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#花風よ憂いを攫って
anju45 · 1 year
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hitorihutari · 1 month
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閃光
同期の突然の告白に、私は驚かなかった。働き始めて5年。そろそろかな、となんとなく予感がしていた。
湖畔を歩く足が止まる。
「ふうん。いつ?」
「今月いっぱい、の予定」
「そっか」
今月いっぱいって、あと10日もないじゃん。
思えば、入社一年目から、一人二人と同期が辞めていき、5年経った今、残っているのは私と彼だけだった。
寂しい、という気持ちは、あまりなかった。いずれくる別れだと、どこかで悟っていたからかもしれない。お世辞にも快適とはいえない労働環境の中で、よく5年も働いたと思う。時に愚痴を言い合い、仕事終わりにご飯へ行ったり、休日に車で遊びに行ったり、私が旅行に行く日にわざわざ早起きして空港まで送ってくれたこともあった。それが、全部、過去になる。
「よく働いたよね、私たち。こんななんにもない田舎でさ」
「そうだね…ってかお前はまだ辞めないじゃん」
「私も今年いっぱいかなあって思ってるもん」
「早く辞めないと婚期逃すしな」
「やかましい」
軽口を叩いては、くだらないことで笑い合う。恋人でも、友達でもない、距離感。
今月が終わったら、全部、なくなるのか。
寂しくは、ない。お互い連休のたびにどこかへ出かけるタチだ。同じ日本にいるなら、どうせいつでも会える。でも。
「ねえ、花火、しない?」
思わず口をついて出た言葉は、あまりにも突拍子がないもので。そんな私の素っ頓狂な誘いにも、彼は笑って「いいよ」と言った。そういうやつだと、よく知っている。
湖があり、山があり、海がある。湖畔を歩きながら仕事の話ができて、花火をやるために海へ行ける。私たちの暮らす場所は、なんて便利な田舎なのだろうと思った。
じりじりと照りつける太陽は、まだ夏は終わっていないと主張しているようで。湖面に反射した光がきらきらと光る。どこかで鳥が鳴いている。私を残していなくなる彼を横目で見る。その表情は期待と決意に満ちていて、悲しみも焦りもないように見えた。一筋の汗がうなじから首に流れていくのを感じて、鬱陶しいと思った。
***
あれから一週間が経ち、花火を決行する日がやってきた。同期がいなくなるまであと2日。他の部署の親しい人間たちにも声をかけ、シフトを照らし合わせた結果、一番みんなの都合が良かった日を決めた。天気は文句なしの晴れ。目を凝らせば天の川も見えるような夜だった。
仕事の終わる時間がみんなバラバラなので、早く終わった人間たちで買い出しを済ませ、一番遅い人間を待って乗り合いで車を出した。気が付けば10人近く集まった。
海に着く頃には日付を跨ぐか跨がないかという時間になっていた。
「うわ、真っ暗」
「どこまで波が来るのか全然見えないね」
夜の海を眺める。どこまでも深い闇が、このまま私の抱える複雑で難解な気持ちごと全部さらってくれる気がする。
ホームセンターで買い占めた大量の手持ち花火と打ち上げ花火。バケツには海の水を汲んで、同僚の一人がスマホのライトだけを頼りに、ライターでロウソクに火をつけようと試みる。
「なーんかさ、私らもう30手前なのに、やってること浮かれた大学生みたいだね」
「お前がやりたいって言い出したんだろ」
「そうでした」
あと2日で、こんな会話もできなくなるのか。実感が湧かない。寂しくはないはずなのに、ふとした瞬間、感傷に浸ってしまう。まるで寄っては引いてを繰り返すこの波みたいだ、と暗闇から聞こえる音を聞きながら思った。
「あーだめだわこれ、ロウソク立たねえし、火も消えるわ」
ライター片手に悪戦苦闘していた同僚が匙を投げる。夏の夜には心地いいこの潮風が邪魔をして、すぐに火が消えてしまうらしい。
「じゃあさ、こうしようぜ」
同期が手持ち花火を一本取り出すと、自分のライターで火をつける。数十秒の格闘の後、暗闇の中に色鮮やかな火花が飛び散る。
「うわあ、綺麗だね」
「呑気なこと言ってないで、ほら、お前も、それ、はやく」
「え、あ、ごめん、ねえまって、もしかしてさ」
「消えたら終わりだと思え」
「うそでしょ」
一本目が消える前に二本目に繋ぐ。二本目の前に三本目。そうやって次の人間に繋ぐことで、ロウソクを使わずして花火を楽しむ作戦らしい。オリンピックの聖火ランナーでもここまでシビアではないはずだ。
「ほら、はやく、俺のやつもう消えんぞ」
「うわ、やだ、まって、こっちに火ちょうだい」
「せっかくだから写真撮りたいのにー」
「わ、消えちゃう消えちゃう」
みんながそれぞれに手持ち花火を握りしめ、暗闇が訪れないよう、火を繋ぐ。変化しながら一瞬で消えていく光の一つ一つはたしかにそれぞれが色を持っていて鮮やかだった。まるで、私と同期の5年間みたいだな、と柄にもなく思ってしまった。
絶対に一日で終わらないだろう、という量を買ったはずが、ところどころに打ち上げ花火も挟みながらの聖火リレーならぬ花火���レーは、気が付けば最後の一本になっていた。バケツには役目を終えた手持ち花火が溢れんばかりに投げ入れられている。
「あと残ってるの線香花火かー」
「よし、みんなで勝負だな」
「だね。これでほんとに、最後だね」
各々線香花火に火をつけて、身動き一つ取らず、自分の手元に集中する。先ほどまでの賑やかさが嘘のように、しん、となる。
真夜中。真っ暗な海。満点の星空。潮の匂い。波の音。静かに灯る線香花火の小さくて優しい光。
私たちは、もう、高校生も大学生もとっくに通り過ぎてしまった大人だけれど。
「あっという間だったねえ」
「そうだね、あっという間だった」
今、この瞬間を、青春と呼んでもいいだろうか。
「5年間、楽しかったなあ」
その言葉は、まるで誰もいない部屋で独りごちるように、静かにこぼれ落ちた。ずるいと思った。充分だった。
私が抱えていた感傷も、焦燥も、憂鬱も、すべてを見透かされている気がした。何一つ受け入れられていないのに、時間は止まってくれない。前を向いて違う道に進む決意をした彼を、手放しで応援することも、苛立って冷たくすることも、泣き喚いて罵ることも、駄々をこねて引き止めることもできなかった。どれか一つの感情に身を委ねられたら、もう少し楽になれたのだろうか。
鼻の奥がつうんとする。それまで隠れていたいろんな感情が突然湧き上がってきて、何も言えなくなった。私も、と口に出したはずの言葉は、誰にも届かないまま、波に攫われてしまった。
寂しくはない。いずれくると分かっていた別れだから。会おうと思えばいつだって会える。だけど今は、一秒でも長くこの瞬間が続くようにと、線香花火を持つ手に力を込めた。
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itigo-popo · 3 years
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こんにちは!今回は前回と前々回で予告したクランちゃん🌹とグレン君🥀についての記事です!毎度の事ながら原作者である🍓ちゃんに頂いた資料を元に、感謝の念と溢れる熱量と共に解説していきます〜!🌻
★二人の立ち絵は後々また描き足すかもしれません。グレン君の立ち絵の方は下記にて…!
【2021/09/23追記:一部文章の修正と追加済み】
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舞台はとある王国に聳え建つ大きな城。厳重に施錠された塔一角の部屋に一人の薔薇色の少女が国から手配されたメイドの監視下の元、一人ぼっちで幽閉されていました。
その少女の名は〝クラン・ローゼンベルク〟といいます。
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★補足
この王国は前回のオズウェルさんが訪れていた村があった国では無く、はたまた村を襲った敵兵の国でも無く、次回の記事で書かせて頂く予定のルイの出身国でもありません。
因みにラブリーちゃんとミハエルさんはオズウェルさんと同様に後に地上に降り立ちますが恐らくまだこの時点では天界在住です。各自地上に降りる理由ですがラブリーちゃんは保護者役になったオズウェルさんに連れられ、ミハエルさんはラブリーちゃんを追ってという理由かと思われます。
花夜と春本に至っては作者が🍓ではなく🌻で舞台も日本と全く違う為こちらは国以前に蚊帳の外です。カヤだけに。
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話を戻しまして…クランちゃんの出生ですが、
王国専属の魔法使いが連れて来た子です。
クランちゃんが幽閉されている城や国の主導権は主である国王と息子である王子に有りますが当然〝連れて来た〟からには彼らの娘という立ち位置ではありません。
ならば貴族の子か?というと違い、かといって村や街に父や母がいる訳でも無く…しかし孤児でも人攫いでもない。
遠く離れた血縁でもありません。そんな少女を一体どのような目的で幽閉までし、人目を避けさせ隠しているのか…。
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それには理由が有りました。まず国王は国全体の権力者達や政治家達、軍事機関、研究機関と深い繋がりがあります。
そしてクランちゃんの傍には彼女に正体を隠している国から派遣されたメイドが世話係と銘打って監視をしています。
万が一逃げ出さないようにしているからです。つまるところ
クランちゃんは純粋な人間ではありません。
元々彼女は無限に膨大な魔力を発生させる事が出来る装置のような存在として創られました。
この魔力を国や王は軍事や国家機密の研究に利用する為クランちゃんを幽閉していたのです。
そして、それらは後発的にそうなったのでは無くクランちゃんが創られた理由でもあります。
因みに王と違い王子は善良で国王共々クランちゃんに直接の面会はなかったものの彼女への幽閉や以降に記述する〝ある〟研究内容に反対しています。
この王子の存在が後々の展開に大きく影響していきます。
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ここまで禍々しく書き連ねて来ましたが、クランちゃんは種族としては人間です。正確には〝天使に近い存在〟です。理由は後程。
とはいえ機械では無いと言えど彼女の魔力の使い道を考えますと、それこそ機械のように扱い然るべき施設内にて監視且つ管理し利用した方が効率も良いのでは?と疑問も感じ無くもありません。
ましてや愛らしく着飾る洋服も本来は最も必要が無いはず。
この辺りについては彼女を連れてきた王国専属の魔法使いが大きく関係しています。彼女も権力者の一人でもあります。
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女性は国から頼まれた魔力装置を創る為に神様の元に訪れます。神話みたいですね!この神様なのですが現在は地上界に隠居中のようでして前回のオズウェルさんの記事の時にて登場した全智の天使に神としての役割を引き継いでいます。
こう見ま��とそれぞれ在住していた国は違えど皆々同じ🍓が描いた世界に住んでいるのだな〜と嬉しくなる🌻…!!
つまりクランちゃんは神様が人間として創造した子ですので、先述でいう〝天使に近い存在〟なのです。
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しかし、何故この時点で敢えて〝人間〟として創ったのか。
これは神様の意思からではなく魔法使いの女性がそう創って欲しいとお願いしたからです。
歳も取りますし、国としては今後も末永く使っていく効率を考えますと悪手のように感じざるを得ません。
これに関しては恐らく魔法使いの女性が、前回のオズウェルさん同様に人間が好きだったからだと伺えます。
但し、この女性もオズウェルさんと同じく良識的な人間を好いており王国の民が好きで且つ彼らを護る為に王国専属の魔法使いをしています。故に国王や後に記述する研究機関等のやり方には眉を顰めており、まだこの時点では内側に潜めていますが彼女もまた王子同様に反対派なのです。
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上記の通り魔法使いの女性は慈悲深い方で、クランちゃんを連れて来た際に大切に扱うようと国王に釘を打ちます。
魔法使いとしての実力も然ることながら神と繋がっていたりと特殊なパイプ持ちでもありますから国王も彼女の言い分を無碍に扱わず、提示された条件を呑み承諾します。
一種の取引みたいなものでしょうか。人間として創られた事以外は国王側からしても悪い話ではなく、そんな些細な欲求に対し首を縦に振ってさえしてしまえば無限の魔力の提供という膨大な利益を得る事が出来るのですから。
以降クランちゃんは〝幽閉〟はされているものの、衣食住や遊ぶものにも困らない何不自由のない生活を送ります。
城に来た当初は四歳くらいで、とても幼なかったのですが今現在は十四歳まで成長しています。世間を知らずに育った為やや浮世離れはしていますが心優しい性格に育ちました。
魔法使いの女性も仕事の合間に遊びに来てくれたりと、血の繋がりこそ有りませんが母と娘のような関係を築きます。
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因みに、これ以降の展開には神様は全く関与して来ません。
クランちゃんを創造したのち、その後どう扱われるか又は持たせた魔力によって一つの国がどうなっていくのか…。
それに関心も無関心も無い。手を貸すのも偶然且つ必然。世界を憂い愛と平和を謳いながら冷徹で残酷な傍観者です。
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視点をクランちゃんに戻します。
上記の方でふんわりと触れましたが彼女の素知らぬところで彼女が生成する強大で膨大な魔力は軍事利用を始めとした王国専属である〝機密〟の研究機関により非人道的な人体実験にも使われてしまいました。
その人体実験の内容は、身寄りの無い孤児を集め兵士として利用する為にクランちゃんの魔力を使い潜在する運動神経を刺激し著しく向上させるという実験です。
この実験が成功した暁には対象は常人離れした身体能力を得る事が出来ます。
但し実験対象が魔力を持っていた場合クランちゃんの魔力に影響される副作用か又その後遺症か、魔力が消失します。
数々の孤児が犠牲となり失敗作と成功作が生まれました。
救いは先述した王子や魔法使いの女性に根回しされたのか失敗作の孤児達は城内で働いてるという事でしょうか。
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★補足
魔法使いの女性がクランちゃんを連れて来なければ、事前にこのような人権を無視した事態は未然に防げた筈です。
恐らく企画段階で、孤児の子達を含めた彼女が愛する国民達の命を天秤に掛けられてしまった又は人質に取られる等、弱味を握られてしまったからではないかと思います。
又は孤児の子達が人体実験以上の危機に晒されてしまう等。
クランちゃんを敢えて〝人間〟としたのは人間が好きだから以外にも訴える想いやメッセージが含まれていそうです。
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凄惨な実験の果てにクランちゃんの魔力に適合し成功した孤児達は軍事利用の為、兵士としての教育を受けます。
その中でも逸脱した身体能力を覚醒させた優秀な成功作である一人の真紅の少年がいました。
その少年の名こそ〝グレン・クロイツ〟元孤児であり、この人体実験の被検体の一人だったのです。
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過酷な境遇だった為か、それとも教育の影響なのか自身を〝駒〟と呼び感情を表に出さない少年です。淡々と任務遂行する姿は一人前の兵士にも全てを諦めているようにも見て取れます。その後は暫くの間、その高い能力を見込まれ王城専属の傭兵兼使用人として過ごしていました。
そうして与えられた任務や日々を、ただただ機械的に過ごしていた彼に、やがて突然過ぎる転機が訪れます。
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とある業務で偶然、中庭にて作業をしていた日のことです。
これまた偶然にも部屋の窓から中庭を見下ろしていたクランちゃんの目に、グレン君の姿が留まりました。
先述通りクランちゃんは浮世離れ気味で世間を知らない面があります。自分と似た髪色、瞳の色を持つグレン君に好奇心に似た興味を抱きそれ以降、窓の外で彼を見かける度に目で追うようになっていきました。
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魔法使いの女性が国王に釘を指してくれたお陰で、大事にはされていますがクランちゃんは幽閉をされている身です。
流石に十年もそれが続けば、室内に居るのがが当たり前に育ったといえど飽きが来るというもの。
退屈だったクランちゃんにとって、外で見掛けるグレン君は羨望の的のように輝いて見えていたのかもしれません。
そして遂には我慢出来なくなった彼女は訪れていた魔法使いの女性に頼み。彼と遊んでみたいとお願いします。
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クランちゃんの口からこのような〝お願い〟が出たのは、恐らく今回が初めてで魔法使いの女性はそれを快諾します。
グレン君にとっても異性同士とはいえ同年代の子と…ましてや遊ぶ機会なんて随分と無かったと思いますから悪い話では無い筈です。足早に国王に掛け合いました。
国王は些か呆れ気味に聞いてはいましたが、多少グレン君の仕事内容に調整が入る程度であり通常通りの任務にクランちゃんと遊ばせるという風変わりなものがくっつくだけなので返答をそこまで渋るような内容でもありませんでした。
もし不穏な動きが有れば予めクランちゃんの側近として配置させているメイドがグレン君を拘束し再教育するように研究機関に送り返すだけです。
こうしてグレン君は傭兵兼使用人又はクランちゃんの従者兼遊び相手として勤めるようになり晴れて二人は顔を合わせる事となりました。
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因みに銘を受けた当日のグレン君ですが上司に呼ばれ初っ端口頭から「最重要人物の護衛及び監視の任務だ」と告げられ、流���のグレン君も涼しい顔の内心では戦々恐々としていたのですが蓋を開けてみれば少女と文字そのままの意味で遊ぶだけだったので拍子抜けしたとかなんとか。
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最初こそ主にグレン君が警戒を示して距離感があったもののクランちゃんの能天気な…おっとりとしたペースにだんだんと絆されていきました。二人は徐々に親密になります。
好奇心からか人懐っこく少々抜けている愛らしい面もあるクランちゃんに対しグレン君も素で少々辛辣な言葉を投げ掛けてみたりと魔力装置とその魔力による被検体とは思えないような微笑ましく仲睦ましい関係値を築きます。
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少し引っ掛かるのは、クランちゃん自身に知らされていない事とはいえ自身や周囲の孤児達をこのような姿にした元凶でもあるクランちゃんに対してグレン君は怒りや怨みを感じ無かったのだろうかという点ですが恐らくそんな事は無く、だからこそ最初の頃は警戒し場合によっては一夜報いて処分される気もあったのではないかなと思います。
しかしクランちゃんと触れ合っていくうちに連れ彼女自身の境遇も決して良いものとは言えず彼女もまた被害者の一人であるという答えに落ち着いたのではないかと推測します。
二人が親しい友人となるまで、そう長い時間は掛かりませんでした。しかし同じくして穏やかな時間も長くは続いてくれなかったのです。
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これまでの国王の横暴な統制に国民や一部兵士の不満が爆発しクーデターが勃発したのです。
瞬く間に王国内が戦場と化しました。勿論、国同士の戦争では無く内紛でです。城内にも怒号と罵声が響き渡ります。
意外にも早々に劣勢に陥ったのは国民側ではなく王国側でした。軍事力は王国側が保持しているものの肝心の指揮が行き届いていなかったのです。何故そのような事態に陥ったか
国王も混乱していました。何故ならクーデターを起こした先導者は実の息子、自身の傍で仕えて来た筈の王子だったからです。
だいぶ遡った先述にて書かせて頂いたこの王子の存在が後々の展開に大きく影響していくというのが、ここで繋がります。ずっと傍らで国王の人を〝駒〟のように扱う王政、そして非人道的な研究への協力等々人権や意志を無視したやり方を見て来た王子は、裏で傷ついた国民や兵士達に寄り添い反旗を翻すタイミングを見計らっていました。
恐らく魔法使いの女性も王子同様に以前から国民側として裏で手を引いていたと思われます。そして、このクーデターはクランちゃんとグレン君の保護までしっかりと視野に入れられており、外部にも漏らさぬよう慎重に計画を練られていた筈のものでした。
魔力提供したものとは又違いクランちゃん本体の強力な魔力は、王城内外のバリア等あらゆる動力源としても使用されてしまっており図らずしもクーデターを起こすには厄介なものとなってしまう為、一時的に城外に避難させる必要がありました。そこで警備が手薄になる内乱での混乱に乗じてグレン君が外の安全地帯に彼女を連れ出すという算段の筈でした。
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一足…いや二足も早くクランちゃんの側近であった王国専属のメイドが王子や魔法使いの女性の規格外に動きクランちゃんを拘束します。
彼女はただのメイドではなく王国の為に戦闘要員として教育された暗殺者の一人でした。思うに彼女は事前に王子や魔法使いの女性の裏での行動に気付いており尚且つグレン君がクランちゃんを連れ出すという計画まで〝メイド〟として傍で聞き確実に王国側を勝利させる為敢えて大事にせぬように内に潜ませ、虎視眈々と様子を伺って来たのではないかと思います。
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★解説では早い段階でメイドの正体は王国から手配された監視役と明かしていましたがクランちゃんやグレン君達が彼女の正体に気づくのは今この瞬間です。
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さて確実に王国側を勝利させる条件ですが、それはクランちゃん…もとい、
無限魔力発生装置の主導権を王国側が絶対的に握り最大限に利用する事です。
これまでは魔法使いの女性との契約により大事に扱ってきましたが王国側から見たら今の彼女は裏切り者です。
よって契約は破棄と見なされ、クランちゃんを大事に且つ丁重に扱う理由も無くなりました。
逃げようとするクランちゃんの手をメイドは捕まえます。
当然そんな裏事情など知らずに十年間、彼女に信頼を置き剰(あまつさ)え家族のように慕っていたクランちゃんは酷くショックを受けます。
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予定外の展開にグレン君も呆気に取られ、動揺している間にクランちゃんは王城内の他の部屋に攫われてしまいました。
今までと打って変わり問答無用という態度にグレン君も普段の冷静さを失い激昂し、それこそ同士討ち前提の死を覚悟しクランちゃんを死に物狂いで探します。
もしこれが王国の手により強化された人間同士の一対一の純粋な決闘ならグレン君にも勝算が見えたかも知れません。
しかし現状は内部戦争です。相手も無策な訳がありません。
ここにきて王国側からの新たなる刺客がグレン君とクランちゃんを絶望の淵に追いやります。
城内が混乱する渦中やっとの思いでグレン君がクランちゃんを探し当てた部屋には怯える彼女と一緒に最凶で最悪な暗殺者が血色の眼を揺らしながら尋常でない殺意と狂気を放って恨めしそうにグレン君を待ち構えていたのです。
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この刺客とは一体何者なのか。まず、クランちゃんの側近であったメイドは王国に忠誠を誓う暗殺者の一人でした。要は彼女の他にも暗躍していた者達が存在していたのです。
その中でも現在グレン君と対峙している暗殺者の少女はタチが悪く、例えば暗殺者でありながらも世話係の兼任を担っていたメイドが持つような理性が崩壊しており殺しそのものを生業とする生粋の暗殺者です。そして国王以外に唯一、メイドが信頼する彼女の実の妹でもあります。
この暗殺者の少女はクランちゃんやグレン君と同じ年頃でありますが、元々の素質か暗殺者として育て上げられた過程でか価値観が酷く歪んでしまっており『自分を見てくれるから』ただそれだけの理由で暗殺を遂行してきました。
今回も例に漏れずグレン君が『見てくれるから』彼を殺そうとします。そこに最早もう内部戦争だとか暗殺任務だ等は塵程に関係ありません。
--
★補足
この間クランちゃんを暗殺者の妹側に任せて姉側のメイドは何処に行っていたのかと言いますと、国王の元へと助太刀しに行っていたのではないかと思います。クーデターが勃発している現状、命が一番危険に曝されているのは国王です。
この姉妹も出生はグレン君と同じく孤児であり特に姉のメイドの方は王国に拾われた恩義から強い忠誠心を持ち結果としてクランちゃん達と敵対しました。
しかし妹の方は精神が壊れてしまっており暗殺の理由である『見てくれるから』という物言いの仕方からして、国に恩義を感じる以前に幼さ故に愛情不足等々のストレスに心が耐え切れなかったのだと推測します。
因みに姉妹と表されていますが血の繋がりはありません。
二人の関係ですが、少なくとも姉の方は妹を大事にしている印象で壊れてしまった妹と同じ年頃であるクランちゃんの傍で仕えながら、同じく彼女らと同じ年頃であるグレン君と一緒に従者として働いていた日々の内心を思いますと複雑なものがあります。
因みに約十年間メイドとして触れ合ったクランちゃんの事は「嫌いでは無かった」ようで今回の王国側と国民側の対立が無ければ、もっと良好な関係が築けていたのかもしれない。
--
★補足2
今まで触れて来なかったクランちゃんの戦闘能力ですが無限に魔力を発生させれるものの、温室育ちであり恐らく王国側からの指示で万が一抵抗された際に厄介なので護身用の教育を受けていません。よって王国の動力源に使われる程の高い魔力を持っているにも関わらず戦闘能力は皆無です。
素質としては王城の防御壁代わりに使われていた防御魔法に特化しており、攻撃魔法より守護面に長けているようです。
しかし今回の件を考えますと王国側の判断は大正解だったようで実際にクランちゃんは戦闘場面においての自身の力の使い方が分からずグレン君を守る事が出来ませんでした。
これに関しては、先を見据えて指示した王国側がしたたかであったと言う他ありません。
--
視点を絶体絶命のグレン君とクランちゃんに戻します。
グレン君も傭兵として培われた経験や過酷な訓練を乗り越えて来ただけあり持ち前の身体能力を持ってして抵抗します。全ては囚われてしまったクランちゃんを救ける為。いま彼女を敵の手中に収めてしまったら、もう二度と会えなくなってしまう…そんな胸騒ぎがグレン君を焦燥に駆り立てます。
しかし相手は〝殺人〟に関して一流であり加えて精神が崩壊している為ブレーキが存在せず惨殺するまでグレン君に執着し続けます。例えクランちゃんが自分を犠牲にしグレン君を見逃すように叫んでも羽虫の鳴き声程にしか捉えない又は聞いてすら…はたまた聞こえてすらいないのです。
その結果、グレン君くんの必死の攻防は悲劇的で尚且つ最悪な結末として無念にも終わってしまいます。クランちゃんの目の前でグレン君の身体は鋭利な刃や黒魔術により深く刻まれ嬲られ満身創痍となりました。
死体よりも酷い有り様の瀕死状態で、まともに呼吸をする事すら出来ているのか分からない程に変わり果てたグレン君の姿にクランちゃんは遂には泣き崩れてしまいます。
その凄惨な光景は、誰がどう見ても逆転不可能な幕引きにしか見え無かったのです。しかし…
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クランちゃんの泣き声を聞きグレン君は最期の力を振り絞り傷だらけの体で立ち上がります。
それとほぼ同時に魔法使いの女性が率いる一部の反乱軍がグレン君とクランちゃんを護るように部屋に突入し、反乱軍である国民と魔法使いの女性の決死の助力によってクランちゃんとグレン君は先述していた計画を組んでいた際に事前に用意されていた外の安全地帯へと送られたのです。
そして同時刻…クランちゃんとグレン君の逃亡劇の裏で、王城の玉座の前では国王は国の繁栄を、王子は民の意志を継いで、互いの思想と理想の為に親と子は剣を振り下ろしました。
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安全地帯に送られ、文字通り命からがら城外に逃げる事が出来たクランちゃんとグレン君。クランちゃんは初めて出た外を不安げにきょろきょろと見渡します。足取りも覚束無いまま緊張の糸が切れ尻餅を着くクランちゃんの横で、どさりと重たい音がしました。グレン君が倒れたのです。
逃げる前グレン君は重症よりも酷い状態でした。その深手のまま敵に抗い痛みを感じる以上にクランちゃんを助ける事に必死でした。自分の命を犠牲にしてまでもクランちゃんに生き延びて、生き続けて、生きていて欲しいと。
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二人を逃がす前に、魔法使いの女性から応急手当として回復魔法を受けていたと思われるグレン君ですが恐らく魔法使いの女性は回復魔法は専門外であり、専門の術者もその場におらず呼びに行くとしたら時間が掛かってしまい目の前の敵に隙が出来てしまう…そして、それ以前に暗殺者の黒魔術が蝕んでしまったグレン君の体や魂は、もう助からない段階まで症状が進んでしまっていたのだと思われます。
魔法使いはグレン君に眴せします。流石にグレン君を治療が行き届かない外に出す訳にはいきません。例えもう助からないとしても1%でも生存確率を上げるならばクランちゃんを一人で外に逃がし、そして暗殺者と今も尚対峙している為この場は危険な場所には変わりませんが医療班が来る望みがまだ有る分こちらにグレン君は残っているべきと…ですが
その真紅の瞳は近くまで来ている〝死〟への恐怖は微塵も感じさせず最期までクランちゃんを護りたい、傍にいたいという強い願いと従者としての誇りを、肌がひりつく程に感じさせました。
いずれの選択にせよグレン君が長く無いのは変わりません。ならば彼の意志を最大限に尊重するのが、せめてもの手向けになるのではないか…そうして魔法使いの女性は、それこそ断腸の思いでクランちゃんと共にグレン君を送り出しました。彼女にとっても王国により犠牲となってしまった国民である一人の少年を。そして大事な娘…そのような存在であるクランちゃんの、やっと出来た大切な友人を自身の目の前で救えなかったのですから…。
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安全地帯にさえ来てしまえば、クランちゃんはもう大丈夫です。役目を終えグレン君は血塗れた瞼を穏やかに閉じて息絶えていました。従者として友として最期まで彼女の傍にいました。
グレン君の死にクランちゃんは酷く悲しみました。しかし、もう先程のようには泣き叫びませんでした。膝枕するようにグレン君の頭を乗せ、泣いていた時の余韻を残して少し赤く腫れてしまった瞳で何かを決意したようにグレン君の亡骸を見据えます。そして彼女の〝救けたい〟という純粋な想いと祈りは、潜在的に宿り眠り封じられた秘められし〝奇跡の力〟を覚醒させます。
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二人を取り囲むようにして、周囲をクランちゃんの強い魔力が顕現した証である紅い薔薇が、まるで今から起こる出来事を祝福でもするかのように咲き乱れ華やかに舞い踊ります。
随分と遡った先述にて記させて頂いた通りクランちゃんの実態は人間ではなくどちらかと言うと天使に近い存在です。
そう、今まで鳴りを潜めていた天使としての力が覚醒したのです。そして運命に翻弄され続けた少女の無垢な祈りは無事に天へ届きました。
こうして意識を取り戻したグレン君の視界には宝石のような瞳に涙を一杯一杯に溜めたクランちゃんが映り、揶揄ってやろうとするも束の間に抱き締められ、傷に響くと小さく呻きつつも照れくさそうに抱き締め返すのでした。
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天使の蘇生術を施された反動によりグレン君も人間ではなくなってしまいました。クランちゃんも以前のように人間の真似事のような歳の取り方を出来なくなってしまいます。しかし、そんな事は今の二人にとって、とてもとても些細な事でした。
その後の長い長い年月を、クランちゃんとグレン君は互いに手と手を取り支え合い二人は幸せに生きていくのでした。
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ここからは補足と後日談。内紛は王子が率いる国民側が勝利し、研究施設諸々は取り壊され軍事の在り方についても一から見直していく事となりました。国民を踏み台として富や税を貪っていた一部の権力者達も総入れ替えを行い今度は国民に寄り添える王国を目指し今ここに若き王が誕生しました。
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元国王の処罰そして処遇については王子自身が殺害での解決を望まない人柄に汲み取れた為、権力を剥奪した状態で王子側の兵士の監視下の元軟禁または国民が知る由も無い住居にて隠居させているのではないかと思います。後者の隠居の場合に関しては見つからない場所でないと恨みが収まらない国民が国王を手に掛けてしまう事が危惧出来るからです。
これに関しては元研究員達や元王国側の権力者達そして例の暗殺者であった姉妹達にも同じような処遇が下されたかと思います。もし更生が可能ならば数年後には贖罪という意味合いも込めて表で活動出来るよう手配をする事も考慮して。
但し人として余りにも許されない行為をしてしまっていたり、更生の余地や意思が無いようであれば再出発をした王国を脅かす脅威となる前に正当に処罰を降したと考えます。
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その後のクランちゃんとグレン君について。
隠居とはまた違いますが、復興中の王国内が落ち着くまで暫くは安全地帯での生活を余儀なくされます。とはいえ生活で必要な食料や衣料品等は、新しくなった国からほぼ毎日届いており特に不便や不自由なく暮らせる状態です。
落ち着きだした頃には魔法使いの女性も二人が人間ではなくなってしまった事情も知った上で変わらぬ様子で接し度々顔を出すようになります。まるで新婚さんのような二人を茶化す母親のように。
安全地帯に関してですが、恐らく特に危険な生物が生息していない森の中で目立たないながら赤い屋根の可愛いらしいお家が建っており、そこを王国内に戻るまで仮住まいにしていたのではないかと推測。もしかしたら、そのままそこに住み続けているのかも。小鳥のさえずりで起きてほしいし、クランちゃんには森の小動物と遊んでほしい。
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以上がクランちゃんとグレン君編でした!🌹🥀
クランちゃんの愛らしさも然る事ながらグレン君という一人の男の子の生き様と言いますか在り方が格好良すぎる…!!
因みに今後ルイ達と邂逅する時が来た場合、時系列的には逃亡後の二人と会うのが正解なのですが、お城…箱入り娘のお嬢様…と見せかけて実は囚われの身の女の子…グレン君との主従関係…イイよね…みたいな感じで🍓と話していて、んじゃあ逃亡前にするか〜と審議中だったり🌻
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そうだ、せっかくなので…魔法使いの女性、クランちゃんのメイドであった暗殺者のお姉さん、そのお姉さんの実妹でグレン君を窮地に追いやったヤベー暗殺者の子は…実は…!
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この🍓が販売中のスタンプにいます。(久々な突然の宣伝)
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ちょうど三人で並んでらっしゃいました。左が魔法使いの女性、左中央が妹の方の暗殺者の子、右中央が姉の方の暗殺者の女性でメイドとしての姿、右が暗殺者としての姿です。
みんな可愛くて美人さんです!因みに🌻の推しは…春本の作者なので何となく察して頂けてそうですがヤベー妹の子。
でもって!なんと神様(左)と、オズウェルさん編で登場した全智の天使様(右)もスタンプの中にいるのだ〜!神々しい!
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そんな感じで今回はここまで〜!次回はルイと花夜と春本編です!😼🦊🐰もしかしたらルイと花夜、次々回に春本という風に記事を分割するかもしれません。まだ未知数…!
今回…というより、まとめ記事を書く度🌻から🍓への愛の重さが尋常でなく露呈しだしており見ての通り沢山書いてしまった為、誤字脱字すごいかもしれません…!見つけ次第直していきます😱それでは!♪ (2021/09/22)🌻
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chanson-dada · 4 years
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シャンタル・ケリーのいつかリイシューされるCDのためのライナーノーツ
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『シャンタル・ケリー〜コンプリート・シングルス』
01. Caribou 02. Je Sais Bien 03. Ne Perds Pas Ton Temps 04. Je N'ai Pas Quinze Ans 05. Notre Prof’ D’Anglais 06. Rien Qu’une Guitare 07. Le Château De Sable 08. Je N’ai Jamais Vraiment Pleuré 09. Interdit Aux Moins De 18 Ans 10. Toi Mon Magicien 11. Les Poupées D'Aujourd'Hui 12. Des Plaines Et Des Bois 13. Petit Sucre 14. Arrête Le Temps 15. La Fille Aux Pieds Nus 16. Attention, Cœur Fragile 17. C'est Toujours La Meme Chanson 18. Mon Ami, Mon Chien 19. J'Écoute Cet Air-La 20. Les Roses De Mon Jardin 21. La Chanson Du Coucou 22. Bioulou - Bioulou 23. Fragola 24. Le Vieux Pin
百花繚乱の様相を見せる60年代のフレンチ・アイドルの中にあって、フランス・ギャルとシャンタル・ゴヤが、アイドルとして飛び抜けた魅力を放っていることはもはや疑いの余地はないことだが、ここにもうひとり、その二人には及ばないものの、忘れがたい魅力を放つフレンチ・アイドルがいる。それが本CDの主役、シャンタル・ケリーである。容姿、歌声、楽曲−この三つが揃わなければアイドルとしての魅力はどこか物足りないものとなってしまうが、フランス・ギャルとシャンタル・ゴヤには、この三つの要素が存分に備わっており、また二人には乙女のデリケートな憂いともいうべき優美さもある。そして、シャンタル・ケリーもまた、他のフレンチ・アイドルたちと十把一絡げにして放擲するには惜しいほどの、大胆にして繊細な乙女の魅力を感じさせる貴重な存在である。フランス・ギャルやシルヴィ・バルタンの人気に肖って、本人や楽曲のクオリティを度外視して量産された当時のフレンチ・アイドルのほとんどが、数枚のシングルをリリースしたのみで儚く消えていったにも関わらず、シャンタル・ケリーが当時、5枚のEPと2枚のシングル、さらにはアルバムを1枚出している(シャンタル・ゴヤでさえ当時アルバムはリリースしていない)という事実は、彼女のアイドルとしての人気やクオリティが、一定の基準に達していたということの紛れもない証拠であろう。
シャンタル・ケリーのプロフィール
それではここで彼女のプロフィールを紹介しておく。シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)、1950年4月8日、南仏のマルセイユに生まれる。本名はChantal Bassignaniで、そこからもわかるとおり、彼女の父親はイタリア人である。どことなく濃い目のエキゾチックが混じった面立ちは、これは父親譲りのものなのだろう。幼い頃から音楽に興味を持ち、彼女の最初のレッスン相手は、同じ60年代のフレンチ・イエイエのシンガーだった、クリス・キャロル(Cris Carol)の母親であった。というのもクリス・キャロルの母は、担当楽器は不明だけれども、当時様々なオーケストラで演奏活動を行っており、その関係で娘のクリスもシンガーとしてデビューしていた。当時、クリスは、Disques FestivalやPathéから数枚のシングルをリリースしているが、残念ながらヒットには恵まれなかったようだ。同時期にデビューしたシルヴィー・バルタンが、レイ・チャールズの「What’d I Say」をカバーしていたのに対し、クリスはデビューEPで同じくレイ・チャールズの「Hit The Road Jack」をカバーしていたり、当時のフランスのイエイエと呼ばれるシンガーたちが、アメリカのR&Bや女性歌手たちのスタイルを完全に模倣していたように、クリスもシェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」などをカバーしていた。選曲や歌唱法、そして容姿なども含めて、フランス・ギャル以前のイエイエにはアイドル的要素はほとんど必要なかったに等しく、シルヴィー・バルタンの低く鼻にかかった媚びるような声であるとか、シェイラのおばさんヘアだとか、同時期の日本の歌謡曲にも同じような傾向が見受けられるが、当時はまだ、乙女的な繊細さよりも、歌の上手さや、より大人な感情表現などが重視されていた時代だったのである。話をクリス・キャロルに戻せば、シンガーとして成功しなかった彼女は、もともと自分に与えられた楽曲に不満があり、曲を自作するようになる。そんな中で母親を介して出会ったのがシャンタル・ケリーであり、クリスの母親はシャンタル・ケリーをPhilipsと契約させ、そして彼女の娘をシャンタル・ケリーのチーフ・ソングライターとして送り込んだのである。
シャンタル・ケリー、デビュー
ここに漸く全ての役者が揃い、1965年、愈々シャンタル・ケリーの4曲入りのデビューEP『Caribou』がリリースされる。白いラインが入った赤のミニスカワンピースと白のブーツが、60年代のモードらしい超キュートなジャケットに、全曲、クリス・キャロルの書き下ろしで、バックの演奏を映画『ボルサリーノ』の音楽などで知られるクロード・ボーランのオーケストラが担当した。表題作の「Caribou」は、ロシアのトロイカと西部劇の音楽が綯い交ぜになったような曲で、歌詞にはle roi des sioux(”スー族の王”という意)という言葉もあることから、インディアンのことを歌った歌だと思われる。しかし、「Caribou」がトナカイのことで、聞いていると雪原をトナカイの橇で疾駆するイメージが自然と湧いてきて、さらにそれがトロイカをイメージさせ、無国籍なウェスタン・ミュージックのような不思議な印象を与える楽曲である。余談だが、私がこの曲を最初に聞いたのは、もちろんApril Marchのカバーで、彼女はフランス・ギャルの曲もカバーしているが、声質的にはシャンタル・ケリーの方が合っているし、「Caribou」のカバーもほとんど完コピに近い出来栄えだった。他の3曲は、「あなたと出かけたいのに、私の両親がそれをよく思わないの」と歌う「Je Sais Bien」、「勉強しなさい!」とうるさく言う両親に対して、「私は歌いたいし、踊りたいの」と反発する「Ne Perds Pas Ton Temps」(”時間を無駄にするな”という意)、そしてラストの「Je N'ai Que Quinze Ans」では、「私が自分の年齢を隠してたことを許してくれる?」と真実を打ち明けた後に、「私があなたを愛していることを忘れないで、だから私のことを本当に愛しているなら待ってくれるわよね。だって私はまだ15歳なんだから」(実際彼女は15歳でのデビューだった)と、いきなり苛酷な愛の試練を彼に課すあたり、乙女の自己愛的なセンチメンタリズムの発露が眩しい一曲である。この曲の途中で「Quinze ans」とコーラスを入れているのは、おそらくクリス・キャロルではないかと思う。と言うわけで、作家として再スタートしたクリス・キャロルの素晴らしい楽曲とプロダクションにも恵まれたシャンタル・ケリーのデビュー盤は、フランス・ギャルやシャンタル・ゴヤの乙女アイドル路線を踏襲した見事な作品集となった。
セカンドEP発売
翌年の1966年に続けてシャンタル・ケリーは、セカンドEPとなる『Notre Prof’ D’Anglais』をリリースする。タイトル曲の「Notre Prof’ D’Anglais」は”英語教師”と言う意味で、これもまた十代の乙女の重要なテーマである、学校の先生への恋心を描いたもの。続く「Rien Qu’une Guitare」は、フランス・ギャルにおける「J'entends Cette Musique」に匹敵する、乙女の心象風景を切ないメロディと歌詞で綴ったもの。物悲しいギターの響きとシャンタル・ケリーの絶唱とも言うべき切ない歌声がたまらないし、一緒にヴォーカルをハモっている声は、シャンタル・ケリーのメイン・ヴォーカルにも増して、少女のような透明な歌声である。B面に移ると、1曲めの「Le Château De Sable」を聞いて最初に思い出したのは、ロビン・ワードの「ワンダフル・サマー」。イントロの波音やファルセットのスキャットがそうさせているのかも知れないが、Le Château De Sableとは”砂のお城”のことだから、波に攫われて消えてしまった砂のお城のような、切ない恋の思い出を歌ったものだろう。そして最後は「Je N’ai Jamais Vraiment Pleuré」で、これもまた乙女心に溢れた佳曲で、「心から泣いたことなんて一度もなかったけど、今がその時」って、これもフランス・ギャルの「Le Premier Chagrin D'amour」に匹敵する一曲で、この曲を作曲したのは、当時多くのフレンチ・ポップスの作曲を手がけていたジョー・ダッサンで、彼はフランス・ギャルの「Bébé requin」や「24/36」なども手がけている。演奏は前作に続けて、クロード・ボーランのオーケストラ。
3枚目のEP、そしてアルバム
1966年は、シャンタル・ケリーにとって非常に多忙な年となったようだ。彼女は同じ年、続けて3枚めのEPを発売する。タイトルの『Interdit Aux Moins De 18 Ans』は「18歳未満は禁止」という意味で、歌詞の内容は「いつもいつも18歳未満は禁止だっていわれるけど、もう私達子供じゃないのよ!」というもので、これもフランス・ギャルで例えれば、「Mes Premières Vraies Vacances」や「Laisse Tomber Les Filles」などに見られる、自分たちはもう大人だと子供っぽく主張する乙女ソングの典型的な好例である。続く「Toi Mon Magicien」は、弦楽の厳かで格調高い演奏が、リボンのついたワンピースの折り目正しい乙女像を思い起こさせて、その切なさが胸に迫る一曲。「偉大な物理学者でさえ、私を悲しみから救い出す方法を見つけることはできなかったわ。でも、あなたにはそれができる。だからあなたは私の魔術師」という、この乙女ロジックに感服だ。”Je t’appartiens”(私はあなたに属している)という言葉もとても乙女らしい表現でグッとくる。次は「Les Poupées D'Aujourd'Hui」。これは”現代のお人形”という意味だけれど、夜になるとガラスケースを抜け出して踊り出す人形に自分たちをなぞらえて、普段は学校に縛られているけど、日曜になると全てを忘れて長い髪とミニスカートで一晩中踊り明かし、夜明けとともに家に帰る現代のシンデレラだと自分たちのことを歌っている。最後の「Des Plaines Et Des Bois」は”平原と森”と言う意味で、これは「恋はみずいろ」などの作曲でで知られるイージー・リスニングの第一人者、アンドレ・ポップのペンになるもの。フランス・ギャル・ファンには「Les Rubans Et La Fleur」や「Deux Oiseaux」の作曲でおなじみである。以上、演奏は全てクロード・ボーラン・オーケストラ。 そして、1967年になると、今度は昨年の活動を総括するように、シャンタル・ケリーのアルバムが発売される。3枚目のEPのタイトル曲「Interdit Aux Moins De 18 Ans」が冒頭に配置されたこのアルバムは、タイトルもそのまま『Interdit Aux Moins De 18 Ans』とされ、これまでの3枚のEPで発表された全12曲が収録されていたが、残念ながら新曲はなかった。シングル一枚をリリースしたのみで消えてしまう歌手も少なくなかった時代に、その中で5枚のEPの他に、アルバムまでリリースされたのは、彼女の当時の人気の一端が伺える事実である。しかし、アルバムが出たものの、セールス的には振るわなかったのか、当然ながら現在ではこのアルバムは相当なプレミアがついており、中古市場でもほとんどお目にかかれないレア盤となっている。
1967年、Philips最後の年
シャンタル・ケリーの1967年最初のEPは『La Fille Aux Pieds Nus』。「Petit Sucre」「Arrête Le Temps」「La Fille Aux Pieds Nus」「Attention, Cœur Fragile」の4曲が収録されているが、「Petit Sucre」と「La Fille Aux Pieds Nus」がクリス・キャロル作、「Arrête Le Temps」は、アイドル時代のシャンタル・ゴヤの楽曲を手がけ、のちに彼女の夫になったジャン・ジャック・ドゥヴーの作品で、確かにシャンタル・ゴヤのシングルに入っていてもおかしくない乙女純度の高い一曲である。最後の「Attention, Cœur Fragile」は、前作のラスト同様、アンドレ・ポップの作品で、このEPではバックの演奏が、これまでのクロード・ボーランからアンドレ・ポップのオーケストラに変わっている。 さて、そしていよいよPhilipsでの最後のEPとなる『C'est Toujours La Meme Chanson』が発売される。タイトル曲こそこれまでどおりクリス・キャロルの作品であったが、残りの3曲は当時のフレンチ・ポップスの職業作家たちの作品を投入してみたものの、全体としてはそれがかえって散漫な印象となり、残念ながらヒットには結びつかなかった。結果的に、Philipsはシャンタル・ケリーとの契約を打ち切り、彼女はフレンチ・アイドルとしての約3年間の短い活動期間を終えるのである。Philips時代の最後を飾った「Les Roses De Mon Jardin」は、「Le Château De Sable」のような可憐なバラードだけれども、演奏のシンプルさと物静かな印象で、まるで一輪挿しの薔薇のようにどことなく寂しさの漂う曲である。
フォルクローレのシングル
Philipsでのアイドルのキャリアを終えたシャンタル・ケリーは、音楽への情熱を忘れることができず、1968年になると、日本では「ちいさなひなげしのように」(原題「Comme un petit coquelicot」)という曲で知られる(といっても現代ではほとんど忘れ去られていると思うが)、マルセル・ムルージというシャンソン歌手が興した自主レーベル”Disques Mouloudji”からシングルを2枚リリースする。「Fragola / Le Vieux Pin」「La Chanson Du Coucou / Bioulou - Bioulou」がそれだが、前者のディレクターはクリス・キャロルで、クリス自身も翌年の1969年に、同じDisques Mouloudjiから久々の自らのソロ・シングルを2枚リリースし、また70年にはムルージが詩を書いた曲を集めたアルバムまでリリースしている。クリスも、シャンタル・ケリーの後には、クレオの共作者として2曲にクレジットがある程度で特に目立った活動がなかったようだが、昔の誼でシャンタル・ケリーがクリスを招いたのか、その逆だったのかはわからないが、音楽への思いを捨てきれなかった二人のかつての仲間は、ムルージの元でその音楽の最後の餞を行った。シャンタル・ケリーのDisques Mouloudjiにおける2枚のシングルでバックの演奏を行っているのは、「コンドルは飛んでいく」などのヒットで、アンデス民謡と大衆音楽を融合させたアルゼンチンの有名なフォークロアのグループ、ロス・インカスである。彼らは60年代以降はパリを拠点として活動していたので、シャンタル・ケリーとの共演がかなったのだろう。地味なフォークロアのシングルかと思いきや、意外に豪華な作品で彼女はそのラストを飾ったのであった。
その後、シャンタル・ケリーは父親の故郷のコルシカに戻り、ブティックなど経営をしていたようだが、1981年にCBSと契約し、Chantal Bassi名義で1枚のシングルと1枚のアルバムをリリースする。80年代版のフレンチ・アイドルだったリオなどと同じようなエレクトロ・サウンドだが、もちろんこれは60年代にアイドルとして活躍した、あのシャンタル・ケリーの作品ではない。
最後に
何度もフランス・ギャルやシャンタル・ゴヤを引き合いに出すことは、もしかしたらシャンタル・ケリーには大変不名誉なことなのかもしれない。しかし、民衆の音楽が次第にビジネスとしての進化していく最中にあって、その純真な乙女心でひたむきに歌を歌い、こうして今でも我々の胸を熱くさせる彼女の存在は、フランス・ギャルやシャンタル・ゴヤと同様に、50年以上経過した今でもピュアな光きを放っている。そしてその輝きは少年たちの憧れの乙女像のひとつとして、永遠に記憶され続けることだろう。
付録:シャンタル・ケリー/ディスコグラフィー
●EP
Caribou (Philips / 437 180 BE / France / 1965) Notre Prof’ D’Anglais (Philips / 437.230 BE / France / 1966) Interdit Aux Moins De 18 Ans (Philips / 437 271 BE / France / 1966) La Fille Aux Pieds Nus (Philips / 437 302 BE / France / 1967) C'est Toujours La Meme Chanson (Philips / 437 352 BE / France /1967)
●LP
Interdit Aux Moins De 18 Ans (Philips / P 70.382 / France / 1967)
●Single
Fragola / Le Vieux Pin (Disques Mouloudji / NX 11018 / France / 1968) La Chanson Du Coucou / Bioulou - Bioulou (Disques Mouloudji / DNX 11 023 / France / 1968)
●日本盤シングル
2人だけのシャンソン/想い出のあの歌(日本ビクター / SFL-1122 / 1967年)
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ilyricsbuzz · 5 years
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reGretGirl – スプリング 歌詞
スプリング 歌詞 reGretGirl アルバム/ Album: スプリング – Single 作詞/ Lyricist: reGretGirl 作曲/ Composer: reGretGirl 発売日/ Release date: 2020年4月15日 Language: 日本語/ Japanese reGretGirl – スプリング 歌詞 「見渡す限り恋の色をしているね」 とはにかむ いつのまにかそんなことも 思い出の一つになって 「そんな人もいたね」なんて いつか言われてしまうのか 嘘だったかの様に忘れられていく 履き慣れていないパンプスで 長い髪を後ろにまとめて シワのない綺麗なシャツを身に纏っている 目が眩むほどの光へ 僕が知らない方へ向かって 歩き出してしまう君は 新しくなった日々に似合わない 僕のことはもう忘れて 抱きしめていた思いは独りでに 暖かい風に攫われる 僕に無いものを持っている所に 惹かれたことを思い出したんだ 一歩踏み出す姿をみて思った 春は憂いだ 久しぶりに会った君の髪は短く切られていて 「もうアナタのものじゃないのよ」 って言われてる気がして嫌だった 咲き誇る公園の木々の花びらヒラリ ひとりすれ違ってる行き場を失ってる 何処かへいってしまいそうな 遠くをみる瞳に映らない 知らないうちに過去の人になってゆく 履き尽くしたボロいスニーカー […] Click here to view full Lyrics
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kaerenakunatta · 5 years
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アンダーカレント
 都合よく色付けられた結末が、あなたと見てきたすべての朝に反射して街に溶けている。溶け出した記憶は、もうわからなくなって、誰のもの? 長いさよならに会わせる言葉も無く。
 八月に刃物が下ろされる。間違いに似た季節がやってくる。歩いたばかりの道が砂になって崩れる。もう二度と同じことが起こらないのだとしたら、どれほど幸福にあなたを思い出せるだろう。反復するだけの日々を、膨張していく過去の中に大切に閉じ込めて。
待っている、ふりをしている。さみしい、ふりをしている。
 八月の刃物があなたを引き裂いてくれたなら。明日の話でもできたのかもしれなかった。
「いま、こちらでは雨が降っています。もう傘をさすなんてことはしなくなった。大雨の日でも、雪が降っても、あなたのいた頃のように傘なんてさしたくないんだよ。」
 糸のようにまとわりついてくる雨をひとつひとつほどいてゆけば、流れ、落下し、ひとつの場所へ帰ってゆく。回帰し冷たくなった雨は、光、針になってばらばらと散った。祖母の裁縫箱はいつもきれいだったなと、散らばった雨を見ていると思い出す。付随し膨らんでゆくばかりの記憶のかつての輪郭はもう見えず、肥え太った肉付きの良い思い出。そんなものばかり。結末の場所が見えてくる。それが忘却だってこと、もうずっと知ってたよ。
 祖母の裁縫箱にはきれいに針の刺さった針山が二つ入っていた。雨も、そんな風に、正しければ、悲しむ必要なんて無くなるのだろうか。
「最近読んだ詩集の中に、あなたの気に入りそうな詩が一篇あったのだけれど、それをどう教えようか考えている時間ばかり膨らんでしまい、身勝手にもどの詩だったのかわからなくなってしまった。」
 本の中にあなたを見かけることがある。あなたのいるページを破いて壁に貼っている。あなたはこんなに近くにいるのに、決して現前することはない。あなたにだけ語りかけているのに、あなたは決して現前することはない。ページの欠けた文庫本ばかりが本棚に並んでいる。リフレインは憂鬱の表現方法だよっていつかあなたは言っていたけれど。
「そんなの、買い取れないよ」って古本屋さんは言う。「ミステリー小説でそれをやられたら、たまったもんじゃないよ」って古本屋さんは言う。あなたのことで、あなたが関わっているもので、こうして別の人との間に関係が生じる。あなたのいない時間があなたのいないままに進んでいくのを見ることにまだ慣れない。古本屋さんに持って行った本の中に、あなたはもういないのに。
八月の刃物が下ろされる。欠けた刃から砂が零れ落ち、小魚の腹のようにきらめいた砂はそのまま、そのままで八月に吸われ、取り返すことはできない。もしも、一瞬でも、たったの一秒でも、手のひらに集めることができたなら。光の粒を所有し街を歩けたら。悪いことをしている気分になるのだろうか。それで、あなたは、見つけ出してくれるだろうか。光の粒を。
「この手紙があなたに読まれていないであろうことが唯一の幸福です。この手紙をあなたが読んでしまったなら、あなたはきっと傷つくでしょうから。」
 海の所在地を知っている。雨が上がった。高く、ゆれている雲のほうへ向かう。少し大きな靴が面倒な八月に抗う。浮遊するには重すぎるが、歩くにはこれくらいがちょうどいいのでしょう。途中、手紙を投函する。あなたが通ったことのない道を通って海へ行く。あなたが歩いた道を通ることができない。あなたが通ったことのない道を通って海へ行く。あなたが立ち止まり振り返った景色の追憶。通り過ぎるための結末はそこには無く。
 八月。転がるサイダーの空き缶。煙に巻かれる花びらに。早朝、誰もいない公園での悪戯。約束なんてしなくても、そこにあっただけの八月。幾重にも重なった風景には嘘は無かったけれど。八月。さみしさより先に更けていく夜。あの日ふたりで観た映画のように、さよならだけが残っている。
「あなたのいた日々の上を辿りたかった。」
 ボーリング場を過ぎると海が見えてくる。取り残され、廃墟になった民宿が煤けたみたいになって、ぼーっと海を眺めている。民宿の脇を通って階段を下りると、誰も知らない海が広がっている。遠くで、ビーチボールが上がる。遠くで、夏の子供たちが笑っている。あなたとふたりで置いた流木のベンチが、虫の住処になっている。邪魔しないように、邪魔しないように。つまらないことを言って、思い出に水を差さないように。海面に反射する光の粒に目を細めていると、誰かがこちらへ向かってくる。大きな鞄、ヘルメットをかぶり、煙草を吸いながら。
光の粒を所有することができたなら。両手いっぱいの光の粒を、もしも所有してしまったら。あなたのことなんて思い出さずに済むのに。きっと。
 鞄の持ち主は郵便配達員だった。大きな鞄、いくつかの想いを運んで。砂の音は風にごまかされてしまった。煙草が砂浜に埋まる。煙の温度が光の粒を燃やしている。遠くゆれる蜃気楼まで届きそうなくらい。
「こんにちは」
「こんにちは。配達ですか? ここへ」
 急かすように波は、夏は。透明になった無意識は浮き彫りになり、海へと投げる質問さえ急かす。
「毎日ね、毎日二通、ここへ手紙を届けなきゃならないんですよ。いやんなりますね、こう暑いと。最初の頃は局で保管していたんですけどね。海へ宛てる手紙なんて、ろくなもんじゃないでしょう。まるで、相手がいるのに相手がいないみたいですよ。仕事なんで、まあ保管期間もあるし勝手にここに郵便受け作っちゃったんですけどね」
 潮風に曝され色の薄くなった郵便受けには、手紙が溢れている。
「さっき煙草吸ってたこと、言わないでくださいよ。クビになっちゃいますから。じゃ、そういうことで」
 知らなかった、あなたの手紙の宛先を。知ってたよ、わたしの手紙の宛先を。郵便配達員の足跡は砂浜に残ろうとしていたが、落下してゆく想いのそばに、消えていったようだった。
「深い海の底にいるようだ。過去のいくつもの過ちが通り過ぎてゆく。それは、あなたもそうだろう。夏が来て、思い出すのはあの夕暮れと、刃物のように冷えた部屋、そしてその部屋の明るさ。ここからはあなたの部屋の明かりを見つけることはできないが、遠くへ行くんだろう。きっと。朝にはすべての光が集い、夜にはそのすべてが見えなくなった。ずっとそうだったよ。ほんとうは、ずっとそうだったんだ。ただ、そのすべてがもう何も見えなくなった。それだけなはずなのに。」
 都合よく色付けられたはずの結末が、あなたと見てきたすべての朝に反射して海に溶け出せば、長いさよならにまつわる問いを、ほどいていくようだった。白い砂のからまるあなたの言葉は、勇気もなくさよならばかり。光の粒は風に攫われ、海までの道を舞う。誰のものでもない風景が、あなたのいない八月を呼んでいる。
 もう一度だけの手紙を。さよならにはもったいないほどの日々よ。いつかまた会えたなら。あなたのことなんて忘れてしまえるでしょう。
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mellowtyphoonpaper · 7 years
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シナリオの大まかな設定
世界観
 街並みは中世ヨーロッパ寄り、科学と魔法の融合した世界、人間以外の種族も当たり前のように存在する。(魔族・獣人族・有角族・妖精族・神々etc.)  神々は基本不干渉、魔族と括られている種族は主に"外見が著しく人間と掛け離れている、または人類に対し有害"という括りなので、獣人族にも関わらず魔族刈りの対象になることもある。
 人類は神々を信仰し、悪しき"魔族"との戦いを数千年単位で繰り広げてきた。奪い取った領土も一部あれば、魔族に侵攻され奪い取られた領土もあり、一進一退の攻防に疲弊しきっている。        人類側
 大地を創造した後、単細胞生物の一部に神々が介入、知恵を身に付けた一部の猿が進化した一族。  古来より神を崇め、聖なる恩恵を受けた教団が王政の背後で実権を握り、聖騎士団という軍事力を唯一保持している。
 数千年の間に本来の教義とは掛け離れ、"神こそ正義、神の姿を模した我々人類こそが地上を統べるべき"と声高に主張、他種族への差別意識を民衆に植え付けている。
 教えに反する者、異教徒、異種族に対する弾圧を躊躇せず、絶対の教えを胸に突き進む。
 魔法を使える者はおらず、基本的には神から与えられた"神器"、若しくは科学技術によって創られた武器を手に魔族に立ち向かう。  ただし、神と接触する権利や神器を所有する権利を保有するのは教団であり、聖騎士として貢献した一部の人間しか授かることができない。  一般人でも銃程度の武器所有は許可されているが、火薬類は高価なためなかなか入手できないのが実態である。  学校等の教育機関や医療機関はあるが、貧困の差が激しいため通えない子供も多数存在する。
神々側
 遥か昔に地上を創造したものの、その後何をせずとも発展するようになった文明に"我々の介入は不要"と判断、以降は飢餓が起きようと戦乱が訪れようと静観を保っている。  時折、気紛れに地上への介入を試みる神もいるが、大抵は途中で地上生物の矮小さに失望して天界に戻る。  介入の仕方は様々で、中には地上の生物に憑依する神もいた。当然ながら高位思念体が宿るということは、元の生物にとって著しい負担となり、依代とされた地点で生存は不可能。  堕天という考えはなく、天災を与えるのもまた神の意志として罰されることはなく、神々にとって地上は気紛れに育てられただけの箱庭に過ぎない。
 神と定義付けられているが、その実態は宇宙に誕生した高位思念体であり、基本的な精神構造からして地上の生き物とは全くの別物。           魔族側
 神々によって人類が創られた後、人類を堕落させる試練として創られた存在。  元は"試練を乗り越えることで、人類の種族的な成長を促す"のが目的だったため、魔族もまた神々の教えに従い、神々が命じたままに人類を害してきた。  しかし、とっくに神々の興味が薄れたことで役割を失い、ここ数百年急拵えの魔王を据えての統治を図っている。
 基本的な寿命は人類より長く、中には不老不死の種族も少数存在する。  人類のことは"無知蒙昧な愚かな民"と認識しており、搾取し、略奪し、屠殺するための家畜として大多数が見下している。  魔法が使える以外にも、種族的な身体能力値が高いため、人類との戦いで拮抗している理由は数の不利と統制のなさに尽きる。  神々と直接言葉を交わした上級魔族たちの中には恨みを抱く者もいるが、手出し出来る存在ではないため諦めている者が大半である。
その他の種族
 魔法と自然が混合した結果、人類でも魔族でもない種族が各地で生まれ、それぞれが独自の文化を築き存続してきた。  人類が生まれる以前から存在していた種族もおり、戦乱が訪れる前は人類の善き隣人、ないし知覚外の隣人として共存関係にあった。  しかし、世界が混沌として秩序が乱れ始めたとき、人類は真っ先に他種族を敵として迫害を始めたため、人里以外の山奥でこっそりと隠れ住む他に生き延びる術がなくなった。  魔族からは攻撃されないものの、同族ではないため関与もされることがない。そのため、魔族に下って配下となる種族も少数存在する。
 魔法を使える者、使えない者と多岐に渡るが、生物であることに変わりないため寿命が存在する。  短くて数年、長ければ数百年、種の存続を最も重要な価値基準としている種族が多い。
妖精族・精霊
 地上を創造する際、高位思念体が環境整備のため創り出したインターフェースであり、妖精族には他種族を監視するシステムとしての役割が残されている。  精霊はそれぞれ担当する自然要素を持っており、魔法を発動させるためのプログラムそのもの。
 つまり、魔法とは超常的な力のことではなく、精霊に思念レベルで働き掛け、使役する力のことである。  魔力に当て嵌めて考えるなら、当然のように低位思念体<中位思念体<高位思念体の順に力を持つという構図が出来上がる。
 魔法を使える者には、当然のように精霊や世界を構成する式が見えており、見えない者にはその存在すら知覚することは不可能である。  また、神器と呼ばれる品々は、神々が適当な武器や防具にプログラムを組み込み、一定の条件下でのみ発動するよう設定されているだけの代物。  寿命という概念はなく、個であり全、全であり個の中位思念体が妖精、低位思念体が精霊と分類されている。
人物紹介 (敬称略、登録名表記)
朽木
 混沌を極める地上に、とある神が生み出した悪意の産物。  妖精だった中位思念体の精神体と、少数民族だった有角族の真新しい肉体を組み合わせた生き物。  実験のため生み出される際、全ての同族は神の手により殺され、魔族の管理下に置かれるよう仕組まれていた。
 管理下にあったもののまともな教育はされておらず、善悪の区別もなく、生き物としての本能と地上一の魔力を持つ。  言うならば無垢な子供そのものであり、一部の魔族によって魔王に仕立てられようとしている真っ最中である。
 齢200年を越えた近年反抗期に突入しており、居城から抜け出した森の奥で偶然主人公と出会うこととなった。
ネオン
 魔王を仕立て上げようと企む魔族側の皇族、真っ先に祭り上げられた本来の魔王。  本人は権力に興味がなく、矢面に立たされる不便さを全て新魔王に被せようとしている。  享楽・刹那主義の問題児で、軽薄で残忍な本性を笑みの上に貼り付けているような男。
 派閥としては穏健派に属しており、魔族を統治した後に人類を家畜として隷属させる魂胆がある。  現在、脱走した新魔王の居所を探しているが、各派閥が足を引っ張り合い難航していることが目下の悩み。
沼田
 魔族に降った獣人族の若者、たぬきの姿に变化することが出来る。  主な仕事は魔王城での下働きだが、もっぱら新魔王に悪戯されたり、その被害の後始末のために扱き使われている。
 仕事に対し不満はあるものの、魔族としての暮らしに不満はなく、人間を殺すことに一抹の躊躇もない。  雇い主は魔王だが、新魔王とつるんでくだらない嫌がらせをせっせと繰り返すのが趣味。  現在の主な役割は新魔王の監視であり、魔王からの命令を忠実に守る、という口実で一緒に城を出てきた。
神夢
 魔族の中でも位の高い貴族、派閥は穏健派の皮を被った混沌派。  神の支配を逃れ、地上の生き物が覇権を争う今の状況こそが最も活気に溢れ、美しい世界であると過信している。  そのため、魔族統治についても反対しているが、表立って争わずに裏から手を回して魔王側の失脚を目論む。
 優雅な物腰と柔らかい物言いで新魔王に近付くも目的は暗殺、既に数百回失敗しているが諦めない、そして目論見もバレていない。
花菱 正樹
 魔族領地にある山奥で隠れ住む、下半身が馬の姿をしている獣人族の青年、属する一派は古来より戦闘部族としてその名を馳せてきた。  嘗ては人類と共に魔族と戦ってきたが、他種族排他の時流によって衰退の一途を辿っていた。  近年になって何度も魔族側からの打診があったものの、遥か昔に人類と交わした約束を今でも一途に守り続けている。
 族長の一人息子にして、一族で最も優れた槍の名手、次期族長としての信頼も非常に厚い。  人類について思うところはあるが、道を違えた"古き友人"を害する気はなく、しかし同時に裏切った人類に手を貸す必要があるとも思っていない。
カルマユウジ
 一般家庭で育った人間の青年、王都の宮廷技術局に若くして配属されたエリートながら、本人の気質は至って不真面目。  言われた仕事は熟すが、言われなかった余計なことをしたりしなかったりするトラブルメーカー。  雇われているのは給金がいいことの他に、最新技術の粋が集まる技術局で一人黙々と研究をするため。
 秘密裏に行っている研究は魔法と、知覚外に在るという神々について。  もちろん教団により禁忌とされているため、見付かればお咎め程度では済まない。  動機は"気になったから"、最終目的は機械を通じてコンタクトを取ること。
 人間によって滅ぼされた有翼族の生き残り、偶然通りがかった魔族の騎士に助けられた。  一族は物珍しさから元々愛玩用の奴隷として狩られていた歴史があり、細々と生き延びていた一族を殺されたことで人間への恨みが烈火の如く燃え上がった。
 助けてくれた魔族の騎士に恋をしており、彼の手足として働けることを何よりの喜びとしている。  歌声によって精神の精霊を操ることが得意で、魅了するも錯乱させるも思いのまま。  目下のところ、脱走した新魔王の探索を任されているが、可能ならば自分の手で誅殺したいと考えているようだ。
波多野玉香
 スラム街に隠れ住む人間の少女、嘗て、自然信仰を続けてきた部族の一人。  他種族の根絶を唱える教団と真っ向から対立し、宗教弾圧を受け散り散りになったものの、独自の情報網を持って王都周辺に潜伏している。  対立当初から数えて、既に世代が幾代も代わってしまった結果、戦友だった部族との繋がりをなくしてしまっていた。
 "古き友人"の存在は親から子に語り継がれ、一族の悲願を達成するために尽力している。  その悲願とは、教団の歪んだ思想を根絶し、いつの日か再び人と自然が手を取り合う世界を創ること。  度々教団員たちから金品を巻き上げては、貧しい暮らしをしている人々に分け与えている。
久原敦
 恵まれない家庭で育った人間の青年、教団の一員として街外れの協会を任されている。  実は神の存在をあまり快く思っておらず、信仰心というものを欠片も持ち合わせていない。
 子供の頃から食べるものにも一苦労する家で育った結果、どうにかして貧乏暮らしから脱却したいと教団に入ることを決意する。  学力や身体能力の他に、人望や学校からの推薦がなくてはならないため、いつでも本心を隠し猫を被って生きている。  最近、スラムに布教に出かけた際、出会った少女の苛烈な眼差しと言葉が忘れられずにいる。
まこと
 スラム近辺に住む人間の青年、物心付いた時から両親はおらず、日頃は靴磨き等の雑用をしながら生計を立てている。  他人に対して必要以上の興味が持てないため、名前と顔を覚えるのが絶望的に苦手だが、仕事ぶりや人当たりが良いので友人はそれなりに多い。
 しかし、本性は他人の目玉を集めるのが好きなシリアルキラー。  子供の頃、街で見掛けた青い瞳の少女に惹かれてからというもの、目玉を瓶に入れて収集するのが楽しくて楽しくて仕方がなくなってしまった。  魔族やその他の種族について興味はないが、出会う機会があれば是非隙を見て目玉を抉りたいと考えている。
しろー
 裕福な貴族の家に生まれた人間の若者、善良な両親と共に熱心な教団員でもある。  根っからの善人で神の存在はもちろんのこと、教団が行っている迫害や糾弾に対しても盲目的に必要なことなのだと信じ切っている。  異教徒はもちろんのこと、教団の行いに異を唱えるものですら認められず、学生時代は絶対的な正義感から悪意なく虐めを先導していた。
 現在、聖騎士団に入るべく鍛錬に励んでおり、悪しき魔族の侵攻から市民を守ることを信条としている。
烏丸 凛太郎
 普通の家庭に生まれた人間の若者、通っていた学校で最も優秀な成績を取ったため、教団側からのオファーが来て入会を決意。  教団の教えに背こうとは思っていないが、心優しい性根から迫害される他種族に対し同情的な視点を持つ。  ただし、過去にそのことが同級生にばれてしまい、一時期クラスの人気者から虐められていた経験がある。
 現在、神父として役職につけるよう修行中だが、最近庭に迷い込んできた魔族の子供をこっそりと匿っている。  両親とは進学の際に別居しており、王都の外れにある祖父が遺した一軒家で一人暮らし中、家族仲は良好。
甲斐
 全身をフルメイルで包んだ魔族の青年、常に炎を纏った愛馬に跨り、銀槍を手に数多の戦場を蹴散らしてゆく。  元は位も何もないただの傭兵だったが、当時即位していた魔王によって引き立てられ騎士となった。  派閥は強硬派で、魔族を統治し人類を滅ぼすべきだと考えており、新魔王ではなく魔王自身が王位に就くよう何度も進言している。
 身寄りもなく一人で生きていた幼少期に、親代わりとも言える魔族の青年に拾われて大切にされていたが、魔族狩りに来た人間から逃すために犠牲となってしまった。  以来自分の無力さを嘆き、懸命に鍛錬を積みながら恨みを深め、必ずや仇を討つべく、そして二度と悲劇が起こらぬよう愚かな人類を滅ぼすべきだと考えている。
鷹野
 ふらりと繁華街に現れては消える遊び人風の青年、正体は魔族だが人間に紛れて暮らしている。  若く見えるが種族的に歳を取らない種族らしく、既に千年単位で遊び呆けており、外見で判別できる人間との差異は地毛の色くらいしかない。
 当然一つの場所に長居はできず、日銭を稼ぐついでにスリや盗みを働いている。  人間や他種族に対して友好的だが、それは単に見ていて面白く、自分が生きる上で便利に利用したいがため。  魔界の派閥争いに興味はないが、現状を維持したい保守派、混沌派に近い考えを持つ。
蒼龍翔
 体の彼方此方に青い鱗を持つ魔族の青年、原形に戻れば家よりも大きな龍に変身する。  魔族の中でも龍は血族の繋がりを何より重んじ、その習性から卵の段階での刷り込みが可能で、闇市場で高値で取引されてきた。
 そして、例に漏れず奴隷商によって巣から連れ攫われ、従順な奴隷として数百年に渡りとある貴族の家に仕えていた。  しかし、年々取締が厳しくなるにつれ、処遇に困った現代の主人が薬で眠っている間に野山に捨てたため、行く宛もなく家族に会いたい一心で街へと戻ってきた。  奴隷として働く間、ずっと家畜以下の扱いを受けてきたにも関わらず、恨みや怒りといった感情とは無縁の穏やかな気性を持つ。  ただし、餌として常に"生きた人間の雌"を与えられていたため、とある市民に保護されるまでは空腹の度に一人殺していた。
雨咲
 薄く透けた蝶のような羽根を持つ妖精の青年、精霊と違い妖精には個体差があり、自由な自我の形成が許されている。  ただし、神々が作ったシステムとしての役割は残されており、自由意志よりも神の意思が何より優先されるべきだと強くインプットされている。  生物的な欲求や感情が欠如しているため、高位思念体である神への反乱や人間への無意味な介入をする気はなく、次元の違う"妖精界"と呼ばれる住処から人類の進歩を観察している。
 新魔王として取り立てられている新たな生命体について、自分たちと同じ存在ながら生物的欲求を元に進化する姿を興味深く思っているようだ。  最も重要な使命として、地上を星ごと処分するという最終プログラムが組み込まれており、教団の教えにもある"ラグナロク"を静かに待っている。
新田
 国王の甥として生まれた人間の青年、本来なら王位継承権は国王の弟である父が第一位だったはずが、魔族との戦闘に巻き込まれ死去したため第二子として引き取られた。  国政だけでなく剣技の腕前でも名を広め、皇太子を差し置き次期国王へとの呼び声も高い。  人柄が良く人望はあるものの、政治の裏や策略を練れない兄を蹴落としてでも自分が王になるべきだと考えており、教団との癒着に��役買っている人物でもある。
 教団の活動を全面的にサポートする裏で、王族が名実共に実権を握れる社会を創るため画策している。  魔族との相互理解は難しいと考えており、必要ならば種族問わず全ての他種族を殲滅できるよう、技術局に更なる兵器開発を促している。
 絶滅したとされていた有翼族の娘、偶然一族の村が襲われた日に森に出掛けていたため難を免れた。  焼け落ちた村の残骸を見て泣き崩れるも、自分のように生き延びた仲間がいると信じて旅に出たが、奴隷商の度重なる襲撃により傷付き消耗していった。
 遂に羽根の傷が原因で命を落としかけたとき、たまたま通り掛かった薬草売りの青年に保護され治療を受けたが、化膿し腐敗し始めた羽根は切り落とす他なかった。  だがそのことを気にしてはおらず、人里に紛れ込みやすくなったと楽観しており、恩返しがてら仕事の手伝いをしながら各地を回っている。
輝羅 瑠衣斗
 珍しい左右非対称の目を持って生まれた人間の青年、その姿から他種族との混血ではないかと疑われ、差別されてきた。  極平凡な家庭で生まれたにも関わらず、親に捨てられ、友人もできず、居場所もないままずっと孤独を味わった結果、"自分は魔族なのだ"と思い込むに至る。  その一環として欲望のままに盗み、奪い、殺すことに一切の躊躇はなく、自分の悪い行いはすべて魔族が悪であるとした社会のせいだと信じ切っている。
 住処を点々とする内、偶然主人公と行動を共にする新魔王と出会い、その秘密を知ることで何とか利用できまいかと一人画策する。  目的は、自分を救ってくれなかった人類、魔族、その他の全ての生きとし生ける者を滅ぼすこと。  偶然街中で見掛けた、自分と同じ左右非対称の目を持つ猫に懐かれ、餌や寝床の世話をしながら連れ回している。
花市
 普通の猫に憑依した高位思念体、新魔王を創り出した神とは別。  地上が出来上がって進化の終点が見えてきた頃、量子力学における波動係数を操作するプログラムを地上に施した。  これにより物事が何故起こり、どういう結果に結びつくという因果律に左右されず、一つの結果に行き着く未来を設定することが出来る。
 新たな生命体である新魔王が自ら選択し、導き出した"答え"に興味を示しており、試練のせいでどれだけの犠牲が出ようと憂いはない。  現在は自分の目で成り行きを観察すべく、新魔王と接触した一人の青年に飼われているふりをしながら同行している。
水町 奈月
 山奥の内陸湖に住む人魚族の青年、数百年前に群れを離れて一人で暮らしている。湖の水は海水であり、飲水に適さないため他の生き物が寄り付かない。  とても繊細な性格をしており、人間への敵視が強まる同族たちの姿を見ているのが辛く、誰にも行方を告げずに旅立ったのが切っ掛け。  種族的な特徴として、他のどんな種族であろうと異性ならば虜に出来る魅了の力を持ち、水の精霊を使役する魔法が得意である。
 ある日一人の少年とうっかり出会してしまい、咄嗟に「自分は神さまである」と言い張った結果、一人で足繁く通ってくる彼と少しずつ交流を持つようになる。  しかし彼には何一つ本当のことは教えず、あるときからぱったり姿を見せなくなった彼を心配し、嘘ばかりついてしまったことを深く悔やんでいる。
ちま
 山間部の遊牧民として生まれた人間の青年、自然と調和を愛する一族であり、古来より男子は独り立ちして商いをするのが習わし。  教団の教えに従うでもなく、逆らうでもなく、時流を読みながらその時々でもっとも中立的な立場を守ってきた。  選択した商いは薬売りだが、請われれば薬であれ毒であれ構わず商品として扱う。医師と関わる機会が多かったため、多少医術の心得がある。
 救いのない世界で苦しんで生き永らえるより、死にたいと願う者には安らかな死が与えられるべきだと考え、安楽死用の薬を勝手に処方する事もある。  数年前に偶然見掛けた有翼種の少女を助けたが、本人曰く「薬を必要としていたから売っただけ」としており、現在は彼女の労働力を賃金として受け取っている。
鴻 透
 とある魔族によって肉体に定着させられた精霊、年齢や性別という概念は存在しなかったが、作り主の好みが外観として与えられている。  体自体は若くして死んだ女性の物を使用しており、多数の術式で魔法を常に発動しながら辛うじて留まっているだけの人形のような存在。  感情や自我というものはなく、基本的に命じられたことを実行することしかできないが、逆を言えば命じられればどんなことでも実行する。
 元々は冷気を担当する精霊だが、肉体を得たことで神々との接続が断たれており、魔法も使えない普通の人間として魔族に仕えている。
シンヤ
 中流貴族の位にある魔族の青年、同族の中でもまだ若いが、類稀な魔法の才能に恵まれ伸し上がってきた実力者である。  しかし、人類に興味はなく、単に自分の才能である魔法の研究を続ける内に今の地位に就いただけの男。  道徳、倫理観というものを持ち合わせておらず、自分の知的好奇心や探究心、知識欲を満たすためならどんな研究でも喜んで行う。
 特に魔族や他種族で魔法を使える者、使えない者の違いについて大変興味があり、時々攫っては生体実験を繰り返している。  その一環で魔法が使えるようになるかと精霊を人間の体に移してみたが、結果は失敗、しかし消すのは惜しいのでそのまま助手として使役している。  現在は保守派として魔族の統治と、人類や他種族との折り合いを求めているが、統治する王が誰であるかは争点になく、争いのない社会で研究対象を存分に物色したいと考えている。
ケイゴ
 地上に干渉する高位思念体、創世記に関わった神の中の一人。  時間の概念をプログラムした神であり、地上が消滅する際に発生する莫大なエネルギーの消費を防ぐため、現在の地上を存続させたいと考えている。
 とある二人に時間を遡る魔法を授けて成り行きを見守っているが、味方と呼べる存在ではない。  因みに魔法によるタイムトラベルによる被害はなく、使用者以外に巻き戻ったことを自覚する事のできる生命体は地上にいない。  いくらでも過去を改変する事が可能であり、変えられた未来は観測されなかった世界として時空間に生じるのみとなる。
萩原 怜
 先祖代々王家に仕えてきた人間の青年、幼少の頃から城で皇太子たちと一緒に育てられ、彼らのために死ぬ事が義務付けられている。  嘗て城の女中に恋心を抱いていたが、想いを伝える前に第二皇太子の"お手付き"となり、着の身着のまま叩き出されるような形で彼女は解雇されてしまった。
 以降血の滲むような努力で第二皇太子の傍付きとなり、最も信頼できる部下の地位を獲得したが、本心では当時の出来事を微塵も許してはいない。  第二皇太子が王位に付けるよう尽力するも、真の目的は戴冠式の最中、最も達成感に包まれる瞬間の彼を誅殺することにある。
あまみやかなえ
 現国王と王妃の間に生まれた人間の青年、生まれつき体の弱かった王妃は一子を産み落とした直後に死没、国王は後妻を娶ることなく国政に尽くしている。  そのため、皇太子として過大な期待を寄せられていたが、当の本人は母親譲りの美貌と病弱な体で生まれついてしまった。  一方、幼少期に引き取られた従兄弟は非常に優秀であり、自分よりも遥かに国王の座に相応しいと考えている。  高い身分を持ちながらも自尊心が低く、他人への思いやりを忘れない気立ての良い人物、と周囲の人間に認識されている。
 敬愛する兄のような従兄弟の企みも、幼馴染である家臣の恨みも、気の合う友人である研究員の秘密も。  すべてを見抜いた上で何もせず、また気付いていることも悟らせずに、無知で無力なふりをしながら全ての責務や重圧から逃げている。
主人公
 魔族と人間の間に生まれた混血の少年、肉体の成長が遅く見た目は子供のよう、精霊の存在を知覚出来るが魔法は使役できない。  生みの親はおらず、道端で啼いていた赤ん坊を拾った獣人族の夫婦が育ててくれたが、現在では既に老衰でこの世を去っている。  黒目と白目が反転した瞳を持っており、顔を隠すために前髪を鼻先近くまで伸ばし、俯きがちに背を丸めながら世間を渡ってきた。
 陰気そうな外見とは反対に、育ててくれた夫婦の気概を受け継ぎのびのびとした生き様を好み、乱世であってもどこ吹く風と気儘な暮らしを謳歌している。  湖で出会った青年を異種族と見抜くも指摘せず、時の流れに気付かない彼が自分を人間の子供として接するのを面白がっていた。  ある日、人里離れた森の奥で出会った傍若無人な青年と、彼に文字通り振り回されていた喋るたぬきに同情し、仲裁に割って入ったのが事の発端。
 以降、彼らが旅をするための手助けをしていたが、とある神により波動係数を操作され 何 度 回 避 し て も 死 亡 す る 未来が決定している。
死因例
新魔王逃亡の手助けをしたとして、魔族の追手を差し向けられ死亡(ネオン)
逃げずに魔王を説得するよう新魔王に進言、出向いた魔王城で暗殺され死亡(神夢)
新魔王の逃亡を手助けした罪を、魔王に許してもらうため殺害され死亡(沼田)
過去に新魔王の手で仲間を殺された部族と衝突、折れた穂先が偶然突き刺さって死亡(花菱 正樹)
神との通信を試みるべく技術局に向かうも、機材が爆発し研究員諸共死亡(カルマユウジ)
立ち寄った酒場で偶然出会い、油断した隙に殺害され死亡(泰)
偶然教団員との戦闘に巻き込まれ、放たれた銃弾により死亡(波多野玉香)
協会での礼拝を勧められ参加するも、老朽化した協会の天井が崩れ落ち死亡(久原敦)
街中でばったり出会し意気投合、仲良く接する内に異常性に気付くも殺害され死亡(まこと)
新魔王と魔族を匿い、人外の目を持つ異教徒として断罪され死亡(しろー)
青年が匿っている魔族の存在を知り、教団に告げ口されることを恐れた彼に口封じのため殺害され死亡(烏丸 凛太郎)
新魔王を討伐すべく一騎打ちを仕掛けてきた騎士に、近くにいた他の人間共々焼き殺されて死亡(甲斐)
買い出しに出かけた際スリの犯人から身代わりとして悪役に仕立て上げられ、魔族としてその場で暴行を受け死亡(鷹野)
たまたま入った路地裏で、空腹に苦しむ青年を助けようとしたが食い殺され死亡(蒼龍翔)
新魔王誕生後も地上はろくな動きを見せず、管理に飽きた神々の審判が下され死亡(雨咲)
新魔王を亡き者にしようと企む王族の青年に嵌められ、誰より罪深い咎人として処刑され死亡(新田)
異種族であることがばれた少女を逃す手伝いをするも、暴徒たちの手によって敢えなく死亡(築)
新魔王と最も親しい友として、友人だと思っていた青年に殺害され死亡(輝羅 瑠衣斗)
久しぶりに会った友人が苦しんでいるのを知り救おうとするも、水中に引き摺り込まれそのまま死亡(水町 奈月)
旅先で落ち込んでいた際、「死にたい」と愚痴を溢したことにより毒殺され死亡(ちま)
主人に命じられた少女に攫われかけるも、必死に抵抗した結果力加減を間違えた彼女の手により殺害され死亡(鴻 透)
魔族と人間の混血という大変珍しい血筋を狙われ、研究材料として数多の残虐行為を受け死亡(シンヤ)
王都で国を挙げての戴冠式の真っ最中、復讐を目論む逆徒が仕掛けた時限爆弾に巻き込まれ死亡(萩原 怜)
魔族と人間の王族によるの和平交渉にまで漕ぎ着けるも、発狂寸前だった皇太子の自爆により巻き込まれて死亡(あまみやかなえ)
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minnnade-plot · 7 years
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「薄紅のおもいで」/あきひめ
 桜に拐われたことがある。あの日の記憶の詳細は少しずつ霞みがかってゆくけれど、決して僕の中から消えることはない。いつでも思い出せる、僕の中にある記憶の中で、最も美しく、最も憂鬱な記憶だから。 あの日の僕はたいそう憂鬱だった。当時の僕は憂鬱という言葉すら知らなかったけれど、小学六年生を終えようとしていたあの日、僕はまさに憂鬱な気分で学校への道をゆっくり、ゆっくりと歩いていた。学校に行きたくないとあれほど強く思ったことは、後にも先にもない。 歩き続ければいつかは目的地に着いてしまう。でもやっぱり、教室には行きたくない。体育館のほうからは賑やかな声や無駄に厳かな音楽が、遠く聞こえてくる。卒業式を見に来た保護者の車が学校の狭い駐車場にすし詰めになっている。僕はそれらを尻目に、そっと裏門から学校の敷地の中へ入った。卒業式はもうすぐ始まってしまう。今体育館に行ったら、みんながランドセルも持たない僕のほうを見て「なんだあいつ。」という顔をするだろうし、担任の横井先生(たしかそんな名前だった。)は特別な日に遅刻してきた僕のことを叱りつけるだろう。僕は靴箱へ向かわず、校庭の隅に植えてあった大きな桜の樹の元へやってきた。何か考えがあったわけではない。桜が特別好きというわけでもない。普段教室の窓から眺めていた大きな樹を、卒業する前に近くで見ておこう、とその程度の気持ちだった。 まだ四月になっていないのに満開になっている早咲きの桜は、どの花も今にもこぼれ落ちんばかりのボリュームで、下から空を見上げた僕の視界を薄紅色に染めた。ざわざわとまだ肌寒い風が吹く度に、枝が花の重みでゆらゆらと揺れる。樹の下に立って、僕は気づく。周りには僕以外誰もいない。いつも下級生が順番を待っているブランコも、逆上がりを練習した鉄棒も、持久走大会で転んだ砂のトラックにも、誰もいない。いま、校庭にいるのは、見渡す限り存在しているのは、僕たった一人だった。 「きみのなまえは?」 たった一人の世界に、頭上から突然声が降ってきた。当然僕の声ではない。僕は慌てて声のした方、頭上を見上げるように振り返る。そこにいたのは、一人の女の子だった。女の子は制服と思われるセーラー服を身につけていて、背は僕よりも高く、明らかに年上の中学生か、高校生くらいに見える。ざあとまた強い風が吹いて、おねえさんの膝にかかる紺のスカートをひらひらさせた。僕は反射的に耳たぶがかっと赤くなるのを感じ、視線を外した。 「だれ?」   僕がそう訊ねると、おねえさんは「あたしが先に質問したんだけど。」と頬を膨らませた。そのおねえさんは不思議な雰囲気をしている。肌がやけに白くて、紺色のセーラー服とのコントラストが目に灼きつくようだ。大きな瞳は、僕や周りの女の子たちよりも色が薄く、光が当たると黄色く見えるほど。肩にかかりそうな長さの黒髪とスカートが風に揺られ、時々それを細い指先で押さえたり整えたりする。その仕草はいかにも若い女の子という感じなのに、胸元のリボンよりも濃い真っ赤なくちびると、その口元に浮かべているゆったりとしたほほえみはもっと、僕の母親や先生たちよりももっと、年が上のように思わせる。その違和感が、僕をへんに不安にさせた。 「もういっかい聞くわ、きみの名前は?」  おねえさんがその不思議な微笑みを絶やさぬままに、聞いた。僕は、何かが操られているかのように「みつき。」と自分の名前を答えてしまう。 「みつきは、こんなところでなにしてんの?その名札、六年生なんでしょ?卒業式の音が、体育館から聞こえてくるけれど。」 随分不躾な質問だった。口調も女の子にしてはぶっきらぼうで、僕の心の中のへんな不安がまたじわりと大きくなる。しかし、おねえさんが聞いていることは真っ当だった。僕は本来、あの体育館で卒業式に参加すべきであって、こんなところにいるのはおかしいのだった。 「だって、卒業式に出たら、卒業しなきゃいけないでしょう。そうしたら、中学生になってしまうでしょう。」 自分でも驚くほど小さくて、悲しげな声が出た。初対面のへんなおねえさんにこんなことを言ったって何にもならないことはわかっている。それでも、なぜだか僕は、誰かに打ち明けずにはいられなかったのだ。 「僕、中学生になんてなりたくない。」 「なんで?」 おねえさんの口調は相変わらずぶっきらぼうだった。僕はこみ上げてくる涙を、奥歯をかみしめて堪えた。 「……僕だけ、みんなと違う中学校に行かなきゃいけないから。私立の中学校で、みんなが行く中学校はこの近くだけど、僕のところは遠いし、塾にも行かなきゃいけないから、みんなとはきっともう、会えないんだ。」 今にも泣きだしそうな僕の言葉は断片的で、途切れ途切れだった。自分の中の嫌いで、見たくないところを、ひとつずつ箱に入れて整理するように、僕は言葉を放っていた。おねえさんは、黙ってそれを聞いていた。俯いた僕の視界に、時折風に吹かれた桜の花びらがちらつく。 「僕、みんなと離れたくない。ずっと、小学生でいたい。卒業なんかしたくないよ、中学生なんか、なれなくていい……。」 堪えきれずに涙が溢れた。いくら奥歯をかみしめても、もう無駄だった。初対面のおねえさんの前で泣き出すなんて、かっこわるいと思ったけれど、それでも涙は止まらない。ぽろぽろと、情けなく僕の頬を伝って、服にしみを作った。 「でも、引っ越すわけじゃないんでしょ。」 ずっと黙っていたおねえさんが言う。 「学校が終わったらすぐに塾に行かなくちゃいけないし、毎日バスに乗って帰るんだ。休みの日は家庭教師の先生が来るし……、僕はひとりぼっちになるんだ。」 「きみのお友達は、そんなことでだめになっちゃうような友達なの?」 「だって、みんな中学生になったら、僕のことなんてすぐ忘れちゃうよ。」 「きみは、人に忘れられるのがこわい?」 僕が小さくうなずくと、おねえさんは僕のそばへやってきて、俯いたままの僕の頭をなでてくれた。その手はやわらかくて、春の木漏れ日のようにあたたかくて、僕は呼吸を忘れそうなほど泣いた。  別の世界から聞こえてくるように、遥か彼方から『仰げば尊し』が聞こえてくる。僕も、みんなと一緒に練習した歌だ。そう思うと、また涙が溢れて止まらなくなる。僕がしゃっくりあげて泣く間も、おねえさんはただ黙って、僕の頭をなで続けていた。 「……内緒の話をしようか、」 おねえさんは僕の頭にあったかい掌を置いたまま、僕の前にしゃがみこんだ。僕が顔をあげると、目の前におねえさんの黄色い瞳が現れた。長いまつ毛に覆われたおねえさんの瞳は、小さなころに夢中になって集めたビー玉のように、透き通って輝いている。 「ないしょの、はなし?」 僕が聞き返すと、おねえさんは僕を抱きしめるようにして、僕の耳元で囁くように言う。 「きみは、挿し木を知ってる?」 「……しらない、」 「挿し木っていうのはね、植物の木の枝を土に挿すことで、新しい樹に育てること。じゃあ、いま、わたしたちの上で咲いてる桜の名前は知ってる?」 「そめいよしの、でしょ?」 昨日の朝のHRで、担任の先生が校庭の端にある桜の樹の話をしてくれたのだった。そのとき聞いた名前が、『ソメイヨシノ』だった。おねえさんは僕の言葉を聞いて、うれしそうに笑った。 「正解、ソメイヨシノはね、全部挿し木で増えてるの。だからね、全部のソメイヨシノは繋がってる。きみの家族と同じように。」  そこまで言うと、おねえさんは僕から体を離して、立ち上がった。おねえさんが立ち上がって、スカートを揺らしながら回ると、満開のソメイヨシノの花びらがふわりと光った。風に舞う花びらも、まだ枝についている花も、ふわふわと光ってまるで空が水色から、薄紅色になったかのように、桜を見上げる僕の視界が色づいた。くるりと回ったおねえさんが改めて僕のほうを向くと、ひときわ強い風がざあっと吹いた。 「あたしはね、このソメイヨシノなの。だから、全部のソメイヨシノはあたしの兄弟よ。きみが行く中学校にも、その後の未来にも、どこにもきっとあたしの兄弟がいるから、大丈夫だよ。あたしは、きみを忘れないから。きみを、ひとりぼっちにはしないから。」 足元から空へと吹き上げるような風で花びらたちは舞い上がって、僕はいまにも、その風の中へ拐されてしまいそうだった。 「あたしが、いつでもきみを見守ってる。だから、きみも、あたしのことを忘れないで。」 やわらかく発光する薄紅の世界で、僕が最後に見たのはおねえさんの輝く瞳と、いたずらっぽく笑う赤いくちびるだった。  次に僕が見たのは、病院の白い天井だった。僕はなぜ病院のベッドにいて、疲れた様子の母がそばの椅子で泣いていた。後から事情を聞いたところ、僕はどうやら桜の樹の下を通った時に気を失って、それを卒業式に僕がやってこないことを心配して学内を巡回していた教師が見つけ、病院に運んだそうだ。検査や手当をしても、僕の体に悪いところはなく、ただひたすらに眠り続けるだけだった。そして、三日目になる今日、ようやく目を覚ましたのだと。  僕が退院した日、病院の前には友達たちが集まって、僕のことを待っていてくれた。あの日僕が受け取れなかった卒業アルバムに寄せ書きをしてくれて、手紙と一緒に渡してくれた。何人かの男友達は「中学に行ってもまた遊ぼうぜ。」と言って、僕の肩を小突いた。僕はまた泣き出しそうになったけれど、今度はなんとか笑って手を振ることができた。病院のエントランスの先に咲いていた桜のおかげで。 その日の記憶は、大きくなるにつれて少しずつ霞みがかっていったけれど、僕は今でも桜を見るたび思い出す。薄紅色の世界で、やさしくほほ笑むおねえさんの姿を。そして、考える。彼女は今年もまた、どこかで淋しそうにしているひとりぼっちの誰かを風とともに攫っているのだろうか。僕はあの、目に灼けつくように憂鬱で美しい景色を決して忘れることはないだろう。あの日の出来事は、凡そ現実とは思えないけれど、これからも僕の中から消えることはないだろう。いつでも思い出せる、ぼくの中にある記憶の中で、最も憂鬱で、最も美しい記憶。  春の日に桜の樹の下を通って、満開の梢の隙間から空を見上げる。すると、どこからともなく強い風が吹いて、花びらが舞う。その景色の中で、大人になった僕は、変わらない姿の彼女を探す。たゆたう黒髪と白い肌、黄色い瞳は煌めいて、スカートを風に揺らし赤いくちびるの先でほほ笑むその姿を。いつかの日に、彼女にもう一度逢えたのなら、僕はちゃんと伝えようと思う。
「僕はちゃんと、覚えているよ。」と。
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