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#15 24.07.09 03:12
皆さんお元気ですか。1年ぶりにこうして日記を書いてます。
この1年で自分の仕事への取組み方、生活や人間環境への意識の2つが大きく変わりました。
自分用に思ってることメモしてきたいなと思います。
仕事への取組み方について
立場の変化に伴い、仕事をしている時、自分の意識が肥大化してる、自分が偉そうに傲慢そうにしているなと感じるようになりました。
立場が上になり、多少はしょうがないとは思うのですが、自分はもっと常に修行の身のマインドを持てるような上長が欲しいなと感じます。実際にはいるのですが、常にはいないため。
生活や人間環境について
3ヶ月ほど前から人と同棲を始めたのが大きな変化です。人と暮らすの難しいなーって思います。
お互いに精神が成熟していなかったり、人間なので怒ることがあったり、仕事とのバランスがとれず生活がうまくいかなかったり。日々日々調整の毎日だなと感じます。
人と合わせること、お互いにとって快適に近い環境って本当に難しい。
自分が頑張りすぎても自分のほうが頑張ってるのにとかなんとか爆発してしまいそうで怖い。
でもなんかそのあたりは、わかってくれてるというかサボる日もオッケーな感じが助かってます。
改まって感謝や好意をきちんと伝えたりすることがほんとに少ないし、自分が素直じゃない分そういうことがすぐに出てこないし、言えたとしても多分上手く言えないけれど、もっとちゃんと伝えられたらなと思ってます。
書いててめちゃめちゃなんか泣きました。今日の朝からちゃんと言います。私って可愛いな、こういうところがほんとに。らぶです。
会社ではカチカチしないといけなくて、自分の好きなところ、最近忘れかけてたけど、こういうなんか素直に何かを考えられるとこが超いい奴でかわいくて好きだ。自分が一番自分を愛したいね。
ふと見たら時計が3:33でなんかラッキーな日なのかも
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#14 23.07.10 16:12
皆さんお元気ですか、私はめちゃくちゃ元気です。
何故なら会社を辞めて、色んなことにチャレンジしたり、何をしようかなこれからと考えて行動できる毎日を送っているからです。
あ~めちゃくちゃ楽しい!金銭的な面は数ヶ月は置いておけるので、今を楽しむ気持ちで生きています。
今は、生花と社交ダンスと部屋の掃除、段ボールに詰める作業と資格勉強と週末に居酒屋で喋ることをして生きています。来週あたりからは、1年半前からずーっとやりたかったタフティングも追加されます、楽しみだ。
あとは、読書とスポーツ観戦しながら飲めないビールを飲むとコンカフェに行くのとLUUP、トゥクトゥクに乗る、葛西臨海公園に行く、POLA美術館に行くなどなどが出来ればもっと最高��
13日DGH練習会をまた見学させてもらって刺激を受け、余計に資格勉強とかこれから先になにをしたいとかを色々考えるいいきっかけになりました。
練習会の中で、相手��いる分他責に走りやすいが、結局は自分のシャドーの技術を高めていくこと、一番そばにいる味方の意見を聞く、プロになりたいとかやりたいことがあるのなら口に出さなきゃなどなど、そうだよな…と思う言葉、今聞きたかった言葉が沢山頂けて本当に良かった。
これから先、どんな人生を送っていくかわかりませんが、今を精一杯生きようと思います。
なにも行動できない、気力がわかなかった去年、どうしょうもなく悲しいけど私が救われた作品、BANANAFISHの好きな言葉たちを置いておきます。
"きみの人生が夜明けの翡翠みたいに素晴らしいものであってほしいって"
"人間は運命を変えることができる。ヒョウにない知恵を持って。そして君はヒョウじゃない。"
"この世に少なくともただ1人だけは…なんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいるんだ。もうこれ以上ないくらい俺は幸福でたまらないんだ"
"俺は誰にも支配されない。お前たちに負けない!"
"もう二度と会わない。でもあいつはおれの友達だ。たとえ一生会えなくても…思うことぐらい許されるだろう?"
昨日届いた、ずっと読みたくなかったanother storyを読んで、心のつかえが降りた気がします。
アッシュや英二のように、大切な何かに出会える人生にしたい。
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#13 23.05.29 15:56
東京に出て3年目の5月を迎えました。
地元を離れ、コロナの影響もあり、極端に人との関��りが減りました。
ずっとここで話すことはなかったのですが、私が本当に本当にめちゃくちゃめちゃくちゃ大好きな知り合いとの関係も1年半ほど前に切れてしまったため、改めて自分のための人生、自立、自分で自分を楽しませるためにを考えてわかれてからの1年半ほどを過ごしてきました。
人生どうにかなるようになってるなという感覚とまだまだ自分の人生に納得がいっていない感覚の半々が心と頭の中に存在しています。
わたしは、自分がしたいこととだれかがやりたいことがマッチした上で、自分が人のために生きる結果として得られる自分が支えた人に囲まれて生きるという成果のために、生きていきたいんだなと最近思うようになりました。傲慢がすぎる…
単に損得関係win-winを目指す訳ではなく、人に慕われたいなんて
でも自分がしたいことが他人のためになるって最高ですよね
私は昔をちゃんと知らないけれど、自分を含め、世間一般的に若い世代の人たちは、やりたいように生きていきたい欲求が以前より強い気がする。
ワークライフバランスが~生活の質が~と言われるのはこのおかげかも。
興味関心が移りやすくて、やりたいことが多い自分にはとても生きやすい世の中になってきて嬉しい。
あとは自分が行動に移すだけ。
ファイティン自分、みんな。
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#12 23.03.21 22:25
会社より自分が嫌で会社や仕事内容に八つ当たりしたくなっちゃうシーズン3を迎えました。
自分の手の中でずっと抱えていても物事は変化しないのも分かってるし、自分がそこに手を加えないと楽しくないのも分かってるのに取り組めない自分を他のことやモノのせいにしてしまうガキ社会人をやっています。
そろそろガキを辞めたい反面ガキでいたい自分もいて色々悩んでいます。
わたしは、私のめちゃくちゃガキで何もできないところが好きです。何も出来ないという自由さがこれから何かをしようという原動力を生んでいて、同時に自分の生きる源になってると感じているからです。
生きる源の大切さを最近しみじみと感じます。
話変わります。
今、色んな人と出会って色んな人と話をしている最中ですが、自分の思っている普通のレールがその人にとっては普通じゃないんだなと改めて考えさせられます。
私は、人生というものを延々とぐるぐる廻るカーブレールを繋げてる円だと思ってたわけではないのですが、およそ大体の人はずーっと同じようなことを繰り返す毎日で私も抗いながらもきっとその渦にのまれていくと思ってました。
でも、色んな人と出会って、左右にくねくねと蛇行運転するのを好きな人もいて、カーブを描いて方向転換をしたらずっとストレートに真っ直ぐ先を描こうとしてる人もいたり、たまに踏切があったり、途中でレールがなくなったり、名もなき道を開拓してる人もいたり。
色んな道を見ることで、自分の人生がつまらないものと感じられていたのが少しマシになるかもと思いました。
逃げるだとか失敗だとか打算的に生きることが悪いとか自分の人生を否定しなくても自分の人生を大切にしていけるんだと思いました。
そう思うようになったらすごく肩の荷が下りた気持ちになりました。
私の人生なのになんで他人に舵握らせてるんだろうとかなんなら仕事で休みを決められてるのって変だし自分で決めたいなとか、社会人として生きていて普通になってしまったフレームワークが少し緩みました。
自分がしたかったこと、自分の価値観や大切なものをまた見つけること、既存のルールからの脱却、この2つがすこーしだけ前よりも出来た気がしてとても清々しい気分です。
自分がまず自分を愛して生きます
私が私を1番愛して1番認めていきます。
自分に生まれて良かったってもっと思えるように
生きてこ
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#11 23.02.06 7:47
今の仕事というか仕事、社会に出ること、死ぬほど難しいなと思う今日この頃。
好きでいられること、続けて楽しいこと、やりがいがあることは、時間をかけてでも出来るけれど、何か不満や負の感情があると全くやりたくなくなる。
甘っちょろい人生を生きてるし、社会舐めてるなと思いつつ、私は出来る限り自分の甘さを見つめながら、出来る限り自分に優しい世界を自分で作っていきたい。
頑張らなくていいけど、好きに生きれるようにしようね、私、みんなも
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#10 22.09.04 20:59
中央線に揺られながら書いてる。優等生にはなれないから足掻いてる。
ここ1年、特に今年春からラップが大好きになったので、たまに韻を踏めそうな言葉が並ぶと少し嬉しくなる今日此頃。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?私は、新しいことを始めてみようかと模索中です。
具体的に決まっていないのですが、お店を開きたいと思っています。目的は、過去の投稿に自分の目標と書いたあしながおばさんになるためです。
あしながおばさん、要は人に何かを与える人間になるにはそれなりの資金であったり、場所であったり、人間関係であったり、様々な豊かさが必要であると考えたからです。
手っ取り早くそういった人と人、もの、場所、資金を満たせるのがお店だと考えました。
上記の続きを書こうとして年が明け1/24になってしまいましたが、以前としてこの思いは変わらなかったので、今年はこの目標に近づけるようなあるき方をしていくつもりです。
誰が何がとか関係なく、私が私を1番に幸せにできると信じて生きていけるようにあるける1年になりますように。
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#9 2022.05.03 17:01
東京暮らし2年目の5月がやってきた。同時に今の会社も2年目で後輩もできた。心機一転、環境が変われば自分も変わるという幻想は叶えられた半分、叶ってない半分です。できる先輩を見ながらルサンチマンを生み続けた1年だった。
最初こそ失敗しないように振舞おう、いい自分でいようと思っていたがなかなか変えられない。変えられない自分も悪いが、手を差し伸べてくれない先輩も悪いだなんてまさにまさに。これこそがルサンチマン。
そんな自分にも嫌気がさしているが、変えようもなかなかうまくいかない、もどかしい。完璧にならない、上手くことが進んでいかないなら壊れてしまえばいいという手前勝手な破壊衝動にも駆られている。
以前ここにたびたび登場していた大好きな友人との関係もうまくいっていない。今まで喧嘩なんかしたことなかったのに、東京に来てから2回喧嘩もどきをし、どちらも終には和解したが、なんだかんだで連絡が途絶えてしまった。その穴を埋めるように楽しいこと、好きなことを探している。
仕事に対しては相変わらず地に足つかずに宙ぶらりん。新しい何か、もっといい今を模索してる。
模索なんて言うと格好はいいが、要は全てから逃げている。
でもあともう100歩くらい頑張って、今を超えることが出来たなら私は前よりももっと変わった自分になれると信じて。
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#8 2021.08.12 21:28
半年近くサボってしまいました。2月頃の私は常に鬱々とした毎日を過ごしていましたが、今は当社比晴れ晴れとした気持ちで生きています。
ここ半年で変わったことと言えば、1つは転居、もう1つは新しい分野へのチャレンジをするようになったことの2つです。
まず第一に転居について話そうと思います。後述する新しい分野へのチャレンジのため、東京に引っ越しをしました。田舎過ぎず利便性そこそこ、周囲に緑が多くて学生もいる感じの田舎に慣れている私に合った街を選びました。正直コロナであまり出かけてはいませんが、東京にいるというだけでわりとテンション高く生きることが出来て最高です。 たのしー!
次に新しい分野へのチャレンジについてです。3月までの1年でやっていたことと関連する分野ではあるものの、対象の違う分野へと進みました。正直なところ覚えることが多いことと自分の雑で慌ただしいところが足を引っ張っていますが、それなりに上手くやれています。今までの1年より充実というか追われながら生きています。これがいいか悪いかはひとそれぞれですが、ある程度この状況を想定した上で選んだ道であることや楽しさを感じられる要素が多い場合であれば、何かに追われる生活もありなのではないかなと思います。この分野に進むまでは、何かに追われることや常に勉強する状況を嫌だなと思っていたのですが、ある程度予測出来ている内容かつやる覚悟があれば、案外なんでも楽しんでやれるものだなと感じるようになりました。
とは言え、言っていませんでしたがわたしの最終目標は、足長おじさんならぬ足長おばさんになること、かつ不労所得で生きていく事なので今のこの状況は本来したくないことではあることには変わりないです。
働きたくないを抱え日々生きています。がんばろうね
この日記をだらだら書いていたら21日になってしまいました。なんだかんだ学ぶは楽しい!のハイ状態から一転、昨日は若干ブルーめの気分になっていました。21日現在はもうあまりそんな気はしていないですが
気分が回復するに至ったのも逆におちこんだのも知ることが原因でした。なにはともあれ知ることは楽しいし、それが原因で落ち込むことも多いですが、相反するもの、酸いも甘いも噛みしめて人生生きてこ
これから変えてけば問題なし〜!今ならまだ失敗出来る!
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#7 21.02.07 17:18
あけましておめでとうございます。鬼は外、福は内。
大分日が空きましたが、今年もふらふらと書いていこうと思います。
さて、今日は何故書こうと思ったかというと昨日の夜が過去一番自分の思った通りに行動できた日だったことを書こうと思ったからです。
めちゃくちゃなミスしてお叱りを受け、次の日に同じミスをするというバカなことやらかしました。ここ半年くらい気をつけても気をつけても注意力散漫なのかミスが立て続けに出してしまってめちゃくちゃ心が死んでます。
今週は特に酷かったので、1度やってみたかった行きつけのちょっとお高い店にいく、そのお店の常連になる、そういうお店で泣きながら話を親身に聞いてもらう、という憧れをクリアしたくて、近所の回らないお寿司屋さんに行きました。
昨日の夜にはもうミスしたことへの罪悪感やら自己嫌悪(笑)やらは消え失せ全くなく、よし頑張ろ〜という気持ちだったのですが、これらをクリアできるのは今しかないと思い、夕方からおセンチな涙を無理やり出し、お 寿司屋さんへ。
書いている今、昨日を振り返ると自分やばくね〜が止まりません。自分の憧れを満たすために涙無理矢理出すのも、それで人様に迷惑かけるのもやばくね?若い時だからできる気持ち悪い行動だなと思うので、これからもやらかします。
とぼとぼ歩いて気分を出しつつお寿司屋さんへ。私の近所には、お寿司屋さん以外に日本食居酒屋と美味しい魚料理屋とジビエ料理屋があるので、とぼとぼ歩きながら迷ったのですが、落ち込んだときは寿司だろ〜!の気持ちと寿司屋の常連かっこよくね?で寿司屋にしました。
そして、涙目で寿司屋入店。初めて来たんですけど、大丈夫ですか?と一見でも大丈夫か確認。大丈夫との事だったので座って差出されたメニューを見た。万札を何枚か財布に入れてきたのだが、そんなに高くなくてホッとした。これなら通えるかもという淡い期待も。
コロナのせいか頼むものサイドメニューが今日は取り扱いがないとのことだったので、高いお寿司のコースと茶碗蒸しだけ頼んだ。1 組だけほかにお客さんがいたので時間がかかったが、30分くらいで茶碗蒸し、お寿司が出来て食べた。
感想、めちゃくちゃ美味しかった〜!こういうお寿司屋さん初めてだったし、美味しいがわからなくなってた状態でも美味しいかもと思えた。寿司最高寿司最高寿司最高。中トロとか初めて食べた。でもウニは微妙かもしれない。ウニはめちゃくちゃ甘くて美味しい高いものというイメージだったのに、甘くてよくわからないオレンジの半液状物体に格下げです。あれよくみんな美味しいと思えるな。
ウニ、多分築地とかで何回か食べる機会があったんですけど、いざ目の前にするとなんとなく食べたくなくて、食べてなかったので今回がお初だっただけにショック。食べなければよかったかもしれないけど、食べないとわからないしね、経験経験。
話は戻って食べ終わり、女将さんが他のお客さんに話しかけていた。それを聞きつつ、少し笑って、お寿司を食べて少し元気になった私を演出した。いくらかした後、最近鼻炎がね〜みたいな話をし始め、お客さんも鼻炎でしょ〜とこちらに話を振ってくれて、涙目の私は鼻炎ということに。思い出し嘘泣きの私は、若干の罪悪感を覚えつつ、優しさ気遣いに震えて心で泣いた。
そして1組いたお客さんはお会計をして、帰宅。私はアジとタコを頼んだ。コンタクトもせず、眼鏡も持ってきていなかったので、遠くのお刺身のメニューが見えなくて大将が教えてくれた今日取り扱ってる魚から選んだ。アジとタコめちゃくちゃ美味しくて泣いた。
その後は、あんまり覚えていないが、大将の第1回、第2回富士登山の話を多分40分くらい 聞いた。話を聞いてると、人の話聞くのってめちゃくちゃおもろいなの感覚が戻ってきて、夢中で聞いた。
最近、正直私にとって全くおもろくない話を聞いていたので、凄く辛かったんだなと気付かされた。
だって、他人がするもっと知らない他人の車の話とか自慢話とか隣の家の洗濯物の干し方がなんか嫌とか隣の家の木の枯葉がこっちに落ちてきて嫌とかどうでもいいもんな。
日常に生きたくない、常に新しい面白さを求めたい。
大将の富士登山の話をめちゃくちゃ端折って記録すると、第1回は駅近くのフランス料理屋店長のフランス人と行き、第2回はフランス人とその人の友人の中国人と富士登山した話です。
第1回の1年後の第2回の前に世界遺産に登録されたため、富士山5合目の駐車場が混んでたとか朝早くに富士山近くのサービスエリアで仮眠とってから登り、お昼に山頂着き、ご飯を食べてダッシュで下山したとかを聞きました。パワフルでいいなあ〜パワフルになりてえ〜!
その後、涙ながらに自分の話をできて憧れ消化完了。泣こうとして泣いた訳じゃなくて自然と涙が出てきて、精神終わってんなと思いながら話をしてたと思います。
話す中で人に地に足がついてないと言われたと言ったら女将さんも大将もめちゃくちゃ笑い始めて、あ〜笑うタイミングが一緒っていいなとぼんやり思いながら私も笑ってました。
そんな話をした後は、あんた泣きながら入ってきたときはどうしようかと思っちゃった、とりあえず鼻炎ってことにしちゃったとか言われた。すみません。
アドバイス貰ったりして、地に足ついたらまた来ますといってお会計して退店。19時くらいに来たはずが、2時間以上経っていて22時過ぎ。そのままジムに行った。
昨日、マジ理想の落ち込み方だったな。大好き、らぶ。
書いていて思ったけど、日常に生きたくないという思いこそが地に足ついてない、そのものだよね。一生このお寿司屋行けないや!
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#6 20.12.02 22:50
誰かに迷惑かけながら生きてるの辛すぎて、生きているのが嫌だなという思いを重ねては消しての数ヶ月が経った。
今日は何故か生きているのが嫌だな、のピークに達し、自分で自分の首を絞めるポーズを取るまでになってしまった。
精神的ダメージから逃げる為に始めたジム通いのおかげで学生時代よりも格段に上がった握力は、私の喉を簡単に押しつぶせる程になっていた。ほんとに少し力を加えただけで苦しくびっくりした。
首を絞めている途中、隙間風が通る時に近い音が自分から出ているのを聴いて、首を絞めるとひゅーひゅーと音が漏れるというのは間違ってなかったんだなと思った。
苦しくなってぱっと手を離した後は盛大に咳き込み、何故かトイレに駆け込んだ。咳が収まるまでトイレにいたが、収まったらすぐにトイレを出て何事もなかったかのように椅子に座り、プロテインを飲んだ。
気が落ち込む時は、成功曲線を見たりしてまだ上がる余地はある、まだ頑張れると思い励ますけれど、もうそろそろだめかも。
まだっていつになったらもうに変わるんだろうな、そろそろ終活でも始めようと思います。
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#5 20.11.09 20:12
たんぶらーにあまり日記を書いていませんが、1週間のうちに5回くらいは自分のたんぶらー読み返します。後述の理由で特に#1をよく好んで読みます。
物事を重く考えすぎるせいで、常に世の中辛いこと多いなあと思いながら生きています。
破滅願望みたいなものを抱え、辛さでヒリヒリしながら生きてるせいで精神が摩耗してます、楽に生きてえ。
そんなこんなを思うと、生きている上で生じる辛さが積もり積もって最終的に悲しさに浸りたい気分になることが多いので、辛いけど幸せな記憶をリフレインしたくなりがちで、よくそんな文章ばかりに触れています。なのでよく#1を読みます、辛くて悲しくてでもなんかどこか救われる文なので。
そんな訳で私は、自分や他人のリアルな悲しい質感に触れて悲しがり、切ながる事で自分を癒している節があります。最低すぎる、ほんと。
鬱々と考え込む性格で注意力散漫でケアレスミスが多いので、1度心療内科を受診したほうがいいかな〜と考えるんですが、心療内科を受診して万が一何かしらの心の病が発覚し、通院するようになった時、保険が面倒だなという思い8割、心療内科周りにあまりないし面倒だな2割で心療内科に行かず、面倒な自分と付き合う日々を過ごしている。
心療内科行ってみよー!ではなく、その先の保険のことまで考えちゃうあたりが考え込みな私がよく出てますよね、ウケる。
実際、心療内科いっても人が話を聞いてくれるだけって聞くし鏡に向かって思考整理したほうがマシかな〜
昨日も今日も社会に馴染めないし、明日も多分。
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#4 20.10.13 20:58
自分の出生や家族構成についての本当のことを人に話したことがなかった。別に話さなかった訳じゃないけれど、普段から人に聞かれない限り自分の私生活、自分語りその他諸々を話さないのでその必要がなかった。
前回の日記で触れた1番仲がいいだろう知り合いとちょっとした旅行に行った時についに自分の話をした。
旅行の終盤、新幹線に乗り込む前の時間潰し。私はケーキとメロンソーダ、知り合いはクリームソーダと何食べてたっけ忘れた。何で自分の身の上話をしたのかというと相手が自分の家庭環境の、今まで人に話したことのない秘密を話し始めたからだ。相手が話し終わった時に反射で言葉が出た。実は私、…なんだよね。
またいつか書くかもしれない家庭事情なので詳細は省く。この話を知り合いがする前にそのことについて私は嘘をついていたので、記憶に新しく、衝撃だったんだと思う。知り合いの驚いた顔とみんな言わないだけで各々地獄があるんだねって言葉が忘れられない。私は自分の家庭環境を地獄と形容したことはなかったけれど、知り合いにとっては私のこれが地獄で知り合いのそれも地獄なんだと知った。唯一私にだけ話した地獄を勝手に私が地獄無銭入場ですよってコンテンツにしちゃうのは嫌なのでここでその内容を話せないのが悔しい。
話に戻ります。
私が話をした後に知り合いが更なる地獄をつらつら話し始めた。話を聞いているとと、知り合いの地獄は私よりも何倍も地獄だと思えた。そして、心の底で凄くホッとしてしまった。他人の不幸と自分の不幸の大きさを比較して安堵感を覚えてしまうなんて最低だなと思いながら、そう思わずにはいられない、知り合いがいる環境はどうしようもなく気持ちの悪い環境だった。噎せ返るほど気持ちの悪い同情、共感をしそうになって堪えた。私も知り合いも安易に分かるよ、と言葉をかけられることが嫌いだからだ。何を返していいかわからず黙って、私は耐えられないかもしれない、家出してたかもしれないと何度も言ったことだけ覚えてる。
その後は会計をして店を出て駅構内でお土産を買って帰った。帰りは何を話したかわからない。時間潰しのあの時間より中身のある話はしていなかったと思う。古着屋の店員がかっこよかったとか、観た作品のここがよかっただのそんな話をして駅を降りてわかれた。
人に自分のことを話せたというすっきりとした気持ちと同じくらい肝心の例の衝動についてはカムアウトできなかった後悔というか、なんというか、それだけが今残っている。
人に話したことのない話を私に話してくれてありがとう、最低でごめんね。私は地獄の浅瀬でちゃぷちゃぷしながら石でも積んで待ってます、餓鬼なので。
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#3 20.08.21/18:38 晴
私は、スーパーにいくまでの道中とか自転車を漕いだり、夜の散歩してる時に、ぽけーっとしながら、不意に人を殺したいな〜と思う事が結構あるんですけど、ここ最近はなんだったのかその傾向がなかったな〜とぼんやり思った。
家族友人付き合ってる人、自分の���に入れた人間以外の人をどうこうしよう、この人嫌いだなみたいな感情はあまりわかないので、本当に人を殺したい訳でも凄くしたかったわけでもないんですよね。
自覚したのは最近なのでいつからから思い出せないけれど、このよく分からない人を殺したいな〜とわりと長く付き合って生きてきたので、この感覚が戻ってきた今、わたしの日常に帰ってきたなという心地がした。
1日に何回も思う時もあれば、3日置きくらいに1回思う時もあるので周期はばらばらなんですけど。多分飽き性な自分に似てこの感覚も三日坊主を何回も繰り返してるんだろうなと思います。
ただ、この感覚を自覚してから1つだけ変わってしまったことがある。それは、この殺人衝動もどきを何度も自覚し、刻み込んでいくうちに、私は本当にの本当に興味本位で1度は人を殺したいのではないかと考え続け、遂に興味本位で人を殺したい自分になってしまったこと。思い込みって凄い。
法律、倫理観もろもろ無ければ絶対人を殺してみたいもんな、生きながらに自分の体をかっぴらくなんて出来ないし、人の体をどうこうするしか自分と同じ個体の中身見れないしな〜、人を殺すってどういう感覚なんだろうな〜みたいな興味。
それでも人を殺さないのは、学校教育で培った道徳心、倫理観と警察と法律のおかげです。ありがとう、社会。
私は、1番好きで、1番色んな気持ちをシェアできて、1番理解してくれそうな友人にさえこれを言うのが怖くてたまらなくてまだ言えてない。この危ない感覚を自分だけが持っているのではないか、私が好きな人ならみんな同じように1度は思ったことあるにちがいないという確信めいた決めつけと共感してもらいたい気持ちがごちゃごちゃしたまま生きてます。
友人にさえこの気持ち悪い気持ちを打ち明けるのが怖いので、いつか友人が私に「法律で縛らないと本当に人を殺しそうで怖いし、いつか深夜の交番、警察署に駆け込むんだろうなと思いながら日々生活している」とか告白されたいし、レイトショー終わった後に2人でご飯食べてる途中、唐突に私、実は人殺したいんだよねって真顔で言われたい、わかる、私もって手を握って返したい。
私は、そんなことを真顔で言っちゃうような女が好きです、もしそんなことを告白してきた女がいたら、私はこの共感を求めてた感覚を持ってる他人がいたことに感動して、嬉しくて飛び上がって、じゃあ私を殺してもいいよって言っちゃうかもしれない。
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#2 20.0802/13:54 晴
日記つけよ〜とか6月末に思ったのはいいものの全く書けてない。でも毎日日記書くとか向いてないししょうがない。だんだん文章リハビリしてこうね、わたし。
最近少女漫画を読んでたんですけど、流し読みだと何がなんだか分からなかった。複数人の登場人物の心情が話に混ぜてある比較的重めの昔っぽい漫画だったので、1話にこれでもかってくらいキャラの心情描写があるんですよね、活字離れが進んでる人間えには厳しい少女漫画だった。
心情描写を追う力の衰えを感じる。本をまともに読まなくなったからだな〜… あと、1冊の本に集中できる心の余裕も出来ないのも理由のうちの1つだと思う。今から脱却したい。
最近、時間の有限を意識するようになって、常にやりたいことを複数タスク動かしてないと怖くなる。やりたいことは沢山あるのに、追いつけていない今にやきもきして、せめて今出来るやりたいことは、とタスクをこなそうとしてる。今もこれを書きながらずっと見たかったBLEACHのアニメ聞き流してる、アニメオリジナルのバウント編68話。
多分この焦りを生む原因にはコロナもあると思う。何も外に出れない、やりたいことが限定される今が嫌なんですよね。なんとなーく薄ら生きてて辛いという感情が常にあるのがもどかしくて辛い。 早く生きてて楽しい!しか言えない日を送りた��。やりたいこと沢山ある欲深い人間だから達成出来ないかもしれないけど、目標にしとく。
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#1 20.0630/7:31 雨
物事を始めるのに1番いいとされる日は最近過ぎたけど、私にとっては今日がその日と信じて書き進めていくことにする。嫌だな〜みたいな気分とかの時しか書かないかも。朝歩きながらメモしたことを元に後から書くような形にする。
今朝、中央分離帯のある西側道路の白線の真ん中に子猫がいた。最初に気づいたのは、向こうから歩いてきた小学生でその子たちの騒ぐ声につられて道路を見ると、子猫が白線の真ん中で弱々しくアスファルトを這っていた。見たところ出血はなかったので、車にぶつかった拍子にどこか体を傷めたんだと思う。急いでいたし、子猫を救う手立てがなかったからそのまま無視を決め込んで黙々と目的地まで歩いた。辺りを通り過ぎた後も、何となく気になってはいて、子供たちの声を気にかけながら歩いてた。後ろの方では、まだ小学生たちが子猫を何とかして道路から助けようと子供ながらに考えたり、しきりに騒ぐ声がしていた。子供たちは、私と違って子猫をどうにか助けることを諦めていなかった。子猫にとっては命に関わる瀬戸際の出来事だったかもしれないのに、私は子猫の死に対して諦めがついてしまった。そこに思考が追いついた時、自分がずるい人間になったような気がして本当に嫌になったし、心の老いを感じた。大人になって諦めを覚えただけで、命を大切に思えなくなるとか、道徳の授業なんてなんの意味もないなとか思いながら歩いていたら、今日は月末で、祖父の死を思い出した。
毎月末は2年前の5月末に亡くなった祖父の死を思い出す。祖父がなくなってから気づいたけど、私は祖父のことが大好きだった。
思い出すと、思い入れがありすぎて書ききれない。多分親よりも長く、色濃い経験と思い出を作ってくれたんじゃないかってくらい祖父に対して思い入れがある。祖父、祖母に関してはまた思い出したり、祖母に会った時にでもつらつら書きます、たぶん。
話は戻って、生前祖父に最後にあったのは2年前の5月頭だった。最後に会った時は、親戚夫婦と祖父母と5人でご飯を食べたなあ、勉強がんばれと言われたけど、勉強頑張れなかったな、英語経営経済を自主的に学びに行ったり、TOEIC、漢検なんだりは受けたりはしたけど、専門科目は楽すぎて全然やってないな、本末転倒人生してきたな、みたいな過去の出来事とそれにリンクした後悔の念が押し寄せてきて凄くモスブルーみたいな気分になった。子猫の件と合わせて、凄く自分が嫌になった朝だったけど、根は真面目、から本気出せばできるけどクズみたいな今の形に変わったらこの2年凄く生きやすかったし、全部を後悔してない、多分。ちゃらんぽらんな感じになったお陰で関わる人間が変わったし、やっぱり私って何かがおもろい人間だなっていう曖昧な感覚を改めて自分の中に確認できた。この感覚が私が自分のことを何だかんだ受け入れられる1つの支えになってる。後悔したり、自分より一回り以上年下の子供の純粋さを羨んだりなんて生きてるうちしか出来ないし、こういう気持ちを含めてやっと生きてる感じがする。前までは、体裁だけでも真面目に生きようとしてて、何となくこういう後悔を少しも受け入れられなくて、取り返すことに必死だったけど、今はわりと吹っ切れてる。
1回目なのにどことなくどんよりとした話しか日記に書けなかったけど、最近雨だし、今日も雨で空曇ってるし、しょうがないか。
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