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目と指先で会話する間柄
10ヶ月近く会っていなかった友人2人と久しぶりに会いました。ひとりはある種の聖母像を背負って憚らず、たっぷり甘えさせてくれる年上の女性で、もうひとりは幼女の怯えとはじめてのおつかいを終えて得た芽生えた細くて瑞々しい自信をいまだに保っている、お兄さん想い、というかブラコンで同い年の女性です。
僕はもうずっとこのふたりのことが好きで好きで、ふたりも僕のことが好きで、ふたりもお互いを好きで、4年以上も仲良くしています。その間、ふたりはどんどん綺麗になっていきました。ふたりの顔を見れば緊張がほどけ、言葉を交わせば頭がクリアになり、並んで歩けば内臓の不調が治ります。僕らにとって、言葉は入れ物にすぎません。発し、受け止め、返し、受け止め、返す。この営みそれ自体に意味があることがあまりにもすんなりとわかります。ひとりでは生きていけないとか、ひとは関係性の中にしか存在しないとか、そういう言葉が腹に落ちる。ああこれね。そうだ��。それはそうだわ。
そんなふたりのうちの一人が結婚します。なにも驚くことではありません。2年も前にお相手も紹介してくれていて、あとは時間の問題でした。この2年は会うたびに、結婚の報告があるんじゃないかとビクビクワクワクしていました。そんなわけなので、本人からの報告を聞いても当然起こる変化を確認するような気持ちになりました。うちで飼ってる青虫、蛹になったよ、みたいな。庭の紅葉、散っちゃったよ、みたいな。今年も夏みかん、たくさんなったよ、みたいな。自然現象でした。
ところでブラコンは僕が聖母に本気で惚れていると思っているんですね。でも実際は理想の姉、母性を与えてくれる存在として慕っているだけで、かなしみににたようなあの恋の匂いはないんです。
そしてここからが重要なんですが、僕はブラコンのことが好きなんです。2年前、これはもう両思いだ。告白しよう。というところまでいったんですが、そのころの僕は恋愛に関して罪悪感でいっぱいで、いわゆる告白or誘惑という手段がどうしても取れませんでした。僕にとって想いを伝えることとは色男のふりをして軽躁状態になってあいてを思ったままに褒めまくることだったのですが、もうとにかく謙虚謙虚でいかなきゃとなってるんでできないんですね。でもそんな状態も少しずつ少しずつ変化して、ようやく終わりと言ってもいいような時を迎えようとしています。
もしも今、ぼくに600万円の年収があったら。迷わず彼女を街に誘い出して、密かに温めていた計画を披露して、いっしょに実行しないかと提案するでしょう。きっと彼女は嬉しそうに頷いて、しかるべき手続きを採って、一緒に暮らし始めるでしょう。僕にはタッグを組む相手が必要で、その相手には絶対に見捨てることができない理由と、賢さと、痛がる感受性が必要で、彼女はそれをすべて兼ね備えています。
そういうわけで、彼女に、ぼくが聖母に気持ちが向いていると思われてはいけないのです。だから、聖母の結婚報告を聞いて、変に小さいリアクションでも、おおげさでもダメなんです。しっかりと感じ入って、おめでとう、すばらしい報せをきいて、僕も幸せですという目と口角で応じなきゃいけない。案の定、彼女はしっかりと僕のリアクションを観察していました。悪くはありませんでしたが、よくもありませんでした。たぶん、本当にショックを受けているように映ったでしょう。
それでも、歌舞伎町のゴジラ通りを歩きながらじゃれあうなかでとった手を、彼女はゆっくり握り返してくれました。冷たくて小さくてほどよく骨ばった綺麗な手でした。ずっと握っていたかった���もしも、僕の身勝手な妄想の通り、僕に気があるんなら、こんなに切ない瞬間はないよ。やっぱりもう、このままバカなふりをして3人でいるのはやめにしよう。彼女が早めにひとりで帰って、初めて聖母と二人で飲んでいてそう思いました。3人の時代の発展的解消と、2人の時間を始めるゆるやかでたしかな決意。それはまるで青虫が蛹になることを決意するくらい自然で無理のない、けれど確固たる決意。
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ご挨拶と恋の途中経過
こんばんは、おはようございます、おやすみなさい。
2018年7月23日の朝、五体満足、精神は底なしの泥沼相変わらずの胎内的世界観のなか2X才も残すところあと数日という朝を迎えました。親愛なるAutobahn__のフォロワー24名のみなさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
毎度お暑うございます。夏に殺されるう、などと無闇に感傷的なことを言っているとあっさりと死んでしまいますからお互いに注意しましょう。それも大方身体的に死ぬよりも先に社会的に死にます、と言いたいところですがマジで死人がたくさんでてますね。シャレになりません。私は外を長時間歩き回るといった予定は当面ないのですが(昨年の決断次第では今頃地主の家から地主の家を歩き回る仕事をしていた可能性もあったわけですが)、エアコンのオフタイマーが作動してからオンタイマーが作動するまでの3時間で仕上がるサウナに毎朝殺されそうになっています。いっそのこと起き出すまで付けっ放しでいいんじゃないかと思わないでもありませんが実態のない”道徳的”もしくは”経済的”配慮に邪魔されて踏み切れないでいます。やはり一刻も早く物理的に自立し責任を負うしかありません。
今、テレビの天気予報で今年一番の暑さになると言っていましたが、ここのところ毎日聞いているセリフのように思います。概念として理想化された夏、という面からみれば「平成最後の夏、全力じゃん。アツいじゃんエモいじゃんまだ寝ない!!パーティゴーズオン!」といった具合でしょうがぷつっとドーパミンが切れた瞬間耳鳴りとともに虹色の斜線が視界を遮りそれさえ揺らいで吐けない吐き気に見舞われる(記憶にある熱中症の症状の精一杯の言語化です)というシビアなリアルが待っているというのが今我々を取り巻いている状況であります。くれぐれもご自愛を。
さて、特に主題をもって書き始めたわけではないので、匿名の裏垢であるところのAutobahn__およびその長文置き場こと当Tumblrアカウントに書けるギリギリの身辺情報のなかからここに記したいこと、もしくはここまで読んでくれているあなたの慰みになることを選りすぐって書きます。とはいえ、話題の選択の基準は書くことが私の慰みになるか否か、という点が最も重要であるので興が乗らなければ(すべてのコンテンツが言外に約束していることではありますが)そっとタブを閉じていただければ幸いです。
最近心動いた瞬間といえば宇多田ヒカルの新しいアルバムを聴いたことです。去年1年遅れで前作を聴き、ようやく彼女の魅力に目覚めたのですが、『あなた』を聴き、アルバムを聴くに至ってもはや恋と呼んでもおかしくないくらいの気持ちになっています。NHKのSONGSでの彼女はあの番組が誇るハイレベルなライティングもあいまって大理石のように冷ややかな美しさを称えていました。そういうビジュアルで歌うのが『Play A Love Song』であり『あなた』であり『初恋』でソフト化待った無し、といったクオリティでした(しかも若林恵によるインタビュー付!)。とにかく完全に好きになってしまったわけです。
どこかで彼女が母の人生をトレースしているという話を読んで藤圭子のことも調べ始め、noteのメルマガかな、たまたま沢木耕太郎の���流星ひとつ』という作品を知りました。全編”会話”だけで構成されたインタビュー。8杯の火酒を飲み干すまでの一夜というテイ。形式の特性と藤圭子のあまりにまっすぐで純度の高い精神がマッチしてとんでもない効果をあげている。こうした実験的なドキュメンタリーにありがちな、形式にとらわれてどうしてもフィクションじみてしまうという弱点を補って余りある藤圭子の輝きに胸いっぱいになってしまいすぐに2度通しで読みました。今母に貸していますが私のようには響かないだろうという確信があります。だって私は好きな人の母を通して好きな人を理解したいだけだから。母は往年のスター藤圭子の真実という側面でしか読まないでしょう。それを確かめたくて勧め、貸しました。感想が楽しみです。
宇多田が好きなのは、リアルに好きな人に似ているからかもしれない。二人に共通する精神性みたいなものに、今は惹かれている。まずは孤独。加えて、それをそのまま引き受ける潔さと、表面的には活発に振る舞う気の強さ。そして時折見せる弱さと震えるような気弱な本音。ズブズブとはまっていくのが音付きで感じられる今日この頃です。
さて、すっかり日も昇り早くも気温は30ドシーを超えています。予想最高気温の37ってのはホームランキングとしても恥ずかしくない数字で東京の気温としては甚だふさわしくない域に入っていますがお体にお気をつけください。まず、基本は外に出ない。出るなら朝7時までに。そのあとは電車、地下街、ビル、コンビニ、立ち飲み屋、東京ドームなど都市中の屋根&クーラーをはしごして過ごしましょう。私が子供のころはまだギリギリクーラーは体を弱くするだのなんだの言われていましたが(一方で熱中症の脅威についてもしきりに宣伝されていた。はざまの世代なのです)いまやすっかりそんなことを言うのは現実の見えない老害ということになってしまいましたから、気にせずに涼みましょう。そうしてあなたがたの創造性と批評性に溢れた脳みそのポテンシャルを常に十分発揮してください。それが世のため人のため、そしてあなたの幸福に繋がります。私とあなたに幸あれ。
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永い休み
くだらないやつがくだらないことやって悦に入ってるだけなんでもうやめたい。せめて何かを作り出していればいいのかもしれないけど知識ばっかり溜め込んでいて使えないんで意味ない。12歳から死にたいけどどうすれば死にたくなくなるのか真剣に考えてこなかった。高校に入ったら? 大学に入ったら? 働いて仕事に慣れたら? ずっと変わらなかった。大学に入って人間に成れたと思ってたけど全然なれてなかった。みんなが10やってるところ4しかやらずに10に見せかけてたんだから当たり前だ。もうみんなどっか行っちゃう。さよならなんてなんとなくだし。あと何十年もどうやって生きていけばいいんだろうね。日々に美しさ見出せればいいんだ〜みたいなのももう効かないわ。あてどない不安。波止場日記は手元に置いておいたほうがいいな。生きるためには。でも生きることを目的にするほど成熟できない。どこにいけばいいの? みんなどこを見ているの? 外は大変なところだから一歩踏み出したらあとはいかに早くうちに戻るかを考えるってだけで一生を終えちゃダメ? なんであんなこと言ったの? なんで大事なことは何も教えてくれなかったの? そんなことも言えないのにどうして呼んだの? 助けてくれると思った? 絶対助けねえよあんたなんて。子供は無理。俺は無理。責任持てない。不幸にしてしまう。どうしてそんな狭い了見を押し付けることができるの? 頼むから人にものを教えるなよ。どうして目の前で不幸の再生産を見せられなきゃならないんだよ。別に四十時間だって寝てられるよ。このまま目が覚めなけりゃいいのにって考えちゃうといよいよ起きる理由無くなるしな。こんなんでこんなに長い間生きてきたんだから人間の体の強さと頭の強さはバランスが悪すぎる。頭はとっくに死んでるのに体は健やかだからどんどん問題が起きてしまう。今はいつでここはどこでお前は誰なんだよ。どれをやりゃいいんだよ。終わりのあるものだけをくれよ。頼むからここから出してくれよ。どこにでもいけるのはどこにもいけないのと一緒なんだよ。身にあまる世界だったんだよこんなの。半透明はしんどいから消えるか戻るかしたいんだよ。メンタル大丈夫かって聞いてもらったけどもうとっくに大丈夫じゃないよ。10年前にぶっ壊れてるよ。あとはだましだましだよ。どうしようもないよ。目の前をうっちゃることしかできないんだよ。自分の手に自信あったの15の時だけだよ。17くらいかな。両手に薄い石の膜が貼られていく感覚あってほんと怖かった。それからなんもできないの。わけわかんない。ほんとどうなってんの。ここはどこなんだよ。ふざけやがって
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2017年に親しんだ音楽
順だいたい不動
2017年の10枚
1.愛の休日 柴田聡子

2.街の色 阿佐ヶ谷ロマンティクス

3.MODERN TIMES PUNPEE

4. FANTASY CLUB tofubeats

5. ar 吉田ヨウヘイgroup

6.How To Hit What and How Hard MOCKY

7. Drunk Thundercat

8. WAVES Yogee New Waves

9. 明日はどこから 松たか子

10.愛のせい 片平里菜

2017年の20曲
1.後悔 柴田聡子
youtube
2.愛は光 Negicco
youtube
3.Oldies PUNPEE
4.あなた 宇多田ヒカル
5.それもきっとしあわせ kaede
6. LONELY NIGHTS tofubeats
7.明日はどこから 松たか子
youtube
8.流動体について 小沢健二
9.目抜き通り 椎名林檎とトータス松本
10.異例のひと 片平里菜
11.Future Is Born feat.mabanua RHYMESTER
12.フォーチュン 吉田ヨウヘイgroup
13.道路灯 阿佐ヶ谷ロマンティクス
14.かくも素晴らしき日々 メロウ・イエロー・バナナムーン
15.ほれちゃった CHAI
16. SAYONARAMATA Yogee New Waves
17.ずるいね chelmico
18. AIの逃避行 feat.Chrisma.com KIRINJI
19.エスパー ミツメ
20.ロマンス(2017ver.) 原田知世
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日々を頑張ってないから言葉に厚みがない
インターンに行ったけどほとんどなにもせずコンテンツ漁ってた。13時過ぎには頼まれた仕事が全部終わ���た。
昼飯にカレー食べたんだけどめちゃくちゃうまかった。折しも昼食代が出ることになったから毎週行く。
午後は本当に記事読むだけで終わった。帰り社員が話しかけてくれたけどイケてない返事しかできなかった。
小田急が混みすぎて乗れないから久しぶりにパルフィンに行った。おじちゃんに気安く話しかけちゃった。もう、敬語やめない?にぽん。
夜、ここ3年の母親とのLINEを見返して落ち込んだ。まったく生きていけてない。こんな息子、おれなら勘当する。なにをすればいいんだ、これから。いますぐ5億円あげたい。
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10/12
8時に起きてツイッターして昼に家出て床屋で髪切って45限出て夜お父さんと話して正気に戻って今
明日はインターン
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相談は、あくまで自分で自分を幸せにするための環境の確認、思考の整理をする場所で、相談相手に幸せにしてもらうということではありません。
http://www.okimhome.com/entry/2017/02/27/153716
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世界がいろいろに変化して見えたのは、自分が変わらないものだと思っていたからなのかもしれません。
http://www.okimhome.com/entry/2017/06/19/195554
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休符
このブログを開設して5ヶ月が過ぎた。
就活で自分のダメさを突きつけられて、ガタガタ震えてベソかきながらもやっと向き合えて、内定をもらって、全部断った。
最近読んだ本に、ゼロ百はだめだって話があった。いいグレーを保つのが面倒だから白か黒にしたがる。結局はものぐさ、思考停止が悪い。まさか緊張もそうだとは。ものぐさ恐るべし。
決断までの逡巡が脳にダメージを与える。早起きよりもすぐ寝床から出ること、さっさととりかかること。
後頭部から肩が硬くなったら緊張のサイン
#6
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颱風
四辺は俄かにかき曇り、開け放した窓からの風が雨の匂いを帯びてきたが、今盛り付けたばかりの炒め物の湯気にすぐ塗り替えられた。 この回先頭の秋山がセンター前に打って、栗山は初球をファウルしたあと2球見送って4球目を待っている。
炭酸水の缶を開けてグラスに注いだ。遠くで雷鳴がする。解凍したばかりの白飯のラップを剥がしてほぐす。箸に取れるだけの野菜を取って頬張る。続けざまに白飯も放り込む。噛む。炭酸水を一飲み含んで流し込む。また野菜を取る。雷鳴。どこかに落ちたな。風が窓をぐらぐら揺さぶる。4球目を空振りした栗山は5球目を高いバウンドのゴロにした。二塁は間に合わない。
浅村は初球のスライダーを空振りして2球目を見送ると、ベンチを振り返る。 野菜炒めは強火で一気にやる。スピードが大事だ。食うのも然り。さらに言えば、野菜を食うのではない。油と米を食うものだ。フライパンいっぱいに作って半分盛った。既に半分食った。浅村が打ったライナーがライトの前で弾んだ。 炭酸水を煽る。冷蔵庫へ向かう。2缶目をグラスに注いでいるとき、中村が初球のストレートを見送った。また雷が落ちた。雨が降り出した。
野菜炒めのおかわりを盛って顔を洗う。野菜炒めは汗をかきながら食うものでもある。2球目を見送って、3球目は高めに抜けた。雨が強くなる。網戸の向こうでぴしぴしとはねる。中村は構えながら左肩を二度、動かす。残りの野菜炒めをご飯にかけてかきこむ。雨はいよいよ激しい。4球目はふわりと浮いたように見えた。が、浮いただけだった。
どどどどどっどー どどどどどっどー
台風第二十三号 地上の洗濯
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チャンス
たしかにチャンスはいくらでもあるけど、同じチャンスは二度とない。好きな女の子をものにできなかったとして、もし数年後に再会したら彼女にも恋が芽生えるかもしれない、なんて考える。なるほどそうかもしれない。けれどもその恋は、今叶えたかった恋じゃない。数年の時間はお互いを数年分だけ確実に変える。その数年を恋人として過ごすか、長い人生のほんの少しの時間近くを歩いた、大勢のうちの一人として過ごすか。両者の間には決定的な違いがある。ある時は過去を大切にしろといい、ある時は未来に希望を持てといい、またある時は今こそがすべてだという。また会えたなら、もっといい関係になれる。ケースバイケース。デイアナザーデイ。言葉で肯定できないことなど、2017年の世界にはもはやない。
たしかにチャンスはいくらでもあるけど、同じチャンスは二度とない。今日のデートは二度とない。店を出た時の彼女の一瞬のよろめきは二度とない。駅までの道のりで軽く手が触れることも二度とない。ホームに続く階段でお互いに向けて腕を伸ばしてさよならすることも二度とない。よろめいた彼女の左腕を強く引き寄せるチャンスは二度とない。軽く触れた瞬間に優しく手を握るチャンスも二度とない。伸ばした腕をもうひと伸ばしして、階段の下まで彼女を引きずり降ろすチャンスも、もう二度とは訪れない。
それでも、チャンスはいくらでもある。だから、五感を研ぎ澄ませよう。瞳の奥を見つめて、きちんと彼女のなかに吸い込まれよう。目や指や顔の筋肉の動きこそが心だと忘れずにいよう。身体で考え、身体で伝えよう。逃げ去る恋を捕まえよう。たしかにチャンスはいくらでもあるけど、同じチャンスは二度とないのだから。
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バイト代月10万円のグルメ
10日
3年前まで学内最新設だった我が学び舎のとてもそうとは思えないほど重い自重式の扉を開ければ午後6時の風が半袖の腕を撫でるひんやりの中にも生の肯定と祝福を感じられる。地下鉄に向かう流れもくすんでるなりに華やかで心もち昨日より胸を張って歩く。向かいから歩いてくる人を避けること氷上の高橋大輔のごとし。大輔はその季節の一番不愉快な温度の空気だけを充満させた例のプラットフォームに降りることを潔しとしない。寡黙をきちんと手懐けた信用の権化があらん限りの誠実で彼の店のすみすみまでを浸しこんでその日最初の酒客を待っているから。憂鬱をうっちゃるためでなく、酒のために酒を飲みにいくのには5月10日の晴れた夕方が最適なのだ。軽い、とても軽いドアを押して階段を一歩降りれば静謐の喜びが身を包んで皮下体温が2度あがる。カンパリソーダかサイドカー、マティーニのいづれか。きっとその3つから選ぶともなく頼むことです。
20日
自分の話ばかりする奴は嫌われるという誰かの言葉に遮られてしまって語り散らすということがすっかりできなくなってしまった。結果として自分の話をしたがる女に好かれるようになった。そういう女と黒酢豚など食べながら適当に相槌を打って共感を示しておく。まったく意味のない時間。男がいる女に飯を奢っておいて何もしないで返して何がしたい。立会いのような雰囲気になることもない。
25日
朝はタヒチの楽園さながらだったのにふと昼寝から目覚めると暗雲立ち込める東京の6月だったというような天気があるけど月末の始まりはそんな感じだ。相変わらず重たい自重式の扉をほとんど体全体で押し開けて歩き出すけども、向かいの校舎から出てくる人なみをみてもう立ち止まりたくなっている。徹底的に回り道して滑り込んだぴかぴかのカウンターでやっぱりカンパリソーダを飲む。棚の酒瓶の向こうに夕焼けが広がる。そのイメージの中に隠れてやり過ごしてから少しずつ家に帰る。もしかしたら定食屋に寄るかもしれない。酔いの高揚が鮮烈な一行詩を授けることがあるが少しでも濁るとたちまち忘れてしまう。布団の中で残像を追い回すうちに眠りに落ち、翌朝も半覚醒のなか目を閉じたまま脳内の探索に耽って昼を過ぎたりするのも決まって25日が入ってる週だ。淀んで焦って切羽詰まっている。自慰の回数が増える。洗濯が滞る。
7日
ストライドを狭めて小刻みな呼吸で一心不乱に突き進んで、ようやく顔をあげればゴールテープが見えるところまできた。カップ麺、弁当、安売りのお茶なんかに自然と目が向いて経済合理性と欲望の規模についてしばし考える。買いためた古本が威力を発揮する。唐揚げ弁当とコカ・コーラ。大学のラウンジで退避。10日以降の予定を立てる。
20170509
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当たり前のことを当たり前にやる
鼻で笑っていた説教のひとつでしかなかった
中学の時の学年主任の先生がことあるごとに語っていた言葉。「当たり前のことを当たり前にやる。当たり前だと思うかもしれません。でもこれが難しいんです。あなたたちは何も特別なことをする必要はない。当たり前のことを当たり前にやればいいんです」
中学生にとっての「当たり前のこと」と言えば、朝遅れずに教室に来て、チャイムまでに席について、ノートをとって、部活に出てきちんと家に帰るということでしかなかったし、そんなものは私には楽勝だったので(授業はよく寝てたしノートも2年になるまでろくに書けなかったけど)、先生はそういうことができない生徒に向けて言っているんだと思っていた。普通の公立中学だったから、やんちゃな友達も結構いた。でもこれ違ったんだな。紛れもなく全生徒対象だったんですよ。私はそれに高校に行って気がついた。
「当たり前のこと」の中身は変わる
高校生になった私は瞬く間に落ちこぼれた。授業がまったく身が入らないし、友達もできない。小テストがあると言われてもまったく勉強せず、ひどい点を取る。最初の期末テストで早くも複数の赤点を獲得。先生にスクールカンセラーに会うように勧められた。スクールカウンセラーは何やら精神分析のチャートのようなものを使って自分を客観視するべきだと教えてくれた。今思えば全うな助言でここでゆっくり自分に向き合えればよかったのだけど、そんな余裕はなかった。
このときすでに私は「当たり前のことを当たり前にやる」ことができなくなっていたのだ。環境が変わって、「当たり前のこと」の中身が変わってしまったことに対応できなかった。中学時代、少し努力すればあっという間に抜きん出ることができたのもよくなかったかもしれない。進学先は都内有数の高偏差値だったから、平均の水準が中学とは比べ物にならないくらい高かった。
受験があればまた違ったのかもしれないけど、付属校だったのでその習慣を変えられないまま大人になってしまった。大学にはただ能力が高いだけでなく、才気をだだ漏れにさせて歩いてるような人間がたくさんいた。そんな中でも、当たり前のことを当たり前にやれるやつだけが社会的な評価も獲得していた。私は才能がないのにそれすらできないからみるみる埋もれてしまったのだと思う。
失った時間を気にしているうちは幸せになれないから
一度地元の飲み屋で、あの学年主任に再会したことがある。彼女とご飯を食べていると、背後で聞き慣れた声がするのでそっと振り向くと、私たちの同級生と差し向かいで彼が座っていた。同級生は教員志望で、まあ言ってみればOB訪問を受けていたのだ。学年主任は彼女の部活の顧問でもあったので、彼女のことはよく覚えていたが、私のことはうろ覚えだったようだ。大学2年が終わろうとしていて青春の絶頂期にあった私は久しぶりにあの言葉を思い出し、初めて自分の高校時代を省みて、落ち込んだ。俺、全然わかってなかったっすよ、先生。そう言いたかったけど、私たちと腰を据えて話すような状況じゃなかったから軽い挨拶だけで店を後にした。
さて、これからどうしていけばいいんだろう。何をしてもいいだろう。でもただ一つわかっていることがある。「当たり前のことを当たり前に」こなしていくことができる大人にならなきゃ、何も望めないということだ。
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ひとりで眠れる私と一緒に寝てくれるだれかのために
作家の橋本治さんに「ひとりで眠れるようになってから人と寝なさいよ」というお言葉がある。もしもこの言葉を知るのが5年前だったら、「お、自分は一人で寝られるぞ。これでいつでも人(女の子)と寝られる」と思っていたはずだが、2017年の私にはぎっくりずっしりきてしまった。
5年の間に取るに足らないさまざまな出来事や会話に晒され、それなりに他人様との関係を構築しては解消してきた結果、ひとりで眠ることすらままならない状態に陥ってしまった。
自分の身に起きているこの大いなる幼児退行に薄々気がつきながら、なんとなく見て見ぬ振りをして深夜1時に部屋でウイスキーを飲みながらネットを見ていてるとき、大好きな岡映里さんのブログで紹介されていたこの言葉に出会った。
ここ2年ほど、もしかしたらもっとずっと前から、私はいつも「寂しい」と思っている。友達がいないわけではないし、ずっと誰かしらと一緒に住んでいるし、少し前までは恋人もいた。それでも、安居酒屋の座敷で、家族で囲んだ食卓で、明け方のベッドの上で、いつも「誰か来てくれ」と思っている。
私はひとりで眠れない
相変わらず友達はいるけど、最近はひとりで過ごすことが多い。それぞれ人生の節目にさしかかっているから、そういう時期があるのは当然のことだ。恋人とも別れた。自分から切り出したことだし後悔はしていない。
ところが、夜部屋に戻って食事を済ませお風呂に入り、あとは寝るだけという段になってから速やかに眠れた試しがない。無理やり本を読んで寝落ちするか深酒をして前後不覚になって気を失うか。とにかく夜中の2時過ぎにならないと寝られない。
布団に入っていても、ここ何年かの恥ずかしい思い出ややり直したい瞬間が切れ切れに蘇って来て息つく暇もない。0時に布団に入ってもそんな風に悪戦苦闘してしまうので、眠りにつくのは結局2時を過ぎてからだ。
誰かと一緒なら眠れる?
ここ一年半ほどで複数の女の子に恋をし、すべて敗れている。フラッシュバックする記憶もそれに関するものが多い。だから、この不眠は失恋による人恋しさに原因があると思っていた。そのうちまた誰かと恋仲になれば解消されるだろう。
なんてたかをくくってその日も部屋でベロベロになって岡さんのブログをスクロールしていたところ、冒頭の言葉を目にし、ハッとしたのだった。
誰かとなら眠れるって、他人に安心させてもらわないと眠ることもできないってことになる。他人という存在が本当に自分を安心させてくれるのだろうか。それができないからずっと寂しんじゃないのか。
そりゃ恋人は都合のいい甘い言葉をたくさんくれるかもしれないし、身体を触れ合っていれば紛れる不安もあるかもしれない。
でも、結局他人は他人だから、自分が本当に欲しい安心はどんなものか伝えるのは不可能で、ってことは恋人がいても寝られない夜は無くならないよな。そんなこともわからないで恋人を作っても、過剰に依存して迷惑をかけるだけだし、自分も嫌な思いをするだろう。
自分を好きになる
岡さんはそんな状況を「自分で自分を好きになる」ことで解決してるそうです。
そんなことしたら限りなく怠けてしまう気がして、自己評価ってどうしても抑え気味になってしまうけど、私の場合別に自己評価抑え気味でも限りなく怠けていることには変わりがない。
それに、自分を好きだと「こんなにできる子なんだから、もっと頑張れるし、頑張ればできるに決まっている」と思えて、今よりずっと前向きに努力できるようになるんじゃないかと予想している。
私は私を好きになります。
ということで、これからは積極的に自分を好きになっていく。自分を好きになれれば、自分のことを自分で決めていけるはずだから。
誰かに何かを言われなくても、自分は大丈夫な人間だからスヤスヤと眠ればいいし、誰かに何かを言われても、自分は自分の大好きな人間だから、そんな自分がやりたいことをやりたいようにやればいいのです。
そんな気持ちを忘れないために、実践の記録のために、やらなきゃいけないことに煮詰まった時に逃げてくるために、このブログを作りました。
まだ全然できてないし今日もすでに酔っ払っているけど、今までになく素直になれているのは岡さんのおかげなので、なんとなく、精神的な部分で岡さんオマージュなブログにしていく予定です。
ひとりで眠れるようになったら、まただれかと寝たいと思います。
20170416
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