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するから、しあわせに
人にはとびきり愚かな年頃があって、それは十三歳の頃だと私は信じつづけていた。そして、その中でも最も愚かだった瞬間として記憶されつづけているある水曜日の午後があった。具体的な日付は覚えていない。夏ではなかったと思うけれども。 その頃、同じく最も愚かな年頃を過ごしていた幼馴染の浅倉透は、幼い時分に遊んだぜんまい仕掛けで動く船のおもちゃに執心していて(彼女には散発的な��行があった)、記憶によるとそれは両手で持てるくらいの大きさで、真っ赤な船底をしていて、喫水線には透の名前が書いてあるのだという。きっと円香も知っているはずだと透は言い張ったが、あいにくそんな記憶は無かった。現在にしろ当時にしろ、一般に私の方が利発な子供だという評判だったために、そうでなくとも透はあまりにもぼんやりとした子供だったために、このことについてまともに議論が交わされたことはなかった。 しかし、船はあった。愚かな水曜日の朝に、私は学習机の傍らにある引き出しの奥にそれを見つけた。昼にはさらに愚かさを重ねて、私はそのことを透に打ち明けてしまった。透はわずかに身震いして訊いた。「ある? 今」 私が頷くと、透はすぐに私(と私の鞄)を引っ張って、中庭へと連れ出した。 「動かそ、船」と透は隅の方にある池を指して言った。「パス」と私はすかさず返す。 「えー。パスパス」 「いや、本気でパスなんだけど……」 中学校の池は小学校のものとは違っていくらかこぢんまりとしていた。中学生にもなって池に鯉やオタマジャクシがいるかどうかなどといったことに興味を抱く生徒は稀なせいだろう。それどころかむしろそうした生き物たちは忌避の対象になっていくのが普通だった。私もそうだ。透はそうじゃなかった。 「こっちこっち」と透は私の手を引く。言い出したら透は聞かない、と愚かな私は(たぶん)考えてついていって、池のそばに腰を下ろした。予想に反して池の水はひっそりとしていて、生き物の気配はあまりしなかった。もしかすると、教員も全然この池には興味が無いのかもしれない。 私は観念して鞄から船を取り出した。透はそれをじっくり観察して「え、おんなじやつ? これ」と言い放った。 「これのことでしょ」 「こんなんだっけ」 透が船を持ち上げる。船は両手のひらに収まるくらい小さく、底は褪せた赤色をしていて、喫水線にはもはや何が書かれていたのかは判然としないが、霞んだインクの痕跡が認められた。「昔の感じで思ってるからじゃないの」と私は言い聞かせるように透の顔を覗き込んだ。 そっか、と透は少し考えて「ありがと、円香」と笑った。そしてぜんまいを抓んだ。しかし、それはうまく回らなかった。 「逆なんじゃない」と私は投げかける。「それか、もう錆びてるのかも。古いし」 透は聞いているのか聞いていないのかわからない様子でひたすらぜんまいと格闘していた。しつづけていた。私はしびれを切らして言った。 「貸して」 「もうちょい、だから」 「見つけたの私だから」 強引��私は船に手を掛ける。透は逃れようと身をよじって、そして池に転げ落ちた。 「透!」 私は反射的に叫んだが、透はあっさり上がってくると隣にあぐらをかいて座りなおした。濡れた袖を絞ってみたり靴を脱いで逆さにしてみたりしながら「うわー、びしゃびしゃじゃん」「ねー、どうしよ、円香」などとまったく深刻さの感じられない口調で透はつぶやいている。しかし私はいっさい答えられなかった。 ただ私はじっと見ていた。透の、ちょうど開かれた両膝のあいだで持ち上げられたスカートの布に、池の水がちょっとしたうみを作っているのを。少し姿勢を崩せば、たちまち無に帰してしまうだろうちっぽけなうみを。ふと「止まって」という言葉が口をついた。辺りには中途半端に日が差していて、なにか奇妙にぬるい匂いが立ちこめていた。それで、魔が差した。 「透、動かないで」と私は重ねる。 「え、なんで」と透は首を傾げようとする。 「動くな」 私は身を乗り出して、船を捕まえた。乱暴にぜんまいを掴んでみると、それはさっきまでの格闘が嘘のようにたやすく回転した。だからそのまま手を伸ばして、うみに船をそっと近づけた。 船の底がうみに触れる。 静まりかえった中庭の一角に、ぜんまいの音のみがわずかに波を立てた。途端に振動がすばやく指先を伝った。私は驚いて、いきおい船を離してしまった。船はあっさりと転んだ。 透は膝を下ろした。うみは流れ出た。私は黙って立ち上がって、その場を去った。 中庭と校舎を結ぶドアを開けると、どこかの教室から昼の放送が漏れ聞こえてきていた。それがきっと穏やかな合唱曲だとわかって、私はその場でほんの少しの間うずくまった。 ひどくまちがった気分になったのだ。
*
真夏の港なんて来るものじゃない、と私は思う。それから、呼び出したやつが遅れてくるなよ、とも。 スマートフォンを取り出して、「十二時」「ここ」とだけ記された、透からのメッセージを再びにらむ。透は二十歳になった。しかし、なったからといってなんだということはなかった。十九のときに成人年齢が引き下げられたせいで、その数字がかつて私たちに与えてくれたはずの意味の多くは、以来ずっと宙づりになってしまっていた。だから透がこれから何をしようとしているのか、私には完璧に予想がついていた。 私は七年前にそれをやめた。透は今からそれをする。正確には、透はそれに失敗したから代わりに私を相手にしようとしているのだ。そういうわけなので、するべき返事も自ずと浮かんでいた。 要するに、あいつはフラれた。私もあいつをフる。もちろん、シンプルな比喩だが、比喩が真実と��致することは必ず無いと証明できる者など、果たしてこの世に存在するだろうか? 帽子を深めに被りなおして顔を上げる。酷暑のせいか、辺りに人はほとんどいなかった。おそらくろくに釣れないのだろう。海からはやはり厭な匂いがしていた。いくらかくたびれてきたシャツブラウスを着てきたのは正解だったなと思いながら、自分が贅沢な人間になったことを自嘲する。ここのところ衣装を買い取ったり頂いたりすることが増えていたから、そろそろクローゼットの全容を把握できなくなりつつあった。 「整理する必要がある」 整理する必要がある、と私は心のうちで繰り返す。多すぎるのだ、何もかも、積み重なってきたものが。 振り返ると、遠くに自転車の群れが見えた。おそらく中学生かそこらの集団だろう。大声で歌でも歌っているのか、離れた港にまで彼らの声が残響のように聞こえてくる。自分にもそういう時期があったっけ、と考えてみたが、うまく思い出せなかった。どちらにせよ、どうでもいいことだが。あったとしても、再びああいう風に歌いたいとはとても思えなかったし、なかったとしても、ああいう歌をあえて聞きたいとは思えないだろうから。 だから私はそれを聞くともなしに聞いていた。自転車はゆっくりと走っていた。早々に海へ向きなおってしまったので実際のところは知らないけれども、音を聞く限りはそうだ。曖昧な音程に合わせて、私は頭のなかで適当なポップ・ソングをあてはめようとしてみる。これも違う。それも違う。あれも違う。そうしているうちに、曖昧だった音の輪郭が、次第にはっきりしてくるのがわかる。彼らがきっと声を張り上げたのだ。歌詞は一向に聞き取れないが、私はこの歌を知っているという予感がした。まもなく、それは確信に変わった。 私はこの歌を知っている。 ああ、これは、あの合唱曲だ――
少し離れたところに、なにかが光って見えた。 船だろうか、と私は目を凝らす。 ざざざざざざざざ。 そいつはものすごい速さで近づいているみたいに見える。 ざざざざざざざざざざざざ。 そいつはぎらぎらと太陽を身体にまとわせてしぶきを上げる。 ざざざざざざざざざざざざざざざざ。 そいつが光る。ぱあっと光る。そいつの投げた光が一直線に網膜を焼く。私は眩んだ目を閉じて、そのまま耳を澄ませた。獰猛な獣の唸り声が徐々に収まって、それから軽やかに連なる朝の雨を私は聞いた。雨は私の鼻先で止んだ。「あれ。失敗? サプライズ」 「ばれてないと思ったの」 「何も言わなかったし、樋口も」 「ばれてるってばらさなかっただけ」 そっか、と雨は答える。そうして、わかるんだ、とも小さく漏らした。「じゃあ、行こ」 風が止んだ。太陽はま��辛抱強く照り付けていた。私はいっそう強く眉根を寄せてくらやみを作りながら問うた。 「なんで。ていうかどこに」 「えー。わかってるんでしょー」 「知らない」 「ショーシン、してるの」ショーシン、とそいつは確かめるように発音する。「だから、行かなきゃ、旅行」 くらやみのなかで、目の前の空気が微妙に熱を持つのがわかった。私は顔を上げたまま口を開いた。 「私はべつに、傷心してないし」 えー、とそいつは不満そうに笑って、「じゃあ傷ついてよ」と短く投げつけた。 「は?」と聞き返す間もなく、そいつは重ねる。 「なろ、ふしあわせに」 ふ、と私は笑ってしまう。笑ってしまったから、計画はそこで台無しになった。私は手を伸ばした。そこにはちゃんと透の手のひらがあった。 「ていうか、なんで閉じてるの、目」 「……ライト、つけっぱなし」 「あれ。ほんとだ。まぶし」
*
それからはエンジンの轟音がすべての声をかき消した。 円香は目を開けた。たちまち潮の匂いをはらんだ風が乾いた瞳に飛び込んできたが、彼女はもう瞬きひとつしなかった。ただ透きとおる風を吸い込んで、自らの瞳の奥に海と同質の水脈が眠っていることを彼女は知ったのだった。
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目次
空音の二次創作SS置場予定地
東方
エイvsイカvs羊:稀神サグメ ドレミー・スイート
シャニマス
雨・かえる・雨:浅倉透 樋口円香 するから、しあわせに:樋口円香 浅倉透
ユーフォ
蝶つがい:鎧塚みぞれ
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エイvsイカvs羊
イカに映画を映している。夢だからってなんでもやっていいわけじゃない。いびつなスクリーンとして鮮やかにひかるイカたちを眺めながら、隣で得意な顔をしているドレミーを睨む。彼女の抱えるまるい羊の瞳が、イカを照らしつづけているのがわかる。「まあいいじゃないですか」ドレミーが羊を撫でる。映画が巻き戻されて初めのシーンが現れる。都の中心にひとつのモニュメントがそびえていて、そこにはこう刻まれている――エイの裏側より、イカの表面を見る方が楽しい。 「わかったって」とわたしは諦める。「わたしのせいって言いたいんでしょう」 ドレミーは首を振って「夢に責任なんてありませんよ。わたしも例外ではなく……」 「ただ、まあ、義務を言い訳にする娯楽も悪くはないって言いたいだけですよ、わたしはね」 彼女は羊のこめかみをぐりぐりと弄って違う映画をイカに投影しはじめた。エイの裏側より、イカの表面を見る方が楽しい。というキャプションがまたしてもイカの表面に刻まれる。それは今日わたしが口にした言葉でもあった。エイの裏側より、イカの表面を見る方が楽しい――少なくとも、いくらかの月の住民にとっては。もし真偽を確かめたければ、足取りの重たい兎をつけると良い。 兎は幾度となく左折を繰り返した末にある建物にたどりつく。そこにはいくつもの水槽があって、薄暗い部屋のなかに青く浮かびあがる地球の海の投影を眺めることができる。その片隅に行けば、きみはきっとイカの愛好者たちに出会えるだろう。立方体の海を漂うイカをぼうっと眺めつづける、愛好者たちに。 「あれっ、サグメ様もイカを見に?」と愛好者の兎が問うた。わたしは黙って首を振った。 「ですよね。そんな感じには見えないですもん」 「そんな感じ?」 「あー、えーと、なんていうかー……」 兎の声はゆっくりと引きのばされて、そのまま途絶えた。独特の緩急だと思った。それが彼女の正直さによるものか、偽装によるものかはわからないけど。 「とにかく、イカを見に来てる人はイカを見に来るしイカを見に来てない人はイカを見に来ないんですよ。トートロジカルですけど」 「うん」 「わかったんですか」 「わかる人にはわかるってことね」 「おおー」 喋りすぎたな、とわたしは口を押さえる。 「わたし、誰かに説明をわかってもらえたの初めてです。ありがとうございます」 兎はせわしなくお辞儀をすると「あ、偉い人はエイとかをよく見てますよ。あっちの水槽です」と素早く手を挙げて示した。彼女の発話のスピードはもう初めの五倍ほどになっていた。こういうとき、無口にならざるをえない事情があると知られているのは便利だった。怒涛のような彼女の声に押されてわたしはそこを去った。結局イカもエイも見なかった。あんなに速く喋らないし、偉くもないから。
エイの裏側より、イカの表面を見る方が楽しい。と刻まれたエレベーターの扉が開く。中には男が一人。わたしたち観客は彼をじっと見つめた。彼もじっとわたしたちを見つめた。しかし観客がそこへ乗り込むことはない。当然だ。扉が閉まり、カットが切り替わる。エレベーターの中の男をわたしたちはさまざまな角度から眺めている……。 「これはまあエレベーターに囚われつづける男の映画ですかね」 「囚われつづけるんだ」 「ネタばらししちゃいました」 「べつに。でも、退屈そうだなって」 「退屈」とドレミーはゆっくり繰り返した。エレベーターにはおびただしい数のボタンが付いていた。最上階は62階らしい。「何かあるかもしれませんよ、これだけあれば」「何か……」 「37」と男が呟く。それは周期的な監視映像の終わる合図だった。カメラが男の後頭部に狙いを定め、侵入していく。男の視界を通じてわたしたちは階数表示を読む。 「28」 男は数字に関して特異な記憶力を持っていた。たとえば28についてはこうだ。ある暦で28年目に当たる年、彼の故郷で開かれた競技大会にて、登録ナンバー28の選手が通算28回目の入賞を果たす様子をたまたま点けたラジオの中継で彼は聴いた。そのとき彼は28歳で、ちょうど28個目のアルファベット・チョコレートを舐めおわるところだった。けっして愛国者ではなかったが、数字がめぐりあわせてくれたこの奇妙な縁に彼は感謝した。すると、彼の頭の中に古い友人たちの名前が浮かび上がってきた。この体験を話すにふさわしい、愛国者と競技者と司祭の名前が。加えて、彼らの電話番号がみな28で終わっていたことも。こうして彼はこの数字への偏執的な記憶力を自覚したのだった。 そのため、男はエレベーターに囚われたこと自体に不満は無かった。ただちに記憶を呼び起こしてくれる神聖な配列がつねにそこにあったから。不満があるとすれば、このエレベーターの最上階が64にあと二つ足りないことだろう。64、これも彼にとって重要な数字だった。もちろん日常見かける数字で彼にとって重要でないものなどなかったのだけれども。たとえば母親の享年と今までに食べたパンの枚数がその数字に符合する。(彼は後天的な小麦アレルギーだ) しかし、数字が彼の退屈を紛らわせたとしても、わたしたちにとって���そうではなかった。思い入れのない数字が思い入れのない記憶に置換されるだけだから。わたしも彼に倣って何か思い出せないだろうか、と映画を眺めてみる。けれども元より興味の無い映像だ。わたしの想像が喚起されることはない。 「これ、面白いと思って見せてる?」 「そう見えます?」 「ううん」 「じゃあオチだけ見ますか」 ドレミーが羊をこねると、イカが高速でくねくねしはじめて映像が早送りになった。かなり気味が悪かった。結局、男は本当にエレベーターから逃れられなかった。最上階を除くすべての階層をめぐった後に、エレベーターは男を捕らえたまま逆さまに落ちた。62階は29階になり、床は天井になり、男は屍になった。扉が開き、向こう側から人々が乗り込んでくる。そして何事も無かったかのようにエレベーターは下降していく。62階の先へ。だが、われわれが階数表示をふたたび目にすることはなかった。そこで映画は終わりだった。 「退屈な露悪趣味」とわたしは言った。 「それは映画の感想ですか?」 「他に何があるっていうの」 「わたしの性格かもしれないな、と」 「思ってもないくせに」 「あるいはあなたの性格かも、とも」 「わりとそうかもね」 「すみません。わりと思ってそうですね」 ぐい、とドレミーの手の中に収まっている羊を押す。確かこの辺りを押すと次の映画に切り替わるはずだ。「やる気だ」「ドレミーがうるさいから」わたしは今夜待ち構えていた彼女の言葉を思い出す。「あなたがあまり眠らないから、新作準新作が山積みになっている」恩着せがましい、と思ったことも。「おすすめしているだけですよ」「だって全部見る人なんていないってわかってるでしょう」「それはひとつも見ない人の言い訳です」「そう? ひとつも見られなくたって構わない人の売り方だと思ってた」あるいは言い訳を売っているのだと思って��た。全部を見ないことの。 ここのわたしは半分だけの言葉を口にする。もう半分がどうなるかは知らない。おそらくドレミーならたやすく掬いあげる手段を持っているのだろうが、もちろんそんなものをあてにはしていない。 羊が激しくまばたきを始める。イカが仲間を呼ぶ。羊の光線がめちゃくちゃに飛んでイカの群れに突き刺さる。でたらめな映画の断片を刻み込まれたイカたちがつぎつぎに墜落していく。終末期の伴侶の名を呼びつづける女。ハンプティ・ダンプティのパロディめいた発話。たぶん神様の横顔。感情を獲得しないロボット。ずっと九秒前の字幕。あまりにまずい翻訳。犬。孤立した比喩。ひどく酔った司祭が信徒の左手にマリアの微笑を見る。わたしはこの光景をエンドロールとひそかに名づけた。「ねえ、考えてみてくださいよ」ドレミーは言う。「反応の無い相手に語りかけることの難しさを」ドレミーは言う。「反応を待つことのない言語の無意味さを」ドレミーは言う。意味に満ちた言葉を。 九秒前の字幕が追いつく。 エイの裏側より、イカの表面を見る方が楽しい。 わたしはそれに同意しない。その比較に意味は無い。司祭の神秘体験に意味が無いように。 それでわたしは、あのはやい兎がイカを見に来る理由を了解した。愛好者たちは飽きていたのだ。都に。秩序に。意味に。裏側に。あるいは、彼らは潔癖に忌避していた。不正を。硬直を。性器を。言葉を。そうでなければ、こんなくだらない映画を現実でも見たいなんて思わない。 生物の滅びた世界でロボットたちが猛烈に信号をやり取りしている。いったい何をそんなに話すことがあるんだろう、とわたしは思う。(でもそれはまちがいで、そもそも彼らは話してなんかいない。ロボットだから。わたしは部屋の思考実験と檻の冗談を思い出す。視界の限られた主体には、檻の内と外を区別する究極的な根拠を手にすることはできない。) 「根拠なんて考えるまでもないのに」と隣のハンプティ・ダンプティ気取りが言う。「わたしがそう思うからそう。あなたがそう思うからそう。わたしがそう言うからそう。あなたがそう言うからそう。それ以外に何が必要だって言うんですか」うるさい。わたしは羊を捕まえようとする。羊の毛玉がぱちぱちと燃えはじめる。「少なくとも、わたしやあなたにはそうした特権が許されているのに」うるさい。知らない。許さなくていい。許さないで。許すな。 燃える羊を捕まえる。豊かな羊毛の球のなかで何かが爆ぜつづけているのがわかる。けれどもひとたびそれを抱えてしまったから、羊と一緒にわたしたちも炎となって落ちはじめる。イカたちがかっと炎に照らされて、いっせいに墨を吐いた。墨は炎を襲った。羊を襲った。ドレミーを襲った。わたしを襲った。全部がまっくらになった。 わたしはようやく口を開いた。 「やっぱり好きじゃない」わたしは繰り返す。「やっぱり好きじゃないな。夢の映画のこういうところ」 「現実の映画も似たようなものですよ」 「そうかな」 「だって何でも自意識と結びつけてくるのが気に入らないんでしょう」 そうなのかな、とわたしは思う。そして、わからないな、と思う。ならば試しに自分以外のことを意識してみようと考えて、わたしはドレミーの表情を想像する。 「ドレミーが」わたしは切り出す。「全部わかってますって顔してるのが気に入らないのかも」 「見えてないくせに」 「見えてないって見えてないでしょう」 「いまあなたが教えてくれました」 ずるい、と言いかけてやめる。そして目を擦りかけてやめる。たぶん少し疲れていた。だから何もかも宙づりにして、わたしはドレミーに投げつけた。 「というよりも、どうするの、これ」 「起きて顔を洗えばいいんじゃない?」 「そんな話をしてるんじゃなくて……」 「だって夢なんてそんな話です」 こういうときだけ、ドレミーは身も蓋もないことを言いたがる。もちろんその外装が冗談だとわたしは知っている。曖昧なことしか言わない人が、どうでもいいことだけ急に断言をするという冗談。しかし同時に知っている。冗談よりも誠実な発話など、ほとんど存在しないということを。 だから「それでもそんな話じゃないって言いたいなら」とドレミーは続けてわたしの肩を押す。「あなたがそうしてください。そんな話じゃない話に」 わたしは黙ってされるがままに仰向けになった。
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雨・かえる・雨
きみはバス停の辺りに差し掛かってようやく、車道に蛙が氾濫していることに気付く。――あ、ときみの声が落ちるよりも早く、地面の、うすみどりの斑点のいくつかが跳ねる。げこ。きみは驚かない。――あ。きみの声は既に放り出されてしまっていたから。 代わりに、うわ、と円香が声を上げる。きみは彼女の苦手なものを思い出した。いや、覚えていた。きみはおびただしい蛙のうちの一匹の、黒々とした瞳の奥を覗こうとする。それは道の真ん中ほどにあるので、もちろんどうにも窺いがたい。こりゃだめだ、ときみは顔を上げる。「ていうか、いまさら気付いたの」と円香は言った。「え、うん」 きみは円香に倣って歩道側に視線を戻して「うん」とふたたび頷く。「いるね、めっちゃ。道じゅう」 「いるっていうか――」 ――落ちてる。円香の言う通り、先ほど跳ねた蛙以外の多くの四肢は弛緩して伸びきっていた。すっかり仰向けになっているものも少なくない。はたしてバスは来るのだろうか、ときみは思ったけれども、案外あっさりとそれは来た。ぼうっとしていたので、巨大な車輪が蛙たちを轢き殺してしまったかどうか、きみは確かめられなかった。もちろん円香にそれを尋ねることもしなかった。たぶん、そもそも、それほど興味が無かった。 「なってるじゃん、ニュース」 空気を吐き出して閉まるバスの扉を見送りながら、きみはスマートフォンの画面を円香に見せる。数行の文章と写真が載っている、いかにも速報という感じのウェブニュース。「見たくない。写真」円香は顔を背ける。「『ファフロツキーズ』……だって」きみは読み上げる。「この、現象の名前?」相槌を打つ円香の声はいつもより低い。朝と、おそらく蛙のせいだ。「うん。降るんだって、空から。魚とか、オタマジャクシとか」「降ったとは限らないでしょ。ただの大量発生とか、集団移動とかかもしれないし。第一、蛙が降るところを見た人がいるの?」「そこまで書いてない、けど。降ったかもじゃん? 夜中とか……」 そう言いながら、きみはふと思いついて「それか――いまも降ってるか。誰も見てないとこで」と適当に振りかえって指差してみる。当然、蛙は降らない。きみが見ているから。日差しの徐々に強まりはじめた路上で、作業服の大人たちが網を持ってうろうろしていた。彼らの足元で蛙たちがしきりに跳ねている。逃げているのだ、ときみは思う。作業服の一人が網を構え、もう一人がそこへ蛙を追い込みはじめる。あ、ときみは言いかけて、飲み込む。蛙はあっけなく網の中へ落ちていった。 「捕まえてる、蛙」 「そう。良かったんじゃない」 「どうするんだろ」 「まとめてどっかに放すんじゃない。知らないけど」 そっか。円香が平坦に言い放った推測に、きみはそう返す。殺すとか、処分とか、きっとそういう言葉がきみの頭の中には浮かんでくるところだったので、円香の答えはきみをいくらか安心させた。きみは蛙の命運を眺めるのをやめて、円香の方に向き直る。彼女はたぶんいっさいの顛末を見ていなかった。 「そっかー……」ときみは考えて、そのまま「でも、蛙もさ」と切り出す。 「降ればよかったのに。最初から。捕まらない場所に」 「じゃあ、降ってないんじゃない? 最初から」 「あれ」 「場所が選べるなら、こんな路上に落ちようとしない」 「どうだろ。落ちたい――かも」きみは蛙の生活を想像してみる。「だって、いつもいるの、池とかだし」 「まあ、蛙の気持ちなんて知らないけど」円香はきみの反論を打ち切る。「結局、誰も見てないけどね。降る蛙」「えー……」 「見たいわー」 風が吹いて、つられてきみも円香も息をする。なんというか春らしい、つまり花の匂いと暑さの密度の高すぎる風だった。蛙がいなければ、きみはすっかり眠らされていたかもしれない。幸いにも、いまのきみはあくびひとつだけでそれに抗えた。「で」と彼女が口を開く。「見て、どうするの。願い事でもするの?」 もちろんそれはおそらく冗談だった。皮肉だった。彼女の口元を観察すればそれはすぐに分かることだった。だけどそのとき、きみの瞳は涙で覆われていたので、きみはいくぶん柔らかく彼女の表情を受け取る。だから、きみは素直に感心する。「おー」 「いいね。流れ蛙だ」 「良くはないでしょ」 「え。良いって。たぶん。蛙だし。叶いそう」 「理由になってない」 「何かしてくれそうじゃん。星よりは。きっと」 涙を拭う一瞬のうちに、きみの視界の端を光が掠める。降らず、上方へ飛んでいく光。きみは少し伸びをして、ついでに光を掴もうとしてみる。手ごたえは無い。「ふふっ」「なに」「ん。何も無いなー、って」 「そうだね」 首を動かさずに円香は目だけできみの視線を追う。あるいは目すら動かしてはいなかったのかもしれない。彼女はただ凪いでいて、それできみは本当に、何も無いなー、と思う。先に言葉があって、後から認識がやって来る感覚。ちょうどゴミ箱の口に投げ入れられた、ペットボトルみたいな。 「ねえ、樋口は何お願いするの」 「浅倉は?」 「あー……考え中。樋口は?」 「じゃあ、『蛙が降ってきませんように』」 「えー」 「なんでもいいんでしょ」 「んー……。なんかそれって、変な感じになるかも。叶っても。叶わなくても」 「別にいいんじゃない? 蛙が降るのは変な感じだし、それが願いを叶えるのも変な感じだし」 「そっか」 きみは納得する。「そっかー」大急ぎの自転車が二人の傍を走り抜ける。「わ」ときみは驚く。円香は驚かない。何かつまらないのかもしれない、ときみは思う。だからきみは切り出してみる。「賭ける? 明日も降るかどうか」「降らない」「え」円香の眉が微妙に上がる。「なに」「降らない派なんだけど。私も」「は?」「え。降らないに賭けようかなって」きみはいたって真面目に繰り返す。 円香が気だるそうにふたたび口を開くのと同時に、きみは前方にチャイムの音を聞いた。「遅刻?」きみは尋ねる。「ん」円香は最小限の動きで頷いた。彼女はもう「いまさら?」などとは言わなかった。それ自体が「いまさら」だったからかもしれないけれども。 とにかく、チャイムが鳴っていた。予鈴かもしれないし、本鈴かもしれないが、どちらにせよ、間に合いそうにないときみは思っていた。「鳴ってるわー」とひそかに口の中で呟いてみる。それが円香に聞こえ���いたかどうかも、きみには分からなかった。 だからきみは気付かない。いま、蛙が空から降ってきた、その音に。 ――あ。 それでようやく、願い事なんて考えていなかったことにわたしは気付く。
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蝶つがい
技術は裏切らないとよく言うけれども、初めて聞いたのはいつだったろうか。幼いころ、ほんの少しだけピアノを弾いてみせた母親だったか。中学時代の顧問の先生だったか。あるいはそれを繰り返す君の声だったか。判然としないが、何なら裏切るのだろう、と思ったことだけは確かに覚えている。いつかちょっとした会話の中で尋ねてみたら、君は「感情?」と疑問混じりに答えてくれた。上手く返事ができないでいると話題は他愛ない冗談に流れていって、君と同じ話を繰り返すことは二度と無かった。 技術に感情を対置させるというのは今になって思えばありふれた話なのだけれども、私にはそれらの関係が結局のところよく分からない。たとえば、どちらが基礎なのかということが。私はどちらの上にどちらを築いていけば良いのだろう。感情を伴わなければ人が技術を身に付けることに意味は無く、技術が無ければ感情を十分に表すこともできないという。すると技術は感情のいわば媒介であって、橋のようなものなのかもしれない。舞台と客席とは彼岸と此岸であって、私たちは音によってのみそこを渡れるのかもしれない。仮に言葉遊びだったとしても、連想はかつての日々にいくらかましな意味を補ってくれるだろう。 日々は慣性的だった。そのころの私は君を唯一の引力と信じていたので、運動自体は原因の一時的な喪失以降もたえず続いていて、それはある種の公共事業に似ていた。橋の建材を私は運びつづけたが、その意義や終着点を考えたことはろくに無かった。無意味だからだ、考えることすらも。このとき私は偶然にも技術と感情の差異に辿り着いていたのかもしれない。つまり、技術にそうした意味は不要で、感情には必要だということに。 もう一つの差異は、裏切りについてより根本的な問題だった。 たとえば私にとって、演奏の質を同じに保つことはそう難しくない。それは技術的な問題で、そもそもできなければできなくて、できればできるという、ある種同語反復的なものだから。仮に以前のやり方から逸れたとしても、指導者や周囲の奏者の指摘を助けに私はそれを修正できる。だけど、技術以外はきっとそうじゃない。ある曲についてひとたび抱いた印象や感情、結び付けられた記憶といったものは、技術によって表せなければいつか明確な輪郭を失ってしまう。 だから、音楽を知る以前の私の記憶の同一性は、私自身にとってもかなり疑わしい問題だった。君が声を掛けてくれたときのこと、記憶の輪郭の始点すらもしかすると描きそこねているのかもしれない。昔よりも記憶と音楽をうまく結び付けられるようになった今、私はときおりそんな取り返しのつかない裏切りの可能性を後悔したり、不安に思ったりしている……。
宇治川の微かな水音が夕暮れの中に浮き上がった。私はそれを素直には懐かしめなかった。川沿いを歩きながら、たびたび胸の内をうずかせる感傷をよく言う郷愁に当てはめてよいのか私は迷った。宇治に住んでいたときでさえここまで出歩くことのほとんど無かった内向性のためだろう。川や街並みが感情に反響するというのは私の場合おかしいのではないかと思った。君や君をきっかけにもたらされたあの日々を懐かしんでいると言った方がおそらくまだ誠実だろう。覚えていないにしても、覚えようとはしていて、覚えていると信じてもいるから。 私は川と時間の比喩を思う。私の傍で今も絶えず流れつづけている川のことを。同じ水に入ることはできないという濫用された警句を。あるいはレテの水の言い伝えを。宇治の川にきっと私の記憶は流れていない。記憶が流れに奪われることもない。 ただ、時間だけがあった。あらゆるものを例外なく流し去ってゆく時間だけが。川面をひそやかに揺れていたのだろう白い光の一すじが不意に視界いっぱいに引き延ばされてあっけなく消えた。明滅し、遠ざかる残像を追いかけながら、私はかつて言ったことを思い出す――君のすべては、私にとってはずっと今で、それは今も嘘じゃない。 けれども、私たちは実のところ今のほんの一部しか知らない。たとえば視界が有限であるように。ならば、その言葉に大した意味は無いのかもしれない。それはきわめて個人的で、脆い信仰にすぎないのかもしれない。 だからもし、今でさえ危うい私の記憶がある日、昨日のことになってしまったら、遠い昔のことになってしまったら、もうそうなっているのだとしたら……。 忘れて、ようやく思い出せた頃には遅くて、きっと私はひとり砂漠に放り出されているのだろうと思う。 喉が渇いていた。 唇を軽く湿らせて結ぶ。乾燥は大敵だというのに、ついぼうっとしていた。 惹かれるようにしてふと流れを見やると、私と川を隔てる茂みから一羽の蝶が湧いた。いま取り掛かっている曲が蝶の名前を冠していることもあって、私はそれを視界から逃がしてやれなかった。間もなく、蝶は傍に止まった。注意深く身を屈めて見るとその非対称性がいやに気になった。左右の翅の裏側のパターンはよく似ているようで違う。じっと閉じている翅の雪色を観察するために、足音を殺してその左右を行ったり来たりしなければならなかった。しかし、足取りのコントロールに気を取られはじめると観察の方がおろそかになる。結局私のしていることは総合的には蝶の観察というよりも蝶そのものの模倣に近いのかもしれない。つまり、一つの目的に向かう異なる二者の調和を探るという、あまりに普遍的な行為である。おそらく、記憶についても同じことが言えるだろう。 過去を��めようとしていた頃の私は、代わりに今のほとんどを習慣の中に失わせてしまった。反対に、時間を、今を過ごすことに夢中になると、私はきっと何もかも忘れてしまう。経験と記憶の蝶番の両翼は同じものだと決めつけて、標本のように死体を死体と知らず眺めつづけるのだ。小学生の頃に読んだ国語の教科書の、磔にされた蝶の痛ましさだけがやけに印象に残っていた。片翼だけを留められた蝶は、逃げ出そうと逃げ出すまいと、本当の意味で両翼を取り戻せはしない。翼を奪い合うはずだった私たちのうち、聡い方がもう一方を逃がして、鈍い方が留めて、奪って。 「『覚えてない』って言ったかもしれないけどさ、忘れられるわけないよ」と珍しく不器用な子供みたいに笑う君のことを、私は今度こそちゃんと覚えているつもりだった。 私ももう昔ほど鈍くはなかったので、君がどうしてそんなことを言うのか、どうしてそんなふうに笑うのか、その理由へ思い至れてしまったけれども、やっぱり本当の意味で君の言葉に追いつくことはできない。そもそも私には、君について許すも何もないのだけれども。聡い君は鈍い私よりもずっと早く罪(と君が考えるもの)に気づいていて、償っていて、私がそれらに追いつくころには君はとうに遠くにいた。 例外があるとしたら、ある種の正義という光が強く君を照らすとき、そのときに限り君の影は私の足元まで届いて、私は君を咎めてみたりできるのかもしれない。 たとえばかつて優子のことを太陽のようだと言う人がいて、私たちのあいだでちょっとした話題になった。もっともそれを持ち込んだのは夏紀で、結局一番面白がっていたのも夏紀だったけれども。「確かに太陽みたいだと思ってたよ、砂漠の」だとか、あるいは「真夏の」だとか、夏紀がからかって、優子が言い返して、「仲良いねー、君たち」と君が言って、いつも通りのやり取り。そうでないものがあるとしたら、そのとき覗き見た君の表情くらいだろう。私の目が正しければ、君は耐え忍ぶ罪人に似ていた。 だから、私には影であっても君を踏むなんてことはできない。その罪の償い方を知らないから――君のようには。罪の天秤の片方に私は何を捧げればよかったのでしょうか。互いの罪科は個人的な物なので、それらが同じ天秤に載ることは無い。つり合うことも無い。 それでも私たちはたぶん昔よりずいぶん上手く話せるようになったと思う。少なくとも対等に振る舞えるようにはなっていた。ただ互いの罪の存在が互いに明らかであればよくて、それだけで私たちの倫理と能力は演じることを許してしまった。もう少し慣れたら、君に手を引かれて踊ってみることだってできるかもしれない。朝、踊り場で軽やかに回る君の左足をいつだって目で追っていた。その美しい弧の陰の、誠実な軸足だってちゃんと覚えているつもりだった。私にとってそれは一つの善だった。 これはあくまでも他人の感想や講評の引用にすぎないのだけれども、私の演奏には何か宿るものがあるらしい。それがもし本当に私の感情や記憶の一部ならば、忘れっぽい私も技術と一緒に覚えておけるのではないかと思う。私の指先が、唇が、息が、すべてが、君のことを覚えつづけているなら、私は何も裏切らずにいられると思う。 重ねた両手を固く握りしめて口付ける。羽が無くてもそれは十分に祈りたりえていた。 いつか感情が裏切ってくれたらいいのにと本気で願えるほど、私は善い人間ではなかった。言葉が遅くてよかったと思えるほど、無欲な人間でもなかった。私が恐れていたのは君を裏切ることですらなかった。 けれども、そのおかげで私はこうして生きていられるのだとも思う。 もし私の言葉がもう少し速かったら、私はあの日の君の言葉を追いつづける口実を失ってしまっただろう。君の中でとうに死んだかもしれない言葉たちを拾い集めることも許されなかっただろう。私の言葉もたやすく伝わってしまって、君の器用な笑顔を取り巻く一部になってしまっていただろう。そして、そこには裏切られうる関係なんて最初から存在しない。 ただ、音楽だけが橋になりうる距離に私たちの言葉の速度はあった。それは最初から示されていた事実だった(と私は信じている)。 だから、二つの言葉に二度目の交点がありうるならば、それは生まれる前の言葉たちを音にしておくことによってのみ叶うものなのだと思う。 それでいつか、君の、今まさに生まれようとする言葉に追いつけたなら、私ははじめて君の最初の言葉に答えられるだろう。そう私は信じている。 祈りから口を離して顔を上げた。湿った唇がひとりでにフレーズを口ずさんでいるのに気付いて、息を止めた。でも。 蝶は飛び立った。翅の表があらわになった。
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