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雑記帳。/A Notebook 
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社会学者のひよこ(飛行訓練中)の研究メモやら、紹介やら。/A webpage of a young sociologist
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k-artkhs · 7 years ago
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国際的なオフ会
 国際的なオフ会というか、ある種のメガイベントに参加してきました。
 世界で一番大きい社会学の学会大会です。
 冬のオリンピック並びにサッカーワールドカップと同じ年に行われるもので、今回無事にセレクションに通ったので参加してきました。
 セッション名は、「アーティストの可能性と不可能性」。
 最終的にアーティストという感じのセッションじゃなかったけど、国際的に芸術の社会学がどう展開されているのか、プロジェクトレベルでわかってよかったです。
 とはいえだからこそ、発表としてはあんまり構成が良くなかったなーという反省。これまでの国際学会は、結構ミクロな事例を伝えていたので、正直日本の文脈が分からなくても、そんなに問題はなかったのかもしれないです。しかし、結構マクロレベルでの話だったので(あ、この話は秋に論文が出ます。帰ったらゲラチェックしなきゃ)、マクロから具体的な例に落とし込ませる方法が適切じゃなかったなぁと。
 芸術って意外とみんなやることは同じなので、個別には理解しやすいけれども、それを支える社会背景の共有って15分でするのは難しい。
 正直、英語の問題がある程度(ある程度だよ!ポンコツだよ!)クリアできたからこそ見える問題なのかもしれない。そこに届いてやっと国際的に戦えるのかも。
 とはいえ、国際的にみても意外とやっぱり理論志向はなくって、結構タコつぼ化している印象はある。でも、タコつぼ化してやっぱりディスカッションではお互いの共通点がみえて、感動したりもした。
 ちなみに、私のジャンルでは、日本人で口頭発表をしたもう一人の方(とても尊敬している)がいたのだが、海外での研究経験もあるので、プレゼンも質疑もスマートで泣きそうになった。がんばろう。
 博論もある中、あれだったけど、どうやって博論の背骨を通せばいいのか、少し見えてきたのはよかったし、いろんな人と知り合いになれのたのもよかった。
 何より、国際学会で「自分から話しかける、質問する」と、「質疑応答で挙手して質問する」ができたのは、大きな進歩かなと。
 あとは、やっぱり社会学で頑張りたいですね。
 夏はまだ始まったばかり。
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k-artkhs · 7 years ago
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研究として文化に向き合うことと、そのアウトプット
 普段あんまり研究のことを書きたくないし、論争もしたくないのですが、さすがに仕事にならないくらいもんにゃりしているのでひっそりと書きます。
 私は、芸術に関わる人のことを社会学で研究してて、「作品分析をしない」「作品を作らない」ということがモットーとしてあります。
 でも、社会学者でもこの2つをやっている人は結構いて、それについて私はやっぱり受け入れられないんだなと思った話です。
 勿論いろいろな可能性はあると思います。でも、作品分析をしている人も、作品を作っている人もそれぞれにプロがいて、専門訓練を受けてきた人がいて、だからこそそれを専門にしていない人が別の分野のプロであるという(=社会学者であるという)肩書を使ってそれをすることは慎重にならなきゃ失礼だと考えています。
 例えば、研究者が小説を書いたり、映像作品を作ったり、パフォーマンスをすること。
 全く自分の研究に関係ない事ならいいのですが、特に人を対象に研究している人が、研究上知りえたことを素材にする場合、それは私は研究者としてアウトな気がします。(研究に関係ある創作物だと森博嗣とかも当てはまりますが、まあそれは置いておいて。)
 相手に承諾を取ってあるという手続きの問題以前に、何かずるをしているような気がします。勿論、小説や映像、パフォーマンスなどが既存の論文では補えないアウトプットになることも確かなんだけど。
 ただ、これもまた捻じれているんだけど、往々にしてそういう作品って素人なりの美術的基準でみると「つまらない」のだよな。
 それならアーティストがソーシャリーエンゲージド・アートを作ったり、レクチャー・パフォーマンスをしているほうが誠実で、興味深い。(詰まんないものもあるけど)
 現在の枠組みでは論文以外の形での研究成果のアウトプットが受け入れられないのは制度上の問題かもしれないけど、それ以上に、それを「作品」として見た場合、そこまでの強度がある?と思う。そうしたいならその道の専門家に頼るべきだし、その教育を受ける必要がある。その点アーティストの方がよっぽど勉強熱心だし、謙虚だと思う。(身内の例で恐縮だけど、AMSEAの国家診断で、バーバラさんがやってたパフォーマンスとかほんとすごい調べられててこっちが反省した)。
 既存の枠組みを壊すためには、既存の枠組みに真摯でなくてはならない。バカ真面目で保守的かもしれないけど、たぶん、普通の社会学者よりいろんな表現者にあってきたからこそ、どうしてもそう思ってしまう。
 最終的には両方の知識を持った人がいたほうがいいし、コラボレーションもあってしかるべきなんだけど、それもなくやっているとほんと危険だなとひしひしと思う。
 なんかあれすぎてですますとであるが混在してますが、ご容赦ください。
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k-artkhs · 7 years ago
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新年度のご挨拶
 みなさんこんにちは。
 さて、2017年度は東京大学のAMSEAでお世話になっておりましたが、そちらは3月末をもって退職し、2018年4月1日(仕事始めは2日)より、立教大学社会情報教育研究センターの助教Dに着任することになりました。
 というポストは1日に書いていますが、SNSでのお知らせは2日なので、1日に見た人はラッキーですね(笑)。researchmapも更新しています。
 所属先の社会情報教育研究センターはデータアーカイブで、(量的)社会調査のデータを預かり、保存し、公開したりしているところです。私はそこの社会調査部会というところの所属になります。
 ちなみにこのDというのは学内の助教の仕事の種類に応じて振られるようです。
 質的調査、フィールドワークをしてる私がなぜ?、と思われる方も多いかもしれませんが、一応専門社会調査士なので(笑)、量的調査については実はちょっとやっていたりしました。
 そのなかで、量的調査は個人、とりわけ院生や若手研究者では難しく、欲しい情報を得られない状況に不自由を感じることもありました。かつ、フィールドワークをやっていると、ミクロな状況ばかり着目しがちでもう少し広い状況を知るためにはやはりある程度の規模の社会調査の情報も併用したいなということも多々あります。
 そして今回ご縁があり、データアーカイブに関わることになりました。
 私みたいな思いをした人が少しでも量的データに親しみを持ってもらえるように頑張っていきたいと思います。
 このプロセスで結構色んな人に相談したりご意見をもらったりしてお世話になりました。ありがとうございます。ちゃんと働きます。
 今回、契約書をみて嬉しかったことが2つあります。
 1つは、職員ではなく教員になったこと。
 もう1つは、職務に研究が含まれること。
勿論、職員でも優秀な専門性を持った方はいますし大切ですし、教育なども大切な仕事です。とはいえ、ちょっと思うところはあります。
 些細なことだけど、こうやって積み重ねながら自分のやりたいこととやるべきこと、求められていることをやっていければと考えています。
 最長5年池袋におりますので、お近くに来た際はぜひ。
 とりあえず2018年度は博論を書き上げ、学会発表をしてばしばし叩かれてくる予定です。一応2本論文が出る予定なので、そちらもおいおい宣伝します。
 2017年度はアート業界を中心で結構現場サイドの仕事をしてましたが、2018年度は社会学業界に戻り、そちらで頑張る予定です。
 引き続きよろしくお願いします。
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k-artkhs · 7 years ago
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presentation
 ひな祭りですね。
 昨日、一昨日と、普段とは異なる場で発表をしてきました。
 おとといは名古屋で、夏に行ったヨーロッパでの調査のまとめの発表。
 きのうは横浜で、今年一年間行っていた評価調査の仕事のちょっとした報告。
 どちらも1年前には全く関わっていなかったことで、でもすごく勉強になってた調査でした。
 後者の方で面白かったのは、これのメインはアーティストの方々の活動報告で、それが研究者と全く異なったことです。非常に魅力的でした。研究業界の常識をいい意味で逸脱する発表は今後自分が人前で何かを話すときのためにすごく刺激になりました。
 いろいろな出会いで縁をつないできた昨今、自分の軸も固めねばと思う、そんな春です。
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k-artkhs · 8 years ago
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自分のことを話すこと
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先日、機会をいただきましてU-Talkという場で話をしてきました。(そのうちレポートがあがるはずです)
 これは所属先の大学で活躍する研究者の方にお話をカジュアルに聞くというもので、いらっしゃる人も様々でした。企画の方がいろいろ広報とか声掛けとかしていただいて、多くの方にお越しいただきます。
 評判も良く、盛り上がったとはいえるし、頼んでもらったとの感想もいただくのですが、自身の中では結構反省が残る会でした。  というのも、結構個人的な話をし��のと、自分の中で迷っていることを迷っているママに話したのが良かったのかというのが主な点です。とかいていて、多分これってオンライン上でのテンションで喋ったことが良かったのかとどうかという話になるのかなと思いまいた。個人的話というのは、成育歴の話もありますけど、舞台照明をやっている話とかですね。    というのも、通常の学会やゼミ、研究会の場では基本個人的な話はしません。それと学問は別ですからね。  その人の出自や属性が何であれ、学問の話・研究の話をします。
 ただ、これは事前打ち合わせも指摘されてなるほどと思ったのですが、私は研究テーマが実生活とかなり結びついていて、折角ならその話をしようということになりました。  その方針は間違っていなかったのですが、話してみて結構自分の中で整理されていない話だったんだなと思いました。なので、人様にこんな話をしていいのだろうかという戸惑いと不安が話していて結構ありました。
 基本研究者が人前でする話って基本(暫定的ですが)答えや結論があるわけですよね。それがない状態で話すことの不安定さが不安につながったのかなと思います。
 ただ、世の中では結論ありきで話すのが前提の研究者の「悩んでる話」が共有できた場ということでは、普通はない体験であり、それが来てくれた人に響くものにつながったのかなとも思います。
 いずれにせよ、面白いと言ってくれた人はいるので、その言葉を信じつつ、今度は学問のルールにちゃんと���りながらきちんと表現をしていきたいですね。
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k-artkhs · 8 years ago
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季節の変わり目の最近。
 ハロウィーンですね。  明日になれば一気に町はクリスマスに模様替えですね。  年度代わって新しい仕事になって、体調崩していたり(これは転職と直接関係ない)、かかえる研究プロジェクトが増えたり(数えたくない)、締切が迫ったり(逃さんぞ☆)、いろいろいあったんですが、区切りも込めてちょっとまとまった文章を。  後期に入って講義のコマ数も増え、何が仕事で何が仕事でないかよくわからなくなってきたので差支えのない範囲で整理すると、
1.研究(博論を中心とした自分の研究、調査も含む)
2.研究α(自分発信ではない学術的共同研究、調査も含む)
3.調査(依頼されてやっているプロジェクトの調査、非学術的)
4.授業準備(講義のための授業準備・授業の実施)
5.その他事務仕事
6.現場(おまけ)
に大別できるかなと思います。それぞれに楽しくはあるけど(事務仕事も時には楽しい)、なかなか切り替えとかスケジューリングが難しいですね。あと難しいのは、どれもちょっとずつ石を積んでいっているので、達成感が得にくいですね。多分陸上十種競技の練習をしているような気分です。  そういう時どうやって調整をしていくのかなかなか難しいですが、タスクを粛々とこなしていくしかないのかなぁとも考えています。
 別に忙しいアピールでもなんでもなく、世の研究をやっている人って(現場はないでしょうが)おおよそこの1~5をうまい感じでバランスとってやってるのような気がします。そして、ライフステージの時期によってどれに重きを置くのかは違うのかなと思います。  大切なのは、今自分が何を重視すべきなのかということ。  結論としては博論頑張ります、って話だったりします。  
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k-artkhs · 8 years ago
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足りないと出来ないこと、足りないからできる工夫、じゃあ誰を頼る?
 ややあって現在欧州某都市にて調査をしていました。どこだったかはいずれわかるかもですが、調査の進捗上とりあえずパブリックにはまだ伏せますね。
 今はその調査も無事終わり(多分研究人生史上最も短期間にたくさんの方々に聞き取りをしました)帰路直前です。 
 というのを、空港でポストしようとしたらバタバタして今帰りの電車の中です。
 今回の調査は去年の国際学会でご飯を一緒に食べたとある先輩研究者からのお誘いで急遽決まったものでした。個人的にはいわゆる本格的な共同研究が初めてで、勝手をつかみきれないまま現地にやってきたというわけです。 でもその割にはというのもなんですが、非常にうまく進んだと思います。 (いや、至らないところはいっぱいあったが……)
 今回の共同研究(欧州に渡ったのは2人だけだけど、プロジェクトとしてはほかにもおります)をするにあたっていろいろほんとに吸収したなと思います。まず、私の先生が調査系ではない&共同研究を指導学生とあまりしないということで、だれかと組んで研究をするのが初めてでした。今回は幸運なことに、私の専門に沿った形で聞き取り設計をしていただいたのですごくやりやすかったです。とはいえ、聞き手2のインタビュー、しかも自分はサブというのは初めてでどう突っ込んでいいかわからないものの、だんだんその勝手もわかってきたような気がします。
 あと聞き取りで地味に勉強になったのが、私は実は聞き取りでほとんどメモを取らないのですが、先輩に合わせてメモを取っていたら、思考が可視化されて次の質問をクリアに投げられる確率が上がっておりました。メモって記録のために取るにはいらないな、と思っていますが、その場の思考整理にはすごく役立ちますね。 
 聞き取りの内容についてはこれから分析するのであまり言えないのですが、途中で気づいたことで私、この研究数年前に考えて無理だって考えたなということです。なんで無理かと思ったのかは、人の縁と、語学能力と、資金的な問題でした。今回実は共同研究に参加させていただくことでそのすべてをほぼクリアできており、ほんと願ったりかなったりの共同研究でした。 
 実際はくろんも佳境のこの時期に新しい調査をするのは進められることじゃないというのもわかっていたのですが、でもそれでもはくろんに生きてくるテーマだったし、これからの長い研究人生を考えると確実にやっておいてよいことでした。  あと、私はなかなか同じ関心や方法論の人に出会えずうろうろとしながら研究をしてきつつ、学会できついコメントにあって泣きそうになったり、ゼミのコメントで自分を見失ったり、査読コメントに泣いたりしながら生きていますが、それでもある程度ちゃんとやっていれば見ててくれる人は、面白がってくれる人はいるんだなというのを切に思いました。
 全方位受けをする必要はないけど、同じ関心を持った人や、関心はずれるけど同じようなものを見ている人ととか、そういう人と会うことによって伸びることや世界が広がることはある。逆にちょっとした研究発表でも誰かは見ているからプロだったらほんとに手を抜いちゃいけないっていうのは改めて実感した次第です。  はくろんとか修論とか、一人だから追求できる研究テーマや調査がある一方、協力しながら調査することによって見えてくることもある。その両方をうまく使いこなしながらこの先もやっていけたらなと思った調査でした。 さてさて、帰国したらはくろんに、本務に、さらなる研究に、後期の授業準備といろいろありますが、ちょっと東京を離れていろんな人の話を聞いて、自分自身の立ち位置を確認できた期間でした。
 いろいろな人に感謝しながら、少しずつ歩んでいこう。
 そしてまずはガラケーを卒業しよう。docomoショップに行こう。    
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k-artkhs · 8 years ago
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5月からのお仕事について。
うっすらほのめかしていましたが、対面であった人にはひとしきり説明しているのですが、そろそろお知らせしないとややこしくなってきたので、5月からのお仕事について説明します。
5月1日付で、東京大学大学院情報学環の特任助教に着任��ました。
(※正式名称に大学院が入ることに昨日気付いて、入稿直前の新名刺をぎりぎりで訂正した……デザイナーさんごめんなさい。)
業務としては、 平成29年度 文化庁「大学を活用した文化芸術推進事業」の助成を受けて「社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業(AMSEA)」というのを担当していますです。母体は2015年から東大で活動している「社会の芸術フォーラム」です。(とはいえ私はフォーラムメンバーではないのですが)
ずーっと同じ大学にいたので、いろいろ新鮮です。学内ポータルに上手く入れなかったりとか、四苦八苦しています(笑)。 昨日福武ホールの前の階段(2段だけ)で思いっきりこけたりとかしています。
詳しいプログラム内容は、こちらを参照していただけれと思いますが、一般向けのアートマネジメント講座を開講します。
https://amseaut.blogspot.jp/
そのなかでもざっくり私は、受講生が調査に行くときのコーディネートをする仕事を担当しています。調査先の方にもご協力いただけることになり、個人的にも楽しみです。
ご縁があってこの仕事をやることになり、今は講座開講に向けてばたばたしているのですが、すてきな同僚(先輩方)に囲まれて充実した日々を過ごしています。いろいろ固まって動き出したらさらに大変なことも多いですが、これまでの経験を活かしつつ、自分も勉強や成長できる場にしていきたいので、今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいます。
乞うご期待!
追伸:はくろん、書くよ……。あと、6月の関東社会学会で報告しますので、新名刺がほしい方はそちらでゲットしてください。
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k-artkhs · 8 years ago
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無所属、新人、デビュー。
8年間在籍した大学院を退学し、3年間務めた仕事を退職し、無所属、新人になりました。非常勤はあるので、正確には無職ではないのですが、やはり、所属がなくなるのは、感慨深いものです。
特にこの3年間は、ぽんこつながら、仕事では本当にいろいろな人に助けられた。特に同僚は命の恩人といっても過言ではないくらい、助けられました。
3月、ほんとに体調悪くて、プライベートでもいろいろあって、死ぬかも、と思ったりしたのですが、「今死んだら、引継ぎやばいな」とか、「月末現場だわ」とかで何とか生き延びました。
ほんと何があるかわからない。
いまは、ちょっとぼんやりしているけど、職場から大量に持ちかえった荷物をどう収納しようかとか、マキタの掃除機買わなきゃとか、そんなことを考えたりしながら、新学期の授業準備やら、はくろんの執筆やらを進めたいと思います。
研究者として、ちょっと一歩前に進んだ気もしますが、まだまだ道は続く、飽きもせず歩く。
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k-artkhs · 8 years ago
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Playing for money? :映画に詳しくないけどテーマ的に気になったので「La La Land」を見た感想【ネタばれ有】。
 「Play for money」って賭けをする、って意味があるのね。このイディオム知らないかったけど(無知)、映画見ながら思い浮かんだのはこのフレーズだった。
 お金のために演じますか?演奏しますか?ということ。
 お金のために自分の表現活動を使うことは、生きていくためには必要だし、だからこそプロフェッショナルになれるんだけど、なぜかそこを飛び越えるには一瞬ためらいがある。「芸術家として成功したい」と思っていても。
 1月の現場でご一緒した舞台監督さんが公開前からSNSで言及していた事から知ったララランドなんですが、薄目であらすじを見たところ(あんまりあらすじを読みすぎると興ざめするたちなので薄目で)どうやら女優を目指す女の子ミアの話らしいということで、気になったので見に行ったのです。
 ……オープニングから泣き、エンディングで号泣しました。
 この映画の芸術的観点とか映画批評はなんかいっぱいありそうなので、「芸術家について研究している人が見たら気になった点」についてつらつらと書いていきたいと思います。
 ピアニストのセブ(男性主人公)がジャズを弾いているんだけど、これ多分アメリカにおけるジャズの位置づけがわかるとまた見方代わるんじゃないかなっていうのが第一。昔NEA(全米芸術基金)の報告書読んでた時期があるんだけど、ジャズって結構調査されているし、助成対象になってるんだよね。ここからは詳しくないので推測だけど、おそらく助成化・制度化することで「ブラック発の文化」としてアメリカらしさを推す文化にしようとしてるんじゃないかなーと。もともとの出自とは違うんだけど、作中にもあるようにリスナーが高年齢化する中での生き残りは、難しいんじゃないかなと。このあたり、日本で演歌が最近被助成化に動きかけているのと似ているかもしれない。
 次に、ミアが乗っているのがプリウスだったり、パーティに行っているというなんとなくリッチな生活について。多分日本の駆け出し女優志望者は車所有できないし、ああいうパーティにも行かない。そのあたり、アメリカのパーティ文化だったり、モータリゼーションの進んだLA、あとは、エンターテイメント関係者の集うLAだからこそできるんだろうなーと。つまんなそうな脚本家でも顔をつなぐために相手にしなきゃいけない退屈な飲み会は、どこの国でも共通してそうだけど(笑)。
 彼氏セブに勇気づけられてミアが一人芝居をやってしまう(多分、映像を目指している人が舞台をやるのは結構な挑戦なんだろうけど)あたり、「こういう感化のされ方あるよね」と思いつつも、結局セブが売れてしまうのを目の当たりに自分から離れていくことに焦るのは、まー芸術家カップルに限らず、劇団内でも起こりえる話であったりします。複数人が同じ速度で成長していくのは難しいよね。で、これはオチにつながるんだけど、その時に別れなり、解散に向かうのは必然になってしまう。この映画のストーリーではこの別れは個人的には納得したんだけど(そして読めた)、現実問題だともう少しどうにかならなかったのかな、みたいな状況はあります。永遠のテーマでもありつつ、ここを「仲良しごっこ」で終わらせないのが、大人なのかなーとか思ったりしました。
 あと、大コケしたミアの舞台で、あるプロデューサー(つまりゲートキーパー)の目に留まったことが、成功へとつながるのですが、最終的に評価って大衆受けじゃなくて、適切な人に評価されるかどうかなんですよね。多分ミアが評価されたのはセルフプロデュース能力なんじゃないかなと。だから、自分をキチンと評価してくれる人に出会えるかは鍵なんだよなー。
 結局この映画を貫いているのは「夢を追う」ことで、最終的に二人とも自分が見ていた夢はある意味で叶えている。でもその時に隣にいると思っていた人が違うことは、果たして本当に「夢が叶った」と言えるのだろうか。っていうのが、このもんにゃりしたせつなさなんだろうと。だから私はこの映画は日本ではうけないんじゃないか、刺さる人は限られているんじゃないかと思う。今の日本でここまで夢を追うのは難しいし、環境が違うし、そもそも生きるので精いっぱいだし。遠くの話、と取ってしまう人が多い気がする。
 でも、少なくとも私は、友だちの大半は何からの表現者だから彼らのことを考えてみる面もあり、というかそもそも自分の研究テーマとしてすごく重要な映画でありました。なのでこれからは冗談で��どんな研究してますか」とか聞かれたら「ララランドみたいな世界のことを研究してます」ともこたえられるような気がする(笑)。
 
 あ、ちなみにサントラは見た晩DLしましたよ。オープニング最高だね!
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k-artkhs · 8 years ago
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擬態。
 将来、いつになることかわからないけれど、単著を書くことになったら、2冊目あたりのあとがきに書きたい話を、備忘録的に書きます。
 私は、この3年くらい、「照明さんを雇うまでじゃないけれど、ちょっと工夫すれば演出としてよくなる」みたいな公演の手伝いをやろうと決めて、やってきました。具体的には、ギャラリー公演とか、カフェ公演とか、そういうのの手伝いをしていました。これはある意味ニッチかな、と思ってやっていました。
 そもそも、私自身、舞台照明を生業にすることは、ある時点で明確に諦めています。それこそ、ちょうど10年くらい前に。
 それでもなぜ、界隈にいるのか。いろいろな理由はあるのですが、自身の本職と結び付けるならば、「クリエイティブの現場の空気を忘れないため」なのかもしれません。
 最近読んでいた質的調査法の本で、「現場の空気感を忘れない」という話があり、それでははた、と気づきました。
 そもそも、こういう現場に関わっていると、本職側の人から「フィールドワークだね」とかたまにいわれるんですが、それにすごく嫌悪感を覚えます。私はその現場を直接描くことは、少なくとも今はできない(例外もあるのですが)。だから、周辺的なテーマを選んで博論を書いているわけです。
 ただ、話は冒頭に戻り、ギャラリー公演を手伝っている、たまにそのカンパニーが劇場公演を打つことになって、劇場照明もやることになるわけです。
 最近たまたま、とあるプロジェクトで、いわゆるホールに入って現場をしていたわけなのですが、その時には「照明家」として擬態せざるを得ません。もちろん、生業にしている人からは、いろいろ劣るのです。そこは、ちゃんとしないと、カンパニーの信用問題になりますから。
 そんな、照明家に擬態しながら、考えたのは、やっぱり自分の研究テーマだったわけです。他方「参与観察?」とかいわれるのも、やはり違和感を覚えるわけで、私はやはり、「現場の感覚を忘れないため」というのがその背景にあります。
 本職にしてる方とお話すると、おそらく擬態に気付かれるわけですが、でも、精一杯擬態として仕事するわけです。
 仮面をつけてしか見えない世界もあるかもしれない。擬態でも、受け入れてもらえるなら、迷惑かけないなら、もう少しいようかなと思ったりします。
 でもそれに甘えてはいけない。いつかは去るわけで、それまで、淡々とクリエイティブの現場の隅っこの空気を吸っていたいわけです。
 たぶん私は、どちらかというとデザイナー気質の照明家で、かつ、デザインにのめり込むと作品に取り込まれるタイプです。だから、結構精神的にくるときもある。ただ、それでも、ちょっと変わった擬態の照明家がしっくりくるカンパニーもあるかもしれない。その選択肢の一つとして、いられたらいいなとは思います。
 10年前、とあるホール現場で、劇場さんに迷惑をかけていたあの頃の自分は、まさかそのあと、擬態だけどまだ卓の前にいるとは、思ってもいなかったよな。
 ああ、でもあのときはそもそも、今の本職すら、選ぶとは思っていなかったな。
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k-artkhs · 8 years ago
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君がいない町、田丁町
年始早々喉を傷めて、寝起きドッキリみたいな声しか出なくなる(というか声が出なくなる)日もありましたが、年始から定時残業Z「HEIAN MCZ」に関わっていたりしました。ご来場いただいたみなさまありがとうございました。平安貴族のラップ、そしてゲストラッパーさんのラップ、すごかったです。
私は明後日締め切りの論文から逃避するために、タヒノトシーケンスという舞台について書いてみることにしました。
こんなことやってないで論文を直さなきゃいけないのですが、書かなきゃいけない原稿も、見なきゃいけない資料もあるのですが。今日打ち合わせをして、とあるシーンの台本でちょっと動かされるものがありまして、書いてみようと思います。
そもそも私が田丁町に招かれたのは2012年春。
あるところで知り合いになった仲井陽さん(ケシュハモニウム)に誘われて、田丁町を作る「稽古会」に参加するようになりました。
(私が参加をする前の様子はこのまとめに詳しいです⇒https://togetter.com/li/1056251)
本番がなく、ただただエチュードだけをするという、ちょっと狂った会が2年くらい続き、月1位でなぜか私もエチュードに参加していました。
私が参加していた理由は公私ともにいろいろあるのですが、研究関心的にはこのコラムにまとめたように、関係性から物語を作る、というのが研究論文の手順と似ていたから、という興味があります。
⇒https:// kesyu.com/tahinoto/find/
そんなこんなで稽古会をしていた2015年の冬、公演をやるよ、という連絡がみなみさんから入りました。
「手伝う手伝うー」ということでメンバーに加わったわけですが、折角田丁町民の名前も持っているわけだし、「ちょっとだけ出演します」ということで、実はちょっと出ていました。
嘘です。
実際ふたを開けてみたら結構出ていました。
その時の第一回公演の感想についてはこちらを参照してください。
⇒https://togetter.com/li/871028
正直、「出ながら照明をする」という正気じゃないことやっていたので、精神的にも結構大変だったのですが、得るものは大きかった気がします。(2015年夏が忙しすぎで記憶が曖昧)
で、前回作品そのものも好評だったこともあり、今回諸々の経緯があり、第二回公演をやることになり、規模的に私でいいのか、というのもありますが、「ぜひ」とお声がけいただいて、今回もお手伝いさせていただくことになりました。
実は私、上京したタイミングとケシュハモニウムの休止タイミングが重なっていて、ケシュハモニウムという劇団の公演は見たことなかったのです。なので、見たことない劇団に関わるという始めは手探り状態だったのですが、それでも、今回もタヒノトシーケンスに関わっているのは、田丁町、そして町民の皆さんが好きだからかなぁと思います。
正直、前回出たことが正解だったかは分からないのですが、でも、あの世界観の一部になれたことは楽しかったし、今回もかかわれることは不安もあれど、楽しみではあります。これだけ世界観を作ってしまうと内輪な感じが出がちですが、そこは新メンバ―も加わり、今回の方がよりとっつきやすくなっているかなぁと思います。
田丁町はちょっと不思議なまちなのですが、ちょっと不思議でも人が持っている感情の中心は共鳴するものがあります。その普遍性がたまらなく切ないのが、みなみさんの作品の特徴なのかなと、今日渋谷のカフェミヤマで感じました。
あと、こちらの団体さんは映像を使うので、そちらも楽しみなのですが、多分、これこんなこと言うとあれなのですが、私の色使いと、アートディレクションの仲井希代子さんの色使いが、結構相性いい気がします。そこらへんも、今回また楽しみだったりします。
先週の現場でも思ったのですが、なぜここまで来てまだ現場に出ているのか、これは、説明できないし、説明するくらいなら、それを説明するためにも博論を書こうというのが、今の私の心境です。
というわけで、今回の田丁町は相模大野に2日間だけ出現します。
前回観てない方も観た方も、演劇好きな方も嫌いな方も、来てほしい。という久々に感情が動く公演です。
交通費をかけても、チケット代自体がお安めなのでご安心下さい。
http://kesyu.com/tahinoto/contact/reserve_kao/
思えば、タヒノトに関わり出したのはD2の頃で、その頃は論文書くたびに壮大な駄目だしをされて毎回泣いていたような記憶があります。いまではそこから少しは進めているかなと思いつつも、もはや入院から退学しなきゃいけなくなり、時がたつのを感じる日々です。
そんな、センチメンタルな気分に動かされて、現実から逃避したくて、書いてみました。
君がいない町、っていう言葉がなんとなく浮かんだのですが、田丁町に関わるとまず住民票を書かされるんですね。だから、「誰か」ではなく「名前を持ったあの人」になれる。抽象的な「君」がいない、そんなまちかな、という意味を後付けしてみたりしました。
では、論文に戻ります。
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k-artkhs · 9 years ago
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ノルマについてぼんやりとだけど考えてみた。(最後にちょっとしたお知らせ)
 このタイトルの元ネタがわかる人いるかな、というどうでもいい前置きはさておき。
 学生演劇をやっているころから「ノルマ」という言葉をちょいちょい聞いていました。私は裏方だったのでノルマを払って公演に参加をしたことは数えるほどしかないけど(それでもあったよ!)、演劇をやっている人が一度は通る道です。
 ノルマ制といったら田村公人さんの『都市の舞台俳優たち』が話題ですが、あれを読んでふと、「ぶっちゃけノルマ制ってどれくらい一般的なんだろう」と思いました。というのも、私の周りではあまり聞かないというか、むしろすごく嫌われている制度だからです。
 ということで、初めてのツイッター機能を使ってみました!
(上手く埋め込みができないのでスクリーンショットで失礼します)
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 直リンクはその1、その2です。
 結果はこの通りになりました。ご回答いただいた皆様、ありがとうございます!
 正直、こんなに「ノルマも参加費もないよ!」の回答が多いとは思っていませんでした。要因としては私の周りなので30以上の人が多いこと、あるいは200席だと比較的規模が大きいので動員が安定している劇団に出ている人も多かったのかも、などありますが、それにしても、ノルマ制をとっているところがこんなに少ないのは意外でした。特に「自劇団の場合、チケットバックで清算可」が自劇団においては主流かなと思っていましたが、実際は4分の1程度でした。
 音楽のノルマ制については、宮入恭平さん編著の『発表会文化論』でも検討されていますが、不思議な制度ですよね。しかし、「知り合いを効率的に呼ぶ」という点では合理的な面もあります。かつ、「読んだ数が収入(バック)に反映される」という面では、一定のモチベーションを保つ効果があります。ただし、自分でも捌ききれないノルマを背負うことは、演劇・音楽限らず、芸術活動を続ける際のネガティブ要因として働きます。fringeのブログでは「自転車の補助輪」と表現されていますが、ある程度動員が確保できるようになったらノルマ制からは脱する必要はあるでしょう。
 まだ下っ端観劇フリークだったときチケット予約に「誰々専用」って書いてあるのの意味が分からなかった。端的に言えば、ノルマ分・バック分の計算に用いるためのものなのですが、(これはある友人がブログで書いていましたが)ノルマやバックがなくても、「○○さんは人を呼べる」っていうのはオファーの際の重要な要素になるらしいですね。
 ノルマがなくても呼ぶ人は呼ぶし、呼ばない人は呼ばない。
 このような仕組みを見る側が知っている必要があるかは個人的には微妙ですが、昨今のSNSの流通により、顔見知りではないけど応援している俳優さんに対して「その人を通じてチケットを買う」ということができるようになったことは、一(元)観劇フリークとしてはいいことだなと思います。
 しかし、ここまでノルマ制がないとなると、みんなどうやって初期資金を集めているのだろう?主宰負担?それともどこかの出資?いろいろ気になるところだけれども、とりあえず今回はここらへんで。
 あ!そして最後に宣伝です!
 中盤で話題に出しました宮入恭平さんの主催のWS(演劇のじゃないよ!)に参加することになりました。今年最後の学会発表です。
 JASPM28(第28回日本ポピュラー音楽学会年次大会)@立教大学 12月3日
「「発表会文化」再考 : 『発表会文化論』書評への応答」
 2015年に出された『発表会文化論』の続編という扱いの会です。私はこの書評価委に呼ばれたことが縁で今回、「演劇」について話させていただきます。内容としては、このノルマ制のことにもあるのですが、逆に演劇は発表会化ではなく、小規模公演でも商業化してきてるんじゃないかという「脱発表会化」の仮説について話すつもりです。
 前回の学会発表がアマオケのことだから、ポピュラー音楽学会で話すならそっちの方が順当な気もしますが、音楽の学会で演劇の話とか異種格闘技もいいところですが、頑張ってきます。
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k-artkhs · 9 years ago
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この本の発見や記述はすごく貴重だけど、社会学の本としては中途半端だな、っていう感じが、再読して改めて感じたこと。だからこそ「フィールドワークすごかったね」で終わらせるのではなく、逆に、しっかり批評していくべき。
【書評】社会学的調査を通して浮かび上がる小劇場俳優の現実
田村公人『都市の舞台俳優たち:アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって』
東京:ハーベスト社、2015年
片山 幹生
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1.小劇場の観客の大半は身内?
「東京の小劇場の観客の9割以上は、舞台俳優個人が自らの人脈を通じて集客したもの」(『都市の舞台俳優たち』p. 13)だと著者は記す。著者が取材した33劇団のうち、中劇場に進出した5劇団を除き、出演者である俳優ないしは劇団関係者の知り合いでない「熱心なファン」が主たる客層を占めると回答した劇団はひとつもなかった(同書、p. 192)。
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k-artkhs · 9 years ago
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論文が電子公開されました。
連日のお知らせ失礼します。
2015年晩夏に刊行された論文が電子公開されました。
「社会人演劇実践者のアイデンティティ――質の追求と仕事との両立をめぐって」『ソシオロゴス』  39 174-190   2015年9月
はい。
査読付き論文としては久しぶりですねー。
そう、この『ソシオロゴス』は査読者が選べる、査読会議という査読者と投稿者が対面する機会がある、という特殊な雑誌です。私はこのテーマの論文をぜひこのお二人に査読してほしい、という考えまして、投稿に至ったという論文です。
投稿・査読・発刊に至るまでにいろいろなプロセスがあるのはどの論文も同じだけど、この論文は博士後期課程前半のハイライトかなと思っています。
演劇については、卒論で扱ったけどなかなかそのあと考えあぐねていました。ただ、この調査対象にした団体に出会って、ちょっと光が開けた気がします。そんな感謝も込めて書いた論文です。
私は、演劇一般については論じられないし、そんな大層なことはできないけど、自分が気になるところについては、深掘りできるかもしれない。そんな思いがありました。
内容としては、社会人劇団のお話です。「就職か、演劇か」の二択になってしまうことに、大学時代からすごく違和感があり、それへのオルタナティブの提出という面もあります。
いろいろなご意見があるだろうし、もちろんこの事例はあくまで特殊例だけど、こういう特殊例をいかに扱いうるのか、ということも今後課題になってくるかな。(はくろんで……はい。)
ともあれ、ご笑覧いただければ幸いです。
インフォーマントのお二人、査読者の先生方、ありがとうございました。
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k-artkhs · 9 years ago
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「レディース本」ができたよ!
どどん。
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 なんだこりゃって感じですが、説明します。
 この1年半ちょい、私がかかわっていたプロジェクトの話です。といっても私は記録として関わっていたので、とても微力なのですが。
 「アート業界の働き方と組織についての研究会の記録をやってみませんか」とお誘いを受け、参加したのが2015年の冬。それからもうまた次の次の冬がやってきますが、ようやっと書籍になりました。
 
 詳細についてはこちらのURLをば。
http://www.tarl.jp/cat_lesson/12683.html
 アート業界においてそれぞれに専門を持つ4人の女性の方が、自身の経験を踏まえて語りながら(webに掲載されている対談がベースになっています)、かつ、必要な知識(技術)についてまとめたよっていう本です。
 私は何をやっていた方というと、毎回の会議の議事録(ほぼテープ起こし)をやっていました。大変でしたが、すっごく勉強になりました。
 私は文化とか芸術にかかわることを調べているけど、基本的に「自分の現場」は研究においては持たないようにしています。ですので、どうしても現場の知識とかノウハウが甘いところがあります。そんな、私が近づけない情報をお持ちのお姉さま方が、喋る喋る!楽しいことこの上なしです。
 私の手元に数冊あるので、ご希望の方は何らかなの方法でご連絡いただけばおすそ分けします。
 アートや文化団体の運営に関心のある方のみならず、女性としての働き方や、行政とどううまくやっていくのかなど、いろんな方に読んでいただける本となっています。
 改めまして、このプロジェクトにかかわった皆様に感謝申し上げます。
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k-artkhs · 9 years ago
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文化の当事者による研究とは?--語れること、語れないこと。
 日本社会学会の報告が終わりました。ラーメンも食べ、割と穏やかに終わりました。
 今回私は(日本の学会としては初めて)音楽の研究を発表したのですが、そこでいろいろな質問をいただきました。ありがたいことです。
 今までの演劇やアートの発表と明らかに違ったのは、研究者自身で音楽の当事者の方がたくさんいらっしゃったことです。これは予想していたことだし、なるほどなるほど、と思う一方、ちょっとした疑問も残りました。
 つまり私は、「当事者」に近い人たちからコメントをいただいているわけですが、今回音楽の場合は非当事者として答えることになります。
 演劇の研究発表だからって直接自分の経験を話しているわけじゃないし、アートも参与観察していたとはいえ作品作ったわけじゃないけれども、音楽はやっぱり自分の中ではちょっと距離のあるテーマです。その状況で当事者目線の質問をもらうと、なかなかうまく離せず、結構歯がゆく思う面がありました。
 とはいえこの歯がゆさ、違和感って、全然語られないない一方、研究上無自覚なことが多いのではとも考えてしまいます。
 というのも、文化研究はある程度「好き」な人がやっているわけで、社会学的視座とは別に、文化や芸術に関するマニアックな(専門的な)知識を持っている人が多いです。(私見ですが)
 それはそれでいいことなんですけど、あまりに知識があったり、当事者に近いからよしとされてしまうことってあるのではないかなと思います。これは自分の研究への自戒でもあるのですが、当たり前のことをちゃんと記述し、分析することとこそ、研究の一歩なんじゃないかなと。もちろん今回のコメントが当事者的だから無意味、っていうわけじゃなくて、文化に関してはこういうことが起こるのは何だろう、というすごく素朴な疑問が残っているという方が大きいです。
 と、こんなことを考えてたのも、たまたまフィールドワークに関する部会に出たからで(部会内容自体は原則公表不可なので触れません)、じゃあ、文化の当事者って何だろう、と考えてしまいました。文化人類学的にはもっといろいろ考えられてるかもしれないし、私の勉強不足の点が多いんだろうなぁとも思うのですが。
 私が女性であるとか、演劇をやっていたことがあるとか、かつて大学生だったとか、決して消え去ることのできない属性がある一方、単に「自分の体験談」や「自分の考え」を論じてしまいかねないことに、もうちょっと繊細になってもいいのではないかなと、私にしては珍しく、ちょっと論争的なことを書いてみました。
 明日からもまた頑張ります。
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