Tumgik
#4日連続軽躁
manganjiiji · 6 months
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片付いてる部屋になんか興味ない
私が今みたいのは本!本!本!本の中身!誰が何を書いているか!何が書かれているか!もうそれだけ!という気持ちになったので本棚とその前に積み上げられたものたちをドガシャアとひっくりかえして、それなりに片付いていた部屋をどんがらがっしゃんした。まあ1箇所に寄せて固めていただけのものだし、これを機に一度広げた本や同人誌やグッズを整理したほうがいい。
12時半に家を出て21時半に帰宅。もうほとんど電車に乗っているような一日だった。疲れた。前半は気圧の下降がきつく、今日絶対家で寝ておいた方がよかったなと思ったが、なんとか1時間半かけてほぼ多摩まで行き(間違えて各停に乗りまくった)用事を済ませて次は埼玉の大宮にある病院へ。待合室に人がどわっといて、酸素が薄い…?と思いながら、流れているジブリのオルゴールを聞いて脳内でタイトル当てをしているうちに座ったまま寝ていた。15時半からの予約で、はっと目を覚ましたら17時をすぎていたが、まだ呼ばれていなかった。眠れてよかったと思う。気圧も上昇に転じたのか、体が結構軽くなっていた。診察では先生に冬季うつのようなものがあったのかも?先週から徐々に家事ができるようになり、無気力感が抜けました〜って報告したら、躁転(軽躁)かもしれないから気をつけてね、いきなりいろいろしちゃダメだよ、と釘を刺され、バイトもまだ増やさないように。と言われ、人足りないと聞いて、元々の希望である週4にしてもらったところだったので、ヤベッと思った。「はい!」と元気よく返事をしたが、時すでに遅し、バイトは増やしてしまいました。4月はかなり慎重に生きねばならないなと感じた。ジャズの教室が始まるのはいいとして、ジム通いは尚早かもしれない。3月はなんだかんだで人と会う機会が多かったので、4月はこれ以上予定を入れないように注意する。4月の予定は、ミュージカル「VIOLET」鑑賞、ハリーポッタースタジオツアーfeat.水中めがね∞、そして何より4/15からの、あんスタの大型合同イベントとやら……である……。どのくらいの何が来るんだ。俺はどうすればいいんだ。どれだけの金と時間を使えばいいんだ?何も分からない。4月のイベントが来るまでに、今抱えている燐一のネタは小説にしてしまおうと思ったが、全然間に合わない気がする。とにかく毎日をできるだけ健康に過ごして無理はせず、おとなしく小説を書いていこうと思う。書きたいいちばんデカいネタは、去年の3/21にノートにまとめてあって、そこからまったくぶれていないので、一年以上同じネタで脳内で萌えている自分すごいなと思った。今書こうとしているのはもっとサクッとするっと読めるR18です。何のひねりもない気がする。もう少しなにか特色のあるエピソードを入れたい。こんな直球でいいのか?という気がする。でもまあ、二次創作なんか何回同じこと書いてもいいし、テーマ性なんかなくてもいいし、とにかく好きなシーン書けばいいと私は思っているので、当たり前のことをていねいに。みたいに書く練習をしてもいいのかもしれない。いやでも、流石にもう一捻り欲しいか。(ループ)
先日、友人の卒業を社会人達で祝った。私の他ふたりは歴戦の企業戦士というか個人事業主というかとにかく強い働きマンたちである。私は全然働いてないマンなので、そんなことがあるんだな〜と2人の話をおもしろく聞いた。東京ステーションホテルのハイティーを予約して、面白いほどに全てが美味だった。ハイティーの前に、私の希望で、東京都美術館の印象派展(モネからアメリカへ)へ。期待値が高すぎたため、そこまで満足度がハイパー高いという訳ではなかったが、じゅうぶん楽しかった。印象派について、戸外制作ということを初めて知った。なるほど。アメリカではやはりニューイングランドの風景というのは、なにかアメリカ人たちに郷愁となるものを含むことがあるようだと感じた。自分が幼少期の舗装されていない土の道を見ている時のような感覚が絵にあった。印象派の明るい色彩はやはり好みだと思った。光というものがみんな好きだし、私もその例に漏れず。夜、ワインをみんなで飲んでいる時(私はパイナップルジュース)、なんと友人から快方の連絡が。その友人が繋いだ4人と言っても過言ではないメンバーで集まっていたので、やはり彼女には何かが見えているのか、とざわついた。「写真を送ってあげよう」ということでホテルの方に撮ってもらった記念写真を送ったら、メッセージを送る度に人間の顔面が帰ってきてびっくりする、心臓に悪い、というようなことを言われた。まったくもう。別にいいじゃないですか。全員の了承は取れているのだし。私が友人に対していつも反抗的だということが話題に上がったが、まあそう、本当に反抗的で可愛くない幼稚な友人で悪かったね!とよく思う。私は友人のことを嫌いになることはないので、結局のところ、快方の連絡を受けて、涙ぐんでしまった。ひとまず、数年にわたる生命の危機は脱したのではないかと思われた。
今日は病院の後、スタバに寄って本を次々開いていたら二時間たっていてびっくりした。高橋哲哉『デリダ』、フロム『愛するということ』、水沢なお『うみみたい』をそれぞれ読んで、なんだかそれぞれの内容が呼応しているような気がした。私はいつも乱読だが、だいたい中身は同じようなものを読んでいるので、3冊合わせて1冊を読んでいるようなものだな、と感じた。最果タヒ『落雷はすべてキス』は、今日はひらけなかった。井戸川射子『共に明るい』の続きも読みたいなと思った。それから本棚をひっくり返して、年末から2月にかけて買った本がざんざか出てきて、やべ、この辺も読まなきゃな〜というのと、3年くらい積読している本もいくつか読みたいなと思い、新しく積み直した(?)。頭の中に文字や概念や情景を入れるのは楽しい。しかしかなりぐったりしてしまう。『侍女の物語』もかなり真面目に読んでいたのに途中で止めてしまっている。そんなことを言ったら、全ての本を途中で止めているのだが。毎日10分でも読んで、それを10年続けて、とにかく続けることだな、と誰かのツイートを見て深く頷いた。
2024.3.23
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nanashisystem · 10 months
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ADHDと双極性障害の連関
ADHD は DSM-5 の 「神経発達症群」に位置づけられ、「不注意(特徴 9項目のうち最低6つ、17歳以上では最低5つ)」「多動および衝動性(考 微9項目のうち最低6つ17歳以上で最低5つり」「12歳以前から存在すること」 「2種類以上の状況で認められること」「他の精神疾患で説明されえないこと」 「生活に支障をきたしている」などから診断が下される。 DSM-5 を普段からあまり参照する習慣のない筆者にはかなり厳密な診断基準に見えるが、他の精神疾患と同様、上記基準を完全に満たしていなくても日常生活に大きな支障があっての疾患が除外されれば『他の特定される注意欠如・多動症」あるいは「特定不能の注意欠雄・多動産」としてADHD診断がつく。 主に成人臨床に携わっている筆者のケースで は「不注意」「多動性および衝動性」共に完全に診断基準を満たすことは少ないので 「特定不能のADHD」と診断することが多い。  ADHD と類似した双極性障害症状としては、軽躁病・躁病エピソードの中の「注意散漫 (ADHD の中核症状でもある)」「困った結果につながる可能性が高い活動に熱中すること (ADHDの衝動行為と類似)」「気分 が異常かつ持続的に高揚し、開放的または易怒的となる (ADHDでも易 刺激性や不機嫌は見られる)」 「睡眠欲求の減少 (ADHDでは多動の結果として入眠時間が遅くなる場合がある)」 「多弁 (ADHDでも認められ る)」と抑うつエピソードにおける「思考力や集中力の減退低下(外面上 ADHD の不注意と間違われやすい)」が挙げられる。 DSM-5で別々の章 に位置づけられていながら症候論的にこれほど似ている組み合わせは 「ADHD と双極性障害」 以外にはないだろう。 両者の鑑別が容易ではな く併存が見落とされやすいのも納得がいく。 臨床家の目がADHD などの発達特性に向かいやすい小児では双極性 障害という精神病は一層看過されやすい。 Papolos ら は小児における 双極性障害過小診断に警鐘を鳴らし, 小児では成人の診断基準が通用しないことを強調している。 Papolos らによると小児と成人での最大の相 は周期であり, 小児では「より慢性的な経過をたどり、 2つの病相の 間に良好な状態の期間はほとんどみられません。……病相の交代が極めて頻繁な, 超々急速型と呼ばれるタイプの子どもも少なくありません。 このような子どもは、24時間のうちに気分の高揚と低下を繰り返しま す」と述べ, 小児の双極性障害を見逃さず早期に薬物治療を開始するこ との重要性を説いている。 Papolos らの主張には 「成人では周期に着目すれば ADHD を双極性障 害から鑑別できる」 との前提がある。 超急速交代性ないし超日交代性サ イクルを呈するケースは確かに双極I型やⅡI型障害とは診断されないか ら.気分変動の周期を根拠として、かなりの高確率で成人の双極I型な いしⅡ型障害とADHDとの鑑別や併存診断は可能である。 しかし現代の 成人双極性障害の主流は双極I型ないしⅡI型であろうか。 かつて内海 はモダニズムからポストモダニズムへの移行に伴って 「綺麗なサインカーブを描く以極Ⅰ型障害」にとって代わって「難的成分が神出鬼産に 出現し混合状態化しやすい双極Ⅱ型」が主流となったと論じた。 見解に筆者は全面同意するが、その後10年あまり経過して時代は更に先へと進んだように筆者には思われる。抑うつなら2週間以上、軽躁病なら4日以上持続しないケース、つまり抑うつエピソードや軽闘病エピソード の基準を満たすことなく、常態化した広義の混合状態をベースに「混合性の特徴を伴う抑うつ状態」と「混合性の特徴を伴う軽躁状態」が手籠 則に目まぐるしく交代して出現する症例が増加している。また「午前には制止の強い抑うつ状態 夕方には軽快, 就寝前には軽躁状態」と日 での規則的変化を見せる症例も散見され,これは内因性単極うつ病で観察される日内変動の双極性障害版と見なせる。 広義の混合状態が慢性的 に持続する不規則型であれ, 極端な日内変動を示す規則型であれ, DSM では 「特定不能の双極性障害」としか診断しようのない症例を数多く目の当たりにすると,小児症例と同様にいまや「成人症例でも双極性障害 と ADHD を周期でもって鑑別するのは容易ではなくなっている」と考えざるを得ない。
『発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-』芝 伸太郎 90p
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harinezutaka · 1 year
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二年前日記36(2021年/9/3〜9/9)
9月3日 今日は朝から忙しい。お風呂と台所の排水管の掃除の業者の人が来るのと、家事のセミナーの配信の申し込みをしていたので。掃除の人が来る前に、軽く水回りの掃除をする。家事のセミナーもなかなか面白かった。家事代行を頼むイメージもなんとなくできた。お昼はラーメン。昼寝、片付け、事務仕事、散歩、買い物。今は人生で2回めの専業主婦だけど、なかなか楽しいな。前とは違う。お金のためには働かないといけないと思うけど、人生で5回ぐらいは専業主婦したい。買い物先で、近所の人と会う。前に教えてもらった味噌が美味しかったと伝えた。晩ご飯は、肉詰めピーマン、鷄レモンの汁で炊いたさつまいも。
9月4日 朝、読書はそこそこに片付けをする。『チャポンといこう』一回分を聞きながらするのが最近のブーム。じゃないと、永遠にやってしまって疲れてしまうので。夫のものを整理していたらなんと二万円出てきた。夫も身に覚えがないらしく、半分はくれることになった。ラッキー。朝ごはんを食べてから少しゴロゴロ。お昼前にいつもより丁寧めに掃除をし、お昼を食べてから一時間ぐらい昼寝をする。図書館に行こうと思ったけど、時間があまりないので近所のコミセンに返すだけ返しに行く。その足で実家へ。母は洋裁をしていた。躁っぽい感じがなくなってるような気がする。少し落ち着いたのかな。父が戸籍を取り寄せていて、姉が載っていないのはなぜかと聞いてきた。改正されて省略されてるので、前のものを確認するには原戸籍を取り寄せないといけないと説明する。冷蔵庫は相変わらずいっぱいで、食材を引き取って帰った。鮭、ひき肉、ソーセージ、ワンタンなど。しばらく買い物しなくていいな。物を整理していたら捨てたと思ったMDが出てきた。懐かしい。カードゲームも持って帰る。明日やろうと思って。帰宅してから晩ご飯。ワンタン、皿うどん、しらすのせ冷奴。夫はパラリンピックの車椅子テニスを見ていた。私はYouTubeで配信されていた奥山淳志さんのトークを見る。音声が今ひとつでよく聞こえなかったが、やっぱり素敵なひとだ。顔が好き。
9月5日 朝、『あちこちオードリー』を見ながらご飯。簡単に掃除、洗濯をして昼ごはんを食べてから淡路に出発。前から一度は泊まってみたかった安藤建築のホテルへ。3時過ぎに到着して、ごろごろする。6時に夕食。ホテルの人がいろいろと気をきかせて写真を撮ってくれた。お料理は、ものすごく豪華といわけではないがどれも美味しかった。部屋に戻り、持ってきたカードゲームをしたり、パラリンピックの閉会式を見たり。この建物は東向きに建っていて朝日がきれいだそうなので、明日は早起きしよう。
9月6日 朝、5時ごろに目が覚めた。日の出は5時半過ぎ。夫も一緒に。他には見に来てる人はいなかった。曇りだったので少し残念だが、でもドラマチックな日の出を見ることができた。私はばっちり目が覚めているのでしばらくそこで本を読むことにする。持ってきた本は小川洋子の『人質の朗読会』。とても静かな物語で好み。部屋に戻り、お風呂に湯を張って、お風呂で続きを読む。あがってから、化粧をして、朝ごはんへ。朝ごはんは釜に入った炊き立てご飯。つやつやほかほかでとても美味しかった。部屋に戻ってごろんとしてから、荷物をまとめてチェックアウト。ゆっくりできてとてもよい旅でした。夫を自宅に降ろしてから、私は買い物。裾上げを頼んでいた服を取りに行く。美味しい和菓子屋さんにも寄った。帰宅後、洗濯、少し横になり、お昼ご飯。買ってきた惣菜パンとスムージー。横になって休憩はしたが昼寝はしなかった。片付け、事務仕事をし、少し散歩のあと晩ご飯の準備。晩ご飯は麻婆茄子、味噌汁。尾骶骨の辺りが痛い。骨盤が緩んできてるんだろうか。座ってる時間が長かったからかな。ちょっと湿疹も出ていた。
9月7日 朝、妊婦検診。今日はエコーはなし。心音の確認と、内診のみだった。どちらも全く問題ないとのことだった。よかった。次は4Dエコーの予約を取った。先生からワクチンの予約は取れたかと聞かれる。次は二回目なので熱が出るかもと思い、一応、解熱剤をもらっとこうと思って薬を出してもらえるか聞いてみると、自費になるけれど出せるとのことなので出してもらう。処方箋と薬代で4000円ぐらいだった。一応にしてはなかなかの出費。薬局にはアセトアミノフェン系の薬は今は全然並んでいないので、仕方ないか。帰り図書館に寄って予約していた本の受け取りをし、ドトールでお昼を食べ、借りてきた本をペラペラめくる。結構、人が多かった。1人のひとは固めてもらえたらいいのにな。帰宅後、片付け、連絡。ちょっと寝ようと思ったら5時過ぎだった。晩ご飯は、餃子、ごま豆腐、スープ(ワカメ、玉ねぎ、ソーセージ)。北欧暮らしの道具店の佐藤店長の動画に影響を受けて、暗くして間接照明で明日の朝ごはんの準備をするのをやってみたら、リラックスできてとてもよかった。
9月8日 朝ごはんのときに夫といっしょに『アンという名の少女』を少しずつ見ている。評判がいいことは知っていたので、再放送してくれてすごく嬉しい。毎日の楽しみ。最近は5時前に目が覚める。というか、まとまってたくさん眠れなくなってきた。日の出までは布団の中で横になることにしている。日の出の時間には起きて一度ベランダに出て深呼吸。トイレにいって、体重を測って、白湯を飲み、読書。6時半のテレビ体操をするのがモーニングルーティンだ。あんなに毎日同じように生活できなかったのに、できるようになってきた。これも赤子パワーなのだろうか。夜勤から帰ってお風呂から上がったら一緒に朝ごはんを食べる。ざっと掃除と洗濯をして、9時ぐらいにはお茶タ��ムで手帳やノートを書いたり片付けをしたり。今日も昼寝はがっつりしてしまう。夕方からごそごそ動き出す。買い物に行く時間がなかったので晩ご飯はあるもので。オクラとツナのコーングラタン、ミネストローネ、柴漬け。今日も、夜な夜な浸りながらおでんを煮込んだ。楽しい。
9月9日 今日は甲状腺の病院に行く日。今回の先生は3回目。検査結果も丁寧に説明してくれるし、脈も診てくれる。若いのに珍しい。薬は今のままで、次は半年後だそう。今は、電話でお薬だけもらうこともできるみたいなのでそうできたらいいな。あと半年したら産後3ヶ月になってるだなんて信じられないな。正直まだ夢を見ているみたい。お昼どこで食べようかなとぶらぶらしていたら、ドミロンカレーという看板を発見。あ、これはこの間ハニカムさんが行ってたところだわと思って入ってみる。キーマカレーにパクチーをのせてもらう。さつま芋のスープも追加でお願いした。どちらもとても美味しかった。店員さんもお話しやすい人だった。その後、ハニカムブックスへ。本を2冊選び、店主といろいろ話す。ハニカムさんはいつもオープンマインドで面白い。子のための絵本を買おうかと思ったが、まだ怖くて買えなかった。なにもなかったときのほうが、買ってた気もする。その後、jam jamでシフォンケーキとアイスレモンティーを飲み、大丸で買い物をして5時ごろに帰宅。疲れて汗もかいていたので、先にシャワーをした。晩ご飯は昨日仕込んでいたおでんと、RF1のサラダ2種。
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naotam1 · 2 years
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#おはよ #イマソラ 08/02(火) 晴 #日光浴 #日向ぼっこ #玄関前 #セロトニン #30分 #治療 #朝食前 #朝散歩 早朝覚醒 気が散漫、下書き書いて投稿忘れ🤣🤣🤣 まぁよき 今日は酷暑だった 2階建2階南西角部屋は、西日と瓦焼けで 熱中症気味 足攣ったり、トイレ多かったり 水分、塩分補給、忘れずに〜 家で勉強してた #双極 #双極性障害1型 #ラピッド #浜松 #睡眠記録 #fitbit #良い1日を #4日連続軽躁 #医学的には軽躁を抜けた #7日連続すると躁に入る診断も #躁 #躁の診断方法 #頭ぐるぐる #熱中症なのか火照ってるのか躁なのか分からない #ひどい便秘 #便秘薬の頓服漢方少し効いた #気が散漫 #気が散る #でも冴える #根拠がない https://www.instagram.com/p/CgwK46AvAJf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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wkmnbipolar · 3 years
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3年ぶりの鬱
10月の末で仕事をやめ 翌日から眠り続ける
トイレと食事以外眠り続けるのが丸5日
そこからすぐに復活すると思っていたら40日間鬱からの攻撃はやまない 自信が奪われ 意欲 思考 行動が妨げられる 体が重く動作が遅い 忘れてるはずの過去の失敗をどんどん引き出して追い詰めてくる 振り払っても止まない 人と会いたくなくなる 何もとりかかる気にならない むりやり靴の作業をやろうとしてもすぐに疲れる 翌日動けなくてねこむ 音楽 映画 読書 なかなか頭に入ってこない 素通りしてしまう
これは脳内物質のやりとりがうまくいかなくなる脳の機能不全🧠セロトニン ノルアドレナリン ドーパミンがうまくいきわたらなくなると 喜び 快 を感じにくくなるため 判でついたようにこういう状態になる 単極の鬱も双極の鬱も適応障害の鬱もみんな同じ 鬱の手口は知り尽くしていても 八方塞がりになるのはいつも同じ わたしは27歳で躁鬱病と診断された 半年ほど鬱が続いて 初めて部屋の片付けが出来なくなった 仕事にはなんとか行っていたが毎日絶望していて電車に飛び込みたかった 初めて母に連れられ心療内科に行き 鬱と診断された 出された抗うつ剤で躁転 会社を休職して実家で療養 躁がおさまった後深い鬱が��てそれは一年続いてた 躁鬱病とわかるのに4件医者を転々とした 健康な状態なら死ぬことを考えることはあまりないと思う 毎日絶望していてなにもできず いつ浮上できるかわからなければ死ぬ事を考えるのは自然な事だと思う
ある日突然元に戻った その後7年鬱も躁も来なかったけど 忘れた頃にまた鬱は来た  その時は 酒量が増えて 睡眠リズムが乱れていた 鬱の記憶は平時に戻ると封印されるみたいに思い出されない そうじゃないと日常生活を送れないからだと思う もちろんまるっと忘れる訳ではないが、、、 なんで病識を保つのは簡単じゃない 鬱でも躁でもない時期は普通だし病的な感じはない 健康になれば 病院に行きたくなくなる 薬をやめたくもなる もう治ったと思いたい 
これは完治しない 気質だと考えれば結局いつまで経っても潜んでいるもの やりすぎれば動けなくなる 自分で仕事をコントロールできる必要があり そのために靴づくりの修行をしている やり方をどんどん変えていけばいい
予防のために薬を飲み続ける必要があるという事は病院に継続して通う必要がある。引越しや異動で病院や先生が変わってしょーもない先生にあたると行く気を失くす。
自立支援法の手続きをすればこの疾患は1割負担になる。定期的に更新手続をして安定していれば2〜3ヶ月に通院して都度血中濃度を測って 甲状腺や腎臓に異変がないかチェックして   1日2回薬を毎日飲み続ける事はとっくに慣れてはいるけど面倒くさいには変わりない ただ、こういった事はたいした事ではない
困るのは仕事のとき
働くとき、面接を受ける時 学校へ通うときも 殆どの場合病気である事を伏せて その環境に合わせて同化する 最初に言うとまず働けないし合格しない
この その環境の '普通' に合わせようと気配を消す特性も躁鬱病者の気質のひとつだから (消せているかどうか別として)
それでうまくいく場合もあるし 独特の軍隊のようなルールを持つ環境の中に身を置くと途端に疲弊して自分らしさを失ってしまう 窮屈になると鬱が出ると思う 伏せていれば病気はわからない でもある程度負荷がかかったときには当然周囲に言わないと理解も考慮も得られない
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ただ 言うと職を失う危険がある
このバランスは本当に難しい 頻繁に登場人物が変わるような職場は適さないし 適切な相手に正しく情報を伝えるのは簡単じゃない
そしてリテラシーの低い集団というのもたしかにあると思う
軍隊 のリーダーは たいてい知性も想像力もなく 精神疾患を理解できない
ー 心が弱い人がなる自分に無関係のものだと思っていることが多い気がする(これは経験測)
躁鬱病は先天的な脳の機能不全で どちらかというと体質でなりやすい糖尿病のような疾患に近い 血糖値を下げる薬を飲まないと危ないから飲む それと似た ”脳の疾患”であって ”心の疾患”ではない
心ってなんだろうと思う そういった調整を10年以上やってきている自分を心が弱いと思ったことは一度もない
今回はお酒も夜更かしもやめたから大丈夫だと思った まさに軍隊だったし 技術を身に着けるためには仕方がないと 少し疲れ過ぎてしまった
実家で療養して 犬の散歩 祖母の病院の送り迎え 薪割りや家事 仕事の手伝い 少しづつやって 動きすぎたらおつりが来て寝込んで それを繰り返して だんだん回復していく そしてある日突然 呪いが解けたように 普通の状態にもどる 健康でありさえすれば 何の問題もない それで十分 幸せだということ
朝目覚めたとき絶望していない
視界が開けて 呼吸が楽で
身体は軽く 景色がきれい
気圧に左右されない
これさえ忘れずにいられれば なにかを成し遂げても 成し遂げなくても 光を浴びて畑をやって 味噌をつくって 羊か猫を飼い 靴を作り続けて
本当の意味で健康になっていく 健康にしていく それが望みです
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guragura000 · 4 years
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落書きへの尻込み(2020)
以前、物作りへのためらいについて書いたことがある。あの頃確か私は25歳だった。エッセイや鉛筆画を何の気負いもなく書き殴っては、tumblrに載せていた。
私は美大で自惚れをこてんぱんにくじかれたことと、社会生活が全く上手くいかなかったことで、すっかり自信を失っていた。また人を前にすると自分の気持ちを表現できず、本音を飲み込んでしまう悪癖もあった。対人恐怖の症状もひどく、食事処や飲み屋、ショッピングモール等、混雑が予測される場所にはほとんど出向けなかった。
そんな中で創作活動は私の数少ない娯楽であり、逃げ場所だった。心に閉じ込めていた思いを絵にぶちまけた。誰にも言えない過去を文章や漫画にした。空想の世界なら、緊張やパニックに煩わされずどこにでも行けたし、誰とでも恐怖を感じずにお喋りできた。
だから失いたくなかった。創作に本気になって、自分の実力に、周囲の評価に、打ちのめされるのが怖かったのだ。絵を否定されたら何を誇りにすればいいのだろう。この場所を奪われたらどこで息をすればいいのだろう。下手くそでいい、誰にも見てもらえなくたっていいと、半ばひねくれた気持ちで落書きをネットの海にばらまいていた。
けれど誰にも見てもらえなくたっていいという言葉は、半分嘘だった。私はいつか、見つけてもらいたかった。認めてもらいたかった。誰からも文句をつけられないくらい、物凄いものを作りたかった。作品を通じて、本音を、私の一部を、愛してもらいたかった。
二年後。私はとあるゲームのキャラクターにどっぷりハマってしまった。創作物はストーリー重視と公言してきた私にとって、あるまじき事態である。しかしかっこいいんだから仕方ない。
Twitterで彼のファンと繋がり、交流するようになった。ファンの中にはコンスタントに彼の絵を投稿している人もいた。当然、影響される。彼の魅力を余すことなく表現したくなる。自分が、皆が満足するくらいかっこいい彼を描きたい。空想上で輝いている彼を皆で分かち合い、惚れ惚れしたい。
ここで問題が発生した。絵が下手だ。驚くほど人間が描けない。これでは私の好きな彼を分かち合えないし惚れ惚れできない。今まで「下手くそでいいもん」といじけてきたツケが、まさかこんなところで回ってくるとは。
しかもTwitterには化け物のような絵描きがゴロゴロいる。連日RTで素晴らしい絵が回ってくる。最初はかっこいい彼を拝めて満足するばかりであったが、次第に上手い絵を見るのが苦しくなってきた。
SNSは露骨な世界である。作品への評価が数字で可視化されてしまう。光るものがなければハートやRTがもらえない。数字をモチベーションに変えられる人はいいが、なんせ私は自尊心が地を這っているコンプレックスの塊人間だ。そんな奴がいきなり切磋琢磨の世界に飛び込んだらどうなるか。まあ、苦悶する。
上手い絵と自分の絵を比べる。下手くそだ。紛れもなく下手くそ。美大にいた頃から自覚していたけれど、色選びのセンスがない。絵柄が安定しないし、線の太さがバラバラで気持ち悪い。描く度に一人反省会を延々と開催してしまう。苦しい。苦しいよ。でもあの人達みたいに、魅力的な彼を描きたい。ハートやRTがほしい。私のアイデンティティである絵で、認められたい。
私は逃げられなくなった。たかが、ゲームのキャラクターを好きになったくらいで。されど、ゲームのキャラクターを好きになったくらいで。
私はなけなしの貯金をはたいてお絵描きソフトを買った。デッサン人形を買った。ポーズ集を買った。顔の、体の筋肉の仕組みを学んだ。80ページを超える漫画を描いた。コマに出てくる人間はほとんど模写した。丸ペンとGペンを使い分けるようになった。影の、光の色の塗り分けを試した。
取り組みながら何度も潰れそうになった。努力して完成させた絵がその前に描いたものよりも評価されないと、焦燥感が込み上げる。きっと練習が足りないのだ。がむしゃらに次の絵に齧り付く。何度もスランプに陥り、自分の絵が嫌いだと、タイムラインでみっともなく愚痴るしかない時期もあった。
だが結果はついてくるものだ。ハートとRTは徐々に伸びてゆき、ジャンルの人気が上乗せされているものの、目標にしていた1000を超えることができた。次は1万と意気込んでいたが、これには届かなかった。悔しい。
4年経ってその界隈から手を引いた。少しだけTwitterにへばり���いてオリジナルを描いていたが、ジャンル人気の後ろ盾がなくなってからは、私の絵に目をとめてくれる人はガクリと減った。多分それが実力なのだ。私はアカウントを消した。最後の方には、好きで描いているのか、認めてもらいたくて描いているのか、分からなくなっていた。
毎日百通りものデッサンをしながら、技巧を凝らした作品を投稿し続ける人達がいる。彼らは私の何百倍も絵を描いている。美大の同期生はとっくに、同じ苦悶を経験していたのだ。今更そんなことに気がつくなんて。ああ、完敗だ。私は燃え尽きた。画用紙のリングにうなだれ、右手にペンタブ、左手に教本、顔面はボコボコである。まあ自分で殴ったんですけど、勝手に。
25歳の私は絵を仕事にすることを未練がましくも夢見ていた。イラストレーターになりたい。そうでなければ漫画家になりたい⋯⋯。
私の物作りの波は躁鬱の症状に影響されているらしい。飽きっぽい性格なのだと思い込んでいたが、そればかりではなかったようだ。軽躁気味になるとアイディアが湧いてきて、無性に創作活動をしたくなる。生理的なものなのでコントロールが難しい。文章を書いていたと思ったら、今度は音楽をやっている。またある時は絵を描いている、落ち込んだら手が止まる⋯⋯とまあこんな具合だ。作りかけのまま放置してしまった作品がたくさんある。
私は技術的に未熟だ。それに一つの物事に集中して取り組めない。普通に働くことも今は困難だ。でも、まだ夢見ている。夢見ることは自由だから。
燃え尽きたとのたまいながら、しつこくもスケッチブックに絵を描き始めた。オリジナルだ。模写も多い。アナログでペンを使って描くのが面白い。描き込みすぎず余白を残した方が見栄えよく仕上がるが、そのバランスが難しい。26歳の頃と比べると描き方が変わった。資料を集めたり丁寧なタッチを意識したりと、時間をかけて描くようになった。
私はあのキャラクターに出会えてよかった。彼に技術を磨く楽しさを教えてもらった。
私は絵を描くのが好きだ。尻込みして筆を置いても結局のところやめられないのだから、やはり好きなのだと思う。白い画面に向かっていると、時々楽しくて、時々苦しい。非の打ち所のない作品を見て落ち込む日もある。でも、どんな絵にしようか考えながら線を引いている時、私は夢中で幸せなのだ。
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o4ka0 · 3 years
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2021.10.19 8月大山以降〜10月16日陣馬山以前。
「国内で一番好きな場所は?」と聞かれたら間違いなく長野の上高地と答える。交通の不便な場所に位置し季節を選ぶ為、決して気軽に行ける場所ではない。2回行った。1回目は家族で。2回目は親友と。日中はひたすらハイキングをして。夜は温泉に入り星を見て早めに消灯する。静寂が広がる。
今年の8月に友人と神奈川の大山に登山に行った。僕はナイキのスニーカーに父親のお下がりのモンベルのパンツ。化繊の半袖のカットソー、アークテリクスのショルダーバックに。財布携帯水多少の食料を入れて登った。友人は10kgはあるモンベルのリュックを背負って。クラシカルな登山スタイルで登った。大山は単調ではあるがひたすら上りが続くコースで息も上がった。途中で軽装で走りながら降りてくるランナーに出くわした。山頂まで行き友人の顔を見るととても疲れていた。僕はまだ余力があったし帰りは別行動にした。途中であったランナーを真似て僕も走って下山してみた。思いのほか楽で。足の置き場をどこにするか考えながら走ることにとても集中していた。
僕はこの日から常に山に行きたいと思っている。許されるなら毎日行きたいと今は思う。もちろんこの3ヶ月で形成された感情であるが。最初は車がない自分には不利ではないか。となると連れがいる。予定が組めない等と障害があったのだが。その後関東の低山はある程度電車で行けることを知った。丹沢、奥武蔵・秩父、高尾エリア等。次に登山初心者であるがゆえ一人で行くのがやや不安だった。友人や父親を連れて山へ登った。楽しいからと下山時に一緒に走ってもらったり、途中単独行動をしたりしたけれど。大変おこがましいが、もっと早く上りたいし、距離を歩きたい。自分の好きな時に走ったりしたい。大抵みんなは疲れているけれど僕はハイだからもっと話をしたいと思ってしまう。
9月を境に僕の周りで様々な変化が起きた。先週の金曜日も僕は確実に躁状態だし飲み会の次の日の一人登山は危険だと思った。日によっては次の朝まで続く飲み会を友人の事情で早く解散した。ビール2杯とサワー1杯。お酒の弱い自分には十分なお酒の量ではある。そして僕は山では基本人に会いたくないことをここ数回の登山で知っていたから。始発しか選択肢はない。夕方には彼女が長野旅行から帰ってくる。久しぶりに会うから諸々の準備含め遅刻をしたくない。そして今回の登山行程が3つの山の縦走登山(陣馬山〜高尾山)少なく見積もって17キロ、標準タイム6時間55分。トレイルで平均10キロの程度の距離しか経験のない僕には少しハードルが高い気がする。条件はあまりよくないが行きたくてしようがない。「止めてもらえば行かないかも」と。興奮気味であることを伝えていた彼女に連絡をしたが酔っ払っていた僕は「落ち着きを取り戻したので山に行ってきます」というラインをしていて、しっかり荷造りをして10時には布団に入った。そして最悪なことに2時に起きてそこから寝れなかった。3時頃に腹を括って。これは1泊2日登山の練習になる。夜寝れずに歩くことを想定して登ろうと考えた。水をとにかく飲んでアルコールを出して。4時に食事をとり始発で高尾山駅に向かった。高尾山駅から陣馬山の登山口まで30分程度バスで移動した。
天気は曇り、霧が濃くて陣馬山山頂に近づくにつれ先が見えなくなった。トレイルランナーを除いて僕の登山のスタイルは異質なものだと思う。UL(ウルトラライト)と呼ばれるスタイルに登山デビューから最短で行き着いたと思う。さらにいうとあえてカテゴリに自分を当てはめるのであれば、トレイルランニングでもハイキング、登山スタイルではなくファストパッキングに該当するが、それは山遊びをそれなりに経験した人が行き着く場所であるような気がする。開始3ヶ月で、「できるだけ早く、長い距離を歩きたい」という欲望に駆り立てたのは軽装で登った大山での身軽さとトレイルランナーに憧れて下山した経験からだろう。(ULという概念も非常に興味深いがここでは省略する)ホカオネオネのランニングスニーカー、パタゴニアのバギーズに、中厚のメリノのロンT。着替え含めパックウェイト3.2キロ。水食料含め4キロ程度。大柄な男性3人がトレイルランニングの装いで登山していたけど。その人達のペースで僕も登頂した。山での食事も特別楽しみではないし休憩もしたくない(軽装な分常に動き続けることが要求される。)直ぐに次の山へ向かうことにした。あまり地図も確認せず。違うかもしれないがもう少し歩いたら標識があるだろうと山を降った結果道を間違えていて、そこでなんやかんや+5キロ距離が増えた。(直ぐにFBがあるところが面白い。)他のスポーツ同様首を振って周りを見渡す。自然のそれは恐ろしいほどの情報量。ランニングのある一定から起こるアドレナリン等の脳内物質による興奮状態。大袈裟でなく僕は途中発狂した。楽しすぎて一人で話をしていた。結果4時間30分で電車の中にいた。休憩は山小屋で10分おにぎりを2個食べただけで後はずっと歩き続けた。(大半は走っている。)つらつらと感じたことを記録として残す。
友人との登山も楽しいし、特別な人と山で過ごすことも楽しみにしているので誤解して欲しくない。あくまで僕の心の奥底で求めている山に対しての1面でしかない。ただあまりに魅力的で僕は少し怖くなっている。同時にうっとりしている。そして精神的に興奮状態が続いている。落ち着かせる為にもと、文章にした。折坂悠太のきゅびずむが今の自分の心情によくあう。
追記 折坂悠太は天才である。彼のことをまだ知らない時に偶然渋谷のライブハウスでこの曲の演奏を見た。
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kisanebacci · 3 years
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患者会とはナンなのダ全十五章目録 キチガイのキチガイによる キチガイのための精神病患者会とは
⓯項目に整理して書いてみました
精神病患者会を新しく作ることが出来得るのかどうか、応えようと想って書きました。応えるために書ました。今のような世の中で、精神病患者会をドウしたら、ドウしたら新しく作ることが出来るのか、ドウしたら患者会をナントカナントカ残すことが出来得るのか、遺し得るのか、その方法と手立てを、本当に現実的実際的に具体的に提案をするために書きました。それが、真に患者会を遺し残すこととなるからです。だから、自分からお願いして、ココに来ました。実際的な具体策を提案しますので、よろしくお願いいたします。キチガイが生き延びるためには、本当に必要なコトなのです。そのために、以下のように「精神病患者会」のコトを出来うる限りにまとめておきたいと云うトコロから出発致します。
❶患者会の活動(1)>(2)>(3)>(4) (1)内輪の内向き 食事会とレク、最も最も重要な活動 と云うかセーカツそのもの (2)内輪の外向き 身近な身近な自分たちが通っている病院診療所や福祉施設などを監視して文句を言う (3)外輪の内向き お客さんとレクや食事会で交流していく (4)外輪の外向き 国会学会審議会等々での法律反対やら制度政策提言やら
❷患者会の構成A>B>C|D A>B>C|D (A)グループ 精神分裂病圏のなかまたち、クスリもおもく、ビョーキもおもく、クチもおもい、シンドいなかまたち、運営において『絶対的拒否権』的なものを有する (B)グループ 躁鬱病圏躁病鬱病のなかまたち、ゲンキな時もある、クスリも軽い時もある、クチも軽い時がある、字も書ける時もある、予後がヨイ時もある、でも、ひっくり返って何年も出てこれないこともある (C)グループ 精神医含む看護婦看護士含む医療従事者含む作業所などのスタッフ含むケースワーカー職含む精神福祉従事者含む健常者支援者たち 大体は、精神医療従事者、精神福祉従事者だったのだが、 どういうわけだか このところ、法律家や、弁護士の方が支援者として必要だと云う、ケッタイな動きもあるようだ (D)グループ 神経症ノイローゼ不登校引きこもり拒食症AC気味等々の屈折した青年たち、今の世の中ナンデもカンデも『発達障害』と云う言われ方もしているだろうが、キーサン患者会が、前々から言っていたとうりの『健病者』達である (E)グループ アル中等々の依存症のみなさん
A>B>D|C D>B>A|C D>C>B>A
❸患者会の病気(イ)>(ロ)>(ハ) 心因とは、 内因とは、   ❹患者会の歴史 第一次患者会運動の時代 第二次患者会運動の時代 第三次患者会運動の時代は来るのか 前進友の会四〇年史 最初の10年 次の10年、20年 次の10年、30年 次の10年、40年 次の10年、50年にむけて 精神病患者会のタネを 如何に遠くへ更に遠くへもっと遠く 如何に広く更に拡くもっともっと拡く 如何に深く、更に深く、深く深くドコまでも深く撒いておけるか、の闘い。 患者会を『遺し』『残す』最後の努力の時代に突入する
❺患者会が敵対してきた犯人 『見えやすいアクジ犯』とは 『見えにくいアクジ犯』とは 『掏りかえアクジ犯』とは 『無仁義アクジ犯』まで
❻患者会の原則と基盤 精神病院を決して許さないのことが原則一である なかまを決して見捨てないことが原則二である 支えあって生きる生き方そのものが原則三である そのために我々は「群れ」たその「群れ」を患者会と云う原則四である この場を守れこの集まれる場を守ることが基盤一である 地��這いずるようなセーカツと想いが基盤二である 原則と基盤が矛盾することがある 矛盾することをおそれてはならないと想う
❼患者会はナニを目指したのか この黒矢印↓自体をぶち壊したいわけです
❽患者会のシッパイ シッパイ其の壱  患者会を維持するのは、自主独立、自尊自衛、自立自治するのは、結構な手間暇がかかり、時間もかかり、苦労もし、そして、結構な金力と人力と労力と体力と精神力が必要なのであった。 シッパイ其の弐  原則と基盤の矛盾がクルし過ぎた。矛盾のまま、なかまたちの強制入院を患者会が判断してきた。 シッパイ其の参  上記の壱も弐も、それは当然のこととして、自らの加害体験をも見つめることであった。我々は、強制医療の専門職能性の、薬の、法律の、福祉の、そして家族の被害者なのではあるが、また、なかまに対しても、あるいは、家族に対しても、加害者になり得る、そのことからも目をそらさなかった。 
❾内なる差別性 内なる加害者性とも向き合う それが、患者会!!! 自らの加害者性にも、 眼をそむけないものなのです。 さぁいよいよ具体的なハナシとして 前進友の会40年、やすらぎの里作業所30年、我々は実際に生き続け、セーカツし続け、叫び続け、みんなの部屋を維持し続けてきました。その実際を、赤裸々に語ります。どのような質問もお受けします。
❿前進友の会の日々のセーカツとは それはやすらぎの里作業所の日々のセーカツなのか? 患者会が運営主体であるところの作業所とはジッサイに? スタッフ賃金は、ボーナスを、どう決めていますか? 誰が支給しているのですか? スタッフの採用はどう決めていますか? 通所者の工賃は、どう決めていますか?誰が手渡していますか? 患者会と作業所がどう共存していますか? それとも対立していますか? 患者会と作業所とは、違うんですか? 同じなんですか? 電話番号は一緒じゃないですか? 食事会のメニューをどう決めていますか? 誰がつくっていますか? 昼食の部と夕食の部?午前の部午後の部? 誰がレクを決めていますか?どうやって決めていますか? レクの段取りは、誰がドンナ風にしているのですか? お茶の用意は誰がしていますか? お掃除は誰がしていますか? そもそも患者会「前進友の会」は、どのように出来たのですか? そもそも作業所「やすらぎの里共同作業所」は、どのように出来たのですか? ホントのところ、どのように意思決定がなされているのですか? 総会やミーティングは多数決なんですか? ミーティングや総会、会議に参加できないなかまがいたらどうするのですか? ホントのところ、スタッフはどんな立場ですか? 『当事者スタッフ』については、どのような位置づけですか? 作業って、どんなことしてますか?労働なんですか? 『働かない権利』については、どのような位置づけですか?  そもそも『反社会復帰』『働かない権利』とはどういう経緯で、生まれたものですか? 本当にナンの作業もしない、出来ない通所者も居るんですか?  本当のところ、みなさんどんな様子で日々過ごしてますか? 作業所に通所できないなかまはどうしていますか? 例えば、入院しているなかまはどうしていますか? えばっちは、スタッフや理事なんですか? 就職希望者からスタッフを、理事をドウやって決めているんですか?
⓫観察法苦闘記 観察法に引っ掛けられたミスターとその後 保安処分に対する運動のスタイルの違いも含めて 警察署ではドウだったんですか?  弁護士さんやご家族とはドウだったんですか? 鑑定入院中の医師や看護士の対応はドウだったんですか? 警察や鑑定入院中のなかまにドウやって面会したり差し入れしたりするんですか? 観察法審判ってドンなモノだったんですか? なかまが逮捕されたら、まずドンな行動を取ったらいいのですか?    ⓬全国「精神病」者集団的為る在り様と  地を這う患者会キーサン患者会とのチガイ  造反有理か造反無理か? どこがどう対立していたのか?  何が対立点だったのか?  セーカツか運動か? キーサンか活動家か?  叫びか論破か? 集会かレクか? 学習会か食事会か?  身近なモンダイか国会のモンダイか?  キーサンなかまか活動家論客か?  制度政策提言路線かナンデもハンタイか?  国会に行くか入院中のなかまへ差し入れに行くか? 参考人に為るかキーサンに為るか? 当事者スタッフに為るのが功名かキーサンであり続けるのが光明か? 医者が居たら、支援者が居たら、もう患者会とはみなさないのか? それは、活動家的論客的病者運動ボス的当事者の独裁を担保するだけではないのか? 本当にシンドいおもたい精神病者が集まれる場になるのか? オモタいシンドい病者をあの鉄の扉の向こうに置いてきぼりにして、国会参考人や講演や学会の理事に、飛び回ってはいなかったのか? それは、『活動家集団』に過ぎなかったのでは?
 ⓭桜庭章司さんのコト 桜庭さんの事件って?  桜庭さんってドンな方でしたか? 桜庭さんとは、ドンな手紙をやりとりしたんですか? 患者会前進友の会としての交流でしたか? 一人の病者としてのオトシマエと精神病者解放運動と患者会活動と? 復讐としてのオトシマエとしての この桜庭さんの行動を認めるのですか? ⓮えばっちの余りに余りに個人的な体験 ドンな両親やドンな家庭環境や学校生活だったのですか? ドンな地域に生まれたのですか? ドンな仕事をしてきたのですか? ドンなトコでドノように発狂したのですか? ドンな入院セーカツだったのですか?ドンなクスリを飲んでいるのですか? 精神病院入院中にナニがアッタのですか? ドンな病気なのですか? 患者会の活動やカチコミやセーカツの中でドンなコトが、、? 前進友の会に入ったキッカケは?前進友の会は愉しいですか? えばっちにとって前進友の会とは、患者会とは? やすらぎの里作業所の通所者に為ったキッカケは? 生活保護でドンな暮らしをしていますか? 政党セクト宗教団体に入っているんですか?信仰ってアルンですか? 共産主義者唯物論者マルクス主義者、それともアナキストなんですか? 趣味ってアルンですか? 結婚してルンですか?
⓯権力とドウ対抗していくのか?  『き氏』的なるものに抗して  『か氏』的なるものに抗して 『発達障害』的なるものに抗して 『健病者』的なるものに抗して  六箇条極め ①発達障害的な障害観と当事者観の蔓延 ②「病」者集団型制度政策提言国会参考人的活動家ヒアリング参加型発言者論客路線の当然の帰結 ③全精連的全家連的体制翼賛型制度政策提言路線良い子ちゃん型活動家権力媚び売り方針の当然の帰結 ④欧米型ロビー活動、欧米型NGO的活動、欧米型選挙活動への憧れとその蔓延とその劣化型猿真似 ⑤市民運動、労働運動、セクト系等々の活動家の高齢化と引退を巡り、後継者不足と運動のすぼまりを、ついつい、この手のヤツ等に次世代として活動家として託そうとしてシマう流れ ⑥より操縦しやすい活動家を確保しておきたい『権力』側の巧妙な策略。コレまで使っていた、【当事者性看板型翼賛活動家ボス】を【体制権力べったり権力ソノモのロビイスト活動家博士者下っ引き警察売り渡しボス】に置き換えたい。『路線対立した相手を権力に売り渡すことを平然とする真にベンリな��反体制゛活動家の育成とコントロール』が出来るとの自信を持っているんです『権力』は。
 だからこそ、だからこその、『き氏』批判『か氏』批判なんです、、、  ①⑤⑥のキーワードは『養育』と『育成』となんです  ②③④のキーワードは『適正手続』と『第三者機関』に『国家資格』  そして全体を通してのキーワードは  『取り込む側』と『取り込まれる側』が共に【巧妙】になり  『取り込まれたがっている側』が【功名】になったんです  だから『権力の側』も【光明】が見えて小躍りしているわけです おそろしい、オソロシイ、恐ろしい、怖ろしい、、、、、
2017年秋起稿 2019年5月16日 一旦完成稿として 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所  キーサン革命の鬼えばっち  江端一起
えばっちのタンブラー https://kisanebacci.tumblr.com/ 前進友の会やすらぎの里のホームページ http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-index.html えばっちのはてなブログ https://ebacciblog.hatenablog.com/ えばっちのホームページ 乾坤一擲 http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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tkatsumi06j · 7 years
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「強制断種や殺人に精神科医が積極的に関与していたことを知ると、恥と怒りと悲しみでいっぱいになる。謝罪に70年を要したことを悔やむ」 ―『リテラ』
Source: 「 第111回日本精神神経学会学術総会 (大阪2015年6月4日-6日 )『ナチ時代の患者と障害者たち −ドイツ精神医学精神療法神経学会 (DGPPN) 移動展覧会 −より 』」のp.3-5『御挨拶』より転載
ドイツの精神科専門学会とその自らの歴史の見直し
フランク・シュナイダー(Dr. Frank Schneider)
アーヘン(Aachen)
ナチ時代(国家社会主義時代)の精神医学は、精神科の歴史の最も暗い部分です。すでに19世紀末には医師や医療系の政治家たちの間で、「国体」の健全化のために取り得る対策、民族衛生学や優生学について議論がなされています。この事情はドイツでだけではありません。また、精神障害者や知的障害者の断種、不治の病の患者の「安楽死」もすでに懸案事項にされていました。第一次世界大戦中には、施設にいた何千人もの患者が餓死し、なおざりにされて亡くなりました。医師や社会が精神障害や知的障害を持つ人を軽視していることはすでにこの頃からあきらかでした。
ドイツでは国家社会主義政権によって1933年に「遺伝病子孫予防法」が導入されました。統合失調症、躁うつ病、遺伝型のてんかん、ハンチントン舞踏病、盲、聾、重度の身体的奇形、重度のアルコール依存症を病んだ者を、本人が嫌がっても妊娠不能にできるようになりました。この法律によって40万人もの人々が断種されました。1939年からは、治療介護施設で患者の殺害行動が計画されました。ドイツの精神科医たちは実際に患者に会ったこともないのに、その生死を決定したのです。1940年~1941年には、7万人を超える患者たちが病院や施設から連れて来られ、殺戮施設でガスにより窒息死させられました。さらに30以上の小児病棟で、5000人以上の子供や青少年が殺害されました。患者を選別する主導的観点は推定上の人間の「価値」でした。いうところの「価値」は「治癒可能性」、「教化の見込み」、「労働能力」を尺度に判定したのです。
この「安楽死」計画は1941年に終了しましたが、それで患者の苦しみと死が止んだわけでは決してありません。戦争が終わるまで何千人もの患者が介護施設や精神科施設で餓死し、または医薬品を投与されて殺害されました。「安楽死」計画により、全部で30万人にものぼる人々が犠牲になりました。終戦後、多くの医師や患者殺害に加担した人々は、その行為の責任を問われることもなく、あるいは比較的軽い処罰にとどまりました。精神科の専門学会、今日のドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)はこの犯罪に関して随分長い間沈黙を守ってきました。罪を明らかにする試みは早い時期にもありましたが、そのような試みは妨害され、抵抗にあいました。国家社会主義時代のドイツにおける精神医学の歴史が本格的に研究され始めたのは1980年代の初め頃からです。重要な一歩となったのは、展覧会「追悼録In  Memoriam」の開催でした。1999年にハンブルクの世界精神医学会(WPA)で催され、初めて国際的な場で大規模に公開されたのです。
DGPPNはようやく2009年に会則改訂の際に、自らにも特別な責任があることを認めました。その責任とは、自分の前身組織が国家社会主義の犯罪、すなわち大量の患者殺害と強制断種に加担したことから生じたものでした。自らの歴史の見直しは今ではDGPPN内部の中心的なテーマになっています。
2010年の年次総会を皮切りに、毎年多くの行事が国家社会主義時代の精神医学の犠牲者に捧げられました。2010年総会のハイライトのひとつは3000人が参加した追悼式典でした。この式典の中で、ドイツ精神医学が精神疾患や知的障害を持つ人々の殺害、強制断種、倫理に反する研究、精神科の同僚たちの追放に対して責任があることが認められました。当事者や家族が個人的な体験について講演し、多くの人々の一人一人の苦しみと運命が思い起こされ、感銘を与えました。学会の会長はスピーチで追悼式典の背景についてふれ、次の言葉で締めくくりました。
「ドイツ精神医学精神療法神経学会を代表して、犠牲者とそのご家族に対し、みなさまが国家社会主義時代にドイツ精神医学の名の下にドイツの精神科医によって受けた苦しみと不正・不当な行為に対して、またその後に続く時代にドイツ精神医学がかくも長く沈黙を続け、事態を軽視し、抑圧してきたことをお詫び申し上げます」[演説全文]
同じく2010年に、DGPPNは国家社会主義時代の自らの歴史を見直す研究プロジェクトを立ち上げました。さらにDGPPNは国際委員会に研究委託の公募と、科学的な見直し過程での助言を依頼しました。
その他2011年に精神科医フリートリッヒ・マウツおよびフリートリッヒ・パンセの名誉会員資格を剥脱しました。この2名はナチの安楽死プログラムで鑑定人を務めており、第二次世界大戦後には学会の会長に就任し、名誉会員となっていました。
しかし見直しは、これで完了したわけではありません。DGPPNはここ数年の活動に自足することなく、それ以前の何十年もの沈黙を長い時間をかけて克服し、責任を自覚する立場に自らを位置づけたいと考えています。ドイツの医師たちの募金活動によって、数多くの記録を展示する移動展覧会が実現しました。この展覧会の指針となっているのは、生命の価値についての疑問です。さまざまな開催地で、殺戮行為の前提となった思想や制度に取り組みます。展覧会は排斥や強制断種から大量殺戮に至るまでの不正・不当な行為やおぞましい犯罪を総括し、具体的な例を示して被害者、加害者、犯行に関与した者、さまざまな分野の反対論者を考察し、最終的には1945年から今日までこの出来事がどのように扱われてきたかを検証します。ここでは過去の過ちから学ぶだけでなく、自分自身の現在と未来の行動に反映させ、鋭敏な指針とすることが重要です。この展覧会は公の追悼の場では長い間片隅に置かれてきた人々に注目しています。犠牲者とその家族です。ここでは犠牲者と家族が正当に尊重されねばなりません。そのため、展覧会はひとりひとりの人間とその運命を主に扱っています。このテーマは今もアクチュアルです。そのことは、例えば現代の生命倫理を巡る議論と関連づけると容易に理解できます。
国家社会主義の犠牲者追悼の日を機に、移動展覧会は2014年1月27日ドイツ連邦議会でヨアヒム・ガウク連邦大統領の後援のもと開会されました。その日からこれまでの間にドイツ国内やヨーロッパ域内の多くの地域で開催しました。大阪における2015年の学術総会で本展覧会をご紹介できる機会をドイツ精神医学会に与えて下さいましたことに対し、日本精神神経学会(JSPN)に心より感謝申し上げます。
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fby-garden · 7 years
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FRONTIER BACKYARD “THE GARDEN” SPECIAL INTERVIEW Vol.1 BY 鹿野 淳
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9/6にリリースされる4年振りのオリジナルフルアルバム"THE GARDEN" 発売を記念して、ライター鹿野淳氏を迎えたロングインタビューを敢行!!全4回連載企画となっておりますので、皆様発売までお楽しみに!!
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■いきなりですが、このアー写、何故撮ったの? TGMX(Vo&Syn)「ははははははは! これ、軽いですよねえ(笑)」 ■軽いというかこれ、正式なアー写なんでしょ? 福田"TDC"忠章(Dr)「そうです、これがアー写です(笑)」 ■人参とブロッコリーと、それを持つ手しか写ってない写真なんですけど(笑)。これ、人参を持ってるのが福田くんで、ブロッコリー持ってるのが田上くんだよね。平野レミがまた間違った料理作っちゃったみたいになってますけど。 TGMX「ははははは! でもね、ぶっちゃけ言うと――もう俺らもジジイだし、顔出さなくても!って思ったんですよ。顔出したりするよりも『どんな人でもいいじゃねえか!』みたいなね。たまにあるじゃないですか? 変わったアー写でやってる人ととか。だったら、顔を出さずに、こういう写真でもいいんじゃねえかと思ったんですよね。しかも正直な話、ふたりでアー写を撮ると、あんまりバンドっぽく見えないっていうのが大きかったですね。やっぱりバンドに憧れてやってきてますから。できれば、常にふたり以上でいたいっ���いうのはあるんですよ。だから、自分達としては、逃げっつったらおかしいですけど――その上で、今までで一番納得いったアー写です。今までで一番いいアー写だと思いますよ」 ■確かに、こうやって突っ込んでいる時点でこのアー写の罠にハマっている訳で。今回のアルバムの『THE GARDEN』というタイトルとこのアーティスト写真は、結びつきがあるんですか? 言ってみれば家庭菜園みたいなイメージだと思うんだけど。 TGMX「ひとつ、今回のトータルイメージとして『健康で健全な音楽』っていうのがあったんですよ。そこから派生していって、こういう感じになりましたね」 ■その健康で健全な音楽っていうのは、どういう意味合いなんですか? TGMX「漠然としちゃいますけど、たとえば何かを狙ったり、ヒットしそうなものを意図していったり……っていう嫌らしいものではない音楽を作りたかったというか。自分達の根っこにある野菜、みたいなイメージから、健全な音楽という体でやりましたね。嘘がないというか。かといって、今まで嘘をついていたのかと言うと、そうではなくて。ただ、カッコはつけてたので。その点で言うと、今回はカッコもつけてないです(笑)」
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■(笑)福田くんは、今回の健全な音楽っていう『THE GARDEN』に対しては、いかがですか。 福田「ほんとに無理して作ってないので、精神面でも健康的に作れたアルバムだと思いますね。そういう意味でも、いいタイトルだと思います」 TGMX「まあ今ままでも、無理して作ってたっていうとアレですけど、ライヴに合わせて選曲していたところはあったんですよ。だけど、別にライヴに合わせる必要もないんじゃねえの?って思ったところはあって。なんでみんなライヴに合わせるんだろう?って考えたら、それはイコール、ライヴでただ盛り上がりたいからだと思うんですね。ただ、僕らのモード的にはそれが全部じゃないなって。そういう考えに至った背景としては――ギターのKENZI(MASUBUCHI)がバンドを脱退しちゃって、一時期はふたり(TGMXと福田)でバンドを辞めようか?っていうところまで話してたんですよ。…………一時は本当に落ちてたんですよね。そういう時期を乗り越えて今またやれてるんで、だったら心の中でやりたいと思っていたものをやりましょう、っていうモードになっていったんでよ。そういうところから、このアルバムは始まっていきましたね」 ■KENZIくんが脱退してふたりになってから『FUN BOY'S YELL』というミニアルバムを作ってますよね。だけど、あのミニアルバムと比べても、今回の『THE GARDEN』はふたりで作る音楽に振り切ったものになってると思うんですよ。 福田「そうだなあ……前回のミニアルバムは――言い方はアレかもしれないけど、我慢して作った部分も少しあったんですよ。メンバーも抜けて、そこから一気に音楽性も変わっちゃうとアレかな?っていうことを考えて、そこで我慢してた部分はあったんだと思うんです。だけど今回は、その点を我慢せずに『やりたいことをやろう』っていう感じで作れたアルバムだと思うんですよね」 TGMX「ミニアルバムを挟んで今回のアルバムを出すっていうところまでは、元々予定していたんですよ。つまりは、忠章くんが言うように、このフルアルバムでやりたいことを爆発させようっていうことを考えてたんですよね。だからね、第三者のいいかどうかの意見も聞きたくなるところをできるだけ無視して、最初のほうは、ぶっちゃけレーベルのほうにも音はあんまり聴かせなかったんですよ。このふたりだけの問題なのかもなと思って作っていきました」
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■田上くんらしい哲学だね。このインタヴュー記事は4回の連載で出ていくようなので、ストーリー構成は考えたほうがいいなと思って。さっき話に出たKENZIくんの脱退をどういうふうに経てこの作品になったのかということについては、もう少し後に話しましょう。まず、今「ふたりだけの問題」という話もありましたけど、そもそもふたりは高校の同級生なんですよね? TGMX「そうですね。栃木県の鹿沼高校っていうところで。進学校のような、進学校ではないような――まあ、中肉中背くらいの高校でしたね(笑)」 ■その、ふたりが出会った頃の話から聞いていきたいんですけど。 TGMX「うわ、すっげえ前だな(笑)」 福田「(笑)出会ったのは――間に、共通の知人がいたんですよ。その知人と田上が一緒のクラスで、僕だけ違うクラスだったんですよ。で、帰る電車がみんな一緒だったんですよね。それで『凄い面白い人がいるから』って、その知人に言われて紹介されたのが田上だったんです」 ■それは、田上くんの何が面白いっていうことだったの? 音楽? 福田「話が(笑)」 ■はははははははははは! TGMX「もうね、その頃の俺は何もかも盛って、嘘の話ばっかりしてたんですよ(笑)。あ、そういう意味では今と変わんねえか!」 福田「ははははははははは、そうだね」 TGMX「ずっと躁状態だったんじゃないですかね? ……まあ、忠章くんの行ってた中学校は、その周辺でもかなり大きな中学校だったんですよ。 忠章くん の中学校からは鹿沼高校に50人くらい入ってきてたんです。だけど僕の中学からは10人くらいだったから。簡単に言うと、目立ちたかったんですよ!(笑)。負けねえぜ!みたいな」 ■もっと簡単に言うと、寂しかったんだね。 TGMX「(笑)そうだと思います。少しでも支持を得たい!みたいな(笑)。でね、高校に入った時点で、忠章くんがバンドをやっているのは知ってたんですよ。僕もずっとバンドをやりたかったけど、田舎のほうの中学だったからメンバーもいなくやれなくて――だから、忠章くんみたいに中学からバンドやってる人のことは知ってたんですよ。ちょっと上の先輩とかとバンドやったりしてて。当時のホコ天でもライヴやってたもんね?」 福田「いや、ホコ天ではやってないかな? 東京で初めてライヴやったのは……今度なくなっちゃう新宿JAMでしたね。たぶん88年か89年くらいですかね?」 ■原宿ホコ天ブームがちょうど来てた時だ。 福田「そうですそうです。もう、ど真ん中ですね。やってた音楽もビートパンクですね。それも、その頃流行っていたようなモロなもので(笑)」
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■田上くんは、何かやりたい音楽性みたいなものはあったの? TGMX「それよりは、漠然とバンドをやりたかったんですよね。元々は、小学校の時の流行りでデビューしたての頃のチェッカーズが好きだったんですよ。それでバンドも聴くようになっていって、だんだん日本のパンクとかも聴くようになっていって――で、忠章くんのライヴも普通に観に行ってたんです。……もう、めちゃくちゃ羨ましかったですよ。(福田と)一緒にバンドやりたいなあと思ってたし、ドラムも上手かったしね。でも、2個上の派手な先輩と一緒に忠章くんはバンドやってたんで、『あの人には勝てねえな』って思って」 福田「しかも、その先輩は生徒会長だったもんね」 TGMX「生徒会長で派手な金髪っていう、謎の魅力をもった先輩だったよね(笑)」 ■そこから、一緒にやるようになっていったのはどういうプロセスだったの? だって、その時点の福田くんにとって、田上くんはただの面白い人だったんだよね? 福田「まあ、最初はそうっすよね(笑)。でも、音楽に興味がある人だっていうのがわかってからは、仲間に引き入れたいと思ったんですよ。僕も、そんなに音楽の趣味が合う人は多くなかったので。それで、いろいろ自分が知ってるCDとかを田上に貸したりしてましたね」 ■そして帰宅部として音楽を一緒に聴くようになっていったんだね。 TGMX「そうそう。忠章くんが先輩とかから仕入れてきた音楽を教えてもらって。日本でいったらLA-PPISCHとか、THE POGOとかをバーッと聴かせてもらって、そしたらその後はだ���だん洋楽になっていって。たとえばLA-PPISCHがフロントアクトをやってたMANO NEGRAっていうバンド聴いてみない?とか。そこからTHE SPECIALS聴いて、もうちょっと変なスカバンドがいるっつって、FISHBONEを聴いて。もちろんSEX PISTOLSとかTHE CLASHも通りつつでしたけどね」 ■意外でした。別に最初からオーセンティックなスカとかコアなスカが好きだったわけじゃなくて、J-ROCKとかJ-PUNKから、その周辺の音楽を探っていってスカに出会って、それがSCAFULL KINGになったんだ。 TGMX「そうですね、それがSCAFULL KINGの最初の頃でしたね。ああ、そういえば俺トランペット吹けるわ!と思って(笑)。俺、小学校の時に吹奏楽部でちょろっとトランペットはやってたんですよ。で、その時はスカバンド、イコール管楽器みたいなところがあったんで。それを自分の売りにして『忠章くん、バンドやろう!』って言って、東京に出てきたんですけど」 ■KENZIくんも、ふたりの高校の後輩なんでしょ? TGMX「そうですね。同じ高校の後輩です。もうひとり同じ高校の奴がいて、その4人が母体になって、下北沢辺りで組んだのがSCAFULL KINGですね」 ■それで、お互いにバンドで食って行こう!とか、明日の夢を懸けていこう!みたいになったのは90年代に入ってからなの? 福田「うーん。でもまあ、SCAFULLは一回解散してますからね」 ■ん? それは2001年より前にっていうこと? TGMX「そうですね。だいぶ前です」 福田「やって2年くらいの時に、一回解散してるんですよ(笑)」 ■はははははは、解散多過ぎだろ。 TGMX「そうそう(笑)。解散と再結成を繰り返してるっ!!」 ■ストップ&ゴーな人生だね(笑)。早々に解散っていうのは何故だったの? TGMX「まあ、その頃はメンバーもガチッとしてなかったし、就職する人、音楽そんなに……っていう人もいて。今思えば、まだまだ若かったし、解散することもなかったとは思うんですけどね」 ■そこからSCAFULLを経てFBYになっていく上で、田上くんにとって福田くんが今も大事なパートナーになっているのは、スピリッツやスキル、いろんな面で要因があったと思うんですけど。それぞれどういうふうに感じてたんですか。 TGMX「スキルは……元々、ドラム上手だなあ!って感動したところから始まってたので。ああいうドラムで一緒にバンドやってみたいなってずっと思ってましたからね。スピリッツ面では、とにかく音楽が好きで詳しい人だったので。なので、同級生でいながらも、一歩も二歩も進んだ立場というか。すぐにラバーソウル手にしちゃう!みたいな。どこで買ってきたの!みたいな(笑)」 ■はははははは。イケてる人だったんだね。 福田「いや、イケてるってことではないですよ!」 TGMX「だってスキンズみたいなカッコもしてたんですよ? MA-1着て、細いサスペンダーして。あと、モッズみたいなカッコしてた時代もありましたからね。ローファー履いたりして――そういうオシャレなところも含めて、結構憧れてました」 ■福田くんにとっての田上くんは、シンガーとしてだったり、気持ち面ではどういう存在だったんですか。 福田「振り返ってみると……SCAFULL KINGをやる前に、高校の時に遊びで田上とバンドをやったことがあったんですよ。その時から、やってる雰囲気が今と一緒だったんです。声もそうだし、歌ってる雰囲気とか、佇まいもそうで。高校生の時からあの雰囲気を出せるっていうのは、なかなかないじゃないですか。だから、東京出てバンドやろう!って言われた時は、『ああ、一緒にやろうよ!』っていう前のめりな感じでしたね」 TGMX「あ、そうだったんだ。初めて聞きました(笑)。意外ですね。逆だと思ってたんで。でもまあ、そういうふうにSCAFULL KINGは始まっていきましたね」 ■そして、SCAFULL KINGが活動休止し、FBYが始まっていったのはSCAFULLの休止からすぐでしたよね。 TGMX「その当時は――まあ、いろんなことが重なって、SCAFULL KINGをやるのが嫌になっちゃってた部分はあったんですよ。つまんなくなってたというか、飽和しちゃってる感じがあった。たとえば、今ではありがたいことだけど、チケット売ればお客さんがたくさんいたりとか、ライヴでSEがかかった瞬間にお客さんがダイヴしてたりとか。『あれ、今日まだ一曲もやってねえよな?』みたいな(笑)。それが、だんだん気持ち悪く感じていったし、バンドが自分達の手から離れていく感じが凄く嫌だったんです。まあ、それは人気が出てた証拠だったとは思うんですけど。……それで辞めて、いったん地下に潜ろうって思ったんです。身近だった忠章くんくんとKENZIに『顔を出さないでやれるようなものを一緒にやらない?』とか言って。…………曲作るのは好きだったので、スタジオワークでCD作るだけでやっていけないかな?とか、提案して。それがFRONTIER BACKYARDの一番最初だったと思いますね」
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第二回へ続く!!! 次回掲載は8/22公開予定。
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oharash · 5 years
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白砂の花びら
海沿いの俺のまちは、夏も冬も日本海からの潮風に守られている。この日はどういうわけか 普段よりずっと日差しが強く、昨日よりおとといより気温がだいぶ上昇していた。冬にはあおぐろく染まる北陸の空でも夏はそれなりに抜けるような青さを見せる。一種の雰囲気を感じて振りあおいだら、立ち枯れたみたいに生えている電信柱のいただきに、黒くうずくまる猛禽の視線と俺の視線がかちあった。
 海沿いの道は温泉へ向かう車が時折走り抜けるだけで、歩いているのは俺たちだけだった。俺の半歩後ろをついて歩くユウくんはスマートフォンを構えながらあれこれ撮影している。ポロン、ポロンとこの世界に異質なシャッター音が溢れて落ちる。
 バグジャンプのふもとまでたどり着くと、彼は先ほどの猛禽をあおいだ俺みたいに首をまわして仰いだ。
「映像で見るより大きい。ていうか高い。スキーのジャンプ台みたいだね」
 俺の貸したキャップとサングラスが絶妙に似合わない。卵型のユウくんの輪郭にウェリントン型のフレームは似合っているのだけど、ユウくんがかけるとアスリートというより、田舎の海にお忍びでやってきたはいいけれどただならぬ雰囲気を隠そうともしないセレブリティに見える。
 バグジャンプは体育館を改築した旧スケボーパークに隣接している。パークに置きっ放しのブーツと板からユウくんに合うサイズを選んでフィッティングして俺もブーツを履き、板を持って2人でバグジャンプへの階段を登った。
 登り切ると眼下に日本海が広がる。日本も世界もあちこち行ったけれど、俺は今も昔もこの景色を愛している。光をたたえた海は水平線へ行くほど白くて曖昧で、潮風が俺たちの頬を撫でた。ユウくんが歓声をあげてまたシャッターを切る。
 ユウくんの足をボードに固定しでグリップを締めた。いざとなったら抜けるくらいゆるく。アスリートのユウくんは自分の身体感覚に敏感だからかスタンスのチェックは一瞬だった。「まず俺が滑るから見てて。俺はスタンスが逆だけどそこは気にしないで」「トリックやってくれる?」「やんない。ユウくんのお手本だから滑って跳ぶだけ」フェイクの芝の上に板を滑らせる。重心を落として体重を全て板にのせ、軽く弾ませてスタートした。視界がスピードをもって背後に駆け抜けてゆく。軽く踏み切ってそのまま弧を描いてエアクッションに着地した。板を足から外して体を起こし、バグジャンプに取りすがってユウくんに電話をかける。「こんな感じ。ターンとかしないで普通に滑り下りればオッケー。スピードでて怖くなったら力抜いて。体重偏らせる方が危ないから。踏切のときにもどこにも力入れないで。そのまま落っこちる感じでいけば今みたいになるから」「YouTubeで見たのと同じ絵だ! すっごい。俺今北野アヅサの練習見てるよすごくね?」「俺の話きいてる?」「聞いてる聞いてる。体をフラットにして変に力入れないで、姿勢の維持だけしておけばオッケーってこと?」「そう」「りょーかあい」
 ユウくんがバグジャンプのてっぺんで右手を掲げる。スマホを動画撮影に切り替えて俺も手を挙げた。板をしならせて、ユウくんがスイッチした。レギュラースタンス。腰を軽く落��した姿勢はいい具合にリラックスしている。ユウくんの運動神経に間違いはないけれど、万が一ケガがあったらという不安が喉につかえた。俺の心配を茶化すようにその姿はあろうことか一回転してエアクッションに沈んだ。
 「ありえない。回転しくじってケガしたらどうすんの」
「狙ったんじゃないよ。ちょっとひねってみただけ。エアってすごく気持ちいいんだね。横の回転なら慣れてるけど縦の回転はないから、めっちゃ新鮮。空が見えるし楽しいし着地気にしなくていいなんて最高。両足固定されてるのはちょっと怖いけど」
 回転数のあがったユウくんは頰を火照らせて躁気味に笑っていて、まばたきが減って口数が多くなってるのが余計に危うい。教えてくれというので絶対に無茶はしないことを約束させて、基本の滑りにもう少し解説を加え、簡単なトリックをひとつレクチャーした。もともと体ができていることもあるしユウくんの身体と脳は笹の葉のように研ぎ澄まされていて、俺の言葉の通りに体を操っていく。終いにはタブレットでお互いの滑りを録画し、「ここ、ユウくんは左に落としたいんだろうけど下半身がついてってない」だとか「アヅはこのときどこを起点に体を引いてるの?」だとか結構真面目にやってしまった。休憩のたびにユウくんは海へ体を向けて「船」だの「カップル」だの「カモメ…ウミネコ? 」だの、言葉を覚えたての子どもが看板を読みたがるように単語を頭の中から取り出して眺めていた。「ジャンプやばい。やればやるほど考えたくなってやばいやつ。ね、夕ご飯の前に海行こ」とユウくんから言い出した。
   行く、と言ってもバグジャンプを降りて道路を横切り防波堤を越えればもう砂浜だ。ボードを片付けて、軽くなった足でアスファルトを踏む。防波堤の上に登るとユウくんはまた海の写真を撮り出したので、その足元にビーサンを並べてやる。俺も自分のスニーカーを脱いでビニールに入れ、バックパックにしまう。
 やや遠くから犬を散歩するじいさんがこちらへ歩いてくるくらいで、ここは遊泳区域でもないので先客はいなかった。ユウくんは「砂浜やばい、何年振り」だの「ここ走ったら体幹鍛えられそう」だの「日本海は綺麗だって聞いてたけど本当だね。うちの県の海水浴場は海藻ばっかりだよ」だの俺の相槌も必要とせず軽やかに波打ち際へと歩いて行った。
 波に脚を浸したユウくんの半歩後ろにたつ。そのまっすぐ伸びたかかとのうしろで、黒や茶色の細かい砂利が水のふるいにかけられて一瞬まとまり、また瓦解していく。そこには時折海藻だとか丸まったガラスの破片だとか、たよりなくひらひらと翻る桜貝だとかが浮かんでは消え、俺はなんとなくユウくんの白いかかとその様を眺めていた。
     ユウくんは「俺札幌雪まつりやる」と言い出し、それはどうやら砂で何かを造ることだったようで、黙々と建造を始めた。俺はごろんと横になって脚をのばし、自然と目に入ってきたユウくんの、キリンの子どもみたいに野生的な首筋についた砂つぶを眺めていると、風にあおられたその粒がハラハラと飛び散って俺の目に入った。ユウくんの向こうでは空が乳白色になるポイントと遠浅の海の水平線が交わりハレーションを起こしている。
 キャップをかぶせているとはいえユウくんを長時間砂浜で太陽光にさらすのはよくないだろう。日焼け止めはバックパックの中に入っているけれど…そう思いながら目をしばたいているうちに意識が遠のいていく。次に目に入ったのは呪いの像みたいな謎のオブジェだった。「…それって」「どう? 自由の女神」「ゲームにとかに出てきそう。調べると誰かの遺書とかみつかるやつ」「アヅひっど。辛辣。砂と海水だけで作るの難しいね。ねえ、どこかの国にね、砂の像の本格的な大会があるんだって。砂と海水だけで最低でも高さ1m以上のものを作るの。砂浜一面にたくさん城だとかオブジェだとかが作られるんだけど、どれも満ち潮になると流されちゃうから、その日だけ。ヨーロッパっぽくないよね。その侘び寂び精神って日本っぽくない?」「侘び寂び精神?」「ほら日本人って桜が好きでしょ。すぐ散っちゃうハカナサ的なもの込みで。何かそういうこと」
 ユウくんはスタイルの悪い自由の女神の頭部を指先で整える。俺たちの一身先まで波がきてまた引いていった。ここも満潮時には水がやってきて、その呪いの女神像も今夜には海に還る。
 大学生になって夏休みの長さに驚いた。中高をほとんど行けてなかった俺にとって、夏休みは授業の進行を気にしなくていい気楽な期間だった。それにしたって大学の夏休みは長い。俺は授業があろうがなかろうが練習漬けの毎日だが、この2ヶ月という期間を世の大学生は一体何に使うのだろう。
 大学一年生の冬、2度目のオリンピックに出てからメディアからのオファーが目に見えて増えた。俺自身も思うところがあって露出を増やすことにした。15歳のときもメダルひとつで世界が変わったけど、あのときはそれでも中学生だったからか(すぐ高校生になったけど)競技の注目度の低さからか今考えれば優しいものだった。夏季オリンピックへの挑戦を表明してからは練習練習練習スポンサー仕事練習練習といった毎日だ。調整のために海外にいる日も少なくない。
    だからこの2日間だけが、きっと本当の夏休みになる。
    俺も俺で慌ただしかったが、そのパブリックな動き全てがニューストピックスになるユウくんのそれは俺の比ではなかった。シーズンが終わっても出身地にモニュメントが造られたりタイアップの観光案内が造られたり、国内のショーに彼が出演すると報じられた瞬間チケットの競争率がはね上がったり。そんな彼がスカイプで「夏休みをやりたい」と言い出したときは、いつもの気まぐれだろうと俺は生返事をした。しかしそれはなかなか本気だったようで「海行ったり花火したりする‘ぼくの夏休み’的なのやりたい。田んぼに囲まれた田舎のおばあちゃんちで過ごすみたいなワンダーランド感をアヅとやりたい」と彼は食い下がった。
「俺と? ユウくんのじいちゃんばあちゃん家ってどこにあるの?」
「うちの実家の近所。長閑な田舎感ゼロ」
 成人男子の頭をふたつ持ち寄ってしばし考えたものの、俺たちは家族旅行の記憶もまともにない。物心ついた頃から休日は練習だし、旅行=遠征だ。「国内がいいな。海…沖縄?」「このハイシーズンにユウくんが沖縄行ったりしたらめっちゃ目立たない?」「うううん、目立つのは仕方ないけどアヅとゆっくり過ごせないのはやだな…じゃあ何かマイナーなところ」そんな場所が即座に出てくるような経験はお互いにない。だからしばらくお互いスマホをつついてるうちに俺が「海と田んぼあって田舎で特に観光地でもない、ウチの地元みたいな場所っしょ。何もないところって探すの逆に大変なんだね」と口を滑らせたのは特に他意のないことだった。
「アヅの地元‼︎ 行きたい、スケートパークとかあのバグジャンプとか見たい。日本海って俺、ちゃんと見たことない。アヅの家見てみたい」と食い気味に言われて面食らったものの悪い気はしなかった。知らない土地に行くより気安いし何よりうちの地元には人がいない。両親は友人を連れていくことにはふたつ返事だったが、それがユウくんであることには絶句し、地味に続いている友人関係だと告げるとやや呆れていた。でもそんなの普通だろう。だって高校生を過ぎて、友人のことを逐一両親に話す必要なんてない。ユウくんがただの同級生だったらそんなこと言わないっしょ、と胸に芽生えたささやかな反発はそれでも、訓練された諦めによってすぐに摘み取られた。
 砂の上に起き上がり砂をさらっていくつか貝を拾い、謎の像を写真に収めているユウくんに声をかける。「そろそろ晩メシだから帰ろ」夏の太陽はそれでも夕暮れにはほど遠く、西に傾いた太陽の、ささやかに黄色い光がものがなしい。振り返ったユウくんの顔はなぜか泣きそうに見えた。その頰は午後5時の光線の中でもはっきりわかるくらい白くて、まるで俺が拾った桜貝の内側のようだった。彼の唇がちいさく動いたけれど、波の音に消されて何も聞こえない。かりにユウくんの目から涙がこぼれていたとして、そしてそれが流れる音がしても、波の音にかき消されてしまうだろう。「疲れたっしょ。車持ってくるから待ってて」。踵を返そうとしたらTシャツの裾を掴まれた。俺はユウくんの白い手を包んでゆっくりほぐした。「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
 スケートパークの駐車場からラングラーを出し、国道へゆっくりと出る。ユウくんが防波堤の上で所在なさげに棒立ちになっているのが見えた。  
   まず落ちたのは母親だった。ユウくんがメディアで見せるような完璧な笑顔と言葉づかいで挨拶しスポンサードされている化粧品メーカーの新作を渡す頃には、母の瞳は目尻は別人のように下がっていた。そこには緊張も俺たち兄弟に向けるようなぶっきらぼうさも消え失せ、俺たちにとってはいっそ居心地の悪いほどの幸福が溢れていた。さすが王子様。さすが経済効果ウン億の男。さすがおばさまキラー。夕食が始まる頃には遠巻きに見ていた弟も積極的に絡み出し、ヤベエとパネエを連発していた。野心家なところがある父が酔って政治的な話題を持ち出さないかだけが心配だったが、父はあくまで俺の友人として接することに決めたようだ。ユウくんの完璧な笑顔、お手本のような言葉に少しだけ負けん気を混ぜる受け答え、しっかり躾けられた人の優雅な食事作法。兄は居心地が悪そうに俺の隣でメシを食っていた。俺と兄だけは今、心を連帯している。スノボをとったら芯からマイルドヤンキーな俺たちと、歯の浮くような爽やかさを恥ともしないユウくんではあまりに文化が違う。いつも感じている座りの悪さがむくむくと膨らむ中、母が産直で買ってきたであろうノドグロの刺身と名残のウニだけが美味かった。
 風呂上がりには念入りにストレッチをした。俺の部屋では狭いので居間でふたりで体をほぐす。ユウくんの体はゴムでできているように関節の可動域が広く、股割りを始めたときは思わず感嘆の声をあげた。俺もケガ防止に体は柔らかくしている方だが到底叶わない。いくつかペアストレッチをしてお互いの筋肉を触る。「アヅすんごい鍛えてるね。腹筋は前から板チョコだったけど大胸筋と下腿三頭筋ヤバい。何してるの?」「体幹メインだからそんなに意識してないけど…直で効いてるのはクリフハンガー。後で動画見よ」「もっと筋肉つける予定?」「んん、もう少し空中姿勢作りたいから、体幹は欲しいかな」「アヅがこれ以上かっこよくなったら俺どうしたらいいの…POPYEの表紙とかヤバイじゃん。ユニクロであれだけ格好いいとか何なの。あっ俺、明日は新しいスケートパーク行きたい」「マジ? ユウくんにスケボーとかさせれらないんだけど。怖くて」「うんやんなくてもいい。アヅが練習してるの見たい」ユウくんの幹のような太ももを抑えながら、俺は手のひらで彼の肩をぐっと押した。
   両親はユウくんをエアコンのある客間に通すように俺に言ったけれど「コンセプトは夏休みに友達んち、だから」と言って俺は自室に布団を運んだ。六畳の俺の部屋は俺が大学の寮へ移ってからもそのままにされている。どれだけモノを寄せてもふたり分の布団を敷けばもうスペースはない。ユウくんは俺の本棚の背表紙を指でなぞりながら「教科書とスノボ雑誌以外なんもねえ」と楽しそうにしている。さっき風呂から出たばかりなのにもう肘の内側や膝の裏が汗ばんでいて、ないよりはマシだろうと扇風機をまわした。「もう寝る?」「んん、寝ないけど電気消す」窓を開けて網戸を閉め、コードを引っ張って電気を消した。カエルの鳴き声が窓の外、群青色の彼方から夜をたなびかせてくる。それは記憶にあるよりずっと近く、耳の奥で遠く響いた。
 ユウくんは行儀よく布団に収まって俺の側に寝返りをうった。「自由の女神像、流されたかな」「多分ね。見に行く?」「あっそういうのもいいね。夜に��っそり家抜け出して海行くとか最高。でもいいや、そういう夢だけでいい」指の長い手のひらが、探るように俺の布団に潜り込んでくる。俺の指をつまむようにして指を絡めた。
「…何もしないのって思ってるでしょう」「うん」「今日は何もしないよ。ここはアヅの家だから。セックスして翌朝親御さんの前で息子やってるアヅも見てみたいけど、我慢する」ユウくんはいつもそうやって自分をあえて露悪的に見せる。思ったことだけ言えばいいのに、と心がざらついた。
「どうだった、うちの地元」
「うん、最高。アヅと歩いて、バグジャンプ見ただけじゃなくて跳べて、海で遊べたんだよ。こんな夏休み初めてだよ。バグジャンプからの眺め最高だった。一生忘れない」
「大げさ…」
 ユウくんの目はほとんど水分でできてるみたい���、夜の微かな光を集めてきらめいていた。その目がゆっくりと閉じられるのをずっと見ていた。指先にぬるい体温を感じながら。
   率直にいって覚えていないのだ。その夜、本当に何もなかったのか。
  眠りの浅い俺が微かな身じろぎを感じて起きると、ユウくんが窓辺にもたれていた。布団の上に起き上がって片膝をたてて窓枠に頰を押しつけるようにして、網戸の外へ視線を向けている。俺の貸した襟のゆるくなったTシャツから長い首と鎖骨が覗いていて、それが浮かび上がるように白い。
 扇風機のタイマーは切れていて夜風が俺の頰を心地よく撫でた。俺の部屋は二階。窓の外では田んぼが闇に沈んでいる。目が慣れてくるとそのはるか先に広がる山裾がぽっかりと口を開けるように黒く広がっていた。ユウくんの膝と壁の微かな隙間から細かな花弁を広げてガーベラみたいな花が咲いている。彼の足元から音も立てずシダが伸びていく。教育番組で見る高速再生みたいに、生き物として鎌首をもたげて。ユウくんは微動だにしない。名前のわからない背の高い花がもうひとつ、ユウくんの肩のあたりで花弁を広げた。
 海の底に沈んだみたいに静かで、どの植物も闇の奥で色もわからないのに、そこには生々しい熱が満ち満ちている。
  布団の上を這って脱力しているユウくんの左手の人差し指と中指、薬指を握った。ねっとりした感触に少し安堵する。
「アヅごめんね。起こしちゃったね」
 ユウくんは首だけを俺に向けて囁いた。
 背の低い葦がユウくんの膝を覆う。ずっと気づいていた。右足首の治りが芳しくないこと、それに引きづられるようにユウくんが心身のバランスを大きく欠いていること。
「ねえ、春からずっと考えてるんだ。今まで俺強かったの、俺が完璧に滑れば誰も叶わなかった。でもそうじゃない潮の流れがきちゃった。アヅ、日本選手権の前にテレビで‘誰でも何歳でもチャレンジはできる’って言ってたでしょう。あれ聞いて俺すごいどうしようもない気持ちになったんだよね。腹立てたり嫉妬したりした。お前まだ二十歳じゃん、俺も二十歳だったら、って。アヅとスカイプするたびに思い出しちゃって、一時期ちょっとダメだった。でもアヅに連絡しちゃうし、そういうのって考えるだけ無駄だし、もちろんアヅも悪くないし。なんか今までは細かいことに迷うことはあっても大きなベクトルを見失うことってなかったんだよね。世界選手権2連覇するとかそういうの。でも今わかんない。引退もしたくないけどどんどん前に行くガソリンみたいなのがない。スケート以外も何もやる気おきない。ゲームも立ち上げるの面倒くさいし音楽も聞きたくない。でもこういうことって最後は自分で何とかすることだから誰に言っても仕方ないし、自分の中で消化するしかないんだけど。アヅはどんどん先行っちゃうし。それがすごいカッコイイし。好きだけど嫌い。でも俺にとって世界で一番カッコイイのアヅだな。アヅみたいに必要なこと以外は喋らないでいたいな。アヅの隣にいるのすごい誇らしい。これ俺のカレシーって皆に言いたいくらい。それが言えないのもすごい嫌だし。何かもう何もかも」
  感情の揺れるままにユウくんは喋り、彼の語彙の海に引きずり込まれる。その偏りというか極端さというか、きっとこれが海水なら濃度が濃すぎて生き物は死んでしまうし、雪山だというのなら環境が過酷すぎて大した植物は育たない、そういったものに窒息しそうになった。俺たちの語彙や世界は圧倒的に貧しくて何も生きていけない。そこには美しさだってカケラもない。「よくわかんない。死にたくないけど、いなくなりたい」
 幾重にも重なるカエルの声。降り注ぐような虫の声。こんなにもたくさんの生き物が泣き喚いているのに、そしてこのやかましくて力強い音楽が月明かりに照らされ満ち溢れている世界で、それでも虚しさしか感じられないユウくんが哀れだった。誰も見向きもしないやせ細った貧弱な空虚を大切に抱えているユウくんが。
  ユウくんの背後に虚無が立ち彼の肩をさすっていた。けれどそはユウくんとほぼイコールの存在で、彼にとっては他人に損なわせてはいけない自らの一部だった。それは誰にも意味付けられたり否定されたり肯定されるべきではない。
 勝ち続ける、他者より秀でる、新しい技術を得る。けれど俺たちの誰も等しく人間であるので、それには自分の体を損なう危険が常に伴う。けれど誰にもう十分頑張った、と言われても表彰台の一番上が欲しいのだ。
 そして自分の体が重くなってゆくこと、誰かが自分より圧倒的に秀でるであろう予感を一番先に感じるのも、自分自身だ。
 ユウくんは空いている右手でなく、俺とつないでいる左手をそのまま持ち上げて頰をこすった。子どもじみた仕草で。
 ユウくんは孤独な惑星の住人で俺はその惑星のディテールの何一つもわからない。ただ俺もただひとりで惑星に佇んでいるという一点だけで、俺と彼は繋がっていた。
「アヅ、キスしたいな」
 繋いだ手はそのままに、俺は体を起こして膝でユウくんを包む葦とシダに分け入った。草いきれの中でユウくんのうなじを掴んでキスをする。最初は触るだけ、次はユウくんの薄い舌が俺の唇を舐めた。そのままゆっくりと歯を探られればやがて頭の芯が痺れてゆく。ユウくんの唾液はぬるくて少し甘い。音をたてないように静かにキスをしながら、指に力を込めた。これだけが本当だと伝わりはしないだろうか。
 こんなキスをしたらもう後戻りできない。俺の足に蔦が絡みつく。空虚が鳴る。胸を刺されるような哀れで悲しい音だった。
 次に目を冷ますと空が白んでいた。寝返りを打つうちにユウくんの後ろ髪に顔を突っ込んでいたらしく、それは麦わら帽子みたいな懐かしくて悲しい香りがした。スマホを引き寄せて時計を見ると4時半。ユウくんの肩は規則正しく上下している。そこは正しく俺の部屋で、布団とテレビと本棚、積まれた衣装ケースがあるいつもの光景だった。ユウくんの足元に追いやられていたタオルケットを引き上げて肩までかけてやった。
 首を傾けて窓の外を見る。抜けるような晴天にほんの少し雲がたなびいていた。手付かずの夏休み、2日目。俺はユウくんの腹に手をまわして目を閉じた。
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正しく働かない脳
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2019年2月 号
2019年(平成31年)2月9日
第154回アミュゼ柏相談会資料
正しく働かない脳
統合失調症(schizophrenia)
 1.陽性症状
 妄想(被害関係妄想、注察妄想、追跡妄想、被毒妄想)や、幻覚(幻聴、幻視)などです。
 たとえば、第三者同士が本人を観察し詮索しあっているという対話形式の幻聴、患者の挙動にいちいち口をはさむ幻聴、患者に話しかける幻聴。話しかけに対する患者の応答反応は、独語、空笑いのように観察されます。
 させられ体験(操られるままに考え行動してしまい、これに抵抗することが出来ない)、思考察知(自分の考えが相手に知られている)、思考伝搬(自分の考えが世間に知れ渡っている)、思考吹入(思考を吹き込まれる)、思考奪取(考えを抜き取られる)などがあります。また、思考のまとまりが悪くなり、極端な場合は、支離滅裂な思考、非論理的呪術的な思考となります。
 感情の面では、「打てば響く」ような共感が無くなり、これは疎通性障害と呼ばれます。そこから生ずる独特の冷淡なよそよそしさ、いわゆる統合失調症らしさが、患者の印象全体を覆っていきます。感情の鈍麻や浅薄化、状況にそぐわない不自然な感情の動きなどです。
 緊張病症状というものもあります。緊張病性の興奮と昏迷の両極端が時間的に劇的に交代して現れるものです。意志発動の亢進、及び低下の現れと考えられる。
 このように、統合失調��では、精神機能の様々な面で、現実世界や他者との生きた接触が損なわれていきます。ミンコフスキーE.Minkowskiは、これを「現実との生ける接触の喪失」と表現しました。ウジューヌ・ミンコフスキー(Eugene Minkowski):1885年、ロシア、サンクトペテルブルグ生まれ、ポーランド系ユダヤ人の両親を持つ。20世紀にフランスで活躍した精神科医。著書、”精神分裂病”で著名。
 2.陰性症状
 陰性症状は正常な精神機能が減弱欠如してしまうもので、感情の鈍麻、平板化、意欲と自発性の欠如、会話の貧困、寡動、社会的ひきこもりなどです。
 
 うつ病(depression)
 うつ病は、次のような症状が特徴的です。
必須①抑うつ気分。毎日一日中、気分の落ち込みが2週間以上続く。
必須②興味・喜びの喪失。毎日一日中、何事にも興味が持てず、楽しいはずのことが楽しめない。このような状態が2週間以上続く。
③2週間以上、よく眠れていない。
④食欲が落ちて体重が減少する。(逆に、食欲が亢進して体重が増加する。)
⑤疲れやすい。ほんの少し働いただけで、2日間ぐらい寝込む。
⑥自責感。自分は駄目な人間だ、皆なに迷惑をかけているなど自分を責める。
⑦思考力、集中力の低下。いつもは普通に決められる事が決められない。
⑧生きていてもしかたがないと思う。
⑨動作が緩慢。動きや反応が遅くなる。
精神科医 加藤忠史さんはうつ病診断基準を次のように述べています(参考文献(1))。
1.『必須①、必須②のうち、どちらかが必ずある』
2.『必須①から⑨迄のうち、5項目以上該当する』
3.『これら症状が毎日一日中、2週間以上にわたって続く』
これら三条件が当てはまる場合、うつ病と診断されます。あなたは如何ですか?
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第1図 不安障害、うつ病、双極性障害、統合失調症、境界性パーソナリティ障害、発達障害の概念図
  数あるパーソナリティ障害を代表して、境界性パーソナリティ障害を示しています。 
  双極性障害(bipolar disorder)
 双極性障害は、以前は躁うつ病と言われていました。躁状態(ないし軽躁状態)と、うつ状態の組み合わせを1サイクルとし、生涯これを何回も繰り返す病気です。
 躁状態:気分が病的に高揚して、ハイテンションになった状態。しばしば睡眠さえ取らず活発に活動して、楽しいことに熱中します。爽快な気分で新しい発想が次々と湧いてくる。意欲が亢進する。また反面、注意散漫で仕事の完成が困難となる。高圧的で落ち着きが無く、不機嫌で怒りっぽい、一度起こりだすと手がつけられないほど激昂します。
 また、冷静な判断力が失われ、過度の浪費をしてしまう。他人への攻撃性が増して、時に職場や家庭での人間関係に破滅的トラブルを来します。
 重症になると興奮して反社会的行為に至る事もあります。
 こうした状態が1週間以上続く場合、躁状態の疑いが強くあります。
 軽躁状態:躁状態と同様の症状が現れますが、症状が比較的軽く、職場や家庭での人間関係を破滅させるほどではない状態。時には仕事の能率が上がり、周囲の人を感心させる事もあります。周囲の人が本人の軽躁状態に気づかない場合もあります。こうした状態が4日以上続くと軽躁状態と言えます。
   双極性障害には、Ⅰ型とⅡ型があります。
双極性障害Ⅰ型:強度の強いはっきりとした躁状態とうつ状態を1サイクルとして、周期2年間程度で繰り返すタイプ。
双極性障害Ⅱ型:軽躁状態とうつ状態を1サイクルとして、周期1年間以下で繰り返すタイプ。特定の季節になると、軽躁とうつの転換が起こりやすい。Ⅱ型の場合、本人も周囲も軽躁状態に気づかずに、うつ状態のみが目立って、うつ病と誤診されるおそれがあります。双極性障害の薬とうつ病の薬は異なるので、誤診されてうつ病の薬を飲み続けると、双極性障害が遷延化しますから気をつけなければいけません。
 自殺の危険性:双極性障害のうつ状態では、患者の自殺のリスクが高まると言われています。躁状態から回復した後に、躁状態の時の行動を後悔し、うつ状態の時にそれを苦にして自殺念慮が高まるからです。周囲の人の配慮が大切です。
 神経症(neurosis)
 神経症(近年は不安障害という)は、過度の不安、ヒステリー症状、恐怖症、強迫症状、抑うつ状態などを示す障害であり、そこには明らかな身体の病気は見られず、また、統合失調症のような妄想・幻覚なども無い精神疾患です。神経症には、以下に述べるように様々の病態があります。
1.パニック障害(急性不安障害)
 パニック障害は、激しい動悸、胸痛、窒息感などの症状が予期できない形で突然発生します。発作は数分~数10分で治まりますが、このような発作が何回も繰り返して起こります。発作が起こる背景には、疲労の蓄積、睡眠不足、不規則な生活などがあります。発作を抑えるのに、抗不安薬や抗うつ薬(三環系、SSRI)が有効とされています。
 2.全般性不安障害(慢性不安障害)
 周囲の状況とは関係なく、主観的不安感が毎日のように持続する症状を言います。例:自分や家族が病気や事故に遭うのではないか、失業するのではないか等。同時に、発汗、動悸、振戦、緊張性頭痛等を伴います。女性に多いとされます。
3.恐怖症
 恐怖症は、現実には何の危険も無い対象・状況に対して、強い恐怖感を抱く精神疾患です。恐怖に伴う身体症状として、心悸亢進、発汗、吐きけ、振戦、失神があります。恐怖症では、恐怖の元となる対象や状況を避けようとする回避行動が起こり、社会生活を円滑に営む事が出来なくなります。又、しばしば強迫行為を伴います(例:不潔恐怖による洗浄強迫)。恐怖症には、次の三つがあります。
 (1)広場恐怖(agoraphobia)
 広場恐怖は、文字通りの広場ではなく、何かあった場合に助けを求められない場所や状況に対する恐怖です(例:乗り物の中、閉所空間、人混みの雑踏等)
 (2)社会恐怖(social phobia)
 社会的・社交的状況、特に比較的少人数の集団内で、注目される事に対する怖れが中核をなし、そのような状況を回避する結果、学業や職業の機能が低下してしまいます。その要因として、自己評価の低さ、周りの人の自分に対する批判に対する怖れが関連しています。赤面、尿意頻回、視線恐怖、対人恐怖等が起こります。
 (3)特定の対象・状況に対する恐怖
 特定の生きもの(蛇、蜘蛛、昆虫、鳥、蛙等)、特定の状況(雷、飛行、暗闇、高所、公衆便所での排便排尿、特定の食物、血・傷害の目撃、エイズなどの罹患、自然災害のニュースに接すること)、によって生ずる恐怖。特定の対象・状況に対する恐怖は、恐怖症の中で一番多いです。
 4.強迫性障害(obsessive-compulsive disorder)
 強迫とは、ある観念や衝動が、自分の意志に反して執拗に意識に上り、それをばかばかしいと思いながらも止める事が出来ない、そして、これらを敢えて抑えようとすると、かえって強い不安が起こる、という一連の流れを指します。強迫行為は、強迫観念を打ち消し無害化するために行われます。
 (1)不潔・汚染の強迫観念、これを打ち消す為の洗浄が強迫行為。たとえばドアのノブに触ったら手を洗われずにいられない。
 (2)安全確認行為。ガス栓を閉め忘れたのではないか。玄関の鍵を染め忘れたのではないか、と何度も何度も確認する強迫行為。
 (3)行為の儀式化
 生活上の行為を自分が決めた手順の通りに行わないと不安になる。例:手順通りに食事をする、外出する際、洋服を着る、靴を履く、手順通りにしないと最初からやり直すなど。
 (4)性的に卑猥な言葉、相手に対する攻撃的な言葉などが反復して頭に浮かぶ。
  強迫性障害には薬が有効です。抗うつ薬(三環系のクロミプラミン、SSRI)が効きます。
 5.ストレス障害
(1)適応障害(adjustment disorder)
 適応障害は、ストレス因子に反応して3ヶ月以内に、情緒、行動の面に症状が現れ、社会的機能が失われるものを言います。ストレス因子は、若年者では学校の問題、親の不和・離婚、成人では結婚、離婚、引っ越し、経済問題、職場の問題等。国際的問題としては、迫害、移住、亡命、難民化等。主たる症状は、抑うつ、不安、行動の障害が、生活に伴います。ストレス因子が除去されると、6ヶ月以内に症状は消えていきます。
 (2)外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder,PTSD)
 日常生活の範囲を超えた異常な事態、戦争、自然災害、火災、交通事故、暴力、強姦など、生命の安全が脅かされた場合、人は誰でも非常に強い感情を伴うストレスを受けて精神的に病的な状態に陥ります。これを外傷後ストレス障害(PTSD)と言います。従軍兵士が戦場から帰国後、重篤な精神症状を示すことは、戦争神経症としてよく知られていました。
  PTSDの典型的な症状として、以下のものがあります。
(イ)夢の中、あるいは覚醒時に外傷体験を再体験する。
(ロ)外傷体験を想起させる事柄を何時も避ける。
(ハ)睡眠障害、怒りやすい、驚愕反応。
 6.転換性障害(conversion disorder)
 転換性障害は以前、ヒステリーと言われていました。随意運動機能の異常を起こすもので、失立(立つことが出来ない)、失歩(歩くことが出来ない)、失声(声が出ない)、チック(突発的、無目的、不随意(ふずいい)に急速な運動や発声が起きるもの。子どもに多く、まばたき、首振り、顔しかめ等)等が起こります。
また、感覚機能の異常(知覚脱失、疼痛など)がありながら、原因となる身体疾患が見あたらない場合があります。発症の原因として、心理的葛藤、ストレス因が関与しています。
 解決不能の事態に対する葛藤から生じる不快な感情が、身体症状化したものと考えられています。身体の麻痺、視覚障害、無言状態などが、転換症状として良く見られます。
 7.解離性障害(dissociative disorder)
 解離性障害は、身体に器質的な異常が無いのに、意識や同一性の障害が起こります。
解離性健忘:心的外傷となる様な出来事に遭遇して、その後、その出来事を想起できなくなること。
解離性同一障害:いわゆる多重人格のこと。複数の人���の状態を行き来する事が長期にわたり継続します。解離性障害のうち、もっとも重症で慢性的症状です。
 8.摂食障害
(1)神経性無食欲症
 思春期やせ症と言われています。発症年齢は13歳~20歳の未婚女性に多い。主な症状は、摂食拒否と高度のやせです。患者は「食欲がない」と言って食事を拒否し、急速に体重が減少します。やせていても本人は「まだ太っている」と主張し、食べないで活動します。性格は、自己中心的、強情、頑固、負けず嫌い、他人に厳しい、ところがあります。
 (2)神経性大食症
 神経性大食症も若年女性に多く、神経性無食欲症よりやや遅れて、10代後半~20代前半に発症します。症状の特徴は、
(イ)はっきりした”無茶食い”を繰り返して行っている。
(ロ)摂食行動を自己コントロール出来ない。
(ハ)体重増加や体型に過度の関心をもっていること。
 ”無茶食い”の後は、自己嫌悪、罪悪感、抑うつ気分を生じます。神経性大食症の背景には、思春期の人生課題を遂行する事に困難を抱えて、悩んでいる事情があります。
  パーソナリティ障害(Personality Disorder)
1. 妄想性パーソナリティ障害(Paranoid Personality Disorder)
 他人の動機を悪意のあるものと解釈するといった,広範な不信と疑い深さが、成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。 以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)十分な根拠もないのに,他人が自分を利用する,危害を加える,または騙すという疑いをもつ。
 (2)友人または仲間の誠実さや信頼を不当に疑い,それに心を奪われている。
 (3)情報が自分に不利に用いられるという根拠のない恐れのために,他人に秘密を打ち明けたがらない。
 (4)悪意のない言葉や出来事の中に,自分をけなす,または脅す意味が隠されていると読む。
 (5)恨みをいだき続ける。つまり,侮辱されたこと,傷つけられたこと,または軽蔑されたことを許さない。
(6)自分の性格または評判に対して他人にはわからないような攻撃を感じ取り,すぐに怒って反応する,または逆襲する。
 (7)配偶者、または性的伴侶の貞節に対して,繰り返し道理に合わない疑念をもつ。
 【妄想性パーソナリティ障害の事例】
訴訟好きの人。配偶者の貞節を何の根拠もなく常に疑う人。持続する強い猜疑心を持つ人。
 2. シゾイドパーソナリティ障害(Schizoid Personality Disorder)
 社会的関係からの遊離,対人関係状況での感情表現の範囲の限定などの広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)家族の一員であることを含めて,親密な関係をもちたいと思わない,またはそれを楽しく感じない。
 (2)ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
 (3)他人と性体験をもつことに対する興味が,もしあったとしても,少ししかない。
 (4)喜びを感じられるような活動が,もしあったとしても,少ししかない。
 (5)第一度親族以外には,親しい友人または信頼できる友人がいない。
 (6)他人の賞賛や批判に対して無関心に見える。
 (7)情緒的な冷たさ,よそよそしさ,または平板な感情。
 【シゾイドパーソナリティ障害の解説】
 シゾイドパーソナリティ障害の人は、生涯にわたる社会的ひきこもりと極端な内向性を特徴とします。親密な人間関係に対する欲求を欠き,常に孤立して行動することを選びます。他人の賞賛や批判に関心を示さず,親兄弟以外には親密な関係を持ちません。職業も対人接触の乏しいものを選びます。冷たくよそよそしい印象を与え,しばしば家族に対してすら冷淡であるが,意図された攻撃性としての冷たさではなく,そもそも対人関係に喜びを感じないのです。怒りを現すことは滅多になく性体験に対する興味は極めて乏しい。
 3. 失調型パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder)
親密な関係では急に気楽でいられなくなること,そうした関係を形成する能力が足りないこと,および認知的または知覚的歪曲と行動の奇妙さのあることの目立った,社会的および対人関係的な欠陥の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)関係念慮(関係妄想は含まない)、関係念慮:例として、教室の後ろで同級生3~4人が話し合っていると、自分の噂をしていると感じる。
 (2)行動に影響し,下位文化的規範に合わない奇異な信念,または魔術的思考(例:迷信深いこと,千里眼,テレパシー,または“第六感”を信じること;小児および青年では,奇異な空想または思い込み)
 (3)普通でない知覚体験,身体的錯覚も含む。
 (4)奇異な考え方と話し方(例:あいまい,まわりくどい,抽象的,細部にこだわりすぎ,紋切り型)
 (5)疑い深さ,または妄想様観念
 (6)不適切な,または限定された感情
 (7)奇異な,奇妙な,または特異な行勤または外見
 (8)第一度親族以外には,親しい友人または信頼できる人がいない。
 (9)過剰な社会不安があり,それは慣れによって軽減せず,また自己卑下的な判断よりも妄想的恐怖を伴う傾向がある。
 【失調型パーソナリティ障害の解説】
 「魔術的」などと形容される奇異な思考や独特の信念,関係念慮(例:教室の後ろで同級生3~4人が話し合っていると、自分の噂をしていると感じる),妄想様観念などを持ち,疎通性(話が通じること)が障害されがちです。このため安定した社会関係や親密な人間関係を持つことが難しいです。社交場面で強い不安を持ちますが,それは自己卑下よりも妄想的恐怖に結びつきやすいからです。魔術的思考には,迷信深さ,テレパシー・予知能力を信じること,現実にありえないそのほかの思い込みなどが含まれ,いずれもその人が属する下位文化の常識から逸脱したものです。
 4. 反社会性パーソナリティ障害(Antisocial Personality Disorder)
他人の権利を無視し侵害する広範な様式で,15歳以降起こっており,以下のうち3つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)法にかなう行動という点で社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為を繰り返し行うことで示される。
 (2)人をだます傾向。これは繰り返し嘘をつくこと,偽名を使うこと,または自分の利益や快楽のために人をだますことによって示される。
 (3)衝動性、または将来の計画を立てられないこと。
 (4)いらだたしさおよび攻撃性。これは身体的な喧嘩または暴力を繰り返すことによって示される。
 (5)自分または他人の安全を考えない向こう見ずさ。
 (6)一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない,または経済的な義務を果たさない,ということを繰り返すことによって示される。
 (7)良心の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり,いじめたり,または他人のものを盗んだりしたことに無関心であったり,それを正当化したりすることによって示される。
5. 境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)
 対人関係,自己像,感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)現実に,または想像の中で、見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力。 
(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係様式。
(3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感。
(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で,少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費,性行為,物質乱用,無謀な運転,むちゃ食い)
(5)自殺の行動,そぶり,脅し,または自傷行為の繰り返し。
(6)顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2~3時間持続し,2~3日以上持続することはまれな,エピソード的に起こる強い不快気分,いらだたしさ,または不安)。
(7)慢性的な空虚感。
(8)不適切で激しい怒り,または怒りの制御の困難(例:しばしば、かんしゃくを起こす,いつも怒っている,取っ組み合いの喧嘩 を繰り返す)。
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状。
 【解説】
 まず特徴的なのは,人とのかかわりが非常に不安定で,人の評価が,すばらしくいい人からすばらしく悪い人へと簡単に逆転するような,非常に不安定な対人関係をもっています。
 それから,衝動行為が多い。衝動行為として薬物噂癖,摂食障害,つまり過食や拒食や,買物依存とか,万引きもあります。
 それから,自殺企図か,見せかけの自殺が多い。「手首を切ってしまった」と人に見せに来るとか,「これから死にますから」と連絡しておいてから薬を飲むとか,いろいろ人騒がせな自殺未遂がみられます。
 また,感情の浮き沈みが激しい,落ち込んだときというのはうつ状態に似ているけれども,うつよりも期間が短い。多くて2,3日,短ければ2,3時間ぐらいでまた立ち直る。そういうスパンの短いうつ状態が起こる。
 それから,自我同一性の混乱がある。それは自己表象が逆転したり,不安定だからです。また,空虚感,独特のむなしさを抱えています。
【事例】原始的投影性同一視とストーカー行為
 境界性パーソナリティ障害の人は、原始的投影性同一視という防衛機制を使います(注1)。原始的投影性同一視というのが恋愛のほうで起こると,ストーカーになります。投影だけなら一人で思っているだけですが,投影性同一視になると,「どうもあの人は私のことを好きらしい。じゃあ私もあの人を好きになって,花束を届けましょう。カードを届けましょう」ということになる。相手は身に覚えがないのに付け回されて,「いらない」と言うのにいろいろなことをしてくれる。そういうストーカー現象になるわけです。引っ掛かりやすいのは恋愛です。原始的防衛の作用で熱烈に愛してくれる人だったりしますから,恋愛の相手も,最初はたいへんうれしいのですが,だんだん変だなと思うようになります。また,二者関係(注2)ですからすごくしつこく「絶対に自分のほうだけを向いてくれなければいやだ」みたいなことを言いはじめるとか,四六時中携帯電話で追い回すということになってくると,だんだん相手がうるさがったり,嫌そうな態度をとると,今度は悪い表象を相手にかぶせて見ますから,待ち伏せして恨み言を言うとか,執拗な攻撃が始まってきてしまいます。そういう目にあうことになりますから、特に女性は交際相手の男性が境界性パーソナリティ障害の持ち主でないかどうか、十分に気をつけないといけません。
 
注1:①投影とは、自分の中にあると認めるわけにはいかない欲動や感情を、自分の中にあるのではなく、他の人のほうにあると思うこと。EX.1 自分はAさんを本当は嫌っている。しかし、それを認めたくないので、Aさんが自分を嫌っていると感じる事、すなわち向け換えです。EX.2 自分はBさんに本当は異性感情をもっている。それを認めたくないので、向け換えしてBさんの方が自分に異性感情をもっているとすること。②投影性同一視とは、EX.1のように、本当は自分がAさんを嫌っているのに、Aさんのほうが自分を嫌っていると感じる。その嫌われているという感情に同一化して、自分のほうから働きかけ、関わり���してしまうこと(たとえばAさんが会社の同僚なら、Aさんの足を引っ張る様な言動を取る)。③原始的投影性同一視:「原始的」というのは、分裂の機制が働くことです。すなわち、人や物事を見るとき、”100%良い”、あるいは”100%悪い”とう表象をかぶせて見ることです。欲動や怒りの程度が激しい性質を帯びます。
注2:二者関係:人間関係において、「私とあなた」と言う関係しか認識できないことです。この対となる概念が三者関係で、「私とあなたとあなたの友」と言うように、第三者の存在を認めることです。幼児は二者関係しか認識できません。お母さんは私とだけ関係している、と思っています。
 6. 演技性パーソナリティ障害(Histrionic Personality Disorder)
 過度な情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(l)自分が注目の的(まと)になっていない状況では楽しくない。
(2)他者との交流は,しばしば不適切なほど性的に誘惑的な,または挑発的な行動によって特徴づけられる。
(3)浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象的だが内容がない話し方をする。
(6)自己演劇化,芝居ががった態度,誇張した感情表出を示す。
(7)被暗示的,つまり他人、または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。
 7. 自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)
 誇大性(空想または行動における),賞賛されたいという欲求,共感の欠如の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する,十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
(2)限りない成功,権力,才気,美しさ,あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
(3)自分が“特別”であり,独特であり,他の特別な、または地位の高い人達や団体にしか理解されない,または関係があるべきだ,と信じている。
(4)過剰な賞賛を求める。
(5)特権意識,つまり,特別有利な取り計らい,または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
(6)対人関係で相手を不当に利用する,つまり,自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
(7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない,またはそれに気づこうとしない。
(8)しばしば他人に嫉妬する,または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
(9)尊大で倣慢な行動,または態度。
 【解説】自己愛性パーソナリティの各項目とも、誇大な自己感覚、賞賛されたいという欲求、共感力の低さ、と言った心理的特性を指標としている。
【事例:他者からの是認がとりわけ気になる】
 Aさんは,人の視線が気になると訴えて外来を受診した。問題は中学生時代から始まっており,教室の中で教師や同級生と視線を合わせることが困難である。自分の視線が相手を傷つけて,その結果,攻撃的な人間だと思われて,相手から嫌われるのではないかと恐れて,視線をそらしてしまう。彼にとっては,他者を攻撃することがないがゆえに誰からも愛される,そうした自己が理想であった。やがて,視線だけが問題なのではなく,根底にある他者からの是認を失う不安が心理療法のテーマとなった。米国の精神分析家コフート(H.Kohut)は、1970年代に、”自己愛”イコール”自己評価”として捉え、臨床的にも理論的にも徹底させた。Aさんの場合、自己愛は隠されていて表には出てこないが、自己評価を高く保ちたい、他者からの是認を失いたくないと言う思いは、まさに自己愛的である。
  8. 回避性パーソナリティ障害(Avoidant Personality Disorder)
 社会的制止,不全感,および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)批判,否認,または拒絶に対する恐怖のために,重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
(2)好かれていると確信できなければ,人と関係をもちたいと思わない。
(3)恥をかかされること,または馬鹿にされることを恐れるために,親密な関係の中でも遠慮を示す。
(4)社会的な状況では,批判されること,または拒絶されることに心が囚われている。
(5)不全感のために,新しい対人関係状況で制止が起こる。
(6)自分は社会的に不適切である,人間として長所がない,または他の人より劣っていると思っている。
(7)恥ずかしいことになるかもしれないという理由で,個人的な危険をおかすこと,または何か新しい活動にとりかかることに,異常なほど引っ込み思案である。
 9. 依存性パーソナリティ障害(Dependent Personality Disorder)
 面倒をみてもらいたいという広範で過剰な欲求があり,そのために従属的でしがみつく行動をとり,分離に対する不安を感じる。成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)日常のことを決めるにも,他の人たちからのありあまるほどの助言と保証がなければできない。
(2)自分の生活のほとんどの主要な領域で,他人に責任をとってもらうことを必要とする。
(3)支持または是認を失うことを恐れるために,他人の意見に反対を表明することが困難である。
(4)自分自身の考えで計画を始めたり,または物事を行うことが困難である(動機または気力が欠如しているというより,むしろ判断または能力に自信がないためである)。
(5)他人からの愛育および支持を得るために,不快なことまで自分から進んでするほど、やりすぎてしまう。
(6)自分の面倒をみることができないという誇張された恐怖のために,1人になると不安,または無力感を感じる。
(7)1つの親密な関係が終わったときに,自分を世話し支えてくれる基になる別の関係を必死で求める。
(8)自分が1人残されて,自分で自分の面倒をみることになるという恐怖に,非現実的なまでにとらわれている。
 10. 強迫性パーソナリティ障害(Obsessive-Compulsive Personality Disorder)
 秩序,完全主義,精神および対人関係の統一性にとらわれ,柔軟性,開放性,効率性が犠牲にされる広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)活動の主要点が見失われるまでに,細目,規則,一覧表,順序,構成,または予定表にとらわれる。
(2)課題の達成を妨げるような完全主義を示す(例:自分自身の過度に厳密な基準が満たされないという理由で,1つの計画を完成させることができない)。
(3)娯楽や友人関係を犠牲にしてまで、仕事と生産性に過剰にのめり込む(明白な経済的必要性では説明されない)。
(4)道徳,倫理,または価値観についての事柄に,過度に誠実で良心的かつ融通がきかない(文化的または宗教的同一化では説明されない)。
(5)感傷的な意味のない物の場合でも,使い古した,または価値のない物を捨てることができない。
(6)他人が自分のやるやり方どおりに従わない限り,仕事を任せることができない,または一緒に仕事をすることができない。
(7)自分のためにも他人のためにも,けちなお金の使い方をする。お金は将来の破局に備えて貯えておくべきものと思っている。
(8)堅苦しさと頑固さを示す。
   発達障害
 1.精神遅滞(知的障害)・・・第1表参照
 知能が平均より有意に低く(知能指数IQが70以下)、かつ、社会的不適応をきたし、その状態が18歳までに出現するものを精神遅滞と呼んでいる。重度精神遅滞20<IQ<35、中度精神遅滞35<IQ<50、軽度精神遅滞 50<IQ<70、に分けられる。IQが70以上は定義により精神遅滞でないとされる。
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 遅れが中度よりも重い場合は,言語理解に乏しく,身辺自立困難,自傷,他傷,こだわり,破衣などの行動上の問題が出現することが多い。軽度の遅滞では,身辺自立は成立していることが多いが,本人の能力と要求水準の間に乗離があり,思春期以降になって,情緒障害、非行,性的問題などの社会不適応をきたすことがある。
 全人口の約2%に精神遅滞が認められるが、その大部分は軽度精神遅滞である。
  また、医学的には”精神遅滞”であるが,福祉や教育では”知的障害”と呼よばれる。
   2.自閉症スペクトラムとその他の発達障害・・・第2表参照
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 (1)自閉症スペクトラム
 (ア)古典的自閉症(カナーtype自閉症)
  第2表で、古典的自閉症、別名、カナーtype自閉症は、米国の精神科医、レオ・カナーが1943年に”自閉症”という名称を提唱したことによる。つい最近まで、自閉症といえばカナーの提唱した自閉症をさした。その診断基準は、以下のとおりです。
 ①他者との情緒的接触の重篤な欠如、
 ②物事をいつまでも同じにしておこうとする強い欲求、
 ③物に対する強い関心と、物を器用に扱うこと、
 ④言葉が無いか、あったとしても、オーム返しや他者には通じない独特の言葉を使ってしまうなど、コミュニケーションに役立たない言葉の使い方、
 ⑤知的な顔立ち、カレンダーの計算など、特殊な領域での優秀な能力、の5点である。
  (イ)アスペルガー症候群
  古典的自閉症と比べ、言語の発達が比較的良好で、IQの比較的に高い人をアスペルガー症候群という。高機能自閉症と同等の意味である。
  
 (ウ)高機能自閉症
  高機能自閉症スペクトラムの基本症状は、
  ①社会性の障害、
  ②コミュニケーションの障害、
  ③想像力の障害、こだわり
 この3つを三組の障害という。これらの症状が出揃うのは3歳を過ぎてからが多い。精神遅滞のない子どもの場合は、健診などで自閉症を見逃される恐れがある。三組の障害について詳しくは、”発達障害、ー高機能自閉症ー”(相談会案内2018年11月)を参照してください。
 
 ���機能自閉症の”高機能”の意味は、IQが70以上という基準である。高機能と一口に言っても、IQが70ぐらいの境界域から、IQが140台の知的能力が非常に高い人までを一括して言っている。高機能は「能力が平均より高い」という意味ではなく、「明らかな知的遅れがない」、という意味で専門家の間で使われている。IQが70台の自閉症の子どもは、定義上、高機能自閉症と呼ばれるが、かれらは小学校の普通学級の学習課程をこなすことが難しいです。
 自閉症(Autism)のうち70~80%が精神遅滞を伴うが、大半は軽度の遅滞です。
 自閉症の子どもも大半が状況によって、不注意、多動、衝動性を示しますが、それらのほとんどは自閉症の特徴である三ツ組の障害から説明がつきます。 自閉症の子どもの不注意、多動、衝動性の多くは、周囲の人の、自閉症児への配慮が不十分であることから来ている場合が多い。自閉症の子どもは、提示される情報が理解でき、見通しが持て、余計な情報が排除される環境では、不注意、多動、衝動性が顕著に改善されるからです。
 
 しかし、中には、三ツ組の障害からでは説明がつかない、ADHDの子どもも存在します。
 (2)注意欠陥多動性障害(ADHD;Attention Deficit/Hyperactivity Disorder)
   ADHDは、①不注意、②多動、③衝動性、の3つの症状で診断される。これらの症状が、知能の発達水準に見合わないほど強く、日常生活における困難の原因となっている場合を言う。ADHDの人は、ほとんどが精神遅滞を伴わないか、あっても軽度遅滞である。
  (3)学習障害(LD;Learning Disorder)
  最も狭義のLDは、米国精神医学会の定義、”読む、書く、計算する、の3つの能力の障害”を指す。自閉症の子どもには、認知の発達による得手、不得手があり、子どもによっては、LDが併存していると考えて対応したほうが良いときもある。
  LDの人は、ほとんどが精神遅滞を伴わないか、あっても軽度遅滞である。
  4.その他・・・チック障害、レット障害、小児期崩壊性障害等
  参考文献:
(1)仙波純一、石丸昌彦:新訂 精神医学、放送大学教育振興会
(2)今日の治療薬2015 44抗精神病薬・抗鬱薬・気分安定薬・精神刺激薬 南江堂
(3)フロイド.E.ブルーム他著、中村克樹、久保田競監訳:新脳の探検(上) 講談社
(4)NHKテレビテキスト「きょうの健康2015年11月号」うつ病 P50
(5)ストレスや疲労とつきあうためのセルフケアガイド、疲労解消・イキイキ生活、 BTUストレスマネジメント研究所
(6)米国精神医学会編、高橋三郎、大野 裕、染矢俊幸訳;DSM-Ⅳ-TR、精神疾患の分類と診断の手引き、新訂版
(7)馬場謙一;心の健康と病理、放送大学教材、2006年第3刷
(8)馬場禮子;精神分析的人格理論の基礎、岩崎学術出版社2013年第5刷
(9)太田昌孝;発達障害児の心と行動、放送大学教材、2006年3月 改訂版第1刷
(10)内山登紀夫、水野 薫、吉田友子:高機能自閉症 アスペルガー症候群入門、中央法規出版(株)、2002年 
                                                                以上
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korehayabai · 5 years
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避妊具・熱湯・ヤケドに刺激薬、インコばかりを虐待した嘘つき男の素顔(週刊女性PRIME)
避妊具・熱湯・ヤケドに刺激薬、インコばかりを虐待した嘘つき男の素顔(週刊女性PRIME) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00015737-jprime-soci  無職の男はSNS上にインコの虐待動画を投稿、愛鳥家らが通報を続けたことで逮捕につながった。男は複数のアカウントを持ち、インコを可愛がる様子を見せる表の顔と、虐待する裏の顔、その両面を使い分けていた。関係者は「おとなしく、虐待を行うようには見えなかった」と素顔を語るが――。 【写真】インコ虐待男のものと見られる、サイテーなツイート 「私のツイッターのフォロワーから、『インコ可愛がり総合ニュース』というアカウントがインコの虐待動画を流しているという連絡を受けたのが6月22日午後4時ごろ。それがきっかけでした」 インコ虐待男の表と裏の顔  インコの飼い方や情報提供などを行うウェブサイト『インコ生活』を管理する山本さんが憤る動画の数々。そこに映っていたのは、 「コンドームをかぶせられたインコ、洗面台にためた水の中で溺れそうなインコ、ヒリヒリする薬をヤケドの痕に塗られ、のたうち回るインコの動画や画像でした」(山本さん)  それが動かぬ証拠になった。  愛知県警中村署は7月18日、動物愛護法違反の疑いで名古屋市の無職・坂野嘉彦容疑者(34)を逮捕した。取り調べに対し、 「私が飼育していたインコにコンドームをかぶせて身動きが取れないようにして、点火棒(長いライター)を押しつけ、放り投げるなどの行為をして虐待していたことは間違いありません、と供述しています。虐待理由は、鳴き声がうるさくて腹を立てたということです」(捜査関係者)  名古屋市内にある自立を支援する寮。そこが坂野容疑者の住まいだった。生活困窮者や病院を退院して行き場のない人などさまざまな事情を抱えた人が暮らしているが、ほとんどの入居者が日中は仕事に出かける。坂野容疑者はそこに今年3月に入所した。最初は水回りが共同の階に住んでいたが、その後、居室内にトイレや浴室など水回りがそろっている部屋に移ったという。そこが犯行現場になった。  坂野容疑者を知る関係者は、 「坂野さんはおとなしいタイプ。動物を虐待するような人には見えなかったのでびっくりしました。トラブルはなく、スタッフとの関係も良好でしたが、躁鬱がひどく、投薬や通院で治療をしていたようです。就労にも意欲的でしたが、仕事はしていませんでした」  と近況を明かす。  個室であっても、ペットを飼うことは禁止されていた。ところが坂野容疑者は4月ごろからインコを飼い始めた。前出・関係者が続ける。 「逮捕後、面会に行った知人に、インコを飼った理由を“ひとりで寂しかったから”と。夜、インコが突然、鳴きだして隣の人にバレるといけないと思い気が動転して殺してしまったのが最初。そのときに変なほうに気持ちが変化して、その後エスカレートしてしまったと話したそうです」 SNSで残虐な画像を載せる虐待男  ツイッターの坂野容疑者のものと思われるアカ���ントでは 《今月で☆になるインコ、これで4羽目かなーまた2000円で活きの良いヒナ鳥買わなきゃなぁ》 《たった3カ月の間だったけど、君の飼い主であれた事を、私は誇りに思います》 《セキセイインコを63℃のぬるま湯で水浴びさせたら(中略)やがてクルっと腹を上に向けて動かなくなり、湯気とともに香ばしいインコ臭が立ちのぼってきましたw》  などと、虐待の実態を生々しく投稿していた。目を覆いたくなる動画には、 “洗面台にたまった水から脱出しようと、濡れた羽をバタバタさせているインコを、水の中に沈めたり、羽をこするなど、命をもてあそぶ姿” “洗面台のインコに、蛇口から激しく水を出し、水かさを増やし溺れさせようとしたり、排水口の栓を抜いたために吸い込まれそうになりながらも必死に羽をバタつかせているインコの姿” “コンドームの先端に頭の部分がくるようにインコにかぶせ、身動きができないインコをライターでつついたり、ベッドや床の上に落としては拾ってを繰り返す姿” “羽の軟骨部分にピアッサーで穴をあけたり、ヤケドの痕にヒリヒリする刺激薬を塗り込まれたためにもがき苦しむ姿”  などが映されていた。  ペットショップの小動物担当の店員は、 「セキセイインコはラブバードとも呼ばれ、特になつきやすい生き物です」  前出『インコ生活』の管理人の山本さんは、 「今回、虐待を受けていたのは幼鳥。自分だけでは生きていけず、飼い主にすがるしかないんです。坂野(容疑者)になついていたわけではなく、すがっていたんです」  そんな、か弱く愛くるしい動物を、坂野容疑者はもてあそんだ。そして動画をSNSに投稿するという鬼畜ぶり。 嘘つきのかまってちゃんの自己顕示欲 「自己顕示欲が強い」(前出・山本さん)という坂野容疑者について、 「自分を評価してくれる人がほしかったのでは。SNSとかでは自分を大きく見せようとしていましたからね」  と見るのは前出の関係者だ。次のように続ける。 「国立大学の医学部中退とツイッターには書いていますが、嘘です。寮の入所者にもかかわらずNPO法人の職員と名乗っていますが、寮の人は“勝手に職員と言っている。困ったものだ”と頭を抱えていました。ほかにも坂野のものと思われるSNSには、“貯金が1000万円ある”とか、“車を所有している”とか書いているようですが、それも嘘。生活保護を受けるときは、資産状況を調べられます。貯金があったり車を持っていたらダメですから、資産なんてあるはずがない」  要するに“見栄っ張りで嘘つきのかまってちゃん”。 「逮捕後、寮のスタッフが坂野容疑者の部屋に清掃に入ると、床や寝具の上には鳥のえさや羽が散らばっていたそうです」(前出・関係者)  わずか体重30グラムのインコの命をもてあそび、その様子を動画で撮影していたという猟奇的愉快犯。 「私も家族も本当にショックで……心を痛めていて……」と、震える声で心境を明かしてくれたのは、坂野容疑者の母親だ。週刊女性の取材に、 「あんなひどいことをする子どもじゃありませんでした。小さいころから動物を可愛がる子で、インコも飼っていて可愛がっていました。いじめるくらいなら、なんで逃がしてあげなかったのか……。  世間のみなさんに申し訳ないです。インコにも、ごめんなさい。本当にごめんなさい」  そう何度も何度も謝罪の言葉を口にした。  逮捕前、坂野容疑者はツイッターのアカウントを変え、毎週のようにグロテスクな虐待動画や写真をアップした。 「私たちは痛みを抱えながら見ていました。『また今週末もアップされるのではないか』とビクビクしていたので、捕まってホッとしました。ただ、今度は投稿せず、秘密裏に虐待する可能性がある。そうなると通報できない。動物愛護法違反の刑罰は軽いので、もっと厳罰化することで虐待の抑止力になるはずです」  と前出・山本さんは訴える。  愛鳥家の中には坂野容疑者の厳罰を求め、嘆願書を提出する動きもあるという。  虐待の末に奪われる小さな命。インコが逃げ惑う姿は、もう見たくない。
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q-food · 6 years
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中村江里『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』
中村江里『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館2018)                                     森田和樹 序章 戦争とトラウマの記憶の忘却 1 問題の所在 アジア・太平洋戦争期における「トラウマ」と本書の問い[p2-3] :「戦時神経症」または「戦争神経症」と名付けられ、軍部や国家の一大関心事となる。 ※ にもかかわらず、なぜ日本社会では戦後50年以上も戦争神経症は見えない問題となってきたのか。
2 先行研究と本書の位置づけ 直接の先行研究:野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店1998)、清水寛 編著『日本帝国陸軍         と精神障害兵士』(不二出版2006) →特に清水編著の方が戦争神経症を含む「精神障害」兵士について包括的に論じる唯一の  研究[p11] 問題点:・戦争神経症の顕在化と深い関連のある総力戦のインパクトが考慮されていない。     つまり、総力戦体制と「福祉国家」化や軍事援護研究が明らかにしてきたような、     総力戦期における動員の拡大と同時にとられるようになった多面的な統合策と精     神疾患の関係が考察されていない。[p12-13]     ・国府台陸軍病院という陸軍病院の資料に基づいた考察に限定されており、国府台      陸軍病院の特質や患者の動態、戦争と精神疾患を取り巻くさまざまな文化・社会         的構造が捨象されているため、静態的な歴史像になってしまっている。[p13]
3 本書の課題と視角 課題[p14] ⑴総力戦期において軍隊内の精神疾患への対応にはどのような特徴があるのかを明らかに  すること ⑵戦時精神疾患の問題を国府台陸軍病院のみに集約せず、より広い文化・社会的構造の中  で再考すること →視角[p14-15] :・総力戦下において福祉領域へ国家の介入がつよまったという文脈を踏まえる。   →軍事援護という問題領域での議論を再構成する。  ・医療記録に残された人々が全体から見ればある意味で特異な位置に置かれた存在であ   ったことを念頭に置き、国府陸軍病院の外に目を向ける。   →病気の発現の仕方や受け止め方を社会的、文化的構造のなかで捉える。 ※ 精神科医で医療人類学者の宮地尚子が、一般的には受けた被害が大きければ大きいほどその人物は雄弁にその問題について語りうると考えられているが、実際にはトラウマ的出来事からの距離の近さは発話力に反比例すると指摘していることに示唆を受ける。
第1章 兵員の組織的管理と軍事心理学 総力戦としての第一次世界大戦[p24-25] →・軍部はあらゆる分野の関連を要請する総力戦という衝撃によって心理学も含めた軍事   以外の分野に関心を持つようになる。  ・心理学では「作業能力とその発言に関する研究」を行う実験心理学という分野が産業   効率化にも利用されるようになり、その力量を活かせる場を探していた。
1 軍隊と心理学[p25-33] -陸軍と心理学研究 ・1921年4月から陸軍士官学校の教育課程のなかに心理学が設置される。 背景:第一次世界大戦におけるドイツ軍の敗北と帝政ロシアの崩壊(ロシア革命)によ    る大正デモクラシー(「新思想」)の開花と「思想悪化」 →強圧的で盲目的・奴隷的服従ではなく、「理解ある服従」を兵士たちに求めることで軍紀  を引き締める必要性が高まる。そのためには将校が教育学や心理学の知識を身につけて  おかなければならないとされる。 →実験心理学および戦争心理学と呼ばれている分野が陸軍に応用される。 「精神的の機能を分量的に而も其個人差を測定せんとする」分野 ex)「戦時及戦争中の心理」(戦争心理学)「平時の軍隊心理」(実験心理学)の把握 :実験心理学の実践として当時渡米していた東京帝国大学教授松本亦太郎らにより、第一  次世界大戦中に米軍で実施された集団式知能検査が紹介され、実際に検査が行われる。 ※ しかし、陸軍では海軍のように特殊化・細分化された技能を持つ兵員を選抜する必要がなかったため、検査自体は単発で終わる。
2 戦争心理・戦争心理研究[p34-45] ⑴内山雄二郎『戦場心理学』 :陸軍では、心理学・教育学・倫理学・社会学を研究するために2年あるいは3年間将校  を東京帝国大学および高等師範学校などに派遣する制度が戦間期にできあがっており、  その制度に基づき1927年から1930年まで東京帝国大学文学部において教育学・心理学  の聴講を命じられ、系統的な心理学研究を行った歩兵少佐内山雄二郎が書いた本。 →この本のなかで内山は、戦争において臆病であったり精神的に不調をきたしたりするこ  とは、必ずしも兵士個人の性質にのみ原因が帰せられるべきではなく、環境などの外的  要因の影響も大きいと指摘。
⑵『偕行社記事』における戦場心理の報告 陸軍将校の研究・親睦組織「偕行社」の機関紙『偕行社記事』において満州事変から日中全面戦争の時期に「戦場心理」を関した論文が多数掲載される。 :前線よりも後方部隊の方が戦闘の悲惨な光景から受ける精神的影響が大きく、恐怖観念  を伴う、死傷者が出た場合に後送を申し出る者の中には臆病者がまじっている、負傷し  て後送される兵士を羨むなど、さまざまな事例が報告される。
⑶教育総監部における研究 :1938年、数回戦場心理班を設け前線兵士たちに質問用紙調査と聞き取り調査を行う。 ※ 資料は終戦時の「処分」命令と戦災によって紛失
第二章 戦争の拡大と軍事精神医学 軍隊における精神病はなぜ問題とされるのか。 -1912年陸軍軍医学校卒業式における「御前」講演[p52-53] :「精神変質」や「精神薄弱のような「素因ある兵卒」が「生活の激変」を伴う軍隊生活に  入ることで精神病が発生し、それによって抗命、逃亡、離散などの「犯罪」を犯すよう  になり、それが軍全体に広まる。
1 日中戦争以降の治療方針と治療体系 1937年8月患者後送計画[p54-55] ;・治療に一ヶ月以上かかるものは内地移送とする。 ※ 朝鮮人、台湾人兵士に関しても同様。  ・内地移送された兵士は、国府台(こうのふだい)陸軍病院(千葉県市川市)で治療を   受ける。 ※ 国府台陸軍病院は、1938年11月に重度の「戦時精神病」患者を治療するための特殊病院として開院。そこの軍医たちはエリート中のエリート。なお、斎藤茂吉の長男、斎藤茂太も国府台陸軍病院で軍医を勤めていた。
2 「戦時神経症」の定義 軍医たちは戦争神経症をどのように理解したのか。[p59-61] ・陸軍軍医大佐梛野巌の講演での発言(1937年11月) :・第一次世界大戦で注目を浴びたKriegsneurose(ドイツ語で「戦争神経症」)に対して  「戦時神経症」���いう訳語をつけた。神経症患者が戦線から離れるほど重篤化し、後方   部隊や休暇で帰郷中にも発症することがあるため、「戦争」ではなく「戦時」という言   葉に置き換えた。  ・「戦時神経症」の具体的症状の大部分はヒステリー(麻痺・知覚過敏症・歩行障害・言   語障害・聴覚障害など)とする。  ・「戦時神経症」の原因には先天的な部分と後天的な部分があるとしつつ、根本的な   原因は「帰郷願望」にあるとし、治療はこうした願望を打ち砕くことであるとする。
3 「皇軍」における戦争神経症の存在の隠蔽 ・陸軍医務局は、欧米軍に多数発症した戦争神経症は、日本の皇国民の場合、士気旺盛な  ため起こりえないと述べる。 ・しかし、民衆の間では帰還兵のなかに精神的変調をきたすものたちの存在(「戦地ボケ」)  の噂が流れていた。
小括 このように軍隊における精神疾患の原因を兵士個人の脆弱性・逸脱性に帰する見方は、過酷な戦場の状況や軍隊内務班における「私的制裁」などが兵員の精神に及ぼす深刻かつ長期的な影響を見過ごし、ひいては戦争と精神疾患に関する軍部の責任を免責する論理につながったと考えられる。またこうした問題が戦後日本社会において広く認識されることを阻む一要因にもなったのではないだろうか。[p70]
第3章 戦争の長期化と傷痍軍人援護 戦争の長期化と援護政策の展開[p78-79]  ・1937年3月軍事救護法が改正され、軍事扶助法が制定される。  ・扶助対象の拡大と充実がはかられる。  ・1937年11月内務省社会局に臨時軍事援護部が設置され、1938年4月には厚生省外   局として設置された傷兵保護員が臨時軍事援護部から独立して傷痍軍人保護事務を担   うことになる。また、1939年7月には臨時軍事援護部と傷兵保護員合併し、軍事保   護員が設置され、傷痍軍人・軍事遺家族・期間軍人の援護事業を統合的に行う。                   1 医療保護 ⑴傷痍軍人療養所の開設[p79-83] 療養所入所資格 :陸海軍病院での診断の結果、兵役免除と判断され、引き続き療養を必要とするもの。 ※ 結核と精神症をわずらった人々に対しては、「公務に基因」と規定することで、対象者を広くとる。 →恩給診断書に関わる問題(「傷痍軍人」としてさまざまな優遇恩恵を得られるかどうかの              線引きには戦傷病が戦闘・公務に基因するかどうか。) :精神神経疾患の場合、外相という明確が原因が存在する頭部戦傷や外傷性癲癇などは一  等症だったが、精神分裂病をはじめとするそのほかの精神疾患は戦争末期に傷痍疾病差  が改定されるまで二等症であった。 →「傷痍軍人」とそれ以外の傷病兵との間に区別が存在することによって、傷病兵たちの   間の不満を高めるのではないかという問題が起こる。
⑵傷痍軍人武蔵診療所[p83-88] 武蔵診療所までのルート ① 回復して原隊復帰の見込みがある者は国府台陸軍病院に残る。 ② 症状が固定して回復(原隊復帰)が見込めない者のうち家に帰れる者は帰る。 ③ 帰れない者は武蔵診療所へ転送される。 ※ このような患者の再配置は、戦況の悪化に伴い、先頭・労働能力に応じて人員をより組織的に管理しようとした試みであったといえる。 武蔵診療所の入所数(1940~1945) 総数:953名 精神分裂病、進行麻痺、躁鬱病、神経質・神経衰弱・ヒステリーなど、神経薄弱、癇癪という順番に患者が多かった。
⑶食糧事情の悪化と死亡率の上昇 戦争の進行とともに療養所の食糧事情が悪化し、死亡者の増加につながる。[p89]
2 職業保護-「再起奉公」の対象外となった精神障がい者-[p90-92] 戦時下の傷痍軍人保護の中でも最大の問題は、就労能力を失った「戦争傷痍者」を再び職業戦線に参加させ、「第二の御奉公」をさせることであった。なぜなら、人一倍健全な身体をもって国家の為に尽くして傷ついた者を「生来の不具者」と同列にしてはならないからである。そのためには、職業教育によって職業生活への復帰を可能にする必要があった。それは、傷痍軍人を日露戦争時のように「社会的寄食者」の状態に置くのではなく、積極的に国家の「人的資源」として活用すべしという総力戦の要請とも合致するものであった。[p90] →・傷痍軍人援護における職業斡旋は、基本的に総力戦という文脈のなかで理解すべき。  ・第一次世界大戦期のドイツでは神経症患者の戦時労働力化が組織的にすすめられ、労   働が治療の一環として考えられる一方、恩給の節減という国家の目的にもかなったも   のであった。 ※ 結局、精神障がい者となった人々は雇用されず。
3 国民教化-保護と排除のせめぎあい-[p92-97] 国民教科の第一指導目標 :「国民をして、戦没軍人、傷痍軍人及出征軍人に対する感謝の念を昂揚持続せしめ、苟も  年月の経過に伴ひ冷却するが如きことなからしめること」 →ポスター・パンフレットなどの文芸作品の作成、映画・レコード・ラジオの利用、標語・  絵画などの募集、善行者の表彰など ※ 戦傷病兵間の亀裂/戦傷病者緒方文雄による病院生活の記録『陸軍病院』(講談社1941) :皇軍将兵には戦争神経症のような意志薄弱な1人でもいるはずがない。 →恩典を貰ってしかるべき「われわれ」と大した症状もないのに恩給を要求する戦争神経  症の「彼ら」を差異化。
第Ⅱ部 戦争とトラウマを取り巻く文化・社会的構造 第1章 戦場から内地へ-患者の移動と病の意味- 戦場から内地へ、また病院から郷里への移動は、単に物理的な移動にとどまらない、病の持つ意味が変移していく経験だったのである。[p106]
1 統計から見たトラウマの地政学[p107-112] 1940年の陸軍身体検査規則改正 :徴兵身体検査の基準が大幅に緩和され、従来不適合とされていた「身体又は精神の異常  のある者」であっても兵業に支障がなければ合格判定を出すことに。 →患者数の増加 :・国府台陸軍病院に送られてきた患者の圧倒的多数が中国大陸からの患者であった。  ・しかし「精神病」および「その他の神経病」者数は1942年〜45年の4年間だけでも   国府台陸軍病院に収容された患者数をはるかに上回っていた。 ⇒国府台陸軍病院は、精神神経疾患の治療の中心地と位置付けられていたが、入院した患  者は全体のうちのごく一部であり、その背後には精神疾患を患いながらも内地に還送さ  れなかった膨大な数の患者が存在していた。 →内地に還送されて治療を受ける者は「特権」とされ、軍部や将兵たち自身が特有の目線  を向けることにつながった。 Ex)・内地還送を望んで自傷行為に及ぶものたち   ・後方へと送られることを「恥」と考え、自殺するものたち ※内地還送をめぐってさまざまな心性が兵士たちの間に広がる。
2 戦場に取り残された精神疾患兵士たち 「中国では精神を患った兵士には全く出会わなかった」という証言 →軍隊内部、野戦病院・兵站病院においても患者は隔離されていた。[p114]
3「ヒステリー発生の温床」としての陸軍病院 国府台地区軍病院の軍医たちは、戦場から内地へ還送された患者の病像変化に多大な関心を寄せる。 →笠松章「戦時神経症の発見と病像推移」/細越正一「戦争ヒステリーの研究」[p130-131] :・戦場体験直後の反応とその後の時間差を伴って現れる症状を区別し、前者は誰にでも   生じうる生理的な反応で一過性のものであるとする一方、後者は戦場からの逃亡や恩   給などの願望のもとに発言する症状とされた。  ・持続的な精神加工による症状の発展固定への移行が前線から後送され内地陸軍病院に   いたるまでの患者の移動と重ね合わされて捉えられる。  ・同一の体験でも発症する人としない人が生じるのはなぜか、という問題に対しては「本   人の素因」に原因を還元する。 小括 基本的に国府台陸軍病院の軍医たちは、戦争神経症の原因を、暴力に満ちた戦場・兵営の状況ではなく、願望や素因のように患者個人に問題があるためだと考えた。このため、戦場・兵営体験の持続的で長期的な影響は見過ごされることになった。国府台陸軍病院の軍部に言わせれば、前線と銃後の中間地点に点在する陸軍病院は、後方に近づくにつれて「ヒステリーの温床」としての性格を強めていくものであった。[p134]
第2章 一般陸軍病における精神疾患の治療-新発田陸軍病院を事例に- 1 衛戍病院・陸軍病院における精神疾患の治療 衛戍病院→陸軍病院という名称へ(1936年11月)[p139-143] :戦争の長期化とともに各陸軍病院内の精神治療科も拡大 2 陸軍病院と銃後社会 ⑴新発田陸軍病院の概要[p144-145] ・三等甲病院で収容人数は294名 ※ 一等病院(小倉・大阪・広島)の収容人数は2950、2731、913、二等病院である国府リクグ運病院は1272名 ⑵患者の慰問[p146] ・大日本国防婦人会の支部会員たちが頻繁に病院を訪れる。 ⑶病気を恥じる兵士と家族[p147-148] ・<健康な身体>の基準を満たさないことは<国民>として、<男>として恥ずべきとい   う価値観が社会的に共有されていたため、身体的要因によって除役となることは「恥ず  べきこと」と考えれた。 Ex)「遺憾」と感じたある男性は、徴兵保険金を献納、後送を拒否、遺家族が献金(償い)、   自分の病気の悪化に際して必ず全快させて再び原隊復帰させてくれと頼む患者 ⑷「白衣の勇士」のあるべき姿[p149-150] ・「第二の奉公」を志すものたち-戦傷病兵たちの再就職を準備する場としての陸軍病院 ・「偽傷痍軍人」の登場
3 新発田陸軍病院病床日誌に記録された精神神経疾患 ・新発田陸軍病院では「神経衰弱」患者が最も多く、そのなかには頭痛や睡眠障害などを  伴う軽度の心身の不調から、自傷他害のおそれがあるため受診に至ったケースまで幅広  く存在していた。[p159] ・除役になるという経験-兵役を全うできずに郷里へ変えることが<男として>恥ずかし                  いという意識。[p162]
[補論]戦争と男の「ヒステリー」-アジア・太平洋戦争と日本軍兵士の「男らしさ」 軍医と患者の口問 口問 (中略) (三)お前の病気は一体なんだと思ふか?-ヒステリー (四)ヒステリー等は日本の兵隊にあるか?-ありません (五)一体どんな人間がかかる病気か?男か?女か?-女です[p195] →・ヒステリーの特徴である感情的反応の強さは、女性に生まれつき備わった性質である   ためにヒステリーは女性に多いという説明が社会的に広がっていた。 Ex)女性解放運動は、「ヒステリー性の跋扈」であり、「戒むべきこと」  ・軍隊における「女々しさ」=「女性性」を否定的価値として措定し、それを克服する   ようにする文化 ⇒ヒステリーになった兵士は、「女々しい」恥ずべき存在として自他ともに捉えられた。[p183-196]
第3章 誰が保証を受けるべきなのか-戦争と精神疾患の「公務起因」をめぐる政治- ・「戦時神経症」と傷病恩給の関係性はどのようなものだったのか。
1 陸軍における恩給制度 ・恩給法[p203-206] 傷痍疾病等差-一等症、二等症(公務起因でない場合) 恩給の種類:・普通恩給 ・ 一時恩給            ・増加恩給       ・傷病年金       ・傷病賜金 2 国府台陸軍病院における恩給策定 ・恩給策定は軍医によって行われていた。[p209-213] →軍医たちは、頭部外傷やマラリアなどの流行病患後の精神神経疾患のように公務に起因  することがわかりやすいものたちを「一等症」にする一方、「精神薄弱」は「二等症」と  した。 →精神分裂病、躁鬱病、反応性精神病、神経衰弱、癲癇などは公務に起因するか否かを判  定する要素として重視された。 ※ しかし実際にはこれらの要素ではなく、軍務への貢献によって公務起因かどうかを判断するようになった。
・「戦時神経症」をめぐるアリーナとしての臨床 →軍医たちは、戦争神経症の発症メカニズムを説明するうえで、患者の願望(逃亡欲求な  ど)を重視していた。 戦争神経症の治療の場は、まさに自らの生存・生活をかけた患者の訴えと、彼らが国家のために自らが払ったと主張する「犠牲」を客観的に証明できる器質的根拠がないことを立証しようとする軍医の主張がせめぎ合うアリーナだった。[p217] ※ 扶助をもらえなかった患者たちが「当局を非難し動もすれば反軍的なこと迄も云々する。」[p217]
・恩給の策定[p229,233] →・内地で発症した患者を一等症患者からなるべくのける。(1942年以降、内地で発病す   るものたちが中国大陸で発病するものたちを上回る。)  ・「勤仕年月六ヶ月以上」や「困苦状況」の証明がない限り、公務起因で発病したとはみ   なさない。
3 戦後の精神疾患と傷病恩給をめぐる言説と実態 恩給申請という行為への着目は、個人及び集団の戦争記憶が構築され、戦われる場や、自己の問題経験を定義し、社会や国家に向けて訴えようとした主体としての戦争被害者像を前景化させる。しかし一方で、その語りはある一貫したストーリーと公務起因とう法の規範を満たしていなければ裁定には結びつかなかったものと考えられる。援護法をめぐる議論でも指摘されたように、公務起因の要件として発症時期は限定されており、戦後長期間を経て発症した遅発性PTSDは対象外となった可能性が高いだろう。また、言語化不可能(困難)であるというトラウマの性質や、戦争・軍隊経験のように、戦地で殺し殺される恐怖、厳格な上下関係、飢えや病に苦しみながらの果てしない行軍など種々のストレスが複合的に絡み合う経験とは馴染みにくい制度であるとも言えるのである。[p253]
第4章 1 旧国府台陸軍病院入院患者の戦後 目黒克已による証言(1965年に旧国府台陸軍病院に入院していた戦争神経症患者を調査) 現在はそうでもないですが、調査した時点では精神病患者に対する差別があり、精神病であるということだけで日本の社会の中で切り離されていましたね。たとえ病状が軽くても本人も親族も言わないし、言えば就職も結婚もできない、出世もできないというのが普通でした。彼らは指針病であるということ自体を恥と考えていたし、その延長線上で返事をしない人々が多数いました。[p268]
2 神奈川県の精神病院に入院した元兵士たち 自己および他者に対して攻撃性を発揮する患者たちの存在 :「軍隊の現実が市民の現実に取って代わる時、感情や行為の認知スタイルも変化する・・・  この新しい認知の仕方、体験の仕方を身につけるということは人格の完全な変容を意味  する。」(シャータン)[p282] →・家庭内暴力の存在  ・「社会適応」の再考-結婚や就職を通しても「社会適合」はなされない。[p293]
3 臨床の場に現れた戦争の傷跡 PTSDはよく「異常な状況にたいする正常な反応」であると言われるが、そもそも正常/異常の境界線は、文化やその時代の価値観に大きな影響を受ける。「日常的に人を殺す」ことが「異常」であると考えるのは戦後の市民社会における価値観であると言えるだろう。「人を殺せる」兵士こそが「正常」であるという圧倒的な価値体系のもとで生きなければならなかった元兵士の中には、そうした軍隊の論理と、個人の良心や戦後の市民社会における加害行為を否定する論理とのギャップに苦しみながら戦後を生きた人々もいたのではないだろうか。[p191-192]
終章 なぜ戦争神経症は戦後長らく忘却されてきたのか? ⑴精神的犠牲者の大部分を占める戦地に取り残された人々の記録が軍事精神医療システム  から抜け落ちてしまっていたり、終戦時の焼却命令などによって失われたりしてしまっ  た。また彼ら自身も「自分だけが生き残ってしまった」という生存者罪悪感や記憶喪失  などのために証言することが困難であった。 ⑵軍事精神医療システムに組み込まれたとしても、過酷な「戦場」体験がその直後に何ら  かの影響を人間の心身に及ぼすということは認知されていたものの、それがいかに長期  的な影響を及ぼすかという点は考慮されていなかった。 →「戦場」とは地理的に限定された概念���いいのか、また国家間の戦争が終わるとともに   それは消失してしまうものなのか。 トラウマを負った人はよく「二つの時計」を持っていると言われる。一つは現在その人が生きている時間であり、もう一つは時間が経っても色あせず、瞬間冷凍されたかのように本尊されている過去の心的外傷体験に関わる時間である。そのような圧倒的な恐怖を核とする心的外傷後の反応として戦争神経症を捉え直してみると、病院に居るはずなのに敵襲に怯えたり、死んだ戦友の幻覚に悩まされる兵士や、明確に言語化はされてないがさまざまな身体の機能障害(とりわけ四肢の痙攣や目・耳の機能障害など軍事行動に関連する部位の障害が多かった)を呈する兵士など、彼らの心身に刻み込まれた「戦場」の痕跡が存在した。これらの事例に加えて、第Ⅱ部第四章の神奈川県や山形県の精神病院入院患者の事例もあわせて考えると、「戦場」という空間から離れ、「戦時」という時間が終わってもなお残る傷を生み出す-そして「戦後」もしくは「新たな戦前」になるかもしれない時代を生きる私たちもまた、その傷とともに生きている-ものとして戦争を捉え直すことが必要なのではないだろうか。[p306-307]
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wkmnbipolar · 3 years
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2021.11.27
10.30でRESHを終了。
追われるような毎日だった。
学びをじっくりやりたい。
自分の望みはそれだけなのにずいぶんかけ離れた選択をしてしまった。
”無理をすればおつりが来る”
年齢のせいか、躁鬱のせいか、ブラックなのは確かで。
短時間休憩・長時間労働・11か月の間に6か所勤務先が変わるような環境に身を置いてきたおつりはきっちり来て
最初の4日、食事とトイレ以外昼も夜も眠り続け
5日目の夜、眠れなくなった。
回復してきていると思い、夜眠るために昼間散歩ないし走ろうとする。あれ?走れない。
歩いても体が鉛のよう。上野公園へ行くも人込みが余計に不安を煽り
帰りみち、道に迷い体を引きづるように途方に暮れながらとぼとぼ歩く。
あんなに寂しい散歩はしたことがない。
気分転換のはずが、旅行になってしまう。
家のベッドにたどり着いたときの安堵感。
でもお腹が空いている。買いに行くのがとてつもなく面倒、作るのも面倒。
とりあえず台所下、冷凍庫に眠っていたものを温めて料理とも呼べないものを食べて空腹をしのぐ。
眠る。
散歩する。
食事。
キッチン下の掃除など 普段できなかった掃除をする。
日本地図をやり直したり
リラックスして過ごせる日もある。1週間は割合予想通り、どうせ寝込むだろうと思っていたので予想外に掃除ができたのはうれしかった。
二日ほど楽な日があり、皇居まで自転車で向かう。皇居内を散策するが疲れてしまう。帰り千鳥ヶ淵の景色がきれいでやっと気分が軽くなる。
帰宅して餃子を包んだりできる。
次の日も穏やかだったので千沙に沖縄へいってもいいかい?ときく
13日から行くことにする。
翌日、全然動けない。午前中は眠り続け
夜になって少し外の空気を吸おうと自転車で南へ。
不安でいっぱいになる。河川敷をはしる。帰り、雨がふり泣きながら走る。
死にたくなる。8階から飛び降りれば多分死ねるだろうが、ゴミ捨て場に住み着いてるあのデカいネズミに飛散した部分を食べられることを考えてゾッとする。
そしてその考えを頭から追い払う。
9日、会社から革が届いた連絡。
10日しかタイミングがないので明日仕上げて持っていくからとすぐ送ってもらう。
作業にとりかかるが、途中で革が破れてしまう。行けない連絡をするが返事はない。
11日、全然動けない。絶望している。このままじゃ沖縄へは行けない。
適応障害なら環境を変えれば
1週間くらいで動けるようになると思っていた。
病院へ。
相変わらず主治医は冷たいが、最低2週間は寝たきり、1か月は様子みないとなんともいえない。
適応障害か鬱かの見極めも症状ではなくて、期間という話。
だから焦らないで休息に専念してください。沖縄はちょっと今のタイミングではないんじゃない?テンションがちょっと合わないんでは?
まだ10日ちょっとしかたってない。
12.8に予約
元気な姿を見せたい、また音更に療養に帰るのは避けたかった。母に電話して帰ることに。
ちさむに行けなくなった連絡。
吉池でカキフライ定食。
12日
大原さんからぜんざいセット
ちさむと大原さんと実家用におせんべいを買いに神田へ
秋葉原であやたのLEGOのガチャを探して疲れる。疲れると寂しくなる。
空腹になると絶望するし、食事の事を考える時間が憂鬱なのでそばを食べて帰宅。
行けなくてごめんねの手紙、
大原さんにお礼の手紙
帰り支度もなかなか進まないがなんとか
13日帰省
身体は鉛のように重いがとてもうれしい。 
心底ほっとする。
※この期間は常に体が鈍重で気分も鬱陶しく誰にも連絡をとろうと思わないし
靴を始めてから卒業後コロナ、人に会えないくらい忙しい靴修理の仕事、5月以降行けなくなったけど休日はほぼ靴教室へ行っていたので友人関係も疎遠になり誰からも連絡は来ない。
お昼ご飯を買いにいく。
夜ご飯をつくる。
洗い物をする。
夜眠るリズムを崩さないために
自然のある場所を探して出かける。
病院に予約して行く。
普段なにげなく済ましている用事のひとつひとつが大仕事、体は重く時間もかかる。
それでも部屋だけは乱れないようにしていた。
代田橋での最初の酷い鬱の時、掃除もできなくなったことがさらに追い討ちをかけた。
身なりに構わなくなる。
人に会いたくないので髪も切りに行けない
の悪循環。
電車を見れば飛び込みたくなり、オリジン弁当しか食べられなかったあの半年。
鬱の時だけ思い出すことができる記憶。
この鬱のときにつける記録の存在自体も元気になると忘れてしまっていた。
おそらく前回の記録も鬱から上がりかけのときに書いている。
djをやめるか、別のなにかをみつけられるかと絶望している。この絶望は本当に苦しかった。
あなたは絶望の中から靴を見つけて暮らしも場所も変えてまた歩き出した。今回休んでるのはちょっとペース配分を間違っただけで。それくらい靴づくりと出会ったこと。靴をつくることがうれしかったから気負いがあったと思う。
わたしがこの病気に感謝できる唯一の方法が、靴づくりを続けること。それを通してまた人とつながって行くことだと思う。
焦ってもなにも生まれない。
真面目に一生懸命やるのは当たり前だけど
遊びもないと広がっていかない。
苦しみも楽しめばいい。
苦しみの後には良いことがたくさんある。
そこで落ち着いて、そのひとつひとつに心底感謝することができればそれでいい。
あなたは運がいいし、人にも恵まれるから
調子に乗らなければうまくいくよ。
孤独なのはあなただけじゃない。
またすぐ人に囲まれた暮らしになる。
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ntrcp · 8 years
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混乱する夫16
ようやく眠気が襲ってきたが、風呂に行くことが必要と思うと煩わしかった。脱衣場で服を脱ぐとだらりと垂れ下がった男性器の周囲に生えた陰毛は妻の与えた潤いが乾いており、手で触れるとややガサガサとした印象を感じた。 ふと、妻が映像で股間に咥えた性具も同じ感触だったのかと思うと状況に似合わない笑いが込み上げたが、鏡に写る裸の自分を見ればその表情は曇っているというより感情を押し殺して笑みを浮かべており感情を制御しきれない自分が無性に哀しかった。 股間にはもはや放つ精も無く手早く入浴を終えると静かに寝室に身を横たえ、妻の体の曲線を描く薄い毛布が月明かりに照らされている様を見ながら目を閉じた。 翌週に出社すると、あまり病欠することのない自分を心配したのか盛んに周囲が気遣ってくれた。それに応じながら昨日中のメールや部下の日報に目を通していると、辺りがやや静かになっていた。 何かと思い視線を画面からあげると数メートル先に上席が歩み寄っているところだった。 慌てて席を立ち挨拶をすると、現在進行中の仕事について確認する為に足を運んだとの事だった。 上席は自分の役職では接することも少なく、知る範囲では別段付き合いにくい人物ではなかったが、出世するだけの能力を持っており親しみよりは畏れをもって知られていた。 どちらかといえば現場に足繁く通うことはなかったので、職場内は緊張しているようだったが、その異様な雰囲気が可笑しかった。そう思うと緊張も溶け、問われるままに進行状況を答えた。 流石に場数を踏んでいるだけあり、一つ一つが斬撃を受けているようだったが、次第に問いも軟化して行った。内心で出張の帰りに部下が纏めてくれていた資料に感謝しつつ説明を終えると、上席は納得したようで暫く考えていたが、やがて口を開くと思いも寄らない発言をした。 上席はその計画をこの事業所の集中プロジェクトに指定するつもりであることを言うと、矢継ぎ早に必要な経費と人材を纏めて明日提出する事を指示した。 部下共々呆気に取られていると、鋭い視線をこちらに向けると返事を要求した。やや強引な手法に抵抗はあったが、まだ釣り糸を垂れているような状態であるところに強力に推進できる機会と思うと否は無かった。 承知したことを答えると、上席はそれが習慣であるかのように身を翻して足早に去っていった。直ぐに賑やかな職場に戻ったが、周囲の好奇の視線は不快ではなかった。 その頃には先ほどの集団で石化したような状態も忘れており、明日の提出期限の厳しさをひとしきりぼやくと数人の部下を集めて打ち合わせを始めた。この計画に関わっていたのは、先日出張を共にした部下だけだったので概要説明から始める事にやや苛立ちを感じたが、部下は思いのほか理路整然と要所を抑えながら短時間で説明というよりプレゼンテーションと言った方がふさわしい解説を終えた。 部下は積極的に多人数を相手に話すことにはあまり向いていないと思っていたが弁舌爽やかな様子はその舞台があれば才能を発揮できるようだった。自分の人を見る目がないことにやや落胆したが、才能の無い部下を嘆くよりは、才能ある部下に悩まされる事の方が望ましいと自分を慰めた。 自分は机の脇に立っていたが、すでに机の上には数枚の書類が散らかり、引き寄せられたホワイトボードにも余す所なく書き込みがされていた。ルーチンの仕事ではないので、各々の案を競う様子は楽しいものだったが、資料をまとめるのが晩となるなら夕方までには報告の方向性は決めておかなくてはならなかった。 やや強引に話に割り込み、検討を中断させると昼食を摂ってから再開する事にした。昼の時間は過ぎていたので部下を連れて会社近くにあるファミリーレストランに行くことにした。 部下は突然の出来事に興奮していたが、まずがこれからの身の振り方によって部署としても個人としても将来に影響することを話し、慎重に進める必要があることを説いた。先日のように自宅に持ち帰っての作業は情報漏洩や信頼性の点でリスクを増すことを良い機会と思い指摘したが、部下は素直に納得したようだった。 ともあれ、今日に限っては作業が深夜に及ぶことは避けられない事と思え、気が重くなったが、部下は今日は部署総動員で自分が先導すると張り切っていた。 前言を翻すようで気が引けたが、今は部下の勢いに乗るべきと考えを改めると、行儀が悪いことに食事をしながら今日の作業の進め方に没頭した。 遅めの昼食を終え職場に戻ると部下を集めてこれからの作業を指示した。計画の立案には膨大な分量の資料を集めることと分析することを並行せねばならず、二手に別れて作業にあたることとした。 一方を自ら率いることとして短時間で作業指示を済ませて着座すると、部下が若者と話している姿が視線の端に見えた。 先日の礼を言うためにそばによると、若者は屈託無く笑顔で応え仕事の励ましまで口にした。変わらず人の良さそうな若者と話をしていると、その陰鬱な行為が頭をよぎったがどうにか表情に出すことは抑えることができた。 若者は部署全体が浮き立っている様子を感じ取った様なので、事情を軽く話すと人出が必要なら呼んで欲しいと言った。その口ぶりは社交辞令とは思えなかったが、派遣社員として勤めているのでは、今回の仕事に加わってもらうことはできない事を率直に言うと、若者は寂しそうな表情となり同情を誘ったが、それも一瞬の事で仕事の成功を願っていると言って去っていった。 部下は、若者について僅かな時間でも好意をもったようで、社内のやる気がない社員に比べればこの部署に招きたい位と笑って慨嘆していた。 改めて若者の対人関係の良さを感じ、その事を考えると若者をこの部署に招く案を考える始めた。若者の行為は問題だったが、この部署には女性は数える程しかおらずその解決にもなり、若者の父親や友人から飲み屋の店主など周囲の人の事を考えれば、彼に罰を与えるよりは、矯正することが良いように思えた。 自分が妻にされた行為の怒りを超えて、若者に益を与えようとしている事は奇妙な考えだったが、そこまで若者に好意を抱いていることも不可解なものだった。 他部署の社員が帰社する時間となると、社内も徐々に人気が無くなり電話の音も響かず、静かな職場に書類をめくる音と、キーボードを打つ音が流れていた。 なかなか先の見えない行程に不安感が増したが、部下が持ってきた資料により前途が開けた。一区切りをつけるため、作業補助に残ってくれていた事務員に感謝を伝えて帰らせると小休止とした。 ある若い部下は別の期限が迫っている仕事に取り組んでいるところを中断し、作業に加わってくれていた。ねぎらう為に声を掛けると、スマートフォンにメールを打っているところだった。帰りが遅くなることを伝えるメールである事を明かすと朗らかに今日は徹夜でも付き合ってくれる事を言えば、周囲の人間もそれに同調した。 我ならず胸が一杯になり、込み上げる思いは感謝を言おうとする口の動作を妨げたが、部署の一体感に深く感動が体を流れ、何としても明日の報告を成功させる決意が頭を満たした。 昼食は遅めに摂ったのだが、それから数時間が過ぎて軽く空腹を感じた。と思うと、部署の面々は相当に空腹であろうことを考えると、作業に没頭して、肝心の管理業務が疎かになっていたことを反省した。 それぞれ作業の進行を見て、夕食をとるように伝えたが、一旦言葉を切ると、領収証を提出するように指示した。その意味するところを理解したのか、一挙に騒がしくなり夕食の買い出しに行く先は近所の弁当屋から、寿司屋とピザ屋となっていた。 あまりの忙しさから来る躁的な陽気さを落ち着いてみていたが、廊下に出ると先ほどの若い部下を見習って妻に帰りが遅くなるか、徹夜になることを伝えた。妻は病気の事を心配し、盛んに無理をしないように言っていたが、適当にそれを宥めると戸締りをしっかりすることを伝えて電話を切った。 食事の後に作業を再開すると、11時を回ろうとする前には完了の目処がついた。人員については導入後の運用までは現状では手が回らないので、2名の増員を申請した。 後は付属資料を精査してまとめるだけとなったので、終電が早いこの地方でもこの時間とならば帰宅することができると思われるので部下を帰宅させる事にした。 思いの他作業の進行がスムーズだったことに見積もりの甘さを考えたが、部署全体を動員することで得られるチームワークとそれによって得られる処理能力を思うと誇らしかった。 零時を回る頃には、一方のチームを率いた部下と自分だけとなっており、資料の読み合わせをして完成度を高めた。この時間になると流石に疲労は隠せず、ここにきて体の重さが気になるようになってきた。 徐々に効率を落とす頭脳を意識しつつ、懸命に意識を保ちながら計算書類などを確認していると若干の図表の差し替えなど必要となり、結局全てを完了した時刻は深夜2時過ぎとなってしまった。 首都圏であればタクシーを容易に呼ぶことができるが、この地方ではタクシーを呼んだとしても30分程度かかることは普通のことだった。先に手配しておかなかった事を後悔したが、深夜の空気感なのか部下は気安く自分を呼ぶとタクシーがあと僅かで到着する事を知らせた。 どこまでも気が利く部下にある種の畏敬の念さえ起こったが、感謝を伝えると仕事を片付けて部下と共に玄関をでて門の前をヘッドライトで照らしているタクシーに向かった。 部下に別れを告げてタクシーに乗り込む時に門の先を見やると、事務棟に明かりが灯っている事に気がついた。それは若者の顔と直結したが今更戻る気も無く運転手に行き先を伝えると加速するシートに身を預けた。 表札の明かりを除けば自宅は暗く静まり返っており走り去るタクシーの音を聞きながら自宅に足を踏み入れた。暖かくなり始めた季節だったがこの時間は心地よい風が吹いていた。 玄関に向かわず、玉砂利の音を立てないように慎重に足を運ぶと車のそばに立った。 そこから庭を眺めると妻がそこで自らを撮影した姿が重なって見え、暗い背景に妻の肌が白く光っていた。 疲れからなのか幻覚のような表情を覚えるのでは早々に休む必要があることを感じたが、振り返った先のドアガラスが写す景色には自宅のカーテンの掛かったリビングに黒々とした姿をみせるドライブレコーダーがあった。 それが撮影した自宅の妻を考えると足を玄関に向けずに静かに車に乗り込むとドライブレコーダーのメモリカードを引き抜いた。 カバンからノートpcを取り出すと起動と同時にそれを挿入した。 画面の明るさから光が外に漏れている事が気になったが���映像を始めると画面は暗くなり閉鎖された車内の暗闇に包まれている事を心地よく感じるのだった。 画面は暗いためはっきりとはしなかったが、画面中央に走る光の筋はカーテンの隙間から灯りが洩れているものだった。 今より風が強かったのか、風に煽られたカーテンは時折はためく事で自宅の中を覗き見せていた。 ドライブレコーダーはモーション感知撮影の設定だったので、揺れ動くカーテンが撮影を止めること無くその無意味とも思える画像を映し出していた。 通常の撮影モードではメモリカードの容量一杯に撮影すると再び先頭から上書きするのだったが、大容量のメモリカードをセットした事で約4時間程度の撮影ができることを設置した時に目を通した説明書の記述が記憶に蘇った。 映像を進めても変わりのない画面に期待を裏切られた憔悴と反面安心を感じている頃に画像に妻が写った。 その姿は一瞬だったので、妻が写る瞬間にポイントをあわせしげしげと見ると、妻の上半身の線をピッタリとした曲線でなぞる白いタンクトップは妻が時折行っているヨガをしている事を示していた。 下半身は上半身とは対象的に緩いパンツを履いており、それが自分も目にした姿であることは日常の姿であることを思い出させた。 妻の姿は画面の一部を占めるに過ぎず、それもカーテンが風に煽られた一瞬だけだった。断続的に写る妻はストレッチを行っており、こちらに背を向けて屈伸している様は妻の尻の曲線を魅惑的に描いており、性的な興奮より自分がいない時間の妻の行動を覗き見る悪趣味と分かっていても安らぎを感じるものだった。 自分が触れた白いタンクトップは妻の豊かな胸をはちきれそうに覆っていたが、不思議と胸元まで覆われているデザインは下着に等しい線を描いていても健康的に映るのだった。 時間にして10分程それは続きあれこれと姿勢を変える妻を眺めていた。黒い画面に走った光の筋の中にいる妻の姿に注目していたが、やがて頭はぼんやりとして画面に集中を保つ事が難しくなってきた。 ストレッチを終えてからの妻はヨガのポーズをとり、その動きの少なさも一層の眠気を誘った。 映像を止めて自宅に帰ろうと傍のカバンに手を伸ばした時に画面には異変が起きた。 まだ不快を感じる温度ではなく、風が心地よく抜けていく筈だったが、妻の運動量による発熱はその冷却を上回り妻はこちらに確認するように目を遣るとパンツを脱ぎ始めた。 丁度その頃に風が止み、カーテンが妻を隠している事に苛立ったが、それに呼応するように妻の姿が現れた。意味もなく危機感を募らせた自分を嘲るように妻の下半身は灰色のスパッツとなっていた。 そもそも普段であれば2階にある寝室で行っているヨガを今日に限ってリビングでしている事が不可思議だったが、外から除くことができるそこで、少なくともそのままでは外を歩くことの出来ない姿でいる事が妻の無防備さを感じさせた。 妻はその身体によせる男性の興味に全く無関心ではなく、一年に数回は男性の卑猥な言動や行為を自分に訴える事があった。 それには自分も無関心ではいられなかったが、妻と話す内、自身の身体を舐めるような不快な視線は判るものとの妻の言葉には自分の行動を振り返れば背筋が寒くなる思いだった。 画面越しに妻の見る自分の視線は今や明らかに妻の身体を舐め回しており、相手が見えない位置から安全に妻の体を視線で犯している点では、犯人と同罪ともいえた。 妻がポーズを変える度にふっくらとした部分をしなやかな曲線が繋いでいる姿は神々しさと淫猥さを混ぜた複雑な感情を芽生えさせるのだった。 昨晩の水着の妻に興奮したところに、見慣れた姿に欲情している自分が気恥ずかしかったが、今度この姿で妻とセックスする事を心に誓った。 画像を止めると車を降り静かにドアを閉めると玄関から自宅に入った。遅くなり夕食を済ませる事を伝えていたので食卓には何もなく、静かなリビングの奥に縦長の鏡が立て掛けられており、そのそばに丸めたマットがあることで妻が確かにそこでヨガをしていた事が分かった。 この時間には窓も閉められており風にカーテンがはためく事も無かったが、競うことの無い運動に自身の姿勢を写す鏡の前で妻が一心不乱にポーズをとっていたと思うと可笑しくもあった。 寝る前に浴室の洗濯籠を見るとそれが妻の肌を覆っていたとは思えない小さな布切れがあり、それを拾い上げると顔に当てた。多分に変態的な行為と思ったが、僅かに湿り気を感じるそれからは妻自身の香りが広がり乳首を押し潰していたであろうカップの先端に唇を合わせると脳髄を眩ませるような感覚を味わった。 スーツの股間は醜く膨れ上がっており、この行為で興奮している自分が情けなかったが頭は妻と交わる事で満たされていた。 2階に上がり妻に襲いかかろうとも思ったが、いくらなんでも常識はずれの行動は妻になにかを気付かせる事にもなりかねないと思うと、pcの前でいつの間にか集まった妻に関する数点のコレクションを品定めしていた。 最初は犯人による映像を思い描いたが、今日見た映像による興奮が犯人と一致した嫌悪感から若者が盗撮した映像を選択した。 既に見た映像であるにも関わらずそれは股間にあてた手の上下動を激しくさせ、妻の香りを描きながら絶頂を迎えた。 ティッシュペーパーに含ませた精液は厭わしいものだったが、放つ匂いをゴミ箱に捨てる訳にはいかなかった。 トイレに向かうと、それを便器に投げ込み水を流すと奇妙に晴れやかな気分となって寝室に向かい、横たわるとほぼ同時に眠りに落ちた。
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