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あまりにこの光る板に執心しすぎてしまって、紙媒体による読書というものから離れてしまった。
文字を読むのがめんどうくさいとか、なんだかそういうだれかにお説教されそうな理由ではなく、ただただ文字が滑る。
そして読み始めて本当に読み始められるまでの成功するか分からない儀式、2020年現���でも未だにページ単位でしか中断できない栞というシステム、読むための喫煙席とドリンクバーのあるファミレスまたは長居できる喫煙可の喫茶店の絶滅、自宅での読書に適さない食卓かベッドの上かの極端な環境、、、
とにかく、(僕個人としては)読書に向いた環境がないことに加えてなんだかしらないけどスランプなのである。
昨年の誕生日に友人からもらった本が、未だにほぼ手付かずでブックカバーにくるまれている。
誕生日プレゼント、と何人かに聞かれて、へらへらと有給の残日数がほしい、車がほしい、などとかぐや姫よろしく、逆にプレゼントになにか貰うことへの抵抗のために現実的ではない返答をしたりもしたが、難しく考えることは無い、それぞれにおすすめの1冊とおすすめの一枚(アルバム)を求めればよいのだった。
だが人に勧められたものにひょいと飛びついてそのまま咀嚼できるような素直さは持ち合わせておらず、「世界観価値観の伸びしろ」として、本棚にしまっておくのだ。積読は伸びしろ、俺のな。
なので、おすすめの小説1冊を包んで送ってください、誕生日プレゼントにこまったら。
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ほっちゃれ
北海道の言葉でほっちゃれ、という単語がある。
川を遡上して産卵を終えた鮭の雌のことをいう。そして暗に身のしまりのわるいあまり美味しくない、とか、若干傷んだ、というようなニュアンスも含んでいる。ようである。
生まれの地の関係か、それとも全��で他にも同じようなところがあるのか、ともかく、社会科で鮭の遡上と産卵、そして弱って打ち上げられたところを熊に捕食される最期までを習い、そのバックグラウンドがあってのほっちゃれ、は、ニュアンスの想像に難くない。
鮭の話をしたいのではなくて。
ぼくはいま、ほっちゃれだ。仕事帰りの18時の三田線の最寄り駅の、地上へ上がるエスカレーターを昇りながら、なんとなく結婚や子供や、異性との建設的な交際なんかを諦めたぼくは、改札に残高が82円のPASMOをかざしてそう思った。
生命の個としての発展をもうこれ以上期待されていないほっちゃれ。
本能を差し置いていえばいつ死んでも別にどうってことはないほっちゃれ。
哀しい虚しい力尽き方をもってしても「美味しくない」と、食品としての評価さえ蹴られてしまうほっちゃれ。
なんとなく、石川啄木の「悲しき玩具」という、タイトルだけしか知らない、詩集を持ってはいたがあまりまともに読んだ記憶のないタイトルの言葉が重なる。
この人生の真のエンドポイントは何なのだろう。
DNAの短距離走かマラソンなのか、バトンタッチはあるのかさえも怪しい半保存的複製。
治療の真のエンドポイントは生存期間の延長、自殺の阻止。
だとしたら、人生に意味があるとか今生きてることが幸せだとか、そういう風に思えることは何のエンドポイントなのだろう。
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春秋終止コドン
仕事終わりに屋外の喫煙所に行き、その時間の空の暗さ明るさで地軸の潮汐を定点観測する。
地下鉄の最寄り駅に降り立ち、晩御飯の炭水化物を物色する。
今日、その時間には、もう暗くなっているはずの空が明るかった。昨日は?昨日は雨天だったので日は短命だった。
別に牛丼が食べたい訳では無いが、地上へ出て視界にすぐに入るのが松屋なので、考えることをしたくないが為に券売機に1000円札を入れ、隣の松乃家でカツ丼が500円だったのを思い出し、券売機を離れてカツ丼を得に行く。
耳元のランダム再生が反原子力を訴えている。
先月までいなかったはずの人が、たくさん、通りを歩いている。別に、誰一人、顔を知っている訳では無いけれども。
「寒い」の意味が��わり、「暑い」の意味がかわり。
サブリミナル的に浮き上がる自己形成成分への猜疑。
収束しなさそうなのでやめます。
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夜を燃やす
夜を、持て余す。
「有断」欠勤をして、実質の三連休になって、なにかが解決して、解決していない別のこともまたあって、そして、なにもすることがない。
することがなくて、何かの猶予時間でもないとき、ただひたすら、コンビニのお茶を飲んではたばこに火をつける。
バニラのにおいがするらしい、もう散々吸って、バニラ味であることを感じられなくなった煙をふかしながら、Twitterを眺めては、あまり目にとまる投稿もない画面をスクロールする。
今年の冬は寒い。部屋が温まらない。今年の気候がどうとか、そういう話ではなく、暖房器具が貧弱な環境に今年はいるから、寒い。
処方せんをみると、どうやらもう花粉が始まっているらしい。
クロモグリク酸の点眼薬なんかが、もう、処方されていた。
春?なんて、ずっと先だと思うのに、暦上はそんな文字ももう見かける。
春か。
ここに来て、春で1年になる。
いろいろあって、いろいろありすぎて、何もない年なんてここ数年過ごしていないけれども。
インフルエンザの話、猫アレルギーの話、うどんの話、ノンアルコールカクテルの話、珈琲の話、珈琲の話、珈琲の話、煙草の話、珈琲の話。
ぼくの体の半分は、いつもの珈琲館のアイスコーヒーでできている。
のこりの半分は、たぶん、喩えるなら筆を洗った絵の具の水。
漢方薬を一日に何種類も、気分で飲むから、それらでできているのかもしれない。
加味帰脾湯と、加味逍遙散と、五苓散と、柴胡加竜骨牡蠣湯と、抑肝散と、半夏厚朴湯と。
すぐにオーバーヒートするから、冷ます薬ばかりのむ。
夜を燃やす話、だったか。
なんとなく頭に浮かんだ言葉だけれども、なんだろう、と辿ったら、村上春樹にそんな感じのタイトルがあった。気がする。
そして、浮かぶイメージは積み上げた木材を焼いている、冬の浜辺だ。
「アイロンのある風景」、たしかそんなタイトルだった気がする。
それを読んで、それの影響を直にうけて、書いたのが、「火について」だ。
もう、何を書いたかも覚えていないが。
夜は長い方がいい。
秋分から春分までの期間が僕は好きだ。
毎日、午後5時になると、仕事がおわって、すぐに喫煙所に行く。
ついこの前まで、その時間になると真っ暗だったのが、最近はまだ日が落ち切っていない。
この、だんだん日が長くなっていくのを、毎日定刻に観測するのが、すこし残酷で、すこし息が詰まる。
時間が経つ、歳をとる、夜を迎える、日をまたぐ、夜を燃やす、朝を迎える、それを続ける。
赤ん坊は、月単位で、年齢をいう。何ヶ月、という言い方をする。
日単位で、僕は歳をとる。
この前満月を見上げた、気がつけばまた満月にすぐなる。
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試誤謀誘三四一三四
思った以上に彼は脆弱だった。エネルギーは抗うことではなく忘れる事に割り当てられていたので、彼と立ち入った話をした事が無い者にその印象を問えば余裕や達観、それから叡智や慈愛などと云った言葉が出る事すらあった。私が彼を目撃したのは―後に知ることになるが初めてではなかった。だが人が人を、背景ではなく登場人物として認識するのはいつであろう。私が彼に初めて掛けた言葉は何だったであろう。
私には無かった。何が無かったのか、それが挙げられないほど、挙げきれないほど、無かった。何も無かったのかと問われると「無い」と答え、「本当に?」と問われると否定はした。いや、肯定しなかっただけなのかも知れない。三番目に無いものを挙げるとしたら、それは、安寧、だろうか。
人を呼ぶ名が、限定された範囲ででも自由であるならば、私は彼を唆稀、と呼んでいたかも知れない。どの道口語であるので、充てる文字は何でも良かったのだが、そうすることにした。しかし彼は、「好きなように呼んで、でもそれは嫌」と、呼気のうち八十パーセントを無駄にした声でこの、口の力を使わずに発する事が出来る案を否定した。代替案を幾つか示しても、投げ遣りな全肯定しか返ってこないので、逆に私の呼び名を、敬称を外させようと試みることにした。しかしこれもまた、「恥ずかしい、なんか」と、接続詞で終わる発話の癖を発揮しながら否定した。かわいいな、と私は零した。けっきょく、互いの呼び名が変わることはそのときは、無かった。初めて呼んだ名がしっくり来た。安寧だ。
手紙が届いた。青い封筒をキャラクターもののシールで封をしてあった。字は二度読んでも解明できなかった。自他共に認める悪筆、と云っていた。自分��筆跡が確立していない児童を除いて、史上最悪の字だ。呆れを通り越して笑いが込みあげた。一昔前の、手書きのカルテを思わせる難読具合であった。彼のメモでおつかいに行ったら晩のメニューがラーメンから回鍋肉になっても何ら不思議ではない。彼がラーメンを食べられる様に切に願った。手紙は続いた。続くことは安寧だ。手紙は続いた。いつでも本当のことしか口にしていない自負は在ったし、多かれ少なかれ人に求めるものでも有った。それでも「本当の本当」は確かにあった。手を離れたらもう確認できない本当の本当、に封をして投函した。私は私の、本当の本当を綴ったが、彼から帰ってくるものも、私の本当の本当だった。
夢見た安寧が、一か零か、在るか、無いか、それとも日替わりで、猫の気分で決まるパーセントで現されるものなのか。
夢見る間もなく、いつの間にか同盟を結んでいた。在った。有った。武器にならない、人を傷つけることの出来ないけったいな食器の名を冠した同盟は、私を、彼を、海風のように揺るがせる「めらんこりぃ」に立ち向かう、弱気で消極的で平和的で恒久的な、時差である四十分間を地球の自転から取り戻すための安寧だ。
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火について
「今の若い世代は」を枕詞にすると煙たがれることも、そういうことはいくらでも語りつくされていることも承知の上だが、このことについては目を瞑って欲しい。
火だ。
兎に角火だ。
いいか、昨今のこの国の住宅から、宇宙最小規模の太陽が姿を消しつつあるのだ。
猿から人になったときに手にしたものがいくつあるか、の話をすると長くなるので別の機会にするとして、その中から選ぶと、言葉と火だ。
人が生物単位で、文明単位で、象徴する物を新たに得た区切りを、産業革命、蒸気革命、ルネサンス、果ては弥生文化や、エジプト文明など、そんな時代の終焉と創始とを指す言葉が生まれるような節目が、利便性と経済性と再生可能性と安全性と、そんな価値観の影で、文明から掃き出される瞬間を、他人事のように言うとしたら「観測できる」予感がするのだ。
火の話をするとしよう。火は、何故見つかったのだろうか。何故人は恐れなかったのだろうか、何故手に入れることができたのだろうか。自分は文明に関する学が中学の段階で止まっているので、「石を打ちつけて火を起こしていたらしい」「木を摩擦して火を起こしていたらしい」という事実、しか知らない。知る手段や誰かの説を、ワールドワードウェヴを通していくらでも覗く事は、計り知ることは出来る。しかし、そういう無粋な話ではないのだ。
火、と聞いて何をまず思い浮かべるだろうか。今がどの季節かにも因るかもしれないな。日本人なら~だろう、という構文はミームの押し付けであるので、私は大嫌いなのであるが、あえて使うが、日本だけのものではないが、花火ではないだろうか。寝ぼけた思考回路をたたき起こしながら搾り出しても、少なくとも火に対して好意的に接している、生きている言葉ではこれしか思い浮かばない。どうやら想像を働かせる時には、部屋を薄暗くした方が有利であるような気がする。
話を戻そう。一昔前にライターの着火法を巡って一沙汰あった事はもう忘れ去られているだろうか。ライターの前身はマッチでマッチの前身は――かなり遡る事になるのかもしれないな。意外と人は進歩していない事に気付くものの���つ目の例を見つけてしまった。因みに一つ目は傘である。私は傘をさすのが下手なので、風を伴う雨の日には大概その機能的進歩の無さを恨むのである。
さて、本題だ。もう数年したら、生の、点けたばかりの弱弱しく寡黙な火を、知らない子供たちが台頭する日は遠くないのかもしれない。家の中から火を使ったものが姿を消し、子供が火を使おうとすると危険だから、と遠ざけ、と言った具合に。これを進化と呼ぶか退化と呼ぶかについてはこの際どうでもいい。前の文で退化ととる様に印象操作をしたのでね。だが、私は喫煙者だ。親戚の中に、喫煙する種族を「野蛮だ」という人がいる。私は野蛮人になってしまった。しかし、述べたような未来が本当に来るとしたら、そして喫煙者という生物が絶滅危惧種になる日がきたら。そのときでも私がマッチやライターを使っているとしたら。
火を追放した文明がマジョリティとなるとき、人は人をやめるのではないかもしれない。
そんなことを考えながら全面禁煙の店で珈琲を啜った。
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アイスアメリカンコォヒヰのアメリカンの
誰でも、初めて無糖の珈琲を飲むときは、その匂いにそそられて、とか、いかにも美味しそうな感じだから、というきっかけではないと思う。もしも、あの、石炭のような見た目の飲み物を、眠気覚まし代わりにではなく…例えば、実家が喫茶店で、とか、子供のころから近所に喫茶店があって、ほとんど家族のようなその店のマスターが、いい年なんだからそろそろ珈琲の美味しさくらいわかるようになりなさい、と「手ほどき」を受けた、だとか、そんな契機でスッと生活に取り入れられた人がいるのだとしたら、私は来世、その人に生まれたい。
それはそうと、私が始めて、いわゆるブラックコーヒーを口にしたのは中学二年の夏休みの、丸一日寝ないと決めた日の明け方であった。特に眠かったわけではないのだが、弟がラジオ体操に起き出して、自分は徹夜で、買ったばかりのビートルズの青盤の歌詞カードと睨めっこしていた。どうも小学生のころは歌詞のある音楽と縁が無く、自分のCDというのもゲームのサウンドトラックなんかで、なんとなく歌詞のある曲を、自分の好きな音楽、として聴くことに幼いながらのよくわからない羞恥心を覚えていた。そんな自分にとって、英語歌詞の曲はそういったものをごまかすのに丁度良かったのかもしれない。そんな自分がなんとなく手にした一リットルのペットボトルは、そういった背伸びのような、照れ隠しのような、そんなものを象徴していたのかも・・・なんて、後付けで言うことも出来るが、いかんせんこのときの珈琲はとても濃くて、醤油の瓶を間違えて手に取ったのではないかと思ったような味だった。ひと口啜って、即座に水道水を流し込んで、それでもその日の晩まで胃の不快感に苛まれた。
そんな珈琲との邂逅が、その後大学で煙草を呑むようになるまで自分を紅茶派にさせたのかもしれない。珈琲は、やはり眠気覚ましとして、缶のブラックをひと口で流し込んで講義の眠気と戦うためのもの――だったのだが、講義後の小休憩で缶コーヒーを一本と煙草を三本呑むのがどうにも安息の形として自分の中に確立した。それから、目的と手段の逆転、ではないが、珈琲を飲むために煙草を吸う、煙草を呑むために珈琲を淹れる、そんなような、時間を贅沢に浪費する事を覚えると、自分の好みの味や濃さというものが出てきた。薄味のものを更に氷で割って、麦茶程度の色の濃さしかないものを好んで飲むようになった。
その薄さを、自分で淹れたものを、蛍光灯に透かしながら、ブラックを飲み始めた頃に好奇心でエスプレッソを飲んだりしてみたことを思い出したりしながら、自分自身の自己主張の濃度とともに、好みの濃さが変わるような気がしてきた。自分が飲んでいる飲み物の濃さに、自分自身の濃さが負けて、コーヒーを飲む度に黒い影を少しずつ、自分の中においていかれていくような気分だった。
酸味やキレやコクなどのそういった「違い」はわからない。わかる日が来るのかもわからない。とにかくそんな、一日の初めに、燃料のように、その日一日の自分の濃度を保つために飲む燃料のようなものに、美味しいと感じれるようになりたいのか、と聞かれると、そうでもないのかもしれない。
アメリカンの逆はなんであろうか、エスプレッソなのだろうか。そんな演奏指示があった気がした。
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影に忍ばせて、背後から
自己愛は無償の愛なのだろうか。なにも、こじらせた自己愛だとか、そういうものの事ではなくて、誰にでもある自尊心のようなもののことで。愛の一つの形としての自己愛、として言葉を借りているが、自己愛が無償の愛じゃないとして、その対価は何であろうか。自分を愛するための供物・・・?もしそれがあるのだとしたら、他者から肯定されることが対価として、前払いを求められたりするんだろうか。
友達。とは。
子供の頃、当たり前に口にしていた友達という言葉を、どうにも、高校生になるあたりから軽々しく言えなくなった。そういうことは口に出さないで心にしまっておくんだ、だとか、相手も自分のことを友達だと思っていなかったとしたらそれは友達じゃない、だとか、そういう誰しもが通るであろう、必修科目のような名前をつけるとしたら「高校哲学」のような、そんなものによって、未だに縛られてしまっている。「私たち、ともだちだよね」という一言によって、愛を試したりする類の呪いで、形の無いものを形のあるものにしようとした罰で、たちまち風化してしまう、そんな思い込みにとらわれていた。いや、とらわれ続けているのかもしれない。
囲われて、買われて、愛されて、枯れていくような、そんな条件付きの綺麗な愛だけが、需要される愛なのだろうか。最初から最後まで、ハッピースタート、ハッピーエンドな愛は、生クリームをそのまま食べるような代物として忌避されるのだろうか。
いつでも求められるのは、毛並みの整った、首輪をつけた三毛なのだろうか。
この先の冬を越せるか、そんなことを心配される、草むらから不意に飛び出す不吉���前触れとされる黒猫がいてもいいのではないだろうか。
今は夏で、草木は緑色に染まり、花は色づき、鮮やかな色の羽の蝶が舞い、そうやって世界に命があふれる地下で―――同じだけの命が骸を埋めている。命の匂いと死の匂いが、白と黒が、太陽と月が、同じだけ主張するこの季節が、自分は大嫌いだった。命の匂いで、命だったものの匂いで、鼻が曲がりそうになる。
黒が映えるならそれは雪だ。雪は。雪は音を立てずに、急ぐことなく地に下りる。雪は、死に急ぐ事をしない。黒猫は死に急ぐ事をしない。そう信じたい。
明くる朝も、命を吸い取った雨が降り、その灰色の空は秋を暗示していた。
九月だった。
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現代春秋読書樹形発達論
後年のシュレーディンガー先生ではないが、「私はそれが好きではない」、だ。
それ?
それとは。読書感想文だ。
小学校で初めてそれを課されたとき、とくにそれがどういうものかをわからないまま、クラスの皆が、「あらすじ書き」を綴り、そして担任が、本文の引用を禁じた。そうして、してはいけない事、書いてはいけない事で囲われた文が量産された。話し言葉では一人称が「おれ」の男子たちの誰もが「ぼくは」で書き出した。
その緘口令は感想文の範疇には収まらなかった。あらゆる作文というものに影響した。皆口々に「ぼくは」「わたしは」と始めた。
「私はそれが好きではない」
小学校高学年のときに、いつだか思い出せないのだが、実際に教わったわけではないのだが、ものを書くということに脳内革命が起きた。「兎の眼」の中で、小谷先生が足立先生の授業を見学する場面だった。長いこと本文を読んでいないので詳しい事は忘れてしまったが、文章の書き方を教えていた。思った事を書きなさい。一言で言えばそんなことだった。そのあと、すぐ後だったかは定かではないが、小谷先生の受け持ちの問題児が、詩のような、作文のような、そういう授業で強烈な文章を書く。もちろん作者が書いた文ではあるのだけれど、私はその、臼井鉄三という一年生の書いた文を越えられる気がしない。
「あかいやつがでた。はながつんとした。さいらのんらみたい。ぼくはあかいやつがすき。こたにせんせいもすき。」そんな感じの文章だったと思う。
だからといって、兎の眼を読んだからといって、文が書ける様になったわけではないのだけれども。
自分の経験や記憶を、その読書を依り代として呼び起こして綴るのが感想文というものなのだろうか。
中学生になって、やはり国語の授業で、義務教育として所謂文豪に触れる。オツベルと象、走れメロス、それくらいしか記憶には無いのだけれども。中学校では自分が文章を書くという機会は割と皆無に近かった。定期試験の記述問題程度のものだった。
その期間が自分自身にどのような影響を与えたのかはわからない。与えられた文章について、好き勝手に考察させて、答えを与えずに去る国語教師は、常にもやもやしたものを残した。どういうわけか、いや、逆にしかるべき結果として、十五年経った今更になって教科書にあった作品を読み直そうと思ったりする。
ほとんどの時間を保健室で仮病に過ごした体育の授業がすべて国語に置き換わっていたとしたら、その時間がすべて国語教師による読書への誘いの時間であったとしたら、有益とはまた違う豊かな世界が来たのかもしれない、と思う過激派なのであった。
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電信浜にて、午前二時半に
犬には汗腺が少ない、だから舌を出して放熱をする。じゃあ、僕は普通の人より汗腺が少ないのだろうか。いつも友人と温泉に行くたび、水風呂に浸かっている時間のほうが長くなるとそんなことを考える。首まで冷水に浸かり続けて二十分、肺の中まで冷たくなった身体に愛しさをようやく感じる事が出来る。
そのときは海の向こうに寄せる思いや、想う相手を海の向こうに持たなかった。のだが。いなくも無かったのだが、この広くも狭い島に生まれてしまった僕は、その向こうにも陸があること、そしてそこにも住んでいる人がいること、住んでいる人は僕が認知していなくても生を営んでいる事、に、現実感を伴った視線を向ける事をしなかった。
その数年後に、二十歳になった数年後に、僕は世界が海の外のある事を知る。その向こうに本当に分かり合える人がいる事を、もしかしたら、と思う。三十歳になる四二〇日前に、海の向こうにも海があって、その先に世界を分かち合える人が、君がいる事を知る。
例えば、旅先で月を見ると、いつも見ている月なのに、今日ここで見た月、と記憶に付箋をつける。今見上げる月は、僕の中の月は、ポストイットの五色の付箋が交互に貼り付けられて、さながら新宿駅のホームの電光掲示板の様相である。
いつか踏み入れる神戸タワーの付箋は何色にしようか、紀伊水道を眺めるまでに青緑色の付箋を見つけなきゃいけないな。
またいつか、登別駅の裏の、時化たときには冠水する道で、テトラに腰を下ろして、ごうごうと啼く波を見下ろす日は来るのだろうか。そのとき隣にいるのは誰だろうか。君に見せたい海だ、と思う。
いつも、逆側から眺めている沖の到達点はここなんだ、と、隣でメロンソーダを飲む君と、僕は、いつもは飲まないガラナと、で。
そんな青春を取り戻すような、見つからなかったパズルのピースを波打ち際に求めるような、まだ名前のついていない愛を流木に見出すような、そんな丑三つ時を寝ずのまま夢見て。
僕は、借りた車を無責任に停めて、いつでも静かに迎えてくれる電信浜に腰を下ろして、先を赤く光らせた副流煙を南中した月に向かって吐いた。
僕は、入り江の岩場にある日付変更線を飛び越えた。
僕は、君の中に編まれる物語に嫉妬した。
僕は、君になりたかった。
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王立釧路水族館
港を有している街には水族館があると思っていないか?
考えてみてくれよ。じゃあ海に面している、といっても、全表面積の��パーセントしか海に面していない街、いや、県にも水族館というのはあるだろう?
つまり、そういうことさ。いや、言葉が足りないか。この街では、魚は見るものではなくて、食べるものだ。確かに土産物を売っているMOOという施設では、水槽を設置して、食べる魚の泳いでいる姿を見る、というなんともいえない複雑な気分になる展示がある。ただし、往来の真ん中に、だ。
室内が暗く、照明効果の効いた、雰囲気のある空間に、さも自分が深海に来たかのような体験が出来る、そんなエモーショナルな心象をくすぐる代物ではない。おまけに蟹のUFOキャッチャーまである。あまりにも、ない。
なので、今日から僕が釧路国王として、水族館をつくることにした。
はて、そもそも水族、とはなんであろうか。
少なくとも水や海に関わっていれば概ね「水族」とみなす事にしよう。なぜなら僕は釧路国王だからだ。僕が法だ。
僕は国民に(といっても友人と、その友人の友人数名が全国民なのだが)水に関わっているものを収集するよう勅令を出した。そして集まったのは、流木、謎の海藻、漁港のコンクリートの崩れた欠片、秋刀魚のぬいぐるみ、祭りの露店で捕まえた金魚、ペットショップで買った亀、海の風景が描かれた油絵、年に一度港に停泊する豪華客船の模型、といったところだった。
僕は寛容な王であったので、どれも「水族」とみなした。闇の釧路幕府から何とか奪還した釧路美術館に、それらの水族を並べ、如何にもな照明を施し、ミニマルなBGMを流した。せっかくなのでプラネタリウムも設置した。
――もうそれは雑居空間だった。
仕事場を息の詰まるような空間ではなく、楽しく過ごせるように、と、椅子をバランスボールに変えてしまった大手検索サービス某社が思い浮かぶ。
この街には科学館が無い。以前はあったのだが。僕が中学生の頃に科学館は閉館し、遊学館というよくわからないものに変わってしまった。僕は混じりけの無い埃くさい科学館が好きだった。
動物園ブームのようなものがあったころにはこの街にいなかった気がする。
ぼくはもうじき嫌気がさしていた。なんだってこの街には水族館の一つも無いのだろう。なんだってこの街にはガストが無いのだろう。なんだって・・・
生まれ育ったこの街に、人一倍並みには、生まれ育った街程度には執着があるのだけれど、いつだってこの街に「残留する」者には、再興の二文字が押し付けられる。没落する事が、今よりいっそう閑古鳥が辛くなることはこの街に育った者には前提としての認識があった。
ここに書いた事は、うそだ。僕には水族館がどういうものかわからなかった。お出かけ先の、なんだかうだるような暑さの中、助けを求めて迷い込む先にあるのが、新札幌にあるのが、僕の知っている水族館だった。
大学の北海道の受験会場が新札幌にある大学だった。僕の新札幌での最後の記憶は、それだ。会場を後にした後に数学の問題を一問丸々解き忘れていたことに気がついたのが、そのあとにたらこスパゲッティを食べたのが新札幌だ。僕は大学に落ちた。
そのときはこんな人生になるだなんて予想しなかった形で、僕はこの街に帰ってきている。自殺未遂なんてくだらない理由で水族館のある街から水族館の無い街に帰ってきている。そんな、不自由の象徴みたいなこの街が、憎くこそは無いけれど好きになれなかった。
だから、部屋に、お菓子の空き箱で作った水族館を置いた。紙で作った魚をつるした水族館が今日も誇らしげに夜霧を眺めている。
僕はこの街を好きになれるんだろうか。
初めての初めてを誰かと過ごすこの街を好きになるんだろうか。僕よりもこの街を好きな誰かと過ごせば好きになるんだろうか。好きな人の好きなものは好き理論で好きになれるんだろうか。
心臓の温度を知るためのメーターがついていない事を僕は”変だ”と言った。でも僕以外の誰を見てもそんなものはついていなかった。僕は僕を変だと思った。言った。僕の好きな誰かは僕に「変じゃない」と言った。
そんな風にこの街を僕も認められたら、と思った。
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かたつむりよりも遅く
足。
足をつかない日が、普通の生活をしていてあるだろうか。足が健在である前提になってしまうが。ずっと寝ている日でも、トイレに行くには、歩いていく。そのときに足をつくと思う。
長く寝た日、そうだな、たまに眼を覚ましたりはしても、続けて十八時間だとか、そんな長い時間寝た日はあるだろうか。そのあとに歩くと、なんだか足がじいんとして、普段がそうではないわけではないのだけれども、足や脚に血が巡っていくのを感じるのだ。脚が、足の裏が、脈打つのを感じて、そうして自分が長いこと足に体重をあずけていなかったことを思い知るのだ。
足の裏から、地球の無限の生気を吸い取って、分けてもらって、そうやって生きているのかもしれない。植物が地から水や養分を吸い上げるように。
或いは、たくさん歩いた日。たくさん歩いて、帰りの電車を待っているとき、足が普段より地面に強く引き付けられている気がして、でもそのぶん地面にめり込む訳にもいかないので、それだけ地面に弾き返されている感覚――
それが、足が地面に片思いをしている、と仮に呼ぼう。はて、この呼び方を掲げたところで、これを何度も使う気は、しない。
足を地面につくという事は、それは、地に足をついているほかの誰かと同じ地球を蹴っているという事になる。地に足がついていないという言い回しの意味合いではなく。地繋ぎではないといっても、海底は地だと考えると、同じ大地を踏んでいるのではないかと思う。
立って、繋がっている人は、目の前でソファに寝転がって、見ているのかもわからないテレビの前で鼾をかいている人よりも、ずっと近くに感じる。同じ地球に腰を下ろしていたら、同じ地球にうつ伏せになっていたら、同じ地球に、そうしたら、電話の向こうの時差四十分も、時間距離はゼロなのかもしれない。
大学の、物理の偏屈な教授が言っていた、地球と月の時間差をゼロで伝達をする方法がある。月まで届く、長い剛体の棒の端をちょっとつついたら、月側の端っこもちょっと動くのだ。偏屈だ、とは思うのだけれども、それと同時に、講義を聞いていた私は、そこには愛があるな、と思った。
同じ地球を踏む、同じ地球が同時に身震いする、それって愛なんじゃないかな、と、そう思った。
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ライターの温度
シュレーディンガーの猫をしっているだろうか。聞いたことはあるだろう。猫を一晩箱の中に入れて、その中で猫がランダムで取る行動、そうだな、人間にたとえるなら、知日煮に一回あくびをするかどうか、だろうか。もしあなたが一晩のうちに一回あくびをしたら箱の中のしかけがはたらいて、箱の中の猫は死んでしまう。でも、あくびをしなければ何も起こらない。一晩、あくびをするかしないか、ただし我慢はしてはいけない。
さて、起きたときに猫は生きているだろうか、死んでいるだろうか。このとき、確認する瞬間まで猫が生きているか、死んでいるかの結果が決まっていなくて、確認した瞬間にあたかもくじ引きのように決まる――そんなことはありえなくて、箱の中の猫は生きているのと死んでいるのとが混ざっていて、死の方に確率が定まっていたとしても猫がそこから、くじ引きの結果が生だったからといって生き返るなんてありえない!という抗議のような、風刺のような、そんな逸話だ。
なにも、シュレーディンガーの猫の真意について語りたいのではない。
冬になると――この話の否定するところの逆を行くように、自分は生と死の間に漂っていて、その「生きている割合」が、冬になると高くなるから冬は好きだ、夜は好きだ、ということ。それを伝えたかった。以前、夏は生と死の匂いが入り混じってむせ返るような濃度だから嫌いだ、といった。それはそうなのだけれど、気温が体温に近づくにつれて、私は私の、絵で言うところのふちの線が何本にもぶれて、自分という存在があやふやになる。それをさせるのが夏で、太陽で、昼なのだ。
逆に考えてみて欲しい。影というものが、自分の生きている割合(量子力学では確率密度というのだがこれはこの際どうでもよい)を吸い取る化身だとしたら。照らす太陽が艶やかであればあるほど、わたしの生気を吸い取��ではないか。ちょっとそれはいけない、雷がなったらおへそを隠すよりも、私たちは日差しが強いと、陰を隠すように歩かないといけない気がしないだろうか。子供の頃、影踏み鬼という鬼ごっこはなかっただろうか。逃げる側は、夜にやっている限り絶対に捕まらない、そんな安心感が夜には、冬にはある。
あるいは。あるいは、冬に呼気の白くなるのを、息を吐くときの抵抗感のようには感じないだろうか。吸った息は冷たく肺に染み渡り、吐く暖かい息は冷たい大気を懸命に押そうとする。そんな冬が、いつでも呼吸を確かめる事ができて、自分の生を確かめる事が出来る、そんな冬が私は好きだ。
夜と昼、冬と夏、どっちが好きかと聞かれて、前者をとるのが、闇属性のように言われるが(そもそも昼と夜、夏と冬の順なのではないかというのは、思い入れのせいでその順になっているものとして)、むしろ光を際立たせることをしたいのだから光も光、超ひかり、でいいじゃないか、と思う。
咳をするのは、冬ではないだろうか。冬の咳は、乾いていて、後腐れが無い。咳というものは、自分がするときのことは、実はよく覚えていないのかもしれない。人前で咳をして、煙草の吸いすぎ、といわれるまで、咳をしている事に気がつかない事すらある。そんな咳なので、咳をして「も」ひとり、なんていわれるのだけれども、咳は、そのせいで、孤独なものかもしれないのだけれども、それでも私の中では、咳は、気付かれるものなんだと思う。私はひとりではないんだと思う。あなたの咳を聞くのだと思う。――あなたも。
私は、それでも、あなたが咳をしていたら、咳、しているけれども、大丈夫?と訊くのだと思う。癖のようなものだから大丈夫、といわれても懲りずに訊くのだと思う。
自分の線がぶれる夏よりも、線の厚みが増す夏よりも、存在がシャープなあなたの手と触れたい、と思う。最小のあなたと触れたい。
そんなやり取りが出来る、冬が、好きだ。
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丹誠乱筆譚
運転にはその人の人柄が出る、顔にはその人の人柄が出る、食べ方にはその人の人柄が出る、文字にはその人の人柄が出る――いったい、どこのだれが言い出したのだろう。本当に出る気もするし、だからといって、それらから、逆に人柄がクリアーにわかった事はあるまい。いつでもそれらは、その人の(多くはよくない面を)あとで照らし合わせたら一致するだけなのだ。
人の話ではなく。
これは僕の乱筆の軌跡だ。僕は、周りの子供たちと比べ、文字を覚えるのも、漢字を覚えるのも、足し算引き算が出来るようになるのも、早かった。だが、俗に言う天才たちは、これらが遅いと聞くし、なにより、僕の字は、覚えた頃から筆跡の進歩が見られないのだ。
もし、これを、先の例に喩えていうのなら、僕は乱暴なのだろうか、幼稚なのだろうか。
僕は、不幸にも(筆跡的な結果として)大学で中国語を選択してしまって、漢字を崩して書く癖がつき、ノートはボールペン派に、無地派になり、僕の字は、進歩というか、悪い意味で躍進した。生化学の講義の板書をとるときに、あまりに画数の多い単語の多さに、ついに、亜流の英語の筆記体で、板書を取るようになってしまった。
だけど、文字を覚える早さが天才ではなかった分、字の汚さでは、どこに行っても群を抜いて汚かったので、だんだんそれが誇らしくなってきた。僕は、青いインクのボールペンで出来上がる自分の筆跡が、いつの間にか嫌いじゃなくなっていた。
――そこには、あるひとの存在があった。
その人は、いや、仮に菫さんと呼ぶ事にしよう。僕は菫さんと文通をして、初めての僕の手紙が届いたとき、菫さんは、僕の字を解読するのに三回読む必要があった。でも、直近の手紙は、読めないところが一応、無かったらしい。
無論、直近の手紙を最初の菫さんに見せても、それはそれで読めない、つまり、慣れがあるのだとも思うのだけれども、それでも僕は、手紙を書いているうちに、どんどん菫さんに話したいこと、書いて伝えたい事が次々と浮かんで、そうして、人に向けて文字を書くこと、手紙を書くこと、が、なんとなく好きになった。
以前はあんなに嫌っていたメモを取るということも、今では逆に、外出先でメモ帳を忘れると、しまった、と思うようにさえなっていた。どれも、菫さんが、字はともかく、僕が綴った文章を喜んでくれたから、ここまでに思うようになれたのだと思う。
かわいらしい、でも溌剌とした菫さんの字は、いつ見ても元気をくれた。僕の字は、菫さんを元気に出来るだろうか。笑ってもらっても構わない。それで元気が出るのなら。そう思って、僕は手紙を書き続ける。
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青少年のための煙草の吸い方講座
僕が初めて煙草を吸ったのは、大学二年の五月だった。必修の講義を四回休むとまた来年、になるのだけれど、まさにそんな講義がいくつか出てきた頃だった。フルートの先輩のお姉さんに、精神科で睡眠薬をもらう手ほどきを受け、弟のようで可愛い、といわれ、いつもついて歩き、そしてその先輩は同郷の人で、煙草を吸う人だった。正確には、ブラックストーンという葉巻なのだが、吸わない人にとってみれば一緒だろう。
とにもかくにも、その先輩と、後に営業をやめるバーでいつものようにクーニャンを飲んでいたときに魔がさした。
「すこし・・・吸ってみてもいいですか?」
そのときの僕は、この先何年も吸い続けることになろうとは・・・などという回想をせずにいられない。のかもしれない。しかし僕は、好き好んで煙草を吸っている。
別に吸いはじめたのはストレスだとか、やさぐれてだとか、かっこつけてだとか、そういったわけではなく、ただあまりにもその先輩が美味しそうに吸うから興味を持ったのだった。ビールのコマーシャルで大人たちがあまりにも美味しそうに飲むものから、そんなに美味しいのかな、と誰しも一度は興味を待つのが自然なもののように。
僕は秀才だった。自分で言うのもなんだけれど―――という意味ではなくて。
天性の何かが光るものでなく、つまり天才的な、ということではなく、養殖された鯉が見せる光のような、手に収まる程度の才だった。なにも自分で言い出したことではない。秀才という言葉が選ばれたのが、一番にはなれない、天才にはなれない、のような事だ。
幼稚園のころに、園長先生の部屋に並べられ、各クラスから三人ずつくらいの園児たちに向かって「ここに集まったあなたたちは賢い人たちです」といわれて、劇の語り部やオペレッタの主役を任されたあたりで僕の人生はだいたい決まった。
小学校で、人格をだれもが認めたわけではないけれども、だれもが僕の成績を認めた。頭がきれるとか、そういうことではなかった。クラスで一番初めに眼鏡をかけたのは僕だった。でもそれは、過干渉な母親に隠れて、暗い中で、理科の授業で教材として各々買った豆電球を持ち帰って、その光でゲームボーイをしていたからだった。クラスのほかのみんなには、そんな理由で眼が悪くなる事は無かった。明るい中で堂々とゲームが出来る彼らには。そんな僕が、クラスで一番初めに煙草を吸った。
うつ病はドラマのある病気だ。心臓病にはドラマが無いとか、ドラマがあるからうつ病はいいとか、そういうことじゃない。うつ病は、ドラマの末に、ドラマに疲れてしまった人がなる病気だ、と僕は思う。だからといって僕が、ドラマのある人生をそのとき歩んでいたかと聞かれると、それはわからない、と答える。ただ、自分の中では強烈なドラマだった。
大学一年生のときの定期演奏会を終えて、パートがセカンドバイオリンからファーストバイオリンに変わった僕は、子供の頃からバイオリンを習っていたという先輩に叱責される事が多くなった一つ上の先輩の代で、僕は、教わる態度が悪い、という良くない評判が流れた。
今まで大した部活に関わった事も無く、先輩後輩といっても一年早く生まれたという事実だけで、その技量だとか、表現力だとか、人柄だとか、そういったものに大差が無い人の言う事を素直に、���いそうですか、といって聞く気にはなれなかった。
小聡明いという言葉が今では別の、煽情的なという意味合いを獲得しているが、僕の名が冠しているその文字は、そんな小生意気な様である事を体現しているのかもしれない。
僕にはつけられるはずだった別の名があった。裕輔、という名だった。祖父が、祖父の会社に同じ名の社員がいるため却下とした。却下になった代案が、今の僕の名だと知ったとき、それでもやっぱり、自分は裕輔という感じではないなあと思った。僕は祖父に感謝した。意外かもしれないが、僕は僕の名前が好きだった。両親の生涯での最高傑作だと思う。
こうして、僕は、自分が���ラスで成績だけが一番だったこと、中学校に入っても高校に入っても、最初だけその集団で規格外だったこと、その集団を出るときには見る影も無い斜陽具合であったこと、そして鼻にパッドの痕を残すこの眼鏡が、自分は耳年増だったのだなあ、自分をうつたらしめたのだなあ、と思いながら煙草に火をつけた。煙草の本数が増えるのは、ありもしない在りし日の自分を偲んだ線香のようであった。
煙草の吸い方、そしてその煙の吐き方には作法がある。一つだけ。
物憂げに煙草を吸えない奴は、喫煙者失格なのである。
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ロキソプロフェン
本になる紙は幸せだな、活字になるインクは幸せだな、そう思いかけて、やめた。必ずしもそうではないのはわかっているので。
でもやっぱり、黒猫さんの手元に置かれる本になる紙は幸せだと思う。
タリーズコーヒーの喫煙所でいつも隅に座って本を読む。時間制限が無くて、ずっと煙草が吸えて、そして本を読むのに丁度いい暖色のランプの下で。
今日もそうして読んでいたのだが、なにやら花粉症のような症状が出て、店を出てしまった。猫アレルギーなのに猫を飼っている人はよくいて、みんなそこまで苦労していないという印象だ。でも、今日は、ごはんを食べて家に帰るなり飼い猫に口元の匂いチェックを受け、猫の吐息を鼻で吸ったのがいけなかったのかもしれなかった。
それはそうと、うちの猫は抱っこをさせてくれないし、膝の上で丸くなったりもしない。図体のでかい重い猫なのでそれはそれで助かるのだが・・・たまに無性に猫を抱きしめたくなる。ヤマアラシのジレンマのようなものである。無理矢理にでも抱きしめたら全身のどこをかまれるのかわかったものではない。
いつだかのNHKで、五分間くらい、猫を写し続ける番組があったが、それを見る度に、やはりうちの猫が世界一だと思った。何を比べるのでもないが。
年の経つのの、其れを数えるのが苦手なので、うちの猫が四歳だったか五歳だったか、確か五歳なのだけれど、ときおり、何歳まで生きるのだろうかと思うと少し悲しくなる。うちの猫は、もらい猫なのだけれども、私も彼も、偶然この世に生を受けて、偶然であっただけである。
もらってきたばかりの彼は、部屋中駆け巡って、壁に張り付いて、忍者の様相であったが、最近はそれをしなくなった。
よく引っ掻く猫がいるが、うちの猫は手を出さずにすぐに噛み付く。カメラを向けると顔を背ける。寝転がっていると顔の上を横切る。くしゃみをする。
猫は、猫が要る生活は、それが永遠に続けばいいのに、と思わせる。
猫は。
猫は、とても綺麗な眼をしている。横顔を見ると、顔に硝子が埋まっているようだ。
そんな硝子の眼をこちらに向けて訴えるのは二つだ。ごはん、と、撫でろ。この二つだ。
我輩の猫であるのだ。
黒い画用紙を切り抜いて、郵便受けの上にたまにいる黒猫の形に切り抜こうとしたが、黒い紙に黒いペンでは縁取れなかった。
切り抜くのではなく、そもそも暗がりに猫はいるのではないか、思った矢先、飼い猫と眼があった。お前は、私といて幸せか?
聞いた猫は知らんぷりをして窓の外を眺めている。
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巣
僕は、僕が、僕の、私は、私の、私が、そんな書き出しの、自己主張の強いような、そうでもないような文の癖のようなものがなかなか抜けない。
それでも、こう続けるのだが、僕は、君が好きで、君の寝息を聞くのが好きで、そうして安心して寝息を立てられる相手である僕が好きで、そんな僕を好きといってくれる君が好きで、君が何かに見出す「僕っぽい」が好きで、それを見出す君が好きで、見出された僕が好きで、君が好きな僕になろうとする。
あなたはあなたのままでいて、と君が言う。僕は僕でいようとする。
その実、それが、僕でいるということがどういうことかわからないような、わかるような、そんな気がする。
人は変わる、あなたも私も変わる、と君は言う。僕は僕でいることを辞めるつもりはないし、忌まわしい記憶だったとしても、僕は僕の一切の記憶を放棄するつもりは無い。
それは、忘却に抗うという事ではなく、でも、忘れたくないことへの忘却には抗ったりして、忘却っていうのは抽斗にしまったものを失くす事ではなくて、抽斗がうまいこと開いてくれなくなることで、それでも抽斗をガタガタとやっているうちに開いたり、上の抽斗を外して少し人間の形には無理があるところに腕を突っ込んだりして、そうやって、いつでも思い出す手がかりはあるのだと思う。そんなことだ。
やっと、やっと偶に、君に、僕の言葉での言いかえを拾ってもらえるようになって来たのはとても喜ばしい事だった。
いつぞやに綴った、実在しない水族館に、自分の部屋に設置する最小規模の水族館の入れものにするためお菓子の箱を部屋に備えた。
僕は、僕を取り戻す。生まれてから何回何十回何百回何千回と否定されて、しょぼくれて放棄せざるを得なかった僕を、君は取り戻させてくれる。
なにもない、と君はいう。何も無いなんて、そんなことないのにな、と僕は思う。でも、そういうことじゃなくて、受動的な無力感、の、力ではなく、世界への作用や、世界からの作用を言っているんだろうか、と僕は想像する。
しかし、僕は、君のいう君のなにもない、より、比較するようなものではないけれど、はるかに何も無い。でも、なにもないけれど、僕には君がいるし、君の傍にいる、という存在価値がある。君を安心させるという存在価値がある。
「ここ」は、集合場所じゃなくて、帰ってくる場所のように思えた。
つかれたら、なにもなくなったら、泣きたくなったら、おなかがすいたら、いやなことがあったら、かなしいことがあったら、帰っておいで。
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