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通うお店
今住んでいるところには何軒か「継続的に通って食べるお店」がある。最近意識的に行くところとしては、坦々麺のお店、もつ焼きのお店、駅の立食いそば、遅くまでやっている味噌ラーメンのお店、かな。(現在進行形で住んでるから、詳細は控えとく)
未だかつてこんなに通うことってあったっけと思い、少し振り返ってみる。
■高校まで(〜18歳、〜2003)
実家は田舎の郊外団地で周りにお店はないし、実家でご飯を食べられるしで、通うお店はなかったかな。
■大学時代(18〜23歳、2003〜2008)
寮食、大学生協はまあ行くよね。 サークルで通ってた店は一旦おいておいて、一人で(も)通いたいと思っていた店といえば、東京ラーメン、たくみ、龍門、天一、いいちょ、とか。
■弘前期(23〜26歳、2008〜2011)
家の近くはそんなご飯食べるお店なかったよね。いつもどうして��っけ。 割と飽きっぽくて新規開拓派を自覚してたけど、それでも通うくらい好きだった記憶があるのは、ラーメンのげんこつ屋、さくら温泉、中みそ?、職場���のそば。
■青森期(26〜29歳、2011〜2014)
職場近くがメインだけど、博多ラーメン(麺好き)、生協の弁当、まるかい、くめちゃん、くらいかな。
■十和田期(29〜31歳、2014〜2015)
結構自炊が充実してた時期なんだよな。パン焼きと弁当づくりもしていて、つくったものをツイッターにもよく呟いてた。 それはそうと、下田のラーショ(ラウド)は遠いけど結構行ったかな。あと通った感じではないけど、ソベーピはたまに行ってたよね。
■ボランティア時代(31〜33歳、2016〜2018)
国外にいたし、省略。
■ニート時代(33〜34歳、2018)
ニートであんまりお金なかったし、外食少なかったかな。 二郎巡りはしてたけど、通いでは無いか。新宿御苑ちかくの肉屋の食堂は、安いし野菜も食べられるで何回か行ったね。 シェアハウスだからガッツリ料理もできなくて、パックごはんと納豆と豚汁は思い出すね。
■代々木期(34〜38歳、2019〜2022)
今との対比がこの時期だけど、言うて近所に通う店がなかったよね。タイ料理は途中で閉まるし、たまに蕎麦屋に行ってたくらい。
近所のラーメン屋は近いから何度か行ったけど、毎回これじゃない感を感じて打ちひしがれてたね。
駅前の學金は遅くまでやってたし、仕事帰りに結構通ったな。新宿も近いから、カミヤ、四文屋、麦の音あたりはたまに行ったね
■現在(38歳〜、2023〜今)
いつか書こうね。
そもそも外食するかどうかも大きいのか。あとお金的な余裕も…。
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アムステルダム・ウィーン旅行記その2。
アムステルダムに立ち込める香り。
予約した宿はドミトリー、宿名のとおり繁華街の中心地だった。いかがわしいお店がそこらにあり、刺激的な立地だった。
朝も夜も道路上にはゴミが散乱し、まあ繁華街だなあという感想。
立ち込める香りは表現しづらいけど、緑色のビール瓶の香り。でもビールの香りなんかそこら中に立ち込めることはないんじゃないかな。ひとつの仮説は、この国では合法の、あの植物。まあ知らんのよね、正直。
でもどこを歩いても楽しそうな観光客がたくさん練り歩いてる環境で立ち込める香りはビール瓶の香りとは思い難いな。
結局良く分かんないけど、一度思ってしまったらそうとしか思えない、そんなこんなだし、繁華街過ぎるしで、1日の滞在で少し辟易してしまったのだった。
まあ振り返ってみれば次の街は次の街でなんだかお高い感じが肌に合わず、AMSの自由な雰囲気が良かったなどと思ったりもするのだけれど、とにかくその時は嫌気を感じたりもしたのだ。
はぁまた雑文を書いてしまった。酔い。
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こないだのGWにはヨーロッパ旅行に行ってきた。アムステルダム2泊とウィーン2泊。
今月は珍しく毎週末の予定が詰まっていて、あっという間に3週間くらい経ってしまったんだけど、忘れきる前に感じたこととか書いておこう。
日程はかなり弾丸だけどあえて2か国にした。前にタイ、マレーシアに行った時良かったから。1つの国をじっくり旅するのも楽しいけど、同じタイミングに2か国行くのも楽しい���他の条件(特に都市インフラ技術?と自身の思想面)を近づけて比較出来るからね。
まず、メインのコンサート編。
コンセルトヘボウでのJanine Jansen先生(All Mozart プログラム)と楽友会館でのメンデルスゾーン真夏の夜の夢。
旅発案のきっかけはそもそも「ウィーン、そしてMusikverein でコンサートが聞きたい!」だし、曲目は元々馴染みなく、予習では真夏の夜の夢が楽しみめ、だったんだけど、終わってみた感想は圧倒的に「コンセルトヘボウ良かった!!」
ヤンセン先生の演奏、Gregory Ahssさんの堂々かつ寄り添うような弾きぶり、インタミのタダ酒(?というかあの社交的な雰囲気)など、すごく良かったな。コンサート前後でコンセルトヘボウのカフェや建物写真撮ったりしたのも楽しかった。
楽友会館はお昼にはホール見学もして、説明もとても良かったし、金の内装がとても素敵なホールだった。メンデルスゾーンは戯曲になってて面食らったな。
ホールはどちらも生の音がそのまま聞こえてくる感じで、日本のホールで聴いてたのはまとまりとして聞こえる音楽があって、それが席によって
座席による聴こえ方の違いはどちらもありそうと思ったけど、多分この2ホールの方がぼくは気にならない。聞こえにくい音があっても分かんないしねw ただ他の雑音もちゃんと聞こえるから、集中しないと気が散ってしまうかも、と思った。
コンサート概要はこんな感じ。
次回予告(?)は、
・アムステルダムに立ち込める香り
・オランダの農村部
・電車とバス乗車記
・ウィーンと中国に感じた既視感
・
書くか分かんないけど。
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「どこかにマイル」で熊本行きがきまったので、長崎は雲仙温泉にきている。いやあ熊本港から便が良かったので。
九州に来るのは言うてまだ4回目かな。18きっぷでの長崎旅行が初めて、建築学会+吉井町(からの別府)が2回目、鹿児島旅行が3回目、で今回が4回目のような気がする。
九州の印象は、山が丸くて、木々が黄緑、という印象。実際に違うのかどうかわからないが、植生も違うだろうし、素人印象としてはそんなものの気がする。
(途中だが一旦中断)
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『あのこは貴族』読み終えた。
結構前に映画化されたものを観て、その時の感想は階級社会の存在を見せつけられてそれはそれで興味深かったのだけれど、↓のエッセイを読んで改めてこれは「地方と東京」論の物語なのだと理解したよね。
(フェミニズム論でもあるけど、共感をもって考えられるものではない)
https://t.co/hSHK7227nw
地元が心地良いと思える人とそうでない人。後者は上京する。では東京が地元の人は…?相楽さんのようにドイツに行くか。地元からの開放は背景の損失ではあるけれど、自由だ。
ふと、自分に当てはめて考えると(中二的で恥ずかしいけど)、地元で地元にいることはマジョリティ(その他大勢のひとり)になるためか、キラキラした都会に憧れて。都会に来たら実はそんな人が沢山いるからやはり「その他大勢のひとり」にしかなれなくて。例え階層が良い方でなくてもマイノリティになれる場所を求めているのかな、とも思ってみたり。だから自分は移民になりたいのか。最近のテーマとむりやり繋げてしまったところもあるけど。
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メンタルの回復には2日くらい必要だけどお酒は禁物。
お酒がメンタルの回復を遅らせるという概念がメンタルの回復を遅らせる気がするし、この概念から開放されて酒を飲んだらメンタルの回復が遅れる気がするし、どっちにしても遅れるなら酒飲めば良いのかな。
「同じアホなら踊らにゃ損損」と言う故事に辿りつく瞬間。
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好きな曲だから音源を買うのか、音源を買うからその曲が好きになるのか、問題。
設定の問いの答えとして的確かさどうか分からないけど、相互作用であるというのが事実であろうと思う。
この問いを考えようと思ったのは、音源を買わない現代のサブスク時代なればこそと思う。
昔ならCDを買えば当然ながらCDを聴くし、逆にCDを持っていない曲をラジオやテレビや街のBGM以外で聞くことはなかったから、必然的に聞く頻度も高くなる訳で、聞けば聞くほど好きになると思うと、音源を買うからその曲が聞くことも必然である。
翻って現代。サブスクで大抵の音楽が聴ける環境となって、それ自体は個人的にポジティブに捉えているし、サブスクあるいは動画投稿サイト(我ながらNHKに寄った表現w)がなかったら今こんなにクラシックを聞くことはなかったかもしれないと思う(なぜならばクラシックには「どの音源を買えば良いか問題」がある。それはまた今度)。
さて、音源を買わなくなった今、その代替はSpotifyでお気に入りをクリックすることか、と言われると違和感がある。ハードルがあまりにも低いのだ。音源の購入ならばその曲固有に購入代金も発生するし、CD屋に赴くという時間的なコストも発生する。
眠い。
何が言いたいのかというと、物理的な所有物として今代替しているのがスコアなのである。
スコアを見ながら音楽を聞くことで楽しいのはもちろん���スコアの所有は自分の「好き」が形になって目に見えているからこそ、その曲をより好きになっているような気がする、というお話。
相変わらず文章が書けないな。おやすみなさい。
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雑な日記を書く。
今日は1時間弱のサイクリングして、おいしいラーメン食べて、ラジオ聴きながら天気の良い中をポタリングしながら家に帰ってきて、とても満足感のある休日だった。ラジオが名曲、名エピソード揃いだったよね。ブラームスのコンチェルト、シベリウスのピアノ、東京タワーとエルガー、ラフマニノフ、バルトーク。ながら聞きで少し聞き逃した部分もあるし、調べたら曲名出るけど、とりあえず記憶だけで書こうか。
地理かけるクラシックだから、土地との紐付けがテーマになってるわけだけど、自転車で走りながら聞くとなんとなく走っている土地、まあ東京都内では歩けど、自分が暮らす場所と音楽、みたいなことを考えられて良かった。ちょっと風呂敷広げすぎたか。
東京タワーは高度経済成長の象徴だったというのは良いエピソードだよね、ぼくのにわか東京生活の中で、世田谷もなんとなく高度経済成長みたいなイメージがあるから、世田谷公園を通っていたときはなんとなくエモかったな…
とても良い休日だったけど、些細な幸せすぎて今日のことを取り立てて思い出す、なんてことはないのかもしれない、と思うと少し寂しい。そんなこんなで、ちょっとだけ書き残しておこうか。
ラーメンぶぅさんも旨かったな。二郎とは良い意味で違ってて、トゲトゲしさは少ないけどコクがあってうまい。
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「安心」と「信頼」について。
火曜日のfuturesを聞く中でテーマとしていたのでメモ。政治学者なかじまたけしさん。
安心は不確実性が無く大丈夫だろうと思っている状態。信頼は不確実性があるにも関わらずうまく対処してくれるだろうと思って大丈夫だろうと思っている状態。
ラジオ曰く、最近は政治への信頼が失われているので安心社会を目指して管理型社会に移行せざるを得ないというもの。
安心、信頼の定義は自分の中でよく理解出来たし(と思うし)整理出来たなと思う。
ただその後は??信頼が失われたら安心を求めるという理論は本当なの?
これまでは、特に日本においてその傾向が顕著だけど、安心を求めていた、すなわちリスクを少なくすることを求めてきたけれども、グローバル化と気象激甚化(技術士試験の名残か笑)によってリスクは相当程度受け入れる必要があることを認識せざるを得ない状況になったので、信頼が必要になっている気がする。
あとあれか、今までの安心と思っていたものは、ある程度政府が提供してきた経緯があるから、政府への信頼を失うことで安心も失われてきた感もある。
だから管理型社会に移行せざるを得ないというのは、、、無理がある、というか管理主体が政府でなければ良いのか。ブロックチェーンとか?
管理型社会への移行はむしろ政府が国民への信頼を失った結果というなら理論としては分かるけどディストピア。
ちょっとまとまりきってはいないけどこの辺で。やっぱ頭の中だけでなくてたまには書いて整理しないと最近やばいね
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「その女、ジルバ(5)」
#Kinoppy #紀伊國屋書店
#高橋源一郎の飛ぶ教室 から。
とても良かったな。
キム・ジヨンといい非色といい、源一郎先生のキュレーションには敵わんね。
これも市井の人の物語かな。
マイノリティの、それも良い意味ではなく、当時の人の中でもより苦労をされた人たちの話なのかな。
移民の話に心惹かれるな。
こんなことを言っては怒られるかもしれないけど、多分、必ずしも夢と希望に溢れたポジティブな気持ちだけで移民した訳ではないと思うんだよな。元々の生活が難しくて…とか、昔なら多分次男以下で跡を継ぐ財産がなくて…とか、元々の場所に居られない理由もあっただろうね。
そして行った先の社会では異端者として扱われるから移民同士で助け合うしかなかったよね。
まあなんだか自分自身も今いる場所は自分の居場所だろうか、といつも思っているから、移民みたいのに憧れているところもあるのかもね。その先の苦労も分かってるけど、僕の場合はそういう不利を言い訳にしつつ、なんとか生活をしていきたいのかもしれない。ああ、でもいざとなったら帰ってこれるというのは、覚悟が足りないな。背水の陣で臨みたいものだ。
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「82年生まれ、キム・ジヨン」
#Kinoppy #紀伊國屋書店
読んだ。ふー色んな涙と感想が溢れてくる。
以下、そんな雑多なの。
・普通の人の話が読みたい。
お母さんとか、キム・ジヨンのようななんでもない人の話がもっと読みたい。韓国だけではなく、日本の話も。
・丁度同時代を生きる人の話だ。
日本で言うトコロの平成を描いた話だな。丁度世代的には一緒くらい。こういう男女格差みたいな話題についても、丁度過渡期というか、伝統的な価値観からの脱却・格差是正の制度整備みたいなことはされて、格差の認識と進歩は感じつつも、慣習は根強くて本音と建前が混在する世界。まさに自分の話のように感じる。
・ジェンダー格差
本題。十分に理解できてるか分かんないし、自分が女性でない以上、一生かかっても十分理解できたと思える日は来ないだろう。実際、生理とか出産とか社会生活上の不便さとか、自分が直接受けることじゃないし。
だからこそこういう本を読んだりとか色んな経験を積んで少しずつでも差を埋められるよう想像力を広げていくしかないんだろうけど、実はその努力をしているのもこのチョン・デヒョンなのだろうとも思う(姑対応での謝罪とか)。それでも必要な時に必要なだけキム・ジヨンの思いに寄り添えていないことも事実だし、著者が社会に突きつけたいというメッセージでもあるんだろう。
・こないだ観た『スローなブギにしてくれ』
思い出した。観た感想のひとつは、女性の扱いがひどいなーということ。多分特別ひどく扱っているという認識は制作者側も、鑑賞者側も当時はなくて、その頃にしてみれば至って普通だったのだろうと思う。こんな時代があったのならそりゃ現代のフェミニズムとかMetoo運動につながるよね。時々radical過ぎると感じてしまう意見を目にすることもあるけど、radicalじゃないと社会は変わんないんだもん。
・ハードだ
総じてぼくの心にはハードに響く。自分の言動にも反省しないといけない点はあるだろうし。一人ひとり心の持ちようみたいなのもあるし、(キム・ジヨンのような)同じ境遇でも耐えられちゃってる人もいるし、そうでない人もいる。(耐えられない人の心が弱いと言ってるわけではないし、批判しているわけではない。)逆にそうでない人、例えば男性であっても自分の男性性に耐えられないだっているかもしれない。個人差もある(もあ著者は個人差で片付けられない社会問題と言っているのかもしれないけど)とにかく自分は一歩一歩歩み寄るしかねーっす。
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香港に降り立つ日
啓徳空港香港に行きたい。
星野博美著『転が��香港に苔は生えない (文春文庫)』を読んだので。
本は1997年の返還前後をテーマとしたものだが、香港に暮らす人たちとの会話や交流を通して香港を描写するもの。これまで香港のイメージで言ったらアジアでも有数の経済都市であること、でも大陸側の経済成長が大きくて存在感が以前ほどではないこと、一国二制度が危ういこと、という感じでなんとなく知ってる程度のものだった。でも過去イギリスの植民地であった意味だとか、移民都市であることとか、九龍城の特殊性とか、全然知らなかったよね。乗継しただけの空港は最近できた割と新しいものってことも。
最近も旅行先として候補だったり乗り継ぎついでに観光してみたいという思いはあったけど、治安状況のこともあるし、そこまで興味がない(そもそも知らなかった)から結局実現することはなかった。今年はもちろんコロナの影響で行けそうにないから、いつになるかわからないけど、近いうちに訪れてみたいなとおもう。
気分だけでも、と思い『香港製造』という映画を観た。
ちょうど90年代の映画だから、本の時期の前後かもしれない。多分、同じ時期の日本とそう変わらない気がする。セブンイレブンができたのは青森よりもかなり早いんだろうなw
登場人物たちが暮らす家は本読んで想像していたものよりは割と広い。公営住宅なのかな。
映像には飛行機が低空を飛ぶ映像がなんども流れる。これが啓徳空港時代に星野さんが見上げた香港の空なんだろうと思う。
香港欲が高まる。
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高橋源一郎の飛ぶ教室
今日は伊丹万作さんのエッセイと武田砂鉄さんの本の話。
雨が降っているので〜〜〜は分かりやすい例えだな(分かりやすくて良いのか!?)
うん、酔っ払った頭で書いてると前置きしつつ。
みんな分かりやすい必要のない源一郎さんの言う「個人」であることを受け入れつつ(むしろそれが良いと認識しつつ)も、一方で分かりやすさに価値があることも別のベクトルとして認識してるんではないかな。
そしてその「「分かりやすさに価値があること」を認識していること」とは、伊丹さんのいうところの騙されている≒騙しているということなのかもしれない。
上手く説明できてる?できてない?
砂鉄さんのせいで分かりやすさに罪悪感もあるから、別に上手く説明できてなくても良いや。自分が見返した時すら分からんかも知れないけどそれもまた良しや。
(あれ、分かりやすさがだめだと言っても分かりにくさが良しとは言ってなくない?酔っ払いの言い訳に上手く使ってるな)
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しまおまほ『スーベニア』読んだ。(kindle)
こないだラジオで聞いて、なんかダメそうな本やなーて思ったから、土曜の夕方の酒のお供に。
案の定、いやそれ以上にダメ感漂う主人公の小説で、ダメ人間としてはとても楽しめた。
”別にいいじゃん。わたしたちにしかわからないことだってあるんだから"
そりゃそうだ、当事者にしか分からないことがある。いやそもそも当事者以外はそんな興味ないでしょ。むしろそんな自己防衛のコメントは、自分自身の葛藤に対する防衛なんだろうな。分かってても抗えない自分、それを肯定したい自分。
今酔っぱらった状況でコメントすると、この小説に出てくるようなダメ人間が割と一般的なら、自分も許容されて良いし、そんな人と仲良くやっていきたいなぁって思う(笑)。ここは(笑)なのだ。
実はそんなことないやろと、実はそうなん?とのせめぎ合い。
ああ、久しぶりにド酔っぱらいの投稿やな。
今日はビール1本、自家製梅割り、ジンバックという最近の宅飲みでもまぁまぁな酒量。さ、ラーメンでも食べに行くか
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2020年梅雨の梅仕事、など。


今日の梅酒仕込みで、気張って購入したセラーメイトが4本とも埋まったし、梅も店頭から消えつつあるし、今シーズンはこれにて打ち止め。
右から梅シロップ、梅漬け、梅酒(タンカレー)、らっきょう漬け��
分量をメモっとくと、
梅シロップは梅1kg、氷砂糖1kg。
梅漬けはあとから追加した分も含めて南高梅2kgに塩19%。
ジン梅酒は群馬県産梅1kg、氷砂糖500g、タンカレー1200g(1285ml?)
らっきょうは1kgを塩水で2週間発酵の後、水150g、グラニュー糖250g、千鳥酢360mlの甘酢。
あとは眺めつつ、おいしくなあれと念じるのみ。
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梅雨曇りとそら豆と梅割りと

6月の梅雨曇りの夕暮れに。
最近お気に入りのかける×クラシックの最後にドヴ���ルザークの家路が流れ始めると、週末の終わりを感じるから。
梅割りは3週前くらいに漬けはじめた梅シロップで、今日がが初回の試し飲み。感想は、爽やかでまだ熟成が進んでおらず、もう少し経過を楽しみたいというところ。色ももう少し琥珀色になったら愉快だな。
そら豆とはこの季節の食べ物のようであるが、これまでほとんど食べた記憶がない。少なくとも自分で茹でたのは初めてだし、小さい頃も家で食べた記憶はない。どちらかというと関東の食べ物なんではないかな。食べ物としての記憶よりも、太宰の人間失格に出てくる記憶の方がつよい。酒を飲みながらコメとトラとを論じ合い、そら豆の茹で上がるのを待つ。…少し読み返して見たらそんな愉快な話ではなかったな。
まあいい。良い酔い具合じゃ。明日からまた始まる一週間のことはしばし忘れて。
雨��降らずまでも、やはり日食は見えぬか。
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