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ウメイロ
確実に避けられない未来が目の前に訪れた時、君はどうする?それは大切な人の死、或いは苦手な存在との対峙、間に合わない原稿の締め切りや家で待っている大目玉など、多岐に渡る。こう考えている間にも、その時は迫っている。
運命とは、電車である。くるくる回るものもいれば、遠くまで運ばれるものもいる。ある人は鮨詰めならぬ人詰めの中を行き、またあるヒトは誰もいない孤独な車内で自��を繰り返す。あるひとは間違った線に乗ってしまい、望まない境地に挑むことになるだろう。何処で降りるのか、途中下車できるのか、それは誰も知らない。ただ自動で開閉する扉の前で、いつ来るかわからない必ず訪れるそれを待ち続ける。
かくいう俺も、京王線に揺られてその時を待っている。目の前に乗っていた女性がスクッと立ち上がり、開いたドアから降りると、向かいに停まっている電車に向かって歩いて行った。夜は薄暗く、月は雲掛かっている。吐く息は白い。俺は次の駅まで、足を組んで待つ。例えば全部が間違えてしまったんじゃないかと不安に駆られても。
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無垢ではない
computer fightに加入するきっかけは、ナツイ・フェスタ・マリナというツイッタラーのリツイートだった。諦念くんが上げたドラマー募集のツイートと、サンクラに上がっていたデモ楽曲を聴いて、カッコいいなぁと思って軽薄にDMを送った。スタジオに入って「auto」を叩いて、すぐ褒められたことを今でも覚えている。2019年のことである。あれから4年半、随分と遠くまできた。
俺にとってドラムをやる意味は、日々の鬱屈や疲弊、先細りに対する跳ね返しだ。俺の日常は矛盾している、齟齬している。俺は自分が一生懸命に仕事や生活をすることは偉いと考えている反面、そこに生じる搔痒感や鬱屈に気づいている。力一杯押さえつけられているような毎日に対するカタルシスを欲している。圧縮されて解放されるバネや、張り詰めた弓から解き放たれる矢のように。
日々の鬱屈や疲弊を解決することなく、追い越すほどに加速して苦しむのが俺にとってのcomputer fightであった。諦念くんのギターが繋がれたアンプからは気違いじみたスピードで、引き裂くような音が迸るので、俺は出来るだけ速くて大きくて苦しいドラムをつけた。意味もなく駅まで走って目的の電車に乗れなかった時のような、あの感じ。ガセネタの荒野の一節には「終わり続ける」ことについての記載があったが、俺にとってcomputer fightはこの「終わり続ける」ということだった。拳銃のように鳴るスネアを、車をスクラップにかけたようなシンバルを俺は作りたかった。
一方で、俺の「生活を中心としたバンド活動」は、バンド全体の方針や思想とズレていた、と思う。仕事をしながら音楽をする、と一言で言えば俺と諦念くんは似ていたが、諦念くんがライブや休暇を使って、文化人たちと日々切磋琢磨する中、自分が語るのはもっぱら日常の話であり、文化人と楽屋をともにしてもそのような話をすることが多かった。俺はバンドとはチグハグな人間たちで構成されて然るべきであり、それがステージ上で同じ方向を向いているからカッコいいという持論を持っている。が、望まれる水準まで啓蒙しきれない、至れないことについての葛藤やかっこ悪さの自覚は確かにあった。俺は仕事でも自己実現をしたいという思いもあるなか、computer fightに真剣に向き合っていたが、ヨソから見ればコイツにとってバンド活動は余暇活動と捉えられていてもおかしくなかったと思う。このような思想の違いについて、諦念くんと議論を重ねたうえで、今回は脱退に至った。話し合いの最中(これが方向性の違い…本当に存在するんだ…)などと思っていたりした。方向性の違いは、ありまぁす。
脱退にあたり、諦念くんには色々と迷惑をかけた。脱退の話が出てきた当初は「俺を舐めんなよこの野郎」と怒り狂っていた時期もあった。俺は陰気な人間であり、おそらくこのまま脱退したらnoteで陰口を書きまくる低俗な存在になってしまう!(もうなってる!)と思い、遺恨を残さないためには喧嘩するしかないと諦念くんとLINEで対峙した。諦念くんがそれに真摯に応えてくれたおかげで、俺も気持ちの整理がついて、脱退することがバンドをより良くしていくために必要だと納得するに至った。彼が天才から降りずに対峙してくれたことに、とても感謝している。
諦念くんはもちろん、前メンバーの本名くん、実験くん。そして今の畠山くんと喉笛くん。みんなには本当にいろんなことを教えてもらった。それは主に文化や教養、哲学について。俺はこう見えて理系で、文系のそういった知識には疎かったので、練習後のお茶会で聴く話は新鮮で、よくメモを取りながら聞いていた(今もそうである)。まさに啓蒙の時間であり、とても楽しかった。
computer fightは加速する。残党である俺がドラムを務めるのは、残り数回。よければみなさん、ぜひに見に来てください。そしてこれからもcomputer fightを目撃し続けてください。
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花瓶と日記について
例えば道端で、綺麗な色の枝葉をつける樹木があったとする。君はそれをハサミでパチンと切って、袋にしまってスキップしながら家に帰る。階段を登り、玄関の扉を開き、カバンを床に投げ捨てた君は、袋の中の美しい枝葉のことを忘れたまま、ソファーに腰をかけてリモコンを握ったが最後、そのまま動物らしく食欲と睡眠欲を満たすだけの時間を過ごした。
翌朝、カバンの中から財布を取り出そうとした時にようやく、美しい枝葉のこと、そして家に花瓶がないことに気づく。極めて短い走馬灯を経て、急いで空いたペットボトルに水を注いで、萎びた枝葉を挿す。大丈夫、水を吸えばきっと元通り…とまではいかずとも、昨日のように元気な姿を見せてくれるはずだ、と。
しかし、萎れた枝葉は元に戻らない。水分の供給がぴたりと止まったにも関わらず、葉と樹皮からの蒸散は止まらない。ついには、葉にある水分を使って失われる水分を補填、そして蒸散量を抑制したことにより、美しかった葉は細胞から死んでしまったのだ。一度死んだものは蘇らない、1時間経っても、半日経っても、丸1日経っても表情を変えない枝葉を目にして、君は初めて取り返しのつかない小さな後悔を覚えるのだ。
ところで、あるとき俺はハサミになりたかった。カッターナイフや包丁とは違って、二つの手で包むように(或いは抱きしめるように)切断する様が好きだった。ハサミは生かすも殺すも自由自在で、正方形から無理やりネコちゃんを作ることもできる。そのくせして石コロには負ける素直さもある。俺はハサミになりたかった。
またあるとき、俺はいちごになりたかった。甘くて酸っぱくてみずみずしい、ケーキの上の真っ赤な1番星。いっそのこと自分がいちごになってしまえば、ずっとそのままでいられるなんて勘違いしたのだろうか。2日前の朝ごはんも思い出せないのだから、幼い日の記憶、ましてや感情なんて思い出せる由もない。ともかく、俺はいちごになりたかった。
俺は日記になりたい。手垢で汚れたページには平凡だったはずの日常はなく、ビビッドな毎日が描かれている。夜の街灯や展示会、黄色い蝶々のこと、コップに並々と注がれた液体と固く締められた白いおしぼりのこと、喧嘩をしたこと、花瓶に生けた美しい枝葉と花々のこと、たくさんの動物や魚と肘までかかるゴム手袋のこと、一度きりの日々が手垢で汚れていくのが不思議で嬉しかった。ごめんなさい。
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2023年 加茂野やや大きいのすべて。
みなさんい、サウナ、こんばんはー。
この1年、俺は頑張りました。本気で。そんな想いを込めて、この一年の活動を網羅的に振り返っていこうと思います。
1/14(土)@高円寺HIGH
In Case vol.9
WRENCH、MOZU、computer fight
痛郎さんからお誘いいただいた。吉祥寺NEPOでの、たしかAKUTAGAWA FUNCLUBとのライブの際に声をかけていただいてからの縁で(違ったらすいません)、それからずっと目をかけてもらっている。本当にありがたい。WRENCH、MOZUという90年代オルタナの大先輩たちの共演を前に何かできることはないかと、チャレンジな取り組みとしてライブ用イヤホンをつけて練習や本番に挑���だりしたが、全然意味がない上に変なミスを招きかねないので辞めた。間近で見る菅野さんのドラムがとにかく強烈で、シンプルなフレーズでも音量やキレが自分とは比べ物にならないほど良かった。
2/19(日) @西荻窪FLAT
「毎日何にもすることなくて啓蒙している」
computer fight、the bercedes menz、din remoter、タオル
同時に、suburban bluesのフィジカルリリースも行った。ベルセデス、ディンリモは既知だったが、タオルのライブには度肝を抜かれた。最小限で、なのに必然性に溢れた音の群れ。俺は甚く胸を打たれ、後日の浜松TEHOM参加の際の動機にもなった。
4/22(土) @吉祥寺NEPO
MYFUNERAL INC. presents【TOKYO SWING special】
PANICSMILE、トリプルファイヤー、[O.A] computer fight
今思うと、ありえんくない?というイベントにOAで出演。いまだに後悔しているのは、次の日、職場のしょーもないイベントに参加するためにPANICSMILEの演奏をほとんど拝見できなかったこと。眼前で凄まじい演奏が行われている中、機材を背負ってライブハウスを出た時、自分は何になりたいんだと混乱した。そしてそんな混乱も、船の出航時間が近づくにつれて睡眠への不安に置き換わってしまうのが嫌だった。
この頃は、島での団体活動の長になり(そうしないと団体が無くなる危機だった)、さまざまな人間の要望を聞いては日夜ペンを走らせてイベントの企画などをしていた。もちろん業務外である。本当に辛かった。
そして、ずっと一緒に暮らしていたデグーのたわしが亡くなった。今でも思い出すだけで涙が出てくる。かわいいかわいい、世界一の相棒だった。最後は家族で看取ることができたが、本当はもっと長く一緒にいられたのに、俺のせいで早くいなくなってしまったのではないかと繰り返し自問して、火葬したお骨を持って家に帰る道中は、自分の不甲斐なさに怒りと切なさでいっぱいだった。島で楽しく暮らしているすべての人間が憎かった。
この件がきっかけで、俺は島での団体活動とは一線を引くことにした。たわしが最期にどう思っていたかは定かではないが、幸せに逝けたことを願う。
5/13(土)@静岡県浜松市TEHOM
「ROOMPARTY」
computer fight、やっほー、SUPERMOURNING、タオル
初の遠征ライブ。TEHOMはすごくソリッドな音のする箱で、我々の演奏と相性が良かったと思う。諦念くんはこのライブを「至っていた」と評していて、俺も今でも聴き直しては、当時の体制での内向性や情動、演奏力を再確認している。やっほーさんのライブがめちゃめちゃ面白くて、シンバルキックを3回やって3回失敗していた。楽曲のクオリティーが高くてしっかり聞けるライブだったことも最高だった。鈍行列車で岡山から浜松まで来たらしい。世の中は広いと思った。
5/14(日)@西荻窪FLAT
ハイパーパンチ自主企画ライブ「鋼の拳」@西荻窪FLAT
ハイパーパンチ、ヘクトーよるをまもる
ハイパーパンチでも、自主企画を打った。このライブではとにかく対バン探しに苦労した。準備って大事。その中でも出演を快諾してもらったヘクトーには感謝している。我々の演奏としてはかなり荒削りではあったものの、楽曲の持つアイデアやユーモア、ポップセンスは披露できたんじゃないかと思う。
5/18(木)@恵比寿BATICA
RINGOOO A GO-GO
Haze / サトビ / Y's CAMP / ハイパーパンチ / HALLEY / PHOEBE
オーディションに出ましょう!ということで参加、特に思い入れはないけど、とにかくPHOEBEがめちゃくちゃ良かった。なんというか信念が見えるライブというか、背景が滲むライブというか。めっちゃいいねー!とダダンダンと話していたら、りんご音楽祭本戦にも出場していて、自分のように嬉しかった。
5/20(土) @調布Cross
mwmw、SleepInside、Uztama、computer fight、カルト3
5/21(日)@落合 soup
EXECUTE
Pot-pourri 、computer fight
島で所用があり、代役で田辺さんにお願いして出演してもらった。
俺はこの頃、バンド活動と、ペットの治療費にお金を注ぎ込んだ結果、貯金を使い果たして、家族に借金をするほどやばい状態だった。この日は島で用事があったというのもあるが。今現在は、借金も返済してなんとかなったが、当時はなかなかに苦しかった。
この頃、本名くんと実験くんの脱退が決まった。訳あって俺は少し遅れて報告を受けたのだが(これは、本当にちゃんとした理由があって遅れて報告を受けた)、すごく動揺した。受験に落ちたときのような、取り返しのつかない取りこぼしがあったような気持ちになった。2人が辞めて、島で働いていて活動を制限している俺が残っていいのか?と一瞬考えたが、本当に一瞬だった。やめるとか考えられないなぁとぼんやり思うほど、ドラムは、バンドはとても楽しい。みんなおすす��だよ。
そして、畠山くんと喉笛くんが加入した。畠山くんはボーカルの公募に応募してくれて、その他応募してくれた皆様と同様に、諦念くんとスタジオに入って面接(?)がてらセッションを行い、その動画を共有してもらったのだが、佇まいというか、フロントマンとしての素質をあらあらと感じたのを覚えている。おまけにトランペットも吹けるときた。楽器こそ違うが、james chanceの文字が頭によぎった。ほぼ満場一致で畠山くんをお迎えすることになったこの数週間後、彼には住む家がなくなってしまうのだが、それはまた別のお話…。
喉笛くんは、実は俺が島に行ってしまう前にも一度諦念くん喉笛くん俺の3人で歌モノをやるバンドをしましょう!ということでスタジオに入ったことがある。その計画自体は頓挫してしまったのだが。その時にもボーカルを公募して、候補者6名に対して1曲ずつ渡せるようにと、喉笛くんが諦念くんのリフをもとに1日で6曲作ってきたのが印象的だった。喉笛くんのベースは、弾くと殴ると削るのちょうど中間を、ぎゅっと束ねて一本にしたような、途切れることなく押し寄せる現象のような音がする。そして諦念くんと同じくらいピッキングが早い。実験くんの時にストロークで弾いていた楽曲の一部は、喉笛くんのダウンストロークでまた違うテイストになったと思っている。
6/23(金) @秋葉原CLUB GOODMAN
【Fantastic Attack Types. 3】
bossston cruizing mania、LOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTS、computer fight、THE WAMEKI、デーメーテール
新生computer fightの初ライブ。ボスクルのカシマさんとMYFUNERAL.INCのハヤセさんはcomputer fightをとてもよく評価してくれていてありがたい。このライブもメンバー交代前にお声がけ頂いたのだが、ライブまでの間にメンバーが変わってしまったものの、快く参加を受け入れてくれた。結成初期なので当然ではあるのだが、かなり演奏が粗かったのを覚えている。ただ、パフォーマンスという意味では今までのcomputer fightとは打って変わって、引き寄せるものからこちらから引き摺り込むようなテイストに変わった、転換を感じさせるライブだった。
7/23(日)@下北沢SHELTER
突然少年TOUR 秘宝2023
突然少年、computer fight、DJ: theodora katz
畠山くんの前身バンド(?)、pine shop時代からの縁で実現したライブ。未来.EPの発売ツアーの初日という、記念すべき場に呼んでもらった。決まった時は奮えたなぁ、俺は突然少年の火ヲ灯スという曲が大好きで、特に離島で暮らすことになって、船や飛行機で内地に戻り、これからライブだ!という時によく聴いていた。そんなバンドと対バンできるなんて、得難い幸福だ。
話は変わって、この夏は俺の住んでいる離島にはたくさんの友達や家族が来てくれた。しかし、なぜか悉く来訪の日程と俺のライブの日程が被ること被ること!突然少年のライブも、前日から親友の夫婦が島に遊びに来てくれていて、リハギリギリに会場に着く飛行機で内地に帰ったりした。これははっきりと原因があって、俺が友人や家族の皆皆様に「おいでよ!東京の離島!」と宣伝をかけたからである。来年は程々にしようと誓った。
8/27(日)@下北沢THREE
New LP "schedars" Release Party
schedars、SPOILMAN、computer fight
DJ:daizo、ueda、chun chun
こちらはschedarsのボーカル、sioさんからお誘いいただいた。schedarsとcomputer fightは音楽のルーツやフィーリングが重なる部分もあり、諦念くんからも「このライブは絶対出よう!」とグッと来られていた。先日のライブ同様、この日は大学の頃の親友たちを島に招いていたのだが、ライブに間に合わせるために彼らを島においての帰省となってしまい、流石に申し訳なかった。
schedars、対バンしてみて改めて思ったけどすごいバンドだ。自由度をもってインダストリアルに奏でるギターベースドラムと枠内で狂うサックス、そしてフロントマンとして責任を全うするsioさんのボーカル(この表現で失礼はないか心配である)は、操り人形のように、バレリーナのように、歪んだ引力を持っていた、と思う。
9/9(日)@法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎地下1階多目的室1
FREE FOR ALL
THE GUAYS、computer fight、5kai
法政大学の企画団体、YADORANGのお誘いで実現したライブ。久しぶりの大学(というか法政大学は入るのすら初めて)はやや緊張した。そして同時に、大学でのライブは歓迎され招かれた上でアウェーで演奏するものであるということを知った。
9/15 EP「gushagushavinyl」リリース
新体制での初音源リリースをした。録音は隙を見て行った。振り返ってみると、よく録音まで行けたよな〜と思う。6月にレコーディングした当時は「新体制を世に知らしめるために絶対必要!!」と意気込んでいた。ちなみにこのEPのうち2曲は実験くんが作曲し、ベースで参加している(NGUYHC、思わない)。このほかにも実験くんの作曲曲はいくつかあるが、どれかは秘密。
10/26(木)@下北沢CLUB QUE
“In Case vol.13”
MOZU、computer fight+山崎春美、SPOILMAN
痛郎さんからのお誘いで実現したライブ。諦念くんから「山崎春美さんのバックで演奏しないかと言われている」と聞いた時、びっくりしたなぁ。バンド加入時に諦念くんから手渡されたガセネタの荒野は彼のバイブルであり、付き合いは浅いながらも彼の信念の一端に触れられたと思った。そんなわけで活動初期は「まあまあ、ビールでも飲んでエンジョイしなよ」の件にあやかって共演者がバコバコ飲酒してるのを指を咥えて眺めてみたり、バンド結成の同期を聞かれた時に「なりゆきで…」などと答えたりしていた。
俺の頭の中の山崎春美は、過激で過剰、時には全てを時にはインタビュアーを問い詰めてしまうような人だった。スタジオでリハをした時に、扉を開けて山崎春美がスッと入ってきた時は、なんと言うか、抜き身の刃物を構えられたようなピリッとした気持ちになって、勝手に身構えてしまった。実際にお会いした春美さんは、想像より何倍も柔らかい物腰の方だった。…冷静に考えたら、俺の引用する山崎春美は30-40年も前の情報なわけで、今現在も全く同じなはずがない、先述の通り冷静に考えればわかることなのだが、それほどに当時の自分は浮かれていた。もちろん浮かれていたのは俺だけではない。リハーサルでも本番でも、諦念玲奈が今まで見たことのない笑顔でギターを弾いていて、こちらまで嬉しくなってしまった。
ライブでは、父ちゃんのポーがきこえる、社会復帰(リハビリテーション)の2曲を披露した。コピー自体はガセネタの4曲全て行っていたが、ライブの尺の関係もあり全部はやらなかった。いつか披露できたらいいなーと思う。楽屋や終演後の打ち上げでは、ガセネタの荒野やTACOの話、書物でのみ見聞きした場所の話を本人の口から聞けると言う貴重な体験をした。そしてこの日、現メンバーに交代してから初めて、ライブでガッチリ演奏がハマった。よくパズルのピースがハマったなどと形容されるそれは、まだ途上の我々の中で何かが完成される感覚があったことを意味する。その完成がこの日であったことは、決して偶然ではないと思う。
10/28(土)@吉祥寺NEPO
ハイパーパンチ自主企画「PRO ACTION REPLAY」
ハイパーパンチ、カタカナ、プールと銃口、Mimi cries
ハイパーパンチ2度目の自主企画。音楽のルーツを同じくする先輩バンドであるカタカナ、ダダンダンの盟友であるジンくんのプールと銃口、大学の先輩後輩で結成されたMimi criesをお呼びして行った。今後活動するにあたって、これまでサポートメンバーに入ってもらっていた農協(chatoe)とセキユウシくん(highty-tighty)から、新たにザッキーとけーさん(ex.the super charm)を招いての活動となった。
ザッキーは大学の後輩で、ベーシストでありメタラーである。俺はメタルに疎いが彼のベースと演奏に対するメンタリティが大好きで、大学の時は快速東京やガガガSPのコピーバンドをした。今年行われた大学軽音サークルでのOBライブでLAST ALLIANCEを披露していたのだが、そこで見せたパフォーマンスが良かったと言うのも、今回お誘いする動機となった。
けーさんは、先述した諦念喉笛やーさんポップスバンド計画に応募してくれた6人のうちの1人である。俺はその歌声に甚く感銘を受けて、何かバンドでお誘いできる場面があったら絶対呼ぼう!と決めていたので、すぐに声をかけた。けーさんがギター以外にどんな楽器をできるかなどは分かっていなかったのだが、歌が500000000点なのでそれ以外は練習すればいけるっしょ!という無責任なお誘いを、快く受けてくれてありがたい。
メンバー交代や新曲の披露と、練習期間も短い中ではあったが、個人的にはめちゃめちゃいいライブができたと思っているが、それは楽曲が素晴らしいと言うことに尽きる。あとは我々のパフォーマンスが良くなればなるほど、もっといいバンドになっちゃうよなぁ!?!?
11/11(土)@桜台POOL
"TOKYO SWIPE“
computer fight 、HAIZAI AUDIO 、HYPER GAL、PICNIC YOU 、Ruins alone、ZVIZMO 、高倉健、DJ :土屋光、SHOP:光るヒナ子
高倉健の企画に出演した。桜台POOLは工場の一部を打ち抜いたようなソリッドな作りで、客席とステージの境目の少ないフロアは、我々の演奏スタイルと合っていた。そして何よりお客さんの盛り上がりが凄まじくて、1バンド目の高倉健から最後の我々まで絶叫と振動、蕩揺が止まらなかった。ギターを弾きながら持ち上げられる諦念玲奈を観れるのはこれが最後だったかもしれない。他の出演者では、吉田達也さんの意味のわからないドラムと、HAIZAI AUDIOさんのパフォーマンスが素晴らしかった。特にHAIZAI AUDIOさんは、日本中のスクラップ置き場と持ち主不在のゲーム部屋を切り貼りして作ったパッチワークをブラウン管のテレビに繋いで、音声だけを無相応にデカいアンプと接続して出しているような、バリバリと響く音楽だった。
computer fight+山崎春美「社会復帰(リハビリテーション)、父ちゃんのポーが聞こえる」ライブ音源リリース
先日のライブを録音した音源を発売した。これはそれ以上でもそれ以下でもない。自分でも良く聞き直すが、1発撮りとは思えないすごいクオリティである、と自画自賛しておく。
12/10(日)@秋葉原CLUB GOODMAN
【Fantastic Attack Types. 6】
bossston cruizing mania、Anderson、H Mountains、左右、SPOILMAN、schedars、酩酊麻痺、computer fight、ギニョルズ、NA/DA
ボスクルのカシマさん、MYFUNERAL.INCのハヤセさんにお誘いいただいた企画。今回も島での業務都合と、ちょっと体調を崩していたこともあって田辺さんにサポートをお願いした。すごくいい対バンだったのでぜひ出たかったのだが…来年はこういう、いいライブをスカしてしまうことは避けるように、なんとか仕事を頑張っていきたいと。
12/24(日)@西荻窪FLAT
computer fight自主企画 終わりなき日常を生きろ
computer fight、TACO (山崎春美+森田潤)
一年の最後を飾る自主企画。1月のライブで(厳密にはもっと前からだが)痛郎さんと共演して山崎春美さんの話を聞き、その後メンバーの変遷を経て、新旧の縁から経験を重ね、10月には憧れの存在と共演することとなった我々が、最後にはTACOとの対バンが実現した。カルト3の疎過くんは「継続することの力を実感した」と呟いていた。ありがとう。
TACOのライブの直前に、春美さんから自分をガムテープや器具で拘束するようにお願いされ、畠山くんがその役割を担っていた。特にその理由は語られなかった(し、わざわざ聞くのは野暮すぎる)が、パレスチナ問題への提起であることは間違いない。恥ずかしながら、10月の共演以降に改めてパレスチナ問題について本を読んだり、解説動画を見るなどして、改めて勉強し直して、この世の地獄があることを知った。ステージで政治について、世界情勢について、語ることの意味や価値を俺はあまり重く考えてこなかったが、春美さんと共演してからその考えは少しずつ改まっている。というか、今のこの景色は何を意味するのか?何を表したいのか?を、この一年で、手探りではあるが自分から考え調べるようになったと思う。それはバンドメンバー、特に諦念くんのおかげであり、共演者の皆様のおかげでもある。
computer fightはこの日のライブで、今年演奏した16曲、新曲2曲の計18曲を披露した。尊敬する先駆者に対して、文字通り今出せる全てを出したつもりだ���45分近くに及ぶ演奏は体の全てを消耗し、past manの直前では腹筋が殴られたかのように痛んだし、終演後は腕は指先から肩の付け根まで全部筋肉痛になった。足の親指の付け根は擦り切れて、脛は夜中の船の中で攣ってしまいうまく寝付けなかった。本当に、いいライブをしたと思う。息をする間もなく、どこ見ればいいのかわからないほど脈打ち痙攣し全てがそこに存在するような素晴らしいライブだった。
俺にとって、演奏とは誠実さが全てで、誠実は後悔しない。準備してきたものを吐き出して、すっからかんになってまた一からやり直す。初めからずっと最後の1曲のように、終わり、終わり、終わりを繰り返す。粉砕機に太い伐採木を繰り返し押し込むように、分厚くつながりのある塊が、俺の演奏を経由して粉々に砕けていく感覚。この誠実を得るために、毎日はかくも苦しく、かくも卑怯で、かくも思い通りにいかなくても、耐え忍び疲弊して摩耗して圧潰されることを受け入れているのだ。それが俺はとても誇らしい。
そして、この日も業務都合でライブが終わった瞬間に船に飛び乗って島に帰るやーさんなのであった。打ち上げで春美さんの話をもっと聞きたかった。トホホ、あたしゃもうイキそうだよ。
以上が2023年の俺の全てだ。この一年、大切な家族を失ってすごく辛かったし、諦念くんとは少なからずギスギスとなった。島と東京を行き来する生活は心身ともにかなり消耗して、体調を崩したことも1度あった(1度で収まっているのがおかしいという説もある)。俺は苦しくなるたびに、andymoriの「愛してやまない音楽を」の一節を思い出す。
「本気になるなら 喧嘩もするし たまに嫌になることもあるだろう」
今年は1年間、バンドに本気だった。来年も引き続き島から本気でドラムを叩きにきます。computer fight、およびハイパーパンチを引き続きよろしくお願いします。
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薄まった胃液をたんまりと吐き出した午前9時46分。普段は絶対起こり得ない画角から見下ろされた白い便器の中に、一滴の赤い血雫が落ちる。思わず顔に手を当てると、その血の出どころは鼻だと分かった。トイレットペーパーに手を伸ばし、くるくると巻き取ったそれで上品なしぐさで口元を拭き取り、今度は荒々しく引きちぎったそれを鼻の孔に押し込んだ。鼻の粘膜が弱いのか、物心ついた時から頻繁に鼻血を出している。よく就寝中に出血し、寝具を血まみれにしたものだ。
痛む頭と胃袋をよっこらしょと持ち上げて外にでる。今日も嵐のような風が吹き荒れている。嵐のオノマトペといえば「びゅうびゅう」「ごうごう」あたりが鉄板だが、この島に吹く暴風は、大型トラックが突っ込んでくるときと全く同じ音がする。「ド」と「ボ」と「ゴ」が混じったような強風は、ブルドーザーのように地表にあるものを全てさらっていきそうな勢いだ。気分転換に外に出た俺は過疎地域特有の新鮮な空気を吸い、アルコールを含んだ呼気へと変換し吐き出す。空は明るいブルーにぽつぽつと雲が浮かんでいて、目線を水平線に向けると広大な海が広がっている。今はこの近海にクジラが来ているらしく、毎日のように観測報告があがっている。今のこの俺の眼前、ほんの数km先を泳いでいたりするのだろうか?
船で東京と離島を往復する生活も板についてきて、ある種の心地よさすら覚えることがある。何かの延長にあることや、隣り合わせであることをしばしば「地続き」と言うが、俺の生活は、文化的活動も文字通り海を隔てて分たれており、全く違う世界を並行して生きているような感覚になる。バンドでとんでもなくいいライブをしても、翌日には農家さんの畑を飛び回って農業について議論を交わしているし、島の団体活動に所属しているバリキャリさんからグイグイ詰め寄られても、その日の午後にはバシバシドラムを叩いてガブガブお酒を飲んでいる。その距離感は、何事でも「切り替え」が苦手な俺にとっては、無理やり切り替わるきっかけを作ってくれているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、いつのまにか鼻血は止まっていて、青空はやや曇天を帯びてきた。海洋性気候は天気が変わりやすく、今日はもうすぐで雨の予報だ。酸っぱくなった口の中を洗い流すべく、俺は冷蔵庫のある屋内へと向かうのであった。
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高円寺から乗った電車の車内でポツリと考える。今の世の中では馬鹿正直に話して隠し通せるほど、気丈な脳みそを持った人間は一握りしかいない。かといって、全てを偽れるほど私は強くはない。
だから、本当のことに一粒の嘘を混ぜることにした。昨日はSNSの呟きに混ぜ込み、今日は立ち寄った床屋での世間話に一滴垂らす。
気づけば私の足元は散らばったビーズのようである。昔からの慣わしに準ずるなら、私は地獄に落ちるのだろうか?願わくば、大好きな人やものと一緒に落ちていきたい。
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沈黙は金、という言葉がある。口は災いの元、という言葉がある。言わぬが花、という言葉がある。今、ささっと検索エンジンに入力しただけでこれだけの類語が出てくるほど、口というものは余計なことをする天才だと、昔から決まっているのだろう。もっと言えば、口に留まらず、言葉というものはそれ自体が本人の手から離れた瞬間に、どんな形にも化けることができる。だから、この世界には無数の言葉があり、言語の壁で少しでも言葉の暴走を抑えようとしたのかもしれない。最も、今や人類の叡智により、言語の壁などものの数秒で崩れてしまうが。
10代後半から、外国語というものが苦手だった俺は、何度も「どうして言語はこんなにも多様化してしまったのだろうか」と嘆いていた。全てが日本語、いや、せめて全て英語ならば、こんなくだらない暗記に頭を抱えることもなかっただろうにと、度々空想していた。あれから10年弱が過ぎた今も、外国語は「創作でかっこいい名前をつける時に便利そう」という立ち位置に止まっている。ただ、今は言葉の壁がなかった時のことを考えると、ありとあらゆることを発端に諍いの種がばら撒かれ、人が住むあらゆるところに争いの花が咲くのではなかろうか。と思う。今はただ、相手が何を言ってるか分からない中でも、向こうが何を伝えたいのかを頭を絞って考えて、考えた先に出た答えが、少しでも相手の意に添えていた時にわずかに溢れる愛想笑い程度が、平和に必要なんだと考えている。
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M-1を見ていて、本当に驚いた。もも、という漫才師がいた。初出演、結成5年目、事前にちょろっと確認した動画では、ネタのスタイルは昔好きだった笑い飯という芸人に似ている…っぽいかな?というふわっとした感想だった。偏見で殴り合うようなネタは個人的には好きだったけど、とても賞レースで勝ち進めるとは思わなかった。
普段はお笑いのおの字も呟かないが、そんな自分でも昨年からずっと応援している芸人がいる、オズワルドと真空ジェシカだ。なんというか、言葉の面白さで笑わせる、そういうネタが好きなんだろうな俺は。面白い。特に真空ジェシカ。ネタでも平場でも、常に言葉遊びのような、ふざけているような、それを真剣な顔してやっているところが好きだ。昨年見た「サワムラー」というネタをYouTubeで見て、マンション全体が揺れるほど笑ってしまった。あれだけ揺れてもびくともしなかったのだから、うちのマンションも立派なものである。
M-1は勿論、その2組が大本命だった。加えてそこに敗者復活戦から、ハライチが上がってきた時には込み上げるものがあった。ハライチのターン!は毎週ほとんど欠かさず聞いている数少ないラジオであり、ラジオの中でも度々M-1をネタにしていた2人が本戦に出てくるなんて正直思っていなかったもんだから、驚き半分喜び半分だった。本当は金属バットが行くと思っていたのだが、まあまあまあ、いいじゃないか、ビールでも飲んでエンジョイしなよ。そんなわけで、その3組が健闘してほしいな、なんて考えていたわけだ。
残念ながら,早々に2組は消えた。特に真空ジェシカは絶対勝ち残れるネタとウケだと思ったが、その後に続く実力者たちにかき消された。ハライチはメディアでついた自分達の印象をフルに活かしたネタで最高にカッコよかったが、めちゃめちゃ笑えたかというと微妙なところである。なによりもその後に続く錦鯉やロングコートダディ、インディアンスの勢いがすごくて、あーこれは仕方ないな、なんて考えていた。ハライチはラストイヤーだったけど、真空ジェシカは来年もあるしむしろ来年が本番とも言える、何よりオズワルドが地が割れんばかりにウケていた。あとは決勝が楽しみだなぁというところで、最後の最後に選ばれたのがももだった。正直本当に可哀想だなと思ってしまった。安定したネタだったが、これまでに安定したネタもバカみたいなネタもその振れ幅は出し切っていたし、まあ何よりこれまでのウケからはもう決勝の3組は決まりだろうしさ…そう思いながらTwitterでぼやぼやと目の毒を垂れ流しているうちに、もものネタは始まっていた。
彼らは、以前見たネタとほとんど同じことをやり始めた。ように見えた。お互いが容姿にそぐわないことを発言し、お互いがそれに偏見たっぷりで突っ込む。 一切ブレてなかった、いやおかしいだろ?自分らの前にあんだけ色んなネタされて、いつも通りの自分らのネタをフツーにやっている。しかもそれがウケている。どんどんウケていく。とにかくなんというか、いや当たり前のことなのだけど,自信満々なのだ。
思えばバックボーンとかストーリー性とか、今年のM-1は随分と冗長だったように思える、地下で培った経験とか、去年のリベンジとか、最年長とか…毎年そうなのかもしれないが、今年は特に、なんというか、めんどくさかった。本当に面白い奴らが上がってくる!というところから、いつの間にかこれまでの業績を評価することにすり替わっているような、なんというか、そういうのが嫌だからただ1回の漫才で人生変えてやろうってのがM-1なのでは?となんとなく思っていた。今年は正当に評価された芸人が残ったと口では言いつつも、そういうしがらみがすごくよく見える賞レースだったと思う。そして今回の賞レースをそうしたのは、芸人ではなく、紛れもない我々オーディエンスなのだろう。
ももの漫才は、何もなかった。背景も経歴もリベンジも何もかもなくて、ただ自分らが面白いと思っているネタでみんなを笑わせようという、初めからそうだったものがそのまま出ているようだった。若さというか、リビドーに溢れていた。リビドーというとフロイトが定義した「性的衝動」のイメージを持つ方は多いが、俺はユングの定義した「すべての本能のエネルギー」のほうの意味で使っている。今彼らが持っているその全てのエネルギーが、ただ漫才という形式を持って、会場に波及していた。俺もゲラゲラ笑って、そしてブルブル感動していた。演奏が進むにつれてどんどん走って最後にはぐちゃぐちゃになっていくパンクロックのような危うさだった。
終了後、点数が出る前までの件は練習していたのだろう。第4位という高得点が出た後の2人のコメントはまあーーーー見てられなかった、街頭インタビューみたいだった。でもそれがすごく良かった。みんなに(ほら、コメント言われてからまた2人でネタみたいなやり取りしなよ)という雰囲気がかなり濃かったと思うんだが、その後一切お互いを偏見で語ることはなく、「来年は優勝しにきます,それだけです。」とコメントして全員をドン引きさせていた。でもこれが、全く嘘のない、彼らの言葉だったのだと思う。面白いことはもうやりきったという、エンジンの切れた状態。爪痕を残すを傷痕を残すといい間違え、それをウザい大学生のようにイジる2人の間柄が妙に年相応にリアルで、感動してしまった。いいものが見れた、ありがとうもも。そして真空ジェシカのガクさん、次はもっと上手に痩せれるように頑張ってください。
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フジロックのすヽめ
年に一回、フジロック という場所ではライブ?なるものが開かれており、様々なアーティストが同じ場所でコンサートを開いているらしい。いっぱい音がぶつかって聞こえにくそうだが、これを楽しみに1年間生きてる人間もいるらしいので、多分あれだろう、日本におけるリオのカーニバル的なポジションなんだろう。その証拠にSNSには30-40代のヤングアダルトたちが大学生の宅飲みくらい騒いでる写真や動画が上がっており、ダサい大人の青春を満喫している様子にとてもワクワクする。先輩、この前会社の新人に学生気分で仕事するなって怒鳴ってましたよね?
まあ、かくいう俺も社会人になってからフジロックに行き始めたクチなのであまり人のことは悪く言えない。それも2回とも彼女に誘われて行くという主体性の無い参戦であった(うち一回はフェス参加を前にして別れている)。生来、ライブ会場で友達を作る人間は総じて音楽を軽んじているカスだと思っているので、現地で友達が出来たことはない。なので俺はフジロックに行ったら、精魂尽き果てるまで、観れる限界までステージを巡り、最後はテントで死んだように眠りにつく、これを3日間繰り返すのだ。修行である。先程、2回ともその時の彼女と参加したと話したが、1回目は参加前に別れ、2回目は参加した翌日に別れている。理由は、休憩も食事も取らずに飲み物片手にステージを回り続ける姿を見るうちに、価値観の相違に気づいてしまったからだと言っていた。うっせぇ♪うっせぇ♪うっせぇわ♪
2年しか行ってないが、フジロックのいいところを一つ挙げるとしたら、普段絶対イヤホンから聴かない音楽を一日中生音で聴けることだろう。特に2018のN.E.R.DとAnderson paak、2019のSIA、HYUKOHなどはここで出会わなければ一生聴くことはなかったはずの音楽であり、無理矢理海馬に栞を挟まれたように、昔から凄く好きで楽しみにしていたと錯覚してしまうほど、素晴らしいライブだったのを覚えている。他にも知らないアーティストを見れば見るだけ新しい衝撃があるのはとても楽しい。極限状態で見ていることも相まって、後半は大脳を洗剤で洗われいるかのようだった。そのまま奥歯ガタガタ言わせながらテントに戻り、ろくにライブも見ずに騒ぐだけの30-40代のカスどもに囲まれて寝るのである。字面だけ見ると極刑に近いが、やってる身としては最中は本当に楽しい。多分ブラック企業に勤めている人もこんな感じで働いているんだろうな。
昨年は開催中止、今年も国内アーティストのみをあつめて比較的こじんまり開催という憂き目を見ているフジロックであるが、感染状況は最悪だが、現在のワクチンの状況などを鑑みるに来年はもう少し大々的にやれるんじゃないかと思っている。皆様、参加することがあれば酒飲んでゲラゲラ笑って好きなアーティストだけチラッと見てsexして寝ると言う楽しみ方ではなく、今回僕が話したやり方で国内外の素晴らしいアーティストを楽しんでみてはどうだろうか。
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兎角、楽観的に生きている。生活は可でも不可でもないし仕事も人並みに頑張っている、友達も多くも少なくもなくお金だって飢えて死にかけることもない程度はある。なので俺は今の生活を延長しながら、副業のバンド活動に勤しんだり、好きなバンドのライブに感動したり、土日に銭湯に行ったり、カレーをコトコト煮込んだりして生きていきたい。しかしそう言う生き方は許されていない気がする。誰にとか何にとかではなくこの日本という国で、だ。気を抜くと仕事への一途な情熱を求められたり、お金のやりくりを強要されたり、自分の嗜好を良い悪いでカテゴライズされたりと、常に何かに気を揉んでいることを強いられる。そして誰も彼も常に何かの悪口を言って自分の正当性を担保しようとしている。俺は興味がない。昔はあったが紆余曲折あって今はない。人を無闇矢鱈に慮るその時間やストレスは出来れば別のところに使いたいし、使うなら大切だと思う人たちに使いたい。年収や容姿や酒の強さ、人格や結婚願望や仕事への姿勢を競い合い蹴落としあうために俺は生まれてきたのではない。
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7月16日
梅雨雲が過ぎ去り、間も無く蒸せ返る暑さが街路を包んだ。行き交う人々は地獄へ向かう亡者のような顔をしているが、この世のあらゆる仕事は地獄みたいなもんなのであながち間違いではない。かく言う俺も土色の顔をして街を急いでいる。入道雲だとか、突然の夕立だとか、そんな夏の季語が好きなのだが、近年はそういう美しい日本語は全部「ゲリラ豪雨」という造語にすり替わってしまった。思い出は全部粗雑な言葉に置き換えられて二度と戻ってこない。
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7月12日。
うまくいかない時ほど何か形のないものに縋りたくなる、飲むだけで痩せる錠剤とか、1日5分だけで成果が出るトレーニングとか、読むだけで人生が変わる啓発本とか。そんな雑多に気を取られて、ハッと気づいた時には本当に掴まなきゃいけないものを取り逃がして生きている。朝の快晴が嘘のような土砂降りに塗られながら最寄りの薬局で洗剤を買う、珍しくイヤホンをしないで生活をしていたらこの街の人間は矢鱈と声をかけて来る。マッサージあるよとか、おっ◯いあるよとか、うちで雨宿りどうすか?とか。みんな生きるのに必死なはずなのに、まるで友達に話しかけるように気さくな態度で迫る彼らがとても恐ろしい。俺は苦笑いでイヤホンを耳にねじ込み急いで音量を上げて、早足でその傍を通り過ぎて家路を急ぐ。そうこうしている間に雨足は強まり傘を射さずに歩く人間は自分以外に見当たらなくなった。雨粒に打たれながら、こんなはずじゃなかった、こんなつもりじゃなかったと、ぽつりぽつりと嫌なことを思い出していた。「笑いたいのに涙が出て来るような毎日がまた僕らを殺しに来る」イヤホンから大好きなバンドが、全部をかき消すほど大きな音で歌っている。
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自分を傷つけない範囲であれば好きに生きてもらって構わない。例えば俺の知らないところで、道端で喧嘩しようが、見ず知らずの異性とまぐわいあおうが、仲のいい友人の悪口を言おうが、その全てはねじれの位置であり一生俺と交わることはなく、そして自分から交わることも叶わない。そんなねじれの糸を求めて、何もかもを救いたがった時期もあった。新社会人の始めなんかは意識高い系などと揶揄される口だけ達者なバカの先人達に甚く騙された結果、後輩が真剣に悩んでいる相談に対して「それはIoTを導入してだね…」などという浅はかなアドバイスをしたものだし、彼氏の愚痴を話す女性に「そんな男と遊ぶくらいなら俺と付き合わね?」と提案し、一生連絡が取れない関係になったこともあった。ここまでは面白い例を挙げてみたつもりだが、この他にもいくつものことに顔を突っ込んで要らん助言を喚き散らしたと記憶している。情けは人の為ならず、などとはよく言ったもので、それを履き違えた俺は与えた助言に沿わぬ行動を続ける彼らに対してひどく憤慨したものだ。時には陰口を言い、時にはそれとなくSNSで匂わせ、時には本人の前で言い放ったこともあった。今思い返せばその全ては自分の助言に対する見返りを求めていたのだと思う。
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「何も死ぬほどのことかね。」
窓から差し込む陽の光のみで照らされた六畳間にて男が2人、問答を交わす。窓辺に飾られた観葉植物が影を落とし、時刻は午後4時半を回っている。未分不相応にクーラーがよく効いた部屋で、男は座椅子に腰掛け机に肘をつき、身の丈より随分見栄を張った大きさのテレビに映った映画のワンシーンに視線を向けて、見るでもなく見ないでもなく、ただぼーっと眺めていた。一時停止ボタンが押されてから数十分が経ち、心なしか不動のはずである登場人物の表情も(流石に止め過ぎでは?)とたじろいでいるように見える。
「一昨日まで元気だったじゃないか。」と、男は続ける。「明けない夜はないし、止まない雨はない、普段は嫌いな言葉だけど今は身に染みるよ。こころの夜は、終わらせるのもまた自分だと思わないか?」
「いつ明けるかなんて誰もわからんよ。」もう1人の彼が呟く。「一寸先が光であれ、ただ目の前の現実が暗闇なら、当人にとって今はそれが全てで、この先もそれが全てだろ。」と、男はどこか呆れたような気配を漂わせて、ため息をつく。すっと立ち上がった彼は玄関に続くドアを開けると、すぐ左側に鎮座する冷蔵庫を開き、中からビールのような飲料を手に取った。パッケージからはローズヒップ配合、という言葉が見て取れる。それを勢いよく開けて缶をもたげると、ガボガボと飲み始めた。「止まない雨に打たれている最中には、明日の晴れなど考えられないってことさ、人間そう簡単に切り替えられない、簡単に切り替えられない人間もいるって方が正しいか?お前だってそうだろう?」一息に飲料を飲み切った彼は左手の甲で口を拭い、そう問いかけた。
男は座椅子に座り、言う。「でも俺は死んだことはない!」やや荒くなった語気に呼応して口腔内から飛沫が飛ぶ。「そりゃ俺だって心が折れるし、卑屈になるし、世界の全てから逃げ出したいことだって沢山ある!」いや沢山はあるなよ、と彼は呟いたが、男は構わず続ける。「それでも朝と夜を何周も巡るうちに、何かパッと、パッと光るも、光るものがあったりしないか?その繰り返しじゃないのか?」喋りながら男は暗い夜道に灯る街灯を妄想した。真上にあった光はいつの間にか後頭部を照らし、眼前には宵闇が迫る。それでも仄かに照らす光が足元を、首筋を、まぶたを照らすから、仕方なく前に進むのだ。
「じゃあ、あいつには光らなかったんだろうな。」と、いつの間にか毛布にくるまっていた彼は男に投げかけた。ゆっくり消えていく寿命の尽きた電球のような響きがあった。「お前の持論に沿って言えば、うんともすんとも光らないから死んだんだ、そりゃあ死にたくもなるかもな。」そう言って彼はスマートホンを手にとり、SNSに耽り始めた。画面を愛撫する親指は、偶然か否か、著名なアーティストの訃報を知らせる投稿で動きを止める。
「それでも……」継ぎの言葉を探すべく、男の言葉が詰まる。何となく分かり始めていたし、もしかしたら初めから分かっていたのかもしれない。
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先程飲んだ500ccのブラックコーヒーにぶん殴られ、頭はぐわぐわと揺れる。瞼を閉じれど眠れないが、なんとなく睡魔に寄り添われている様な不思議な感覚に襲われる。中央線はガタゴトと人を一緒くたにして西へ進む。時刻は午後6時を回ったが、車窓から見える外はまだ明るく、ただ地平線の奥に不穏なまでに巨大な灰色の雲がじっと佇んでいる。街ごと飲み込んでしまいそうなそれは、目と形容できるものがないにも関わらずこちらを睨め付けているようだ。俺は思わず視線を逸らし、家で俺の帰りを待つ洗濯物たちのことを憂慮していた。いつのまにか街には新緑が萌息吹き、花々が咲き乱れている。季節は時に人を置き去りに進み、臥せた顔をもたげることを待ってはくれない。道端に落ちた花弁にはっと気づき、顔を上げた時には、すでに花は亡霊となり、初夏の風が格子状に組まれた街路を吹き抜けていた。俺は季節の隙間にいる。他の人よりほんの少しだけ植物に詳しくなった俺は、人々が「花」と呼ぶ様々な植物たちに目配せしながらアスファルトで塗装された道を歩いていた。日はやうやう落ちていき、デカいマンションにぽつぽつと灯りが灯る。その一つ一つに宿る人々の生活があるのだろう。想像するのは頭に負担がかかるのでやらない。
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本文は読まなくていいから最後のMVだけ絶対見てくれ
心底苦手で、ともすればぶん殴ってしまいたいほど憎い人間がいたとする。発言が動作が、その視線が全て自分の振る舞いに蛇のように蔓のように絡みつく、跳ねのけたくて「俺はこうだ」とともし火を掲げれど、なんとその微かで消え入りそうなことか!明るく面白いことが好きで楽しそうな人間でありたいと志を掲げるその実、明かりは常に吹き狂う嫉妬、欺瞞、誇張という名の雨風に曝されている。自分だけが特別な存在でないように、この醜い自分自身との闘争や葛藤もまた、幾千の凡百たる人生のうちの一つである。
その人といるとその風雨が嵐のごとく襲い掛かってくる気がして、なんとも意地の悪い人間だと意地悪く罵った。誰かが簡単にできるといったことを出来ないことが嫌だった。その人といるとそんなことが毎日起きた。だから俺は全部見切りをつけて「向いていない」ということにした。心の中ではうまくできるようになる自分を諦められなかったけど、ことあるごとに「自分は不向きだ」と言い聞かせた。それを強制し、出来ないことを小馬鹿にしてくるその人が憎かった。事あるごとに彼を貶し、バカにし、悪口を吐いた。酩酊するとその癖は悪化しているように思えた。
そんな酒をあおる席の最中、俺に堪り兼ねた同僚が口にしたのは、その人が会社の同じチームの面々に頭を下げて「彼はまだ一人前じゃないが頑張っている、どうかサポートしてあげてほしい」とお願いして回っていたという話だった。それがなかったらきっと俺は今のように仕事はできていないだろうと。馬が合わないのはわかるが、そんなに悪く言わないであげてほしい、と。四人掛けの机に、エコーがかかったように反響した。
体の中の血が線を引き抜かれたように抜けていくのを感じた。へらへら笑ってから早々に会計を済ませ、ふらりと家路を急ぐ。あ、俺って本当に人間として終わっているな、死んだほうがいいなといつものように死にもしないのに強い言葉を使って自分を責めたふりをした。漫画みたいに電信柱を殴ってみよう、そうすれば何か救われるかなと試しに殴ってみたが、この期に及んで力加減、ただ日常で与えられる程度の痛みだけが掌に残った。流れ出した人間性と道徳は、もう戻らないことを知った。
本当は俺だってわかっていたさ、そう思いたかったけれど、実は何にもわかっていなかった。わからないまま、その人の優しさだけわかってしまった。今までの振る舞いも言葉も彼なりの思い遣りだったと、信じたくなかった。でも、そいつのエゴだの偽善だのと自分を守ったところで、わかってしまった自分にはその人のことを責める気にはなれなかった。ただ意地の悪い自分だけが残っただけだった。ともし火を陰らせていた嫉妬や欺瞞、誇張その他すべては自分の身から起こしたものだったのだ。できない自分を彼の所為にしようとしていたのだ。真偽はともかく俺にはそうとしか思えなかった。ともし火はもう、火種のように小さくなってしまったように感じた。掲げていた手はすっと体に沿わせて、ともし火をしまい、もう挙げることもないだろうと唇を強くかんだ。やはり血は出ない、自分が情けなくなって、布団にくるまった。
次の日、たまたま好きなアーティストの新曲MVがアップロードされる報を知った。アルバム発売を控えた楽曲公開に胸が躍る。何となく職場にいにくくなっていた俺は、昼休みになったのを見計らって、昔職場の大掃除しているときに見つけた、誰も使っていないぼろぼろの休憩所に向かった。ベンチに腰掛けると、速度制限も気にせずにようつべを立ち上げて再生ボタンを押した。
百人の百人が嘘だと笑うだろうが、きっとこれは俺のための歌なんだろうと思った。今までの人生がきっとこの歌に出会うための伏線だったとしか思えなくて、ぽろぽろと涙をこぼした。ここまでブログを見てくれてありがとう。今話したエピソードはすべて忘れてくれていいし、また俺のことはどうしようもない奴だと笑ってもいい。タイトルの通り、頼むからこの曲を最後まで聴いてほしい。素晴らしい歌なんだ。
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風に吹かれて
むせ返る夏の熱気が風に吹かれて、東京の西梢にある煩雑とした繁華街を少し抜けたアパートの前を通り抜けた。灼熱と呼ぶにふさわしいそれに撫でられると、うっすら皮膚を削がれているかのような感覚に陥る。買い物から帰宅する俺の手には、すれ違う人々に「こいつこんなに買う予定じゃなかったんだろうな」と思わせるに容易いほど、パンパンに詰まったレジ袋。その中で熱風に吹かれてじわじわ溶けていっているであろうアイスに思いを馳せながら、俺は足早に人波をすり抜ける。耳に刺したイヤホンからは何も流れていない、ただ収まりがいいという理由だけでそこに留まっていた。夏が来ると何かに突き動かされる。気がする。そわそわと忙しなく動くこころ、それは内からはじける衝動ではなく、全てが終わった時に何も持っていない可能性への恐怖で震えているともっぱらの噂だ。祭りの後を気に揉みながら過ごす最中だからこそ、人々は無意識にカメラともビデオともとれるその板っ切れに手を伸ばし、褪せない思い出をタトゥーのようにいくつものSNSに刻んでいくのではないだろうか。
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