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Extremely loud
小さく痩せ細った体。だらしなく伸びた黒髪。
不自然な笑顔と角度のついた猫背。
肥大化した自我は社会の渦に呑まれて、その形を失った。客観視は誰よりも自分を追い詰めた。批判や批評はくだらないものをくだらないという当たり障りのないものに思えた。
考えることを止めて、話すことをやめた。本音と建前は対立せずに綯交ぜになった。満員電車は未だに吐きそうになる。お酒を飲めばそれなりに楽しい。信頼できる友人も、電話一本で言葉を交わせる家族もいる。このままで良いはず、このままで。
何を考えても、何を言っても、誰といても、何をしても、全然意味なんてないように思えた。実際に意味なんて無くて、何らかの事��が起きた際にあとから都合をつけるための言い訳でしかないとも思った。
自分を憐れんでも、足掻いても、讃えても、ただ寝てても、ヘラヘラしていても全部同じみたいだなと思った。だからもう自分は必要ないみたいに思えた。生きると言うことはただ過ぎることかもしれないし。
それでも例えば、君の作ったご飯が美味しいとか、満月の夜は何故だか寂しいこととか、笑えるような寝癖のことか、ありきたりないい間違いとかそういうことをただ素直に、言葉にしてみれば良いのかもしれないと思ったし、どこかに残せば良いのかもしれないと思った。
時間か、環境か、もしくは自分自身が断絶した自分と自分を繋ぎ合わせるために必要な行為が言葉を紡ぐことだとすれば、今はただそれに向き合えば良いように思う。
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(Non) substitutability
コカコーラとペプシコーラ、iPhoneとAndroid、uniqloとMiumiu、恋人とセックスフレンド、ビールと発泡酒、セリーグとパリーグ、アクアとプリウス、海と湖、毒と薬。
散らかった部屋でろくに電気もつけずに泣いていたあの人も、眠るためだけに毎晩缶チューハイを開けていた友達も、夜な夜なSNSを行ったり来たりするだけの俺もみんな同じ様でみんな違う。
それでも似ていると、同じだと、近くにいると、親しいと、そう信じて惹かれ合う。そう信じて愛し合い、奪い合い、傷つけて壊し合う。
そんなに大切ならなんで手放したん。なんで傷つけたん。なんで疎ましかったん。なんで安心したん。それでも多分愛していたから。
遅刻癖、片付けが苦手、歩くのが遅くて電車の乗り換えが苦手、深夜になるとコンビニに行きたがる、ご飯を食べるとすぐ横になる、寝相が悪い。
美しいのは思い出であって事実ではない。
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2023年1月1日。
宴会の後。浮かれて買いすぎる癖がいつまでも直らず、残飯の匂いが立ち込める部屋から送信。
眠れずにいて思考だけが空回りしている。
昔から、繋がりに満ちた瞬間を幾度経験しても、自分が他人とすれ違う度に、分かり合うことを諦める度に、そこにいた君もあいつも見えなくなる。巻戻すことのできないほどの距離が生まれて、もう2度と会えないんじゃないかと思う。
そんな風に思うと、結局のところあまりにもありきたりな結論に落ち着く。
一言にすれば「人は孤独である」というような、チープで滑稽な言葉になってしまう。それ以上に上手く説明できないことがもどかしい。たったそれだけのことが、なんでこんなに寂しいのか、耐えきれずにいるのか、それは10代のあの頃から今に至るまでずっと分からずにいる。
なんでこんなにも俺は寂しい人間なんだろうかと思う。満たされて、与えられて、これ以上何を求めればいいのだろうか。寂しさとは強欲さに含まれる要素のひとつなのだろうか。だとしたら俺は寂しい人間なんかじゃなく、欲深いだけの猿かもしれない。
10代の頃の鬱屈の原因が不安や焦燥なら、20代を過ぎてからの鬱屈の原因は絶望と諦念にあると思う。
繰り返し起こる小さな絶望を目の当たりにして、適応するための術を見出す。見様見真似でみんなと同じようにしてみる。耳を塞ぐ。目を瞑る。口をつぐむ。そうやって緩やかに息を引き取っていく。
大人���なるという自覚と、大人になるためのフォームと、俯瞰で見た自分ができるだけ醜くないように、他人と比べて恥ずかしくないように、色んなことを諦めたり、蓋をしたり、ありとあらゆる反抗をやめたり、そうやって装ってきたここ数年感をたった数秒前に芽生えた感情に覆される。
胸の辺りでつっかえていたあれこれが、吐瀉物として形になる。他人から見ればずっと滑稽なポーズをとっていたように見えてるのかもしれない。
例えば俺と君が、俺とあいつが、君とあいつが理解し合うことはファンタジーでも、認め合うための手段、与え合うための手段はいくらでもあるはずで、それら全てを諦めていた、放棄していた浅はかさに今になって傷つけられる。
10代の頃求めていた居心地の良さの正体はある意味、分かり合う行為を避けることで得られる一瞬の快楽なのかもしれないと思う。
傷つかないために逃げ続けたその先で、痛みは倍以上になって返ってくる。逃げ場なんてハナから用意されていなかった。
義務教育では人との正しい関わり方なんて誰も教えてくれなかった。教師なんてみんな馬鹿だと思っていたから、俺が授業中聞いていなかっただけかもしれないけど。
こんなにも色んなことに気がついてもここから一歩も動けずにいる。
快楽のためだけに用意された舞台で、醜いダンスを踊り続ける。
Netflixのもう一度見るに登録されている映画やアニメは、孤独との向き合い方や、人との関わり方の模範解答を見せてくれた関わらず。自分というフィルターを通せば全てが無意味で無価値になってしまう。そんな風に思う。
あと1時間もすれば夜が明ける。ありきたりな感傷が影に隠れて見えなくなる。勇敢という言葉が鼻につく。
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雨が降っているから眠れないということにしておきたい。眠れない夜には慣れている。慣れてしまっている。
目まぐるしくすぎた数ヶ月には実際のところ何の価値もないように思う。進展のように見えた死ぬまでの停滞がただ始まっただけという事実のみで、捉えようにとっては後退している。
それなりに楽しいことも十分あって、思ったよりも友人や、話の合う仲間がいることもわかって、純粋に変に斜に構えずに喜べたりもする。
それでも相変わらず埋まらない空白の欄に誰かを当てはめては失望して、自意識だけが大きくなっていく。
恋人も親友もみんな死んでしまって、葬式もあげてやることはできない。なぜならみんな元気に���らしているから。
10代の頃の絶望を噛み締めることができた日々とは打って変わって、味の薄い鬱だけを舌で転がして薄めて薄めて死んでいく。
政治にも宗教にも興味がない、馬鹿だから何も分からない。
この物語にハッピーエンドはない。
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この鬱屈の正体の大半は、他人に打ち明けてしまえば笑われてしまうようなくだらないことばかりだ。その一方で自分にとってはこの上ないほど深刻で見過ごせない問題であることも事実としてある。それらの哀傷には感触が確かにあって、自分だけは触れることができる。
自分が大事に抱えている不安や悲しみなんてものは、一度それに他人が介入してしまえば、無いものみたいに扱われてしまうようなことの数々の積み重ねで、その事実を受け止めることができない自分の弱さを自覚していたから、秘密にしておくしかなかったのかもしれないと思う。
また日々自分自身も他人のそういうごくプライベートな感情を、大切な何かを、平気で傷つけている事実にどこかで自覚的であるからこそ、秘匿事項として持ち続けるしかなかったのかもしれない。
そんな些細な鬱屈の積み重ねで日々を悲観している。そういう器の小さい人間で、自分自身の脚色に追いつけないような不器用な人間であることだけはずっと昔から嫌というほどに自覚はある。
皆それぞれの情けさなに蓋をしながら生きているはずだと言い聞かせているけど、もしそれが事実ならこんな文章を綴ること自体異常なのかもしれないと思う。
もうすぐ嫌な季節が来る。
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「結局自分が一番大事だからさ」と酔った勢いで言われた時に、誰かを思う気持ちや行動を踏み躙られたような気がして、怒りや悲しみとも違う諦めに近い感情を抱いたけど、結局のところ、俺は俺しか大事じゃないのかもしれない。俺は自分しか愛せないのかもしれないと思った。悲しいけど結局そんなもんか。
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