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愛しい日常
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ぴしっと ぱりっと ごゆるりと
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i-19-r · 3 months ago
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時計の針にも奪えない力
2025/5/28
わたしは、否定せず、優しい言葉を吐き、どこにも行かず、良い人であるので、それを必要とする人間が集まってくる。当然のことであるが、必要なくなれば離れていく。わたしを必要としない状況の方が健全であることが多いのでそうあるべきだと思う。「人の縁は磨耗する」ということをその度に思い知る。わたしがどれだけ寂しさを覚えようと、わたしが必要でなくなるように、良く生きてほしい。
でも、わたしは欲張りなので少しでもその縁��長引かせようとしてしまう。わがままを許してほしい。わたしはあなたたちの今を知りたい。何に喜び、何に悲しみ、何をしたいのか教えてほしい。わたしはそれを糧に歩くことができる。
伝えな��れば伝わらないこと、人間は忘れる生き物であることは分かっている。わたしが必要でなくなろうと、あなたたちが遠くに行こうと、健やかに幸いであることを願い続けるし、わたしは伝え続ける。また明日も一緒にいたいな。
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i-19-r · 2 years ago
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美しくなんかなくて 優しくも出来なくて
2024.1.19
自己評価が低い、というのはわたしにとって常に付き纏うものであるが、もっと正確に言うと特定個人から見たわたしの評価が高いわけがない、に尽きる。とても追いつけない、恩を返しきれない、わたしなんぞがこの人と関わることすら烏滸がましい、死ぬ気でやってぎりぎり、とずっと思っている。
わたしは人間関係を加点式で考えていて、かつ加点されたものは何一つ減らしたくない。周りが加点される度にわたしとその人たちの距離はどんどん開く。日に日にわたしは矮小になっていく。何を話したらいいのだろうと考えることが増えていく。人と話す前に酒を飲んでおかないと碌に話せなくなる。自己評価ができないのは本当に致命的だと思う。
本当に、何一つ成せない。自分を蔑ろにすることはいつまで経っても変わらないし、だから周りを大切にしようと思って何かをしてもそれは周りにとって良いことなのかも分からなくなってしまった。わたしがわがままにすることはきっと誰かを幸福にすることはない。生きることが耐え難い。
もっとたくさん話しておくべきだったな。聞いてほしい話はきっとあったはずなのに。もっと聞いておくべきだったな。これからもずっと聞いていたい話はあるのに。やりたいことにわたしを関わらせてまで生き延びさせようとしてくれたのに、死ぬほど申し訳ないな。それでもわたしはもうままならない。
いつ死んでも構わないようにと、人と会ったときには悔いがないように努めていたのに話したいことは山ほどある。本当に困る。わたしが与えられるものは全部与えられたかな。大したものでは決してないけど、どこかの片隅に置いてられるほどの何かを残せるかな。欲張りがすぎる。忘れないでいてくれ。
消えたくて堪らない。年が明けたあたりからずっとそれに囚われてる。許してほしい。わたしの人生なんて全てあげられるし全て捨てられる。大事にしてる人たちが良く生きられるならそれ以上は何もない。寒くて星がよく見えるところが良い。
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i-19-r · 2 years ago
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触れて確かめられたら 形と音をくれるよ
2023/11/26
気仙沼に行った話。行く話。
初めて気仙沼に行ったのは19歳の夏だった。2週間の一人旅行の中で訪れた1つだった。その日は東日本大震災から2年半が経つ日だった。
気仙沼に行こうと思ったのは、高校生の頃に起きた、起きてしまった出来事をこの目で確かめたかったからだ。住んでいる所からは遠く離れていてどこか他人事みたいになってしまっているのが嫌だった。自分の目で見て、他人事を自分の中のことにしたかった。
烏滸がましい考えだった。気仙沼の駅前から港に進んで行く度にそう感じた。あちこちに津波の水位を示すものがあった。最高水位はどこも自分の身長の何倍もあるものだった。港の周辺は未だ津波で荒れてしまった建物が残っていた。更地になっていた所もあったが、目につくのは荒れたまま取り壊されもせず残されている建物だった。2年半経つのにこんなにも傷跡が残されていることを初めて知った。
自分の中の出来事にするなど当人たちにとっては、お前なんぞに分かるわけがないと一蹴されるような考えだった。それでもこの街は強く生きていた。浅い心持ちで訪れたわたしを強く優しく迎えてくれた。そこでは人が生活し、経済を守り、着実に前へ進んでいた。本当に強い人たちと街だと思った。数年後に「強い」とは少し違うのだと目の当たりにするのだけれども。
2回目に訪れたのは前回から3年ほど経ってからだった。特別狙いすましたわけではないけど2017年3月14日、震災から丸6年と3日が経った日だった。
初めて気仙沼を訪れてから、わたしは色んな人に気仙沼を知ってほしいと思っていた。関西にいると、東北に行ったことがない人もたくさんいる。仙台くらいなら行ったことあるけど沿岸部は周りの人間たちもほとんど行ったことがない人ばかりだった。でも、行ってみたいと言っている人も少なからずいた。その気持ちの背中を押して、気仙沼に一緒に行った。
その人は綺麗な写真を撮る人だった。わたしはその人の目で、レンズで、気仙沼の今を切り取ってほしかった。そしてそれを忘れないでいてほしかった。
満足してくれただろうか。何か得られるものはあっただろうか。気仙沼の街や人を好きになってくれただろうか。どうかもう一度行ってみたいと感じていてほしい。忘れないでいてほしい。
2回目の気仙沼は1回目と比べても明らかに進んでいた。被災当時のままという建物ががくんと減っていた。その代わりに更地が増えていた。何もない場所が増えていた。残された建物は更に荒れていた。6年経ってやっとゼロに近くなっていた。復興というにはまだ遠い。元の街並みを知らないわたしにはそれでも進歩に思えた。気仙沼はこれからまた街になっていくのだと思った。
3回目は2018年の2月。わたしは社会人になっていた。過去2回訪れた中でわたしはなんとなく、ただの観光客として訪れることに負い目を感じていた。興味だけで「被災地」を観光することが正しいことなのか疑問となっていた。せめてこの場所の経済を支えようと目一杯のお金を使おうと決めていた。それが正しいのかは今も分からない。
リアス・アーク美術館という施設を知っているだろうか。わたしはこの3回目の気仙沼で初めて訪れた。ここでは被災当時の資料を常設展示している。息が詰まる思いだった。初めて気仙沼を訪れたときのことを思い出した。でもそれ以上の生々しさを残してくれている本当に重要な展示だった。
救われたことがあった。負い目に感じていた「観光」として気仙沼に来ることについてだ。展示の中で、「観光として来るのはいいことか」みたいな内容を問いかけるものがあった。気仙沼で起こったことを、現在を世界中の人に知ってもらいたいという答えをくれた。
気仙沼を訪れた人々が抱く印象として、この街の人たちは強いというものがあると思う。先述したとおり、私もその一人だった。展示ではこれについても伝えてくれていて、「強い」のではなく、「強くならないと生きていけなかった」のである。どれだけの苦難と葛藤が、彼らにこんな答えを導かざるを得ない状況にさせしめたのか。私は本当にこれを見届けねばならないと感じた。彼らが出した答えは何一つ間違いではなく、生活をするために不可欠なものである。それを周囲の人間が否定する権利はどこにもない。
4回目の気仙沼は2022年4月29日。私は、毎年アラバキロックフェスに行っていて、この年はコロナの流行以来初めての開催だった。前回気仙沼を訪れたときから時間が経っていることもあり、どうしても行きたかったのでアラバキ3日間のうち1日を気仙沼に行くための日に使った。
どうしても行きたい所があった。東日本大震災遺構・伝承館だ。数年前に開館したことはニュースを見て知っていたが、情勢もありなかなか行くことができなかった。そしてなにより、これを見て私は平気でいられる気がしなかった。
5月を迎えるにしてはとても寒い日だった。その日は地元の高校生がボランティアか何かで受付の案内をしていた。この子たちが被災したときは小学生の低学年くらいだっただろう。その子たちがやって来る人に向けて、知ってほしいという気持ちを添えて出迎えてくれたことにどうしようもなく揺さぶられてしまった。少しだけ話をして、「お疲れ様です、頑張ってください」と最後に伝えた。きっと向こうは休みの日にこういう活動をすることに対する「頑張ってください」だと捉えただろうけど、もっともっと伝えたいことがあった。
伝承館の展示は、今まで見た気仙沼の光景の中で一番辛いものだった。それと同時に見なくてはいけないものだった。被災した高校をそのまま残していて、割れた窓、たくさんの瓦礫、流れ着いた廃車、様々なものがそこにあった。展示を観ている間ずっと泣いていて、当時は目に見えるもの全てがこういう状態だったのかと、地獄を表すならこれもその一つだと感じた。本当に、これを遺すという決断をよくしてくれた。他地方の人間が当時を知るには、こういったものを体験するしか今となっては方法があまりない。そもそも当時も今も何もなかったというのが一番良いのは当然として、起こってしまったことを後世に遺すことがどれだけ苦痛を伴うものなのか、それは当事者だけが抱えられる、抱えてしまうものだから、それを少しでも私たちに分けてもらえればと思う。
わたしはきっとこれからも東北に行くし、気仙沼にも数年おきに行く。
この街が出した答えの「海と生きる」ということに対して最大限の尊敬の念を込めて。
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i-19-r · 2 years ago
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君を愛するように 僕を愛せたらよかった
2023/9/30
一番誰にも知られたくなくて一番奥底に封じ込めているくせに、一番誰かに知ってほしくて一番伝えたい秘密を受け入れてくれる人がいる。わたしはそれを呪いと呼んでる。悪い意味で���ない。その人と関わりを持ってからわりと早い段階でその呪いが生まれ、10年以上わたしを生かしている。この呪いは、わたしを生かす糧であり、標であり、枷である。
理由がなければ会えない(本来は会えるが理由がある方が都合が良い)ので、理由もなく会えたのが嬉しかった。
あなたのことを一番愛している人間はわたしではないけど、わたしが一番愛している人間はあなたなのだと実感した。
わたしは本当に周りの人間に恵まれていて、一人で勝手にいなくなることを許してくれない。だったら、寝なければ、食べなければ、酒を飲めば、煙草を吸えば、わたしの身体が先に朽ちてくれれば、仕方ないと許してもらえないか。
10代の頃、ここが限界だと感じていた30歳が近づいている。日を追うごとにそれが輪郭を成して、誘われて、腕を絡ませてくる。振り解くほどの力も拒むほどの理由もわたしにはない。それはいつだってわたしの顔をしている。わたしにいつだって一番甘く優しくしてくれるわたしの顔をしている。抗えない。逆らえない。わたしの手を引いてくれ。
30歳はわたしにとって自分との契約期間みたいなもので、状況によっては解約可能のものだった。多分来年以降も生活をするのであれば単年契約になる。わたしが年をとること、それは別にあってもなくてもどちらでもいいけど、周りの人間が刻む時間は見ていたいジレンマがある。周りの人間の時間を見るためにわたしは時間を進めなければならない。
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i-19-r · 3 years ago
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さぁ 行こうか ロストマン
2022/11/12
姉の夫になるであろう相手が家に挨拶に来たらしい。相手はわたしの家族のことを気に入っているらしく、「普通ってこういうことか」と感じたらしい。母はそれについて「うちはthe普通だから」と何度も言っていた。別にそれ以上の意味はないんだろうけどわたしにはそれがこの家は普通なんだぞと言い聞かされているように聞こえた。わたしが14歳の頃から感じていた苦痛も「普通」なのかと聞きたくなった。
仕事の関係で1ヶ月ほど実家に戻っていた。たまに帰ってはいたけど長期間実家にいるのは久しぶりだった。
わたしは、14歳のわたしと向き合って色んなことを納得せずとも理解できたと思っていた。14歳のわたしを救い出せたと思っていた。
両親が言い合いをしているのが聞こえた。最初は「またか」と思った。よっぽど「いい加減にしてくれ」と言ってやろうかと思った。言おうと思った次には手が震えていた。心臓がうるさいくらいに脈打っていた。21歳のわたしが死に物狂いに伝えたことは無駄だった��かと消えたくなった。体を丸めて見えもしない何かから身を守ろうとしていた。
14歳のわたしのことを救い出せた気になっていた。暗くて冷たい部屋から連れ出せた気になっていた。周りを見渡せば見たことのある傷や染みで覆われていた。連れ出したと思っていたところは結局同じ部屋だったと感じた。ただの自惚れだった。どこにも行けていなかった。現在地もろくに分かっていなかった。明るい所へ連れて行けた気でいた。何も捨てないと決めていたのにその部屋のことを見ないようにしていたことを気付かされた。すぐ側にあるはずなのに無いものとしていたことを突きつけられた。
14歳のわたしの顔が見れなかった。
堪らず助けを求めた。「助けてほしい」と言葉にしたのは初めてだった。無駄ではないと、間違っていないと教えてくれた。いろんなところに旅に出て、たまたま通りがかったところが過去に通ったことのある懐かしい景色であったことを教えてくれた。10年間見ていてくれた人が、同じ場所に居たわけではないと道を示してくれた。傷だらけの部屋と14歳のわたしの顔を見つめることができた。部屋が少し明るくなった。
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i-19-r · 3 years ago
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こんなに今生きている事 触ったら同じように応えて
2022/06/19
家族の話です。
14歳の頃からずっと、家族というか両親の存在というかが信じられなくて、それを21歳の時に当人たちに伝えた。この家にいることがずっと苦痛で死にたいと思っていたこと。あなたたちの子供と思われたくないと考えていたこと。あなたたちが両親だと考えたくないこと。この家に居続けたのは家族を散り散りにしないためであること。もう成人した人間が泣きながら髪と顔をぐしゃぐしゃにしながら、目の前の2人がどんな顔をしているかもまともに見れないまま止められない言葉を垂れ流しにした。母は泣いていた。あのとき離婚したらよかったのかと声を荒げていた。父はじっと黙っていて、すまなかったとそれだけ言っていた。わたしは離婚してほしかったわけでも謝ってほしかったわけでもなかった。ただ知ってほしくて、認めてほしくて、自分がこの家で過ごした苦しみを少しでも事実として知らせたかった。
それから数日して父から酒に誘われた。怒られるのかなと思いながら店に行った。また謝られてしまった。思えば父とこうして酒を飲むのは初めてだった。わたしはなるだけ感情的にならないように感情を伝えた。あのとき言ったことに一つとして嘘はないこと。わたしはきっと結婚しないということ。でも姉はわたしと同じではないかもしれない。姉が結婚したとして、姉とその夫との間に子供が産まれたとして、あなたたちの仲が悪いことは姉たちにとって決して良いものではないこと。どうか今からでも遅くない��ら、あなたたちのために、姉のために、わたしのために、関係を改めることはできないかと伝えた。酒の味がしなかった。
あれから何年経ったか。両親の関係は目に見えて良くなった。2人で旅行することも増えた。わたしが伝えたことが叶った。でもわたしはまだ信じきることができない。あなたたちがいなくなったとして、わたしに残るのは後悔だ。親孝行できなかったという後悔ではなく、まだわたしの気持ちを知ってもらっていないという後悔だ。いつ信じることができるか分からない。待っててほしいとも言えない。まだ伝えたいことがたくさんある。わたしのことを、14歳のわたしの気持ちを聞いてほしい。
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i-19-r · 3 years ago
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昨日より今日が素晴らしい日なんて わかってるそんな事当たり前の事さ
2022/05/16
旅行するのが下手くそになったのかもしれない。一人で旅行するのは「誰にもなりたくない」を実行して存在を希釈することで明日もなんとなく生きていくための手段だった。
旅行する度に戻ってこれないかもしれないと思っていた。今回の旅行からわたしは帰ってこられた。誰でもないわたしは帰ってくることができなかった。本懐を遂げることができたのだろうか。旅行から帰ってこなかったわたしはどこかで人に優しくできているだろうか。
がらんどうになったわたしの中身にハイボールを注いでいる。満たされることなく、酔っ払うわけでも酔いが醒めるわけでもなく、ただ身体の中を巡っていく。
旅行したい気持ちはまだある。次に旅行したときもまた一つ帰ってきてくれないのだろうか。一つ一つなくなって、最後に残ったわたしはわたしなのだろうか。わたしでなくなったとき、人から愛してもらえるだろうか。
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i-19-r · 3 years ago
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なんで なんで 人は生まれ 愛に満ちて死ぬ
2022/03/21
両親にとって孫の顔を見ることをは幸せなことだろうか。一つの目標にしていたことなのだろうか。もしそうならそれを叶えられなくて申し訳ない。3つ上の姉は誰かと結婚して、子供を持つことを幸せと感じているだろうか。もしそうなら姉には幸せを叶えてほしい。姉が幸福を叶えることで両親の幸福にも繋がるのであればそれはもっといい。でもわたしにはそれを期待しないでほしい、誰かと一緒になれる想像ができない。わたしの子供を幸せに育て上げられる自信がない。その子の人生を後悔が溢れるものにしたくない。生まれなければよかった��んて思ってほしくない。子供に恨まれたくない。パートナーに呆れられたくない。
姉とは仲が悪いわけではない。一般的な姉弟仲だと思う。わたしが二十歳くらいの頃に全く話さなくなった時期があった。親に向かって20年間の恨み節を言うわたしに呆れたのだと思う。いつまで甘えたことを言ってるのだと感じたのだと思う。親に養ってもらっている分際で何を言っているのだと感じたのだろう。時間が経って、姉はわたしを許したわけではないが、大人な対応をしてくれていると思う。姉弟間で口を聞かない状況にストレスに感じ、それなら妥協しようとわたしに歩み寄ってくれたのだと思う。頭が上がらない。姉から歩み寄ってくれなければ今も口を聞いていないと思う。だからどうか貴女の幸せだと思うことを叶えてほしい。結婚が幸せだと思うなら良い相手と結婚してほしいし子供を産むことを幸せだと思うなら幸せな家庭を築いてほしい。結婚も子供もなくていいから思うがままに生きたいというなら後悔なく好きなことをして生きてほしい。海外旅行が好きな貴女だから、行きたい国に行って土産話を聞かせてくれたらわたしは満足するからまた話をしよう。わたしの国内旅行の話も聞いてくれ。
親族、地元・高校の友人くらいまではわたしがもし死んだとしても連絡がつきそうだがそれ以外の友人に知らせられないのは寂しい。遠方に住む友人も多い。全く異なるコミュニティにいる人間が多い。共通の友人がいないことが多い。「そういえば」なんて話題にすらあがってくれない。わたしがいなくなったことをどうやって知るのだろう。勝手にいなくなって申し訳なくなる。そんなこと知らされてもと思っていたならもっと申し訳ない。わたしのエゴだが、わたしが死んだことだけは知らせたい。どう思ってくれてもいいけどいなくなったことを知っていてほしい。それがあなたの人生にとってどうでもいいことかもしれない。でも最後のお願いだと思ってその事実だけ受け取ってほしい。
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i-19-r · 4 years ago
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霞んで消えた声 止まってしまったままの時計
2022/02/10
今までで一番幸せだったときって何だろう。「幸せ」って括りだとめちゃくちゃ難しい。大事な人たちとご飯食べてるときが一番かもしれない。嬉しかったことはたくさんある。好きなアーティストのライブに行ったことも、旅行で初めての場所を訪れたことも、好みの映画を見つけたときも。元恋人の結婚を祝えたことが何よりも一番嬉しかった。あれに勝るものはない。
わたしの心に入ってくる人間、何が苦手かってわたしの心を見透かされることよりも、上っ面で固めたわたしという人間を知ったとき離れてしまうんじゃないかということが怖い。大した人間じゃないんだよ本当に。期待されて、落胆されて、なんだこ��つと思われて、どうにもできなくなって、離れてしまうのが怖い。
気づいたことがある。わたしは弱ってくると体を丸める。何かから守るように、誰からも見られないように。周りに人がいなくてもそうしている。そうやって一人で全部抱え込めた気になっている。誰にも迷惑がかからない気になっている。
高校生くらいの頃、親のことが好きじゃなかったけど、寝れなかった時期にフラフラとリビングに行って一緒に飲む酒が本当は好きだった。特に何を言われるわけでもなく、「ワイン飲む?」って言われて1時間くらいテレビを眺める時間が好きだった。親と子ではなく人と人とでその場にいられる気がした。
仕事で研修講師をすることがあった。自分が教えてもらうときに、正解だけを教えられたり「とりあえずこうしとけばいい」みたいに自分が理解できていない状態でぶつけられるのがめちゃくちゃ好きじゃなくて。だから今何をしているのかとか、どういう目的でやっているのかとか、そもそもなんでこうなったかの趣旨を伝えながらやるよう意識してやった結果、何度か研修を受けた人からも今までで一番分かりやすかったとか長年分からなかったことが解けたとか言ってもらえた。
すっっっごい嬉しかった。正直過去の担当者がやってた研修より質も量も上だという自信があったし、ただ単に量を増やすだけじゃなくて目的を持って追加した資料も多かったからその辺も分かりやすかったと言われた。意図が伝わるの嬉しい。人前に立ったり、ましてや教えたりするのなんて本当に苦手だけど今回ばかりは良かったと思えた。でも来年はやりたくない。
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i-19-r · 4 years ago
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僕のことなんか ひとつも知らないくせに
2022/01/22
20代後半でどうしようもなくなってしまうんだろうなという予想はしていた。実際、予想通りのものが来たし、それへの対応もずっと考えてた。そしてそのおかげで乗り切れた。
でもその後に予想していなかった感情になってしまった。やりたいと思うことがないと気づいてしまった。満足とは言えないが、もういいやと思ってしまった。それに気づいたときもう駄目だと感じた。ここが潮時だと、仕方ないと諦めかけた。
「なんとなくでいいから生きていて」とずっと前に言われて、それが約束だった。約束も絶対も全部苦手で、誰かとの誓いを交わしたくなかった。それでもその約束だけは守りたかった。でも、守れる自信がなかった。でもでも、なんとかそれを守りたかった。やりたいことはなくても守りたいものを楔にしたかった。だから自分以外の人間のやりたいことを見届けようと思った。それを見届けるまではなんとか生き延びようと思った。
本当にずるかった。やりたいことにわたしを巻き込んで���た。死にたいほど救われた。それが叶わなくともわたしはそれを楔に生きていける。約束を破らずにいられる。何年経っても敵わない。返しきれない。
今日も何とか必死に生きている。生かされている。本当に恵まれすぎて毎度怖くなる。
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i-19-r · 4 years ago
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明けましておめでとうございます。2021年のまとめたやつ置いておきます。
映画 (観た順)
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音楽 (聴いた順)
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好きな曲トップ10
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リンクはこれ
https://open.spotify.com/playlist/4fFfB132oxlfzj6Vsev9w5?si=YArBkRUuQb2V_efnnPLxAQ
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i-19-r · 4 years ago
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あなたではないよ 他のだれかだよ 自惚れないでよ 落ち込まないでよ
2021/10/01
なんでわたしなんぞがのうのうと暮らしているのか。正直もうやだって投げ出したい。だめでだめで仕方ない。
周りの人間によくされているなと思うたびにわたしなんかに優しくしないでくれと思ってしまう。よくされてるときにはありがたいなあ優しいなあと受け取れるのに、いざそれを整理しようとするとそんなよくされていい人間じゃないと受け入れられなくなる。
本当に呆れられてしまってもおかしくない。何も成長してない。どこにも行けない。何にもなれない。何にもなりたくない。許してほしい。ずっとずっと許さずに叱ってほしい。
間違っていたのかもしれない。今までずっと間違いを続けていたのだろうか。自分に言い聞かせるように、他人に諭すように吐いてきた言葉は全部間違っていたのかもしれない。どうしようもない。
みんな幸せになってほしい。
っていう文が9/27 AM2:45のメモに残されてた。随分弱ってたっぽい。いや実際弱ってたんだけど。こういう風に弱ってしまうのってだいたい酒飲んでしょぼくれてるときが多い。でもこれを書いた日は酒飲んでなくてシラフだったからわりと珍しいパターン。
あるキーワードがきっかけでそこから連鎖的に気になることが増えていって気づけばマイナスの方向に連鎖したんだと思う。スタートのキーワードは全然思い出せない。
煙草がまた値上がりする。いつ煙草やめるかな。1000円になったらやめる、30歳になったらやめる、大事にしてる人にやめなよって言われたらやめるなどなど、やめどきを何個か作ってるんだけどなかなかやめどきに出会わない。そのうち勝手にやめます。
映画よく観ますって話をするとだいたい流れでオススメは?とか最近なに観た?とか聞かれるけど、最近観たものもわたしのオススメも多分あなたの興味を惹けるほどのものではなくて…とつい口籠ってしまう。そして絞り出したように、オーシャンズ11とか…などと嘘にならない範囲で答えてしまう。本当は空気人形とか左様ならとか宮城野とか答えたかった。でもどう考えても髪切ってもらってるときにオススメする映画じゃないなと思って答えられなかった。プレゼンするの苦手で申し訳ない。
10月になってしまった。あと3ヶ月それなりにやっていきます。2022年って数字の並びなんか気持ち悪いね。2016年が一番気持ちよかった。2012年が次点。2017年は一番気持ち悪い。
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i-19-r · 4 years ago
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笑い合った 過去がずっと 未来まで守ってくれるから
2021/09/26
誰もわたしより先に死なないでほしい。わたしなんぞより先に死んでしまうのは余りに勿体なさすぎる。
誰も一人では死なせないから安心してほしい。もし誰も周りにいなくてもわたしがいるようにするから、一人でなんて死なないでほしい。
あなたたちから電話がかかってきたら何があってもすぐ出るから、会いたいと言われたらすぐ行くから、どうかわたしに黙ってどこにもいかないでくれ。どこかにいってしまう前にわたしを関わらせてくれ。これが最後だからなどと野暮なことは言わないでいいから、今日までの話をたくさんしてくれ。
友達から結婚式二次会の幹事をしてくれと頼まれた。受付から司会やら色々するっぽい。人前で話すのが死ぬほど苦手だし、以前に別の友人の結婚式の受付をしたときでさえかなり弱ってしまった軟弱な人間である。
でも、そんなわたしみたいな人間を、そんな役に指名してくれた友人の期待になんとか応えねばと今回もわたしでよければと受け入れた。たとえそれが虚勢を張ったわたしに対する評価であったとしても、わたしは友人の求めに応えたい。結婚なんていう人生における大きなイベントのわりと大事な役をわたしなんぞに任せようと思ってくれた気持ちに応えたい。
こないだ元恋人の誕生日でして。毎年毎年お互いの誕生日祝って、それが長いこと続いてるんですよ。それがついに10年も続いてる。高校生の頃、毎年誕生日祝うよって言ってから本当にほぼ毎年誕生日祝ってて、一切連絡とってなかった期間が数年あるからそこだけ空いてるんだけど、それを除けば毎年祝うことができてる。年を経るにつれて自分の誕生日はただの1/365に過ぎなくなってしまうけれども、あの人の誕生日は近づくにつれて今でもそわそわしてしまう。今年はどんな言葉をかけられるかなとか、他の人からも飽きるほどの祝福をたくさんもらってるかなとか。
この年までそれが続いていられるのは偏にあの人が「お別れなんてする気ないよ」と言ってくれたおかげだと思ってる。わたしの言葉があの人に届けられる内は、あの人が言葉を届けてくれる内は、何回でも何十回でも誕生日を祝いたい。
わたしなんぞと仲良くしてくれる人たちは本当に優しいな。優しい人たちのおかげでわたしは生きている。酒を贈ってくれたり、ツマミのご飯を贈ってくれたり、いろんなものを贈ってくれる友人がいる。あなたの意見はどう?あなたの考えを聞きたいと問うてくれる友人がいる。何かあったわけでもないけどご飯を一緒に食べてくれる友人がいる。
わたしはあまりに恵まれすぎている。きっと前世のわたしは相当徳を積んでる。返し切れない。
親がどうとか環境がどうとか、わたしにとってタイミングと組合せが悪かっただけだと思っている。わたしの周りの人たちにもっと恩を返したい。
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i-19-r · 4 years ago
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君は生きてく 壊れそうでも 愚かな言葉を 誇れるように
2021/09/06
なんとか縁を繋ぎ止め���い人にはその人の性格を鑑みながら定期的に連絡をとるようにしている。会える距離にいる人はこのご時世の状況を見ながら会えているけど遠方にいる人は本当に会えなくてめちゃくちゃ辛い。人と会話するのがどうしようもなくしんどくなってしまうことがあるけど、わたしは大切な人たちと会ってくだらない話とかその日にあった話とか、なんでもいいから会話をしたい。
信頼している人間相手にも、こんなつまらないことを会話のきっかけにして呆れられないかなって思ってしまう。実際こいつは大した用事もないのに連絡してきて盛り上がりもなく終わりやがってと思われることもあると思う。でもわたしにとってはこの繋がりを絶えることなく引き留めるための本当に大事な更新作業だと思ってほしい。文字に書き起こすと気持ち悪いな。
引越して1ヶ月と少しが経った。基本的に快適で、スーパーもコンビニも近いから普段の生活には困らない感じ。こないだイオンカードの申し込みした、えらい。家の周りを散歩してると気づけば1時間くらい経っていたことがあった。その時に星がよく見えることに気づいた。田舎ならではあるが、周りに明かりが少なくて、夜がふけるとどんどんと本当に暗くなっていく。実家もたいがい田舎だったがこっちは本当に田舎だなと初めて感じた。
星を見るのが好き。旅行先のプラネタリウムってつい行っちゃう。屈斜路湖で見た自然の星空が今までで一番よかった。東京の科学未来館で見たプラネタリウムは本当に迫力満点で没入できた。大阪の市立科学館はオーソドックスなタイプであるけど丁寧な描写や科学館全体の宇宙を推してる感じがすごく好き。もうなくなってしまった地元のプラネタリウム、ほとんど覚えていないけどきっとあれが初めてのプラネタリウムだったと思う。
職場の課長と面談があって、転勤前のところからの引き継ぎ資料見ながら探り探りって感じのありきたりなタイプだと思っていたが、これから何がしたい?って聞かれて、やったことがないことをしたい最終的にはこういうことがしたいと答えたら、知識経験の習得について貪欲であるって書いとくから頑張れよと言われた。わたしはそれが嬉しかった。当たり前みたいなこのやりとりが嬉しかった。転勤前は、それならこういう道があるとか、先の話をされることが多くて、それは自分でも分かってるしそうなりたいと思っているからはいはいって答えてた。でも今回はその今の自分の考え自体を肯定されたと感じて、それが嬉しかった。それが今の仕事の実情と繋がっているかは別として。
仕事の優先順位を高くしないと決めて何年も経つけどどうしても上がってきてしまう。上がっているというか他のものが少なくなっていると言う方が正しいかもしれない。恋人ができたり家族ができると優先順位はすぐ変わるだろうけど。恋人も家族もできる余裕は全然ないけど。
本当に自分のことだけで手一杯だなとつくづく思う。なんなら自分のことすらまともに取り扱えていない。わたしは、恋人がいるとその人を中心に生活を回すタイプだから一層のこと自分に手が回せなくなる。結果として疲れてしまうんだと思う。自分が悪いのに相手にごめんなんて言われてしまった日にはどうしようもなく消えてしまいたくなる。
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i-19-r · 4 years ago
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バイバイ 忘レテモ構ワナイ 忘レナイカラ
2021/08/22
最近引っ越しまして、めっちゃ田舎だからやることなくて引きこもりが加速している日々を過ごしてる。テレビもネット対応してるやつにしたからひたすらアマプラで映画観てる。そんな日々を過ごしてて気づいたことがあって、映画が好きでいくらでも観られると思っていたけどなんていうか自分のキャパがあることに気づいた。それは飽きるとかそういうキャパではなくて、自分の中で処理できる他人の人生の数のキャパだった。たとえそれがフィクションだろうが映画の中の話だろうが、それは紛れもなくその登場人物の人生であり、わたしの中に取り入れることでわたしの一部になってしまう。その限界がきてしまった。映画を観たくないな、誰とも話したくないなと思っている今。多分そのうち消化してまた映画漬けになってると思う。
映画の話だと、先日観た「左様なら」という映画がすごくよかった。中学生や高校生たちの大人とも子供とも言い難い揺れ動く時間の話がわたしはすごく好き。友達が亡くなってもなぜだか泣けない自分や、なんとなくクラスから浮いてしまう自分や、愛だの恋だの憧れだのよくわからないけれどわかったような顔をする周りの人間たちや自分のことをどう愛してあげればいいのか許してあげればいいのか模索し続ける描写が好き。
なんとなく、リリイシュシュを観た時とおなじ気持ちになった。20歳になるまでに観たかった作品になった。
20歳の時と25歳の時に書いた手記というか手紙というか備忘録というか、なんともいえないものがあって。特に20歳の頃に書いたものはそれまでの人生を幼少期から振り返ったもので、自分の人生においてなにが嫌だったのか辛かったのか苦しかったのか主観と客観を入り混じえて書いたものだった。どちらも特定の人に読んでもらうことで自分の中では供養(言い方が正しいかは謎)できてるからそのうちここでも供養するかも。かも。
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i-19-r · 4 years ago
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全ての終わりに愛があるなら
2021/06/08
小学生高学年の頃からだろうか、わたしはわたしが嫌いだ。悩みなんて無いような顔でヘラヘラ過ごしてるわたしが嫌いだ。生きづらいことを自分の中に溜め込んで、周りは分かってくれないと嘆く様が本当に嫌いだ。
わたしには癖がある。これから起こり得る辛いことや心が沈んでしまうことを前もってシミュレーションしておくことだ。何度も何度もシミュレーションして、そのときに生まれる感情や言葉を前もって作って自分の中に隠しておく。いざそれが起きたときは隠しておいた引き出しを開けて、順番にそれを出すだけ。機械的に、わたしが傷つくリスクを最小限にするために、次の日またいつも通りを作るために。死にたくなるほど嫌になる。わたしはこのわたしが一番嫌いだ。人が離れることを予想して、その時なんて言うべきか、どんなことを思おうか、などと本当にくだらなくて薄っぺらいことを考えてる。こんなわたしが人から大事にされる資格などない。わたしが人のことをいくら大事にしようと、根幹ではその時に備えておくような狡猾で賢しらな人間である限り、わたしには資格がない。わたしはわたしが本当に大嫌いだ。
「嫌い」という言葉を使わないようにしている、意識的に。好きじゃないとか苦手とか、あまり強くない言葉を使うようにしている。嫌いって、あまりにも強すぎて何にも言えなくなっちゃう感じがして萎縮してしまう。本当にそれとの関係を断ち切ってしまうような、否定し尽くしてしまうような、無に帰すよりもずっと暗くドロドロとしたものが残るような、そんな感じがする。わたしに対してだけ嫌いと言い放つのは、それが否定しようが関係を断とうがわたしであることに変わりはなく、かつ、わたしのことを嫌いだという素材が多すぎ���が故だと思う。
役者は役であれば誰にでもなれると聞いた。わたしは誰にもなりたくなくて旅行をしてる。元恋人になんで旅行するのかと聞かれた。旅行先では、誰もわたしのことを知らないし、わたしも誰のことも知らないし、その場所も音も匂いも、わたしは知らない。わたしは誰でもない人間になることができる。自分の中に溜まったヘドロみたいな残り滓を吐き出すために必要なものだ。少しだけ、まだここにいていいと自分を許すことができるようになる。
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i-19-r · 4 years ago
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未来の私が笑ってなくても あなたとの今を覚えてて欲しい
2021/05/01
ゴールデンウィークの予定がひとつもない。正確には髪を切るという予定というには弱すぎるものがあったんだけど、それも今日終わってしまった。ほんとは今頃仙台に行ってるはずだった。このご時世ではキャンセルせざるをえなくて、先週全部諦めた。もうずっと旅行してない。今年こそは東北に行きたかった。仕方ない。
いよいよ社会人も5年目に入った。後輩も増えて、それなりに仕事も覚えて、任されることも多くなってきた。仕事を自分の中で一番にしないとずっと決めていた。それは今でも変わっていない。それでも、仕事に気が向いてしまう時間も、自分の中のウェイトも、どんどん増えていくのをひしひしと感じている。仕事は二の次にしたい。「君は人当たりも良いし、人望もあるからどこへ行っても大丈夫だよ」なんて言われる。そりゃあそうする方が自分にとって過ごしやすいからそうしてるのであって、むしろそうでなくては困る。環境を自分が過ごしやすいように整えるのが生きていく術の一つだと思う。異動した上司が、異動先でわたしの同期に「あの子本当にかわいそうやってさあ」と漏らしていたらしい。これは何ハラだ?と思うことが飛び交っていた2年間をその人と過ごしていて、その人はわたしにすごく良くしてくれたし、よく見てくれていたから何も不快ではない。異動先では怖い人と思われてるらしいけど。
来週、友人が結婚する。いまだに恋愛のれの字もわたしにはない。なんかもうこんだけ恋人がいないとこれがデフォルトになっていて、恋人という異分子の介入が煩わしくなってしまう気がする。自分の中だけで完結できないのはストレスになる。それは恋人に限らず、友人関係においても生ずるはずだけど、友人関係では介入度合いを自分の意思で操作できるからマシ。恋愛の先に見える結婚とか子供とか、そういうのが全然想像できない。この人の人生においてわたしなんぞを存在させ��必要はないんじゃないかと思う。特に子供は、もしこの子がしあわせにならなかったらどうしよう、生まれてきたくなんてなかったと思ったらどうしよう、親を見て結婚というものに失望してしまったらどうしよう、とか考えてしまう。環境が子供から子供らしさを奪うなんてことが起こっていいはずがない。大人にならざるをえなかった子供の姿を見たくない。子供らしく、年齢に応じた成長をしてほしい。わたしはもしそうなってしまったとき、どう責任をとればいいか分からない。わたしは子供を愛することができるだろうか、わたしなんぞが親になる権利はあるのだろうか、わたしなんぞが人一人の人生を生み出すことが許されるのだろうか。結婚できないなあ。
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