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大学4年生のNHKの採用面接時、 「Gleeみたいに、どうして日本のテレビは「ベッキー」役がいないんですか?出ないんですか?」と聞いた。
そのことを、先週、企画会議中にふと思い出した。
自分の人生の底に近かった浪人時代、「Glee」に出会った。 Gleeは、アカペラ部を舞台に繰り広げられる学園ドラマ。 多分、2011年ぐらいからあると思われる。 Gleeを知ったきっかけは姉が買ってきたEnglish Journalみたいな英語雑誌。 英語学習をするポップな雑誌で「英語を学べる海外のドラマ特集」に取り上げられていた。 当時、Netflixなんぞものをはなく、滋賀の片田舎の高校生に気軽によれるTSTUTAYAなんてなく、屋根裏部屋に一緒に住む姉のパソコンから、受験勉強の合間、夜中こっそり違法サイトを探し当てて、「Glee」をかぶりつくように見ていた。 Gleeは、多分、自分の思想を構成する最も強力なコンテンツのひとつだと思う。(そのほかにあるとしたら、小学1年生のときに本のおもしろさに出会った「かいけつゾロリ」が確実ノミネート笑)
Gleeでは、夢、友情、恋とか、よくある学校生活の共に、セックス、障害、宗教、LGBTQ、人種、学ぶことすべてがつまっていた。 当時の私にとっては、ストーリーの中に、抜群にかっこよく編曲された洋楽に新旧問わず出会えて、「とりあえず、最高!」って感じ。 滋賀の田んぼのあぜ道を歩きながら、カバーされた「Empire state of mind」をよく流して、予備校に通い、1年の浪人の結果、無事に大学入学。 アカペラ部に入りたかったけど、新歓で来てたキラキラ女子大生に気後れして入らず...それでも、留学生ばかりの寮に偶然入れた時は小躍りしたし、留学生とクラブに行ったり、最高だった。 そうこうして大学4年生になって就活した時、NHKの採用試験を受けた。 1次面接で、エンタメ系のプロデューサーに「好きなテレビは?」と聞かれる。 ミーハーではなく、大学4年間はテレビが部屋にない生活(こんなんで受けるんだから、怖いもの知らず)で、そんなに好きと言えるものはないし、変に答えてボロが出るぐらいなら...と思い、 NHKで作ってないけど当時一応放送していたから、「Gleeです」と答える。 その時、なにを言ったのか詳しく覚えていない。 でも、「”ベッキー”が出ているのがすごいと思います、日本のテレビでは見たことないです」と言ったことは強く覚えている。 ベッキーとは、Gleeの中で出てくるダウン症の女の子。彼女が時にいたずらに、時にまっすぐにGlee部の生徒にけしかけていく様はコミカルで、ユーモラス。役者もダウン症の役者を起用している。 Gleeでは別に彼女が特別フィーチャーされるわけでもなく、脇役的に出てくる。あくまで、ほかの登場人物と同じ「One of them」として。リアルに当事者が演じる。 時は、2021年2月。 マイノリティの番組に配属されて、もうちょっとで半年。 今の番組は、かれこれ10年前からはじまっているらしく、 最近、マイノリティとかダイバーシティーとかにむけて、なにをこれから変わっていくべきなのか、テレビはどうあるべきか、よく考える。 マイノリティの番組に特化した、今の番組形態でいいのかと。 テレビ自体でもっとインクルーシブに、One of themとしてどうして作れないのかと。パラリンピック特集の時だけ、24時間テレビの時だけ、福祉・人権番組の時だけ出てくるってどうしてだろう。 次の10年を見せていくお手本となるような番組って作っていくべきなんじゃないかと... とはいえ、まだ半年しかやっていない若手ディレクターの私は、なにもわかってないのかもしれない。 アメリカがいいってわけじゃないけど、同じ「多様性」を扱う番組として、Gleeも2012年ぐらいにスタートしてるはずだから、私の所属する番組と同じ10年を歩んでいるはず。 Gleeにみたいに、なんで私たちはなれないんだろう? 日本のテレビはなれないんだろうか? ちなみに、学部4年の時の上記の面接の結果は、 多分別のところに原因はあるだろうけど、「不採用」。 でも、大学院での就活2回目で再挑戦して、 不思議なことに今の番組にいて、今そんなことを考えている。不思議。
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先週末、インスタ見てたらこのCMに心奪われた。すごくいい。 映像自体もかっこいいし、メッセージもいい。 「そんなの待ってられないっしょ」って、ところも好き。 数時間後、Facebookの複数の友達がタイムラインで話題にしてたし、いろんな子から、このCMやばいねってリンク送られてきた。 日が経てば経つほど、めっちゃずっしりきている。 多分、その理由は、 この2ヶ月制作している番組が、「彼ら・彼女ら」のことだから。
顔濃すぎて話しかけづらいイケメンパキスタン男子高生Zは、自分がイスラム教だから、クラスメイトにテロとか悪いイメージ持たれてると不安に思ってた。 見た目はちょっとこわめだけど、スーパー真面目な日系ペルー男子高生Dは、 「自分の家(=日本)にいるのに、突然知らないおじさんが入ってきて、怒鳴られ、『さっさと帰れや!』って言われる感じなんです。自分の家やのに」って寂しそうに言った。 コロナで大変な実家のカレー屋さんをめっちゃ手伝ってるネパールの男子高生Sは、音楽を通じて、外見の壁も超えて、「だれしも分かり合えることはあるし、あったかいところがあるってこと伝えたいねん」って頑張ってた。
外見の違い、言葉の違い、文化の違い、いままでの経験を聞けば聞くほど、 彼ら・彼女らが過ごしやすくなれるように、 ちょっとでも自分のできることはないのか、と思う。 一方で、日本で生まれ、日本でのうのうと生きている自分が、無意識に彼ら・彼女らを傷つけていることがあるのが怖い。 「日本人で僕らと立場が違うから、結局日本人っぽい発想のそういう番組になるんですよね」と直接、企画を批判もされた。 あと、このCMに対して否定的な意見がめちゃめちゃ多いのも怖い。 自分がこの番組を出したら、どんな反応がくるんやろう。 過去に自分の作った番組は2度Twitterで炎上した。めちゃくちゃ辛かった。 彼ら・彼女らに、辛い思いをさせることだけはなんとしても避けたい。 本当に私は彼ら・彼女らの声を、だれかに届けられるのか。 年明け放送に向けて、とりあえず、負けないように、折れないように。 You can’t stop me.
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2020年10月1日、夜20時。 心斎橋のスタバには若者たちがそれぞれに時間を過ごしている。 勉強するサラリーマン、楽しそうに話す男女たち、一人本を読む女子大生。 大阪に来て3週間が経った。 新しい番組テーマは、マイノリティーのためのバラエティ。 正直、配属を聞いたときは、「え。荷重。。。」と思った。 私の人生の中で、「マイノリティ」「差別された」と思うことはない。 滋賀の田舎に生まれたものの、身長も大きく、成績もそこそこ優秀、スポーツもそこそできた。 家は貧乏で、高校から奨学金パレードだったけど、それでも大学に行って、大学院にも行って、大手企業に就職して、先日まで東京ライフを謳歌した。
多分、ほぼ大きな失敗したことはない。
失敗するのはめちゃくちゃ怖い。 失敗しそうなら、なにがなんでも努力しなければならない。 周りの、自分の中の、「田中さん像」「ゆいちゃん像」を崩さないように、用意周到に表面でかっこつけて、裏でその乖離に苦しみながらでも、ちょっとでもよいものを、ちょっとでもよくありたいと思い、なんとか生きてきた。
だから、小学生の時に、普通に一緒に遊んでる友達がある時間は別室で遊んでるように見えるのは、なんか「ずるい」って思った。 中学生の時に、掛け算につまづいているクラスメイトに呆れた顔をした。 なんで、「努力」しないんだって。 そうやって築いたもので、そうやって進んだ先は、同じような考え方を持つ人達で構成される世界にずっといた。 だから、障害者はけっこう苦手だった。 進んで関わろうとしてこなかった。 関わらなければ、考えなくてもいいし、感情を持たなくて済む。 つまりは、同じ集団の中にいると、自分にとっては、「いない」人だった。 今日、はじめて障害のある方々と話した。 先天的な病気で骨が育ちににくくて、ずっと車いすの方など8人ぐらいと会った。 障害を理由に、親や施設職員の管理があって、自分の意志のもと普通の生活もできなかったけど、地域でそれぞれ自分らしく生きていくことを追究してはった。 まだ考えはまとまってないし、自分の感情の整理も答えも出てないけど、 言えることは、めちゃめちゃくずしんと構えてはって、心がすごく強かった。 生きづらいのは、「自分」であり、自分が築いていた「世界」なのかもしれない。
今日会った方々は、本当に違う世界で生きてはった。 これからはしばらくこういう世界を垣間見ること、考えることになるし、 なんなら、こういう分断された世界が交わる社会モデルを作ること、理想とかきれいごとで終わらせないように少しでも近づけることが、私の今の仕事。
10月はじめの金曜日の夜のスタバ。 ここにはまだ、電動車いすを巧みに操るおもろいおっちゃん、おねえちゃんはいない。 そんなことは、なんだかちょっと変で残念だなって思いながら、 マロンラテを飲む。
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7歳になった君。
11月の土曜日の昼下がり。都内にある庭園は「平和」に満ちている。 芝生の上で、若いお父さんに右手をひかれて一歩一歩と歩く、1歳ぐらいの男の子。その先には、満面の笑みで我が子をスマホで撮るお母さん。 男の子をみていると、20歳の夏に会った「あの子」を思い出した。 彼はめちゃくちゃかわいかった。 ごはんを口元に持っていくとハートを射抜く笑みで「あーん」に応えてくれる。 歯もないのにせんべいをばりばり食べる。 運動神経バツグンで、ジャングルジムを意気揚々と登っていく。
私が彼と出会ったのは、介護実習での乳児院。 彼はまだ1歳で、お兄ちゃんは2歳。 乳児院は、経済的な理由・虐待、その他いろんなことで育てられなくなった0~5歳の子供たちが「生活する」場所。私が帰宅したあとも、介護実習する前も、した後も...24時間365日そこで暮らしていた。 彼らがなぜ預けられているのか一女子大生には伝えられなかった。 他の子どもが預けられた理由を盗み聞きした時は、バリキャリだったけど、仕事の不安定さ故に子どもを手放した人がいることを知った。 ...こんなに可愛い子なのに、そんなことあるんだ...
大学生当時、「子どもなんて自分の人生の邪魔になる」と思っていた。 貧乏ながら苦労して高校に行き、奨学金という借金で大学に行ったからには、なんとしてもお金を稼いで、仕事をバリバリするぞ...産休・育休でキャリアパスは大きく変わるし、「将来お嫁さんになるのとかウケる笑」という、バリキャリ思考っぷり。
だからこそ、乳児院での1週間はあらゆる点で衝撃的だった。
子育てでしんどいことは本質的になにか?
前回のブログにも記述した通り、現在、仕事で、「子育てのしんどさ」そして、「虐待」をテーマにした番組チームに所属している。昨日も、エアガンで1歳の息子を撃つ虐待が行われていたニュースが報じられた。 毎日、「育児ノイローゼ」や「虐待」の記事・書籍・マンガを読み、いっぱいいっぱいのお母さんたちの話を電話で聞く。 乳児院での経験では見えなかった話を聞いた。 まず、一番の感想は、人が育つのって、当たり前じゃないんだってこと。 夜泣きよる睡眠不足や、だっこによる腰痛とかの肉体的しんどさに加えて、一番の協力者であってほしい夫に頼れずに孤独を極めていく。 協力できない夫も夫で、長時間労働で毎日疲弊してるのも事実。相談を受ける余裕もなく、育児に関われないが故に子どもに懐かれず、妻からは非難され、家庭での自己肯定感を養われずに夫婦は平行線へ...ということもよく聞く。 こうして仕事でずっと考えていると、女性自身の闇もけっこう深いと知った。 女性本人が仕事>家庭と言った価値観が形成されていることがけっこうきつい。 私の友人の多くは、大学(大学院)へ行き、企業に就職し、30代ぐらいまで働いてキャリアをある程度積み上げてから、結婚に子育て、そして復帰すること!という考えを持つ。育児なんてだれでもできる、家事なんてだれでもできる...当然のようにだれでも、家事も育児もできるもの... 「女子にも学歴を、仕事を、男性と同等に!」とか言われて育った現代の世代だからこそ、育児ノイローゼにもなりやすいという論文も見かけた。
人生にどうやったら満足できるようになるんだろうと、 いろんな人の、いい話も悪い話も聞きながら(主に悪いことばかりだけど)、 取材を超えて、自分の生き方を突きつけられる。 最近、自分の両親の仲が、すごぶるいい時と悪い時が激しい。 その度にふりまわされる、私と姉。 自分のプライベートもこの半年あまり、荒れていると言わざるを得ない。
パートナーができた、結婚した、子どもができたということを、幸せのマイルストーンに思い込みがちだけど、その後の方が壮絶。 庭園に戻ると、秋の日差しの中で同じような服装をした老夫婦がゆったりと歩いている。 家族ってなんだろう。
乳児院で会った彼はもう7歳。元気に小学校通えているのかな。
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目の前の席に座わる人の名前は?-What is “his” name in a cafe?...-
目の前に座る彼になにを面白いと思うんだろう?彼はどんな人生を過ごしてきたんだろうか。過ごすんだろうか。
1. 野外劇「吾輩は猫である」
東京芸術際に行ってきた。
国内外の話題作、国際共同制作や伝統芸能公演、野外 公演など舞台芸術の多様 な表現を一挙上演する池袋で数週間かけて行われるイベント。 去年の野外劇「三文オペラ」は大掛かりなセットでむっちゃ面白かったし、フランスからやってきた砂絵集団の演目は、人生で見た一番のパフォーマンスショーで涙が出た。
今年も大きな期待を持って、野外劇「吾輩は猫である」を見てきた。当日抽選券なのに、前から2番目という奇跡。客席と舞台がめちゃくちゃ近くて、1メートルぐらい。 正直な感想を言うと、ストーリーはよく分からなった。 でも、それでもなかば強引的な、そして印象深い演出。1役を5人ぐらいの複数が演じる。しかも同時に。つまり、2役がステージ上で話していると、実際ステージ上には10人ぐらいいる。同じ名前、似たような服装なのに、性格、口調、身振り手振りは異なる。10役ぐらい×各役5~8人となって、全体では80人ぐらいの役者が出てくる。 その全員がコーラスをすると、それはそれなりに圧巻で、「東京にいれてよかったな~」としみじみと感じた笑 前述した通り、ストーリーは分からなかったけど、それでも、心に残ったセリフは、 「お前は何者だ」ってこと。 80人の役者��一人ずつ自分の名前を名乗るシーンがある。 男性は上裸にタオル姿、女性は制服。 みんな同じとみせかけて、そうすることで、 若い人から、お年寄りから、マッチョから、ガリガリの人が際立ち、それぞれ好きなものがあり、悩みがあり、夢があり、それぞれに家族がいて、積み上げてきた人生があって、ちょっとずつ違って...
2.小説「何者」と映画「Mr. Nobody」
あと、もうひとつ「個性が膨張してあふれすぎてしまっている」ってセリフが印象的だった。
そんなことを考えていると、二つの作品を思い出した。 一つは朝井リョウの「何者」。 就職活動を題材とした小説で、だれかになりたくて、だれかと区別をするために、だれでもないだれかと比較して、息苦しくなって生きていく大学生を表現した作品。 もう一つは、パラレルワールドみたいな感じで人生の選択とその可能性を取り上げた「Mr.Nobody」。 離婚した両親のどちらについていくか、彼女はだれにするのか... だれといることを選択しても、結局、楽しいこともあれば苦しいことがある。あらゆる可能性があって、それで人生が象られているということが印象的だった映画(3年前に観たからだいぶ忘れてるけど笑)。 要は、個々人の人生があって、その人生も無数の選択肢があるってこと。
3.私は何者?あなたは何者?
今の仕事のテーマは虐待。 パートナーもいない、結婚もしていない、子どももいないのに、毎日子育て本を読み漁り、顔も知らない相手の人生の深いところを聞き出すことが仕事。(つくづく変な仕事やわ...) 仕事しながら、今回は特に自分の「たられば」将来に少しぞっとする。 自分は一体どうなるんだ。 今、こうして渋谷のスタバで仕事の息抜きしていると、隣に座ったのは乳幼児を連れたカップル。このカップルにもまた人生があるわけで、 こういうことを考えていると少し怖い気持ちになる。 自分が27年間生きてきた間に、他の人には別の時間軸で別の出来事を経験しているわけで、じゃあ、そういう群衆の中にいる「私は、何者だ?」って。
カフェにいても、電車にいても、じっと人を観察していると気になっちゃう。 この人の名前はなんだろう?
裕子かな?望かな?顔的に薫はないな。
なにを面白いと思うんだろう。 初恋はどんな人だろうなんだろう。 今なにを考えているんだろう。
って、なんてね。今日は全然まとまってないなー。 If you are in a train or cafe and you can see a man, imagine what his name in a cafe and what he likes. This week I watched a play at “Tokyo festival”, which I can enjoy many performances and plays in the world. I watched a play, called “ I AM a Cat” (JAPAN). About 80 actors played and sung together at the play, but maybe there are only 10 roles. It means 1role played about 5 actors at the same time. Old, young, fat, muscle, tall, short, low voice, high voice, slow, fast... Everyone was different although they acted the same role. I remember one line. “Who am I...?” After I watched this play, I remember the movie “Mr. Nobobady”. In that movie, one old man remembers his life, but the life was totally strange. For example, he chose his wife three times. No matter who he chose, his life was sometimes happy but sometimes unhappy. There are so many choices in our life. I am made by what I chose. Through this, I think again, “Who am I...?” Nowadays, I often interview mothers for reporting child abuse. (In Japan, this topic is really a problem recently.) Sometimes I imagine how I am the next 20 years and I am scared somehow. Thinking about me, I am also interested in people, who I don’t know yet but I meet in my daily life. Each person has each life. Who is he? Who is she? What they like? What they dislike? https://tokyo-festival.jp/2019/wagahaihanekodearu/
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The song for Tokyo Olympics 2020-「パプリカ」はどうして応援ソングなのか?-
2013年9月8日。滝川クリステルさんの「おもてなし」プレゼンが流れるテレビを苦々しい気持ちで見たのをよく覚えている。 「オリンピックとかしてる場合ちゃうやろ。原発問題も解決してないし、会場設備のために区画整理で追われるホームレスはたくさんいるし、どうせ東京だけで地方民には関係ないし、やる必要ある?」って大学2年生だった私は思っていた。
1. なんのためのオリンピックなのか?
2017年10月、NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」で「オリンピック・パラリンピックのジレンマ」がテーマの放送があった。
東京オリンピックをやる意味は?っていうトークテーマで、古市憲寿さんや為末大さんらが話してた内容がけっこう考えさせられた。
・オリンピックは世界最大の商業イベント ・一方で、公共投資する社会のイベントとしても成り立つ。 例)ロンドンオリンピック...ロンドン東部の貧困地域を再生を盛り込んで、格差をなくす ・東京オリンピックのHPに書かれている3つのテーマ“全員が自己ベスト”、“多様性と調和”、“未来への継承”は課題となってないのでは?
あれから、性的マイノリティーの方の声が大きくなれて、外国人労働者も増えて、「多様性と調和」あたりが重要な社会課題になりそうなのかなと今は思うが、 現在、具体的になにかなされているか私はよく知らない。 オリンピックをする意味ってなんなんだろう?
2.Tokyo2020全力投球の就職先
半年後の2018年春、就職。 入局式では「Tokyo2020は、かつてない超総力戦です!」と言われ、先輩の話では「オリンピック終わったら、多分この会社終わるんとちゃう」と揶揄されるぐらい気合いのいれよう。 歴史的な瞬間にメディア側にいれることは、おもしろいかなのスタンスに変わったものの、根本的にはオリンピックに未だ懐疑的。
2018年夏、仕事で子役たちにパプリカの振り付け指導の手伝いをした。 ちびっこのダンスはかわいいが、めちゃめちゃ盛り上がる訳でもない。 なんで、パプリカは東京五輪の応援ソングなんだろう?
3.オリンピックでなにができるのか?
今日、作曲者米津玄師さんのMV見た。 MV公開日は、8月9日。長崎に原子爆弾が落とされた日。 Youtubeのコメント欄を見ていると、1:15には平和記念公園にある「原爆の子」の像のポーズが出てくるとあって、確認したら確かにそれっぽかった。
これが「スポーツの祭典」オリンピックにすごく適した曲かは未だ疑問だけど、だからこそすごいなと思えた。この曲を応援ソングに認めた偉い人もすごいと思った。 今や全国の幼稚園や保育園の運動会とかで、パプリカが流れると、ちびっこは大合唱で踊り出すという。 一年ほど前から可愛らしいFoorinに歌わせたのもきっと戦略のうちで、大成功だと思う。 オリンピックが終わった直後に 「金メダルがいくつ取れた」 「外国からの観光客が△人訪れて、経済効果○億」なんかよりも、 いつか大人になったちびっこ達が、若者が、 「Tokyo2020の歌だったね」と思い出す方がよっぽど価値があるんじゃないか。 オリンピックはなんのためにするのか、という問いよりも、 オリンピックでなにができるのか、の問いを持てと言われた気がした。
This is the song for Tokyo Olympics 2020. 6 years ago, Japan got the chance to held Tokyo 2020. You know many companies try to make more money through the Olympics. Maybe Japanese companies try to do the same. Still, we have many problems, for example, the terrible nuclear accident, Fukushima, so I disagree to spend a lot of money on the Olympics. When I heard this song at first, I didn’t think this song was proper for Olympics because this song sounds somehow sad. But after watching this music video, I know this song is for “Peace”. I disagree with Tokyo 2020, but I would like this song to become famous through the world-wide big event. I hope the Olympics is held for a better future. In addition to that, I should think about what I can do through the Olympics.
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“What do you think about LGBT?”-「LGBTについてどう思う?」
火曜日に下北沢のよく行くバーに一人飲みに行った。 情報収集と取材を兼ねて、20代女子としてはやや風変りな行動をしている笑 この日は、不動産業界で働く30代ぐらいのAくんと特許事務所に内定が出てる大学院生のBくんと居合わせた。 なにかの拍子でAくんがゲイカップルが賃貸契約にやってきたという話になった。 A:「若い世代はLGBTの理解が広がっているけど、やっぱり家を貸すのは大家さんで、そういう人ってたいてい60代、70代だから、あんまり受け入れてくれないよね~」 ここ数年、LGBTという言葉は圧倒的に広がった。 私の友達でゲイもいるし、心と体の性別が一致しない友達もいるから、 そんなに珍しいこともでもなくなった。 まぁ多様な生き方があってもいいし、そういう社会いいんじゃないかって、多くの若者は思ってる感覚があったが、
と、ここでBくんがすごい勢いに話はじめた。 B:「いやいやいや、別に大家さんが自由でしょ。 普通のカップルとゲイカップルが同じ条件で申し込んできたら、 どっちを選ぼうが、法的には自由に選ぶ権利があるんですから。僕も20代ですけど、LGBTの人は理解できないっすよ。自分が大家さんだったら、間違いなく普通のカップルを選びますね」
さらに、 B:「LGBTの友達はいないですし、友達になりたいとも思ってないですね」 よくここまで言えるな。 それほど強くシャッターを閉ざしたら、友達にならないだろうし、仮にBくんの友達に性的マイノリティーの人がいても絶対にカミングアウトできないし、彼の中で排除したらその溝が変化することもなかろうに... 「なんてやつなんだ!」って思って、 なんとかBくんの考えを改めさせようとあの手この手でトークを展開したが、Bくんは聞く耳をもたなかった。 むしろ、「きれいごと言いすぎ」って言われた。 そして、さらにヒートアップ苦笑 Bくんの頑固っぷりに、久しぶりにすっごいムカムカして家路についた。 朝起きて思ったことは、個人の思想は確かに自由。 彼の考えも一つだってこと。
彼はもはやあの場では、(おそらく若者世代の中では)、批判されてもおかしくないようなことも、自分の意見や感覚を主張する、一種の「強さ」を持っていた。 私がいかに、普段同じようなコミュニティに属して、同じような思想をもってる世代に囲まれているからことを認識した。 それを忘れてはいけないし、意見の押し付けをしても何も響かない。 「多様な生き方」を認めることが主流の流れで、だからと言って、 「多様な生き方を認めないなんて悪だ!」みたいな考え方も危険だなと今は思う。
Last Tuesday, I went to a bar. At the bar, a man told me about 70 years old people reject to rent an apartment to an LGBT couple. He said older people don’t accept these people although young people accept them. At the same time, another young man said he couldn’t accept them strongly like older people. He doesn’t want to have a friend if he or she is LGBT. He never has these friends. I was surprised by him. I tried to change his mind, but I couldn’t. After going back home and sleeping, I realize. Nowadays, diversity is common among us. But some people can’t accept diversity. I should understand it. It is dangerous to deny people who can’t understand diversity also.
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Do you watch Aladdin?-アラジン見た?-
先週の水曜日にアラジンの実写映画を見た。
あれ?アラジンってこんな話やったっけってなった。 小さい時に見たアニメの記憶はほとんどない。 ざっくりストーリーは、盗人アラジンが、願いを叶えるランプの精霊ジーニーに会って、王女ジャスミンとハッピーエンドを迎えるというもの。
①一体、だれが主人公?
映画見て、アラジンって、他のディズニープリンセスシリーズの中で唯一の男性主人公の話(?)って思う。タイトルも「アラジン」やし笑 他の白雪姫とかシンデレラとか、「王子様」であって、彼らの名前が一体何なのかも知らない...めっちゃ脇役。 とは言いつつ、タイトル的には主人公はアラジンだけど、ジーニー役がウィルスミスやから存在感たっぷり(キャスト一覧もジーニーが一番はじめやった)やし、ジャスミンの言動が本映画で一番メッセージ性が強い。
②”強い”映画版のジャスミン
映画版「アラジン」のジャスミンはなんか強かった。 国を収めたいっていう気持ちがめちゃくちゃ強い。 ジャファーに国を乗っ取られた時も、なんかめちゃくちゃ力強い聞いたことない曲を歌ってた。(ググったら「Speechless」っていう、本作品の新曲やった)
アニメってこんなバリキャリ系だったけ?と思って調べてみたら、どうやらやはりアニメ版「アラジン」と映画版「アラジン」のジャスミンは違うらしい。
============================= (抜粋)
ディズニープリンセスは3つの形態あり。 第1形態は「王子に“選ばれる”プリンセス」 例>『白雪姫』の白雪姫、『シ��デレラ』のシンデレラ、『眠れる森の美女』のオーロラ、『リトル・マーメイド』のアリエル 第2形態は「自分で相手を“選択する”プリンセス」 例>『美女と野獣』のベル、アニメ版『アラジン』のジャスミン
第3形態は「自らの生き方を“掴み取る”プリンセス」 例>『アナと雪の女王』のアナとエルサ、実写版『アラジン』のジャスミン アニメ版のジャスミンは「王女なんてつまらない。自由に好きな場所に行きたい、自分が選んだ人を愛したい」というマインド。 かわって実写版のジャスミンは「王女として婿を迎え王妃になるのではなく、自らが国王となって国を統治したい」マインド。 つまり、前者は「制度から解き放たれて自由になりたいプリンセス」で、後者は「男性主権の制度を変え、王として国を治めたいプリンセス」 記事1: 「実写版『アラジン』100億突破! ディズニープリンセスは80年でこんなに変化した(2019.7.21閲覧)」 https://www.excite.co.jp/news/article/Bunshun_12878/ ============================= ほう、確かに。 ディズニー映画やのに、映画の最中に、女性天皇認めるかみたいな話やなと思ったわ。 上記であげた、映画唯一の新曲「Speechless」もその強さそのものやった。 ジャファーに国を乗っ取られて、「女は美しければいい」言われた時のジャスミンの歌。 「#Metoo」運動に関するような、雰囲気を感じた。
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I can't stay silent 沈黙なんてしてられない、私はもう Though they wanna keep me quiet 黙っていることを求められるけれどもこれ以上黙って And I tremble when they try it そうされそうな時私は震えてしまういられない だから All I know is I won't go speechless わかってるのは私は無言でい続けることはないってこと そうよ 声をあげて (抜粋) もう「外に出たら何かが待ってる」というのは「新しく」ないどころか、「何かが待っている」わけないんですよね。自分で何かをしなければいけない。自分で声をあげることでしか世界は変えられない。 記事2:「Broadway Aladdin 「These Palace Walls」歌詞和訳 から 実写アラジン「Speechless」の意義が見えてくる(2019.7.21閲覧)」https://ikyosuke.hatenablog.com/entry/2019/06/17/021130 =======
現代っぽい、「アラジン」やったわ。
Last week I watched Aladdin at the movie theater. After I watched it, I was surprised because it is different from the animation version. In the movie, Jasmin was a strong princess. In Disney, princesses are changing through decades for three types. First, a princess is found and selected by a price, like “Snow-white” Second, a princess selects her partner by herself, like “The Beast”. At last, a princess decides her life by herself, like “Frozen “. Jasmin at the animation was the second type. She selects her partner, a thief Aladdin not a prince. Jasmin at the movie was the third type. She selects not only her partner but also her job managing a country. In addition to that, you should check out a song by Jasmin, “Speechless”. The song is made for this movie. It is for empowerment women. The movie shows our current society.
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Are you angry about your life? -「社会に怒りはないのか?」
3連休前の金曜日18時、品川駅。 仕事終わりのスーツ姿の大群が列をなして、駅のコンコースを足早に歩いていく。 自分もその列に乗っかって、歩いている時に、若い茶髪の女性とすれ違った。 口をきつくしばり、左手には5歳ぐらいの女の子、右手にはピンクのポスターを高く掲げていた。 スーツ姿の大衆の中でそんなことをしているのは彼女だけだった。 彼女はどんな気持ちであの道を歩いたのか。なぜ歩いたのか。 1. 「このイベント行ってほしい」 大阪にいる姉から今朝、LINEが来た。 URLには、「このイベントにいってほしい」という一言と、URLが記載されていた。今日は仕事が早く終わったので、ものは試しに、そのイベントが行われる品川駅へ向かった。
イベントは、ある政党の街頭演説。 1時間の滞在だったけど、ざっとみた感じでは500人ぐらいいてそうな感じ。 年齢層もけっこうばらばらだったけど、自分と同年代の人は少なめかな。 まぁ、17時で仕事終わっている人なんて限られているから、こんなところに来れるのも一部なんやろうと。 2. “怒” 正直な話、私は選挙および政治はそれほど興味を持てない。 その理由は街頭演説聞いて、少し分かった気がする。 自分の生活がそれなりに幸せで、充実してるから。 好きな仕事ができて、生活は就職してから困ったことないし、好きな暮らしを自由に送れている。
演説を聞いた感想は「みんな、なんでそんな怒ってるん?」って思った。 街頭演説を来てる人は、演説者も支持者もみんな怒っていた。 「消費税が高い」「社会福祉制度が十分でない」「賃金が低い」 憲法改正や基地問題や環境問題は自分にとって、遠すぎる。 自分自身のリアルな生活実感もって、考えられない。 日々仕事で、生きることで必死で、その中で満足してんねんて。 パイナップル食べれば幸せやし、ピアノ弾けば楽しいし、知らない話をするのは面白い。 私は想像力が乏しいのかもしれない。 それと同時に、「強く生きれる環境に恵まれた」と思う。 私は親の年収が100万円を切る貧困家庭で育ってきた。 自分は、お金こそなかったものの、環境には恵まれてきた。 スーパーラッキーの組み合わせで生きていた。 そこは認める。 だからこそ、余計にあんまりピンと来なかった。
3月に報道部で2ヶ月仕事をした。 上司にある日、諭された。 「お前は、社会の不条理さに怒りはないのか?」 私は日々楽しく、のうのうと生きている人間で、 「面白そうか、そうでないか」という価値基準で生きているがために、面食らった。 え、そんな怒ってたら大変じゃありません? これは、ゆとり・さとり世代なのか。 3. 何が力へとつながるのか 何かを変えるのに、「怒り」という負のパワーは強い。 でも、それ以上にもっと正のパワーがあってほしいと思ってしまう。
6年前の参議院選挙の時は私は学生、21歳だった。 すでに政治活動に積極的だった姉に連れられて行ったのは、三宅洋平っていうミュージシャンで政治家を目指す候補者の選挙演説。 彼にもいろんな主張があったけど、それは「弱者の怒り」とか「現政権に対する怒り」で団結するんじゃなかった気がする。 演説は優しく語りかけ、音楽があり、心地よかった記憶がある。
甘っちょろいのかもしれない。 でも、そういうのもありだと思う。
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Shall we dance?-最近、いつ踊った?-
サルサはじめました
先月からスーパーゆるくサルサをはじめてみた。 月2回ぐらいのペースでやってるから、特別上手くならないけど、それでも音楽に合わせて体を動かし、知らない人と会うのは面白い。(男性がリードするから、女性は基本のステップさえ踏めば、なんとなく踊れている気がする笑)
自分にとってのダンス経験を振り返ってみると、特段ない。
ダンススクールに通ってた訳でもないし、サークルに所属したこともない。 中学生の時、体育の授業で創作ダンスやったけど、基礎もないのに創作は無謀だった笑 それでも、大学時代に仲良くなった留学生集団でクラブに行って、最後にフランス人と踊ったのは、むちゃくちゃロマンチックだったなー当時、海外ドラマにどハマりして、アメリカの卒業式じゃみんなプロム踊ってて、いいなー私も踊りたい!って思ってたタイミングだった笑
一方で、仕事始めてから、ポッピングダンス界隈ではめちゃくちゃすごい人に出会った。NYで修行を積んで、ダンスバトルで勝利を重ね、日本に帰国してからいろいろ経て、最近は神社で奉納舞をしているダンス狂。 もはや動きは人間離れしているし、少し怖ささえも感じてしまう。 風を表現する時の稽古を見せてもらって、本当に彼が踊ると風が起こるねん!見えるねん!すごいで!(関西弁が出てしまうほどすごい) 本当にわずかな繊細な身体の動きまで全て完璧にコントロールしてる。 私は、自分の体を、自分の体なのにあそこまでコントロールできない。
「なぜ人は踊るのか?」
そんな彼が最近Facebookで「人はなぜ踊るのか?」と書いていた。
三大欲求の一つである「食べる」は最低限「生存」のためって素早く言い切れる。踊らなくても生きていけるのに、なんで踊るんだろう。
古今東西、どこにでもある「踊り」 同じ身体を使う「踊り」でも、踊り手が感じることは全く違う気がする。 自分が経験した、3つの踊りから考えてみた。
小学校の時に踊ったソーラン節は、精神統一的な要素が強かった笑 暑い校庭で、どんなにしんどくても腰を低くし、大声を張り上げ、踊りきる。 漁を行う網の重さを、獲れた魚を表現しきる。 みんなで真剣に取り組み一つになるという、熱血タイプ笑 夏祭りで踊った盆踊りは非日常感の要素が強かった。 とりあえず普段着ない浴衣を着て、普段会わない近所の人と輪になる。 そして、同じ動き(私の地区は4つの動きのみ!)を繰り返す。 生きている人も、亡くなった人も、人間も、そうじゃなくても、同じことを何度も繰り返し、何周目が分からなくなるような、ふわふわ夏の夜に境目がなくなるような...幽玄タイプ。 サルサは、非言語コミュニケーションの要素が強い。 お互いがどう動けば音楽にノって気持ちよくなれるのかを言葉を介さないで行う。普段、言葉に頼りきっている自分にとって、かなり新鮮。 はっきり言ってしまえば、そういう非言語コミュニケーションって、これまでSEXだけだった。折しも、即興のジャズセッションにも立ち会う機会があって、踊りとか音楽って、誰かと一緒になにかをその場の雰囲気で作り上げて、お互い楽しいとか幸せな気持ちになれるんだって思った。 共同体の形成のため、神や自然と融合するため、他者とのコミュニケーションのため、自己表現のため... いずれにせよ、思うことは、少なくとも現代日本人にとって「踊る」機会ってけっこう限られている気がする。 最近いつ踊った?
日本人と踊りのミライは?
最後に、先日、Tik tokのイベントに顔を出してきた。アメリカ人のナイスガイなスピーカーが語るには、Tik Tokが日本で流行した理由は、義務教育でダンスが必修化になったからだよ、日本人の恥ずかしさも変容してきてるんじゃない?って言ってた。確かに、中学生がダンスしてどんどん世界中に配信している。 なんのために踊ってるんだろう? どうして、義務教育でダンスが必修化なったんだろう? 日本人のダンス観は変わっていくのかな?
========================= From last month, I start a Salsa lesson. For me, this is a new challenge. I had never danced before. Though the lesson, I know dancing is communication without language. In my childhood, I danced a traditional fisherman dance showing fisher’s movements. In the summer festival, I danced Bon-Odori with neighbors. In the festival, we welcomed the spirits of our ancestors, so maybe I danced with these spirits. All times and places, there are so many dances. Why do people dance? Without dancing, we can live. Why do people dance? You know Japanese people are shy, we don’t go to a club. We don’t dance at all in daily life. But recently, Japanese junior high school students are into Tik Tok, sharing dancing movies. A tik Tok staff said the reason for that was Japanese students must learn to dance in PE class at school from last year. How do Japanese people change their dance-life?
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「食べるってなに?」 -What is the best meal of your life?/人生で1番美味しかったものはなんですか?-
仮にあなたが今20歳とすると、1日3食食べているなら、2万9千食の中からNo.1を選ぶことになるらしい。
うーん、すぐに答えは出ない。 今まで何を食べたっけ?そもそも今日のお昼は何食べたっけ? ...あぁ、食堂で570円のサーモンのマヨネーズ焼き定食を食べたなと思い出す。 じゃあ、昨日は...ってなるとすでにちょっと怪しい。 人生で美味しかったベストを考えていると、大学2年生に大阪の阪急塚口駅の「Angle」で食べたビーフシチューをなぜかはじめに思い出した。 当時好きになりかけてた年上の彼が連れてってくれた。 その人とは、その後、付き合い、別れ...何年かして、どうしても食べたくなって一人で行って食べたが、あの時感激したほど美味しくなかった笑 人の美味しいって、味そのものではなくて、その時の状況や人間関係の中で食べたものに依存するという(藤原, 2019)。 人生で一番美味しいものは何かという問いに対して、「ミシュラン三つ星〇〇店のふかひれ」とか、あげられることはなくて、 この問いから、その人の大切にした/している人間関係や出来事や価値観が少し垣間見れるかもしれないとか... 人間にとって、「食べる」とはどういうことなのか? この一年、こっそりいつか番組にしたいと考えてきたテーマ。 久々のブログテーマ(しかも社会問題じゃない)でまず書き留めておきたいと思う。
①脱生産者、なんなら脱調理者 「人生で1番美味しかった」と言われて、パッと思いつきはしなかったが、それでも記憶にあるのは小学生の頃に食べたかぼちゃあんぱん。 父が家庭菜園したかぼちゃを、母があんにして自家製パンに練りこんで食べる。そのことを書いた作文を、特に母がたいそう気に入ったことを今でも覚えている。 田中家は比較的貧困家庭だったため、家庭菜園して、スーパーではできるだけ野菜を買わないような生活ができていた笑 いわば、生産者であり、調理者であり、消費者であった。 今日、食べたサーモンマヨネーズ定食のサーモンが一体誰が、どこで、どんな風に獲れたのか、誰が作ってくれたのか私も知らないし、今のいままでそんなことは考えない。 当たり前のように、食券機に570円払って、ピッとボタンを押して、食券をカウンターに出せば、あら不思議!サーモンマヨネーズ定食を食べることができる。今や紙切れ1枚(=千円札)を握りしめてコンビニに行くだけで、24時間食べ物を口にすることができる。仕事で忙しい時は、コンビニ食のオンパレード。
日本男性の3割は週に1度も料理をしないそうだ。 生産者でも、調理者でもなくなり、「消費する」だけが行えるようになることで、仕事や趣味に費やせる時間が増える。 最近、エンジニアやE-sports選手の界隈では完全食が流行っているという。パウダーやグミなどで人間が必要な栄養素を全て確保できる。完全食の販売会社のキャッチフレーズは「時間というご褒美を」。 生産、調理、そして食べる行為さえも、極力労力を減らした世界は、必要だし、もはや近未来というか現実に近いSFで興味深い。
②誰と食べる? 忙しくない時、私はけっこう料理が好きでひじきの煮物とか、ぶり大根とか作る。そして、作った際はSNSに頻繁に投稿する。 インスタで一般的に投稿される写真の半分は食べ物だそうだ。誰にとっても共通の理解が得られやすく、自分のステータスや価値観を共有するのに最適だから(電通報, 2018)。まさにその通り。“ゆとりある暮らし”を自他共に認めてもらいたかったり、一人で食べるのが単純にさみしかったりして投稿している自分がいる。 どうせなら、誰かと食べたい。食べてほしいと思う反面、 忙し過ぎて1日1食をコンビニサンドイッチで過ごす時は、食事の時間を最小限にできる独身の立場でよかった、と思うこともある。 前述した完全食Loverはどうやって人間関係を気づくんだろうなと疑問に思う。毎日パウダーなら、いくら栄養素的には問題なくても、美味しくなさそうだし、なにより「同じ釜の飯を食べる人」が圧倒的に減ってしまっていくのではないかといらぬ心配をしてしまう。 地域全員で田植えしたり、家族でちゃぶ台囲んで朝ごはんを食べたり、好きな人とディナーを食べたり、食を通じた人間関係はもはや必要ないのか、贅沢だったりするのか...郷愁に近い、時代錯誤の考えなのか。 最後に、食はここ数年でコンテンツ化しているという。 要は、「映え」のために「食べる」。 “「一度食べてみたい」という感情が強く、いったん体験するとまた別の料理を探す動きが見られます。その傾向は強くなり、次々に新しいものを見つけ、一度食べたらまた新しいものを探す。そんな、ゲーム化した食の無限消費、無限ループが生まれる (電通報、2019)”
私たちは、「食」で何を得て、何を失うのだろうか。 なんのために「食べる」のか。
参考: 「食べるとはどういうことか?」藤原辰史(農文協) 「食ラボ 食と〇〇を考える」電通報 ================ P.S: OB訪問でやってきた後輩ちゃんに、「テレビ業界を目指すなら、日々面白いと思っていることをブログ書きなよ」って言って早1ヶ月。夜の飲み屋で知り合ったクリエイター塾に行っている人がnote.でエッセイ書いていると聞いて、「私も書きます」と言って早2週間。 仕事も一旦落ち着いたので、前から興味あったことをメモ代りに投稿しようと。文章の上手い下手はこれから頑張ります。人に読んでもらう用かと言われると限りなく怪しいけど、なんなら読んでくれたら、めっちゃ嬉しいと思いながらゆるくやろうと思います。
英語版は最近の語学力が皆無なので、とりあえず手短に。
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I am sorry, I know my English skill is poorer and poorer. I want to write more, but know I just write down the below. I hope I have time and skill to rewrite.
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What is the best dish in your life? Is it a homemade cake by mom? Is it an ice cream after school on a really hot day?
One of my best dishes is a beef stew in Osaka with my boyfriend.
It is said that the best dishes for each person are related to the important situation and the company. Not, just a famous delicious restaurant. According to that, we can eat delicious food with some story.
Do you know Soylent, a complete meal? It is like a powder or drinks with full nutrition. People can live only with that meal.
In Japan, engineer or e-sports gamer like the meal, because they don’t have enough time to eat. They want to have more time for work and pleasure, not eating.
Now, people don’t have to have a long time to cultivate and cook. We can have more time and concentrate on work and hobby. How do we change our life? What can we do? What can’t we do?
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Bio art and Bioethics-バイトアートと生命倫理-
Today I read a Japanese magazine about art. The special topic of this month is “Bio art”. BioArt is an art practice where humans work with live tissues, bacteria, living organisms, and life processes. I also don’t know that in the detail. But I am curious some of that arts. It is a good way to think about our life and death.
For example, one of the bio-art artists is Ai Hasegawa. One of her projects is “(Im)possible baby”. According to her website, “ (Im)possible Baby is a speculative design project which aims to stimulate discussions about the social, cultural and ethical implications of emerging biotechnologies that could enable same-sex couples to have their own, genetically related children. Delivering a baby from same-sex parents is starting to not look like a sci-fi dream anymore – recent developments in genetics and stem cell research”.” In this project, the DNA data of a lesbian couple was analyzed using 23andMe to simulate and visualize their potential children, and then we created a set of fictional, “what if" future family photos using this information to produce a hardcover album which was presented to the couple as a gift. “ yeah, with the new science technology, we can have a baby in a lab. Also by the new technology, we can live longer. We can control our life or family life somehow, it means we have to decide whether we let them live or not by ourselves. I think technology will be developing without any stop by scientists, so we have to discuss more that. Now is the end of 2017, so I often a summary of news in 2017. Terrorism, refugees, North Korea and so on...But we think many of these issues just happen somewhere to someone. However, bio ethic problem is not another person's problem. It will happen to us, our family, our friends although it is not news on the TV. Maybe major bio art is different from what I think, but it is also one way to start to think and discuss bioethics.
I hope my family, my frineds and everyone will be helath and happy next year also.
昨日,美術手帖を初めて読んだ.今月のテーマが「バイトアート」だったから思わず手がのびた. そんなに詳しくないので,コトバンクの定義を借りると,「《〈和〉bio+art》バイオテクノロジー(生物工学)から得られた情報(生物の顕微鏡写真・接写写真など)を用いて,生物の形態の面白さを絵画やデザイン作品に表現するもの」ということらしい. 前から,現代社会の死生観に興味があって,「アート」を通じて,こういう考える機会があるのっておもしろいなって思った. 美術手帖でも紹介されていた,バイオアートの作家さんの一人,長谷川愛さん.彼女は,“(Im)possible baby”というプロジェクトを行っている. “(Im)possible babyとは,彼女のサイトから以下のように紹介されている.
“2004年の二母性マウス「かぐや」の誕生から10年以上経ち今年,女性から精子を,男性から卵子をつくれるのではないかと予想される内容のiPS細胞関連の研究論文が発表された.もはや同性間での子供の誕生が夢物語では無くなろうとしている.しかし技術的には可能でも倫理的に許されるのか,という議論を通過しなければ実現は難しい” “実在する同性カップルの一部の遺伝情報から出来うる子供の姿,性格等を予測し「家族写真」を制作した” 私は,このプロジェクトが扱われたNHKの番組を見た.同性カップルの心境が具さに���録されていた. 科学の発展によって,実験室で赤ちゃんが生まれる.長生きもできる.私たちは��自分のあるいは自分の家族の生死をコントロールすることができる世界にはいりつつある.それは,自分の家族の生死を自分で決定しなければならないことを意味する. これらからも,科学は止まることなく科学者の手によって発展し続ける. 私たちの思考はそこに十分に追いついているのだろうか.
今年もあと一週間で終わりで,ニュースの総括をよくみる. 北朝鮮の核問題だとか,中東のISだとか,日本の政治のゴタゴタとか,いろいろあったけど,まぁ他人事で終わりがち. このトピックは毎日のニュースにならないけど,一番自分ごとに思える. 自分にも,家族にも,友人にも,あてはまる. バイオーアートは,iPS細胞とかDNAの技術を使ってなんとか...という形でアートにしてるのが主流っぽい感じがしたから,やや本筋からずれるかもしれないけど,生命倫理,死生観を考える一つの方法なんだと思う. 来年もみんなが健康で幸せに暮らせますように.
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I should learn Japan -日本人としての教養-


Today, I watched Japanese dance performances and comedy show. The title of the dance was “Chirp (Mushi-no-ne 虫の音)” and ”Snow (Yuki 雪)”, and the title of the comedy was “Chihayafuru (千早ふる)”. It was the first time for me to see these Japanese cultures from the super professionals.
After today’s event, I thought I should know more about Japan. I lacked the knowledge of Japanese cultures. If I know more, I can enjoy more. These shows were held in a traditional Japanese room. For today’s event, the room was decorated with special things. For example, there was a small fake cage for crickets next to plans because the title was “Chrip”.There were drawings pictured womens about 1000 years ago, cost a few million yen, related to the comedy show. The small clothes were pictured pines because here is famous for pines. No one explained them. If I have some knowledge and I have the eyes to notice them, I can enjoy more. I should be like a detective;P I think not only me but also young people hesitate to know and experience these Japanse traditional cultures. I remember my friend in Germany told me “I don't know the Japanese traditional music, but it is cool for me” and shared a modern music video (Strawhatz - Koto) using traditional Japanese musical instrument, Koto. It is far from traditional Japanese, but people (also foreign people) can start to have curiosity with traditional Japan. Is it interesting thing?
今日は、住んでいる寮のイベント関連で、日本舞踊と落語の鑑賞およびお茶をいただいた。日本舞踊は上方舞山村流の山村友五郎さんとその妹さんの「虫の音」「雪」、落語は桂吉坊さんの「千早ふる」だった。日本舞踊、落語共にプロの方のものを見ること、お茶を"先生"からいただくのは初めてだった。
今日の全体感想としては、まずは自分自身がもっと日本人としての教養がいるな、ということ。 お屋敷に飾られた花にしろ、掛け軸にしろ、お茶道具にしろ、舞の動きにしろ、その一つ一つに込められた意味や芸術性はすごい(らしい)。 日本舞踊の「虫の音」にかけて、お花の横に小さく鈴虫のカゴが置いてあったこと、 落語の「千早ふる」にかけて、◯百万するという掛け軸は十二単の女性だったこと、 日本屋敷の地域が松が有名だから、お抹茶袋に市松模様が使われていたこと、 日本舞踊のストーリーなど、 知ってたらおもしろいのに、自分ひとりで気づけない。 その"目"と"教養"をまだ持てていない。 落語は百人一首ネタで、百人一首に知識があったので、よりいっそう楽しめた分、教養の大切さが身にしみた。 とは言っても、日本文化の入り口の敷居はやや高い気がする。 かつて、ドイツ在住の友人が 「I don't know the Japanese traditinal music, but it is cool for me.」と言って、 琴を用いた現代風のミュージックビデオ(Strawhatz - Koto)を紹介してくれた。 紹介してくれたビデオは、もとの古典からはかけ離れているけど、敷居を下げるために、はじめは古典よりも現代っぽいもので興味をもってくれるのもありだなと思った。同時に、そんなものは若者だけではなく海外の人にも興味をもってもらえるものにもなるのだなとも思った。
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The city for leisure, Amsterdam -“娯楽”の街,アムステルダム-
Last week, I visited Amsterdam. I borrowed a guidebook and thought a good place for sightseeing. It said Amsterdam is famous for artists, for example, Gogh, Rembrandt and so on. The canal is also beautiful, so I imagined Amsterdam is just a really beautiful city.
Then, I went around the city at night. As you know, on the streets, I could see " Coffee shops", which is selling drugs (They look like cigarettes). At the shop, people were smoking. At the entrance of clubs, men and women were smoking a lot. At other streets, I could see sexy women. They were waiting for customs near windows. Near these buildings, I saw a shop, selling some toys for sex. At the center of the city, there was a mobile amusement park. People could enjoy riding a roller coaster, Ferris wheel and so on. It opened although midnight and weekdays.
I couldn't believe that. In Amsterdam, there is so many leisure or adults. It sounds exciting and somehow dangerous. I heard that half of the people in Amsterdam are tourists from seeking these entertainments. My Japanese friend said that the city was a "real Disney land". It means not only the scenery of the city is similar to Disney land for Japanese, but also the people in Amsterdam is similar to the people in Disney land, living in a "dream world".
I was also surprised that everything has a museum, for example, drug museum, prostitute museum and so on. I visited a prostitute museum. I am a woman, so maybe I can't go to these place in my real life. It looked interesting to me. What I impressed the most is a message from a prostitute.
"The men, who bought me here, are sad in fact"
Pasttime, Dream, Enjoyment. We want to forget something in our daily life. There's a thin line between pleasures and loneliness.
1週間ほど前にオランダの首都,アムステルダムを訪れる機会があった. 「地球の歩き方」を図書館で借りてきて,どこに行こうか見ていると,ゴッホとかレンブラントとかが有名なようで,運河の街並みも美しくて,なんだかおしゃれ綺麗な街なんだなぁという想像を膨らませて,いざ現地へ. 夜にホテルについて,街へ繰り出す. 道端には”Coffee shop”なるものがあって,大麻(タバコっぽい形)が普通に売買されている.バーの店内はモクモクとその大麻の煙た立ち込めている.クラブ(の入り口しか見てないけど)も同様,お兄さんお姉さんがスパスパしてる. ある通りに入れば,セクシーなお姉さんが飾り窓で”お客さん”を待っているのが目に入る.セクシー系のグッズのお店も普通の通りに当たり前のようにある.大通りの広場に行けば,なぜか街の真ん中に仮説巨大遊園地が現れる(しかも12:00すぎても営業している.しかもただの平日) 要は,一体なんなんだ,これは?となった.
怪しくて,危険な匂いがプンプンするけど,その街を”楽しんでる”人々. 一説では,アムステルダムの人口の半分は,他国からそういう”娯楽”を楽しみに来ている人がいるんだとか.私の日本の友人は「街全体がディズニーランドみたい」って言ってたけど,それは街並みだけではなくて,「”夢”の街」ということを示していたんだなぁと納得.
個人的に驚いたのは,街を歩くと,なんでも博物館になっていることで,大麻博物館も娼婦博物館もあった.そのうち,娼婦博物館に出かけてみた.一生涯,日本でもなかなか行けない(行かない)ところを博物館という名の下で様子を知れるのは興味深かった.その中でも印象深かったのが実際に飾り窓で働いてる女性からのメッセージ.
“ここに来て,私を買っていく人ほど,本当は寂しい人なのよ” 娯楽,夢,楽しみ, 日常でなにかをいっときでも忘れたい. その華やかさとひっそりとした寂しさは表裏一体なんだなって.
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Dear seven-years-old you-7歳になった君へ-
Today, I read a novel, regarding women, who had a baby in teens and who couldn’t have a baby in forty. The young mother abandoned a baby because she was too young. The old mother adopted the baby. When I was the second year in bachelor, I worked as a volunteer in an orphanage for 5 days. Before that volunteer, I thought I didn’t want to have a child because giving a birth and raising a child will disturb my career. And I also thought “ Why am I not a man?”Maybe you know in Japan, woman have difficulties of career. During the volunteer, every child was so nice. Of course, sometimes they cried and angry because there were no big reasons, they also did strange things, yeah, they were like little devils. But they were really adorable. I cared a brother (1year old and 2 years old) and two 4 years old boys. I stayed only 5 days, but they were used to me.When I helped the 2 years old boy to eat, he gave me the food. The 1 years old boy was always hungry, so when I read “The very hungry caterpillar” he really paid attention to sweets. I couldn’t believe their parents will never come and live together.But yesterday also I had news about a child abuse. Although some children can stay with real parents, tragedy is happening.
I don’t know I can marry and have a baby because I think my job will really interesting to me. If I can marry, definitely I am old. I think again, “Why am I a woman?”
The 1-year-old boy has become 7 years old. Can he enter the elementary school?
辻村深月の「朝が来る」を読んだ. 不妊治療の末に出産を諦めた夫婦が養子縁組をする際の話だった. 前半は里親になった夫婦にスポットがあたり,後半は諸事情により家族と別れざるを得なかった若いお母さんにスポットがあたっていた. 私は大学二回生の時に0歳から5歳までの乳幼児が暮らす,乳児院で5日間の実習をしたことがある.当時の私は,「仕事のために子どもなんて足でまといになる,なんで女性に生まれたんだろう」とかそういう考え方を持っていた. でも,5日間の実習中に会った子どもたちは,本当にいい子ばかりだった. 当然子どもだから,ぐずったり,すねたり,わけわからない宇宙人行動もするけど,それでもむちゃむちゃ可愛かった. 私の担当したクラスには,1歳と2歳になる兄弟と,4歳の男の子が2人いた. みんな,お母さん,お父さんが迎えに来ることはなく,365日,24時間,あの施設で暮らしている. たった5日間だけだったけど,徐々に私に慣れてくれた. そのうちの1歳のちびっこは, ご飯を食べさせてたら,私にも食べさせてくれるようなマネをする. 「はらぺこあおむし」を読んでいたら,お菓子に釘付けになってる. 腕の中で安心して,よだれを私の服にこぼしながらスヤスヤと眠る.
保母さんが24時間体制で3,4人でシフト制で,この子達を見ているものの,彼らにとって一人の「お母さん」「お父さん」はいない.経済的に安定していないために子どもを育てられないことは分かるが,仕事が忙しすぎて,仕事のストレス等で家庭がなおざりになって子どもを育てられていない人もいるらしい.いろんな事情があるとは言え,こんなにも可愛らしい,愛らしい子達が,本当の家族と生きていくのが難しい.また,本当の家族と暮らせても上手くいかずに虐待で苦しんでいる子どももいる.
なんなんだろう. 私は,結婚するのだろうか.子どもを産むのだろうか.ちゃんと育てられるのだろうか.就職が決まった今「仕事をしたい」と思う.仕事でこれからという時に,出産するならその時期が被るのは確実だろう.どうして女性に生まれてしまったんだろう.また,そんなことを考え始めてしまう... 当時1歳のあの子は,今は7歳になっている. 小学校に元気に通えてるのかな.
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Mummy in Inca-インカのミイラ文化-
From next April, I will work at one of the most famous Japanese TV company, and I will make TV program also. So I should watch more TV programs for making better programs:P I watched a TV program about mummies in Inca this night. In Mayan civilization, people stayed with mummies of their family at home. They dressed the dead, gave some food and speak to them. They treated the mummies as alive people. Nowadays, people in Peru also respect mummies in a village and town. The program showed the origin of the mummy in Inca, the relation of the prosperity of the Inca Empire and the mummy. It was interesting, but I have more curious about 3 points. But two of them are not so critical, so I write only the second point in English. 2. Why didn’t Spanish people accept mummy? When Spanish conquered the Inca Empire, missionaries prohibited and burned most of the mummies. However, Christianity also has a habit of the mummy, for example, a missionary, who taught Christianity in Japan for the first time, is preserved as a mummy. In order to conquer the Inca Empire quickly, did Spanish people denied the culture of a mummy? I think this program should add that information.
“People will definitely pass away, but they can live althouh after the death” What do you think?
大学+大学院生活の計6年間をテレビのない生活で,特に不自由さを感じたことはなかった.でも,内定式に行って,「このままじゃヤバい...みんなと観てきた量と質が全然違う」と改めて危機感を感じた.ということで,家に帰って,迷いなくNHKオンデマンドの特選パックをポチった. テレビがない生活が続くと,テレビを見る時間を意図的に作らないといけないので,ひとまず,家で晩御飯を食べる時は,なにかしら1本見ることにする.
今日は,「NHKスペシャル 失われた文明インカ・マヤ 第1集 アンデスミイラと生きる(2007)」を選んでみた(ちなみに晩御飯はセロリときのこのカレー). インカ・マヤ文明では,亡くなった人をミイラにして家に置いておき,生前と同じように,服を着せ,食べ物を与え,話しかけ,共に暮らしていたという. 番組では,インカ・マヤ文化におけるミイラの起源や,インカ帝国の繁栄と衰退に関するミイラの関係性,現代にも根付くミイラ文化等が取り上げられていた.
番組を観てて気になった点は3点. ①インカ・マヤ地域における従来の宗教はどんなものだったのか?死生観は? ミイラ文化は,ペルーの砂漠の街イロから2500年前ごろに発祥したという.インカ帝国は15世紀にクスコという街を中心にできた.イロとクスコは約400キロ程度離れている.インカ帝国の皇帝は,死後もミイラとして,皇帝としての権力を維持するためにイロのミイラ文化を取り入れ,のちにインカ帝国支配下となった地域まで拡大させた.つまり,インカ・マヤ地域のミイラ文化はインカ帝国の繁栄とともに普及したのである. それでは,ミイラ文化が普及する以前は,各地どんな宗教を持っていたのだろうか?番組では,熱帯雨林に住んでいた先住民は,山間の洞穴に祖先の骨を祀っていたと紹介されていた. ミイラ文化は容易に受け入れられたのだろうか.人々の信仰心はどれほどだったのだろうか.宗教の違いによる意見の対立などは起きなかったのだろうか.そして,ミイラ文化が受け入れたのちに,人々の死生観はどう変化したのだろうか.番組では,「人は必ず死ぬけど,その先にも未来はあると信じていた」というコメントがあったが,輪廻転生のような考え方はなかったのだろうか....もっと,インカ・マヤの宗教や信仰心について,神話の紹介や,祭祀者(シャーマン?みたいな人)とかのインタビューとかあるとおもしろそうと思った.
②なぜ,スペインの侵略者たちはミイラ文化を否定したのか? ミイラ文化は,侵略者であったスペイン人に禁止され,ミイラのほとんどは宣教師によって,燃やされたという.ネットの情報によれば,キリスト教も一部聖人(例...日本人にとって有名なフランシスコ・ザビエル)がミイラとして,死後保管されているという. キリスト教としてミイラが認められているならば,スペイン侵略者がミイラ文化を否定したのは,インカ帝国の皇帝たちを否定し,人々を素早くスペインへ服従させるための方法という意味あいが強かったのだろうか.
③インカ・マヤ文化圏の人の色鮮やかな民族衣装 本編の内容とは関係ないけど,ところどころ出てくる民族衣装が,全体的に茶色っぽい背景の色に妙に映えてて,一体,染料をどこから手に入れてるんだろうと思った.加えて,これらの民族衣装ってそんなに見慣れてなくて,インカ帝国をテーマにした映画とかあんまり観てないのかな...そもそもないのかな?
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テクノロジー×地域課題解決 What is “Civic tech”?
(Japanese only) 先週の日曜日に神戸で行われているCivic techのイベントに行ってきた. Civic techとは,市民が地域課題・社会課題をテクノロジーの技術によって,改善していこうというもの. 例えば,公園の遊具が老朽化して,木でできたシーソーの塗装がはがれてきて,木が笹めくれのようにボロボロになって,よく遊んでいる子どもの手に刺さっているのを見つけたとする.さぁ,あなたはどうする? 私やったら,「ペンキ...塗り替えた方がいいだろうな.勝手に塗り替えていいんかな.いや,やっぱり市役所の仕事やろ?市役所の何課に言えばいいんやろ?....てか,わざわざ電話するのもめんどくさいし,出向くのはもっとめんどくさいな.私関係ないし,ほっとこ」 これで終わる. Civic Techの考え方は,そんな市民のために,街のことを市民が気軽に報告できる「アプリ」を作り,市民と行政間のコミュニケーションを円滑にすることを試みる,という感じらしい. すでに「ちばレポ」といって,千葉県で機能しているアプリがある. Civic tech の考え方はもともとアメリカの”Code for America”という団体がはじめて,今や世界中で”Code for 〇〇”の組織が,それぞれの地域のためにテクノロジーを利用しているらしい. 私自身,「テクノロジー×教育」というテーマでこの3年間あまり研究活動を行い,途上国の教育支援をテクノロジーを活用したいと思ってきた身だから,関心のあるテーマではあったんだけど, イベントそのものは,「Civictechあついよ!いいよ!!!」みたいなポジティブな面ばかりが全面に押し出されている感がして,そこにちょっぴり違和感を感じた. その違和感と,興味深いなと思ったことを3点にまとめてみた. 検討違いのことを書いてるかもしれないので,よく知っている人,教えてください... 1. デジタルデバイド,Civicデバイド Civic techを通じて関わる市民は,年代によって,けっこう偏ってるのかなぁと思った.お年寄り世代は,アプリやデジタル機器に弱いから「デジタルデバイド」を抱えている.一方,我々若者世代は,デジタルには強いけど,行政とか政治とかにあまり興味を持ってる人は少ない「Civicデバイド(勝手な造語)」だと思った. 今,4年前に神戸市長選の若者投票率をあげよう運動に関わった.当時の20代前半の投票率は16%(全世代では36%).かなり大々的な運動だったにも関わらず,その程度で終わってしまうんだなと.街を転々とする若者にとって,今住んでいる街のアイデンティティや,住みよいまちづくりに貢献したいとかそんな想いはあまりない.私も正直ない,日々の自分の大学とそれを囲む世界で生きるだけで十分で,そこに一市民としてという意識はあまりないから,Civictechに若者が少ないんだろうなと思った.
2. テクノロジーありきで進むこと イベント自体はエンジニア系の人が多いため,否定はできないし,私の参加したセッションの問題だったのかもしれないけど, 非エンジニアの私からすると,Civic techはテクノロジーの手段ありきで,地域の課題とか社会課題の深堀りが行われないままに進みがちなんじゃないかなぁって思った. Civic techの活動を積極的に行っているエンジニアの卵(大学院生)は,テクノロジーで教育を変えようと試みているようだった.学生や教員を交えたハッカソンのイベントを企画したものの,参加者は少なく,継続的に本格的に教育の課題を解決するようなアプリを作ることができてないらしい. 話を聞いてみると,現場の先生の課題や要望を的確に捉えられてないようだった.エンジニアはその技術をもっているのだから,Civic tech等のIT向けのイベントに行くこと以上に,社会課題そのものを扱ったイベントに行けば,テクノロジーじゃなくて,地域課題・社会問題そのものをCivictechからの目線で捉えられて,テクノロジーありきではない中で,その技術や能力が活かせるだろうになぁと思った.そして,テクノロジーが最善の手段でないなら,テクノロジーで解決しようとしなくてもいいという選択肢を視野もちゃんと持っててほしいなぁと思った.
3. 国際比較した時の日本人の行政に対する文化とは? イベントの序盤は,パキスタンアメリカ女性と台湾男性によるそれぞれのCivictechの活動の話だった.これが正直一番面白かった.まず,女性は,それぞれの国で活動を行ったところ,アメリカでは”Do it yourself”という感じで市民が市民の手で行政を変える姿勢は受け入れられやすかったが,パキスタンでは行政・政治に関わることに市民はすこし抵抗を感じていたとかで,国ごとでCivictechの考え方に明らかに差があったらしい. 男性の話は,台湾のひまわり学生運動に少し関連していた.台湾のひまわり学生運動とは,中国と台湾の間でサービス業を解放しあう法律を強行採決した際に,当時の学生らが国会へ突入,23日占拠し,審議のやり直しを図った運動だ.(アラブの春も似たような感じだったのかな.今度勉強しないとな)台湾は,そんな国ともあって,行政参加に市民が積極的そうで,Civictechの活動も盛んなんだとか.
じゃあ,日本はどうなんだろうと...
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