Tumgik
#自宅療養中
masaharudayo · 2 years
Photo
Tumblr media
#自宅療養中 #何もする事も無い #おやすみなさい #たけうちーむ⁡ ⁡眠剤飲んでヾ(*´・ω・`*)おやすみなさぁ~ぃ (Otawara, Tochigi) https://www.instagram.com/p/ClihTEFuoM7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
castatratewriter520 · 7 months
Text
巫術儀式
非洲剛果是一個少數還有使用巫術的地方,我的奶奶就是其中一位非常有名的巫師,現在依然有很多的人,在現代醫療無法治療他們的時候,就會來尋求奶奶的幫助,也因為使用太多巫術的關係,有時候會有一些副作用的反噬,記得有一次,奶奶替一位非常有錢的人施展巫術之後,雖然富人的癌症被治好了,但是奶奶的眼睛也突然看不見了,雖然富人也支付了一筆非常龐大的巨款,這筆錢讓我們在這買了一棟有個非常大的泳池的豪宅,這棟建築物的規模,大到還有人慕名而來參觀,我從小就過著錦衣玉食的生活,這都是多虧了奶奶的強大巫術,自從我滿16歲之後,我開始協助奶奶處理她的工作,巫術的祭品可以說是琳瑯滿目,所有的材料都必要由奶奶當下的感應,才能開始去準備,所以每次需要什麼樣的祭品,我們每次都不會知道,最常使用的材料,就是對方的祖先墳土、指甲、頭髮,或者是血液等,這些幾乎都是必備的東西,接著奶奶會透過與神靈的對話,了解這次需要的祭品有哪些,鱷魚、河馬、大象、猴子、羊等等的也都會有,但是在我們家,有時候還會出現一個非常難取得的祭品,那就是男人的生殖器官,畢竟不會有人自願割下來當祭品吧,為了讓我們的巫師家族得以順利運行,我與幾位好朋友組成了一個團隊,我們會透過我們的資源,獵取這些很難取得的祭品,我們都要花很多的錢,去各個門路安插自己人,我們的團隊現在的規模,不論是旅行社、警方、政客、飯店,甚至是計程車司機,我們都有自己的人,我們可以說是企業化經營。
這次奶奶通知我說,她這次要幫一位全球前百大的富豪施展巫術,事成可以得到三千萬美金,但是奶奶透過了感應得知,這次需要兩副男人的生殖器官,通常一位就已經需要花很多精力了,結果這次居然需要兩副,這讓我跟團隊的夥伴開始商量對策,我們決定派出我跟我的好朋友潔西卡,一起出去尋找來旅遊的觀光客,我先是聯繫了旅行社的朋友,請他幫忙先物色好獵物,透過他給我們的資料,這次會有一團來自德國的旅行團,到時候會安排住在我們的飯店,我這邊接收到他傳給我們的照片,這兩名男子是此次旅行中,單獨來旅遊的人,看到兩人的照片,我跟潔西卡物色了一下這兩個人,好挑選自己想要狩獵哪一位,這兩個人一個是26歲的傑羅,另一個是24歲的史丹利,兩個人都是足球隊隊員,身材非常壯碩,身高都超過186公分以上,傑羅目前剛和前女友分手,而史丹利目前還是單身,透過了基本的了解之後,我選擇了傑羅,潔西卡則負責史丹利的部分,我們在飯店觀察周圍的環境,我跟潔西卡則穿著非常性感,坐在飯店的大廳,打算見機行事,很快的,他們的旅行團抵達了飯店,所有人提著大大小小的行李進入了大廳,或許是男人狩獵的本能,史丹利發現了坐在大廳的我們,潔西卡對著史丹利打招呼,史丹利有點害羞的表情,看來潔西卡這次是勝券在握了,我瞧著我的獵物傑羅,他則是拿著他的手機,一直傳著訊息,看起來有點不開心,此時,飯店的經理告知,晚上飯店在空中酒吧會舉行party,到時候請各位務必前往參加,眼看所有人一一被帶往各自的房間,我與潔西卡也回去穿著晚禮服,將自己打扮的非常漂亮,晚上活動開始後,我們在吧台喝著調酒,等待著兩個獵物出現,果然他們同時出現了,傑羅下巴留著一點鬍渣,五官非常深邃,有著一頭金髮還有漂亮的綠眼睛,我瞧他單獨的坐在那邊喝著酒,我主動的靠近他,邀請傑羅跟我喝一杯,傑羅沒有拒絕,我坐到了他旁邊,我用了這幾年來學會的攀談技巧,很快我們交談的很開心,或許是在酒精的催化下,他主動的吻了我,我的手觸摸著他的胸膛,可以感覺到他平時很認真的鍛鍊身體,我邀請他一起去我事前準備好的房間,他也沒有懷疑的跟著我一起走去,離開前,我看潔西卡也跟史丹利聊的很愉快,我們眼神示意了一下之後,傑羅與我先回到了房間。
我要傑羅先去洗澡,而我此時則是開始準備迷藥跟酒,在開始之前,我喜歡跟到手的獵物來一場性愛,對我來說,既然以後他再也無法做愛了,至少我的工作就是讓他稍微可以在最後一次的性愛中,感受到溫暖,傑羅走出了浴室,全身上下只包了一條浴巾,看他厚實的胸膛和那粗壯的手臂,尤其是明顯的八塊腹肌,剛好很適合成為我的獵物,傑羅的胸毛很多一直延伸到了下腹,我此時也只穿了性感內衣,此時的傑羅再也忍不住了,他脫掉了他唯一的那條浴巾,印入眼簾的是一根粗大的陰莖還有兩顆很沉的睪丸,還沒勃起有16公分,勃起之後簡直快跟我手臂一樣粗了,長度有23公分多,他將我撲倒在床上,我們激情的熱吻起來,他的陰莖則是一直磨蹭我的身體,他脫了我的內衣跟內褲,粗壯的手臂讓我感到無比的興奮,傑羅的舌頭很靈活,感覺平時應該很常訓練自己的舌頭,光是舌頭的技術,我就已經爽到發出聲音,接著輪到我的口技,我光是含著他一半的陰莖就已經很不舒服,他的陰莖竟然還有一半在外面,但是這是難不到我的,透過我這鍛鍊的技巧,傑羅的陰莖硬到不能再硬,他讓我躺在床上,雙腿打開,他那巨大的陰莖開始在我的穴周圍滑動,我的穴早已濕潤,他的龜頭開始慢慢撐開我的穴,雖然他不是我做過最大的陰莖,但是也有前三名了,隨著陰莖的深入,我的陰道開始被狠狠的撐開,我被他頂的非常滿足,我覺得我好像被他頂到胃了,傑羅真的很持久,撐了半小時,看著傑羅越來越劇烈的撞擊,我也被他插的很爽,我們換了好多的姿勢,我呻吟的要他射進去,此時傑羅的睪丸收縮了,他的溫熱的精液射入了我的體內,拔出來的時候我看他還很硬,於是我又用力的吸允了起來,他刺激到一直呻吟,但是我沒打算放開,在一陣刺激下,他又射了很多,他的精液在我的胸部上流著,我跟他說我們先去洗澡,他跟我在浴室洗澡的時候,傑羅一邊淋浴一邊幫我清洗身體,我也拿著肥皂在他的胸膛輕輕搓洗,接著我又幫他把他的陰莖清洗乾淨,畢竟等等要把它整個割下來,不想要摸沒洗乾淨的生殖器官,傑羅希望明天還能再見到我,我也只是開心的笑笑,洗完澡之後,我帶著他來到我事前準備的位置坐下,遞給他早已添加了迷藥的紅酒,他很快的喝了一大口,完全沒有懷疑一下,結果不到一分鐘的時間,他就陷入昏死狀態,這個迷藥是特製的迷藥,就算他被割了陰莖,他一樣醒不過來,我看傑羅已經昏睡了,我把他拖進了浴室,拖行的過程中,他的浴巾掉了,我看著躺在浴室的傑羅,只有想趕快完成自己的任務,我推開了他的雙腿,看著他的陰莖還有睪丸垂在那邊,我也只是覺得他的陰莖可以讓我賺進3000萬美金,絲毫沒有任何憐憫的感覺,我拿出了我特制的刀,這把刀可以讓我非常輕鬆的就切除男人的生殖器官,不論有多粗大,都可以一刀解決,幸好他有修毛的習慣,我不用先處理他的毛,就可以輕鬆對準他的陰莖根部,我先握住了他的陰莖,刀��對準了他的根部,我的習慣是割深一點,因為奶奶說,生殖器官越長越有效,所以我通常狩獵時,都會割深一點,握在我手掌心的陰莖,我還能感受到它的跳動,就像是雛鳥一樣,我拿著刀用力的割了下去,此時鮮血立刻噴出,16公分長的陰莖,就這樣被我完整的割下,而且還是剛剛插人我陰道的那根,我沒有先止血,我先將陰莖放到一旁的地上,接著抓住他的陰囊往外拉一點,一刀就割斷了他的兩顆蛋蛋,我將傑羅割下來的睪丸從陰囊裡面取出,並且將白膜去除,兩顆白皙的睪丸真的很肥美,接著將他的兩顆睪丸還有陰莖用清水洗乾淨,我將他的陰莖跟睪丸放到密封保鮮袋裡,心想這一包就價值1500萬美金,只能說太值得了,我將它裝入了小型手提冰箱內,眼看原本有著大陽具的傑羅,現在也只剩下一個流血傷口,我決定救他一命,我開門讓早已在房間外等候的人進來,他是我們組織裡面的私人醫生,我們狩獵的對象如果要請他幫忙處理,他都可以在短時間之內止住血,並救回對方的性命,就在我整理好後,醫生也已經替傑羅處理好傷口,至少不會有性命之憂,我看著依然躺在浴室的他,我也只是輕鬆的對著他說,對不起囉,你的生殖器官被我們接收了,我們組織頭也不回的離開了房間,只剩下一個被閹割的傑羅。
我們來到了潔西卡的房門外,此時的潔西卡也已經完成了,潔西卡開門讓我們進去,但是史丹利卻沒有那麼幸運,潔西卡在狩獵時,喜歡連體內的肉莖都挖出來,我們看到史丹利的時候,他傷口一直延伸到很裡面,他已經因為失血過多而死亡,一個可愛的德國男人就這樣失血死在了這裡,潔西卡笑著說,史丹利的陰莖勃起有21公分長,而且這還是他的第一次,結果他沒忍住,就把精液射在我的體內,結果他還很可愛的說,他願意為我負責,但是我早已吃了避孕藥,根本就不會懷孕,他真的很可愛,就連迷藥酒都很快的喝完,潔西卡覺得她這次的獵物,一定可以贏過我,史丹利的陰莖很長,再加上體內的部份都挖出來了,這長度至少有20幾公分,我跟潔西卡說,你每次都導致獵物死亡,這樣處理起來是容易一點,但是祭品主人死亡,會導致巫術效果降低,下次別再這樣了。隔天,當地新聞就開始報導這新聞,但是不論是警方或是政客都有我們的人,相關報導很快就被撤下,我們也順利將兩副男人的生殖器官交到奶奶的手上,使用過的生殖器官就不能再次當祭品使用,當作祭品的生殖器官會被奶奶燒掉,所以每次都要去找新的獵物,如果需要的那個月是旅遊淡季,我們組織偶爾也會找尋落單的人下手,或者是想跟我們作對的警方人員,久而久之,警方幾乎成為我們的人,畢竟我們組織暗藏在各個領域,誰也不知道誰能相信,除了傑羅被送往醫院急救外,史丹利的屍體則是被我們帶去沼澤地餵養鱷魚了,透過朋友那邊的消息,由於失血過多傑羅至少昏迷了三天,傑羅在清醒之後,從原本的驚恐到後面情緒的平復,就至少花了兩天的時間,傑羅後來被送回德國進行更好的醫療照顧,只是他以後也不再是男人了,只能定期注射荷爾蒙,恐怕他應該恨我入骨了吧,但他永遠也查不到我是誰,因為當初不論是訂房、手機、姓名全都是假的,連監視器都沒有任何畫面,他的人生恐怕只會在仇恨中渡過了吧,我透過網路找到了傑羅的部落格,看他已經慢慢回到正軌,雖然他再也無法回到足球隊,但是看他現在在健身領域有了新的成就,看來他已經適應了新的自己。
過了一個月後,富人準時繳交了3000萬美元的現金,他的疾病也得到了解決,透過他的轉介紹,我的奶奶有越來越多生意上門,為了讓這個產業繼續發展下去,我們這幾年找尋了全國有潛力的小孩,而奶奶從中找到了自己的接班人,他的能力不比奶奶遜色,只要多加鍛鍊,未來一定會是一名出色的巫師,而我在我26歲時,遇見了一個來自俄羅斯的男人安德烈,當年他才28歲,他原本是我要狩獵的對象,在幾天相處的時間中,他不僅沒有像以前遇過的那些男人一樣肉慾,他還非常的珍惜跟我相處的時間,在任務要完成的那天,正當我握住他那17公分的陰莖準備下刀的時候,我腦海裡一直浮現這幾天他跟我的點點滴滴,我發覺我自己下不了手,我又把他拖回他的床上,隔天醒來他還說他不小心喝醉了,他不僅讓我打開了心扉接納了他,我跟他最後也結了婚,並生了三個孩子,或許是我也擁有巫師的血脈緣故,老三居然也可以跟神靈對話,奶奶說他是被神靈選上的人,以後也要替神靈服務才行,或許這也是命中註定的安排,假如當天把安德烈割了,這樣老三就不會出生了,這一切或許早已安排,這件事我並沒有告訴安德烈,畢竟被他知道太多反而是一種麻煩,安德烈他不知道我是獵屌集團的首腦,他只知道我們家族很有錢很有勢力,後來我將集團拓展到了海外分部,我的老公是一名俄羅斯人,而俄羅斯也成了獵屌集團海外第一個分據點,未來還要讓老三成為新一代的巫師。
20 notes · View notes
moment-japan · 11 months
Text
Tumblr media
こんばんわ、ずんだもんです。
ずんだもん、働きすぎが祟って到頭、日曜日にインフルエンザにかかりまして、自宅療養中でございます。
(ずんだもんってなんやねん。笑)
体温計で39度を超えた表示を見たのは生まれて初めてでございました。
(よくその状況で車に乗って病院行けたな)
死ぬより大変でございました。
(なんかわかる)
途中、三途の川で向こう岸から漆黒のめたんが、こっちに来るなと手を振っていたのでなんとか川を渡らずに命は助かりました。
(漆黒のめたんってなんやねん、まじで。笑)
今はすっかり熱は下がりましたので、お粥とか、アジの塩焼きとか、くるみぱんとかナポリタンとか作って食べて寛いでおります。
(食欲は相変わらず凄いな)
ずんだもん、来週は仕事頑張ります。
(ずんだもん・・)
43 notes · View notes
kennak · 1 month
Quote
「鹿児島県警は芯から腐り切っている」  誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。  だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。  福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。  「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」  中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。  〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊)  関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。  〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉  そして記事はこう続く。  〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉  どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺は���う睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。  鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及  1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日��ったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。  「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」  そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。  また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。  そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。  当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。  ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。  惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索  その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。  言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。  「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」  その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。  「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」  だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。  ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。  だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発  鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。  話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。  あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。  消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。  ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。  小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。  だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え  『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。  ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。  県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。  ���て、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。  さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。  〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分  極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。  一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。  だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。  前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。  ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。  ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ  話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。  〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ)  問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。  つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北  再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。  「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」  一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。  「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」  いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。  本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。  だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
5 notes · View notes
mlyzvt-no2157 · 4 months
Text
ヤクルトY1000の威力
少し前の大腸内視鏡検査で、潰瘍性大腸炎を患っている事が分かり、あちこちに炎症やポリープ、潰瘍が出ており、3か月間の休職を言い渡され、現在自宅で療養中なのですが、腸内環境を少しでも整えようと試した「ヤクルトY1000」の威力が半端ないです!
私は子供の頃から大人になって、中年になった今でも肺疾患に悩まされていたものの、有難い事に、胃腸が物凄く丈夫な体質だったので、健康食品には疎く、機能性表示食品や健康食品の効果については懐疑的で、「サプリや健康食品を飲むぐらいなら、病院で処方された薬を飲んだ方が合理的」という考えの持ち主なのですが、今月1日に腰椎椎間板ヘルニア摘出手術で入院していた夫から、「ヤクルトY1000は弱った腸に効く」と言われ(夫も抗生物質点滴でお腹を壊し、隣のベッドの男性に勧められたヤクルトY1000を飲んでいたら、下痢や腹痛が治まったとのことである)、モノは試しと思い、ヤクルトY1000の6本入りパックを買って、飲み始めてみました。6日間で何も変わらなかったら、1本あたりの値段も結構な価格なので、辞めようと思いながら、試してみました💪
話は変わりますが、このヤクルトY1000、「腸内環境の改善」だけでなく、「ヤクルトY1000を飲むと悪夢を見るようになる」という胡散臭い都市伝説があるそうですが、私は前者ではなく、後者の効果が明確に現れました。
1日目、2日目は何も無かったのですが、3日目になると、核戦争が起こった夢を見ました。核戦争と聞いたら恐ろしい悪夢を想像されるかもしれませんが、私が見た夢なので(基本、夢を見ない人間ですが、ごく稀に夢を見ても「変なお面を付けたターザンに追いかけられた」、「10万円で乗馬用に調教し直さないといけないサラブレッドを買ってきて、夫に怒られた」、「野良ダチョウの雛を拾ってきて、庭で飼っていたらご近所さんから苦情が来た」、「ラクダに乗りながら出社したら、周囲にギャラリーが出来ていた」など、私の願望が半分入り混じったコミカルな夢ばかり)、シリアスさは一切なく、任天堂が誇るゲームの「スーパーマリオブラザーズ」に出てくる『キラー』という胴が短く顔がある小さなミサイルが夢の中では核ミサイルという設定で、核ミサイルが何発も私に向かって、打ち込まれ来るのですが、間抜けな顔をした核ミサイルの速度は10km/時くらいのトロさで、余裕でよけられる上に、何処かに落ちても爆発も何もしない(後で地雷代わりになるってコトもない)ので、夫曰く、「悪夢じゃなくて、マリオの世界観を体感できた面白い夢」だと言われてしまいました🤣私自身、腐っても元戦場記者で本物の戦争や最前線を見てきた人間なので、あの夢が戦争だとは思えませんでした。そして、4日目も夢を見ました。4日目の夢は、私の願望以外の何でもない夢で、モルディブに行くために、何故か、台北市のカプセルホテルに泊まっていたら、隣室が、一番の推し歌舞伎俳優の中村勘九郎さんで、勘九郎さんも一人旅で、目的地は私と一緒のモルディブで、予約している水上コテージのホテルまで一緒で、一緒にスキューバダイビングを楽しんだという願望以外の何でもない夢でした。5日目は、私が大好きな1969年と1972年に放送された昭和ムーミン2作の復刻版DVD(全話収録)が発売される夢でした。6日目は、聖闘士星矢の人気CPランキングでミロ氷が見事一位に輝くという夢でした💖
ヤクルトY1000は、3日目の核戦争(といっても、コミカルで間抜けでしたが)は別として、悪夢ではなく、私にとっては、願望が夢で叶うという効果がてき面に出てくれた&もともと夢を見なかったのが夢を見るようになったのは何らかの効果が身体に起きている事への淡い期待が湧きます。
また、潰瘍性大腸炎痛を発症してからは、痛み止めが切れている間は、内臓を雑巾絞りされているような痛みと苦しみで悶絶しているので、せめて眠っている間ぐらいは、ヤクルトY1000で素敵な夢を見ながら幸せな気持ちを堪能したいと思ったので、もう少しヤクルトY1000を続けてみようと思います😊そして、肝心の腸にも効いてくれますように...
4 notes · View notes
nyantria · 3 months
Text
「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物である���チル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
サンプル6はこちら
「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
3 notes · View notes
hiroshi-shimizu · 2 months
Text
2024 7/15 FBより 唐突ですが今年前半に自分に起きたことを報告しておきます。
1~2月 右目が見えづらい、、違和感覚える 健康診断の眼底眼圧など検査では異常なし。
3月に 右目がかなり見えなくなっていることを自覚 近所の眼科に行くが目に異常は見つからず、神経の問題かも知れないということで大学病院を紹介される。
検査をしたら脳に腺腫が見つかりそれが下から視神経を圧迫していることによる視覚障害ということがわかる。
医師曰く悪性腫瘍ではないが取らないとジワジワと失明していきます、破裂して出血すると死ぬ場合もあります、、とのことで手術を勧められる。開頭手術ではなく鼻からアプローチする術式があるということと先生が7月まで予定が埋まっていたがたまたまキャンセルが出たので5月末にできるということで即日手術を決める。4〜5月にかけて何度かのCT.MRI、血液、耳鼻科の検査を経て5/27に入院 5/29に手術を受けました。手術は事前に聞かされた予定時間の倍(8時間半)かかり出血が多かったのでICUに2日間世話になりましたがその後普通病棟で過ごし6/12に退院しました。
自宅療養期間を経て今は1人で出歩けるまで回復しています。
術後からずっと鼻に綿球を詰めた状態で過ごさなければならず 口呼吸生活が地味に大変でしたが先日ようやく外す許可も出ました。
脳内には手術で出血した血が残っていて吸収されていくのにはまだ何ヶ月かかかるそうです。その過程で少し視力が戻る可能性もあるとのことでそれに期待しつつ、、、
現在は右目の真ん中と左の外上側の視野角を失った状態(右は青色が発光して見える現象、左目はドット状のチカチカが頻繁に現れる現象付き)での生活です。嗅覚もまだ戻っていません。
まぁ機能を失ったというより新しい感覚を得たという感じで 引き続き人生をやっていきたいと思っています。
なにしろ片目だとテキストを打つのも億劫で、、今日ようやく これを書く気力を持てました。
年内は リハビリ期間(死ぬまでリハビリ?)と捉えていますが週末 19日〜21日茅野パフォーマンスフェス 28日のワールドリスニングデーイベント神保町試聴室
とぼちぼちと動き出します。
酒、煙草はまだ控えていますが 基本サンデー毎日なので何か面白いことあればお誘いください。楽しみましょう。
家族と身近な関係者各位、事情を知り心配してくれた方、 元気をくれた方々サポートありがとうございました。
2 notes · View notes
myonbl · 2 months
Text
2024年7月29日(月)
Tumblr media
遺伝的資質による高血圧症のため、内科を受診して降圧剤を処方していただいている。主治医の担当日(月曜昼診)と授業が重なるため、4ヶ月ぶりの受診となった。先月から診療報酬が改定となり、加えて「生活習慣病療養計画書」なるものを策定するとのこと。詳しくはわからないが、受診後の会計がいつもより高額であったことは事実だ。やれやれ、高齢者にとって生きづらい国となったことを思い知らされたことだ。
Tumblr media
3時起床。
日誌書く。
あれやこれや。
5時15分、シャワー、体重は100g増。
朝のルーティン。
Tumblr media
今日は午後に受診なので、お蕎麦は控える。
珈琲を頂き、洗濯物を干す。
洗濯2回目。
ツレアイ(訪問看護師)は8時30分自転車で出発、午前中に2件。
洗濯物を干す。
酢タマネギ仕込む。
キュウリのしょうゆ漬け仕込む。
地鶏をヨーグルトに漬ける。
昼前に帰宅したツレアイと3男に、ざる蕎麦を用意する。
<京都南病院>の予約は13時30分、10分前に受付する。
25分待って診察室へ。3ヶ月分の血圧の平均値を報告朝が135/81、夜が114/68)。相変わらず受診時の血圧は高いが、体重は前回(4/1)より3.3kg減。
Tumblr media
受診後、ナースが「生活習慣病療養計画書」を提示、サインして会計時にいただく。次回の予約は、9/9(月)13時30分。
会計を待っている間に<秋山恵蔵動物クリニック>から着信、明日の夕方にココの受診を予約しているが、多忙になりそうとのことで点滴の補充だけすることにする。
帰宅後、昨日の素麺の残りで虫養い。
Tumblr media
コレモ七条店で買物、トマト・レタス・揚げ物。
ツレアイは午後から月一の<テディベアづくり>、M姉とO姉にも協力をいただく。
17時30分、終了との連絡を受けて夕飯準備開始。彼女は帰宅してすぐにココに点滴。
Tumblr media
息子たちには頂き物のヱビスビール、私たちは昨日W姉からいただいた能登応援日本酒セットから、羽咋市の「遊穂」をいただく。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第8話「盗まれたロイヤル・ルビー」/ The Theft of the Royal Ruby ポワロはクリスマスをのんびり過ごす予定だったが、男達に拉致されるように外務省の次官の前に連れて行かれる。エジプトの王子が持ち去られた古代王朝から伝わる高価なルビーを取り戻すようにとの依頼だった。イギリスの国益に関わる重大事件だというが…。
第9話「戦勝舞踏会事件」/ The Affair at the Victory Ball 戦勝記念日の仮装舞踏会で、ポワロは道化芝居の一座に扮したクロンショー卿の一行に注意をひかれた。ポワロは卿と恋人の女優ココの口論を目撃。その後、ココはデビッドソンと帰ってしまう。そして、午前零時、人々の歓声が響く中で卿の死体が発見された。
第9話のスタートと同時に、私は布団に吸い込まれる。
Tumblr media
歩数は届かないが、3つのリングは完成。
4 notes · View notes
natun-ika · 3 months
Text
やることは尽きないけれど
終わった…何もかも…
長きに渡る介護生活が終わりました。母親が5年前に膝を骨折(2か月ぐらい歩けなかったけど復活したのでちょっとした補佐)、4年前に腕の骨折(右腕だったので身体介護本格化)、2年前には腰椎圧迫骨折で介護生活本番突入しCOVID-19の影響もあって夜の外出など高嶺の花になってしまってました。それでも3か月に一回ぐらいは出かけたけどほぼ飲まずに一次会で帰る、泊りがけの温泉旅行などもってのほか、日中と言えども出かける前は「行っちゃうの…早く帰ってきてね…」と縋るオンナ(母親)に縛られてたワタシ。
たまにやむを得ない用事で家を空ける時は友達に頼んで見に行ってもらう手はずを整えました。こういうときは友達よね。そりゃネットの友達も好きだけどこの場合リアルで近くに住んでる友達しか頼れないよねと再認識しましたね。
そんな今年4月末のある日、母が黄色い。
かわいいヒヨコ色じゃなくて黄疸で黄色い。病院へ連れてったら膵臓に腫瘍がありますと。腫瘍が胆管をふさいでて全身が黄色くなりましたと。膵臓の腫瘍は置いといて今回は胆管を通しましょう、と素早く手術してくれたドクターありがとうございました。内視鏡での胆管ドレナージ、これ昔ならこのまま終わりだったなあと思いました。現代医学って素晴らしい。
とはいえ膵臓ですから。すい臓がんっつったらあっちゅうまで有名ですから「こりゃ2,3か月か!」と介護生活の終わりが見えた瞬間でした。母親ですからずっと生きててほしいけど今の介護生活がいつまで続くのかと自分も多少疲れてきた時期ですからがんの発覚は厳しいながらもゴールが見えた、そんな宣告でした。この後はこれは神様がくれたオマケだ。今まで介護しながら一緒に生活してきたから思い残すことはないと言いたいがさすがに今今これでお別れだったら急すぎて悔いが残った。これからの2,3か月は心の準備をしながら、お別れの準備をする神様がくれた時間だ。そう思いました。
さあこれからどうする。お母さんどうしたい?
母は元ナースということもあって病気には冷静に対処できる人間。「膵臓に腫瘍が」と口にしただけで「あー、はい」という感じで受け止め、そのくせ「家で死にたあい」と甘えたように言うのでありました。
一言で「家で死ぬ」ったってねアナタ。
周りが大変なのよアナタ。私ひとりじゃ無理よ。妹に確認する。「うん、それが望みならかなえてあげたい」との返事を受けてんじゃやるかと。私も介護福祉士でありケアマネージャーであるからにはプロとして娘としてプロの娘としてできる限りやりましょう。もしかしたら今まで数々の方を看取ってきたのはこの日のためだったのかも。集大成として挑みましょう。って言うほど決意はそう重くなかった。何とかなるだろ、くらいでしたね。だてに20年から介護福祉の仕事してませんよ、いけるでしょ、ぐらいでした。実際そうなりました。
胆管ドレナージの後は1週間であっさり退院して帰宅、家に戻ったからには準備が必要です。たまたま母が長年かかってた病院が在宅診療をやっていました。手術してくれた医師の診療情報提供書を持って伺います。私が元勤務してた病院でもありますからいつものように訪れます。
ワタシ:ちわー、母が家で死にたい言ってます。膵臓癌です。これお手紙です。
病院の返答:在宅診療は可能です。今の状態は?
ワタシ:今は元気です。痛みも無いし自分で身の回りのことはできます、食事も摂れています。
病院:ではタイミングは娘さんに任せます。様子を教えてください。
というわけで5月中は今までと同じような生活、むしろ食欲もわいて元気なイメージでしたが下旬になると息切れや倦怠感の強さが目立つ。入浴は何年も私が介助していたけど動きが悪くなってきたので6月1日を最後に訪問入浴に切り替えました。
そのタイミングで医師に相談。訪問看護は以前からリハビリ目的で利用していたのでそのまま移行し6月半ばには在がん開始となりました。
※在がんとは、 居宅で療養している末期の悪性腫瘍患者に,在宅療養支援診療所(在支診),在宅療養支援病院(在支病)が計画的な医学管理の下に総合的な医療を提供するもの。介護保険から外れて医療保険の範疇になり、訪問診療・訪問看護が包括的に行われます。費用も上限が決められますが人によりますのでケアマネさんに相談してください。
※家で死んだ場合、突発的な場合はパトカー・救急車から消防車から総動員で家の前に停まって近所の話題になったり取り調べで遺族なのに嫌な思いをしたりすることもありますがこうして事前に準備を整えておくと警察沙汰にはなりません。←ここ一番大事
どんな場合も介護の在り方について希望を叶えるためには、ケアマネに正直に遠慮なく、「こうしたい」という希望を伝えるのが大切です。そしたら希望を叶えるべく動きます。今回は母のケアマネジメントも私がしているので手順が省けました。ダイレクトに関係機関に伝えることができて良かった。
早め早めの対応で、本人が不安なく過ごせて終えるように整えることができて私も本望です。
妹も身体介護がとても上手になりました。ヘルパーさんできるよ!とけしかけていますが「他人には無理」と言います。
私は他人で経験を積んでの母親だったから恵まれてたかも。冷静に対応できたと思います。不安にならないように冷静に。穏やかに。「大丈夫だよ」っていつも安心させて手を握って。
でも時々、油断すると5歳の私が頭をもたげる。顔がゆがむ。
おかあさん。しなないでおかあさん。そんな泣き顔を見せるわけにはいかないけどでもおかあさん、しんじゃいやだとさけぶ私もいる。
何とか押し込めて穏やかに笑顔を見せて。その繰り返しでした。
で、看取りが終わって骨になって、訪ねてくれる人のお相手をして手続きもこれからでまだ忙しいですがまずは終わりました。やりきったので悔いも悲しみもないんですよ。清々しいほど無いんです。ただ、あの人がいらしてくださいましたよ、お電話頂きましたよ、と報告したい母がそこにいないので行き場がないですね。
母が嫌いだった人の悪口も一緒に言えませんしね。「いやいやお母さん!〇〇さん来ちゃったよ!」って教えてあげたいw
これからは解放感と自由を満喫して、そのうち襲ってくる寂しさも受け止めてまだまだ働いて生きていきますよ。
俺、すべて終わったら八戸に行くんだ・・・・フェリー座礁してたな・・・
3 notes · View notes
manganjiiji · 4 months
Text
けれんみの日常
英語の日記などもtumblrではよく流れてくるのでなんとなく読むが、私は英語で日記を書こうとは思わない。それは私の技術が未熟で、まだ英語のリズムやメロディを自分の好きなように操ることができず、楽しくないからである。そのくらいには日本語のリズムとメロディ、そして見た目が好きである。英語でもそれらを好きと思えたら、書けると思うのだが。見た目は結構好きである。とくにアルファベットの小文字。リズムがどうしても全然まだ魅力的に思えない。そう言いながら英詞のジャズを歌っているのだが、音楽は音楽に言葉が乗っているから、言葉自体のリズムは死んでいて、そこはもう関係がなくなっている。音楽にのる英語は、ただ母音が伸びるとか、同じ音で韻を踏むとか、そのへんは日本語と変わらない。そうではなくて、読み言葉としての英語のリズムにまだ魅力を覚えない。英語の詩にふれてみたらどうか、と思ったこともあったが、根本的に「かっこよすぎる」と思ってしまう。シャラシャラしている(子音が多いということだと思う)。私はもっとべちゃっとした土っぽいのが好きなので、結局日本語を使うということになってしまう。英語以外の様々な言語のどこかには好きな言語もあると思うのだが、英語を学ぶキャパシティしか今のところない、というか、英文法がおもしろくて好きなのである。これは日本語にはない感覚。日本語の文法なんか全然おもしろくない。文法と呼べる文法なんかないのではと思えてしまうが、これは母語だからだろう。英語の文法はなんてシステマチックで、構造的に美しいのだろうと感じる。その美しさの中にも土着の歴史の古臭さや面倒くささがあり、そこがまたロマンだ。詩的言語としては私は英語を好まないが、批評や論じる際の言語としては、限りなく知性を感じて好きかもしれない。日本語は批評や論文でも、ある程度詩的でないと読む気がしないので、これは大きな違いだ。言語が違うだけで自分の好みも変わってくる。それとも私は文学ではない英語の文章にこそ(そしてできるだけ文法が複雑な)詩を見出しているのだろうか。なににしろ私の体は詩情でしか動かないようになっている。
短歌も詩も書きたい、書いてみたい、小説も書きたい、という気持ちはあるが、書くための好奇心がいま批評の文の方に向いている。私は文学の方向に向かう時はある程度その位相に没入しないと書けないので、そのモードに入るのに苦労するが、批評系の文章であれば日常のモードのまま書けるので楽である。書けると言っているが、別にこれもまだ書いていない。書くためのネタを毎日必死に考えているという感じです。宇野常寛さんの講座に入ってから、とにかく毎日頭の中がドライヴしていて、こんなこともあんなことも結びつくかも、いや、これはこうか?など、楽しく考えている。今日は気圧の低下と疲労により1日寝てしまったし、三宅香帆さんの教養講座も横になりながらスマホで視聴するという体たらくだったが、『娘が母を殺すには?』の良い導入を聞けた(実際には結論までお話されていた)。早く読みたいが、今月はもうお金を使いすぎなので、欲望のままに本を買うのはやめた方がいいと思う。読んでいない本(特に小説)が積まれたままじっと待っている。町屋良平『生きる演技』はかなり早く読みたい、と思って毎日開こうとはするのだが、そこまでたどり着けない。やることが…やることが多い!いしいしんじ『マリアさま』、凪良ゆう『汝、星のごとく』など、積んでいる。井戸川射子『共に明るい』は途中だし、絲山秋子『神と黒蟹県』はどこに積んだかも忘れている。エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳、沖縄の少女たちのノンフィクション『裸足で逃げる』は早めに読み終わっておきたい。
今日の講座で三宅さんが『母という呪縛 娘という地獄』にふれていて、私も読んだが、正直虐待を受けた子供の末路で、こうなるしかなかったと本人も言っているように、たんに被虐待児の被害の果ての結果でしかなく、なんの新鮮味もないと感じた。虐待問題を長く考えたことのある人にはこれは虐待の当然の過程と結末であり、そこに母娘の特異性などは見いだせないのではないかと感じていた。ただ、虐待を受けたことがない人はここに新しい視点を持ち込めるのだろうなということは想像できる。そこで、じゃあこの虐待を受け続けていた本人が加害者である母を殺さずにすんだifがあるとしたら、それはどの時点でどう行動すればよかったのか、ということを考えてみようか、と少し思った。虐待を受けた人間でも、親を殺さずに逃げ切った人は多い。そういう人と、親(加害者)を殺してしまった人との性質の違いや、分岐点となる考え方や受け止め方の違いは存在するのか、ということを突き詰めていけば、虐待を受けてもその心を守ったり、被害を少なくしたまま逃げ切る方法も出てくる可能性があるのではないかと考える。虐待を受ける立場に生まれてしまったら、基本的には逃げ切るまで虐待は続く。誰も助けてくれない。日本の法律や制度がそうなっていないからだ。助けてもらえる人は0.03パーセントくらいの人口と思っている。つまり、多くの子供たち(年間11万人)が、家庭の中で痛めつけられながら、生き延びていかなくてはいけない。それもできる限り自分の心を守りながら。虐待の問題は、社会の問題ではなく、こうして個人の問題へと矮小化され、それも被害者である「子供」の独力での防衛を支援することでしか、親権が有効である限り、コミットできない。というかこれはコミットと言えないと思うが。虐待を受けるとその後成人して逃げられても、精神に大きな不均衡をもち、社会に上手く適合できずに苦しみ続けるし、虐待を受けていた子供のうちに、大人により適切な場所へ逃がしてもらうことが一番である。そのことは揺るぎない。しかし、繰り返すがそのような法律や制度はない。あっても、ほとんど機能していない。多くの子供は助からないまま、傷ついたまま、安全に眠れる場所がないまま成人する。だからもう、虐待を受けている子供に対して、こういう時はこう考えて心を守るんだよ、と伝えることしか現状できることがないと思っている。1人でも多くの子を物理的に救えたら、と思うが、それをしつつ、多くの救えない子供たちに防衛方法を少しでも伝えることが今できる精一杯だと思う。防衛方法とは何か、というと、そんなものはない、となるかもしれないが、とにかく考えていくことはやめずに生きていきたい。
両親と兄の存在には苦しめられ続けたが、私は両親と兄が心から大好きだった。そういう子供だった。そのぶん打撃は大きく、そのせいで傷が大きくなってしまった。自分を害する人間を愛してはいけない。しかし、一体だれが、自分が誰かを好ましく思うことを、止められるだろうか?それはコントロールできることなのだろうか。好きだと思う気持ちを捨てることは、特に子供には、かなり難しい。私は親や兄に何をされても相変わらず彼らが好きだったが、それではいけないのだと唐突に気づいたのが思春期である15歳のときだったため、その際の混乱と大きな絶望、ショックなどで重いうつ状態をその後10年続けることになる。それからさらに10年が経った今、かなり症状は軽快している。治療と、人間的成長によるものだ。生きていれば必ず人間は成長せざるを得ず、傷は治らざるを得ない。だから私は友人たちになるべく自死せず、一日でも長く生きてほしいと伝えている。そうしたら幸せになれる可能性が高まる。幸せになれない可能性は依然として大きいが、幸せになれる可能性は生きれば生きるほど大きくなる。スタートがマイナスだった者たちは、この理論が適用されると信じている。スタートがマイナスでなかった人達にはどのような人生観があるのか、私には全く分からない。私は生きれば生きるほど人生はよくなっていく、と感じているので、老いや死への近づきを悲しむ心がない。顔が老けるのも、自然で、抵抗するようなことではないと思っている。生きれば生きるほどよくなっていく。25歳で治療を受けてからのこの感覚は、私が生きるのに大きく、善く、貢献している。生きることの難しさはおのおの、さまざまあると思う。私はもう無い。いちばん苦しかった時はもうとっくの昔だし、その頃の生きづらさ、脅威がないというだけで、とにかく無法に幸せである。自分を害するものがいない空間、時間、それらを噛み締めている。だから(親や兄と離れて)生きているだけでかなりの幸せを感じる。お得なことかもしれない。
しかし小さい頃に夢見たことの不達成ということは、なかなか苦しめられる瞬間がある。好きな人と付き合ってみたかったとか、家庭を持ちたかったとか、子供が欲しかったとか、高校や大学で好きなだけ思い切り勉強してみたかったとか、仕事でキャリアを積んでみたかったとか、そういう、「普通の人」がやっているようなことだ。それらが自分には与えられなかったと感じる時、途方もなく悲しくなる。過去と比べて相対的に今は幸せだが、絶対値としては、私は私の夢をあまり叶えられなかった。それでも、毎日本を読んだり、文を書いたり、文章の講座を受講したり、好きな場所でつつましく働いたりして、日々を楽しんでいる。なによりも、いつも勇気づけてくれる友人がたくさんいること。私は友人たちに囲まれてさえいれば、それでとくに不満はない。「してみたかった」の希望を上げればきりがないが、そんな無意味なことをしてもただ傷つくだけで無為だ。できてよかったことやこれからやりたいことだけを毎日考える。私たちはまだまだこれから生きる時間が残されている。やりたいことはたくさんできるし、本当に生きていて良かったと思う。
同時に、できるならもうこの生を終わりにして楽になりたいという気持ちもある。これ以上生きても、もちろん世界の足しになることはあるだろうが、この体力の低さと病気を抱えて、何も達成できないままでずるずると生きることは、時に拷問にも感じる。そう思うのは生きているうちのほんの一瞬だが、ああ、今死ぬことができたら、と思うことは全然よくある。地震の揺れを感じるたびに、地震で死ねたら楽なのになあ、と思う。これはネガティブというより、ただの「疲れ」なのだ。この「疲れ」の感覚を持っている人には、私は帯同を感じてしまう。
なんだかずっと被虐待児の話をしてしまった。あんまりそういう事を言うのもな、と思ってはいるのだが、考えていると結局全部そこに行き着いてしまう。私が救いたいのは彼らだし、正直彼ら以外のことはどうでもいい。他の人は他の人でいろいろなことに心を痛めたり活動すればいいと思うが、私がそうする先は、いつも決まっている。幼少期から虐待を受けて、死ぬ事もできずに成人して生きてゆくことが、この世でいちばん辛いことだと思っている。これは多くの、苦しんでいる人々を見てそう思うということで、私が苦しんでいるわけではないので大丈夫です。私は病院とカウンセリングに通い、それなりに安定した人生を送っていますので、自分が社会に恩返しする番だというか、とにかく「助けなきゃ」という思考に捉われがちであります。
今考えているのは、被虐待児のための、自習スペースの提供。とにかく家(危険な場所)以外に安心して過ごせる場所、勉強ができる場所をつくり、そこで1秒でも長く過ごしてもらうしかない。心は壊れる。壊れるとしても、壊れきらずに上へ向かおうとする子だけでも支援したい。本当は全員救いたいが、まずは勉強で身を立てる被虐待児の数を増やすことで、社会に虐待問題に理解のある人口を増やす。そうしてしか、法律や制度は変えられないと思う。
それとは別に、私には本屋を続けるという夢がある。ゆくゆくは自分が店主になって店を構えたい。雇われの正社員がいかにつらいかは、いままでの店舗でいやというほど見てきている。私は知性と教養のための本屋をひらき、この社会をよくしようとする人を1人でも増やしたい。チェーン店の雇われ店長では、それをするのは難しい。大きな会社は利益を出すことが最優先だから。その利益で、たくさんの人を食わせている。そこに否やはない。ただ私の目的はそこにはない。売れる本を置いて人々の知性を下げるのではなく、本屋がどんどん人を育てていく。そういう場所を作りたい。そこはさらに学際的な場所であってほしい。なんなら貸本屋でもいい。というか、積極的にレンタル業務もやって行ければと思う。
夢を語れば果てがない。あと20kg痩せたい。どうにか自炊をしてまず1kg減った。このまま減らしていく。
2024.5.21
3 notes · View notes
seshika10 · 8 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
昨日コラボカフェと金カムの映画観に行ってきたよ~~っ!!楽しかった~~!! よかった行けた…水曜日の診察で悪化してたら即入院って言われててのは免れたんだけど笑 薬が効いたからちょっと良くなってたので自宅療養でいいよってなってたんだけど、免疫抑制剤35mmになってるから人混みは避けて、ライブは行っちゃだめって先生に釘を刺されてて笑 大阪は人多過ぎてちょっと人の匂いも強くて、電車や駅はかなり緊張した~3連休ってことも忘れてたから新幹線も以外と人が多くてw今のところ感染してる気配はないから大丈夫と信じたいけど、これで何か罹ってたら即入院で先生に怒られる…笑 っていうか仕事ずっとテレワークさせてもらってるのに上司にも怒られるわ…w はーーリスキーだったけど行ってよかった…本当は金カムコラボパフェも食べる予定だったんだけどそれは止めるしかなかった…めっちゃ行きたかった… コラボカフェの中で一番胃腸に優しそうなのがプ君のメニューで推しのやさしさに私は泣きそうなほど嬉しかったよ…ありがとうプ君… でもやっぱりお腹痛くて、シチュ―系でも味濃かったのかカフェラテがダメだったのかわからんけどまだ普通のご飯は痛いという検証ができたよ笑  今回のヘタのコラボカフェは満席で、私が予約してるからキャンセルもできないし、人数合わせの友達にも声かけちゃってるから絶対行かないとだめだ…!!っていう建前と私が1か月かなり弱ってて楽しみが無いともう頑張れない…って精神落ちてたから、コラボカフェ絶対行く!の気合で療養してたからこれは行かないと私の気持ちが整理つかんかった気がするんよな笑 1か月お粥も水でも即出ししてたから体重6キロくらい落ちてて、痩せた~って嬉しさはあるんだけど笑 でもこれ多分落としちゃだめな筋肉とか落ちてる気がするからな~w脂肪として戻るのは早かったりするし気を付けないとだけど笑 でも今回めちゃくちゃ疲れたし脚も体力も限界だったから、ちょっと友達と遊ぶペースとかイベント参加のこと今までと同じで考えちゃだめそうだなぁ…てか普通に会社行くの耐えられるんか??w 今までも自分の体力筋力は年齢プラス10歳くらいで考えてたけど今回のでプラス20歳くらい行った気がする笑 あとは3月の母の一周忌とクソ弟の結婚式までに普通のご飯食べられるようにしないと!胃腸がんばえ~~
5 notes · View notes
jinnseigame · 7 months
Text
追記※
ばっちり2週間自宅で療養したのでコロナは大丈夫🙆‍♀️な状態で入院なのはよかった。
あと緩和ケアチームの人たちが立ち替わり入れ替わりで話していって忙しない初日だった。仕方ないよね。これから治療するのに患者の話聞かないといけないし。
コロナ明けてから母は胃の痛みとか吐き気気持ち悪さが全くなくなった。味覚嗅覚異常も治った。コロナになる前の一月から気持ち悪くて胃薬とか飲んでたのなんだったんだ。胸と背中は痛いままみたいだけど食欲が戻ったのが幸い。
担当の医師とは明日話をすることになった。治療の詳しい話を聞く。今日は緩和ケアチームの麻酔科の先生に痛み止めの薬について話してもらった。医療麻薬の弱目のやつ使って様子を見るらしい。みんなとても優しく対応してもらって母は忙しないながらも気持ちも穏やかに過ごせたみたい。
治療開始が明後日くらいからになりそうなので今のうちに食べて蓄えとかなきゃってめっちゃ食ってるんやが。私も色々買って持ってく。明日のお昼は病室で一緒に食べてから担当医の話聞こうとなった。
ぽちには悪いけど少しの間お留守番してもらおうね…。家に帰ってきた時に母を探すから誰も乗ってない車の中を見せたら納得したわ。かわいそう😭
3 notes · View notes
kennak · 3 months
Quote
報道機関に警察が捜索に入って取材資料を差し押さえ、それを端緒に、報道機関の取材源を特定して逮捕する、などということは、言論の自由を保障する民主主義国では通常ありえません。社会における公共情報の流通を大きく萎縮させて、民主主義を機能しづらくすることになるのが明らかだと考えられてきたからです。 【動画】内部告発の隠蔽工作は広島県警でも。元警察官が実名・顔出しで語る真相 実際、現憲法下で独立して以降の日本の捜査当局は、そうした手法を用いるのにこれまできわめて抑制的でした。ところが、鹿児島県警がいま、おそらく戦後日本で初めて禁を破り、それをやってのけつつあります。 今回、公益通報(内部告発)制度に関する研究に取り組み、多数の著作もあるジャーナリストで上智大学教授の奥山俊宏さんが、スローニュースに緊急に寄稿しました。 報道機関に強制捜索の異常事態…最初は別の警察官の事件だった 福岡市を拠点にニュースサイト「HUNTER」(ハンター)を運営する中願寺純則(ちゅうがんじ・すみのり)さんによると、4月8日朝、同サイトの事務所で鹿児島県警の家宅捜索を受け、パソコン、携帯、書類を押収された。 「ちょっと考えられないことですけど、報道機関に対してガサを入れてきたということです。いったん押収して、次の日に返しには来たんですけど、まだ押収されたままのものもある。当然、私どもは取り調べを受けても、取材源とか取材過程について話すことができませんから、もちろん完黙するわけです」 その日、鹿児島県警曽於署の藤井光樹巡査長が、捜査情報を外部に漏らしたとの地方公務員法違反(秘密漏洩)の疑いで同県警に逮捕された。この「外部」について逮捕時点では「第三者」としか報道されなかったが、これがハンターなのだとみられる。中願寺さんによれば、ハンターに対する捜索令状には、被疑者として藤井巡査長の名前が記載されており、被疑事実は地方公務員法違反となっていたという。中願寺さんはその時点では参考人として取り調べられたが、黙秘した。 実は押収された中願寺さんのパソコンの画面上には、藤井巡査長の事件とは全く関係ない、札幌市在住のジャーナリスト、小笠原淳さんに匿名で送られてきた文書のデータがあった。 小笠原さんは長年、警察の不正を追及してきており、ハンターの常連寄稿者でもあった。文書の1ページ目には「闇をあばいてください」とあり、2ページ目には「枕崎署員による盗撮事案の隠蔽」など3件の県警不祥事が列挙されていた。パソコンは押収翌日に県警から中願寺さんに返却されたが、その際、「データは解析に回します」と言い添えられたという。 押収したPCには県警の元幹部の告発文が…それを知った県警は 県警不祥事を暴くこの文書が実は、同県警の幹部、生活安全部長の職に3月下旬まで就いていた本田尚志・元警視正によって作成されたものであることが判明するのは、6月5日のことだった。 本田元警視正は、5月31日、鹿児島県警に国家公務員法違反(秘密漏洩)容疑で逮捕され、6月5日、その勾留理由開示のための法廷で、記者に文書を送ったことを明らかにしたのだ。 法廷での本田元警視正の陳述によれば、昨年12月中旬、トイレで女性が何者かに盗撮される事件が発生し、その容疑者として枕崎署の警察官が浮かんだ。県警の生活安全部長として本田警視正は「早期に捜査に着手し、事案の解明をしよう」と考え、上司の野川明輝・県警本部長の指揮を仰いだ。すると野川本部長は、「最後のチャンスをやろう」「泳がせよう」と言い、強制捜査にゴーサインを出さなかったという。(この陳述に対し、野川本部長は6月7日夕になって「私が隠蔽の意図をもって指示を行ったということは一切ございません」と反論した)。 6月5日の法廷で本田元警視正は次のように述べた。 「私は、退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました。記者であれば、個人情報なども適切に扱ってくれると思っていました。マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました。私が退職した後も、この組織に残る後輩がいます。不祥事を明らかにしてもらうことで、あとに残る後輩にとって、良い組織になってもらいたいという気持ちでした」 その文書が4月8日、ハンターへの強制捜査によって県警の把握するところになってしまったのだ。 盗撮事件発生から5カ月近く後の5月13日、県警は、建造物侵入と性的姿態撮影等処罰法違反の疑いで枕崎署の巡査部長を逮捕した。5カ月もの長期にわたる内偵が必要な事件ではなく、他方、文書押収から1カ月余り後というタイミングであり、状況からして、本田元警視正の文書がこの逮捕のきっかけだったのであろうことは明らかだ。 このようにして県警は「必要な対応が取られた」との格好をつくりだした上で、5月31日、本田元警視正を逮捕した。この時点で県警はこの「漏洩」の相手先について「第三者」としか発表しなかった。 筆者の取材に、中願寺さんは「強制性交事件が全ての原点です」と言う。「すべてそこから始まっている」 報道によれば、鹿児島市内の新型コロナウイルスの宿泊療養施設で2021年8、9月、医療機関から派遣された女性看護師が、鹿児島県医師会の男性職員によって性的な行為をされた���これについて看護師は強制性交などの罪にあたるとして鹿児島県警に告訴した。しかし、医師会は「同意のない性行為ではなく合意に基づくと判断した」と主張している。 これを不正義と見て正そうと立ち上がったのが、地方公務員法の守秘義務違反で逮捕された藤井巡査長であり、それに触発されたのが本田元警視正であり、2人とも公益通報者だと中願寺さんは思っているという。 NHKは、本田元警視正の文書について「鹿児島県警の別の警察官が内部文書を福岡市の会社役員に提供したとして逮捕・起訴された事件の関係先から見つかっていて」と報道しているが、これまでハンターは、捜索を受けたことを積極的には明かしていなかった。しかし6月11日から、反論記事を出していくことにした。 取材源の秘匿はなぜ「鉄則」なのか 取材源の秘匿は、報道界にあって、「報道機関が何より優先すべき責務であり、個々の記者にとっては、取材活動の根幹をなす究極の職業倫理である」と考えられてきている。 社団法人日本新聞協会と社団法人日本民間放送連盟は次のように述べている。 「報道機関で取材活動に従事するすべての記者にとって、『取材源(情報源)の秘匿』は、いかなる犠牲を払っても堅守すべきジャーナリズムの鉄則である。隠された事実・真実は、記者と情報提供者との間に取材源を明らかにしないという信頼関係があって初めてもたらされる」 最高裁は「取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有する」と述べつつ、やや留保を置いている。しかし、最高裁を含め裁判所がどのような判断を出しても出さなくても、それとは無関係に、「上級審等がいかなる判断を下そうとも、取材源を守る姿勢は最後まで貫き通すことを改めて確認しておく」というのが、日本新聞協会と日本民間放送連盟の公式見解となっている。つまり、法律や裁判所に逆らってでも取材源を秘匿し通す、いわんや警察などに強制されることはない、という姿勢である。 従来は抑制的だった捜査機関 こうした報道界の考え方も背景にあって、現憲法下で日本の検察・警察は、取材源を探す目的で報道機関を捜索など強制捜査したり、取材源に関わる資料を押収したりすることについて、これまできわめて抑制的だった。そうした前例はほぼなかった。法務大臣ら政府当局者は「いわゆるニュース・ソースの秘匿性というようなことにつきましても、検察当局として十分これを尊重しなければならぬ」との考え方を繰り返し明らかにしてきている。 のちに検事総長となる松尾邦弘・法務省刑事局長は、取材源の秘匿について「大変重要なこと」「最大限尊重する」と国会で答弁し、捜査にあたって「そういう重要性も当然念頭に置きまして、それを最大限尊重するような運用をする」と約束し、したがって、「報道機関が取材の過程で行っている通信につきましては、基本的には通信傍受の対象としない」と明言している。 これは通信傍受(盗聴)だけでなく、証人尋問や捜索・差し押さえについても適用されるべき考え方であり、現にそのように運用されてきた。「取材源の秘匿…に関しましては…現在の社会においてそれが非常に重要な機能を果たしている、最大限に尊重すべきもの」との原則が現に捜査当局内部で遵守されてきたことについては、筆者自身が検察官に取材してきた経験でも裏付けることができる。 米国では報道機関への強制捜査は原則禁止…自由な民主主義国家ではあってはならない事態 米国では2013年に、記者のGメールの記録をグーグル社から差し押さえたり、報道機関の電話のメタ記録を電話会社で差し押さえたりしていた事例が発覚し、大問題となって、オバマ大統領の指示で司法省が「改革」をおこない、以後、そうした運用を原則禁止にした。 米司法省の現行規則は、報道機関の取材資料を押収する目的での強制捜査を明文で原則禁止としている。例外はテロ攻撃、誘拐など人命や人体への急迫もしくは具体的な危険性を避けるなどの目的がある場合に限定しており、「匿名の取材源から秘密情報を受け取っただけの場合にもこの禁止は適用される」と念押しするように明記している。日本の捜査当局が「取材源の秘匿を最大限に尊重する」と累次表明してきたのと同じ考えにもとづく。 筆者の私見によれば、こうした規範は、報道機関や記者に特権を与えようと意図しているのではなく、「自由で独立した報道が我々の民主主義の機能性に不可欠」だからその実現のために捜査権限を縛ろうとしたものであり、憲法に由来する。すなわち、国民主権を定め、報道の自由を保障した憲法に適合するように法令を解釈した結果がこうした規範(日本では不文律、米国では司法省規則)であり、それを破る運用は憲法違反となる。 警察が犯罪捜査の権限を使って、報道の取材源の探索を本気で始めたら、スマホの位置情報や街頭のカメラを組み合わせて、だれであってもその行動をまるはだかにできる。そんな捜査が当たり前になると、だれも公益通報できなくなり、不正の真相は闇から闇へと蓋をされる。 暗黒社会への転落は杞憂ではない。治安維持法施行下の戦前・戦中や、中国やロシアでのことならあり得ることではあるのだろうが、自由な民主主義国家で、警察が報道機関の事務所に強制捜査に入って、取材源に関する資料を押収するなどということは、大手新聞社であろうが、小さなネットメディアであろうが、あってはならない。 筆者:奥山俊宏(おくやま・としひろ)
【疑惑の県警】報道機関を強制捜査し、内部告発した取材源を特定!鹿児島県警「前代未聞の暴挙」は憲法違反だ(SlowNews/スローニュース) - Yahoo!ニュース
3 notes · View notes
shimanomoyou · 2 years
Photo
Tumblr media
放置しすぎたわー
あっという間に11月が終わる。
人生で一番働いた一ヶ月かも!
そして最後の最後に
我が家にもコロナがやってきた〜
自宅療養期間中やけど
普通にパソコン作業できるくらいの感じに戻ってきたから
すごい集中力で仕事を進めてるで〜
逆に何にも邪魔されないこの期間は素晴らしいかも!
(家事も最低限やって、化粧もしない家着で即仕事。笑)
久々にこんなに家にいてよく寝て
でも仕事はしてるからぐーたらはしていない。
明日から寒くなるって〜もう12月やもんな!
来月はちゃんと写真あげていこ〜
今朝の我が家のあわ。
人のスリッパとってなんでこんなポーズで寝てんの?笑
35 notes · View notes
Text
出門泡湯卻成了閹人
第四章 林燁
我叫林燁,今年28歲,身高174公分,是一名聯電員工,家中排行老三,上面還有兩個哥哥,我不需要為了傳宗接代而生小孩,我只想好好的打拼工作,因為自己唯一的專長除了寫寫程式,就是剩下一副大雞巴了吧,因為長時間坐著,也沒什麼時間運動,就算放假也只想好好休息一下,所以我不怎麼喜歡運動,但是我因為工作太忙,常熬夜導致內分泌失調,臉時常長痘痘,本身長得也不是很優質,在男同事眼中,就是一個邋塌的宅男,可是自己的慾望卻是高得誇張,平時只要看到了美女,陰莖就馬上開始發硬,也因為過大,導致周遭的女同事,都不敢靠近他,甚至覺得很噁心,因此他在公司的人際關係一直不好,這次來不僅是希望可以到萬勝集團上班轉換跑道,也想要解決自己一直欲求不滿的雞巴,切除這一直造成困擾的病根。 醫生已經準備就緒了,醫生直呼了我的名字,我滿懷期待的往前走去,我站在手術台的旁邊,醫生開始進行我的身分核對,身高174公分,體重64公斤,沒有特殊疾病,醫生接著問到,你待會接受手術時,將會割除陰莖跟睪丸,你有沒有問題呢,我馬上回答沒有問題,醫生戴上了手套,仔細檢查我的陰莖跟睪丸,醫生將我的包皮往後退,露出我一直很敏感的龜頭,我平時都有仔細地清洗乾淨,所以沒什麼異味,而且在過來之前,在家就已經清洗過很多次了,而且還上網查過,手術時要剃毛,所以在家就已經將陰毛剃乾淨了,對我來說,今天是我重新做人煥然一新的時刻,不能讓總裁對我感到反感,醫生仔細地看了一下我的龜頭,將馬眼翻開看看有無細菌感染,摸著我的陰囊皮膚,輕輕揉捏一下蛋蛋,平時我都沒被人摸過,陰莖早已硬到受不了,醫生笑著說,瞧你興奮成這樣,這麼迫不及待阿,那就趕快簽同意書吧,我立刻簽上我的大名,接著我就被叫上手術台,此時的陰莖依然硬邦邦,所有人也開始過來圍觀,親眼看著我一點,一點的被閹割乾淨,副手醫生在我的陰囊上畫了一圈記號,再開始做了簡單的測量,我的陰莖因為興奮下勃起,醫生拿了皮尺做了測量,沒想到竟然有20公分長圓周15公分,是一根標準的細長屌,睪丸長5公分約20克重,蛋蛋的養分或許被大雞雞吸走了,沒有很大,但是已經不重要了,副手醫生開始替我進行消毒,經過三次的患部清洗消毒,陰莖依然直挺挺,主刀醫生接著開始替我施打麻醉藥,麻醉針雖然是細針,但是插入陰莖根部的時候,還是非常的痛,總共注射約4針,陰莖才算完成注射,很快陰莖就沒了知覺,睪丸也大約注射了三針,此時的我,下體已經沒有知覺了,只有強烈的麻木感,副手醫生抬著我軟掉的陰莖,主刀醫生拿起手術刀沿著記號下刀,很快的一整塊的陰囊就被切了下來,我的兩顆睪丸像是荔枝一樣懸吊在外面,醫生用很快的速度下,摘除了我的睪丸,完全不廢任何吹灰之力,我的睪丸被切除了,剩下一根15公分長的肉根,看著自己的下體慢慢變成自己想要的樣子,真的很開心,醫生將尿道口改到了下方並做好縫合固定,接著副手醫生把我的陰莖拉直,主刀醫生沿著陰莖根部下刀,越切越深,很快的我的病根就被醫生摘除了,一根15公分的陰莖就被切斷了,沒想到割下來的陰莖如此的長,量測竟然有17公分長,表示我有2公分藏在身體裡,隨著手術的縫合,我已經被閹的乾乾淨淨,一點都不像剛剛那勃起有20公分的男人了,只剩下一根導尿管插在下面,這時候醫生不知道替我噴了什麼藥劑,我的傷口竟馬上復原了,連一點疤痕也沒有,只剩一個新尿孔,總裁說是集團最新的生技醫療技術,我們也是第一波使用者,之前的人使用的是第一代,所以就算復原了,依然有很明顯的疤痕,我滿懷感恩的跟總裁道謝,讓我們不用承受傷口癒合的痛苦,我立刻下床走動走動,少了一根討厭的陰莖,我現在走路好輕盈,真的太開心了,我為了不再想起那討厭的過去,我告訴醫生,直接把我的生殖器都丟掉吧,醫生只是淡定的問,你確定嗎,我很堅定的看著醫生,於是醫生直接將放原本放在玻璃瓶中的陰莖跟睪丸,直接倒入醫療廢棄桶裡了,此時的我真的非常滿意,我也想找我其他朋友來面試天眼公司。 我走下手術台,阿基努已經在旁邊準備站上去,我很高興的看著他,告訴他這一切真的太棒了,阿基努問道,為什麼醫生直接把你的陰莖倒掉,我也只是說我不要了,就這樣而已,阿基努點點頭,帶著緊張的心情準備閹割。
7 notes · View notes
myonbl · 8 months
Text
2024年1月28日(日)
Tumblr media
三重県紀北町・奥川ファームから隔週の定期便、今朝も無事に届いた。これまでは玄米をお願いして自宅で3分搗きにしていたが、年末に友人からいただいた白米が美味しく、息子たちの希望もあって今回からこちらも白米をお願いした。を、ロマネスコが入っている! 初めて見たときにはその形状に驚かされたが、それまで知らなかった多くの野菜に出会えたのもこの定期便の魅力である。奥川さん、いつもありがとうございます。
Tumblr media
5時45分起床。
日誌書く。
Tumblr media
朝食。
洗濯。
今日はMQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)ニュースの編集/印刷/発行を一挙にやってしまう。
集まった原稿を私が編集、ツレアイがチェックしたものを<京都市市民活動総合センター>で印刷して発送するのだ。
8時30分に奥川定期便到着、ただし、梱包は解かずにそのまま。
<しみセン>には10時に予約を入れ、出来上がった原稿を持って車で向かう。用紙の持ち込みはできないので、A3(500枚)を購入して作業開始、今回は12ページで160部を印刷する。
帰宅して定期便の梱包を解く、地鶏と玉子を冷蔵庫に、そばは冷凍庫に入れて野菜を新聞紙で巻く。
<ミステリーチャンネル>で<名探偵ポワロ>の録画を設定する。
その後、ニュースの折り込み開始、3枚ものをA4版に仕上げる。
Tumblr media
ランチ、息子たちには月見うどん、私たちは届いたばかりの十割蕎麦を同梱されていた<かえし>でいただく。
宛名ラベルを印刷して封筒に貼りニュースを封入、15時にようやく完成。すぐに車で京都中央郵便局へ、ツレアイは窓口へ、私は自宅に戻って<ポワロ>の録画をディスクに書き出す。
バスでいったん自宅に戻ったツレアイは、特養へボランティア訪問、その後買い物をして帰宅する。
Tumblr media
見切り品の鶏ハムと酢タマネギのサラダ、見切り品の焼売とげその天ぷら、そこへ届いたばかりの平飼い有精卵の目玉焼き。風邪の症状が治まらない3男は今日も禁酒、我々は🍶+🍷で慰労する。
テレビで放送中の女子カーリングを録画モードで視聴、本橋さんのプレース形にちょっと感動。
続いてポワロ、
第10話「スタイルズ荘の怪事件」/ The Mysterious Affair at Sylesシーズン 2, エピソード 10 第一次大戦中、戦傷を療養中のヘイスティングスは、旧友ジョンの母の屋敷に招待される。翌日、年下の夫と再婚したばかりの夫人が殺害され、近くに滞在していたベルギー人、ポワロに事件の調査依頼がくる。警察は遺産相続から外された息子の犯行と見るが…。
途中で睡魔に襲われてダウン、風呂にも入らずに布団の中へ。
Tumblr media
作業続きでエクササイズは届かず、水分も記録無し。
3 notes · View notes