2014年度からはじまった日本バハレーン考古学調査隊によるワーディー・アッ=サイル考古学プロジェクトを紹介��るサイトです。
Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
隊員の読み物1 カーネリアンの話-思いつくままにー
堀岡晴美隊員からカーネリアンについてご寄稿いただきました。
ディルムン文明(前2200年~前330年頃)、その後のタイロス文明(前330年~後629年頃)が栄えたバハレーン島では、墳墓からさまざまな副葬品が出土しますが、そのなかにカーネリアン(carnelian/cornelian)を使った装飾品があります。カーネリアンとは紅玉髄とも呼ばれるように、赤色やオレンジ色をした網目模様の無い玉髄の名称で、ちなみに網目模様があると瑪瑙(agate)と呼ばれます。
カーネリアンをシュメール語では以下のように書きますが、
(筆者による手写)
これはNA4「石」とGUG「明るい」という単語が組み合わさってできた文字で、gugと読みます。
カーネリアンは西アジアでは先史時代からビーズの材料として愛好されてきました。メソポタミア南部(現在のイラク南部)に関して言えば、紀元前2600年頃とされるウルの王墓から出土した装飾品はつとに有名で、王妃が生前愛用したと考えられる装飾品の数々はじつに煌びやかで豪華です。黄金・銀など貴金属と並んでさまざまな貴石が使われていますが、とくにラピスラズリとカーネリアンのビーズはさかんに使われています。著作権の関係で写真を掲載することができませんので、「大英博物館 ウル王墓 装飾品」で検索してみてください。花冠・ティアラやラピスラズリ・カーネリアンなどでできたたくさんのネックレスを着けた女性頭部模型の画像が見られます。
カーネリアンはビーズ以外にも、少ない例ではありますが印章や動物彫像の一部に使われたりもしています。けれどもバハレーンで出土したカーネリアンはほとんどが装飾品のビーズとして使われたものです。メソポタミアやバハレーン出土のカーネリアンは、いずれも交易関係にあったインダス河谷からもたらされたものです。
バハレーン島には、前3千年紀末から前2千年紀前半にかけてペルシャ湾交易の中継地として繁栄した前期ディルムン文明の首都が置かれていました。ディルムンはインダスやオマーン(古名マガン)などから運び込まれる木材や貴石・貴金属をメソポタミアへ輸出していましたから、ウル王墓出土のカーネリアンもディルムンを経由したと考えられます。しかし一時期、メソポタミアへ向かう交易品がディルムンを経由せずに��ンダスから直接運ばれた時期もあったようです。メソポタミア南部に興ったラガシュ第2王朝のグデア王が残した碑文『円筒碑文A』に次のように記される箇所があるからです。「グデアの��めに精錬された銀がその山々から細粒の形で運ばれ、メルッハからの透明なカーネリアンが彼(=グデア)の前に広げられた」(円筒碑文A xvi 21-23, Edzard 1997, 78頁参照)。メルッハとはインダス文明が栄えた地域の古代名です。
メルッハではカーネリアンを原石からビーズに加工する技術が発達していました。とくに10 cm近くもある長さのビーズに孔を開ける技術は他の追随を許さない高度なものです。当時のインダスで行われていた石(カーネリアンを含む)の加工技術については、本プロジェクト・メンバーである上杉彰紀氏の論考があります(下記参照文献)。
カーネリアンの放つ明るい赤色・橙色は人の心を惹きつけたことでしょう。加工の過程で人工的に加熱処理をして赤味を増大させてもいたようです(上杉 2015)。逆にバハレーン島から出土するものの中には、白みがかった色のカーネリアンが時折見られます。白っぽい色味がこの地では好まれたのか、それとも他の理由があったのか、定かではありません。Ancient Bahrain: The Power of Trade, Highlights from the National Museum of Bahrain (2nd. Mill. BC- 3rd cent. BC) (バハレーン国立博物館カタログ) p.40にサール(Saar)古墳群(Early Dilmun 前2000年-前1800年)から出土した白みがかったカーネリアンと酸化して緑色になった銅ビーズのネックレスが、またp.127にShakhura(シャホーラ)古墳群(Middle Tylos 前1世紀~後1世紀)出土の鮮やかな赤色をしたカーネリアンと縞瑪瑙のネックレスの写真が掲載されています。
現代でもカーネリアン・ビーズはネックレスやブレスレットに好んで使われていますが、カーネリアンの原石は宝石類に比べれば安価なものです。しかしメソポタミアでも、またバハレーンにおいても、インダス固有の技術で加工され、遠方から海路ではるばる運ばれてきたのですから、加工賃や輸送コストを考えればラピスラズリ・瑪瑙・トパーズなどの貴石と同様にかなり高価で珍重されたと思われます。
(現代のブレスレット(筆者私物) 一辺1.5 cmの四角形ビーズがカーネリアン)
カーネリアンが高価な貴石と認識されていた事が分かるシュメール語文学作品があります。それは今日の研究者が『ル・ディンギラが母へ送るメッセージ』と名付けた作品で、高価なものや価値あるものを列挙する中にカーネリアンも登場します。カーネリアンに関連する箇所はたった1行しかありませんが、当時のメソポタミアの市民がどのような物や事柄を「価値あるもの」として考えていたかを知ることができる興味深い作品ですので、以下に大筋を引用してみます。
『ル・ディンギラが母へ送るメッセージ』
(Lu-diĝira’s message to his mother注1)
身分の高い(と推測される)ル・ディンギラという名の男性が、なんらかの理由で故郷を離れているため、遠方の都市ニップルで暮らす母親に無事を知らせるメッセージを送ろうと考え、使者に言付けを託します。
[1-8行目]「王家の使者よ、出立せよ。私はお前をニップルに遣わしたい、そしてこのメッセージを届けてくれ。お前は遠方への旅路に就く。私の母君は心配で眠れなくなっている。母君のいる女性部屋は閉ざされているが、私の挨拶状を彼女に手渡してくれ。母君は旅人たちに、私が元気かどうかをずっと尋ねているらしいから。そうすれば母は喜び、お前を手厚くもてなすだろう。」
けれども使者はル・ディンギラの母親とは面識がありません。そのため母がどのような人か使者に説明し始めるのですが、それは5段階にわたって延々と続きます。1段目は「名はシャット・エシュテル」に始まり、嫁ぎ先の家の一切を切り盛りする様子、その傍ら神殿の女性神官としても働いている事など、主に彼女に備わる特徴が使者に伝えられます。
カーネリアンはつぎの第2段(9-20行)に出てきます。少々長くなりますが引用してみます。
[9-20行]「私の母君は空に輝く光のような山腹の牝シカ。彼女は夕暮れ時にも光り輝く明けの明星。彼女は高価なカーネリアン、マルハシ(地名)のトパーズ。彼女は王の兄弟の美しさに満ちた宝石類。彼女はnir石でできた円筒印章、それは太陽のごとき装飾品。彼女は錫でできた腕輪、それはantasura石でできたリング。彼女は輝ける黄金と銀の塊、けれども呼吸し、生きている。彼女はラピスラズリの台座に鎮座するアラバスタ―製保護女神の小像。彼女は磨かれた象牙の竿、そこには美しさにあふれた手足がある。」
日本では女性の姿や佇まいを表現する際に花に譬えたりしますね。たとえば「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とか、『野菊の如き君なりき』という題名の映画もありました。ですから私たちにとって女性を金属や貴石に譬える表現にはじゃっかん違和感を覚えるのですが、しかしシュメール語文学作品で女性を特定の花に譬えた例をこれまで見た事がありません。この段で母を貴石や貴金属に譬えたのも、外見の特徴を表すというよりは、ル・ディンギラにとって母はとても高貴で気高いということを述べたかったのではないかと思います。
3段目の説明は、「天から注ぐ雨、最上の種のための水。十分に生育した大麦の豊かな収穫。笑いに満ちた…の庭園。井戸灌漑の松の木、飾られた柏槙の木。第一の月の産物である走りの果物。庭園の各区割りに豊穣の水を運ぶ水路。受容の高いディルムンの甘いデーツ」といった具合に、豊穣をもたらす天の恵みや農産物、メソポタミアでは入手が難しい木材が上がります。
4段目では人々にとって楽しい事や嬉しい事を列挙します。「祝祭と奉納。見るのが憚れるほど畏れ多いアキートゥム祭りの奉納品。豊かな稔りの歌。歓喜を提供するエンターテイメント会場。歓びに飽きることのない恋人。捕らわれ人がその母親の許に還るだろうという良き報せ。」
最後の5段目では、「甘く香しいナツメヤシの木。柏槙でできた二輪戦車、柘植の四輪ロバ車。精油で香りをつけた素敵な衣装。豊穣の印?の花冠となる葡萄の房。極上の油が溢れ出るダチョウの卵でできた小瓶」とありますが、これらは一般人には手の届かない贅沢品とでも言いましょうか。
このような説明の仕方で果たして使者はル・ディンギラの母を見分けることができたのか、と甚だ疑問ではあります。ただ1段目の「名はシャット・エシュテル」につづいて「身体、顔、手足、そして外見は」(11行目)とあり、容姿についてなんらかの説明を試みたのかと思うのですが、どういう訳かそのあとの説明が記されていません。それにしても、最も大事な要件のはずの外見についての部分が余りにも簡単すぎると思いませんか?
じつはこの作品は書記学校のテキストとして、メソポタミアの都市ニップル注2で前2千年紀に作成されたものなのです。「神の人(/男性)」を意味するル・ディンギラという名前もありきたりの名前で、実在の人物という訳ではありません。この作品はお��らく、書記のたまご達に「価値あるもの」「贅沢品」「喜ばしい事」に相当する語彙とその書き方を教えるために編纂されたのでしょう。
作品の末尾に母に伝えてほしいメッセージが記されていますが、それは「私は元気です」のたった1行だけでした。
注1 : この作品の翻字・翻訳をオックスフォード大学の
Electronic Text Corpus of Sumerian Literature (5.5.1)で閲覧できます。
当ブログでは下記Black, J. et al. 2004 pp.190-192の翻訳を参考にしました。
注2 : Nippur (現Nuffar)。メソポタミア沖積平野のほぼ中央に位置する都市。シュメール初期王朝
期からイシン・ラルサ期に至る間(前3千年紀~前2千年紀前半)、宗教的・文化的中心地であり、数万点ともいわれる楔形文字を記した粘土板が出土した。
参照文献
Black, J, G. Cunningham, E. Robson, and G. Zólyomi 2004 The Literature of Ancient Sumer. Oxford University Press, Oxford and New York.
Edzart, D. O. 1997 Gudea and His Dynasty. The Royal Inscriptions of Mesopotamia, Early Periods , vol. 3/1. University of Toronto Press, Toronto Buffalo London
上杉彰紀 2015 「インダス文明期の石製装身具研究の現状と展望」『西アジア考古学』16号 13-29頁
0 notes
Text
日本西アジア考古学会第23回総会・大会のお知らせ
第23回 日本西アジア考古学会が2018年6月16日(土)、6月17日(日)に開催されます。 1日目には「アラビア半島の考古学」をテーマとした特別セッションが開催されます。また、プロジェクトの最新情報について「バハレーン、ワーディー・アッ=サイル考古学プロジェクト2018」と題したポスター発表があります。(コアタイムは6月17日13時~13時半)また、堀岡隊員より発掘に関連する研究として「メソポタミアに銅を供給したニンザガ神」のタイトルの口頭発表が6月17日15:50~16:10で行われます。開催概要は以下の通りです。
2018年6月16日(土) 12:30-18:00 研究発表1(口頭) 特別セッション「アラビア半島の考古学」 ポスターセッション 懇親会
2018年6月17日(日) 10:00-16:40 研究発表2(口頭) ポスターセッション 総 会(昼食休憩後) 研究発表3 (口頭)
■会 場: 金沢歌劇座 石川県金沢市下本多町6番丁27番地
0 notes
Text
隊員のコラム3
原田怜隊員に、自己紹介、今回のバハレーンでの発掘経験、バハレーンでの生活全般に関してお伺いしました。
東京藝術大学の原田怜です。バハレーンには2011年に始めて来て調査を行って以降、ほぼ毎年訪れています。考古遺跡や遺物だけに限らず、あらゆる文化的な物質や性質に人間が意味をもたらし、かつ人に伝えよう、できれば残そう、という活動に興味があります。このため、バハレーンでは、現代のバハレーン人が古墳をどう認識し、古墳が現代においてどのような意味を持つのかについて関心を持っています。バハレーン以外はエジプトで活動しています。
私は発掘はせず、発掘成果を人に伝えたり、その人の持つ古墳に対しての認識がどう変わったかについて調べる作業をしていますので、現地でも単独で色々な方とお会いしている事が多いです。今回は、 バーレーン日本ビジネス・友好協会主催セミナーの企画と 博物館・遺跡見学ツアーの開催が主な作業でした。どちらもたくさんの方にお越しいただきました。 バーレーン日本ビジネス・友好協会は昨年度お会いして以降、温めていた機会です。このように、年に一度の発掘のタイミングに何かを企画するには、1年越しになることも多く、なかなか日本で思っている���ピードでやりたいことは実現しませんが、それでも今年で4回目の調査なので、少しずつですが形になることが多く喜びを感じます。
バハレーンではカラートゥル・バハレーン博物館に付属する宿舎で共同で生活しています。私自身発掘隊に参加するのはこの事業が初めてで、4年経った今もこういった共同生活は新鮮です。私たちの宿舎はとても良い立地にあり、キッチンからは海が見え、部屋の前には椰子の木の生える中庭があり、とても居心地の良いところです。写真は 特にお気に入りの博物館にあるカフェです。普段窓がなくて外の様子がわからない日本のオフィスにいるからでしょうか、 ここで海を見て日差しを浴びながら仕事をする時間がとても幸せです。

0 notes
Text
隊員のコラム2
昨年度と今年度の調査に参加した 山口莉歩隊員に、自己紹介、今回のバハレーンでの発掘経験、バハレーンでの生活全般に関してお伺いしました。
1、岡山大学修士1年生の山口莉歩です。もともとテレビでエジプト考古の番組を観たのが考古学に興味をもつきっかけです。都市国家の成立やいろいろな地域がどのように関わりあって発展してきたか、ということに興味があります。
2、今回バハレーンでの発掘を経験して、この遺跡の全体像について考えることができました。まだ具体的な結論は出ていないですが、この範囲の中だけでも古墳にバリエーションがあることがわかりました。この差はいったい何なのかなど、あれこれ考えたり、先生方とお話したりすることが楽しかったです。
3、スーパーで男性に間違えられたことが印象的です。アクセサリー(特にピアス)をつけていないことや作業着を着ていることがそんなに珍しいことだとは思いませんでした。文化や習慣って国ごとに違うんだなと実感しました。写真はハリールに連れていってもらったシリア料理のお店のもの。牛肉がほろほろで美味しかった!中東のごはんはかなり美味しくて食べやすい気がします。

0 notes
Text
隊員のコラム1
今年度の調査に参加した加藤舜也隊員に、自己紹介、今回のバハレーンでの発掘経験、バハレーンでの生活全般に関してお伺いしました。
①お初にお目にかかります、筑波大学人文・文化学群人文学類3年の加藤舜也と申します。現在、考古学を専攻し、主にインダス文明期のエッジドカーネリアンビーズについて勉強しています。今回のバハレーン調査に関しては、上杉さんからご紹介頂き、1/6~17の間、発掘調査に参加させて頂きました。
②今回の発掘調査では、非常に多くのことを学ばせて頂きました。というのも、海外の乾燥地帯での発掘作業は今回が初めてだったので、作業の進め方や現場での動き方、写真撮影の手順など、今回の発掘調査で経験したこと全てが、自分にとって非常に貴重な学びであったと強く実感しております。
③バハレーンでの生活は、朝晩が冷え込むことを除けば、想像以上に快適でした。発掘自体は12時頃に終了するので、昼食後は宿舎の近隣にあるバハレーン砦を散歩していたのですが、天候に恵まれていたこともあり、非常に綺麗な景色を満喫させて頂きました。機会があれば、またバハレーンを訪れたいと思っています。

博物館前の海岸線

バハレーン砦内の様子
0 notes
Text
バーレーン日本ビジネス・友好協会主催セミナーでの発表が現地で報道されました
2018年2月7日水曜日 にバハレーンのウェスティンホテルにおいて、 バーレーン日本ビジネス・友好協会(Bahrain Japan Business & Friendship Society、通称BJBFS)主催で行われたセミナーの様子が現地の DTNewsに取り上げられました。記事はこちらからご覧ください。

0 notes
Text
第四次調査を終えました
1月上旬より調査を開始した第四次調査を無事2月12日終えました。来年は最終年度です!
0 notes
Text
博物館・遺跡見学ツアーの開催
2018年2月9日(金)に カラートゥル・バハレーン博物館とカラートゥル・バハレーンのサイトの見学、並びに遺跡見学を実施し、45名の方々にご参加いただきました。博物館とサイトは後藤団長から各見どころの説明と、堀岡隊員から資料を使いながら展示されている粘土板について説明を行いました。遺跡では上杉隊員より、今年度発掘した5つの古墳と遺物について説明を行いました。特に取り上げ前の人骨を見た参加者の皆さまにとても喜んでいただき、特に3年連続でご参加の方より、「今年の成果は特に素晴らしい」とお言葉をいただきました。私たちも大変励みになりました。ご参加いただいた皆様、並びに、開催に際してご協力いただきました在バーレーン大使館にお礼申し上げます。

博物館での説明

カラートゥル・バハレーンのサイトの見学

遺跡見学

集合写真
0 notes
Video
tumblr
今シーズンの調査もあと残すところもう少しです。今年は5基古墳を掘りました。遺物も今までにないものが出てきたり、今までで一番残りの良い骨が出てきたりと、とても面白いシーズンです。ただ、出てくる骨はもろいので、石室部分を掘るときは板を渡して体をあずけて掘っています。担当者曰く、この体勢はとてもきつい、とのことです。
0 notes
Text
ワーディー・アッ=サイルの他の発掘隊
昨年末よりワーディー・アッ=サイル遺跡の一番北側をバハレーン政府が発掘を始めました。一番北側は ワーディー・アッ=サイルモールもあり、開発が進んでいる地域です。担当は後藤団長の古くからの知り合いのムスタファ氏です。


0 notes
Text
バーレーン日本ビジネス・友好協会主催セミナー(2018年2月7日水曜日)での発表
2018年2月7日水曜日 にバハレーンのウェスティンホテルにおいて、 バーレーン日本ビジネス・友好協会(Bahrain Japan Business & Friendship Society、通称BJBFS)主催のセミナー が行われ、後藤健団長 Dilmun and the Japanese:A short history of archaeological studies との題目で発表いたしました。 50名を超える方にご参加いただきました。 今回の講演会は、昨年2月にバーレーン日本ビジネス・友好協会のチェアマンのNasser M.J. AL Arayedh氏とバハレーン国立博物館での日本の写真展のイベントでお会いしたのがきっかけでした。本年度の調査を待っての実施のため、1年越しとなりましたが、本プロジェクトに関心を持っていただき、開催に関する様々な手はずを整えてくださいましたNasser氏並びに バーレーン日本ビジネス・友好協会の皆さまにお礼申し上げます。




0 notes
Text
第25回西アジア発掘調査報告会のお知らせ
第25回西アジア発掘調査報告会 が2018年3月24日(土)、3月25日(日)に開催されます。 2日目の 3月25日(日) 10時半より、本プロジェクトの最新調査報告が、安倍隊員により行われますので、お知らせします。
最新プログラムはこちらよりご確認ください。
日 程:3月24日(土)、3月25日(日) 会 場:池袋サンシャインシティ文化会館 7階会議室705室 定 員: 各日先着150 名(事前申込不要) ※座席数に限りがあり、立席になる場合もございます。 あらかじめご了承ください。
参加費: 1,000 円(資料=発掘報告集代含む) ※日本西アジア考古学会会員および古代オリエント博物館友の会会員は500円
主 催: 日本西アジア考古学会・古代オリエント博物館 後 援: 国士舘大学イラク古代文化研究所・日本考古学協会・早稲田大学エジプト学研究所
▶参加者は当日に限り古代オリエント博物館入館無料
0 notes
Text
博物館・遺跡見学ツアーのお知らせ
もうすぐ第4回目の調査が予定通り終わりますが、過去3回と同じように、今回の成果をみなさまにご披露しつつ、他の興味深い遺跡と博物館をご一緒にご案内したいと思います。ご興味のある方はご参加くださいますようお願いいたします。
【日時】2月9日(金)午後2時~4時半
【集合場所】バハレーン砦付属博物館(カラートゥル・バハレーン博物館)入り口
※当日は特別に入場無料にしておりますため、全員でそろってから入場します
【プログラム】
午後2時 バハレーン砦付属博物館 (カラートゥル・バハレーン博物館)の見学
午後3時 遺跡へ移動 遺跡の見学(どの遺跡になるかは当日お知らせします)
午後3時45分 ワーディー・アッ=サイル古墳群へ移動 ワーディー・アッ=サイル古墳群での今年の調査結果の説明
※ アッ=サイル地域のショッピングモール(カルフール)から1㎞ほど南下すると、道路の左手に学校(Wadi Al Sail Primary Intermediate Boys School)、そして道路の右手には私たちの発掘現場があります。1���のテントが目印です。
【移動方法】
博物館及び遺跡間の移動は、ご自身のお車でお願いします。
【申し込み】不要
0 notes
Text
第四次調査が始まりました
今年も1月上旬より調査を開始しました

朝5時40分宿舎発、朝6時には作業開始です。バハレーンも冬の朝は冷えます。
0 notes
Text
バーレーン日本ビジネス・友好協会主催セミナー(2018年2月7日水曜日)のお知らせ
この度、バーレーン日本ビジネス・友好協会(Bahrain Japan Business & Friendship Society、通称BJBFS)主催のセミナーにて後藤団長が本プロジェクトに関する発表を行います。是非ご参加ください。
Date:��Wednesday, 7th February 2018
Venue:Royal & Tycoon Hall, The Westin Hotel, Bahrain City Center
Tel : 17171000
Time: 6:30 pm -8:30pm
Speaker: Dr. Takeshi Gotoh, Hon. Curator of Tokyo National Museum, Japan
Subject:The history of Japanese archaeologist work in Bahrain
What is Dilmun?
A short history of archaeology of Dilmun and the Gulf
Japanese scholars captivated by Dilmun.
Excavations in Dilmun by Japanese archaeologists.
Dinner:Light Snakes
Price:Members – Free (Corporate members: 3 persons allowed to attend from the company)
Non-members – Spouse and guests BD 5/- Net per person
Sponsoring available. Roll up banner, especial thanks - will be charged for BD100/-
We kindly request the members to confirm their participation by return mail at the earliest to do the necessary arrangements. You may also call Mr. Hussain on 36696386 to confirm your participation.
We request everyone to extend your wholehearted support by participating this event and looking forward to see you all.
0 notes
Photo

Congratulations to Bahrain to be the host country of the 42nd session of the World Heritage Committee! バハレーンが第42回世界遺産委員会主催国になることが決定しました!おめでとう! whc.unesco.org/en/news/1749
0 notes
Photo

We had a meeting of the forth mission! 第4回目調査前会議しました。
0 notes