Tumgik
#肉好き野口剛
takeshi-noguchi · 2 years
Photo
Tumblr media
今日もパーティーです😆@ta0416 #あけましておめでとうございます #あけおめ #蟹 #蟹にまみれたい #蟹好きな人と繋がりたい #カニ #蟹祭り #蟹パーティー #肉料理 #Googleローカルガイドレベル10野口剛 #Googleローカルガイド野口剛 #蟹パーティー #蟹ピーポー #かに #かにまる #蟹まる #カニ大好き #カニ大好き #カニマン #かに #カニ好き #正月 #正月料理 #本年もよろしくお願いします #今年もよろしくお願いします #年賀状 #正月太り #蟹パーテー #1月1日 #日本の正月 (Nagasaki, Nagasaki) https://www.instagram.com/p/Cm6GNhlyPnw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
simamamoru · 2 months
Text
汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その���、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
35 notes · View notes
kennak · 1 year
Quote
 山間僻地五、六歳の頃のF爺F坊やは、山奥の寒村に住んでいました。村には、当時の秋田県では普通のことでしたが、電気も水道もありませんでした。F坊やは、そこで生まれたのではありません。その村は、貧しいよそ者一家の一時的な滞在地でした。山奥ですから、魚は干物か佃煮か塩漬けの物しか無く、肉屋なんてどこにもありませんでした。鶏や兎を飼ってはいましたが、自分の家の田畑が無いため食料は生き延びるのにぎりぎりの量しか手に入りませんでした。敗戦から数年後、一家の財政状態の最も厳しい時期だったようです。食べ物の好き嫌いなど言っていられませんでした。「ご飯と味噌汁と沢庵漬けと炒めたキャベツ」があれば「御馳走」のうちだったのです。人参は、嫌いでしたが、「空腹が少しは収まる」と考えて、無理に呑み込んでいました。草を刈って来て兎の餌にするのと蝗(いなご)や蟋蟀(こおろぎ)を生きたまま捕まえて来ては鶏(にわとり)の餌にするのが日課でした。鶏が大喜びでついばむのを眺め、一羽一羽に「明日も卵を産んでちょうだいね」と口に出して頼むのが習慣になっていました。卵かけご飯が「大」の字の付く御馳走だったのです。F坊やの日課がもう一つありました。灯油ランプの火屋(ほや)の内側を磨いて煤(すす)を取り除く仕事です。幼児の小さな手と細い腕でないと、火屋には入らないのです。大人になってから、アフリカなどで夜毎にテントを張る長旅をしていて電気も水道も無い生活が苦にならなかったのは、この時期の生活体験が身に着いているお蔭です。お米が配給だった時代です。この村に住んでいた頃「満ち足りるまでご飯を食べた」記憶がありません。お櫃(ひつ)が空(から)になり食卓を片付ける頃になっても、空腹は収まりませんでした。白湯を呑んで胃袋を満たして、仮初めの充足感を得るのです。親には「お腹を壊すから食べちゃいけない」と言われていましたが、裏山に行って食べられそうな野生の木の実や草の実や芋を探しては口に入れていました。野葡萄(のぶどう)や茱萸(ぐみ)の実は、幼児の舌には酸っぱくてほろ苦く渋いものなのでしたが、五臓六腑に沁み渡るような美味と感じていました。きっと、ビタミンCやミネラルなど、足りない栄養分を補ってくれたのでしょう。木の実の汁で唇や歯がいろいろな色に染まりますから、必ずバレて叱られるものでした。母は、あれから何十年経っても、キャベツ(*)を刻む度(たび)に、こう言うのが常でした。「○○村に住んでいた頃は、キャベツ(**)をこうやって炒めると素晴らしい御馳走に見えたのよね。あの乏しい食生活で、よくもまあ子供が育ったものだわ」(*)(**) 追記 2020年8月16日母が口にした元の言葉は「玉菜(たまな)」です。日本中を覆うカタカナかぶれ・西洋かぶれの波に呑まれて殆ど消えてしまった言葉ですが、残念なことです。「玉菜」は、同音異義語が無く、発音も漢字も簡単で一度見たら忘れない言葉です。復活させるべきだとF爺は確信しています。賛同なさる方が多数出現するでしょうか。 フランスに移住1968年にF爺が到着した頃のフランスの平均的な食生活は、当時の日本とは比べ物にならないほど豊かでした。キャンパスの学生食堂でさえ、ステーキなどは「普通の物」だったのです。親しくなった学生に誘われるままに自宅を訪問してご両親とも話をし、夕食に招待していただくときなど、学生食堂とは二ランクも三ランクも違う料理が出るのに感激しました。その際に殆ど必ず、事前に「何か食べられない物はありますか」と訊かれました。「ありません」と答えると、不思議そうな顔をされました。誰しも食べ物の好みはあるもので一つか二つぐらいは食べられない物のあるのが当たり前、という認識のようでした。それでも、幼児の頃からずうっと「食べ物の好き嫌いは、いけないこと」と教え込まれていたF爺は、日本での長年の習慣を引き摺って、嫌いな物でも我慢して食べ続けました。ところが、ある日、我慢の限界が来て、人参を一切れ口にした途端に気分が悪くなり、トイレに駆け込んで胃袋の中身を全部吐いてしまうということがあったのです。「嫌いなものを無理に食べると顔に出てしまうから却って失礼に当たる」こと、そして吐いてしまうのは、その場にいる人全員に不快な思いをさせるから、非常に失礼なことなのだと、ようやく、分かりました。価値観の転換です。「食べ物が極度に不足している場では正当なこと」が「食べ物が恒常的に有り余っている所では不当なこと」であり得るのです。この時から、人参を無理に食べるのはきっぱりやめました。
野葡萄と茱萸(ぐみ)の味 - F爺・小島剛一のブログ
8 notes · View notes
nua-ap · 4 months
Text
Tumblr media
白夜
AP_2023 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域2年 演劇公演(プロジェクトワーク3)
原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
------------------
僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
------------------
主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を送っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思うのだろう。
------------------
開演日時
2024年7月13日(土)11:00、14:30※
※両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ※当日券は若干枚発行予定です。
※受付開始・開場は、各公演30分前より ※上演時間45分(予定・途中休憩なし) ※駐車場あり ※場内車いすスペースあり ※未就学児入場不可 ※全席自由
------------------
料金:無料
------------------
会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
公演当日受付場所:東キャンパス 1号館 1階ロビー
------------------
ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/mUviZedostUTAMHa9
●両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ●当日券は若干枚発行予定です。
※予約開始 6月7日(金)12:00 ※定員に達し次第、予約受付は終了となります。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合があります。
------------------
出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
------------------
「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには失うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
------------------
Tumblr media
構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
------------------
制作(舞台プロデュースコース)
安尾琢杜、山田葵衣、石川大海(演出補) 今泉舞音、遠藤美帆、岡部創太 河合仁衣菜、齋藤寧々、田中蒼真 松本千花、蓑原楓子、萬敬祐
音響(演出空間コース[音響])
上之未来、奥田颯杜、松木千夏
照明(演出空間コース[照明])
浅野羽菜、大橋知世、何采沂 桂川栞吏、新名里彩、野本恭可 深作百花、水谷莉子、三宅梨世 山田瑞希
美術(舞台美術コース)
大下女神、岡本愛結、後藤歩栞 坂倉しずの、白井友菜、諏訪天音 髙橋杏奈、田中杏果、丁��文 成瀬葉菜音、花瀬由珠、坂梨々愛 間瀬美紀、松本莉歩、武藤彩花 村松真琉子、山下心響、吉川治希 吉田翠里
------------------
照明協力
イ ロイ、今井歩、上本瑞和 酒井優、佐藤星希、鈴木日奈子 関楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉 宮原羽菜
音響協力
夏目依吹、橋村怜央、二木陽菜 松木花水実、中根美咲
------------------
指導教員:
梶田美香、鳴海康平、浅井信好 石黒諭、山口剛、神谷怜奈
------------------
宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
フライヤーPDF 表 / 裏
------------------
名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
------------------
X / @NUA_AP instagram / nua_ap
------------------
主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
------------------
だって、こんな生活、罪ですよ。
Tumblr media
1 note · View note
shintani24 · 5 months
Text
2024年5月1日
Tumblr media
「春と秋がない」「サンダルで過ごした」4月の平均気温は “史上最高” 飲食業界からはうれしい声も(RCCニュース)2024年5月1日
5月1日は、少しひんやりとしたスタートでしたが、先日は夏のように暑い日もありました。4月は、平均気温が史上最も高く、記録的に暖かい春となりました。
末川徹 記者 「午後1時、広島市中区の平和公園です。1か月前は、桜のトンネルだった場所も新緑の葉に置き換わりました。季節の移り変わりを感じます」
Tumblr media
4月の広島市中区の最高気温を表したグラフです。アップダウンはあるものの、月の7割以上で20℃を超え、25℃以上の「夏日」が4日ありました。平均気温は17.5℃。これまで最も高かった1998年を上回り、観測史上1位を更新しました。
まちの人は、どのように感じたのでしょうか。
男性 「今でも半そでになりたいくらい暑かった」
女性 「暑かったので、涼しいかっこうだった。トレーナー・パーカーを着ていない。ブラウスやサンダルで過ごした」
「衣替えのタイミングを決められなかった。上着で調整した。(気温の変化で)体調を崩しやすかった」
「(気温が)極端。2023年に比べて、ひどい。春と秋がない。あっても少し」
一方、広島市のデパートからはうれしい声も…。福屋八丁堀本店の「レストランアンダーザスカイ」では、記録的な暑さで売り上げが好調のようです。
福屋 営業本部 横山慧さん 「4月は急激に気温が上がったので、『外で食べたい』との声が多かった。涼しかった(3月の)時期と比べると、売り上げが120%になっている」
4月末にビアガーデンがオープンし、ビールやお肉などが食べ飲み放題で味わえます。夜はイルミネーションが輝く幻想的な空間が広がり、暑い日にこそ、外で食事を楽しんでもらいたいとしています。
広島県内は、この先1か月も、気温が平年より高い見込みです。
Tumblr media
ことしの4月は “史上最も暖かい” 北・東日本&沖縄・奄美地方で高温記録更新 西日本でも過去145年で最も高い地点も(RCCニュース)
北日本・東日本と沖縄・奄美で “最も気温の高い4月” に
気象庁は4月の天候まとめを発表しました。北日本・東日本と沖縄・奄美では4月としては統計を取り始めた1946年以降で最も高い気温を更新しました。
Tumblr media
日本付近は暖かい空気に覆われやすく、低気圧や前線に向かって暖かい空気が流れ込む日もあったため、月平均気温は全国的にかなり高くなりました。
4月の平均気温平年差は、北日本で+3.2℃、東日本で+2.7℃、沖縄・奄美で+2.6℃と、各地域で1946年の統計開始以降、4月として1位の高温となっています。
Tumblr media
また、下旬には多くの地点で、4月として日最高気温の高い方からの歴代1位の記録を更新しました。
Tumblr media
全国的に天気は数日の周期で変化し、東日本太平洋側と西日本、沖縄・奄美では低気圧や前線の影響を受けやすく、曇りや雨の日が多くなりました。沖縄・奄美では15日頃を中心に4月として記録的な大雨となった所がありました。
過去145年間で “史上 最も暖かい” 4月となった地点も
西日本は平年差+2.4℃で観測史上3番目に高い記録で、中国地方でみると、平年差+2.4℃となり、観測史上2番目に高い記録となりました。(1946年以降)
Tumblr media
広島県内でみると、広島市中区では4月の月間平均気温は17.5℃となりました。これは、平年よりも+2.7℃高くなり、観測記録が残っている1879年以降の過去145年間で最も気温の高い記録となっています。
そのほかの地点では
福山 16.3℃(平年差+2.6℃)観測史上2位(1942年以降)
呉 16.5℃(平年差+2.1℃)観測史上3位(1895年以降)
庄原 14.8℃(平年差+3.4℃)観測史上1位(1976年以降)
高野 12.7℃(平年差+3.4℃)観測史上1位(1979年以降)
この記録的な暖かさは、日本付近で地上の気温を大きく左右する上空下層の気温が、4月は平年に比べてかなり高い状態が続いたのが影響しています。
4月19日に加計で30.1℃の真夏日となったのをはじめ、晴れた日には季節先取りの暑さとなったことに加えて、朝の冷え込みが弱かったことで最低気温が記録的に高くなりました。広島市中区の4月の最低気温平均は平年よりも+3.6℃も高くなっていて、これが全体の平均気温を大きく押し上げたとみられます。
広島市中区では4月に降水が観測されたのは合計18日もあり、月間の3分の2もありました。
県内各地で月間の降水量は広い地域で平年の1.5倍以上に達しています。
広島市中区182.5ミリ(平年比129%)
呉    182.5ミ���(平年比145%)
福山   150.5ミリ(平年比164%)
庄原   186.0ミリ(平年比174%)
Tumblr media
「決算は 激しく上下する燃料価格に翻弄されてきた」 中国電力 純利益は過去最高 電気料金は維持(RCCニュース 4月30日)
中国電力は、昨年度の連結決算で純利益が過去最高の黒字だったと発表しました。
中国電力によりますと、去年4月からことし3月までの売上高は前年比658億円減の1兆6287億円でした。前の年、1553億円の赤字だった純損益は2888億円増えて、過去最高の1335億円の黒字となりました。去年6月からの電気料金の値上げや燃料価格の低下などが要因としています。「財務基盤の回復・強化を優先するため電気料金は維持する」としています。
Tumblr media
中国電力 中川賢剛 社長「当社の決算は、ここ2、3年、激しく上下する燃料価格に翻弄されてきたと言っても過言ではない。経営を安定させることが大事だと考えている」
また、中川社長は、ことし8月の再稼働を目指していた島根原発2号機について、安全対策工事や設備点検などが長期化しているため、時期を4か月遅らせ、12月になる見通しを明らかにしました。
Tumblr media
中川 社長「行程ありきではなく、安全第一で再稼働に向けて進めていきたい」
Tumblr media
中国電力・広島ガスが6月値上げへ 国の補助金半減が主な理由 7月料金も追加値上げの可能性(RCCニュース 4月30日)2024年5月1日に追記
中国電力と広島ガスは、6月の電気料金とガス料金が値上がりになると発表しました。
発表によりますと、中国電力の「スマートコース」では標準的な家庭の6月の電気料金は7894円となります。これは5月より403円の値上がりとなります。
主な理由は、国の補助金の単価が3.5円から5月は1.8円に半減するためだということです。中国電力の値上げは2か月連続です。
広島ガスでは、標準家庭の6月のガス料金は6741円で、5月より149円の値上がりとなります。
Tumblr media
こちらも補助金の単価が15円から7.5円に半減することが主な理由です。広島ガスの値上げは7か月連続です。
Tumblr media
中国電力・広島ガスとも7月の料金は、6月から国の補助が終了するため追加の値上げの可能性があるということです。
Tumblr media
「脱原発」求める議案を提出 中国電力の株主総会を前に原発反対の株主ら(RCCニュース)2024年5月1日
原発に反対する中国電力の株主でつくる団体が、6月の株主総会で提案する「脱原発」を求める議案を提出しました。
中国電力に議案を提出したのは、原発に反対する中電の株主たちおよそ30人でつくる団体です。株主総会の前に毎年、提出していて、ことしは5つの議案をまとめました。
それによりますと、▽活断層の徹底した調査を行い、地震災害に耐えられるような安全対策ができない限り、島根原発の稼働は行わないことや、▽山口県上関町で調査が進む使用済み核燃料の中間貯蔵施設は建設せず、原発自体を廃炉にするよう提案しています。
「脱原発へ!中電株主行動の会」 溝田一成 代表世話人 「もう原発はダメよねと、会社自身がこんなお金のかかるようなものはやめるという判断を早くしてほしい」
木原省治 世話人 「1つの手段として株主総会において提案をする。そして株主というのは中国電力という会社にとって最も重視しなければならない存在だと思っています」
議案は、中電による株主資格などの審査を経て、6月26日の株主総会で提案・審議されます。
Tumblr media
「給料上がらないのに物価ばかり上がって…」物価高騰の中で迎えたメーデー 大幅な賃上げ実現を 広島県労連の主催(RCCニュース)2024年5月1日
メーデーの5月1日、広島市でも労働者の集会が開かれました。歴史的な物価高騰が生活を直撃する中、「大幅な賃上げ」を求める声があがりました。
参加者 「全ての労働者の賃上げを勝ち取ろう」
長引く物価高騰で、実質賃金が下がり続ける中で迎えたことしのメーデー。
Tumblr media
「県労連」が主催した集会には約400人が参加し、「全ての労働者の大幅賃上げを勝ち取ろう」などと訴えながら、市内をデモ行進しました。
参加者 「労働者に給料と休息を!」
Tumblr media
ことしの春闘では大企業を中心に大幅なベアが実現しましたが、中小企業は十分な賃上げが実現できていないといいます。
参加者たち 「厳しいです。給料が上がらないのに物価ばかり上がっているので、生活たいへんです」(医療関係)
「賃上げか物価が下がるかになれば、少しは生活が楽になる」(公務員)
「裏金つくるよりは賃金上げて、社会保障をちゃんとやれと言いたい」(元教員)
「医療職が足りないので。しんどいし、お金にならないのがわかっているのか、なり手も少なくなっているので、給料面から根本的に上げてほしい」(看護師)
Tumblr media
参加者は、▽物価高騰を上回る大幅賃上げの実現を目指すほか、▽待遇や給料の格差是正、▽最低賃金を時給1500円以上に引き上げるよう求めるメーデー宣言を採択しました。
Tumblr media
「くつろいで」 広島県庁を有効活用 中庭にウッドデッキ設置 平日に一般開放(RCCニュース)2024年5月1日
広島県庁の敷地を有効活用するリニューアル事業で、中庭に再生材を使ったウッドデッキが整備され、1日、一般開放されました。
ウッドデッキが整備されたのは、中庭に面した広島県庁本館の南側で、パラソルやテーブルなどが設置されました。食事や休憩・待合スペースとして一般にも開放されています。
広島市中心部の活性化策として、県庁の敷地を有効活用し、憩いの場にしようと、先月、リニューアル事業の起工式がありました。駐車場があった敷地には、県庁舎と調和するデザインの木造平屋建ての建物を整備し、カフェやレストランなどを誘致する計画です。完成は来年春の予定です。
Tumblr media
ウッドデッキはその完成に先だって整備されました。中庭も樹木のせん定や手入れをして、ことし秋までには整備が終わるということです。
広島県 長延亮作 県有資産活用担当監 「県庁に立ち寄ったりとか、県で仕事とかあれば待ち合いとか、憩いで少しくつろいでいただければと思う」
Tumblr media
整備費は4800万円で、利用時間は平日の午前8時半から午後5時15分までです。
0 notes
jesychen · 8 months
Text
辛苦地爬到田子山展望所吃IMAKIN食堂的赤牛丼便當
輕鬆的在熊本縣阿蘇大觀峰欣賞360度的全景之後下山,準備到下一個景點田子山展望所與空中之船棧橋(そらふねの桟橋),下山途中順便網路訂了IMAKIN食堂的赤牛丼便當,但是時間還沒有到,營業時間約早上10:30才開始,我們提早到了店門口。
Tumblr media
營業時間還沒到一群遊客就在IMAKIN食堂(いまきん食堂)的店旁邊下車,我們車子也只能不斷繞圈圈,因為附近沒有停車的地方,一下車就馬上開走,不過還是很多人暫停對面,營業時間一到我們就取餐拿到了便當上車。
Tumblr media
開往田子山展望所(田子山展望台)的停車地方,停車場總共有2處,我們是開往比較陡且距離比較短爬山的地方,田子山トレッキング駐車場這個地方看起來比較偏避一些,停車場還有許多雜草,我們是第一台停車的,這張照片是我們下山之後才有一台車停在我們旁邊。
Tumblr media
於是我們決定下車,開始從登山口出發,看一下距離約800m,時間約要爬20~30min,因為我們肚子還不會太餓,所以提著便當上山,一開始往深山裡面走,通過一大片高高的樹林裡。
Tumblr media
開始需要走階梯了,我們就開始覺得好像這段路有一點老舊,好像很久沒有人爬這段路了,也許很少人走這一條吧,一開始通過一個鳥居,再繼續往上通過另外一個鳥居。
Tumblr media
此時越來越喘,可能夏天天氣太熱了,開始慢慢地流汗,路上還有指示牌,因為這裡感覺真的比較少人走,還有不少的樹枝與雜草淹過道路。
Tumblr media
這時我們的衣服已經太溼了,除了撐著傘走且一路陡坡,夏天來走這個可能很多遊客無法接受,所幸最後一個陡坡就走到了。
Tumblr media
終於到了,馬上看到的是空中之船棧橋(そらふねの桟橋),我們在這裡稍微喘喘氣,看一下風景,因為這裡沒有遮陰,要剛好中午大太陽,我們就準備先找個遮陰的地方吃完便當再來拍照。
Tumblr media
從空中之船棧橋(そらふねの桟橋)往下方約50m的距離有一個小屋,原來是賣咖啡的地方,這裡也是個展望台,可以喝個咖啡坐在這裡休息,不過今天來剛好沒有營業,前面就放著4張躺椅,剛好給我們4位坐下休息吃飯的地方,感謝主。
Tumblr media
打開我們買來的便當,IMAKIN食堂的赤牛丼便當,很美味的便當+半熟蛋,尤其是和牛+味增配上沾醬,和牛軟嫩,雖然剛剛流了一身汗,但吃這道美味的便當與休息,馬上就恢復體力了。
Tumblr media
突然有遊客從另外一條路上來,共2男與2女從這台路走上來,也是要去看旁邊的空中之船棧橋(そらふねの桟橋),所以我們也好奇,這條路應該是比較緩但路比較常,某些特定的車子也可以開上來,所以特別拍了一下。
Tumblr media
吃飽喝足了,我們就到網美景點instagram常常來這裡每拍的地方そらふねの桟橋拍拍照看看風景。
Tumblr media
這個地方景色真漂亮,可以肉眼近看阿蘇市的建築與田野風光,如果天氣合適的話也許可能會看到雲海也說不一定。
 そらふねの桟橋(空中之船棧橋/空中船棧橋)
網站:https://www.city.aso.kumamoto.jp/tourism/brochure/tagoyama_map/ 地址:Mikubo, Aso, Kumamoto 869-2302日本 地圖:  
IMAKIN食堂
網站:http://aso-imakin.com/ 地址:290 Uchinomaki, Aso, Kumamoto 869-2301日本 電話:+81967320031 營業時間:週三休息;週二 10:30–16:00;週四~週一 10:30–15:00 地圖:   延伸閱讀: - 熊本縣阿蘇山最高點的天然展望台大觀峰看壯麗絕妙的景色 - 往大觀峰的路上經過湯浦駐車場觀景台看綠油油的稻田景觀 - 九州八天七夜自駕行第五天晚上住龜之井酒店阿蘇   Read the full article
0 notes
sagara0220 · 9 months
Text
地面を踏み固めること
今年を振り返ると、のんきに一段ずつ登ってきた階段の途中で、振り返って景色を見てうわ~すごい、きれい、きもちいい、とか言いながらのほほんと眺めたいのに、あちこちで起こっているいろんなことが目について見過ごせなかったり、袖を引かれて止まったり、すれ違っていくひとびとに何かを手渡すその間、地面を踏み固めるみたいな、そういう一年だった。
たとえば今まで自分のなかで淡々と重ねてきた、自分が生き延びるための知識たちを、言葉にして誰かに教え、伝えることがぐっと増えた。アウトプットしてはじめて自分自身に引きつけ咀嚼する必要が生じるので、ものごとの本質に少しずつ近づけるけど、同時に見えてくるものが変わるので、とてもじゃないけど勉強が足りないとも思う。時間がかかるし沢山はこなせないのだけど、地元で起きた戦争や朝鮮人・中国人の強制労働のこと、LGBTQ+、ジェンダーのことは、決して自分の知的好奇心を満たすためだけに学んでいるのではないと、誰かに伝える作業をして強く感じたし、自分が仕事にしている専門分野以外で力になれたり、他者の学びの一助になれることを、難しくも嬉しく思うことが度々あった。
ここ数年ずっと、わたしの大事な部分を固めてくれている韓国文学を手に取ると、高頻度で日本の植民地支配時代の話が出てくる。
先日読んだチェ・ウニョン著「明るい夜」は時代や家父長制に翻弄されながら生きた四世代にわたる女性たちのシスターフッドを書く傑作長編小説だが、戦争中に日本に出稼ぎに行き、広島で被爆したおじさんが原爆症で亡くなる下りがある。作中もっとも信頼できる穏やかで愛に満ちた男性として書かれた彼が「あんな死に方をしなくちゃいけない人はひとりもいなかった」と広島の街を語るのが手紙のかたちで伝えられるシーンは、本の中でも印象に残る。フィクション小説という形を成しているが、祖母の口や手紙で語られる、あくまで一人称としての戦争体験であることが、幾度も胸を刺す。
今年読んで最も強烈な印象を残しているのが、ハンセン病の療養所である長島愛生園に暮らす在日朝鮮人・韓国人を訪ねて聞き取りをした喜田清著「名ぐはし島の詩(うた)」で、読みながらそれぞれの壮絶な人生に涙を流しながらも、植民地支配をしていた側の国で生まれ育ったわたし自身を丸裸にして、病の前にそも支配と略奪が、戦争がどうかれらを根底から変えたかを突きつけられた。ふるさとでハンセン病にかかったあと、当時戦況が悪化して��日空襲があった日本に行けば誰にも知られず死ねると思い、縄でくくられたまま連行され泣き叫ぶ同胞を横目に、絶望し、死ぬために日本に渡ってくる方の話がある。また、植民地時代に言葉を奪われ、朝鮮語も日本語も読み書きできないまま療養所に入り、進む病と施設での仕事の隙間で辞書を片手に必死に読み書きを学ぶことで、己の知性を守り、踏み躙られた民族の尊厳を守り、宗教や友人を得る過程は、どの方の話を読んでも毎回涙が出た。そして、数多くの方が、祖国が解放されても、続いた朝鮮戦争で家族と生き別れになっている。
余談だが、この本を読んで、買ってから十年ほど経過しているのに、何度挑戦しても読了できないでいる神谷美恵子さんの「生きがいについて」を再度挑戦したいと思った。今のわたしなら読み終えることができるかも、と思える本があるのは、犬だったら噛み応えのある骨をプレゼントされるみたいで嬉しいものだ。
わたしが韓国文学にはまったころ、友人に誘われてかかわりはじめた地元の戦争遺跡の保存活動と、それに伴う朝鮮人・中国人の強制労働の実態調査のボランティアの仕事がある。
今わたしたちは過去に聞き取った肉声をあらゆるデータにして保存する作業をしていて、そのなかで、想像を絶する虐殺を、拷問を、過酷な環境下での作業を、強制労働に従事した方々が話すのに触れる。作業は、一筋縄ではいかない。冷静に、流れ作業として、戦時中のひとつの資料として読み飛ばすことはできない。
戦争というものが、人の一生を根底から壊すものだということを、それが、大国主義というものの前に個々の人生やヒューマニティが一切無視された先にあったものであることを、けれど戦争は大衆の記憶などではなく、個々人のなかにだけあるものだということを、数々の肉声に囲まれながら作業をしていると、つくづく思う。そうして、結局わたしは、大衆の記憶としての近代史しか学んでこなかったことに打ちのめされる。時々手が止まり、証言に聞き入り、読み耽り、あまりにも凄惨な体験と深い苦悩に触れて言葉を失い、立ち尽くす。そうしてまたしばらくして、作業をはじめる。その繰り返しだ。
証言は、ときにあいまいなもので、非常に頭の良い方でも、言葉も地理もわからない場所での過酷な体験であるので、信ぴょう性に欠けるものもいくつかある。通訳されていない原語での理解も必要だし、踏み込んだ調査や研究ができるほどのスキルもお金もないので、ひとまずデータ移行だけをしているのだが、ひとつひとつの、膨大な数の証言を扱っていると、聞き取りのさいごに、「まさかこんな日が来るなんて」「日本から来てくれるなんて」と感無量で語る方がいる。そうして、保障をしてほしいこと、戦争を二度と起こしてはならないというお願いで締められる。(証言に協力してくださった方の何人かは、賃金に関して裁判も起こしている)
戦争でまっさきに失われる個人やヒューマニティにきちんと向き合っていったのが、戦後の被害者への聞き取り作業なのではないか、とわたしは作業をしながら思った。戦中、強制労働というかたちで無視し、否定してきた人間性を、一人ずつ、限られた時間ではあるけど丁寧に聞き取りをして書き起こしたことは、数ではなくひとりの人間の体験として戦争や強制労働や虐殺や暴行や苦しみがあったことを真正面から思い出させてくれる。信ぴょう性の調査や審議の前に、その苦しみをいったん引き受けることが、どれほど切実で、大変なことだったろうと思う。
ノンフィクション作家の保坂正康が「最後の講義」という番組の中で、証言とはどういうものか語っている場面があった。証言とは一生をかけてするもので、証言を聞くということは、本人が背負っているものを半分引き受けることである、という言葉に、仕事でもプライベートでも、物語として消化してしまいがちなわたしという個人を指さされたようだと感じた。
調査に乗り出したうちのひとりがボランティアの大先輩にいて、度重なる訪中、訪韓の膨大なデータを管理してくださっている。そのひとの記憶はすさまじい。名前を尋ねるだけで、どこの出身で、どのように戦中を過ごしたのか、どのような半生だったのか、すらすらと答えてくださる。ときに涙を浮かべながら、ときに苛烈に。かれらの体験に多く出てくる、聞いているだけで指の先がこわばり、胃が縮み、血の気が引くような残酷で非人道的な折檻や拷問の数々を聞くうちに、戦争の映画や物語を見られなくなったという。真実を知るからこそ、痛みが容易く想像できて、目を瞑らないといられないのだという。聞き取りをした方々はもう亡くなっている。そのひとの生き方こそ、語り手の人生の半分を引き受けるということだと思っている。
2017年に、わたしはそれなりの意識を持ってポーランドのアウシュビッツや、ドイツのホロコースト関連の資料館に行った。外国に行くときは、その土地の地理や歴史を勉強してから行くのが好きなので、ホロコーストやポーランドの歴史について学び、何本か映画を見て本を読んでから向かった。そこで、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館で案内人をしてくださった中谷剛さんが語った言葉に、そもそも根本をわたしは知ろうとしていなかったのだ、とものすごく恥ずかしい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「――ポーランド語のあいさつができますか?イギリスやフランス、スペインのように。知りませんよね。なぜならそれは、ヨーロッパの歴史は西ばかりが優遇され広められてきたからです。日本人の中にもすでに、民族のヒエラルキーが無意識に植え込まれています。差別をしているんです。私たち日本人は、中国や韓国など、アジア圏の歴史をどれほど理解し歩み寄ろうとしているでしょうか?日本の加害の歴史をどれほど学んでいるでしょうか。ヨーロッパはドイツを戦後よくやってきたとは、決して評価していません。でも、一般のドイツ人のアウシュビッツの訪問者の数がとにかく多いのです。政府の対応ではなく、そういった市民の行動を、みな���評価し、黙っているのです。」
はるばるポーランドまで来て、わたしはその瞬間、浅はかだった自分を恥じた。もちろん、答えられなかったからだ。日本が行なった様々な加害の歴史を、言葉としては知っていても、知識として知らなかった。学んでこなかった。学ぼうとすらしていなかった。
こうして何年か経って、やっと加害の歴史を一生懸命学び、伝える側に回れたので、2017年5月の、どこまでも菜の花の絨毯が広がり、ポプラの綿毛が舞う美しい初夏のポーランドの、ひろびろとしたアウシュビッツ=ビルケナウ博物館のなかで深く恥じたわたしに、今のわたしはちゃんと顔向けができる。あなたは数年後、きちんと向き合う。思う存分恥じるといい。
そんななかで、10月7日を皮切りに、毎日虐殺のニュースを見聞きするようになった。コロナ禍真っ最中の2020年に岡真理さんの「ガザに地下鉄が走る日」を読んだとき、パレスチナで芸術活動をする若者のドキュメンタリーを見たとき、焼身自殺する若者をみたとき、殺されて臓器を売られる子供を見たとき、わたしは都度立ち止まったのに、いつのまにか忘れていて、毎日のニュースに打ちのめされた。
ガザについて勉強会を行い、本を読み、可能な支援をし、同時に自分の国の加害の歴史を学んでいくと、そこに70年余り時が経っていることが、信じられなくなる。イスラエルとパレスチナについて、レイシズムや植民地支配について学べば学ぶほど、かつて日本が行った言語や文化のはく奪が、いかに民族の歴史と尊厳を踏みにじり、取り返せないことであるのかを突きつけてきて、わたしはいままさに、当時を見ているのだと思っている。すごくしんどい作業だ。
でも、今年わたしが、こうした世の中になんとか絶望し切らず、自分の足で立って地面を踏み固めることができたのは、今までの学んできたことが生かしてくれていたからだし、出来事は大衆のものではなく個人に帰結するものだとあらゆる作業を通じてわかっていたからだと思う。じゃないと、物事の大きさの前に、ただただ立ち尽くしていて、わたしを含め、目の前にいるひとたちは世の中から見たら些細なものなんだとよぎることがあったかもしれない。それはまったく、わたしの中の、生活をやっていくというポリシーに反する。わかっていてよかった、言語化できてよかった、とこれを書きながら思う。
今年読んだ本のなかで、大事にしたい本がある。
パク・ソルメ著「未来散歩練習」は、光州事件、釜山アメリカ文化院放火事件と五人の女性の生き方を通して、今を生きる・過去を理解する・未来を思うことを描く長篇小説(出版社解説)で、パク・ソルメらしい独特の語り口調で淡々と物語が進む。岡真理さんのガザを考える緊急セミナーのなかでも、この釜山アメリカ文化院放火事件の犯人の一人である文富軾の言葉である「忘却が次の虐殺を準備する」という言葉が引用されていて、本を読んでいたおかげでどんな事件かを詳細に思い出すことができた。
とにかくずっと思考しながらものを食べて歩く小説なのだが、読んでいてずいぶん励まされたし、大事にしたい文章がいくつかあった。
「現在と未来について考える人たち 来るべきものについて絶えず考え、現在にあってそれを飽きずに探し求める人々は、すでに未来を生きていると思った。絶えず時間を注視し、来るべきものに没頭し、人々の顔から何かを読み取ろうとする人々は、来るべきと信じるそのことを、練習をとおしてもう生きているのだと。」
わたしの来るべきと信じるそのことは、差別のない社会を実現することで、それは綺麗事とかとても無理なことだとは言いたくない。なぜならわたしの半分は医療者で、発達障害の子どもたちに関わる仕事をしていて、大人がしている差別と加害は、子どもにダイレクトに伝わるから。医療と福祉の彼岸にいるような人びとも、社会の中でいっしょに生きていてほしいから。トランス差別を許せないから。
そんな社会に、わたしはいたくないし、大事な人たちを置いておけないと、いつも思っている。そう思いながら、二次創作という形で物語を書けたのも嬉しい。職場で動き出したSOGIチームのコアメンバーになれたのも、今年良かったなと思えることの一つだ。加害の歴史を学んで伝えることも、遅々として進まないように思えるし、歴史家でも研究者でもないわたしが伝えられることは限られている。でも、そういうときはチョン・セランの言葉をお守りにしている。「視線を先に置くことで絶望を乗り越える」「絶望しそうになったら、いや私はいい大人になりたいと思う」「個人の無力を私は信じません」
ふと手に取った本も、学んでいることも、絶望しそうになる世の中で、わたしを生かしてくれていると思う。わたしは、今年、過去と現在と未来を考えながら、今いる場所を踏み固めていた。もちろん、どうにもならないこともあるし、間違えるし、まだまだ知らないことだらけだし、考えるのをサボることもあるし、忘れるし、機動力には欠けるしやっぱり無力だと感じることも多いけど、2017年にアウシュビッツで恥じ入っていたわたしよりは、多少かっこよくなっているはずだと2023年の自分を励ましたい。
来年も生き延びて、のさばってやろう。
たくさんの本たち、今年も生きるのを励ましてくれてありがとう。
 追記
この文章を書いたのが12月24日の夜で、そのあと、ボランティア仲間と忘年会をした。
友人のひとりが、アウシュビッツに行き、中谷さんの案内を受けたという。わたしは仲間内でガザの勉強会をひらいていて、そのときに、もっと身近であったはずのアジア圏のひとびとにした加害と差別について無知でありながらアウシュビッツにいた自分を恥じた経験を話していた。
友人が、中谷さんのお話を聞いているうちに、どうしてもわたしのことを伝えたいと思い、数年前にあなたの話を聞いた友人がいまこうした活動をして加害について学んでいますと話の中で伝えてくれたようで、ものすごくびっくりしたし、嬉しかった。しみじみと、こんなふうにいつか誰かに勝手にもらったバトンを、別の誰かがそっと戻してくれるようなことがあるのだなあ、と、年の瀬に胸がいっぱいになり、勇気をもらったのだった。
そのときの中谷さんのお返事を、友人を通して受け取って、やっぱり、2015年のわたしよりずっとましになっているよ、と思えた。
嬉しいし、頑張りたいと思う。
忘年会当日、車のルーフが割れていることに気づき、わたしは基本的に価格や愛着に関わらず、自分の道具が傷つくことに関しては寛容なのだけど(眼鏡は除く)、ルーフを開けるたびにほとんどまっぷたつと言っていいほど割れているガラスが目に入ると、ちょっと心にくるものがあったので、悪いニュースと良いニュースが同時に来る、年末らしい日だったと思う。新年早々、修理代を捻出しなければならないが……
みなさま、良いお年を。
わたしはこの挨拶が、挨拶のなかで最も好きです。
良いお年を!
≪出てきた本≫
「明るい夜」 チェ・ウニョン 著 古川綾子 訳/亜紀書房
「名ぐはし島の詩 長島愛生園に在日朝鮮人・韓国人を訪ねて」 喜田清 著/海声社
(絶版)
「ガザに地下鉄が走る日」 岡真理 著/みすず書房
「未来散歩練習」 パク・ソルメ 著 斎藤真理子 訳/白水社
1 note · View note
team-ginga · 2 years
Text
映画『空に住む』
 先頃、正確に言うと2022年3月21日に57歳の若さで亡くなった青山真治監督の遺作(なんでしょうね)『空に住む』(2020)をDMM. comでDVDを借りて見ました。
 青山真治の映画は何を見たっけ。
 所謂「北九州三部作」ーー『Helpless』(1996)、『EUREKA』(2000)、『サッド・ヴァケイション』(2007)は見ました。見たけれど……うーん、よく覚えていません。
 『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(2005)も題名に惹かれて(「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とはイエス・キリストが十字架の上で最後に言ったとされる言葉で、「主よ、主よ、なんぞ我を見捨てたまいし」の意です)見ましたが、よく言えば狐につままれたような、悪く言えば「なんじゃコラ?」という印象を受けただけです。
 で、この『空に住む』です。
 わかりやすいし見やすいと言えばその通りですが、ただそれだけ。つまらん映画です。
 主人公は多部未華子ーー私は娘が見ていた『刑事(デカ)わんこ』を一緒に横で見ていたので、多部未華子というと子どもというイメージしかないのですが、もう33歳(この映画の公開時は31歳)、れっきとした大人の女ですね(多部未華子は、舞台で野田秀樹の『農業少女』やオスカー・ワイルドの『サロメ』に出演していて、サルトルの『出口なし』では私も劇場で見ているのですが、第一印象というのは強烈です)。
 物語は多部未華子が猫のハルと一緒に豪華なタワーマンションに引っ越してくるところから始まります。多部未華子の両親が交通事故で亡くなったので、叔父夫婦(鶴見辰吾とミムラ)が自身の所有する高級マ���ションをタダで提供したのです。
 多部未華子は小さな出版社で働いているという設定ですが、この出版社、社屋が日本家屋で、社員(小さな出版社の割には結構大勢います)は和室で仕事をしています。そんな出版社、ホントにあるんですかね。
 出版社での後輩の岸井ゆきのは現在妊娠中ーー婚約者がいるのですが、お腹の子どもの父親は婚約者ではなく、少し前に大きな文学賞を受賞した作家(大森南朋)だ……というようなサイドストーリーもありますが、メインとなるのはもちろん多部未華子の物語です。
 多部未華子はある日、マンションのエレベーターで有名若手俳優の岩田剛典と出会います。次にあったとき、岩田は多部に「オムライスが食べたい。オムライス作れる?」と言います。多部は岩田を部屋に招き入れ、オムライスを作って食べさせます。
 え?
 イケメン特権ですか。それとも有名人特権ですか。ちょっと軽すぎやしませんかと思うのは、イケメンでも有名人でもないワタシのひがみでしょうか。
 こうして二人は肉体関係を持つようになります。でも、この二人、なにやら意味ありげな……というかカッコつけた会話を交わすだけで、ちっとも楽しそうではありません。
 もちろん(?)二人の恋はうまくいきません。というより、二人の関係は恋などではなく、岩田は「心の隙間を埋めるだけのもの」と言います。えーっと、それって「都合のいい女」ってことですか。
 容易に予想されたことですが、実際この男はクズで、二人で多部未華子の部屋にいるとき、叔母さんのミムラがやってくると、「あれ何?」と多部に尋ね(「誰?」ではなく「何?」と言っているところがいいクズっぷりです)、勝手に気分を害して帰ってしまいます。
 帰り際、多部が「オムライスは食べていかないの?」と言うと、彼は「俺、卵嫌いだし」と言い放ちます。つまり、「オムライスが食べたい」というのは多部に近づくための方便であり嘘だったというわけですね。
 そんなクズ男ですから、多部以外にも女は大勢いるようで、マスコミに交際をすっぱ抜かれます。ちょうどその頃、多部が飼っている猫のハルが病気になり死んでしまいます。
 多部は岩田にインタビューして岩田の「哲学」を本にしたい、インタビューが終わったら別れようと言います(インタビューの中で岩田は「親は普通のサラリーマンだ」と言いますが、だとすると最初に多部の部屋に入ったとき両親の位牌を見て、「俺も親がいないんだ」と言っていたのも嘘だということになります。これまたいいクズっぷりですね)。
 インタビューが終わると(一冊の本を作るためのインタビューがわずか数時間で済むはずがないと思いますが、それは言っても仕方ありません)、多部は岩田とベッドを共にします。
 「え? 別れるつもりだったんじゃないの?」と思いますが、まあこれを最後に……ということなのでしょう、岩田が帰った後、多部は小さな棺に入れた猫のハルに「これでおしまい」と言います。
 えーっとそれから、ハルを焼きに行く場面があって(係員として永瀬正敏が出てきて「人間関係は平行線です。平行線はこの地上では交わりませんが、宇宙のどこかでは交わるそうです」と意味ありげな、しかし全く意味のないことを言います)、岸井ゆきのが出産する場面があって、岩田剛典が自動車の中で大森南朋の小説を読んでいる場面(「人生は壮大な臨床実験場だ。愛は治験薬であり、それを飲むと何が起きるかわからない」となにやら意味ありげな、しかし全く意味のないナレーションが流れます)があって、多部が部屋で一人オムライスを作って食べる場面があって、叔父夫妻が部屋にやってくるけれど、多部が居留守を使う場面(私は「入れてやれよ」と思いました)があって、新宿全域を見下ろす窓辺に立った多部が太陽の光を浴びながら伸びをするところで終わり。
 ラストに岩田剛典が所属している(らしい)3代目J-Soul Brothersの曲がかかるのも、豪華なタワーマンションで高価なグラスで高価なワインをやたら飲みまくるのも含めて、「え? バブル時代?」、「え? トレンディドラマ?」と思うような映画でした。
 作中、岩田剛典が「人間関係というのは一度結んだら一生引きずらねばならない。まるで地獄のようなもんだ」と言うのも、全く共感できません。「女を取っ替え引っ替えしているプレイボーイが何を言う」と思えてしまいます。
 多部未華子が両親が死んだときも猫のハルが死んだときも泣かなかったことを気にしているのについても同じです。私も両親が死んだとき泣きませんでしたが、人間ってそんなものじゃないですか。泣かなかったから愛していなかったということにはならないはずです。随分青臭いことを言うなあと思ってしまいました(これに限らず、多部未華子が演じる主人公は文学少女が歳をとったという感じの女性で、あまり好感が持てませんでした)。
 人は遺作を選べません。遺作というのは作者が最後につくった作品というにすぎず、それ以上でも以下でもないーーというのはわかっているのですが、これがアノ青山真治の遺作かと思うと、少し残念です。
 次は……『東京公園』を見ていようかな。
3 notes · View notes
cellophanemaryjane · 2 years
Text
私にもサブカルのこと書かせて-4(スタジオボイス)
「ファッション通信」では毎月スタジオボイスの新しい号が出るとプレゼントしていて、それがきっかけでこの雑誌を知り読むようになりました。スタジオボイスはおしゃれとヨゴレを行ったり来たりしていて面白い雑誌でした。
今ではすっかりハイパー呼ばわりの高城剛のブログを思わせるような日記の連載があったのですが、レイアウトが読みにくくて面白くないのでいつも飛ばしていました。でもたまたまページをめくっていた時に、「僕は決めた、今世紀中にテレビ局を作ります!地上波でもBSでもCSでもないテレビ局!」というようなことが書いてあったのが目に入ってきて(この人はいつもこういうテンションだった)、当時はこの人何を言ってるんだろうと思っていたのですが、もしかしてそれってYouTubeのことだったの…?と今は思います。
あと何という人だったか忘れてしまったのですが演劇のページで大人計画のある芝居を堂々と批判している人がいて、結構キツイこと書いちゃうんだなぁと思ってたら、松尾スズキが「カジノフォーリー」というお笑い雑誌で反論していたことがありました。反論と言っても「誤解されてると思う」みたいな感じだったけど。批判の内容は、難解な書き方だったので真意の程はハッキリわからなかったのですが、自分としては多分「内輪受けで何でも受け入れるファンの方しか向いてない」ということだったと思っています。公演が終わった後にロビーで劇団員によるフリマが行われたことも書いてあって、「それはキツイなぁ」と思いました。お笑いはずっと好きだけど、小劇場のノリは当時から苦手でした。
「カジノフォーリー」は東京のお笑いが中心のミニコミという感じの雑誌で、そこに載っていた頃の立川志らくの尖りぶりはすごかったです。今の志らくはかなり丸くなってる。
スタジオボイスに話を戻すと、私がこの雑誌に感謝していることは、レインコーツの存在を教えてくれたことです。その頃ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのモー・タッカーがソロアルバムを出していて、新譜のページにほんの一言だけ「元祖レインコーツというか相変わらず年齢不詳のババア声」と書いてあったのです。昔のサブカル雑誌の悪いところが凝縮された言い方だなぁと思います。でもレインコーツという名前を知ったのはこれが最初でした。これ書いた人誰なんだろう。これ書いたの覚えてる?って聞きたい。
そしてあの頃のスタジオボイスにはナンシー関がいました。ナンシーがおもしろかった頃が、スタジオボイスのいい頃と重なってたと思います。ブロンソンズまではまだよかったけど、その後根本敬とかリリー・フランキーとかがよく載るようになってからクールさがなくなった。
ナンシー関はカルト特集といういろんなマニアが出てくる号で缶ジュースについて書いていました。おしることかプリンシェイクとか見かけると味をチェックしたくなるけど、缶ジュースと呼んでいいのだろうか、うわさによるとおでんジュースや串に刺さった肉が入っているヤキトリジュースというのがあるらしい、どこまでが缶ジュースなのだろうか、とかなんとか。その後秋葉原の自販機おでん缶って話題になりましたよね。
それから一瞬、ほんの一瞬i-Dジャパンていう雑誌があって、一見おしゃれっぽいけど調子こいた品のない雑誌でした。フリッパーズもスチャダラパーも電気グルーヴもピチカートも載ってました。この手の雑誌ってよく考えたらいつもこのメンバーで、その辺押さえとけ感もちょっとあった。i-Dジャパンの電気グルーヴの連載は他の雑誌の連載に比べて、ひときわやる気のないものに見えました。(ラジオでやっていた漫画紹介コーナーの書き起こしみたいなの)
クイックジャパンが創刊された時、「ヤバい雑誌が出る!」みたいに紹介していたのもi-Dジャパンでした。そんなに言うならと創刊号をちょっと立ち読みしてみたけど、これは自分には全然必要ない雑誌だなと思いました。
フリッパーズってすぐ解散しちゃったしあんまり出たがりな印象でもなかったので、嫉妬丸出しの大人も多かったけど特に追いかけてなければわりとどうでもよかった。それこそあのいじめインタビューとか、全然知らなかったです。だってロッキンオンとかクイックジャパンなんて私読まないし…あの頃調子こいてたツケが今来てるんならま、しょうがないんじゃない。という感じです。
私も大概サブカルクソ女子高生だったと思ってたけど、鬼畜系とかオリンピックのことがあるまでほとんど知らなかった。電気グルーヴのANNは聞いてたし「ゴメス」も毎月もらいに行ってたけど、ガロにははまらなかったし、テレビブロスも読んだことないし、夜遊びにも憧れなかったし、そう考えると私たいしてサブカル女子じゃないんじゃない?と思います。
でも知らなくてよかったかも、と思いました。60年代にうつつをぬかしててよかったかも。ただ生と死ブームはめっちゃ覚えてます。生と死にブームもクソもないだろうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ブームだったのです。
そして創刊号だけ買った���とがあるバァフアウト!がこんな感じで残ったのも意外でした。創刊号ではU.F.Oとラヴタンバリンズが印象に残っています。ラヴタンバリンズはちょっと大言壮語な感じがしました。U.F.Oの松浦俊夫は田島貴男と一緒にモグラネグラという深夜番組に出ていて、2人とも変に小慣れた喋り方じゃなかったのが良くて毎週見ていました。ゲストの高城剛が当時発売されたMDを紹介していましたが、田島貴男と松浦俊夫の2人はこのサイズではジャケットが見えないとあまり喰いついてませんでした。ハイパーはとにかくハイテク大好きという感じだったけど、MDは特にどうもなりませんでしたね。あとなんかチェリールイもゲストに出てました。(チェリールイって今書きながら思い出した〜)
モグラネグラ(モグネグ)の他の曜日はあんまり見てなかったけど、ローリーが従えていたオナペッツのインパクトはすごかったです。
オーディション番組「天下御免ね」に審査員として出ていた松蔭浩之の写真もスタジオボイスに何度か掲載されていました。天下御免ねに出ていた頃の松蔭浩之は、茶髪のサラサラヘアをなびかせてベビーピンクのスーツを着た、タメ口をきくアート界のプリンスといった雰囲気のキャラだったのに、今では自分から帽子を脱いで禿げてるんだ〜と見せるような人になっててビックリした反面、こんな風に年齢を重ねたことを受け入れられる人っていいなと思いました。大人の余裕を感じました。作品は好みじゃないです。
むしろその頃私がずっとウザいなと思っていたのは出たがりの便利屋小西康陽の方です。この人スタジオボイスで感じ悪い連載してたし、アントニオーニの「欲望」のフライヤーの裏に駄文書いてたし、「黄金の7人」のCDの解説にも出てきてた。また文章が中身が薄くてひとりで笑ってるみたいな、作ってる音楽と同じくらいつまらないものでした。
小西康陽がスタジオボイスで連載していたレビューのようなものはちょいちょい感じが悪かった。自分はCDを出したら関係者に配るのに、僕のところには全然来ない。あいつに送るなというリストに僕は入れられてるのでは?と、ここまではいいのですが(ちなみにうちにはそのリストが存在する)とか書いていて、そんなだからお前も同じ扱いされてんだろすぐパクるし、と思いました。
昔の音楽ライターについて、ボブ・ディラン担当だった菅野ヘッケルという人のことを「ヘッケルだよ、ヘッケル」と小馬鹿にしたように書いていたこともありました。それからずっと後、ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらった時まさかの菅野ヘッケル本人がテレビに出てきてインタビューに応えていました。まさに生きとったんかワレ!でした。菅野氏は元気そうにしていてよかったです。なかなか雰囲気のある方で、街で見かけたらちょっとビビるかも、と思いました。
あと関係ないけど当時レコードフェアに行くと小西康陽そっくりな格好をした人がよくいました。(何をとは言わないけどマッシュルームカットとメガネとヒゲでごまかすスタイル)
リズ・オルトラーニが手がけた「世界女族物語」という映画のサントラが再発された時、誰が書いたのか解説の人がある曲について「小西康陽氏もこの曲が好きだと言っていたので、彼のフェイヴァリット・ソングとみて間違いないでしょう」とか書いてたのですが、ほんと知らねーよって感じでした。こんなんで原稿埋めんなよ。嫌いだわぁ。心の底から嫌いだわぁ〜!
取り乱しました。(ダチョウ倶楽部)
あの頃見かけた90年代のサブカル文体はあまり褒められたものではなかったけど、面白い人は面白かったし、川勝正幸やコモエスタ八重樫は下品すぎず自画自賛もあまり感じない文章でした。三田格という人の文はすごく痛くて、イジっちゃだめな人に見えました。もちろんつまんなくて下品な人もいて、そういう一部の人が使っていた「と、いうよーなモノがあって。でですね」みたいな文体は当時から気持ち悪かったです。モノとかコトとか片仮名にするのほんと気色悪かった〜。でも雑誌しかないから隅々まで読んでいて、こんなふうに記憶に染み付いてるんだからおそろしいです。
(つづく)
2 notes · View notes
takeshi-noguchi · 2 years
Photo
Tumblr media
あけましておめでとうございます😆@ta0416 #あけましておめでとうございます #あけおめ #カニ #カニにまみれたい #カニ好きな人と繋がりたい #蟹 #蟹祭り #肉パーティー #カニ料理 #Googleローカルガイドレベル10野口剛 #Googleローカルガイド野口剛 #カニパーティー #カニピーポー #かに #かにまる #蟹まる #蟹大好き #カニ大好き #蟹マン #かに #カニ好き #正月 #正月料理 #本年もよろしくお願いします #今年もよろしくお願いします #年賀状 #正月太り #でぶ #1月1日 #日本の正月 (Nagasaki, Nagasaki) https://www.instagram.com/p/Cm230IaSsI4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
2ttf · 12 years
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
6 notes · View notes
iseilio-blog · 5 years
Text
小さな喫茶店
https://www.youtube.com/watch?v=8mOu9kAgf0I
https://www.youtube.com/watch?v=has1KjbVeU0 “喫茶店”、KISATEN 一辭大約在五十多年前出現在台灣,發源地的
日本早於明治末期, 到了1920年代更成了一時風尚。為什麼稱做
“喫茶店”?在日本的抹茶風習裡面,往往使用了一個中國趙州禪師語錄
中的 “喫茶去”字句以表風雅;猜想就這麼來的。
這另有一個名詞就是 “純喫茶”;這幾個字首先進入耳際,是來自正值
青春年華的表姊。日治時代 coffee shop 的流風遺韻,似乎已經日有
更新,也同時傳入了台灣。在日本早年,不提供酒類,而只有 咖啡、
茶,和一般飲料,雖然沒有酒類,卻有女侍作陪;這當然是搜尋
結果。大約就是等同台灣早年相當風行,燈光黑暗,剛進入伸手
不見五指,有女服務生坐枱的咖啡廳:南國佳麗、北國妖姬 -這是
門口的招牌。
據個人在慘綠少年時代的 經驗 ,第一次進入 “純喫茶” 記得是在
中正路,現在的忠孝西路,上到所在的二樓,只見昏暗的燈光中,
一座座擺在茶几後面的雙人沙發,躺滿了對對交纏的海獅。記得
當時年紀小 https://www.youtube.com/watch?v=KZsLLOUglTo ,
未經世事,不明就裡,所以趕緊小跑步跑路下樓。現在想起來,這些
雌雄海獅們也都已經 80好幾了。
在 “純喫茶”、Kisaten,年輕男女交往、生意人談生意、黑道喬事 . . .;
早年有名稱取自法國作曲家 拉威爾 的名曲  BOLERO ,大稻埕
的 “波麗露”。提供當時不多的 hi-end 音響,讓客人聆賞古典音樂。
不過在日本這類付有餐點供應的稱做 Cafe。這裡也是當年我輩家長
介紹子女相親的重要地點。幾年前去過一次 波麗露。後代前來自我
介紹;老實說,整個店已經走樣,女二代目的談吐很不怎麼樣,甚至
顯得粗俗。一眼看去的顧客,看不到青春也聽不到文雅,更談不上
古典。
從第一代老闆所做整體的呈現來看,受過日本教育,台灣老輩仕紳
世代的教養、儀態,早已隨著時代洪流,一去不返,相當失望。  相同的樣態也發生在台中的 太陽堂。上成功嶺時所見的 太陽堂,
曾經是如此和風高檔,甚久之後的幾年前,在網路所見的報導,
已經是相當破敗。這和生意之如何無關,而是由 “整理、整頓”
而來的美好、浪漫已經失去;文化思維已經不同。
當兵剛退伍,同學在南京東路一段頭開了一家 “金咖啡”。應該是
第一家咖啡廳擺上 Grand Piano,有鋼琴演奏,風行一時。不久,
在對面又開了一家 “金琴”,這次的噱頭更不得了,整部鋼琴鍍金。
同學以 Benz 為座駕,有司機案內,真是志得意滿,意氣風發;
年紀大約也就二十三四。這位老兄為人四海,他的家是當時當紅的
電視影星聚居處。時而去湊熱鬧,有次碰到剛出道不久的 余天;
全身有毛,既不會毛茸茸,多如黑熊,也不會毛髮稀疏如同紅
毛猩猩,實在很帥。有次躺在小房間雙層床的上面,下看林松義與
剛出道的余天坐在下面聊天。林松義向余天說,不用急著出國 . . . .。
林松義當然是前輩,只是余天很帥前途不可限量,我想此兄搞不清楚
狀況,有點好笑。還有一次去他的金咖啡蹭流行,神采飛揚的同學
說,來,給你介紹我的女朋友:「 北一女畢業的」。真是癩蝦蟆
吃到天鵝肉,令人五味雜陳。
https://www.facebook.com/watch/?v=114370417213271
之後台灣的咖啡廳更有了現場表演,成了所謂的 “西餐廳”。與日本
之後發展出爵士、古典音樂、體育、歌聲  . . . . ,等等配合形形色色
嗜好、興趣不同顧客群,風格各異的 “喫茶店”。充滿著主人家個人
堅持的風情與情調氣氛的 KISATEN 所在多有,由文化底蘊所發展
出來的呈現,日本與台灣各自的走向全然不同。
明治維新 “文明開化” 之後的日本,進入 “喫茶店” have a cup of
coffee,喝杯咖啡還是一種時尚。摩登的感覺,聽下面這一首,曲風
充滿了過著喝咖啡文明生活的昭和時代的興奮與快樂: 一杯 の コーヒー から
作詞   藤浦洸 作曲  服部良一 昭和十四年 https://www.youtube.com/watch?v=nz-UNcT-W7E 
1. 一杯のコーヒーから 夢の花咲く こともある
街のテラスの 夕暮に
二人の胸の 灯火が チラリホラリと 点きました
• 就一杯咖啡 夢的花開了    黃昏街旁的雅座 俩人心中花開朵朵
 2. 一杯のコーヒーから モカの姫君 ジャバ娘
唄は南の セレナーデ
貴方と二人 朗らかに 肩を並べて 唄いましょ
• 就一杯咖啡 摩卡公主 多話女郎
歌曲是南方小夜曲  與妳兩人並肩爽朗歌唱
3. 一杯のコーヒーから 夢は仄かに 薫ります
赤い模様の  アラベスク
あそこの窓の カーテンが ゆらりゆらりと 揺れてます
•  就一杯咖啡 微微的夢香    那紅圖案裝飾的 窗簾輕輕搖動
4. 一杯のコーヒーから 小鳥囀ずる 春も来る
今宵二人の ほろ苦さ
角砂糖二つ 入れましょか 月の出ぬ間に 冷えぬ間に
•  就一杯咖啡 小鳥啾啾 春來到
今夜俩人的哀愁 放兩顆方糖吧    月出前 未冷間
“喫茶店” 其實也就是 Coffee Shop,有走法國風的就稱做 Café:
C'est Si Bon(It's so good) https://www.youtube.com/watch?v=7y9hIjH_7do
https://www.azlyrics.com/lyrics/deanmartin/cestsibon.html
在戰後的昭和時代,隨著經濟的成長,上 コーヒーショップ  成了
人們生活不可或缺的一環,同時也有了幾首以 “喫茶店” 為主題的歌曲
膾炙人口。這一首 “喫茶店の片隅で” 描寫了青年男女談戀愛的情狀。
曲調清純、端正如同論說文,比較像是文部省頒定曲。來自歌詞的
回憶,表現出浪漫的氛圍,也透露著與情人分手後淡淡的傷感,深為
人們喜歡,傳唱。 下面播出兩首以 “喫茶店” 為主題的歌曲,個人都非常喜歡: 喫茶店の片隅で https://www.youtube.com/watch?v=EUDNTd1wjRo&t=2s
作詞:矢野亮
作曲:中野忠晴
金合歡街樹的黃昏
喫茶店燈光昏暗
我倆經常相逢的日子
小小的紅色椅子兩張
摩卡香氣 漂溢
靜靜對坐的兩人
聆賞著蕭邦夜曲
流瀉的鋼琴音符
忽急忽徐
不知覺間 夢遠了
難忘昔日情誼
獨自來到 喫茶店
散落窗邊的 紅玫瑰
遙遠過去的懷念
心中深深感觸  呼喚今宵
“ 靜靜對坐”, 理論上氣氛營造的責任應該是在男生。無論是拙於
言辭,詞不達意,或者神遊十三天外,再怎麼說女生平時如何
聒噪,也有必需的淑靜要守,更何況如果是位初嘗年輕男女交往
滋味的黃花大閨女ㄦ,保持羞於啟齒,就是一種最佳的狀態與
表現。如果其實是老於江湖,往往就在這靜默的時分,端詳、
審視對坐這位稚嫩小男生,盤算著接下來要如何宰制、盤剝這頭
難以釋手的小羔羊。
依詞意來看,這位女生正典就是一朵閉月羞花,男生更是個蕭邦迷,
天生應是一對,可惜心中這一點無法言傳的甜蜜,就在一點絲微的
誤會,或者什麼陰錯陽差,終至分手收場。 
すき 喜歡 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/716133306776911872
有好事之旁觀者,默默好奇,守著觀察,期盼或許男方忽而出現,
演出一場心有靈犀的巧遇,終至喜劇收場。真要這麼說來,這首
論說文式的浪漫歌曲將大形失色。就讓劇情維持無頭無尾,在
主人公默默的心中訴說之間,主客共享這份幽微的情誼與遺憾。
日文歌詞練習:
アカシア並木 (なみき) の 黄昏(たそがれ)は
淡い灯 (ひ) がつく 喫茶店
いつも貴方(あなた)と 逢 (あ)った日の
小さな赤い 椅子(いす)二つ
モカの香 (かお)りが にじんでた
ふたりだまって 向き合って
聞いたショパンの ノクターン
洩(も)れるピアノの 音(ね)につれて
つんではくずし またつんだ
夢はいずこに 消えたやら
遠いあの日が 忘られず
ひとり来てみた 喫茶店
散った窓べの 紅(べに)バラが
はるかに過ぎた 想(おも)い出を
胸にしみじみ 呼ぶ今宵 (こよい)
這一首曲風輕快,可惜影片過於久遠,影像模糊,鑑賞功力全憑
個人才華。
https://www.youtube.com/watch?v=lhFfVuHkqx8 小さな喫茶店
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=fhY0-r_2yvQ 日本有 繩文人和 彌生人兩種,以個人看法, 彌生人 的 面孔比較肉餅。這位仁兄人稱: ハムバ-グ 、 漢堡。
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=voN9-0oeUho 神情與年齡雖然無法對焦,還是可愛,還是唱得不錯、拍拍手。 •  可愛い!お一人ですか?嗚呼 --
作詞:E.Neubach
訳詞:瀬沼喜久雄 作曲:F.Raymond 已經是去年
星光綺麗的夜晚
想起我倆散步的小徑
懷念
過去浮上了心頭
走著走著
不覺煩惱了起來
那是初春的事
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
日文歌詞練習:
それは去年のことだった
星の綺麗な宵だった
二人で歩いた思い出の小径だよ
なつかしい
あの過ぎた日の事が浮かぶよ
此の路を歩くとき
何かしら悩ましくなる
春さきの宵だったが
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしくうたってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしく歌ってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
台灣人固然騷包,對 “喝咖啡” 這類成了次文化的風尚,情趣其實
不多,個人則還是比較喜歡牢騷滿腹,罵人不帶髒字的政治論說,
卻是往往一知半解,過於充斥還是不好。這日發現弄些歌曲、歌詞,
好好說他一番倒是一個方向;且擱下筆,稍後再敘。
BONUS 
二戰前世代的日本人其實比較嚮往浪漫的法國 https://www.youtube.com/watch?v=UR2Kj1omGAg
枯葉 岸洋子 https://www.youtube.com/watch?v=El6kzOS0TKg
すみれの花咲くころ https://www.youtube.com/watch?v=6VbSufpdUp8
專人桌烤"A5和牛八吃" & 鎮店30年"黃金羊肉爐" https://www.youtube.com/watch?v=w1S1llWbCgM
2018 舊文
2 notes · View notes
momijiyama1649 · 5 years
Quote
ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマラソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・��士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・Jリーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕アトム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ノーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南無阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表・ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免停    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0%E3%83%BB%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%82%89%E3%81%8F%E3%81%94%E3%81%AE%E3%81%94
5 notes · View notes
redux-pain · 6 years
Text
ITEM collection
[note: as with the character names in the profiles, I haven’t been able to find where the item names are located in the script files. Since I’m in the end game and only have a few items left in the inventory, I’ll just be giving them my own labels in {brackets} for now; labels in those may not reflect the original Japanese text. And I don’t know if it’s mentioned in-game, but the voice on these indicates that Nola is the one cataloging them.
EDIT: located the item names in the bindt/gymsys file!]
タクヤのノート
Takuya’s Notebook
中庭で拾ったノート。一見普通のノートだが中には学園内の人々に対しての悪口が恐ろしいほどにビッシリと書かれている。こびりついた思念から井上タクヤの物と思われる。実に根暗なヤツだ……。
A notebook full of bad things about students. It’s Takuya’s Shinen. He’s creepy.
A notebook found in the courtyard. Seemingly an ordinary notebook, but scrawled inside is a terrifying amount of insults about people around the school. Judging from the Thoughts clinging to it, it must be Inoue Takuya’s. He’s a seriously gloomy guy...
金剛青鬼水
Kongou Ao-Oni Water
大倉ユウジにもらった金剛青鬼水が入っている瓶。見るからに怪しい、どう見てもヤバイいかにも怪しげな瓶の中からは、真っ青でドロリとした液体が、次なるチャレンジャー(犠牲者)を待ち構えている……。
Yuzi’s holy water. Strange, sticky and very blue. Who dares to drink this?
A bottle from Ookura Yuuji, full of Kongou Ao-oni water. Looks pretty dodgy. Within a truly suspicious bottle, a risky proposition no matter how you look at it, is a gooey, deep blue liquid waiting for its next challenger (read: victim)...
[note: I started this playthrough some years ago, so it’s been *quite* a while since I played the scene where he gives you this. I can tell they changed a fair amount in the localization, so this is a translation lacking some important context.
Kongou: refers to a vajra or other indestructible substance
Ao oni: the blue type of traditional Japanese ogres. Think the guys who Goku meets in ‘HFIL’.
I can’t tell without seeing the scene whether these need to be translated, or whether it’s a brand name or something. ...And, to top all that off, the clauses in that second sentence are *really* something, so I tried to separate them out as accurately as possible.
Note from the future: “Vajra-Wielding Blue Ogre Water” is just fine as a translation.]
アーサーのナイフ Arthur’s Knife
アーサー・メイズの血痕と、死を彷彿とさせる思念がこびりついたナイフ。リュウ・イーが止めに入った際、自らの肉体を傷つける為に使用していた物と思われる。あの美しい肌に傷など、もったいないことを……。
Arthur Mays’ bloody knife & death Shinen Liu Yee stopped him but he cut himself. He shouldn’t have...
A knife stained with Arthur Mays’ blood and Thoughts, vividly reminiscent of death. Apparently this is what he was using to wound his own body when Liu Yee stopped him. What a shame to [cut/scar] that beautiful skin...
殺人犯のナイフ Murderer’s Knife
ソエジマ邸の前にある草むらの中に隠されていた殺人犯のナイフ。こびりついた思念から殺人の犯行に使用された物と思われる。血はキレイに何かでふき取られているが、うっすらと嫌なサビが着いているようだ。
Soejima’s knife. The Shinen shows it was used to kill. The blade is clean but slightly rusted.
A murderer’s knife, hidden in the grass in front of Soejima Mansion. The Thoughts clinging to it reveal that it was used for a killer’s crime. The blood has been wiped clean with something, but a slightly unpleasant coating of rust remains.
銀行強盗の銃 Bank Robber’s Gun
AMS銀行で起こった銀行強盗に使用された銃。犯人である警官のまがまがしい思念が付着している。犯人が逃走する際に投げ捨てたと思われる。手入れが行き届いてたのだろうか? 汚れもなく、黒く輝いている。
AMS bank robber’s  gun. He was a cop. He dumped the gun and ran. He cleaned it very well. It is black and shiny.
A gun used in a bank robbery at AMS Bank. Clinging to it are the ominous Thoughts of the police officer who was the culprit. It seems the culprit threw it away while he was escaping. I wonder if it was well-looked after? It shines black, with not a speck of dirt in sight.
[note: This is lost a little in translation, but to a Japanese audience, the mere fact that the culprit had a gun is a strong indicator that he was a cop using the weapon he was issued for his work. In America you might acquire a second gun to avoid suspicion when it goes missing at work, but Japanese gun laws would make that more trouble than it’s worth.]
スポーツドリンク Sports Drink
御堂アキラがアツキにくれたスポーツドリンク[.]飲みかけだが、遅刻して来たアツキのことを思って渡してくれたのだろう。飲みかけだが……。男同士なので大丈夫だろう。スポーツ大好きなアキラにはピッタリの飲み物。
Akira gave Atsuki his sports drink already opened, but that’s ok. He was late. Akira loves sports so it’s a good drink for him.
A sports drink that Midou Akira gave to Atsuki. He started drinking it, but must have handed it over out of concern for Atsuki, who was late. Although he did drink part of it... They’re both men, so I guess it’s okay. This is just the right beverage for the sports-loving Akira.
[note: Nola seems to be concerned about indirect kisses here.]
ルイのストラップ Rui’s phone strap
ルイの退院祝いにプレゼントしたストラップ ミカがアツキから渡すようにと、事前に用意してくれていた。もの凄くセンスを疑いたくなる代物。他にもピンク色の物もあるとか。一部の女性に高い人気を得ている謎のお守り
Rui’s cell phone  strap Mika bought for  Atsuki to give her after she was in the hospital. Strange design but a lucky charm for girls.
A phone strap given to Rui to celebrate her leaving the hospital. Mika had this ready beforehand so Atsuki could give it to her. An object that inspires a deep mistrust in her sense of aesthetics. It also comes in pink. A mysterious charm that’s quite popular with a certain kind of girl.
バンソウコウ Bandage
ミントの血痕が付いたバンソウコウ。 ナミがミントを看病した際に貼ってあげた物。ナミを訪れて来た時、何かに引っ掛けて落として行ったのだと思われる[ 。  ]ミントのナミに会いたいという気持ちがたくさん込もっている。
Bandage with Mint’s blood. Nami put it on Mint when Mint was hurt. While visiting Nami, it came off Mint. Mint misses Nami very much.
A bandage stained with Mint’s blood. Nami put it on while she was nursing Mint. It must have gotten caught on something and come off when Mint came to visit Nami. It’s filled with Mint’s desire to see Nami.
Hidaka’s Note 日高のメモ
亡くなった日高ナオトのポケットに入っていた謎のメモ。『私は顔の無いスパイです』と意味深なメッセージを残している。日高が自分で書いた物なのか、それとも誰か他の者が書いたのかは分かっていない。
The  memo from  Naoto’s pocket, that says ”I am the faceless spy.” Naoto’s dead. Who wrote the memo?
A strange note [found] in the deceased Hidaka Naoto’s pocket. It bears the intriguing message, “I am the spy with no face”. It’s unknown whether this is something Hidaka wrote himself, or whether it was written by someone else.
[note: The message as described here uses “watashi” instead of the “boku” you see when Aya relays it to you in the game. I can’t say if the game is going for something here, or if it’s just a mistake.]
ケイの手紙 Kei’s Letter
遠野ケイ が 山瀬ルイに残した手紙。ルイと一緒に過ごして楽しかった日々のことを書いているようだ。一緒にご飯食べたこと。出かけたこと。本当にありがとうと感謝の気持ちがいっぱいに込められている。
A  letter from Kei to  Rui He wrote about happy days together shopping and eating. It’s full of appreciation.
A letter left by Tohno Kei for Yamase Rui. Apparently he wrote about the happy days they spent together. About eating together, about going on outings. It’s filled to the brim with feelings of gratitude.
東方堂のカギ Touhou-dou Key
1年前に宇波リョウがゴミ出しの際落とした鍵。鍵穴ごと取り替えられているので、現在は使われていないようだ。しかし、毎回ゴミ出しの度に締め出しをくらうとは、もう少し学習能力を養って欲しいところだ。
The  key  Ryo dropped a year ago in the trash. The locks changed so This key is useless. He needs to be more careful taking out trash.
The key Unami Ryou dropped a year ago while putting out the trash. The locks have been changed, so it’s useless now. Also, locking yourself out every time you take out the trash? Please work on your ability to learn from mistakes.
パンダ人形 Panda Doll
パンプキン・ウィッチのマスコットキャラの1つである、パンダの人形。胡美鈴がアツキへの愛の証として置いて行った。胡美鈴の想いが熱く込められている。
Pumpkin Witch mascot doll, a  panda. It’s Meilin’s gift for  Atsuki. A reminder of Meilin.
A panda doll. It’s one of Pumpkin Witch’s mascot characters. Hu Meiling left it behind as prove of her love for Atsuki. It’s full of her passionate feelings.
2 notes · View notes
unicodesign · 2 years
Text
薩摩旅 鹿児島編
先月の、久しぶりの旅の備忘録。2019年以来、飛行機乗りました。
Tumblr media
行く先は鹿児島。ライブ遠征、西郷どん&篤姫巡り、建築巡り、登山の4本立て3日間。
初めての鹿児島。路面電車の走る鹿児島中央駅、南国の風情。
Tumblr media
街の中にステーションが点在するレンタサイクルの『かごりん』を借りて出発。
まずは、西郷屋敷跡へ。ここは、明治6年の政変で西郷さんが征韓論で敗れて下野してから、西南戦争が始まるまでの4年間暮らしたお屋敷のあった場所、鹿児島市武。
Tumblr media
『徳の交わり』庄内藩の家老 菅実秀との対話の像。戊辰戦争で薩摩率いる新政府軍に対抗していた庄内藩、これに対する処分が寛大だった西郷隆盛の人柄に感動し、教えをこうためにこの屋敷に訪ねたそう。遠路はるばる。。。
Tumblr media
次なるは西郷生誕地へ。途中、軽やかに上着の裾を翻す大久保利道卿。
Tumblr media
『下加治屋町の西郷吉之助』と、せごどんで何度もでてきた現在の加治屋町。
Tumblr media
後ろに、弟の西郷従道の生誕地碑も。
Tumblr media
そしてお隣にある『維新ふるさと館』へ。
Tumblr media
ここで、ロボットドラマを鑑賞。ロボットを作る会社で働く妹が担当していたというので来てみました。
Tumblr media
維新の立役者と、薩摩出身の偉人たちが現れます(鹿児島県観光サイトより拝借)
Tumblr media
西郷さんといえば相撲。ということで相撲がとれます。
Tumblr media
その後、天文館通りに向かい、お昼ごはんは鹿児島ラーメン小金太。
Tumblr media
意外とあっさりめ、肉厚チャーシュー、美味しかった!
Tumblr media
そして、鹿児島といえばこちらもお忘れなく。ここがしろくま誕生の地。
Tumblr media
ふわっふわのかき氷に練乳、不朽です。
Tumblr media
ここで突然のにわか雨、しかし、鹿児島市内、アーケードが続くので、雨に濡れずに、次の目的地であるマルヤガーデンズに到着。
Tumblr media
かつての三越鹿児島店。地元の丸屋デパートの建物に、30年間、三越が入っていたところ、三越と伊勢丹が合併し店舗を整理していくなかで、三越撤退。オーナーが建て替えずにリノベーションという選択をし、耐震+改修設計をみかんぐみが行う。テナント探しに苦戦するなかで、D&D DEPARTMENNT、コミュニティデザイナーの山崎亮さんらが参画し『地域のコミュニティの場をデパートの中に作る』というコンセプトで各階に『ガーデン』と呼ばれるフリースペースくを設けたというもの。
今でこそ、コミュニティデザインやエリアリノベーションなど各所で様々な取り組みが行われていますが、改修工事が完了した2010年頃は新しく、先駆者的な場所だった印象があります。
最上階は緑豊かなガーデンがあり、あいにくの雨模様でしたが、多くの人がお弁当を食べたり、おしゃべりしたり。
Tumblr media
フリースペースでは個展が。
Tumblr media
いろいろな地域の取り組みがなされているようでした。中心部のデパートの中でこのようなことができるというのが画期的、東京だと、家賃と見合わなかったりでできないのかもしれない。と思う。
Tumblr media
続いても建築めぐり。鹿児島カテドラルサビエル記念聖堂へ。ちょうど雨も小降りに。坂倉準三/坂倉建築研究所設計。空に向かってすっと伸びる鐘楼が印象的。
Tumblr media
フランシスコザビエルが初めて日本に上陸したのは鹿児島県、それを記念して建てられた聖堂で、この建物は3代目。
Tumblr media
外の様子とはうってかわって、色彩あふれる主聖堂の内部。
Tumblr media
パンチングの後ろから赤と青のステンドグラスの光が降り注ぎます。
Tumblr media
スリットの窓から自然光が入り込む床と天井が美しく。
Tumblr media
こちらは小聖堂。コンクリートと木の空間。
Tumblr media
ここから薩摩藩せごどん巡り。まずは照国神社。島津斉彬公を祀る神社。
Tumblr media
鹿児島で一番大きな神社、鳥居も大きい。交通看板張ってあるが。
Tumblr media
続いて西郷隆盛銅像。陸軍大将の軍服姿で地上14mの高さに立つ西郷さん。
Tumblr media
お隣、鶴丸城御楼門。日本最大の城門だそう。
Tumblr media
NHKオンデマンドの『せごどん』一気見をきっかけに30年前の『飛ぶが如く』まで見てしまい、明治維新ブームがやってきた私とっては喜びひとしおの薩摩の地。
Tumblr media
次に、西南戦争銃弾跡。
Tumblr media
かつて石垣の中には、征韓論で敗れて下野した西郷隆盛を慕い、新政府を辞職してついてきた600人の士族のために、西郷さんが作った『私学校』がありました。150年前に現実にあったこと、と、銃弾のあとを見ながら思う。
Tumblr media
そして、いよいよ西南戦争最後の決戦地である城山へ自転車でのぼる。暑い。
熊本城をおとせず、九州各地を転戦したのち軍を解散した西郷隆盛が、最後に城山に戻って来て、最後の5日間を過ごしたという洞窟を経て
Tumblr media
城山へ至る。美しい桜島。これを見たかった。鶴丸城の天守閣からはこんな風に見えたのか。
Tumblr media
ここから、一気に自転車で港へ向かう。
Tumblr media
めざすは
Tumblr media
桜島!
Tumblr media
15分ほどで到着。
桜島は1周36キロ、自転車では3〜4時間、このあとライブの予定のある私たちはあまり時間もないため、タクシーに乗り、有村溶岩展望所まで向かう。
絶好の撮影スポットのはずなのですが、、、桜島見えず。
Tumblr media
タクシーの運転手さんが、いろいろとガイドをしてくれました。桜島は、1000年の間に4度の大噴火があり、流れ出た溶岩で都度形を変えていて、大正の噴火で、大隅半島とくっついてしまった。向こうに見えるが大隅半島。
Tumblr media
小さなクロマツが生えているのが新しい噴火でできた地層で、古い噴火の地層のマツは成長しているそう。
鉄分を含んで赤い溶岩、
Tumblr media
溶岩タイルの微妙な色合いが美しかった。
Tumblr media
運転手さんが連れて行ってくれたのは長渕剛のライブを記念した叫びの像。当時6000人の島民に対して75000人の観客がやってきたそう。(今は島民3000人とのこと)
Tumblr media
ふと振り返ると、桜島のてっぺんが姿をあらわしていました!
Tumblr media
運転手さんいわく、道路がこんなに綺麗なのは珍しい、噴火が絶えないので、火山灰がつもるのが常なので、今は洗濯物が外に干せて嬉しい反面、いつ大きいのが来るのか不穏だ、とのこと。
道路には、避難用のシェルターがところどこにあり、有村溶岩展望所のあずまやも、木造ではなく堅牢な造り、ベンチの下にはヘルメットが備えつけられていました。
Tumblr media
桜島の名前の由来は?とたずねると、『桜島の大明神にまつられているコノハナサクヤ姫のサクヤから』と『噴火口が桜の形だった』とのこと。日本全国、まだまだ知らないことがたくさんあります。
そして、再びフェリーにのって桜島をあとにし、この日の最後のタスク、レキシのライブ会場へ。なんとか、すべての予定をこなし、最終地点に到着。
Tumblr media
3時間のライブのあと、ごはん!郷土料理屋や駆け込みました。
キビナゴのお刺身、
Tumblr media
天ぷら
Tumblr media
さつまあげなど。
Tumblr media
7時40分の飛行機に乗って、まるっと1日、綿密に組み立てていたタイムスケジュールを無事終えて乾杯。長い1日でございもすた。
指宿、霧島編に続く。
0 notes
isawa-nkb · 6 years
Text
平成の音楽を振り返る回、を振り返る
Twitterで散々告知していた、「軽音サークルOB(と現役)が集まって、『平成(OO年)といえばコレ』な曲を各々30曲ほど持ち寄り、平成を彩った名曲を振り返ることで平成という時代を総括する会」の第一回を、先日8/11の夜に執り行いました。その時に流した曲のリストが出来上がったので、会の模様を録音していた駄弁りデータを参照しつつ、ぼく視点で改めてコメントをつけてこの会の様子を残したいと思います。 一応ブログ末に録音したmp3を詰めた泥箱のリンクを貼るつもりではいますが、 会議が6時間を超える長丁場になってしまったのでさすがにそれを全部聞く暇人はこの世に存在しないだろうということで、文章にまとめた方がまだ追体験しやすいだろう、というのがこのブログ執筆の目的です。 録音データの書き起こし、というわけではないですが、脱線や菓子の受け渡しみたいな雑音が入ってるよりはむしろこの方がいいかと。勿論このブログ形式にしてしまうことで、筆者のバイアスがかなりかかってしまうことは重々承知してはいますが。
というわけで今回集まったメンバーから紹介。 ・ぷれしお 今回の首謀者。ブリットポップやシューゲイザーが専門ながら、J-popをほとんど網羅している平成の申し子。今回は「平成各年のオリコンシングルチャートTOP100を参照しつつ」「取り上げるのは1アーティスト1曲で被らないように」30曲を持ち込み、個人の思い出ではなく売上データからの分析的な検証を試みます。 ・まえぴ ぷれしおの同期。高校時代はジャズピアノを、大学軽音サークルではベースに持ち替えて精力的に活動したマルチプレイヤー。今回は「これぞ平成」な懐メロを多数用意してくれました。 ・伊38 筆者。賑やかし役。このブログに辿り着く人ならぼくの趣味はわかってると思うので割愛しますが、基本的に「他の人が持ってこなさそうな曲」をセレクト。このブログ内での「平成の語り」はぼく視点によるものなので文責はぼくにありコメントはぼく宛でお願いします。 ・各方面 軽音サークルの大先輩。筆者より10歳くらい上なのかな……? 今回は各年にハマった音楽を「表プレイリスト」「裏プレイリスト」にまとめ、交互に触れていくことで時代を多角的に検証します。年長者として、10代の多感な時期を平成と共に過ごした年代としての語り口に期待。 ・かっしー 軽音サークルの後輩。筆者より4歳くらい下。激動の平成音楽シーンにおいて数歳の差でいかに音楽体験が異なるのか。年少者からの視点が必要だとして今回参加。
この5人でお送りします。そして出来上がったプレイリストがこちら。 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826230232047616 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826235890102272
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
わかりづらいですが、一人が一気にプレゼンすると平成30年を一息に駆け抜けてしまうので、「平成をだいたい10年ごとに分け、それぞれの年代で自身が聞いていた曲を5人がそれぞれプレゼン、それを3セット」という形式を今回採用しました。つまり上記プレイリストで誰がどの曲を持ち込んだかは結構ばらけています。その辺はぼくのこれからの語りで解説・補完していければと。
それでは前置きが大変長くなりました、適宜コメントをつけつつ、各曲を紹介し平成を振り返る回を振り返りたいと思います。
 第一部、平成初期(平成元年~10年くらい) まずは主催ぷれしおから10曲ほど。開幕はプリプリのダイアモンド。昭和じゃねえんだコレ、と思うのはぼくがまだ生まれてないからか。開幕にふさわしい明るいナンバー。 たまのさよなら人類。平成2年売上トップ10てマジ? 小田和正。ドラマから有名ですからね。 浜田省吾。「平成4年は売上トップにビッグネームが並ぶので、(彼の課したレギュレーション上)被りを避けるために」とのこと。 ZARDは平成初期では外せないですね。というか某番組のおかげで今も通用してますし。 ミスチルからはイノセントワールド。この後もスマッシュヒットが続きますが、その後のヒット曲の紹介のためにここでミスチルのカードを切ることに。しかしこれ「百万枚売れるメロが書けた!」と桜井が言うだけありますね、ラスサビからの畳みかける歌詞もエモ。 B'zもここで紹介。しかしこのLOVE PHANTOMイントロ長いな。当時は色々余裕があったというか。そして4つ打ち。と言いつつ現代の4つ打ちとはノリも扱いも違うけど。ちなみにB'zの松本氏はその時々の最新のギターの音色で録音するので、B'zファンを呼んで30年分振り返るだけで平成のギターの音色の変遷がわかるのでは感も。詳しい人を呼びたい。 SPITZ「空も飛べるはず」。これ以降ずっと何かしらの曲でランキングに居座り続けるモンスターバンド。ちなみに会ではデモ版「めざめ」を流していました。「君と出会えた奇跡が」を「君と出会えた痛みが」に変えるだけで歌詞の意味がぜんぶ変わるという、スピッツがいかに歌詞を大切に考えてるかという好例。 Kinki Kids「硝子の少年」。「20年経っても歌えるから」とごり押ししつつちゃんとスマッシュヒットを叩き出す作曲・山下達郎もすげえし、山下達郎の曲というプレッシャーを跳ね返して歌い上げたキンキもすげえ。 そしてGLAY「誘惑」。この10年で出てくるミュージシャンは平成をずっと席巻し続けるあたり、平成初期10年間がいかに強かったかわかりますね。というわけでぷれしお第一ターン終了。
次はまえぴのターン。一曲目は平成元年1月11日リリースという、滑りこみで平成な美空ひばり「川の流れのように」。平成の幕開けというよりは、これで昭和が幕を下ろしたといった方がいいでしょうか。ちなみに美空ひばりは同年に亡くなっているそうで、最晩年にこのテイクをCDに吹き込める美空ひばりもバケモノだなぁという……。 BE MY BABY。つい最近流行ったけど。初出はそりゃ平成だよなと。 おどるポンポコリン。そりゃ我々世代聞いてない人間いないよなぁ……。実際B.B.クイーンズはBeingの凄腕ミュージシャンを集めて出来たバンドなので演奏がすごいんですよね。 めざせポケモンマスター。説明不要。 チャゲアス「On Your Mark」。チャゲアスから敢えてこれを持って来るという。 MISIA、「Everything」。歌うっま……。先日のフジロックでの名演も記憶に新しく。20年以上通用し続けた歌唱力……。 残テ。ヱヴァはついに平成の間に幕を下ろせなかったね……しかしこのスネアやバスドラ、メタルというかハードロック的処理の音ではないかという。 ウルフルズ。優勝。バンザイ。しかし平成初期のポップス、重心が高いというかウワモノ勝負みたいなサウンド。キックやベースの低音が決め手になっていくにはまだまだ時間がかかります。 もののけ姫。平成ジブリといえば外せない。 あ、リストから漏れてますがここで安室奈美恵「Can you celebrate?」が流れました。平成を振り返る回をやろうと言い出したきっかけは最近話題になってた安室奈美恵からだったりします。 そして1999年、椎名林檎「丸の内サディスティック」でまえぴの第一ターンは終了。20年経っても軽音サークルのスタンダードであり続ける椎名林檎嬢の強さ……。
さてお次は不肖わたくし伊38のターン。Spookey Ruben「These days are old」タイトルではピンとこないかと思いますがYoutubeで10秒再生すれば「これぞ平成」とわかるかと。 小松未歩「氷の上に立つように」、倉木麻衣「Secret of my heart」。というかコナンのOPEDを30年分振り返るだけで平成を振り返られるんじゃないか? アニソンつながりで「月灯りふんわり落ちてくる夜」 小川七生 。オラはにんきものと迷ったけど、色々あったクレしんEDの中で唯一、かつ強烈に覚えてるのはコレ。 ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツをそれぞれ。バラエティ番組の一企画として生まれたバンドだけど、今聞いても全然聞けるくらいオケが面白いし、千秋とビビアン・スーがべらぼうに歌うまいので企画バンドの枠を超えてると思う。実際ゴールデンタイム発でヒットチャートを動かそうというわけだから金かかってるんだろうけど。つまりは当時は色んな余裕があったんだなという。 ジュディマリ「そばかす」。ぼくリアルタイムではないんですが。YUKIの歌とTAKUYAのギターが圧倒的で未だに軽音サークルでコピーされるあたりね。 あと最後、一曲分枠が余ったので1999年RSRのブッチャーズを軽く流しておきました。というわけで次の方へ。
大先輩各方面氏。1989年はガンヘッドのテーマから開幕。そして1989年裏リストはBoredoms。これ持ってくるのか。 米米CLUB「浪漫飛行」。これも平成なんすね……で裏がHANATARASH。さっきボアダムス流したじゃないすか……ちなみに選外に人間椅子、ビョークの幼少期ジャズアルバムなど。 「SAY YES」チャゲアス再登場。歌うまいしメロがつよい。そして裏はマイブラとニルヴァーナ。1991年の選外としてはレッチリも。 1992年は「それが大事」大事マンブラザーズと、裏リスト「戦え! 何を!? 人生を!」筋肉少女帯。筋少も代表曲に困るバンドですが今回はこちら。 「EZ DO DANCE」。キンプリ、というかプリリズからリバイバルしてましたしね。そしてその年に裏で鳴っていたのがレディへ「Creep」。ちなみに翌年表プレイリストもTRF連チャンで「BOY MEETS GIRL」。 1995年、黒夢「SEE YOU」。90年代V系を持ってくるのはリアルタイム世代じゃないと……。裏リストはBjork「Hyperballad」。 電気グルーヴ「誰だ!」そしてBloodthirsty Butchers「二月」。ちなみに1996年はLUNA SEA「STYLE」X JAPAN「DAHLIA」 L'Arc〜en〜Ciel 「True」とV系の重要シングルが立て続けに出た年という。 1997年、Cornelius「Star fruits surf rider」、裏に池田亮司「+/-」。テクノ(?)な選曲。 1998年、HIDEの死んだ年ということで「ever free」。裏リストはまたBoredomsで「Super You」。選外にBoom Boom SatellitesとかSystem of a downの1stとか、ゆら帝「3x3x3」など重要盤が並ぶ。ちなみにリストでは先に出てましたが、Boa「Duvet」もこの年。
10年振り返ったのでここでプレゼンテーター交代、後輩のかっしーのターン。ただし平成初期は生まれて間もない(!)ので、当時見ていたアニメから「ニャースのうた」(クソ名曲)、おじゃる丸「詠人」(北島三郎なんだね……)を流して終了。生まれたときにはポケモンが存在していた世代……。
 というわけで第二ターム。プレゼンテーターは一周してぷれしおに回り、平成11~20年のヒット曲を俯瞰するターン。 1999年、宇多田ヒカル「Automatic」。説明不要。ちなみに会では岡村靖幸によるトリビュート版を流していました。 福山雅治「桜坂」。ちなみにこの年サザンの「TSUNAMI」も出てましたが、 サザンからは翌年の「波乗りジョニー」をチョイス。しかし桑田佳祐もつよいボーカリストですよねぇ。 「ピクミン愛のうた」。ゲームキューブってこの年だっけ……。 そしてSMAP「世界に一つだけの花」。クソ流行りましたねぇ。槇原敬之最大のヒット作というべきか。 ラルク「自由への招待」。イントロのドラムパターンが印象的だからとセレクト。 トラジ・ハイジ「ファンタスティポ」。堂本剛の歌がめちゃくちゃ上手い。 TOKIO「宙船」。会では中島みゆきのテイクを流していました。このように平成中期はジャニーズがかなり時代を持っていくチャートになっているとのこと。 「千の風になって」。クラシックでチャート入りしたのはこれと平原綾香「Jupiter」くらいなはず。 「羞恥心」。まぁ流行りましたからね……。ぼくはTwitterでさんざ言ってますがJ-popを殺したのは島田紳助とヘキサゴンだと思っています。実際この後年にはAKBが出てくるので、J-popの印象が変化するきっかけと言えなくもないという。
そしてまえぴにバトンタッチ。日立グループこの木なんの木はいいとして。 グランツーリスモより「Moon Over The Castle」。T-Square安藤まさひろ。まえぴが一番最初にやったテレビゲームだから、とのチョイス。そういや平成となるとゲーソンとともに過ごした人間とか呼んでみたい。 そしてレースゲームつながりで、リッジレーサー4より「Urban Fragments」。アイマス以前のナムコのゲーム音楽はつよい。 一青窈「ハナミズキ」。流れてたなぁそういや。 「知恵と勇気だ! メダロット」。ポケモン出したからには出さないわけにはいかないよなぁ。筆者は普通にコロコロ派でしたがメダロットとかサイボーグクロちゃんとかはアニメ見てた気がします。覚えてないけど。 Do As Infinity「冒険者たち」。そういやこの時代、女性ボーカルとトラックメイカーの野郎、みたいなユニット多かったですよね、デイアフタートゥモローとかガールネクストドアとか。そーいや遠ーい昔どっかで、「ガールネクストドアはテレビ主導・Mステ主導で流行りを生み出せるかどうかの最後の実験だった」という言説を読んだ気がします、実際ガルネクはイマイチぱっとしないで消えたような。時代の流行りとテレビ(と時代の変化)の関係も詳しい人に語ってもらいたい。 ちょっと時代遡って、「渚にまつわるエトセトラ」、「ハッチポッチファミリー」。ハッチポッチのインチキ洋楽カバー聞き直したい。 森山直太朗「さくら(独唱)」。そういや平成中期はバラードも結構ヒット曲多かったですね。Youtube前の時代なんで90秒で掴む、みたいなこともなかったですし。 というわけでヘラクレスオオカブト……じゃなくて「カブトムシ」aikoでまえぴの第二���ーン終了。
というわけで伊38第二ターンですが、ぼくも平成10~20年は小中学生だったのでまだテレビっ子で音楽にも目覚めてない時代なんですね。 スキマスイッチ「全力少年」。当時はズームイン朝で若手ミュージシャンをプッシュする謎のコーナーがあったんですよね。そういう余裕があった時代ってわけですが、スキマスイッチは頑張ってましたね。雨宮天の「奏」は神。 続いてもズームイン朝枠で、nobodyknows+「ココロオドル」。ニコ動でも不動のMAD素材。というか映える声のMCを贅沢に5人も抱え、トラックも面白いし、ヒップホップブームの今再評価に値するのでは。今も活動してるか知らないけど。 矢井田瞳「My Sweet Darlin'」。どこで聞いたんだっけ…… 奥井亜紀「Wind Climbing~風にあそばれて」。グルグル見てたはずなのに全然覚えてない…… 塊魂を流そうと思ってサントラ借りたら入ってなかったので仕方なく流した「塊オンザスウィング」。松崎しげるも歌うまいな……。 ここまで誰も流してなかったので「Butter-Fly」かけときました。「カサブタ」と迷った。 申し訳程度ですが菅野よう子も流さなきゃなぁ。ということで「Tank!」を。というか菅野よう子詳しい人に菅野よう子クロニクル解説とかしてもらっても平成振り返れそう。ていうか誰も「プラチナ」流してねえじゃねえか今回。筆者はCCさくら見てないのになんでオタクになったんだろう。 FLOW「DAYS」。エウレカも見てないのになんでオタクになったんだろう俺。 「リライト」も「メリッサ」と迷った。 最後は岡崎律子のために割いた枠で、メロキュア「Agape」を流して伊38第二ターン終了です。メロキュアもリアルタイムじゃ聞いてないんですけどね。なんでオタクになったんだろう俺。
というわけで各方面氏。この辺から表リストと裏リストの境が曖昧になってくる気が。 1999年。Mad Capsule Market「MIDI SURF」、Merzbow「Electric for ICC」。選外にハイスタなど。 Radiohead、KidAより「Everything in its right place」。エイフェックスツインが「ダサい」と一蹴したとかなんとか。裏は大友良英率いるGround Zero。 Daft Punk「One More Time」。が出た年にデビューしたのがDCPRG。選外はOwls、Ghost and votka、レイハラカミ、ASA-CHANG&巡礼などなど。 2002年「Num-ami-dabutz」ナンバガ。裏はオウテカ。 Prefuse73「The End Of Biters」。裏はチルボドの4thより「Needled 24/7」。 2004年のアジカンからは「振動覚」というチョイス。裏は想い出波止場「触媒」。 選外にSquarepusher「Ultravisitor」、アジカン「ソルファ」、フジファブリック・ZAZEN BOYS・東京事変それぞれの1st 。ザゼンと事変が同い年って。 Bloc Party「Like Eating Glass」。裏は吉田達也率いる高円寺百景「Rattims Friezz」。 NATSUMEN「Whole lotta summer」、裏は日本エモ界の隠し玉・倉地久美夫「あつい日本」。 そしてここでヤスタカをセレクト。Capsule「Starry Sky」。ヤスタカのキックは2007年には完成してたということですね。裏は大槻ケンヂと絶望少女達「人として軸がぶれている」。 andymori「Everything is my guitar」。裏にgroup_inou「Coming out」。同年は9mm「Vampire」、相対性理論「シフォン主義」が出て第二次バンドブームでもある年。というわけでこれで1999-2008の10年間の(偏った)振り返り。かっしーへバトンタッチ。
1999年でもまだ1桁年齢のかっしーのターン。やっぱその辺の時代での音楽体験はアニメやテレビからが主に。 松本梨香「OK!」、クレしん「ダメダメのうた」。既に出た「めざせポケモンマスター」、「月灯りふんわり落ちてくる夜」に対して、同じアニメでも入り口が違うというジェネレーションギャップ…… 「カービィ☆マーチ」。筆者は実は当時好きじゃなかったんですが今ヤバいアニメとして再評価されてますね。もっかい見直したいなぁ。 そしてもう一つポケモンから、そもそもルビー・サファイア世代(!!)ということで「アドバンス・アドベンチャー」。筆者、逆に知らない曲だ…… ナルトより「悲しみをやさしさに」little by little。オアシスフォロワー。 ロードオブメジャー「心絵」。CCさくらじゃないんだね……。 「青春アミーゴ」。めちゃくちゃ流行ったなぁ。 その流れでKAT-TUN「Real Face」。ホント当時破竹の勢いだった。 嵐「Love so sweet」。やっぱ平成中期はジャニーズ外せない。 GReeeeN「キセキ」。流行ったなぁ…………というわけで第二ターム全員終了。怒涛の平成晩期へ続きます。
 というわけで平成21年~からの音楽。まずは例によってぷれしお氏によるヒットチャート分析リストから。 2009発売、2010にヒットしたゴールデンボンバー「女々しくて」。 そしてきゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」。Capsule、Perfumeで実験を重ねたヤスタカの結晶。 進撃の巨人より「紅蓮の弓矢」Linked Horizon。まぁ紅白出てたしなぁ。 SEKAI NO OWARI「Dragon Night」。この辺からキックがえぐくなってくる。 BUMP OF CHICKEN「Hello World!」。EDのUNIZON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」と並んで名曲。 星野源「恋」。売上基準のリスト故触れないわけにはいかない。 そして小沢健二「流動体について」。なんか熟練戦士たちが復活してきたみたいなリストになってますね。 というわけで趣味をなるべく排して売り上げ参照したぷれしおの俯瞰リストは終了。余り枠は彼の趣味を。 ゆらゆら帝国「昆虫ロック」。ゆら帝は全部マストなのだけど、1stからこちらの選曲。 the brilliant green「冷たい花」。1998年。というかまんまOasis。彼らはBlurのカバーとかしてるし生粋のブリットポップの民。 アイドルからはBABY METAL「ギミチョコ」。というわけでAKBにまみれたランキングからうまいこと外した選曲をしてくれました。
続きましてまえぴ第三ターン。 「マツケンサンバ2」からスタート。あったなぁ……。 「群青日和」。説明不要。 「メルト」。Supercell。ついにボカロが出てきた。 「恋のマイアヒ」。そう、平成といえばおもしろフラッシュ倉庫を外すわけにはいかないんですよ……。日本で唯一オリコンチャートに食い込んだルーマニアの曲。 ゆず「栄光の架橋」。ちらっと書きましたがバラードが流行りましたよね平成中期。 「最初から今まで」冬のソナタ、流行ったねぇ……。韓流ブームも触れないわけにはいかないよなぁと。 というわけで少女時代「Mr TAXI」。日本の市場をアテにして日本語を歌いだす韓流アイドルたち。そういや会が終わった後にエクストラコンテンツとして「江南スタイル」流しました。 相対性理論「LOVEずっきゅん」。やくしまるえつこ、平成晩期の女性ボーカリストのスタイルとして触れないわけにはいかないですよね……これ以降ウィスパーボイス女性ボーカリストがぐんと増えた印象。しかし相対性理論のキモはバックバンドのシンプルかつクソ上手い演奏でもあります。というか真部のコード進行とかもかなり独特なので詳しい人にみっちり解説してほしい。 ここで今まで誰も触れなかったAKB48「ヘビーローテーション」。 そして最後、まえぴ曰く「平成に始まり、平成で終わったジャンル」こと”””青春パンク”””からガガガDXを。確かにメロコアはともかくとして、ゴイステから始まった青春パンクはもはやフォロワーもいないし、創始者の峯田和伸自身が石原さとみとキスするような俳優になってしまったという点からも、青春パンクはジャンルとして終わってしまったと言って差し支えないと思われる。実際ゴイステの曲とかは平成のノスタルジーを抱えた平成の人間じゃないと書けないというのは間違いない。ここ詳しい人に語ってほしいですね。というわけでまえぴのターン終了。
さて伊38の第三ターンです。一番書きたかったパートゆえ、少々長くなりますがご容赦を。 BUMP OF CHICKENから「グングニル」。第一・第二ターンではテレビ経由の曲を紹介した伊38ですが、それに対して(当時)絶対にテレビに出なかったバンプは、いうなれば「オルタナティブ」でした。まぁ僕がバンプを知ったのは中学の先輩だったか、おもしろフラッシュ倉庫だったか、あるいはその両方だったか覚えてませんが。 その流れでピロウズ「ハイブリッドレインボウ」。「テレビに出ない」どころか「永遠のブレイク寸前」たるピロウズは本当にオルタナティブだった。 そのオルタナティブという枠に、「ロックンロールは鳴りやまないっ」神聖かまってちゃんを。そして先日映画「恋は雨上がりのように」主題歌に採用された同バンドの曲「フロントメモリー」。 ただ映画主題歌版は、女性ボーカリストを呼び、亀田誠二がリアレンジしたもので、非常に聞きやすくなっているというか、の子自身のポップセンス・メロディセンスが非常によくわかる構成になっている。しかし「フロントメモリー」の神聖かまってちゃん本家版、それもYoutubeのPVテイクはどうかというと、ピアノが何やってるかもわからないし、高音がきついし音も悪い、非常に「聞きづらい」ものになっている。しかし”””それこそが神聖かまってちゃんだった”””というか、「そもそもポップな人間だったの子だが、売れるため・認知してもらうため・ニコ動で頭一つ出るために、敢えて尖ったことをしていた」、それはよく知られる神聖かまってちゃんの破天荒なエピソードだったり、そして音源そのものの粗さ・聞きづらさ・尖った音質であったのではないか。あるいは、ニコ動という”場”がそもそも、そういったパンクで破天荒な振る舞いを要求するような場だったのではないか、それこそがニコ動文化だったのではないか。という仮説を立てられないだろうか。ここはもっとニコ動にどっぷり浸かっていた人間にコメントをお願いしたい。 さてニコ動からボカロ文化をぼくからもほんの少々。「初音ミクの消失」。初音ミク登場当時に生まれた「機械のボーカリストが人間に勝てる部分とはどこか?」という問いに対しての安直な回答として「人間には歌唱不可能な超高速詠唱」が生まれた、その元祖の曲だと思う。これがヒトリエとかミイラズみたいな、後年の高速ラップ邦楽に逆輸入される流れになった。 もう一つ、「般若心経ポップ」から始まる一連のムーヴメントを。同曲が流行った際に、製作者がボーカル音源を配布したために「般若心経ブーム」が起こり、「般若心経ロック」やら「般若心経シューゲイザー」など、ありとあらゆるジャンルの般若心経が生まれた。この般若心経タグを巡っていろんな音楽ジャンルを知った、なんて人間もいただろうし、これに限らず「初音ミクが歌ってさえいればどんなジャンルでも聞ける」というリスナーは沢山いたと思われる。これは(にせものさんの言葉を借りれば)”””ガワの文化”””というか、初音ミク以前・以後でも「V系なら・アイドルなら・好きな声優なら、どんなジャンルの音楽でも聞ける」という、ある意味逆にボーダーレスな音楽趣味を持つ日本人の特殊な音楽観に繋げて語ることができると思われる。この辺も詳しい人たちと議論してみたいところ。 さてニコ動文化はこのくらいにしてぼくの高校時代からの邦ロック趣味変遷に戻ります。9mm parabellum bullet「The World」、あるいは「Discommunication」。バンプ狂いだった自分が衝撃を受けたテクニカル・バンド・ブーム。 そして凛として時雨。今回は「ハカイヨノユメ」。発売日にこれ買って、CDプレイヤーに入れた瞬間に吹っ飛んだ思い出の曲です。しかし、パワーコードとオクターブ奏法さえできればバンプ・エルレ・アジカンがコピーできたぼく世代に対して9mm・時雨・ホルモンが出てきたほんの数代下のバンドマンたちとは技術的に大きな隔たりがあるのが未だにコンプレックスです。 そしてこの辺をきっかけに残響レコードにハマっていく伊38。ハイスイノナサ「平熱の街」、そして「鏡面の波」。残響レコードの中でも最先端に尖っていたハイスイノナサがアニソンに接続したとき、得も言われぬ感慨にふけった思い出があります。 さて最後に、こうやってニコ動や残響レコードを経由してアンダーグラウンドに潜っていったぼくが辿り着いたのがネットレーベル文化。その中から未だ伝説的扱いをされている「HanazawaEP」より「恋愛サーキュレーション(Shoegaze arrange)」。ニコ動とはまた違う、宅録ミュージシャンの発表の場というものは刺激的でした。というわけで永遠の名曲「ヴァイオリンケースの夢を見る」を流してぼくの最終ターン終了。ケンセイオガタさんはやく公式円盤出してください。
さあ各方面氏。残業にまみれた暗黒期から抜け出したという平成晩期を振り返っていただきます。 2009年、モーモールルギャバン「Pop! 烏龍ハイ」、そして裏リストといいつつポップな、Neco眠る「猫がニャ~って、犬がワンッ!」。実際この辺からアンダーグラウンドですらポップになってくるという。同年の選外はNuito、TTNG「Animals」、サカナクション「シンシロ」、相対性理論「ハイファイ新書」など。 2010、七尾旅人「Search Boy」、神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」。 2011年、the cabs「キェルツェの螺旋」、TTNG「Adventure」。超絶技巧ギターバンド2つが並ぶすげぇ年だ。 そして震災を経た2012年からは、LOSTAGE「Blue」、そして裏は面影ラッキーホール「おかあさんといっしょう」。震災を経て日本人は何を歌ったか?、に対してこの二つはとりわけ振り切れてますね…… KANA-BOON「1,2,Step To You」。に対して裏はうみのて「もはや平和ではない」。笑っていいともさえ終わってしまった今、もはや平和ではない日本でこの曲はある種象徴のように鳴り響く。 の翌年、Wienners「Video Girl」。言わずと知れたでんぱ組のコンポーザー。の裏で生まれていたのはD'Angelo And the Vanguard「エイント・ザット・イージー」。 2015年。ceroより「Summer Soul」一切の音すべてが必然のもとに鳴らされた 大傑作Obscure Ride。 に対してChon「Splash」。これまた妥協の一切ないサウンド。好対照な年。 MUSIC FROM THE MARS「Seaside, Seaside」。そしてこの辺から裏リストというより同率一位という感じになってくる。この年の裏選曲はOdol「逃げてしまおう」。 2017年、ものんくる「ここにしかないって言って」。 この辺りで各方面氏は菊池成孔のラジオを聞き始め、その影響で裏選曲としてジャズドミュニスターズ「革命」。 2018年。tricot「potage」。しばらく見てないうちに一皮どころか二皮くらい剥けたトリコ。ドラマーの交代らへんから音楽性が更なる深化を見せ、世界ツアーで得た経験値を完璧に開花させた名曲。そして裏選曲にCRCK/LCKS「No Goodbye」。ポップスといいつつ非常に複雑で難易度の高い音源をリリースする注目の音楽集団。を流して最終ターン終了。 そして番外編として「 BEAMS 40周年記念プロジェクト『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』MV」。平成を振り返る回、これさえ流せばよかったんじゃねえの?
というわけにいかないということで、大トリのかっしー。 宇多田ヒカルの再登場、キングダムハーツより「光」。平成において宇多田ヒカルは説明不要ながら何度でも取り上げたい。 AKB48「ポニーテールとシュシュ」。彼はハマった世代。そりゃそうか。 BUMP OF CHICKENから「ゼロ」。FF零式の主題歌。同じバンプでも入り口が全然違う……。 そして放課後ティータイムから「U&I」。曰くこれがなかったら彼は軽音サークルに入ってなかったという。実際当時は相当勢いがあったし、サークルでのコピバンも沢山あった。けいおんが与えた影響はやはり計り知れないと思う、もっと詳しく掘り下げてもよかったかもしれない。 UNIZON SQUARE GARDEN「流星のスコール」。ぼくがユニゾンの1stを聞いたときには「これで下北系の音楽は終わったな」と思ったのだけど、ユニゾンは以後どんどん音楽性の進化を深め、アニソンとも接続してファン層広げつつ、しかし核の「ユニゾンぽさ」を消して失わず、器用なだけのバンドとは違って非常に強度のあるバンドとして邁進していったなという印象。 Champagne「Starrrrrrrr」。ドロスでなくシャンペインが好きとのこと。しかしこの辺の音楽をバンド音楽ネイティブとして聞いてきた年齢層ズルいなぁ。 アジカン「ソラニン」。彼が軽音サークルに入って初めて演奏した曲だからとの選曲。アジカン何曲か上がったけど全然被らないな…… KANA-BOON「さくらのうた」。これきっかけにギターを猛練習するようになったとのこと。ちなみにKANA-BOONはこの曲がウケたのをきっかけに4つ打ちをやり始めて音楽性が変わっていったというが、この曲自体はそこまで4つ打ちを全面に押し出してるわけではないという。 Base Ball Bear「Perfect Blue」こちらも自身が組んだコピバンから。ベボベも取り上げる時期によって全然違うけど、こちらは非常にポップな時代。 そしてthe cabs「anschluss」。ぼくからはなんも言うことはありません。KEYTALKは殺す。 最後はtricot。Potageをかけるつもりだったが挙げられてしまったので「Wabi-Sabi」を。しかしどうやってバンドで合わせられるんだtricot。しかし、懐古的・郷愁的になりそうだった「平成を振り返る」というコンセプトの中で、最後にtricotやCRCK/LCKSといった「最新を更新し続けるバンド」の名前が挙がったのは、非常に前向きな最後でよろしかったのではないでしょうか。
というわけで以上、録音を聞きながらざっと書いてみました。ぼくのパートだけ長くなってしまったのは本当に申し訳ないですが、いずれにせよここまで読んでいていただき、長々とありがとうございました。 「あ��曲がない、やり直し」などは今後の開催の際の参考にさせていただきたいのでお気軽にコメントを残してもらえればと思います。次回は9月頭に身内で、また何もかも未定ですが都内でも似たようなことをやれたらと思うので、直談判殴り込みの際はぼくのTwitter垢へリプかDMを。お待ちしております。
というわけで今回の駄弁りの録音です。平成のノスタルジアに浸りたい暇で暇で仕方ない方は適当に聞いてみてくださいまし。 https://www.dropbox.com/sh/rtbrnot2r26eyqx/AADxdHGXuJmtUx8TgYqYQ7x6a?dl=0
10 notes · View notes