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芸術思索
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美術館で鑑賞した作品の感想を中心に、芸術について書き留めています。
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artetpensee · 2 years ago
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『君たちはどう生きるか』
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全てが謎なまま上映開始した『君たちはどう生きるか』ですが、『千と千尋の神隠し』以上のハイスペースで観客を動員していると聞いて驚いています。
徹底的なネタバレ対策が講じられた本作を、「ネタバレされる前に観たい」という人が多いのでしょうか。
私もそのうちの1人で、上映開始5日後に観てきました。そして自分でも不思議なのですが、初めてジブリ映画で涙が出たのです。
アニメーションの美しさ
あまりに当然のことでつい言及し忘れてしまいそうなので敢えてはじめに書きますが、私が感動した理由の1つはアニメーションの美しさです。
冒頭で主人公・眞人が階段を移動するときの描写や、建物に燃え移った炎の躍動感はそれだけでも観客に「映画を観に来て良かった」と思わせるでしょう。
冒頭部分を除くと、監督の若かりし頃の作品で見られるような、誇張された迫力あるアクションは本作ではあまり見られません。
しかし、コップで水を飲む動作、弓を射る動作、船を漕ぎ出す動作、パンにバターを塗る動作など、人が深く考えずに普段から行っている動作が、アニメーション表現のテンプレートを用いることなく極めて写実的に描出されていることで、「動作の美しさ」に対する純粋な感動を覚えます。
アニメにありがちな相槌や独り言のような台詞が一切排除されている点も、この動作の写実性を補強していると思います。
背景美術も非常に綺麗でした。
パラレルワールドに存在する墓の島には、ベックリンの絵画『死の島』を想起させる黒々とした巨大な杉がそびえ立ち、中央には先史時代の支石墓のようなものが鎮座していました。
実在する美術が組み合わされた墓の島は、死の恐ろしさを強く感じさせながらも人を引き込むような魅力を併せ持っており、眞人を迷い込ませる説得力がありました。
このように監督の頭の中にストックされているモチーフが見事に再構築されており、「ジブリの世界」を十分に満喫することができました。
眞人の成長の���語
物語の柱となるのが、主人公・眞人の成長です。タイトルである『君たちはどう生きるか』という問いに対する答えを眞人が見つけていく物語だと捉えることも可能でしょう。
生と死の間の世界で命の偉大さに触れ、少女時代の母と冒険を繰り広げることで精神的な成長を果たす眞人は本作品の見どころの1つだと感じています。
主人公が直面する「生」と「死」の存在
先述の通り、物語の冒頭シーンの迫力は、多くの観客に強烈な印象を残すことだろうと思います。
母が入院する病院の火事の知らせを聞いた主人公・眞人が獣のように階段を駆け上がり、人混みを掻き分けて家事現場に向かうシーンです。炎の描写はビデオ映像を見る以上に肉眼で見るそれに近く、母の「死」を眞人にも観客にも強烈に刻みつける場面でした。
次の場面では数年の時が流れ、眞人は父の再婚相手であるナツコと出会います。
ナツコはすでに夫との間の子を宿していました。ナツコは自己紹介もそこそこに眞人の手を取り、自らの腹を触らせます。
父が経営している飛行機工場とともに疎開してきた眞人は、ナツコの実家に暮らすことになります。
母が炎の中に消える悪夢を見て、夜中に部屋からこっそりと起き出した眞人は、仕事から帰ってきた父と出迎えたナツコが深いキスをかわしているところを目撃します。眞人はそれがどういう意味なのか分からないほど子供ではなく、しかしナツコににこやかに接することができるほど大人でもありませんでした。
眞人はナツコとのやり取りでは礼儀正しいながらも必要最低限の会話のみに留め、今は亡き実母の存在を求めつづけているように見えました。
母の「死」で頭がいっぱいだった眞人は、継母の出現によって「性」に限りなく近いところにある「生」を意識し始めることになります。
ジブリの世界で描かれる「命の営みの尊さ」
パラレルワールドに引き込まれたナツコを追って眞人がたどり着いたのは、現実世界の "下"にあると言われる、生と死の間にあるような世界でした。
そこで窮地に立たされた眞人を救ったのは、死の世界に住むキリコという女性でした。その世界の構成員のほとんどは幻か実体を持たない生命体で、殺生ができるのは自分だけなのだとキリコは眞人に話します。
眞人はキリコとともに魚を獲り、生命体に分け与えた残りを調理して食べ、眠ります。
食事や睡眠など人の生活の根幹を成す部分が丁寧に描かれていた場面です。また、それまでは他人に心を開かなかった眞人の表情が一気に豊かになる場面でもあり、個人的にとても心に残りました。
眞人がキリコの家のテラスに出ると、まるでサンゴの産卵のように、白い風船のような生命体が夜空いっぱいに昇っていました。キリコによるとこの生命体たちが "上" に行くことで、現実世界で新たな命として誕生するのだそうです。
数えきれないほどの生命体たちを見ているとき、眞人の脳裏にはナツコの赤子の存在があったことでしょう。
その幻想的な光景は、命の営みもまた生活の根幹を成す要素であり、命は尊いということを眞人と観客に語りかけているようでした。
亡き母への未練との訣別
序盤の眞人は母親のことを非常に恋しがっており、フロイトのエディプス・コンプレックスをも想起させました。
生と死の間の世界を出発した後、眞人はパラレルワールドでようやく母親に出会えるのですが、母は母でも少女時代の母だったのです。
実は母親も若い頃に眞人同様パラレルワールドに迷い込んだことがあり、そのときの母親と現在の眞人が時空を飛び越えてパラレルワールドで出会っている、ということになります。
「ヒミ」と名乗る少女時代の母と眞人はナツコを探すための冒険に出ます。
冒険の過程で眞人とヒミは、親子の愛情とは別に同年代の友達同士のような絆を築いていきます。
これによって眞人は「母親」という自ら理想化してしまっていた存在を俯瞰して見ることができるようになり、ナツコのことを新しい自分の母親として受け入れます。そして、今までは同年代の友達を作らず距離を置いていましたが、友達を作るために心の扉を開ける決心をします。
この物語をエディプス・コンプレックスになぞらえるならば、エディプス・コンプレックスは定義上では男性の近親相姦的願望は父親によって抑圧されるか同年代の異性の他人を関係を持つことで解消されるとされていますが、
「実の母親が同年代の友人となることでコンプレックスと訣別する」
という回答は斬新で面白いと思いました。
原始的な感情としての「平和の希求」
私が『君たちはどう生きるか』に最も心を動かされたポイントは、
「善い人でありたい」
「平和な世界を作りたい」
という極めてピュアなメッセージ
です。
眞人が迷い込んだパラレルワールドは、自分の母の大叔父が造った世界であったということが判明します。
天才の大叔父が造り上げた世界で、眞人は生の尊さや自然の美しさを目にします。同時に、パラレルワールドの住民の僅かな「悪意」によって、パラレルワールドの均衡が崩れ世界が瓦解する瞬間にも立ち合います。
そして、自分が元いた世界では世界中を巻き込んだ戦争が繰り広げられています。
以上の経験を踏まえた上で、眞人は大叔父との問答の中で「平和を目指すこと」「そのために自信が悪意を持たないこと」を誓うのです。
このシーンを見たとき、私は自身の奥底にあった何か強い感情が揺さぶられるのを感じました。
「平和」という言葉を口にするのは、大抵は太平洋戦争を振り返るまさに今の時期や、ニュースで遠い国の争いを見たときや、ミサなどで祈りを捧げるときなどで、今まで平和とは理性で以て考え話し合う対象であると捉えていました。
しかし、眞人の言葉によって引き摺り出された私の感情は、理性とは程遠い原始的なものでした。
安心していたい、大切な人を守りたい、未来を守りたい、そのために悪いことはしたくない……誰しもが持っているこのような強い気持ちに、今まで経験してきたどんな平和学習などよりもこの作品が鋭く迫ってきたのは、戦争の時代を知っている監督の気持ちの強さと表現力の賜物だと思います。
誰しもが持っている平和を望む本能に語りかけてくる本作品は、多くの人の涙を誘うのではないかと思います。
終わりに
『君たちはどう生きるか』ぜひ観てください。動員数を増やして、監督に次回作を作らせてください。
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