Text

#013 trick or treat naohiro kiyota / MIDORI.so member 29 Oct 2021. 誰がゴミを拾うのか? 私事で恐縮ですが、僕は約24年前に九州の福岡から20歳で東京に出てきました。最初の東京の印象はカオスそのもので、上京して一番最初に住んだのは国分寺市の恋ヶ窪というロマンチックな名前のエリアで、そこで実際いろんな恋が生まれては消えていったわけですが、新宿から中央線に乗って西へ向かう車窓の向こう側は、統一感のない建物が延々と続いて、いつまで経っても景色が変わらないし、駅前には百貨店とスーパーとパチンコ屋と居酒屋と食堂と風俗店が同じエリアに無秩序に密集していて「これが東京か」と、とても衝撃を受けたのを覚えています。(後になって、それは中央線だからだと気がつきました。) そして国分寺の次は相模原、仙川、八幡山、浅草、代官山、原宿、初台、烏山、大蔵、祖師谷、そして東京の西の果てにある檜原村に流れ着くまで、約20年で11の街に移り住んできました。しかし振り返ると、本当にそれらの街に「住んだ」と言えるのか、非常に疑問です。いま思えば、ただ食べて寝てクソしてゴミを出していただけだと言ってもいい。自分のことしかやっていませんでした。街のことを何も考えてなかったし、街のために何かをしたことは一度もありませんでした。住民税は滞納しながらもなんとか払ってましたが、隣近所の人と声を交わすこともなかったし、自治会にも入っていなかったし、街の中に自分の役割は何もありませんでした。 もうすぐハロウィンがやってきますが、毎年ニュースで取り上げられる渋谷のスクランブル交差点でゴミと騒音を撒き散らす荒くれ者たちは、渋谷に住んでいません。夏になると自邸すぐそばの秋川上流の河原で爆音鳴らして酒飲んで騒いで肉焼いてゴミを散らかす人たちは、檜原村に住んでいません。そこに残されたゴミは誰が拾うのか? それはその街に住んで仕事したり生活したり、その街のことを大事に思っている人たちです。自分の街だと思ってない人たちが、その街を汚すのです。1999年に"悪そうな奴は大体友達"とラップしていたZEEBRAさんが、渋谷で「街のために」と最初にやったのが朝のゴミ拾いだったことを思い出します。 「ゴミを拾う」という行為は、その地域のローカルコミュニティに自分が属しているという1つの証明にもなります。そして、そのようなローカルは田舎だけにあるのではなく、都会の中にもあるということです。逆に、二拠点生活や他拠点生活が最近もてはやされていますが、ただ田舎に物件を借りたり買うだけではローカルコミュニティに入っていくことはできません。新しい街に入るとき、その場所と新たに関係を結ぼうとするとき、まずはゴミ拾いからやってみるのもいいのかなと思いますが、いかがでしょうか。 清田直博|Naohiro Kyota 福岡県生まれ。ライター、エディター、デザインディレクター、クリエイティブディレクター、自転車生活アドバイザー、Night Pedal Cruising 初代リーダー、MIDORI.soスターティングメンバー。編著に『We Work HERE 東京のあたらしい働き方100』や『NEXT WISDOM CONSTELLATIONS 2014-2018 叡智探求の軌跡』など。檜原村役場産業環境課観光商工係観光情報発信担当、第二種兼業農家。
0 notes
Text

#012 welcome to BAKUROYOKOYAMA teruo kurosaki / MIDORI.so producer 22 Oct 2021. 「なぜだろう、なぜかしら?」という本を小学生低学年の頃、僕は愛読していた。それは当たり前のことを一々「不思議だな」と疑問視して、そのわけと理由、いわば “sense of wonder” を掘り起こしていくことを書いた本だった。それは学校で学習して、「そんなことは当たり前だ」ということをわざわざ掘り起こして、「そんなことを聞くのも恥ずかしい」といったことを聞く勇気、疑問に思うことをありとあらゆる方向から再度問題として提起していくという姿勢を僕らに教えてくれていた。 「好奇心の勧め」ということを僕は最近のテーマとしている。学校で学ぶということはほとんどができるだけ早く正解を出すということに尽きる。だけど世の中には正解の無い問いかけがたくさんあるばかりか、そもそも何が問題かもわからないことがたくさんある。そこでこの「なぜだろう?なぜかしら?」という言葉を常に忘れないで心に留めていようと思う。みんな起業したり、友達と何かを始めたり、事業を起こしたりすることに集中して、その言葉を忘れている。ここに来て、お金のために全ての行動の根本の動機づけをするということが、大きく方向を狂わせる元になっている。むしろ面白いこと、きれいなこと、素晴らしいことといった視点や、自然なこと、本来あるべきこと、良いことという視点なども入れてみたらどうだろうか。「美しいことをやろう」などと言うとキザな奴と言われるから「カッコいいことをやろう」とすると良いかもしれない。人のためになることというとの裏にお金を儲けるということが隠れていないか?綺麗にお金も儲けるという事業を組み立ててたい。

最近の社会を見ると、自然の摂理に反して農薬や人工的な肥料で体に悪いものや自然を壊すもの、多様な視点を否定してきたがために、近年の異常気象や、はたまた地球温暖化により自然が大きく崩れて、人類の生存も危ぶまれるところに来ている。こうした状況だからこそ、新しく社会や世界を作り替えたり、良いことをや美しいことを始めるということの意味があると思う。それには色々な人、奇人も含めて変わった人や面白い人がたくさんいて、話しているという環境を作り上げたい。 “Inspiration comes from conversations.” インスピレイションはとかく会話の中に潜んでいるものである。変わった人との会話からいいヒントが得られたりするものだ。そこに、初めて新しいことを始めるアイデアが生まれるものだ。それも一緒にものを作ったり、料理をしたり、作業をしながら笑ったりすることの間に隠されていることが多い。体全てを動員して、感覚も頭だけでなく、笑ったり泣いたりすることを含めて、無い知恵を絞って全力で新しいことを始めようではないか。MIDORI.so BAKUROYOKOYAMA はその場所になるためにどんどん変化していく。できる限り工房を活かしてワークショップを実施し、そしてスタッフと言わないでコミュニテイオーガナイザーによって集められた、奇人を含め変な人や面白い人が集まってくる状況を作る。その中から天才的な叡智が出てくることを期待している。今ほど新しく大きく変えることが求められている時は、無い。 photos by masayuki nakaya
0 notes
Text

#011 I'm hungry! sayoko kawai / community organizer 11 Oct 2021. 「ランチできたからみんなでたべよう」 キッチンでランチができあがると、コミニティオーガナイザー(CO)がメンバー1人1人に声をかけにいく。MIDORI.soではいつもの景色だが、メンバーになったばかりのときは驚いた。シェアオフィスと聞いて、それは家賃や設備をシェアする空間だと思っていた。友達じゃない、家族でもない、同僚でもない人とランチを一緒にするという、時間のシェア。一番最初に参加したランチ会は特に印象的で、自分の職業は「いろいろやっていて説明できません」という人ばかりで結局のところ何をやっている人なんだと心の中でツッコミをいれた記憶が今でもある。 ただそんな驚きとは裏腹に、メンバーと話をしていると、なぜ自分はここにいるのかという問いや、今まで興味もなかったことが、自分の世界に入り込んでくる。そういえば、この間は「締め切りがない仕事を模索している」と言っていたメンバーもいた。締め切りに追われまくっていた私にとってはそんな仕事あるのかと、震天動地、脳天直撃である。(現にこのコラムもまさしく締め切りをとっくにすぎていて、焦燥感と戦っている) そうした知覚の広がりは、新たな自分への気付きとなり、時には今まで自分をしばっていた思い込みをスパッと外してくれた。この「自分のバイアス外し」は気持ちいいし中毒性がある。どうしてもこの感覚を忘れたくなくて、自分がフリーランスになるタイミングで、MIDORI.soのCOになって関わり続けることをきめた。メンバーから運営側になってみて、箱の中にいくら人を詰め込んでも、そこに関係性は生まれないのだということに改めて気がついた。隣に人を並べても、現代人はスマートフォンやPCの先にいる人たちとの交流の方が圧倒的に盛んなのだ。 MIDORI.soが提唱する、個人と個人がゆるくつながった「良質なカオス」を展開していくと、実はこの「ランチできたからみんなでたべよう」につながるのではないか。オンラインが苦手な「ごちゃまぜ」の状態が、この一言によって簡単に実現できる。そう考えるとこの言葉の先に、帰る時にメンバー同士がお疲れ様と言い合ったり、時には一緒にプロジェクトをするという景色があるのかもしれない。ひいては私のようにうっかりCOになる人まででてきてしまう、そんな不思議な言葉なのである。 最後にーコロナ禍で集うことに対して集める方も集まる方も少し臆病になってしまった。たくさん気をつけなければいけないこともある。細心の注意を払ってくれるケータラーさん達には毎回感謝しかない。1日でも早く「ランチできたからみんなでたべよう」と、大きな声で言える日を心待ちにしている。 photo by atsuki itoh
0 notes
Text

#010 workaholic seira nakanishi / community organizer 04 Oct 2021. コミュニケ−ションを取るのに、必ずしも言葉は必要ではない。必要なのは、想像力と表現力。その表現の一つの手段として、言葉が出てくる。また、想像力のある表現があっても、意思と信頼が固くないと崩れてしまうこともある。ここで、���私」と「歯」の話をする。 先日、ついに私にドクターストップがかかってしまったのだ。ビールである。これはなかなかしんどい診断であった。この夏の私と歯のコミュニケーションは、以下のような感じだった。 私:毎晩のビールだけは欠かせん!!(意思) 最近歯がしみるけど、今まで大丈夫やってんから。様子みよ。(歯への信頼) 歯:やめてほしい物があるねん!!(意思) 自分の体を蝕ませれば痛みも出るし、さすがに治療に行くよね。(私への信頼) ここで気付きたいのが、「私」と「歯」の間に意思と信頼はあれど、両者のコミュニケーションに求めるゴールにはギャップがあるということだ。このギャップが埋まらない限り平行線で我々の攻防は止まらない。だが、その点で役立つのが想像力である。想像力とは、この攻防で感じ取ったことを自分の中で立体的にし、それを元にまたコミュニケーションという名の表現に起こすまでを言う。もちろん自分の中での想像による創造なので正解はないのだが、この想像、つまり、相手を想い、表現することこそが思いやりというものなのだ。 「私」と「歯」には、意思と信頼はあれど、「想像力」がなかった。そのような両者のギャップを埋められないまま、歯医者に行った後の当然とも言える苦しい結果であった。だが、歯医者がどのような決断を下そうと知らんこっちゃである。なぜなら私と歯医者の間に「信頼」は皆無だったからだ。どんな治療をされたかは略するが、それはそれは、悲しいものであった。 と言うことで、コミュニケーションをとるのに、言葉は必ずしも必要ではない。大切なのは相手を思いやる想像力と、意思と信頼あっての表現をすることである。現に私は、ビールを飲む前に生野菜を食べ、後には口をゆすぎ白湯を飲むことを習慣にしている。歯を思いやりながらも、自分の欲望は満たしている。今のところ、私と歯のご機嫌は上々だ。 ビールを飲む理由には、大好きだということ以外にもうひとつある。私はMIDORI.soでビールを作っているのだ。MIDORI.soでのビールの役割は、「今日も頑張った!」の一杯。「まだ終わってないけど、リフレッシュしたいなあ」の一杯。「誰か飲んでるから、飲んじゃうかー」の一杯。様々だ。どうせなら、スペシャルな一杯にしたいじゃない。MIDORI.soで働く者たちをたくさん見てきて、私はどうしたらメンバーに対してもう一歩踏み込んだコミュニケーションが取れるのか?考えた先には理性をぶっ飛ばして、一度腹を割って話せばいいんだ!と言う答えがあった。理性を飛ばすと言うのは、自分の居方を確立させてくれるという大きな役割がある。 理性という名の仮面が外れればたちまち、身体を駆け巡っていた想いが顔や四肢の表情を借りて前に繰り出す。そこには自由で確固とした「意思」がある。メンバーには少なくとも働く場を共にしている「信頼」感がある。そこに彼らへの想像力を加えた表現が加わった時、ぐっとくる会話のコラボレーションが生まれる。それは、インスピレーションがあったり、深呼吸できるようなリラックスをもたらしたり。受け取り方ももちろん様々。理性をぶっ飛ばすには、とりあえずビールっしょ!ということで、美味しいビールを飲んではメンバーとの会話を想像して研究は続くし、歯とのコミュニケーション、自分の気持ちを大切にしつつ、次は違う歯医者さんに行こう、と今日も思うのだ。 photo by seira nakanishi
0 notes
Text

#009 rerax dean aizawa / community organizer 27 Sep 2021. Clouds slowly dissolve, Sensing a warm reach. The while, I sit in content Gazing towards the distance, Tree shadows casting overlong, Branches arching over And hazy silhouettes within. Such common composition feeds rare epiphanies. Reminiscing a silent play or film. A spice for inspiration. Softly and warmly swaddling me back in time. A smooth joyful descent. Vague yet memorable milestone of its prime. The gaze carried on. Subjects sauntered out of frame, Yet the play continues in fragments. Like the quarrel between the wind and trees. But gently begins an orchestral interlude And I find myself above the sky As I reclaim my role. I exist. ーーー 雲がゆっくりと溶けていく あたたかさが伝わってくる その間 僕は満足して座り 遠くを見つめている 木の影が長く伸びていて 枝は弧を描いている それは霞んだシルエット
こんなありふれた風景が 稀な閃きを与えてくれる 無声劇を思い出すような 第6感へのスパイス ふんわりと僕を包み込み 過去へと連れ戻される 滑らかで愉快な下り道 漠然としながらも 記憶に残る全盛期の節目 僕は見つめ続ける
被写体は視界から消えるが その劇は断片的に続く 風と木の舞 そっと始まる間奏曲 気がつくと空の上にいた僕は 自分の役割にふと気がつく
僕はただ存在している photo by mizuki kanamura
0 notes
Text

#008 rules mizuki kanamura / community organizer 20 Sep 2021. 京都から東京に帰ってくる新幹線で、「黄色いパスケースの落とし物がございました」というアナウンスが流れた。話し方が元々録音されていたのかというくらい型に沿った車掌の話し方だったから、てっきり駅に着くアナウンスか何かかと思った。日本人なら誰でもイメージ出来るであろうあの車掌さんの話し方が一体どのような経緯で生まれたのか謎だが、考えてみればラジオが生まれた時代は世界中どこでも型のある話し方で物事を伝えていた。日本では今でも綺麗な話し方という型を色んな人が色んな場面で守り続けている。 それに対して今のロンドンの地下鉄の車掌さんたちの話し方は何ともユニークである。朝から陽気に"Have a nice day everyone!"という人や、さりげなくジョークをかます人、満員電車でもみんながドッと笑う瞬間があったり、人間味を感じることが多い。各駅の改札口に置かれているホワイトボードには、駅員の性格が滲み出るようなクオートやメッセージが書き出されていたりする。忙しく働く人たちを元気付けようと気を利かせているだけでなく、彼ら自身も楽しんでいること、自分の仕事に誇りを持っていることが伝わってくる。 ロンドンの車掌さんたちにも、伝えなければいけない事や、やらないといけない事は一応ある。型があるからこそ社会は回っている。彼らの共通点は、他人の目や昔からある型を気にせずに、自分のためにも、周りのためにも正しいと思うことを出来る勇気がある事だと思う。自分の頭で考えてこうした方がいいかも、と思ったことをやろうとしたら、既にある型から少しはみ出してみないと出来ないことがあったりする。それは型を拡張すること、作り替えることとも言えるかもしれない。 自分を守るために、傷つかないために型にはまり続けることは、頭を使わなくて良いからとても楽で簡単で安全だ。それはほとんどロボットになることと変わらない。しかし人間として、ロボット(になってしまった人間)とコミュニケーションをとることはとても難しく、冷たく、虚しいことである。人間らしさを殺すのは新しいIT技術の発展ではなく、思考停止させる古い型たちとそれに従う私たち自身なのでは無いか? 人間が人間らしく生き働くために、今日も疑おう。話そう。楽しもう。 私たちはみんな一緒に生きている。 photo by mizuki kanamura
0 notes
Text

#007 what shapes you? saburo tanaka / community organizer 13 Sep 2021. 世の中のすべてのものは、メガネか、メガネじゃないかに分かれる。 くつ→メガネじゃない タンス→��ガネじゃない コンタクトレンズ→メガネじゃない 僕→メガネじゃない 僕が家でかけているメガネ→メガネ JINS→メガネじゃない JINSで売られているメガネ→メガネ メガネ風→メガネじゃない 高いメガネ→メガネ 安いメガネ→メガネ 高いメガネじゃないやつ→メガネじゃない パンはパンでも食べられないパン→メガネじゃない 上司にしたい有名人ランキング第1位→メガネじゃない メガネ?①→メガネ メガネ?②→メガネじゃない メガネ!→メガネ また、世の中のすべてのものは、 しいたけか、しいたけじゃないかに分かれるし(僕はニンジンじゃない) スラムダンクの2巻か、スラムダンクの2巻じゃないかに分かれるし(僕はスラムダンクの2巻じゃない) 常盤貴子か、常盤貴子じゃないかに分かれるし(僕は常盤貴子じゃない) MIDORI.soの人間か、MIDORI.soの人間じゃないかに分かれる(僕はMIDORI.soの人間だ)。
0 notes
Text
#006 SF短編集のススメ(S:F=すこし不思議) sakiko masuda / community organizer 06 Sep 2021. 藤子・F・不二雄先生といえばドラえもんやキテレツ大百科などアニメ化されている作品が有名ですが、個人的には真骨頂的最高な作品はSF短編集です。既に多くの方にとって好きな作品だと思うのですが、先日、何回目かわからない再読をしてみて改めて本当にすごく面白い作品だなあと思い、紹介文でも解説文でもない「ススメ」的文章を書いています。
全体的に所謂「ブラックユーモア」「風刺的」な面白さ満載で、よりポピュラーな藤子・F・不二雄先生の作品等につながる要素が見えてくる楽しさもあるのですが、私が思うこの作品の素晴らしさやすごさというのは単純に「ストーリーが面白い」とか「絵柄が好き」というそういうのは大前提として「え、まさに近年話題になってることじゃん」みたいなことを1970年代後半ー1980年代前半に既に発表されていること。フェミニズム的な思想や、幸せとはなんぞやとか、マーケティングな目線だとか、食料など資源問題とか、無意識に当たり前に感じてしまっている価値観とか、未来で流行るだろう想定の会話で着ている服が90年代に大ブームになるアムラー的ファッションだったりとか。
そして、作品のオチが「問題定義の先のことを考えさせてくれる」ように私は感じています。基本全て一話完結になっているので(シリーズ的に複数回出てくるキャラもおりますが)サクサク読める。中途半端に読める。完結したものしか読みたくない人にもおすすめ。星新一の「ショートショート」や「世にも奇妙な物語」あたりが好きな人にはもちろんのこと、F先生が繰り出す道具好きな方々には、[異色短編集]の「パラレル同窓会」から読み始めるの一推しします。自分の大好きな人たちに、このちょっと「背筋の凍る楽しい」を共有したくて機会があれば文庫の「ミノタウロスの皿」を幾度となくプレゼントし続け、結果、人生で一番買った漫画であり、今後これ以上買う作品はないように思います。
藤子・F・不二雄先生がご存命だったらこの2021年にどんな作品を残されたのでしょうか。F先生の作品の中で未来にいる「今」からの更に未来、これからの「働く」をテーマにした作品があったら...と、そんな妄想にふけたりするだけでも私は豊かな時間を過ごせているのです。
0 notes
Text
#005 back to the real erina shiokawa / community organizer 30 Aug 2021. 今までの私の人生は人との暮らしを共有することで大体のことが成り立ってきた。特に仕事面でいうと、前職のシェアハウス運営の仕事、今のコミュニティオーガナイザー(以下、CO)の仕事もシェアメイトたちとの雑談の延長で紹介してもらい知ったのだった。物事が動き出すきっかけは全て「雑談」から始まると思う。なにか生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど。 数年前は仕事も基本はリモートワークだったのでシェアハウスで一人黙々と仕事をする日々。でも夜にはシェアメイトたちが帰ってきて一緒にご飯を食べながらリビングで談笑。楽しかった。MIDORI.soでも働くのはもちろんだが、みんなの仕事を知ったり、一緒に雑談したり、ご飯を食べたり、時には悩みを相談したり、より関わりの質と幅が広がった。同じ空間で同じ時間を共有していくと、意識的にも無意識的にも影響し合っていく。住む場所でも働く場所でも人が主体の空間でリアルに会って心を通わせる。そうしていけば自然と面白い状況が生まれていく。それはどんな場でも本質的には変わらないんだとMIDORI.soに関わるようになって、より思う。 中学生のときに通っていた学校の校是に「自由の快翼を張り 責任の重荷を負う」という言葉があった。つまり、責任を果たしたところに自由がある、という意味だ。そのときは一ミリも心を動かされることはなかったしすっかり忘れていたけど、大人になりフリーランスとして働くようになってからまさかこの言葉を思い出し身に沁みる日々が来るなんて思いもしなかった。働き方≒生き方を自分の意志で選択している人々は、各々が自分の人生に責任をもって仕事を全うしているのではないか。ここにいると心の中ではサボりたいなと思いながらも、自分も頑張らなくては、一生懸命生きなければと思わされる。それと同時に、自分の判断で物事や仕事、働く場所、住む場所、生き方を自由に選択できる状況をこれからもつくっていきたい。それには常に考え続けなければならないし、自分自身への問いも必要だ。世界を変えてやろうとかそんな意志は正直ないけれど、自分にも周りにいる人々にも心地よい状態でいてほしいし、困ったときには一緒に悩んだり喜びも共有したい。何がより善い生き方なのかを今後も考察していきたい。
0 notes
Text
#004 bonfire mizuki Kanamura / community organizer 23 Aug 2021. 小学生の頃から、キャンプ場での夜の焚き火の時間が好きだった。目の前で燃え上がる炎に非日常感を覚えワクワクしていたのかも知れないが、それ以上に、焚き火の時間だけは必ずみんながそこに集まってくることに楽しさを感じていたのだと思う。大昔から人は、生活に必要不可欠な火の元へ暖を取りに集まってきていた。そこで生まれていた小さな会話の数々は、その後の文明の発展にも繋がっているだろう。 現代社会で焚き火を頻繁にするという人は稀だが、MIDORI.soには焚き火的な存在が散りばめられている。ラウンジでは、コミュニティオーガナイザー(以下CO)やメンバーがコーヒーを多めに淹れてシェアするというシーンがほぼ毎日見られる。忙しいからとインスタントのコーヒーを1人で飲むよりも、おいしい豆を都度挽いて淹れ、みんなで飲む、特に人に淹れてもらったコーヒーはやはり格別だ。 また、週に1度各拠点で行っているコミュニティランチでは、12時半になるとみんながテーブルに集まってきて、おいしい食事の時間を共にする。MIDORI.so 中目黒と永田町にある円卓での食事は、まるで焚き火を囲んでいるかのように見える。表参道には「最後の晩餐」でも始まりそうな長机が。その時に居合わせた人同士でのユニークな会話や、新しい出会いや刺激が生まれている。 おいしいものだけでなく、美しいものや楽しいことを、自分だけでなく周囲の人ともシェア出来る環境では、みんながいい気分で、コミュニケーションも優しくあたたかいものに感じられる。コロナ禍により人が集まれる機会はかなり減ってしまったが、このような「焚き火」の出来る場所はこれからも必要とされていってほしいと思う。
0 notes
Text
#003 good place yuko nakayama / community organizer 16 Aug 2021. 漫画「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこが生きていたら、MIDORI.soの日々の出来事を、彼女の独特な世界観とユーモアある視点で描いてもらいたかったと願ったことがある。メンバーと同じようにデスクで仕事をし、仕事の合間にラウンジで一緒にランチを食べたり、コーヒーを飲んだり、時々夜にビールを飲み交わしたりしながら、MIDORI.soの日常を観察してもらう。それを漫画に落とし込んでくれたら、どんな仕上がりになったのであろうか。そんな妄想を繰り広げると顔がほころんでしまうが、それは叶わぬ夢である。 MIDORI.soでコミュニティオーガナイザーとして働くうちに、いつしか自論が出来上がっていった。それは、さくらももこが描く漫画のような世界観を感じられる場所は「いい空間」であるということ。「ちびまる子ちゃん」と言えば、主人公・まる子と個性の強い周りのキャラクターが織りなす日々の中で、まる子が一喜一憂したり、最後はトホホとなるようなオチがあったり。兎にも角にも、どんだけクセが強いのと言いたくなるほど、それぞれの個性が際立っている。そして、回を追うごとに段々とそれぞれのキャラクターに愛着が沸き「なんかいい世界だなあ」と思えてくる。それは、MIDORI.soでも同じことが言えると思っている。 MIDORI.soでメンバーとコミュニケーションを取っていくうちに、自ずと自分の中に相手の言動がインプットされていく。例えば、コーヒーを淹れるときは、必ずミルクを入れ、蜂蜜のチューブをクルクルと両手でコーヒーに回し入れるお茶目なグラフィックデザイナー、筋肉のためにとお昼は鶏肉のササミしか食べないストイックで釣りが大好きなインテリアデザイナー、夕方になれば近くのコンビニで買って来たヱビスビールを片手に誰かと話しながらゆるりと仕事をするイベントプロデューサー、など。あげればきりがないが、それぞれの趣味嗜好によって築き上げられた言動を自分の中に取り入れ積み重ねていくと、それが相手の個性として確立されていく。その個の点がどんどんと集まり、集合体となり、いつの間にか豊かなキャラクターたちが作り出す世界が目の前に広がっていく。「この世界をさくらももこが描いてくれたら、きっと面白いだろうな」と思えたときは、私にとって「いい場所」なのである。もちろんMIDORI.soでなくても、あなたの職場でも学校でも、よく行くバーやカフェでもどこでもいい。そこにいる人々とコミュニケーションをし、相手を知り、そしてそれぞれの個性が集まっていけば、自分の目の前に広がる世界は格別に変わっていき、「いい場所」と思えるはず。
0 notes
Text
#002 Company miho koshiba / MIDORI.so okan 09 Aug 2021. Companyと聞くと会社や企業をイメージしてしまいがちだが、語源は「共にパンを食べる仲間」。そこに「会社」らしき意味が加わったのは大航海時代。同じ船に乗り、リスクを承知で海に繰り出し貿易を始めた人たちが、自らのことを「Company」と呼ぶようになったそうだ。とはいえ、苦楽を共にし水も甘いも分かち合うということでは会社よりも仲間という意味に近い。そして現代、「Company」は「仲間」の意味を超えて「会社」という意味で捉えられているように思う。それは、雇う側と雇われる側が明確にあり、今や株式会社は株主のものとされ仲間なんていう概念はどこかへ行ってしまったかのようだ。一方、人々は会社内だけにとどまらず、仲間を求めているのではないだろうか。 MIDORI.soがスタートして早10年。ようやくシェアオフィス・コワーキングスペースが市民権を得てきたが、その背景の1つはいい仲間を欲していることのような気がしている。働くことと生きることの分断が少なくなってきた結果、会社や肩書きの枠を超えていい歳した大人たちが集まる。しかも自身がそれぞれ「働く」目的を持っているから、損得も不埒な感情もなく集まる。もっと言ってしまうと、イノベーションが起こるなんて最初から期待なんてない。ただ偶然その場に集い、互いを知って仲良くなる。そんな関係や状態が心地よいのだ。そして心地良いその状況で働くことが、これまた心地よいのだ。実際、私は2011年の震災でやばいこのまま死ねない!と揺れるオフィスビルの机の下にうずくまりながら心で叫び、その年に会社を辞めてMIDORI.soの立ち上げに加わった。MIDORI.soを通じて多くのユニークな仲間たちに出会うことができ、私の生活は緩やかに一変した。働くことを通じて分野問わず仲間がいることは、お金にも変え難いことのようにも思う。 また、フリーランスとか会社員とかクリエイターとかとかとかそのような区分も必要としない。あなたは何ができて、何が好きなの?何がやりたくないことなの?何がやりたいことなの?そこなのだ。そんなことを互いに理解する仲間がいるという安心感。そしてその結果生まれる仕事たち。それがこれからの社会を生きる上できっと重要なことなのではないか。なんだか漠然としてしまってきたので今日はここで。最後に、、、MIDORI.so is not a company(会社) but you make a good company(仲間) at MIDORI.so!! ということなのだ。そのような状況を楽しみながら作っていきたいものだ。
0 notes
Text

#001 work together. Sakiko Masuda / community organizer 02 Aug 2021.
「仕事って、お互いのできることを交換することなんじゃない?」尊敬する友人に言われてハッとした、今でも大切にしている言葉だ。このまま明日死んだら絶対に後悔する、そんな青臭い思いで安定した会社を辞め、何の保証もないままピンときた場所へ飛び込み働き出した。でもすぐに上手くいくはずもなく、自信を失いかけていた頃「私にできることなんて何もないんです」と、友人にポロっと言った時にもらったのが冒頭の言葉だった。 大学に入り就活をして、安定した会社に入る。敷かれたレールで長く働くことを前提にジェネラリストの道を歩む。サラリーマン家庭で育った私にとって、それが当たり前の生き方だった。それを信じて疑わずに進んでいたが、「仕事に我慢は付き物だから」「世間的にはこれが普通だから」違和感を感じながらもそう言い聞かせるたびに感覚が麻痺していくことに気が付いた。商業施設の運営の仕事をしていた私は、今できることで自分の感覚が取り戻せることは何かと必死で考え、誰もが生き生きと楽しく働くために何かしたい。この場所もテナントの店長やスタッフにとって楽しく働ける場所であってほしいと、担当する仕事の範囲外でイベントを企画したり、テナント関係なく横のつながりができる仕組みを考えては小さく実行したりしていた。 当時はこれが仕事として成立するなるなんて1ミリも思っていなかった。その後会社を辞め、もがきながら前に進んでいって偶然辿り着いたのが、MIDORI.soとコミュニティオーガナイザーの仕事だった。そこに待っていたのは意思を持って設えられた空間、それぞれにストーリーを持つ家具、心地良い音楽、季節を教えてくれる花や植物に囲まれ働くことができる環境だった。その空間に引き寄せられ働くメンバーたちに、おはよう!と挨拶をし、掃除をし、コーヒーを淹れながらメンバーと最近の話をする。そんな経済的には非合理的であろうやり取りの積み重ねが居心地のいい場を作り出し、人がつながり出す。自分の感覚と経験を信じ道を切り拓いているメンバーたちの話は互いに刺激を生み、気が付けば仕事でコラボレーションしていることもしばしば。最近ではそんなMIDORI.soの取り組みを知り声を掛けていただいた企業と一緒にシェアオフィスを作ったり協業することも増えた。 自分が心の底から楽しんでいることが仕事として成立し、社会から必要とされていることに驚きと益々のやりがいを感じている。変化が激しく未来予測が難しいVUCA時代と呼ばれる今、仕事や職業、会社の在り方も着実に変化している。職業名が付き定義された仕事をしていたとしても、その枠を外し、突き詰めると自分ができることは何なのか?直接的ではなくても、すぐにお金にならなくても、自分のできることで社会に還元できるのはどんなことなのか?私の友人が言ったように、仕事とは突き詰めると「できること同士の交換」なんだと思う。それを必要とする相手、場所、手段を諦めず探し続ければ、きっと道は拓ける。そう信じて良い仕事をする人たちと、これからも出会い続けたい。
1 note
·
View note