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パイプライン大作戦
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konticamba-blog · 6 years ago
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はじめてのゲーム実況動画を作った話
 18年8月4日からニコニコ動画に投稿していたCeVIO実況プレイ動画シリーズ『佐藤と鈴木はビルを建てる』が19年6月1日の 第13話をもって完結しました。初めてのゲーム実況動画ゆえ、それなりに感慨が深く、反省もふくめていろいろ思うところもありますので、ここにまとまりのない長文をもってまとめておきたい。
マイリスト:https://www.nicovideo.jp/mylist/62959625
 6月か7月ごろに、 Steamで販売されている 『Startup Company』というITベンチャーの経営シムに熱中していたとき、無性にゲーム実況動画を作りたくなりました。かつて10年以上にわたり小説を書くのを趣味としてましたが、ひさしぶりに創作的な趣味に没頭したくなったのだと思います。若いころの自分に還りたいのか、中年のおじさんにはよくある現象です。2011~12年にかけて散発的にSoftalkの合成音声を使ったUMAの動画をこしらえてニコニコ動画に上げていたので、今回���Softalkを想定し、キャラクターはペンタゴンとブラックホールの四次元殺法コンビを考えていました。
 しかし、ある程度シナリオを書き起こしたものの、 くわしいことは忘れましたが、 Softalkの男声でふたりのキャラクターを演じさせることが困難だと判断しました。そこで代わりにCeVIOという合成音声ソフトの体験版をためすことにしました。「さとうささら」と「すずきつづみ」に適当な会話をさせてあそぶうちに、完全に当初の目的を忘れた結果、このふたりに放課後の男子中学生みたいなやり取りをさせると、おもしろくてかわいい、という発見があり、これは学会(ニコ動)に発表して有識者の意見をあおがねばならぬとの使命感にかられてしまい、ただちに製品版の『CeVIO Creative Studio』と『PowerDirector』という動画編集ソフトを発注するに至りました。UMA動画のときは投稿者御用達の『AviUtl』を使ってましたが、セットアップからして苦労した思い出があったので、楽ちんそうな市販ソフトを買ってしまうあたりに老いが隠せません。
 実況するゲームは、 『Startup Company』 が早期アクセス中で大きな仕様変更を繰り返している状況だったので、ちょうど日本語に対応したばかりの高層ビル運営シム『Project Highrise』に変更しました。 あまり知られてないタイトルだし、やり込んでいたゲームなので攻略情報が盛り込めるし、ニコ動には途中までのシリーズがあるだけだったので、少なくとも情報として価値のある動画にはなるだろうと考えてのことです。
 公式にキャラクターが設定されているCeVIOに変更した時点で、オリジナルキャラクター(四次元殺法コンビはオリジナルではないけども)に声をあてるという考えはなくなっていましたが、男子中学生みたいな会話というコンセプトは、公式の「 さとうささら 」と「すずきつづみ」のイメージから逸脱している部分が少なからずある。ニコ動で観てきた大好きな投稿者さんたちの作品に出てくるささらちゃんは、なぜか決まって大胆不敵な女子だったので、個人的にはさほど違和感がないものの、さすがにボーイッシ��すぎる。ということで、おたがいの呼称である「佐藤」と「鈴木」という役柄を 「 さとうささら 」と「すずきつづみ」 という役者が演じているという形にしました。しかし元もと二次創作の「解釈」の許容範囲が広い分野なので、これは不要なタテマエではありました。動画のコメントでも「佐藤」と呼ぶ人もいれば「ささらちゃん」と呼ぶ人もあり、認識はまちまちで、それでいいと思っています。
 ゲームに合わせて実際に「男子中学生みたいな会話」を練り上げてゆく過程で、現実の男子中学生なら普通にあるべきセックスやバイオレンスの表現を禁じる一方、百合的な要素がくわわりました。とはいえ自分の好きな百合は、「思春期の女子同士の友情表現がしばしば疑似恋愛の様相をていするやつ」なので、その程度にとどめるつもりでした。けっきょく反応がよいのもあってコミカルな誇張としてエスカレートしてしまうようになりましたが。
 立ち絵は、ほとんど一目ぼれの形で、ilusさんの作品をお借りすることにしました。特に佐藤は、ilusさんの立ち絵がなければあそこまでボーイッシュどころかボーイにはできなかったと思います。愛くるしい小動物的なデフォルメのおかげで、ふたりのシニカルな発言もだいぶ許しを得ていると思います。CeVIOの音声もそうですが「かわいい」が有する「無害化」の作用が大きく働いているはずです。この素敵な立ち絵にはとてつもなく助けていただきました。
 音楽はUMA動画のときに利用していたJamendoというサイトからファンキーなジャズをチョイスしてきました。高層ビルには都会的なジャズが似合います。しかし内容はコメディなので、くだけたファンクの要素もほしい。そんなかんじでえらびました。
 かくしてPart1が完成に近づいたとき、尊敬する投稿者さんが同じゲームの動画をアップされているのを目にして、アーッ!と思いました。おれみたいな無名人があとを追っていいのかと中止も考えましたが、まあこのゲームの動画が増えるのは単純によいことであると思い直して投稿することにしました。
 再生数はすぐに100を超え、かつて初動50行けばいいほうな動画を投稿していた自分としては、さすがゲームのカテゴリとCeVIOの人気はすごいなあと感心していました。コメントも多くいただいてうれしかったです。元もと広くウケるような動画ではないと思ってましたし、それは今でも思っています。
 気をよくしてPart2、Part3と投稿を続けるあいだに万再生のシリーズに化けました。「あ! ブレイクした!」と思う瞬間がたしかにありました。この再生数の増加は、ニコニ広告で膨大なポイントを使ってくださったかたがいたのと、有名な投稿者さんたちが連鎖的に広告してくださったのが大きいと思います。私自身はなん��工夫も努力もしていないので、成功体験として語れることが一切ありません。
 シリーズのあいだに、合成音声関連のイベントに参加するなど、ゲーム実況以外の動画も発表しましたが、再生数はケタちがいに変わるということがわかりました。ざっと分析するに、ビル動画の再生数の8~9割はゲーム(というカテゴリ、SLGというジャンル、Project Highriseというタイトル)が持っている数字で、1割はCeVIO(というソフトウェアおよびブランド、さとうささら&すずきつづみというキャラクター、私の再解釈による佐藤&鈴木というキャラ)が持っている数字であり、作者が持っている数字は多くて5%ほどと思われます。二次創作とはそういうものですから悲観すべきではありませんが、今後を思うとき、題材のゲームの選択次第で数字に最大8~9割の差が出かねないという事実はいささか怖いような話です。
 ともあれ数字に関してはこのシリーズが動画趣味における最高傑作ということになると確信しています。これを超える動画を作ることはできないと、もう断っておきますが、人気は出なくともおもしろいやつを作ってニコ動のフォロワーさんたちによろこんでもらえたらいいなあと願いつつ、細ぼそと活動してゆきたいと思います。「佐藤と鈴木」の両人には、じつの姪っ子のようにかわいく思っているので今後もゲーム実況をやってもらうつもりです。よろしくお願いいたします。
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konticamba-blog · 8 years ago
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さいたまの妖怪
たそがれどき。道を歩いていると、うしろから袖をくいくい引く者がある。だれかと思って振り向くと、だれもいない。それは妖怪「袖引き小僧」のしわざであると、水木しげるの妖怪図鑑に書かれていたものです。そして埼玉のほうに出るとも。というか、その図鑑には埼玉の妖怪がそいつしかいませんでした。『妖怪ウォッチ』に夢中な当世の子どもたちと同様、私も��さいころは妖怪に「戦闘力」を求める傾向がありましたので、いかにもパッとせず、水木先生の絵も弱っちそうなヘナヘナした黒タイツの少年であり、これが埼玉代表かと、たいへんガッカリしたものです。いま思えば、なかなか情緒があって素敵な存在感ですけどね。パッとしないのは変わりませんが。  そんなわけで私にとって埼玉の妖怪といえば袖引き小僧のほかありませんでした。のちになにかの企画で、埼玉代表として夜道怪がえらばれたとき、ちょっと戦闘力は上がるものの、いやいやそこはあえて袖引き小僧だろうと、むしろ積極的に推してゆくほどに固執しておりました。子どもをさらう程度の戦闘力なら、袖を引くことしかできぬほうがキャラが立ちますからね。なので桶川市さいたま文学館の企画展「さいたまの妖怪」にも、埼玉妖怪との出会いという意味では、さほど大きな期待はしていませんでした。先日の芳年おばけまつりで、おばけカロリーを過剰に摂取していたこともあり、雑炊感覚でサラリとシメるつもりでもって8月27日の日曜日、手巻煙草の葉っぱを買いに出かけたついでに、ぶらっと高崎線に乗って桶川駅へと向かった次第です。  駅の西口を出まして唯一のデパートである「おけがわマイン」を通り抜けます。この百貨店は開業当初には映画館まで擁しており、ついに桶川も都会の仲間入りだな! と感心したものですが、前世紀末に「桶川ストーカー殺人事件」の現場になったころから━━より現実的には、すぐ近くの北上尾駅に立派なショッピングモールができたころから、いまいち精気をなくしたかんじでした。もはや映画館もありませんが、近年に丸善が進出しまして、ハヤリの図書館と民間書店の協力事業というやつで、フロアほぼ一面が本屋という神階が爆誕したことで、息を吹き返しつつある気がします。県内最大の本屋かもしれませんし、品ぞろえもなかなかマニアックです。ここはぜひ長続きしていただきたい。  そう願いつつもこの日は立ち寄らずにスルッとマインを抜けまして、閑静な公園と違法駐輪の車列をすぎますと、目指すさいたま文学館に到着。桶川市民ホールと一体化した建物であり、マインの巨大本屋といい、どうやら桶川は文学で中興せんとしてるようですね。つい最近まで『文豪ストレイドッグス』とのコラボ企画をやってたようですし。建物を入って右手に文学館のエントランスがあって、券売機にて一般210円の券を購入。受付のおばさまに入��券と併設喫茶店の割引券をもらって地下へと降りれば、そこが展示場となっておりました。  初めて来ましたが、展示は常設(田山花袋などの資料)をふくめてとても小さ��ったです。まず目を引くのが、先日のオオカミ探検行でも出くわした河鍋暁斎の作品『曉齋百鬼畫談』(暁斎百鬼画談)。百鬼夜行絵巻の暁斎リメイクであり、えがかれたおばけたちがいちいちおもしろく、いちいち見入ってニコニコしました。あとは、東映動画のスタッフとして『まんが日本昔ばなし』で活躍されていた池原昭治さん(狭山市在住)の絵が多く展示されていました。埼玉のおばけ系の民話を画題にいろいろえがかれており、かわいらしい絵にホッコリさせていただきました。あとは……んーと、まあそんなかんじでした。  池原さんの絵に、川島町の「袖引き小僧」がありまして、よッ! 待ってました! と手をたたいたわけですが、解説文に例の恐怖の怪現象(袖を引かれる)が描写されたあと、驚くべきことが書かれていたので、図録から抜粋します。
「袖引き小僧」については、次のような話が伝わっています。貧しい家の子どもが両親の帰りを道ばたの地蔵の陰で待っていました。両親の姿をみつけたため飛び出したところ、両親は盗賊が出たと思い込み、殴りつけて死なせてしまいました。その子どもの霊が「袖引き小僧」だといわれています。
 さんざんパッとしないとか戦闘力ないとか言って申し訳ありませんでした。私は妖怪が好きでも詳しいわけではないので、この事実は初めて知ったのですが、Wikipediaにも書いてありますね。ただし出典は山口敏太郎さんとなっていて、当該記事はデッドリンク。図録の参考文献にも山口さんの著作があったりする。自称「妖怪王」を信用しないわけではありませんが、山口敏太郎事務所名義のこちらの記事では「資料名は失念してしまいましたが」と断っておられるので、少なくとも出所は不明瞭。じつはUMAファン的にはいささか思うところのある御仁であったりして、まあとにかくぼくは並木伸一郎派!  オカルト界隈の派閥は不毛なのでさておき、ザッと調べたかぎり出所不明ながら、この説にリアリティがあるのは「地蔵の陰」という点です。袖引き小僧の正体は、あまりにもかわいそうな子どもの霊ではなく、その子の想いを引き受けたお地蔵さんかもしれませんな。バカにしていた手前、個人的にはそうであってほしい。いや、それでも充分バチあたりですけども。  まだ出所不明というなぐさめを知らぬ館内の私は、ややしょんぼりしたわけですが、そのとき背後からわちゃわちゃと女の話し声が聞こえてきました。よもやこんな小さなローカル展には出現すまいと思っていたが、どっこい出ました現代妖怪「さぶかるふたりおんな」(詳しくは芳年おばけまつり14段落目参照)。向こうも油断していると見えて、いつになく声が高かったので耳をすませるに、暁斎の絵を指さしながら、これかわいい、これ好き、とやっている。とても楽しそうである。趣味の合う友だちがいるってよいね。否、こんなポッと出の現代妖怪に負けてはならじと、私もお気に入りのやつを、まだ見ぬ友だち諸君に向けて発表します。画像はメトロポリタン美術館の資料から拝借しました。
第3位:一番かっこいいやつ
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こいつが一番かっこいいです。たしか履物のおばけだったと思いますが、去年「大妖怪展」で見た古い百鬼夜行絵巻にもいて、やっぱりかっこよかった。元はケモノっぽい造形ですが、暁斎リメイクでは爬虫類っぽくなってますね。戦闘力も高いにちがいない。
第2位:弁天さんみたいな一ツ目のやつ
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もちろん本当の弁財天ではなく、おばけが勝手に扮装しているだけなのでしょう。おばけもコスプレをするようです。けっこうエロくキマってると思います。一ツ目界では美人としてチヤホヤされてそう。オタサーの姫みたいな雰囲気が憎たらしいですね。
第1位:ガイコツに乗られている馬みたいなやつ
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なんの因果か亡者が馬の体となってガイコツ兵に乗られちゃってます。しかし、まんざらでもなさそうなこの表情。彼は生前どんだけ不幸だったのか。自���の居場所が見つかってよかったね! と祝福してあげたいおばけです。
 書いてみれば長くなっていろいろあったようですが、なにしろ小さな展覧会ですんで、ぶらっと高崎線に乗ることができない高崎線難民のかたは、わざわざ見に行くほどではないかと思います。9月10日までやっているとのことで、なにかのついでにぜひお立ち寄りください。コアな『まんが日本昔ばなし』ファンのかたには普通におすすめかもしれませんね。  そんなこんなでこの夏の予定━━オオカミ探検行と芳年おばけまつり、そして今回のさいたま妖怪と、すべてを消化して家路をたどるに、サザンの『夏をあきらめて』を脳内で口ずさみつつ見上げれば、夕暮れの空が本当にきれいで、夏が終わるなあと感じ入りました。
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 左下の小さな雲に白いものが立っているのは月でしょうか。神さまでしょうか。なんにせよおかげさまで今年の夏は例年になく充実しました。ありがとう夏。だからもう暑くならなくていいんだぜ。
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konticamba-blog · 8 years ago
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芳年おばけまつり2017
東京に暮らす人間の多くは地方出身者だそうです。どこぞの田舎から大都会にあこがれて上京し、東京都民の身分を手に入れるために先住都民を殺害し、戸籍を乗っ取って東京人になりすまし、なに喰わぬ顔して東京ライフを満喫しているが、お盆ともなると、夢の島に埋めたはずの先住都民の霊魂が帰ってくるので、地方都民たちは逃げるようにして故郷に帰るのだそうです。ならば結果、お盆のあいだ東京は文字どおりのゴーストタウンになるはずだ、との算段でもって、いつもは平日にしか上京しない小生も、8月13日の日曜日、かねて計画の「芳年おばけまつり2017」を決行したのでありました。  芳年おばけまつりは、本家の東映まんがまつりにはおよばずながら、豪華二本立てとなっております。すなわち、原宿の太田記念美術館で開催の「月岡芳年 妖怪百物語」と横浜の横浜市歴史博物館で開催の「丹波コレクションの世界Ⅱ 歴史×妖×芳年」でありまして、これらを1日でめぐる趣向です。タイアップ企画のようで、会期はどちらも8月27日まで。さらに一方のチケットを一方で見せると100円割引してもらえるという特典つき。そのわりには……と思うこともなくもないが、それは後述で。  まずは勝手知ったる原宿のほうから攻めることに。こないだの馬琴特集のときと同様、副都心線の明治神宮前駅からスーパーマリオのごとく意気揚々と地上にポップアップしたわけですが、どこがゴーストタウンなのか。だれだそんなデマ流したやつ。表参道は普通に、いや普通以上に人でごった返している。午前10時30分ごろでこのありさまとは、まあごくありふれた休日の原宿ですね。実際のところは、朝の電車がすいてるという点だけ期待してたのでいいんですが、しかし、うんざりしますね。おしゃれびとたちの人工的なオーラに圧倒されますわ。  そんなファッションモンスターの百鬼夜行から逃れるように太田記念美術館へと突入しますと、開館直後なのにけっこう人が入ってました。それでもゆっくり観れる程度ではありましたので、存分に月岡芳年のかっちょいいおばけ絵たちを堪能いたしました。今回は1階と2階にくわえて地下も使われており、「和漢百物語」と「新形三十六怪撰」の両シリーズのコンプを中心に、その他の単発作品も大充実。これはまさに芳年おばけオンリーイベント。歌川一門最後の妖怪大戦争。おばけのハルマゲドンでありまして、じつに見ごたえのある展覧会であったと思います。  不満があるとすれば、この美術館の1階の展示はガラスと絵の距離が微妙に遠いんです。私の目が悪いだけかもしれませんが、浮世絵というのはもっと顔を寄せてグッと見入らなければ立体感がわからない。立体感がわからぬなら、わざわざ実物を見る意義の八割方が損なわれてしまう。色彩などももちろん実物にしかないものがあるけれども、浮世絵が版画である以上、版画独特の微細な立体感が見たいですよね。その点、地下の展示はガラスケースなしで思いっきり間近に見ることができ、しかも最晩年の技巧をきわめた「新形三十六怪撰」でしたので、とても眼福でございました。とりわけ美人の幽霊たちは本当に美しかった。(下図左から『新形三十六怪撰 小町桜の精』『同 清姫日高川に蛇体と成る図』『同 ほたむとうろう』)
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 2時間ほど大いに楽しんでのち、美術館をあとにし、息をひそめてファッション百鬼夜行にまぎれこみ、地下の明治神宮前駅へとスーパーマリオのごとくギュンギュン潜行し、副都心線に乗り込みますと、いつの間にか自動的に東急東横線にクラスチェンジしまして神奈川の日吉駅に到着。そこで横浜市営地下鉄グリーンラインに乗り換えまして、センター北駅が横浜市歴史博物館の最寄駅となっております。しかしセンターってなんのセンターなのか。調べてみますと、横浜大洋ホエールズでセンターを守っていた北選手を記念してつけられた駅名だそうで、これが真っ赤なウソであることはその次の駅がセンター南であることから明白ですが、そもそも調べてもおりません。謎のセンターの北側の駅前は、いかにもニュータウンといったおもむきで、住むにはよさそうな明るくほがらかな街だなあと思いました。  時刻は午後1時ごろ。昼食を探すに、屋上に観覧車なんか生やしちゃってるモザイクモールなるデパートの地下フードコートにて丸亀製麺を発見。冷やしぶっかけにネギを多めにまぶして、かしわ天を乗せるというのが、私の夏うどんの定番です。近所のが潰れて、はなまるうどんになってしまった(かしわ天がない)ので、ここでひさしぶりにありつけました。横浜らしい食事なんて思いつきませんでした。食後うっかりサンマルクカフェに喫煙席があるのを発見し、熱いブラックコーヒーと煙草でまったりしてしまい、もう帰ろっかなあとさえ思えてきたので、あわてて席を立って博物館まで歩きます。  横浜市歴史博物館は、その名のとおりのテーマの館なのでしょうが、企画展のチケットしか買わなかったのでよくわかりません。スタッフのおねえさんがたがみな笑顔で慇懃丁寧ご親切だったのが好印象です。原宿のチケットを見せて割引してもらい、企画展示コーナーへ。こちらも芳年特集ですが、おばけオンリーではなく、歴史絵もテーマとなっておりまして、個人的には、むしろそちらのほうに価値があった。おばけは「新形三十六怪撰」コンプのみですので、全部さっき見たやつ! というオチでした。しかも展示方法が、ショウウィンドウのなかに多少の角度はついているものの、ほぼ寝かせた状態で置いてあるので、非常に絵が見づらい。このへんは美術館と博物館のちがいですかねえ。  ぶっちゃけこれで相互割引キャンペーンとかどうなの? と思わないでもありません。そんなことをされたら、じゃああっちでは別のおばけが見れるはず! とかんちがいするバカが必ず出てきますよ。現に出ましたよ。展示品の半数が共通しているのにタイアップする意味というか大義があるのか……いや、あまり考えるのはよして、原宿になかったやつを存分に鑑賞することにしました。  元もと展示作品数が多くなく、半数がダブリなのでのですぐに見終わってしまったわけですが、戊辰戦争や西南戦争をえがいた作品はやはりよい。やっぱり芳年は「修羅場」だなあと思いました。特に印象的だったのは『薩州鹿児島征討之内 賊徒之女隊勇戦之図』━━西南戦争で薩摩軍の女性部隊が薙刀をふるって戦う姿をえがいた作品で、どう見ても悪い���賊徒」は官軍のほうだよなあ。これが芳年さんら当時の江戸っ子の視点なんでしょうね。上野戦争の彰義隊もかなりかっこよく描かれてました。
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 上野のいくさが官軍の勝利で終わったあと、「賊徒」である彰義隊の隊士たちの遺体はしばらく手つかずに放置されたそうです。多くは銃弾に倒れていたのですが、官軍の兵士たちがふざけて刀傷をつけまくったので、遺体は無残なありさまだったとか。そして月岡芳年は戦いの直後に上野の山に取材に出かけているので、そんな修羅場の現実を目の当たりにしたことでしょう。彼の代名詞である「血みどろ絵」に直結する話ですが、しかし私は芳年さんの作品ジャンルでもっとも好きなのは「武者絵」です。思えば馬琴特集においても、いちばん感激したのは国芳でも国貞でもなく、芳年のえがく犬飼現八でした。彼はサムライの時代の無残な最期を目撃してもなお、サムライをかっこよくえがくことをやめませんでした。  おそらく「肉体」を表現することにこだわりつづけた絵師なのだと思います。ポーズや構図をふくめて、人の肉体を躍動させることに心血をそそいでいるようで、決して写実的ではなく、現在の漫画やアニメにも通じるような、じつに煽情的な大げささというか、とにかく非常に現代的なポップアートに仕上がっている。そうして、おばけ絵においては、肉体のない存在であるフニャフニャした連中との対比が際立つわけです。おばけと対峙する豪傑たちの勇ましさと言ったらありません。(下図左から『和漢百物語 宮本無三四』『大日本名将鑑 平惟茂』『新形三十六怪撰 源頼光土蜘蛛ヲ切ル図』)
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 わざわざ横浜まで行った甲斐があったかどうか、移動時間と交通費をかんがみれば微妙ではあるが、あえて「二本立て」という形式の豪華さのみをもって、本年の「芳年おばけまつり」は興行大成功とさせていただきます。東映まんがまつりだって本当に観たい作品はひとつかふたつだったりしたものね。ちなみに横浜の図録は、原宿のそれよりも値段が半分ほど(たしか1200円)なのに質が高く、画集と考えたら安いので、よい買い物をしたと思いました。  また、両方の会場で、かねてから存在を認識して気になっていた現代妖怪「さぶかるふたりおんな」を目撃できたことも収穫です。やっぱり必ず出るのだということが確認できました。一昨年の「大関ヶ原展」や去年の「大妖怪展」などでも多く発見されましたが、歴史系やオカルト���、宗教系、ときには自然科学系の展覧会においてさえも、20~30代のサブカルっぽい雰囲気の女性ふたり組が出没します。不思議なことに必ずふたり一組なのです。手長足長のように双体のこの妖怪は、展示品の前でいちいちヒソヒソとおしゃべりするのでちょっと邪魔だという程度の害しかないのですが、おまえらどこにでもいんのな! と、おしゃべりを終えてどいてくれるのを待つたびに勝手にツッコんでいます。これより少し頻度は落ちますが、単独行動の「いしきたかいけいおんな」もよく見ますね。こっちは妖怪ではないと思います。ただのイイ女でしょう。すぐどいてくれるし。  無事にまつりを終えて帰りの���車に乗るに、日吉駅から渋谷を目指すつもりだったのが、なんと川越市駅に行くやつが来るというので乗ってみた。これは東急東横線から東京メトロ副都心線になったあと、さらに東武東上線にクラスチェンジする。地上も地下も関係なく三社三県をまたぐ節操のなさにあきれますが、最近の私鉄ってすげえやと素直に感動したものです。さすがに3時間ほども立ちっぱなしで絵を観るというのは重労働で、けっこうくたびれてましたが、途中で乗ってきたアニメ絵の紙袋にポスターの束を突き立てた若き戦士を見て、私なんかまだまだだ、彼がガダルカナルの復員兵なら私は内地の予備役にすぎぬと思い直しつつ、おうちに帰った次第。なんやかんやで、お盆ならではの日曜日を満喫いたしましたよ。
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konticamba-blog · 8 years ago
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神になったオオカミ~秩父山地のオオカミとお犬様信仰~
関東平野のド真ん中で生まれ育った私は、山が近いところに来ると俄然テンションが上がるという習性があります。海も同様かもしれませんが、そのほとんどが海を見ずに生涯を終えるとされる埼玉県民の例にもれず、海って狭山湖より大きいんでしょ? くらいの知識しかないので、いや、海も同様にワクワクしますよ。と、それはさておき8月3日の早朝、川越から東武東上線上の人となって北上し、秩父の山々へとぐいぐい近づくにつれ、行楽気分をぐいぐい高揚させて行ったのでありました。目指すは鉢形城で名高い寄��町の鉢形駅。そこを最寄駅とする県立「川の博物館」にて開催中の特別展「神になったオオカミ~秩父山地のオオカミとお犬様信仰~」を見物するためです。  鉢形駅へは、池袋から東武東上線のみで行けてしまうのですが、途中、小川町駅で乗り継ぎを求められます。いかに電車といえども、シベリアなみに広大無辺なる埼玉の大地を一息では縦断できぬということです。とはいえ、行きも帰りも対面のホームで待っててくれている神対応でしたので、乗り継ぎにまったく面倒はなさそうです。それよりも、そもそも小川町まで行ってくれる列車が1時間に2本程度しかないというのが問題ですね。県外人はみな埼玉が東京に匹敵する大都会だと思っているでしょうが、意外や意外と大半がクソ田舎なので、この本数少なすぎ問題は秩父路の鉄道旅につねにつきまといます。  もうひとつのルートとしては、上野方面(上野東京ライン)または新宿方面(湘南新宿ライン)からJR高崎線で熊谷まで行き、秩父鉄道に乗り換えて寄居駅で降り、そこから東上線または徒歩という手もあります。時間はかかりますが、高崎線なら本数の心配がないので、秩父鉄道の時間さえちゃんとおさえておけば、待ち時間に悶絶しないで済みます。土日には蒸気機関車も運行してたはずです。
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 とにもかくにも9時ちょっと前に鉢形駅に降り立ちました小生。この日は30度を越えない涼しい空気でしたが、ちょいちょい鋭い陽光がさすので普通に暑かった。徒歩にて荒川べりに向かい、かわせみ河原なるうらさびしいキャンプ場を横目にすると、「川の博物館」が見えてきます。
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 初めて行きましたが、博物館とは名ばかりというかなんというか、ちびっこが水遊びできる小さなレジャー施設といった雰囲気が支配的であり、おっさんひとりで訪れるにはかなり違和感がありました。ちびっこアトラクション以外の、博物館らしい展示の部分は、全般的にくたびれており、あ! これ『タモリ倶楽部』で見たやつ! と思い出してよろこんだ荒川流域の屋外巨大ジオラマ(大きさ日本一の地形模型)も、だいぶ汚れちゃってました。まあ、タモさんなみに地形マニアなちびっこなどほぼいないから仕方ないですね。そして博物館のシンボリックな大名物であるはずの巨大な水車は、老朽化のため動かず。建設当時は大きさ日本一、いまは2位に転落というあたりに県立らしい空虚な悲哀を感じますな。というか稼働して��ない現在は、水車としてすら認定できないでしょう。なにか恐ろしく巨大な輪形の遺構にすぎません。そんなのがデーンと屹立するもとで、子どもたちが水びたしになってキャッキャとハシャいでいる光景は、なかなかおもしろかったです。家族づれなら、2~3時間くらいは楽しめる施設ではないでしょうか。もっとも、家族なら普通に長瀞に直行したほうがよいかもしれませんが。
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 一方、おっさんひとりづれの目的はオオカミのやつです。秩父地域においてニホンオオカミが神の眷属として、あるいは「犬神《いぬがみ》」や「大口真神《おおくちのまかみ》」なる神そのものとして、いかに崇敬されていたかを示すさまざまな物品が展示されておりました。  個人的に特に見たかったのは、いきなり秩父関係ないですが、和歌山からやって来たニホンオオカミの剥製。母国の博物館でも年に一度しか公開されないという貴重な標本が8月20日までゲスト出演中。写真で見てたかぎり、頭の形がヘンだと思ってましたが、実物を間近に見るといよいよヘンでしたわ。頭が丸すぎる。そして丸すぎるせいで両目が寄っちゃってて、ブサイクちゃんになってしまっておられます。やはりこれは復元ミスですなあ。かといってガッカリするわけではなく、やっぱりヘンな顔だった! と確認できてたいへんうれしかったです。なんですかね、この悲運の絶滅動物に対する態度。もっと彼らを滅亡に追いやった人間の罪などを感じるべきだと思うのですが、それはそれとしてこの顔はヘンだよね? 笑っちゃうよね? との不真面目な感覚をおさえることができない。そしてこのヘンな復元も彼らが正確なスケッチすら残さぬまま絶滅したからこそ成立しているものであるわけです。そこには失われた世界に対するロマンがあるし、哀しさと可笑しさが表裏一体にあると思います。すなわちこの和歌山のヘンテコな剥製には、上野の博物館のちゃんとした剥製では語ることができない、ニホンオオカミとニホンジンとの断絶の歴史みたいなものがナンセンスな滑稽味とともに刻まれているのであって、この復元ミスが永久に修正されないことを願わざるをえません。  もちろん秩父のオオカミ信仰にまつわるあれこれもたいへん興味深かったです。憑きものを落とすアイテムとして珍重されていたニホンオオカミの頭蓋骨には、たしかに得も言われぬ呪術的な迫力がありました。これは実物を見たほうがよいです。きっとドラクエ12には「おおかみのとうこつ」が登場し、のろい状態を解除するとか、モシャスをとなえた敵を元に戻す効果があたえられると思います。美術面では、三峯神社が所蔵する画��こと河鍋暁斎のオオカミ絵が抜群の存在感でした。まあそりゃそうだ。草野球の試合にメジャーリーガーが混じったようなものですわ。  会場は狭いし、資料の点数も少ないものの、わざわざ来てよかったと思いました。そもそもこんな企画めったにないでしょうしね。「川の博物館」のくたびれ加減に対して、県民税をおさめる者としていささか公憤を禁じえませんでしたが、この企画ひとつでチャラです。ただ、長瀞の「自然の博物館」でやったほうがもっと多くの人に見てもらえるだろうな、との野暮な意見は正直ございます。おっさんひとりじゃ浮きまくるし。いや、おっさん何人だろうが、子づれじゃなければ浮きまくる場所でした。  こうなりゃ浮きつづけてやるわいと、目的のオオカミ見物を達成しても逃げ出さずに、一般展示やミニ水族館などをひととおり見てのち、食堂にも行ってみました。事前に名物「わらじカツ」が食えるとの情報を得ていたのですが、平日のせいか今日はカレーデーなどと称してカレーばかりのメニューとなっていた。こんなこともあろうかと持参していたファミマのおにぎりとパンをレストハウスでむさぼる。隣のテーブルでは遠足の子どもたちがワイワイと楽しそうにお弁当をひろげているが、個人遠足のおじさんは購入した図録に載っていたオオカミ像のある神社のリストからGoogleマップで位置を確認する作業に黙々と没頭していました。結果、駅から歩いて行けるようなところにはほとんどなく、秩父鉄道の野上駅の近くにひとつある程度でした。  もう用はないので博物館をあとにし、次なる予定はそのまま徒歩で鉢形城跡をたずねるつもりだったのが、なんだかすごく疲れている。そもそも前日は寝ておらず体調があまりよくない。リポビタンDを飲みつつけっこう無理して来たのは、翌日がゲーム『スプラトゥーン2』のフェス(オンラインイ��ント)だから、という、やむにやまれぬ事情があったゆえです。けっきょくその次の予定である長瀞の博物館を目指すことにし、鉢形駅で20分ほど待って東上線で寄居駅に行きました。そこから秩父鉄道に乗り換えるのですが、今度は40分も待たねばならない。そして驚くべきことに駅周辺にはコンビニすらない。寄居って県民にはメジャーな町だから、もっと発展してるイメージでしたが……まあ埼玉の大半はクソ田舎ですね。なぜかトイレの数だけが充実している不思議な駅でした。  なんだか待たされることに疲れてしまいました。待たされると、私の場合はニコチン中毒なので、とりあえず喫煙所を探し回ることになる。鉢形にも寄居にもありませんでした。じゃあ気がまぎれる場所はねえかと探し回る。なんにもありゃしない。駅前はそれなりに開発されてるので景色がおもしろいわけでなし。山が近いとかもうどうでもいいよ。そんなんでテンションなんか上がんねえよと、そうして無駄に歩き回った結果、心身ともにくたびれてしまうのです���  かくて徒労感をもって時間をつぶし、上長瀞駅に向かう秩父鉄道に乗り込み、車中で長瀞の博物館に行った場合をシミュレートしました。家に帰るまで合計6時間もかかり、そして随所に長い待ち時間が含まれるとわかりました。体調不良のためか、まるで台風の中を突っ切るかのような秩父鉄道の振動に気分も悪くなってきた。このまま乗ってたらさっきのファミマめしを吐くかもなあと、うんざりゲッソリ感がきわまったそのとき、「まもなく野上」とのアナウンスが私の耳に天使の矢のごとく射ち込まれたのです。  それは天啓でありました。長瀞の博物館にはパレオパラドキシアというややこしい名前の絶滅哺乳類がいて、それに幼稚園以来の再会を果たしたかったのだけども、そもそも今日はオオカミの日じゃないかと。すべてはオオカミのために無理をしてここに来たのだ。そう、Googleマップの情報がたしかならば、今日オオカミに会える唯一の神社が、まさに野上にある!
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 そうして私は、野上駅のホームへと飛び降りたのでした。その小さな駅から出た瞬間、私は自分の選択が正しかったことを確信しました。出口のすぐそばに、灰皿が鎮座しておられたからです。  人智を越えたおみちびきに感謝しながら、有害物質を肺腑に取り込んで元気百倍となり、その神社にテクテク歩いて向かいました。武野上神社は畑のなかにポツンとたたずみつつも、立派なケヤキを四方に伸ばして神域たる威容は充分に発揮し、木造の古い鳥居も重々しく、まさしく観光地ではないけども地元の人たちに長く大切にされてきたお社なのだろうなあ、というたたずまい。そしてその拝殿の左右に、私は絶滅したはずのニホンオオカミの姿を目撃したのです。
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 ひとまず見なかったことにし��興奮をおさえ、粛々とお参りしてのち、返す刀でオオカミ観察へと移行します。稲荷神社におけるキツネの代わりとばかりに阿形吽形のかまえでもって、その二頭は対面していました。阿形のほうには子どもが張りついていてかわいいです。
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 画像を見ておわかりいただけるでしょうか。なんというか、プリミティブですよね。土偶みたいな素朴さ。つーかオオカミなの? まあ、キツネじゃないならオオカミか、といった諦念によってかろうじてオオカミです。ポケモン���こんなやつがいた気もしますが、あくまでニホンオオカミCanis lupus hodophilaxなのです。図録には各神社のオオカミ像の顔写真が並んでいるのだけども、シュッとしたクール系のイケメンやドラゴンっぽいオラオラ系のイケメンが多いなか、この武野上神社のオオカミは目立ってファニーでした。昭和17年の作ということで、きっとニホンオオカミの実物を見たことがない人が作ったんだろうなあと推測します。
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 ニホンオオカミもエゾオオカミも消えてひさしい現在の日本人にとって、オオカミとはなんなのでしょうか。どんな地位にあるのかというのが、個人的に大きな関心事でした。たとえば『もののけ姫』には平然とオオカミが出てくるわけですが、それを「むかしは日本にもオオカミがいたから」で受容するのか、「ファンタジーだから」で受容するのか。ニホンオオカミのことを知らない人は後者になりますが、知っている人であっても100%前者ではなさそうです。私は半々といったところで、日本を舞台にした創作物に登場するオオカミを、なかばファンタジックな幻獣としてとらえている気がします。  ライオンやカバなどに関しては、あくまで海外の動物であるという認識が確固です。でもオオカミは、もう海外にしかいない動物であるのに、なぜかエキゾチックなかんじがしない。外国の童話に出てくる悪役のオオカミたちも含めて、なぜか身近な存在に感じるのは不思議です。きっとトラと同じような存在感になっているのでしょう。トラは日本にいませんが、やけに日本人は親しく感じていて、日本的な動物であるとさえ思っている。しかし少なくとも有史以降、トラが日本に生息したためしはない。かたやオオカミは、たしかに百年前まで日本のあちこちに生息していました。  近代化後にヒトとのウィンウィンな共生関係が崩れた結果、オオカミが日本の自然界から絶滅することは避けがたい事態だったと私は考えますが、もしニホンオオカミがどこぞの施設に保護されて、トキのように繁殖に成功していたらどうだろうか。どんだけ殖やしたところで、わりと普通に人を襲って食う猛獣であるところのオオカミを、野生に返すことなど多くの日本人は望まないでしょう。各地の動物園で見ることができる程度の珍獣になり、そこには幻想的なイメージなど惹起させる要素がありません。絶滅してよかったという話では断じてないけども、滅亡したからこそ現在のわれわれは想像力ゆたかに、しかし現実味にきわめてとぼしい勝手放題なオオカミ観を獲得することができたのでしょう。  ようするにニホンオオカミという動物は、日本の山々からだけでなく、われわれの心のなかからも絶滅したのだ。そんなことを考えながら、私は小さな境内のベンチに座っておりました。そろそろ帰りの列車がくる時間になったので、武野上神社の、もうどこにもいやしないファニーなオオカミたちに別れを告げた次第です。
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 帰りはうまいこと計画が立っていたので、待ち時間に翻弄されることもなく電車を乗り換えてゆくことができました。総括するに、オオカミに会いに行ってオオカミがどこにもいないことを確認したという旅だったわけですが、なかなか有意義だったと思います。あとは旅慣れぬくせに体調不良で無理な遠出をすべきでないということと、田舎の電車はじっとして待ってろということを、今後のために学習した次第であります。
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konticamba-blog · 8 years ago
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ドラゴンクエストIV 導かれし者たち(DS版)
もうすぐ新しいドラクエが出るということで、まだオリジナルしかやったことがなかった天空シリーズ三部作のリメイクをあそんでみたくなりまして、ちょこちょこ進めておりましたDS版『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』をクリアしました。  ドラクエ4がファミコンでリリースされた当時、小学生だった気がしていたのが、実際は1990年すなわち私は中学生でした。もうファミコンの最晩年のころですな。それから本作は2001年にプレイステーション向けにリメイクされ、2007年にニンテンドーDSに移植され、それを2017年になって上位互換機の3DSでプレイしてみたというわけです。じつに27年ぶりのドラクエ4でした。  いやはやなんともおもしろかったです。このおもしろさにはノスタルジー補正の入り込む余地もなかった。「なつかしの古いゲーム」というより「よくできたオールドスクールなRPG」であると、あくまで現在的に評価できると思います。Steamあたりに完全新作として出てきても違和感ないです。  ファミコンのときは、硬派ぶりたい中学生男子の男尊女卑により、女に冒険がつとまるもんか!とばかりにパーティーを男主人公、ライアン、クリフト、ブライで固定してたものですが、すっかり軟派おじさんになった今回は、男主人公、アリーナ、ミネア、マーニャというハーレム編成でやりました。リメイク版は仲間と会話できるのが素敵な追加要素なのですが、やはり女3人かしましく、スケバンとメンヘラとビッチを連れての旅はたいへん充実しました。そして27年たってもトルネコさんに出番はなかった。年齢的には共感できるはずなのに申し訳ない。いや、あいつ美人の嫁と幸福な家庭きずいてやがるかんな。共感できんわ。  あらためて考えてみますと、冒険物語の主要キャラクター7人のうち3人が女性、主人公の性別次第では半分が女というのは当時としては画期的だったのではないかと。しかも、いまのように、オタクに媚びるためではなく、純粋に物語を盛り上げるための必然的な配置であるように思われます。従者の男どもを困らせながら旅するおてんばな姫、父の仇を追って流浪する芸人姉妹、これらはもうとっくに時代劇で使い倒されてそうな設定ですもんね。しかし結果的に彼女たちは、30年ちかくたった現在もなお、エロ同人の素材として不本意に活躍させられたりしてるわけで。オタクの性欲は制御不能なのでハナから媚びる必要はない、ということなのかもしれません。  物語は『水滸伝』や『八犬伝』の構成で、キャラクターそれぞれの旅を列伝的にプレイしたあと、主人公の冒険に順次くわわってゆく。このような形式は、水滸八犬の古典がそうであるように、全員集合がストーリーのピークで、あとはグダグダになりがち、あるいは「おれたちの冒険はこれからだ!」でいさぎよく終わりがちですが、きちんと壮大な冒険が用意されていて最後まであきさせません。ファミコンというメディアの制約を考えるとこのボリューム感は本当にすごかったですね。ゆう帝(堀井雄二)さすがと言わねばならぬ。  このリメイク版には、オリジナルになかった第6章が追加されており、それもいちおうクリアしました。事前にデスピサロが仲間になるとは知っていましたが、私は養父母と故郷をほろぼしたピサロをゆるす気など毛頭ありませんでしたので、この深い溝をいったいどうやって埋めてくれるのか、ゆう帝の手腕に期待していたのですけども、まあ、これは残念ながら、ピサロをまったくゆるせませんでしたわ。野郎おわびの一言も発しやがりません。ロザリーはかわいそうではあるが、死んだエルフをよみがえらせることができるなら、主人公としてはシンシアを生き返らせたかろう(この時点の主人公はシンシアがエンディングで謎の復活をとげることを知らないはず)。しかし墓がないのでそれは不可能。かといってシンシアを殺したピサロをよろこばせたくはない。私なら、デスピサロも裏ボスもどっちもぶっ殺してハッピーエンドだなあ。レベル60近くあるから余裕だし。そのあとでロザリーを生き返らせるならよし。などと、いまいち主人公の寛大さに納得しかねたので第6章は蛇足でした。ファミコン神拳で言えば「あた」程度の評価です。もっとも、オリジナルの第5章で終わってもスッキリ爽快ではないんですけどね。ドラクエ主人公に不幸���性がこびりつくようになったのも4が最初ですな。  あと、クリア後にオリジナルとリメイクのちがいについて少し調べていて思い出したのですが、リメイク版には「めいれいさせろ」がある。そうだった。ファミコン版の戦闘では仲間にめいれいができなかったのです(さくせんのみ)。そして「AI」という言葉を初めて知ったのがドラクエ4でした。AIがすごいAIがすごいと、よくわけもわからぬのにみんな言っていたものでした。実際のところは、AIのせいで、特にわりとテクニカルなプレイングが要求されるマーニャ&ミネア姉妹なんかが使いにくくなっていた気はします。そしてクリフトのザラキ好きはあまりにも有名でしたねえ。あとで気づいたことながら、この「めいれいさせろ」がリメイクの一番の改良点でありましょう。  そんなわけで、蛇足の第6章はともかく、とても楽しかったです。ドラクエ5はすでにDS版を購入済みで、こっちの主人公はさらに不幸なんですよね。でも、なんだかんだで美人の嫁とかわいい子らにめぐまれるんだから私は共感できる自信がない。
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konticamba-blog · 8 years ago
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馬琴と国芳・国貞 八犬伝と弓張月
新宿駅の東南口にはダメ人間の吹き溜まりのような喫煙スペースがありましたが、いつの間にか移転していておどろきつつ、新しいダメ人間の隔離空間で一服してのち、これまた初めて歩く地下通路をとおって副都心線に乗り、明治神宮前で降りて5番出口を目指すとアラふしぎ、うっぜー竹下通りや表参道をおおむねスルーして太田記念美術館の間近にワープできちゃうんですねえ。ヤッタネ。原宿に勝利。おしゃれキッズどもザマアミロ!  などと卑屈に忌避すべきものではなく、いまやわが日本の誇るkawaii文化発信地として四海にとどろくHarajukuでございますが、さる6月20日、太田記念美術館で開催の「馬琴と国芳・国貞 八犬伝と弓張月」なる展覧会を見学してきた次第です。この企画にはあまりkawaii要素はないですが、若い外国のかたもけっこう来てました。まあsamurai特集ではありますな。  滝沢さんの『南総里見八犬伝』と『椿説弓張月』はどちらも背のびして原文で読んでおり、内容はあまりおぼえてませんでした。特に弓張月は崇徳上皇がいわゆる「闇堕ち」して大天狗になる場面の描写が超かっこよかったのと、主人公の為朝という人はたびたび切腹を言い出してハラキリハラキリ詐欺を繰り返すくせに旅の先々でちゃっかり子どもをこしらえるのな! いい商売だな! と思ったことくらいしかおぼえてません。でも絵を見てたらあれこれ思い出せました。「はっちょうつぶてのきへいじ」とかいたなあ。石を投げるのが得意という地味戦闘スキルのおじさんだ。トルネコっぽい存在感だけども、ゆうしゃ為朝はちゃんと彼を馬車待機でなくパーティーに入れてあげてました。  で、展示作品のほうは、当然なのかもしれませんが、役者絵が多かったですね。滝沢さんの小説に取材したというより、歌舞伎の演目としての八犬伝や弓張月というおもむきが強く、あくまでも何代目なにがしが演じる犬塚信乃とかになってしまうことが多かったです。これは残念なことだろうかと考えてみましたが、たとえば「本郷猛のライダーカード」と「本郷猛のかっこうをした藤岡弘、のブロマイド」とを比較したとき、見た目はまったく同じいわけですから、べつだん拘泥する必要はないと結論したものです。いま考え直すとよくわからない理論ですが、当日はなにしろ陽射が強かったので。  今回の展でチェックしたかったのは、どの犬士の絵が多いか、という点です。幕末明治のころには、まだデモクラシーが進んでないので、現在のようにアイドルも超人も猫も杓子も「総選挙」をやりたがる風潮がない。人気のバロメーターは当時のキャラクターグッズの代表格である錦絵でしょう。ただし、pixivなどでアマチュアの「絵師」たちが活動できる現在とちがって、ご本家の絵師たち━━国芳さんや国貞さんたちはプロですので、商業的な活動としてキャラの絵を描いていた。すなわち役者絵であり、けっきょくのところ歌舞伎で頻繁に演じられるような名場面に出ている犬士が、数としては多くなります。これはこれで、まあ人気の高さを測定できるデータとはなるでしょう。
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 圧倒的に多かった場面はやはり、八犬士のリーダー格である犬塚さんと、敵方として登場する犬飼さんが屋根の上で決闘するシーン(上図は国芳)。歌舞伎の舞台をえがいた役者絵も多かったですが、個人的にうれしかったのは、月岡芳年の『芳涼閣両雄動』(下図)が見れたことでした。犬飼現八をやたら大きくかっこよくえがく一方、いちおうメインであるはずの犬塚信乃はコッソリ小さくえがかれ、犬飼さんはむしろ鬼瓦とにらみ合ってるかのような図になっている。修羅場の緊張感と滑稽味が混在しているステキな絵だと思います。
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 次に多かったのは犬坂さんの仇討ち。これは犬坂毛野というキャラクターを象徴する「女装」がともなうので、見た目も華やかだし、いかにも歌舞伎に向いてるかんじですね。滝沢さんといえば、美少年、しかもいまで言うところの「男の娘」に強いこだわりがあるご様子ですが、この手の趣味は現代よりも江戸時代のほうが一般的かつ人気があったのでしょう。kawaiiはないがhentaiはなくもなし、といったところです。  ほかは犬村さんの化け猫退治と、犬山さんと犬川さんが犬塚さんの刀を取り合うやつが目立ちました。犬村大角の見せ場には犬飼さんも参加してるので出演数を余計にかせいでます。犬山道節はこの時点では火属性魔法が使えた(のちに邪法だからと封印しちゃってキャラが薄まる)ので画面が派手でした。  絵の枚数で順位をつけると、犬飼、犬塚、犬坂、犬山、犬村、犬江、犬川、犬田といったかんじでした。犬江くんよりも、叔父の犬田小文吾と大苦労人の犬川荘助が少ないのは納得がゆかない。  そもそも八犬伝を読んでいて不満だったのが犬江親兵衛の特別あつかいです。彼は最後に参加するのですが、神隠しにあったあと、犬士たちの霊的な母親である伏姫の神霊に育てられたということで、サラブレッドな天才少年として、真の主人公登場!といったノリでわりと急に出てきた印象でした。特撮ヒーロー物でテコ入れのために追加された新ヒーローのごとき風格であり、すでに七犬士たちの苦難やブロマンスに熱くなってきた読者としては、いくら作者の趣味とはいえ、いまさらショタなどお呼びでないよと思わざるえなかった。しかも彼単独のエピソードが、関羽の千里行のオマージュなのだけども退屈で長かった。馬琴としては、それで温室育ちの犬江くんに苦労させて株を高めようとがんばったのでしょうが、失敗していたと私は考えます。実際、千里行の絵を見たおぼえはありません。  こころひそかに、犬江くんが最下位でありますようにと願っていたのに、この選挙結果は無念でした。ただ、絵を見てみとめざるをえなかったのは、犬川さんも犬田さんも、キャラ設定上、服装がみすぼらしい。犬田さんは旅籠の息子で一介の町人だし、犬川さんに至っては犬塚さんちの下男である。社会的地位が限りなく「モブキャラ」に近いわけで、こりゃあピンでは描かれにくいわなあと納得したものです。もしpixivがあってもふたりのタグは最下位をあらそってそうですね。  もうひとつ残念だったのが、八犬伝に妖艶ないろどりを添える悪女たちの影が薄かったことです。さすがに物語の発端を作った玉梓やラスボスの妙椿は数枚ありましたが、たびたび犬士たちを困らせた中ボス級の毒婦��舟虫は双六の1マスにしかえがかれてなかった。彼女がもっと注目されていれば、犬田さんの出番も増えたろう。まだ幕末明治の人びとには「ヤンデレ」の魅力が認知されてなかったと見てよさそうです。  なにはともあれ、Japanese pop cultureの古典に触れた有意義な展覧会でした。八犬伝の原文版は図書館で借りて急ぎ足に読んだので、ちゃんと買ってじっくり読み直したいと思いました。滝沢さんの作品は文章に言葉あそびが盛りだくさんなので、現代語訳は絶対よして背のびしたほうがいいです。  なお太田記念美術館では、7月29日から8月27日まで「月岡芳年 妖怪百物語」と題して芳年のお化け特集がもよおされるもよう。同じ会期で横浜市歴史博物館では「丹波コレクションの世界Ⅱ 歴史×妖×芳年」なる類似企画もなされるとか。この夏は芳年ブームがきてる。できればどちらも観にゆきたい。
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konticamba-blog · 8 years ago
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【アマガミ】梨穂子の場合
恋の中原に愛の鹿を追う『アマガミ』覇道プレイ第4弾は、おさななじみ桜井梨穂子さん。まだ恋のイロハを知らなかったアマガミ前の私なら、恋愛対象外のキャラクターでしたが、いまの私はちがう。そう、いまこそ恋にかける青雲のこころざしがためされるとき! ということで一抹の不安をかかえつも、つつながなく恋させていただきまして、アコガレ~スキBESTで恋了。梨穂子は会話がカンタンでいいなあ!!!  はじめはモチベーションがいまいち上がってなかったわけですが、結果的にそれが功を奏しました。これまでこの種のゲームを好まないできたのは「同じ男子として主人公の男子に共感できない」というのが最大の理由であり、それは傑作のほまれ高き『アマガミ』においてもあまり変わりません。残念ながら、おちんちんを自宅に忘れてきたとしか思えない行動が目立ちます。おまえのやつ着脱式でいいな!と吐き捨てながら、なにも起きない起こさないテキストをいまいましげに送ることがしばしばです。しかし梨穂子との恋における主人公は、私と同じく恋愛対象外のところから始まるので、当初はおちんちんの出番がなく、徐々に時間をかけて、本来ありえなかったはずの、おさななじみ相手にドキドキしてゆく流れにうまく乗ることができました。  この着脱式おちんちん問題に関連して、日曜デートとクリスマスデートの2度にわたり外的要因による「おあずけ」が発生したことも高く評価したいと思います。いよいよというところで、梨穂子の家では母親の帰宅により、主人公の家では妹の帰宅により、機会が喪失されました。無念ではありましたが、このとき少なくとも主人公はおちんちんを装着していたと断言できます。私はべつにエッチしろ(=エロイ画面を見せろ)と言ってるわけじゃないんですよね。エッチしたがらないことの不自然さにヘキエキするだけなんですよ。すなわち少子化に対する懸念ですよ。その上でエロイ画面が見れぬことに憤慨するだけなんですよね。梨穂子の場合、ただのおさななじみから、ひとりの女性として見るようになってゆくプロセスが重要で、その恋が成就するには一線を越える必然性がありました。しかし、エロゲーではないという作品コンセプト上の制約もある。それらの折衷策として「おあずけ」はきわめて正しかったと思います。エロイ画面が見れませんでしたけども。まあ、伝統のうれし恥ずかしツイスターゲームで代替したものと見なしましょう。  そんなかんじで、これまでの3名の恋相手たちとくらべると、少女漫画的と言ったら語弊があるかもしれませんが、いい意味でフツウであり、なかなかハートウォーミングな恋を愉しませていただきました。しかしながら、物語の一部に関していささか苦言をていさねばなりません。それは「唐突に出てくる異常に不愉快なモブたち」です。  まず、主人公にいきなりスカートのぞき疑惑をかけて集団で私刑を執行しようとしたモブ女子たち。梨穂子の弁護に救われはしましたが、痴漢冤罪みたいなもので、この女子たちは軽い謝罪程度でゆるされるべきではなかった。そして、補習中の梨穂子にいやらしく言い寄って主人公を侮辱しまくるモブ男子。主人公の参上で退散しましたが、このときはおちんちんだけでなく利き手まで自宅に忘れていたようで、本来なら一発ブンなぐらなければ腑に落ちぬ局面でした。これら男女の距離をグッとちぢめ、恋を急展開させる重要な事件シーンにおいて、モブたちの言動の不愉快さもさることながら、そもそも彼らをガジェットとして利用することの不愉快さが上回ります。  ありもしない悪をねつ造したり、すでにある悪を誇張したりすることで、それに対峙する側の善性を相対的に高く見せようとする手法は、勢力の衰退とともに近年ひどさを増しているある特定の傾斜を持った煽動屋連中のヤリクチそのものです。どこぞの国会じゃあるまいし、ぼくと梨穂子のピュアーな恋には、強大な悪の敵なんぞ必要ない。ぼくらが非力な正義の味方である必要もない。むしろ本当はスカートをのぞき見ていて、梨穂子が一緒にモブ女子たちに謝ってくれるという展開でよかったのだ。あるいはモブ男子を一発どころかボコボコにするのを梨穂子に必死で止めてもらうという展開でもよかったのだ。そもそもが、ちょっとした疑念の確認や純粋な片想いの告白でよかったものを、なぜあのモブたちは過剰な悪意をぷんぷん発散��せなければならなかったのか。そういえば同様の不愉快モブは綾辻さんが偽善絢辻を殺したイベントにも登場していて、なにこれイヤだなあと思ったものです。  なぜなのか。不思議でなりませんが、いたずらに社会に分断を生み出して対立を煽り立てるある特定の(略)への怒りを関係ないのでおさえて冷静に考察すれば、これもゲームの仕様上しかたねえか、との結論は出ます。イベントを選択することで物語が展開するので、イベント内で発生する事件はつねに唐突になる。不愉快モブたちが、なぜそこまで不愉快にならざるをえなかったのかを丁寧にえがくことなどできないし、彼らに不愉快所業のバチがテキメンにあたるまでを追いかけることもできない。一方で、重要なイベントはできるだけ事件性を高めたい。結果、「唐突に出てくる異常に不愉快なモブたち」が理不尽な暴力として幸福なカップルに襲いかかることになったのでしょう。一種の自然災害です。なんとも気分は悪いですけどね。やっぱり別の方法はあるだろうと思います。  お口直しに、ストーリー上うれしかったことを挙げますに、サブキャラたちとのからみでした。特に茶道部の先輩たちは、これまで別の女の子たちと恋をするたびにコタツを運ばされてきましたが(避けられない強制イベント)、梨穂子との恋を通じて親しみをおぼえることができたので、今後もこころよくコタツを運び続けることができそうです。ええ、何度でも運んでやりますよ。テキストはスキップするけどな!  ではでは次はついに真打。恋愛対象ド真ん中である棚町薫さんとの恋に耽溺してみたいと思います。今度ばかりは私もおちんちんを取り外した上でプレイしたほうがよいかもしれません。
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konticamba-blog · 8 years ago
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大英自然史博物館展
たしか小学校の推薦図書の割引販売みたいなので買ってもらった『しそちょうはとんだ』という絵本。博物館で始祖鳥の化石を見ている少年の前に、始祖鳥の霊体みたいなのが出現し、饒舌に語りだし、いかに進化して空を飛べるまでになったかという偉大な種族の歴史をほこらしげに語るも、いかに自分が底なし沼に落ちてもがき苦しんで死んだかというごく個人的な恨み言に終わる内容で、ようするに古典的な怪談でしたが、私はこれが大好きで何度も読み返しておりました。そして当時は、自分自身が、遠く英国ロンドンにあるこの化石の前に立つことなど一生ないかもしれないと思っていました。  が、しかし、イギリスに行く機会はなくても長生きはしてみるもんで、かのイワクつき化石物件が来日し、国立科学博物館「大英自然史博物館展」で展示されたのです。あれから始祖鳥周辺にもいろいろあって、彼は鳥類の「直接の」祖先ではないということになってるみたいですけども、古い友人に再会するような気分で5月31日、蒸し暑くも涼やかな風吹き抜ける上野の山へと参った次第でございます。
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 みんな大好き始祖鳥を大目玉とするものの、展覧会のテーマはあくまでもロンドンの大英自然史博物館という施設そのものであって、博物館の歴史や関係者たちにスポットが当たっていました。ゆえに展示品は多種多様で、恐竜の化石から絶滅哺乳類、鉱物、探検家たちが集めてきた現生の鳥や虫の標本などなど、まさに博物学の分野全般にわたるものでした。恐竜の全身骨格は始祖鳥しかなく、恐竜ファンのちびっ子が行っても大してよろこばなさそうな展覧会でした。  私とて恐竜ファンの大きなちびっ子にすぎませんが、学研ひみつシリーズ『恐竜化石のひみつ』をむさぼり読んで、研究者や化石ハンターたちにあこがれていたコアなファンちびっ子であったため、ギデオン・マンテルが(正確には奥さんが)発見したイグアノドンの歯の化石(太古の絶滅爬虫類のものだと鑑定されたという意味で世界最初の恐竜化石)とか、奇跡の化石少女メアリー・アニングが発見した魚竜の全身化石などが見れて大いに興奮させられました。解剖学の偉人でありながらすこぶる性格が悪いことで有名な「恐竜」の命名者リチャード・オーウェンや、彼がマンテルと同様に敵視しイジメ抜いたチャールズ・ダーウィンに関連する標本も多く、まさにイギリスが自然科学のトップリーダーだった時代の偉大な遺物が大集合といったかんじ。博物学的な「モノ」よりも歴史的な「コト」に重点が置かれているようで、まあとにかく非常にマニアックな展覧会でした。  あらためて実感させられたのは、イギリスって昔はスゴかったね、昔はね、ということです。ヨーロッパ全体で見ればマシなほうとはいえ、二度の世界大戦によって、いまや日本ごときにも遅れを取るほど没落してしまったが、七つの海を支配した大英帝国の威光は、とりわけこのようなサイエンスの歴史において不朽であり続けるでしょう。大英博物館ほどではないにしろ、これら自然史博物館のすばらしい蒐集物の背後には、略奪や虐殺といった帝国の悪行が少なからずあるわけですが、まあそれも含めてイギリスって昔はスゴかったね、という話ですな。昔はね、昔だからしょうがないよ。
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 それはさておき始祖鳥です。絵本で見たのと同じ、石板レ��ーフ状の始祖鳥化石がそこにふたつならんでいました。そうそうこれこれ!という感動はありましたが、なるほどこんなかんじか、といった風で、格別にテンションが上がるほどではなかったのが、われながら意外でした。まさしく古い友人に再会したようなもので、変わりないようで安心したのだと思います。さぞかし人だかりができてるだろうと予想してましたが、あまり足を止める人がなかったので、みんな同じ『しそちょうはとんだ』読者の気持ちなのか、たんに見ても意外とうっすらしててピンとこないかんじであったからなのか。ともあれ、死ぬ前に実物を見れてよかったです。
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 それよりも個人的に爆上げであったのが、オオナマケモノの全身骨格。メガテリウムではなくグロッソテリウムなので、体はさほど大きくありませんが、どこを取ってもデテールがおもしろく、じろじろじろじろと始祖鳥以上にかぶりついてしまったものです。やたらドッシリした巨大な骨盤や、きしめんのように扁平で鎧と化している肋骨など、元もと好きな動物ではありましたが、骨格を通して秘密を間近にのぞき見たことで、より好きになりました。特に前足の爪は、なるほどマピンガリの正体とされるわけだ、と納得できました。
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 マピンガリとは、南米アマゾンに生息すると言われる未確認動物です。大きくて毛むくじゃらで二本足で立つ雪男のような獣人系UMAのフォルムですが、両手に巨大で鋭い爪があり、それで人間の首を刈り取り、その死体の切断面から灰色のなにか、たましいみたいなものをチュウチュウ吸い出すという、ウイダーinゼリーかクーリッシュ感覚で人を殺してなにか栄養のありそうなものを吸引するという、たいそうイカした怪物です。この正体がオオナマケモノの生き残りだと言われることがあります。実際に南米では人類とオオナマケモノが共存していた時期があるので、その記憶が残っているのかもしれません。  こんな立派なオオナマケモノ標本を前にすれば、ケースに顔を張りつけて各パーツをくわしく検分し、最終的にマピンガリにまで思いをはせるのが至極当然なのに、ここは始祖鳥以上に人びとの足が止まりませんでした。え? これがナマケモノなの? こんな大きいナマケモノがいたんだー、へー、などと、堕落した怠惰な小ナマケモノどもと大きさのちがいだけを驚いて満足している。現生の連中がのろのろしているせいで「ナマケモノ」などと命名されたことは、わが愛するオオナマケモノたちに対して不当な風評被害だと言わねばならない。せめて現生連中がもう少しシャキッとして、「ハタラキモノ」とは言わずとも「ブラサガリモノ」くらいのネーミングであったらば、オオブラサガリモノたちの名���は毀損されないのだが、しかしその不当な風評こみこみでオオナマケモノの魅力になっているという事実もみとめざるをえません。
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 ほか全身骨格としては、サーベルタイガーやニュージーランドの絶滅巨鳥モア、剥製ではタスマニアタイガーやリョコウバト、ニホンアシカ、模型ながらドードーやオオウミガラスといった絶滅動物たちのお姿がおがめてとても眼福でございました。
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 かなり満足な展覧会でしたが、どうにもこうにも不満なのは、物販コーナーにオオナマケモノのグッズがひとつもなかったことです。私は展覧会では、印象に残った展示物の絵葉書を買って帰るのを恒��にしているのですが、絵葉書すらなかった。あれほど足が止まらない始祖鳥のグッズは山ほどあるのに……いや、それを言ったらオオナマケモノも同様ですけども、ひとつもないというのはヤリスギじゃないか。差別じゃないか。と憤慨しつつ、始祖鳥の瓦せんべいがあり、「こんなのいらないよー!」と若い女性二人組が嘲笑するのに即応してこれ見よがしにゲットしたりしました。ちゃんとした老舗菓子屋とのコラボ商品だそうで、味は普通においしかったです。
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 なにはともあれ、全般的にすばらしい展でございました。おかげさまでもう一生、わざわざロンドンに行く必要はないでしょう。いや、本物の大英自然史博物館も行ってみたいですけどね。特に恐竜はほとんど来てなかったわけですし。あいつらまだまだスゲエもんをいっぱい隠し持ってやがるかんな。
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konticamba-blog · 8 years ago
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【アマガミ】謎の絢辻迷宮
『アマガミ』第三の刺客としてわが恋道に相対したるは絢辻さん。人間的にもゲーム的にも難度の高い強恋でしたが、アコガレからスキBESTエンド、さらにシリアイからナカヨシエンドを達成して、ひととおりは謎の絢辻迷宮を踏破できたかと思われます。おかげさまで私の恋強度もだいぶレベルアップしたはずで、もう橋幸夫ばりの流し目でもってあらゆる年代の橋幸夫ファンの女のコたちを落とせることでしょう。  「仮面優等生」という公式ニックネームから、裏表があることは覚悟していましたけども、実際��絢辻さんは、初期のラーメンばあおよびガムラツイストのレスラー軍団シールではなく、後期のストーリーに凝り出してのちのレスラー軍団シールであった、というのが、このあまりにもわかりにくい例えでは伝えきれないほどの、うれしい驚きでした。シールは2枚ではなく3枚だったのです。  絢辻さんという人物、いや、絢辻界とでも呼ぶべきひとつの世界には、3つの様相がありました。それぞれ、以下のように分類できるでしょう。
真絢辻【シン・アヤツジ】  守護神はブラフマー。読書中や情緒不安定のとき(=無意識)に発現する原初の絢辻さん。純粋無垢ゆえに空虚で孤独。絢辻さんとの恋はこの真絢辻に到達することでまっとうされる。
偽悪絢辻【ギ・アク・アヤツジ】  守護神はシヴァ。真絢辻がみずからを守るために生み出した「裏」の絢辻さん。真絢辻とは正反対の性質。真絢辻が安心して暮らせる世界を目指すという野心に燃えている。原則的に、特定の人間に対する愛情表現は偽悪絢辻でしかおこなうことができず、ゆえにドSであり、われわれプレイヤーにとってのごほうびをさずけてくださるので、もっとも尊いご存在である。
偽善絢辻【ギ・ゼン・アヤツジ】  守護神はヴィシュヌ。偽悪絢辻がみずからの野望のために生み出した「表」の絢辻さん。八方美人の優等生。偽悪絢辻および真絢辻の存在を隠しつつ、偽悪絢辻の意志によって行動する。
 絢辻さんとの恋は、偽善絢辻界から始まるわけですが、かなり初期の段階から、読書中の絢辻さんが別人のように見えたと、真絢辻の存在を看破していた主人公はスゴイです。というか、この主人公ほんとすげえなと感心させられる絢辻編ではありました。いつも肝心なところで空ばかり見てる唐変木めとイラついてすみませんでした。  いや、明らかに稀代の唐変木ではあり、それゆえに絢辻さんも観念して心をゆるし、真絢辻を解放するところまで行けたのでしょう。都会のインテリよりも田舎の無学な漁師のほうが仁を心得ているというようなことを孔子かだれかが言っていたけども、この空ばかり見てるかわいそうな少年にも聖人の気風がそなわっているのだろう。偽悪絢辻さんにどんなに邪険にされてもかまわず「絢辻さん!」(私の脳内では「あっやつ~じさん!」と挑発的に発音され続けた)とご陽気に突貫してゆくさまは、蛮勇も勇なりとみとめざるをえませんでした。  不肖小生めは、SかMかで言ったらMであり、SかNかで言ってもMであり、つまり比較の要なくMなので、当然、偽悪絢辻に魅了された次第です。「今朝なに食べた?」との唐変木の質問に「赤頭巾ちゃん」と即答できる絢辻さんは天才的にかわいいサディストですね。しかし一方で、偽善絢辻も、M的観点から一周まわったかんじで大いにアリ。いわゆる「丁寧語で罵倒」とは別次元のなにか得体の知れない恐怖が、あの鳥山明が描きそうな無邪気なドングリまなこから覗き出ていて心地よい。残念ながらスキルートでは偽善絢辻が殺されてしまいますが、ナカヨシルートでは生存していて、会話イベントが周囲に人がいるかどうかで切り替わるという手の込みよう。偽善と偽悪をリバーシブルに楽しめるツクリに制作者のこだわりというか変態ぶりがうかがえて、じつに頼もしいゲームだと感服しました。  くわえて感心させられるのは声優さんの演技です。偽善絢辻も偽悪絢辻もわざとらしく演じられている。当初は両者の声のトーンの変化が気に入らなかったのですが、真絢辻の発現で初めて自然体に触れて、おのれの浅はかを戒心したものでした。ジブリがきらうように、プロの声優さんの演じ分けの器用さというのは、ときに鼻について不自然でありますが、そうした要素をあえて誇張させることで、真絢辻を発見したときのよろこびを強めている。偽善と偽悪の不自然な落差、そして偽と真の自然な落差。これはすごい仕事だなあと思いました。  しかしながら物語的にはひっかかるものが残されました。アコガレ~スキルートを終えたあと、家庭に居場所がないと感じる理由に、強烈なシスターコンプレックスの存在が示唆されたままでしたので、予定外のシリアイ~ナカヨシルートもやってみたのですが、けっきょく具体的な追及はなかった。スキルートで絢辻さんから唐突に語られた『ウサギとカメ』の寓話(原作・イソップ、翻案・絢辻詞)のウサギが姉なんだろうなといった理解しかおよびません。  そしてスキルート最大の謎が、遊園地デートで目撃される超常現象です。オバケ屋敷みたいなところで絢辻さんが幼児に化身し、主人公はカエルになる。明らかにパラノーマルなのだが、当人たちにはそういうアトラクションとして了解されてしまう。おそらく全プレイヤーと同様に、なんだこれ、と戸惑ったわけですが、とても恐ろしい想像が成り立つ。このスキルートは、主人公の存在もふくめて、真絢辻さんの空想上の世界なのではないかと。主人公がカエルの姿で壁にたたきつけられるのは、彼を王子さまに擬しているからにほかならず(原作・グリム兄弟)、孤独の城に囚われた姫たる自分を救い出してほしいという悲願の象徴です。この壮大な綾辻寓話の語り部は、幼女の絢辻さんである可能性すらあるかもしれません。  かくも悲しく深い闇の疑惑にかられるので、個人的にはナカヨシルートのほうがよかったです。偽善絢辻が生存しますし、エンディングとエピローグも現実的でハートフルでした。真絢辻が解放されないので未完感は残されますが、とりあえずMな人にはアコガレからナカヨシに行くのが至高でありましょう。Sな人はそもそもぼくらの絢辻さんに近づかないでください。もっとも、これはイベント達成度80%での評価ですから、残り20%にスキルートをフォローアップするものがあるかもしれませんし、他のキャラクターの物語で補強される可能性もありますね。  以上、謎の多き絢辻さんとのハイ難度な恋を大いに満喫させていただきました。次は大本命の棚町さんと行きたいところですが、森島、七咲、絢辻と、翻弄してくる女子どもに翻弄されっぱなしだったので、いったんユルイところを攻めたいかなあとも考え中。桜井さんが適任ですが、ぽわぽわした女性があまり好きでないし、しゃべりがゆっくりしてるのはさらに苦手であるし……いや、このゲームの人物造形はそんな単純じゃないだろう。ましてや私ぐらいのベテラン独身男は、どんなタイプの女性も愛でることができなければ、男として存在する価値がない。とまで大悟して桜井さんとの恋に自己の存亡を賭けてみようか。
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konticamba-blog · 8 years ago
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【アマガミ】七咲は徳が高い
不惑を過ぎて初めての『アマガミ』に惑わされるという新しい趣味の活動は、ついに第二の恋的(恋の標的)である後輩・七咲のスキBESTエンドの達成に至りました。  なかなかさわやかな恋でよかったです。前恋的の森島先輩との恋は、フェティッシュな行為にドキドキさせられてそれはそれで幸福でしたけども、ドラマらしいドラマがなく、死んだ犬に似てること以上に恋される心あたりがないかんじでしたが、七咲との恋には野犬に襲われかかるという事件があったので……いや、それでもまあ、大したことではないですが、高校生の恋なんてそんなもんですね。箸が転がっても恋しちゃうお年頃ですから、犬に似てるだけでも充分に大恋愛の理由になります。  わが共学の高校時代、女子が圧倒的に多い吹奏楽部にいたので、数十人ものリアルJKたちから日常的にセンパイセンパイと呼ばれていたわけですが、そのあまたのセンパイコールのなかに、『アマガミ』の七咲が発音するセンパイほど心くすぐられるセンパイはありませんでした。これは話者の人格とか、外観における二次元美少女と三次元普通女との解剖学レベルでの格差とかは関係なく、発音が言葉におよぼす影響の話であり、そもそもプロの声優さんの演技と比較すんなという話ではあります。  七咲が発するセンパイは、抑揚なく速い。この発音が「先輩」という言葉に本来こめられるべき敬意をあえて損なわせている。それが彼女の最大の個性である「小生意気さ」をたくみに演出していました。  小生意気な人物をえがくにあたり、言葉や行動だけではおそらく単なる「生意気」との線引きがむずかしい。けっきょく、いわゆる「ツンデレ」のような極端な振幅をもちいて生意気の印象を固定させないことで、小生意気レベルに見せるのが比較的イージーな方法でしょう。しかしツンデレは、言ってしまえば情緒不安定であって、���アリティをもって許容されるのは人物がせいぜい中学生までだという制約があります。  実際には、七咲の言動には単なる生意気にすぎないものが多々ありますが、七咲流発音術によるセンパイによって、極端なツンデレ表現に走らずに済んでいると考えられます。この発音の「小生意気さ」の印象が強いために、言動の生意気さをも小生意気さが包含してしまう。小が大に勝利しているのです。ただし、彼女のセンパイが生意気ではなく小生意気に聞こえるかどうかは、言い方ひとつにいちいち目くじらを立てないという、こちら側の姿勢も必要になってくるので、人によっては通用しないかもしれません。  よりおもしろいのは、七咲流センパイ発音は、苗字をつけて「佐藤先輩」などになると成立しないという点です。名前まで抑揚をつけないわけにはゆかないので、「山田」や「鈴木」など一部の姓を除き、どうしてもごく普通のセンパイ発音になってしまうでしょう。そして彼女が音声として発するすべてのセンパイに苗字が付属しないのは、現実的には不自然であって、あくまでもゲームの仕様上の都合なわけです。仕様上の難点を逆手に取ってのセンパイだというのが、おもしろいというかスゴイと言わねばなりません。  このゲームの公式なキャラクター人気投票では、七咲が一等であったそうです。 http://otanews.livedoor.biz/archives/51551705.html  いい歳してビデオゲームに熱中しているような、われわれ永遠のファミっ子にとって、七咲はたしかに理想的な存在でしょう。真剣にスポーツに打ち込む体育会系女子であるにも関わらず、われわれ文化系というか帰宅系の男子特有のキモイ言動に対して、小生意気というオブラートに包みながら非常に寛容な対応をしてくださる。スクールカースト上、体育会系女子と帰宅系男子のあいだには、人権団体が国連に持ち込んでも是正されないほどの社会的差別があるわけですが、聖七咲は、小生意気すなわち好意的軽蔑をもって受け入れてくださいます。その聖女のふるまいを虚構ゆえの奇蹟とはさせないために、「年の離れた弟がいる」という現実的な設定を配備するのも見事と言うほかない。「年上なのに弟みたいなセンパイ」として受容されたればこそ、野犬を追っ払ったくらいで大いに見直されもするのでしょう。ええ、ナメられてるんですわ完全に。でも普通は、帰宅系男子なんてナメてさえくれないからね。七咲は徳が高い。  とまあそんなわけで、小生意気な後輩とのさわやかな恋をたんのうさせていただいた次第でございます。次なる恋的は、おすすめいただいた同輩の絢辻さんとの恋に恋したいと思います。こちらはなにやら不穏な気配であり、さわやかではなさそうですが、不惑上等、ファッキン孔子、という徳のド低い不良中年マインドでもって大いにグラグラ惑わされる所存であります。草々。
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