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すいませんあのーまたパスワードわからなくなったんで、こっちに移動します……。
https://llllll33333.tumblr.com/
正確には、ブラウザが記憶してるのでログインはできるんですけど、俺は覚えてない、しかもメアドは捨てメアドでアカウント取った、という状態ですわ……。俺これ多いんだ……。
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日頃じーさんばーさん大量に見てて思うんだけど、老人の健康状態って、ほぼ経済状況で決まる。というより実際は「老化していく肉体」に対する客観的な状況判断ができるってのは、つまりそれなりの知的訓練を受けてて、たとえば新聞とか本なんかを日常的に読むことができて、加齢していくことへの嫌悪感があって、というようなことなんだと思う。結果としてそういう人たちは経済状況がそんなに悪くない、と。
ただし選ばれし肉体を持った漁師上がりのじーさんとかは別。やつら80歳でも自転車に乗ってタバコと酒買いに来る。てゆうか体力余っててそのへん自転車でうろうろしてる。つよい。
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うちの奥さまは相当のアレルギー体質です。食い物に関しては、意外に穀物関係は明確にアレルギーあるのはそばくらいなんですが、ほかの部分ではどこに地雷が潜んでるか本人にもよくわからないそうです。確実に無理なのは、酒とかにんにくとか。で、こうなると「高級そうなくいもの」全般が怪しくなってきます。しかしうちの奥さまはケーキが死ぬほど好きであり、しか���確実に酒入ってない、少なくと体に影響が出ないレベルとなると、安物のケーキしか食えないという結論になります。しかし不二家のチョコレートケーキを無上のグルメであるかのように食ってる人を見ると「本当においしいもの」をどこまで追求するのが幸福なんだろうと、ふと疑問に思ったりもするのでした。
あとぜんぜん関係ないんだけど、ひさしぶりにコンビニののり弁とか食ったりすると、昔よりかなりおいしくなってることに驚くことがある。リニューアルのたびに「おいしくなりました」って説明あるの見るといったいリニューアルとはなんだという気分になってくるんですが、長期的に見れば、確かにおいしくなっていたようです。
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いちおうおっさんとしては最近の若いものに若ぶってみせる必要があったため「最近スマホゲーなにやってんの。俺は駅メモくらいしかやってないけど」などと話しかけましたら「パソコン使えないのでゲームよくわからないです」という80歳の老人であるかのような返答がかえってきた。まずゲーム=パソコンという前提が(艦これとかの初期ならともかく)完全にどうかしているのではないだろうか。それともあれか。貴様エロゲーマーか。
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そうだそうだ。こんな感じだった。別にだれが読むことを期待するでもなく、思いついたことを書き散らして、たまにだれかが読んでくれた証拠が残っていたらうれしい。その程度のことだった。ありゃどう考えてもブログやってたころのほうがおかしかったんだよな。いまにして思えばなんであの状況に適応できたんだろうって不思議なんだけど、おそらく適応できてしまったこと自体が俺の能力であったことは疑う余地はない。けどそれが俺のやりたかったことなのかといえばちょっと違ってて、人はやりたいことができるわけでもなく、できることがやりたいことであるわけでもなく、なんていうか不自由だなあと思う。
外側をつねに見ながら、意識は常に内側に向かっていく。正しいか正しくないかはわからないが、俺はたぶんそういう人間なのだと思う。だれよりも遠くに行きたいと願いながら一歩も動かない。それでいいんだと思う。
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それにしてもあれだな。俺はどんな状況でもやっぱり文章を書くことだけはやめないんだな……。なんかね、最近ダイエットってほどでもないけど、月に1キロくらい減ればいいやって感じで食うもの減らして筋トレやってんですけど、腹減った状態で寝ると見る夢が100%なんか食ってる夢なのね。なんで、たぶん死ぬ間際にもの食えなくなったら、俺、飢餓感で死ぬと思うんだよね。あとキーボード叩けなくなったら死ぬと思う。たぶんこれ口述筆記とかじゃだめなんだよなあ……。
口述筆記といえば、今度の月曜から北海道行く関連でなんとなく三浦綾子の「塩狩峠」思い出したんだけど、あの人の作品って特に年くってからのはほとんど口述筆記なんですってね。すげえよなあ……。
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音の好き嫌いというと、ピアノの音というのもあんまり好きじゃなかったはずなんだけど、気がつくとピアノが疾走する曲は大好物になってたりするんで油断ならない。音楽的嗜好って相当の部分で生まれてから15歳くらいまでのあいだの環境で固められるんじゃないかと俺は疑ってるんだけど、そうやって考えると、やっぱり親が気が狂ったようなヘビロテしてたチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番がでかいような気がする。
それにしてもサクラノ詩OPはほんとにいい。上手に使われたピアノの音は、純粋な光に似ている。ひとかけらの埃すらも見えないような天上の光だ。たぶんそうしたものを見たときに、人は感情以前の肉体的反応によって泣くんじゃないかと思う。ピアノの音は、そうしたものに思える。
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「『昭和天皇実録』を読む」読了。なんだこのややこしい表現は。
かなりおもしろい本だった。もとは講義録ということで内容は非常に平易。大胆に踏み込むところは踏み込んで、さほど本気で学ぶ気がない人間の興味を引きつつも、引き締めるところは引き締める。新書としてバランスの取れた本じゃないだろうか。この本から受けた印象としては、昭和天皇という人は「意外にも」人間くさい生活を送っていたのだなあということ。にもかかわらず、実際に昭和に生きた俺には、天皇という存在はなにか、日本の国の頂点にあって、その頂点だけがすっぽりと真空になっている、その真空そのものであるかのようなイメージがある。それが昭和天皇自身の考えた「象徴としての天皇」であるとするのなら、おそるべき意志の力というほかない。
ところで以前、うちの妹がすでに亡くなった大正生まれの祖母に関して「大正の人間はわけがわからない。本当に人間かどうかすらも怪しい」と言っていて、それはたぶんそれ以前に生まれた人たちもそうなんだと思うんだけど、芯の部分に化物のような意固地さがある。まちがっていると信じ込んでいることはたとえ殺されても正しいとは認めないというような。この本を読んだ限り、さまざまなブレがありながらも、最終的には昭和天皇という人からもそういうイメージを受けた。おもしろい本でした。はい。
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考えてみれば、俺の想像の質というのは「この世界」を離れたことが一度もなかった気がする。「この世界」のどこかには美しいものが隠さており、俺はそれを知らないだけだという気分が常にあった。もちろん実はそれは隠れているのではなく、薄膜いちまいの向こう側に常に存在するものでもあり、その世界への入口は、物理的には存在しないゼロの隙間のようなものを通過しなければ辿りつけない。幸か不幸か俺はその隙間を見つけたことはない。ただ、いろんなしがらみやこだわりがだんだんと崩れていって、その先には薄膜のない、ナマの世界がひょっこりと姿をあらわすのではないか。そんなことを考えている。
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音楽の向こうに幻想的かつ病的に美しい景色が見えることがずいぶんと少なくなった。それゆえ音楽が昔よりよく聞こえてくる気がする。なにかを失えばなにかを得る。その逆もまた。おそらくどちらがいいということはないのだと思うんだけど、それでも失ったものはもったいなく思えるってのは、これが加齢ってことなのかね。少なくとも俺は音楽を自分のなぐさみものとして使用することをやめつつある。ところで俺はとにかくモーツァルトの音楽がなんでってくらい性にあわなくて、子供のころ母親がよくジュピターとか連綿とかけてて、そのころから嫌いだったんだけど、なんとなく死ぬ間際にはモーツァルト聞いてるんじゃないかっていう予感がある。そしてこういう予感は当たるんだ。
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ここまで主張の強いヘッドホンもなかなかない。AKG以外のものではまったくありえない。でもこれたとえばパナソニックが同じもの作ってて「松下電工」って漢字でバカでかく書いてあったらどうなんだ。フォントによるのか?
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体が器用に動かずに、なにごとも習熟するのにアホみたいな時間がかかる人間としては、先に理屈が信じられないとなにもできないのです。というわけで、読んでます。
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