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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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 サルトル生誕100周年ということで、三省堂本店の思想書コーナーに積んであった本の一つ。薄い新書版なので、これなら自分にもなんとかなるかなと思い、とりあえず手に取ってみた。(おぃ)  サルトルは、同時代における政治状況に対し積極的な発言を行ってきた人物であり、著作も膨大な数に及ぶ。彼の思想を手短に要約することなどはできないが、本書を読んで印象に残った点を幾つか抜粋してみる。 ①「まなざし」による闘争    まず、「存在と無」の中に出てくる「対他存在」という概念について。  「対他存在」とは、他人の中に現れる存在のことで、例えば自分が「トロくて使えない奴」として他人の眼に映るとしたら、それが自分の「対他存在」となる。対他存在とは他者のことではなく、自分の存在の一部である。他人が自分のことを「トロくて使えない奴」とみなすなら、自分はそれを重い荷物のように持ち歩かなければならないし、私という人間事実の「もう一つの次元」として引き受けなくてはいけない。  こうした対他存在を生み出すのは「他人のまなざし」である。サルトルは、まなざしを向けられていること自体を「疎外-他有化」として捉えている。他人のまなざしの出現によって、私は他者の評価に委ねられ、私自身のものであったものが私のものではなくなるのだ。  それでは、他人に所有されてしまった「私」を取り戻すためにはどうしたらよいのか。まなざしによって奪われたものはまなざしによって奪い返すしかない。私は私を「トロくて使えない奴」とみなす相手に、例えば「コンプレックスむき出しの俗物」のようなマイナスの対他存在を貼り付けてやれば良いのだ。  もちろんこれは、まなざしを介した闘争であり、出口のない不毛な「他有化」の相克である。このような相克を乗り越えて、人間相互を別のあり方で結びつける可能性はないのだろうか。サルトルはそうした人間相互の「解放と救済の論理の可能性」については、小さな注の中でわずかに触れただけで、それを理論として展開することは無かった。というか、出来なかったのかもしれない。「まなざし」の力関係のなかでがんじがらめになっているのが、人間存在の偽らざる現実である。 ②「穴ぼこ」人生論  「存在と無」の中の一節、「われわれの人生のかなりの部分は、いろいろな穴をふさぎ、いろいろな空虚を満たし、象徴的に充実を実現し確立するために過ごされる。」  自己意識(サルトルの言う「対自」)とは、実はからっぽの「穴ぼこ」なのである。そして私たちは、それがからっぽのままの状態であることに耐えられない。だから、とりあえず色々なもの(サルトルの言う「即自」)を穴ぼこにぶちこんで気を紛らわせる。それは人によっては、宗教的信念かもしれないし、ドラッグかもしれないし、性的享楽かもしれないし、やたらと本を読むことかもしれないし、ネットサーフィンかもしれないし、萌えアニメかもしれない。とにかく、人間存在の根本にはこうした「穴ぼこを満たそうとする傾向」が存在するのだとサルトルは主張する。  この「穴ぼこ論」は、フロイトの「無意識」を否定した、サルトル独特の「実存的精神分析」へと繋がっていくのだが、その理論は難解で、今の自分にはよく理解できない。 ③「アロンとともに正しくあるよりは、サルトルとともに誤ることを選ぶ。」 (これは、1968年の「パリ5月革命」における若者たちの言葉であると��えられている。)    サルトルは、1952年に「コミュニストと平和」という文章を発表した。彼はその中で当時のソヴィエトの平和政策を擁護し、ソヴィエトは地上に社会主義を実現する可能性がある最初の国であると述べた。そして、大衆を階級に統一するのは党であり、党がなければプロレタリアートは単なる大衆に退化するとし、前衛政党による指導の必要性を主張した。彼は1956年のハンガリー動乱に際しても、ソ連軍による侵攻と虐殺を激しく非難しつつ、ソ連型のコミュニズムだけが社会主義実現の可能性を有する現実の運動であるという基本姿勢は変えなかった。しかし、1968年の「プラハの春」を境に、彼はソ連と共産党から決定的に離れてゆくことになる。  確かに、サルトルはソ連という国に過大な期待を寄せ、その後の歴史の展開を読み違えている。21世紀になった現代から、彼の不明を笑うことは簡単である。しかし、1950年代において、「社会主義」という思想が今では想像もできないような「勢い」を持っていたことを忘れてはならないだろう。そして、具体的状況の中で政治的スタンスを決定し、行動を起こすということは常になんらかの「誤り」を伴うものであり、それは政治行動にかかわる者の避けがたい運命なのである。政治的に絶対に誤るまいとするならば、政治的な発言や行動は一切せず、傍観者にとどまればよい。サルトルと同時代の哲学者でも、レイモン・アロンやメルロー=ポンティは基本的にそういう姿勢を取っている。サルトルはあえて「誤ること」を恐れず、その時点における自分の知力を限界まで振り絞って「政治的発言」を続けて来たのだ。 ④「友愛」と「暴力」の関係について  サルトルにとって、「暴力」は若い頃からの重要なテーマだった。中でも「弁証法的理性批判」の中で展開される、革命集団内部における暴力の考察は興味深い。革命の初期段階では、革命集団は無定形の「融合集団」として構成される。それは「自由な共同の組織化」であり、成員相互の関係は「友愛-同胞愛(fratarnite)」に基くものである。しかし、この友愛は暴力と無関係ではありえない。融合集団は敵対する権力への恐怖、そして集団自体が解体してしまうのではないかという恐怖から自己の統一性を引き出している。そこで融合集団は統一を維持、強化するために各人に誓約を求める「誓約集団」へと移行する。この関係性が否定的に行使されれば、それが血で血を洗うような粛清に通じることは明らかだ。  晩年のサルトルは、革命集団において「友愛」と「暴力」が、実際には決して切り離せないことに苦悩している。これを切り離すことができなければ、世の中を少しでも変えて行こうとするに当たって、「集団」という考えそのものを放棄しなければならなくなる。しかし、「集団」なくして何らかの政治的・社会的影響をもたらす「運動」などは不可能である。サルトルはいくつかの漠然とした希望を語りつつも、この問題について結論を出すことはできなかった。そしてこれは、サルトルが後世に残した大きな宿題だと思う。集団を作ることによってしか政治活動を行えない私たちに、この問題は今でも重くのしかかっている。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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「疎外される労働、過去と
「疎外される労働、過去と現在」「自己紹介 下手の横好きが昂じてはじめた、釣り文化史研究、労働と人間、他者の発見から、社会変革まで眺望すべくはじめた、マルクス、サルトル研究(労働からの解放)、直接民主主義、個人の対等平等、合意の意思決定に基づく連合体をベースとする、アナキズム社会研究、定時制高校時代関わった、元「奪還そして解放」製作上映委員会、中学生の時からもともと集団生活に馴染めず��引きこもりがちの生活を送っていたが、偶々炭労、大正鉱行動隊の人と巡りあい、谷川雁さんを知った、著書を読んで感動した、心機一転、仕事、学校に行くことを決意するも、結局、夜ふかし生活がたたって職場と学校を転々としてしまった、しかし、ものづくり自体は好きだったで、工場勤めなら何でもやった、自動車修理工(板金修理見習い)、自転車修理業、、包丁研ぎを請負でやった、ラジオ組み立て修理、機械組み立て、製缶、罫書き、旋盤、研磨研削、(弱電)配線、油空圧回路設計、配管、機械制御リレー回路設計、テクニカルイラスト、取り説ライター、液晶製造装置、半導体製造装置、産業ロボット等の設計といろいろやった、思うにある特殊な条件下とはいえ、ものづくり、例えば穴明けひとつとってみても、それはそれで、一枚の図面から、全体の作業段取りを考えたり、また加工相手によってはドリルの食い付き角度(チゼル角)をかえたり、そのために工具顕微鏡とにらめっこでドリル尖端のグラインダーがけをしたり、また例えば大径ドリルで穴開けの場合、予め小径のドリルで下穴を開けることも多い、この場合、食い付きを悪くしておかないと、固定バイスごとぶん回されることもしばしば、特に真鍮などは食い付き角度を鈍角にしておかないと,バイスごともってゆかれる、難材としては18-8ステンレスが一番厄介で、どんな機械加工でも、熱伝道、加工廃熱が難しく、ドリルやバイトが自家熱で刃こぼれ、することも多い、従ってそれにあわせて、ハイスや超硬などドリル材質のチョイスする必要があるわけだ、また、製品形状にあわせた、固定冶具を事前に作ったり、考えたりで、これ事態経験知がものをいう、結構奥が深いものである、考えようによってはスリリングで知的好奇心さえもわく、それはビラ作りに覚える遣り甲斐と同じものだ、主体的に取り組める、仕事は楽しかった、しかし現在の行きすぎたQC運動の結果としての作業の平準化、マニュアル化は労働者から生産の自主性、全体性把握のいちからうを奪った、標準時間だけで生産の量と質がコントロールされるようになったためだ、現場の裁量権はなくなった、ノウハウ、全体性は労働者から会社側に移項していった、会社が専用工具、冶具を図面と共に労働者に「支給」し、労働者はそれを所定時間内に仕上げ、こなすだけの存在になりさがってしまうのだ、労働者は労働の主人公ではなくなった、彼は労賃をえるためにだけ、生産に関与するだけだ、彼の労働は彼にとってよそよそしい、拘束時間中は彼は資本に組織された、奴隷、ロボットに過ぎない、物流現場でもこの傾向は顕著だ、アマゾンみたいに作業行動範囲すら行動学的に分析されて、最適経路路まではじき出されている。こんな仕事がおもしろいはずはない、物流ロボットと同じ扱いである、最近はサービス、接客業にまでこの方法が持ち込まれ、(生産性向上、作業者によらない作業標準��)の掛け声のもとに、挨拶の仕方までマニュアル化されているという、ぶすったれることすら許されない、ますます仕事は地獄になる、、大学は立正大学文学部(英文科)を学生運動の都合で一年で除籍、退学。元全国金属,分会長。定年後、脱原発、風力発電所、メガソーラー反対運動、模型飛行機作りの傍ら、コント作家をめざしている。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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自己紹介
自己紹介 の横好きではじめた、釣り文化史研究、マルクス、サルトル研究(労働からの解放めざす)、直接民主主義、個人の対等平等、合意の意思決定機構に基づく連合体をベースとする、アナキズム社会研究、元「奪還そして解放」製作上映委員会、中学担任から統一模擬試験の結果と経済状況からだけで将来への振り分けとして 推薦された高専をやめた、というのも中学校の時から集団生活に馴染めず、引きこもりがちの生活を送っていたが、炭労、大正鉱行動隊の人と巡りあい、谷川雁さんを知った、感動し、心機一転、仕事や学校に行くことにするも、しかし結局、夜ふかしぐせが残る生活だったため職場と学校を転々とした、ものづくり自体は好きだったで、工場勤めなら何でもやった、工業高校自動車科夜間コースに通いながら、自動車修理工(板金修理見習い)をやった、学校校庭を使った自動車運転実習がとても実践的に役に立った、さらに延長線上のパンク修理の技術ノウハウをいかしての自転車修理業、、包丁研ぎを請負でやったりした、電気知識を生かしたラジオ組み立て修理、機械組み立て、製缶、罫書き、旋盤、研磨研削、(弱電)配線、油空圧回路設計、配管、機械制御リレー回路設計、テクニカルイラスト、取り説ライター、液晶製造装置、半導体製造装置、産業ロボット等の設計といろいろやった、思うに、ある特殊な条件下とはいえ、ものづくりの奥行きの深さ、例え穴明けひとつにしても、それはそれで、一枚の図面から作業段取り全般を考えたり、加工相手によってはドリルの食い付き角度(チゼル角)が違い、それにあわせるために工具顕微鏡とにらめっこでドリル尖端をグラインダーで加工したりする必要があったりする、例えば大径ドリルで穴を開ける場合、予め小径のドリルで下穴を開けることも多く、この場合食い付きを悪くしておかないと、固定バイスごとぶん回されることがある、また真鍮などは特に食い付き角度を鈍角にしておかないと固定バイスごともってゆかれる可能性がある、18-8ステンレスが一番厄介で、どんな機械加工でも熱伝道が悪く、加工廃熱が難しい、ドリルやバイトが自家熱で刃こぼれ、のっぺら棒になる可能性がとても高い、従ってそれにあわせて、ハイスや超硬など、ドリル、刃物材質の選定をしたりする必要があるわけだ、また、特別に製品にあわせて固定冶具を作ったり、考えたりで、結構奥が深く、考えようによってはスリリングで知的好奇心さえもわくのだ、それはビラ作りに覚える「頭脳」労働で覚える楽しみと同じものだ、作業の全体性が掴め、それにあわせて工具を選んだり用意したりする仕事は楽しかった、現在の行きすぎたQCの結果としての作業の平準化、マニュアル化は、標準時間だけで生産の量と質がコントロールされるようになった、生産管理が事前に仕事の内容を蓄積された現場ノウハウから割り出し、図面と一緒に労働者に専用工具を渡す、労働者はそれを使って標準時間内に作業をこなすだけだ、現場の裁量権はなくなった、既に考える、全体を組み立てる脳内作業時間まで生産管理され、現場はロボットと置き換えてもいい位に、労働の全体性把握が奪われている。労働者が労働の支配権を失った格好である、だから、マニュアル化された仕事に面白さはないし、同時に余人(機械に代替される仕事でもある、ここまでくれば、彼は主な穴あけ作業の役割を「マシニングセンタ」に奪われ得る補助仕事役にしか役割を与えられない、ここから労働力概念という非人間性の本質が剥き出しになるわけだ、労働者は労働において仕事=遊びとしての全人性を奪われ、仕事は単に労賃を稼ぐためだけのもの、彼は労働において資本の用意した生産手段に従うだけの奴隷でしかないことを実感するのだ、彼は拘束時間外において人間性を取り戻す必要性があるわけだ、おかしなことだ、このことは別の業種の職場でもおこっている、物流合理化として、アマゾンみたいに倉庫内作業行動範囲すら行動学的に分析されて、最適移動経路まではじき出されている。労働者はコンピューターコントロールされた物流ロボットで代替しえる存在におとしこまれる。、こんなんで仕事がおもしろいはずがないのである、最近はサービス、接客業にまで、この方法が持ち込まれ、最適な(生産性の高い)、挨拶回数、態度、までマニュアル化されているという、ぶすったれていたくてもできない、笑顔まで支配されてしまった、ますます仕事は地獄だ、無人コンビニができてもおかしくない。、大学は立正大学文学部(英文科)を学生運動の都合で一年で除籍、退学。元全国金属,分会長。定年後、脱原発、風力発電所、メガソーラー反対運動、模型飛行機作りの傍ら、コント作家をめざしている。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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政治的なものの概念:カール・シュミットの友・敵理論
マキャヴェリ以来、近代西欧の政治理論は、政治を権力と関連付けて論じてきた。政治というものは、権力の獲得とか配分をめぐる現象であって、権力の動機を持たない政治的な行為というものはありえない。権力をめぐる戦いがあるところには、当然敵・味方の区別が生じるが、それは権力闘争に付随する現象であって、それ自体を独立したものとして概念規定しようとするのは行き過ぎである、とされてきた。ところがカール・シュミットは、政治とは友・敵(敵・味方)の区別が生じるところに始めて成立するものだとすることで、友・敵の区別こそが政治の本質であって、権力はそれに付随す���ものだとする。つまり、権力と友・敵区別の関係を、伝統的な政治理論とは180度異なった仕方で捉えるのである。権力をめぐる戦いが友・敵の区別を作るのではなく、友・敵の区別の生じるところに権力をめぐる戦いが生まれる、とするわけである。
シュミットはなぜ、権力ではなく友・敵の区別を政治の本質だとしたのか。もしも権力を政治の本質とするならば、政治と政治以外の領域との区別が曖昧になり、その結果政治を純粋な形で考えることができなくなる、そう考えたからである。権力を問題とすれば、必ずと言ってよいほど、権力の正統性だとか、権力行使の道徳的根拠とかが問題となる。しかし、政治というものは、正義とか道徳とは基本的に別の領域のものであって、それ自体で完結した現象と考えるべきである。友・敵の区別には、権力にまつわる非政治的な要素を排除して、それ自体で独立したものとして考えることができるという利点がある。それゆえ、政治を純粋な形で取り上げる際には、友・敵の区別こそが有効な手がかりとなる、そうシュミットは考えるのである。
シュミットは言う、「道徳的に悪であり、審美的に醜悪であり、経済的に害であるものが、だからといって敵である必要はない。道徳的に善であり、審美的に美であり、経済的に益であるものが、それだけで、特殊な語義における友、つまり政治的な意味での友とはならないのである・・・友・敵概念は、隠喩や象徴としてではなく、具体的・存在論的な意味において解釈するべきである」(「政治的なものの概念」田中浩、原田武雄訳)。こう言うことでシュミットは、政治的なものの概念を、道徳的・審美的。経済的等々のほかの領域から独立したそれ自体独特の概念としてとらえる。政治を政治に固有の言葉だけで語る、その言葉とは友・敵の区別を表す言葉なのである。
シュミットによれば、友・敵の区別を設定する主体が政治的主体ということになる。これには様々なものがなりうる。たとえば宗教団体とか階級といったものだ。しかし政治的主体の究極的な形は国家だ、国家こそが政治主体の最たるものであり、したがって政治的な現象は国家をめぐって典型的な形で発現する、こうシュミットは言って、以後政治的なものについての議論を、もっぱら国家を中心にして展開してゆく。
国家にとって友・敵の区別はどのような意義を持つか、それを研究することが政治学の課題だ、ということになる。主として問題となるのは、敵だ。国家にとっての敵とは何で、それはどのような政治的な意義を持っているのか、それを明らかにする必要がある。シュミットはこの敵を、国家の外と国家の内にそれぞれ求める。外の敵とは外敵としてのほかの国家であり、内の敵とは国家内で国家の転覆を図る反国家勢力ということになる。この場合、敵の概念に、存在論的な意義を超えた余分な要素、上述したような道徳的以下の要素が一切問題とならないのは言うまでもない。それらの敵とは単純な意味で、国家にとって物理的に殲滅すべき敵なのである。敵を殲滅するのに余計な理由はいらない。敵とは定義からして殲滅すべきものなのだ。
外敵との関係では戦争が、内敵との関係では内乱が問題となる。特に問題なのは戦争である。何故なら、外敵との戦争にあたっては、国家は国民に対して異常な要求をしなければならない。自分の命を国家にささげること、つまり死を賭して国家のために戦うこと、そのパラレルとして、敵国の人間を殺戮すること。こうした要求は、道徳的には根拠づけられない。それを正当化できるのは国家の主権である。国家は主権者として自分の国民に死ぬことを求め、相手の国民を殺戮するように求める。なぜ国家にそんなことができるのか。そうしなければ国民もろともに国家自体が死滅してしまうからだ、というのがその唯一の根拠となる。
このように、シュミットの政治理論は、国家を主権者とすることで、国家に政治的な万能を付与するところに特徴がある。それゆえシュミットは、国家の主権を制限しようとする議論、とりわけ自由主義的な議論に対して非常に批判的である。自由主義者たちは、国家を個人に対立させ、個人の自由を守るためと称して国家の主権を制約しようとするが、それは究極的には国家不要論につながる。国家不要論はアナーキズムに典型的に見られるが、これは国家が消滅することで自由な社会が実現するというような妄想を振りまいているだけである。なぜなら、国家が消滅するなどということはありえないからだ。それと同じような意味で政治的なものが消滅することもない。友・敵関係に集約される政治的な現象は、人類が存在する限り、無くなるはずがないからだ。人類というものは、定義上からして闘争を好むものなのであり、したがって政治的なものと無縁になることはない、そうシュミットは考えるのだ。
このようなわけだからシュミットは、国家の対立を超越した世界平和が実現する可能性などは頭から否定する。国家���永遠に無くならないし、戦争が無くなることもない。国家があるかぎり、政治的な主体として友・敵の区別を認定し、敵との間で戦争を繰り広げるのは自然の法則のようなものだ。したがって、国家の主権を放棄して、みずから平和国家たらんと宣言するのは馬鹿げたことだ。シュミットは言う、「個々の国民が、全世界に対して友好宣言をし、あるいはみずから進んで武装解除することによって、友・敵区別を除去できると考えることは誤りであろう。このような方法で、世界が非政治化し、純道徳性・純合法性・純経済性の状態に移行したりするものではない」(同上)
シュミットはまたこうも言う、「一国民が、政治的なものの領域に踏みとどまる力ないし意思を失うことによって、政治的なものが、この世から消えうせるわけではない。ただ、いくじのない一国民が消えうせるにすぎないのである」(同上)。かくも国家というものは、シュミットにとっては、人間の存在に不可欠な絶対的な前提となっているわけである。
シュミットのこうした考え方は、1920年代のヨーロッパの国際状況を色濃く反映したものだと思う。ドイツは敗戦国家として、戦勝国から過酷な条件を押し付けられていた。その条件はドイツ国民にとっては、生存にかかわるようなものであった。ドイツはいわばヨーロッパ全体の敵扱いされていたのである。そんな状況の中で、ドイツ国民がまともな民族として生き残る為には、ドイツの国家としての実力を高めていかねばならない。重要なのは、ドイツ国民が一国民として一体となることであり、そうした一体的な国民として、何が敵であり、なにが味方なのかを、冷静に見極め、敵を殲滅しなければならない。でなければドイツは永遠に二等国にとどまり、ドイツ国民は塗炭の苦しみを舐め続けることになるだろう。
このような問題意識に駆られてシュミットは、国家の主権の強調と国際平和の欺瞞性を告発することに情熱を傾けるようになったのではないか。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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宮川
詳細ヘッダー
2018/8/29, Wed 20:38Message body
皆様いかがお過ごしですか?
小松中学校ミニ同期会を下記にて開催いたします。
お会いできるのを楽しみにしてますので、ぜひご参加ください。
日 時  平成30年10月13日(土) 午後5時30分
場 所  チャイナハウス
      葛飾区新小岩1-52-4
      (新小岩南口ルミエール商店街三つ目角左折)
      03-3655-0375
会 費  4,500円
  ※ 2次会予定あり  会 費  2,500円
1次会・2次会の出欠を9月30日までにご返信ください。
**************************
 佐野真砂代
 TEL:FAX 03-0652-2433
 携帯      090-4007-6864
 メール     [email protected]
携帯メール   [email protected]
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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思ったんですが、つげ義春さん理解
思ったんですが、つげ義春さん理解、特に「ねじ式」を読み解くキーワードとしてはは、黒い飛行機(爆撃機)に象徴される戦前と戦後との戸惑い、海に住むという「メメクラゲ」。助けてくれる男性医師もいない毒、つまり男社会(建前社会)では救いようのない社会のウソなのではないか、と思うに至った戦前
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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メモ)
メモ)、人間の各存在様式、「即自存在」、見られても見ていも依然「自己意識がない転がっている「石」」のような存在様式。次に「人間存在」「実存存在」余人に耐え難い固有性、見る、見られるによってなりたつ意識、他者の存在と共鳴しあう、相互関係的存在様式。「頭数的抽象的存在様式」「二義的属性存在」男、女、国民、井来た労働者から切り離された労働力としての労働力存在、政治的市民。「役割」が擬似実存になる存在様式
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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ご気分が晴れるのであれば
Subject: 私の病歴,清書、推敲済み ご気分が晴れるのであれば、喜んで「武勇伝」を開陳しますね、現在わたし66ですから、今から31年前、ちょうど35の時でした。連夜に渡る組合活動(従業員50人ばかりの町工場でしたが。)を繰り広げておりました、私はもともとは文系出身でしたが、以前働いてbいた会社が電子部品の開発会社だった関係上、IC等の電子部品の製造技術には割りと明るかったのですが他方、町工場では、教養程度の数学知識、電子工学理論の分かる人もいなかったため、液晶製造機械,ハイブリットIC製造機械設計の実働部隊の技術リーダーをやってました、技術的に日進月歩の機械技術の道は相当ハードルが高く、毎晩、組合のチラシ、会議録作りが終わる午前0時過ぎから、3~4時過ぎまで「数学」や「機 械工学」「電子工学」の独学をやってたんですね、アサは7時起きで会社に通っていました。やはり人間、無理はできませんよね、ピント張った糸は切れや すいの例え通り、精神的、肉体的にダウンしてしまいました、ある日銭湯に はいっていたんですが、湯船のなかで心臓にいじょうを感じたんですね、動悸がはげしかったのです。湯舟の中でさえ、手足は蒼白,これはいけないとおもって、急ぎそこを でて、ようよう家に帰りつき、そのまま、救急車を呼んだんです、昭和医大の緊急外来に通され、心電図をとられましたが、異常はないといいます。医師も困ったんでしょうね、結局応急処置として「セルシン」(精神安定剤、筋肉弛緩剤でもある)の静脈注射を打ってもらって、すごすご、家路にむかったのです。当時組合のほうも解雇撤回を巡って会社側と、鋭く対立していて、会社側の団交拒否にもあっており、予断を許さない状況でした、争議は場を東京都労働委員会に移しておりました、会社側弁護士と数回にわたって、話し合いの為にに澁谷の法律事務所を訪れていましたが、ある時不幸なことに帰りの電車内で動悸が始まってしまったのですね、脂汗たらたら、いきたここちがしませんでしたね、山の 手線、澁谷から目黒まで遠かった。雪の日だったことを覚えています、、なんとかやりすごして 、まんじりともせず夜を過ごし、朝を向かえました。そのまま朝食も食べず、朝一で都立荏原病院内科をたずねました。血圧、心電図、異常な しでした、念の為,心筋梗塞を疑ってGOT値を知るべく、血液検査もうけましたが、後日連絡では異常なしという結果でした、時は、冬、職場はとても寒かった、製図台で震えていました、殊のほかこの冬は寒かったような気がしました。体温を支配する自律神経が狂ってたんですね。ひと冬動悸と寒さに耐えていました。殆んど会社を休んで電気コタツにうずくまって死の予感に慄く毎日を過ごしていました。、ようやく春になって、会社を退職し、自営の道にはいりました。家で仕事が出きることが何より嬉しかった。CAD用のPC、プロッター^を買い込みました、如才なかった、会社員時代の営業部長さんが、既に独立していて大田区の下丸子に工場をかまえておりました、そこの専属設計屋として 。以後働き続けま��た。さて「病だれ」のほうですが、よくならないまま冬から春へ、、昭和医大、心臓内科(第三内科として心臓病では都内で有名でした)にかかり、ブドウ糖を定量飲んで時々刻々の血糖値を調べる、血糖負荷試験、心臓エコーをとったり、10分心 電図、トレッドミル負荷心電図、心臓の大きさを知る胸部レントゲンを取ったりして精密検査をうけました、結局心臓に異常なしとして精神安定剤を処方されました。「気のせいだろう」と診断された訳です。激しい動悸症状と病名(心気症)の?乖離にがっくりきていました。そんな折、近所にS精神科クリニックがある事を知りました。そこを真っ先に受診しました。慶応閥の先生でしたが、結局「くすりや」さんでしかなかったですね。、受診するや、精神保健法32条の申請をしてくれたのはいいのですが、これで何が判るのってかんじのへんなヘッ ドギャ(剥き出しの針、電極を頭皮にぶちぶち刺す古いタイぷの脳波測定装置!!)をかぶらされて、カルトっぽい「脳波」なるものをとらされました、その上、今では御禁制のくすり(確か新宿クリニックだったかか、乱用違法処方で院長が逮捕されました、これが新聞に載って一躍、合法麻薬として有名になったクスリです!!)「リタリン」、抗欝剤として「三環系」のくすり、そして「睡眠薬」として、今では、その常習性、依存性、致死量の閾値が低く危険性があるとして現在9殆んど処方されることの無くなった「イソミタール」0.3gが処方されました、抗欝剤のせいという結論でしたが、深刻な口渇、尿閉(例え膀胱に溜まっていても、年寄りの前立腺肥大と同じ症状を呈し、おしっこが出なくなりました 、老人では最悪尿道カテーテルを使っての導尿しか手はなくなるそうです。このような前立腺障害,口渇は、三環系坑欝剤の薬理作用のもつ坑コリン反応として容易に、そういうケースがあるんだそうです、泌尿器科の先生が仰って ました))、におそわれ、やむを得ず「泌尿器」科にjかかったりりました。笑うに笑えないお粗末でした。さらに眠剤(イソミタール)の方は、のち原因不明の全身痙攣、妄想を引きおこし「緊急入院」の憂き目にあったりしました。件のクリニック、32条対象者ということでクスリをやたらめったらだすところでした、(当時は医薬分業になっていず、処方が多ければ多いほど医院に利益が転がりこむ構造でした)、今の品川の家に引越し、件のクリニックから、(品 川シーサイドにある)診療内科に転院しました。当初は話をよく聴いてくれる先生が担当医でしたが、一年後、彼は横浜にクリニックを新設してし、独立してしまいました、その後に来た新しい先生が酷かった、一応心療内科の講習をうけたたのらしいですが(心療内科医は確か数十時間の講習を受けるだけで内科医がそのままスライド式になれたとおもいます。専門性の低い領域でした、従って内科医が容易に兼務できるといい知り合いの内科医は儲かりそうだから、心療内科の看板を掲げようかなとつぶやいていましたが、後任の同医院の心療内科の先生は美容外科を兼任していた!!)その先生、散々人が副作用が怖いっていってるのに、ろくすっぽ人の話も聴かずに前のクリニックの処方をまんまだすひとで した。眠れないといえば「イソミタール」増量しますか?だったし、まあ、なんという不見識だったんでしょうかね、結局わたしが気まぐれで当 時、福島原発爆発で社会問題になっていたとこを捕まえて「先生、原発についてどうおもわれますか?」と聴いた途端にわたしをまじまじと見つめて「あなた、統合失調です、間違いない、私の手に負えないから大学病院にいってください。精神科を紹介しますから、もう来ないで下さい」とのご託宣、バンやむを得ず大森の東邦医大,精神科にか かりました。担当医の教授に来歴を話しました。ひどく同情され、クスリもうんとライトなものに変わりました、そのご東医大邦系列の精神科クリニックに通い、現在に至っ��おります。やれやれ、長いはなし、お付き合い願って有難うございました。現在の病識は強い不眠症と躁鬱、特に躁病だけですね、不眠の為、生活が乱れ、ひきこもっています、
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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大阪広域協組のあり方を根本的に改革する動きを加速させていきます。  4人組は自分たちの利権のため、大阪広域協組を私物化していることは明らかで、これからその具体的事実を暴露していきます。 FacebookTwitterGoogle+Line共有
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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①労働組合と良好な協力関係築く
 広域協組は、業界各社の倒産の危機が進行するなか、1994年に労働組合と業界との協力のもと大阪府下の5つの協同組合が一本化して設立された協同組合です。 しかし、広域協組は、値戻しがすすむと労働組合外しをおこなうとう悪い歴史を繰り返してきました。現在の労働組合への攻撃は、過去の歴史から学ぶことなく、労働組合に対する敵対行為であり、これは業界破滅の道です。
②協同組合の品位を汚さない
 「言うことを聞かない」と称して「おんどれ」とか「いてもうたろか」など、協同組合の品位を汚す行為があった事実を認め、今後かかることの無いようにすること。
③理���職は公人職であり、私的利益は慎む
 理事職は、公人職であり、この公人は協同組合の組織綱領、理念、総会決定の具体化することを任されているのです。役職を利用して個社又は私的利益の誘導などは一切慎むこと。 フェラーリなどの高級車を2台も購入している事業者もおり、役得による利益をむさぼっているのではないか。
④生コン経営者会への全社加入
 歴史が証明しているとおり、労働組合と協同組合とは共通した課題について相協力することが業界安定の道であると互いに再認識しなければならない。協同組合加入全社が大阪兵庫生コン経営者会に加入するよう約束していながら、この約束を蔑ろにしているのが協同組合である。
⑤労使の協力関係を内外に公表する。
 労使の協力関係が協同組合の基本方針であることを内外に明らかにすること。 売り価格決定には、生コン輸送・バラセメント輸送・ダンプ・骨材などの適正運賃等の反映と環境保全、教育・広報活動などの諸政策費用を考慮すること。 この点についても約束をしながら、それを反故にしている。
⑥生コンミキサー・セメント輸送運賃引き上げ
 現在、生コン市況は値上げ基調で推移しています。2005年以前のころと比べると5000円以上価格が回復しています。この価格回復については、生コンの製造事業者だけでなしえたものではなく、労働組合との協力の下、実現したのである。 広域協組執行部はこういった事実を再認識し、今まで約束してきた生コンミキサーやセメントの輸送業者(その先にいる労働者)に価格回復で得た利益を公正・公平に還元しなければならない。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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9月18日、大阪府警が、関西地区生コン支部の七牟礼時夫副委員長をはじめとする16人もの役員と組合員を不当逮捕した。許しがたい権力の暴挙に対して、われわれはまず怒りを込めて抗議し、一刻も早く仲間を取り戻すために組織の総力をあげる決意を表明するものである。 昨年12月の輸送ゼネストの一環として、当組合が宇部三菱セメント大阪港SS(セメント貯蔵出荷基地)でおこなった組合活動を、大阪府警は「強要未遂および威力業務妨害」だとするもののようである。だが、このストライキ闘争は、近畿一円の生コン業者に対し、労使間の約束を守って輸送運賃引き上げを速やかに実施すること、また、大阪広域生コンクリート協同組合(以下、大阪広域協)の組織運営の民主化を要求したものであり、正当な組合活動にほかならない。 ところが、この要求について、滋賀、京都、奈良などの業界が運賃引き上げに応じると回答したものの、大阪広域協組は組合との全面対決姿勢を打ち出した。そして、約束を履行しない自らの責任は棚上げして、人種差別・排外主義活動で社会的に指弾されるレイシスト集団を使い、関西地区生コン支部を「組織犯罪集団」だなど誹謗中傷するデマ宣伝を開始したのである。大阪広域協の木村理事長ら一部執行部は、協同組合という事業者団体の本分をわきまえずにレイシスト集団と一体となって行動し、組合事務所乱入・暴行事件などをひきおこしてきた。当組合はこれら複数の事件の責任を追及して木村理事長らとレイシスト集団を告訴しているのだが、大阪府警が真剣に捜査しているようには現在のところみえない。 その一方で大阪府警は数多くの組合員を不当逮捕したのである。大阪広域協とレイシスト集団の組合攻撃の尻馬に乗り、露骨なまでに大阪広域協に肩入れするものであり、組合敵視にもとづく国家的不当労働行為というほかない。 先月には武建一委員長のほか3人の組合役員が不当逮捕されており、勾留されている役員・組合員はじつに20人にものぼる。事態は「平成の大逆事件」というべき異常な弾圧事件の様相を呈している。 しかし、わが組織がこのような理不尽な権力弾圧で揺らぐことはない。ましてや破壊することなど到底できるものではない。奇しくもわが組織は弾圧前夜の9月16~17日、全国大会を開催し、一連の弾圧を全国の仲間の力ではねかえす方針と大会宣言を採択したばかりである。われわれはこの不当弾圧を組合員と家族のいっそうの団結強化の糧としていくであろう。そのことを、これからの行動によって大阪広域協と警察・検察に対し、力強くみせつけていく決意である。
2018年9月19日 全日本建設運輸連帯労働組合 中央執行委員長 菊池 進
全日本建設運輸連帯労働組合 近畿地方本部 執行委員長   垣沼 陽輔
全日本建設運輸連帯労働組合 関西地区生コン支部 執行委員長   武  建一
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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関西生コン幹部ら3人を起訴  09月19日 18時20分 関西の生コンクリート業界の労働組合の執行委員長ら3人が、県内の建設工事を担当していた商社の男性を脅して組合に加盟する業者と契約を結ぶよう迫ったとして逮捕された事件で、検察は3人を18日付けで恐喝未遂の罪で起訴しました。 起訴されたのは、大阪・西区にある関西の生コンクリート業界の労働組合、「全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部」の執行委員長、〇〇被告(76)ら3人です。 起訴状などによりますと、〇〇委員長らは去年3月以降、県内で進められていた建設工事で建材の調達を担当していた大阪市の商社の男性に対し、「大変なことになりますよ」、「何かあるかもしれませんよ」などと脅し、組合に加盟する業者と生コンクリートを調達する契約を結ぶよう迫ったとして恐喝未遂の罪に問われています。 この事件ではこのほかにも、先月から今月にかけて、同じ組合の執行委員や県内にある生コンクリート業者の労働組合のメンバーなどあわせて6人が起訴されています。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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宮川です、おはよう御座います、少し事情が飲み込めないのです、すみません、私自身、ある運動から「実力」「排除」された経験があります。そういうはなしであれば、少しは経験をお話し出来るかもしれません、お役に立ちたいと思います、微力ながらお手伝いしたいと思っております、よろしかったら、更に詳しい事情をお話しいただければさいわいsです
内ゲバみたいなもの、というのは具体的には「りべるたん」内の争い、トラブルでしょうか?当該というのは「貴兄」と誰かなのでしょうか?
私の場合の経緯を参考までにお話しします、運動体というのは「経済産業省前脱原発テント」でした、一年位毎日通いました、親しくしてくれる人もできました、しかし、福島原発事故に似伴う支援ボランティ亜を実行するに当たって、主催の「母と子のセンター」の財政事情を知る立場��あった自分はそこが、支援にあたって庫j人資金の持ち出し状況にある事を知り、勝手にお呼びかけビラを作り,カンパ活動を始めました、3万位圧メタところでクレームがつきました、呼びかけ人を「母と子のセンター」主催者の個人名にして四手しまったことがいけない、と言われ、詐欺罪であると断罪され、運動からの追放処分となってしまったんです、但し「母と子のセンター」の主催者の名前はテント関係者間では有名で、逆にまた、そこに落とし穴があったわけです、
この辺の細かい事情を知らない人から「詐欺師」は排���とばかり、強行暴力排除処分になってしまったんんですね。おかしな話です、経済産業省から敷地内にたち
要るなとテント運動そのものが国から言われてたんですね、これに対しテント側は国民の声」を代表している運動であると、抗弁して裁判闘争をはじめました、こういう中での「個人」(わたし)への運動体による「立ち入り禁止」は法的根拠があるのかとして抗弁しました、市民運動が市民を出入り禁止できる根拠があるのか、特にこの場合、公共用地から排除できる法的根拠は何かとして争いました。テント世論に残念ながら、、空気みたいなヒエラルキー構造があったんですね、代¥
和解策として代表者に「謝罪文」を出せといってきました、
私の場合は生活態度を糾弾というか指導されたんですね。公開の会議の場で「それ」をされかけたので抜けました。それだけです。ただ、向こうも私が撤退するのは分からなかったみたいです。暴力性を認識してなかったみたい。
ちょっと返信遅れます。
[代評者」から「リーダー」に横滑りしてたんで、おかしな話になりました、テント世論はこの使い分けを黙認して端ですね、話が拗れる一方ですた結局若いできませんでした。」」
あれから、4年あまりがたちました、テントは強制撤去されました、跡地にメンバーが」日中座り込んでいる
総括、こういう運動内のヒエラルキー構造、つまり、「組織代表」としてコメントを出す人(このコメントを出すことそのものを軽く考えた結果、つっこんだ、議論を省略してしまう市民運動側の問題があったんだと思います)」、議事をつかさどるひと、発言機会の多いひとが運動の公式「リーダー」に横滑りするケースが多いようです、正面から「リーダー」を決めるのなら、それなりに、しっかりした会議で民主的に決めればよかったのですが、おうおうにして、暗黙の了解で決めてしまうことが多いようです、市民運動が政治運動の下請けとなってしまって、大衆運動としては衰退したのもこの辺に問題の根があったと睨んでおります、難しい問題、「組織」本来の問題のぶちあったってしまった格好ですね
結局「脱原発運動」が無媒介的に「安部止めろ」運動に横滑してしまって、一部成員の批判を浴びるようになってしまったのもこの辺に原因がありそうです、安部止めろは基本的に政治イシューです、政党のうんどうです、それでもやるなら、成員間の徹底した議論ののちにやるべきっでした、こういうも問題は労働組合うんどうでもあります、動員です
マッカサー組合といわれるほどのわが国の組合運動です。自ら勝ちたこと、作るための血の出るような苦労がなかったためとおもわれますが、議論というリテラシが育ちませんでした。政党と人脈的にオーバーラップしていた、代表者の「リーダー」への横滑りで、組合運動と政治運動との繋がりの理路が整理されないまま政治運動に突入してしまいっました。
話を戻します、組合の問題はおいておきます、さて、市民運動なりの「成員」排除はいかなる「権利」「根拠」に基づくのかという問題です、端的言うと、それは「共同幻想」のちからによる「排除」としかいいようがありません、言い換えると「共同幻想」は「排除」の局面において成員間の紐帯の顕現として確認されると思うんです。
つまり、うちゲバによる暴力、排除は一種のクーデターで、それは、リンチ(私の刑)です、
パブリックな根拠がありません。あるとすれば広義の政治力学による強いものに夜「排除」現象です、
それだけですね
しかし、この政治力学優位だけでは権力は長続きしません、外敵を作るか外在由来の「象徴「を持ってくるしか、成員の「っ共同体」離れを防ぐことが画で着ません。
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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マルクスのモチーフは
マルクスのモチーフは具体的に痛みもある労働主体として生産にさんかするとき、あたかも物品のように扱われ商品として考えられていることに怒りをかんじたのではないかというかというのが出発点としての理解です、この論法(抽象化、非人間化)で考えるとイデオロギーとしての(理念型としての)市民社会、それのルール作りをになう「政治:」もまた非人間的抽象の産物にみえます。経済学は人間を頭数としてしか考えない点で非人間的で支配者の科学と映じます、資本論は詳細に止揚すべき資本主義
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miyakawastuff-blog · 7 years ago
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仕方が無いと言っている訳ではありません。
仕方が無いと言っている訳ではありません、本来なおすべきは『学歴」が『労働力」商品の値付けの「ものさしになっている社会的必然になってdしまっていること、そのものから直さなければならないと主張しております。多分このことが諸悪の根源です。必要の連鎖の根源を絶たないと抜本的解決はできないと考えております。
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