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三色曼荼羅
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気付いたら信濃町に通い初めて7年目な私の宗教のお話。
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ichyoo · 1 year ago
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岩波文庫全巻揃ってるのやばすぎるなと思っていたけど、池田大作全集が全巻揃っている我が家もかなりやばいのである。読みたくなったものが家に全てあること自体はかなり良いのだけどね。
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ichyoo · 1 year ago
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池田大作著「若き日の日記」を読んでいるのですが、結構ズボラな大学生みたいなことをしていて結構親近感がわく。
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ichyoo · 2 years ago
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感情の言語化は上手い自信がある
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ichyoo · 2 years ago
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牙城会。みんな忙しくて寝不足なので、確かに中心が睡眠健康を口酸っぱく言う気持ちもわかる。会話内容が老人ホームだもん
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ichyoo · 2 years ago
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最近は唱題中縋らない信仰を心がけて自分の決意だけを祈るようにしている、というか自分が全く介入できないことを祈ることに自分の時間を使うことが馬鹿馬鹿しいのでやりたくないんで結果的にそうなってるんだが、そうなると祈ることが少ない。イライラしないぐらいしか祈ることがない、なるようになるという考え方の人間なので目標がない。
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ichyoo · 2 years ago
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人生地理学を読破。
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ichyoo · 2 years ago
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教学を学ぶことに意味はあるのか?と思うのだが、読書ですらいまだに役立ってない本ばかりなので知識はそんなもんだと思う。フェーズフリー。
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ichyoo · 2 years ago
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精神的な面で池田大作の思想を適切に取り入れることの難しさを感じる。いわゆる師匠のことだからといって無条件に受け入れては駄目だと思うのだが、それが難しい。
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ichyoo · 2 years ago
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「池田大作研究」を貰ったはいいものの、電車で読める大きさじゃないので全く読み進まない
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ichyoo · 2 years ago
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先生という敬称が話や思想を鵜呑みにすることと同義であると考えていることが間違いなのかもしれないなぁ…。
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ichyoo · 2 years ago
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「宗教に飲まれるな」。創価学会学生部の活動に本腰を入れるにあたって決めたこと。未来部の時の反省を活かしたいこと。「信じる」ことを伴うからこそ。定期的に1歩引いて俯瞰する、自分の意思も尊重する。
いい組織だからこそ、長く付き合うために、水の信心のために。
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ichyoo · 2 years ago
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創価学会という宗教組織では池田大作という人物に敬称をつける人が多いのだが、私は相互認識的な関係ではなく一方的に閲覧する関係という意識なので敬称をつけるのは違和感がある。教科書に載る歴史上の偉人や書籍の著者は先生呼びをしないのだが、それと同じカテゴリなので先生呼びをしたくない感。私が池田大作に手紙を書くことに感じる違和感もそこ由来なのかもしれない。
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ichyoo · 2 years ago
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「池田大作に手紙を書く」という行動をせざるおえないとき、「会合で報告するに値するが池田大作に伝えるほどではない」カテゴリにある成果の多さに気付く。
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ichyoo · 2 years ago
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「会員厳護の精神」は「牙城会の不幸の上に創価学会員の幸福を築く」ではない。ここを明確化する必要を感じている昨今。それはそれとして着任は楽しい。
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ichyoo · 2 years ago
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私が宗教活動をする理由は自他共の幸福なので、宗教活動をするからには幸せになるようなアプローチをしなければならないと思っている。悲しいことに稀に宗教のせいで不幸になりかけるが、それは許容するがなる早で軌道修正する義務があるとの認識。
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