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#長崎飲兵衛
kennak · 19 days
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在沖縄米兵の性的暴行事件が相次ぎ発覚した問題を受け、米軍の特権を定める日米地位協定の抜本的改定を求める集会が2日、東京都内で開かれた。沖縄の女性史を研究する識者は、戦後も伏せられながら続いてきた米軍性暴力の構造を指摘。改定なき「運用改善」には限界があるとし、地方で声を上げ、国際社会に人権問題として訴えようという動きも起きている。(中川紘希、宮畑譲) ◆「隠された事件まだある」政府へ怒り  「またか、と思った」。沖縄県で起きた米兵らの性犯罪を調べている女性史家の宮城晴美さんは、女性団体が主催した2日の集会で怒りをにじませた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影)  県では6月、昨年12月に16歳未満の少女を車で誘拐し自宅に連れ込み、同意なくわいせつな行為をしたなどとされる米兵の性的暴行事件が相次ぎ2件発覚。事実を把握した県警や外務省は県に連絡せず、いずれも報道で明らかになった。  宮城さんは、警察統計の数字でしか表れない性犯罪事件があると把握していたとし、「隠されている事件はまだたくさんある」と指摘した。県議選が終わった後で事件が明るみとなったことについても、「沖縄の危機感をあおらないようにする政府の姑息(こそく)なやり方」と批判し、沖縄の「いらだち」を代弁した。 ◆米兵ら性犯罪被害、沖縄戦以降少なくとも948人  宮城さんは日本復帰前の琉球政府や米軍資料、新聞、書籍を基に沖縄の米兵の性犯罪を年表として冊子にまとめている。沖縄戦があった1945年から2021年までに、少なくとも948人が被害に遭ったと報告。冊子は13版を数える。 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめた米兵による性犯罪の冊子  宮城さんによると、米国統治下に置かれた沖縄で、米兵たちはけが人を救助すると同時に、性暴力も重ね、病院に入院した重傷の女性を襲うなどした。ベトナム戦争が始まった1960年代には、米兵らの事件は凶悪化。ホステスの女性が裸で埋め立て地や墓地に放置されるなどの事件も相次いだという。  その背景を、宮城さんは「米軍の中に『沖縄は力で奪い取った戦利品』という意識がある。女は襲ってもいいと暗に思われていた」とみる。 ◆「落ち度論」に阻まれ、伏せられてきた被害  一方で性被害の多くは伏せられてきた。その理由の一つが、沖縄の女性への「落ち度論」だ。55年に6歳の少女が暴行を受け、殺害、遺棄された事件では「母親が1人でエイサー(伝統舞踊)に行かせたのは軽率」と批判され、被害者側に追い打ちをかけた。夫の家を重んじる沖縄の家族制度において、被害女性の側が家族や集落に責められることもあったという。  米兵3人による95年の女子小学生暴行事件で、女性団体が声を上げたことで「戦後50年たってようやく、米軍基地問題が女性の人権の視点から問われることになった」と宮城さん。事件をきっかけに、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意が動き出した。 ◆発覚遅らせる日本政府の「プライバシー保護」論  集会には、自衛隊の南西シフトが進む宮古島市の元市議、石嶺香織さんもオンラインで参加。日米一体の軍拡への不安の中で、今回の性的暴行事件が発覚したと指摘。日本政府が「プライバシー保護」を理由として県に連絡しなかったことを批判し「名前は出さなくても具体性を持たせて発信すれば、予防や注意ができるはずだ」と訴えた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影)  名古屋学院大の飯島滋明教授(憲法学)も集会に登壇。日米地位協定では米軍の公務中の犯罪の第1次裁判権は米国にある。「日本の刑事裁判権が著しく侵害されている」と協定の改定を訴えた。公務外の犯罪を巡っても日本政府は53年、重要な事件を除き裁判権を行使しない方針を米側に伝達。2011年に判明し「密約」と批判された。日本政府は「双方の合意はなかった」と密約説を否定したが、飯島教授は米兵の性犯罪の起訴率の低さに触れ、「密約の影響を考えないといけない」と指摘した。 ◆機能しなかった日米合意、県には今も米側から連絡なし  1995年の米兵による少女暴行事件を受け、日米両政府は97年に事件・事故を速やかに通報することで合意。しかし今回、通報が徹底されていない実態が明らかになり、日本政府は、捜査当局が公表しない事件についても「可能な範囲」で沖縄県に連絡するよう今年7月から運用を始めた。  在日米軍司令部も7月、再発防止策を発表。在日米軍幹部と県、地域住民が意見交換する「フォーラム」の新設を表明した。ただ、県基地対策課によると「外務省から『今後、調整したい』との連絡はあるが、米側から直接のコンタクトはない」というのが現状だ。 ◆県に通報、報道発表がなかった例、長崎でも  2日の集会でも「運用改善だけでは、根本的な解決にならない」と批判が上がった。さらに、在日米軍基地がある沖縄以外の地域でも近年、報道発表や県への通報がなかったことが判明し、波紋は広がっている。  米海軍の佐世保基地がある長崎県では2016年、17年に米軍関係者による性犯罪事件があり、書類送検されたが、県警は公表しなかった。この報道を受けて佐世保市の女性団体「佐世保女性ネットワーク」は先月、事件の速やかな公表や、再発防止策を市に申し入れた。  しかし、市からは県を通じ、県警に「コメントできない」と対応されたと伝えられただけという。ネットワーク役員の山崎満喜子さんは「警察は個人情報を盾にしている。全て明らかにする必要はないが、加害の実態が明らかになって、初めて再発防止策につなげられる」と憤る。 ◆国連女性差別撤廃委員会で人権状況審査へ  7月には、各地の地方議員有志でつくる会が、外務省や防衛省などに抗議。賛同者は260人超に上った。同会は、9月議会で提出する意見書の準備を進める。東京都小金井市の片山薫市議は「意見書の細かい内容は、議会ごとに出しやすいものに変えていく。ただ、沖縄のような事件やその隠蔽(いんぺい)は許されない、各自治体に知らせるべきだ、との趣旨は共通している」と話す。 外務省前で米兵の暴行事件について抗議活動をする人たち=7月2日、東京・霞が関で  さらに、世界に訴えようとする動きもある。国連の女性差別撤廃委員会が10月、スイス・ジュネーブで、日本の女性の人権状況について審査する。審査では市民団体が提出したリポートも参考に、日本政府への意見が出される。 ◆「米兵の性犯罪は沖縄だけの特殊な事例ではない」  リポートをまとめた、沖縄の大学で非常勤講師を務める親川裕子さんは「米軍から派生する性暴力を日本国内の法律、制度でどう防止していくのかを明らかにするよう訴える」と話す。10月は現地を訪れ、委員へのロビー活動を展開する。国連から勧告が出れば、今後の国会での議論につながることが期待できるとし、「最終的に偏在する沖縄の基地の整理、縮小への一助になれば」と思い描く。 宜野湾市の住宅密集地に隣接する米海兵隊普天間基地(後方)  前出の飯島教授は「自民党などが『日本を守る』というならば、改憲よりまず地位協定を変えるべきだ」と強調する。全国に広がる抗議のうねりを受け、「米兵の性犯罪を、沖縄だけの特殊な事例とみなすことはできない。誰にでも起こりうることであり、被害の苦しみはずっと続く。その感覚を持ち、地位協定の見直しを含め国に求めるべきではないか」と呼びかけた。 ◆デスクメモ  「また防げなかった」。5年前、米兵が日本人女性を殺害した事件を受け開かれた沖縄の集会は悲嘆に包まれていた。飲酒運転の米兵の車の事故で両親を亡くした女性は「戦争がなくても今も沖縄は平和と言えない」と話した。13版を重ねる宮城さんたちの冊子は軍の暴力性も物語る。(恭)
米兵の性暴力「まだ隠されている」 沖縄だけでなく他県にも 積み重なる犯罪 記録が示す被害の構造とは:東京新聞 TOKYO Web
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iseilio-blog · 3 days
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iseilio 渾話
2022-2023 目次
10/23 Golf History
11/23 古典音樂作曲家特集
影 音  etc
01/22     法 國 香 頌      竹久夢二
05/22     黑 管   台 北 美 食
06/22    超現實主義     越 南 風 情
8/22 浪子的心情 台灣盛夏冰品 台北登山步道
09/22 法 國 女 人
10/22    Adagio from“Spartacus”   半音階
松山公學校    松山探源尋根
11/22   サヨン の 鐘    はしご 酒  小唄 :味
巴哈 之前的音樂家
12/22 台灣百景    台 灣 封 神 榜
登 山   露營
01/23 人生かくれんぼ 摩托車、重機
萬華鏡  半音階    馬 勒 交 響 曲
03/23  南 管 • 北管
05/23 すき 喜歡 Picasso 原住民音樂 論 伊丹十三
A DEAR JOHN LETTER 黃昏清兵衛
06/23  それゆけ !オ一 ケストラ  週刊文春 2017年6月號
宇 崎 竜 童 、aya 俱樂部 院士致詞
07/23 天啟皇帝 日 本 控  Aram Khachaturian
川島芳子 與 李香蘭 吳 晉 懷 風雨夜曲
08/23 美 學
10/23 美學檔 惜別之歌 Final Fantasy  おにぎり
政治
01/22      黑水溝 之 彼方        蔡英文 與 蔣經國
02/22      从地缘战略到币缘战略-全球化的演变       蘇維埃王國
烏克蘭      03/22 意 大 利     核 威 脅 04/22 逃離中國
05/22     新中國聯邦      氣 憤     臉書是台灣自找的「網路長城」
06/22    德被宇宙 07/23 傻瓜 與 大砲
08/22   拜登對華的模糊策略
10/22 離 心 機   蕭茗看世界
11/22   無皇萬歲
03/23   體制、機制  共鳴者被揭穿
04/23   政治施為 的 效果呈現
从地缘战略到币缘战略 — 全球化的演变
05/23 勿謂言之不預 中華大講堂 中華民國台灣化
07/23 哈佛最熱門的政治課 後殖民主義 與 文化認同
10/23 姚立明點破民調 文化與帝國主義
姚立明斷言 藍白到2028都不會合
經濟
01/22   我們的新世 界
03/22    2010-2012 美國赤字預算
8/22  改變歷史 的 經濟學家
10/22 觀 念 經 濟
11/22 The Price of Inequality
04/23 貨 幣
05/23 儲貸社危機 與 RTC的創建 金援無法改變貧窮
07/23 觀 念 經 濟
翻譯
06/22   キマイラ鳳凰變
07/22 The Price of Inequality
08/22   何謂 “意識”(二)
08/22   雁 寺
09/22     夏日女孩 蜜雪兒(十七) 
11/22   平野屋 香魚   眠 狂 四 郎
12/22 大自然的獵人
12/22     岩村賢治 詩集
01/23    個人 的 體驗  不輸的方法 女性的美
為化學所魅惑 讀書術 夢のあと 點描日本音樂的世界
千利休 無言的前衛(二)
02/23 水戀鳥 美男子的 頭 高橋お傳
將軍之御寢 五輪書
03/23   裏声で歌へ君が代   北國通信
04/23   性 感 美 人   日本不足 的 軍事力
為化學 所 魅惑
06/23 それゆけ !オ一 ケストラ
07/23 水 の 手帳
10/23 軍首腦部軍閥化 森鷗外 Poseidon 變幻
雜文
01/22      師 說(一) (二)   像霧又像花       歧視
Deep Sea Drilling Project
03/22 死亡結界 節 制
04/22      簡 樸     黑 管     道 家     主 角     家 計 簿
逃離中國  狼 群
06/23   珠圓玉潤 金光閃閃 
05/22      新中國聯邦  氣憤 臉書是台灣自找的 「網路長城」
07/22     片段一 瞥   傻瓜 與 大砲
08/22    夢 中 囈 語    
09/22   天上掉下來 的 禮物 來自名字的稱呼里幹事
10/22     周 祖 厝   逃離中國大陸
01/23 京都的傳統 生命規則 復 活
02/23 樟腦丸 與 蟑螂 復 活
03/23  秋 意   春 望
04/23   台 灣 料 理  從敕使街道到華燈初上
不容易對話
05/23 勿謂言之不預
06/23 時空觀察力
07/23 抓好重點 風雨夜曲
10/23 人 的 座標系 天人之際 滲 透 復 活
節錄的方法 綴 文、不易瞭解 的 說明 異形
機制與轉折
諸子百家
01/22      傅 科    日傾中、盧 梭        哈佛最熱門的政治課
但丁 神曲       胚胎大勝利     法 國 香 頌      竹久夢二
02/22      但丁神曲     美術心理學     慕春風 日文五十音
權 力、第二性 造型原理     蘇曼殊     戀人絮語   Mansion
詼諧與潛意識的關係      圍城 權力、第二性
意志與表象的世界(一)
03/22      權 力、第二性    文 化 固 守    伊利亞隨筆     電影的語言
電影藝術面面觀    異 域    潛水艦之過去、現在與未來    失去的勝利
太平洋戰爭 島嶼爭奪戰        戰敗者 的 觀點
04/22     林彪元帥(一)   地下室手記     理則學 被俘心理學
李義山詩析論
05/22      轉 法 輪      唐宋帝國 與 運河
06/22  哲學 的 慰藉(一二 三)  分區 . 繼承
07/22 一封未寄的情書   後殖民主義 與 文化認同
大自然的獵人 物理之美 柏拉圖的天空
父親的眼淚和我的眼淚
08/22 後殖民主義 與 文化認同 改變歷史的經濟學家
10/22   高陽 談 周棄子     未埋庵短書(一)
11/22   T . S . Eliot 的 時代
12/22  文 化 固 守     我迷阮玲玉    康德四論  恐龍再現
記 Robert Frost , 1875-    混 沌   聖經三段經文
01/23 物理 之 美 康德四論 從古典到浪漫
與黑格爾同在的夜晚    貨 幣  權力、第二性
盧 梭 x 2
02/22 權 力、第二性 意志 與 表象 的 世界 造型原理
詼諧與潛意識的關係 蘇 曼 殊 戀 人 絮 語 圍 城
03/22 伊利亞隨筆 電影 的 語言
潛水艦之過去、 現在與未來 所羅門群島 之 戰
失去 的 勝利 戰敗者 的 觀點
04/22   地下室手記   理 則 學  道 家   被俘心理學
07/22   一封未寄的情書   後殖民主義 與 文化認同
02/23 圍 城 末代皇帝外史
03/23   絕妙好辭箋   隨鳥走天涯   飲膳札記   台灣獼猴
法國十九世紀詩選(一)  法國十九世紀詩選(二)
04/23 扶 桑 漫 步   抽 象 世 界   Franz Kafka 的 生涯
恐 龍 再 現 混 沌  貨 幣 現象學 意志與表象的世界(二)
从地缘战略到币缘战略 — 全球化的演变 Covid 調查
台灣社會的存在及其意義
05/23 被俘心理學 15位哲學大師經典講義(一)(二)
宇宙的詩篇(惟強)
06/23 失去 的 勝利 Franz Kafka 的生涯 Casablanca
戰敗者 的 觀點(二) 浮 世 風 呂 羅丹 的 世界
美 的 探 索
07/23 白石老人 青紅幫演義  對於宇宙 的 誤解 歐洲社交界
10/23 葉慈 幾何定理 陳之籓散文集
查泰萊夫人的情人 Modern etiquette in public and private
我們的新世界 我思故我在 紐約的現代藝術
12/23 安藤忠雄的都市徬徨(一、二、三、四)
理性之夢(一、二) 歷史與思想(一、二、三、四)
Chanson 香頌 赫遜河畔談中國歷史(一、二、三、四)
歷史平話:諸葛亮(一、二) 紅朝人物誌(一、二)
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yotchan-blog · 1 month
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2024/8/23 7:01:25現在のニュース
故・遠藤章さん(東京農工大学特別栄誉教授) 社会に役立つ薬の開発を志した 追想録 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 7:00:31) 台湾、防衛費最高に 米大統領選にらむ 来年7.7%増2兆9000億円 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:55:01) チャイルドシート未使用にリスク 150センチ未満は推奨 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:55:01) プレスリリース:“出しておかない”水切りかごから『食器の水切り中の風景まで美しく』する、まるいカタチの水切りかご新登場(PR TIMES) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:48:29) 「核汚染水」とあおり立てた中国にブーメラン 日本産「禁輸」で海産物全体に不信…業界がぼやく「消費低迷」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/8/23 6:45:51) 戦後を代表する女性詩人、新川和江さん死去 95歳 産経新聞「朝の詩」選者を36年務める([B!]産経新聞, 2024/8/23 6:42:22) <主張>PFASの規制 水道の安全守る対策急げ 社説([B!]産経新聞, 2024/8/23 6:42:22) <産経抄>〝偽りの翻訳〟、球児が背負わされた政治的主張([B!]産経新聞, 2024/8/23 6:42:22) 飲み会後泥酔状態で駅の警備員に平手打ち 大阪府警の51歳巡査部長、暴行容疑で現行犯逮捕([B!]産経新聞, 2024/8/23 6:42:22) 【逃亡45年・中核派活動家逮捕】「この部屋には必ず何かある」捜査員の執念の尾行、張り込み3カ月(1/2ページ)([B!]産経新聞, 2024/8/23 6:42:22) 日銀、繰り返す「判断ミス」の歴史 人生100年こわくない・地球株の歩き方(藤田勉) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 「次の総裁」小泉氏23% 本社世論調査 18%の石破氏抜き首位に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) スパコンが脱・速度競争 生成AI流行、データ学習に転換 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) ハリウッド「AI声優」に怒り 虎の尾踏んだOpenAI - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) セブン&アイ・ホールディングス買収案、狙いは食かガソリンか アメリカ併設型の限界点 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 破産法が阻んだ後始末 マウントゴックス、弁済まで10年 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 柏崎刈羽原発7号機の再稼働、「応えられる段階に」 新潟県柏崎市の桜井雅浩市長 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 韓国を蝕む「介護殺人」 年間16.4人の悲劇 ソウル支局長 藤田哲哉 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) テレワーク率22%、2年ぶり上昇 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) ニコン新本社「原点回帰」 光学技術重視、再成長へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) セブン買収提案、外資規制の対象 警備などの事業、事前審査必要 経済安保も論点に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) ふるさと納税1兆円時代4 復興支援「共感」が支え - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 「AI声優が肖像権侵害」 連邦議会、法整備の機運 スト断続 オープンAI、遅れた新機能 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) KKR傘下のロジスティード(旧日立物流)、アルプス物流にTOB 1051億円で子会社化めざす - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 群馬県と高崎市、「シリコンバレー超える街」へ基本構想 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) ヒューガルデン、東京・渋谷にビアガーデン 23日から - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/23 6:42:19) 東日本大震災:福島第1原発 燃料デブリ、回収中断 初試験直前 装置接続ミス | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 菅義偉前首相、小泉進次郎氏を支援へ 自民党総裁選 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 読む政治:自民党は復活?凋落? 党元事務局長が語る総裁選のポイント | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 「徴兵なら死を選ぶ」 超正統派の兵役問題でイスラエル社会分断加速 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 論点:パリ五輪どう向き合う | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 金言:今に始まったわけじゃない=小倉孝保 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) クローズアップ:最低賃金、届かぬ恩恵 全国平均1054円、上げ幅最高50円 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 女性は「人違いだった」 別の実行役が証言 東京・狛江の強盗致死 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/23 6:42:18) 東電、デブリ作業延期に「情けない」 福島県は「体制に問題」と批判(朝日新聞, 2024/8/23 6:41:38) 元交際相手に���しつけ頼んでない」 女児虐待死、母親の被告人質問(朝日新聞, 2024/8/23 6:41:38) チャイルドシート推奨「身長1m50未満」に引き上げへ…JAF、シートベルトが首にかかる危険性判明で([B!]読売新聞, 2024/8/23 6:40:07) 釧路でミンククジラ今季初水揚げ([B!]読売新聞, 2024/8/23 6:40:07) 順大新病院「2000億円超」 整備費増を提示 開院20か月遅れも([B!]読売新聞, 2024/8/23 6:40:07) ウクライナ軍、ロシア軍設置の浮橋を米供与の「HIMARS」で破壊…新たな補給路阻む([B!]読売新聞, 2024/8/23 6:40:07) 関東一・米沢監督が育てた「準備」と「考える力」 夏の甲子園決勝(毎日新聞, 2024/8/23 6:33:38) プロが解説!年金のいろは:退職金制度 「企業年金」って どうしたらもらえる?(毎日新聞, 2024/8/23 6:33:38) 京都国際の「らしくない」監督がたどり着いた特等席 夏の甲子園(毎日新聞, 2024/8/23 6:33:38)
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na1129 · 2 months
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きんようび通信No.712📚
2024年8月9日
※先日つむぎ福祉会(大阪市)機関紙に寄稿した文章を、きんようび通信の字数に合わせて整理し紹介します。
「平和」について思うこと
▲小学5年の時「はだしのゲン(実写版)」を観たのが、人生で初めて平和や戦争について意識した経験でした。翌年1977年9月27日「横浜米軍機墜落事件」にも大きな衝撃を受けました。事故現場で記念撮影する米軍兵の写真を見た時、「どうして」と強い疑問を持ちました
▲ロシアのウクライナ侵攻・イスラエルによるガザでの虐殺行為など、世界中で戦争が絶えません。昨年初めて宮古島を訪れましたが、自衛隊配備と強化が進み戦争がいつでもできる状態でした。「多くが秘密裏。戦時中と同じ」とのガイドのさんの言葉が胸に突き刺さっています
▲マルティン・ニーメラー氏の詩を時々読み返すのですが、戦争や平和の問題は決して他人事でなく自分のこととして考えることが必要だと思います。そのことを実は多くの人が理解しており、その共感を様々な場面で確認する・事実を伝えることが大事ではないかと感じています
▲昨年、福祉現場で働く若い人を中心に「平和のレシピを考えるPART1」という学習会を開催。学習院大学・青井未帆先生から、「憲法」との向き合い方・今の状況をわかりやすく話してもらいました。「自分の生活にこんなにも結びついているのかと驚きだった」と嬉しい感想がありました
▲現在放送中の朝ドラ「虎に翼」を観ている方も多いと思います。憲法に定められた人権に関わる条項を具体的に実現させることができたら、「平和」や「福祉」に関わる問題の大部分を解決できるのではないかと考えています。みなさんと一緒に手をつなぎ進んでいきたいと思います
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🥃🍶川柳
八月の
セミの鳴き声
思い出す😢
【今週の歌🎸】
・Kitty Liv…Nothing On My Mind(But You Babe)
フジロックではタイムテーブルの関係で断念したキティ・リヴ。年明けにある単独来日ライブに行く予定にしています。キティー・デイジー&ルイスとして聴いた時は、初めてのスタンディングライブ経験でした😉
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【今週のグルメ情報😋】
・幸軒…都営地下鉄大江戸線築地市場駅より徒歩5分
場外にあるラーメン屋さんでは一番のお気に入りのお店。シューマイもとても美味しいです。今度行った時はやきめしに挑戦します🍜
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【追記📝】
今日の午前中は定例会議なので、終わってから長崎の方に向かって黙とうをしようと思います。明日から実質のお盆休みなので、溜まっている本を少しでも減らしたいなって考えています
#きんようび通信 #はだしのゲン #横浜米軍機墜落事件 #マルティンニーメラー #平和のレシピを考える #青井未帆 #虎に翼 #憲法
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syo-yoshihama · 3 months
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Day1 Workshop #1 ポートフォリオレビュー レビュアー:石川竜一
日時:2024年7月25日(木) 18:00-21:00 会場:秋田市文化創造館 料金:2,000円(定員10名)
Day2 Improvisation #2 石川竜一+吉濱翔 パフォーマンス
日時:2024年7月26日(金) 開場・開演 19:00 会場:旧松倉家住宅 料金:2,500円(定員20名)
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Workshop #1 ポートフォリオレビュー レビュアー:石川竜一
写真家の石川竜一さんと参加者の方々と共に持ち寄ったポートフォリオを見る会です。参加者はポートフォリオをご持参ください。 見学のみの参加はご遠慮ください。
対象:写真を使った表現活動をしている方、または志している方
▶︎▶︎▶︎▶︎チケット購入(クレジットカードのみ) 下記リンク(SQUARE)にて受付します。 https://square.link/u/5sosQEDy
会場:秋田市文化創造館 2FスタジオA2 会場住所:秋田県秋田市千秋明徳町3-16
アクセス 会場には駐車場はございません。お近くの有料駐車場または公共交通機関をご利用ください。
開催時間中は、館内のカフェ・ショップはクローズしています。 長時間になりますので、軽飲食の持ち込みをお勧めします。
------------------------------------------------ Improvisation #2 石川竜一+吉濱翔 パフォーマンス
▶︎▶︎▶︎▶︎チケット購入(クレジットカードのみ) 下記リンク(SQUARE)にて受付します。 https://square.link/u/Ofp3XD19
チケットは発送しません。当日受付にて予約したお名前をお知らせください。ご来場いただけない場合も払い戻しができませんのでご了承ください。 16歳未満の方は保護者同伴に限り入場無料。
会場:旧松倉家住宅 会場住所:秋田県秋田市旭南2丁目7-29 アクセス:秋田駅から徒歩約40分、車で約10分 駐車場13台 (うち障がい者用2台)*台数にかぎりがありますので、満車の場合は近隣の有料駐車場をご利用ください。
飲み物のみ販売予定です。
------------------------------------------------ 主催:Keep Cities Wild (よしはま) 協力:民芸パパヤー(Improvisation #2) 問い合わせ:[email protected]
”Keep Cities Wild” は吉濱翔が主催するリトルプレスレーベルです。 カセットテープやCDなどの制作販売、イベント主催をおこなっております。
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出演者:
石川竜一(いしかわ・りゅういち) 1984年沖縄県生まれ、沖縄国際大学社会文化学科卒業。在学中に写真と出会う。2008年 より前衛舞踊家 しば正龍に師事。2010年より写真家 勇崎哲史に師事。写真に関わる広い分野の企画から運営までのアシスタントを務める。2014年に沖縄の人々や身近な環境 で撮影した写真を纏めた『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』を発表し、木村伊兵衛賞、日本写真協会新人賞、沖縄タイムス芸術選奨奨励賞を受賞。 日常のスナップやポートレートを通して、現代の矛盾と混沌に向き合いつつも、そこから光を探るような作品を発表している。
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吉濱翔(よしはま・しょう) 1985年沖縄県生まれ。美術作家、サウンド・アーティスト。サウンドインスタレーション、フィールドレコーディング、カセットテープや日用品などを使った即興演奏など、美術と音楽の間にある表現を行う。2012年にトーキョー・エクスペリメンタル・フェスティバルにて奨励賞受賞。2017年にポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスに滞在。2023年きょうと視覚文化振興財団の支援を受け個展。同年、リスニング・ビエンナーレ・マニラ2023に参加。映画音楽の制作に砂入博史監督『オキナワより愛を込めて』(2023)、奥間勝也監督『骨を掘る男』(2024)などがある。
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bearbench-tokaido · 3 months
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六篇 上 その五
伏見の京橋から船に乗った弥次郎兵衛と北八。 急な雨に、船を岸に止めることになった。 弥次郎兵衛と北八は、一旦、岸に上がって戻ってくるのだが、船を間違えてしまう。
さてさて何も知らない二人を乗せた船は、船は右にさおさしひだりに綱引きのぼりはやくも、八幡山の先をすぎ淀川を上って夜明けも近い頃に伏見に着いた。 苫(とま)からさしこむ光は白く、鳥の声が朝を告げている。 船着場に着くと乗り合いは、みなみな目をさまして立騒ぎ出す。
北八と弥次郎兵衛も起き出すと他人の笠と風呂敷包みを手に引きさげて、船頭が船と岸の間にかけてくれたあゆみ板を渡って、岸にのぼり 船宿に入った。 遅れて乗り合いの人々が降りてきて船宿に入ってきたが、見知った顔が一人もない。 弥次郎兵衛は、はてこれは不思議と、そこらをうろうろ見回しながら、 「おい、北八。俺に酒を飲ましてくれたじい様は、どうしたんだろう。」 と北八に聞くと、 「そういえば、あの長崎の者や越後の者もみあたらないようだ。 まあ、おおかたここへよらずに行ったんだろう。 俺らはここで、ゆっくり支度してから出かけようや。」 とのんびりしたもの。 この二人は、まだ、元の伏見に戻ってきたことに気がついていない。 「どなたも、食事あげよかいな。」 と、船宿の女中が人々の間を回っている。
「おい、ここへ二膳たのみます。」 と弥次郎兵衛が女中に言うと、 「はいはい。」 と女中が答え奥に引っ込んでしまう。 女中は、両手に膳を持ってくる。 そこには炊き立ての飯に、豆腐を煮た物を浅く平たい椀に盛ってやってくる。 この料理は伏見では、当たり前の料理なのだが、二人は初めて食べるので当然知らない。 もとより大阪へ着いたとばかり思っていたので、うまい、うまいとぱくついている。
「さて、今日は、これからどうしようか。 まず、長町の分銅河内屋という宿屋へ行って宿を取ってから、すぐに芝居でも見ようじゃあねえか。どうだい。」 と弥次郎兵衛が飯を食べながら、北八に言うと、 「俺は、新町という遊郭を早く見てえな。」 と答える。 「おお、それもいいな。熱っ、ムチャクチャ熱い汁だ。ぺっ。」 と弥次郎兵衛は、ニヤつきながら考えている様子。
さてこの二人のそばに、船から上がってきていた三、四人連れが、同じように支度をしながら、 「太兵衛さん。お前、大阪の虎屋の饅頭はどうしたぞの。」 「まあ、聞いてくれ。けったいなこっちゃ。ほんまに。 昨日、わざわざあそこへ行って買って来て、とんと、大阪の船宿の大佛屋に忘れたわいの。」 太兵衛は頭をかきかき答える。 又、別の一人が、 「つい、ひとっ走り行って取ってごせ。半日もあれば着いてしまう。」 と冗談交じりに言うと、 「ははは、そないな、無理なことを言いなさんな。ははは。」 と苦笑いしている。
この話を聞くとはなしに聞いていた弥次郎兵衛は、不思議そうに、 「もし、あなた方が今言いなさった虎屋というのは、確かに大阪でございやすね。」 と問いかける。 聞かれた男は、 「さよじゃわいの。」 「その虎屋の饅頭を忘れたとおっしゃった大佛屋とやらは、どこにございやすんで。」 とさらに、弥次郎兵衛が聞くと、 「そりゃ、新町橋の西詰めを南へ行くと、四橋付近に出る。」 と男は答える。
「その新町橋を南へ行くとすると、ここからどのくらいでございやすね。」 「ここから、歩いて半日くらいじゃろ。」 それを聞いて弥次郎兵衛は、 「はてなあ、大阪は、思いのほか広い所だのう。北八。」 と北八の方を見る。 「なに、そんなわけがあるはずない。俺らをからかっているんだろう。 ここから、半日もかかってたまるものか。」 と北八は、その男が二人をだましているのだろうと思った。 「いや、お前さんは、ここをどこじゃと思うてじゃ。 ここは、伏見の京橋じゃがな。」 と男が言う。
「なに、伏見だと。こりゃ、北八が言うとおり貴様たちゃ、人をだますもんじゃねえ。 俺らは昨夜、伏見から船に乗って来たんだ。」 と弥次郎兵衛は、北八の言う通りだったかと男に文句をいった。 「何、言わすんなら。桃山の狐にでも、かつがれたんじゃろぞい。 まあいいから、どいときなせえ。」 と饅頭を忘れた太兵衛も加勢する。 「のいてろだあ。それに俺を狐付きとは、どういうこった。 こちとら、江戸っ子だぞ。ばからしい。」 と、北八もまけてない。
このごたごたの最中この大阪者の連れらしき連中が、二、三人駆け寄ってきた。 「なんじゃい、なんじゃい。なに口げんかしてじゃ。 そんなことより、こっちゃ、どえらいめにあおうたわいの。 こいつらが包みを船で無くしたさかい、つい今しがたまで探しとったんじゃが、全然、見つからんわいの。」 と言いながら、ひとりが弥次郎兵衛のかたわらにある包みを見つけ、 「いや、権助さん、あそこにあるわいの。 そやさかいわしが言うたじゃろ。先に上がった者に問うてみやんせと。」 「ほんまじゃ。これじゃ。」 と権助が取り上げようとすると、弥次郎兵衛はさっと後ろに回して、 「こりゃ、何をする。この包みは俺のだ。」 「なにいうてけつかる。おどれら、けしからんこと、はたらきくさるな。 こりゃ見い。風呂敷の端に、わしの名が書いてあるわい。」 と権助に言われて弥次郎兵衛はびっくりしながら、よくよくみれば確かに、自分の包みではない。
これはどうしたことかと、 「ありゃ、こりゃ、間違えた。それ戻しましょう。でも、俺のはどこにある。」 と弥次郎兵衛は辺りをみまわす。 権助は、 「あほんだらじゃ。おどれらの包みを誰がしるもんか。」 と言うのに、 「なるほど。おい、北八。俺らの包みをどうした。」 と弥次郎兵衛は、北八に食って掛かる。 「何いってやがる。 お前、俺の荷物もとって、いっしょにしたじゃねえか。 それを自分のそばに置いといて、どうして俺がそれをしるもんか。」 と北八も、弥次郎兵衛のほうをみる。 「はて、おかしいことだ。」 と弥次郎兵衛は腕組みして、権助らに問いかける。 「もし、本当にここは、伏見にちげいないかね。」 「そうじゃ。」 「ははは、なにをぬかしくさるやら。」 「あの、顔見てやんせ。けったいな奴らじゃ。」 と皆は、口々に言う。
北八はそれでも、さっき馬鹿にされたのが気に食わないので、 「いや、こいつらは信用ならね。」 と小さな声で言っている。 権助が、 「信用するも、しねえもなえ。要するに、おどれらが、あほじゃということじゃ。 こうして包みも戻ってきたことだし、許してやるからさっさと、出ていにくされ。」 と言う。
弥次郎兵衛は、腕組みしたまましきりに首を傾け、 「こりゃとんでもない目にあったが、さっぱりわからねえ。 北八よ。いったいどうなってるんだろう。」 と北八に問いかけると、 「うん。俺にもわからねえ。一体全体、昨夜は、何日だっけ。」 「むむ、昨日か。 昨夜はあの頃に見た月からすると、おおかた、二十四、五日だろう。」 北八が、さらに、 「今月は大の月か、小の月か。で、昨日は、何日だ。」 「それを考えてたところよ。ほれ、どこでかとまった時、甲子だといったじゃあねへか。」 と弥次郎兵衛が思い出しながら答える。
「あの宿屋か。あそこの茶飯はうまかった。」 と北八が、全然関係ないことを言うと、 「そうそう、あん時の牛房の大きさは、今思い出してもよだれがでる。」 と弥次郎兵衛も、関係ないことを思い出す。 周りの連中は、この話を聞きながら、 「わははは、こりゃ、どうでも、あいつらは、気が違ってるようじゃわい。わははは。」 と腹をよじって大笑いしている。
この中でも年上の太兵衛が、しばらく考えて、 「ははあ、わかったぞ。 みるからに、あほそうな二人じゃさかい、人の物を盗むほどの頭は持ち合わせてはおらんじゃろ。」 と二人の方に向き直って、 「こりゃこういうことじゃろ。 お前さんがた、昨夜、伏見から乗らんして途中で、船から用たしでもするつもりで、岸にあがらんしたことがあろがな。」 と、弥次郎兵衛らに話しかける。
つづく。
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jaguarmen99 · 1 year
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文化5年8月15日(1808年10月4日)、ベンガル総督ミントーの政策によりオランダ船拿捕を目的とするイギリス海軍のフリゲート艦フェートン(フリートウッド・ペリュー艦長[1])は、オランダ国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港した[2]。これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館では商館員ホウゼンルマン(Dirk Gozeman)とシキンムル(Gerrit Schimmel)の2名を小舟で派遣し、慣例に従って長崎奉行所のオランダ通詞らとともに出迎えのため船に乗り込もうとしたところ、武装ボートによって商館員2名が拉致され、船に連行された。それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げ、オランダ船を求めて武装ボートで長崎港内の捜索を行った。長崎奉行所ではフェートン号に対し、オランダ商館員を解放するよう書状で要求したが、フェートン号側からは水と食料を要求する返書があっただけだった。 オランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ドゥーフは長崎奉行所内に避難し、商館員の生還を願い戦闘回避を勧めた。長崎奉行の松平康英は、商館員の生還を約束する一方で、湾内警備を担当する佐賀藩・福岡藩の両藩にイギリス側の襲撃に備える事、またフェートン号を抑留、又は焼き討ちする準備を命じた。ところが、その年の長崎警衛当番であった佐賀藩が太平に慣れ経費削減のため守備兵を無断で減らしており、長崎には本来の駐在兵力の10分の1ほどのわずか100名程度しか在番していないことが判明する。松平康英は急遽、薩摩藩、熊本藩、久留米藩、大村藩など九州諸藩に応援の出兵を求めた。 翌16日、ペリュー艦長は人質の1人ホウゼンルマン商館員を釈放して薪、水や食料(米・野菜・肉)の提供を要求し、供給が��い場合は港内の和船を焼き払うと脅迫してきた。人質を取られ十分な兵力もない状況下にあって、松平康英はやむなく要求を受け入れることとしたが、要求された水は少量しか提供せず、明日以降に十分な量を提供すると偽って応援兵力が到着するまでの時間稼ぎを図ることとした。 長崎奉行所では食料や飲料水を準備して舟に積み込み、オランダ商館から提供された豚と牛[3]とともにフェートン号に送った。これを受けてペリュー艦長はシキンムル商館員も釈放し、出航の準備を始めた。 17日未明、近隣の大村藩主大村純昌が藩兵を率いて長崎に到着した。松平康英は大村純昌と共にフェートン号を抑留もしくは焼き討ちするための��戦を進めていたが、その間にフェートン号は碇を上げ長崎港外に去った。
フェートン号事件 - Wikipedia
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takeshi-noguchi · 2 years
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長崎駅前のディープな居酒屋 焼鳥里芋浩太郎!@ta0416 4人テーブル2席 カウンター8席の街居酒屋😆焼鳥がうまい! #焼鳥里芋浩太郎 #里芋浩太郎 #長崎駅前居酒屋 #長崎居酒屋 #長崎市居酒屋 #長崎で飲み会しましょう #長崎を楽しもう #長崎駅前で飲みましょう #長崎ってなんかいい #長崎グルメ野口剛 #Googleローカルガイドレベル10野口剛 #Googleローカルガイド野口剛 #長崎街居酒屋 #街居酒屋 #長崎焼鳥 #長崎市焼鳥 #nagasakiizakaya #nagasakigourmet #nagasakigram #nagasakigood #長崎呑兵衛 #長崎飲み #長崎観光 #長崎旅行 #長崎で会いましょう #長崎で #長崎駅 #長崎駅前グルメ #長崎駅前 #長崎で楽しもう (焼鳥里芋浩太郎) https://www.instagram.com/p/CpoVr7CSyeL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)6月28日(火曜日)弐
    通巻第7386号
 プーチンが集中した外遊へでかける
  タジキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、そしてベラルーシ
************************
 「こんなときに?」
「いや、こんなときだからこそ」。
 プーチンは集中的に外遊する。といっても旧ソ連圏ばかりだが、タジキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、そしてベラルーシだ。ウクライナ侵攻後、「モスクワ詣」をしたのはベラルーシのルカシェンコとカザフスタンのトカエフ大統領だった。
 最初の訪問国は軍事同盟を結ぶタジキスタン。首都のドシャンベでラフモン大統領と会談する。同国には500名前後のロシア兵が駐屯しているが昨今、中国軍が這入り込んで共同軍事訓練をしているのが気になるところだ。
 謎の国、ガスリッチのトルクメニスタン訪問は珍しいが、アシガバートでは、アゼルバイジャン、カザフスタン、イラン、トルクメニスタンの指導者を含むカスピ海諸国の首脳会談に出席する。トルクメニスタンはガスが豊富な資源輸出国だが、事実上の鎖国をしていて、内政実情は謎だらけ。じつは筆者も個人では行けず、火山を見に行くという団体ツアーに紛れ込んであちこちを歩いたことがある。
 くわえてプーチンは6月30日からはベラルーシのグロドノ市を訪れ、「朋友」のルカシェンコ大統領と密談の続き。
こうしてまとめて外交を展開するわけだ。プーチン大統領が海外へでたのは2月初旬の北京。冬季五輪で習近平と会談し、「無制限」の友好を謳って以来だ。
 さて今回の集中的外遊で、何が重要か。
 プーチンにとってずばり最大の狙いはカザフスタンである。
ウクライナ戦争で、カザフスタンはプーチンの期待を袖に、ロシアを支援しなかった。なにをかんがえ��いるのか、トカエフ大統領という男は? プーチンの疑心暗鬼。ひょっとしてカザフは中国へなびくのではないか? 猜疑が際限なく拡がる。
▲カザフスタンにはセミパラチンスクとバイコヌールがある
 現実にカザフスタンは中国と鉄道が繋がり、対欧州への輸送は大量の物資を運搬しているうえ、逆方向のトルクメニスタンから中国へのガスパイプラインが繋がっている。いずれも通過料が転がり込む。
 こうして戦略的重要性ばかりではない。カザフスタンは世界一のウラン産出国、クロム鋼世界第二位。くわえてハイテクに必要はレアメタル、レアアースの産地であり、資源政治学でも重要である。日本の要人も頻々に訪問しているが、投資で最も巨額を投じているのは、じつはアメリカだ。
 ロシアにとって、もうつ二つ。
 セミパラチンスクとバイコヌールだ。前者は核実験場。交渉はソ連時代から宇宙衛星の打ち上げ基地で、依然としてロシアが租借している。
 カザフスタン政変は2022年1月に起きた。
 30年に亘ってカザフを支配してきたナゼルバエフ一家が失脚し、側近のマシモフ元首相、安保会議議長(つまり秘密警察のボス)が拘束された。暴動が起きたときはロシアが治安部隊を送った。この政変ではナゼルバエルの娘も失脚。つまり「ナゼル・カーン」と呼ばれた王朝が終演したのである。
 ナゼルバエフ前大統領は中国とのバランスを取り、経済発展に政治の主眼を置いて、97年にはアルマータから突如、首都をアスタナ(その後ヌルスルタンと改称=都市計画は黒川紀章が担当)に遷都した(ヌルスルタンはナゼルバエフ前大統領の本名)
 トカエフ大統領って、どのような人物かと言えば博覧強記、語学の天才。歴史学博士。元国連事務次長という国際人学者である。新井白石が権力者に抜擢されたようなものだ。
 来日経験も大統領以前に三回。にもかかわらず国際的に名前がさほど知られないのは外交畑を地道に歩き、目立つ行動を避けてきたからだろう。ナゼルバエフ一家からすれば、飼い犬に噛まれたことになる。
 トカエフは母国語とロシア語はもちろん、英語、フランス語もしゃべるが、じつは中国語が堪能(北京語学院に一年留学)だ
 筆者はカザフスタンへは三回、行っているが、なにしろ広い国で(日本の七倍)、首都のヌルスルタンは未踏。アルマトゥが緑のオアシスであり、しゃれたレストラン、カラオケ、夥しい中国人の群れについては他にも書いた。
 ▲プーチン、11月にはバリ島APEC出席へ
 カザフスタンがかかえる緊急の課題は飲料水の不足であり、農作物が干ばつで枯れ、河川は汚染が目立つようになっている。
シベリアからの運河建設を途中で中断しているロシアとの交渉が急がれる。プーチンは兵器ならぬ水の供給を交渉のカードとするかもしれない。
 6月27日、インドネシアの招待に応ずるかたちで、プーチンは11月にバリ島で開催されるAPECに「出席する」と意向をつたえた。
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bearbench-tokaido · 4 months
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六篇 上 その四
伏見の京橋にいる弥次郎兵衛と北八。 ここから、大阪へ向けて船に乗り込むことにした。 船旅で、心も弾む二人だ。
弥次郎兵衛は、いきなりげえげえ���りだした。 「弥次さん、どうした。」 と、北八が問うと、 「どうしたもこうしもあるか。こりゃ、酒じゃねえ、小便だ。」 と、げえげえやりながら言う。 その様子に、病人の側に居た親父が、 「ははあ、これは、いかん。そそうしました。 この病人の尿瓶と取り違えました。 さあさあ、酒のはここにある。それ、とりかえてくだんせ。」 と北八に、酒入の尿瓶を差し出す。
それを受け取りながら、 「ははは、こいつ、大笑いだ。」 と、北八は、笑いだした。 「ええ、もうどうしたらよかろう。 自分の小便を飲むのならまだしも、あの病人のを飲むことになるとは。ええ、気持ち悪い。げええ。」 と弥次郎兵衛は、病人の方を見ながら言う。 北八も、病人を見て、 「ははは、あの病人の顔を見な。 顔中、膿だらけだ。あたまから首筋のあたりまで、じくじく。」 と、言うと、 「ええい、もう言うな。のどが裂けるようだ。ああ、苦しい。げええ。」 とさらに、げえげえやりだす。 「とにかく、お前は、下の世話が焼ける。 船の中では、もう禁便にするがいい。 そこで、一首うかんだ。」 と、北八が言う。
小便を 人にのませし そのむくい おのれも飲んで よい急須なり
この騒動で船中の乗り合いはおのおの起きだしてきて、大笑いとなる。 そのうち船は、枚方の近くに着いた。 ここには、商い船がいる。 それぞれの船に寄せてきて、 「飯食わんかい。酒飲まんかい。さあさあ、みな起きてくされ。 よう寝るやつらじゃな。」 と遠慮なく、わめきたてだした。 この辺りの商い船は物の言い方が無作法なのだが、それが名物となっていて有名である。
さて乗り合いの一人が、商人に問いかけた。 「こりゃ、飯を貰おう。他にも、いい酒はあるかい。」 それを聞いていて、北八も、 「そうだな。腹が減った。ここへも、一つ飯をたのみます。」 と言うと、 「おのれも、飯を食うんか。それ食え。そっちゃの奴は、どうじゃいや ひもじそうな顔してけつかるが、金がないかい。」 と無作法に言う。 「なに、この野郎。このふざけた口の利き方をしやがる。」 弥次郎兵衛は無作法な口調で、商売することなど知らないので、むっとして言う。
乗り合いの一人が、 「この汁は味がのうて、熱くもない。さっぱりいかんわい。」 と商人に言うと、 「そんなら水だと思って、食らいおれ。」 とこれもまた、ぞんざいな口調で言う。 この乗り合いも、無作法な口調で、商売することなど知らないので、 「何ぬかすぞい。それに、この芋もごぼうも腐ってけつかる。」 「その通り。いい所はみなうちで焚いて、食うてしもうたわい。」 とますます、調子にのってくる。 「いや、この野郎は、ふといやつだ。 どうしてそないなものをぬかしようばい。」 と長崎の者が言うと、越後の者も、 「そのたこ坊主を、叩いてやってべいか。」 と息巻いている。
商人はそんな様子にも、平気な顔で、 「ちょこざいなこと言わんと、早よう金をよこせ。 これそこのおやじ。錢じゃ。錢。」 と言うと、 「この盗人商人め。さっき渡したじゃないかい。こりゃ、とっとといねやい。」 と別の乗り合いが、 「おおかた、おまえの女房は、昼は乞食でもして、運良く腐った饅頭でも貰って、それを食って泡でもふいて、転がっているだろう。」 とけんか口調で言う。 「そういう、おどれの家は、おおかた掘っ立て小屋じゃあろ。 雨がふりそうじゃ。この川の水が氾濫する前に、早ういにくされ。」 とますます、無作法である。 「いやこいつら、言わせておきゃあ、とんでもない奴らだ。横っ面はりとばすぞ。」 と弥次郎兵衛は、掴みかからんばかりである。
すると乗り合いの一人が、 「これこれ、お前さん方、腹たてさんすな。 ここの商い船は、あないにものをぞんざいにいうのが名物なんじゃから。」 と、弥次郎兵衛をなだめる。 「そうは言っても、あんまりだ。」 と弥次郎兵衛は、いらいらしている。 「わあい、あほうよあほうよ。」 と商人はここまでかと、船を離れていく。 「こりゃ、待ちやがれ。あほうた、誰のこった。」 と弥次郎兵衛は、一人りきんで思わず立ちああるひょうしに乗り合いのひざを踏んで、どっさりこける。 踏まれた、越後の者は、 「あいたたた、こりゃわしの、膝をふんだ。」 と越後の者が、体をずらそうとした拍子に隣の長崎の者の頬に手が当ってしまう。 「あいたたた。どうして、頬をなぐるらっしゃる。」 と横に居た長崎の者が言う。 「こりゃ、御めんなせえ。」 と弥次郎兵衛は、長崎の者に思わず謝るとそこに座った。
そうこうしているうちに船は枚方を過ぎたのだが、急に空が暗くなったと思うとあっという間に、篠をつく大雨となってしまった。 苫の間からも雨が漏れ出してきて、乗り合いは上を下の大騒ぎになる。 船頭もこれでは先には進めないかと、しばらく船をつないで天気を見合せけることにして、提に船をこぎよせることにした。 ここが、伏見と大阪のちょうど中間あたりで、登り船も下り船もみながたぴしと岸によりて大変な混雑である。 しばらくして小降りになってきて、雲の間から月の影が見えてきた。
弥次郎兵衛と北八もこの景色をながめていたが、 「さて、もう何時だろうな。ところで、北八よ。 又、困ったことが出来た。小便がしたくなった。」 と弥次郎兵衛は、北八の袖を引きながら言う。 北八は、弥次郎兵衛の顔をまじまじと見つめながら、 「ええ、きたねへことばかっかりいう。」 と言うと、 「どうしても、船では出来ない。 ちょうど運がいいことに、岸に止まっている。 この間にちょっくら、やってこよう。」 と弥次郎兵衛は、さも、いいことを思いついたというように、ニコニコしながら話している。 北八も、 「なるほど。周りの船でも、人が岸に上がっているようだ。」 確かに暗闇を透かしてみると辺りの船からも、人が岸に上がっている。 「早く済ましてこよう。 ちょうど、俺もお相手がしたくなった。」
北八は、 「もし船頭さん。ちょっとあがって来たいが、いいかね。」 と船頭に問うと、 「用足しになら、早ういてごんせ。 わしらが今飯食うてしもうと、すぐに船を出すさかい。」 と船頭は、夜食を食べながら言う。 弥次郎兵衛は、 「わらじはどこだ。」 と船に乗るときに脱いだわらじを探していたが、みつからない。 「まあいいや。裸足で行こう。乗るときに足をすすげばいいだろう。」 と、船を下りて、岸に上がってしまう。
「なんて、いい景色なんだ。さて、どこらでやらかそう。」 と弥次郎兵衛が、辺りをみまわすと、 「おっとそこには、水溜りがある。 もっとそっちへ。ああ、なるほどいい月だ。」 と北八らは、連れ立って小便をする。
一刻を 千金づつの 相場なら 三十石の 淀川の月
など口ずさみながら思わず勝景にみとれていたが、岸に止まっていた船が追々、漕ぎ出すようすに北八と弥次郎兵衛が乗っていた船も、そろそろ出ると見へて船頭が、もやい綱をとき棹さしのべてふたりを呼び立てる。 いろいろな船から乗り合いたちが、岸に上がっていて大変な混雑の中を、弥次郎兵衛と北八はやっとのことで、人を押し分け船に飛び乗った。 しかしこの飛び乗った船は、大阪八軒家の登り船でこの二人は、あんまり船頭がせかすので大慌てで、今まで乗ってきた伏見の船と勘違いしてしまっていた。 薄暗いのもあり二人は、間違っているとも思わないで、見たこともない連中が回りにいることにもさして気に留めずに、船がゆっくり岸を離れでしたのをみて間に合ったとほっとしていた。
周りの連中は乗船してからの話で疲れたのか、自分の寝るところを確保してしまうとさっさと、寝てしまう。 弥次郎兵衛と北八も横になろうかと、暗がりのなかでそこらじゅうを探りまわして、赤の他人の風呂敷包みを自分のものだと思い込み、引きよせてそれを枕にこれも、高いびきをかき出す。
つづく。
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chikuri · 5 years
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朝日新聞社の慰安婦報道に関する訂正とおわびが英語版に無い件
“記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
 慰安婦問題を報じた本紙記事について、第三者委員会から不正確で読者の誤解を招くものがあるといった指摘を受けました。これまでの訂正・記事取り消しなどに加え、独自に検討を進めてきた結果を踏まえて必要な訂正をします。読者の皆様におわびし、理由を説明いたします。訂正などにあたってのわかりやすい提示方法について今後も検討し、改善を重ねます。
「軍関与示す資料」の記事について   「従軍慰安婦」用語メモを訂正
 「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦(ごうかん)事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊(ていしんたい)の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日付朝刊1面)  これは、日韓首脳会談のために当時の宮沢喜一首相が訪韓する前、「慰安所 軍関与示す資料」という見出しの記事と併せて掲載した用語説明メモです。  慰安婦については、今も実態がはっきりしない点が多くあります。現在までの研究成果や知見を踏まえると、このメモには誤りや不正確な表現があります。90年代から疑問を指摘されていた点もありました。長期間にわたり読者の誤解を招く表現を放置し、対応を怠ったことをおわびし、訂正します。  誤りは、慰安婦と挺身隊を混同したことです。女子挺身隊とは軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、兵士らの性の相手をさせられた慰安婦とはまったく別のものです。  また、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした。日本人を含めた慰安婦の総数を示す公式記録は見つかっておらず、国内の研究者の推計も変化しています。民族ごとの比率も明確な資料は見つかっていません。  現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人とし、99年には2万人前後と修正しました。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上としています。日本人や他の民族の慰安婦が全体に占める比率も諸説あり、確定していません。  第三者委の報告書はこのメモについて、「あたかも挺身隊として『強制連行』された朝鮮人慰安婦の人数が8万人から20万人であるかのように不正確な説明をしている点は、読者の誤解を招くものであった」と指摘しました。また、「集積された先行記事や関連記事等から抜き出した情報をそのまま利用したものと考えられる」と述べ、「当時は必ずしも慰安婦と挺身隊の区別が明確になされていない状況であったと解されることを考慮しても、まとめ方として正確性を欠く」としています。  朝日新聞は今年8月、慰安婦と挺身隊の混同があった記事について、該当の表現を過去記事を閲覧できるデータベースから削除せず、おことわりをつけて確認できるようにしました。  この用語説明メモについては、今後、「慰安婦と挺身隊の混同があり、『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤りでした。これまでの知見では、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率もはっきりわかっていません」といったおことわりをつけます。
第三者委「政治課題となるよう企図」
 1992年1月11日付の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しで報じた記事をめぐっては、他のメディアなどから疑問が出されていました。  記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が現地部隊に慰安所の設置を命じたことを示す文書などが見つかったという内容です。政府は当時、国会答弁で国の関与を認めていませんでした。この記事の掲載は宮沢喜一首相が同月16日から訪韓する直前で、前文(リード)でも「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いていました。  記事への主な疑問は、(1)資料を早く入手していたのに、首相訪韓直前のタイミングを狙って記事にしたのではないか(2)韓国や日本国内で、慰安婦の強制連行に軍が関与したというイメージを世論に植え付けようとしたのではないか、という点です。(1)について、第三者委の報告書は「(首相訪韓直前のタイミングを狙った)実態があったか否かは、もはや確認できない」としたうえで、前文の表現などから「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と指摘しました。(2)については、「記事には誤った事実が記載されておらず、記事自体に強制連行の事実が含まれているわけではないから、朝日新聞が本記事によって慰安婦の強制連行に軍が関与していたという報道をしたかのように評価するのは適切でない」としています。
「元慰安婦、初の証言」の記事について   「女子挺身隊」「連行」の記述訂正
「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり……」(91年8月11日付朝刊社会面〈大阪本社版〉)  これは、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との見出しで掲載した記事の前文部分です。記事は、韓国人の元慰安婦の一人が初めて、自らの過去を「韓国挺身隊問題対策協議会」に証言したことを、録音テープをもとに伝えました。  しかし、同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。  前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。  第三者委員会に対し、筆者の植村隆・元記者(56)は「あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で『連行』という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった」との趣旨の説明をしたといいます。  第三者委は報告書で、「だまされた」事例であることをテープ聴取で明確に理解していたにもかかわらず、この前文の表現は「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」などと指摘しました。  また報告書は、挺身隊と慰安婦の混同について、91年から92年ころにかけて両者の違いが急速に意識されるようになるまでは、「両者を混同した不明確な表現が朝日新聞に限らず多く見られたという実態があった」との見解を示しました。朝日新聞は今年8月の検証記事で、この記事に「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけました。報告書はそれだけでなく、「読者に正確な事実を伝えるという観点から、前文部分の記載内容も含め、さらに踏み込んで検討すべきであった」としました。この指摘についても、重く受け止めます。  この記事には、過去記事を閲覧できるデータベース上で、挺身隊の混同がみられたことから誤用したことを示すおことわりをつけています。今後、改めて、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」といったおことわりをつけます。
第三者委 元記者の「事実ねじ曲げ」否定
 植村氏が91年に書いた記事2本には、他メディアから疑問が示されていました。  一つは、91年8月、録音テープの提供を受けて元慰安婦の証言を匿名で報じた際、後に元慰安婦らの裁判を組織した韓国の別団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった義母のつてで取材し、裁判を有利に進めるために記事を書いたり内容を変えたりしたのではないかという疑問です。  この点について第三者委は、植村氏から「ソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセス(接触)した」という説明を受けたとし、前年に韓国で元慰安婦を捜す取材をした経緯も踏まえ、この説明を「不自然ではない」としました。北海道新聞が直後にこの元慰安婦を直接取材し、実名で報じたことにも触れ、「記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない」「縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」と結論づけました。  また、この元慰安婦がキーセン(妓生)を育成するための学校に通っていた経歴を書かなかったことへの疑問も出ていました。報告書は、植村氏が続報記事「かえらぬ青春 恨の半生」(91年12月25日付大阪本社版朝刊5面)を書いた時点で、この元慰安婦らが起こした裁判の訴状などから経歴を知っていたとし、こう指摘しました。  「キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。『キーセン』イコール慰安婦ではないとする(植村氏の)主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」
吉田清治��関連の記事について   新たに2本、全文・一部取り消し
 朝日新聞は今年8月5日付の検証紙面で、吉田清治氏(故人)を取り上げた記事16本を取り消しました。  吉田氏は存命中、日本の植民地だった韓国・済州島で戦時中、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したと証言していました。  記事取り消しは、吉田氏の証言を虚偽だと判断したためでした。8月以後、改めて過去の報道を再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかにも3件掲載されていたことを確認しました。個々の記事には次のように対応し、長期間を要したことをおわびいたします。  「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)は全文を取り消し、掲載したことをおわびします。  この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。  しかし、研究者らへの取材などから、吉田氏が所属したとする山口県労務報国会は、指揮系統からみても職員が直接朝鮮に出向くことは考えにくいと判断しました。慰安婦に関する吉田氏の証言を取り上げた記事と同様に、証言を虚偽と判断して扱います。  「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)についても、吉田氏の証言に関する部分を取り消し、おわびします。この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。除幕式があったのは事実ですが、前記の連載記事と同じ理由で証言を虚偽だと判断します。  一方、「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」(82年10月1日付社会面)は、東京地裁に証人として出廷した吉田氏が朝鮮人の連行に加わったとの証言を採録し、「朝鮮人徴用業務に直接携わった『労務報国会』の元幹部が初めて証人として出廷、『朝鮮人狩り出し』と呼んでいた強制連行の実態を証言した」などと記しています。  これまでの取材から、吉田氏の証言に信用性はなく虚偽と考えられます。ただ、裁判という司法手続きでの証言の内容は取り消しや訂正になじまないと考え、この記事にはデータベース上で「吉田氏の証言に信用性はなく、虚偽だと考えられます」とのおことわりをつけます。
吉田証言の初報の筆者について   十分解明できず
 朝日新聞は今年8月の記事で、吉田清治氏が韓国・済州島で女性を強制連行したとする証言を最初に報じた記事「朝鮮の女性 私も連行」(1982年9月2日付大阪本社朝刊)について、当時の大阪社会部の記者(67)が筆者と伝えた後、9月29日付朝刊社会面で、この元記者が筆者ではないとの記事を掲載し、おわびして訂正しました。  その際、別の元記者(66)が「初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出たと説明しました。  今回、第三者委員会の調べに対し、名乗り出た元記者は、証言の場となった講演会場に赴いて写真の撮影はしたが、記事執筆の点を含めて細かい記憶はないといった説明をしています。  朝日新聞は当時の大阪社会部デスクらにも取材しましたが、この初報の筆者を特定できませんでした。十分に解明できなかった点をおわびします。
吉田清治氏を取り上げ、取り消しなどの対象となった主な本紙記事
掲載日見出し記事の内容
●1980年3月7日朝刊(川崎・横浜東部版)
連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣
吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと記述。現地で警官とともに若者100人を集め、労働力として日本へ送り、抵抗する者には暴力を使ったとする証言を紹介
82年9月2日朝刊(大阪本社版)
朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり
大阪市内であった集会で吉田氏が行った講演内容をまとめた。吉田氏は、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、と説明した
83年10月19日夕刊
韓国の丘に謝罪の碑 「徴用の鬼」いま建立
6千人の朝鮮人を日本に強制連行し「徴用の鬼」と呼ばれた、と吉田氏を紹介。田んぼや工場、結婚式場にまで踏み込んで若者たちを手当たり次第に駆り立てた、などと活動を説明している
83年11月10日朝刊
ひと 吉田清治さん
「国家による人狩り、としかいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている」などの吉田氏の発言をとり上げた
83年12月24日朝刊
たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式
吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介
●84年1月17日夕刊(大阪本社版)
連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて
本文冒頭で、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介
86年7月9日朝刊
アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会
吉田氏について、慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たったと言及している
90年6月19日朝刊(大阪本社版)
名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅
「多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました」と吉田氏の発言を記載
○91年5月22日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 木剣ふるい無理やり動員
吉田氏が「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです」などと語った内容を、集会での発言を収録した本を引用して紹介
91年10月10日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 乳飲み子から母引き裂いた
吉田氏のインタビュー記事。慰安婦を強制連行したとして、「若い母親の手をねじ上げ、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです」などと語っていた
92年1月23日夕刊
窓 論説委員室から 従軍慰安婦
「(慰安婦を)戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」などと吉田氏の発言を紹介
92年3月3日夕刊
窓 論説委員室から 歴史のために
吉田氏の告白に多くの投書が来たことに触れ、日本軍の残虐行為を否定する意見を紹介。知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない、と結んだ
92年5月24日朝刊
今こそ 自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓
吉田氏が韓国に謝罪の旅に出ることを報じた。「残虐行為に直接かかわった日本人が謝罪に来た、という歴史を残したい」との発言にも触れた
92年8月13日朝刊
元慰安婦に謝罪 ソウルで吉田さん
吉田氏が韓国で元慰安婦に謝罪した様子を報じた
94年1月25日朝刊
政治動かした調査報道
朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた、と吉田氏を匿名で紹介
 今回新たに取り消しや一部取り消しとする記事2本(掲載日の冒頭に●印)と、8月に取り消した16本のうち紙面で公表できる記事13本を併せて示します。
 91年5月22日付の記事(掲載日の冒頭に○印)は著作物の引用が多いため公表を見合わせていましたが、第三者委員会が対象から除外するのは適切でないと指摘したことを踏まえ、掲載します。
 外部の方が書かれた「声」欄の投稿や「論壇」「私の紙面批評」への寄稿の3本は、引き続き紙面では公表しないことが適当と判断しています。
 これらすべての記事について、朝日新聞の過去記事を閲覧するデータベースからは削除せず、吉田清治氏の証言は虚偽だと判断したことを示すおことわりをつけます。
(朝日新聞 2014年12月23日 朝刊37ページ 東京本社)” (全文)
記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社 慰安婦報道、第三者委報告書
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takeshi-noguchi · 2 years
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森酒造場のフィランド夢名酒! @ta0416 − 日本酒の概念がひっくり返るじゃないですかwww − 米でワインができとる(笑)うまい😆 ★★★★★星5つ − #フィランド #森酒造場 #firando #酒の呼吸 #有限会社森酒造場 #夢名酒 #酒柱野口剛 #日本酒中毒 #日本酒野口剛 #japanesesake #japansake #sake #sakegram #平戸の酒 #酒の呼吸のぐちゅーぶ #酒の呼吸野口剛 #日本酒中毒野口剛 #日本酒中毒のぐちゅーぶ #日本酒好き野口剛 #日本酒好きな人と繋がりたい #日本酒好きな人と繋がりたい野口剛 #日本酒大好き野口剛 #Googleローカルガイド #Googleローカルガイド野口剛 #長崎酒店 #長崎市酒店 #長崎飲兵衛野口剛 #長崎酒好き #長崎酒好き野口剛 #酒好き野口剛 https://www.instagram.com/p/ClbHTSRysgQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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xf-2 · 5 years
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第二次世界大戦で奇跡の生還を遂げ「戦艦大和の語り部」として講演活動などをしてきた八杉康夫氏が1月11日広島県福山市内で死去した。92歳。誤嚥性肺炎だった。
 著書『戦艦大和最後の乗組員の遺言』(2005年 ワック)は筆者の手になる聞き書きである。その生涯と言葉を振り返りたい。
八杉氏は福山市の豆腐店に生まれた。1943年、「街を颯爽と歩く水兵さんにあこがれて」15歳で海軍に志願。秀才の集まる横須賀砲術学校を2番で卒業。17歳で憧れの大和乗務員に抜擢された。
 担当は艦橋最上部での敵機の偵察。「司令官ら偉い人たちの居る場で狭い階段で最敬礼の連続でした」。
 敗色濃厚となった1945年4月7日、「天一号作戦」と呼ばれる沖縄海上特攻に呉港から出撃する。「温存されていた大和を使わないまま敗戦になれば国民の批判を受けることを軍部は恐れたのです。燃料は片道分と言われましたがそれは嘘で、十分に積んでいたはずです」
 乗り込む前夜、母まきゑさんと呉市の旅館で食事をし、当日は港近くまで送られた。「『長い間ありがとうございました』と敬礼し踵を返すと『あんた、元気でな』と言われましたが振り返りませんでした。これで会えないと覚悟していました」。
壮絶な少尉の割腹自殺と救助を拒否した高射長
 隠密行動のはずだったが米偵察機マーチンがさっと上空をかすめた。「すぐに察知されていたんですね」。いよいよ、敵機は近い。
「艦橋最上部で5メートルもあるニコン自慢の測距儀のレンズを覗くと米機の編隊で真っ黒だった。自慢の45センチ(内径)の主砲を撃つタイミングを今か今かと測っていると編隊はさっと雲上に消えたのです。真上から攻撃された大和は高射砲で応じましたが300機以上の米機はまるで雲霞(ウンカ)の大群。魚雷、250キロ爆弾などが次々と命中し為すすべもありません。大和は結局、主砲は一発も撃てませんでした」。当時、日本のレーダーはお粗末で基本は目視だが、運悪くこの日は空一面に雲が広がっていた。
 ちぎれた手足や首が転がり甲板は血の海。地獄絵図の中、八杉少年は衝撃的な光景を目の当たりにする。可愛がってくれた保本政一少尉が傾く甲板で軍服をはだけ、持っていた短刀で割腹自殺したのだ。「血がホースの水のように吹き出し、少尉は倒れました。私は震えて立ち尽くしました。前夜、褌をアイロンして届けると『ありがとう、明日は頑張れよ』と言われました。彼が秘密の上陸を母に密かに知らせてくれたから母に会えたのです」
 八杉少年は横転した大和の艦橋が海面に接する直前に海に飛び込むが大和が沈没し大渦に巻き込まれる。「洗濯機に放り込まれたように水中をぐるぐる回り、人にバンバン当たりました。息ができず苦しくてもう駄目だと思った時、水中がバアーッと黄色く光ったのです」。弾薬庫に引火した大和が水中で大爆発した。その勢いで運よくぽっかりと水面に浮かんだ。
 空を見上げるとアルミ箔のようにきらきらと光っていた。「きれいだなと思っていたらそれが落ちてきました。砕け散った大和の鉄片だったのです。近くで漂っていた人は頭を真っ二つに裂かれました」。重油の海で力尽きた仲間が次々と沈んでいった。
 沈みかけて思わず「助けてー」と叫ぶと偶然近くを漂っていた川崎(勝己)高射長が「そうれ」と丸太を渡してくれた。「自慢の髭は油まみれでオットセイのようでした。『お前は若いのだから頑張って生きろ』と大和が沈んだ方向へ泳いで消えました。私は高射長、高射長と叫び続けました、川崎さんは救助を拒み、大和が沈められた責任をお取りになったのです」。
 4時間の漂流の末、八杉少年は駆逐艦、「雪風」に救助された。「赤玉ポートワインを飲まされ重油をゲーゲーと吐きました。引き揚げてくれた若い男は『お前、よかったなあ』と泣きながら私の顔を叩いていました」
 雪風が到着した佐世保は一面、桜満開の快晴だった。「『畜生、これが昨日だったら』と全員が男泣きしました」。40キロ以上飛翔する主砲弾が編隊の中で炸裂すれば米軍機10機くらいは一度に落とせたはずだった。
広島では自爆攻撃訓練
 大和の沈没は国家機密。生還者は佐世保にしばらく幽閉された。そして広島へ戻り、母にも再会できたが山中で米軍撃退の「肉薄攻撃」と呼ばれる「自爆攻撃」の訓練に明け暮れた。「棒の先の爆弾を戦車に踏ませるんです。部下は銃の扱いも知らない頼りない兵隊ばかりでした」。
 ある朝、空が光ったかと思うとものすごい風が吹いてきた。原爆だった。すぐに広島市内の現地調査を命じられた。水を求める少年に「後でやるからな」と去った。「水を与えるな」が命令だった。「人生、あれだけは心残りです」。
 音楽の才能の豊かだった八杉氏は戦後、NHKラジオの『のど自慢』のアコーディオン伴奏なども担当した。神戸で修業し、ピアノの調律師として生きたが、被ばくが原因で階段も上がれないような疲労に襲われることもあった。結婚もしたがすぐに離婚された。ヤマハの技師長にまで出世したが、退社後は楽器工房を営んだ。
みつかった戦艦大和
 1980年代に「大和探し」が始まった。調査三回目の1982年5月、指南役になり鹿児島県坊ノ岬沖に沈む大和をNHKスタッフらと探し当てた。戦後長く沈没位置は徳之島沖とされていた。「大和はそこまで到達しないうちに沈んだ。おかしい、という説はありましたが、毎年、徳之島で慰霊祭をやってきた地元出身の有力代議士の力でそのままになっていたんです」。
「潜水カメラの影響でしゃれこうべ(頭蓋骨)が浮かび上がって一回転し、スーッと沈んでいった時は船上の全員が涙を流しました。実は自衛隊の��潜哨戒機が上空から場所を教えてくれたんです」。その後、日本船舶振興会の笹川良一氏などが大和を引き揚げようという計画を立ち上げたが八杉氏は「仲間はあそこで静かに眠らせたい」と反対した。
名作『戦艦大和ノ最期』の嘘を著者に認めさせる
 朗らかな人柄だが事実には厳しかった。名著とされた吉田満の『戦艦大和ノ最期』には救助艇の「初霜」について海面から兵隊が這い上がると艇が沈むため、「ここに総指揮および乗り組み下士官、用意の日本刀の鞘を払い、犇(ひし)めく腕を手首よりバッサバッサと斬り捨て、または足蹴にかけて突き落す」とある。
 だが八杉氏は「初霜は内火艇と言って羅針盤の磁気に影響するため乗る時は軍刀を持ち込めない。そもそもそんなことする必要もない。艇にはロープが多く積まれ、引き揚げなくてもロープにつかまらせて引っ張ればいい。それにそんな事実があれば幽閉されていた佐世保では『ひどい奴だ』とその話題で持ちきりになったはず。そんな話題は全くなかった」。
 筆者は子供の頃、『戦艦大和ノ最期』を読み、這い上がる兵隊の手首を斬り落としたという場面は衝撃的で鮮明に覚えている。八杉氏に会ってそれが嘘と知り、少しほっとしたが迷惑千万だったのは書かれた当人だ。実名は出していないが旧海軍関係者にはすぐに誰かわかる。兵隊の腕を切り蹴り落としたとされた初霜の総指揮は松井一彦中尉。戦後、東京で弁護士をしている松井氏に筆者も会い取材したこともある。松井氏は訴訟も検討したそうだが吉田氏は五十代で早逝した。
 作品では大和艦上で兵隊たちが議論していた時、臼淵磐大尉が「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。(中略)俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」と演説している。この「名言」に八杉氏は鋭く疑問を呈した。「戦後民主主義教育を受けなくてはあり得ない。あの時は全員が『見ておれ、アメ公め』と燃えていたんです。敗れた自分たちが愚かだった、反省して国を再建しよう、なんて発想が出るはずもない」と。
 吉田満氏は東京帝大出身。大和には電測士として乗り込み、九死に一生を得た。「頭のいい吉田さんは鬼畜米英から戦後民主主義にさっと切り替えて、あたかも大和の乗組員が話したかのようにしたのでしょう」。八杉氏が吉田氏に会って問い糺すと相手はフィクションと認めた。「フィクションならどうして実名で書くんですか」と畳み掛けると黙ってしまったという。『戦艦大和ノ最期』は三島由紀夫、河上徹太郎、小林秀雄ら当代一流の文壇人が「ノンフィクションの最高傑作」とこぞって絶賛した。若い吉田氏は「あれは作り事でした」とは言えなかったのだろう。だが名作の影響は大きい。「徳之島」も吉田氏の著作が根拠だった。
 八杉氏は後年、『男たちの大和』の作家辺見じゅんにも「それは嘘です。そうお書きになるなら小説になさい」などと厳しく指摘した。
 2005年に『男たちの大和』が角川映画になった際は、反町隆史ら出演俳優らに、高射砲の撃ち方などを実技指導した。その時は「娯楽映画だから主砲をぶっ放したのは仕方がないかな』と笑っていた。
 感動的な講演を続け、川崎高射長の場面では必ずしゃくりあげた。一年半前、久しぶりに福山市内の施設で会った時は認知症も進み、いつも「粟野先生」と呼んでくれていたダンディな八杉氏が筆者が誰か判別も付かずショックを受けた。
「敗戦の象徴」の生き証人はいつもこう訴えた。「平和は向こうから歩いてはこない。自ら掴み取るのです」。
粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。
週刊新潮WEB取材班編集
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ari0921 · 3 years
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「#宮崎正弘の国際問題解題」
【書評)】田村秀男 v 渡部悦和『経済と安全保障』(育鵬社)
経済と安全保障は密接不可分の関係にあり
  国民の意思、国家理性という測定しがたい要素も国力に加える
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 二宮尊徳の遺訓は「経済なき道徳は戯れ言だが、道徳なき経済は犯罪である」。
 日本の経済人の多くは、この警句を忘れて全体主義国家と、その人権無視、ジェノサイドには目を瞑り、ひたすら目先の利益をはじき出すビジネスの拡大に血道をあげた。いずれ手痛い打撃を受けるだろう。
 国家の衰亡とは、歴史的地理的に、経済が大きく絡んだ。たとえば、古代「筑紫君磐井の乱」は、大和朝廷にまつろわぬ九州豪族の叛乱としてだけ片付けられる問題ではない。
 古志の大王だった継体天皇は新羅との貿易で財を成し、のし上がった。即位後も、大和のような港に遠い都へ移る意志なぞなく、淀川水系が経済の血脈であるという認識から戦略的拠点の確保のため樟葉、筒城、乙訓に行宮を置いて西国(西日本)ならびに外国との交易を奨励し、監視していたのだ。歳入の源でもあった。
 継体天皇二十一年、新羅と独自の交易をする北九州の大豪族、磐井から玄界灘ルートを取り上げるために兵をおこし、一年半かかって、ようやく退治した。磐井の息子葛子は玄界灘利権を献上し、以後はヤマト朝廷の国造(くにのみやつこ)として存続した。
 戦後の歴史学者は、この経済的側面をわすれて議論をしている。
 本書の肯綮は、経済と安全保障は密接不可分の関係にあること。国力はGDPだけではなく、「国民の意思」と「国家理性」という測定しがたい要素も加味して「国力」を測定しなければならないという原則である。
 だからこそ田村氏というエコノミストと元陸将の渡部氏の対談という異例の顔合わせが実現した。
 現在の国防論議に経済の視点が希薄で、国防と経済の密接不可分関係という認識が薄い。『国民の生命と財産』を守るだけが国防ではない。
 本書の冒頭で「強くてしなやかな国になってほしい」と願う渡部氏(元陸将)が、レイ・クライン博士の「国力方程式」を提示している。
この方程式はワシントンのシンクタンクの一部から「国際政治学のアインシュタイン理論」と高く評価された。
評者(宮崎)、じつに懐かしい想い出がある。
この世界国力ランキングの翻訳日本語版のアレンジは、評者がお膳立てし、以後のクラインの著作はすべて裏の根回しをした。クライン博士は、日本に来る度
にお目にかかったが、新宿の裏路地から赤坂の韓国飲み屋街などを案内したことも思い出した。またこの本の出版記念会も評者が加瀬英明氏と一緒に準備して開催した。岡崎久彦、法眼晋作(外務次官)、三原朝男(防衛庁長官)、二階堂幹事長らが出席し、大盛会だった。ワシントンでも何回か会って、とくにクライン・コネクションで議会の大物の紹介や、ボルシェグラーブ(NEWSWEEK編集長)との会見も設定してもらったことがあった。
 閑話休題。クラインの国力方程式とは、
 「P=(C+E+M)x(S+W)」
 
 というもので、Pが国力、Cは人口+領土、Eが経済力。Mは軍事力
 測定不可能だが、S=国家戦略目標、W=国家意思、となる。
  当時(日本版刊行は1981年)、日本のランクはGDP世界二位だったが、総合国力で八位とクラインは査定した。いま? S(国家戦略も公卿)とW(国家意思)がない日本は二十位にも入らないのではないか。 
 というのも、田村秀男氏は「国力」の重要度を「経済力」として、次の日中経済力比較を展開しているからだ。
 「日本がどこまで落ち込むか。底が見えません。主因は1990年代後半から始めってきた物価・賃金の下落、すなわちデフレ圧力による(中略)。実質実効相場と名目GDPともにめざましい増勢基調を保ってきたのは中国です」。
 日本の政策失敗により、GDPでも中国に追い抜かれた。
「2020年は1997年に比べ(中国の)名目GDPは12・7倍、実質実効相場が28・7倍上昇しています。対極にあるのが日本です。それぞれ0・9%減、29・2%減です。この間の日中のギャップは実質実効相場では57%にもあります。ドルベースでみた中国の名目GDPは1997年で日本の21%でしたが、いまや約三倍になります。しかも対外購買力を日本に比べて五割以上高めています」
 だから中国は「安い、安い」と叫び、日本の戦略的要衝を買い占め始めた。国家安全保障にとって、これほどの危険はあろうか?
 本書はそうした危機意識を基底として濃密に書かれた憂国の書である。
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ミツバチのオスは一回交尾すると生殖器が爆発する。
アンコウのオスは、身体の半分が睾丸である。
世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。
猫は一度に四匹ほどの子供を産むが、オス親はみな違っている。
ゴキブリは、電子レンジでチンしても死なない。
1グラムの金を伸ばしてやると、3キロメートルの長さになる。
アルマジロは、たかっている蚤がすべて駆除されると死んでしまう。 ゴキブリは頭をとっても死なない。えさが食べれずに二週間後に餓死する。
シベリアのバイカル湖には深海魚が住んでいる。
魚を船に乗せると船酔いする。
多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。
胃酸は金属も溶かすことができる。
カシミール地方のフンザ族は、誰一人としてガンを患ったことがない。 肉食性のタランチュラは、テーブルから落ちるとベチャっとつぶれてしまう。
輸血用の血液が足らないとき、ヤシの実の汁で代用できる。
ドイツの化学者ペッテンコーファーは、病原菌説に反対し、培養したコレラ菌を飲み干したがぴんぴんしていた。
兵隊アリは一匹にすると迷子になってしまい、餓死するまで同じところをぐるぐる回り続ける。 ダニのメスは無性生殖で産卵し、そこから生まれたオス(つまり息子)と交尾する。
19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。
アラスカでは、食品を凍らせないように冷蔵庫にしまっておく。
「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則を考えついたのは、天文学者のコペルニクスである。
目と耳が不自由だったヘレン・ケラーは、臭いで人を識別できた。
コロンブスの航海のために支出された予算は、イザベラ���王が主催する宴会の三回分だった。
ウラジオストックは、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストック。
プエルトリコは、プエル・トリコではなく、プエルト・リコ。
マックワールドエキスポは、マック・ワールドエキスポではなく、マックワールド・エキスポ。
アラビア数字は、アラビアではなくインドで生まれた。
ウルトラの兄弟は、血縁関係ではなく義兄弟。ウルトラの父はその上司だった。 アインシュタインの相対性理論の解説書は、戦前ワイセツ書だと思われて発禁処分になっていた。
イルカは、泳ぎ疲れると溺れる。
コペンハーゲンにある人魚像のモデルは、岡田真澄の親戚。
西武ライオンズのマークとして使われているのは、レオではなく、お父さんのパンジャ。 スイフトは「ガリバー旅行記」の中で、未発見の火星の衛星フォボスとダイモスの質量、軌道半径、公転周期などを正確に予言していた。
エスカルゴはぶどう畑にたかる害虫で、駆除するついでに食べていたのが始まり。
日本でいちばん早く初日の出が見れるのは、北海道ではなく千葉県の犬吠崎。
美空ひばりは、デビュー前にNHKの素人のど自慢に出演して、鐘ひとつで落選したことがある。
ほとんどの森林は、酸素よりも二酸化炭素を多く生み出している。
多くの原子力発電所は、建造、運営、撤去に必要な電力以下しか発電することができない。
野口英世は梅毒菌を発見したときに、嬉しさのあまり甘茶でかっぽれを踊ってしまった。
セガの元々の社名は日本娯楽物産。その英語名がService Games Japan。そこからSeGaとなった。
エプソンは、Electoronic Printerの息子たち(Son)を作っているので、EPSON。
マッキントッシュは和品種名「旭」リンゴ。明治23年に札幌農学校に輸入されて以来、北海道で栽培されている。
マックのコマンドキーのマークは、元々バイキングの装飾模様だった。
ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。
かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。
大量の放射能は人体に有害だが、ちょっとだけ浴びると肩凝りが治る。
ドンキホーテは、ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテ。
ゼロ戦は、離陸するとき、左の車輪が右よりもちょっとだけ早く格納される。
金毘羅さまに祭られているのは、ガンジス川に住んでいるワニ。
伊豆半島は元々、熱帯にあった小島で、南から流れてきて本州とくっついた。
色を再現するのに三原色は不要。ポラロイドの創立者ランドは、二原色システムのカメラを発明している。
雁の中にはメス同士で卵をかえすレスビアン夫婦がいる。
シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。
ハエがなぜ飛べるのかは、最新の科学でもわかっていない。
土星の衛星タイタンには、春夏秋冬の四季がある。
チャレンジャー号の乗組員の死因は爆発ではない。爆発後もコクピットは保護されていて、意識はあった。その2分後、海面に激突したショックにより死亡したと見られている。
コブラはコブラにかまれると死ぬ。
キスをすると、1秒間に2億個の細菌がやりとりされる。
虫歯は、口を介してうつる伝染病。
オリンピックの金メダルは、実はめっきである。
クマムシという虫は、高温、低温、放射線、真空などのあらゆる悪環境に耐えるが、指でつぶすとつぶれる。
原子力研究所にある実験炉が自動停止したときに、叩いてみたら再び動き出した。
東名高速が開通したばかりのころ、路肩に車をとめて、レジャーシートをしいて富士山を眺めながらおにぎりを食べることが流行った。
初期の打診法は、大きな木製のへらで患者の横腹をひっぱたくというもので、しばしば患者の肋骨を骨折させることがあった。 幼児は紫外線の領域まで見える。
第二次世界大戦中にレーダーを発明したイギリスは、カムフラージュのために「パイロットににんじんを食べさせているので、夜目がきくようになった」という噂を流した。それ以来、夜目にはにんじんがいいと信じられている。
光の速度をはじめて測定しようとしたのはガリレオ。遠く離れた丘の上にランプをもって立ち、一方が覆いを外したのを見た他方が覆いを外し、光が見えるまでの時間を振り子で測るというものだった。練習不足だったのか、測定するたびに結果が異なりうまくいかなかった。
スズメバチは、飲み残しの缶ジュースを餌とするが、その中でも乳酸菌入りグレープジュースが特に気に入っている。
「サイボーグ」は、タカラの登録商標である。
サメやマグロは、浮き袋を持っていないので、泳ぐのやめると溺れてしまう。
カタツムリは葉緑素をもっているので、光合成をしている。
ホタルは川の流れがきれいになると死滅してしまう。
お腹に回虫を飼っている人は花粉症にならない。
切り株の年輪の幅は南の方が広がっているというのは真っ赤なウソ。実際はばらばら。
市販されている備長炭の多くは、中国やアジア産である。
野生動物が畑を荒らしたり、登山者の食べ残しをほしがるのは、自然の餌が不足しているからではなく、人間の食べ物の方がおいしいから。
最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
細胞に含まれる核、ミトコンドリア、葉緑体は、もともと別の独立した生物が寄生したもの。
無重量状態でも、野球のボールをぶつけられると、やっぱり痛い。
月は常に一方の面だけを地球に向けて公転している。これは月だけでなく、太陽系の衛星のほとんどがそうなっている。
体重比で睾丸が最も大きいのはチンパンジー。人間は残念ながら第二位。ちなみにタヌキはトップテンに入っていないことだけは確か。
音楽CDのラベル部分やエッジを緑色に塗ると音質がよくなるという迷信はほんとう。ただし、自分で塗ってむらがある状態では効果はほとんどない。
欧米人は肩凝りにならないというのは真っ赤な嘘。同じ症状を英語圏ではstiff-necked(首が凝った)というだけ。
フンコロガシは、糞団子ひとつを12時間かかって食べ、3メートル以上もの長さの糞をする。
スプーン一杯の食用油を池の上に落とすと、半径20メートルにまで広がり、その下にいる魚は酸素不足になる。
地球温暖化の影響を最初に受けたのは、エロマンガ島。海水面の上昇によって、沈んでしまった。最新の地図のどこを探しても「エロマンガ島」の文字を見つけることはできなくなってしまった。失ったものは大きい。
古生代ペルム紀(2億5000万年前)の塩の結晶の中から発見されたバチルス細菌を水につけたら、生き返ってしまった。
ロシアの宇宙ステーションミールは、大量の放射線を浴びているにもかかわらず、細菌が繁殖して困っていた。
アポロ12号のクルーたちは、月面に生物を発見していた。2年半前に着陸していた無人探査機サーベイヤーに付着していた連鎖球菌が月面で繁殖していたのだ。
運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。
コンタクトレンズの原理を発見したのは、レオナルド・ダ・ビンチ。 50億年前の地球の球表面面積は現在の1/4。つまり、当時できた薄皮が、地球の膨張にともなってひび割れたのが陸地だと考えられている。
花粉症とアトピー性皮膚炎は、日本人と旧西ドイツ人の間で急増している。しかし、不思議なことに旧東ドイツ人の間では増えていない。
蚊が刺すときは、道路工事のドリルのように、一秒間に8回のスピードで針を打ち込んで皮膚を貫通させる。
蚊は刺す直前に麻酔薬を注入する。この麻酔薬が欠損している蚊に刺されるともうれつに痛い。
” - 一行サイエンス (via hisaruki, etecoo) 2008-07-24 (via gkojay) (via takaakik) (via mnak) (via oho777) (via storadio) (via mktx) (via yasayasa83) (via idoyesido) (via appbank) (via ipodstyle) (via yaruo) (via tanakamp) (via krbysh) (via reservoir) (via overdope) (via peckori) (via uessai-text) (via cellbuu)
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bearbench-tokaido · 4 months
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六篇 上 その三
伏見の京橋にいる弥次郎兵衛と北八。 ここから、大阪へ向けて船に乗り込むことにした。 船旅で、心も弾む二人だ。 弥次郎兵衛は、勧められた酒を飲みたがらない。
「酒が飲めんのかいな。」 と盃を受け取りながらじい様が怪訝そうに尋ねると、だまって首をふる弥次郎兵衛の横で、 「なに、あびるくらい飲むさ。さ、弥次さん。なぜの飲まねんだ。 酒というと一番にのどをならすお前が、いったいどうしたんだ。」 と北八は、不思議そうに弥次郎兵衛を見ている。
そこでじい様は、はたと思い当たった。 「ははあ、わかった。今さっきそっちのお方が、暗がりで尿瓶と間違えてこの中へ小便をしこんだんやないかいな。 どうも小便くさいと思ったんじゃ。 こりゃお前さん。そやさかい飲まんのじゃあろぞい。」 それを聞いた北八は、 「なるほど。そういうことか。 桑名の渡し船でも、こいつは船の中で小便して大騒ぎをやったんだ。 そのくらいのことはやりかねない男だ。 ええ、汚ねえ。げええ。」 と急にえずきだした。
「どうりで急須に何か一杯あると思うたが、わしゃ又、この小僧が水入れておきおった思うて川へほったがそれが、小便だったものじゃあろぞい。」 と隠居は、熱燗を急須ごと川に捨てながら言う。 「とんだこった。胸がむかむかする。」 と北八。 「ああこりゃ、げええ。長松よ、背中叩いてたも。 ああ胸糞悪い。げええ。」 とじい様は、騒ぎで起きだしてきた小僧さんに背中をさすってもらっている。
弥次郎兵衛は、笑いをこらえながらも、 「これはお気の毒なことでございます。 何か薬でも飲んでみたらどうでしょう。 しかし小便に当ったのには、どんな薬がいいんだろう。 もしもし、どなたか丸薬でもお持ちなら少し下さいましな。」 と周りの乗り合いに言う。 その様子を聞いていた乗り合いの一人が、 「はい。とはいっても、小便に当ったときに飲む薬は、持ち合わせがないさかい。」 と笑いながら答える。 「そりゃ、こまったものだ。」 と弥次郎兵衛は、笑いをこらえるのに必死である。
「弥次さん、苫(とま)をちょっとまくってくんな。」 とそんな弥次郎兵衛に、北八が言う。 「どうする。」 「小便を…。」 「するか。」 と弥次郎兵衛が苫をまくろうとしている。 「吐くんだ。」 「どれどれ。船べりへぐっと顔を出してやれ。 俺が掴んでいてやろう。 それ、いいか。しいい、しいい。」 と弥次郎兵衛が言うのを聞いて、北八が怪訝そうな顔をむける。 弥次郎兵衛は真面目な顔で、 「小さな子供が小便をするときに、『しいい、しいい』と言うだろう。 こういったほうが小便を吐き出しやすいだろうからな。」 「ええい馬鹿なことを。げええ。」 とそのうちに、じい様のほうはすっかりはいてしまい、川の水でうがいしている。 「どうじゃそっちゃのお方。気分はどうじゃいの。」 とじい様が北八に話しかけてきた。 「どうやらこうやら、よくなりました。」 と北八も川の水で、口をそそぎながら答える。 弥次郎兵衛はおかしいのをこらえるのに必死である。
さて人心地ついたこのじい様はたいへん好人物で、そんなことがあっても格別腹を立てる様子もない。 「いやもうお互いに、どえらいめにおうたこっちゃ。 口直しに残りの酒を飲みたいところだが、燗をするものがなうなった。どうしよかいの。」 と言っている。 「そしたら、こっちゃにある本物の尿瓶で酒の燗いたしましょかい。」 と小僧の長松が言う。 「ほんにそうじゃの。本物の尿瓶の方がまだきれいじゃ。 藤森町で今日、買うてきたままでまだ、一度も小便をしてないさかいそれで、燗にしよう。」 と長松に指示する。
その様子に、 「とんでもない。お断りだ。」 と北八は、渋い顔。 「ばか言うな。茶は土瓶が旨いし、酒の燗は尿瓶に限る。」 と弥次郎兵衛のほうは、熱燗が飲めるので嬉しそうである。 しかし、北八の方は、 「なんで尿瓶の酒が飲めるもんか。」 とますます、渋い顔。 弥次郎兵衛は平気で、 「そんなら御隠居さま。やっぱりさっきの急須になさいませ。」 と言う。 「急須は川へほったわいの。尿瓶の方が新しいさかい綺麗じゃわい。」 と樽の酒を尿瓶にあけて、火ばちの上にかけてしまう。
「長松、そこの茶碗をよこせ。 さあさあ本物の酒じゃ。それ、おまいがたさそかい。」 とちゃわんをさしいだす。 弥次郎兵衛はさっさと引きとり 「いただきやす。」 と言い終わらないうちに、飲み干してしまう。 「むしのいいお人じゃ。肴でも、差上げようかい。 煎り辛でもどうじゃいな。」 「はい、いただきます。これは何でございます。」 「それは鯨の肉から油をとったもので、煎り辛というわいな。」 と弥次郎兵衛に酒をついでやりながら、じい様は言う。
「いいものでございやすね。さあ、北八さそうか。」 とじい様の話も半分に、北八へちゃわんをまわし尿瓶からつぐ。 北八も酒には目がないし新しい尿瓶と聞いて、なるほど���れなら問題はあるまいと一���引き受けて、ぐっと飲んでしまう。 「小便のまざらない酒は、また格別だ。はい、あげましょう。」 とじい様に返そうとすると、 「他の乗り合いの方に、一つずつあげてくだんせ。」 と言う。
「それなら、お隣の。」 と北八は、隣に居た越後の者にちゃわんを渡す。 「どれひとつ、いただくとするべい。」 と越後の者はそれを受け取ると、北八が尿瓶から酒を注ごうとしているので、 「そりゃ、小便をする焼き物の便器じゃあござらぬか。」 とあわてて、茶碗をひっこめる。 「なあに、この尿瓶は新しいからまだ綺麗さ。」 と説明してからついでやる。 越後の者は、それをぐっと飲みほして、 「ああ、えいことん、えいことん。」 と言う。
「さあ、長崎のあんにゃさん。やらっしゃるか。」 と越後の者はちゃわんを回せば、長崎の者が受けて、 「いや、こりゃ申し訳ない。」 と注がれた酒をうまそうに飲み干してしまう。 じい様はその様子に、 「だんだん、そっちのお方に上げてくだんせ。」 と言うので、 「それならあんたへ、さしあげましょたい。」 と長崎の者は、そのつぎの人へちゃわんを渡す。
そこには病人と見へて、顔色の悪いあかだらけの男がいた。 襟元に綿の入った布団のような物を巻きつけて横になっている。 側に介抱している親父がいる。 「わしゃこの通りで、酒はだめだから、親父、ひとついただかんせ。」 とその病人は、親父にいう。 この親父はさっきからこの様子を聞いていたので、尿瓶が綺麗なこともわかっているしいっこうに構わずに、 「それならいただきましょう。 その尿瓶をこっちにくだんせ。手酌でやりますから。」 と尿瓶も受け取り手酌で飲みだした。
この親父は酒好きとみて、立て続けに二杯飲み干した。 弥次郎兵衛が、 「さあご隠居。お前さんも飲みなせえ。」 とさっきから勧めるだけで、全然酒を飲んでいないじい様に勧める。 「いや、おまい、もう一杯のんでおごさんせ。」 とじい様は、弥次郎兵衛にさす。 「はいはい、それなら、もう一杯。」 と弥次郎兵衛は病人の側で、酒を飲んでいた親父に、 「もし、その尿瓶をこちらへ。」 と言って薄暗がりで、持っている尿瓶を受け取ろうとする。 「はいはい、どうぞ。」 親父は尿瓶を送り戻す。
それを北八が受け取ってちゃわんになみなみとついでやると、弥次郎兵衛はひといきにぐっと飲んでいきなりちゃわんをなげだしてしまった。 「ええ、こりゃとんだこった。げええ。」 と這うように船べりに向かう。 「弥次さん、どうした。」 と北八が問うと、 「どうしたもこうしもあるか。こりゃ、酒じゃねえ、小便だ。」 とげいげいやりながら言う。
つづく。
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