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なにもしてないマン。雑文とスナップ。
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dmcf-note · 4 years ago
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もう何も書くことも撮ることも出来ない
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dmcf-note · 5 years ago
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他媒体で既出ですが今秋の四枚です。あなたと見た世界だけは形にとどめておきたくて、僕が写真を撮る理由もこのためだけかもしれません。なんてね。
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dmcf-note · 5 years ago
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片瀬にて。この夏はせっかく買った90Dはあまり使わず結局g7x mark2で撮り歩きが多かった。もう何がしたいのか、自分自身でさえもわからない。だから、他人からすれば僕はどう見ても挙動不審なのだ。どこかで職務質問されたとして「何してるの?」と言われようもんなら、せいぜいどう言えば回答になるのか相手を問い質すくらいのことしかできないだろう。
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dmcf-note · 5 years ago
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梅雨の晴れ間に
いま僕は不思議な夢を見ているような気分だ。なんとも実感がない。いいこと、例えば、友達が結婚したり、躓いていた仕事がうまくいったり、未来とまではいかなくとも、明日に対して肯定的な気持ちを持つことができて、かつ、目まぐるしく物事が自分の周りを過ぎて行き、ひとつひとつに気持ちが追いつかない心地がしている。たいてい興奮状態で夜更にも眠れず、日照時間の長さも相まって朝に軽く休んでから昼間の用件を片付ける。本来の僕は朝に強く、日の暗いうちから一日を始められる性格だが、最近はどうも調子が狂いがちだ、
誰も何も告げず、季節は夏至を過ぎた。気象庁の梅雨入り宣言から10日ほどが経ったと言うのに、寒かったり、暑かったり、雨が続いたり、晴れ渡ったり、不思議な天気だ。予報も毎朝チェックしているのにまるで当てにならず、仕方なく洗いたての洗濯物が雨に晒されるのを嫌い、部屋干しする。柔軟剤と洗剤と湿気の少しカビ臭い空気が部屋を満たして、帰宅するのが少しだけ憂鬱になる。毎年のことだけれど、梅雨をどうにかやり過ごすことに苦心している。北国で5年ほど過ごしてしまったせいで、夏は暑くても乾燥していて過ごしやすく、それが好きだったけれど、遠ざかって久しい。
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dmcf-note · 5 years ago
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少し言って置きたかったことを遡りして書き留めておく。
https://twitter.com/dmcf_s/status/1270929810777227264?s=21
ホワイトカラー職種において、就労条件の暗黙の了解として「スーツ装用」を義務付ける事業所が多々あるが、スーツの定義は極めて曖昧な気がするということ。業界や職種によりけりなこの定義を当たり前のように、そして杓子定規に当てはめていくのは甚だバカバカしい。
https://twitter.com/dmcf_s/status/1269122688754180098?s=21
日高屋はすごい。
https://twitter.com/dmcf_s/status/1267465994030641152?s=21
メタ目線で話ができない人間とは何を話しても暖簾���腕押し。認識のレベルを意識してコミュニケーションを取りましょう。
https://twitter.com/dmcf_s/status/1265485585248071680?s=21
原罪という考え方は宗教に起因するが、神仏への信心の有無にかかわらず他者と関わる際に意識すべきと、自分に改めて問いかけた。深い意味はない。
https://twitter.com/dmcf_s/status/1263781309077307392?s=21
上には上がおり、下には下がいる。ナンバーワン、なんてものは幻想の産物でしかない。そしてそれは無根拠に誇れるものではなく敗者に対する尊敬の上にこそ成り立つべきだ。
1人で家にいる時間が増えるとあれこれ考え込んでしまってよくない。
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dmcf-note · 5 years ago
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全部どうにでもなってくれよ
新型感染症の流行で外出自粛を要請されて早4か月になる。初めは会社の危機管理計画上での動きだったが、流行が本格化してからは国やら自治体まで巻き込んでのものになっていた。ホワイトカラー各位の中には突如として在宅勤務をすることになったり、ブルーカラー各位の中には社会システムの突発的な稼働量変更に右往左往されたこともあったろう。なんにせよ数年前の大規模な震災のように、そういやあれも冬から春、そして夏にかけてのことだったか、身の回りの予定を軒並み吹っ飛ばしてしまうようなイベントだった。それも個人程度のものでなく、社会横断的な規模で、だ。
よそ様より会社の上層部の危機意識が高い故に、世間一般がまだ自粛だの騒ぎ始める前から出社をなるべく控えて在宅勤務を推奨されたとき、正直その後の状態を甘くみていたのかもしれない。たかだか感染症��インフルエンザ程度のもので、特定の時期に流行はするものの、きちんと予防をしていれば何事もなく過ごせると信じていた。会社が在宅勤務を推奨しても、業務の都合で全てが全て在宅勤務に切り替えられず、週に数日は定時に出勤し、2,3時間は残業していた。1日の感染者数が加速度的に増える中で公的機関が自粛を要請し始めると、いよいよ出社する日数も極力減らさなければならないと思い始めた。しかしながら、自粛は本来自発的に行うから自粛と言うのであって、要請されるものではないはずで、その妙な言葉遣いに苛立っていた気がする。社会がどうあろうと、世界がどうなっても、基本的な部分は変えないでいようと努めた。例えば、外出は少しでも必要と感じたらするし、無理に自宅に籠るのは避けた。精神的に参りそうだったからだ。
いわゆる東京アラートが解除され、新型感染症関連の騒動は終わりを見せているが、一連の騒動が巻き起こした社会不安や経済成長の鈍化については誰にも救えない。昨今の国会では野党が首相にあれこれ追及しているが、それでは何の足しにもならない。追及すること自体は必要だが、それ以上に様々なものの悪循環を止めるように抜本的な構造改革が求められるかもしれない。また、十数年前に同じ構造改革という言葉を使って打ち出された数々の政策が、社会不安や経済成長の鈍化の一因となっていることは書き留めておきたいし、壮大な皮肉だと思えてならない。
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dmcf-note · 5 years ago
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流れ流れて流山
何をするわけでもなく、何かしたいという気持ちだけでとりあえず家を飛び出した日曜の朝、とりあえず最寄駅から電車に乗って八王子を目指した。ゆるキャン△を見て山梨に行きたくなっていたので、ちょうど天気もいい冬の日に出かけることができればいいと思っていた。京王八王子から八王子まで歩いてみどりの券売機で乗車券と特急券を買おうとしたら突然画面遷移しなくなり、とりあえず乗車券のみ買って改札を抜けたものの、ホームに降り立つ頃にはちょうど発車チャイムが鳴り切っていた。ここで心が折れたので、山梨はまたの機会に行くことにする。
��を取り直して乗車券を払い戻し、とりあえずICカードで改札に入り、中央線ホームに止まっていたむさしの号大宮行きに乗った。八王子始発で、国立まで各駅に止まった後、西国分寺の手前から新小平まで短絡線を経由し、武蔵野線の各駅に止まった後、また短絡線で東北本線に入って大宮まで行くようだ。1日に数本のみの運行ということもあり、珍しさもあってとりあえず乗ったものの、大宮には一度行ったことがあるので終点まで乗る気になれなかった。
新秋津と西武線の秋津の間を徒歩で乗り継ぎしていたフォロワーがいたのを思い出し、その道を辿った。新秋津は半地下構造になっており、改札を出るといかにもな駅前商店街があったので、それを進んだ。まだ午前中というのに同じように西武線に向かう人は多く、生活道路程度の道もあって車が入って来にくい雰囲気だった。西武線は何度か利用したことがあり、秋津もまた他の駅同様に一般的な私鉄沿線といった感じだった。乗り込んだ電車はひばりが丘で元町・中華街行き快速急行を待避したので、乗り換えて練馬でまた池袋行き準急に乗り換えた。想定外だったのは池袋までノンストップだったことだ。それだけ池袋に用事のある乗客が多いのだろう。
池袋に着く頃には11時を過ぎており、土日の昼の賑やかさがあった。その脇を抜け、南池袋公園の芝生を片目に寝転がりたいなと考えていた。もう少し暖かくなったら一度芝生の上にビニールシートでも広げてピクニック気分でも味わいたい。まっすぐ南東へ歩き続け都電の停留所の手前にある大勝軒で昼飯を取る。元祖つけ麺の有名店が来たことはなかった。感想はあえて割愛する。
都電の停留所まで行き着いたが停留所で待つのも癪なので歩みを進める。雑司ヶ谷のあたりから大塚駅前にかけては都電沿いに片側1車線の都道を造成する工事中で、フェンスで区切られた中に機械や資材が無造作に置かれていた。その中で民家の真前にぽっかり開いてアスファルトで舗装されただけの空間があり、地面にも頭上にもびっしりと鳩やカラスが集っていて、一歩僕が進むと彼らは徐々に近場の電線に飛び移り、まるでモーセにでもなったような感覚だったが、それ以上に目の前にある民家の糞害を気にしてしまった。
大塚駅前はある程度開けており、都電も併用軌道の取り扱いで、交差する道にもいちいち遮断機が設けられていなかった。変わらず歩みを進め、坂をあがり地蔵通りと春日通りを渡って、飛鳥山公園に登った。ここには無人のモノレールが走っており、小さな車体に16人だけ乗れるようになっており、扱いとしては斜行エレベータに近い。飛鳥山公園は巣鴨側から登ると大したことない階段の段数で済むのだが、王子駅から歩くと結構な標高になるため、お年を召された方々や子供連れにとっては便利な存在なのだろう。東京都が運行する”モノレール”といえば上野動物園があるが、こちらも欠かせない存在と言える。
王子駅前で京浜東北線に乗ろうか迷ったが、せっかくなら行ったことのない土地を進みたいので、観念して都電に乗り込み、車窓を眺めていた。都電荒川線という割に荒川が見えるわけでもないのだが、ここから先は放射状の公共交通ばかりの荒川区を縦断し各地区を結ぶ役割をしており、昼飯どきだが多くの人で電車は埋まっていた。
歩く気力がまだ回復していなかったので、町屋で降りて京成に乗り換えた。京成や北総線を成田空港との行き来で何度か利用したことがあったが、ほとんど疲れているときに乗っているのでじっくりと車窓を眺めたことはなかった。せっかく近くまで来たので北総線や新京成にも乗ってみようと思い、高砂で金町線に乗り換え、柴又から新柴又まで歩いた。特に理由はないのだが、京成と北総線の接続が悪く、何分も駅のベンチで待つよりはせっかくだから柴又を歩いてみようと思った。ただ、いわゆる柴又は駅の東側であり、新柴又は柴又から南側に数百メートル歩いたところにあった。寅さんのイメージの強いエリアだが、一歩外れるとただの住宅街で、何の変哲もない郊外型のファミレスやカー用品店に見飽きたくらいに新柴又駅についた。
都営の少し古めの車両に乗り、新鎌ヶ谷を目指した。北総線は後発の路線ということもあって基本的に高架や地下に作られていて、特に高架区間での見晴らしがよかった。運賃が高めに設定されているのも無理はない。新鎌ヶ谷ですぐ後に来る松戸行きに乗り換えようとしたが失敗し、今更歩く気にもなれず駅のベンチで知らない母子の会話を聞きながら日曜昼下がりの平和を堪能していた。別に美術館や博物館に行かなくてもいい、スポーツをしなくていい。なんてことない日々のための買い物を済ませて、電車に乗って、夕飯は平日よりちょっといいものを拵えるくらいでいい。
松戸で常磐線に乗り換え馬橋で流鉄に乗り換えた。馬橋は一部鉄道ファンたちの中で知らない人はいない駅だ。特に何か変わった設備があるわけでもない。強いていうなら流鉄だが、それを抜きにしてこの駅の一部での知名度を担保しているのは、年越し大回りの存在だ。2018年から2019年の年越しで僕もこれに参加した。大晦日の早朝に馬橋より2駅北にある北小金をスタートし、初乗り切符片手に約30時間、1,035kmの末に目指すのが馬橋なのだ。馬橋からスタートして北小金を目指していた人もいたので、次に機会があればこちらもトライしてみたいものだ。僕にとってはこの印象が強い駅だ。
さて、流鉄に乗り込んでとりあえず終点の流山についた。古めの設備と2両編成の列車がなんともレトロで可愛らしい。少し街中を散策したくなり、隣の平和台まで住宅街を歩いた。少し見晴らしがいいだけのなんの変哲も無い住宅街だったが、どことなく僕が生まれ育った神戸の郊外を思い出した。一つ神戸と違うのは海が見えるかどうかだが、神戸でも駅から逸れると似たようなもので、なんとなく原チャリでいろいろ見てまわりたくなったが、駅に電車が来ていたので乗り込み、線内唯一の交換駅である小金城趾でおり、TXの南流山駅を目指して歩いた。小金城趾は松戸市内の駅のため、途中で川を渡り流山市に戻ることになる。松戸と流山を隔てる川のそばには大きめの鉄塔があり、ちょうど夕焼けがいい感じに染まっていたので、撮影してInstagramに上げた。
南流山の駅前は小綺麗で、おそらくTX開業時に整備されたと考えられた。地下のホームからTXに乗り、秋葉原を目指す。TXも北総線同様に高架と地下ばかりで、高架区間の眺めがよく、首都圏には珍しく130km/hとスピードも出るので、きっと通勤も快適だろうと思った。秋葉原に着く頃にはすっかり日も暮れていたので、気になっていたPCをちょっと眺めて中央線と小田急線で帰路についた。週末は何も考えないでいろんなところをフラフラ歩くに限る。特に寒い冬の貴重な晴れた1日であれば、殊更だ。こんな気分転換に付き合ってくれる人がいればと思う時もあるが、なくてもまた良いものだ。好きな時に立ち止まり、好きな時に行き先をかえ、好きな時に気になったものを食う。こうして今日もいい1日になった。
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dmcf-note · 6 years ago
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性欲で話をするな
久しぶりに物を書いているような気がする。最近どうもこうも無気力で、仕事でもプライベートでもひと息つく暇がない。引っ越しをすることにしたとき、真っ先に考えたのはインターネットで、光回線を引けず置き場所もないことからノートパソコンに買い換えることにして、紆余曲折あって気付いたらmacbook proとiphone 11 proを買っていた。初めてappleのパソコンを使って、不慣れなことがたくさんあるけど、やりたかったり積み残している画像・動画編集など、クリエイティブなことをたくさんやりたいと、漠然と考えている。ちなみに、以前使っていたwindowsのノートパソコンはなかなか軽くて物書きに適していたのだが、macbook proは重いので持ち運びはあまりしないかもしれない。ただ、キーボードがいい感じなので、いまとても書いていて楽しい。
さて、本題に入って引っ越しについて書いておくと、井の頭線 新代田駅のすぐ近くに家賃7万円の2DKがあり、1年契約更新不可という縛りと築47年という古さがあるものの、ところどころ手入れがされていて1年なら暮らせなくもないかと思い、同僚をルームシェアに勧誘したところ快諾してくれたので、引っ越すことにした。ちなみに同僚の荷物はすでに搬入したのだが、自身の荷物は何一つ運んでいない。本当に何もやる気が起きないのだ。
数か月前、下北沢で何度か飲んだ店からもほど近いところに住むことになった。当時よく一緒に飲んでくれた”アニキ”ともご近所さんになったようで、近所の飲み屋を紹介してくれるという。ありがたい。ちなみにあの店にはおそらくもう行くことはないんだろうけど、その周辺のゆるやかで、甘酸っぱくて、生活感があって、どことなく洗練された感じのなかで、僕も自身が知らない自分と出会えることができれば、きっといい1年になるんだろうなと思う。あの店を紹介してくれた人も引っ越し祝いを持ってきてくれることだし、ひとつ手料理でも振る舞ってみることにしようか。そうして僕もゆるやかで、甘酸っぱくて、地に足のついた生活を送りたい。
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dmcf-note · 6 years ago
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君が住む街 僕が育った町
普段は深夜割増賃金を気にしながら残業を重ねているが、その日は19時の定時丁度に打刻して、着替えの詰まったリュックを背負ってエレベーターに駆け込んだ。後輩と仕事を軽く愚痴って山手線に乗る頃には、強い冷房で冷えた体も軽く暖まっていた。品川駅の狭い階段を人波に運ばれるようにして上り、上司にすすめられた洋菓子を手土産に買って、東海道新幹線の改札をこえた。予約していたひかり533号は品川駅20時10分発で新大阪23時13分の到着ということで、最速で走るのぞみより30分以上も遅いわけだが、客があまりいないから割と遅めに予約をしてもちゃんと指定席が残っていた。二人がけ通路側の席についたら真っ先に買っておいた缶のハイボールを飲み、この1週間もおつかれさんと自分に言い聞かせた。労働者の細やかな喜びを噛み締めていると新横浜でまた人が乗り込んでデッキにも人が溢れているのが見えた。静岡、浜松くらいで少しずつ客が入れ替わり、名古屋で半分くらいは降りた。見逃していた深夜アニメを見ていたら岐阜羽島を過ぎており、米原で大半の客が降りた。どうやら北陸方面の最後の特急列車に接続しているらしく、座席に残っているのは僕を含めて10人もいないように見えた。見慣れた京都を過ぎ、そろそろ終点だからと残り少ない乗客たちが、皆同じように身支度を整え始めたのが少しおかしいなと笑っていれば新大阪に着いた。改札内の店が全て閉まり、がらんとした構内では乗換待ちの乗客たちがキャリーケースの上に腰かけているのが見えた。かなり前に乗ったときの記憶を頼りに実家最寄り駅まで行く列車のホームを探してしばらく待ったら見慣れた電車がガラガラでひと安心したが乗り込んだら席は全て埋まった。
君の住む街にはこの列車は止まらない。君が楽しく過ごしていることが垣間見えるとき、もう二度と会うことはないと感じ、同じように、列車が鉄橋を渡って君の住む街から遠ざかるように、縁というものも遠ざかっていった気がした。ハイボールが抜けて喉が乾いて飲んだ緑茶が特別にほろ苦かった。あまり変わらない表情で深夜アニメを見ていたけどなんとなく切なくなってしまった。列車はこんなことを気にせず旅程を終わりへと近付けた。高校の頃によく歩いた街や、暗い海と山に挟まれた国道と線路しかない崖を抜けたら、僕の育った町に着いた。ホームに降り立った瞬間に鼻についたのは懐かしい磯の匂いだった。磯の匂いは人によっては不快な臭いだが、子供時分の思い出と一緒に閉じ込めた身としては懐かしくキラキラしたきれいな瞬間の破片だ。遊泳開始日に砂浜で泳いでいたらローカルTVに取り上げられたり、好きな女の子の名前やなんだかんだを海に向かって叫んだり、甘酸っぱい頃が間違いなく僕にもあった。最近どうも海の近くで暮らしたいと願うのはあの頃に引きずられているに違いなかった。そんな風に一日一日を大切に、楽しむくらいスローに生きたいと危機感に近い気持ちを抱いた。だから通勤がどれだけ不便になろうが僕は今のアパートを更新しないと���め、過去に生きていると言われようがなんだろうが、今日もまた飽きもせずに部屋探しサイトで海辺の町の空き部屋を眺めているのだ。
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dmcf-note · 6 years ago
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近距離恋愛
先月の末に思うところがあって、今月すべての日のスケジュールに「恋愛小説強化月間」という語句を入れた。入れたことによっても僕の行動は従前と何も変化していない。会社に行って、帰って、ご飯を食べて、寝るだけ。繰り返しの中で、夕飯を普段話さない人と食べてみたり、帰り道でTSUTAYAに寄ってみたりはした。何度か書いた気はするけど、身近なところに知らないものがあることに気付かされる。一部を垣間見ただけで全部を知ったような気になっている、自分自身の軽薄さを嘲笑されたような後ろめたさを感じる。
第一印象という言葉をよく使うように、人は一定程度付き合ってみないとお互いの相性がわからないものだ。人は時間とともに社会性を変化させる。人に限らず生き物全般についてもそんな気はしている。犬や猫が人に懐くのはどういったカラクリになっているんだろう。もしそれが分かれは苦手なあらゆる生き物との接し方を変えられるだろう。それはそうと、僕らは苦手なものが相手でも上手くやることを求められている。誰から、とは言わず、この社会から無言の圧力で強要されている。あえて背くほどややこしい性格はしていないし、行動に起こすエネルギーもないのが本音なのはここだけの話。
現代社会からの無言のプレッシャーから逃げるように生きている僕は今日も笑顔で生きている。本音や真心を抱えて生きることが年々怖くなる。あらゆる意思が虚無の中に溶ける。残った微かな、ノイズくらいははっきりと僕の気持ちを伝える言葉であってほしいけれど。
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dmcf-note · 6 years ago
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気付いたら電車ばっか撮っていた。有給休暇は有意義に使いたくて、朝から写真を撮ってた。室内での撮影が物足りなくて、駅に来た電車に飛び乗って鎌倉へ。
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dmcf-note · 6 years ago
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情動と言葉
何がしたいわけでもないが、何かをしたい気持ちが起こることがある。初めては12,3歳の時で、鼓動が高鳴るのを感じながら家の近所にある海水浴場まで行ってコカコーラを飲んだ。一気に飲み干した。口から溢れ喉を伝ってTシャツと上半身の間でへばりついた。腹の中からする甘ったるい匂いと不快感が拭いきれなかった。明石海峡の向こうに見える淡路島に向かって心の中で「僕は何がしたかったんや。わかるか。」と問いかけた。答えはもちろん帰ってこない。思春期だった。やり場のない情動は、察されることが多いのは性欲だが、もっと違う気持ちは、9月の終わりの秋風にしてひとまず落ち着きを見せた。見られた僕は途端に恥ずかしくなって駆け出した。思い返せばこれも間違いなく恥ずかしいものだった。
最近は眠れない夜に、思い出し笑いのように、僕を目覚めさせる。シャワーを浴びてラップトップから意味のない思い出を、過去のワンシーンをインターネットに放り投げる。何者になりたくても何にもなれない僕を、こうして今の時間に引き留め、繋いでおいてくれ、今を生きる存在として確かなものにさせてくれる。無にも等しいこの寄り添いの関係性をたまに虚無と声高に僕は叫ぶ。虚無を増幅させいつか有になりたいと願うさまを、見守ってくれているならばありがとうしかいえない。僕には何も心から伝えたい言葉がない。
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dmcf-note · 6 years ago
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つまり僕は働きたくない
無慈悲にも明日はやってくる。いつまで続くのかと思った平成が天皇陛下のお気持ちで終わったように、5/7は当たり前のように平日として時間が動いている。そもそもキリスト教式に、平日と休日をはっきりと分けて平日は朝から晩まで働く習慣は、健康的なものだろうか。かつて江戸時代の商習慣では、朝から午前中だけしか働かないかわりに、非常に休みが少なかったと聞いたことがある。また農家では季節と天候によりけりと言ったところで、これは今でも変わらないだろう。また、農家にしろ商家にしろ、雇われの小作人なり奉公人は主人と生計を一にしているケースが多く、現代の労働時間と同様に考えるのも難しいだろう。しかしながらやはり、確実に言えるのは朝から晩までみっちり働くというのは健康的ではない。私の主観である。
近年働き方改革なる言葉が同業者の間ではよく唱えられている。バカの一つ覚えのようだ。本当にバカバカしい話だなと思いながら眺めている。根本的には何も変わらないのに、変えるつもりなどないのに、面倒ごとばかりを増やしたいのだろうか、と思わざるを得ないからだ。詳細については厚生労働省のホームページでも読んでくれればいい。わざわざ解説を書いたり話す気にもなれない。そんでもって余計不快なのは、働き方改革がなんたるかを知らないままそれについて書き連ねられた各種投稿だったりする。もう何も言いたくなくなってきた。
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dmcf-note · 6 years ago
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恋だとか愛だとか
ここ1年ほど前から電車の広告にゼクシィのマッチングアプリが出るようになった。「愛をしようぜ」なんじゃその陳腐なコピーは。愛ってそんな軽薄なものか。月いくらか支払って手に入るものか。手に入れたい本音とそうであってはならないと願う建前のダブルスタンダードの狭間へと、広告を見るたびに引きずり込まれてしまう。果てしない思案の果てに僕が得た結論は「ケースバイケース」というありきたりなものだった。わざわざ考えるだけバカらしい。考えるな感じろ。素直に感情を表現すればいい。取り繕わず���を見ているその愛しい人の手を取って歩き出せ���いい。むしろこういう他愛ないことを愛だと定義したい。そういう愛なら、したい。
ところで不倫は良くない。なぜなら不経済だからだ。得られるものの代償が大きすぎる。そして何も得なかった周囲の人々に対して明らかな不快感を与える。知り合いの誰かと誰かが不倫をしている話があるたびに、少なくとも私は不快である。不快と思う原因はなんだろうか。むやみやたらにセックスをするふしだらさか。共同体のなかで男女関係が成立することによる諸々の話のしにくさだろうか。あるいはいい女が言葉巧みに自分以外の男に抱かれる嫉妬か。多分全部だ。でもそんなことでもする人はいつだってする。抱かれる女はいつだっている。男女関係がもし対等な男女の同意によってもたらされるとして、男はともかく女はどうして不倫なんかに足を突っ込むのか、僕にはわからない。女がセックスをすることによって自らの価値を下げるとは思わないが、性病なり妊娠のリスクを背負うことは確実だろう。実は何人か既婚男性との不倫経験のある未婚の女の子と話す機会はあったが、僕は不倫の動機まで聞くことはできなかった。場の雰囲気だとか成り行きだとか、わからなくはない。だったらなぜ僕は彼女たちを口説ききれなかったんだろう。抱けなかったんだろう。心のどこかでいい女だと思いつつ眺めていたあの子たちの寂しさを埋められるほど魅力的な男に、どうしてなれなかったのだろう。勝手な思い上がりも甚だしいが、どうしても頭をよぎってしまう。
いろんなことを知って、僕が辿り着いたのは、僕はかつてのように素直に恋愛をしていたいという気持ちだった。ゼクシィも不倫もどうだっていい。結婚に対する焦りとかキープとか戦略とか優位性とか全部忘れたい。ただ一緒にいて心地がいいと思える相手と、肉体関係だけでない精神的に落ち着く関係が築けられるのならば、もう僕は恋だとか愛だとかに言うことはない。
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dmcf-note · 6 years ago
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もうすぐ春が来る
気温が上がって日中外へ出歩くと少し汗ばむ頃合いで、川沿いの桜並木もちらほら咲き始めている。夜になると缶ビール片手に花見と洒落こむスーツの人たちを僕は眺めていた。相変わらずグレーのパーカーに黒のジャケットを羽織って、いつの間にか擦り傷だらけになったスニーカーと色あせたスキニージーンズを引きずりながら家路についていた。書かなくてはいけない手紙の存在を思い出したころには、部屋のドアの前でポケット一つ一つに手を突っ込みながらカギを探していた。結局それは見つからず会社まで取りに行った。帰ることには案の定また手紙のことなど忘れていて、ご飯を食べて灯を消して眠りにつく間際にまた思い出した。かろうじて一緒に思い付いたいくつかの文と、伝えたい気持ちは抑えきれなくなってこうしてブログの記事になっている。手紙はまだ便せんすら用意していない。
なぜ手紙を書かなくてはいけないかと言うと、会いに行く約束をしたにもかかわらずお互いが日付を前後に間違えていたからだ。やはり電話だけで決めごとをするのは良くないのかもしれない。できればメールやチャットなんかでテキストにして残しておくべきだった。けれども、そもそも会いに行く約束自体、僕がイレギュラーな行動をとったせいなのだ。どうあがいても僕が一方的に悪い。言い逃れは出来ないと思っている。許してくれないだろうか。情けなく許しを乞うように書き進めた。状況的に描写できたのは、僕が春の訪れを考えられるほどにはぼちぼち元気でやっている程度だ。よくもなければ悪くもない。振り返ればいつもそんな感じでただただ時間を過ごしてきた。ドラマチックとはかけ離れた平坦な展開だ。そうなるように意図していたし、そうなっていると思いたい。人間だれしも臭いものにはふたをしたい。
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dmcf-note · 6 years ago
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2019.3.3-9 スナップ5枚
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dmcf-note · 6 years ago
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2/18~24にかけての撮影。国営昭和記念公園・池尻大橋駅周辺・海野宿・御代田駅周辺にて。
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