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Praha,Czech Republic
プラハ本駅のすぐ東にジシュコフの丘という高台がある。かつてヴィトコフと呼ばれたこの丘はプラハの歴史に名を残す場である。それは1419年にフス派とそれを異端としたカトリックと神聖ローマ帝国の間で起こったフス戦争の著名な戦い ヴィトコフの戦いの地であるからだ。この戦いは反フス派の十字軍がプラハの街を包囲する際、包囲の輪の穴となっていたヴィトコフの丘にある砦を落とすために起こった。ここを守るフツ派の兵士はおよそ30人と絶望的な人数であったが、装備していた有効な新兵器にも助けられて何とか一日持ちこたえた。翌日、チェコでは数少ない名将 ヤン・ジシュカ率いる部隊が後方から奇襲をかけ、逃げ惑う十字軍の兵士は崖から転落したりヴルタヴァ川で溺れるなどして500人ほどの犠牲を出し、この戦いはフス派の勝利に終わった。この勝利でボヘミア全土にフツ派の蜂起が広がり、ヴィトコフの丘もさらに要塞化されてヤン・ジシュカにちなんでジシュコフの丘と呼ばれるようになった。
そんな歴史のあるこの丘の中腹に線路とプラハの街並みを見渡せる場所がある。仕事の休息に煙草や大麻を吸う人が散見され、地元の人々の憩いの場となっている様子だった。独特なティーン教会の尖塔やプラハ城を背に走るのはチェコ国鉄の可愛らしいローカル列車。中間車だけドアが低いのは、共産時代の車両を無理矢理バリアフリー化したかららしい。
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Ústí nad Labem,Czech Republic
プラハからベルリン経由ハンブルグ行の国際列車 Berlinerに乗り込み、ドイツ国境に近いウースチー・ナド・ラベムに向かう。この街の南部にあるストレコフ城はエルベ川のほど近くにあるため戦略的にも重要な場所であり、三十年戦争や七年戦争でもこの城を巡って戦いが起きた。これらの戦いで廃墟と化したストレコフ城だがその姿が多くの作家や芸術家を惹きつけ、ゲーテは中欧で最も美しい景色と評し、ワーグナーはオペラ タンホイザーを作る際、ここにインスピレーションを得た。そんな歴史ある古城の前をひっきりなしに貨物列車が通過する。チェコとドイツを結ぶ大動脈であるとともに、近くにチェコが誇る自動車メーカー シュコダの工場があるためだ。貨物列車を牽引するのは曲線が特徴的な共産時代の機関車。ビ��ード革命から約30年、チェコの経済発展と共にピルスナーウルケルの泡の如く、彼らも姿を消そうとしている。
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Eglisau,Switzerland
スイスとドイツの国境は基本的にライン川に沿っており、北側がドイツ、南側がスイスとなっている。しかし、このエーグリソーの一帯はライン川の北側にスイスの領土が広がる。そのため町が両岸に広がり、かつてより水運の要所として栄え、船着き場と川面に近い建物が並ぶ特徴的な街並みが広がる。奥の斜面には葡萄園が広がり、ワインの生産も盛んだ。こんな美しい街であるが、スイス最大の都市 チューリッヒから約30分でベッドタウンというから驚きである。
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Interlaken,Switzerland
インターラーケンはその由来である「inter lacus(ラテン語で湖の間の意)」の通り、トゥーン湖とブリエンツ湖に挟まれた街である。 18世紀から始まった山岳観光のブームと共に発展し、 小さな街であるが、アイガー・メンヒ・ユングフラウの玄関口、ベルナーオーバーラントの観光拠点として、広く世界に知られている。バイロンやゲーテ、メンデルスゾーンやブラームスといった著名人も訪れ、アルプスのパリとも評された。この街は日本人にも関係が深く、およそ150年前に岩倉使節団も訪れ、言われてみれば似ている大津市と姉妹都市である。そして極め付きは日本庭園があり、これは前述の大津市が作ったものである。何はともあれ、一人で異国を旅する時に母国を感じられると妙な安心感がある。
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Faulensee,Switzerland
スイスの首都 ベルンからベルン州を南下し、トゥーン湖の畔を走ってきたBLS鉄道は交通の要所 シュピーツでブリーク/ドモドッソラ、ツヴァイジンメン、インターラーケンの各方面に分岐する。そこからインターラーケン方面に一駅、大半の普通列車も通過するファウレンゼーという小駅がある。駅の裏にある高台から��小さな教会が愛らしいファウレンゼーの村、翠玉色に輝くトゥーン湖、そして遠くはベルナーオーバーラントの山々まで見渡せる。まだ夏の暑さも残るスイス、羽織りを脱いでいざファインダーを覗く。あまりに秀逸すぎる塗装で10年以上私の脳裏にこびりついていたスイス国鉄の2階建て車両が走り抜ける。スイスのエッセンスを凝縮した一枚を撮ることができた。生憎、曇りであったが……。
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Steinen,Switzerland
“スイス"の名の語源と言われるシュヴィーツの隣にシュタイネンと言う町がある。特にこれ言ったものがない町で、Wikipediaを覗いても人口のことしか書いていない。そんな普通の町にある名も知らぬ山。なんと整った形であろうか。そして、吐息が宇宙まで届きそうな澄んだ空。スイスの「普通の風景」に圧倒された時間だった。
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Wassen,Switzerland
ゴッタルド峠はスイスからイタリアへ抜ける大動脈として、そしてボトルネックとして名を馳せてきた。しかし、2016年に開通した世界最長のトンネル ゴッタルドベーストンネルにより、それは大きく改善され、もはやアルプスは人類にとって輸送の障壁ではなくなった。メインルートから外れたかつての峠越えの路線は現在、ローカル線となっている。 そんなゴッタルド峠をイタリア語も聞こえる路線バスで登ること1時間、小さな村 ヴァッセンに到着した。村には電車オタクの間では有名な撮影スポットがあるのだが、そこがどう考えても牧場の敷地。靴は牛糞に塗れ、牛に並んで三脚を立てる。地主が来ないことを祈ること1時間、汽笛一声、スイスらしい赤い機関車が遥かなるアルプスの絶景に滑り込む。鉄道写真とはこんなにも美しいものだっただろうか。自分が世間で煙たがられる存在、撮り鉄であることを忘れてしまった。
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Sevelen,Switzerland
濃霧。世界で最も信頼できる天気予報の一つであるECMWFはそう言っていた。意気消沈の中、関西空港から乗ったKLMオランダ航空のボーイングで太陽を追いかけ、スイスの地を10年ぶりに踏む。そして、チューリッヒからSバーンに揺られること2時間、隣国リヒテンシュタインのトリーゼンベルグ見上げる谷間の小さな町、ゼーヴェレンに着いた。変わらぬ予報に愕然としながら、丸1日かけた移動の疲れを安宿で洗い流す。しかし、翌朝は予報を完璧に裏切る見事な快晴。グラーツ・ザグレブ・リュブリャナ発、かつての鉄のカーテンを越えてきた夜行列車は、聳え立つ屏風岩を背に朝日を浴びてやって来た。
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The Cathedral and Metropolitan Church of St Peter in York, United Kingdom
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