memo-0240
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——先日リリースされた新曲「Eureka」は、今のお話と通じるテーマの楽曲だと思うんです。「息を吹き返した」から始まる歌詞では、奪われた自己を自分自身と対話することによって取り戻し、前へと進み続ける様が綴られています。だからこそ、星野さんに「それでも進み続ける原動力はなんですか?」ということを伺いたいです。
うーん……死ねないから、かな。止まるっていうことは死、というか、死んだら止まるじゃないですか、誰でも。「前へと進んでいこう」みたいな意思がないわけじゃないんですけど、この曲は「そういうものである」ということを描いているだけなんですよね。生きている限り進むでしょう、という。極端な例を言うと、全く動かずに暮らしている人さえも何かしら “進んで” しまっていると思うんですよ。他人やあるいは本人も停滞しているとしか思えない状況でも生きている限り、人は進んでしまう。
——確かに否が応でも死へのタイムリミットは近づいていきますし、思考は積み重なりますもんね。ちょっと話はズレるかもしれませんが、例えば詩人のエミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)や画家のヘンリー・ダーガー(Henry Darger)のような死後、作品が “発見” され評価を受けることになった稀代の芸術家達は、生きている間は隠伿して芸術を作り続けていました。
そういう人達もいますよね。だから、絶えず競争社会を勝ち抜いて、周りに合わせて新しいトレンドをどんど��取り入れることにフォーカスしている人達が、前へと進んでいるのかっていうと、そういうわけではない。
——「Eureka」には「向かうほどに/呆れた 希望は/要らないまま」という今の時代を生きる人の実感と強く響き合うような強烈なラインがありますが、星野さんは「希望」を持たずに、人は生きていけると思いますか?
うん、生きていけると思います。改めて「希望は要らないな」と、最近感じていて。そもそも「希望ってなんだったっけ?」って。「新年会で行きたい店の第一希望は焼肉屋です」とかそういう意味の希望はあるけど、「何かを救ってくれるもの」みたいな意味合いの希望は存在しないと思う。逆に絶望は確かにある。でも、それでも今まで楽しく生きてこれたし、希望ってないといけない気がしてたけど、そもそも希望なんていらないじゃんっていう結論に今、辿り着いたって感じですね。
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「病む人は、苦しみを最小化するというゲームを演じることによってはじめて、社会空間の中に自分の場所を見だすことができる。」
クレール・マラン『熱のない人間』
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「八五年頃の危機は、つながりの危機であり、排除という言葉にその十全な意味を与えるものであった。それは、不幸と心的外傷〔トラウマ〕という概念にまぎれもない転換をもたらし、その動揺の広がりを私たちは今ようやく測り始めているところである。失業者、ホームレス、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ患者、重度の鬱病者、自然災害の犠牲者、こうした人々の全てが、互いに似たような存在となってきた。私が『新たなる傷つきし者』でその相貌を描こうとした、新たな越境的同盟〔インターナショナル〕が生まれようとしている。ジジェクが言うように、心的外傷後の主体の形は、同一性の空虚と放棄というこれまでに見たことのない人間の姿を示しており、それはほとんどのセラピー、とりわけ精神分析の手には負えないのである。
こうした状況のなかで生活すること――だが、つきつめて言えば人は常にそのような状況のなかにあるのではないだろうか――は、外部の不在の経験に行き着くものであり、それは同時に内部の不在である。そこから逃れることは不可能で、ただその場で変貌を遂げるしかない。世界の内も外も存在しない。変化はより一層根源的で、暴力的にならざるをえない。それだけに、必ず〔存在の〕断片化が生じる。主体の主体自身に対する不和が最も亢進した場合、その葛藤が最も深刻な場合には、もはや悲劇的な像すら構成しない。それは、逆説的にも、無関心と冷淡さによって特徴づけられるのである。」
カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』
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「病いは、顔を喰い尽くすことによって、その人の前に名乗り出る。あたかも、その人はもう自分の乗り物でしかないというように。(中略)病む人が鏡のなかに見る顔は、他人の顔のように見える。病いは、この不快な違和感、主体の剥脱と他有化の感覚を呼び起こす。つまり、自分に固有のものであって、内密なものであると同時に人々にさしだされていたもの、すなわち自分の顔が奪われているのである。」(クレール・マラン『病い、内なる破局』
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「病いはまた、他の人々に拒絶感、嫌悪感、恐怖感をもよおさせることによって、病む人が自分自身について抱いているイメージを傷つける。(中略)病む人は、思い描いていた自己の同一性から暴力的に引き離されてしまう」(クレール・マラン『病い、内なる破局』
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「幸福な状況は他者が与えることができても、幸福であるかどうかは本人に依存する。逆境にあっても幸福を作り出す人もいれば、幸福な環境の中でも不幸を作り出してしまう人がいる。大部分の不幸はその人自身の作品である。自分の人生は自分しか作れない。これからの自分についての責任は、自分しか追うことができない」(『「自分には価値がない」の心理学』P98)
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ジャン・リュック・ゴダール
「最初は、あなたの一日を撮ってみなさい。朝起きてから、夜寝るまで、そして夜も夢を見ている。その一日を撮りなさい、本当のあなたの一日を撮ってみなさい。警察に話すようなやり方ではいけない。朝起きて、歯を磨いて、コーヒーを飲んで、仕事にいって、友達と会って話して、それから寝た、これは本当のあなたの一日ではない。本当のあなたの一日を語るように試してみなさい。カメラを使って、映像と音を採って、本当の一日を果たして語ることができるのかどうか。採ってみたら、本当の一日は語れないということがわかる。もしも自分が本当の一日を撮れたと思うなら、友達やお母さん、あるいは身近な人に見せなさい。見てもらって、果たして映��館の入場料と同じ十ドルを、これに対して払うことを受け入れてくれるかどうか聞きなさい。おそらく、観客は、自分に本当に近い人であっても、あなたの本当の人生にはまったく興味がないことがわかるでしょう。そうすれば、本当の映画とは何かという問題提起をはじめることができる。」
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●撮影者が可能にすることの不完全なリスト
(撮影者自身にとって)
・自分の世界ではない世界にアクセスし、そこに留まる理由を与えてくれる
・社会的な規範に反するようなふるまい、問いかけ、行動をする許可を与えてくれる
・自分の人生から完全に目をそらすことができる
・経験したことの証拠を創造する
・物理的に可能な範囲よりも近く、または遠くへ(レンズを通して)行く機会
・感情的なつながり
・トラウマ(代理的、二次的、直接的にも)
・影響力や権力の強化
・自分は目に見えないんだという感覚
・無敵感
・魔法のような思考
・時間の停止 (被写体にとって)
・いままで話したことのないことを話す、いままで思ってもみなかったことを口にする機会
・自分たちがもはや生きていない未来に思いをはせることができる。ただし、彼らの言動は別のかたちで保存される
・自分自身を(時間と注意を払うに値する)客観的対象として見ることができる
・異なる結果を想像する機会
・コミュニティ(家族、村、職業)における地位の変化をもたらす
・自分自身の安全および/または評判に対するリスクの増加
・自己イメージの創造。そのイメージの世界規模での拡散を永久にコントロールできないこと
・自分自身を異なる視点から見る機会
・どのような逸脱が可能であるかについて見方が変わる
・撮影スタッフとの感情的なつながり
・撮影されることによって自分の運命が変わり、将来の状況に影響を与えるかもしれないという希望
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「母性とは、私たちの文化のなかで、私たち自身が対立するという現実や、完全な人間であることの意味を封じ込める、というよりむしろ葬り去る場所だ」 「それは私たちの個人的・政治的な失敗のための、究極のスケープゴートである」 「世の中のあらゆる問題の解決は、信じられないことだが "当然に" 母親の仕事だ。私たちの社会や私たち自身について考えるのがむずかしいすべてを、母親が背負うことを期待するとき、私たちは母親に対して何をするのだろうか? 母親は、まっとうに生きられる人生の最も困難な側面に関わらずにはいられないのだ。なぜ物事を明るく、無邪気で、安全なものにすることが、母親に課されなければならないのだろうか?」 Jacqueline Rose『Mothers: An Essay on Love and Cruelty
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「何でもないことは流行に従う、 重大なことは道徳に従う、 芸術のことは自分に従う。」
(小津安二郎・述、『小津安二郎 大全』朝日新聞出版、P498)
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リリーフランキー「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと俺は友達になりたくない。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。社会はおかしい、政治は腐ってる、人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。正常でいるほうが難しい」
――吉田豪のインタビューに答えて
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“人間は社会に組み込まれて存在しており、それを無視して「視点」を優先することは、結果として別の物語、つまり「私は物語を拒否します」を採用することになるだけです。結局のところ、これが実存主義が実際にはどこにも行かなかった理由です。 むしろ、問題は実際にはその逆だと思います。人々が物語を十分に受け入れていないということです。現代とは、社会の全体的な物語や、個人や場所のローカルな物語がまったく存在しない場所として正確に表現されています。ドゥルーズの概念を借りれば、すべてがあまりにも「脱領土化」されすぎています。私たちはおそらく、自己と社会の感覚の根底にしっかりとした物語があれば、より幸せになるでしょう。”
— 人生は物語ではない |ハッカーニュース
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