Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
近似的解決が提供されたとき,最初は多くが真の問題解決との差に気づく。「やっぱりもち網で焼いた餅のほうが旨い」と感じる。だが,真の問題解決(餅を網で焼く)の手間を考えると,往々にして横着になり,近似的な問題解決(餅をチンする)を受け入れる。だが,彼女(彼)はこう考える。自分は真の解決と近似的解決の差を���瞭に認識している,ただ今回は費用対効果を考えて合理的に選択しただけだ,必要なときにはもちろん真の解決を選ぶことができる,と。 哲学者マーシャル・マクルーハンは『メディアの法則』において,それは甚だしい思い違いだと喝破した。人は自ら生み出す道具によって,形成されるのであり,その逆ではない。私たちはそれらの道具を利用することによって,それを補完するような新しい存在に不可避的に,なるのだ。 ソクラテスもそのことを見抜いていた。人類史上最大の発明である文字を用いることを,彼は拒んだ。そのことを惜しむ弟子プラトンはソクラテスの思想を文字にして残した。プラトンの選択は合理的ではあったかもしれない。だが,そのことによって失われたものの価値を私たちは判断することができない。なぜなら,私たちは皆,プラトン以降の文化で育ってきており,文字のない世界の差異を感じる能力を失っているからである。 私たちは今後,電子レンジによって,スマートフォンによって,Watsonによって,Siriによって,形成されていくのだろう。
新井紀子「近似的解決と真の解決」
0 notes
Text
たいていの人間は幸せでありたいと願う。では、幸せを感じる「要素」あるいは「尺度」は何なのか。既に、多くの人がこの問題を考えている。 私は、このほどこの問題に暫定的な結論を得た。人の幸福感は殆ど100%が「自分が承認されている感覚」(「自己承認感」としておこう)で出来ている。そう考えざるを得ない。
幸福の決定要素は、実は一つだけだった
1 note
·
View note
Quote
若い人から見ると、年寄りは昔から年寄りみたいに見えますが、 年寄りは昔から年をとっているわけではありません。 年寄りは皆、はじめて年をとる年寄りの新人なのです。 60才で定年になったとしたら、 定年になるのもはじめての経験なら、 60才になるのもはじめての経験なのです。 人が60才になったのを見ても他人のことですから、 60才になったら、身体がどうなって、 どんな考え方をするようになるかはわかりません。 親やまわりの人が年をとるのを見て、 まあ、こんなことだろうなと大体の想像はつきますが、 自分が実地に体験するわけではありませんから、 全くもって理解がないと言ってもよいのです。 60才の人が70才になるともっと年をとります。 すると長く年寄りを経験しているから 年寄りのベテランだと思いがちですが、 本人にとってははじめてなる70才ですから、70才の新人です。 同じように80才になっても80才の新人だし、 90才になっても90才の新人です。 いくつになっても新人ですから 新人としての好奇心を失わなければ、 人生はいつも新鮮な筈です。 でも或る年齢になると、前を向いて進むより、 うしろを向いて過去の光景を眺めながら 後ずさりをする姿勢に変わってしまうので、 変化のない景色の中を生きることになるのです。
年寄りは皆、年寄りの新人です
http://www.9393.co.jp/moshiq/kako_mos/2003/03_0311_moshiq.html
0 notes
Quote
13 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/02 08:02 「僕はね、ち、ち、かんぽの宿の勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。 「かんぽの宿が好きなの?」と僕は訊いてみた。 「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、かんぽの宿を作るんだ」
村上春樹風にかんぽの宿について語るスレ
https://www.pandora.nu/pha/tools/spam/harukin.php?key=%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%BD%E3%81%AE%E5%AE%BF
0 notes
Photo

An artist made a “third thumb” for your hand that makes everything easier
follow @the-future-now
97K notes
·
View notes
Quote
アレグロとは速度ではなく、擬似的二元性だから、元気よく走り出すためには、元気なく取り残されるものを必要とする。これをソナタ形式と呼んでもいいが、それこそ近代的父権主義の音楽でなくてなんだろう。武満は、幸か不幸か、アレグロを書くことができなかった。
武満徹の「うた」 高橋悠治(https://www.suigyu.com/yuji/ja-text/2004/takemitsu-song.html)
0 notes
Quote
おれたちが空間を突き破って走り出たところは、日本は日本でも、関西は大阪、大阪は千里山、おどろくなかれ日本万国博の会場、それも『日本の祭りと西洋の広場の精神を兼ねそなえた施設』と謳われ宣伝された『お祭り広場』のまっただ中だったのである。 折しも開会式当日の夜のこととて、幅百メートル長さ三百メートル、高さ三十メートルに及ぶ世界最大の屋根に覆われた大グラウンドでは、元首、貴賓、大使を含めた世界各国からの来賓数千人が両側の観覧席から見守る中で『人類の進歩と調和』をテーマにした大ページェントが各国民族舞踊団によって華やかにくりひろげられているまっ最中。 群舞の中央へ突然あらわれた、裸に近い恰好のおれとしのぶちゃんを見て、最初は余興のひとつと思い笑って眺めていた来賓たちも、こそこそと逃げ出そうとするおれたちの様子にさすがにおかしいと気づいて騒ぎ出し、あわてた主催者の指示で警備の警官たちがばらばらと走ってきた。 だがその時、おれたちの出てきたのと同じ空間をつき抜け、おれたちを追って拳銃をぶっぱなしながらヌートリアの王様、だんびらふりかざして政府軍兵士、続いて革命軍とアラブ連合の兵士数十人が次つぎとあらわれたから大変なことになった。「あそこにいたぞ。逃がすな」嫉妬に狂い周囲の状況も眼に入らぬ王様がおれたちを指してそう叫んだ。 警官とアラブ連合軍がぶつかりあい、射撃戦になった。舞踊団は悲鳴をあげて広場を逃げまどい、観覧席は総立ちである。 おれたちは、衣裳が似ているのをさいわいインド舞踊団のグループにまぎれとんだ。男は上半身裸体、女はすけ透けルックだからである。追ってきた政府軍兵士が、おれとまちがえてインド人の首をだんびらで切り落した。観覧席の貴婦人たちがいっせいに悲鳴をあげ、申しあわせたように失神した。 広場中央部の、あの見えないトンネルのある空間からは、さらに紅衛兵、ベトコンなども走り出てきて、騒ぎはさらにひどくなった。おれがあの後宮のドアを全部あけ放してしまったため、世界各国の連中がどっと入ってきたらしい。ベトコンを追って米軍兵士や、さらにはソ連の戦車、パリの学生運動の闘士なども次つぎとあらわれ、彼ら同士で相手もよく見定めずに撃ちあいをはじめたため、もはやどう手のつけようもない上を下への騒動になった。 とばっちりを受けたのは、各国来賓である。ベトコンや紅衛兵が、米兵や警官に追われて観覧席へ逃げこんだため、流れ弾にあたる者、斬られる者、楯にされる者、広場へ落ちる者などが続出、悲鳴と怒号、断末魔の絶叫が広場いっぱいに渦巻き、ここに人間性ゆたかな平和の祭典万国博覧会はついに阿鼻叫喚の巷と化した。おれとしのぶちゃんは観覧席の最上段に逃げ、なすすべもなくただ茫然としてこのありさまを見おろした。 ロイヤル・ボックスでは総理と国連事務総長がベトコンに追われて逃げまわり、ソ連舞踊団とドン・コサック合唱団は広場で紅衛兵と大乱闘、例の空間の出口からは新たに、餓えたインドの貧民がぞろぞろあらわれて着飾った貴賓席の婦人にすり寄って物乞いしはじめ、フランスの学生たちはソ連の戦車に蟻の如くたかってこれをひっくり返そうとけんめいである。 これはどたばただ、と、おれは思った。この空虚などたばたの行きつく果てに何が待っているのか、いや、いや、そう考えてはいけない。その考えかたはもっとも安易な理想主義だ。空虚などたばたの果てに何もある筈がないのだ。そして、それが事実なのだ。何もないからといってどたばたから眼をそむけるべきか。不愉快そうに顔をそらすべきか。否、それは現にここにある。現実に眼の前でくりひろげられている。いかに空虚であろうと、その空虚さが現実であれば、まずその空虚さを身にしみて知るべきである。全身で感じとるべきである。眼をそむけてはいけない、眼をそむけてはいけない、折しも天井に吊られていた垂れ幕の紐は切れ、『人類の進歩と調和』と横書きされたペナントはこの乱痴気騒ぎの大広場にゆっくりと舞い落ちはじめおおこれぞ真の調和、人類進歩の果て、宇宙開発と局地戦、話しあいと暴力、繁栄と飢餓、同時通訳と対話の断絶が併存するこの混沌たる現代にふさわしい、EXP0'70最高最大のページェントではないであろうか、うん、そうに違いないぞとうなずきながら、おれはしっかりとしのぶちゃんの手を握りしめ、いつまでもいつまでも、この果てしのない混乱を眺め続けていた。
筒井康隆「国境線は遠かった」より
0 notes
Quote
以上の点を以って断言するが、小谷野敦氏は「文芸評論家」としては小川榮太郎レベルの人物である。出版社にいるお友達やシンパのお情けで本を出させて貰い人に迷惑を掛けているという点でも似たようなものだろう。
https://twitter.com/jenaiassez/status/1318549419843854337
憤死に値する評価。
0 notes
Text
ある演奏会に於ける深町純氏の「駄作!」発言について。
数ヶ月前のことですが、我が国を代表する作曲家M氏の新作オペラの演奏会がありました。このオペラはある地方都市S市の開府四百年を記念した公演であり、総監督や台本作家、演出家にも、そうそうたる名前の並ぶ、公の金で制作されたオペラであり、傑作と前評判が高かったものでした(前評判とは何かは別の問題ですが)。ただし不思議なことに、公の金で制作されたといっても無料の公演ではなく、深町氏に言わせれば「一万円もの料金を取った、立派な商業的公演」でありました。(なお、このオペラに関する論表は、毎日新聞の一人の学芸委員によって、かなり取り上げられています) 問題はそのオペラの最終場面で起こったのです。オーケストラの最後の音が消え、会場が深い沈黙に包まれた(と、M氏の表現)、まさにその瞬間、最前列に座っていた深町氏はこともあろうか、少なくとも会場の全ての聴衆に聞こえるほどの大声で、「駄作!」と叫んだのです。しかし、その行為そのものは結局その後誰の口にも上らず、オペラの公演と同様、何の社会的な影響を及ぼさなかった(無視された)と言えるでしょう。しかし私はここで、氏の行為が正当なものであったかを、あらためて考察してみたいと思います。 当該の作曲家M氏は深町氏の行為に対し、「観客への冒涜である」と私信の中で述べています。M氏は、「それが作曲家個人への批判であるなら十分に受けとめるつもりである」とも述べたうえで、しかし深町氏の行動は、「音楽の最も大切な瞬間を破壊し公演そのものの成立を困難にした」と深町氏を個人的に非難しています。それに対し深町氏は、「チケット代を支払った観客として、音楽的に低級であった公演に対する当然のブーイングをしたまでであり、また自分の行為は事実上全ての演奏が終わった瞬間であり、公演そのものを破壊したわけではないのです」と反論しています。この両氏の論点は咬み合わないまま平行線をたどっているかに思われます。 深町氏は当日の公演の感想を次のように話してくれました。 「僕はオペラの冒頭から気に入りませんでした。数十人の子供達が手に蝋燭の様なものを持って、童歌風の歌を歌いながら客席の最前列の前に登場します。それはこのオペラの最終場面も同様なのですが、明らかな作為が感じられて、その手法が象徴的な作用を観客にもたらしたとは思えません。音楽的には相変わらず無調です。僕は無調という音楽手法が歌曲に向いているとは思えません。歌というものは、それが人間の肉体を経由するという意味からでも、器楽に比べて強い生理的な要求を無視できないと思われます。無調ではなんといっても歌いにくい音程を歌い続けなければならないのですから。美しいメロディーというもののない歌を、僕は容認できないのです。しかもそれが、ベルカント唱法を学んだ人が歌うのですから(ベルカント唱法とはイタリア・オペラを歌うための歌唱法です)。根本的には、僕は和服を着た日本人がベルカントで歌うということそのものにも、大いなる疑問が残ります。極端に言えば日本民謡のような発声は合わないのでしょうか。」 「演出、台本、美術のどれもあたりまえであり、そこに冒険や挑戦といったものは微塵も見られませんでしたね。もちろんS市が制作したという性格上、失敗は許されないのですから安全第一の公演となるのでしょうが、それなら、もっと伝統芸能を中心にしたようなもののほうがずっと良かったと思います。冒頭で挨拶をしたS市の市長は、あのオペラを心から楽しんだとは断じて思いませんね。恐らく公演中は(市議と同じように)寝ていたと思いますよ。もし、つんく氏が音楽を担当したら、市長も楽しめ、市の制作としては画期的なものになったと信じますね」 「音楽だけに話を限れば、オーケストラは起伏が無く、終始なりっぱなしでしたね。それを良く書いたという人もいるかもしれないけれど、僕にはダイナミクスの欠如のように感じました。繰り返しますが、無調という音楽的手法は決して語法として豊かだとは思えません。ベルグの時代と全く同じ手法なのですからね、その意味ではもはや古くさいとさえ言えるでしょう。もちろん、ある種の緊張感や危機感を表現するのには適した手法だとは思いますが、しかしオペラは物語です。そこにはロマンがあるのです。優しかったり、甘ったるかったり、力強かったり、下世話だったりするでしょう。このオペラでは、音楽の響きの中でそれらの、より人間らしい部分は何も表現できでいなかったと思います。これは恐らくテキストの問題でもあるでしょうが。ともあれ、この日本の歴史に基づくテーマが、この無調という音響を本当に必要としたかは疑問です。もっとも、M氏がこのテーマを選択したのではなく、彼は依頼されたということはわかっているのですが・・」 「僕はあくまでもブーイングをしたつもりです。そのブーイングに対しM氏が観客への冒涜だとか、公演の成立を困難にしたと言うのはおかしいですね。ブーイングとは、基本的に演奏や公演への不満の表明であり、その意味では妨害行為そのものです。正当なブーイングをしろと言う方がおかしいですよ。それに、音楽記者や評論家が多くいたであろうにも関わらず、僕のブーイングが何の意味や影響をもたらさなかったことが残念であると同時に、日本の音楽界ではブーイングという健全な聴衆の行為を、決して認めていないということを如実に感じました。僕たちはかつて欧米で演劇や音楽会での激しいブーイングの話を聞いています。ひどいときは物さえ投げたりしたようです。M氏は、かつてブーイングを受けたことは一度もなく、したがって僕のそれをブーイングとは思いたくもなかったのでしょうね」 皆さんは「現代音楽」といわれる、ある特殊な範疇の音楽があることをご存じでしょうか。じつは、これはかなり不思議な言葉なのです。なぜなら、字句通りの意味であれば「現代の音楽」ということで、ポップスやジャズ、演歌(歌謡曲)も全て含まれることになります。が、実際には決してそうではありません。それはなにより<芸術音楽>を意味するのです。では、芸術音楽とはなんでしょうか。おそらく、芸術家と自ら称する人が作った作品や演奏のことでしょう。また���ら称するだけではなく、彼が芸術家であることを、社会が何らかの形で認めている必要があるでしょう。つまりその意味では、芸術活動とは社会的に有意味な活動でなければなりません。では、<現代音楽>がどれほど社会のなかで影響力を持っているかと言えば、実際にはほとんど無いと言わなければなりません。なぜなら、その音楽を誰も知らないからです。 実際的な<現代音楽>という用語を解説してみましょう。本来、芸術音楽とはそれ自身の存在価値を持つ音楽です。つまりそれは映画やテレビ、様々なショーなどのために制作されたものではなく、その本来の目的(音楽)のために制作されたものという意味を持っています。したがって現代音楽は誰も楽しめない、楽しませない存在となってしまっているのです。そのような娯楽的な性格は排除されるからでしょう。結果的に、それにはメロディーや和音は存在しません。ただ音響だけが、様々な手法や理屈を伴って羅列されているのです。それが心地よいものでない根拠は十分にあるわけです。いや、むしろ、心地の悪いものをあえて提出することによって、<心地よさ>とは何かという問題を提起しているのかも知れません。しかしそれは、あくまでも論理の世界の話です。そういう論理的手法で音楽美を追究するものが現代音楽だと言えるでしょう。 深町氏は問います。 「作曲家M氏は、はたして芸術家でしょうか」 「彼が芸術家であるかを問うためには、芸術家の基準が明確でなければなりません」 「芸術家とは、その作品が社会に警鐘を与えるという意味合いで、社会に受け入れられてはならないのです。非難され批判されるなかで存在しなければならないのではないでしょうか。」 「芸術作品は常に革新的であるがゆえに、その基本的な姿勢は保守的な体制とは相容れないのです。従って彼は常に反体制であるはずです」 「ところがM氏は、某音楽大学の学長を務め、公のホールの館長であり、つい最近は芸術院会員となったのです。それでもM氏は芸術家であると言えるのでしょうか」 かつてある個人の、社会に対する影響が強大であった場合がありました。それは専制国家における国王や独裁者の場合です。彼自身及び彼のファミリーの及ぼした文化的影響、それはたとえば新しい食べ物やファッション、絵描きや音楽、文学者や哲学者の擁護でした。かつて、芸術音楽はそのような土壌で育まれてきたことを忘れてはなりません。したがってそこでは、大衆に受けるとか、商売になるといったこととは無縁の存在でいられたに違いないのです。彼はただひたすら普遍的な、あるいは絶対的な美というものを追求することができたし、当然そうしてきた人を芸術家と呼んだに違いありません。時代が下がり国家は須く民主主義、平等主義となり、経済的には資本主義社会となります。そこでは、前述したような芸術家の存在はもはや不可能とならざるを得ません。芸術家は職業音楽家や職業絵描、職業作家となります。彼等はそれが職業であるからして、必然的により売れる商品を製作するでしょう。商品とは最も健全な意味合いで、需要と供給のバランスに乗って生産されるものだからです。 「僕は、M氏の音楽を全く聴かずに、彼の音楽がもはや芸術でないことを説明できるだろうと思います」と深町氏は言います。 「ひとつの指針として、彼のCDを楽しんでいる人が、実際どれくらいいるだろうか、と問うてみましょう」 「ここで最も大きな問題は、その数ではありません。恐らくその問いに答えるべき正当なデータを見つけるのは、なかなかに困難だろう、ということなのです」 「そのCDを発売することで、レコード会社及びM氏自身に、どれ程の金銭的利益があるのでしょうか」 「なぜなら、それが商品である以上、その金額こそがその商品の存在価値の重大なひとつであるからです」 「この社会に於けるM氏のCDの及ぼす影響の度合いを、測る術がないという事態こそが、彼の音楽が社会的な意味合いでの存在価値を持ち得ていないことの証明ではないでしょうか」 確かに、もし作曲家M氏にとって彼の作品の商品価値が、彼の生活に何の影響も及ぼしていないとすれば、彼は少なくとも職業音楽家であるとは言いにくいですね。つまり彼は芸術家以外の何者でもないことになるでしょう。では、いったい誰が(あるいは何が)彼を芸術家と認定するのでしょう。当然それはまず社会でなければなりません。社会がそれを認めているかどうかは、彼の音楽の社会に対する影響という側面と彼の社会的地位ということになるでしょう。前述したよう��、M氏の場合は社会に対する影響は皆無に等しいのです。それは彼の名前をいったい何人の人が知っているか、あるいは彼の音楽を何人の人が聴き楽しんでいるかを調べれば歴然とするでしょう。もちろんここで、何人と言ったからといって、それが単純に人数の問題でないことはあきらかです。それでも、芸術が社会活動であるかぎり、人数もまた一つの基準になることも現実ではないでしょうか。しかしそれでも彼は委嘱料で生計を立てている、と反論するかも知れません。では彼は芸術家であると同時に職業音楽家であるとでも言うのでしょうか。 「彼は僕への手紙の中で、私は常に権力と戦ってきた、と書いています。そう書くのは簡単なことです。しかし実際の彼の足跡を見れば、それが決して権力と戦っている人物の立場にいないことは歴然としています。むしろ彼は権力の中枢にいると言わねばならないでしょう」 「僕が駄作と言ったオペラは、単に作曲の問題だけではありません。そのオペラ全体に対してであり、脚本や演出、出演者全てに渡っての不満であったのです」 「そしてもう一つは、ああいう公演に足を運んだ聴衆に対してへのクレームでもありました。歴史的にその良さが確立されている作品であるならともかく、新作発表の場であったのだから、聴衆はその成否を担っています。上演されるもの全てが傑作であるはずもなく、失敗作も当然あってしかるべきだ。それをいったい誰が決定するかと言えば、その初演の会場にいた聴衆であるわけで、当然そういった責任を背負っているという自覚が必要だと思うのです」 ここでひとつの仮定を立てることができます。それは現代音楽という奇妙なジャンルの音楽が成立するためには、権力が必要なのではないかという仮定です。なぜなら、それは何の商業的価値を持たず、また平等主義的現代において芸術的価値をも持たないとすれば、その存在価値は権威によってのみ支え得る、と考えられるからです。つまり作曲家M氏はその手中に権力を持つ以外に、彼の作品の正当な存在理由を見いだせないことになります。これはM氏自身の、作曲家としての自覚を維持する上で必要なものかもしれないとさえ言えるでしょう。もしこれが事実であれば、これほど悲しいことはありません。この国を代表する作曲家が、その音楽によってでなく、その身にまとった権力によって評価されるとすれば、もはやそこには芸術は存在しないことになるからです。作曲家M氏がただ単に作曲家という肩書きを維持することにだけ固執していれば、害は少ないでしょう。しかし残念ながら多くの委嘱を受け、彼が作曲家であることを維持するために曲を書き続けます。しかも、彼は権力の中枢にいるのですから、ある意味で最も重要な仕事をすることになるでしょう。このことが日本の音楽にとって最もよいこととは思えません。 「最後に」と、深町氏は続けます。 「僕は、これはあくまでも僕の個人的な感想ですが、あのオペラがこの世に存在していなくとも、生きていけます」 そして、「また、あのオペラが無くとも、この世界にとって些かの損失でもなく、世界に何の影響も及ぼさないでしょう」と最後にそう言って。この対話を終えました。
1 note
·
View note
Quote
何度でも書きたい「サボテンとバントライン事件」の伝説 2014年3月14日(金) 前々回、BABYMETALの少女3人に覚えてもらいたくてお年玉をあげたと書いた。 「将来もしメタリカのことは忘れても、お年玉をくれた筋肉少女帯のことは忘れまいて。勝った、メタリカに俺は勝った!」 みたいなことを。で、先日、彼女らの武道館公演を観に行ったのである。パーフェクトなライブの終った後、楽屋に御挨拶に伺った。会うやいなや「あの、僕、お年玉の…」と久しぶりに上京してきた遠縁の親戚みたいな感じで言うと少女たちは「あ、あの時はありがとうございます」と返してくれて遠縁のおじさんマジうれしかった。さらに「ちゃんと使わせていただきました」と言うYUIちゃんMOAちゃんの言葉をサッと制するように、一人歳上(って言ったって16歳)のSUちゃんが「あ、ちゃんと使わずに取ってあります」ニコッと模範回答に直してみせたその少女ながらの気の使いよう、委員長みたいな感じに、正直…おいどんは萌えたばい(何人?)!この先メタリカのことは忘れてもベビメタちゃんのこたほんなこつ忘れんぞなもし(だから何人?)!! BABYMETALの何曲かを、特撮のNARASAKI氏が作曲している。ナッキーは最近、上坂すみれさんの新曲「パララックス・ビュー」も作曲した。あ、ちなみにこの曲、僕が作詞してます。 作曲と言えば…3月29日、30日に恵比寿リキッドルームで筋肉少女帯は「作曲家別二夜」というライブを行う。筋少の曲を作曲者別に集めて演奏するスペシャルな企画だ。皆さんぜひ観に来て下さいね。二夜目に大槻ケンヂの作曲ナンバーがプレイされる。 「え、大槻ケンヂって作曲するの?」 と素朴に思った読者もいるかもしれない。すみぺやももクロちゃんの作詞をやっていることはかろうじて知っている人も、「作曲家・大槻ケンヂ」というのはピンと来ないかもしれないしそれは「作曲家・佐村河内守」同様にちょっとアヤしい印象であるかもわからない。いやいや実は「日本印度化計画」も「元祖高木ブー伝説」も僕の作曲なのだけれど、楽器も出来ないし譜面も読めないと方々で公言しているし、作った曲の多くが、アカペラ(鼻歌とも言う)で口ずさんだものをメンバーにコード拾ってもらって「作曲」としていることの後ろめたさというか、コンプレックスみたいなものがあって、何十曲も作っているのに、正直、作曲家を名乗るにはちょっと気が引けるところが自分でもある。 何より「サボテンとバントライン事件」が今でも引っかかっているのだ…。 「サボテンとバントライン事件」についてはこれまで何度もエッセイやトークのネタにしてきたものの、話しを盛っている部分��あったし知らぬ読者もあろうし、最近話題の「佐村河内守事件」にリンクする感もあるので、今一度ここに書き留めておきたい。 約20年も昔のことだ。ある時、筋肉少女帯にCMソング作曲のオファーが舞い込んだ。久光製薬のビンダスという消炎剤のCM用である。筋肉痛と筋肉少女帯をかけた企画であった。CMの絵コンテには仮に「〽きんきんきんにく〜ビンビンビダス〜!」などといった、テキトーになかやまきんにくんな歌詞が書かれてあった。 「でも筋少にとって大きなチャンスだから、みんないい曲を作ってきて」 CMスポット数はかなりのものであるらしい。筋少ディレクターは我々にハッパをかけた。メンバーそれぞれが曲を作り、コンペを開くことになった。 約一週間後、筋肉少女帯は各自のデモテープを持ちよって会議室に集った。デモテープのクオリティーはいずれ劣らぬ素晴らしいものであった。ディレクターはうなづきながら一本一本を聴いていた。 「どれもいいね。いいよ。で、大槻君のは?」 「ありません」 「え?」 「デモテープなんか作っていません」 「あ、またアカペラ?」 「いえ、それもありません」 「え?じゃ一体どう…」 「みなさん荒野を思いうかべて下さい!」 「何?」 「荒野です。西部劇に出てくるような荒野をイメージして下さい。」 「え??荒野??」 「そう荒野、そこに一頭の馬が地平線のむこうから走ってきます!」 「う、馬?何??」 「そう馬です馬。ほら、イメージして馬。走ってる馬。パカランパカラン!」 「荒野を馬が??え?何?」 「ほら走ってくる!パカランパカラン!!」 「パ、ケセラン・パサラン?」 「違う!!パカランパカラン!!ほらパカランパカランパカラン!!」 「パ、パカランパカラン!?」 「そうパカランパカラン!そしてその馬の上には一人の少年が乗っている!」 「誰?」 「少年ですよ少年!少年の背には真っ赤なギターが。きっと親父の形見ですよ。形見を背負った少年が馬に乗ってほら、走ってくるパカランパカラン!そしたら前にでっかいサボテンだ!さぁどうする!?」 「ど、どうするの??」 「飛び越えるんですよその馬がポーンと天高くジャンプして!そんでそこで大サビだ、はい来たポーン!!」 「ポーン!!」 「そうポーン!!ドッカ〜ンここでオーケストラもなって出来たこれ名曲どうすかっ!?」 するとウ〜ン!とうなってディレクターが言ったのだ。 「ウ〜ン!それ、なんか売れる気がする。その曲でいこうよ、CM!」 実話である。いやいや盛ってはいる。これは今回初めて明かすが、サビのメロディーはその時に鼻歌で歌ってみせた。とはいえ大筋はほぼこのままなんである。佐村河内氏は曲の構成を図や表にしてゴーストライターに指定、それを作曲と称していたと言われているが、僕はCM曲のコンペで歌詞の世界観を熱弁し、そのいきおいが見込まれたのかなんなのか、当時の大槻ケンヂはそういった原野商法まがいのペテン師的な異能ぶりをこそ求められていたのかもわからない。ともかく、演説一発でまだ何も出来ていない歌をCMソングにズバッと通してしまったのである。恐ろしい。本当に恐ろしい。 そうして、その後バンドによるセッションによって完成(これが実に名曲となった)した歌「サボテンとバントライン」は作曲・大槻ケンヂとクレジットされ…これがまたまた恐ろしいことに、そこそこヒットした。レコーディングでは40人編成のオーケストラがやってきて、例の「ポーン!!」のところを壮大に盛り上げた。収録のアルバムもチャートの上位入り、CMは大量にテレビから流れた。今でも「子供のころ『サボテンとバントライン』が大好きでした!」と熱く語る人に何人も会う。その内の一人は劇作家となり、ズバリ「サボテンとバントライン」という演劇を数年前に完成した。主演は要潤さんであった。 僕は自分のしでかしたことの大きさに徐々に気付きコワくて仕方なかったんだけど、一度大きくなってしまったものはもう回収できない。楽曲が一人歩きを始めてしまったのだ。そうなると、もうどうにも止まらないものだ。だから、立場はかなり違うけれど、佐村河内氏の「え!!そんなつもりじゃ」という気持ちがわからなくもなくもない。曲って、生まれたなら成長し続けるのだ。それはもう「作曲者」ごときにはコントロールできるものではない。生きているのだ。育つのだ。走っていくのだ。コワいのだ。 とは言えこの「サボテンとバントライン事件」の伝説は、何度もネタにしている内に自分の中で大きく修正されている可能性もある。だっていくらなんでもそんな話し変じゃないスか。作曲家別二夜のMCで、メンバーに真相を改めて聞いてみたいなと考えているところだ。真相を知りたい方、何より奇跡(いろんな意味で)の一曲「サボテンとバントライン」を聴きたい方はぜひ3月末の筋肉少女帯ライブにいらして下さい。とてもいい曲なのがまたコワいんだよ。 「大槻、やっぱりアレで作曲ってのはおかしいよ。印税みんなに返せ!」 と、ステージで今さらメンバーに言われたらどうしよう。 「あ、ちゃんと使わずに取ってあります」 と答えたならメンバーも萌え…るわけがないですたい!
(63)大槻ケンヂ 連載エッセイ「オーケンの、このエッセイは手書きです!」|HOT STUFF PROMOTION (via now-im-sane)
43 notes
·
View notes
Text
「わたしたち、言葉になって帰ってくる」三(福田尚代)
沃土と河岸に枯れた葛 埋もれつつ苦難が癒えるよ
むかし川下で見た命のあらがい 白魚が死のみぎわで逃れた だけども実は逃げた魚は 後の日々の私の叫びだった
今もいたいけな鉄魚が ついに死にかけたがじっとひるまず 風上から愛を拝んで跳ねた だが声が尽きて息をうしなう それは この裂けた水面に見た命の舞いだった
たった今の血の痛みにも涙 今朝のこわれそうな慈雨を聞いて 菊花へ古歌、ただ音は天河を追い 荒神が探す円ひとつ
詩歌だけが虹にいつかよぎって 嘆いた妹舞い立つたび、華座の羊歯は伸び 火の地の花笠だけに初霜溶けた
誰かの手は君の詩歌追うらしいから あの血の悼みで文字はかじかむ 夜へ遺憾なくつづれ もうすぐ誰かに詩が届くよ
0 notes
Quote
原子力発電は出力調整をしません。石炭火力も出力調整を苦手とします。しかもそれらは大出力です。結果、北海道電力は、数人の大人が交じった小学生のムカデ競走のようなもので大人が一人でも転ぶと全体が転ぶ弱点があります。 本来、石油火力発電所、天然ガス火力発電所、一般水力発電所、揚水発電所によって出力を調整し発電量と消費量を一致させますが、原子力と石炭火力の占める割合の大きな北海道電力ではその調整力がたいへんに弱いのです。とても弱いムカデ競走チームです。
https://hbol.jp/174509/4
0 notes
Text
人間がやるべき最も重要な仕事は消費です。すべての人が十分に消費に参加出来るようになる事は、経済にも良い効果をもたらします。
0 notes
Text
宮武外骨の『府藩県制史』を見ると、「賊軍」差別の様子がはっきりわかります。
これによると、県名と県庁所在地名の違う県が17あるのですが、そのうち賊軍とされた藩が14もあり、残りの3つは小藩連合県です。つまり、廃藩置県で県ができるとき、県庁所在地��旧藩の中心都市から別にされたり、わざわざ県名を変えさせられたりして、賊軍ばかりが差別を受けたと、宮武外骨は言っているわけです。
たとえば、埼玉県は岩槻藩が中心ですが、ここは官軍、賊軍の区別があいまいな藩だった。「さいたま」という名前がどこから出たのかと調べると、「埼玉(さきたま)」という場所があった。こんな世間でよく知られていない地名を県の名にするなんて、恣意的な悪意が感じられます。
https://toyokeizai.net/articles/-/205960?page=4
0 notes
Text
そして僕は恋をする。
そこには、色とりどりの初恋がある。 引っ越すと言えないまま、離れ離れになった恋。 ひやかされるのが恥ずかしくて、嫌いとしか言えなかった恋。 たったひとこと、待っていてほしいと言えなかった、恋。 言葉にできなかったのは、それしか方法がなかったからだ。 好きで好きで、でも幸せになれるかなんてわからなくて、 伝えても、伝えなくてもきっと同じだけ苦しくて、 そのひとと恋をすることが、怖くてつらくて言えなかった。 遠い昔に生まれた恋を、受け止める強さを持って初めて、 人は、あの日言えなかった言葉を口にする。 もうその恋が叶わないことを知っていても、 ひっそりと、胸の奥で、死んでいく恋を哀れんで。 私にも、言いたくて言えなかった言葉がある。 きっと一生、その人に、伝えることはできない言葉。 ずっとずっと、心のどこかにしがみついて、離れない言葉。 今も言えない。これからも言えない。絶対に、言うことはできない。 あの恋の前で、幼かったあの頃の私は、永遠に立ち止まったままだ。
0 notes