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通し狂言 駄右衛門花御所異聞

2017/07/26、観てきました。七月大歌舞伎 夜の部「通し狂言 駄右衛門花御所異聞」
やっぱり、通し狂言は見応えがある。出ずっぱりの海老蔵さんや、いい感じでアクセントとして出てくる中車さんはもちろんよいんだけれど、巳之助丈、新吾丈、児太郎丈という若手が活躍しているのもとても楽しかった。特に、児太郎丈の「気風の良い女なんだけれど、実は一途」という役がとてもよかった。
そして、なんと言っても、勸玄君。宙乗りが見所だと思ってたけれど、実際に1番可愛かったのは、長い花道を1人でびょこっ、ぴょこっ、と跳ねて登場する所。本当に小さくて、花道が長く見えて、辿りつけないのではないかと思うほどだったけれど、ちゃんと七三の所まで跳ねながら来た。そして、前評判通り、客席の拍手が鳴り止むのを待ってから、ご挨拶していた。すごい。こんな小さな子が毎日舞台に出てるんだから、色々頑張ろうと身につまされた。
宙乗りでは、怖がる様子もなく、悠々と空中に浮かび、小さな手を振ってくれた。私を含め、下にいるおばさま方、狂喜乱舞。ファンサが過ぎる! 勸玄君にやられて、普段は、買わない (正確には高くて買えない) 舞台写真を購入してしまった。そして、普段は舞台写真なんて見にも来ない母も、私とかぶらないようなものを選んで購入していた。珍しい。
他に気になったのは、海老蔵さんの早替。私は気持ち悪い事に、某アイドルでシルエットクイズスキルを鍛えられているので、体格だけで、割と誰だか分かってしまう。(まぁヲタクあるあるだとも思っているので、気持ち悪いけれど、気持ち悪すぎるとは思っていない。)だから早替ってあまり注意していなくても、気がつくことが多いのだけれど、今回は分からなかった。「体格似てたのかな?でも海老蔵さんみたいに恵まれた体格の人、そう何人も居ても困っちゃうし、分かるはず!」と思って目を凝らしたんだけれど、あんまり分からなかった。うぅ悔しい!これが早替の醍醐味なのね笑、ってなっている。
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それから、座席について。今回は花道より下手側の10列で観た。1等席で観る時は、「どうせなら前で観たい」精神、どうせなら「見得が見える花道上手側」精神が働いて、自分では絶対に取らない席だけれど、かなり良かった。具体的によかった点は、 ・花道より下手側でも10列まで下がると、見得を切っている時も、ちゃんと横顔を拝見できる。 ・10列目だと、舞台を見上げでも、見下げでもなく見ることができる。 ・前方の列より床のレベルが上がっているので、花道が近く感じられる。 食わず嫌いってこのことだな、って思った。今度から、席を選ぶ時に参考にしよう。ちなみに、花道を通��役者さんたちは相変わらず、良い匂いがした。お着物に焚いている何かの匂いだと思うのだけど、なんか不思議な気持ちになる。
何が言いたいかというと、とにかく、とても至福の時間でした。
-チラ裏-
帰り道、母と「海老蔵さん、頑張ってたけれど早死しないといいねぇ」「巳之助さんも頑張ってたけれど、やっぱり(三津五郎さん)もう少し生きててほしかったよね。」という話をした。
海老蔵さんは、先月はシアターコクーンでABKAIだったし、7月は昼の部も夜の部も歌舞伎座に出ずっぱりで、8月は名古屋で座頭市。本当に休みがない。今、ニュースでは過労死の問題をやっているけれど、過去に過労死が疑われる歌舞伎俳優っていないんだろうか。
私が一番贔屓にしているのは中村屋だけれど、中村屋にも、同じように働きすぎじゃない?って思う。2017年の上半期は、観に行くだけで必死だった。7月は舞台はお休みだけど、8月はまた歌舞伎座に出ずっぱり。舞台がお休みの7月だって、8月の舞台のお稽古があるし、そのお稽古のために大阪に行っているらしい。きっと、似たようなことを、澤瀉屋のファンだって、高麗屋のファンだって、松嶋屋のファンだって、思っていると思う。
今月の歌舞伎座の夜の部は、一部の人から、「子供を使って集客している」とか「小さな子にこのタイミングで舞台をやらせるのは酷だ」とか批判を浴びているらしい。確かにそういう面もあるのだと思う。けれど、私がそれより不安なのは、海老蔵さんが過労死してしまって、勸玄君からお父さんも師匠も奪うことになること。
私は業の深いファンだから、観たい舞台が多ければ多いほど嬉しいし、観たい舞台が興業されれば観に行ってしまう。けれど、役者さんが早死するのは嫌だ。太く短くとかも止めて欲しい。ファンの側からは観たいという気持ちを止めることはできないから、松竹なのか、日本俳優協会なのか、なんだか分からないけれど上の人がちゃんと仕事量のコントロールをきちんとしてくれたらいいなと思う。役者さんはもちろんプロだから、そんな心配は無用なのかもしれないけれど、このままいくと、その役者さんの仕事を欲してしまった観客として過労死の一端となりそうで怖い。
歌舞伎俳優は、芸を積んでいくわけだし、芸を伝えていくわけだから、長生きも仕事の内だよ、と、思う。
(そして、頼まれてもいないのに、勝手に心配してしまうのも、ヲタクの��なので許してほしい)
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蜘蛛女のキス、観てきた!
6月8日、木曜日、新大久保のグローブ座で、蜘蛛女のキスを観てきました。結論から言うとすっごく良いので、 少しでも行ける可能性のある人は全力で行くのをオススメします。
私が、行った理由は、関ジャニ∞の大倉忠義が出るから。ただ、それだけ。「蜘蛛女のキス」が有名なお話で、原作・お芝居・映画・ミュージカルがあることも知らなかったし、大倉さんが舞台得意だとは思わなかった※ ので、チケット取る時は正直、全然期待してなかった。現場が増えるのは嬉しいけど、ソロコンの方が多分喜んだ。
※ 大倉さんはストレート舞台の主演が初めて。数少ない観劇経験で、私の好みを言うと、初めて舞台に出る役者さんの演技はあんまり好きじゃない。それなのに2人舞台って、すごくハードル高いんじゃないかと勝手に心配してしまった。
そんな期待値なのに、終わった後は全然違った。コンサートでも、ドラマでも、バラエティでも、観たことがない新たな境地があって、「こんな引出しあったの? 知らないよー。もっと���く出してよ」って思った。ファンだから、贔屓目だけれど、この舞台をお芝居作る人が観たら、この人主演でやってみたいなって思う人いっぱい居たんじゃないかなと、勝手に想像。
(以下ネタばれを含みます)
マチネとソワレを続けて観た。常々、舞台は何回か観ると、違うことに気が付くから、とても面白いと思っているけれど、さすがに続けて2回は観たことなかった。勿体ない感じがするから。自分の楽しみを分散させるためにもそうだし、舞台の方も、演出が変わったりもするし、演技がこなれてきたりもするから。でも、今回に関しては、続けて観たから気が付いたこともあってよかったな、としみじみと思う。
1回目は、もう本当に、純粋に楽しく観た。幕が上がる前は、そわそわ、むずむずしていた。そして幕が上がって、真っ暗な中、渡辺いっけいさんの声が聞こえてきて、そこに大倉くんが一言返す。その瞬間ぞくっとた。あ、この低い声好き!っていうファン的な喜びと、でもなんかいつもと違うってなって感じがした。作っている声という訳でもないのだけれど、普段聞いてる声ではなかった。お芝居している声。そこにスポットライトが当たって、段々と舞台が明るくなる。そこにも観たことのある大倉くんがいるはずなんだけれど、何かが違っていて、バレンティンが居るって思った。
普段観に行く舞台に出ている俳優さん・女優さんは演技している状態しか知らない。だから、あんまり、「知ってるはずなのに違う」とか意識したことなくて、すっ、とお芝居の世界に入ってしまう。けれど大倉くんはライブでのイメージが強いから、「大倉くんを観に来たはずなのに、バレンティンがいる」っていうのを感じられたんだと思う。後から振り返って思うけれど、私が、舞台を観に行くのが好きなのは、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」だったんだなって、気が付いた。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクする。結局、舞台の上には、全編に渡って、私のよく知らないバレンティンがいて、大倉くんはカーテンコールまで現れなかった。ので、カーテンコールで、扉越しに挨拶する感じの大倉くんが現れた時は、何だかとても懐かしい気がした。きっと、大倉くんファンなら共感してくれるはず。
事前に、原作の小説を読んでいて、物語としてすごい好きだったのだけれど、バレンティンの人となりが好きじゃなかったので、そこも楽しめるか分からない不安要素の1つだった。原作を読んだ時のバレンティンのイメージは、理想ばかり追求する革命家で、「世のため、人のため」とか言ってるけれど、結局は自分が一番好きなんだね、という印象だった。刑務所の中で、同室のオカマ、モリ―ナと徐々に交流していくようになるのは、モリ―ナが本当に細やかな配慮をするからで、その細やかな配慮が、蜘蛛の糸のようにバレンティンを囲んでいくから、モリ―ナは蜘蛛女なんだと思っていた。
でも、舞台の上のバレンティンは、とんでもない、人たらしだった。幕間で、「バレンティンとは��婚したくないけど、めっちゃ好き」って言っている子がいたのだけれど、すごい分かる。よく考えたら、モリ―ナがバレンティンに愛情を持つくらいには、バレンティンは魅力的でないといけない。でも、私はモリ―ナが「寂しいと誰でも寝ちゃうような危うさ」のある人だと思いこんで、小説を読んでいたから、バレンティンが魅力的である必要性について考えなかった。(言い訳すると、舞台に間に合うように、急いで読んだから、すごい表面的な理解だったのだと思う。だから、バレンティンが、「国家が敵視するくらいに有能な革命家で、すごい人たらし」という視点を持って、もう一度小説を読み直したい。)
バレンティンは、観客もたらしこんでいくんだけれど、というか私がたらしこみにあったのだけど、たらされた要素だと私が思ったのは「ギャップ」と「生活感」。まず、「ギャップ」。バレンティンは「革命家」で自分の思想が正しいと思っているから、けっこうな上から目線。「俺は誰も抑圧しなかった」とか言っているけれど、実際はモリ―ナにとても気を使わせているし、抑圧していると思う。一方で、すごい弱音を吐いたりする。自分自身が、そんなに立派な人間になれていないことに、すごいクヨクヨしたりする。すごく男性的でワイルドな所もあるけれど、育ちがいいんだなという所もある。どっちもすごい面倒なタイプなのに、2つ併せ持つと「ギャップ」でやられる。
そして「生活感」。バレンティンは舞台の上で、着替えるし、寝るし、腹筋するし、食事するし、歯磨きするし、お風呂は入らないけど、体を濡れタオルで拭いてもらう。そういうのを観ているうちに、なんか生活時間を共有している気がしてきて、妙に親近感がわいてきてしまう。しかも、その「生活感」を出しているときに、大倉くんの手脚の長さがすごい活きるような体勢を取る。体操座りみたいな恰好をすると、胴に対して手脚が長いから、なんか持て余している感じがでて、すごい素敵。ベッドの上で寝っ転がっている時に、長い脚を空中で組んで、客席側に足の裏を見せるシーンも、すごく新鮮だった。別に足の裏フェチとかではないので、今まで人の足の裏のことなんて考えたことなかった。けれど、あんなに見せつけられると、なんか変な言い方だけど、「この人、足の裏までセクシーだ」と思ってしまった。そして、全編を通して私が一番好きだったシーンは、体を濡れタオルで拭いてもらったバレンティンが、クスクス笑い始めて、なんで笑っているのか聞くモリ―ナに対して、「もう背中が痒くないからだよ」という所。すごい好き。一方で、モリ―ナはあんまり生活しているシーンが出てこない。ちょっとだけ食べるシーンはあるけれど、それくらい。眠るときもカーテンひくし。同じように監獄で暮らしているのに、モリ―ナにはそういう赤裸々さがないところも、対比で印象的だった。
と、2時間50分かけて、バレンティンの人たらしぶりにやられたのが、マチネ。終わった時点で大分興奮していて、ソワレを一緒に観る予定の友達に、「とにかくやばいよ」って何の情報もない連絡とかをした。2時間位、新大久保で時間を潰してから、再びグローブ座へ。
ソワレは、もう「絶対好き!」なのが分かっていたし、次どうなるの?と思わないで済むから、じっくり堪能しようと思って座席に座った。そして、お昼も観た、足の裏を見せつけながらの腹筋のシーンで、「おやっ?」と、思った。お昼も腹筋、22回してたよね。腹筋ってなんかつい数えてしまうので、気が付いた。(22回だったと思う。数字については1日経ってしまったので自信がないけれど、とにかくお昼と夜の腹筋の回数が同じだった。)
そう思ってみたら、バレンティンの動作とそのタイミングが、(多分)全部、一緒だった。「ベッドの上で片足だけ折る」とか、「話ながら壁にもたれかかる」とか、特に印象的ではないすごく自然な動きが全部。「うわぁ、型だ!」って思った。この舞台は、きっと演出家の人と大倉くんといっけいさんで、どうしたら一番バレンティンとモリ―ナになれるかということを考えて、台詞だけじゃなくて、動きもすごく綿密に決めて作られているんだと思った。そうある種の「型」をつくることで、大倉くんはずっとバレンティンでいられたんだ、と分かった。多分アドリブの所はちょっともなかったんじゃないかな。
でも、昼の部の時は動きが自然すぎて、全然気が付かなかった。だから、気が付いた瞬間、鳥肌たった。全部綿密に計算された動きが、本当に自然になるまでやりこんでいるんだって分かったから。自然すぎて、多分、別の日に見たら、全然気が付けなかったと思う。
関ジャニ∞のライブは毎回違う。構成は同じなんだけれど、ためて演奏する場所も違うし、ダンスだってアドリブが入ったりする。ツアー途中で始まったアドリブが最後には定番のコーナーになったりする。そういうイメージだったから、勝手に、気持ちを作って、印象的な台詞丁寧に覚えて、所作はその場の雰囲気でアレンジしているのかと思っていた。全然そんなことない。こんなに違うやり方のこともできるんだ、すごいなぁと感心しきってしまった。
私は、ここ数年、なんだかとても舞台を観るのにハマってる。関ジャニは友達の影響あって、デビューくらいから結構好き。「舞台が好き」ということと「関ジャニ∞のファン」ということは、私の中では同じように楽しい娯楽で、同じように沼。だけれど、その沼が重なってくるなんて思ってもみなかった。しかもこんな最高の形で。本当にご褒美みたいな日だった。また、こういうご褒美が天から降ってくるように、心がけよく暮らそう思います。
(こうやって、感想を書いていくと、頭の中は整理されるんだけれど、事象が分解されてしまって、舞台の全体感とは程遠くなってしまう。でも、私がこうやって観た舞台について分析的に感想を書くのは、バレンティンのように「起こった物事に負けたくない、理解したい」のではなく、なるべく長くこの舞台を覚えておきたいから。たとえ、こうやって文字に分解してしまうことで、全然違う形で記憶に残ってしまったとしても、全然思い出せなくなるよりは、まだよい。グローブ座の舞台が円���化ほとんどしないのは、知っているけれど、お願いだから円盤化してもらいたい。ついでに、マクベスも。マクベスも同じ演出家さんだから、絶対いいはずと思うから。今後、鈴木裕美さんが演出する舞台を観に行く機会があったら、全力で、万難を排して観に行きたいと思ってる。)
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俳優祭はカウコンと握手会を足して、2で割らない。か、それ以上!

念願の俳優祭に、初めて行ってきました。俳優祭は、毎年行われる春のパン祭りとは違い、数年に一度しか開かれないお祭りです。今年は、日本俳優協会60周年の年だから、おそらくやるだろう、という噂がでた段階から、そわそわしながら行くのを夢見ていました。
そんな、俳優祭が昨日!
結論としては、絢爛豪華。出演者一覧見た時から豪華なのは分かっていたけれど、想像を上回る豪華さ。ちょっと、この豪華さを説明するのは、私の拙い日本語では、無理なので、ジャニーズで説明します。おそらく、ジャニオタじゃなくても伝わるはず。
昨日は友達に、「カウコン※と握手会を足して2で割らない!」と説明しましたが、イメージ的には、カウコン→握手会→カウコンという流れなので、「握手会をカウコンでサンドしたサンドイッチ」といった方が適切かもしれません。
(※カウコン=ジャニーズカウントダウンコンサート)
俳優祭は、舞踊→模擬店→特別演目のお芝居という流れです。舞踊と特別演目のお芝居の二つ、舞台上で行われるものが、カウコン要素です。
大御所俳優はいい場面を押さえつつも、出番は多くなく、さらっと去っていく。例えば、仁左衛門さんと玉三郎さん。私みたいな、ど新規ファンは、これが噂の、孝玉コンビ!※と思って観つつも、そんな、ちょっとしか出てくれないんだ、という名残惜しさ。昔を知るひいきのお客さんは、懐かしさで涙ぐむ(らしい。Twitter情報)��まり、少年隊とか男闘呼組を観るイメージ。
(※今は昔、仁左衛門さんが孝夫さんだった頃、玉三郎さんとコンビで舞台をやると、ファンが一斉に沸いたという噂。私は全盛期を知らないので、知ってる方にいかに素晴らしかったかを自慢されがち。とても羨ましい。)
花形俳優は、そんなに並んでいいの?ってくらい並びます。猿之助・海老蔵・菊之助・勘九郎・染五郎・七之助・彌十郎(多すぎるので、敬称略) が同じ舞台の上にいるなんて。TOKIO・KinKi・V6・嵐くらいが並んでるイメージ。
そして、若手俳優。若手俳優の一般的な認知度は、ジャニーズで言えば、関ジャニ・NEWS・KAT-TUNくらいのデビュー10年組みたいな感じだと思います。歌舞伎が好きじゃない人からしたら、「名前は聞いたことあるけれど、顔が分からない」とか、「お父さんは分かるよ」とかいう感じが、「グループ名は辛うじて知ってるけど、メンバーの名前が分からない」という感じと近いかと。そして、オタク界には、きちんとそれぞれに、熱狂的なファンがいるところも、同じです。
そんなデビュー10年選手が、「えっ、ジャニーズJr.なの?」ってくらいの勢いで、舞台に出てきて去っていきます。「そんなに一気に舞台の上に観たい人出されたら困る」と「あ、もうハけてしまった」の繰り返し。
ほら!なんというカウコン!
当日は、「もうどこ見ればいいのー?」状態で、きゃっきゃしていましたが、一夜明けて思ったのは、大御所って、やはりすごいな、ということ。仁左衛門さんと玉三郎さんは、特別なことをしたわけではないのだけれど、不思議と、あの凛とした美しい佇まいが思い出されてくる。
そこが、ちょっとだけ、私にとって歌舞伎とジャニーズの違うところです。ジャニーズだったら、どんなに周りが豪華でも、一夜経って思い出すのは、担当※だけれど、歌舞伎は意外と他のことを思い出すことがあります。
歌舞伎ファンのおばさまに、「あなたね、一生の趣味にするなら、歌舞伎はいいわよ。歌舞伎俳優っていうのは、上り坂なの。どんどんどんどん円熟していくから、旬が過ぎるということがないの。」と教えていただいたことがあるのですが、本当にそう思います。いくら贔屓が舞台に出ていても、大御所の俳優さんはやっぱり心に残ります。
アイドルや俳優さんに限らず、普通の会社員でも「旬」ってやっぱりあると思います。けれど、「芸」という積み重ねていくものを持つことで、「旬」を最後に持ってこられる仕組みを持つ歌舞伎は、よくできています。
(※担当=一番応援している人のこと。歌舞伎でいうところの贔屓。女子アイドル界でいう推し。)
まるで、カウコン!とはしゃいだために、期せずしてジャニーズと歌舞伎の違いを思い知らされた舞台の部分が、俳優祭サンドイッチのパンの部分です。
そして、具の部分が、模擬店!
冒頭で、「模擬店は握手会」と言ってみたはいいものの、ジャニーズの握手会���参加したことないので、イメージです。ジャニーズの握手会が全然違ったら、ごめんなさい。(というか、多分ジャニーズの握手会より、圧倒的に自由。)
模擬店は、歌舞伎俳優さんが売り子さんをする、夢のような時間です。グッズやお弁当を、歌舞伎俳優さんから買えます。
普段舞台での上で観る歌舞伎俳優さんが、3階席や幕見席からはオペラグラス越しに拝見する歌舞伎俳優さんが、目の前に!目の前にいるだけではありません。買い物をするためには、多少なりとも会話をする必要があるわけで、「うわぁ、私、今、勘九郎さんとしゃべっている!」とそわそわしながら買い物しました。
全体的な感想としては、みなさん肌がきれい!あんなに肌に悪そうなものを毎日つけているのにすごいです。
あと、なんで、みんないい匂いがするんでしょうか。花道横に座っていると、役者さんが通るときにいい匂いがするんですが、それは着物についているお香の匂いかと思っていました。でも、模擬店に行くと、俳優祭のTシャツ着ているだけなのに、いい匂いする!「え、何、みんな、薫の君なの?」というか、「今まで着物の匂いだと思っていたものも違ったの?これから、どんな気持ちで花道横座っていいたらいいの?」と戸惑いを隠せませんでした。
あとは、普段はお化粧されているので「そんな肌焼けてるって知らなかった!」とか、普段は女方なので「地声そんななんだ!」みたいなびっくりもありました。
そして、すごいのは、なんと写真撮影可。パンフレットの模擬店のページには「混乱防止のため、無理な写真撮影・ビデオ撮影は固くお断りします。目に余る場合は、カメラ等撮影機材をお預かりいたしますので、ご了承ください」と書いてあります。ということは、無理じゃない写真撮影は、可ということですよ!
歌舞伎俳優の舞台写真は1枚500円。(だったと思う。先月の桃太郎で買ったのに忘れてしまった。)一方で、ジャニーズの写真は1枚160円。(だったと思う。長らくジャニーズショップ行っていない。)まぁ、プリントの大きさが違うので、一概に金額だけ比較してはいけないのですが、お高くて、なかなか買えないのです。
そして、歌舞伎俳優のオフショットの写真って、基本売られていない。ということはですね、Twitterやブログをやっていない歌舞伎俳優さんの写真って、かなりレアなのです。それが、無理でない限りにおいて、撮り放題。無理でない限りにおいては、一緒に写真を撮ってくださる俳優さんもいました。
そうなると、まぁ片手にスマホ握りしめて、歩くしかない。このあたりの写真は、Twitterで「俳優祭」と検索するのと、いろんな方が撮った写真が見られるので、気になる方はぜひ。
とまぁ、模擬店は、「俳優さんのお顔が間近で見られる」という点が、私の想像する握手会と同じなのですが、写真撮影可というのを考えると、おそらく圧倒的に自由なコミュニケーションの場でした。
だから、「握手会+α」?
つまり、俳優祭は、「握手会+αをカウコンでサンドした超絶豪華なサンドイッチ」です。パンも、具も、食べごたえたっぷりなので、一口では食べられません。ナイフとフォークが必要です。そして、一夜たっても、まだまだ興奮の余韻が残る、ちょっと胃がもたれる位のイベントです。
コンサートも舞台も多ステ派の私ですが、俳優祭はたとえ「昼の部も夜の部もチケットあるよ」と言われても、一回でいい。消化しきれない。一晩経っても、まだまだ俳優祭の余韻を楽しみながら過ごしている位ですから。もう少し、気持ちが落ち着いたら、演目についても言語化して、忘れないようにしておきたいという気持ちもあるけれど、今はまだ無理。
「あら、そんなにいいものがあったなら、行ってみたかったわ」という方がいらしたら、Eテレでの放送を見ると、少し雰囲気が伝わるかもしれません。
■2017年4月30日(日)21:00- (NHK Eテレ)
舞踊「二つ巴/石橋」←カウコンパート
「模擬店」←握手会+αパート
「月光姫恋暫」←カウコンパート
私も絶対見ようと思っています。
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女殺油地獄@シネマ歌舞伎

「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」
おどろおどろしいタイトルのこの演目、一度だけ、生で見たことがある。その時は、与兵衛役の菊之助さんがすごく美しかったので、「美」の凄み見せつけられたなと感じた。演目自体については、「与兵衛はどこまでも自分勝手だなぁ」ということと、「お吉、とばっちりじゃん」くらいのことを思い、そこまで思い入れはなかった。だけれども、シネマ歌舞伎で観てみようと思ったのは「仁左衛門さんが観たかったから」。それだけ。でも今回観てみて、もう少し、色々なことに気がついた。
■「野崎参り」の重要性
初めて観終わったときは、全然印象に残っていなかった「野崎参り」。ここは、ストーリー上重要というよりは、主人公2人、与兵衛とお吉ののキャラクター紹介をしているのだと思った。
油問屋の道楽息子、与兵衛(23才)。 与兵衛は贔屓の芸者さんが他のお客さんと野崎参りに行った、ということを知り、「待ち伏せ」してやろうと���む。そして、喧嘩をしている途中、侍に泥をかけてしまう。本来なら即手打ちだけれども、お参りの前に血を浴びるわけにはいかないということで、すぐにではなく日暮れに手打ちということになる。その後は、馬の鳴き声を聞いただけで、侍が戻ってきたのかと思い、腰をぬかしたりする。 与兵衛の、遊び好き・プライドの高さ・喧嘩っぱやさ・思慮がないところ・臆病さ、という特徴が描かれている。
与兵衛と同じ町内の油問屋の女房お吉(27才)。 お吉は与兵衛に向って、お参りにきて、喧嘩なんてしてはいけないと諭す。また喧嘩をして着物に泥をつけてしまった与兵衛を見つけると、着物を脱がせて、泥を落としてあげる。同じ町内で、同業だから、親しいのだろうけれど、見方によっては不義も疑われかねないほどの優しさ。 お吉の、気さくさ・優しさ・そして、周りからどう思われるかということに対する鈍さが描かれている。この後、お吉は完璧にとばっちりで殺されて、お吉に非はないのだけれど、ただちょっとだけお吉に非があるとすれば、それは与兵衛みたいなどうしようもない男にまでも優しいために、付け込まれやすいという性格かもしれない、ということが分かる。(そして、どうしようもない男というのは、付け込む隙がある人を見つける才能がある。)
与兵衛とお吉は、「精神的に恋人関係にある」とか「与兵衛はお吉に母親を見出している」とか解釈して演じる場合もあるそうだけれど、仁左衛門さんの女殺油地獄は、そういう感情は表現されておらず、与兵衛の人よりちょっと図々しいところと、お吉の人よりちょっと優しいところ、が描かれていた。
この舞台では、与兵衛とお吉の関係をどう解釈しているか、ということを伝えるためにも、野崎参りの場面は重要だったのだ、ということが分かった。
■「美」の凄みの正体
全編を通して、与兵衛は色んな感情になり忙しいのだけれど、特に、三幕の与兵衛の感情は忙しい。 今夜中に必ずお金を返すと宣言するも、あてがなくて、夜道を歩いているところ。 偶然、両親が自分のことを本当に思ってくれていたと知り、改心して良い人になろうとする。 お吉にお金を貸してほしいと頼む。 すぐには貸してくれないと知ると、深い仲になって貸してほしいと頼む。 拒否されると、両親のことをだしにして貸してほしいと頼む。 一旦お金を貸してくれそうになったお吉に「どうせまた嘘だ」と笑われ、やっぱり貸さないと言われると、無理にでも奪おうと決意する。 そして、この後が、与兵衛がお吉を殺すシーンになるのだけれど、殺している間も、与兵衛の感情は色々と揺れ動く。仁左衛門さんは 『与兵衛は、殺しの間の心理の変化をいかに演じていくかというところが面白いんです。最初は無我夢中で震えている、そのうち段々と落ち着いてきて、そうすると今度は殺しを楽しみ出す、最後にお吉が死んでしまうと逆に怖がり出す。(歌舞伎美人より)』 と語っている。
このように、色んな感情の与兵衛��出てくるのだけれど、その中で「美しさ」を感じる場面は、2つある。1つは、今回のシネマ歌舞伎のポスターにもなっている、お金の算段をしながら夜道を歩いているところ。冷静に考えて、今夜中にお金を作ることはできないのだから、悪いことをするしかないな、と観客が想像する場面。ほとんどの観客は筋を知りつつ観ているので、これから与兵衛は殺人という道を選ぶんだよなと思うところ。ここは、感情が無く人形のような美しさがある。
もう1つは、「楽しんで殺しをしているところ」。最初震えながら脇差を隠していた時に比べて、お吉を取抑えて、脇差を振りかざして殺すところは、ものすごく美しく、凄みを感じる、明確な「殺意」を持った所作が美しい、というのは、普段の倫理観に全く反しているので、単に美しいと思うのではなく、凄みを合わせて感じるのだと思う。
今のところ、私にとっては、このお芝居は「凄みのある美しさ」がないと、成立しないように感じる。のだけれど、もともとは人形浄瑠璃の演目。人形浄瑠璃には「所作が美しい」という評価軸はないだろうし、一度、文楽も見てみたら、また少し理解が変わるかもしれない。
歌舞伎でも、文楽でも、また上演される機会があったら、積極的に観に行くようにしよう。
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猿若祭二月大歌舞伎 夜の部(2017年 歌舞伎座)

2017/02/19、観てきました、猿若祭二月大歌舞伎。夜の部! 演目は、
・門出二人桃太郎 ・絵本太閤記 尼ケ崎閑居の場 ・梅ごよみ
なんといっても、今回の期待は、中村勘九郎さんのご子息が、勘太郎・長三郎の名前を名乗って行う初舞台「門出二人桃太郎」。本当にチケット取りづらかった。平日も1等席が埋まるというのは、ここ最近なかなかなかったイメージ。近かったのは、堀越勸玄さんの初お目見えかな。歌舞伎はお家のファンになる人が多いから、子供は強いコンテンツになるのかもしれない。
【門出二人桃太郎】 30年前、勘九郎さん七之助さん兄弟の初舞台を踏んだ演目で、勘九郎さんの2人息子、勘太郎さん長三郎さんが初舞台。
歌舞伎好きの友人と話しているときに、ついうっかり、「今回、桃太郎を見逃してしまったら、30年後くらいに後悔しそう」と盛り上がってしまったのだけれど、その後2人で反省した。まだようやく初舞台を踏んだ5才の男の子に対して、「沢山お稽古をして」「いい役者になって」「いい��嫁さんと結婚して」「いい男の子を産んでもらって」って、無意識のうちに沢山の期待をしてしまったという業の深さに。30年前の舞台も、今回の舞台も観ている人はもちろん沢山いて、とても羨ましい経験だけれど、めったにあることじゃないから特別なのであって、私たちは今回この舞台が観られることを喜び堪能しよう、と思った。気を付けないと、すぐ欲深く、業深くなってしまう。
舞台は、俳優陣がとにかく豪華で、お二人の初舞台がみんなに祝福されているというのを感じて、とても素敵だった。勘太郎さんは、お稽古したことをやり切りたいという強い意志を感じた。長三郎さんは、拍手や注目されるのを楽しんでいるように思えて、3才にして舞台を楽しんでいる、と思わされた。勘九郎さんはずっと、心配そうなお顔で、お2人を見守っていたのと、他の役者さんたちが挨拶を終えるたびに、深く頭を下げていたのが印象的だった。
登場のところや、口上の時は、舞台上に勘九郎さんと七之助さんがいて、2人を見守っていたので、「なるほどね、こうやって緊張しすぎないようにするんだな」と思ったけれど、第三場の開門のシーンでは、舞台上に2人を見守るお父さんと叔父さんはいなくて、けれどもしっかりと演じていて、私は2人を勝手に見くびってしまっていたのだと思った。
これからも、勝手に期待してしまったり、勝手に見くびってしまったり、知らないうちに上から見てしまったりするのだと思う。そうならないように気を付けながら、お2人が与えてくれる娯楽を楽しむようにしたい。感じの悪いファンにならないように。
【絵本太閤記 尼ケ崎閑居の場】 戦って大変だよなぁ、ということが身に沁みる演目。今更、そんな分かり切った感想を言われても、という感じだと思うのだけれど、それに尽きる。芝翫さんの、少しの動きで感情を表す様子が心に残っている。 長唄が分かるようになれば、きっともっと楽しめるのだと思う。「長唄は外国語のようなもので、ある日突然聞き取れるようになる」という噂なので、それを信じているのだけれど、、。早く聞き取れるようにならないかな。
【梅ごよみ】 まず「染五郎さん、丹次郎、はまり役すぎませんか」と思った。許嫁がいるのに、芸者さん2人に好かれる。なのに、嫌味じゃない。
染五郎さんが初めての役だというのをどこかで読んで、それだったら今まで誰がやったの?と思って、上演記録確認すると上演が13年ぶりだと知った。とても面白い演目なのに。そして、その前は仁左衛門さん(当時は孝夫さん)が何回も演じていた役だとも知った。きっと色男だっただろうな、観たすぎる。
勘九郎さんと菊之助さんのやり取りも面白かった。気位の高い勝気な深川芸者。下駄を投げたり、下駄でぶったり、ぎょえっとするようなことをするのだけれど、それだけ丹次郎さんのことが好きなんだろうな、と思う。あんまりジメジメしていなくて、カラッとしている。
一方で、許嫁なのにちょっと押しが弱めのお蝶さん役の児太郎さんは、ものすごく可愛らしいお嬢さんで、素敵だった。
すごく楽しかったので、今回の上演を機に、また繰り返し上演してほしいな。

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猿若祭二月大歌舞伎 昼の部(2017年歌舞伎座)

待ってました!猿若祭二月大歌舞伎!
02/18に、昼の部を、02/19に夜の部を観てきました。
まず、昼の部の感想から。 演目は、
・猿若江戸の初櫓 ・大商蛭子島 ・四千両小判梅葉 ・扇獅子
猿若江戸の初櫓は、「中村屋にとって大切な演目」と勘九郎さんがテレビで言っていた演目。 大商蛭子島は、昭和44年からかかっていない、とてもレアな演目。 四千両小判梅葉は、菊五郎劇団が得意とすると言われている黙阿弥もの 扇獅子は、梅玉さんと雀右衛門さんの華やかな踊り とあって、どれも楽しみにしていたものばかり!
【猿若江戸の初櫓】
とにかく、感謝しながら、にやけてしまう演目。まず、390年前に、猿若(勘九郎)と出雲の阿国(七之助)さんが、江戸に来てくれたおかげで、今こうして江戸歌舞伎を楽しめているのだなと思い、しみじみと、よかったなと感謝する。江戸に来たばかりの猿若と出雲の阿国だけれど、いろいろなことが、とんとんとんとん拍子に進み、あっという間に芝居小屋を建てられることになる。その芝居小屋を再現したのが平成中村座かしら、と思うと、あの幸せな空間を思い出して、にんまりしてしまう。
芝居小屋がとんとん拍子に建てられることになったきっかけは、猿若が、江戸での初仕事として、人助けのため重たい荷車を動かすことにしたこと。荷車は一座の若衆にひかせるのだけれど、彼らは役者さんなわけだから、決して力持ちではない。そこで、猿若が音頭をとり始める。すると、その音頭の妙によって、荷車が動き始める。「音頭をとる」という日本語が正しく、舞台の上に現れた感じで、そこが面白かった。
また、猿若と出雲の阿国の登場時の踊り、芝居小屋建設への返礼としての踊りも、優美なだけでなく楽しげで、ウキウキした。十一月に襲名を観て以来の橋之助さん、福之助さんもいらして、嬉しくなった。(出てきたとき、最初、国生さん、と思って、あ、橋之助さんだったと思い直した。)
【大商蛭子島】 女好きの源頼朝を演じているのが、松緑さん。色男役の松緑さん大好き、って改めて思った。 また頼朝のヤキモチ焼きの奥さん���姫を演じているのが、時蔵さん。辰姫は、頼朝には北条家の後ろ盾があったほうが良いだろうと考えて、自分は身を引き、政子の前に頼朝を譲る決意をする。のだけれど、頭で分かっていても心がついていかず、嫉妬で取り乱すシーンがある。その時の時蔵さんの、ちょっと執着のようにも見えてしまう愛情の表現がすごかった。
中学生の時に、時蔵さんがすごいんだよ、と熱弁していた同級生がいたのだけど、今ならわかるよ、会いたいなぁと思った。
【四千両小判梅葉】 牢内の様子が面白い、という前評判を聞いていたけれど、たしかに!と思った。当時だったら、ほんとうにドキュメンタリーを観ているようなものだし、今だって中々知ることのできない当時の風俗が分かるようで面白い。 「地獄の沙汰も金次第」なのだなぁ、と思うし、悪人にも格っていうものがある、というのは今もそうなのだと思う。菊之助さんが演じた、寺島無宿長太郎なんて、すごくスマートな悪人だった。菊五郎さんと梅玉さんのコンビで観ることができて、本当に良かった。
【扇獅子】 梅玉さんと、雀右衛門さんが、踊るのだから綺麗じゃないはずがない。 そして、私はミーハーだから、扇獅子というものが小道具として、好きだなぁとしみじみと思った。 そして、長唄聞き取れるようになりたい。なんかCDとか買って、聞き取り訓練したら変わるのかしら。
大満足の一日でした。 このあと、夜の部では「かわいいかわいい桃太郎があるんだな、それは明日のお楽しみ」と思いながら、帰宅。
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The Prairie Wife(農家の主婦)
The New Yorker で読んだ。
SNSがテーマの話かな、同性愛がテーマの話かな、と思ったけれど、「愛される」ということがテーマだった。
はじめは、結婚していてもそんなこと悩むんだ、と思ったけれど、逆に結婚しているからかもしれない、と思い直した。結婚すると、「結婚」前・後で、記憶に線引きがされるんだな、と。
***
この短編はAudioで読んだ(聞いた?)。長さが、通勤時間+10分くらいだったので、会社を出るときから聞き始めて、最寄りの駅の1駅前で降り、聞きながら歩いた。 Audio Bookって、3センテンスくらい戻ったりするのが難しそうで、苦手意識があったけれど、同時に別のことができるのは割と面白い。日本語だったら、自分のペースで読むほうが早いだろうけれど、英語だったらトントンくらいか、もし��したら、ちょっと早く読み終わるかもしれない。なにか、Audio book 買ってみようかな。
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CONSTRUCTED WORLDS (構築された世界)
The New Yorker で読んだ。
2010年に“Best American Essays” を、2014年に “Best American Travel Writing”を受賞している、Elif Batumanによるエッセイ。
彼女がハーヴァードに入ってすぐのころが描かれている。「大学入学したての時って、ソワソワするものだったな」という自分自身の体験が思い出されるとともに、”ハーヴァードらしい”と思わせるような、胡散臭く小難しいキャラクターの人が描かれていて、面白かった。
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Alan Bean Plus Four (アランビーンと4人)
ザ・ニューヨーカーで読んだ。
トム・ハンクス作の短編。気軽に宇宙に行ける、という設定の話。アランビーンという宇宙飛行士の名前のついたロケットに、4人の仲間が乗りこんで月に行く話。
正直面白いのかよく分からなかった。トム・ハンクスは宇宙が好きだけれども、宇宙なんてどうでもいいと思っている人が大多数だと知っているんだろうな、という感想。
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2017年 壽新春大歌舞伎@新橋演舞場
2017/01/24、市川右近改め三代目市川右團次襲名披露を兼ねた「壽新春大歌舞伎」の夜の部を観てきた。演目は、
・源平布引滝 義賢最期
・三代目市川右團次襲名披露 口上
・錣引(しころびき)
・猿翁十種の内 黒塚
一月は、歌舞伎座・国立劇場・浅草公会堂・松竹座、そして新橋演舞場と舞台の数が多く、歌舞伎役者さんがばらけてしまう。そのためだろうか、ちょっと物足りないと思うことが多い印象なのだけれど、全くそんなことを感じない舞台だった。
海老蔵さんの華と、猿之助さんの踊に魅せられる半日だった。
【源平布引滝 義賢最期】
源平布引滝は、3段目の「実盛物語」を観たことあるけれど、その直前の段である、「義賢最期」を観るのは初めて。「実盛物語」を観たときは、源氏復興のために重要な意味をもつ白旗というものがいまいち掴みきれていなかったのだけれど、今回の観劇を経て、壮絶な思いをして小万に託したものだったのだということが、すごくよく分かった。
「実盛物語」を観たのが2015年11月だから、1年と2か月経って、理解がすすんだということ。こういうことが、私が歌舞伎が好きな理由の一つだと思う。舞台を観て、それで「終わり」というわけではなくて、あとあと今まで観たことのある舞台についてさらに理解が深まることがある。また、前に観たことのある舞台が、今観ている舞台の観方に影響する。
「実盛物語」を観たときには、染五郎さん(実盛)が太郎吉を馬の上に載せていたのが印象的だったのだけれど、そのシーンと今回の「義賢最期」では、太郎吉が九郎助に背負われながら戦っているシーンがシンクロした。
そんな個人的な感慨深さを感じながら、観た「義賢最期」だけれども、見どころの「襖倒し」「仏倒れ」は、ストーリーとか吹っ飛ぶくらいの迫力だった。理解しなくても、カッコいいところがちゃんと組み込まれているのが、また別の歌舞伎の良さ。
「襖倒し」は、三枚の襖を門型に組んで、その門の上で海老蔵さん(義賢)が見得を切る。身体が大きいので、高さのあるところでの見得はものすごく迫力がある。そこから、襖が下手方向に倒れる。上に載っている海老蔵さんも一緒に空中から舞台の上に。すごく危険な技なのだろう。襖が倒れるときの掛け声がものすごい緊迫感を感じさせた。観ているこちらも息を止め、技が決まったときに安心して息がつける、という感じ。
もう一つの「仏倒れ」は、地面と屋敷の床の間にかかる階段の上に、バッタリと倒れて死ぬところ。その前の蝙蝠の見得と呼ばれる両手を挙げての見得はとても大きく、これから来るぞ、来るぞとお客さんの期待を煽っているような感じ。実際に倒れるところは、「えっ、そんな遠くから倒れるの?」とびっくりするくらい、階段から遠く見えた。バッタリと前に倒れて、そのあと階段の上を、ずるっずるっとずり落ちていく様子を見て、本当に死体に見えた。
こちらの技はここで、幕が閉まってしまうので、なんというか最後まで息をするタイミングがつかめない。幕が閉まって、ふと我に返って、息を吐きだす感じ。
息をのむ、華やかな舞台だった。
(追記「増補版 歌舞伎手帖」(渡辺保著)によると、この役は仁左衛門さんの出世役らしいのだけれど、観てみたかった。こんな危険な役、やはりもう���らないのだろうか。まだ観れる機会があるなら、絶対に見逃したくない。)
【錣引】
まず「錣」が読めない。「しころ」という読み方が分かっても、「しころ」が何を示すのか分からない。だから、すごく難しいお話かと思ったけれど、実際はそんなことはなかった。(ちなみに、錣は兜の一部で、帽子でいう「つば」みたいなところだった。)
お姫様なのに強い米吉さん(伏屋姫)がものすごく美しかったのが印象的。今年は、浅草に出られていなかったけれど、あぁこちらに居らしたのね、ようやく会えた、とも思った。私は、米吉さんのふっくらとした、柔らかい女方が本当に好きなのだと実感した。
今回襲名された右團次さんの飛び六方が見られたのも、お得感があった。
【猿翁十種の内 黒塚】
猿之助さん、すごい。すごい!すごい!!と思いながら観た舞台だった。特に第二場。おばあさんの踊りなんだけれど、すごくかわいらしい。ゆったりとした動きの踊りなのに、飛び跳ねているようなウキウキとした楽しげな感じが伝わってくる。この踊りだけ見ると、年を取ったらこんなかわいらしいおばあちゃんになりたい、と思うくらい。(実際には、人を食べながら暮らす鬼女だから、絶対に嫌なんだけれど。)
舞台美術もとても美しかった。一本松、すすきの野原、の上に、三日月より細いような月がかかっている。私は、照明の少ない暗い演出が、好きなのだけれど苦手で、きれいだなぁとは思うのだけれど、暗さのためについつい眠くなってしまう。とっても勿体ないことだと思いながらも、睡魔に勝てないときもある。
「うぅ、暗いな。眠くなったら嫌だな」と一瞬思ったけれど、今回は踊りに興奮しまくっていたためか、睡眠の悪魔は私をチラ見して、通りすぎていった。ありがたや。
侘びしい場面なのだけれど、ものすごく美しい、という舞台だった。途中で入る琴の演奏も、侘びしさと美しさを際立たせていて、ものすごく、優美でよかった。
澤瀉屋はスーパー歌舞伎の印象が強かったけれど、スーパー歌舞伎というのはほんの一面にすぎないのだな、と実感した。
新橋演舞場にも幕見というシステムがあれば、黒塚だけもう一度観に行けるのにと、すごく悔しくなった。
三幕の見処がそれぞれ、いろんな方向に向いていて、全体的にものすごく満足感の高い観劇だった。至福。
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人情噺文七元結@シネマ歌舞伎 シネマ歌舞伎「人情噺文七元結」は、平成19年10月新橋演舞場での舞台を山田洋次監督がスクリーンにおさめたもの。文七元結は、面白みたっぷりの所と、感動的な所と、人情味と、ご都合主義とが溢れていて、すごく好きな演目。落語家立川談春さんの『赤めだか』というエッセイの中に、前座なのに文七元結を人前でやって破門の危機に陥ったというエピソードを読んで、落語から来た演目だと知った。落語はまだ観たことないので、いつか観たい。
舞台は生ものだから、もちろん「生」で観るほうが感動はあるのだけれど、 シネマ歌舞伎には、生の舞台にない、シネマ歌舞伎の良さもあると思っている。それが、下の3つ。人情噺文七元結では、その良さがふんだんに楽しめた。 1. 普段と違う角度で舞台を観られる 2. 表情や細かい工夫がよく見える 3. 時間が保存されている 1:普段と違う角度で舞台を観られる ファンというのは、好きなものを「色んなアングルで眺めてたい」もの。普段の舞台では、席を移ることができないから叶わないけれど、それをカメラが実現してくれる。特に、歌舞伎の室内のセットって、壁と壁が直角に組み合わさっている。普通のお芝居だと、客席から見やすいように側面の壁が斜めになっていることが割とあるけれど、歌舞伎だと必ずじゃない。そうすると、側面の壁って普段はあまり見ることができない。それが、シネマ歌舞伎だと、側面の壁を背景にして役者さんが撮られている時もあるので、普段見られないものが見られる。 また、普段だと役者さんの目線で舞台を観ることはなかなかできない。1階だと見上げだし、2・3階だと見下げになってしまう。けれど、カメラは、舞台の上で同じような高さから見ているので、役者さんの目線にあった映像が見られて、中に入ったかのような臨場感がある、トリミングによって、外側が映らないときは、その臨場感をより一層感じられる。人情噺文七元結は「さすが、山田洋二監督」といった感じで、所々舞台を撮影しているというより、セットの中で映画を撮っているのではないかと錯覚してしまうような映像がとても多かった。
2:表情や細かい工夫がよく見える 舞台の時だって、双眼鏡を駆使して、役者さんの表情や、着物の模様や扇子に書かれているものを一生懸命に見ようとしているけれど、そんな努力1ミリもしなくても、見るべきものをカメラが映してくれる。今回、驚いたのは貧しい町人娘役のお久の手に、あかぎれがあったこと。そんな細かい工夫がされていたなんて、今まで知らなかった。双眼鏡だけでは拾いきれない色々なものが収まっている。
3:時間が保存されている 人情噺文七元結で一番感じたのは、この「時間が保存されている」良さ。まず、亡くなってしまった名優が見られる。勘三郎(十八世)さん、芝翫(七世)さんに加えて、小山三さんまでも見られて、うれしかった。そして、若き日の勘九郎さん(当時はまだ勘太郎)や幼き頃の鶴松さんが見られた。当時も知っていたはずだけれど、今の姿に慣れてしまっているから、すごく懐かし��感じる。再放送のドラマを見ていて、今売れっ子の俳優さんが脇役ででているのを見つけたみたいな喜びがある。
おまけ:観に行きやすい これは、全然本質的ではない良さだけれど、実生活の上では非常に役に立つ。歌舞伎の通常公演は「前もってチケットを取る」必要があるし、複数の演目をやるので「4時間半ほどまとまった時間を作る」必要がある。この日は歌舞伎、と決めておいて、他のスケジュールを組むことはできるけれど、ちょっと時間があいたときに行けるものではなかなかない。(幕見席だって、販売時刻と開園時刻になかなか差があることを考えたら、時間は結構かかる。) その点、シネマ歌舞伎は、前もって席を予約しなくても、まず大丈夫だし、時間もそこまで長くない。(阿弖流為は3時間超の大作だけれど。)
ということで、友達と約束していた初詣の前に、ふと思い立って文七元結を観ることができました。ありがたや。 【DATA】 シネマ歌舞伎 人情噺文七元結 平成19年十月大歌舞伎@新橋演舞場 左官屋長兵衛:中村勘三郎(十八世) 女房お兼:中村扇雀 手代文七:中村勘太郎(当時) お久:中村芝のぶ 鳶頭伊兵衛:片岡亀蔵 和泉屋清兵衛:坂東弥十郎 角海老女房お駒:中村芝翫(七世)
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2017年 新春浅草歌舞伎を観てきた 2017/01/02、新春浅草歌舞伎の第二部を観てきた。初日。へ列31番という、3階の後ろから2列目で観たのだけれど、ここだと、ぎりぎり七三も観ることができる。 演目は、 ・双蝶々曲輪日記 角力場 ・御存知 鈴ヶ森 ・棒しばり の3つ。また、幕が始まる前にある、御年玉(年始ご挨拶)は巳之助さん。巳之助さんがお客さんに質問するために、舞台の上から飛び降り、また舞台の上に飛び上がるのが、キレッキレッで、客席が湧いていたのが印象的。 新春浅草歌舞伎は、若手が中心になってやるということで、完成された芸を観に行くというよりは、自分の贔屓の息子さんとかの成長を見届けに行く感じらしい。(ただ、私には贔屓筋の若手なんていない。割とミーハーなので、そもそも若手のファンだったりする。) そういう、ちょっと発表会的な側面があるからか、今年の新春浅草歌舞伎は超有名演目で構成されていた。私が歌舞伎沼に浸かったのはここ2、3年のことで、観たことある演目も少ないのだけれど、今回はたまたま全て、観たことのあるものだった。だから、それぞれ自分の中に、基準を持っている状態で、観劇できたのは楽しかった。 【双蝶々曲輪日記 角力場】 角力と書いて、すもう。相撲界のことを角界というのは、この漢字が由来だそう。 角力場というくらいだから、力士が二人でてくる。一人が横綱級の力士(当時横綱はいないので大関らしいけれど)、濡髪長五郎(中村錦之助)。もう一人が、お米屋さんの子供である素人力士、放駒長吉(尾上松也)。大関の悠然とした力士ぶりと、素人力士の若さで突っ走る感じの対比を楽しめばよい舞台だと思う。今回の舞台では、ベテランの錦之助さんが大関濡髪を、若手組のリーダー松也さんが素人力士を演じていた。 二人の力士が話をするときに、ちょっと体格の小さい長吉のほうが、大関濡髪の背丈に合わせて、座高を盛ったりするのが、長吉の負けず嫌いな感じをだしていて、かわいい。この二人の取り組みでは、素人力士の長吉が勝つ。長吉大喜び。だけれども、取組後に、大関濡髪は「お願いごとがあるからわざと負けた」と言う。自分が真剣だったのに、相手にもされていなかったと知り、憤慨して怒る。この、勝って大喜びする感じ、勝負事に憤慨して怒る感じ、もかわいらしい。怒れば怒るほど「かわいい」。その若々しさを松也さんが熱演していた。 二人の力士は舞台の最後で口論になってしまうのだけど、その時に長吉の座っているベンチが小道具としてすごい、と感心してしまう。長吉が癇癪をおこすときは、座っているベンチを両手で持って、飛び跳ねて舞台にガンガン打ち付けても壊れないのに、大関濡髪がイラっとして、蹴ると一瞬で壊れる。縦方向の衝撃には強く、横にはすごく弱い、というのは作れなくはないだろうけれど、にしても鮮やか。 また、大関濡髪には、パトロンがいるのだけれど、それが山崎屋与五郎(中村隼人)という豪商のボンボン。これは、歌舞伎では、「つっころばし」と呼ばれるほどの弱々しい若旦那の役で、ちょっと強く押されただけで、倒れてしまう感じとかが、本人の線の細さにすごくマッチしていた。与五郎はとにかく大関濡髪が大好きで、大関が褒められると自分のことのように喜ぶ。それが、推しの役者さんの舞台が好評だと自分のことのように喜ぶファンと重なって見えて、面白い。 もう一人出てくるのは、ボンボンの恋仲の遊女、藤屋吾妻(中村梅丸)。この人のせいで、大関濡髪は長吉にわざと負けるのだけれど、そうやって争い事の種になる感じが分かるくらい、ただただ美しい。梅丸さんは平成8年生まれだそうだから、今年21才になるのかな。若くて綺麗な役者さんを見ると、それだけでまず単純に嬉しい。 全体的に、役者さんと、役がすごく合っていて、お芝居の世界にのめり込めた。前に見たこの舞台は、放駒長吉と与五郎を菊之助さんが一人二役で演じていて、その演じ分けの凄さの印象が強いのだけど、普通に舞台として、すごく面白い演目だ、ということも分かってよかった。大満足。 【御存知鈴ヶ森】 今年は酉年だから、「雉も鳴かずば撃たれまいに」や「阿波座烏は浪花潟」といった有名な台詞のでてくる、この演目をやったのかしら、と勝手に想像した。 国で人を殺して賞金首となった若い武士 白井権八(中村隼人)が、真夜中に、江戸を目指して旅をしている。そして、当時刑場があったほど、寂しく治安の悪いところであった鈴ヶ森で、賞金狙いの雲助(住所不定 フリーターみたいな人たち)に襲われる。ただ、白井権八はものすごく剣の腕がたつので、雲助たちを皆殺しにする。ここまでの舞台では、隼人さんがひたすらに頑張っている。そこに、籠で通りかかるのが、播随院長兵衛(中村錦之助)。錦之助さんが舞台に登場した瞬間、なぜだか舞台が締まる。別に、特段それまでの舞台がだれていたわけではないのだけれど、空気に厚みがでる感じ。なんとなくだけれども、写真の周りを黒く縁取ると写真が引き立つような、あの感じに似ている。これが、役者さんの「格」というものなのだろうか。いつか隼人さんが、お父さん(錦之助)のように、若手に「格」を見せつけにくるのが楽しみ。 この幕は、真夜中のシーンなのだけど、浅草公会堂ではちょっと客電がついていた。歌舞伎座では真っ暗だったので、そっちのほうが雰囲気はでて美しい。けれど、暗いということは眠気を誘うということでもあって、真っ暗なシーンがあるときは前日よく寝るようにしている。浅草公会堂だったらそこまで身構えなくてもよいかもしれない。 【棒しばり】 すごく好きな演目。昨年シネマ歌舞伎で勘三郎・三津五郎ペアのものが出たので、すぐ観に行ったくらい好き。 主人(中村隼人)の留守に、いつもお酒を飲んでしまうので、今回は飲まないよう、棒に手を縛られて、手をずっと真横に開いている状態となる次郎冠者(尾上松也)と、手を後ろでに縛られる状態にある太郎冠者(坂東巳之助)が、縛られながらも工夫してお酒を飲む舞台。 棒しばりは難しい恰好をしながらも、面白みのある踊り、が売りだと思うのだけど、今回の舞台では踊りに面白みがなかなか感じられなかった。巳之助さんの太郎冠者を観るのは二度目だけれど、前のほうがのっていたかなとも思った。今日が初日だということと、前は次郎冠者が勘九郎さんだったので勝手が違うのだろうから、単純に比べてはいけないのだろうけれど。 また、今日は、松也さんの棒が右手側に寄っていってしまい、棒と左手が外れそうになってしまった。一度、棒の位置を修正したのだけれど、結局外れてしまい、後見さんが慌てて直す。そして、そのすぐ後に訪れたのが、扇子を開いて、右手から左手に持ち直すところ。残念ながら扇子を落としてしまった。集中していかないといけない場面なのに、その前にリズムを崩してしまい、と中々感じが掴めなかったのだろうな、と推測できた。本当にこなすだけでも、とっても難しい踊りを、面白みを含ませて踊るなんて、大御所たちはすご��ったのだ、と再確認した。 ただ、顔の表情はかなり、可笑しみがあって面白かった。次郎冠者を棒に縛るための紐を、主人が太郎冠者に渡すときは、二人ですごく悪そうな顔していたのが印象的。三階席からでも表情が見える双眼鏡を手に入れた甲斐があったというもの。踊っている間も大好きなお酒を飲んで、すごく楽しいというのが表情に表れていた。気になったのは、松也さんの表情の作り方が勘九郎さんに似ているように見えたこと。巳之助さんは三津五郎さんの息子さんだから、似ている瞬間があるのは当然なのだけど、松也さんは勘九郎さんと血縁というわけでもないのに、少し不思議に思った。松也さんの中で、お手本として勘三郎さんの次郎冠者があって、それが脳内再生されているのだろうな、と個人的には思っている。松也さんが次に次郎冠者をやる機会があったら、またぜひ観に行って、芸の研鑽を実感したい。 2017年もよい舞台が沢山観られますように。
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2016年観劇記録 総括
ちょうど40公演だった。圧倒的に歌舞伎が多いけれど、毎月2公演以上やっているのだから仕方ない。今年初めてリストアップしたから、いつもに比べて、多いのか少ないのかは分からないけれど、月3公演くらいだと考えると、例年通りかな。いつもと違うのは同じ公演をリピートして行ったのが、「Vamp Bamboo Burn」だけってこと。本当は気にいった公演は最低3回くらい行きたいのだけど、なかなかままならないね。
今年観ようと思っていたのに、観られなかったのは、歌舞伎だと、團菊祭の「男女道成寺」六月大歌舞伎「義経千本桜(碇知盛)」十月歌舞伎「熊谷陣屋/藤娘」十一月大歌舞伎「元禄忠臣蔵」。そのほかだと、「滝沢歌舞伎」「マクベス」「グレートギャッツビー」「シブヤから遠く離れて」。もっと時間がほしい。
観られなかっ���舞台を数えたらきりがないけれど、こうやって振り返ると、沢山の素敵な舞台を観た年でした。来年も素敵な舞台が観られますように。できれば、来年はもっと小まめに振り返るようにしたいな。素敵な舞台を観ても、忘れてしまったらもったいないもの。
よいお年を
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2016年観劇記録 十二月
【十二月】
36 12/03 23階の笑い@紀伊国屋サザンシアター
ふぉ~ゆ~舞台。こっしーのコミカルな動きが楽しかった。なだぎさんは流石だなと思った。栄光とその後を描いている舞台だったので、切なさも描かれていて見応えがあった。
「笑いの間について 話合おうか ちゃんちゃん」
37 12/03 12月文楽公演@国立小劇場
「通し狂言仮名手本忠臣蔵第二部(七段目から十一段目まで)」
いままで食わず嫌いしていた文楽だけれど、すごく面白かった。手も顔も足も、本当に表情豊かに動くのだなと思って見応えがあった。これ以上観たいもの増やしたくないのに。。(沼が深くなってしまうのは、どうしてもしょうがないけれど、広げるのはできるだけやめたい)
38 12/04 12月歌舞伎公演@国立劇場
「通し狂言仮名手本忠臣蔵第三部(八段目から十一段目まで)」
年末はやっぱり、忠臣蔵で閉めたいという欲求が正しく満たされた感じ。
39 12/04 十二月大歌舞伎公演 第一部@歌舞伎座
「二人椀久/京鹿子娘五人道成寺(道行より鐘入りまで)」
「二人椀久」は玉三郎と勘九郎の切なげな美しい踊り。溜息しかでない。「京鹿子娘五人道成寺」
は五人も白拍子がでてきて、とにかくとにかく贅沢な舞台。五人で踊っているときには、花道と舞台とをフルに使うから、どっちを見たらよいか分からなくて、ジャニーズのライブか!と思った。こんな演出するなら、マルチアングルでブルーレイにおさめてほしいわ。
40 12/23 十二月大歌舞伎公演 第三部@歌舞伎座
「あらしのよるに」
去年、京都まで見に行こうかすごく悩んだけれど、結局行けなくて、見られなかった舞台。東京にきてくれてよかった。獅童さんのガブはとてもよかった。メイちゃんがガブからもらった四葉のクローバーを食べるシーンで、ガブとメイの関係が続くためにはガブがひたすら食欲とたたかうしかないというのを象徴しているようで面白かった。狼役や羊役という動物の動きがとても面白かったのも印象的。
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2016年観劇記録 十一月
【十一月】
32 吉例顔見世大歌舞伎@歌舞伎座
「四季三番叟/毛抜/祝勢揃壽連獅子・加賀鳶(本郷木戸前勢揃いより赤門捕物まで)」
前から二列目で見た歌舞伎。非常に危険な感想だけれど、やっぱりいい席で観る歌舞伎はそれだけで、全然贅沢さが違う。芝翫さん・橋之助/福之助/歌之助さん四人での連獅子は、襲名らしい華やかな演目で、観てよかったと素直に思った。そして、仁左衛門さんと梅玉さんが脇を固めるという贅沢さ。席も、演目も贅沢尽くしだった。
33 11/06 11月歌舞伎公演@国立劇場
「通し狂言仮名手本忠臣蔵第二部(浄瑠璃から七段目まで)」
道行ってあまり好きじゃないことが多いのだけど、菊之助さんが綺麗で楽しかった。また女房おかや役の東蔵さんがすごく迫力だった。こうやって通しでみると、七段目はお芝居として、見た目に美しく、かたき討ちに翻弄される人々の心の動きが丁寧に描かれていて、この演目がよくかかるのが分かる気がする。あとから友達に、「寺岡平衛門とお軽は本来武士でない」というのがかなりのポイントだというのを教えてもらった。確かに。
34 11/19 メトロポリス@シアターコクーン
身体の動きが綺麗な舞台だった。ストーリー自体はほとんど重要でなくて、役者さんの動きを楽しむ歌舞伎的な舞台だったように思った。ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」的な松たか子も素敵だった。
35 11/27 エノケソ一代記@世田谷パブリックシアター
吉田羊がいろいろな衣装で登場してきて、どれも素敵だった。昭和っぽいコミカルな動きを猿之助さんがやっていて普段見られないものを見た気分になった。山中崇さんの百変化も面白かった。最後、エノケンがエノケソのところにやってくるシーンの演出にとても関心した。さすが、シスカンパニーという感じの安定感のある舞台だったな。
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2016年観劇記録 十月
【十月】
29. 10/10 真田十勇氏@KAAT神奈川芸術劇場
「嘘もつき続ければ、本物になる」というシンプルさがすごく好きだった。勘九郎さんのひょうひょうとした演技と、猿飛佐助役が本当にあっていた。
真田十勇士について歴史的な予備知識がないので、初見で十人の人となりがちゃんと分かるかすごく不安だったけれど、結論から言えば全く問題なかった、最初に自己紹介タイムがあって、それから出会いのシーンを丁寧に描いてくれたから、短い時間にそれぞれの登場人物に愛着がもてるようにしてくれているのは、本当にすごかった。所々、歴史的背景が必要となるところには、ちょいちょいと映像による解説が入っていたのもよかった。
自己紹介タイムは、なんとなく、弁天娘女男白浪「稲瀬川勢揃いの場」を思い出した。
30. 10/15 10月歌舞伎公演@国立劇場
「通し狂言仮名手本忠臣蔵第一部(大序から四段目まで)」
錦之助さんの血気にはやる感じの若狭之助のイライラした演技と米吉さんの小波がすごく綺麗だったのを覚えている。
四段目は、やりきれない理不尽さが表現されていて、焼香のかおりが漂ってきて、泣いてしまった。幸四郎さん好きじゃないのだけれど、迫力や重厚感あるんだよな。悔しい。
31. 10/16 GOEMON@新橋演舞場
なかなか長い舞台だった。女の人が出てきたり、フラメンコが出てきたり、普通の歌舞伎と違う所はたくさんあるのに、長いところは歌舞伎なんだ、と思って面白くなった。壱太郎がすごく綺麗に花道で舞っていたのが印象的。
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2016年観劇記録 九月
【九月】
26 09/07遊侠沓掛時次郎@新国立劇場小劇場
舞台セットと照明の感じは面白かったのだけど、劇中劇の良さがあまり伝わってこなくて、難しいなという感じ。もともと長谷川伸をよくしっていないと分からない舞台なのかもしれない
27 09/16 Vamp Bamboo Burn ~ヴァン!バン!バーン!~ @赤坂ACTシアター
観覧:中島裕翔
一度目に見たときは、神山くんが「ひときわキレのある踊り」をしていた所が、きちんと見れなかったのだかれど、二度目だったのでちゃんと見られた。確かに1人、高い位置で腰をめっちゃ振っていた。1階最後列の真ん中の席だったのだけど、この位置でみるとデジタルスクリーンがすごくきれいだと感じた。舞台の演出をするときに、どこの席の人に向けてデザインするかというのは難しいことだよな、としみじみと実感した。美術だけでも一回入っただけでは、わからないことが沢山あるんだから、好きな舞台はなるべく色んな席で、何回も見るべきだなと思った。
今でも思い出せるセリフ
「アンサンブルが」「大卒並ねんぞ」「麻呂っすか」「さわやかの玉ねぎ」
28 09/18 縁@シアタークリエ
ふぉ~ゆ~の四人が同じような年齢の幼馴染という設定が、妙にはまっていて面白かったし、感動した。印象的なシーンは、ビールがこぼれてみんなで拭くシーン。こっしーはよけるだけで、床を拭くのは福田君なんだ、ということ。
舞台セットがよくできていて、店の中と店の裏にある山だけでストーリーが進行する。セット替え無いのに、いろんなシーンがちゃんとはまっていて、感心した。最後祭りのシーンだけは、、店のセットがなくなって四人が強く踊っていた。
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