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#葉麗儀
gobangiri-news · 5 months
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者��して見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャスト��)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。  
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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europiumoon · 7 months
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meimoku
祖父が亡くなった。今朝の話だった。いつも通りに起きると1階から母の声がして「じーちゃん心臓止まったって。今から病院に行ってくる」と言われた。弟も起こしながら、じーちゃん心臓止まっちゃったんだって、と死んだと言いたくなかったからそのまま伝えると涙があふれた。昨日終業後すぐに母からFacetimeで祖父と繋いでくれた時はまだ生きていた。苦しいながらも呼吸をしていた。
会社に忌引き休暇をもらい、祖父母家に向かった。じーちゃんが休めるようにと部屋の片付けをしながら待つと、霊柩車が来た。運ばれて家に寝かせる、ということは私の人生の中で初めて見る行為でドキリとした。白い布に包まれた祖父を見るのが嫌でそっぽを向いて寝かせられるのを待った。親戚たちが見守る中私は感情が込みあげてしまって泣くしかなかった。一通りのことを終えた祖父の顔は穏やかだった。命を全うした、と私が言うのは烏滸がましいけれど温顔だった。コロナワクチンからどんどん体調を崩して2年近く家に帰れてなかったはずだから「住み慣れた家に帰りたかったのかもしれないね」と母が言っていた。祖父に贈られた花は青く祖父らしい色で綺麗だった。葬式等の話がまとまり、改めて会社や営業先等に伝えある程度落ち着いてから祖父の顔を見に行った。どうしても生きているようにしか見えなくて、呼吸しているかのように見え、弟に「じ~ちゃん呼吸しているように見えない?」と聞くと「俺もそう見えるんだけど。俺の目が変になったのかと思った」と言われたけど、後ろから父が「ドライアイスだよ」と言われた。昨日まで生きていたじーちゃんの顔を夕方まで横目で見たり間近で見ていたけど目を覚ますことはなかった。
最近町田そのこの葬式屋を舞台にした『夜明けのはざま』や冠婚葬祭のアンソロジー『私たちの特別な一日』を読んでいたためか身近なものだった。祖父は死んでしまった。
丁度祖母は足の手術で入院していたため、祖父の死後直接会うことはなかった。葬式は来週、祖母の退院日翌日に執り行われることになった。午後になるとちょこちょこと親族らが来てくれた。母が昨日テレビ電話を祖父母の兄弟たちにしていたようで、「昨日まで頑張っていたもんね。」という声にテレビ電話がこの時代あってよかったと思った。
葬儀屋と母と伯父が祖父の遺影を探している時に私も祖父の写真を探していると私が生まれる以前、母の幼少期が映った祖父の写真があった。病気で倒れる以前の祖父は私が生まれるもっと前だったから知らなかったけど、アルバムに乗る祖父はハンサムに映っていて、スーツ姿がかっこよかった。帽子を被ることも昔から好きだったんだな、と知ることができた。じーちゃんは病気で倒れて半身まひ、言葉も上手く発声できなくなってしまってからも何度も発声の練習をしたり散歩に向かった。私は祖母や母以上ではないが、祖父の言っていることがなんなのかすぐに汲み取れたんだよ。
じーちゃんは命が途絶える間近に何を思い何を考えこの世を去ったんだろう。少し前にXで夢に亡くなった人が出てくるには物凄い大変な思いをして出てくる、という投稿をみたけど私はじーちゃんに会いたい。
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に���せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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75log · 2 years
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BABYMETAL THE OTHER ONEに両日参加してきました!本当に最高の2日間でした。 4月がめちゃくちゃ楽しみです!
あとこの衣装は光と闇の融合なのでSWでReyloです。※諸説あります。
〜以下ライブの感想〜 封印を解きに行く儀式があまりにもDUNEでそして荘厳で美しくて、行進に合わせて下から光るライトがとにかくカッコよかった……。
新曲の中で特に神撃が楽しみな曲でしたが、やはりライブだとSU-様の声の伸びが冴え渡る、最高に盛り上がる曲になりましたね。今年はたくさん聴く機会がありそうなので超楽しみです。この曲でタオル回したい気持ちがあるけどタオル曲にならないかな。ちょっと期待したい。
METAL VERSE MADNESSの紙芝居については「うんうん、THE  OTHER ONEだもんね。マルチバースがテーマだよね。ってことは未発表曲が来るのかな!?」というドキドキからのドキモの前奏の時点であまりのテンションの差に動揺していたのになんとか動揺を飲み込んで1番が終わったと思ったらBABYMETALが増えましたからね。1日目は何が起こっているのか理解ができず、暗転の一瞬でワープした!?!?!?!?となっていました。あの瞬間の衝撃は言葉で表すのは難しいですね。 ワープの次は過去映像のホロ映像!?と考えたあたり当時の私の頭の混乱具合が窺えると思います。元々演出での声出しはOKの公演でしたが、この驚きは「ちょっと」では済まなかったので声出し解禁のライブになって良かったと心底思います。つくづくBABYMETALのライブは観客に「体験」をもたらすものであると感じました。 1日目は左右のステージを交互に見るのが精一杯でモニターすら見れませんでしたが、2日目はわかっていたのでメタルバースの面々がしっかり見れてドキモを咀嚼できて良かったです。寝転んだ体勢からニコニコで起き上がるメタルバース組の可愛さたるや……。
ドキモと言えば武道館の1日目がかなり可愛い歌声だったのが公演を重ねるごとにいまのBABYMETALに合った形に調整されて行きましたが、今回は武道館1日目のようにめちゃ可愛い歌声に戻っていましたね。同じ曲でもいろいろな形で聴けるのはライブの醍醐味ですね。
日本の公演だとスマホライトNGが多いことでお馴染みですが、今回はSU-様のお声で解禁という展開にも驚きました。
1日目の「すごくよわーい!」はスーパーKAWAIかったですね。光の中で歌うSU-様は本当に綺麗で美しい光景でした。
RoRの旗を準備している様子がよく見える位置どりだったのですが旗を広げた時のSu-様のシルエットの神々しさは完全に絵画でしたね。
BABYMETALの復活に相応しい素晴らしい演出のライブで、今後もBABYMETALの物語を体験できるのが嬉しいです。
NEW  METALとは誰なのか?ドキドキですね。
客入りBGMで流れてたBloody woodがめちゃくちゃ刺さって帰宅後に何曲か購入しました。会場入ってから2時間近くありましたが客入りBGMのおかげで楽しく過ごせました。
いつかBMTHと対バンしてItch for the CureからのKingslayerを聴きたいな〜!!!!
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lllusioninthehead · 7 months
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2024/3/12
暗い料亭の廊下を歩く。
幸せの中央値を歩くような生活。
「君ははみ出せる人間なのかい?」とギラギラした眼は語りかけるように挑発するように。
日本酒を注ぎ合うのは何の儀式なのだろう。途中で味なんてわからなくなるのに。
金と権力を手に入れた後は永遠に女を貪るだけだよと薬を飲む手は黄ばんでいて、眼は青い。
そして戸を開けて入ってきた女はどこか気だるげで諦めていて何かに酔っているよう。酒でもなく薬でもなく。言葉にするならば都会の毒気みたいなものに酔っていて、机の下から伸ばされた手からは冷たい。助けを求めているように感じた手を振り払った自分の手も冷たかったろうなとタクシーの帰りに思う。
甲州街道沿いのラーメン屋に並ぶ大学生の若者。資本主義の化け物に育つのにあと何年?と思う。
女性と飲むのにお金を払うのも、その後ホテルに消える人を見るのも。タクシーで帰るのも。すべてお金の循環を感じる。
家の二駅前で降りてコートの襟を重ねながら歩く街。狭い家が並び。12時を過ぎるとろくな店が空いてない街。
なんで帰ったんですか?とメッセージ。なぜ?と思うけど名刺に記載されてたかと携帯の電話番号を。みて。��うかと思う。簡単な答え。
また、いつか。
酔いすぎてて。
こんど、ご飯でも。
いくつか思いながら削除ボタンを押す。
女遊びはもう終わっていて、どれもほとんど同じに見える。たまに違う人もいるけど。
そういう人だけで良い。会えなくても。距離があっても良い。時間や距離に制約がないと信じられる人良い。
シンクに重なる食器を洗い、ソファーに倒れる。
寝る。
綺麗な景色は偶然に。今日は見れなかった。
明日はわからない。だから生きてる。
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motto-refresh · 10 months
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『麒麟山温泉』
阿賀野川を臨む露天風呂、また食べたくなるお料理に満足。家族団らんの宿
どうもmottoです。
今回は冒頭にあるように温泉の話です。
30歳を過ぎて今まで感じなかった肌トラブルや体調の変化、腰痛、肩こりに悩む今日この頃です。変化を受け入れて自分と付き合っていこうと思います。
さて今回ご紹介するのは新潟県阿賀町にあります『麒麟山温泉 雪つばきの宿古澤屋』さんです。
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子供が小さいこともありなかなか宿泊の予定を立てられない中、ご縁で某宿泊予約サイトより前日に予約を取る事ができました。
一泊朝食つきのプランで予約出来ました。
11月の初旬でしたので紅葉🍁も始まりとても素敵な外観、期待感が弾みます。落ち着いた純和風の造りで館内は木造2階建て、昭和10年以来、創業当時の佇まいだそうで、館内も味のある雰囲気。お庭、玄関とお手入れされている感じが好印象でした。フロントを過ぎ長い通路を2、3曲がりながら進みます。黒い玉砂利の洗い出し仕上げに欅の根木が島のように配置された通路を通ります。職人さんは難儀されたんだろうなぁと考えている合間にお部屋に到着。
部屋に入るとお茶の香り。居心地がいいです。
「ほっ」と一息つきながら窓の外を見ると目の前に阿賀野川の絶景。流れの強弱に目をひかれながら野鳥を観察ができます。タイミングが良いと阿賀野川対岸にSLが通るようです。観てみたかった😢 川岸から少し離れてポツンと島が、印象的です。 個人的には中が岩なのか土なのか気になりました。 夜にはライトアップもされるようでした。綺麗です。
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高低差がある立地故なのか階段が少し多めです。年配の方や車椅子、松葉杖の方は事前に連絡するなどの注意が必要かもしれません。 しかし客室が12部屋ほどのようでしたので館内はゆったりとした時間の流れです。 私も小さな子連れでしたが周りの目を気にする事なく過ごせました。 また、露天風呂つきのお部屋もあるようですし、プランによれば夕食・朝食がお部屋で頂けそうです。 移動量減らし気兼ねなくすごせそうです。重ねて事前連絡による確認が必要そうです。
それではいよいよ温泉へ!
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先ずは大浴場、入って直ぐに気づきました。「匂いがしない。」 あれ?! 100%天然温泉のはず♨️ 半信半疑で温泉に浸かってみると「ピリッ」とした感じで温泉だと分かります。そして若干の塩味がありました。(⚠️飲泉はできません。) 温度はややぬるめですが効能を堪能するにはもってこいな感じ!
そして透明で綺麗な温泉がなんだか嬉しい。お湯の汚れが少ないようで20部屋以下の宿泊施設の最大のメリットと再確認しました。
さぁ露天風呂へ!
露天風呂も温泉が澄んでいて綺麗! そして、阿賀野川の眺望を堪能できます。 こちらの露天風呂は珍しく、下から温泉が湧き出てくる仕様です。 川の音、風や虫の鳴き声、野鳥のさえずりを景色の一端として楽しむという、古澤屋さんの想いあるコンセプト。心身共に癒されリフレッシュできますね。私は宿泊中に5回も入浴しました!  阿賀野川を目の前に四季折々の風情を楽しめる数少ないお宿です。何度でも来たい!その様に思いました。
【泉質等のご紹介】
ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉(中性低張性低温泉)
浴用の適応症
★一般的適応症
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔病、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
★泉質別適応症
きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病、動脈硬化症
私個人としては、坐骨神経痛気味なので腰痛、ふくらはぎ、脛などの箇所で痛みや凝りが和らいだのを実感しました。
はぁ〜〜いい湯でした♨️
皆さんもぜひご参考にしてみて下さい。
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それではまた!
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flamingo-rex · 1 year
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2023.08.04
実は、7月29日に白田さんが亡くなった
30日に連絡を頂き、2日が通夜、3日が葬儀…
2日の夜はライブで、行けるタイミングとしては
3日の告別式…
その時点でワイは苗場で、都内に戻り
沢山のアーティスト仲間と連絡を取り合った。
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通夜しか行けない人も居るし、同じ様に
3日の葬儀しか出れない人も居た。
ワイは3日に伺う事にしたが、
流石に喪服等の支度は無理で、参列するには
相応しく無いので、別で挨拶をさせて貰う事になった
実際、2日の夜、CCOのライブは
実は辛かったし、配信もされてたから
追随もせず、いつも通りのライブを心掛けた。
3日。
午前中に会場へ。
場内には白田さんの曲が流れ、沢山の花が飾られてた
grand slam時代の衣装やプレゼンスのアイテム
愛機のギターが並べられ、趣味だった釣り道具も
展示され、偲ぶ仲間達を迎えてくれてた
今となっ���は、憧れの白田さんのギターをバックに
歌えた事は、本当に良い思い出だし、
ライブ以外でも、マメに連絡を取り合ったり
コロナでCat ch.22が営業出来なかった時、
Cat ch.22を潰させねぇぞ!!と、白田さんのSNSで
Cat ch.22の応援グッズを紹介してくれたりした
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周りも兄貴!と慕う様に、
優しい人柄に魅了された人は多い
親族の皆様にも挨拶して、
最後は白田さんの顔を見てお別れをして来た
元々、誰が見ても端正な顔立ちな白田さんは
とても綺麗な顔して眠ってた。
白田さんは、Cat ch.22でもライブをやってくれて
あの時にウチのアンプ直で生音でギターを
ぶちかましてるのは、とんでもない衝撃だった
エフェクター無しで、アンプ直結で、あの音!
その時のアンプのセッティングのメモリは
写真に撮って、後で自分で引き倒してみた
白田セッティングと個人的に呼んでるけど
ゲインや、ロー、ミッドみたいなEQより
正に、プレゼンスのセッティングが肝だよ!と
ニコッ!とアドバイスしてくれたっけ…
オーバードライブで京都のハンドメイドエフェクター
ブルースドライブを使用してる白田さんだけど
偶然にも、ビルダーが共通の知り合い。
ワイもプロトタイプを所有してるので
話が弾んだっけ…(^^)
Georgeさんが告別式前に来てくれてて
サーファーファッションのワイをアテンドしてくれた
ご焼香させて貰い、ワイは会場を後にして
二子玉川のライブハウスへ向かった。
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偶然にも都内に滞在中だったから、
白田兄貴の顔見る事が出来たよ
白田さん、ありがとうございます😊
メールのやり取りも、最近までしてたから
なんか実感、湧かなかったっすよ
3日のライブは、イベントのゲストだったけど
初めの2曲だけ、白田さんに届く様に歌いました
これからも前向いて頑張ります
実感、湧かないから、割り切る必要も無いかな?と
個人的に思ってて…
そのまんまの白田さんは、そこに居ると思ってるし
それでいいかな?と…
沢山のミュージシャンが会場で再会を果たし
白田フェスに参加してましたね
同窓会みたい…って誰かが言ったけど
白田さんの人柄で、みんなが集まったフェス。
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素晴らしかったです。
また逢いましょう!
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Kaz.!お前の歌サイコーだよ!さすが!!
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最高の褒め言葉。ぜってー忘れません!
本当に沢山、ありがとうございました
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gendersdgjpn · 1 year
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SDG: ジェンダー平等 (JPN/日本語)
ミネソタと山陽小野田市立大学の学生です。私達は一緒にジェンダー平等のプロジェクトをしています。アメリカと日本で21人にジェンダー平等の問題に関してアンケートをシェアしました。色々な意見に関して、アメリカと日本の見方はもっと分かるのため、それぞれのキャンパスから二つの答えを選んで、いくつかを調べました。
plan-international.jpによると、(人々は)「あらゆる場所でジェンダー・ステレオタイプに直面 特に学校での経験は7割多くの高校生が、学校や家庭、地域、メディアなどあらゆる場所で、ジェンダー・ステレオタイプ的な表現や発言をされた、または見聞きした経験をしていました」「plan-international.jp」.
Source: https://www.plan-international.jp/news/info/20220415_32630/
私達の大学のキャンパスの中で、様々な人にアンケートをシェアした理由は、このサイトで、「多くのジェンダー平等がある場所は学校」と言っている。
1:
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アンケートの答えによると、52.4%は 「女性」を選択して、42.9%は 「男性」を選択して、4.8%は 「他の」を選択しました。この答えを通して、様々な人の意見をもらえます。
2:
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アンケートによると、17人は20歳から29歳で、2人は30歳から39歳で、2人は40歳以上からです。様々な年齢層がいることは大切だから、この質問はいいと思います。
3:
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アンケートによると、18人は学生で、2人は先生で、一人は答えを書き��せん。この割合に通して、大学のキャンパスでアンケートをシェアしたこと証明できます。
4:
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質問:「男性だから」「女性だから」というように、ジェンダーのせいで、外見に関して何か不快な思いをしたことがありますか? 例)髪型、服装、メイク
アンケートによると、多くの人は「ジェンダーだから、特別の服を着てください」という感じをあまり持っていません。でも、9人はこの感じを持っています。
答えを書いた人は「高校の後まで、化粧の仕方を覚えません。それから、高校生の時、いつも人々は「髪を整えて覚えてしなきゃ」や「メイクをしなきゃ」や「もっと女らしいワンピースを着なきゃ」って」と言っています。
他の答えを書いた人は 「すでに固定化されたジェンダーのイメージ、ステレオタイプをもっている」と言っています。
「女の子」「男の子」という言葉から思い浮かぶ言葉を尋ねた設問では、「女の子」に対しては、「かわいい」、「化粧・メイク」、「美しい」など、より外見に関するイメージが多く挙げられました。一方、「男の子」では、「かっこいい」に続き、「筋肉」、「スポーツ・運動」、「強い」、「元気」など、強さや活発さを表す言葉が目立ちました」「plan-international.jp」.
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Source: https://www.plan-international.jp/news/info/20220415_32630/
社会で、「メイク」や「スカート」などはジェンダーされたの言葉や物です。子供を育てる時、そういうことは規範になってしまいました。このイメージは社会の色々なジェンダーに関する言葉です。社会はジェンダーされたの物や言葉や行動がありますから、規範を作ってしまいました。
答えを書いた人は 「ジェンダーフルイドだから、ショートカットがあるし、あまりメイクをしないし、男性の服を着るのが好きだが、同時に「女らしい」感じが欲しい。いつも、女のジェンダーと私の心配しないことを選ばなければ行けなくて、悲しい。」と言っています。
他の答えを書いた人は「長髪イコール女性みたい 短髪イコール男性みたいと思われる。 男性が化粧をすると、女っぽいとされる」と言っています。
他の答えを書いた人は「女性らしく、きちんとメイクをしなさいと言われたとき、女性だからの表見は適切でないと思った。①短い髪が好きで、短い髪にしていたらよく男子に間違われます。ただ戸惑いました。 ②女性はメイクをするのが当たり前だという風潮は本当に嫌いです」と言っています。
5:
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質問:「男性だから」「女性だから」というようにジェンダーのせいで、外見以外で何か不快な思いをしたことがありますか? 例)働き方、性格、態度
アンケートの答えによると、多くの参加者はジェンダーの行動について、ストレスがあります。ミネソタと山陽小野田市立大学の12の参加者に例と答えの説明をもらいました。
plan-international.jpによると、おもな表現や発言の例として、女の子だから「家事をしなさい」、「おしとやかにしなさい」、男の子だから「泣いてはだめ」、「運動ができないとだめ」などが挙げられました。また、男女ともに「理系は男子、文系は女子」など、学習面においてもジェンダー・ステレオタイプを押しつけられていることが分かりました。女の子や、自認する性別を男女以外と回答した人の方が、そうした経験を多くしていました。「plan-international.jp」。
偏見な文は良くないです。例えば、「女らしい」や「男らしい」など偏見なコメントです。偏見みたいなコメントは人に悲しくできます。
他の答えを書いた人は「女性だから、社会の規範や思惑があります。私もアジア人だから、従順な行動の規範があって、ジェンダーの規範と人種主義もあるから、ストレスがあります」と言っています。
他の人は「 男性だから男らしくしなければならないと期待される。そう期待されることを負担に感じる」と言っています。
他の人は「過去にある大学の医学部入試において男性が合格に有利になるように点数の調整を行い、実際は合格点に達していた女性が不合格になっていたというニュースがあった。その大学を受験したわけではなかったが、当時は医学部を目指していたため非常に憤りを感じた」と言っています。
6:
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質問:日常において、あなたの周りでジェンダー不平等があると感じることがありますか?
アンケートによると、14人は「はい」を選びました。その14人から答えをもらいました。
答えを書いた人は「どこでも、女性差別があります。特に職場や学校などで女性差別があります。女の人だから、私の意見は人々には聞こえない」と言っています。
他の人は「男の人はあまり批判をもらえないが、女の人は同じものをする時、批判をもらえてしまいます。例えば、社会の中で、男性達は女性達にナンパすることは、かっこいいというイメージがありますが、女性達は男性達に逆ナンすることは、よくないイメージがあります」と言っています。
他の人は「女性だと、容姿端麗なら就職に有利とされ、男女問わず、年齢過多なら、人生のやり直しがきかない」と言っています。
他の人は「日本の研究者、日本の大学で、女性研究者が少なく、ライフイベントで、研究の中断を余儀なくされる場合、仕方ないことだが、不平等に感じることがある」と言っています。
7:
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質問:日常において、あなたがジェンダー不平等を感じることがありますか?
アンケートによると、11人は「いいえ」を選びました。
アンケートをした人は「時々男性は私に「スイートハート」を呼んでいて、偏見なコメントを話して、例えば「きれいな微笑みがある」と言っています。男になれば、この偏見なコメントはもらえないと思います」と言っています。
他の人は「いつも、人々は「ちゃんと女らしいにならなきゃ!誰もあなたと結婚をしない!」というコメントを心配しているから、私の話し方や仕方を心配しなければ行けない、結婚や出産の時期と仕事のキャリアアップの時期が同じくらいで、どちらに重点を置くか決定をしないといけない状況の時、つらいなと感じる」と言っています。
他の人は「女性の方が、男性よりレポート点を高くする先生方も見受けられる」と言っています。
8:
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質問:あなたの国ではジェンダー不平等を重大な問題として捉えていますか?
アンケートによると、13人は「はい」を選びました。
答えを書いた人は「アメリカは「ランド・オブ・ザ・フリー」ですが、いつも、人の権利を奪ってしまった。これは平等じゃないと思います」と言っています。
他の人は「ジェンダー間の不平等さは、特に日本では未だ解決されていないシチュエーションが多いと思います。また、それについて問題視し活動している人も多いと思いますが、それをフェミニストだと揶揄したり深刻な問題だと捉えていない人も多い印象があるため、深刻になっていないこの現状こそが、重大な問題だと考えます」と言っています。
他の人は「テレビやSNSなどを見ていても、ジェンダー不平等を解消するべきであるという声が大きななっていると感じるため。ただ、重大な問題として捉えつつも大きく改善されているわけではないと思う」と言っています。
9:
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質問:あなたの知り合いがジェンダー不平等を感じているかどうかを見分けることが出来ますか?
アンケートによると、71.4%は「いいえ」を選びました。
10:
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質問:ジェンダー不平等を感じている人を助けることが出来ますか?
アンケートによると、60%は「はい」を選びました。
人は「小さいと大きなレベルで、ジェンダー不平等な人を手伝うの仕方が多いです。世界中で、平等を擁護するだけじゃなくて、エクイティも養護しています」と言っています。
他の人は「平等のために擁護しています。でも、SNSで文句を言うことは便利なふりをしています」と言っています。
他の人は「まず始めに���を聞き、その内容に応じて解決策を一緒に考える」と言っています。
最後の人は「その人の考えに寄り添い、場合によってはその人の不平等解消のために共に闘いたいと思う」と言っています。
まとめると:
私達のアンケートを通して、様々な人が問題を認めました。アンケートをした人から一人一人の経験があるから、ジェンダー平等という問題が認められます。色々な答えをもらえたから、ちょっとびっくりしましたが、嬉しくなりました。多くの答えはジェンダー平等の問題の経験がなくて、ジェンダー平等の問題時、認められません。
明るい未来へのため、ジェンダー平等の問題を養護することが必要だと思います。
green-note.lifeによると、
「私達一人一人は、ジェンダー平等のために何ができるでしょうか。
身近なところで言うなら、男女の役割が決めつけられている部分を少しでも改善してくことが必要です。
例えば
家庭内での家事育児を分担する
男女の違いなく、その子の好きなものを尊重し、周りが「男の子だから」「女の子だから」と押し付けない
政治や社会活動のあらゆる分野での女性の活躍を応援する
発展途上国の女性の教育支援団体に寄付をする
このように気づいたところから、身近に取り組めることは、たくさんあります。
まずは自分に何ができるのかを考えるだけでも、社会は間違いなく変わっていくでしょう」 「green-note.life」。
Source: https://green-note.life/282/
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gobangiri-news · 4 months
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大ヒット御礼舞台挨拶オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の大ヒット御礼舞台挨拶を開催いたしました!熱気たっぷりのスタンディングオベーションで迎えられた草彅さんが「こうやって迎えられるのってうれしいです!」と満面の笑みで感謝し、「みなさんお座りになってください」と観客に優しく呼びかけ、場内はさらに大きな拍手に包まれました。「大ヒット御礼ということで、本当にみなさんがたくさん“おいごばん”をしていただいたということ。とても良い映画になっているので本当に僕も満足、一本満足なんですよね(笑)」と冒頭からご機嫌で草彅さん節を炸裂し、会場を笑いの渦に。「聞くところによると、(映画を観ているのは)つよぽんのファンよりもおじさんの方がすごい多いらしくて。つよぽんのファンは出遅れているのかなと思っていましたが、今日はつよぽんファンの方がたくさんいらっしゃってますね」と客席を見渡しニッコリの草彅さんは、上映後の舞台挨拶のため「ネタバレOKということで、今日は楽しい話を出し惜しみなく(笑)、いろいろとお話していきたいと思います」と気合を入れました。本作が泣ける映画で映像も美しいというMCの言葉に「白石(和彌)監督はバイオレンスのイメージがあって、血みどろの世界という感じ。(斎藤)工くんと斬り合うシーンはあるけれど、ちょっといつもの白石監督のテイストとは違っていて。監督も(時代劇)初挑戦で、新しい挑戦をしている感じがあるので、監督のファンの方もいい意味で驚かれる作品。そのあたりをチェックして欲しいですね」と本作の見どころ、白石監督の新しい色にも触れながらおすすめしました。本作のイベントでは、映画の中とのギャップが指摘されがちな草彅さん。この日もMCの質問に「はい!」と元気よくハキハキと答え、寡黙な柳田格之進とは大違い。「僕、声大きいかな?マイクいらないんじゃないの?マイクなんていらないよ」とマイクなしでトークを開始するなど、自由でありながらも観客を置いてけぼりにすることなく、みんなで楽しい舞台挨拶を作り上げていく草彅さんでした。「今日の僕、元気だな」とニヤリとしながら、生声でトークを続けた草彅さんは「TOHOシネマズ日比谷なのに、生の声がこんなに通る!」とウキウキ。「大きいけれど満員御礼ですからね、ありがとうございます!」と感謝の言葉も忘れずに何度も伝え、大きな拍手を浴びました。そこで、「滋賀県彦根市からあるゲストが来てくださっています」とのMCの言葉に「なんとーーーー!」と驚いた様子で雄叫びを上げた草彅さん。ゲストのひこにゃんが姿を見せると「かわいい!」「カモンカモン」「ようこそ、ひこにゃん」と大喜び!ひこにゃんがステージへの階段を使う際には、手を差し出してエスコート。無事にひこにゃんがステージに上がると「ひこにゃーん、会いたかったよ!」とガッチリと握手。ひこにゃんの兜を触りながら、「ヘルメットなの?どうやってツノが出てるの?」などと質問攻めの草彅さんでしたが「あ!甲冑ってことか。彦根城から来ているんだもんね」と納得した様子。「彦根城を使わせてもらってありがとうございます」と撮影許可のお礼を伝えた草彅さんは、格之進が濡れ衣を着せられる前の回想シーンを彦根城で撮影したと明かし、「でも、ひこにゃんいなかったよね?」と再びひこにゃんに問いかけを開始。次々と飛んでくる質問にちょっとびっくりのひこにゃんの姿に「ひこにゃんってシャイなの?」とツッコミを入れるなど、絶好調の草彅さん。するとひこにゃんの顔をまじまじと見つめ、「ちょっとフレンチブルドッグみたいな感じ」とひこにゃんの顔を触り始め「この辺のフォルムがクルミちゃんに似てるかも!」と愛犬との共通点を指摘し、さらに目尻を下げていました。ひこにゃんに映画の感想を訊ねる場面ではひこにゃんの声も担当した草彅さん。なぜかふなっしーのモノマネでひこにゃんの言葉を代弁し、1人芝居を繰り広げる草彅さんにひこにゃんは後ずさりし始めると会場は大爆笑。ひこにゃんが泣いている仕草で感動したことを伝える流れで、草彅さんは「ここでハンカチで(涙を)拭くくだりだった!」と流れを思い出したことを口にし、さらなる笑いを誘いました。慌ててハンカチを取り出し、その後もふなっしーの声でひこにゃんを演じる草彅さんにMCから「猫なので。猫バージョンもお願いします」とリクエストされると、即座に猫っぽいバージョンのひこにゃんの声に切り替えるなどの草彅さんのサービスに会場は笑い声でいっぱいになりました。ひこにゃんとの2ショット撮影タイムでも、立ち位置やカメラ目線などを優しく誘導した草彅さんが「ひこにゃんの手がめっちゃ熱い!それだけ感動してくれたんだね」とお礼を伝える場面も。フォトセッション中には、カメラに手を振りながら、自身の言葉でも観客に感謝を伝え、さらにひこにゃんのコメントも代弁した草彅さんは「ひこにゃんのキャラが定まった!」と大発見といった様子で「ひこにゃん、強いにゃーん」というキャッチフレーズをつけるなど、終始ご機嫌でした。イベントには、さらに長屋の大家・八兵衛を演じた落語家の立川談慶さんも登場。映画初出演の談慶さんは「リハなしでいきなり本番。でも、目の前に“やさしいマン”がいたから、緊張しないでできました」と、草彅さんがCMで演じたキャラクターを思い出したことを明かし感謝。撮影を振り返り、草彅さんからのお弁当の差し入れにお礼を伝えたところ「談慶さんは2000円でいいですよ、って言われました」と笑顔で告白。すると草彅さんは「2000円まだもらってない!」とニヤリ。草彅さんは談慶さんがスタッフ向けに披露した高座の動画を撮影前に観るよう監督から言われていたそうで「談慶さんがいたから、格之進の役作りができました。談慶さんのおかげで格之進が出来上がったと思います」と深々とお辞儀。談慶さんは恐縮しながらも「想像以上の格之進でした」と大絶賛。さらに映画のあらすじを3分にまとめた「ミニ落語」を談慶さんが披露し会場を大いに沸かせました。イベントには花束ゲストとして本作にエキストラ出演した囲碁棋士の藤沢里菜さんも登場。「綺麗な花束」と笑顔の草彅さん。藤沢さんは「ものすごく強い棋士のオーラが出ていたし、手つきも綺麗。長年囲碁が趣味なんじゃないかという感じがしていました」と囲碁の達人、格之進を演じた草彅さんの演技に太鼓判。「ルールは知らないとのことでしたが、その後、ルールは覚えましたか?」との藤沢さんの問いに「覚えてないです」と苦笑いした草彅さんは「でも、(囲碁の達人って)藤沢さんを勘違いさせるほど、藤沢さんの目から見て大丈夫だという太鼓判を押していただきました!」と胸を張り、「囲碁のルールを知らなくても楽しめるということです」と、映画をアピール。そして、ひこにゃんに再び質問が飛ぶ場面では、草彅さんは「目と鼻が碁石っぽい!碁石つけてるの?」とひこにゃんの鼻を触りながらいじり倒して笑わせました。最後の挨拶で「今日は本当にありがとうございました」と挨拶すると、この日1番の大きな拍手を贈られた草彅さん。「楽しい時間であっという間だったけれど、まだまだ『碁盤斬り』を通してみなさんと深く関わり合っていきたいと思います」と話し、映画を観た感想を周りに伝えて欲しいと呼びかけました。何かが伝わる映画だとし、「これをステップにみんなが次に向かえればいいなと。そういう作品だと思うので、末長くこの作品をお願いしたいと思いますし、1人でも多くの方が観て、何か感じていただけると幸せな世の中になると思いますので、ぜひ『碁盤斬り』を通じて、これから一緒に人生を歩いていきましょう!本日はありがとうございました」と呼びかけ、深々とお辞儀。時代劇に対して、足が遠のいている傾向もある中で、「今、観る作品だと思うし、初めて(時代劇を)観る方にもおすすめしたい。世代を超えて、若い方から年配の方まで、世代問わず、たくさんの方にご覧になっていただきたいです」と呼びかけ、しっかりとイベントを締めくくった後には、再びひこにゃんの鼻を触りながら「碁石じゃないよ」「触らないで!」などと1人2役の1人芝居を続け、退場口のドアが閉まるギリギリまで観客を楽しませました。
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europiumoon · 7 months
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2024.2.22
祖父は骨になった。箸で持ち上げるとサクサクと音を立てた。あいにくの雨だったが500人以上集まってくれたらしい。お陰で葬儀場前では渋滞が発生していたとか。優しいじーちゃん、しか知らなかったからこんなに祖父が周りから慕われ愛されていることに驚いた。火葬前に祖父に花を手向けた。たくさんの花々に囲まれた祖父は綺麗だった。火葬後の骨がピンクになっていたのが不思議でインターネットで検索をかけたら花の色が移ってと書いてあった。叔父の最後の言葉にしっかりと泣いてしまった。鼻を啜らず涙を隠さずただ真っ直ぐと前を見ていた。
葬式の翌日は雪が降った。祖父の遺骨は祖父母家に戻った。じーちゃんはずっと家に帰りたかったと50日祭まで一緒にいる。きっと祖父は廊下から雪を見て「これ!」と言ってるかもしれない。
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kennak · 7 months
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おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する.私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。.絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。.そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。すごく綺麗な姿をしていた。きれい、なのだがおばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」.おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。私は車から仕事道具を持ち込みながら言った.「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」.葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。気がつくと、他の親戚たちからの目線どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。.その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。..翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。.そんなこんなで、本番。お経が終わって、孫代表の弔辞。名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。葬儀屋さんも泣いていた。私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。.葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。どんな仕事でも、活躍の場があるということ。なんだか、ありがたい経験だった。弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。.そして、おじいちゃんありがとう三回忌法要、お参りにいくからね
祖父のお葬式で無双した
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dvdhappycom · 1 year
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ari0921 · 1 year
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織田邦男先生の論稿です
現代が見習うべき大正人の精神 麗澤大学特別教授元空将・織田邦男
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ドラマのような優勝劇に日本国中が沸いた。顔に日の丸を描く人、球場内外で日の丸が振られ、国と選手と国民が一体化したような光景に、思い出したことがある。
国家と個人が一体となり
102歳で天寿を全うした父が90歳の時である。筆者に「もうそろそろ、ええじゃろう」と語り出し「実は、わしは戦艦大和を造ってたんじゃ」と。どうやら父は広島の呉工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造に携わっていたらしい。「大和については、家族にも一切話してはならぬと命ぜられていたんじゃよ」と述べ、最後に「わしももう長くないからな」と終わった。大変驚いた。国家(海軍)の命令を、帝国海軍が消滅した戦後60年間も律義に守る。しかも戦後生まれの筆者に対して箝口(かんこう)令を守り通すとは。
父が亡くなる2年前、同じ大正生まれの小野田寛郎氏が亡くなっている。小野田氏は旧陸軍の軍人で、情報将校としてフィリピンのルバング島に赴任した。師団長の横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」と訓示を受けたという。戦後も29年間、孤立無援でゲリラ戦を戦った。
手に入れたラジオで戦争が終結したことは気づいていたらしい。冒険家の鈴木紀夫氏によって発見され、帰還を促された。だが任務解除命令がない以上、任務は放棄できない。結局、元上官である谷口義美氏(元陸軍少佐)による任務解除命令を受けて帰国した。
両者に共通しているのは、国家と個人が一体となった「大正人」ということだ。父は大正3年生まれ、小野田氏は大正11年生まれである。先の大戦では大正人の7人に1人が戦没している。戦後復興の原動力も大正人が主力だった。
父には9歳年下の弟がいた。海軍パイロットとして昭和18年、太平洋のギルバート諸島上空で散華した。父は弟を思い、靖国神社にしばしば参拝した。最後の参拝は90代後半だったと思う。杖(つえ)を突きながら気丈に昇殿参拝を果たした。その時、父はポツリと呟(つぶや)いた。「何で靖国参拝に反対するんじゃろうのお」。現役時代、ある懇親会で小野田氏と同席させていただいたことがあるが、その時、小野田氏から同じ言葉を聞いたのを思い出した。
国家意識溶解の懸念
大正人にとって国家と個人は一体で、国家に尽くすことは、自分に尽くすことである。国家に命を捧(ささ)げた場合、国は永遠に死後の面倒をみる。なのになんだと、憤懣(ふんまん)やるかたない思いが感じ取れた。
国に殉じた先人に対し、国民が尊崇と感謝の念を表すのは世界の常識である。米国ではアーリントン国立墓地に、韓国では国立顕忠院に、フランスでは凱旋(がいせん)門の無名戦士の墓に国家のリーダーは参拝する。外国の要人来訪時も、必ず参拝する。これが国際共通の儀礼である。岸田文雄首相は1月の訪米の際、アーリントン墓地に参拝した。だが岸田首相は就任後、靖国神社には参拝したことがない。
いかなる事情があるにせよ、一国のリーダーが自国の為に命を捧げた先人に追悼の誠を捧げないのは異常である。異常を異常と感じなくなる時、国家と個人の一体感は失われ、国家意識は溶解していく。国家は国民一人一人の「義務と責任」から成り立っている。国家意識が希薄化すれば当然「犠牲」「勇気」「名誉」という普遍的価値は喪失し、我欲は限りなく肥大化する。国家あっての人権、人道、社会福祉であり、祖国あっての個人であるという当たり前のことが理解できなくなる。
公に尽くす生き様を忘れず
令和5年度予算が成立したが、国会での議論は見る影もなかった。昨年12月、安全保障関連3文書と共に、防衛費のGDP比2%、反撃能力の保有が閣議決定された。この時、「満足な議論もせず、民主主義の破壊だ」と野党は批判した。だが国会では十分な時間がありながら、「満足な議論」もせず、表層的で枝葉末節な質疑に終始した。参院ではウクライナ戦争や台湾有事もそっちのけで、行政文書をめぐっての「コップの嵐」に終始する体たらくである。
これを見る時、選良たちも国家意識が溶解し、安全保障や天下国家を「議論しない」のではなく、もはや「議論できなくなった」のではと思ってしまう。2021年の国際世論調査では「国のために戦うか」に対し、「はい」と答えた日本人は13・2%で最下位だった。この現実と通底するように思えてならない。
国家という「人」はどこにもいない。国家とは同胞、友人、知人、そして自分自身のことである。自分自身が国家そのものだという事実に戦後日本社会は目を伏せてきた。その結果「国家」の希薄化は深刻なまでに進んでいるようだ。
WBCで日の丸が乱舞する光景と国会の惨状が同じ日本だとはどうも思えない。数年もすれば大正人はいなくなる。国家と自分自身を同一視し、我欲を捨て、公に尽くす大正人の生き様を今こそ見直すことが求められているのではないか。(おりた くにお)
#産経新聞 #正論 
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r1ok4 · 2 years
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推しを推せなかった話
国際男子寮の食堂で働いている。
国際男子寮の明確な定義は何かと言われるとよくわからないけど、とにかくその寮の近くには国際系(「国際系」って大学の専攻とかの区分で最近よく聞くけど、そもそも「国際系」って何なんだろうか。未だによく解らない)の大学があり、その大学に通う男子学生が多く暮らしている寮である。日本人も勿論いるが東南アジアや中国・韓国にルーツがある学生が大半であり、私の仕事はその寮の食堂で彼等の食事を作ることだ。日本語でのコミュニケーションが難しい彼等と私の間にボーイミーツガール的なラブイベントが起きることは勿論なく、1年近い勤務期間の間に無精髭に薄汚れたタンクトップ姿の彼等と三角巾にマスクで目以外は何も見えない容姿の私が交わした会話と言えば「こんばんは」「ごちそうさまです」「ありがとうございます」「ヘイ ワンピーポーワンプリン」くらいのものである。私の職場は、彼等にとっては自宅のキッチンだ。自宅のキッチンでわざわざ髪を整え髭を剃りアイロンのかけられたジャケットを着て「お姉さん、今日も美味しいご飯をありがとう(ニッコリ)」なんてしてくれる男は居ない。
そんな無精髭タンクトップ男達の中で、ふと目を引く男の子がいた。190cm近そうな長身にふわふわの銀髪。いつも黒いオーバーサイズの服を着ているが、それが本人の体格によく似合っている。皿を受け取る時の手は大きく、指は節ばっている。たまにその指先にある形のいい爪にネイルが塗られていることもあった。大抵は黒、たまに他の暗い色。ふわふわの銀髪は結べるくらい長く、実際に何度か結ばれていた。私は何度か彼を見るうちに、なんだかジョングクに似ているなと感じた。図体はでかいのだけど、挙動が素直で綺麗な目をしている。
彼はいつも野菜も残さず食べてくれるが(男子学生というのは大半が野菜を残してくる)、最初に並んだ惣菜を選ぶ際には真剣な目でどの皿が一番肉が多いか見定めている。野菜が好きというよりただ飯であればなんでも全部かっ食らうようだ。私は肉への執着心が強いジョングク似の彼をジョン肉と呼び見守ることに決めた。
1ヶ月ほどジョン肉を見守っていると、彼がおそらく韓国人であることに気付いた。他の学生とハングルで会話していたからだ。これまで「ご馳走様でした」以外の日本語を聞いたことがなかったので気付かなかったが、言われてみれば確かに発音に若干のぎこちなさがあるように感じる。
彼の「ご馳走様でした」は、私が彼を気に入った理由でもあった。食器を戻す時に毎回、律儀に「ご馳走様でした」と言ってくれるところ。多くの人の言うそれとは違って、彼の「ご馳走様でした」は、本当に「ご馳走様でした」と言っているように聞こえた。言い慣れて惰性で意味を失ったおつかれさまでーす、や、あざーす、とは違う。わざわざ食堂にいる寮長や寮母さん、私の方を向いてぺこりと頭を下げて、「ご馳走様でした」としっかり言ってくれるのだ。
気付いたら私は彼の「ご馳走様でした」を聞くために、積極的にそれまで嫌いだった洗い場に入るようになっていた(洗い場にいれば学生から直接皿を受け取ることができる)。なんなら仕事に向かうため自転車を走らせながら、今日はジョン肉を見られるかしらと考えることもあった。ジョン肉。今日はどんな服を着ているだろう。成人しているんだろうか。本当に仲良い友達と話す時はどんな感じ?あんなに背が高くて銀髪で、こんな田舎に住んでたら目立つだろうな。筋肉質な���体をしているけど、何か運動をしているんだろうか。毎日のように食堂で夜ご飯を食べているけど、あまり人と飲みに行ったりはしないのかしら…でも、そんなこと話せるような仲ではない。私はジョン肉の顔を知っているけど、ジョン肉は私の(目しか見えないので)顔すら知らない。寮の外ですれ違ったら彼は私に気付かないだろう。ああ、それでもこのまま、どうにかしてもう少しだけジョン肉のことを知られたら…
そこで私ははたと気付いた。このジョン肉への感情。私はこれをよく知っている。23年間の人生で何度も経験した胸のときめき。その中にふと訪れる切なさとどこまでも深い理屈を超えた愛おしさ。これは…
完全に、推しだ。
推しだ。完全に推しだ。私はジョン肉を推している。完全に、完璧に、推している。
私は推しへの愛と恋愛感情の違いを明確に理解している。恋愛感情は、「私がその相手と実際にどうにかなりたい」だ。私はジョン肉と、どうにもなりたくない。赤の他人のままでいて欲しい。誰と付き合っていようがどうでもいい。私はただジョン肉を推しとして愛したいだけなのだ。新規供給情報に暴れて画像を何枚も保存してちょっとしたエピソードから人間性をなんとか掴もうと考え込んでVLIVEを見返しては生きる糧を貰って寝る前に今何してるかな、元気だといいなと思いを馳せたりどれだけ彼を愛しているかをやかましい言葉でインターネットに垂れ流したりしたいだけなのだ。私にとって『推す』とはそういうことだ。
でも、そんなことをアイドルでない赤の他人にすることはできない。ストーカーどころか人権侵害だ。怖い。
そこまで理解したとところでぐらりと世界が反転した。全身の力が抜けた私は食堂の冷たい床にがっくりと膝をつく。
神様!!!!!!!!!!!!!!!!
ああ、私はジョン肉を推すことはできない。彼はアイドルではないのだ。アイドルでない他人を推すことはできない。ジョン肉はアイドルではない。故に、私は彼を愛することはできない。私は彼を愛することはできない…
私は、ジョン肉と、アイドルとファンになることができない。もっと彼のことを知って眺められたらどれだけ良いだろう。でもアイドルでない彼にそれを私が求めることには、責任と覚悟が必要とされる一対一の現実的な人間関係が生じる。一体どのオタクが推しと責任と覚悟が必要とされる現実的な一対一の人間関係を生じさせたいというのだ。それを望んではもう「推し」ではない。違うのだ。私はただ、アイドルの推しを推すようにジョン肉を一方的に推したいのだ。けれどそれは敵わない。私は彼を推すことはできない……
そこまで気付いてしまった私は、静かに一人、この気持ちを封印するしかなかった。推せない推しを推すことはできない。私はどれたけジョン肉を推していようと、彼の情報をインターネットで漁ったり個人情報を知ろうと話しかけたりしてはいけない。何故なら彼はアイドルではないからだ。彼は私に推されるべき人間ではないからだ。彼は完全に一般人で、彼のことが知りたければ私は彼と、ごく健全で現実的な人間関係を構築しなくてはいけない。無責任に愛の捌け口とすることが許されるオタクとアイドルではなく。そして、それは私が求めていることではなかった。私はジョン肉とごく健全で現実的な人間関係を構築したい訳ではなかった…
さようなら、ジョン肉。いつか日プ3があったら、出てね。毎日、投票するからさ。もしよかったら、アイドルになってね。でも、ならなくてもいいよ。私に「ご馳走様でした」って言ってくれてありがとね。あれだけはファンサと思って浮かれていいかな?
じゃあ、いつか推すことができるその日まで。
さようなら、ジョン肉。私の、推せなかった推し。
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gyohkou · 2 years
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26/12/22
日記、人に見せるものという意識があるために、あまり重たくならない様に調整してしまうが、それでは嘘になってしまう。わたしの人生における出会いも気づきも抑うつもまた、全て等しくこの身に起こっていることであり、どれも誇張されたり退けられたりするべきではない。しかし、やはりこれは他者が読むものであるため、生々しい言葉を使うべきでもない。色んなべきではないを抑えて折り合いが付くように言葉を選んでいくのは、自分に正直であり続けるためだな。
スペイン旅行の3日目にバルセロナで高熱を出し、5日間は調子が戻らずほぼ寝たきりだった。バルセロナではピカソ美術館とカタルーニャ美術館へ行ったきりで、海辺のホテルで療養していたにすぎない。熱を出した翌々日に宿の関係でマドリードへ移動せねばならず、熱で二倍になった重力の元、特急の始発駅へ向かっていた。運が悪いことに地下鉄で貧血を起こし、降りた駅のベンチで横になっていたら、心優しく声を掛けてくれたスペイン人が水を買ってバナナを分け与えてくれ、本当に助かった。マドリードの宿へ到着してからも、一日に二度、外食のために身体を起こすのが精一杯で、ただずっと具合が悪かった。せっかくのスペインだったのだが、ベッドでM-1決勝戦ネタを観たりしていた。イギリスに帰って、餅、つこうぜ。
どうしてもうどんが食べたくなる。Googleマップでうどんと検索し、ちゃんと日本人が作っていそうなおうどんの写真が出てきたので、今夜はここへ行こうと星マークをつけようとしたら、店名が「donzoko」だった。どん底スペイン旅行。お店へ行くと、おそらく同年代の日本人の男の子が接客をしてくれ、スペインでワーホリをしているとのことだった。スペインワーホリは4年前くらいにできたらしい。英語圏の次は別の言語の国へ行ってもいいね。海外にはトリリンガルの人とか結構いるし、フランス語なんか喋れたら素敵だな。肝心のおうどんは、おつゆが甘じょっぱすぎた。かなりまともな日本料理屋だったけど、味はなんだか惜しい。お出汁にこだわる家で育ったから、もしわたしが日本料理屋で働いたらお出汁にめちゃくちゃ口出ししちゃうかもしれない。オーダーではなく出汁をとらせろ。ちなみにどん底の由来を彼は知らないとのことだった。
具合が悪いとしか言いようがない。これがコロナなんだとしたら、全く脈絡のない刺激で悲しくなってしまうのも症状のひとつなのかもしれない。着ているフリースの毛流れがあまりにふわふわと立体的で、悲しくてたまらない。ひとしきり悲しんで眠りに落ちると、フリースを着て眠っていたはずなのに脱いでいて、足元のベッド枠に掛けられている。睡眠時遊行症もコロナの一症状なのかもしれない。
マドリード3日目。ずいぶん長く歩けるようになるまで回復する。病み上がりにはいつも辛いものが食べたくなるが、今回も例に漏れず、口コミのよい韓国料理屋を探して向かう。店内はいっぱいだからテイクアウトなら、とのことでスンドゥブチゲを注文。女将さんがスペイン語と韓国語と英語をない混ぜにして喋るので全然わからなかった。英語圏ではない国へ旅行する場合、必ずしも英語が通じるとは限らず、メニューが現地言語表記のみだったりすると本当に詰んでしまう。ヨーロッパ言語は英語に似ているみたいな話をしたけど、音が似ているわけではなく、全くスペイン語がわからない英語学習者にとってのスペイン語はもちろんどうぶつ語である。20分後にできるからとのことで、外へ出てベンチに腰掛けスンドゥブを待つ。マドリードは至るところにベンチがあってよい。バルセロナは暖かくて春の匂いがする午後さえあったが、マドリードは少し肩が縮こまる。それでも、ふくらはぎが出るワンピースを中に着て20分間ベンチに腰掛けることはできるような温度感だ。店へ戻ってスンドゥブを受け取る時、女将さんがにっこりしながらポンポンと肩を叩いてくれたが、韓国語を喋っていたのでどういう意味だったのかわからない。ゆっくり食べられそうなベンチを探しながらしばらく歩いていると、○○町第一児童公園 みたいな名前が付いていそうな、寂れつつ小綺麗な公園があったので、そこでスンドゥブを広げることにする。付け合わせで、火を通した茄子を塩辛い餡のようなもので絡めたおかず、じゃがいもとにんじんを千切りにして塩で味づけした炒めもの、がびっくりするほど美味しかった。塩気の効き具合と火の通し加減が絶妙で、こういうのを家庭料理のおいしさというのかな。スンドゥブは辛さが足りずもどかしかったので、辛さを求めて、夜にまた別の韓国料理屋へ行く。両側をスペイン風のアパートで挟まれた、狭くて歪んだ石造りの坂道を少し登ったところにある、地下に店を構える韓国料理屋で、地上から階段で半分下がったところに入り口があり、お辞儀をするような格好でドアを押す。ここではビールを解禁してサムギョプサルをしたのだが、にんにくが付いていなくてふざけているのかと思ってしまった。シメにいただいたユッケジャンは微妙な見た目して味は一品だった。熱くて舌が焼けそうなほど辛い。そういえばどちらの韓国料理屋でも、日本人だと告げると(韓国人ではないため)ちょっと残念そうな顔をされつつもなんだかんだ良くしてくれて、アジア人というアイデンティティが芽生えつつある。満足して帰路につき、ゆっくりシャワーを浴びて早く寝ようと思っていたのだが、なぜか宿のバー巡りイベントに参加することになり、お酒を解禁してグラスビールを許した段階なのにショットを5杯飲む夜になってしまった。塩とライムで飲むテキーラっておいしいんだね。同じ宿に泊まっている人たちと英語で喋るよい機会だったけど、ナイトクラブの雰囲気がめちゃくちゃ苦手だったのでそそくさと抜け出して帰った。
丸一日自由に使える日を二日間残して体調が戻る。マドリード4日目。普段の調子も戻ってきて、スペインでようやく息ができた朝だった。宿の近くに、スペシャリティコーヒーと看板を掲げるカフェが連なるスペシャリティコーヒー通りがあり、どれもわたしが知っているそれとは雰囲気がかなり違ったので、広義のスペシャリティコーヒー、と思った。スペシャリティコーヒー通りのカフェのひとつがBrunchをやっていて惹かれたのでふらりと入る。(おそらくスペシャリティ)コーヒー、足のついたグラスに注がれた生のオレンジジュース、アボカドと生ハム(たっぷり!)とトマトソースのバケットトースト、クロワッサン、グラノーラと果物のヨーグルトで完璧なブランチ。ヨーロッパでは基本的にどんな食事にもナイフとフォークが添えられているが、バケットトーストをナイフで切ってフォークで口に運ぶのも優雅でよかった。オーダーを取ってくれた店員が、日本好きだよ、In the Mood for Loveが好きなんだ、と話すのに対し、背中合わせの客が、それは韓国映画だね、と割り込む。どうやらウォンカーウァイの花様年華のことを話しているらしかった。お会計の時、あなたは主人公によく似ているから観てみてと、伝票の裏にIn the Mood for Loveと書き込んでくれ、なんだか映画のワンシーンみたいだった。カフェを出てプラド美術館へ向かう。スペインといえばプラド美術館と思っていて、それはそれは様々な西洋画が見られるのだろうと期待していたのだが、展示内容にはかなり偏りがあった。Wikipediaによると、プラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションが大半で、歴代王の趣味やスペイン史を反映しているためにルネサンス、バロック絵画に偏っているとのことだった。確かに、モネとかゴッホとかは全くなく、宗教画ばかりだった。じっくり館内を見て回っていると、ぐっと引き込まれてしまう絵がいくつかあった。なぜだろう。おっきくて本物だから?光って見える絵とかもあった。宗教画はものすごく精巧な絵画で、一言でいうと、絵がめちゃくちゃうまい。そしてどの絵にもドラマ、ストーリーがあって、人が血を流して死んでたり泣いてたり呆然としてたりなど、どうしたんだろうとシリアスになって絵に近づいていってしまう。Antonio Munoz Degrain の The Lovers of Teruel と、Juan Luna の Cleopatraが特に美しかった。ところで翌日も酔い続けているタイプの二日酔いで訪れる美術館てなんて心地いいんだろう。身体に一定の負荷がかかっているために、余計な言葉や思いだしたくない悩みが引っ込み、視覚から絵を楽しめる。あとこの日はコンタクトレンズをしていて、眼鏡とは見え方が異なる気がした。コンタクトレンズの方が、より鮮明に立体的に見える、ために絵が飛び込んでくる。一通り見終えて、ソフィア王妃芸術センターへ本物のゲルニカを見に行くため、マックで腹ごしらえをする。小腹が空いていて時間も微妙な時にちゃくっと行くマックは楽しくて美味しくて好き。閉館まで時間がなくて、駆け足で回っても全ての展示室へは行けず、近代的なおもしろい展示もやっていたから勿体なかった。この夜も韓国料理を食べる。
マドリード5日目。マドリードはよい街。まずスーパーがいい。並んでいる野菜や果物はぱつっと新鮮だし、鮮魚コーナーはでっかい魚が氷に埋まっていて、精肉コーナーには生ハムの原木がぶらさがっている。何より床が綺麗で店が明るい。(ロンドンのスーパーはなんか散らかってる。)ティッセン=ボルネミッサ美術館へ行く。ここはプラド美術館とは異なり、かなり満遍なくコレクションされていて、おすすめルートで回ると西洋美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっていてかなりよかった。Edward HopperのHotel Roomを長い間眺めていた。とても好きだったので、絵がプリントされたクリーニングクロスをお土産に購入した。さすがに二日酔いは治っていたと思うけど、心地よさは継続していて、夏を想起させる様な色彩鮮やかな厚塗りの抽象画を見ていると、幸福な気持ちでいっぱいになった。美術館行って幸福な気持ちになって出てくるって体験として最高だなあ。
美術館へ行ってばかりの旅だったけど、美術館でわたしは何をしているんだろうとふと。多分、作品を見てるだけじゃないんだよな。建築設計の妙でもたらされる幸福感とか、絵を眺める人を眺める時、すれ違う人の放った言葉が耳に入ってくる瞬間、あんま面白くない作品が続くゾーン、はっとして吸い寄せられてしまう絵、の合間合間でメモアプリに書き留められる断片的な自己理解や新しい思いつき、の全て。チケットの列に並んでから夕暮れ時に出口をくぐるまでに起こる全ての体験。そういう娯楽。
旅をしていると、こうすればこうなるだろう、からこうする、みたいに、今の不安を未来の自分に解消させるべく、筋道立てて人生設計して未来を計算しながら生きるのをどんどんやめていくことが今を幸せに生きる方法のような気がしてくる。そのような設計はどうしても垂直な要素を含むが、わたしは人生をどこまでも広��平面として生きていきたい。設計が必要になったとしても、資本主義的垂直ではなく平面的な心持ちで努力をする。垂直に生きないと何かがダメになるというのは資本主義社会の幻想であって、平面的に生きても、何かが減ったりツケが増えたりするわけではおそらくない。やりたいこと、知りたいこと、行きたいところを正しく把握するために、自分の心の機微に敏感になっておくこと。今嬉しいのかつまんないのかをわかるようにしておくこと。その上でやる力、やり通す体力と精神力を備えておくこと。この辺りが大切なんだろうなと思う。
クリスマス当日は快晴。ロンドンへ戻る。滞在中に何度か行った宿の近くのカフェへ朝ご飯を食べに行った。おおきな(本当におおきな)チョコレートケーキを食べながら、これクリスマスケーキだ、と思う。大型犬を連れた客が入店してきて、ヨーロッパの犬寛容社会、と思う。フライトの時間が迫っていたので、バタバタとチェックアウトして駅へ向かうと、広場で露店マーケットが開かれていた。15分だけ、と急足で露天を見て回り、変な蟹のピアスを3€で購入した。うれしい買い物。ピアスだけはいくつ所持してもよいことになっている。空港で手荷物、予約時の規定では8キロ制限だったのに、チェックイン時に計って9キロで、超過してるか聞いたら問題ないとのことで首を傾げていたら、搭乗時に10キロまでと書かれた表示を見つけ、何がどうなってんねん。手荷物検査すぐ終わって余裕だと思っていたら出国審査に並んだ。出国審査はある空港とない空港があるけど、どうなってんねん。昼下がりのエアヨーロッパ。搭乗した機内には柔らかく日が差し込み、滑走路の離陸ポイントへ移動する間、角度を変えて入り込んでくる日が窓際、手元、手荷物棚とあちこちにひだまりを作る。空調が機能していないのかよく暖まり、うとうと眠りに落ちてしまう機内は、まるで水泳の後の授業か、あるいは放課後のようだった。到着先のガドウィック空港のストライキを心配していたが問題なく入国でき、ロンドン市内まで帰ってきたが、鉄道とバスのストライキは全く予想しておらず、家に帰る手段がタクシー以外に何一つなかった。距離を調べたら徒歩3時間だったので余裕じゃん!と心が軽くなり、旅行前は氷点下だったがこの夜は10度近くあったため、歩いて帰ることを決めた。
一人旅、向いていないかもしれないけど、好きでいたい。旅行中に、そういえば母親にスペイン旅行のこと連絡していなかったなと思ってラインしたら、ひとり旅!? あなたは勇気あるねえと返事がきた。誰かがいないとできないとか、ひとりだと寂しいとかいう次元とは別のところにいたくて、旅に限らず、お酒を飲みに行ったり映画を観に行ったり、なんでも一人でやっているのかもしれない。そして一人旅では、すぐには言葉にならない水面下で何かが、大きな攪拌が起こっているような気がする。旅行前半は、ちゃんと仕事も決まっていない無職なのに貯金を切り崩して10日間もスペイン旅行だなんて、という思考に囚われていたけど、ロンドンに帰ってきたら、そういう悩みが削ぎ落ちていて、空いた分をどうでもよさ、寛大さが占めていた。まだ無職でいいや、というニュアンスのどうでもよさではなくて、もっと前向きな力の抜け方。旅行をすればするほど、人生に対して前向きにおおらかになっていくのかもしれない。
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jinsei-pika-pika · 13 days
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フォロワー20万人超の91歳、亡くなる前日も晩酌 伝え続けた日常
寺崎省子2024年9月14日 8時30分
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博子さん(前列中央)の90歳のお誕生日。娘の夕湖さん(前列左)と夕湖さんの娘(後列左)ら家族で=家族提供  「生かされているうちは喜怒哀楽を楽しみたい」。シニアのインフルエンサー、大崎博子さん=東京都練馬区=が7月23日、亡くなりました。91歳。10年以上にわたって日常をXで発信し、注目されていました。
    ◇
 Xのフォロワー数21万8千人。「高貴香麗者」と称し、「だれも傷つけない」が、つぶやきの信条だった。
 茨城県出身。6人きょうだいの第3子として育った。高校卒業後、東京へ。結婚し、一人娘が誕生した後に離婚。女手一つで育て上げた。
 「好奇心旺盛で、人といるのが大好きでした」と娘の夕湖さん(55)。「三日坊主でいいから、やってみることが大切。やってみないと、好きかどうかわからないじゃない」。よくそう話していたのを覚えている。
 〟機械オンチ〝の博子さんが「Mac」デビューしたのは2010年末、78歳のときだ。少し前に胃がんの手術を受けた。国際結婚し、家族とロンドンで暮らす夕湖さんから「インターネット電話なら、顔も見られて通話は無料よ」と聞いた。ノートパソコンを買い、教室に通った。
2011年に始めたツイッター  2011年3月、東日本大震災の直後にX(当時はツイッター)も始めた。東京都内の公営団地で一人暮らし。花を飾り、趣味の太極拳や散歩、健康麻雀(マージャン)、ネトフリ(Netflix)で大好きな韓国ドラマを楽しむ暮らしぶりをつづった。戦争体験の投稿には数多くの反響があり、伝えないといけないと、力を込めていた。
 その年の12月31日、こう振り返った。
 「去年の暮れから始めたMac! 震災後に始めたTwitter! 私の様(よう)な高貴香麗者に沢山(たくさん)の方々からフォロー頂き、励まされ、学ばさせて頂きありがとうございました。素晴らしい年を送れましたことに心から感謝です!!」
 負けず嫌いなところもあった。ある健康麻雀の日は「今日も負けたくない。勝ちに行きます。楽しみながら脳トレでーす♪」とつぶやき、負けると悔しさをにじませた。
フォロワーは国内外に  「ツイッターで前向きに発信している80代のおばあさんがいる」と評判になり、2022年2月、「89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作り方」(宝島社)が出ると、フォロワーはさらに増えて国内外に広がった。デジタルを使いこなし、楽しみを見つけて発信する姿は、大きな反響を呼んだ。出版後すぐに重版が決まり、10刷累計5万部を突破した。
 毎晩のように350ミリリットルの缶ビールや発泡酒、グラスワインで晩酌を楽しみ「私の主治医はお酒は適量なら良いという医者です。美味(おい)しく頂けるうちは飲みます」「最近晩酌が美味しい。体調が良いのだと思う。美味しいと飲み過ぎないように注意です」とつづることも。
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7月6日のXに投稿した晩酌の友。「つけ過ぎのぬか漬けを塩抜きして炒めました」=家族提供
 今年6月から「今宵(こよい)の晩酌の友」と題しておかずの写真を毎日のように投稿すると、それを楽しみに待つフォロワーも。健康のため野菜中心のメニューで、赤・黄・緑の彩りに気を配り、「Xに載せるから、ミニトマトを切ってのせたのよ」と夕湖さんに話していたという。
 もちろん、残り物ですませたり、お弁当やお総菜を買う日も。それでもサラダを用意し、お皿に盛りつけた。そして「今日は麻雀で遅くなったので買い弁当です。野菜はたっぷりです」「残りものにプラスしました」などと書き添えた。
「皆さんとの繫がりが生きがい」  90歳を超えると「無理をしない」とつぶやくことも。出かける用事がある日は太極拳を休んだり、朝から暑い日は太極拳の後の散歩をやめたり。Xでの何げないやりとりや「喜愛(きあい)で!」とのエールの送りあいは欠かさず「91歳の私Xは生活の一部です!」「皆さんとの繋(つな)がりが生き甲斐(がい)です!」と、つづっていた。
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亡くなる前日の投稿。「これから友人とランチです。久々の自撮りです」=家族提供
 「おやすみなさいませ」
 最後のつぶやきは7月22日午後9時34分。「おやすみなさい」という、あるフォロワーからの書き込みへの返信だった。
 この後、亡くなった。死因は脳出血と推定される、という。冷蔵庫には、その日の晩酌の友、赤いパプリカ入りのゴーヤチャンプルーの残りが、ラップをかけて入れてあった。部屋のカレンダーには、先々の予定も書き込まれていた。
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亡くなる前夜、7月22日のXに投稿された「晩酌の友」=家族提供  「娘です。23日に母が永眠いたしました。ここでたくさんのフォロワーさんたちから毎日元気をいただいておりました」
 25日に夕湖さんがそう投稿すると、瞬く間にリポストされた。「新しいことを始めるのに年齢は関係ないということを教えていただいた」「素敵(すてき)でハッピーに溢(あふ)れていました」「飾らぬ言葉に何度も��まされました」「自分もこの様な年齢の重ね方がしたいと思っていました」。博子さんの死を悼み、感謝をつづる数千のメッセージが国内外から寄せられた。
 毎朝の投稿がなく、晩酌時にかかってくる博子さんからのLINE通話がこない――。夕湖さんが心配しはじめたとき、LINE通話の着信音が鳴った。博子さんの自宅近くに住む女性からだった。
 初めて出した著書を読んだ女性が、博子さんも通う太極拳の会に参加するようになって意気投合、友人として親交を重ねていた。
 女性は「Xへの投稿がなく、夜になっても電気がつかない」と案じ、夕湖さんに連絡をとりながら、博子さんが万が一に備えて自宅の鍵を預けていた団地の住人らと安否確認すべく尽力してくれた。
 葬儀は博子さんが通い、納骨の準備もすませていた教会で執り行った。参列者には普段着で来てもらった。連日の猛暑もあったが、「亡くなったことを悲しむのではなく、これまで母が生きてきたことを祝う日にしたい」との願いからだ。
 「私、有名人みたい」。博子さんがそう話したことがあったという。でも「Xへの投稿もちゃんと見ていなかった。もっと喜んであげればよかった」と悔やむ夕湖さん。母のXのアカウント(@hiroloosaki)は「削除せず、残しておきたい」という。(寺崎省子)
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