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カタラバ、ついに最終回
今年度のラボは手探りでの進行だったように思います。『カタラバ』はテーマも形式も自由。ラボ生の個性がうまく混ざり合ったwebマガジンを目指しながらも、混沌との隣り合わせでもありました。
それでも、この一年、カタラバが最後にどのようなカタチになっているのか予測がつかない、裏を返すと「どんなものもカタラバには載せられる」その自由さを存分に活かしたラボにできたのではないかな、とわたしは思っています。確実に先が決まっていないからこそ、あらゆる分野へと揺れ動き、『カタラバ』の奥行きを広げようとしてきました。
ただ、『カタラバ』の初回投稿で、私たちはこのようなことを皆さんに発信しました。
“『カタラバ』とは、「語る場所」から転じた「語る場」という意味と、わたしたちが「語らなければ」という想いが合わさって誕生した言葉です。”
ラボ生が書いた記事の内容は本当にさまざまでした。でも、全員に共通していたのは、「ラボ」という場を通じて記事を執筆する���会が生まれ、自分で「語らなければ」と感じた想いを文章にした点です。
趣味についてマニアックに語る人、旅先で感じたままに想いを綴った人、映画や本のレヴューを書いた人。一見するとなにも共通点がないように思います。でも、みんな「自分の言葉で語り、少しでも多くの人に発信したい」と感じたから、記事にしていたはずです。
『カタラバ』は、単にノンジャンルで、なんでもありのメディアではありません。
自分から書きたいと思ったことをすくいあげて、言語化して、多くの相手と共有するためのコミュニケーションのひとつでした。
さらに言えば、記事が『カタラバ』上に掲載されるまでにも、ラボ生と先生、あるいはラボ生同士の対話がありました。煮詰まったときに仲間に相談すると、引っかかっていた部分がするっとほどけて、書きたいことの糸口が見えてくることもありました。
“実際に顔を合わせて話をしていると、ふとした表情や言葉、思ってもみなかった意見から、議論が深まっていくことがあります。「場」というのは生きているのだな、とつくづく感じますし、そこにある「生きた言葉」を、ここ『カタラバ』でもお届けできるよう、ひとつひとつ丁寧に温めて、育てていきたいと思っています。”
上記の文章も初回の投稿からの引用ですが、今年度を終える今、改めて振り返ってみてもその通りだと実感します。そして、ラボという貴重な「場」を共有して、そこで深まった想いだからこそ磨かれた言葉の輝きを『カタラバ』に凝縮できたかな、と思います。
最後になりますが、ぜひ完結した『カタラバ』を、もう一度最初から読んでみてください。
ラボ生の個性と、「言葉の力」が幾重にも重なって厚みを増した『カタラバ』に仕上がっています。断片的に記事を読むのとはまた違う、言葉への想いを味わってみてください。
古川理子
『カタラバ』の活動は、今回で一区切り。いつの間にか、それぞれのメンバーがあたためた言葉があふれたWEBマガジンになりました。ですがそれは、必ずしも「おわり」ではないと思っています。
『カタラバ』は「語る場」であり、「語らなければ」という想いです。私たちは一年間の活動を終え、それぞれの道を歩んでいくわけですが、その想いは無くなりません。そして、想いを語る場所はラボ活動に限らなくても良いと思うのです。おわりのはじまり、ではありませんが、なんとなく次のステージに進むような、そんな心持ちでいます。そのうちにふらっと戻ってきてしまうかもしれませんし、ね。
本田先生は、時々「言葉の花束」という言葉を使われます。それはきっと、花束を贈るように大切に、丁寧に、相手のことを想って言葉を選ぶ、ということなのだと思っています。私は、ラボの活動を通して「言葉の花束配達人」になりたいという夢ができました。私たちはまだまだ配達人見習いかもしれません。ですが、少なくとも想いだけは一人前だと思っています。気が向いたら、どんな順番でもかまいません。改めてなにか読んでみてください。新しい発見があるかもしれません。「言葉の力」を感じていただけるかもしれません。
『カタラバ』の記事一つひとつには、いまの私たちの想いがつまっています。きっと、このメンバーで活動していたからこそ、なにかしらの影響を与えあっていたからこその記事になっているはずです。皆さんの心の片隅にひっかかってくれたなら、嬉しく思います。いつか思い出してもらえたなら、幸せです。
ここまで支えてくださった先生と、語り合ったメンバーと、なによりお付き合いくださった読者の皆さんに感謝をこめて。
またどこかでお会いしましょう。
渥美真彩
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アナ雪に物申す
大谷小百合
私がアナ雪に対するモヤモヤを抑えきれないのには、理由がある。
以前も書いたように私はディズニー映画が大好きなのだ。
この湧き上がる怒りにも似た感情は、ディズニーへの愛ゆえなのである。
アナ雪は少しばかり、多くを語りすぎだと私は思っている。
映画としては、メッセージ性・社会性があって優れているし、いろいろ考えさせられる作品ではある。
しかし、果たしてディズニー映画にそんな難解なメッセージは必要なのだろうか?
どんなにくだらなく思える映画も、本も、絵も、(人も?)この世に生まれ落ちたからには、
全て何か理由があると、私は思うのだ。
そして、それぞれに役割がある。
あなたにも、今日は泣ける映画が観たい気分だな、思い切り笑えるのが良いなとか思う時があるでしょう?
映画の役割はそれぞれ違っていて、求められるシチュエーションに合致すればそれらは観る人の心をわしづかみにし、
ずれてしまえばその映画体験は残念なものになってしまう。
例えば、友達とお酒を飲んで話しながらBGM代わりに『ゴッドファーザー』を流す人はいないだろう。
人生のヒントを『ホームアローン』に求める人も、あまり、いないと思う。
では、私たちがディズニー映画に求めているものとはなんだろうか。
あくまでも私的な見解ではあるが、
それは、愛とか夢とか、勇気といった、口にするのも恥ずかしいような類のものではないかと思う。
愛、夢、勇気、希望。これらは決して日常語ではない。
口にするのに少しためらってしまう。
すごく仲のいい友達に、自分の夢を話したときのことを思い出してほしい。
「私のさ・・・・・・夢、ってさ・・・・・・」なんて、少し声が小さくなったり、ドキドキしたりはしなかっただろうか。
大切なことを口にするのはいつだって気恥ずかしい。
でも、言わなければ伝わらない。
「人を愛することは素晴らしいことだ」
「夢に向かって生きていこう」
「愛と勇気だけが友達だ」
どれも決して忘れてはならない大事なこと。
私たちは、小さい時から絵本や���やアニメで随分教え込まれてきた。
でも、それがどうしたことだろう。
大人になるうちに、ずっとずっと大事に抱えてきた言葉たちを、どこかに置いてきてしまったらしい。
生きていると、実にいろんなことがあるものだ。
小学生の時には思いもしなかった。
頑張りたくても頑張れないときもある、どこに向かえばいいのかわからない時もある、愛を信じられなくなるときだってある。
そんな現実たちと戦っているうちに、私たちは愛とか夢とかそういう現実離れしたものを信じるのは恥ずかしいことなのだと思いこんでしまったようだ。
でも、そんなときに私を原点に立ち返らせてくれたのが、ディズニー映画だった。
ディズニーランドの「フィルハーマジック」というアトラクションに行ったことはあるだろうか?
あれは実に良い。
ディズニー映画選りすぐりのミュージックシーンを、ダイジェストで観ることができる。
その中で、ピーターパンの有名なワンシーンがある。
ロンドンの時計台に表れるピーターパンたちが、妖精の粉を被って空を飛ぶのだ。
「We can fly, we can fly, we can fly」と歌いながら。
私はその時まで、人は空を飛べるんだ、ということを忘れていた。
何を言っているんだこいつは、と思ったあなた。
夢が無いねえ。
誰だっていつでも空を飛ぶことはできる。
風が強く吹いている日に周りに人がいないのを確認したら、
目をつぶって立ち止まってみなさい。
体で風を感じていると、体がふわっと浮かぶ気がする。
ここから先はあなたが思うまま。
好きなところへどこでも飛んでいける。
私たちは空を飛ぶことができない。そう、あくまでも現実の世界では。
でも、目をつぶった自分の世界では、なんでも自由自在なのだ。
私はそんな大切なことを忘れてしまっていた。
私にとってディズニー映画は、空を飛ぶこと、
見たことの無い世界が私を待ち受けていること、
王子様と舞踏会で踊ること、
その瞬間を待ち望んでいるときのわくわくを思い出させてくれる、きっかけなのだ。
大人になっても、愛とか夢とか持っていたっていいじゃん、素敵じゃん。
そう言ってもらっているようで、心から満たされることができる。
だから、私はアナ雪を見てがっかりしてしまった。
生きるのに大切なことは、自分で切り開いていく力だ。王子様も魔法も、全てが味方をしてくれるわけではない。
そう言って突き放された気がして。
大切なのは、強さだけじゃない。
夢を描くこと、愛を信じること。
世の中の厳しさを教えることは、他の映画にもできる。
だから、私はこれからもあほらしいほど夢と愛でいっぱいの映画を、ディズニーに作り続けてほしいと思う。
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ゆめ、うつつ――「非日常体験」にお金をかけるワケ
渥美真彩
夜、キノコが似合う秋の森。頭上には澄んだ星空。足元に並べられた無数のランタンがつくった光の道を進んでみる。色とりどりの傘のオブジェやふわふわした雲のライト。木々のあいだをのぞくと見える大きなスクリーンでは、何か映画が上映されている。どこからかカモメの鳴き声が聞こえてくる。私はまばたきを繰り返す。少し眠い。うつらうつら。
カシャーン、とカメラのシャッター音が響く。振り向くと、5人組のお姉さんが自撮りをしようと躍起になっている。どうも上手く全員を画面に収めることが出来ないらしい。お撮りしましょうか、と声をかける。スマートフォンを預かって、画面をのぞく。3、2、1、パシャリ。お礼を告げて去っていくお姉さんたちの足取りは軽やかで、うきうきしているようだ。手を振って見送る私。そういえば、何か、しなければいけないことがあったような気がする。何だっただろうか。
唐突に自分のスマートフォンが震える。ポケットから取り出して確認すると、ロック画面には「2016年10月9日日曜日」と表示されている。メッセージは来ていない。気のせいだったかな、とポケットにしまいかけたとき、頭上から夜空を割るようにアラーム音が響いてきた。ああ、そうか。ようやく私は、自分が夢の世界にいたことに気が付いた。
2017年2月10日金曜日。朝、ベッドの上で目が覚める。ほんの少し前まで夢に見ていた光景は、別に寝る前に読んでいた小説の影響などではなく、昨年の私の、2016年10月9日の確かな現実がもと���なっていた。山梨県北杜市の会場で行われた、「夜空と交差する森の映画祭2016」という野外映画フェス。2016年10月8日夜から9日朝まで、短編のインディーズ映画を中心に、4つのステージでオールナイト上映をするイベントだ。私は実行委員の一人として、このイベントに参加した。私にとっては、こうして夢にまで見てしまうくらい、文字通りに「ゆめうつつ」な体験だった。
「ゆめうつつ」というのは、2016年のこの映画祭のテーマだ。映画祭での一夜をたった一言で言い表そうとするなら、「ゆめうつつな非日常体験」ということになるだろう。夢なのか、現実なのか、境界線があいまいになるような体験。2700名の人々と、私はその体験を共有した。
さて、みなさんは「非日常体験」にお金を払ったことはあるだろうか。非日常体験は、なにも「夜空と交差する森の映画祭」だけの専売特許ではないはずだ。ライブコンサートや演劇鑑賞、美術館や映画館。例を挙げればきりがないが、そういった体験がお好きな人は少なくないと思う。SNSやキュレーションサイトなどを見ていると、様々なイベントごとの情報があふれていて、「非日常体験」の写真が山ほどアップされているのだから。
私は映画祭の広報担当として、日々「ゆめうつつ」で「非日常体験」ができるこのイベントの魅力を、半年にわたって発信してきたつもりだ。私が担当したのはほんの一部でしかなかったわけだが、様々な形で伝えられた情報に共感してくれた人が少なからずいたからこそ、映画祭は無事に幕を閉じ、それぞれにとって忘れられない一夜になったのだと思っている。
一方で、最近1年間に「エンタメ体験」(映画館での映画鑑賞などを含むチケットを必要とするもの)をしなかった人が、日本人の3割を占めるという話を耳にした。10人のうちの3人。その3割の人たちは、「非日常体験」を求めてはいないのだろうか。参加したいとは考えないのだろうか。
現代はネットが発達し、動画サイトやまとめサイトなど、無料で楽しめるコンテンツは増加傾向にあるのだろう。無料で楽しめるもので充分だから、わざわざお金を払ってまで非日常体験をしたいとは思わない、と考える人もいるのかもしれない。
その人たちにも「非日常体験」の良さを伝えたい、そう私は思っている。例えば、実行委員として関わった「夜空と交差する森の映画祭」の良さ。映画館で観た大迫力のアクションシーンの魅力。翌日にまで耳鳴りが残ってしまうような大音量のライブコンサートの感動。イベントならではの、体験だからこその長所があるはずだから。いままで体験するきっかけがなく、良さを知らないままの人がいると思うから。
そのためにも、まずは自分が感じる「非日常体験」の良さについて考えてみようと思う。当たり前だと思ってきたことを、改めて考えてみたいと思う。「非日常体験」が好きな人も、そうでない人も、一緒に考えてみてもらえると嬉しい。
・「非日常体験」の魅力Part1:解放感・ご褒美
みなさんは、昨夜見た「夢」を覚えているだろうか。自分目線のもの、俯瞰した目線で夢であると自覚しているもの、日常の風景を切り取ったものやファンタジー設定のものなど、様々な夢があることだろう。残念ながら私の場合は、寝起きの時点ですでに見た夢を忘れてしまっていることが多い。冒頭の夢はひと月ぶりに覚えていたものだ。それでもたまに覚えていると、知らなかった自分と出会ったかのような高揚感があったりする。なにより、寝る前に抱えていた山積みの「やるべきこと」から解放されて、夢の世界にどっぷりと浸かれるのが好きだ。覚えている夢の半数近くが悪夢だということはこの際棚に上げておくとして、私は夢に解放感を求めているのだと思う。
「ゆめうつつな非日常体験」に強く惹かれる理由の一つ目は、この解放感にあるのではないだろうか。日常生活が100%上手くいっていて、悩みもなく、幸せしか感じない、そんな人はそうそういないだろう。大小はともかく、何かしらの不満や不安、悩みは抱えているはずだ。それらが重くのしかかることもある。だが、なんでもかんでもすぐに取り除くことが出来るわけではない。だからこそ、たまには日常から離れたいと考える。「ご褒美」の感覚に近いのかもしれない。一度日常から離れてみることで、また日常を頑張れるような気がしてくるのだと思う。
夢は自分自身ではコントロールできない。だからこそ悪夢を見てしまうこともある。一方、「非日常体験」はある程度自分で選ぶことが出来る。好きなジャンル、場所、雰囲気などを吟味し、自分好みのご褒美体験をすることが出来るはずだ。期待外れな場合がないとは言わないが、一度期待を上回る感動に出会ってしまうと、またその体験をしたいと考えるのではないだろうか。
・「非日常体験」の魅力Part2:空間・環境
そもそも、「非日常体験」は外に出なければできないのだろうか。対価を支払う「非日常体験」の良さを語ろうとしている私だが、イベントに参加することも、映画館に行くことも、ここ数年で一気に増えたことだ。私にとっての「非日常体験」は、長い間読書体験とイコールだった。小説を一心不乱に読みふける時間は至福だ。作者が描いた架空の世界を、読者である自分が再構築する。そこにあるのは登場人物の悩みや感動であって、読者である私は本来存在しない。私は登場人物の行動や感情を追体験するかのように感じ、自分の「現実」と重ね合わせてみる。あえて客観的な目線で読んでいくというのもまた面白い。
別に小説でなくても良い。私にとって���小説だったというだけで、DVDでも、CDでも、イラストでも、SNSでだって、「非日常体験」は可能だと思う。ただ、ここで重要なのは、その世界に思う存分浸れるかどうかなのではないだろうか。お金をかける「非日常体験」に魅かれる理由の二つ目はこれだ。
例えば、家で本を読んでいるとする。読んでいる最中にスマートフォンに連絡が来る。インターフォンが鳴る。家族に肩をたたかれて用事を頼まれる。部屋に積んである「やること」の山が視界に入る。例を挙げればきりがないが、たいてい何かしらの邪魔が入り、中断する場面があるのではないかと思う。日常が入り込んでしまうのだ。「非日常体験」が成立するためには、物だけではなく、空間が必要となる。その空間は、極力邪魔が入らないことが望ましい。
「非日常体験」を求め、日常生活の空間を整えるためには多くの準備が必要だ。「非日常体験」のできる場所に行ってしまったほうが手っ取り早い。少々値の張る喫茶店でティータイムを楽しんでみてもいいかもしれないし、非日常を求めている人々がいそうな場所を探してみるのも良い。いつもより少しお洒落で高級なお店でご飯を食べる、というのも、ある意味では「非日常体験」といえるだろう。空間のために対価を払っていると考えることもできる。
もちろん、完璧に邪魔が入らないというわけではない。しかし大抵の場合、「非日常体験」ができる空間はそのために整えられており、同じように「非日常体験」を求めている人々が集まっているはずだ。映画館を例にとると分かりやすいと思う。映画館は文字通り映画を観るための場所で、ほとんどの人は映画を観るために訪れる。映画が観やすいよう暗さが保たれ、スマートフォンのアラームが鳴り響くことはない。大きなスクリーンで、迫力ある音響で、集中して初めから終わりまでの2時間ほどの時間を過ごすことが出来る。そういった空間で過ごす時間は、きっと「うつつ」でありつつも、夢のようなものなのだと思う。空間や環境の大切さ、少しはイメージしていただけただろうか。
・「非日常体験」の魅力Part3:つながり・人と情報の輪
私がイベント等に積極的に参加するようになったのは、前述のとおりここ数年のことだ。興味がなかったわけではないが、わざわざお金を支払わずとも満足に楽しめると思っていたし、なによりきっかけがなかった。情報が少ない上に、いきなり一人で参加するというのはハードルが高かったのだ。周囲に同じイベントに興味がある人がいるかどうかもよく分からず、「いつか行ってみたい」という思いを抱えたまま過ごしていたように思う。「いつか」と言っているうちは、大抵実現しなかったのだが。
いまでこそ美術館も映画館もためらいなく一人で入れてしまうが、当時は知らないということが怖く、なかなか踏み出すことが出来なかった。ためらいがなくなったのは、自分と同じように一人で行けてしまう人に出会ってからだ。そして実際に「非日常体験」を重ねていくと、会場にあるチラシやCM映像、キャンペーンなどから、別の「非日常体験」の情報を得ることができた。加えて、同じように「非日常体験」が好きな人の輪が広がっていった。人の輪が広がることで、イベントの情報だけではなく、実際の体験談を聞く機会も増えた。また別のイベントにも行ってみたくなった。
最近私が行ってみたいと思っているのはミュージカルだ。劇団四季のような大きなものは前々から予約しなければチケットが手に入らない上に、値も張るため、なかなか手が出せずにいた。そもそもミュージカルというジャンルに、年齢層高めの観客や格式高い劇場のイメージ、マナーにうるさいという偏見があった。きっと、行ってみればそんなことばかりではないのだろうし、手間とお金をかけるだけのことはあるのだろう。そう思えるのは、いままでに出会った人の影響が大きい。イベントを通じてたまたま知り合った人が、大のミュージカル好きで、話を聞いているうちに自分も行きたくて仕方なくなってしまったのだ。
「非日常体験」をするために「非日常体験」の情報が欲しい。その情報を得るためには、別の「非日常体験」をするのが望ましい。ざっくりとまとめてしまえばこういう図式なのだと思う。卵が先かニワトリが先か。ならばお金を払ってまで「非日常体験」をしなくてもいい、冒険しなくてもいい、そう考える人がいるというのもうなずける気がする。だが、一歩踏み出すだけで世界が広がるということもまた確かなはずだ。
ネットで充分だと考えることも出来るかもしれない。だが、ネットの情報を有意義に活用するには探しているものが明確である必要があるのではないかと思う。例えば、「ピコ太郎のPPAP動画」のように明確であればすぐに見つかるが、「何か面白いこれから話題になりそうな動画」というような、まだ頭の中でもやもやしている事柄について検索することは難しいだろう。だからこそ、人と情報の輪が大切になってくるのではないかと思う。
・「非日常体験」の魅力Part4:共有する喜び・予想外の出会い
最後に、「共有する喜び」について考えたいと思う。Part2で述べたように、「非日常体験」には空間や環境が大切だ。その特殊な空間では、知らない人同士であっても感動を共有し、熱量を感じることができる。
私が言いたいのは、ディズニーランドに行くと知らない人同士でもあいさつを交わせる、というようなことではない。もちろんこれも「非日常体験」だからこその出来事だとは思うが、多くの「非日常体験」で当てはまるわけではないからだ。私は、直接言葉を交わさなかったとしても、近くの人が息をのんだり、感動の涙を流していたり、そういった息づかいを感じることもまた「非日常体験」の醍醐味なのではないかと考えている。
「非日常体験」は、「未知のなにか」と出会うことができる。日常とは違う、特別な「非日常」。それは空間かもしれないし、映像かもしれないし、食べ物かもしれない。目当てのもの以外の面白いものとも出会えるかもしれない。もっと言えば、出会えるものは目に見えるものだけではないのかもしれない。Part3で述べたようなつながりも、ある意味では「未知のなにか」との出会いだと考えることができる。
人と共有するということは、不確定要素があるということだ。自分が思いもよらなかった反応や、想いに出会うことがある。つまり、「未知のなにか」に出会うわけである。それらは衝突を生んでしまうこともあるわけだが、だからといって独り占めすることが必ずしも良いとは言えないはずだ。そうした予想外の出来事は、期待を上回る感動につながることもある。
冒頭の夢の話、「夜空と交差する森の映画祭」の話に戻ろう。私は夢の中で写真を撮っていたのだが、実際のイベントでは1組に留まらず様々な人の写真を撮った。様々な人と話をした。それら一つひとつが、私にとっては大切な思い出だ。自分が好きだと思うことを、同じように、もしくは別の角度から好きだと考えている人と出会う。この経験は、DVDのように簡単には買えないだろう。「非日常体験」に参加するということは、そういった「未知の出会い」への可能性にお金を支払っている、とも考えられるのではないだろうか。
・終わりに:一歩を踏み出す難しさ
ここまでつらつらと「非日常体験」の良さについて考えてきた。共感していただける部分が少なからずあったなら嬉しい限りだが、残念ながらそうではない方もいらっしゃるだろう。「非日常体験」という括りは、幅広く概念的で、そのなかの一つひとつが固有の魅力を持っているのだと思う。だからこそ、括ってしまうことに抵抗を感じるかもしれないし、そもそも上手く括れていないのかもしれない。
ここまで読んでくださった方にはすでにばれてしまっているかもしれないが、いままで私が体験してきた「非日常」は、そう幅広いわけではないのだ。ただ、これから広げていきたいと考える出会いがあり、いまこうして「非日常体験」について考えている。皆さんにとってこの文章を読むことが、良くも悪くも「非日常体験」について考える機会になったのだとしたら、もうそれで充分だと思っている。
「非日常体験」へと一歩を踏み出す難しさは、私自身も経験したことであり、いまも感じる部分でもある。私の場合は、両親はじめたくさんの人が私を「非日常体験」へと連れ出してくれた。その機会に恵まれたことを嬉しく思うと同時に、そういった機会がなかったとしても「非日常体験」と出会えたらいいのに、と思ってもいる。将来的に「非日常体験」への一歩のハードルを下げることが出来るよう、いま自分ができることを探していきたい。
「非日常体験」へのハードルが下がった世界、それは私の夢だ。現実との間には隔たりがある。人気のライブチケットはずいぶん前から抽選に申し込みをしなければいけないし、高額転売チケットの問題やトラブルがニュースになることもある。
だが、確実に少しずつ、「非日常体験」の幅が広がり、情報量や接する機会が増加し、お金を支払う価値があるということが認められつつあるのではないか、見直されているのではないか。「非日常体験」を身近に感じられる、そんな「ゆめうつつ」な世界が出来つつあるのではないか。映画祭の実行委員の活動を通して、改めてイベントを夢に見て、そんなことを考える。
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染みわたる日本酒
「わたしは日本酒が好きで、日本酒を飲む機会が多い」 この一文に共感してくれる人はいると思う。そんなに珍しい話ではない。 では、次の文はどうだろう。 「わたしは日本酒が好きで、日本酒でスキンケアをしている」 この人から日本酒のにおいがしそうとか、顔に浴びせるほど日本酒が好きなのかとか、感想はさまざまあると思うが、いいリアクションはなさそうだ。 ただ、自分の肌には今のところ、この「日本酒スキンケア」が一番しっくりきている。 自分史上、ここまで揺るぎないスキンケアへのこだわりが確立したのは、今から一年前だった。
大学生になってから、自分に合った化粧水を見失っていた。なんとなくずっと使っていた化粧水はあったのだが、絶対これがいいというほど満足しているわけではなかった。今はドラッグストアの壁一面に化粧水が並んでいて、どれがいいか比較するのが億劫だったというのもある。ネットで口コミを検索してみても、感想は人それぞれ。書いてあることもだいたい「化粧ノリがよくなった」「コスパはいい」「ニキビが思ったより治らなかったからもう使わない」の三段評価。参考にならなかった。 だから、とりあえず今のままでいいや、と��っていた。ただその一方で、他に肌が白くて綺麗な友人を見ると、自分のスキンケアが正しいのか考えてしまうこともあった。 そのせいだろうか、どこかに運命の一品が息を潜めていて、わたしがその商品を手にとるか、試されているような感覚がしていた。
ある日、日本酒好き3人組で日本酒専門店に行くことに。その日はおいしいつまみと日本酒に囲まれながらマシンガントーク。ついつい長居してしまった。 そのうえ、日本酒は種類によって味が全然違う。お米の甘さが舌をやさしく包み込む銘柄もあれば、ピリッとしびれるようなものもある。 ビールもワインもウイスキーも、たしかに種類によって味わいが変わる。ただ、他のお酒よりも日本酒が一番自分の身体にすっと染みわたっていく感覚があって、それが心地よくて日本酒が一番好きになった。 ということで、味比べしたくなってしまう。ついついお酒も進んでしまい……。 その日はだいたいコップで4杯くらい呑んだだろうか。普段お酒に強いわたしもさすがに酔いが回っていた。 家に帰る頃はもう眠くて仕方がなかった。そして、一番やってはいけないことをした。
「お風呂にも入らずメイクも落とさず熟睡」
女性であれば、その恐ろしさを知っているかもしれない。メイクで肌呼吸を塞いだまま一晩を過ごすということであって、本当に肌に悪い。経験上、この過ちによって肌荒れをしたケースはほぼ100パーセント。わかってはいたのだが、睡魔には勝てず、撃沈。肌のことなんて考えずその日は眠りについた。
さて、恐怖の一夜が明けて、目が覚める。 ただ、何度も同じ失敗をしているはずなのに呑気なもので、起きてからも肌荒れの心配なんて一切せず、大きなあくびをしながら洗面所の鏡をのぞき込む。 そして、ばっちりメイクのままの自分とご対面。「やってしまった」と、一気に自分のズボラさを後悔し始めた。 だが、ここから運命の出会いへのカウントダウンが始まった。
「あれ、肌荒れしてない。むしろ、肌の調子がいい……?」
日本酒をたくさん呑み、スキンケアを怠ったわりに、肌がツヤツヤしていた。今思えば二日酔いの状態で見たのだから、根拠もまったくない話なのだが。 さらにこの思い込みに拍車をかけるように、そのときのわたしはとんでもない発想をした。
「日本酒って、もしかしてわたしの肌にピッタリなのか……!?」
どうしたらそこまでポジティブになれるのだろう。前日メイクを落とさずに寝てしまった人の考えにしては楽観的すぎる。だが、そう思いたったら行動に移すのはまあ早いもので、すぐに「日本酒 化粧水」で調べていた。 その検索結果には、驚きの文字が表示されていた。 「菊正宗 日本酒の化粧水」 菊正宗って有名な日本酒のブランドじゃないか。半分寝ぼけながらも検索する手がとまらない。さらに検索すると、なんと日本酒の化粧水はシリーズ展開されていて、化粧水だけではなく、メイク落としや洗顔までそろっていることが判明した。 その日のうちに化粧水と乳液を迷うことなく購入。それ以降ずっとお世話になっている。

このような形で、日本酒スキンケアを始めることになった。もちろん肌荒れがゼロになったわけではないし、本当にこの方法が一番なのかもわからない。 ただ、あの日の壮大な思い込みを今でも信じている。今思うと本当に肌の調子がよかったのかも怪しいのに、あのときの直感が忘れられないのだ。 日本酒を呑んで体に染みていく感覚が気持ちいいと思うわたしの身体の一部なのだから、きっと肌も喜んでいるはずだ、と。 思い込みが激しいだろうか。でも、病は気からと言うのと同じで、美も気からではないだろうか。思い込みや直感は、必ずプラスに作用するとは限らないが、時にはそれを信じて進んでみるのもいいように思う。 実際、その感覚を信じてスキンケアをして、肌がスベスベになってきた。そんな気がしている。「本当にこれでいいのかな」と思いながら使用していた前回の化粧水とは違い、「この化粧水がよくて、わたしにはこの方法が一番だ」と胸を張って言える。 この自信を大事にしたい。そもそも自信がない人の肌は、ハリのない印象を受けるだろう。一人の女性として、せめて自分が自分のためにいいと思った方法に胸を張って、美しくありたい。
こんなゆるい内容の文章を書いているが、今は3月。就職活動真っ只中。他に書かなければいけないものもある。でも、たまにはこういう文章を書くのもいい。字数も内容も自由。とても気持ちがいい。発想が凝り固まって煮詰まった感覚がじんわりほぐされていく。

つい先日、新たにフェイスマスクを見つけ、すかさず購入してみた。今では、面接がある日の前日にする特別なスキンケアとして、使っている。 面接の前日の夜は、夜更かしをして企業の情報を調べ上げ、自己PRを固めるのではなく、ゆっくりお風呂に入り、日本酒の成分でひたひたになったマスクをして肌を整えたい。そして、十分に睡眠をとって、見た目も頭の回転も万全な状態で、企業のかたとお話したい。 常に優雅な前夜を過ごせるかはわからないが、そんな余裕ができるくらいの心の感覚を保ちたい。 毎日の終わりは、自分が納得するスキンケアを心置きなくして、次の日に備える。これからもずっとそうでありたい。
古川理子
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「スピナー魂 ペン回しを紐解く」最終回
角田 雄紀
第1回、第2回、と掲載してきたスピナー魂だが、今回で最終回を迎える。第2回までは、ペン回しを始めるにあたって、知っておいてもらいたいことを記事に掲載していった。最終回のテーマは、現代においてペン回しがどのような形で世の中に発信されているかである。
文化を発信する方法が多様になった現代社会において、ペン回しは様々な方法で世間に知れ渡っていった。一番世間に影響を与えたのはテレビである。ペン回し最盛期であった2008年~2012年の間では、NHKをはじめとした様々なテレビ局がペン回し、有名ペンスピナーを取り上げて番組の企画にしていった。普段インターネットの中で自らの技を公開していた人たちも実際に出演したりなど、インターネットとリアルがつながった瞬間でもあった。私が一番印象に残っているのは、日本テレビで放送されている『ミヤネ屋』で取り上げられた回である。5分ほどの短い特集ではあったのだが、ペン回し界で最も有名である“bonkura”さんが取り上げられた回だった。私自身もbonkuraさんを知ったのはこのときが初めてであり、友達同士での情報交換が主流であった私にとって、彼の存在はとても衝撃的であった。この特集を見たことにより、私のペン回しに対する熱はさらに加速していった。インターネットを利用した技の練習もこの頃から始め、私と友達との技の競い合いは徐々にレベルが上がっていった。
ペン回し最盛期から数年が過ぎた今、テレビで特集が組まれることもなくなり、ペン回しは衰退の一途をたどってしまっている、わけではない。テレビで紹介されることこそなくなってしまったが、ペン回しはインターネットの世界の中で着々と文化を発信している。なかでも、YouTubeは一番の活躍をしている。近年はユーチューバーというものが、小学生を始め大人の間でも人気を有している。テレビにも出演した実力を持っているペンスピナーのkayさんは、YouTubeに自らのチャンネルを開設して、ペン回しのステージパフォーマンスの動画をいくつも投稿している。kayさん以外にも、多くのペンまわし専門ユーチューバーが動画を投稿しているが、ペン回しという今では小さくなってしまったコミュニティを広げていくには限界があるのではないか、と考えた人もいるだろう。しかし、その限界を乗り越えるのがYouTubeという動画サイトの特性なのである。YouTubeという動画サイトは、投稿した動画の再生数に応じて広告収入が得られる仕組みになっている。その広告収入を目当てに、様々なジャンルの動画を投稿している人が多くいる。彼らは日々の動画のネタ作りに頭を悩ませており、そんな人たちが一つのネタとして扱っているのがペン回しなのである。事実、チャンネル登録者数日本1位の動画投稿者がペン回しを題材に動画を投稿しており、その再生数は300万再生を超えている。
最終回を迎えるにあたって、ペン回しを紐解き回してきた私が考える、これからのペン回しを語りたいと思う。まず始めに、ペン回しのことを知らない人が増えて、ペン回しの存在自体が危うくなってしまうことだ。これは可能性としてはあり得なくはないと思った。しかし、ここで絶滅しないのがペン回しである。テレビの企画によくある、スゴ技特集のようなものにペン回しが取り上げられ、世間は再びペン回しに白熱することになるだろう。その勢いは、最盛期に劣ることなく盛り上がりを見せて、ペン回しのブーム再来に向けた多くの企業が、ペン回し専用ペンの発売を再開したりすることになるだろう。また、ペン回しをテーマとした漫画やアニメが開始されることになり、低年齢層から大人までがペン回しに触れ、実践することになるかもしれない。私がペン回しに熱中した中学生時代は、第2次ペン回しブームであり、誰もがペン回しというものがその時代に復活するという事は予想できていなかった。世間のブームというものは、突発的であり刹那的なものである。第2次ペン回しブームは、期間として約4年、世間の人たちの心をつかんだ。大々的に取り上げられることはなくなってしまったが、その4年間に残した跡は大きく、今でも水面下でペン回しを志す人たちは活動している。いつくるかわからない第3次ペン回しブームにそなえて、私はペン回しのことを忘れずに、頭の隅に置いておこう思う。ペン回しブームが再来した時に、周囲の人たちより一歩先を進んだペンスピナーになるために、スピナー魂を忘れずに過ごしていきたい。
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Vacantへの一歩 ―直感を信じられないとある大学生の本音―
渥美真彩
裏原宿にあるギャラリー、「Vacant」。ここのオーナーで本田先生のご友人である永井祐介さんが、私たちのラボに興味を持ってくださり、お話を伺う機会をいただいた。Vacantの1階にはセレクトショップがあり、奥は展示スペースになっていて、バーも併設されている。2階は広々とした多目的スペースで、展示にはもちろんライブにも活用される。イスを並べるなら100人、スタンディングなら200人は入るそうだ。使い方は利用者に大きくゆだねられることが多いらしい。ここは人が集う場所であり、モノや人と出会うことでさらにつながり、ひろがっていく。今回は、そんなVacantと出会い、「自分の直感を信じること」について考えた帰り道の話。

12月のラボ活動日、イルミネーションに彩られた大通りの喧騒を離れて、本田先生を先頭にぞろぞろと裏原宿の路地を歩いていく。個性的な建物がずらりと建ち並んでいる一角、外国の映画に出てきそうな外観に目を奪われる。小さいながら、文字自体が作品のようなVacantの看板。一瞬遅れてここが目的地だと気が付く。入口にはセレクトショップのお高そうな洋服がのぞいている。場違いだと感じて、きっと私一人では入れなかったことだろう。現に、以前外からきょろきょろと様子をうかがって、結局そのまま立ち去ったことがあったはずだ。店名はおろか、ギャラリーだということすら知らなかったのだが。
足を踏み入れた瞬間の心境は「おじゃまします」。お洒落なお店は好きだが、同時に緊張してしまう。値札を見て飛び上がるかもしれないし、うっかりぶつかって何かを落っことしてしまうかもしれない。なにより、場違いだと思わ���ないだろうか、と頭の隅で考えてしまう。お洒落なものを探しに来たはずが、もっとお洒落なものを身に着けてくれば良かったと悔やむことすらある。本末転倒だ。
しかし、一度入ってしまえばそういった心配事はたいてい杞憂に終わる。今回もそうだった。セレクトショップには洋服以外にアクセサリーや紙製品も置かれており、私たち学生でも手の届くものが少なからずあった。店内の雰囲気はあたたかく、決して排他的ではない。奥の展示スペースでは、カナダ人のクリエイターの作品が飾られていた。気が付けば夢中になっている自分がいた。以前通りかかったときに立ち止まった自分の直感を、信じられれば良かったのに、とふと思う。
日頃から、素敵なものと出会うのと同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に、素敵な人に出会いたいと思っている気がする。だが、いざ「素敵な人」を目の前にすると、緊張して言葉が出てこない。長年人見知りを言い訳にしてきたせいだろうか。もちろん上手くいくことだってあるが、気後れしてしまう部分はいつだって少なからずある。
オーナーの永井さんの印象は、硬派で真面目。身に着けているものも、思考そのものも洗練されている感じ。ただただ、かっこ良さに見惚れてしまう。素敵な方だと思えば思うほど、言葉がのどにつかえて出てこない自分がもどかしい。
永井さんは、自身でもアート活動を行う一方、コーディネーションも行っている。作品づくりを通して、人と出会うことや場所の重要性を感じ、「好き」をつめこんだVacantを続けてきたのだそうだ。7年経ってもまだまだこれからだと思っている、そう話してくださった。
永井さんの目指す空間は、遊園地というよりも原っぱに近い。こういうに遊んでください、と決められているのではなく、自由度が高いのだ。ネット上ではなく、実際に人が集まることを大切にする。がちがちで綿密な計画はあえて立てない。人が集まれば何かしらのアクションが生まれ、連鎖して取り組みが広がっていく。しかし場所がなければ始まらない。出会いのきっかけ作りの場として、Vacantがある。インターネットに頼るばかりではなく、自分の直感を信じてみてほしい、ともおっしゃっていた。
Vacantは素敵な出会いの場だ。連れてきてもらって、私はやっと知ることができた。尊敬、羨望、あこがれ。それらを勝手に持って、勝手に壁を感じる。お話を伺えたことが嬉しくて、踏みだせない自分の情けなさに悲しくなる。
帰り道、白い溜息をひとつ、悶々と考える。どうして自分の直感を信じられないのだろう。なぜ自信が持てず、気後れしてしまうのだろう。
美味しいレストラン、小洒落たバー、感性の合うセレクトショップ……。私はいつだって、状況に合わせて「良い場所」を選びたいと考える。出来るだけ好みに合う場所、目的に合う場所を探す。同時に、「失敗したくない」という思いもある。私に限らず、出来ることならはじめから良い場所と出会いたいという人はいるだろう。きっと、少なからず周囲の目だって気になる。だからこそ、インターネットを使って事前に情報を得て、目的地を吟味することが多くなりがちだ。コンセプトや価格帯、内装など、具体的な情報がネット上で手に入れば、その分自分とマッチするかどうかを検討できるからだ。
とはいえ、ネット上ですべての情報が手に入るわけではない。似たような情報ばかりが出回っていることもある。自分の知りたいことが明確なときはまだ良いが、不明確なときは情報を探すのがより難しくなる。自分の直感が、肌感覚が、本当は一番あてになるのだろう。成功か失敗か、良いか悪いか、最終的に決めるのは自分の感性なのだから。
そう頭では分かっていても、いつでも自分の直感だけを信じることは、私にとってはハードルが高い。だが、信じないことは損だとも思う。そうしてどうすればいいか分からなくなって、自信を持てない私はついネットに逃げてしまう。おそらくそんな道筋をたどっている。
永井さんは、あえて計画をがちがちに固めないのだとおっしゃっていた。タイミングを決める必要は、ないのかもしれない。したいからする。したくないならしたくなるまで、出来ないなら出来るようになるまで、待てばいい。自信が持てて、踏みだせそうならやればいい。シンプルにそういうことなのかもしれない。目的は踏み出すことではなく、その先にあるものだから。以前の私は、自分の直感が信じられず、Vacantを素通りした。だが、いまこうして出会えたのだから、それで充分なのかもしれない。
買った当時は読む気にならず自宅の本棚で眠っていた本を、ずっと後になって発見して読んでみたところ、感動で涙が止まらなかった、という話を聞いたことがある。その人は、きっと買った当時はその本を読むタイミングではなかったのだろう、とも言っていた。時期が来れば、自然と何とかなるものなのかもしれない。なんて、他力本願が過ぎるだろうか。だが、成功ばかり求めて生き急ぐよりはずっといい。成功の喜びよりも、失敗の恐怖ばかりがふくらんでしまうのだから。すとんと重しが外れた気分で夜道を歩く。日頃うんざりしている渋谷駅の雑踏も、なんだか楽しい。それくらい気楽なほうが、前向きに頑張れそうな気がする。
ギャラリーの名前である「vacant」という単語には、使用されていない、という意味もあるらしい。永井さんに、文化とは何だと思うか、と聞かれたとき、私は上手く答えることが出来なかった。いつかきちんと答えを出せるようになりたいし、「使用」する一員になれたならもっといい。その「いつか」は、少なくとも「いま」ではなかったということにして、目の前のしたいこと、出来ることに向き合ってみる。少しでも自信が持てるように、踏みだす勇気が出るように。こうして文章を書くことも、そのための一歩のつもりだ。
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盲導犬と歩む道――意外と知らない人と盲導犬の関わり
⑤ できることから(連載第五回) 古川理子
連載第四回まで体験型ボランティア説明会のレポートをしてきた。最終回の第五回では、盲導犬の普及率や視覚障がい者の痛ましい事故の話に触れながら、人と盲導犬の関わりについて考えていきたい。
皆さんは、日本で盲導犬が何頭ほど活躍しているかご存知だろうか。 全日本盲導犬使用者の会のデータによると、2015年3月31日の時点で、984頭が活躍し、1006人が使用しているという。 予想よりも多かっただろうか。それとも、「これだけ?」と思っただろうか。 では、諸外国と比べてみよう。 2013年3月のデータでは、人口100万人あたりの盲導犬ユーザー数を示す「盲導犬普及率」は、日本が7.9なのに対して、イギリスは79.2、続くアメリカは35.5、オーストラリアは26.0。トップのイギリスとは10倍ほどの差がある。先進国のなかでも日本の普及率は低いのだ。 もちろん大きな差がうまれるのは、いくつか理由がある。 例えばイギリスと日本の道路の違い。欧米は日本に比べて歩道の幅が広く、歩車道の区別がはっきりしているため、盲導犬とそのユーザーが歩行しやすい環境が整っている。 住宅の造りも異なる。日本は玄関で靴を脱ぐ習慣があるが、海外は室内も土足。この違いは、日本は小型犬を、海外は中型や大型犬を中心に飼育するという、室内で飼育する犬種の傾向にも関係してくる。主に性格的な面で盲導犬に適するのは大型犬だと言われており、大型犬と室内で一緒に暮らす文化の根付く海外のほうが、盲導犬が受け入れられるのかもしれない。 以上のことから、盲導犬の普及率が他国と比べて低いことは、すぐに改善しきれない文化的側面もあるように思う。 なので、この記事をとおして、盲導犬の普及率が低いことが問題だと一番にお伝えしたいわけではない。もちろん、盲導犬の繁殖や育成方法、ユーザーへ受け渡すまでの期間も欧米と比べると遅れている事実は否めない。実際に日本には盲導犬待機者もいる。もっと普及率をあげることは可能だろうし、今後も改善に努めるべきである。
だが、今回のわたしの連載のテーマは「人と盲導犬の関わり」。こういった技術的な面の話ではなく、わたしたちにできることを探していきたい。 残念なことに、日本では盲導犬を連れた人の鉄道事故が相次いで起きてしまった。ホームドアの設置には莫大な費用がかかるとか、ホーム自体を丈夫にしてからでないと設置できないとか、そういった物理的な問題が取り上げられているが、事故を招いた原因とその対策はもっと別なところにあるのではないだろうか。 もっとわたしたちにできることがあるはず。わたしは、ユーザーの周りにいる人たちの意識で変えられると思っている。 だから今こうして記事を書いている。
先ほど道路の違いを述べたが、日本は他国と比べて盲導犬と視覚障がい者のかたが暮らしやすい環境だとは言えない。それは、事故が絶えない駅も同じだろう。駅は混雑するし、時間帯によっては歩くのがやっとだ。それに、ホームも狭い。白線の内側までお下がりくださいと言われてもそんな余裕がないことだってある。 そんな危険な駅のホームを、目の不自由なかたが歩行するのだ。危険と隣り合わせなのは言うまでもないだろう。 また、連載第三回でも述べたが、基本的に盲導犬ができる役割は「角を教える」「障害物を教える」「段差を教える」だ。盲導犬がホーム側を歩いていれば、ここがどれだけ危険な場所なのか理解しきれないのも無理はない。だから、盲導犬で補えないことに、人が手を差し伸べる。危険なユーザーを見かけたら声をかけるだけでも事故を防げるはずだ。 例えば、「盲導犬を連れているかた、危険なので止まってください」と言って近づいて、ホームの安全なところまで誘導すれば、確実に事故を防げると思う。 ホームドアの設置ももちろん大事だが、それまで時間がかかる。盲導犬も、ホームの危険を認識するのは難しい。 だとしたら、周囲にいるわたしたちの出番。人間がホームドアになればいい。 駅の環境が整っていないことを理由にしてはいけない。スマホとにらめっこするだけではなく、わたしたちが周囲の状況を意識する。危険だと判断したら声かけをする。そうすれば事故は防げると信じている。
文化や道路などの違いによって、欧米のほうが盲導犬と暮らしやすい、という話をはじめにした。だが、日本には一定数のユーザーがいるし、盲導犬との暮らしを希望している人もいる。このことを忘れてはならないだろう。 歴史をたどると、もともと犬には狩猟のお供や番犬の役割があったが、科学や技術の発展によってその役割を果たす必要がなくなった。それでも犬が今なお残っているのは、人間が「友情」や「愛情」を抱いたからだという。盲導犬と共に生活したいと思うかたが日本にもいるのは、このような感情をもちながら生活したいからなのかもしれない。 現在は科学技術が発展していて、介護ロボットも開発されている。今後はさらに人工知能の活用が広がっていくだろう。なかには盲導犬の飼育に難しさを感じるかたもいるため、視覚障がい者のサポートにも応用される日は、そう遠くないと感じる。技術の進歩は企業にとっては人手不足解消のためになるのと同じように、視覚障がい者にとっては盲導犬不足の解消につながるとも考えられる。 だが、だからといって盲導犬が必要なくなるかと言われると、わたしはそうではないように思う。 少数派になったとしても、パートナーが犬だからこそ得られる癒しや愛情を求める人は残るのではないだろうか。アニマルセラピーだって、今でも活用されている。 ロボットを導入することが反対とか、盲導犬を存続させていこうとか、そういうことではない。どちらを好んで利用するかは、あくまでユーザーの好みであって、どっちが優れているという問題ではないからだ。 だからこそ、どちらの選択肢も残せる環境が必要だ。そのなかで、今は盲導犬と暮らしたいと思うユーザーを受け入れる体制を整えなければならないだろう。 盲導犬と共に生活する人がたとえ一人になったとしても、その人が暮らしやすい環境づくりをやめてはいけない。日本の環境はまだ十分とは言えないからこそ、まずは周囲の人が、盲導犬とユーザーとつながるべきだ。
盲導犬ができることには限界があって、完全ではないということ。 その部分は、周囲の人間が気を配ることでカバーできるということ。 このことをより多くの人が意識するだけで、みんなが生活しやすい環境になる。 綺麗事に聞こえるかもしれないが、わたしは本気でそう思っている。
わたしが電車で盲導犬と遭遇してから、半年。 あの時、あの車両に乗っていなかったら、あの座席に座っていなかったら、盲導犬のしっぽがわたしの足にかかっていなかったら、今回の記事は書いていないと思う。 あしもとから湧いてきた好奇心は、行動力になって、今では身の回りへの意識そのものを変えてくれた。 最近では電車内のアナウンスでこんなことを耳にするようになった。 「困っているかたがいたら声をかけていただきますよう、ご協力をお願いします」。 こういうアナウンスに意識がいくようになったのも、あの出会いのおかげ。 電車を待つときも、まわりにいる人に目が行くようになった。今のところスマホと仲良くしている人ばかり見かけるけれど、いつかまた盲導犬とパートナーに遭遇するかもしれない。 そのときは、視覚障がい者のかたが安全に歩行できるようにサポートするのみ。 いつ出会っても、もう大丈夫。 わたしたちにできることがまだまだあると、自信をもって言えるから。
参考資料 全日本盲導犬使用者の会HP (http://guidedog-jp.net/data2.htm) 関西盲導犬協会HP (http://www.kansai-guidedog.jp/knowledge/activity/)
(おわり)
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盲導犬と歩む道――意外と知らない人と盲導犬の関わり
④輪を広げる (連載第四回) 古川理子
さて、イベントボランティア体験型説明会はまだまだ続く。 後半も、神奈川訓練センターの見学と、駅での募金活動があり、盛りだくさんな4時間だった。
まずは、センターの見学。主に2階と3階へと足を運ぶ。 2階には、小さな部屋が9部屋。空き部屋のひとつを実際に見せていただいたのだが、ベッドがあり、冷蔵庫があり、洋服ダンスがあり……いたって普通の生活空間が広がっていた。 ここで約1か月、盲導犬との生活を希望する人が、犬と泊まり込みで過ごす。 時には、犬と利用者の息が合わず、ペアを解消して別の盲導犬と訓練をし直すこともあるようだ。盲導犬との共同生活に至るまで、想像していた以上にハードルが高いことを思い知った。
部屋の見学を終えたわたしたちは、階段をのぼって3階へ。 そこには、先ほどの小さな部屋とは打って変わって、大部屋がどん、とひとつあるだけ。 ここは、セミナーなどを開く場で、パピーウォーカ―(生後2か月から1歳になるまでの間、犬を育てるボランティアのこと)へ子犬の育て方をレクチャーする際にも使われる。 部屋のなかは多少臭ったのだが、それは子犬がまれにおしっこをしてしまうからだそう。 その状態からしつけをするパピーウォーカーは大変だなぁ、と思いながらも、たくさんの子犬が集まって走り回る様子を想像すると、微笑ましく思えた。
その他にも、訓練センターならではの設備が多く見られた。 例えば、階段の手すり。階に合わせて点字の数も変えられていた。1階の階段の入口の手すりには、点がひとつ。2階の手すりのスタート地点には、点がふたつ。もちろん3階も同様だ。 これで視覚障がい者のかたも、今何階にいるのかすぐ把握できるだろう。 自動販売機にも工夫が。点字がついたメニューが自動販売機にぶらさがっていて、こちらも視覚障がい者のかたが自分の力で商品を購入するのを手助けしている。 どちらも、日常ではめったに見かけない。訓練センターのかたも、わざわざ説明してくれるのだから、珍しい仕組みなのだろう。 せっかく訓練センターで可能だったことが、いざ街にでると設備が整っておらず、できない。そんなもどかしさを視覚障がい者のかたはどこかで感じているのかもしれない。
さて、ここで訓練センターの見学は終了。 いよいよ募金活動に向けてセンターを出発する。 車内でPR犬を待っていると、かわいらしい2匹のレトリバーが登場。 (PR犬について、詳しくは連載第三回 http://kataraba.tumblr.com/post/157484095664/盲導犬と歩む道意外と知らない人と盲導犬の関わり) 「これからお仕事モードにするために、あまり車内では構わないであげてください」。 センターの人にはそう言われたものの、この移動中何度撫でたくなったことか。 狭い車内、座っているすぐ足元に2匹の犬が寝っ転がっているのだ。 そのうえ、たまにわたしの膝の上にあごを乗っけて見つめてくる始末……。この人懐っこさは反則だろう……。こちらだってお仕事モードにさせてほしい。 とはいっても、移動中は他の犬となんら変わりのないPR犬のかわいらしさが垣間見えた。
さて、ついに駅に着いて募金活動の準備をする。 この日の天候はあいにくの雨だったが、募金活動は決行。 活動中は、専用のたすきを肩にかけ、募金箱をもつ。 募金箱の裏には、どういった声かけをすればよいか、具体的な文章が何パターンか記載されている。初めてボランティアに参加する人にもわかりやすく、ありがたかった。 わたしも、それをもとに大きな声を出して呼びかけた。 「盲導犬育成のための募金活動にご協力お願いします」 まずは、初心者にやさしいスタンダードな短い文章で。雨の音に消されぬよう、大草原で思いっきり声を出すようなイメージで。 「少しでも多くの視覚障がい者のかたに盲導犬を利用してもらえるよう、盲導犬育成にご理解、ご協力をお願いします」 思い切って少し長い文章にもチャレンジ。募金箱の裏をちらちらと見ながらも、遠くを見つめて声を張り上げた。 もちろん、通り過ぎていくすべての人が反応してくれるわけではない。 こちらをちらりと見ながらも通り過ぎていく人。あえて目を合わせまいとこちらを見ない人。 このことがショックだったわけではない。それよりも、もしかしたら普段のわたしも無意識のうちにそうしているのかもしれない、という戒めの気持ちが勝った。
それでも、雨が降っていたにもかかわら��足を止めてくれる人も多かった。 両親から小銭を受け取って募金してくれる子ども、「あっ、ワンちゃんだ!」といって近づいてきてくれた女子大生、「寒いなかお疲れさま」といって募金してくれる老夫婦……。 募金をしてくれたかたにはシールとパンフレットを渡すのだが、そのシールをいたく気に入ってくれた、3歳くらいの女の子がいた。 どうやらシャイなようで、わたしが「ありがとう」といってもその子はうつむいたままだった。けれど、「はい、シールあげるからよかったら使ってね」と言ってシールを手渡すと、特になにも言わなかったが、伏せていた顔をあげて、目を真ん丸にして見つめてきた。 そして、両親のもとへ足早に帰っていき、嬉しそうにシールを見せびらかしていた。 女の子の純粋さに、悪天候も忘れるほど心が晴れ渡った。 募金活動は、お金だけでなく、それを通じた人との出会いももたらしてくれた。
どんな形であれ、多くの人に募金していただいた。 その温かさといったら、今まで感じたことのないものだった。 普段はまったく大金だと感じない10円も、募金箱に入るとずっしりと重かった。
視覚障がい者のかたが盲導犬を利用するための資金を集めることがどれだけ大変で、盲導犬の活動には、協力してくださるかたの支えが必要不可欠であるということ。 初めて募金を集める側に立ってみて、身をもって知った。
*
その日を境に、わたしは、盲導犬に関するものを何気ないところで発見することが多くなった。 そういうものにアンテナを張るようになったことの表れだろうか。

下北沢のスーパーにあった募金箱。 少し切ないような、微妙な表情も本物の犬のよう。 レジ横にちょこん、と置いてある募金箱は見かけたことがあったが、今にも動き出しそうな募金箱と遭遇したのは初めてだった。

先日、京都に行った際に見つけたもの。 龍安寺に実際に置いてあった石庭のミニチュア。 目の不自由なかたが実際に触れる。 もし今回ボランティアをやっていなかったら、これに気づかず本物の石庭に直行していたかもしれない。
意外に身近なところでも、盲導犬や視覚障がい者に関連したものを見つけることが増えた。 みなさんも少しだけ視野を広げてみると、今まで見えていたつもりの日常が変わって見えてくるかもしれません。
(つづく)
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盲導犬と歩む道――意外と知らない人と盲導犬の関わり
③犬と人、共に歩むための役割(連載第三回) 古川理子
前回まで、イベントボランティアの体験型説明会に参加するまでの経緯をお伝えした。 今回は実際に説明会の前半部分、ボランティアスタッフの仕事内容と、盲導犬の仕事についてご紹介していきたい。
まずは、イベントスタッフの仕事について。主に3つ挙げられる。
1.神奈川訓練センターの見学会のお手伝い 基本的にいつも見学できるわけではないため、夏休みや、企業への普及活動の際に仕事がある。会場整備や片付けなどを手伝う。
2.募金活動、資料配り このふたつは同時に行う。募金してくださったかたにはもちろん、こちらを見ていたり、立ち止まっていたり、少し興味がありそうなかたにも資料を渡す。 資料は「パンフレット」と「シール」。シールは、日本盲導犬協会をアピールするものだけでなく、かわいらしい犬がモチーフのものも一緒に貼ってある。特に小さい子どもたちに渡すと、そのお返しと言わんばかりに満面の笑みを見せてくれた(募金活動のレポートは第4回で。お楽しみに)。
3.ふれあいキャンペーン 募金活動だけでなく、実際に犬と触れ合ったり、デモンストレーションを行ったりする催しのこと。ちなみに、このときに一緒に活動する犬は実は盲導犬ではなく、「PR犬」と呼ぶ。わたしも今回初めて知ったが、この子たちは、盲導犬デビューをしなかった犬なのだそう。 盲導犬候補の犬は、生後2か月からボランティアの家族に育てられ、そこからさらに半年~1年の訓練を受ける。その間に適性を見極めたうえで盲導犬になれるのは、だいたい10頭中3、4頭。 では、盲導犬にならなかった犬はどうなるのか。ここで登場するのが、「PR犬」である。 残りの犬がみんなPR犬になるわけではないが、例えば大勢の人を前にしてもおとなしくお仕事ができる子や、小さい子どもたちに触られて���じっとしていられる子は、まさにPR犬にぴったり。 ということで、みなさんも、このようなイベントに参加される際はぜひPR犬に会ってみてください!
……と、声を大にして言いたいところだが、ここでちょっと注意してほしいことが1点。 実は、PR犬がそこにいても触れ合えない、というよりは、触れ合ってはいけないときがあるのだ。 それは、「ハーネスをつけているとき」。 「ハーネス」とは持ち手のことで、視覚障がい者のかたが盲導犬と歩いているときに握っている、手綱のようなもの。 ハーネスを犬がつけている=「お仕事中の合図」だということをぜひみなさんも知ってほしい。これは、PR犬に限らず、盲導犬に対しても同じことが言える。 そして、お仕事中の犬には、「さわらない」「食べ物を与えない」「声をかけない」「目を見つめない」を守ってほしい、とのこと。 個人的に「目を見つめること」がなぜ禁止なのか腑に落ちなかったため、詳しく尋ねてみたところ、「犬によっては、目を見つめられること=次の指示がくる、と教え込まれているから」なのだそう。だから、知らない人に突然目を見つめられると、「あれ、この人に指示されるのかな?」という具合に、困惑してしまうようだ。 もし街中で見かけてもじーっと見つめることは控える。些細なことだが、これだけでも盲導犬と視覚障がい者のみなさんへの配慮になる。
そして、イベントボランティアの仕事内容の説明の終盤、施設のかたはこんなこともお話してくださった。 「キョロキョロしていたり、困っていたりする人には、ぜひ声をかけてあげてください」。 盲導犬は、なんでもできるわけではない。あくまで目の見えない人、見えにくい人が安全に、かつ快適に歩くことをサポートするのが役目だ。 具体的には、「交差する道路に飛び出さないように、曲がり角を教える」「ぶつからないように、障害物を教える」「落ちたり、つまずいたりしないように段差を教える」、この3つ。 つまり、盲導犬はカーナビのように目的地まで案内してくれるわけではない、ということだ。 ある目的地に行くときに「ここまで連れて行って」と盲導犬に話しかけても、そこまで誘導してもらえない。よく考えたら当たり前のような気もするが、「盲導犬が可能な仕事範囲」をちゃんと考えたことがなかった。では、実際にある場所まで行くために、どのようなプロセスがあるのか、みなさんご存知だろうか。 なんと、盲導犬ユーザーはただ歩くのではなく、頭の中で目的地までの地図を描きながら盲導犬に指示を出しているというのだ。何個目の角をどっちに曲がって、そのあと何個目の交差点を渡ったら目的地だ……というように。 そして、その間に盲導犬は、角を教えたり、階段や放置自転車などがあればそれらを避けたりして活躍する。 簡単に言えば、「目的地まで正しく歩みを進めるのは盲導犬ユーザー、安全に歩みを進めるのは盲導犬」となる。 想像以上に視覚障がい者と盲導犬の道のりは険しい。 だから、お互いにできない部分を補い目的地を目指しているのだ。
ただ、想像してみてほしい。盲導犬とユーザーとの意思疎通は決して簡単なことではないだろう。わたしだったら、家からほんのちょっと先にあるコンビニですらたどり着けない気がする。 道に迷うことが珍しくないことを、少しでもわかっていただけただろうか。 だからこそ、困っているユーザーに、助けの手を差し伸べること。 犬と人だけでなく、人と人が支えあうこと。 このことが、視覚障がい者のみなさんの、より安全で暮らしやすい社会作りにつながるはずだ。 もちろん、先ほど述べた盲導犬への配慮も大事だが、「盲導犬ユーザーに声をかける」それだけのことでも非常に大きな助けになる。
盲導犬とユーザーが支えあう。でもそこに限りがあるのであれば、あとは人が補えばいい。 盲導犬、盲導犬ユーザー、そしてわたしたち。それぞれが、それぞれを意識する。 すべては、共に歩むために。
次回は、訓練センターの見学、それから、募金活動についてレポートする。 乞うご期待。
(つづく)
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リーダーになりました。
こんばんは。誰よりも文を書くことが苦手だろうひっそりラボ生の橋本です。
ラクロス部の主将になりました。そんな私のことについてやっとこさの思いで書きあげました。
今まで、この活動を通してリーダー論を書いてみようと、自分なりに取り組んでみました。 一番感じたことは、文章はこわいなぁということです。なんでかって自分の気持ちがそのまま表れてしまうからです。しかもそれが文字で残ってしまうあたり、ひーって感じです。特にリーダー論を書いている時は、常に不安でした。まだその時は副将��、上の先輩について書いていただけだったのです。だから、自分がこんなリーダー像が望ましいと思っても、結局全部理想の話で、書いているうちに自分とのギャップを感じ、文章を書くことも、主将になることも嫌になってしまいました(笑)。メンタルが弱いのです。やっと書き上げた……!と思ったものも、あとで読み返してみると、なんか違うと感じては消してしまう。そんな戦いをひとりでしていました(笑)。 ですが、なんだかんだあわただしくシーズンは終わり、気が付けば私は主将、チームのリーダーになっていました。リーダーになるころには自分の中のリーダー論なるものは形になっているんだろうな、と当初は思っていましたが、もちろんすっからかんです。なってしまってからもあわただしいことばかりで、しっかりとした私のリーダー論はこうだ!!なんて持てていませんでした。でも、リーダーになってみて、前よりもすっきりしたことがたくさんあります。不安でたくさんだったはずなのに、それが嘘のようにけろっとしています。どーんとかまえられるようになりました。とりあえず今は、そんな自分を整理してみたいと思います。
今までは、自分のチームは、ただ漠然と100人を超える大組織だと思っていました。誰かに話すときも、自慢げにその人数の多さを話していました。しかしそれは、見方を変えるとすごくこわい要素でもあります。もし自分がリーダーになったら……を考えると、最高に不安要素でした。こんなに多くの仲間をまとめることはできるのか、みんなが同じ方向を向くことはできるのか、みんなは本当についてきてくれるのだろうか、とどんどん不安のもとはでてきました。なんせ、1年生の中には、ほとんど話したことがない子がたくさんいました。2年生とは、ほとんど一緒にプレーできていません。築いておきたかった関係は築けないままだったのです。私だったら、よくわからない先輩についていこうなんて思いません。しかも冷静に考えて、こんな多くの人数を引っ張っていったことはありません。あぁ今まではどうやっていってたんだぁぁぁ!と先輩方の偉大さをひしひしと感じました。 私は、「今までのなにか」と比べてしまうくせがあります。去年はこうだああだ、その前はこうだったああだったと自分とそれ以前を比べるのです。それが自分の安心につながることもあれば不安になることもあります。今回はそれが、不安の方向につながるものでした。そうです、今回は、今までの先輩と自分を比べて考えていたのです。去年の主将は、強い・スタイルが良い・点取り屋・エースというザ・みんなの憧れのような存在でした。それに比べて私は、細かい・ちび・アシストマン・支えといった完全なるキャラ違い。あぁもうだめだ(笑)。できることはラクロスを楽しむことくらいですかね、という感じです。きっとみんなも去年との違いにがっかりする時がくるんだろうなと思っていました。 ですが、ある時、練習を見に来てくださった先輩にいわれたことがとても嬉しく、これでいいんだと思えたことがあります。 「今年はみんな楽しそうに基礎をやるね。去年は楽しいなんて感じなかったけどね(笑)。 ぴのが楽しそうだからだよきっと!」 私はこの言葉をきいた時嬉しくて泣きそうになりました。そんなひとことで……?と思うかもしれませんが、そうなんです、そのひとことで私は救われました。私がやりたいことはみんなに伝わるんだなと感じたのです。特にこれをやろう!と思っていたわけではありません。ただ、みんなにまず楽しんでほしいと思いながら、一生懸命やっていました。伝えたいことは伝えようと思うことがまず大切なんだと思いました。そして今は自分のチームなんだ、自分が正しいと思ったことをやっていけばいいんだと思えました。今までと違っていてもいいんだ。だから、今までがどうとか考えるのはやめちまおう!知らん!とふっきれました。
チームが始動して、不安だったことがすっきりし始めたのは、やるしかないから&ふっきれた自分がいるからだと思います。ですが、ここからなにができるのか、なにをするのかが本当に大切で、そここそがリーダーの本領がでるところなんだろうなと思います。 今はとりあえず、駆け出し始めたリーダーなので、勢いのまま思ったことを書きました。また落ち着いたら書かせてください。
橋本美咲
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朝バイト★レボリューション
AM5:15 家中が静まり返った早朝にけたたましいアラームが響き渡る。 バイトのため、私が起きる時間だ。
二ヶ月ほど前から、私は朝の6時からカフェで働いている。二ヶ月たった今でも辺りが真っ暗の中起きるのは辛い日がある。では、そもそもなぜ、朝にバイトを始めたのか? それは、生活習慣を早急に朝方に変える必要に迫られたからだ。何も好き好んで、朝の時間帯を選んだわけではない。事実、これまでのバイトでは、休日であっても午前中にシフトを入れたことはなかった。バイトのためにせっかくの休日に早起きしたくなかったからだ。私にとって、アラームをかけずに昼近くまで寝られる休日の午前中は至福の時なのだ。しかし、私は学生だ。趣味は寝ることなどと言ってはいても、学生は朝起きざるをえない。そう、単位だ。ある日、私は「あと一回でも遅刻したら単位はあげられない」と先生から告げられた。必修の英語で。それも3限の。 生活習慣とは恐ろしいもので、高校までは8時に登校していたはずが、大学入学後には「1限キツイ」に変わり、挙げ句の果てには「午前ムリ」「3限もキツイ」.に成り果てた。このままじゃヤバイなとは思いつつも、先生に警告されるまでは「えーだって起きられないんだもんー」で済ませていた。しかし、二年後期の必修を落とすのは避けたい。来年度に再履修となれば就活にも差し障りがある。もう後がなかった。背水の陣状態になって初めて、私は一念発起した。 「そうだ、朝バイトに行こう!」
半年以上何のバイトもしてこなかった私によるバイト宣言は、周囲の人々を驚かせた。「3限にも起きられないなんて言っている奴が、そんな早く起きられるの!?」ごもっともである。しかし、友人たちの懸念をよそに、今のところ順調である。 週に2、3度朝からバイトに行くことにより、バイトがない日でも朝の6時前後には目が覚めるようになった。一限が辛かった数ヶ月前の自分は何処へやら。完全に朝方のリズムが出来上がった。しかし……。
PM10:00 睡魔の襲来。 時と場所を選ばず、容赦無く襲いかかる眠気。時間的に、二次会真っ直中だろうか。神経を集中させて、なんとか友人の話を聴く。
PM10:30 第二次睡魔の襲来。 抗うことの出来ない程の眠気にとうとう白旗をあげ、泣く泣く飲み会の席を後にする。外に出ると、冷たい風が眠気もアルコールも一瞬で吹き飛ばすが、そんなカミカゼも虚しく、30秒後には再び眠気が襲う。寒さと睡魔の猛攻に、こんな時間まで外にいた自分を呪い、半泣きで帰路につく。
夜は毎日空いているため、友人の誘い全てにYESと言えるが、遅くまで遊べないのが残念だ。 しかし、それ以外は全てが上手くいっている。バイトを終え、家に帰宅するのは午前10時半。それから宿題をやっても3限にはゆうに間に合う。授業に出席し、宿題を提出する。当たり前のことだが、一度道を逸れてしまうと、元に戻るのは困難だった。一度楽を覚えると、急にこれまで当たり前だったはずのことが、面倒に感じられる。そして、当たり前のことをこなさない自分に対しての罪悪感や嫌悪感が薄れていく。次第に、できないことや、しないことに対して何も感じなくなる。自分に甘々になってしまうのだ。 そんな堕落しきった生活から救ってくれたのが、朝バイトだった。
単位のために始めたバイトだったが、人間関係にも良い影響をもたらした。授業にきちんと出席するようになったため、友人との会話も増え、距離が縮まった。これまで配布資料やノートをねだっていた私が、今度は対等な関係で友人と授業内容について話し合うことできるようになったのだ。
バイトによって生活習慣が正され、友人との関係も良好に。さらに、お金まで手に入る。 深く考えずに「やるしかない」という勢いで始めたバイトだったが、友人にも朝のバイトを勧めるくらい、この選択には満足している。
朝が弱い方、夜型の生活にお困りの方、 そんな方は、朝バイトをしてみてはいかがでしょうか?
浅野改め、朝野
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【純ジャパの私がアイビーリーグ留学してしもうた話】
宮本 律
今、私はアメリカ、ニューヨークにあるコーネル大学で勉強しています。8月の中旬に来て、今日でついに100日目を迎えました。一つの節目として、私が「留学しようと思った理由」についてちょっと振り返ってみたいと思います。ただ、留学に来てからの話も含めると長くなりすぎるので、今回は「留学が決まるまで」に限定して書いてみたいと思います。
私は高校卒業までの18年間、ずっと地元徳島で過ごしてきた生粋の純ジャパ(純粋なJapanese)です。「4日間の熱狂(阿波踊り期間)と361日の静寂」と言われる徳島で18年間過ごした私の細胞には完全に阿波踊りの2ビートのリズムが染み込んでいるように思います。
そんな純ジャパの私が留学を考え始めたのは中学2年のときでした。小学校・中学校と校則がかなり厳しい学校に通っていた私は、個性を否定せず、どんどん引き出してくれる自由な環境に憧れ、なんとなく海外の学校を意識してはいたものの、それはあくまで理想であり、「行けたらいいな」位にしか思っていませんでした。
しかしある日、仕事帰りに父親がいきなり「アイビーリーグって知っとる?」と唐突に話しかけてきたことが、今の留学に至る全ての始まりだったんじゃないかなと思います。
そのとき初めて、アイビーリーグがハーバードをはじめとする世界屈指の最難関大学連盟のことだと知り、大統領から有名企業のCEOまで、いわゆる「世界のリーダー」と象徴される人たちの多くがアイビーリーグの大学を卒業しているということを知り、トップ大学と聞いて東大しか思いつかなかった当時の私はいかに自分の世界観が狭いのか初めて思い知らされ、衝撃を受け、そして何の保証もないのに「将来的に絶対アイビーリーグで勉強したい」と強く思ったのを覚えています。
しかしその後、特に私の生活に変化はなく、英検を受けたり、英作文コンテストに出たりとかはしていましたが、普通に地元の高校を卒業して、大学も日本の大学に進学しました。(徳島から東京にプチ進出しましたが)
大学進学後、一番初めに思いついたのは「協定校留学」でした。4年で大学を卒業できて、留学先での授業料免除という、いわゆる「交換留学」です。でも残念ながら協定校留学のリストには、特に私が行きたいと思える大学はありませんでした。でも、「どうせ留学するならできるだけ世界ランキングの高いところを」と思ってUniversity of Washington (ワシントン大学シアトル校)を目指し、出願資格であるIELTSバンドスコア7.0を最短で取得するため、予備校に週3、夏休みは毎日通うという受験生並みの勉強をしました。しかし、帰国子女でも1年かかることもあると聞かされていたIELTS7.0のスコアを純ジャパの私が3か月で取得するというのは無理があり、協定校出願締め切りだった9月の時点で一歩及ばず、私のIELTSスコアは6.5でした。6.5と7.0の壁はかなり高かったため、6.5でも出願できる他の協定校に出願しようかなと考えたりもしましたが、どうしても「何か違う」という違和感があり、最終的に「協定校留学はしない」という決断をしました。
就活への影響が少ない、2年生から3年生にかけての留学しか考えていなかったこともあり、2年後期〜3年前期の協定校留学をしないと決めた私は、事実上大学での長期留学を諦めつつありました。ただ、IELTS7.0の資格だけは大学生中に取っておきたいと、それからは趣味として英語の勉強を続けていました。
それでもやっぱり心のどこかにある「留学したい」という思いは隠しきれませんでした。「就活に影響するから私は留学しないという道を選んだ。行きたくもない大学に無理に留学するよりはずっといい毎日を送っているはずだ。」そう自分に言い聞かせ、心の底では全然納得してないのに「自分は今正しい選択をしている」とただひたすら思い込んでいました。
そんなある日、大学1年生の冬休みが明けた頃、JSAF (Japan Study Abroad Foundation)の存在をたまたま知り、早速 高田馬場にあるオフィスを訪れました。JSAFは青学と提携している留学エージェントで、全面的に留学希望者をサポートをしてくれる会社です。「もしかしたら2年生で留学できるかも」と密かに期待しながら説明を受け、渡されたパンフレットを見てみると、そこには中学生のときに受けた衝撃以来、ずっと私の頭を支配し続けていたアイビーリーグの大学名がズラリと並んでいました。まさにこの瞬間、協定校出願の時に感じた「何かが違う」という違和感は、ワシントン大学に行きたかった(のに行けなかった)のではなく、中学生の頃からの夢だったアイビーリーグ留学が諦めきれないからだと気付きました。もちろん要求されているIELTSスコアは7.0以上、TOEFL ibtなら100点以上。それに加えGPA、志望理由エッセーなどいろいろあり、準備は決して簡単ではありませんでしたが、本当にこれが「中学生の頃からの夢を叶える最後のチャンス」だと感じ、出願締め切りまでの20日間、悔いのないように出来る限りのことをやれるだけやってみようと思い「最後のチャンス」に挑むことにしました。留学先は以前からジャーナリズムの勉強をしたいと思っていたこともあり、世界で初めてジャーナリズム学で学位の授与を開始したコーネル大学に決めました。
そして2月20日、IELTSのスコアでついに7.0を取得することができ、それから10日間で志望理由のエッセーを仕上げ、何とかギリギリで出願資格を満たしました。そして3月上旬、コーネル大学から留学許可をもらうことができました。
――――――まあ、ざっとこんな感じで、これが私が留学するまでの話です。
なんの根拠もなく「絶対アイビーリーグに行きたい!」と強く願った中学生の頃からの夢が叶うなんて信じられないですが、強い意志は人生を左右するんだなと身を持って体感した出来事の一つでもあります。そして、一つの目標に向かって長期間努力し続けることで確実に道は���けていくということも自分の中で再確認できたように思います。
そしてもし留学を迷っている人がいるなら、できるだけ「自分の行きたい場所」で、やりたいことをやりたいようにやるのがいいんじゃないかなと思います。すごく単純で、シンプルですが、自分のやりたいことをやりたいようにやる、って実はすごく努力を必要とするし、自分を信じてないと出来ないことだと思います。
また、後々「留学中」の出来事についても書いてみようと思っています。いろいろありすぎて何を書くか迷います。笑
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第45代アメリカ大統領選挙レポート@コーネル大学
宮本 律
2016年11月、第45代アメリカ大統領を決める選挙を、同世代の現地学生たちと共に間近で観察できたことは私にとって一生忘れ得ない衝撃的な体験となった。当事者として現地学生は、大統領選を自分たちの未来を方向付ける最も重要なものとしてとらえ、真剣に、時にエキサイトして向き合っていた。そんな中、私はあくまで「留学生」という立場から、むしろ冷静かつ客観的に観察できたと思う。
大統領選挙 事前アンケート結果
アメリカ人は、移民の国アメリカとしての歴史と自由を尊重するのか、それともトランプ氏の言う通り壁を造って移民を排除するのか。
「移民問題」は、今回の大統領選挙の争点のひとつとなった。
そうした現状を踏まえて、9月上旬『アメリカの不法移民に選挙権を与えることに対して賛成か反対か』という質問を設定して、学生以外の一般市民(20歳以上;NY州)と学生(コーネル大学)の両方に向けてアンケートを実施した。
なるべく直感的に答えられるように、あえて細かな条件を定めずストレートな質問とした。
実施した場所が、NY州とコーネル大学ということもあり、全米でも有数のリベラルな場所でサンプルを採ったことを差し引いても、その結果は興味深いものだった。
回答のうち、一般市民の18.2%が「賛成」45.5%が「反対」36.4%が「どちらとも言えない」であったのに対し、学生の29.4%が「賛成」11.8%が「反対」58.8%が「どちらとも言えない」と回答した。
結果は私の予想とはかけ離れたものになった。「賛成」は多くても7%程度ととらえていたのだ。学生の58.8%が「どちらとも言えない」と答えているのは、質問が漠然としすぎているということもあるかもしれない。しかし、「反対」の少なさは驚くべき結果だった。
賛成派の学生の意見をまとめると、以下のようなものであった。
■正式な移民文書が得られないことが原因で不法移民となってしまっている人々に選挙権を与えるべきだ。
■加えて、彼らが正式に市民権を得られるように、政治、医療、そして金銭面でも支援していかなければならない。
一般市民の回答者の賛成派の意見をまとめると、以下のようなものであった。
■世論に反映されない多くの人々がアメリカに存在し、アメリカにいるすべての人の意見を聞くべきだ。
■アメリカで市民権を得るプロセスをもっと簡単にすべきだ。
一方で反対派の意見をまとめると、以下のようなものであった。
■不法移民が行政のサポート��受けられるとしても、参政権だけは市民だけのものであるべきだ。
■そもそも移民を不法にアメリカ国内に入れるべきではない。
■不法移民の文化は尊重すべきだけれど、投票は市民だけによってされるべきだ。
電話サーベイ
「アメリカ市民権を持たない永住者に参政権を与えるべきか」という質問をアメリカ国内に在住する者にランダムに電話する方法で世論調査を行った。
結果は以下の通りだった。
賛成(参政権を与えるべき)が31.2%、反対(参政権を与えるべきではない)が68.8%であった。
さらに、賛成、反対と答えた人たちの政治観を見てみると、興味深いことに「中道派」と答えた人たちが最も反対していることがわかった。
いわゆる「無党派層」ということになる。
コーネル大学の状況(選挙前)
少なくともコーネル大学内の民主党支持者は、もともとサンダースを支持していたがヒラリー支持に流れてきた人たちも、当初からヒラリー支持だった人たちも、いずれにしてもヒラリー支持でまとまり、大学内での大きな流れとなっていた。そして全学生を通じてトランプ支持者はきわめて少数だった。
事前の報道では大半がヒラリー優勢とされていたこともあり、支持層の中でも民主党の勝利はかなり楽観的に捉えられていた。勝率80%の数字は多くの人が目にしたし、少なくともコーネル大学でいるかぎり、ヒラリーの勝利は確定済みの未来だった。
投票が迫り、実は接戦になるかもしれないと言われても、学生たちはヒラリー圧勝を疑わなかったし、マスコミが接戦を演出しているのだろう、と高をくくっていた。
開票後トランプから離されつつあった時でさえも、ヒラリー大逆転がシナリオの最後に用意されていることを多くの学生が信じた。選挙の勝敗が決まるまで、トランプ支持者は全米において少数派だと多くの学生が信じきっていたのだ。
実は、コーネル大学内に、きわめて少数ながらトランプ支持を表明する学生もいた。その学生たちはほとんどが南部出身者で、将来の仕事について不安を感じている学生や、働いてもまったく給料が上がらない両親の様子をそばで見て現状への不満を持つ学生だった。
コーネル大学では、コーネルリパブリカンという共和党支持団体が存在するが、団体に所属する学生さえ、ほとんどがゲリー・ジョンソンを支持しており、コーネルリパブリカンの公式Facebookのページには、「私たちは共和党候補、ドナルド・トランプを支持することはできません。トランプ氏はアメリカの保守派代表として相応しくありません。その代わり、今回の選挙における真の保守派、ゲリー・ジョンソンを誇りを持って支持したいと思います。」と載せてあるほどだった。学内の共和党支持団体ですらトランプを支持していなかったのだ。ただ、今になって思えば、このような状況こそ「トランプ支持だ」と表明することを難しくさせ「隠れトランプ支持者」を育てたと感じる。
生まれたときからインターネットが存在していたミレニアル世代。SNSを活用して最大限自分たちの意見を拡大する世代である。
選挙前の私の予想は、今回の大統領選において学生を主体としたこのミレニアル世代こそ、大統領選の結果を決定付けるのではないかというものだった。接戦になればなるほどこの世代の「無党派層」が機能し、ヒラリーを勝利に導くと考えていた。
実際、アメリカの学生の間では、誰を支持するにせよ、自分が支持する政党・候補者をFacebookをはじめとするSNSに表明し、その根拠と他者へのメッセージを添えて投稿することが当たり前のように行われている。特にヒラリー支持者の間では、ハッシュタグ#imwithherをつけることが一つのトレンドになっていた。
また、投票したことを示す “I voted”のステッカーの写真や開票日当日に支持政党の色でコーディネートした服装の写真など、ネット上には「今自分が政治に参画している」ということを示す投稿が溢れていた。
“I voted”ステッカー
ヒラリー支持の学生たち
実際はどうだったのだろう。
投票率は48.6%と大統領選史上、最低の投票率だった。端的に言えば半分以上の人が興味を示さず投票行動を起こさなかった大統領選挙と言える。正確な年代別の投票率はまだ確認できていないが、ミレニアル世代の投票率も決して高いものではなかった。おおかたの予想通り、ミレニアル世代の大半がヒラリーを支持した。けれども、ミレニアル世代が、それ以外の世代を巻き込んで大きなうねりを形成するほどのパワーを持つことはなかった。結束もゆるやかで、最終的にバラけていった印象が強い。
熱狂感について
私がコーネル大学の民主党支持団体「コーネルデモクラッツ」に所属し、学生たちとディベートを重ねる中で見えてきたのは、特にヒラリー支持の学生たちが「感情的になりすぎているのでは?」ということだった。
コーネルデモクラッツに所属する友人の1人で、アメリカ生まれ、フランス育ちでコーネル大学に在籍するゾーイは、少しだけ留学生の私と立場が似ていて、いつも冷静に大統領選を俯瞰し、的確な意見を聞かせてくれる。
彼女は「私自身民主党支持だけど、盲目的にヒラリーの全てを応援したいとは思わない。今回の選挙でどちらに投票するか、と聞かれたらもちろんヒラリーだけど、学生のほとんどがヒラリーを熱狂的に支持して、判断力を失っている気がして心配だ。冷静になってみれば、トランプの政策の全てがダメだという訳ではないことにも気づくはずだ。」と言った。
確かに、コーネルデモクラッツで行われるディベートは、正直「ディベート」と言えるものではなく、トランプに対する不満をぶちまけ、このような人格をアメリカの代表にするようなことは決して許さない!という、いわば「中傷会」と化しており、そこに建設的なシーンは無かった。
そして、キャンパス内で行われた第一回目のテレビ討論会のパブリックビューイングでは、ヒラリーが発言するごとに歓声が上がり、トランプが発言するごとにブーイングと嘲笑の嵐だった。
もちろんテレビ討論会では、両候補者とも1票でも多く獲得できるように、政策やビジョンをアメリカ国民が納得できるように話す。しかし、「ヒラリーの言うことはすべて正しい!ヒラリーの言うことしか聞かない!」と言わんばかりの熱狂した学生の様子は、当選後のヒラリーの政策に対して、批判的視点を失い盲目的に従う危うさに満ちていた。
そういう意味では、今回トランプが大統領になったことで、ミレニアル世代の人々はトランプの政策、発言、行動の一つ一つに食ってかかる勢いで注目し、権力に対して批判的な視点で対峙することに対して目を覚ましただろう。(ただし、トランプの政策に対して、聞く前から反対し、批判的な視点をないがしろにする可能性も大いに考えられる。)
政治参画する場合、「冷静さを失わない」「熱狂的になりすぎない」「常に批判的な視点を持つ」という3つのスタンスを忘れてはならないと思う。特にミレニアル世代は、このスタンスに忠実であるべきだと感じた。
なぜ熱狂的か
そもそもどうしてミレニアル世代(特に学生)はこれほど支持候補者に対して熱狂的になるのか。それは「自分の意見を聞いてほしいから」ではないかと思う。
参政権を手にしたばかりの年代は、全ての選挙民の中ではまだまだマイノリティである。学生たちは、「自分の意見が国に反映されること」を最も強く望んでおり、「これからの時代は自分たちが作っていく」と、政治に夢を重ねる意識が高い。
そして彼らの多くが理想とする「これからの時代」の重要な条件が「多様性が受け入れられる社会」である。
コーネル大学の学生の意見を聞いていると、「多様性の受け入れ」に関して学生たちがどれほど敏感になっているか実感する。コーネル大生は、いわゆる「白人」とされるヨーロッパ系アメリカ人(41.8%)のほか、アジアン(17.1%)、ヒスパニック・ラテン系(11.5%)、非居住外国人生徒(10.2%)、黒人・アフリカンアメリカン(5.9%)という多様な人種によって構成されている。
つまり、学生の多くが「移民」なのだ。彼らにどうしてアメリカに来たのか聞いてみると、「より良い教育が受けたかったから」「将来仕事で成功したかったから」という意見が大多数だった。韓国人の両親のもと、ソウルで4歳まで暮らした後、「将来的な成功のためには、ア��リカが最も良い場所だ」という両親の考えで、家族でアメリカへ移住してきたジェイソンに意見を聞かせてもらった。
「4歳でニュージャージー州の幼稚園に編入したとき、アジア人は自分だけだった。当時は英語もほとんど喋れなかったし、自分一人だけアジア人という環境で、それからも長年差別に苦しんだ。それでも『一生懸命勉強すれば成功できる』というアメリカンドリームを信じて必死に努力した。そして2008年、オバマ大統領が就任したとき、『やっと自分たちのようなマイノリティが受け入れられる社会が実現した。これから自分たちの時代が始まる。』と感じ、これからはより良く生きられると確信した。それなのにトランプの当選によって、またアメリカは差別の時代に戻ってしまう。ようやく築きあげられようとしていた多様性を受け入れる社会が全て崩壊してしまった。」と言った。
ミレニアル世代が志向する多様性が受け入れられる社会というのは、マイノリティが取り残されていると感じない社会であり、自由主義を基盤とする社会だ。ミレニアル世代にとって、多様性と自由を象徴するヒーローとしてオバマ大統領は人種や経済における不平等の是正に力を入れてきた。オバマ大統領は、長年にわたり差別を受けてきた黒人を救済し、新たな貧困層であるヒスパニックを助けるオバマケアを導入した。議会からの反対で頓挫してしまったが、富を独占するウォール街への課税強化も提案した。
オバマ政権が8年間続き、ようやくアメリカで民族的多様性が受け入れられ「ミレニアル世代の時代」が始まったかに見えたが、今回の大統領選挙で全て崩壊してしまった。多様な人種バックグラウンドを持つ学生たちは今絶望の縁にいる。
開票日当日、翌日
11月7日午後6時、コーネル大学の学生たちは、星条旗をモチーフにしたマフラーを身につけたり、“Hillary for America”の缶バッチを胸元につけたり、大きく“HILLARY”と書かれたボードを掲げたりと、お祭り気分で大いに盛り上がっていた。また、投票結果が出る前から、ヒラリーの勝利を讃えるイベント、“Election Night Celebration with Hillary Clinton & Tim Kaine!”の予定が組まれるなど、彼らにとってヒラリーの勝利は自明のものとなっていた。
しかし、その期待は一夜のうちに大きく裏切られることになった。
11月8日午前3時、コーネル大学のパブリックビューイングに集まる学生たちは、予想と真逆の選挙結果に、ただ呆然と立ち尽くしていた。取り乱すでもなく、泣きわめくでもなく、会場には現実を受け止めきれない唖然とした空気だけが流れていた。
Facebookのタイムラインは、学生たちの絶望と将来への不安を綴ったコメントで荒れっぱなしで、一夜明けた9日の朝、しとしとと降る冷たい雨の中、学生たちは皆うつむき加減で、授業の合間にヒラリーの敗北宣言を見て涙を流していた。
一方で、大学では早くもこの絶望的状況を共に乗り越えようというイベントが幾つか開催された。その中で特に印象的だったのが「Cry-in」というイベント。名前の通り、互いに泣き、ハグし合い、このような絶望的状況に立たされながらもなお私たちは生きている “we are still here”だからこそ私たちが持つ唯一の武器である愛、loveを持って、偏見、人種差別、性差別、暴力、過剰な移民取り締まりに立ち向かっていかなければならない、というイベントだった。
選挙結果に失望していたのは学生だけではなかった。私が履修している講義では、講義の冒頭で教授が泣き崩れ「昨日、学生たちから1,000件以上の将来に対する不安、絶望の気持ちが綴られたメールをもらいました。あなたたちがどれだけ傷ついたかわかるから、今日は出席は取りません。試験も延期します。」と語った。日本で、国政選挙の結果で大学の試験が延期される、などということはまずあり得ない。このアメリカという国で大統領選が及ぼす影響はこれほど強く、細部にまで行き渡るのかと実感した出来事の1つだ。
ヒラリーの敗北が決まってから、学生たちはとにかく抜け出しようのない悲しみのどん底にいる様子だった。
Facebook上では、“1776-2016 The United States”(独立宣言から今年でアメリカは終わりという意味)といったブラックジョークが飛び交ったり、次の2020年の大統領選に向けたカウントダウンが早くも開始されたりしているほか、カナダ、オーストラリアへの移住を真剣に調べる学生も多かった。(日本でも報道されたように、カナダの移住サイトがアクセス集中のため閲覧不可になったほどである。)
ただ、絶望のコメントの一方で、「あらゆる差別に反対すべく、闘い続けなければならない」「すべての希望が奪われたわけではない」という前向きなコメントも出てきはじめた。印象に残っているコメントの中に、「それでも(トランプを)選んでしまったのは、紛れもなく我々アメリカ人だ」というものがあった。絶望の最中にいながらも、心のどこかで議会制民主主義を第一とし、結果がどうであれ選挙結果を受け入れ、権力を移行しなければならないと考えるアメリカ人の勇気だと思った。
また、「(トランプに独裁させないように)三権分立がどの程度機能するか見ものだ」という冷静なコメントも見られた。
今回の選挙において、得票数では、トランプが約5,961万票に対してヒラリーが5,981万票を獲得した。つまり約20万票ヒラリーの得票数が多く、高得��者が負けるという事態が起こった。
このことを受け、ヒラリー支持者の多くが選挙システムを改正する署名を行っている。皮肉にも、開票前にはトランプが選挙システムへのクレームを表明して物議をかもした。選挙が終わってみると、今度はヒラリー支持者が選挙システムに対してクレームを主張し始めたのだ。
選挙システム改正を訴える学生
戦いのあとは、選挙の敗者は選挙の正当性を認め、速やかに勝者を受け入れる。他方、勝者は敗者の生存と次の挑戦を認める。アメリカ民主主義のもとでは、大統領候補者は敗北が決定的になった時点で「敗北宣言」を行い、勝者を祝福する。アメリカはこうして長い間忠実に政権の交代と引き継ぎを繰り返してきた。
今回もそれに従ってオバマ大統領はいち早くホワイトハウスで「円滑な政権移行」を誓ったし、ヒラリーは青と赤(民主党と共和党)が混ざった色「紫」を基調としたスーツで「私はトランプ氏を祝福し、国のために協力すると申し出ました」と敗北宣言の中で融和をメッセージした。一方、トランプも当選後は毒舌を封印し今のところ真摯に対応している。
しかし、実際の市民感情は「悪夢が現実になった」と考える者が多すぎる。これまでの大統領と同じような敬意が国民からトランプに払われるためには、相当な時間と理解が必要になるだろう。いずれにしても市民は「戦いの後の清々しさ」とはほど遠い後味の悪さを感じている。
開票から3日後
開票日翌日と翌々日まで、コーネルの学生たちは皆絶望の空気に包まれていたが、開票から3日経った11月10日以降、確実に「絶望」から「怒り」へと空気感が変化していくのを感じた。
学生間で行われるイベントも、「Cry-in」のように傷を癒すものではなく、キャンパス内外で頻繁に行われるデモ活動に身を投じる学生も増え、女性を含むマイノリティの権利主張を訴える「Women’s March on Ithaca」や、「民主主義が選んだ結果(トランプの当選)は覆せないけれど、この男(トランプ)とこの男に投票した奴らに抗議する権利は十分にある!」という意志のもと計画されている「Protest Inauguration Day(来年1月20日開催予定)」、そしてミレニアル世代のヒーロー、オバマ大統領に感謝するイベント「Thanks Obama(来年1月20日開催予定)」など、トランプの就任式である1月20日に「最後のメッセージ」をホワイトハウスに直接ぶつけるためのイベントが次々と計画され、日々、参加予定者が増え続けている。
また、Facebookのハッシュタグは、#notmypresidentが使われるようになり、それぞれの学生がトランプを次期大統領と認めないという主張を拡散し続けている。
ヒラリーは、その敗北宣言の中で「敗北はつらいものです。でも、お願いですから自分が正しいと思うことのために戦うということの価値を疑わず、信じ続けて欲しいのです」というメッセージを残した。「私の正義はこれだ!」という信念だけは、どれだけ挫折を経験しても失ってほしくないという若者に対する強いエールとして心に響いてくる。ミレニアル世代はこのメッセージを単に「打倒トランプ」を継続するという表面的な解釈だけで終わらせてはならない。
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報道が与える力 —映画『スポットライト』が教えてくれたこと—
宮本 律
2人に1人がカトリック教徒であるボストンでは、カトリック教会が公的機関を押さえつけるほどの巨大な権力を持っていた。ボストンの神父ゲーガンが30年で80人もの児童に対して性的虐待を加えていた「ゲーガン事件」は、そのようなカトリック教会の権力によって長年隠蔽され続けてきた事件の一つであった。しかし2002年、事件の真相はボストン・グローブの5人の記者によって世界中に知れ渡ることになる。『スポットライト(2015年公開)』はこの実話に基づいて作られた映画である。
映画のストーリーは、マイアミから転属してきたユダヤ人である新上司バロン(リーヴ・シュレイバー)の元で、ボストン・グローブの調査報道チーム、「スポットライト」がゲーガン事件の真相を暴き、明るみに出す、というものだ。バロン以外の記者たちは皆カトリック教徒でありながらも、記者としての責任感からこの事件に真摯に向き合い、地道な取材を続ける。調査が進めば進むほど、想像を超えた驚愕の事実が次々と明らかになっていくなかで、冷静さを保とうとしながらも、カトリックへの信仰心と報道することに対するの責任の間で感情が揺れ動き、真実を追求することへの葛藤が次々と生まれていく。
この映画の大きなテーマだったのは、「事実を伝えることは大勢の人を傷つけかねない」ということだ。ある事実が伝えられたとき、それをどう受け止めるかは当然受け手によって異なる。ただ、ゲーガン事件の場合は、それが「宗教」という人間の生きる指針ともなるべきものと結びついてしまっていたが故に、多くの敬虔なカトリック教徒を絶望させることになってしまった。ただし、たとえそのような状況にあったとしても、報道は決して感情的なものになるべきではないということ、たとえ冷淡に見えたとしても、淡々と事実を述べるものでなければならないということに改めて気付かされた。映画中のセリフ、「記事になった場合の責任は誰が取るのか?」「では、記事にならなかったときの責任は?」という部分から、事実を追求し、記録として残す人がいなければ歴史は隠蔽され、簡単に塗り替えられてしまうと思った。
また、「(報道において)真実を追求する」ということについて考えてみたときに思い浮かんだのは「報道される物事が、報道の受け手にどのように伝わるか」ということだった。そもそも決められた時間枠の中で発信できる情報は限られてくる。たとえ真実だけを伝えようとしても、それが報道されるまでには、編集のプロセスを経なければならない。編集過程では伝える情報の取捨選択が行われる。この編集過程によって、同じ事実でも伝わり方は全く違うものになってしまうこともあり得る。だからこそ、報道における「真実」という定義は極めて曖昧である。そして誰にとっても100パーセント真実である報道は存在しないことは、多くの人が頭では分かっているはずだ。それでも私たちは、実際に報道で見聞きしたことは無批判に信じてしまいがちである。その方が早く情報を得られるし、面倒でないし、楽だからだ。テクノロジーが発達すればするほど、人が情報にたどり着くまでの過程は簡略化され、私たちはますます無批判になる。しかし、情報と技術に溢れた社会の中でこそ、批判的な視点を失ってはいけないと、この映画が教えてくれたように思う。
実際にあった出来事を伝える、という新聞記者たちの仕事はとりわけ華やかなものではなく、特に調査報道は名誉にはなったとしても利益にはあまりならないという。それでも、声なき声を拾い上げ、真摯に取材を続けたことが、世界中を震撼させるスクープへとつながった。『スポットライト』の公開後、ローマ法王庁が映画の上映会を主催し、バチカン市国の2016年2月29日付の日刊紙「オッセルヴァトーレ・ロマーノL’OSSERVATORE ROMANO」
(http://www.osservatoreromano.va/en/news/its-not-anti-catholic-film)
の一面には、“It’s not an anti-Catholic film”(これはアンチカトリックな映画ではない)という見出しで、「映画『スポットライト』が被害者の痛みを世に広めた」という賞賛の言葉が掲載された。新聞記事の一面が、世界を変える力を持っているということを証明した事実は、世界中の人々に静かな感動を与えたことだろう。
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本日ラボ最終日!!!(実は全員で写真を撮ったのは初)
一年間あっという間でした。
このメンバーで『カタラバ』を立ち上げられたこと、本当にうれしく思っています。
……といっても、『カタラバ』の更新自体はまだまだ続きますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!
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まつエク
2年 三好香彩
私は昨日、まつエクをした。
今日の夜、6年くらい前にお母さんが使っていたiPhone3Gをひさしぶりに目にした。今と比べてころっとしていて、重くて画面が小さい。今はもうWi-Fiを繋がなければ通信できない。そして画質も荒いのだが、一番重要な機能は残っている。カメラロール。
1404枚の写真はどれもなつかしい。今とは違う場所に住んでいた頃のiPhone、もう日常的に見られない景色を背景にした写真の多くに、まだ幼い弟がいる。学校の帰りにエッフェル塔を背にしておそらくラズベリー味のマカロンを食べている。多分これは日本に帰国する直前。意外と動画も多く撮ってあって、弟の声が高い。それはもう涙が出るほどかわいい。
数百枚に2枚ほど出てくる、兄弟3人が車の後部座席で顔を寄せている写真。休暇のあとに、海を越えた隣の国の学校の寮にもどる兄のお見送りにいく途中である。笑ってはいるものの、認めるのも悔しいが実は、さびしかった。その寂しさを紛らわす意味で、駅に送ったあとは1人家族が抜けた4人で、決まったカフェに行ってオニオングラタンスープを食べたことも覚えている。
お母さんはここ数年「年相応」をテーマにゆるやかなパーマをかけているけれど、この時はまだするりとしたストレート。一緒に写真を振り返るお母さんに、若く見えるからやっぱりストレートでもいいんじゃない、と言おうとしたけれど、今の髪型も似合っているし若く見えれば良いという訳でもないので言うのをやめた。
クリスマスプレゼントを兄弟3人が開けている動画は5分ある。弟はカードゲームのパックを開けている。私は14歳。真っ白でふっさふさの羊毛が外側にもついたUGGのブーツと、ポンポンが付いたクリーム色のニット帽と、赤と黒のチェックのバックパックをもらっている。全部自分で選んだプレゼントの中のブーツはまあ多くの人には理解されないだろう。実際に動画の中では、「この気の狂ったようなブーツどう思う、お父さん」という呆れながらも楽しそうな母の声が聞こえる。そう言われるお父さんは私のブーツを見ながら、娘の私が言うのもなんだが、こんな優しい笑顔があるか、というような表情で笑っている。内心はお父さんも私のセンスは狂ってると思ってるのかもしれないが顔には表れていない。次にカメラは椅子に座って説明書を読む兄に寄っていく。もらったのはヘッドフォンらしい。「ここを触れば曲とか音量を変えられるかもしれない」と嬉しそう。いや、自分で選んだのにそこの機能知らなかったんかい、と観ながら思ったけどまあいいとして。再び画面に映る弟が手にするカードがどんなものかは見えないが、やっぱり高い声で弟は「かっこいい〜」と、本当に嬉しそうにため息を漏らす。
「この時わたし可愛かったわ。」
履いていたジーンズは今太ももで止まる。生まれた時から丸顔だったけれどこの頃はなんだか今より顎がシャープ。二重顎なんてありえない話かと思っていたのに今顔を引くと二重顎になる。知らない間に私は微妙な感じになっていた。
今のほうが洗顔に時間をかけたり、保湿したり、野菜も摂って健康を意識しているのに、若干中心に寄りがちなのが悩みな目にはラインを引いているのになんでだ、この頃の私のほうが可愛いのは?
それはおそらく、今私は自分に批判的だからだ。
もちろん「成長」という要因もある。中学生と大学生とで体型が変わるのは当たり前だ。ジーンズが入らないのはしょうがない。
年々、自分をひとと比べることが多くなっていく。
自分を微妙と決めつけて微妙になっていた。
まつエクなんていらない。アイラインもいらない。この中学生の自分は、やっぱり幼い。化粧なんて何もしていないけれど、そんなもの全然いらない。本当は化粧なんてしなくてもいいんだ、高校生だったつい2年前まではすっぴんで毎日を過ごしていたんだから。ちなみに私は「すっぴん」という言葉があんまり好きじゃない、なんでかって言うと、顔に何も付いてない状態が自然であるのに、その状態をわざわざ「すっぴん」っていう滑稽なサウンドの言葉で呼ぶのは顔がかわいそうな気がするから。
かといって、今、アイラインを引かずに大学に行けるかと言われたら、まあ行けるけど、友達のキラキラした目の周りを見たら、次の休み時間には引いちゃうかもしれない、ラインを。まつエクも、このまつげに貼り付けられた毛が抜けたらもう付けにはいかないと考えているけど、どうだろう。「すっぴん」でいても目に迫力が保たれる楽さは、捨てられるだろうか。現段階、とりあえず明言は避けておきたい。
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人々は何を求めているのだろうか。 ~フィリピンでも見た“欲望”~
そこに広がっている世界は、決して物質的にも豊かではなかったし、見る人によっては同情の念すら抱いていたのかもしれない。それでもあの時あの場で心に浮かんだ羨ましさの中に、またひとつ自分の欲望を見つけることができたような気がした。タイミングの問題もあったのだろう。たまたまそびえ立つビル群を川の向こうに見た、そのすぐ後に入った路地の先に広がっていた世界だったのだから。
フィリピンはマニラ。日本のメディアで報道されるようなドゥテルテの恐怖なんて微塵も市民レベルには届いておらず、むしろ話を聞けば彼への支持は絶大なのだという。
人々は熱狂していた。今やASEAN諸国の中でもトップレベルの成長率を誇り、街の至る所では高級マンションやら高層オフィス街の建設が進む。街を歩けば至る所に超巨大ショッピングモールが、平日にもかかわらず群衆を飲み込んでいる。車の普及にインフラが追いつかず、道路はいつでも渋滞状態。
この国の発展とそれを支える群衆をこれでもかというほど肌で感じた私は、夜の川沿いを歩いていた。川の向こうに、海外資本の会社が立てた10棟ほどのビル群を眺める。そのうちのひとつにはスクリーンが付いていて、最新のSAMSUNGコンピューターの宣伝を浴びせる。ちょうどタイのバンコクで見たような、あるいはニューヨークのタイムズスクエアで流れていた、はたまた渋谷のスクランブル交差点で毎日の通学時に目にするその光景が、ここマニラにも同様にあった。
路地に入る。午後8時は回っていただろうか。米屋が、店先に裸で並べられた数種類の米を袋に入れ戻している。車の修理工が首輪もしていない汚い野良犬を撫でている。路上では30人ほどの子供たちが、縄跳びやら、よく分からないジャンケンのような遊びやらサッカーをしている。それが羨ましかった。昔は自分もこんな風に無邪気に遊んでいただろうか。いや、そんなことはなかっただろう。私が生まれた時から、そこには通りに住む誰もが顔見知りで夜遅くまで外で近所の子たちと騒ぎ続ける何て世界は広がっていなかった。だから、マニラの郊外に広がるこの小さな世界がうらやましかったのだ。
帰宅ラッシュなのか、あるいはこの国はどこでも24時間ずっと人でごった返しているのかはわからなかったが、満員のその電車に乗ってホテル近くの駅まで戻る。駅を出てすぐ目の前には、例のごとくスクリーンが、今度はピザの宣伝を浴びせてくる。群衆が、ショッピングモールに駆け込むあの群衆が得体の知れない欲望に身を任せ、ただひたすら物を求めて行列を作る。そんな光景がフラッシュバックする。バンコクでもニューヨークでも渋谷でもあるいは香港でもホーチミンでもトロントでも同じ光景を見た。そんなことを思った。つまらない。世界中、誰もが同じものを求めるこのうねりのような怪物はおそらく止まらないだろう。つまらない。“欲望”だ。つまらない。
人々は何を求めているのだろうか。
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