Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
Chapter.1 女神伝説をなぞった一連の事件が終わり、タイガー&バーナビーは再びコンビ復活を遂げた。 死傷者が出なかったことが奇跡としか言いようのない、大きな事件を解決した流れからの復活に、ふたりは市民とマスコミが作り上げた熱狂の渦にどっぷりと巻きこまれた。 いや、正確には、ふたりとひとりだ。 「それでは、ここでライアンにもお話をお伺いしましょう」 「世界は俺の足下にひれ伏す! ってな。ゴールデンライアンだ」 抑揚をつけた軽い口調に、会場の女性たちから黄色い歓声が飛ぶ。トーク番組のスタジオ収録現場だった。ライアンが片頬を上げてウインクを飛ばすと、歓声はますます大きくなる。 それに半比例するように虎徹の気配が沈むのを感じて、バーナビーはため息をつきたいのをこらえた。マスコミもショーアップも苦手な彼には、ライアンがやすやすと火をつけてしまう会場のテンションに、己を合わせることなどできない。 番組はやや報道よりの構成で、スーツから美しい足を覗かせた女性キャスターが、砕けすぎず、重くなりすぎずに進行していた。 「ライアンと言えば、タイガー&バーナビーコンビ復活の立役者としての姿も印象的でしたね」 「まあね。我ながら綺麗に決まったと、こうやって映像を見返すたびに感心してるよ」 ライアンの言葉通り、つい先ほどまで会場には、先日の事件のダイジェスト映像が流れていた。観客は涙ぐんだり歓声を上げたり、気の向くままに映像を楽しんでいたが、これこそヒーローTVがエンターテインメント番組であることの辛い一面だと、バーナビーは思う。 命を懸けた真摯なやりとりのすべてが、娯楽として後から繰り返し放送されるのは、なんとも言えない居たたまれなさがあった。 とはいえ、以前のバーナビーなら、そんな風に思うこともなく淡々と受け流していただろう。外見から周囲に抱かれる印象とは裏腹に、そういった繊細さとは無縁に生きてきた。だが、いつの間にか虎徹に感化されていたらしい。 そう、こういったことに思わぬ繊細さを見せるのは、実は虎徹なのだ。彼は、自分のヒーローとしての生き様が市民に消費されることに、ヒーロー歴をこれほど重ねてきてもなお慣れないのだった。 しかもこの映像には、彼がなかなか踏ん切りをつけられずにいた様子も余すところなく納められている。年齢層がやや上の男性ファンなどは、そんなワイルドタイガーの姿に己を重ね感動したようだが、本人にとってはどこまでいっても気恥ずかしいだけなのだろう。映像が流れている間はずっと、肩をかるく竦め中折れハットのツバをいじくっていた。 バーナビーは、虎徹のテンションの低さが悪目立ちしないよう、足を組み直しながら自分の笑みの深さを微調整した。 「しかし一方では、ライアン&バーナビーの連携への高い評価もありましたよね。それを手放すことへの思いはなかったんですか?」 「そうだな……」 ライアンへの質問に、虎徹の肩先が一瞬揺れた。帽子のツバの陰とアイパッチで表情が読みづらくなっているが、笑んでいるのは恐らく口元だけだろう。 「ライアン&バーナビーもいいコンビだったと思うぜ。なぁ?」 ライアンの問いかけに、会場からは一斉に黄色い同意の声が返る。 「重力と、重力に負けないパワーの組み合わせってヤツ、結構面白かったな。でもやっぱり——」 すらすらとつづくライアンの返答がいっそ恨めしい。その話術の百分の一でも虎徹に備わっていたら、もう少しこの場をうまくやりすごせただろうに。 「——だろ、ワイルドタイガー」 「えっ、あっ、俺?」 いきなり話を振られた虎徹が、きょときょとと瞳を揺らしてライアンを見た。話を聞いていませんでしたと顔にでかでか書いてあるも同然の反応だ。 「やっぱあんたらコンビが最高って、こ・と」 虎徹の不注意には目をつぶって話をまとめ、コンビを指差してにやっと笑う男に、会場から明るい歓声が上がった。今度は男性の野太い声も大分混じっているようだ。バーナビーは再びため息を噛み殺した。 どこまで本気なのかわからない、と言ってはライアンに失礼なのだろう。だが発言を鵜呑みにするには、この男の自尊心と実力はともに高すぎた。穿った見方をすれば、バーナビーではライアンには相応しくないとも取れるのだ。もちろん、自分の実力を考えれば、そんなことはあり得ないが……。 まだ公にはしていないものの、彼が決めてきた次の現場との契約金の高さが、ライアン&バーナビー解消の本当の理由だと、バーナビーも虎徹も理解していた。 「最高だなんて……よせやい、照れくさいから」 言葉の通り、照れの混じった素直な虎徹の声に、会場の熱くなりすぎていた空気がふと和らいだ。虎徹は膝の上で組んだ指先を見つめながら、ぽつぽつと語る。 「そんな持ち上げてもらうには、なかなか追いつくもんがねえよ。でも、俺がこうして再び一部に戻れたのは、市民みんなの気持ちがあったからだと思ってる。だから、出来るだけのことを返していかなきゃな」 「では、まずは器物破損を抑えるところからですね」 「そうそう、器物破損な……ってオイ、混ぜっ返すんじゃねえよ!」 バーナビーの澄ました指摘に、会場が沸いた。先日の戦いで改めてはっきりしたが、能力が一分に減退した今であっても、虎徹は細かな事件より、強大な敵をただ叩き潰すような目標の方が明らかに向いている。 力を一切セーブすることなく、全力で戦ってこそ彼の真価は花開くのだ。そこをなんとか事件の規模に合わせコントロールしようとするたび、ちょっとしたきっかけでなにかが破壊された。 遊びのような言い合いをつづけていると、司会者がソフトに割って入った。 「まあまあ、おふたりとも息ぴったりのやりとりはその辺で。ワイルドタイガーについた『正義の壊し屋』の二つ名は、伊達ではないと言ったところでしょうか。バーナビーは、今後についてはいかがですか?」 「僕ですか? そうですね……」 バーナビーは姿勢を正してライアンを一瞥し、カメラにまっすぐ向き合った。 「復活したからには、前より活躍してみせます」 ライアンがピュウ、と口笛を吹いた。観覧席からも、興奮含みのどよめきが上がる。バーナビーは虎徹に、にっこりと笑いかけた。 「ライアン&バーナビーの方が良かったなんて言わせません。ね、虎徹さん」 最後の言葉を受けて、虎徹の目がぎょっと見開かれた。 「だからワイルドタイガー! せっかく司会のお姉さんはちゃんと呼んでくれてんのに、なんでお前がそっちで呼ぶんだよ!」 「だったら俺も虎徹って呼ぼっかなぁ」 「ライアンまで乗ってくるんじゃねえ!」 場の空気が一気に砕けた。皆の笑いが収まるのを待って、キャスターがまとめに入る。 「三人とも本当に仲がよろしいんですね。そうそう、ライアンがシュテルンビルトを離れるまでの間、トリオで出動する姿が一度くらいは観られるかもしれません。もちろん、事件がないにこしたことはありませんが、心強いですよね。それでは、そろそろお時間です。本日はアポロンメディアから三人のヒーローにお越しいただきました。ありがとうございました」 番組を観覧できた客は大喜びだった。つられたように虎徹も明るい笑みを浮かべ手を振っている。バーナビーは本日三度目のため息を奥歯でかみ殺して、華やかな笑みに変えた。 誰も、虎徹がバーナビーの問いかけに対し、微妙に回答を避けたことには気づいていないようだった。 「俺、ちっと行くとこがあるから先に」 「……わかりました。では後ほど会場で」 ひょこひょこした足取りで去っていく虎徹を我知らず見つめ、バーナビーは今度こそ隠すことなくため息をついた。 今、シュテルンビルトがちょっとしたお祭り騒ぎなのは前述の通りで、ひっきりなしに自分たちには取材やパーティが舞いこんできていた。そのどの場においても、虎徹が口にするのは市民への感謝ばかりだ。今後のヒーロー活動への意気込みについては、微妙に言葉を濁し明言を避けている。 その姿には、ジェイク戦の後のような「熱狂されるに相応しいヒーロー」という自負がまったく感じられなかった。あのときは、どれほど謙遜して振る舞っても、雨をたっぷり含んだ土から水が滲みだすように、彼の全身を抑えきれぬ誇りが包んでいたというのに。 今の虎徹の姿は、バーナビーの目には、周囲から求められるものに苦しんでいるようにすら見える。だが、彼への自分の想いはもう告げていた。 他の誰でもない、貴方とだからバディを組みたい。 ヒーローをやるなら、貴方の隣がいい。 はっきりと言葉にした訳ではないが、長い付き合いで互いに通じていることはわかっている。後は虎徹が覚悟を決め、奮い立つだけなのだ。だが、すぐに気持ちを切り替えられないぐらいに、彼は苦しんできていた。 女神伝説の事件が始まるのと前後して、バーナビーだけが一部に戻され、��徹は要らない二部ヒーローとして解約された。バーナビーを始めヒーローたちは、それこそが虎徹の苦悩の源だと考えていたが、実態はそうではなかった。恐らくはバーナビーとコンビを組んで二部ヒーローをしていたとき、すでに彼は悩んでいたのだと思う。 減退し一分まで縮んだ能力の発動時間。年齢を考えても、彼がヒーローとしてピークをとっくに過ぎていることは、誰の目にも明らかだ。一方のバーナビーは、同じ能力でありながらも、まだヒーローとして成長の余地すら残している。 この事件で明るみに出た虎徹のヒーローへの苦悩は、あの偽りの一部復活パーティの日にバーナビーが感じたものより、ずっと根が深かった。 だが、虎徹は徹頭徹尾ヒーローだ。ヒーローとしての生き方しか知らないと言っても、過言ではない。きっと一部で出動を重ねていくうちに、自ずと取り戻していくだろう。 ヒーローワイルドタイガーとしての、誇りを。 (五分が一分になっても、その魂が、生き様が示している。貴方は紛うことなきヒーローなんです) 今のバーナビーにできることは、口うるさく言うのではなく、虎徹を信じて待つことなのだ。 「……なにか?」 バーナビーは、ふと視線を感じて振り返った。ライアンが思わせぶりな様子で自分を見ていた。 「いや、ずいぶん長い見送りだなーっと思って」 しまった。とっくに姿の消えた先を眺めつづけていたことに、ようやく気づいた。 「考え事をしていただけです。それより今夜のパーティは貴方も出席ですので、お忘れなく」 「面倒臭さ半分、旨いものを好きなだけ飲み食いできてラッキー半分ってとこだな。んじゃ後で」 悠然と去っていく後ろ姿をちらっと見やり、バーナビーも荷物をまとめた。 嵐のように突然自分たちの前に現れて、今また嵐のように去ろうとしている男、ライアン。 軽薄な立ち居振る舞いとは裏腹に、彼が鋭い洞察力を備えていることは、これまでの短い期間でも十分に理解していた。彼は、虎徹の一連の振る舞いをどう思っているのだろうか? あれほどライトと歓声を浴びたばかりだというのに、どこか重苦しい気持ちが残りつづけた。 エレベーターのドアが勿体つけて閉まっていくのを、虎徹はじりじりしながら睨みつけた。上方へ動きだすのを感じて、堅苦しいフォーマルの襟元を乱暴に緩めると、深々息をつく。 「へえ、あんたパーティ嫌いなんだ」 「……まぁな」 それだけの動作でライアンにはっきりと言い切られて、虎徹は思わず唇を突きだした。高級ホテルのエレベーターは、音もなくふたりを高層階へと運んでいく。 今夜のパーティは、ごく限られた上位のスポンサーだけが招待される、スペシャルなものだった。マーベリックに続き、シュナイダーまでもが——まだ判決は出ていないが、長期の禁固刑は確実ではないかと囁かれている——犯罪者となれば、いよいよアポロンメディアの未来は暗い。 マスメディアへの露出でアポロンメディアが抱えるヒーローの価値と、企業自体は清廉潔白であることを世間にアピールしつつ、金と権力を兼ね備えた大口のスポンサーに、政治を含めた根回しをする必要があった。 会場では、豪奢なシャンデリアもさんざめく人々の召し物も、どこもかしこもこれでもかと飾りつけられ、光を放っていた。客の人数が少ない分、メインディッシュであるヒーローたちは、骨の髄までスポンサーたちに堪能される。 そこでの会話の内容は虎徹にとって、昼間のインタビューの比ではない居たたまれなさだった。 ——バーナビーは、ゴールデンライアンよりワイルドタイガーのどこが、そんなに良かったんですの? ワイルドタイガーをひとり残してゴールデンライアンを追うのが、とてもお辛そうなご様子でしたので、聞いてみたかったんです。 ——ワイルドタイガーくんは、市民から人気があるねえ。古参のヒーローとして、これからバーナビーくんのサポートをどうしていくつもりなんだい? おや、この三人の中だと、君が一番小柄なのか……。いやなに、あれもこれも不利なのでは、なかなか大変そうだと思ってね。 「大体どのパーティも好きじゃねえけど、今夜は、格別だったな」 虎徹は思わずしゃがみ込み、肺から絞り尽くすように息を吐いた。断りきれずに呑みつづけたアルコールが呼気から漏れるのが辛い。相当呑んでいたが、緊張とストレスで酔うどころではなかった。 絶対にしくじるなとロイズとベンに厳命されて、未だかつてない辛抱強さと頑張りを披露して……すっかりくたびれ果てていた。 「俺も、ちょーっぴり今夜のパーティを甘く見てたぜ。ああいう人種はよく知ってるつもりだけど、にしたって連中えげつねぇのな」 普段、泰然と肩で風を切って歩いている男も、珍しくしょぼくれた顔をしている。それを見て虎徹がぷっと笑うと、「んだよ!」とがなってから、ライアンも吹きだした。 「……なあ、これから俺の部屋で呑み直さねえ?」 ライアンの誘いに、虎徹は軽く目を見開いた。 連日の取材への労りのつもりか、今夜は会社がホテルを三部屋抑えてくれていた。確かにこのままでは、神経が立って穏やかな眠りには当分就けそうにない。 (けど、こいつとはほっとんど絡まねえままここまできちまったし、いまさらサシで呑むってのもなあ) 「ジュニアくんにも、終わったら俺の部屋に来いってメール入れとくか」 その言葉に、エレベーターホールまで来たところで、ふくよかなマダムに捕まってしまった哀れな相棒を思いだした。虎徹たちを気遣って「先に行ってください」と言ってくれたのに甘えてしまったが、今頃は内心げんなりしながら相手をしていることだろう。 「……そういや、俺たちプライベートで集まって呑んだことって、まだねえな」 虎徹は、ライアンと目を合わせにやっと笑った。 「げっ、ライアン、シャンパンのボトル開けたのか!」 「これっくらい、いいだろう? 俺らよく働いたぜ」 それもそうかと、グラスを互いに軽く掲げ、虎徹は一息に飲み干した。 「ッハー、うめえ」 「ビビってたくせに、いー呑みっぷりじゃん」 「俺はお前と違って小市民なんだよ! ……やっと本当に酒を呑んでる気がするわ」 ライアンが注いでくれたグラスを再び半分ほど空けて、長々と息をついた。堅苦しいフォーマルもジャケットを脱ぎ、タイを外してしまえば、それだけで肩に入っていた余計な力が抜けていくのがわかる。 虎徹たちに用意されていた部屋は、スイートではなかったもののかなりゆったりした作りのスーペリアルームだった。備え付けの応接セットで呑み始めたのが、より楽な姿勢を求めてベッドに移動するまでいくらもかからなかった。 「コラコラおっさん、靴下まで脱ぐなよ」 「この革靴、足に合わなかったんだよな。はぁ、やっと解放された。ライアンも脱がねえの?」 アッパーシーツの上に横になり、思い切り伸びをする。ふうと息をつくのと同時に、酔いが体のあちこちでじんわりと息を吹き返すのを感じた。 「ったく、しゃあねえなぁ。ここ自分ちじゃねえんだぞ」 ため息をついてはいるが、ライアンも虎徹に合わせてすっかり寛ぐ体勢だ。キングサイズのベッドは、男ふたりがだらけるには十分な広さがある。 わかってはいたが、話してみればやはりライアンは気のいい男だった。 一見チャラチャラしているが、その実、周囲をよく観察した上で振る舞っている。ポンポン軽いキャッチボールのような会話は、皮肉は含んでも悪意はなく、慣れればいっそ小気味良かった。 「そういやバニーはまだ来れねえの?」 「それもそうだな。もっかいメール送っとくか……と、おっさん、寛ぎたいならいい加減アイパッチ外したら?」 「え」 虎徹の口から、間の抜けた声が漏れた。つけっぱなしでいたことに気づけなかったなんて、疲れていたとはいえ情けない。 伸ばしかけた虎徹の手を掻い潜って、色素の薄い手がアイパッチの端をコンコンと叩いた。 「へぇ、これ固い素材なんだ、いっがいー。……なに耳赤くしてんの」 「い、いきなり人の顔に触んな!」 振り払おうとするより一足早く、ライアンの手がアイパッチを外しつつ虎徹から離れた。からかいを多分に含んだ顔で笑われる。 「ブッブー。俺が触りたかったのはアイパッチ。おっさんじゃありません」 「そんなん、自分で外すから先に口使えよ」 「ああ、やっぱり俺の顔には形が合わねえか。目の周りは極薄なんだな」 装着するのを諦め、興味深げにアイパッチをためつすがめつしているライアンの姿は、彼が自分よりはるかに年若いことをまざまざと感じさせる。虎徹はふうと息をひとつつくと気を取り直した。 「そうじゃねえと、視界を遮るからな。これ面白い素材でさ、装着すると肌に密着して、目の周りだけ柔らかくなるんだ」 「へえ? どれどれ」 ライアンの手が再び伸びて、虎徹の顔にアイパッチが装着される。 「ホントだ! 目の周り超柔らけえ」 「お前なぁ……、だから勝手に人の顔べたべた触るな」 「俺も脂ぎったおっさんだったら触りたくないっつうの? あんた肌つるつるしてるから、つい」 「は?」 その言い草に虎徹は半眼になった。ライアンは、強く言われないのをいいことに、アイパッチ越しに頬骨の肉をつまんだりやりたい放題だ。 (……何が楽しくて、野郎をこんな間近で見なきゃなんねえんだ) ライアンは虎徹より優に十五センチは背が高い。間近で改めて見れば、輪郭や首から肩のラインもいかにもがっしりとして、人種的に骨格から劣ってしまう虎徹にしてみれば、妬ましいことこの上なかった。 「ふうん。これが噂のトーヨーの神秘ってヤツ?」 「へ?」 あと筋肉をどれだけつければ——こちらも人種的に不利なわけだが——この首の太さになるだろうと考えていた虎徹は、話についていけなかった。 「斎藤とかいうおっさんが『タイガーと私は、ルーツは同じなんだ!』ってちっせぇ声で色々話してくれたんだよ。でもあの人は肌こんなんじゃなかったけどな。体型もぜんっぜん違うし」 「個人差なんてそんなもんだろ。つうかお前、斎藤さんのマネうっまいなぁ!」 息の間にかすかにふいごのような、笛のなりそこないのような音が入る、あの独特の話し声を見事に再現していて、虎徹は素直に感心した。 「あ。そこ気づいちゃった? 俺、昔っから他人の特徴を掴むのが得意でさぁ。ジュニアくんのモノマネもできるぜ」 「お前がバニーの? 似合わなそ」 ライアンが自信たっぷりに「僕はバニーじゃない、バーナビーです!」と真似る様子を想像して、ぶはっと笑う。 「笑ったなこの野郎」 ヘッドロックされそうになるのを掻い潜って、虎徹はけたけたと笑った。ライアンが突きつけてくる指先が二重にぶれて見えるから、だいぶ酔いが回ってきたようだ。 「いいぜ。とっておきのを聞かせてやるから、目つぶってな」 「よっしゃ来い!」 グラスをサイドテーブルに置き、両手で目を塞いだ。 視界が暗くなった途端、アルコールに狂った平衡感覚が頭を揺らした。パーティ会場であれだけ飲んだ上に、この部屋で開けたボトルは三本目だ。 ふらついた体をライアンが支えてくれたのがわかる。目を開けようとして、柔らかな声が耳朶をくすぐった。 「……虎徹さん」 思いがけぬ至近距離だった。優しく押しだされた音と共に、呼気が耳から頭蓋をくすぐり、一瞬で背筋を降りていく。ぶるりと全身を大きく震わせてから、虎徹は��てて目を開いた。 「どう、似てただろ?」 「び、びっくりした……」 一瞬、本当にバーナビーに囁かれたのかと思った。それも、彼の機嫌が良いときの一番やさしい言い方だ。その証拠に、心臓はまるで早鐘を鳴らしているように騒がしい。 虎徹は乱暴に手で首筋を擦った。息がかかった側の肌が総毛立っていて、そこだけ一皮剥けたかのように、ピリピリと神経が過敏になっている。 「モノマネがすげえうまいのはわかったけど……」 「けど?」 「距離近すぎだってえの!」 虎徹はもう片手でライアンの顔をぐいと押しやった。指の間から覗くペリドットの瞳が、にやにやと楽しげにこちらを見た。 「肌の色が濃いと、血が上ってもわかりにくくていいよな」 「何の話だよ」 「代わりに耳が真っ赤だっつう話。ジュニアくんに耳元で囁かれたと思ったら、そんななっちまったの?」 「なっ……!」 手のひらに、ぬるりとした感触が走った。ライアンに舐められたのだと知って、虎徹は慌てて手を引く。 後じさりするよりも速いスピードで迫られ、その勢いに追い詰められるように背が壁に当たった。虎徹の体を挟みこむようにライアンの両手が壁に伸びて、それ以上動けない。 (なんだ、これ) ベッドの上でただ会話するには変な体勢だし、いくらなんでも顔が近すぎだ。瞬きに沿う睫毛の動きまで見えるようでは、居心地が悪いなんてものじゃない。 ライアンの表情は、子どもが浮かべるような無邪気なものにも見えるが、この男がそんな単純なタマではないことを今まさに感じていた。 心臓は激しくろっ骨を内側から叩き、アルコールも勢いよく血管を駆け巡っている。鼓動のリズムに合わせて、こめかみがずきずきと痛んだ。 「……俺、自分の部屋に帰る。酒が回って、気持ち悪い」 「もうちょっと居ろよ。もっとジュニアくんの真似してやろうか?」 「いい!!」 意図せぬ強い口調に、しまったと息を呑んだ。虎徹はゆっくり瞬きをする間に���持ちを立て直して「ちと飲みすぎたわ」と苦笑いした。 「ベッドから降りたい。どけよライアン」 「…………やっぱりあんた、バーナビーのことが好きなんだな。……ふたつの意味で」 その言葉に、全身に冷や水を浴びせられた心地がした。虎徹はとっさに体の反応を抑えこみ、明るく笑ってライアンを見た。 「そりゃそうだろ。初めての相棒なんだ」 ——大丈夫。 「まあ、なんつーか……バニーに面と向かっては絶対言わねえけど、可愛い後輩だな、うん」 ——大丈夫だ、まだ。 照れくさそうに指で鼻先を掻いてみせ、ライアンの腕をどけようと手をかけたところに、低い声が落とされた。 「ふたつの意味で、つってんだろ」 「……っ」 「おーおー、狼狽えちゃって。あんた年食ってるわりに隠すのが下手クソ」 「バカ言ってんじゃねえよ。別にお前に隠すようなことなんて、なんもねえし」 (やっぱり髪、切るんじゃなかった。帽子も) 間近から覗き込まれて、表情を隠す手立てがなかった。ぶしつけな視線は痛いし心臓はずっと早鐘のようで、頭を締めつける耳鳴りまで始まる。 「あの朴念仁にはそれで通るだろうけど、俺を騙したいならもう少し芝居がうまくなんねえとな?」 「はあ? なんの話かわかん——」 「片思いじゃあ、バディに戻りたくねえよな。隠すの、ずっとしんどかったんだろう?」 今までで一番大きな、ハンマーで頭を殴られたような衝撃がきた。咄嗟に体が揺れるのは抑えたが、表情までは取り繕えたか自信がなかった。 「…………」 「俺はわかるよ、あんたの気持ち……可哀そうに」 動揺の狭間から、鈍い怒りが湧き上がってきた。こんな年下の男に……いたわるような声音で囁かれるなど、話の内容以前に男として許せない。 「ずっと気になってたんだ。あんだけコンビの復活を周囲に歓迎されてんのに、なんでこのおっさんはいつまでも辛そうなんだろう……ってな」 「……別に、辛くなんか」 「なんせ、俺が焚きつけたのもあるし、責任ってえの? 少しは感じるじゃん」 (そうだ。こいつが余計なことさえしなきゃ……) 思わず睨みつけて、ライアンとまともに目が合う。虎徹は息を呑んだ。 「だから、ごめんって。おっさんの気持ちわかってなくてさ、間違っちまった」 「あー……、ハイハイ」 虎徹は今度こそライアンの腕を押しのけると、呆れた声を出しベッドから立ち上がった。 見たくはなかった。こんな場面でこの男の——真顔など。 「お前の勘違いにつきあうのはここまで。俺がバニーをどうこうとか、んなことあるわけねえだろう? おんなじ男だぞ、男。ネイサンじゃあるまいし、ないない」 早くこの部屋を出よう。思い切り伸びをして、ふらりと足元が揺れた。 「ホラな。酔っぱらってるだろ? そろそろ眠くなってきたし、俺部屋に戻るから、じゃ……」 ひらひら手を振って背を向けた。数歩進んだところで、思いがけぬ強い力で背後から抱きしめられた。 「そうやって、ずっと誤魔化してきたんだろ? 自分も、周りも」 「……お前なあ、いい加減しつこい。ぶん殴られたいのか」 「そりゃそうだよな。キラキラした王子さまみたいな男に、こんな年の離れたおっさんが恋焦がれたって、叶うわけがねえ」 「……ッ」 その言葉に、息が止まるほどの鋭い痛みが胸を走った。 「あっちは相手なんか選り取り見取りだってのに、あんたは女子高生をひとりたらしこむのがせいぜいじゃ、そもそも立っているステージからして違う。ジュニアくんにそっちの気があるかもわかんねえし……こりゃいかにも絶望的だ」 ——そんなこと、言われなくたって自分が一番よくわかっているのに。 ザクザクと全身をナイフでめった刺しにされたら、こんな気持ちがするだろうか。手も足も、だらんと垂れ下がるだけで力が入らなかった。 限界まで開いた目にはなにも映らない。言い返さなきゃいけないのに、喉の奥がきつく締めつけられて、喘鳴のようにかすかに呼吸を繰り返すので精いっぱいだ。 (決まりきった、つまらない指摘じゃねえか) ——なのになんで、こんなに…………。 「……可哀そうに」 瞬きを忘れ乾き始めた目を、大きな手で塞がれた。シャッターが下りたように視界が暗くなった途端、目頭が熱と痛みを訴える。こらえる間もなく、最初のしずくが頬を伝い落ちた。 「……ッ」 首筋をぬるりと舐められた。文句を言って抵抗したいのに、みっともない嗚咽が漏れそうで声が出せない。気づけば手も足もがくがくと震えて、まったくの役立たずに成り下がっている。 ぐいと腰を背後に引かれて、ライアンの上に乗る形でベッドに座らされた。片手がシャツのボタンを開けていくのを感じて狼狽える。 「大丈夫、酷いことなんてしねえよ。ばっさり傷つけちまったから、慰めるだけだ」 「やめ……っ」 嗚咽のような声しか出せず、それ以上は言葉にできなかった。そうしている間にも、ライアンに首筋に歯を立てながら女にするように胸を揉まれて、倒錯的な行為にカッと頬に血が上る。身を捩って逃げようとすると、また耳元で囁かれた。 「虎徹さん」 それだけで、体にさざ波が広がるように鳥肌が立った。 「すげぇ。一発で乳首、立ったぜ」 「あ……っ」 硬く尖った場所をつまみながら耳朶に歯を立てられて、ずっとご無沙汰だった感覚が腰に溜まり始める。 「ちが……違う、俺、こんなこと望んでねえ」 「でも、気持ちいいだろう? 隠すことねえよ。気持ち悪かったら、それも言えばいい」 カチャカチャとベルトの金具の立てる音が、死刑執行の鐘の音のように聞こえる。 「……少し勃ってますね、虎徹さん」 「…………ッ」 わずかに鼻にかかる、ひんやりした甘い声。目を塞がれていると、バーナビーの声にしか聞こえなかった。綺麗な発音で品のないことを言われ、羞恥とともに一気にそこに血が流れこんでいく。耳元で小さく口笛が吹かれた。 下着の上から刺激されて、虎徹は必死に唇を噛みしめた。囁かれていた側の半身は総毛立ったままで、舌が這い歯を立てられるたびに、皮膚の表面を電気が走るみたいにぴりぴりと痺れさせていく。 「……んな、泣くなよ。俺が悪いことしてるみてえじゃねえか」 ため息交じりの声がした。 「ちが、うんだ……ッ、俺、ホントにこんなこと、したいんじゃ」 「べっつに、したくたっていいじゃん。それともアレか、気持ちいいことに罪悪感を覚えちゃうタイプ?」 それとも……、耳元でライアンが話をつづける。 「純粋に自分を慕ってくれている相手に、欲情しちまうなんて耐えられないってタイプ?」 辛うじて押さえつけた嗚咽に代わって、虎徹の全身がわなないた。 目隠しをしていた手が外れた。アッパーシーツか何かで顔を拭われるが、涙が止まらなければ無意味だろう。 罪悪感なんて、覚えるに決まっていた。 ヒーローコンビとして、こんなロートルをあれほど必要としてくれている相手に……よりによって、性的な欲望を抱くなんて。 ——最低だ。 「虎徹さん、僕に身をゆだねて」 優しく促しながら胸と股間をいっぺんにまさぐられて、体が勝手に跳ねた。泣きすぎた視界は狭く、薄暗い灯りも相まって現実感が薄い。 「やっ、……ぁっ」 誰かにこんな感覚を与えられるなんて久しぶりすぎて、こらえがきかない。 白い男の手が己の赤黒いものに絡みついている絵面に、止めることもできず慌てて目を逸らした。手の形はいかついが、色はバーナビーに似ている。根元から先端まで強くしごかれて、荒い刺激に首を晒し仰け反った。 「……ッ、……はぁっ、はぁ……ッ」 内腿の筋が勝手に収縮する。背筋を波打たせ、身を捩っても快感を逃す場がない。 「だめ……ダメだ……っ、ほんとに、も、う……」 「名前を呼んで、虎徹さん」 ぞくぞくと背筋を快感が這いあがった。背がしなって視界の隅を金髪が掠める。ふたりは色が微妙に違うはずだが、この照明ではわからない。 「ば、に……」 声にした瞬間、全身が快感に弾け飛んだ。 「————ッ」 丸めたつま先が、びくびくと跳ねる。放出は長く、しつこかった。達している最中だというのに、容赦なく先端を刺激されて、股間から頭の芯まで快感に焼けつく。 「はぁっ、ハッ……、…………ッ」 ————こんなの、最低だ。 虎徹の部屋のチャイムを鳴らしても、中から応答はなかった。 「…………」 寝ているにしてはドアプレートがかかっていないが、彼のことだからかけ忘れただけかもしれない。 バーナビーはふう、とため息をつくと、踵を返し自分に割り当てられた部屋へ向かった。 最後に相手をした女性は、かなり……いや、相当にしつこかった。それも、バーナビーの虎徹への感情がどういったものなのかを根掘り葉掘り聞きだそうとして、辟易しながら適当な返事を返しつづけた。 ほんの三十分程度、虎徹と酔い覚ましにペリエでも飲み、愚痴のひとつも聞いてもらえば、きっとすっきり眠れると思っただけなのだ。 『あんな風に、男同士の関係をなんでも穿って見るような女性、意外と多くてうんざりします』 『それでも大事なスポンサー様だろ? 笑ってやり過ごすっきゃねえわな』 『僕を誰だと思っているんです。もちろん完璧にやり遂げましたよ』 『さっすが。お疲れバニー』 今日のパーティで精神を擦り減らしたのは、虎徹も一緒だろう。 寝ているなら、電話をして起こしてしまっては可哀そうだし、起きていることを期待してメールを送り、外が明るくなってから読まれてしまっては、気恥ずかしい。諦めて自室の鍵を開け、最後にちらりと虎徹の部屋を見る。 なんとなく、彼なら起きてバーナビーを待っていると決めつけていた。肩透かしを食らった気分だった。 絶頂の余韻が抜けていくに従って、虎徹の心は暗雲に覆われるように沈んでいった。一方、酔いは最高潮で、回る視界に自力では起き上がれず、ライアンにされるがままベッドに横たえられている。 頬を手に包まれ、色素の薄い瞳に間近に見下ろされた。 「そんな顔すんなよ。あんたとことん真面目なんだな。相棒と一緒」 「…………」 その相棒の姿をこの男に重ね、セックスめいたことをしてしまったのだ。平然としている相手より、自分の感覚の方がよほど正常だと思う。 「ちょっと体触ってスッキリしただけだろ? 大したことじゃねえよ。その証拠に、俺たちの関係も、なーんも変わっちゃいねえしな」 (そうなの、かな……) 心のどこかで、問題ないわけがあるかと声がした。 だが流されたい。この言葉を信じられたら、どんなにか気が楽だろう。 「不安気な顔すんな。興奮すっから」 「はぁ?」 言っていることが理解できずに顔をしかめると、ライアンがにやりと笑んだ。 「普段から気をつけた方がいいぜ。あんたのそういう顔……そそる」 「お前な……!」 キスされそうな距離まで迫られて、虎徹は思わずめいっぱい顔を背けた。含み笑いが聞こえたかと思うと、ぴちゃりと耳元で水音がする。 「やめ……っ」 「もうちっとだけ、肌触りを楽しませろよ。それでキスは勘弁してやるから」 さっきまで愛撫されていたのとは逆の耳が、ライアンの口技であっという間に性感を高められる。汗が引いたばかりの腹を撫でまわされ、腰がひくりと震える。 危険な領域に足を突っこんでいる気がした。でも今ひとりになって、バーナビーのことを考えるのは堪え難かった。 「ライアン、俺、こういうのは……っ、んッ」 「だーいじょうぶだって」 虎徹の髪を梳いて、ライアンが笑う。指先で頭皮を掻かれる感覚にすら身を捩ると、彼の笑みはますます深くなった。 「……悪くはしねえよ、虎徹」
0 notes
Text
0 notes