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50年前の日本は「英語ができなくても困らない社会」だった。それはひとえに明治維新から戦後にかけての学者が大変賢く、その賢さに見合った義務感を持ち合わせた立派な人間達で、外来語が一般普及する前にそれを日本語に次々翻訳していったからである
逆に今の日本が「英語ができなくて困る社会」になったのは、昭和後期~現代までの学者が愚かで無責任で倫理観の欠けた性接待に溺れるゴミカスばかりになり、外来語の翻訳と定着を怠け、利権を貪っていたからに他ならない
かつて学者の地位が高く研究費が豊富だったのは「立派な人間がその功績に見合う扱いを受けていた」のであり、今の学者の待遇は「カスがカス扱いされてる」だけである
学者はWindows95が出た時期に渡米して、PCが職場に普及するより早く「ソフトウェア」の日本語訳を作る義務があったが平成のカス学者共は、誰もパーソナルコンピュータを翻訳しなかった。それどころか英語を理解する自分達の優位性を誇示するばかりで、誰も社会貢献など考えもしなかった。ゴミとクズの集まりである
パソコン用語の社会への定着によって、日本のアカデミアの社会的無価値は証明されたのである
1995年に無価値なゴミだと証明されて死んだものが、左翼にすがり、女にすがり、中国にすがり、土に還るのを拒んで腐臭を撒き散らしながらゾンビのように動いているだけだ
いま危機に瀕しているのは周りの社会であって、大学は排除すべき社会の脅威そのものである
https://x.com/satetu4401/status/1923961409022591002?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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Odds don't mean anything when humans want something bad enough. GUNHED (1989) dir. Masato Harada
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“今の自民党、公明党の政治家を見て下さいよ。国民の金をどこに流したら自分にメリットが産まれるかしか考えてない。米を日本人に流さずに外国人に流す。再エネ賦課金を日本人に流さず、中国人に流す。自分が一番儲かる流し方を考えて、日本人の金を横流ししてるだけのお仕事なんですよ。”
— Xユーザーの寺町 龍さん: 「今の自民党、公明党の政治家を見て下さいよ。国民の金をどこに流したら自分にメリットが産まれるかしか考えてない。米を日本人に流さずに外国人に流す。再エネ賦課金を日本人に流さず、中国人に流す。自分が一番儲かる流し方を考えて、日本人の金を横流ししてるだけのお仕事なんですよ。」 / X
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Lars Andersen Turning Arrows Episode 2 ( larsandersen23 さんのYouTube)
Σ(・ω・ノ)ノ 達人は弓矢を曲げて撃てるの!?
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Toyota 2000 GT 1967. - source Classic and Modern Show Cars AU.
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やってます感や忙しい感を出す風潮は、日本独特のビジネス文化なのか、万国共通のものなのか知りたい。あと、残業をすればするほど頑張ってる感が出るのも。うちにいる外人のひとりは「日本人の忙しいアピールが本当にうざい」と言っていて、「日本だけなのかな?」と思った次第です。わたしは個人的にはみっともないと思っているので、忙しいアピールもやってます感も出さないように極力気をつけている。本当に働きづらいなと思う。AIが働けよマジで。写真をジブリ風にしたりシールにしたりすることを求めてはいない。やるけど。楽しいけど。
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“2003年12月4日に撮影され翌年1月19日に放送された「東洋のランボー」という企画の中で、74歳の老人を河川敷に連れ出し、並べたダンボールに灯油を撒いて火をつけた上を歩かせた。老人は最重度(3度)の火傷を負い、体温が34度まで低下して危篤状態となり、その後一度も自宅に帰ることなく2007年9月、腎不全で死亡した。この件で2003年12月10日、警察���はフジテレビに対し、老人の氏名等を挙げ「火の上を歩くロケをおこなったか」と問い合わせたが、フジテレビ側は5日後「該当するロケはない」と回答。警察は事件性はないと判断し自傷事故として処理した。放送後、視聴者からの「やりすぎだ」という声を受け、スタッフらが老人の親族に謝罪。警察に事故を届け出て、元警察幹部のフジテレビ顧問も警察署に説明に訪れた。しかし事故の公表はせず、主要スタッフを「退屈貴族」担当から外した以外、一切の処分を行わなかった。また老人の治療費はフジテレビが負担したとしているが、実際には全額公費によって賄われている。”
— 退屈貴族 - Wikipedia
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“【人権派弁護士の心変わり】本当ですか?↓ 日本弁護士会の副会長が夫人を殺されてから『死刑賛成論者』になりました。 日本弁護士会ってのは『死刑廃止論』を唱えている。 しかし、自分の家族が殺されると、こうなるんだ。 自分の手で、死刑を執行したいといっていたぞ。 ——————————– ベストアンサーに選ばれた回答 岡村氏を悪く言ってはいけません。 人間は、自分がその立場に追い込まれて初めて、遺族の辛さを理解するものなんです。 以下引用。 元日弁連副会長の岡村勲弁護士(七一)の自宅で、夫人の真苗さん=当時(六三)=が訪れた男に殺された。 犯人(六六)は山一証券との株取引で損をし、そのうらみから同証券での交渉相手だった岡村弁護士宅を訪ね、応対に出た夫人を用意したナイフで刺し殺した。 岡村弁護士は犯罪の被害者になって初めて「司法と被害者の距離を実感した」という。 男が捕まって裁判にかけられても、その言い逃れに被害者の岡村弁護士は一言も反論できず、「じっと唇をかんで」黙っているだけだった。「なぜ、ここまで被害者が捨て置かれるのか」 やっと法廷で証言する機会を得た岡村氏は「(犯人を)極刑にしていただきたい」と訴えた。被害者としては当然の思いだった。 そして昨年夏、東京地裁で判決が下された。「主文、被告人を無期懲役に処す」 彼の証言は聞き流された。というか、日本の法廷には長年積み上げられたパターンがあって、それに外れる、例えば被害者の声を反映するといったことはマニュアルにはなかった。 どういうパターンかというと、「一人殺しただけでは死刑にはしない」「判決は求刑の八掛け」「相手が少年ならうんと減刑して『更生して罪を償うように』と付け加える」「刑罰を厳しくしても犯罪は減らないというせりふも折に触れて挿入する」等々だ。 教養もいらない、常識もいらない。ただ司法試験をパスするだけで裁判官になれる日本の法曹界では、はっきりいって頭を使う判決は無理がある。 だから、こういう事件はこう、ああいうのはどうというパターンにはめこむ方式が最も無難な方策として取られてきた。 この判決も「一人殺しただけでは死刑にしない」慣例と、「判決は求刑の八掛け」に従った模範主文で、締めの言葉も何度も使われた「自分の犯した罪に向き合って生きるように」だった。「被害者の気持ち」を斟酌するパターンはもともとなかったのだ。 岡村氏は怒り、それは大きな波紋を呼んだ。なぜなら彼は一般人ではなく同じ司法試験を通った身内で、なにより人権に一番うるさい日弁連の元副会長だった。 これは過去にはなかった例で、それで裁判所も検察庁も考え直した。まず検察庁。求刑の八掛けで無期なら慣例通りだが、あえて控訴した。「身内が被害者の場合、一人殺しても死刑にしようではないか」というわけだ。 裁判所も思い直した。岡村弁護士の、殺された妻の遺影の法廷持ち込みを認めようじゃないか。 たとえばこの三月、山口県光市で起きた母子殺害事件の判決公判では、一般市民である夫が殺された二人の遺影を持ち込みたいというのを「被告に心理的な圧迫をかけるから」と禁止していた。日弁連の人権派弁護士の要求に沿ったしきたりによるものだ。 それが身内の弁護士が被害者になったとたん、コペルニクス的転換を示したわけだ。ブレイディと同じに、ヒトはその痛みが分かれば大きく変わるものである。 岡村弁護士は東京高裁での初公判で被告に向け遺影を高々と掲げた。そのおかげで光市の母子殺害事件控訴審でも、夫に「被告に見えないように」という条件で遺影を持ち込むことが認められた。大いなる進歩である。 zeroplus.sakura.ne.jp/u/2000/1014.html あの山口県光市母子殺人事件の弁護士安田ナニガシも、自分の家族がああなれば、前言を翻すんだよ。”
— 【人権派弁護士の心変わり】本当ですか?↓ - Yahoo!知恵袋 (via petapeta)
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