larix-larix
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挽歌
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larix-larix · 3 months ago
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死ぬまでにあと何回、愛猫の命日を迎えるのだろう。一昨日で3回目。明日は別の、生まれた時から一緒だった猫の命日。もう18回目になるか。こうして遠い記憶になってしまうのだろうか。……遠い記憶にしてしまったのか。
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larix-larix · 5 months ago
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私は正直者が馬鹿を見るのがこの世で一番嫌いだ。だから、「(殺してもいい理由は一つも無いが)殺されるだけの理由はある」といった論調はどうしても看過できない。もしそうやって致し方ないとするなら、己を苦しめる相手に決して刃を向けることなく、堪え忍び続けている人の善性はいつ報われるというのだ。
そもそも、殺意を実行に移すに見合う理由が存在することを認めてしまってもいいのか?己は誰からも殺意を抱かれていない、清い人間だという確信を持てる人は果たして居るのか?
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larix-larix · 5 months ago
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私はすっと死ねずに、ずるずると苦しみながら、己の意に反する程度には歳を重ねることになるのだろうと、ずっと身構えてきたが、私の勘ないし見通しは当てにならないことを忘れていた。
きっと、このままやりたいこともやりきれずに想いも告げきれずに愛し尽くせないまま、それでもそれをやろうとしたことに謎の納得をして、若いうちに死ぬかもしれない。そんな予感が、最近特にある。
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larix-larix · 7 months ago
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言語化された経験は共通記号になってしまうから、ついあの人も同じ思いをしたのだと誤解しそうになる。精神を病み、誰も助けてはくれないと悟った時の、あの人の痛みはいったいどれほどのものだったろう。同じ結論に至り深い諦念を抱えていても、否、だからこそ、あの人の思いは量り知れない。
人生は孤独だ。どれだけ大切に想う人が居ても、その人の荷物は背負えない。だからこそ、あの人の経験や知見を尊重したい。無理に切り捨てなくていい。明るさと前進は絶対の正義ではないのだから。これは忌避すべき精神ではない。一度融けてしまった氷が元には戻らないのと同じように、治りはしないのだから。一生どうにか抱えて、向き合って生きるしかない。
それらを知っているからこそ、私はあの人の味方でいたい。己の無力は、大切な人の痛みを看過する理由にはならない。
どうかせめて、少しでも、傷つけられ、軽んじられ、追い詰められることがありませんように。
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larix-larix · 8 months ago
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私はあろうことか他者へ好意的感情を抱いてしまいました。これは私が最も唾棄し忌避していた感情です。実際、強烈に自覚した当初は自身の犯した過ちを認められず、潔白であろうと躍起になっていました。そのため、現在の心境表現としては、自分の感情をここ半年でようやく許容できるように���った、が的確かもしれません。
許容できるようになった理由は、己の重要度が下がったからというアホらしいまでに単純かつ相対的なものでしかありません。要は、己の愚かさよりも相手の平���無事が一番の気掛かりになっただけです。そのため、「私が」抱く好意に未だ気色の悪さを覚えていることに変わりはありませんし、このみっともない感情を他者へ向けるにあたり、いかに加害性を取り除いておけるかという課題が解消したわけでもありません。そもそも、この好意が結実せずともそれが直接の死因にはならないのですから、最初から抱かないに越したことはないとすら、今なお思っています。
それでも私は、あの日、あの人が自身の傷病歴を語るのを聞いて以来、居ても立ってもいられなくなりました。今後あの人が傷付き苦しみ病むことがあったとして、それに気付けぬまま知らない顔でのうのうと生きたくはありません。この我侭が赦されるなら、出来るだけ離れないでいたいです。何かあったときにあの人のために打てる手があるのなら打ちたいです。とにかく出来る限り、あの人の心身が尊重され、平穏無事でありますようにと思うのです。だから、私が居ることでそれが叶わないのなら速やかに離れる所存です。同様に、あの人に幸福を齎す人が現れるなら、悲しいけれども素敵なことだと思います。もしかしたら既に居るかもしれません。
最近は気付けばそんなことばかり考えています。大莫迦です。こんなに赤の他人の幸福を考えることになるとは思ってもみませんでした。執心は罪です。相手の門扉が開かれていないところに送り付ける感情ほど酷いものはありません。今はただ、私に割いてくれる時間と言葉を噛み締め、関係の存続に感謝するばかりです。それだけでも、奇跡のようなものです。あとは私が素直になるだけです。ここで言葉を捏ねくり回していないで、大切に想っていることを告げればそれで終わる話です。
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larix-larix · 8 months ago
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私がこの世とお別れしたら、真っ先に真っ直ぐに、あなたに会いに行くから。待たせてしまって本当にごめんなさい。
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larix-larix · 11 months ago
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私の代わりはたくさんいるのに、私の人生を代われる人はいないから、人生は孤独だ。たとえ誰かといても。
そうやって孤独に生き、孤独に死ぬのに、孤独は死因にならない。
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larix-larix · 1 year ago
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愛猫が病に殺されて、天に攫われて、今日で二年。
今日の昼、大叔母が亡くなった。愛猫と同じく、原因は腎臓。愛猫と同じく、脳や身体は丈夫そのものだった。
大叔母の容態を聞く度に、愛猫の最期と重なっていた。
愛猫は、あんなに若く元気だったのに。どれだけ苦しかっただろう。それをどれだけ耐えて、一秒でも長く生きようとしてくれたのだろう。
私たちは耐えさせることしかできなかった。たくさん愛してくれたのに、私は返しきれなかった。
一週間ほど前に見た夢で、私は知人からの一方的な判定に傷付き、黙って涙を流しながら帰路についた。
自宅の敷地へ入ると、少女の姿をした猫が両手を広げて真っ直ぐに駆け寄り、私を優しく抱きしめ頭を撫でてくれた。
あれはきっと、愛猫だったのかもしれない。私の中の、私の思う、愛猫だったのかもしれない。あんなふうに、絶えず愛をくれていたのだ。
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larix-larix · 1 year ago
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夢の中、夢みたいな場所を訪れた。それなのに、夢の中の自分ですら素直に夢を見られずに、夢のない発言をした。
そんな夢を見た自分が悲しい。
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larix-larix · 1 year ago
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「あなたに穿たれた」、「死ぬまで埋まらない心の穴」と生きるのが、「あなたのいない未来」だという、どうしようもない私の現実を、唄ってくれてありがとう。
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larix-larix · 2 years ago
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愛猫を撫でる夢を見た。夢でも愛猫は亡き存在だったが、生前の肉体を伴い私に会いに来てくれている、という内容だった。夢で私は、「いつまでこうして来てくれるんだろうね」と言っていた。そう言いつつも一緒に居られて幸せだった。
目が覚めた。現実は夢じゃなかった。
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larix-larix · 2 years ago
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天に攫われた愛猫のことを、思い返さない日は無い。しかし、頻度と強さは減衰してきた、ように思う。
母は言う。「思い出してしまうとつらいから」と。
そうして意図的に思い返さないようにしていれば、いよいよ記憶が薄れてしまうのではないか。もう既に「忘れられない」のではなくなってしまったからこそ、思い返すしかない思い出になっているというのに。
シュークリームを見ると、愛猫との記憶が強く蘇る。
急病に苛まれ朦朧とした様子の愛猫を見て、ブドウ糖をあげようと、買ってきたシュークリームのクリームをほんのわずか少しだけ――
普段なら喜んで舐めるそれも、あの時のあの子には苦しいだけだった。苦しませてしまった。
あの子が亡くなった日の昼、私は母と開封済のシュークリームを食べた。
何を思いながら食べていたかは、思い出せない。
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larix-larix · 2 years ago
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どうしてあの子の生命を攫った世界がこのまま続いているんだろう。
何を思い何をしても、あの子にできることはもう何一つ無い。
傷付けたことに傷付くな。しなかったことを悔やむな。出来たはずだと万能感に浸るな。悼めることに安心するな。自責し自罰して済むと思うな。お前は全部お前のことしか考えていない。そこにお前しかいない。気持ち悪い。
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larix-larix · 2 years ago
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私にとって暗い作品に触れることは、脚の痺れを誤魔化すために腕を強く抓るようなことだが、そうして鬱作品に浸かり己から逃避しても、逃避した己が重くのしかかり脚が痺れる。
この繰り返し。痺れたまま。
私からは逃げられない。
酒を飲んでも理性を手放せない。夢を見ていても自意識が煩い。
にもかかわらず、ふと「我に返る」ことがある。「私はこんな『私』でしかない」と、悄然とすることがある。これ以上どう正気になれと言うのか。
良い夢を見たい。
そういえば、以前見た夢は良かった。相変わらず理不尽���憤慨し恥辱に泣き、顔と声を涙で醜怪に歪めて不服を唱える、まるで自意識が自傷行為を見せつけてくるような夢だったが。
そこで私は男だった。男の友人のために奔走した。
己が現実の性と異なるだけで、これほどまでに「自分でない」感覚になれるとは思わなかった。何せ私は、己が雄でも雌でも私であることに変わりないと思っている――
と思い込んでいた。
どうやら、実際はそうではなく、私の自己像は性別にある程度依存しているらしい。
反吐が出る。認めたくない。
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larix-larix · 2 years ago
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最近思うのは、精神と肉体のこと。この両者の繋がりは古くから問題提起されてきたにもかかわらず、昨今は、肉体を軽んじ精神のみで解決できると夢を見ているような気がする。
生きようと意志する限り、魂が肉体から離れられることはまず無いだろうに。肉体が付いて回る以上、精神の面だけで強行突破するのは、土台無理な話なのだ――「だからこそ苦しい」という話ではないのか?
例えば、川水も湖水も飲料水も水道水も花瓶の水も総て水だが、場や器といった要素で区別されている。だから、たとえ同じ水を注いでいても、コップの水と花瓶の水では異なるのだ。
その一事実から目を背け、「無害だから同じ飲料水として扱え」と主張するのは結構だ。きっとそう言うからには、尿瓶に入った飲料水でも一切の躊躇無く口にできるのだろう、と思う。
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larix-larix · 2 years ago
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私が死ねば、愛猫との記憶は無くなるのだと思ったら、怖くなった自分に驚く。
私が居た事実は、私の死後も残る。私の事はそれでいいし、残らないならその方が良い。しかし愛猫のそれは、そうであってはならない。事実だけでは足りない。主観的なことも含め、いつまでも、大切に持っていたい。
こんなどうにもならないことを考えるくらいなら、早めに死んだ方が良いのかもしれない、と考える自分は早く死んだ方が良い。
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larix-larix · 2 years ago
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あれほど嫌厭していた今日という日は、他の日と同じように、何ら変わりなく訪れた。
一年前の今日の午前三時、愛猫――黒糖は天に攫われた。その5日ほど前までは、私を目がけて駆け寄り、膝へ飛び乗って甘えてきていたのに。新しい玩具にも元気にじゃれていたのに。にもかかわらず、一年前の今日の午後には、亡骸を燃やしてもらった。
腎臓が原因だった。上手く働かなくなってしまった。排泄できなくなり、尿と点滴で膨れた腹以外はどこも元気で、衰えていなかった。それが悔しい。あの子は生きる気力と体力に溢れていたのに。
あの子の苦しみ、つらさを何としてでも取り除きたくて、出来るだけのことを、その当時なり���した、つもりだが、結果としては一切何も出来なかった。
謝りたい。治せなかった。苦しいまま、若くで、お別れさせてしまった。
もっと一緒に居たかった。せめて平均寿命まで――あと倍の年は一緒に居たかった。年老いたあなたのそばに居たかった。
生きているうちに、受けた恩を返したかった。返すべきだった。
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