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crafteer · 8 years ago
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加美町の地ビール造りへの挑戦=橋本建哉さん /宮城 酒造家と交流、広がる輪 橋本建哉さん(宮城県産業技術総合センター総括研究員)  ほとんどの酒造場が酒造りを終えた6月、宮城県清酒技術者会の研修を毎年行っている。昨年は、清酒以外の酒類製造場から講師を迎えて勉強会を開催、加美町の地ビール醸造家に地域の食とのマリアージュを意識した造りへ挑戦していることをうかがい、大いに刺激を受けた。この会をきっかけに同じ加美町のビール醸造家と清酒技術者の交流が生まれ、両者と町の飲食に関わる若者のグループとが協力して、清酒の技術を生かした加美町の食材に寄り添った特徴ある地ビール造りに乗り出すこととなった。  挑戦するビールは、セゾンビールと呼ばれる、昔農家が夏の農作業中に喉の渇���を癒やすために、農閑期である冬の間に醸造したというベルギースタイルのビール。農家である杜氏(とうじ)が、冬の間だけ酒造りに取り組むことになにか重なるものを感じる。本来、ホップの香りと苦みがきいたボディーのしっかりした味わいを特徴とするものだが、加美町は宮城県北部の内陸に位置し、ビール醸造所のある山を越えると山形県尾花沢市に至る農業の盛んな町。ネギやタマネギ、ホウレンソウのほか、ズッキーニやフランス原産のサボイキャベツなどおだやかな味わいの野菜が取れるほか、アユの里としても知られる。  そうしたおだやかな味わいの素材を味わうことができるよう、酒造好適米の蔵の華を歩留まり60%まで磨いて麦芽と一緒に加えてスッキリとした味わいを目指したとのこと。「加美町は酒造好適米の栽培も盛んな地域で、その米を生かした造りにこだわった」と、ビール醸造家は話してくれた。米を用いた仕込みはいつもとは大分勝手が違って苦労も多かったが、酒造家からのアドバイスで米を加えるタイミングなどを工夫することで解決し、味わいのきれいな澄んだ麦汁を得て、いよいよ仕込みが現実味を帯びてきた。  ビール醸造家と酒造家は、香りの面でも日本酒らしさのあるビールにしたいという目標を実現するため、上面発酵のビール酵母だけでなく清酒用酵母も一緒に使うことを考えた。何度もきき酒を重ね、酒造家が使っている何種類かの酵母から大吟醸酒を造るときに使用している清酒用酵母を選んだ。そして、ビール醸造家、酒造家と町の若い飲食業の仲間が5月の連休明けにビール醸造所に集まり、酒造好適米と2種類の酵母を用いてみんなで仕込みをした。  それからおよそ1週間、1次発酵は順調に進み、セゾンの甘い香りとホップの爽やかな香りにリンゴを思わせる吟醸香がほのかに寄り添った、軽快でスッキリとした味わいの若ビールになったそうである。それを低温で2次発酵させて落ち着かせ、6月末にはいよいよ仕上がり、7月1日に加美町でお披露目される予定である。  ビール醸造家も酒造家もそこに集う飲食業のメンバーもみな30代と若い。みな口々に「加美町でないとできない、加美の食を一番おいしくしてくれるビールを造りたい」のだという。そうして「なにかあそこは面白そうなことやっている」と皆さんに感じてもらいたいのだと。昨年の勉強会の帰り、地ビール技術者と清酒醸造家が地元の飲み屋で一杯やりながら「一緒にやれたらいいね」と語ったところから始まり、地域の食に寄り添うという同じテーマに挑む仲間の輪が少しずつ広がってきたのだそうだ。話を聞くと、彼ら自身がワクワクして楽しそうである。どんなビールになったのか早く飲んでみたいものだ。  ■人物略歴 はしもと・けんや  1965年仙台市生まれ。同市在住。90年、東北大農学研究科博士課程前期修了(農学修士)、宮城県入庁。工業技術センター開発部醸造科に勤務。現在まで清酒に関する研究開発(純米酒用酵母、低アルコール濃度清酒用酵母)や、技術指導などに従事。現職は県産業技術総合センター食品バイオ技術部総括研究員。
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crafteer · 8 years ago
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清酒酵母で夏味ビール 初仕込み  「やくらいビール」を製造している宮城県加美町振興公社は8日、町内の山和酒造店と協力し、清酒の酵母を使用した地ビール「蔵の華吟醸セゾン」の醸造を始めた。公社によると、清酒酵母を使うビールは東北では秋田市の「あくらビール」に次ぐ試みで、7月1日発売の予定。  公社が町内で運営している「レストランぶな林」に併設の製造所で1000リットルを仕込んだ。9日、さらに1000リットルを仕込む。  工程は麦芽と、60%まで磨いた酒米「蔵の華」を湯の中で混ぜて麦芽糖を取り出す。こしてから煮立たせた後、冷やした麦汁に酵母を加えて貯蔵する。  清酒とビールの酵母の割合は3対7。先に清酒酵母を入れ、発酵が止まりかけたらビール酵母を入れるのがポイントだという。6月下旬に完成し、330ミリリットル瓶2000本を1本600円(税込み)で限定販売する。  町の特産品を生かした商品開発を進める若手飲食店主グループ「素材の会」で生まれたアイデア。醸造員畠山崇裕さん(33)は「日本酒らしいフルーティーさを備えたビールを目指している。夏に合う風味になるので、お中元のギフトにしてもらいたい」と話す。  大吟醸用の酵母を提供した山和酒造店7代目蔵元伊藤大祐さん(37)は「地域おこしの一助になればと思い協力した。どんなバランスの味になるか楽しみ」と期待した。
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crafteer · 8 years ago
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【酒豪女子が行く】(5)あらゆる賞を総ナメにする2人のビール職人 芸術家肌の“戦友”と若き女性の“野望”  クラフトビールに参入した伊勢角屋麦酒を襲った経営難。鈴木成宗社長(49歳)のリーダーシップで乗り切り、今では国内外の審査会で賞を総ナメにしているが、社長を支える男女2人の「ビール職人」の存在も忘れてはならない。何から何まで“正反対”だが自身の仕事に妥協を許さぬペアのケミストリーが、同社のビールを世界最高レベルまで引き上げた。そして2人の足取りにはビールに負けないほど(?)濃厚なドラマがあった。一方、順調に進んでいた“酒豪女子”のコラボビール造りは思わぬ緊急事態に…!? ■本場に「殴り込み」 道を開いた豪胆な社長の「同級生」  「社長が『大会に出したビール、賞取れる自信あるか?』って毎日うるさく聞いてくるから、黙らせたくて『取れる。アメリカの��場まで行きましょう』って言った。そしたらかえって『行くか!』って言い出しちゃって、行ったらほんまに受賞してしまった」。3代目ヘッドブルワーの出口善一さん(50歳)は、2016年5月にアメリカで開催された「ワールドビアカップ」での銅賞受賞を熱く回想する。  2年に1度開催されているこの大会は、“ビールのオリンピック”の異名を取る世界で最も権威ある審査会だ。伊勢角屋麦酒が出品した「ゴールデンドラゴン」は、アルコール度数が低く飽きずに飲み続けられるのが特徴。近年のアメリカで流行しているビアスタイルのため、ある意味「本場に殴り込み」の出品だった。「アメリカの大会で、そこでたくさん造られているスタイルで、おまけに現地のブルワリーは新鮮なまま出せる。そんな条件の中で受賞できたから嬉しかったですよ」(出口ブルワー)。  「クリエイティブな芸術家肌」と信頼を寄せる鈴木社長と出口ブルワーはもともと同級生だった。以前は木材関係の職に就いていたが、やりがいや刺激がなく嫌気がさしていた。地元で顔が広かった鈴木社長に相談していたところ「じゃあうちに来る?」と誘いを受け、「使い物にならんかったら切ってくれてええから」と腹をくくり、今年で入社8年目となる。  その働きぶりは目を見張るもので、3年前にはヘッドブルワーに昇格。「前任者の頃と味が変わった」という批判もはねのけ、現在では国内外の審査会で賞を総ナメにするほどまで品質を引き上げた。  豪胆でおおらかな人柄はビール造りにも表れている。「ビールは“笑いながら”飲めるアルコール。日本酒やワインのようにうんちくを語らなくていい。『ビールがつなぐ笑顔の輪』を広げたい」という願望のとおり、愛好家向けの商品が多い伊勢角屋麦酒で初心者向けラインナップの拡大に励む。  そんな豪放磊落な出口ブルワーの傍らで働くもう一人のブルワーがいる。ビール造りに耐えうる体力が一体どこにあるのか不思議になるような小柄な女性だ。実はこの2人、ケンカにならないか心配になるほど「正反対」なのだ…。 ■大手ブルワリーから転職 若き女性ビール職人の野望  ブルワリーにある実験室で白衣を着た女性がもう一人のブルワー金澤春香さん(28歳)だ。ビールの作り手として精を出す一方、品質管理の責任者という一面も持つ。  金澤ブルワーが伊勢角屋麦酒へ入社した経緯はとても運命的だ。東京農業大学在学時は、花から採った天然酵母の「花酵母」で日本酒を造る研究に取り組んでいた。しかし「自分が好きなビールを造りたい」とブルワーを志すようになり、卒業後はクラフトビールの大手メーカーに入社した。胸には「農大史上、まだ誰も成し遂げていない『花酵母』でビールを造る」という大志を抱いていた。  ところがクラフトビールと言えど大規模なブルワリーに勤めていたため、異種の酵母を使うことに管理上慎重にならざるを得ず、願いはなかなか叶いそうになかった。そんな折り、あるビールフェスで伊勢角屋麦酒の鈴木社長とばったりすれ違った。もともと知り合いだった鈴木社長に「これから天然酵母に力入れようと思ってるんだけど、大学の後輩で誰かいない?」と声を掛けられ、詳しく話を聞くとまさに金澤ブルワーのやりたいことと合致していた。「私が行きます」と自ら手を挙げ入社してからもうすぐ4年が経つ。  「ロジカルに物事を進める」と鈴木社長のお墨付きもある金澤ブルワーは、出口ブルワーとは対照的な学究肌。「最初こそなかなか噛み合わなかった」と鈴木社長が笑い飛ばせるほど、今では絶妙なコンビネーションを見せている。「正反対の2人がいることで創造性が出ますし、新しい変化に対しても強い」と鈴木社長は2人の敏腕ブルワーに誇らしげだ。  そんな若き金澤ブルワーには壮大な「野望」がある。ライフワークとも言うべき花酵母を使ったビールを世界共通のビアスタイルとして広めたいというのだ。「例えば『ドイツ発祥はジャーマン』『ベルギーはベルジャン』『アメリカはアメリカン』などとスタイルが確立されているんです。何が一番違うかって、『酵母』なんですよ。『ジャパニーズスタイル』はまだない。50年ぐらいかかりそうですが、日本の花から採れた花酵母でジャパニーズスタイルを作りたいんです」(金澤ブルワー)。  目をきらきらと輝かせながら話す金澤ブルワーは、30種類程度ある花酵母の中からいくつか試し、すでに複数のビールを造っている。花酵母を使うと、酸味が利いた香り高いビールに仕上がるといい、初めてクラフトビールを飲む人や女性にお勧めだそう。  正反対だと思った2人のブルワーだが、ファンの裾野を広げようという思いは全く同じものだった。 ■コラボビールに緊急事態 「これで『辛口』って言える?」  コラボビールもようやく完成が見えてきた。ラベルデザインは中央にどっしり書かれた「産経辛口麦酒」の文字以外に余計な装飾は一切なく“いぶし銀”な産経読者にぴったりだ。落ち着いた印象だが、金色の伊勢角屋麦酒のエンブレムがグッと高級感を引き立ててくれる。  あとはビールの味を確かめてびん詰めをするだけ。1週間の発酵と3週間の熟成を経て、ついにビールが完成したと出口ブルワーから連絡が入った。「酒豪女子」でお馴染みの筆者、またまた三重県伊勢市に行ってきます!  当日、出口ブルワーが出迎えてくれると、「ち��っと飲んでみ」と早速できたてのビールを注いでくれた。いよいよテイスティング…企画から熟成まで3カ月かけてきたコラボビール造りのクライマックスだ。  赤みがかった濃い琥珀色が、見慣れたラガーとは違うどっしりとした“クラフトビール”らしさを醸し出している。グラスを鼻に近付けると華やかなホップの香りが広がる。  グイッと一口。  「ん~~おいしい!」。やはり言わずにはいられなかった。見た目とは裏腹に口当たりは軽やか、スッキリとした喉越しで何杯でもいけそうだ。出口ブルワーは「『ビール=大手のラガー』っていう先入観を捨てて別物と思って飲んでほしい」と話す。「見た目や香りはいかにも“クラフトビール”っぽくしてる。一見、ボディ(味わいの濃さやコク)はインパクトがあるけど、飲んだらさっぱりとシャープやろ。このギャップを楽しんでほしい」と、クラフトビールを初めて飲む人にとって目にも口にも美味しく味わえるよう工夫をこらす。  「でも、『辛口』っていうコンセプトがずっと引っかかってんねん」。険しい表情をした出口ブルワーの口からドキッとする言葉が飛び出した。あぁ、なんだか悪い予感。「これで『辛口』って言える? なんか足らんと思うんや」。  出口ブルワーは眉間にしわを寄せ何度もテイスティングを重ねる。たしかに「辛口」と謳っているわりにはスッキリとまとまりすぎているかも…いやいや、それでも充分美味しいし、とにかく時間がないのだ。すでに予約を受け付けており、今月20日からは出荷し始めなければならない。「早く詰めちゃおうぜ!」と言わんばかりに焦る酒豪女子など全く意に介さず、出口ブルワーは一言。  「あと1日待てるか? 『辛口』っぽさを出す秘策がある」  これから味を変えるなんて博打すぎない(涙)? 辛口の極上ビールはちゃんと完成するのか。6月26日(月)から掲載予定の最終回で全貌が明らかになるぞ!
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crafteer · 8 years ago
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【酒豪女子が行く】(4)売ってはいけないレベル… 地ビールブーム崩壊の裏側 どん底まで落ちた社長を救った人物  1997年春に家業の餅屋の傍らでビール製造に乗り出した伊勢角屋麦酒の鈴木成宗社長(49歳)は、たった数か月で危機感を抱いた。当時は品質が低い地ビールが横行して消費者離れが進み、案の定ブームは崩壊した。どん底から這い上がったきっかけは、「厳しすぎる」救世主との出会い。鈴木社長が生まれ変わった伝説の「13時間の説教」とは。そして佳境を迎えた酒豪女子のコラボビール造りに新たな難題が…。 ■売ってはいけないレベル… 地ビールブーム崩壊の裏側  94年の酒税法改正に端を発し、全国に新興メーカーが急増したことで盛り上がりを見せた地ビールブーム。伊勢角屋麦酒が参入した97年春も人気は健在で、大勢の客が店に詰めかけてはビールが飛ぶように売れていった。  「こんなに売れるとは…」と驚嘆するも、鈴木社長がブームの危うさを確信した理由は当時の地ビールの品質にあった。「新規参入が相次いだこともあり、どこもビール造りは『素人』。高品質を保てるブルワリーは少なく、『これを1回飲んだ人はリピートしない』という感覚がありました」���  当時、すでにビアコンテストの審査員資格を持っていた鈴木社長は、驚きの光景も目の当たりにする。「メーカー名や商品名を伏せた地ビールの試飲会があったのですが、半分は『売ってはいけない』レベルでした。衛生状態が担保できないため、いろんな雑菌が入ってしまっていたんです」。健康に害はないものの不純物が混じった地ビールが横行していたため、「そのような地ビールを最初に飲んでしまったらもう買わないだろうな」と鈴木社長は消費者離れを危惧していた。国内では「地ビールは高くてマズい」という空気が徐々に醸成されていったという。  こうしてブームは崩壊し、伊勢角屋麦酒も経営難に直面した。だが実は、鈴木社長本人にも見過ごせない「問題」があったのだ。 ■13時間怒られて改心 どん底まで落ちた社長を救った人物  「暗黒の時代」が続いていた創業6年目、伊勢角屋麦酒は“十八番”の「ペールエール」で、国際ビール審査会の最優秀金賞を受賞した。なのにビールは売れない。「世界一になれば売れると思っていた」という鈴木社長は「何かが絶対に間違っている」と自己を省み、巻き返しの糸口をつかもうと手当たり次第に勉強した。  そんなときに出会ったのが、九州で飲食店を展開する株式会社ティア創業者の元岡健二取締役相談役だ。「知人の紹介で一度会社に来てもらったら、朝10時頃に見えた直後から夜11時まで、ずっと怒られ続けたんです」。  ことの発端は、店の前に落ちていた一つの空き缶だった。「視界に入ったにも関わらず拾わなかったことで『君を見ていたら分かる』と言われました。次に私の机の引き出しを開けて『ほらね。机の上がきれいでも中はこんなに散らかっている。君の頭の中も同じだよ』と。そこからは、ぐうの��も出ないほどボロクソに怒られ続けました」。鈴木社長が専務取締役を務めている35歳のときだった。  13時間も怒られ続ける中で、元岡さんからいくつかのヒントをもらった。経営戦略を学べるシュミレーション研修の「マネジメントゲーム」と、トイレ掃除を通して心を磨く「掃除に学ぶ会」だ。  さらに書店で偶然知った、市場競争を勝ち抜く「ランチェスター戦略」の本を読み漁った。英国の技術者だったフレデリック・ランチェスターが、自動車製造販売の事業での経験や航空工学の研究をもとに1914年に発表した数理モデルで、当初は軍事分析に使われたが、その後、マーケティングや営業戦略に活用され、今でも経営者らに信奉者が多い。たとえば、市場の弱者が強者に打ち勝つためには、物量戦を避けて集中戦略をとる、差別化して陽動戦を活用する、といった理論だ。猛勉強した結果、なんと一年後には県内の大学で講義をするほどの「専門家」になっていた。  だが、その目的はあくまでビール造りで捲土重来を期すため。「あらゆる勉強の中でもこの3つが特に役立ち、翌年には経営にも活きはじめました。これまで作ってきた商品とは一線を画し、勉強したことを詰め込んだ」。その成果が、伊勢神宮の参拝客向けに作った「神都麦酒」だ。それまでは市場が何を望んでいるかより、自分たちが造りたいビールで頭がいっぱいだったかもしれない。しかし、自分たちのこだわりを大事にしつつも、しっかり市場を調べ需要を踏まえたビール造りに取り組んだ。そうして誕生した神都麦酒は「当社の苦境を大いに救ってくれました」と振り返る。  元岡さんとの運命的な出会いをきっかけに、鈴木社長と伊勢角屋麦酒の復活劇が始まった。 ■商品の「顔」となるラベル 産経らしく(?)高級感あるデザインに  さて、再び現在に話を戻そう。ようやく仕込みが完了したコラボビール造り。あとは発酵と熟成を待てば、一カ月後にはガツンと苦味のある辛口ビールが出来上がる。だが、その前に商品の「顔」となるラベルデザインも考えなければならない。「酒豪女子」こと筆者に息をつく暇はない!  ラベルデザインを担当するのは松岡嘉広社長室長(47歳)だ。伊勢角屋麦酒では年間十数種類の新しいビールをボトル販売するため、ラベルデザインをプロに頼んでいられず、松岡さんが通常業務の傍ら作成している。アメリカンスタイルのビールを得意としているため、そのイメージを表現した派手でワイルドなラベルの商品が多い。  だが、今回のコラボビールでは少し趣向を変えてみる。産経らしく(?)、さらには品の良い産経読者にも満足してもらえるよう、上質で高級感のある「大人のビール」を演出したいのだ。また、現在のクラフトビールを牽引しているのは20-30代の若者世代。今回はクラフトビールを敬遠しがちなミドル世代以上でも手に取りやすいデザインにすることで、若者以外の新たなファンを作れたらいいのだが…。あれこれたくさんの要望を伝えるも、松岡さんは「分かりました」と一言。なんと頼りになるのだろう。  次回更新はいよいよ大詰め!はたしてビールは美味しくできているのだろうか!?
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crafteer · 8 years ago
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【酒豪女子が行く】(3)ブーム終焉で「暗黒の時代」 詐欺相手から逆説教… どん底から這い上がったビール会社社長  「そもそも無謀だったんです」-三重県伊勢市にある「伊勢角屋麦酒」の鈴木成宗社長(49歳)はクラフトビール事業の創業当時をこうふり返る。今でこそ国内外の審査会で賞を総なめにする名門ブルワリーだが、創業から6年間はうだつが上がらず、取り込み詐欺に遭った際はなんと相手から逆説教されたという。「暗黒の時代だった。ドツボにはまった」と回顧する鈴木社長の苦難の過去に迫った。一方、コラボビールを醸造することになった「酒豪女子」こと筆者は、いよいよ仕込みに挑戦してきたぞ! ■ブーム終焉で「暗黒の時代」 詐欺相手からまさかの逆説教  「二重三重の意味で無謀だったんですよ」。400年以上続く家業の二軒茶屋餅角屋本店(三重県)で専務を務めていた鈴木社長は、1997年春に餅屋の傍らでビール製造業を始めた。当時は地ビールブームの最盛期。全国に地ビールメーカーが次々と誕生しており、伊勢角屋麦酒もそのうちの1社だった。「当時は『餅屋の息子の道楽』としか思われてなかったです。経営経験が浅いにもかかわらず、ビールの醸造業とレストラン業を同時に始めたわけですから」と鈴木社長は当時をふり返る。  ブームもあってかビールを売り出す前からメディア取材が絶えず、話題作りには成功していた。「数カ月間はものすごい多くの人がビールを買いに来てくれました。創業した年の夏のイベントに出店したときは朝から晩まで行列ができ、『こんなにビールが売れるとは…』と思った記憶があります。でも、すでに危険な状態は分かっていました。完全なブームでしかない、と」(鈴木社長)。  案の定、創業から半年後には地ビールブームは終焉する。「夏を過ぎると潮が引くように売上げも落ちて、『相当大変なところに足を踏み込んでしまった』」と鈴木社長は焦燥感に駆られた。その後の数年間は目も当てられない状況が続き、不安な日々を過ごしたという。  不運は重なるもので、取り込み詐欺の被害にも遭う��めに。「大きな注文が入ったんです。嬉しくて売ったんですよ。でもお金が入ってこない」。電話で支払いを請求しても埒が明かず、業を煮やした鈴木社長がいざ相手先に赴くと、そこには…「かたぎではない」空気が漂っていた。「企業舎弟の事務所でしたね。『払ってもらわないと困る』と言うと、逆に説教されました。『お前みたいなユルい商売したら潰すぞ』って」。今でこそ笑い話にしているが、当時は「夜寝るときは『もう目が覚めなければいいのに』と思っていた」というほど、精神的に追い詰められていた。「創業してから6年間は暗黒の時代。ドツボにはまりましたね」と振り返る鈴木社長の表情にも、どこか苦労の色がにじむ。 ■仕込み場の暑さはまるで「地獄釜」!?  さて、いよいよ始動したコラボビール造りに話をいったん移そう。快晴のビール日和に恵まれたゴールデンウィークの三重県伊勢市。早朝の新幹線に飛び乗って東京から駆け付けた「酒豪女子」こと筆者は、午前10時半に伊勢角屋麦酒のブルワリーに到着した。出口善一ヘッドブルワー(49歳)と金澤春香ブルワー(28歳)は、筆者の到着を「まだか」と待ちわびていた様子。それもそのはず、伊勢角屋麦酒では早朝6時から第1回、10時前後から第2回の仕込みを行っており、その日はすでに 最初の仕込みが終わっていたのだ。ブルワリーに着くなり、「はよ2回目始めるで!」と出口ブルワーが一言。大慌てで身なりを整えたら、一息つく間もなく仕込みのスタートだ!  まずは計250キログラムの麦芽をミルで粉砕していく。今回のビールでは大麦をベースに、爽やかな酸味が加わる小麦をブレンドした。  麦芽を実際に食べてみると、噛むたびに甘味が出てくる。「麦芽のデンプンが口の中の酵素に分解されて甘く感じるんや。まずはデンプンを糖分に変える『糖化』から始めよか」(出口ブルワー)。  エグ味や渋味が出ないよう粗目に砕いた麦芽を仕込釜へ投入する。小柄な女性の金澤ブルワーが、粉砕した麦芽が15キログラムほど入ったケースを軽々と持ち上げ、どんどん仕込釜へ移していく。  出口さん「やってみる?」  筆者「はい! …あれ!?(持ち上げようとするも重くて動かない)」  仕込釜ではお湯と麦芽を混ぜ合わせて“お粥”のような状態にする。ここで先ほどの「糖化」が行われ、甘い麦汁が出来上がるのだ。  沈殿した麦芽の殻はしっかりと濾過し、次は「煮沸」の工程へ。濾過した麦汁のみ煮沸釜へ移して90分間煮立てた後は、釜の中で「ワールプール」と呼ばれるゆるやかな渦を作る。香りが飛ばないよう、煮沸を終えた後にホップを足して香りと苦味を加えていく。  出口さん「ホップ食べてみ」  筆者「(口に入れてかむと)…ニガッ!!!」  出口さん「苦いやろ」  筆者「(知っているのに、なぜ…涙)」  ワールプールを作り続けていると、ホップや熱凝固したタンパク���どの不純物が釜の中央に集まってきた。雑味や濁りの原因となる不純物を取り除いたら、麦汁を100度から22度まで一気に冷却する。  冷却した麦汁を発酵タンクへ移すと、仕込みは完了だ。  金澤さん「今回は2キロリットル容量のタンクで発酵させていきます」  出口さん「330ミリリットルボトルが6000本できるで」  筆者「6000本!? …そんなに売れる気がしなくなってきた」  ここまで淡々と書いてきたが、実際は麦芽の粉砕から発酵タンクに移���までは4~5時間はかかる。重労働の上、高温の釜に囲まれているため蒸し暑くて仕方がない。  金澤さん「夏になると40度以上になりますよ!」  筆者「えぇ!?」  金澤さん「汗でびしょびしょになるので、1日に4回着替えることもありますよ!」  筆者「(地獄釜だ…)」  発酵タンクに移す前の麦汁を飲んでみたらとても甘かった。「少し苦味のあるビールを造りたかったのに…」と不安だったが、出口ブルワーによると「タンクへ移したら酵母が糖分を食べるから、甘ければ甘いほど最終的には苦くなるで」とのこと。ほっとした。  しかも麦汁の色がなんだが赤みがかって見える。なんと「フジサンケイグループ」の目玉マークの赤色をイメージして、麦芽を調整して色をつけてくれたのだ。伊勢角屋麦酒さん、なんと粋な計らいだろうか。これは出来上がりが楽しみで仕方ない!  と、その前に、鈴木社長がどのようにしてどん底から這い上がったかは、次回更新で明らかにするぞ!
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crafteer · 8 years ago
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【酒豪女子が行く】(2)若者のビール離れは嘘!? 低迷市場でクラフトビールが快進撃、味オンチの記者も醸造に挑戦!  盛り上がりを見せるクラフトビール業界で、世界中の愛好家から注目される伊勢市の小さなブルワリー「伊勢角屋麦酒」。ウキウキが止まらない“酒豪女子”の筆者が取材に行くと、あろうことか「ビール造ってみる!?」と鈴木成宗社長(49歳)から大胆すぎる提案を受け、新ビールの醸造に挑戦することに。しかし、開始早々に筆者の味音痴が露呈し、商品企画は難航。鈴木社長からもツッコミが入る中、醸造計画は無事に始動するのだろうか。 ■酒豪記者の無茶ぶりにブルワー困惑  鈴木社長に促されるままあれよあれよと話が進むビール醸造企画。しかも、なんと3カ月後に無事完成した暁には、オンライン通販「産経ネットショップ」で販売することまで決まった。筆者が造ったビールが商品になる!? “酒豪女子”の筆者に舞い降りた千載一遇のチャンスだ。  そんなこんなで、早速商品企画に取りかかる。伊勢角屋麦酒には現在、出口善一ヘッドブルワー(49歳)と金澤春香ブルワー(28歳)が在籍しており、この2人の技によって世界トップクラスの味と品質を実現している。 「普段、新商品を作るときは会議もせず、コンセプトもレシピも全てブルワーに任せています」と鈴木社長も全幅の信頼を寄せるほどだ。今回は2人にも会議に加わってもらい極上のビール造りを指南していただく。これは心強い。  さて、新ビールのコンセプトはバッチリ決まっている。「産経らしく“辛口ドライ”にしましょう!」と意気軒昂に口火を切る筆者。あれ、なんだかブルワーの顔色が曇った気がするぞ…? 「うちの主要読者は40~50代のビジネスパーソンです。クラフトビールに馴染みがない世代でも美味しく飲める商品を作りたいです!」と続けるも、鈴木社長から返ってきたのは「正直、一番やりにくいところ」という厳しい言葉。「私どもは業界でも尖ったビールを造っているので、普段クラフトビールを飲まない熟年層は最もハードルが高いです」と鈴木社長は苦笑い。金澤ブルワーも「クラフトビールメーカーで“辛口”を謳うところはそうないです。大手と差別化しようというメーカーが多いので…」と困惑気味。開始1分、早くもつまづいた。 ■低迷市場でクラフトビールが快進撃 大手参入で競争激化  それにしても、クラフトビールの快進撃には目を見張るものがある。低迷の打開策をなかなか見いだせずにいる国内ビール市場は縮小の一途をたどり、大手5社が発表した2016年の国内ビール類出荷量は前年比2.4%減。12年連続で過去最低を更新した。  一方、クラフトビールは威勢がいい。16年1-6月の地ビール出荷量は前年同期比4.2%増と、不振の大手を尻目に好調ぶりを見せつける。関東近郊では夏になると毎週のようにビアフェスティバルが開催され、「ビール離れ」がまるで嘘かのように若者で活気づく。都内ではブルーパブと呼ばれる醸造所併設のレストランも次々とオープン。コンビニ棚でも今や常連となり、お馴染みの国内ラガーと陣取り合戦を繰り広げる。  大手もこの活況を見過ごすわけにはいかない。キリンビールは、ブームの火付け役にもなったヤッホーブルーイング(長野県)や米大手のブルックリン・ブルワリーと資本業務提携を結び、クラフトビールの製造販売に本腰を入れる。存在感が高まっているとは言え、国内のクラフトビールのシェアは16年時点で1%にも満たない。まだまだ微々たる市場に見えるが、藁にもすがる思いの大手各社はクラフトビールに再起を託す。  そんな大手参入を警戒しているかと思いきや、クラフトビールメーカーは意外にも歓迎ムードのようだ。「大手進出で市場が拡大し、ファンが増えるのは大歓迎」と鈴木社長は期待を寄せる。「ただ、競争激化は避けられません。弊社では『ナ��バーワン』か『オンリーワン』の商品開発を徹底し、市場争いを勝ち抜きます」とのこと。伊勢角屋麦酒では、国内外の審査会で金賞に輝く「ペールエール」で世界最高レベルを維持することを目指している。また、2人のブルワーに対してもとことん独創性の強い商品造りを求めており、「国内他社に負けない努力を今後も続けます」と、鈴木社長は“未来のレッド・オーシャン”で生き抜く覚悟を見せる。 ■味オンチの記者に社長ツッコミ「それをしたら逆の味になる!」  商品企画に戻ろう。会議は開始1分で雲行きが怪しくなってきた。筆者が焦りを募らせる中、出口ヘッドブルワーが「“辛口”のイメージをつかみたいので、一回飲んでもらいますか」と切り出し、伊勢角屋麦酒の主要ラインナップをズラリと並べてくれた。まずは柑橘系の香りが特徴の「ペールエール」と、後から苦味が追ってくる「フォースIPA」を飲み比べる。  筆者「 わっ!香りが全然違う!」  社長「ホップの種類がだいぶ違いますから」  筆者「『ペールエール』の方が苦味があるんですね!」  出口さん「いや、ないです」  筆者の味オンチが露呈するも、鈴木社長が「苦味を感じる成分は『フォースIPA』の方が圧倒的に多いですが、人間はいろんな成分や香りが複合的に絡んだ中で苦味を感知するので、そう感じることもあるかもしれないですね」と助け舟を出してくれた。 実際に香りと味がしっかりしたクラフトビールの試飲を続けると、筆者の味覚はさらに麻痺し、途中で一般的なラガービールを飲んだら水のように感じるほどだった。  筆者「“辛口”のイメージに近いのは『ペールエール』でした」  社長「『ペールエール』に近いならうちの得意分野ですよ」  筆者「もう少し“もったり”させることはできますか?」  社長「もったりさせていいの!? “辛口”のコンセプトは!? 逆方向の味になりますよ!?」  まずい。筆者の味オンチのせいで企画倒れになりそうだ。でも、めげないっ!  筆者「“もったり”というか、なんというか…クラフトビールを口に含んだ時の、あの“濃い”感じというか…」  出口さん「コク味?」  筆者「それです!」  金澤さん「それならIPA(インディア・ペールエール)ですね」  どうやら筆者のイメージに重なるのは、ホップをふんだんに使った苦味のある『IPA』というビールの種類らしく、しかも伊勢角屋麦酒にとっては“十八番”の分野だそう。こうなればしめたもの。アルコール度数と色を決めて会議は無事終わった。  最後まで鈴木社長には「本当にこのレシピでいいの?(笑)」と聞かれたが、すでに“酒豪女子”の脳内では完璧な辛口ビールの味が再現されている。この記事をお読みのあなたもきっと気に入るはずだ。次回更新では本格始動、いよいよ「仕込み」の工程に入るぞ!
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crafteer · 8 years ago
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【酒豪女子が行く】(1)ビール界のオスカー受賞、伊勢市のブルワリーに世界が注目 餅屋から飛躍した社長の“型破りな創業”      三重県伊勢市に世界中から注目を浴びる小さなブルワリーがある。3月上旬に「ビール界のオスカー」と呼ばれるビールの審査会で金賞を獲った伊勢角屋麦酒だ。もともと400年以上続く餅屋だったが、鈴木成宗社長(49歳)の「微生物好き」が高じてクラフトビールの製造に乗り出した。今やあらゆる審査会で賞をかっさらう名門ブルワリーへと成長したが、参入当初は地ビールブームの終焉もあって鳴かず飛ばず。型破りな“第2の創業”が実を結ぶまでには、「視界から色が消えるほどのストレス」(鈴木社長)に見舞われるなど、七転び八起きのドラマがあった。 ■ビール界のオスカー受賞 知る人ぞ知る伊勢市の名門ブルワリー  3月上旬、世界中のクラフトビール愛好家の熱い眼差しが日本に向けられた。最も歴史ある国際ビール審査会の一つ「IBA(The International Brewing Awards)」で、伊勢角屋麦酒が金賞を獲ったのだ。IBAは1886年から続くイギリスの審査会で、別名「ビール界のオスカー」と称されるほど業界では格式が高い。世界的な栄誉を伊勢市の小さなブルワリーが勝ち取っただけでも驚きだ。しかも、もともとは餅屋だったと知れば、仰天である。  そんなニュースを知った筆者も鼻息が荒くなった。なにを隠そう筆者は大の酒好き、中でもビールは大好物なのだ。世界が認めたビールの秘密を自分の舌で確かめたい。これは、もう職権乱用(?)して取材に行くしかないっ!  …でも、伊勢角屋麦酒? クラフトビールでもヤッホーブルーイングとかエチゴビールは知ってるけど。初耳だし本当に美味しいの~?…と疑うふりをしながらニヤケがとまらない“自称ビール党”の筆者は、伊勢角屋麦酒のブルワリーへと向かった。 ■餅屋なのにビール造り!? 21代目社長の型破りな“第2の創業”  東京駅から新幹線と近鉄を乗り継ぐこと3時間半、伊勢神宮にほど近い宇治山田駅に到着した。さすがは「神都」、小雨がぱらつく肌寒い平日でも観光客が散見される。駅から車で10分走ったところに伊勢角屋麦酒のブルワリーはあった。見た目は一般的な酒蔵なのだが、酒は酒でもビール醸造所というのだから、意外な印象だ。しかも隣には昔ながらの味噌溜まり蔵が併設されている。  向かいには茶店が構え、名物のきな粉餅で参拝客をもてなす。実はこの茶店こそが、伊勢角屋麦酒を運営する二軒茶屋餅角屋本店(三重県)なのだ。天正3年(1575年)に創業した角屋は、近くにあったもう一つの茶店とともに「二軒茶屋」と呼ばれ、店の裏手を流れる勢田川の舟着場を経由して伊勢参りをする人々に親しまれてきた。大正12年(1923年)には味噌醤油の醸造業も始め、昔ながらの木樽での醸造を今も続けている。  そんな安泰な家業に革命を起こしたのが21代目の鈴木成宗社長だ。筆者と顔を合わせるなり、「ビールは好きですか!?」と爽やかな笑みで詰め寄られた。いかにも自由闊達な雰囲気だ。 というわけで挨拶もそこそこに、IBAで金賞に輝いた「ペールエール」を早速頂く。  グラスに顔を近づけただけで柑橘系の華やかな香りに包まれる。口にふくむとホップの香りがのどの奥までフワっと広がり、思わず顔がほころぶ。口当たりは豊かだがすっきりと飲みやすく、クラフトビール初心者にも人気が高いのは納得。鈴木社長がこだわり抜いたペールエールは「ファンには『伊勢ペ』と呼ばれ愛されている看板ビール」とのこと。  それにしても、餅屋なのにビールを造っているなんてなんとも不思議だ。ビール製造に参入したのは97年。当時、専務取締役だった鈴木社長はルーティン化した商売に飽きを感じていたと言う。「東北大学時代の専攻が海洋性プランクトンの生理活性物質の研究であり、幼少期からの微生物好きが高じました」と“型破りな創業”のきっかけを話す。父親で前社長の宗一郎さん(85歳)に話すと「やってみればいい」とあっさり。うまくいけば新規事業として育ってくれればという淡い期待と、味噌醤油の醸造の経験もあったため、「製法がより単純なビールなら、努力次第では世界で戦えるのでは」と判断した鈴木家。思いのほかに順風満帆に事業が始まった…ように見えた。 ■地ビールブーム終焉後の苦境「視界から色が消えるほどのストレス味わった」  今でこそ市民権を得たクラフトビールだが、90年代にも一度、「地ビール」としてブームが起きている。94年に酒税法が改正され、ビールの最低製造量が年間2000キロリットルから60キロリットルへ大幅に引き下げられた。これを機に全国に地ビールメーカーが次々と誕生。伊勢角屋麦酒もその中の一社だった。「97年末で国内に50社ほどしかなかったですが、その後2~3年で一気に200社を超えました。97年、98年創業組がすごい多いんですよ」と鈴木社長は当時をふり返る。  しかし創業から半年後にはブームが一気に沈静化。多くのメーカーが苦境に陥る中、伊勢角屋麦酒も例に漏れず、鈴木社長曰く「どツボにはまりました」。400年以上続く家業を潰してはならない-。そのプレッシャーから、冒頭の「視界から色が消えるほどのストレスを味わいました」と振り返る鈴木社長は当時若干29歳だった。  なんとか窮地を脱するには多くの地ビールメーカーとは異なり高品質を極めて、国際審査会で優勝するしかない。そう独り合点し、なんと6年後の2003年には権威ある世界大会で本当に最優秀金賞を獲得してしまった。  それでもビールは売れなかった。「世界一になれば飛ぶように売れると思っていました」と、鈴木社長は経営トップとしての見通しの甘さを痛感した。それからはマネジメントについて手当たり次第に勉強し、がむしゃらに働いた。「丸2年は無休で働きました。従業員より給料が取れるようになったのは最近のこと」と言う。それまではクラフトビール愛好家をターゲットにしてきた��、04年以降は伊勢神宮の観光客向けのラインナップも投入。びんではなく缶に詰めることで簡便性を高め、価格も抑えた「神都麦酒(しんとびーる)」は観光客にヒットし、経営難を大いに救った。  ドラマのような話に思わず唖然、「ビール造りって大変…」とポカンとしていた筆者に、何を思ったか鈴木社長は「実際にビール造ってみる!?」と切り出した。えぇ!? そんな簡単に造れるもんなの!?  ということで酒好き女記者、実際にビール造りに挑戦することにしてみた。
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crafteer · 8 years ago
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地酒にカンパイ! 「石見麦酒」工房より 手作りは醸造設備も /島根 「大変です!」「カーボネーションマシンが壊れました!」  工場で事務作業をしていたら、醸造スタッフが血相を変えて飛んできた。カーボネーションマシンとは、ビールの炭酸ガスを規定量まで溶かす装置だ。どうやら機械のシャフト部品の結合部が壊れているようだ。  国内で使われているクラフトビールの醸造設備は、ドイツ、アメリカ、中国などからの輸入品がほとんどだ。機械が故障したら、外国語で書いたマニュアルを読むか、代理店に電話することになる。  でも、石見麦酒(ばくしゅ)の醸造設備は国産。正確に言うと、すべて自分で作っている。私自身は工学系のエンジニアでもないので、学校で習った理科と図工レベルの知識と技術で組み立てた醸造設備だ。  大手ビールメーカーの工場見学をすると、たくさんの機械と配管が並んでいるが、紀元前4000年前のメソポタミアの時代から作られていたビールは、原理原則を突き詰めると製法はとてもシンプルなのだ。  だから、本日の機械故障の顛末(てんまつ)はこうなる。  「壊れちゃったか~。今朝から少しおかしな音してたからねえ。今日は手作業でやって。明日までには直すから」  分解してみると、今回の原因は、長時間振動させている間にナットが緩み、結合部の部品に負荷がかかったみたいだ。電動工具で壊れた部品を作り直し、ホームセンターで緩み防止のワッシャーを買って取り付けた。修理費用はわずか153円(税込み)。  自分で作った機械なので、壊れても動じることはない。分解すれば、原因もだいたい想像がつく。それに大半の部品はホームセンターで手に入る。壊れにくい高価な機械を買うのも手だが、万が一、壊れたときにメンテナンス業者の到着を待つのに何日もかかるのではリスクが大きい。  先日、こんな相談を受けた。最近のクラフトビールブームで海外での醸造器具の製作・輸入が間に合わず、自分で作りたいので工場を見せてほしいと。ビールそのものだけではなく、設備もクラフト(手作り)のクラフトビールメーカーが今後増えるかもしれない。(江津市の石見麦酒工場長、山口厳雄=浜田市在住)
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crafteer · 8 years ago
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軽井沢ブルワリー ビール工場新設、生産能力2.5倍に 地ビール製造の軽井沢ブルワリー(佐久市)は9月、ビール製造工場を本社隣接地に新設する。約16億円を投資して、年間生産能力を現在の200万リットルから、2.5倍の500万リットルに引き上げる。同社の商品は夏の中元の時期などに注文が集中し、現在の設備では今後生産が追いつかなくなると判断した。  本社に隣接する2000平方メートルの敷地を取得し、昨年秋に工事を始めた。延べ床面積は1300平方メートルで、9月に完成して生産を開始する予定。現在の工場の発酵タンクの総容量は19万2000リットルで、新設分の40万3200リットルが加わる。  同社は昨年、アサヒビールと連携して販売した中元セットが好調で「2割ほど売り上げが押し上げられたのではないか」(製造統括部)という。中元セットは昨年は3000円のセットのみだったが、今年は本数を増やした5000円のセットも販売する。昨夏の中元セットは百貨店限定で販売していたが、今夏はスーパーなどにも販売先を拡大する。  今年は父の日用のギフトも売れ行きが良く、前年より約30%増えた。海外向けも台湾で売れ行きが良く、米国などへも販路を拡大する方向で検討している。  現在の年間出荷量は120万リットル程度。今回設備を大幅に増強するのは「生産能力に余力を持たせて品質を確保するため」(製造統括部)という。既存工場の生産ラインは完全自動ではないが、新工場にはオートメーション設備を導入し、��力化するとともに24時間稼働も可能にした。原料の粉砕設備なども最新型にする。  工場増設に合わせ、原料調達先も見直す。原料にコメを使う「クリア」と「ダーク」は、コメの調達先の約15%が佐久市産だが、100%にする方向でJA佐久浅間などと調整している。原料を地元で調達し、「ご当地ビール」としてのブランド力を高める考えだ。  同社は季節限定販売の商品も含めて、11種類のビールを製造している。2013年の生産開始以来、部分的に設備の増強はしてきたが、醸造設備の新設は初めて。
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