土豪の大肝煎高橋太郎
左衛門とのトラブルである。年貢増徴の結果である農民の逃散の責めを、藩は太
郎左衛門にありとして投獄し、あまつさえ謀殺を計画をしたので、憤慨した太郎左
衛門が幕府に上訴するという事件が起こった。忠当と娘の千万が婚約中であった
ことから、老中松平伊豆守はこの目安状を握りつぶし、代わりに太郎左衛門を侍
身分に取り立てることで妥協を成立させたので、わずかな落ち度で容赦なく大名を
改易や減封に処した当時の幕府の目に留まることなく、庄内藩は改易の危機を免
れたのである。そして二度目はこの「長門守一件」である。
 寛永十五年に長門守が鶴岡に蟄居しはじめてから、彼の回りには少しづつ人が
集まり始める。彼等について斎藤正一氏はこう述べている。
「当時、江戸で横行していた旗本奴のような無法な連中である。その中には二十
余年後に『末松一件』という凶悪事件を引き起こすことになる末松彦太夫の名もあ
る。」
 徳川家が天下統一を果たしたとはいうものの、まだそこここに戦火の記憶は残
り、血生臭さは拭い切れていなかった。榎本宗次氏の「さむらいの履歴書」によれ
ば、仕官の基準は戦場での功績、つまり首を幾つ取ったかという「高名之覚」とい
う履歴書で審査されたという。十六歳で相手と組み討ちの末、首一つとったのを皮
切りに計四つの首を挙げた者、或いは島原の乱での原城先陣争いで一番乗りを
した者。彼等はその証拠として目撃者の添え状も付けている。武勲を中心に彼等
は取り立てられたのである。これは逆にいうと平時において官僚的、事務的な能
力が求められたとき、彼等の何割かは役に立たなかったということであろう。彼等
の力の象徴は「刀」である。後に長門守の一味の末松彦太夫が武士の身分をカ
サにきて、町人の大量殺戮事件を起こした時に、彼の刀が番所の座敷に展示さ
れるということがあった。「当時はこのような荒仕事に使用された刀剣は名誉の武
器として観賞する風習があったようである。」と正一氏は述べているが、庄内藩の
初期において、いかに武断的な野蛮の風があったかが分かる。
 言うなれば長門守はまさしく武断の人であった。
そして兄であり、庄内藩主の忠勝もまた紛れもなく武断の人であったようである。
武士のたしなみとしての書や茶道に堪能であったとしても、本質において彼等は
戦いの中でこそ自分を発揮できるタイプだったかもしれない。長門守が忠勝に取り
入ったこともあろうが、この兄弟はその性行において、大変にウマがあったようで
ある。
 水面下で何かが形をなして動き始める。
それに呼応するように、拮抗する勢力も形成されてくる。忠勝の長男忠当(ただま
さ)を守る集団のトップは家老の一人、高力喜兵衛。彼の母は忠勝の妹なので、
忠当と喜兵衛は従兄弟である。長門守は叔父に当たる。父と子、従兄弟、叔父と
甥の血肉を分けた者同士が二派に分かれ、相対立し拮抗して争うことになる。
 しかし、もともと忠勝が忠当を疎んじていたというようなことは考えられない。忠当
の生母花の丸の方は寛永十一年閏七月に若くして他界しているが、忠勝はこの
夫人をとりわけ慕わしく思われていたようである。彼女の没後、実家の西田家では
藩主のたっての頼みで、縁故のつてを辿り、わざわざ甲賀から遠縁の女性を引き
取り、養女として後、内室として差し上げている。彼女は後花の丸の方と呼ばれ、
後の松山藩主となる男児をはじめ、四人の男児をもうけている。
 ともあれ、忠勝と忠当父子の間に、肉親のねじれた葛藤のようなものはなかった
とみていい。彼等の間柄が緊張を孕んできたとすれば、それは長門守の存在によ
るものというしかない。長門守は長男の九八郎に、忠当の妹おまんを娶せようとし
ていた。
 長門守が本当に藩を乗っ取ろうとしていたかどうかは、今となっては分からない
ものの、藩主との血縁関係をできるだけ濃くしておいて、息子に何万石かの分封
にあずかることは確実に期待したに違いない。少なくとも白岩八千石よりはずっと
いい。長門守の胸にはあの白岩領での屈辱の記憶が残っていたことだろう。今度
は失敗しない、と彼は考えたかも知れない。刀と頭を精一杯使って、思うままに支
配できる領地を息子の名義にしてやるのだ、と。
 さて、その九八郎である。「北窓雑記」によれば、彼は「賢太子」と呼ばれ、父長
門守とは別格の高潔な人物として描かれている。その一文を拙い現代語に訳して
みよう。
「九八郎様は格別の方でした。ある時、守り役の山本半右衛門をお呼びになり、
『私は今から自害しようと思うので、介錯を頼む』とねんごろに仰有いますので、半
右衛門は驚き、『何故、そのようなことを』『他でもないが、父君が私を可愛く思う余
り、御本家の相続を私にさせようとしている。事態は急なので、他に方法はないの
だ』とのことでした。半右衛門は必死になってお諫めし、『御賢慮まことに感じ入り
ますが、ここは一旦お考え直しください』といろいろ言葉を尽くして申し上げるけれ
ども、なかなかお聞き入れにならない。半右衛門も必死になってお止めし、ようやく
思いとどまっていただくことができた。その後、半右衛門はすぐに使いに書状をも
たせ、忠当様の附家老の水野内蔵助へ詳しく事情を知らせたので、忠当様、内蔵
助は小人数の供を連れて庄内から、江戸へ発たれたのである。」
 これは正保二年(一六四五)の五月のことである。長門守が鶴岡に住み始めて
七年。「酒井家世紀」によれば、
「一説に山本五左衛門という男が長門守にくみして、世子君を襲う企てがあるとい
う噂が流れた」との記述があり、実際、忠当はこの五月に江戸に登っている。
「北窓雑記」や「酒井家世紀」の但し書きはあくまで一説であるが、それに近い状
況があったのかも知れないと考えても、矛盾はないのである。ただ、九八郎が伝え
られるような「賢太子」だったかどうかについては反証を示す史料もあるので、実
際のところは分からないが、父親の長門守とはタイプの違う人間であることは確か
なようである。ぎらぎらした父とは異なり、線の細さが感じられる。父の言い分に面
と向かっては逆らえず、自害しようとして家臣から止められ、このお家騒動が落着
するのを見届けるように、すーっと若死にしてしまうのである。
 父親とタイプの違う息子といえば、忠当もまたそう言える。
父忠勝は「生来短気で、家臣に対しては手討三百余人の記録を残す」と書かれて
いるほどの人物である。しかし、彼は自分の類い希な癇性に少しも苦しまなかった
のであろうか。おそらくはおっとりと受容的であったであろう花の丸の方を慈しみ、
その亡き後は縁の女性に面影を求めたということは、忠勝の或る一面を窺わせ
る。しかし、藩主としての彼はあくまでも苛烈である。一方、息子の忠当はいささか
病弱の風があったらしく、それが長門守派をして「藩主の任に耐えぬ」という口実
を引き出す元になった。しかし、彼はこの嵐のような事件を耐え抜き、騒動後の庄
内藩の混乱を最小限に押さえているから、政治家としてはむしろ父よりも優れてい
たかも知れない。
 戦国の世の猛々しい気風を身にまとった父。戦火の静まった世に生まれ、抑制
的な思慮を武器に持つ息子。この相異なる傾向を持つ父子が、周辺の者達の
様々な野望、思惑、忠義の織りなす渦の中心に立たされる。そして犠牲はいつの
世も最も周辺の者達がこうむることになる。
 正保二年、十二月。長門守は高力喜兵衛一派を切り崩しにかかった。「三十二
御家中訴訟」事件がそれである。
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yotchan-blog · 3 months
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2024/7/12 11:01:19現在のニュース
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kachoushi · 1 year
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星辰選集
花鳥誌 令和5年10月号
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令和5年7月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
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花種蒔く母は呪文を唱へつつ 池垣 真知子 九頭竜も隅田もつづり花筏 岡田 順子 行くほどに陽炎深き石仏群 四本木 ただし 武士となれず尾を振る蝌蚪の陣 横田 美佐子 その中に魔法のランプ春の市 大久保 樹 裾をわる粋言ふをとこ春惜しむ 渡辺 幸子 そなた若し津軽の瞽女や踊子草 藤枝 昌文 月島の雨に色濃き八重桜 栗原 和子
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この山の確と菫の一処 渡辺 炳子 石鹸玉の吹雪や少女手妻めく 野田 勝利 高瀬舟残んの花を離れけり 葛生 みもざ 振り袖にすれ違ひ行く花の雨 棈松 政江 しやぼん玉消えて魔法の解けにけり 剣持 せつ子 夕桜から夜桜となる間 上嶋 昭子 能舞台甍を飾る花の雨 田辺 て津子 二人して沙漠に蝶を追ひかけて 崎島 六甲
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磯波に大渋滞の花筏 舩上 照江 花衣うすむらさきの浄土かな 宮崎 悠紀子 春雷の去りて雨音かすかなり 続木 一雄 仁王立ちしてふらここを漕いでをり 加納 佑天 会へる人会へぬ人ゐて春の宮 小林 含香 目瞑ればさらはれさうや飛花落花 尾田 美智子 水鳥の言問ふやうに漂へり 白水 朝子 後戻り雛に呼ばれてゐるやうで 田原 悦子
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卍ヶ辻に迷ひはせぬか雪女 村上 雪 白鳥に引く日の近き与兵衛沼 赤川 誓城 亀の鳴く方より日暮はじまりぬ 大和田 博道 春の闇弾かるるを待つピアノあり 渡辺 彰子 洋館の鏡北向き遠桜 上嶋 眞理子 ふらここに行きつ戻りつ老いの来て 伊藤 裕章 口紅は使はれぬまま蝶の昼 田上 喜和
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天帝を恋ひ光へと向く椿 猪俣 北洞 花衣骨董市へ迷ひ込む 松本 洋子 蝶を呼ぶ埴輪は高く手を上げて 鍛治屋 都 涅槃図や人より泣いてとりけもの 村山 要 思春期の桜貝ほど割れやすく 佐伯 緋路
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