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姪っ子が生まれて1ヶ月。やっと会いに行けた。
抱っこした感想: 全身がマシュマロみたい。
とくに太ももが気持ちいい。弾力はない。ふにふにがもっとも的確な表現だと思う。
げっぷをだすために姉が縦抱きにすると、頬や目が重力に負けて垂れ、顔が変わるのがおもしろい。
足の裏も柔らかくて、足の裏の固さは後天的なものだと改めて思う。
唇が富士山みたいな形をしている。
目は少し見えてるのかな?けっこう黒目がち。黒目を動かしてこっちを見ているのか虚空を見つめてるのか。
にやって笑うとかわいい、楽しくて笑ってるわけじゃなく「生理的微笑」だと分かっていても。
全てが小さくて、でも形としては出来上がっているのが不思議な気持ち。とくに爪をみるとそういう気持ちになる。
甘酸っぱいようないい匂いがする。
眉毛はうっすら茶色くて、髪の毛は柔らかい。風呂上りはくるくるしている。
思ったより重い。とくに頭。ずっと抱いてると腕疲れる。抱っこは首がぐらぐらだから怖い。手がわたしの二の腕の内側に触れるとくすぐったい。あったかい。
ミルク飲むときのほっぺたが上下するのを、永遠に見ていられる。おしゃぶりも同様。
飲んで出して寝て、泣くの無限ループ。
これは大変だ。
お父さんがデレデレで、わたしが生まれた時もそうやって抱いてくれてたのかな、なんてしんみりしたりしてみる。母さんは手慣れたもんだ。弟もずっと眺めてはつついたりしててる。それぞれの関わり方。
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J’ai tué ma mère (マイマザー)
グザビエ・ドラン初監督の作品を観る。
劇的なストーリー展開はなく、1時間40分、とにかく母と息子が諍い、怒鳴り合い、すれ違う物語。
身に覚えがありすぎる。
映画とおなじように、母���ぶつかったのは16、17くらいだった。
争う原因は、大抵わたしに非があった、といまでは思える。けども、当時の自分には高校生活が世界のすべてで、いまあの時に戻って「まあ、そんなにカリカリしないで。母さんの言うことだって一理あるよ」なんて伝えたところでなにも変わらないとは思うけど。
怒鳴り合ってなぜか手提げの引っ張り合いになり、ちぎれたこととか、母に「もう弁当作らないから!」って宣言されて朝練前に自分で作ったこととか(冷凍食品詰めまくって、へたくそな卵焼きを焼いたような)。そんなことをふと思い出したりした。
父と姉弟はわたしと母との喧嘩が始まると、別室でじっと黙って存在感を消していた。賢い。
大学進学で家出てから、関係は良好だと思う。大学院にいた2年間は実家から通ったけど、ほとんど喧嘩しなかった。互いに、「これ言ったら終わりだ」って冷静になれるようになったからかな。「成長したよね」って2人で笑った。
まあでも、2週間以上帰るとだんだん険悪になる傾向があるので、あんまり長く帰らない。
親目線でもぼんやりと考えてた。
自分から全くの別人格が生まれ、多くの責任が伴い、いずれいつか罵倒される可能性があるということを想像すると、怖さも感じる。親戚のおばさんポジションが気楽でいい。
映画観てはたと、自粛生活で、感情の波がほとんどないことに気がつく。落ち込んだり焦ったりするんだけど、1人で全てが完結する。落ち着いてていいのかもしれないけれど。日常生活で怒ったり泣いたり、笑ったり、という揺れがあんまり無くなったな。
だから感情の揺れを創作物に求めるのかもしれない。
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