bigyokushoten
bigyokushoten
美玉書店
1 post
Don't wanna be here? Send us removal request.
bigyokushoten · 2 years ago
Text
イーユン・リー『理由のない場所』から広がっていく(美玉ラジオ#32)
今回起点にしたいイーユン・リー『理由のない場所』翻訳は篠森ゆりこさん、河出書房新社から刊行されています。
篠森ゆりこさんが英語の翻訳者だということからもわかるように、リーは北京出身の作家ですが、英語で執筆しています。
母語ではない別の言語で執筆する作家は結構いて、その動機は人それぞれですが、リーに関しては母語を捨てたという認識で、それはある種の自殺とも言っています。
リーは1972年生まれで、大学進学時にアメリカに留学して生物学を学びます。博士課程に進み免疫学を学びますが、このままでは一生後悔すると感じ同大学の創作科に転科します。博士号まであと1年というときでした。
それからリーはたくさんの文学賞を受賞する作家になります。イギリスのブッカー賞という世界的に権威ある賞の選考委員を務めたりもしました。
しかし彼女は2017年の秋に息子を自殺で失ってしまいます。
この作品は息子が亡くなってから数週間後に執筆を始めており、内容も自殺した16歳の息子とその母親の会話です。
自殺した息子との会話ですから、なんか霊的なものとか母親の理想で埋め尽くされているとか、もしくは絶望に心を砕かれそうな悲しい内容を想起してしまうますが、これはそのどれとも違います。
本文中でも
”時間と縁を切ることで息子と対峙する。
神や霊の世界ではない、私が考え出した世界でもない。
それは言葉だけでできた世界。映像も音もない。
これは物語を書くことだ”と言っている。
息子も母親もとても言葉に注意というか敬意を払っていて、それゆえに読み応えがあって抜群に面白い会話になっているんです。
息子はとてもクールなんですよね。16歳の男の子はこうでなくちゃという感じもするけど、
本文で
”こういうことが起こるかもしれないとわかっていたのに、なんで子どもを作ったんだ”という問いかけがある。これは息子が自殺する可能性だってあるとわかってたのになぜ子どもを作ったんだということなんですけど。
それに対して母親は
”どれだけ感傷的な人でも多少の希望は持ちたがるものなのよ”
”都合の良い考えって言うんじゃないの。ママが言ってるその希望はさ”
とにかく辛辣。読んでみるとわかりますが、これは母親を嫌っているのではなくて、母親を対等なものと感じていて信頼しての発言。
この本の帯には”息子を亡くした実体験に基づく衝撃作”という文言が載ってたりして、これに惹かれる人はそのままどうぞお読みくださいって感じなんだけど、この帯文にちょっと「うっ……」ってなってしまう人も「ちょっと待って!それで読まないのは余りに勿体ない」と思うわけです。
私なんかは実感の伴わないものを理解する力があまりないので、どうしても自分の興味のある方へ作品を引き寄せちゃうタイプなんですけど、そういう変な読み方を今回もしました。
私は本作に登場する16歳で自殺した息子ニコライをサリンジャー的な人物だと感じていて、サリンジャー的人物というのは「やけに自己が出来上がっているマセた子供」と捉えています。
さっきニコライの母親は時間と縁を切ることで息子と対峙するって言いましたけど、16歳で自死した息子は時間を失っているんですね。
小説の中には時間を失った個性的な子どもが沢山いて、ラノベとかメフィスト系の作品にやっ���り顕著かなと。サリンジャー作品にもそれを感じるから、私にとってサリンジャーはお気に入りのラノベみたいなところがあります。
『ナインストーリーズ』や『フラニーとズーイー』でお馴染みのグラース家、その中でも長男シーモアは時間を失っている。(彼は大人といえる年齢ではありますが)長男のシーモアは「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公で有名です。この短編の最後にシーモアは唐突に拳銃自殺を図るわけです。
小説家の佐藤友哉がサリンジャーのパロディとして発表したのが同名の『ナインストーリーズ』という作品で、こちらに登場するのもグラース家を文字った鏡家の子供たち。こちらでシーモアにあたるのが長女の癒奈姉さんで、彼女もやはり自殺してしまう。
シーモアも癒奈も長子らしい大らかさはあるものの、理解し難い行動や発言を繰り返す人たちで、あれほど圧倒的な存在感を持つ人たちが誰も理解できないままこの世を去ってしまうと本当に頭が?で埋め尽くされてしまって、それ以上考えることができないんですね。考えてもわかんねーやってことで、私は二人のことが大好きなのに、何故か理解しようと思ったことがなかったのです。
だけど理由のない場所のニコライの言葉が私の意識を変えます。
”変えようがない長所や短所があったらそれを貫き通すべきじゃないかな”
なんかはっとしました。ニコライとシーモアと癒奈はそれぞれ全然似ていない(そもそも年齢全然違うし)、でも彼らの自死は何かを貫いた結果なのだろうと急に思ったんですよね。
とにかくシーモアや癒奈姉さんの人となりにもっと近づいてみたいなと思っています。癒奈の兄弟たちの会話にも、次女の稜子が弟の創士に「理解できない人間はいないのよ」って言っていて、再読したら妙にそこで胸が熱くなりましたね。
ところで『理由のない場所』は母親の視点で語られる作品です。
冒頭で
私はルールを作る白の女王ではないし、ルールに従って生きるのを拒むアリスでもなかった。私は説明のつかない悲劇に普通の子供が消えたことを悲しむ普通の母親だった
と言う文章がある。
ちょっと脱線しますが、夏に野田秀樹の舞台『兎波を走る』を観に行ったんですけど、これも不思議の国のアリスが下敷きになっていて。
あらすじは元女優が自分の所有する寂れた遊園地で、幼い頃に母親に読んでもらった不思議のアリスを上演したい!と熱望して劇作家を雇って上演するというもの。劇作家はどれも頓珍漢で劇もデタラメなんですが、現実パートと劇中劇のパートがどんどん混同してい来ます。
現実パートの遊園地の迷子センターに一人の母親が子どもを探しにくる。でも母親は子供の特徴をうまく伝えられないから相手にされない。それでも母親は劇中劇の中を割って入って娘のアリスを奪還しようとする。愛しい娘と何かを伝えたそうな兎を追いかけ続ける母親。
段々と劇は不穏な場面が増えてきて、足を高く上げて歩く軍人や女王のための悪夢のような式典のシーンが続く。
やがて観客は、この作品は拉致被害者とその母親、そして彼らへの償いを果たそうとする亡命した元工作員が繰り広げる、暴力的な理不尽と深い喪失の物語だと気づくんですね。これもまた時間を失った子供と刻一刻と過ぎる時間の中を生きるしかない母親の物語でした。
これは新潮という雑誌で戯曲が読めるので是非。戯曲だけでも破壊力抜群で素晴らしいのでバックナンバーを取り寄せるなり図書館行くなりして読んでください。
話を元に戻しますが、グラース家でも鏡家でも両親の存在は結構薄くて、まぁ鏡家の方には意外に出てくるんですけど、とにかく普通の親という印象しかなかったんですよ。これまでは。
だけど私も歳を取ったので、さっきの舞台もそうですけど、完全に母親側の視点で物語に入り込んじゃうんですね。そうすると、若い頃の私が下した普通の親だろっていう決めつけは随分雑だなって感じてきました。
しかも私が佐藤版ナインストーリーズで最も好き、かつ全小説史の中でもトップレベルに美しいと感じたシーンが、母親が娘の頭上にドーナツをかざして天使の輪を作るシーンなんですよ。あのシーンが本当にめちゃくちゃ好きなのに、どうして当の母親に対してあんな雑な解釈ができたんだと自分が怖くなりますね。こんなにも手に負えない子供たちを母親はどう思っていたんだろうって、そういうのを思ってリーの文章を読むと心がぶんぶん揺さぶられます。
これは別にナインストーリーズの登場人物の人となりを理由のない場所から補完しようって話ではないです。だって全然違う人たちだし。
でも、こうして全然関係ない作品から大好きな作品を楽しむためのヒントをもらえるって言うのは結構感動的でした。
私はイーユン・リーという人が生み出すフィクションの力に、それはそれは大きな信頼を寄せています。どんな読み方をしても良いし、どんな読み方をしても、必ず読んだ者の中に強く残る物語を生み出す人なのです。
1 note · View note