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美人たちについて-2025.06.08
気づいたら、道ゆく美人が全員、まつざか先生みたいになっている。
なんか、どの人もみんな、長細いのである。
私が「美人」と言われて思い浮かべる、安室ちゃんとか、りょうとか、北川景子みたいな美人は、あんまり街には居ない。美人にもかっこいいと、かわいいのグラデーションがあるけれど、今、街で見かける「美人」たちはみんな「きれい」な感じがする。そしてみんな、長細い。ほっそり、とは違う。長細いのである。かっこいいかわいいのグラデーションも私が見比べる限りで言うとせいぜい、まつざか先生とななこお姉さんくらいしか感じられない。きっと私の流行に対する解像度が上がれば、各美人たちの個性も見分けられるようになるのだろうが、やっぱり、昔より「美人」が均質化しているような気はする。(まつざか先生やななこお姉さんが個性的でないとは決して言っていない)
先日、大型ショッピングモールのフードコートで女子会をしている、5〜6人のまつざか先生に遭遇した。
「私たち全員が30になったら行こうよ」みたいなことを言っているのが聞こえたので、きっとみんな20代なのだろう。ひとりだけ赤ちゃんを連れている人がいるけど、話している雰囲気はみんな同い年っぽい。見た目よりも声の張りに若さを感じる。あとなんかみんな踊れそう。踊り出しそう。それから、とても楽しそうで眩しい。みんな髪も肌もツヤッツヤしている。ナルホドー、これが今のギャルか〜と、私はおばあさんみたいな感想を抱く。ただ、髪が長い人、短い人、ジーンズの人、ワンピースの人、いろいろだけど、なんかみんな、長細い。
私もその輪に混ぜてもらえば長細くない人も見つけられたかもしれないが、無論、混ぜてもらわないので、私の中ではみんな長細いという結論となった。
かく言う私はというと、生まれてこのかたずっと「まる小さい」ので、長細くなれたことはない。長細い美人たちはみんな肌も髪も美しいが、私の肌はそばかすだし、髪はそれなりにヘアアイロンを通しても統率がとれたことがない。たまには私の言うことを聞いてまとまってほしいとは常々お願いしている。そばかすたちは集合しはじめた。お前らは散って消えろと思っている。
最近、赤ちゃんを連れて行けるダンスレッスンに通いはじめたが、そこにもまつざか先生みたいな美人が複数人いる。みんな短くてぴったりしたトップスを着ている。私は踊るとき、手を伸ばせと言われたら10の力で伸ばすような踊り方をする。でも最近の振付は6でとどめる踊りの方がお洒落に見える。もしくは10の力を持っていても、まるで6しか出していないような踊りの方がカッコ良く見える。私は、6の踊りもカッコ良いけど、その美人たちが10で踊っているところも見てみたいなと思う。
ちょっと話は変わるけれど、先日友達と、LINEのアイコンについて談義した。アイコンには性格や個性が滲み出るらしい。ふと自分のアイコンが気になって、ちゃんと確かめてみた。私は、友達が撮ってくれた、自分がシャボン玉を吹いている写真をアイコンにしている。それでーこれは打ち明けてはいけないことかもしれないが、ほかの友達のアイコンも、ひとりでこっそり、ちらっと確認してみた。私の友達は、顔の俯き加減はいろいろだけど、だいたいの人が正面を向いた自分の写真をアイコンにしていた。そのことが、なんだかすごく自分を安心させた。もちろん、自分の顔写真じゃない人や、はっきり顔が見えない写真の人もいて、決してそれを否定しているわけじゃなくて、そういうことが言いたいんじゃなくて…それこそ、人々の生きる営なみや滲み出る個性を感じとることができて、それが嬉しかった〜なぜなら友達のことはいつでも恋しいから〜でも気持ち悪いしやるなら静かにやるべき行為であることは認めますごめんなさい。ごめんなさい!!
人間的な粗さや肉づきを感じると、私は人が立体として見えるのかもしれない。
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地平-2025.05.13
「寂しいので連絡してほしい」と日記に書いたら、本当にひととおりの友人から、「日記読んだよ」と連絡が来た。
連絡をもらうたび、じんわ〜と心が解凍されていくのを感じる。
大学時代、過呼吸を起こしたパニック状態で友達に電話をかけたことがあった。私の人生はこういうことの繰り返しなのかもしれない。でも、適切に適切な相手へ助けを求める能力が私にはある。
自分を取り戻していくうち、いつどんなことで連絡しても、真面目に(もしくはふざけて)聞いてくれる友達がいること、私には私が好きにして良い時間があるということに気がついて、自然と寂しさがなくなった。
あの日記を書いてから、いよいよ本格的に自分のことを自分のためにやらねばと思い、一時預かりの登録をしたり、乳幼児も連れて行けるというダンスレッスンを見つけて体験へ行ったり、毎日筋トレやストレッチをしたり、コントを書いたりと、「積極的な1ヶ月」を過ごした。
筋肉がなくなって気がついたのは、痩せるためにも筋肉や体力が必要なこと、食べる量を減らすのではなく、質やタイミングを変えなければいけないこと、そして、体重の増減に一喜一憂してはいけないこと。筋肉がないと、その日のエネルギーをその日に全て使い切ってしまうから、食べても食べてもお腹が減る。脂肪を燃焼するために必要なエネ���ギーが余ってないのに、食べる量だけ減らしても意味がなかった。でもそういう大事なことって、窮地に至らないと気がつけない。(悲しいニュースを見て、なおのこと思う。大事なことは窮地に至らないと気がつけないし、気がつけない時まわりがとやかく口を出すのではなく、互いに手を差し伸べなければいけない。)
不思議なことに、自分のことを考えはじめると、子どものことを考えられるようになった。子どものことだけを考えていると、自分のことで精一杯になってしまう。そもそも私は良いお母さんになりたかったんじゃなく、私が私のまま、笑ってわが子を抱っこしている姿が理想だったんだと分かった。コントを書いて演出する私、歌が好きな私、踊ることを躊躇わない私がそのままそこにいて、わが子を抱っこしたり、お世話したりする。息子は私の人生の大切な登場人物であり、息子の人生は息子の、私の人生は私の人生である。うん。
連絡をくれた友達、気にかけてくれた友達、私を地の底から引っ張り上げてくれて本当にありがとうございました。これからも、友達と同じ地平を、息子と歩きます。
ya!(ドイツ語でYes)
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地(血)の底から
これを読んでくれているあなたに、お願いがある。
私に、適度に連絡してくれまいか。
「仕事行ってきます」とか、
「今日のお昼に食べたラーメンです」とか、
「満員電車つらい」とか、
「今日寒い」とか。
なぜって、毎日ものすごく寂しい。
意味がわからないと思うので、順を追って説明します。
初っ端から申し訳ないが、私の体に2年ぶりの月経が訪れた。この日記のひとつ前の記事で「牛肉を食べたら血が漲った」と書いたが、牛肉を食べたら本当に血が漲ったようだ。ちょっと恥ずかしい。でも牛肉は食え。
ひとつ前の記事で述べたつらい気持ちはおそらくPMS(月経痛)だったのだと思うが、それはそれとして、私はこの2、3日泣きながらずっと「私には何もなくなってしまった」という感情に包まれていた。
妊娠して以降、踊ることを我慢していたら、踊れなくなってしまった。カラオケにも行かずにいたら、歌が前より気持ちよく歌えなくなってしまった。コントは書いてるけど、その作業はまるで1日1列だけセーターを編むようなものになってしまい、達成感を得るのに時間がかかるようになった。私が妊娠前に得意だったことをすべて手放してしまったような気持ちになって、「あ、何もなくなっちゃった」と、悲しくなった。
仕事を辞めて気がついたのだが、「永野さんのおかげで助かりました」と言ってもらえることに私は案外救われていたらしかった。誰かの役に立っているという実感を得られないだけで、こんなにも人は脆くなってしまう。
友達と気軽に会えなくなってしまった。妊娠前にはもう少し、私や夫以外の人にも子どもを預けられる想定があったが、結局出産してから一度も行政の保育の力を借りていない。義実家がすぐ近くにあって、お義母さんは本当に親切でいつも何かと助けてもらっているが、お義母さんも仕事をされているので、預けて自分が遊びに行くようなことはできない。はい…、夫、そうですよね、夫、のことを下げる書き方にならざるを得ないが、夫は身内以外の人に小さな子どもを預けることに嫌悪感があるらしい。そういうこと産む前に言ってほしかったなとは思っている。つまり私が好きなことをやりたい時は夫に頼まなくてはいけないので、夫に渋い顔をされるという理由で、「私が我慢すれば良いか」、「我慢するのは今だけだから」と思っていたら、私の友達なんてもれなく全員やさしいので、「もあいちゃんはきっと今育児で大変だろうから」と気遣われ、芝居のお誘いや遊びの連絡もなかなか来なくなった。結局、せっかく来たお誘いも断ってしまうことになる。そんなこんなで誰からも連絡が来ずに1日が過ぎてしまう。毎日、広告の通知をしずか��消して、止まってしまった友達とのグループLINEのトーク画面を眺めるためだけにLINEを開く。現代版マッチ売りの少女である。
何もなくなってしまった…と地の底で考えていた時にふと、「いや、私に���友達がいる、友達だけはいる、その点については今までそれなりに徳を積んできた自負がある」と思い立った。「寂しいのでそちらから毎日LINEしてください」と頼んでも「は?」って言わずにやってもらえる程度には人徳を積んできたんじゃないか…?私もその点においては捨てたもんじゃないんでないか…?でもこのお願いを個々に連絡したらマルチの勧誘だと思われる可能性があるので、恥ずかしながら全世界へ発信する羽目になって今に至る。
友達、毎日じゃなくても良いので、私に適度に連絡してほしいです。この日記を読んで、ずっと連絡し続けるのはだるいけど、日記読んだよって一回だけ連絡してみようかなとか、そういうのでもありがたいです。あと逆に、これで連絡くれなかったからって友達じゃなくなることもないです。こういうの苦手な人もいるから。
先に述べたように、すぐみんなと会って話せるような状況ではありません。今年こそは行政の力を借りてみたいと思っていますが、やっぱり以前ほど出歩くことはできないと思います。本当はみんなに会いたいですが。
そんで連絡をもらっても私の方はすぐ返せるわけでもありません。すぐ返せないけどお前から連絡して来いという、いたって厚かましいお願いになります。
連絡をもらえたら、2、3ラリーして終わります。スタンプとかで終わることもあると思います。でもそのスタンプには、マッチ1本分の暖かみがあります。暖かみをもってスタンプで返します。せっかく連絡したのにお前スタンプ返して終わるんかいて思わせると思いますが、すみません。暖かみに免じてください。(?)
これを1ヶ月くらい続けたいです。友達みんなで、私を地の底から引っ張り出してください。なにとぞ、よろしくお願いします。
いや終わり方こわくね?まあいいか
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本能-2025.4..
これを読んでくれる人はもれなく全員やさしいことを分かっていながらこの書き出しで大変心苦しいのだが、「死にたい」と日記に書いてしまった。
毎日つけている日記に「死にたい」と書いてしまった。全然死にたくないのに。
全然死にたくないのよ。息子の成長をそばで感じたいのよ。息子が衣装���ースから冬用の衣類を出し続ける後ろ姿とか、まだまだ見ていたいのよ。
(赤ちゃんが生まれて1年たった���、SNS上で自分の赤ちゃんをどう呼ぶか結局決めないままでいる。「赤ちゃん」ってなんか自分の子どもなのに他人行儀だなと思いつつそう呼んでいたけど、非常に寂しいことに、これからだんだん赤ちゃんじゃなくなっていくんだよなぁ、じゃあ、なんだ…「息子」…?「ムスコ」…?ぐ、「愚息」…?いや全然「愚息」じゃねえよ。「優息」なのよ。「昨日ね、うちの優息、バナナいっぱい食べたんですよ」つって。すっごい優息なのよ。だからマジで死んでる場合じゃない、ほんとに。)
息子と、いや、優息とお散歩中に落ちてきた桜の花びらを、大切にティッシュに包んで持ち帰ったのに、間違えて捨てちゃったことに気がついて、悲しくなっちゃって。あとご飯を我慢してたら元気でなくてね。結局体重も減らないしさ。結局それだよね。(食べてなかったわけじゃないんですよ。太っちゃったから間食や食べる量を減らして、筋トレとかもやってたんですよ。)夫は、親知らずを抜く手術をしたので、しばらく安静にしている必要があると。つくづく思うが、私は自分の苦手なことに「看病」を入れないといけない。すごいこと言うけど、デフォルトで親切を心がけている性分なので、具合が悪い人に特別優しくする分の親切が備わっていないのである。だからもう、全然夫に優しくしてあげられなくてね。でもほんとそんなんでこんなんなって、馬鹿みたいですよね。良くも悪くも、なんでも頑張りすぎちゃう性格なんです。そんで他にもいろいろ考えていたら、悲しみが心の中に広がっちゃって、涙が止まらなくなってしまいましてね。
泣いているとき、ただ話を聞いて、抱きしめてくれる人がそばにいてくれたらいいなと思う。夫は、自分のせいで私が泣いているんだと思って、落ち込んでしまった。
考えてみれば、妊娠してから夫とデートしていない。一緒に外出はしている。子どもと3人で出かけることもある。でも、デートはしていない。夫とデートがしたい。夫に甘えて、私の行きたいところに一緒に行きたい。それは別に夫婦ふたりの時間が欲しいということでもなく、子どもと一緒でも良いから、私も夫に甘えて、ただ楽しく過ごしたい。
パンダコパンダのミミコちゃんになりたい。パパンダとパンちゃんは、おばあちゃんが家を出て1人になったミミコちゃんのところにあらわれる。ミミコちゃんは、お母さんがいないパンちゃんのママになってあげると言い、それじゃパパンダは、ミミコちゃんのパパになってあげると言う。ミミコちゃんは、パンちゃんのママで、パパンダの子どもで。別に子どもになりたいわけじゃないんだけど…うまく言えない。
私は、私も大切にされたい。大切にされている私の状態で、子育てがしたい。自分サイテーと思いながらする育児、サイテーすぎる。
誤解されないように言うと、夫は育児をやっているし、この1年何度か喧嘩した「私のひとり外出時間」についても、最近はかなり気にかけてくれている。まあ…夫の母親像は理想的だなと思うことはあるし、夫がやってるのは育児というより��護、と思うこともあるが…(散歩すると、夫は交通安全マンになってしまう。)でも、きっとこれが逆の夫婦もたくさん存在するだろうし、私が正しくて、夫が間違ってるとも思わない。すべてはバランスの問題なので。
今朝、6時にひとりでむくっと起きて、私は肉を焼いた。肉を食わなければと思った。ピーマンを細切りにして牛肉と一緒に炒めて、焼肉のタレで味付けした。ご飯をよそって、インスタントの味噌汁にお湯を注いで、全部ひとりで食った。血が漲った。私に足りなかったのはタンパク質であった。泣いたあと食べるご飯は、いのちの味がする。生きる。
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私以外やってた人に会ったことがないゼミ教材、ハイメックスについて-2025.3.14
カメックスに空目した人もいるかもしれないが、ハイメックスです。ポケモンじゃないです。ゼニガメの進化系じゃないです。
私は大学受験を「ハイメックス」だけで乗り越えた唯一の人間である(個人的見解)。私以外に「ハイメックス」をやっていた人にはこれまで会ったことがなく、なんやそれと毎回言われるので、私を大学合格に導いた「ハイメックス」について、ここらでいっちょ説明してやろうと思う。
「ハイメックス」について説明する前に、私がどんな子どもだったか説明しておくと、勉強に対する嫌悪感があまりない子どもだった。親から「勉強しなさい」と言われた記憶がほとんどない。勉強しなさいと言われなくてもしていた。テストで良い成績を取らねばならないプレッシャーも特に感じておらず、良い成績だとただ自分が嬉しいので、誰と競うでもなく、比較的楽しく勉強していた。
もちろん、宿題がめんどくさい日もあった。数学は嫌いだったし、うたた寝して教科書が蛍光ペンまみれになったこともあるし、課題提出が間に合わず居残りしたこともあるので、勉強大好き!ってわけじゃないのだが、シンプルに勉強をコツコツやっていた。夏休みの宿題は、その日の宿題を終えると母が計画表にスタンプを押してくれるのが嬉しいというそれだけで、バカ正直にドリル1日1ページみたいなペースでコツコツ仕上げていた。進研ゼミをやっていた時代もある。漫画だけ読んで捨てる人が大半の中、私は届いた冊子を毎日��ツコツやり続けて、赤ペン先生のテストまでやっていた。夫にそれを言うと、「そんな子どもはいない」と否定された。ちなみにだいたいの友達にも否定されるし、ある友達には「進研ゼミを本当に真剣にやるやつはバカだ」とすら言われた。私もそう思う。とにかく私は純粋でバカ正直な子どもだったということを、ハイメックスの購入を検討する前に一応念頭に置いていただきたい。
ある日のことである。バカ正直な私のもとに、ハイメックスのおじさんは突然あらわれた。
学校から帰宅すると、社宅の狭い玄関に知らないおじさんが来ている。おじさんはスーツ姿で玄関に膝をついて、足元にたくさん教材を広げ、母とふむふむ話をしている。よく覚えていないが、たぶんその時に母が私に「やってみたい?」と聞いて、私が「うん」と言ったので、母は「ハイメックス」を契約することとなった。それが、「ハイメックス」と私の出会いである。
ハイメックスとは、自宅でやるゼミ教材のことで、私のようにバカ正直な子どもに当たるまでひたすらピンポンし続ける、訪問販売によって契約をとっている。ハイメックスのおじさんいわく、進研ゼミのように毎月届くものとは違って、契約時から高校までの国数英理社の教材を最初に一気に届けるシステムだから、子どもの実力によっては勉強を先取りできてとってもお得なんですよ!しかもハイメックスは、子ども一人の契約で一気に高校までの教材を買うので、子どもが二人、三人いるご家庭はよりお得になるんですよ!つまりお姉さんが使った教材をそのまま弟くんが使えるんですよ!つまり一人の契約で二人分の教材を手に入れることになるんですよ!つまりめちゃめちゃお得なんですよ!!とのことである!なんやそれは!!めっちゃお得やないか!!!ということで、弟がハイメックスなどまったくやる気もクソもないとはつゆとも思わず、つまりそれはお得でもなんでもなく単に私一人分の教材をただ定価で購入するということになるのだが、我が両親はまんまとハイメックスを買わされてしまった。
数日後、我が家に大量の教材を(私の記憶では)ハイメックスのおじさんが直接持って再びあらわれた。宅配とかじゃないんだな…と、今改めて考えると思う。ハイメックスのおじさんが私に言った。「ちゃんと勉強してるかどうか、おじさんが時々チェックしに来るからね」。小学3年生の私はものすごくピュアで、先述のとおりバカ正直だったので、赤ペン先生のようにハイメックスのおじさんが本当に時々勉強の具合をチェックしに来るのだと思った。しかもハイメックスのおじさんが言うには一人分の教材で弟さんにも使えてますますお得とのことだったので、私はドリルに直接書き込まずわざわざハイメックスノートを用意して、バカ正直に問題を書き写したりしていた。親に勉強をやらされているという感覚はなかった。むしろ部屋に「数Ⅰ」や「日本史」などといった未知の単語が書かれた分厚いファイルが並べられているだけで私は大人びた気持ちになりテンションが上がった。しかも、進研ゼミとは違って誰も聞いたことのない教材なので、「もあいちゃんって塾とか行ってるの?」的な質問に「���うん。ハイメックスやってる(どや)」と答えていた。友達からしてみれば「は?」だったと思うが、当時の私はもう、未来の私が解くことになるドリルが部屋にあるってだけで、それはそれは得意げな気分だったのである。
とはいえ、別に長崎の田舎で中学受験するわけでもなく、学校で習った範囲より先をやるのは嫌だったので、(学校でまず習いたい)(つまり何もお得ではない)中学入学まではそこまでハイメックスに力を入れていなかった。しかし私が転勤族だった故に、ハイメックスのおじさんがチェックしに来るかもしれないという脅しが謎の信憑性を持つようになった。
私は小学校を3回、中学校を3回転校しているので、転校するたびに教科書が変わった。(ちなみに転校するたび好きな人も変わる。転校のたび教科書と好きな人が変わる。)私が転校して困るのはハイメックスのおじさんである。ハイメックスのおじさんは、教科書が変わるたび、教科書に合わせた教材を届け直さなくてはならないのだ。だから私が転校するたびハイメックスのおじさんが家に新しい教材を届けに来た。私はてっきりハイメックスのおじさんニアリーイコール赤ペン先生だと思っていたので、私になんのアポもなく突然来訪するかもしれないおじさんにノートをチェックされることを恐れて��た。実際のところハイメックスのおじさんは単なる訪問販売員なので、ノートを見せられたところで微笑ましいだけで何も起こらない。結局、どのおじさんも私のハイメックスノートをチェックすることはなかった。
ある日ハイメックスのおじさんをめぐり事件が起こった。私は何かの用で友達の家から自宅へ電話することになり、友達の家の電話を借りて家に電話をかけた。すると、知らないおじさんが電話に出た。私はなぜか咄嗟に、ハイメックスのおじさんが電話に出たと思った。当時小学6年生、ハイメックスノートはほぼ白紙の状態であった。今ノートをチェックされたらハイメックスをやっていないことがハイメックスのおじさんにバレてしまう。私はおそるおそる「どちら様ですか」と聞いた。電話の男が「あなたのお父さんですが」と答えた。普通に自分の父親だった。自分の家にかけてるからね。なんだこの話。
ハイメックスが真の実力を発揮するのは高校生頃である。先述のとおりバカ正直な私は、テスト2週間前に部活が休みの期間に入ると、テスト範囲を端から端まで復習していく計画表を作成し、計画表のとおり勉強した。その計画表の中にハイメックスが組み込まれた。ハイメックスのドリルも追加でやっておくことで、テストに出題されるかもしれない応用問題に対応できたのである。私が高校生になるまで静かに棚に眠っていた日本史一問一答集がここで火を吹きはじめる。テスト前日はその一問一答集から母に出題してもらうのである。おかげさまで一問一答集は私の代でずいぶんボロボロになり、弟が使うも使わないも関係なく元を取ったと言えるだろう。どちらにせよ日本史一問一答集は一代でその一生を遂げた。
そして結局、私は大学合格までハイメックス以外、塾にも家庭教師もいかなかった。それで国公立に合格できたんだし、ハイメックスの宣伝文句になれるくらい、良い顧客だったと思う。ハイメックス…私以外にやってた人がもしいたら、連絡…別にしなくて大丈夫です。
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正月も終わったし、そろそろ2025年にいく-2025.1.6
12月31日、実家の洗面所のデジタル時計は11時56分だったので、余裕で歯磨きを終えてリビングに戻ったら、弟が犬の写真を撮りながら「イエーイ犬と年越し〜」と、ひとりで言っていた。
え、年越しって…洗面所の時計ではまだ11時56分だったのに…年越…え…?…まさか私、「歯磨き後リビング戻りドア開け年越し」してしまったん…?年越しの瞬間って、もっとこう、ちまたではジャンプとかするんでしょ…?ジャニーズとかPerfumeとかと一緒にカウントダウンしながら年越したりするでしょ…?なんで私は、「歯磨き後リビング戻りドア開け弟と犬が振り向き年越し」してんの…?
モヤっとしながら、私はぽつんと、リビングのドアの前に突っ立っていて、(お母さんは…?)と考えてから、そういえばさっき、お父さんが初詣に行こうと言っていたな、と思い出して、ああ、私、なんだかとってもひとりぼっちで年を越しちゃったや、と、寂しくなった。
寂しくなって、畳の部屋で寝ている夫と赤ちゃんに、小さい声で「あけましておめでとう」と挨拶をした。
無事の出産と健全な育児を目標に走ってきた2024年は、家内安全とからだの健康に全ベッドしてしまい、私自身のこころの健康については、やや不安定だったように思う。
もう、ふらふらしっぱなし、なのである。
育児サイコー!私やれてる、うまくやれてる、誰がなんと言おうと私は私!みたいな日もあれば、「生後8ヶ月 夜 覚醒 なぜ」でググる夜もあるし、「生後7ヶ月 うんち 回数」でググる日もある。ググりすぎである。インスタに翻弄され、児童館で会ったママに翻弄され。インスタなんか見んな。育児はとにかく、正解がない。正解もないし、底も天井もない。なんだか、受験生のような気分なのである。
生後6ヶ月あたりから、赤ちゃんがますますお母さん大好きになってしまい、私はなかなか赤ちゃんから離れられなくなってしまった。さらに、それをきっかけに私はずっと、全てに申し訳ないがりながら育児をするようになってしまった。
せっかく抱っこしてくれるのに、赤ちゃんが泣いちゃって申し訳ない。平日仕事で疲れてるのに、夫に自分の時間を作ってあげられなくて申し訳ない。赤ちゃんにテレビばっかり見せて申し訳ない。帰省している間ぐらい母に楽してもらいたかったのに、母に私の洗い物をさせて申し訳ない。赤ちゃんはもう8ヶ月にもなるのに、義母にお風呂のお手��いに来てもらっていて、申し訳ない。
自分がすり減っていることにすっかり無自覚になって、余計なことまで申し訳ないがり、もっと頼るべきところで大丈夫がる。帰省中、私が猛スピードでご飯を食べるのを見た父と母が、「もっとゆっくり食べていいんだよ」「赤ちゃんは私たちが見てるんだから」と言ってくれた。でも、赤ちゃんは私から離れて泣いている。「泣かせとけば良いんだよ」と父が言う。私は本心では焦りながら、ゆっくり、ご飯を食べる。また、申し訳ない、と思ってしまっている。
どうして私は、ドンと構えて居られないんだろう。赤ちゃんが自然に泣いていて、まわりにも人がいる、私がいかなくても大丈夫な状況でも、抱き上げてしまうし、焦ってしまう。赤ちゃんが、私じゃなくても大丈夫になる機会を奪ってしまう。抱き上げてしまってからいつも反省している。私は赤ちゃんが泣いて可哀想なんじゃなくて、泣いている赤ちゃんを放っておく母親になるのが怖いだけだ、赤ちゃんに嫌われるのが怖いだけ、泣かれるより抱っこしちゃう方が楽なだけ…分かっているのに、どうして、自分が憧れる振る舞いが、思うようにできないんだろう。
「放っておけば子どもは育つよ」「手を抜いていいのよ」「楽して良いのよ」「頑張らないでいいんだよ」と人は言う。でも、具体的には一体どうしたらいいんでしょうか。泣いたら抱っこしてあげる、すぐかけつけてあげる、それは正しいかもしれない。けど、私じゃないと泣いてしまうからといって他の人が見てくれているのに焦ったり、夫に子どもを任せて外出することを「申し訳ない」と思ってしまうことは、きっと間違っている。育児とは生活であり、それは私の生活であるべきで、決して、申し訳ない態度でご飯を食べる時間のことではない。
実家で焦って晩飯を食った日の夜、晩酌中の父が私に何か言いたげな雰囲気を醸してきたので、うわ、こいつぜったいなんか言う、言うぞ…と思って身構えた。が、父は、「あいちゃんの良いところは、昔から一生懸命なところ」と言ったので、私はぶわーっと泣いてしまった。
まあ結局そのあと父には、育児に関してなんやかや言われたが、「あいちゃんがちゃんと育児してるのは赤ちゃんを見たら分かるよ」と言ってくれた。ありがとうございます。これからも、もがきます。
なお、2年ぶり、子どもを連れての帰省は、クリスマスイブに赤ちゃんがコロナに感染し、母や祖父母にまでコロナがうつってしまい、想像を絶する心労、疲労、ストレス(なんか温泉の効能みたい)によって幕を閉じた。途中、犬だけが元気、みたいな日あった。ツイッターでも書いたけど、イブの夜、あまりにもクリスマスらしいことができないことを可哀想に思った母が買ってきてくれた手まり寿司がロシアンルーレット寿司で(故意ではなく事故)、私は大量のわさびに咽せながら、結局こういうふざけたことに救われるんだよなぁと思って、笑い泣きした。
だからね、2025年は、ふざけたことで自分を救いたいです。
あけおめ自分!!
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私の熱いtimelesz論文を読んでくれ
-2024.11.13
ーお砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい。全部混ぜるとむっちゃかわいい女の子ができる!…は、はずだった。だけどユートニウム博士は間違って余計なものも入れちゃった!…ケミカルX。




パワーパフガールズのオープニング冒頭のナレーションである。
幼少期はカートゥーンネットワークばっかり見て育ったので、オープニングの口上は空で言える。これに続く口上(リーダーのブロッサム!キュートなバブルス!そしてタフだぜ、バターカップ!…)も余裕で言える。最後まで言える。もし道で急に「パワーパフガールズのオープニングお願いします」って頼まれても余裕で言える。(年一くらいで復習はしています)
パワーパフガールズを作るための材料は、お砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい、そして間違って入ってしまうケミカルX。ガールズたちは3人とも同じ材料で作られているけど、性格や持っているパワーが違う。きっと、材料の分配がちょっとずつ違っているのだ。この材料の分配は、人の性格診断や、アイドル分析に使えるんじゃなかろうかと思いついた。というわけで、この「パワーパフガールズを作る材料」をもとに、最近ハマっているtimeleszプロジェクトのオーディションを考察してみたい。
私は、性格診断や行動分析をするのが昔から好きで、コントのキャスティングや、ダンスの立ち位置の割振りが得意だ。この人がどんなポジションで、どのタイミングで登場すると面白いか、どうすればその人の魅力を活かせるか、そういうことを考えるとわくわくする。
最近、Netflixで配信されているtimeleszの新メンバーオーディションにハマっている。ものすごくハマっている。オーディション番組ってどうしてこんなに面白いんだろう。やっぱり、人は人を好きになること自体が好きだし、人に何かを見出すことが好きなのかもしれない。
オーディションはいま3次審査を配信中だ。3次審査は、36人の候補生たちが9人×4チームに分かれ、3日間で課題曲を1曲仕上げて発表するという形で審査される。timeleszの新メンバーという、同じ目的で選ばれた36人でも、全員違う魅力���ある。そして、timeleszの3人が新メンバーに何を求めているのか、審査している3人を見るのも面白い。
パワーパフガールズを作る材料を、タレントに必要な要素と重ねてみる。性格や雰囲気の甘さ辛さを「お砂糖」と「スパイス」の分量で決めるとしたら、「素敵なもの」は、その人の背景や文化資本に当てはまりそうだ。そして「ケミカルX」は、言葉にできない魅力とか、「光るもの」ってやつかもしれない。「荒削りだが君には光るものがある」って人がよく言うのは、ケミカルXのことを言ってたんだな。間違って入ってしまう毒が、ガールズたちのスーパーパワーの源なのだ。人の魅力も、神様が間違って入れたのかもしれない。
オーディションの最新話では緑チームがフォーカスされた。緑チームは全体的に容姿端麗でクールな人が多く、華があると評価されていたが、他チームに比べて会話が少なく、まとまりのなさを問題視されていた。前配信でフォーカスされた青チームが、ぶつかり合い助け合いながら成長した様子を見ているので、それに比べると緑チームは明らかにおとなしくて一歩引きがちな人ばかり集まっていた。松島くんも緑チームの会話不足を指摘し、2日目以降は、ダンス経験者を中心に少しずつ会話したりチームとしてまとまろうとする様子が見られた。
松島くんが新メンバーに求めているもの
松島くんは、面接方式の2次審査時から一貫して、候補生の背景や過程を大切にしている。面接では、どうしてこのオーディションを受けようと思ったのか、timeleszのことをどのくらい知っているのかをよく質問していたし、緑チームにも、前回の青チームにも、とにかくコミュニケーションをとるようにアドバイスしていた。松島くんが新メンバーに求めているのは本当にずっと一貫して協調性で、チームの中で自分の個性を出し入れできること、そして、出し入れできるくらい引き出しが多いこと、に思える。松島くんは、ケミカルXの分量より、素敵なものいっぱいな人に惹かれるんじゃないかと思う。
勝利くんが求めているもの
2日目の中間発表で、勝利くんは緑チームに「良くも悪くもまとまった」「チャレンジしていない」と言った。分かる。チームとしてまとまらないといけないけど、70%のところでまとまっても意味がない。チーム一体となることはあくまで大前提であって、作品をつくるということは、そこに積み上げるものだからだ。
まったく知らん立場で言うが、勝利くん自身、ルックスだけで評価されることにコンプレックスがあるのだろうし、「ルックスだけ」と言われることを払拭するための努力をしてきた人なのだと思う。だからこそ、華があると言われる緑チームに求めるものも大きくなる。華があるだけじゃダメだからだ。
風磨くんも、候補生たちにもっと感情を見せろとアドバイスする。「ずっとクー���なんだよ。クールなだけだとお客さんが飽きちゃう」。風磨くんの言う「感情」や、勝利くんの言う「チャレンジ」、それが緑チームの抱える課題である。
緑チームの最終発表、風磨くんと松島くんは高評価だったのに対して、勝利くんの評価はやや辛めだった。勝利くんの評価が、ダンス未経験者の多い青チームの方が好印象だったように見えたのは、発表としての完���度は低くても、枠からはみ出そうとする精神が青チームに見られたからで、それが勝利くんの言う「チャレンジ」だったのかもしれない。材料の分配が適切でも、適切すぎるとつまらなくなる。勝利くんは、緑チームにもっと、間違って入ってしまった毒をはみ出すくらい見せて欲しかったんじゃないだろうか。
風磨くんが求めているもの
風磨くんはというと、最終発表後、特に目をかけていた候補生の橋本くんに「出せたな、感情」「嬉しかったよ、俺は」と言った。たしかに最終発表では、もっと感情を出せと言われていたクールな橋本くんが小さく笑う場面があった(あれはとても良かったです)。
風磨くんも勝利くんと同じく、毒を見せることができるか、を見ていると思う。でもそれは勝利くんが求めるような、荒削りでもはみ出してくる力とはちょっと違っていて、もう少し洗練された、魅力を形にして表に出せる力のことで、たぶんそれが、アイドルにいちばん必要な力なのだ。魅力を持っているだけじゃダメ、下手にはみ出しすぎてもダメ、ちゃんと表現として形にするスキル。風磨くんが求めているのはきっと、そういう力なんだと思う。
ケミカルXの定義がちょっと曖昧になっちゃったが、やっぱり、人に間違って注がれた魅力っていうのがしっくりくる。間違って、というのが良い。「お前行くなら行く〜」って言われるやつが持ってる魅力も、たぶんケミカルX。「この人がテレビ出てるとなんかつい見ちゃうんだよね」ってのも、たぶんケミカルX。色気、とも言えそうだけどちょっと言い足りない。うまく言葉にできないんだけど、そういう魅力が人には多かれ少なかれあって、それを見出そうとするから、オーディション番組って面白いんですね。いやぁ〜。ケミカルXだったんですね〜。
私の主張は以上です。ご清聴ありがとうございました。あとはもう、伝わる人だけ残ってください。
余談その1
ひとつのグループを推しているわけじゃないけど、私も立派なジャニオタだと、最近気付きつつある。私はきっと、グループの中で誰がどのポジションにいるのかを考えることも込みで人が好きなのだ。で、もうひとつ私がアイドルを好きになる時に非常に大切にしている価値基準が、「従兄弟の兄ちゃんぽさ」である。親戚で集まった時にだけ会える、ちょっと歳上のお兄さんの雰囲気。私はこれもケミカルX的魅力のひとつだと思っている。timeleszの中では、風磨くんがいちばん従兄弟の兄ちゃんっぽい。SixTONES、全員従兄弟の兄ちゃんっぽい。SnowMan、ラウールくん以外、全員従兄弟の兄ちゃんっぽい。(ラウールくんは兄の結婚式にギリ出席してそうではある。)WEST.はマジで全員揃って従兄弟になってほしい。言っておくが、従兄弟の兄ちゃんは最強なのだぞ。従兄弟の兄ちゃんという存在がどんなに魅力的か。現実にいるのはせいぜい、親戚の面白くて禿げてないおっちゃん止まりだぞ。従兄弟の兄ちゃんが持っている、付かず離れずな距離感、親しみやすさとあこがれの絶妙なバランス。いいですか。従兄弟の兄ちゃんは、自分のことを「少年」と呼ぶ近所のお姉さんと同じくらい最強なんですよ。この話は伝わる人にだけ伝わればそれで良いです。
余談その2
timeleszオーディションでは課題曲にSMAPのSHAKEが使われているのだけど、曲を聴きながらふと、自分が曲より歳上になってしまったことに気づいて、ものすごく切なくなってしまった。
曲より歳上って、歌っている内容に自分の年齢が追いつき、追い越していくような感覚のことだ。私はSHAKEのことをずっと、大人の歌だと思っていた。「明日は休みだ、仕事もない」「早起きなんかしなくても良い」「君と昼まで眠れそう」。別にアダルトな歌詞じゃないけど、会社勤めしている僕が久しぶりに彼女と過ごす休日というのが、どこか自分とは遠い大人の話のように感じていた。でも気づけばそれは全然自分の身近で起こる話になっていて、そして気づいたら、そういう出来事が自分から遠ざかっている。切ない。超、切ない。
余談長くね…?
ケミカルXがめっちゃ入ってるのが中島健人で、素敵なものがめっちゃ入ってるのが、マリウス葉だったんだと思うんだよなぁ。timeleszの3人はバランスが良いから、新メンバーには、そういう、どこか突出した人が来てくれたら、そしてあわよくば従兄弟の兄ちゃんっぽい人が、入ってくれたら良いなあ。そして次の配信が早く見たい。
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秋、テメー、この野郎 -2024.10.10
毎年何かにつけて秋にキレている私である。ていうか雨降らせてんじゃねえよ。
秋は涼しくて、空が高くて、食べものが美味しくて、道を歩けばどこかで金木犀が香って、過ごしやすい。もし秋が人だったらもう、接しやすい。超接しやすい。もし秋が人だったら職場のお昼休みに電子レンジ先に譲ってくれると思う。「私、(あっため時間)長いの買っちゃったんで」とか言って、譲ってくれる。あっため時間3分かかる私に、3分半かかる秋が電子レンジ譲ってくれる。秋は優しいし、さりげない。そこが夏とは違う。夏は押し付けがましいし、冬はサイテーだし。春はくしゃみ出るし。いつだって秋はさりげない。秋って本当、いいやつ。
でも秋は2人きりになると思い出話ばっかりしてくる。そこがイヤ。本当イヤなやつ。あなたいつまで、私が日本史の先生に本気の手作りチョコレートケーキあげたこと馬鹿にしてくるの。大学2年生の文化祭前日に公園で前夜祭してたら熱出して、次期ダンスサークル長になる男におんぶされて運ばれて、西荻窪に住んでる男の子に、西荻窪に住んでる彼氏のもとまで送ってもらったこととか、いつまで言ってくんの。輸送から到着まで全てが男なのってどうなの。エピソードが2女すぎるよ。2女て。2年の女子って言いなさいよ。恋バナばっかしやがって。秋マジテメーこの野郎。
でも、去年つわりで迎えた夏が、あまりにも地獄で、汗と涙と涎とゲロの夏だったから、夏サイテー、もう秋の悪口言いません、今まですみませんでした。だから秋はやく来て、はやく私を助けにきてって思いました。あんなに好きだったのに、夏。ウィダーinゼリーが、ウィダーinゼリーのまま出てきた夏でした。だからある朝ふわーと涼しい風が吹いたときに、秋だ…秋、秋がきた…秋が私を助けに来てくれた、秋サイコー、全員今日ピクニック行け、全員今日運動会しろって、思ったんです。思ったのに。秋テメーこの野郎、雨降らせてんじゃねえよ。
『大豆田とわ子』を全話観た、観れた。ドラマを一気見できるくらい、今週は落ち着いている。だから、秋が洗濯物たまっている日に限って雨を降らせてきても、赤ちゃんの健診の日に雨を降らせてきても、寒暖差で夫が風邪ひいたかもってn回目の報告をしてきても、今週は余裕。先週は、酷かった。私は怒った。洗濯物が乾かないんですけど。夫がすぐ風邪をひくんですけど。秋は言った。「いや、それはさ、私悪くないじゃん」、と。でも、ぜんぶ秋のせいなんだから。秋の、秋のせいで私、堪えきれなくなって泣いちゃったんだから…!
話変わって、この前MBTI診断をしてみたら、ENFJ、「主人公」になった。主人公。たしかに私はいつだって私の人生の主人公。いつも舞台上にいるし、いつだってプレイヤーである。私のまわりには、愛情深いオタクがいっぱいいる。オタクは客席に降りて人を愛することができる人たちだと思う。私にはそれができない。いつだって自分のためだけの人生を生きていて、自分のためだけにお金を使う。
ちなみに、父も主人公だったそうだ。MBTIの結果が父と同じだなんて非常に癪だけど、親子なので、仕方がない。父も、いつも自分の舞台を一生懸命プレイしている。
秋は、好きだけど、元気がないと読めない小説と同じで、好きなんだけど、元気がないとすごい落ち込むんだよなあ。別に主人公で良いじゃん、結構うれしいこと書いてあったじゃん、って秋は言う。んなこと分かってるよ、診断結果じゃなくて、自分が自意識過剰な件について悶々としてるんたよ。秋のせいだよ。秋のせいだから。そうやってまた私は秋と喧嘩しながら、人生を一生懸命プレイ中。
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泣く遺伝子 -2024.9.11
私はシャワー���浴びながらその日のことを反省するタイプの人間だが、大人になるにつれて日常生活での失敗も減り、それに伴いシャワー反省タイムも短くなりつつあった。だからこそ、産休前まで働いていた職場を退職する日の挨拶で大号泣してしまったことは、直近の一大事件として、何度も思い返して猛烈に恥じている。
どうしてこんなに泣いてしまうのだろう。
子どもの頃から涙もろかった。卒業式は自分が卒業しない年でも泣いていたし、音楽の授業で合唱曲を練習しただけで泣いたこともある。道徳の授業で見せられるビデオで泣き、英語の授業では、前の学校で歌ったビートルズの「Hello good bye」が流れて泣き、いつも、みんなが「どうして?」と思うタイミングでばかり、私の涙腺は崩壊してしまう。夫と映画を観に行って、私以外の観客がだれも泣いていなくてびっくりしたこともある。「なんでだよ」と言ったら、夫に「こっちがなんでだよ」と言われた。
退職する日は地下アイドル並にプレゼントをもらった。正直、退職までにやる仕事が多すぎて、こちらはお別れのメッセージも前日ギリギリ間に合わせたような仕上がりだったが、退職日にはこちらが渡した倍のメッセージカードが返ってきた。嬉しかったが、私はなぜ昨日、最終日に一言ご挨拶いただく時間を設けても良いですかと課長に聞かれた時にきっぱりNOと言えなかったのだろうと後悔した。このままでは挨拶中に100%泣いてしまう。
定時になり、課長が「それでは、永野さんに最後にご挨拶していただこうと思います」と言って、私は前に立たされた。
「あー……。えー…、みなさん……ううっ、うひっ…だ、だぶだぶだぶ、だぶだぶだぶだぶだぶ」
思っていた以上に喋れなかった。
「ちょっと、いったん、いったんすいません」
泣きすぎて、挨拶の途中で後ろへ下がるという事態になった。
「みなさん少々お待ちください」と課長が優しく言っているのが聞こえた。
やばい。これはマジでどうにかしないといけない。自分の人生においても結構な緊急事態に自分で陥っていてやばい。そもそも自分の目から出てくるものをなぜ自分で止められない。人々が静かに私を待っていることを背中で感じとる。これはもうやばいぞと、どうにか涙を引っ込めなければならないと、冷静になりたいときなぜか必ず頭に思い浮かべる「みみずの流しそうめん」というフレーズに全集中してみる。まったくうまくいかない。ふふふ(泣)。面前に戻って、やっと「とても楽しかったので、とても寂しいです、ありがとうございました」とだけ言って、終わった。いろんな意味で終わった。大事なものが増えるたび失うときの悲しみも増えるというが、私は大事なものを失うときに社会性も一緒に捨ててしまうので、なんか他の人より失っているものが多くて損している。
しかも、この号泣退職した職場の、前の職場でも、私は���泣退職している。
「私は…もともと、そんなにっ…仕事ができるようなっ…人間ではなくてぇ……でもっ…みなさんが…と、とてもぉ、優しくしてださって…うっ、うう、だから、こんな…私でもおおぉ、役に立ってるんだってことがっ…嬉しかったですぅぅぅ…寂しいです…ううっうぅ、ありっがとうございましたっ…(号泣)」という具合だった。前田敦子ぐらい泣いていたと思う。
退職した日の帰り道、同僚が、「永野さんのスピーチ、泣きそうになりました」と言ってくれた。いや、泣いてくれや。なんとか絞り出してくれや。「泣きそうになりました」は結局泣いてねえ。泣きそうになりましたって場面で本当に泣いているのはいつも私だけだ。本当に私だけか?と思ってまわりを見渡すと、だいたいとなりで母が泣いている。あとそのとなりで弟が泣いている。永野家はだいたい全員泣いている。遺伝子が泣いている。(遺伝すな)
私が泣いていると夫は私を見て笑うのだけど、この前、「クレヨンしんちゃんの嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」を見て、珍しく夫が泣いていた。私は話の展開が気になって珍しく泣いていなかった。「なんでだよ」と言われた。
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おちついての歌 -2024.8.19
夫と喧嘩した。元気がない。
物事には、コンテンツとして昇華しても良いタイミングというものがあると思っている。それに、そもそも私の身に起こるできごとを何でもかんでも書いてエピソードにするという行為自体、一歩間違えるととても下品な行為だと学んできたので、そこらへんは、こんな日記を書いている人間として、それなりに気をつけているつもりだ。
だからいま書こうとしている内容が、エピソードにして昇華して良いものかまだ自分で分かっていないのに、こうして日記に書いて、人に読んでもらう場に公開するのは、若干悩ましい。
でも、言葉にしないと、今の私はにっちもさっちも動けなくなってしまった。それに本当はストックしているふざけた日記があるのだが、それを世に放つテンションとはほど遠いので、ひとまずこうして、いまの自分をしたためようとしている。
うーん。
夫と喧嘩した。悲しい気持ちになった。あまりに悲しくて、私はその夜、寝室の家具たちを別室へ大移動してしまった。
昔の私は、悲しくて仕方がないとき、息ができなくなるくらい泣くことでしか発散できなかった。今でも、「過呼吸したいな」とふと思う時がある。息ができなくなるのは苦しいけど、自己憐憫に浸っていると、可哀想な自分ならこの世に存在しても良いような気がして、楽になれるのである。
今はもう大人になったので、過呼吸しない。でも、その晩私はしずかに泣いていた。夫を困らせたいわけでも、悲しませたいわけでもないが、だからと言って私の悲しみも無視できない。だから、家具を移動した。誰��も迷惑かけないで、悲しみに、悲しかったねと言うだけの、深夜3時である。
翌朝、夫は「えっ…?!」と言って(なんせ家具たちが大移動しているので)、帰りにミスドを買って帰ってきた。ミスドはすばらしい。さすが「ミスター」の称号を得たドーナツは面構えが違うね。仲直りするときはミスドだし、こわい人に謝りに行くときはとらやの羊羹だよね。とらやの羊羹持っていけば間違いないからね。「景品の化粧品」だった場合は湘南乃風だね。美味しいパスタ作ったお前ね。いやはや、オールドファッションは、この世のすべての夫の謝意を、包んで渡せる魔法のドーナツです。
だから、夫とはドーナツ条約によって仲直りをしたのだけど、根本的な解決には至らず、まだ私の自尊心は地の底で小さくうずくまっている。
今日、友達が家に来てくれて、オリジナルの赤ちゃん寝かしつけソングを披露したら、とても良い曲だねと褒めてもらえて嬉しかった。赤ちゃんと生活していると、オリジナルソングがよく生まれる。しゃっくりを止める歌、抱っこの歌、おちついての歌。この「おちついての歌」は、赤ちゃんが興奮しすぎてしまったときや、寝かしつけるときに歌っているのだけど、我ながらとても良い曲だと思う。
♪おちついての歌
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて
おちついたら、良いことたくさんある
たとえば、
今日が一日楽しかったことに気づける
だから
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついてね
***
この「たとえば」に続く、落ち着いたらある良いことというのは、その時々で思いついて即興で歌っている。「夕焼けがきれいだってことに気づける」とか、「朝もやがしずかだってことに気づける」というのもある(私が令和の清少納言や)。ほかにも、「悲しいこと悲しかったことに気づける」とか、「暗闇が味方だってことに気づける」みたいな、0歳児にはやや哲学的すぎる歌詞になることもある。
だからこの歌は、赤ちゃんに歌って聴かせているというよりは、自分に歌って聴かせているのだと思う。
悲しい気持ちが赴くままにとりあえず沈むところまで沈んで、地の底で落ち着いてみた結果、私は��友達が家に遊びに来てくれて、今日とても楽しかったなということに気がついた。すげえ。この歌のとおりじゃん、と思った。自分で歌っておきながら、気づいていなかった。けど、そうじゃん。私、今日一日、楽しかった。楽しかったって、すばらしい。
どうすれば前に進めるのか、もがきすぎて分からなくなっていた。状況を改善するために、「交渉」とか、「常識」とか、そういう言葉ばかり頭に浮かべて、うまくいかなくて辛かった。でも、考えてみたら、ちゃんと私の人生にはこうして楽しいことがあって、私も赤ちゃんも、ひとつずつ、できることが増えている。これまで優しかった友達は、変わらず優しくてくれる。すげえ。落ち着いたら、良いことたくさんあるって、ほんとじゃん…(今ここ)
というわけで、この話もオチついて良いことになりましたねと、クソ親父ギャグみたいな終わり方でしめる。せっかく良い雰囲気だったのに、通りすがりの親父が台無しにしていくスタイル。でも大丈夫。明日は檜になりましょう。
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根暗側から見た私について
-2024.7.24
大学1年生のとき、演劇部の先輩たちに「こわい」と言われ、ショックを受けたことがある。田舎から出てきたばかりの私からしてみれば、東京で芸術と自意識を爆発させている先輩たちの方がよっぽどこわかったが、翌年、自分が先輩の立場になってみてはじめて、なるほどキラキラした悪気のない人間は、それなりにこわい存在なのだなということが分かった。
具体的にどんな発言で、どんな場面で「こわい」と言われたのかはあまり覚えていないが、当時の私はおそらく、圧倒的に無邪気だった。憧れていた東京で、自分の才能を発揮するチャンスに目を輝せ、身体中の毛穴から「YES!!」と発信する、汚れなき存在。そいつがダンスのワークショップでぐいぐいステップを踏みながらペアになろうと言ってきたら、シンプルにこわい。無邪気というのは時に狂気をはらむ。かわいそうな演劇部の踊れない先輩たち。お気の毒に。みんな、私から散り散りになって逃げていきました。
そもそも、演劇の稽古なんて危険がいっぱい(当社比)なのである。ある稽古で、「何してるんですか」と声をかけ、「〇〇しています」の応答でエチュードをリレーしていくワークショップをしたとき、私に声をかけられるターンになった先輩が私をこわがってリレーを中断しようとした。(演劇部員たちから「師走」と呼ばれる先輩である。)先輩は私の近寄り方に狂気を感じたらしかった。私はただ、「何してるんですか」と声をかける前に「ねえ!ねえねえねえ〜!」と連呼しながら近寄っていっただけなのだが、それがいけなかったらしい。やはり無邪気というのは時に狂気をはらむ。
「人の嫌がることはしない」は正義かもしれないが、「自分がされて嬉しいことは他人も嬉しい」とはかぎらない。大学1年生の私にはそれが分からなかったので、無邪気に好意を振り撒き、他人が言われたら嬉しいだろうことを積極的に言葉にした。だから、自分自身は友好的だと思った振る舞いを「こわい」と言われることに、時々ひそかに傷ついた。そして逆に愛想もなしに真正面から思ったことを言うタイプの人を「こわい」と思った。また、演劇部にいると、打ち合わせで話し合いがもつれて気まずい雰囲気になったり、ギクシャクする場面があったが、どうしてみんな、何事も平和にやれないのだろう…と思った。
ある時、同期のひとりに、「もあいちゃんは性格が悪い人のことをいないことにしている」と言われ、衝撃を受けた。「自分はたしかに性格が悪いが、もあいちゃんと一緒にいると、性格が悪い人でいることを許されない。だから、もあいちゃんもそれなりに性格が悪い」というような話だった。それまでの人生���「いい子ぶりっ子」なら言われたことがあったけれども、「性格が悪い」とハッキリ言われたことはなかったので、驚いたし、悲しかった。でも、友好的な振る舞いも誰かを傷つけることがあるんだということが、はじめて分かった瞬間でもあった。
演劇をやっていくうち、ぶつからないからといって平和なわけじゃなく、仲が良いからといって良い作品ができるわけでもないということも知った。空気が悪くなると分かっている発言や、順調に進んでいた会議が後戻りせざるを得なくなるような発言も、作品制作において必要なことがあると分かった。また、なにかプラスになる発言をするとき、その言葉の裏で「だから仲良くしましょうね」という合意を取ろうとするのは(それがたとえ無自覚だろうと)失礼だということも、大人になるにつれてだんだん分かっていった。
そして大学3年生のころ、役者オファーされて関わった演劇団体の制作さんに、「この団体は根暗しか呼ばれないから安心して」と言われ、再び衝撃を受けた。明るくて無邪気だった私は、2年間演劇部に身を置いた結果、根暗で性格の悪い人間になってしまった。でもそれは、私がもう「こわい」人間じゃなくなったことの証でもあった。無邪気でキラキラした私も悪くなかったが、「根暗」面を表にした私は、人も自分も多面的であることを知っている。私は、そっちの自分の方が好きだと思った。
そんなわけで、「良い子のため息」というブログタイトルは、そっちの自分が生み出した、なかなか良いタイトルなのだから、サボってないでもう少し頻繁に更新していきたい。
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私はいまブラジルにいます -2024.4.13
出産すると、世界が180度変わると言う。私の世界は180度どころか3、4回転くらいして、いま地球の裏側にいる。ごめんなさい、同窓会には行けません。私はいまブラジルにいます。
私の母性本能はサンバのリズムでやってきたらしい。妊娠中の鬱々とした気持ちはどこへやら、最後まで苦しめられていた涎づわりと一緒に吹っ飛んでしまった。おそらく産後のハイ状態で、繊細な感情の機微とか、君と夏の終わりみたいなセンチメンタルなものが今の私には分からない。マラカス振って踊りたい。私は進化してしまった。ハスブレロという水草ポケモンを知っているだろうか。先日までハスブレロだったやつが突然ルンパッパに進化したら、手持ちのポケモンたちもさぞかし戸惑うことだろう。

そんな危険なハイ野郎がこの日記を書いているから、おなかの痛い人とかはどうか無理しないでください。私はただ、ハスブレロだった時のことを忘れないために、そして進化を遂げた私のために、出産の記録を、サンバの国ブラジルから中継いたします。
=私の出産のおおまかな記録=
入院予定日の前日深夜に破水
破水後24時間、自然な陣痛を待つ
内服薬で子宮口が開くのを1日待つ
無痛分娩の麻酔処置後、陣痛促進剤を投薬
…破水して2日後、陣痛から13時間で出産
話は1週間前にさかのぼる。
陣痛が来ない
妊娠40週、予定日を過ぎても産まれる気配がないので、歩いてお腹を張らせることを意識して過ごしていた。この時の私はまだ鬱々とした、雨が似合う女であった。何をしても陣痛が来ずヤキモキしていたが、いずれにしろ、計画入院をしてまずは子宮口を開く措置を2日かけて行うことになっていた。
入院前日、陣痛に関するジンクスをひととおり試していたら深夜にうっすら出血し、動揺して病院へ電話をかけた。「あどあのあの…ピンクのおりものというか破水かもです」と伝えたら、「うん、診察券番号とお名前よろしいですか」と言われた。私は今後大学事務の仕事に復帰しても絶対に、電話口で最初に学籍番号と名前を名乗れない学生のことを罵ってはいけない。
深夜に病院へ。そこから1日陣痛が来ない
動揺が止まらず、もっと要るものがあるだろうに、森見登美彦の「四畳半神話大系」を入院バッグに突っ込んだ。病院への道中、夫が車でアニメ制作進行時代の原画回収について懐かしげに話してくれたが、私はそれどころではない。
病院ですぐ破水を確認され即入院となった。もろもろ説明を受け、その日は麻酔処置の先生がいないのでもし今日陣痛がきたら自力で産むことになると言われ、もはや死を覚悟する。近くの分娩室で他の妊婦さんが「痛ぁぁい!」と泣き叫ぶ声が聞こえ、まんじりともせず一夜過ごした。
破水して24時間以内には自然な陣痛がくると言われている。逆に24時間経過してしまうと赤ちゃんの具合が悪くなる可能性があるため、抗生物質を飲みながら陣痛を待った。結局この日は陣痛が来ず、翌日、不安な気持ちで陣痛を待機する部屋に移動した。
同室の妊婦さんの方が先に陣痛が来る
移動した部屋はふたり部屋で、私と同じ日に破水した妊婦さんと同室になった。朝、先生に子宮口を広げるための内服薬について説明された。となりのベッドでも同じことを話されているのが聞こえてきた。
1時間ごとに薬を飲み、じわじわと陣痛の痛みを感じ始めた。ただこの時の痛みはまだぎりぎり我慢できるもので、私は「四畳半神話大系」を読んでいる。となりの方のほうが苦しそうだった。結果、朝は同じ説明を受けたのに、夕方受けた説明はそれぞれ異なり、となりの方が先に分娩室へ移された。私はまだ子宮口の開きがあまいので、今日の処置は下準備だったと思って夜しっかり寝ましょうと指導された。子宮口が開くために何かできることはあるか助産師さんに聞いたら、寝た姿勢より座っている状態の方が良いことを教えてくれたが、もっと早く教えてほしかったと思った。先の見えない明日をただ待つしかない状況に陥り、点滴が刺された腕ではテーブルが遠くて飯が食えず、部屋でひとり、号泣した。
トランスフォームからの無痛麻酔
しっかり寝ましょうと言われたのに、その晩痛みが激しくなりはじめた。その時の痛みは下腹部がぐわぁぁと重くなるようなもので、骨盤がトランスフォームしている様を想像した。友達が以前つわりで苦しむ私の体を「わがままボディどっか〜ん!」と表してくれたが、おジャ魔女ドレミの変身どころではない。ウィーンガシャン、ウィーンガシャンである。浅い夢と痛みによる覚醒を交互に繰り返し、明け方5時に分娩室へ移された。
出産前に最も恐れていた背中に管を刺すという無痛分娩の処置だが、陣痛が痛すぎて恐れている場合ではない。先生マジ早く起きてくれと願った。でもやっぱり処置が怖くて、管を刺される時には半泣き、というか泣いていた。先生に「よくこれで無痛を選んだね」と苦笑いされ、「麻酔も陣痛も点滴も、健康診断も怖い」と言ったら、かわいそうにと同情された。これから無痛分娩を選択したい方に言っておくと、管を刺す前にも麻酔を打たれるので痛みはなく、管自体とても細いもので、不快感はなかった。だから私ほど恐れなくても大丈夫です。
半狂乱の呼び出し、そして出産
明け方5時に痛みMAXで電話したので、夫は半狂乱の私に起こされることになった。「今日うまれます」と繰り返し言って、「今から行けばいいのね…?」と夫を戸惑わせた。でも、飛んできてくれたにも関わらず夫が到着した頃に麻酔で痛みが��らぎはじめ、ものすごく眠くなった。助産師さんに産まれるのは今日の夕方頃かもと言われ、あわてて着のみ着のままだった夫は、さすがにいったん帰ることにした。
そこから、無痛の麻酔を1時間ごとに入れてもらうと同時に、陣痛の促進剤も点滴で追加された。痛みが激しくなり、赤ちゃんもいい具合に降りてきたようで、結局お昼前にまた半狂乱で夫を呼び出した。「もう産まれます、もう産まれます」と言って、かわいそうに夫は雨のなか自転車でやってきた。
麻酔が効いていても陣痛は痛い。でもその痛みを頼りに何とかいきんだ。先生や助産師さんたちがラストスパートのために部屋に集まりだして、あと10回くらい陣痛の波がきたら生まれると言われてがんばった。「素晴らしい」「とても良いですよ」「いきむのうまいですよ」とたくさん褒められ過ぎて思わず、「みんなスッゲェ褒めてくれるじゃん…」と口に出して言ってしまう。失礼だしまったくそんな場合ではない。
結局そこから3回ほどの陣痛で赤ちゃんが出てきた。出てくるときはお腹からスポリと抜けて、ぽんぽんだったお腹が柔らかくなる感じがした。無痛麻酔がよく効いていたようで、出てくる時の痛みはさほど感じなかった。会陰切開も麻酔によって痛みはなく、痛みへの恐怖が薄らいだことで、思いきりいきめたのだと思う。
そして何より、赤ちゃんが出てきた瞬間の、こんなにかわいい子がお腹の中にいたなんてという驚きと喜びで、本当に、胸がいっぱいになった。
そして、ハスブレロはルンパッパに進化した。赤ちゃんがかわいい。驚くほどに。マラカス振って踊りたい。これから出産を控える人たちの不安が、どうか少しでも和らぎますように。妊娠中、ぜんぶ完了した側の「大丈夫」なんてあてにならんと思っていた私だから、すべての不安は拭えないと分かっているけれど、こういうケースもあるんだなと参考にしてもらえる人がいるなら、ブラジルから中継した甲斐があるといえる。
ただいまハイにつき、アッパーなテンションのシュチュエーションな私だが、これから先、赤ちゃんを病気や事故から守らなければならないという気持ちや、育児への不安、自分自身の人生設計のことも、もちろん頭にあって、きっといつまでもハイではない。ブラジルから、当機はまもなく日本へ到着いたします。帰国したら、昨年行けなかった同窓会にたくさん誘ってください。
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私はゴジラ・ザ・ライドからまだ降ろしてもらってない-2024.2.6
職場のお昼休みに、遊園地の話になった。そこで一昨年のクリスマスイブに行った西武園ゆうえんちのゴジラ・ザ・ライドに対する不満を私が述べたところ、お昼休みが大いに盛り上がったので、調子に乗ってここでも語る。
ゴジラ・ザ・ライド直後の私の熱量は凄まじく、本当は行ったあとすぐにでもこの日記を書くつもりだったのだけど、このゴジラ・ザ・ライド批判は練馬を愛する夫の機嫌を損ねる内容だったために書くのを控えており、いつの間にか書くのを忘れていた。一昨年の話なので、さすがにほとぼりが冷めた頃合いだと思いたい。
一昨年の12月、夫が「今年のクリスマスは遊園地に行こう」と言った。久しぶりのディズニーデートだ!と思って「シー?ランド??」と聞いたら、「西武園ゆうえんちです。」と言われた。私は、「そうですか。」と答えた。
西武園ゆうえんちに行くのは私は初めてだったが、生まれてこのかた練馬育ちの夫にとっては小さい頃から馴染みのある遊園地だ。数年前から西武園ゆうえんちは昭和レトロをコンセプトにリニューアルしており、リニューアル後の西武園ゆうえんちは夫も未経験だった。クリスマスシーズンにはイルミネーションの企画もやっていると聞いて、はじめは「そうですか。」くらいのテンションだった私も、行く頃にはノリノリになっていた。
入園するとすぐ、「夕日の丘商店街」に入る。つまり入園と同時に私たちは昭和の世界にタイムスリップしているという設定だ。入ってすぐ、お金を西武園通貨という園内で使える通貨に替えて、商店街での食べ歩きなどを楽しむ。座って団子を食べていたりすると、昔ながらの自転車をこぐ駐在さんが通ったり、商店街のアイドルキャラクターである、聖子ちゃんカットのウエイトレスさんが通ったりする。
商店街をひととおり楽しんでから、私たちはゴジラ・ザ・ライドに並んだ。その日はクリスマスイブというのもあって園内が結構混んでいて、私たちが並んだ時点で60分待ちだった。ゴジラ・ザ・ライドは夕陽館という建物内のアトラクションで、私たち観客はその夕陽館で上映される映画「ゴジラ・ザ・ライド」を観に行くという設定になっている。(と私は捉えている。)
夕陽館に入ると、映画館の手前の小部屋へ案内される。そこで待っていると自衛隊みたいな人がダダダっと入ってきて、「ただいま東京の街がゴジラに襲われています!みなさん、緊急避難してください!」と言う。
ちなみに私は、生身の人間が演出に登場するとどうしても、演技をしているその人自身のタイムスケジュールを案じてしまって集中できない。この人は次に乗る人たちにもこの小部屋で「緊急避難してください!」って言うんだよな、喉のケアとかどうしてるのかな、お昼休憩とかシフト交代とかあるのかな、こういう仕事って給料いくらなのかなとか考えてしまい、夢がない。これは西武園ゆうえんちだからという話ではなく、ディズニーシーのマジックランプシアターとかでも、この召使いの少年役は今日何ステ目なのかなとか考えてしまうのだけど、今はそれはどうでも良い。東京の街が襲われているので緊急避難しなければならない。
「緊急避難してください!」と言われて、映画を観るはずだった私たちは緊急避難用の特別な椅子に座らされ、避難誘導が開始される。スリルを楽しむ演出上、ふつうの避難誘導では絶対通らないであろうゴジラの上空などを椅子が飛ぶわけだけど、それは楽しいので良い。とにかく我々はゴジラにぶっ壊される東京からどこか安全な場所に避難させられているのであって、さっきちょろっと出てきた自衛隊っぽい人たちが避難誘導を指揮しているわけだし、最終的に助かるのであれば椅子がどこを飛ぼうがかまわない。(とその時の私は思っている。)
こわくて目をつぶっていると(つぶるな)、いつの間にかゴジラ以外の怪獣も出てきている。避難すると言っておきながらゴジラとその怪獣の戦いをちょっと遠くから見せられ、わざわざ怪獣たちの間を通ったりして、自衛隊っぽい人たちの指揮のもと、スリルのある避難を楽しむ。
このあたりで、(それにしてもいったい私はどうやって助かるのだろう?)と思っていると、必死に避難していた椅子がガカンッ!と揺れて、地面に落下する。私はこわくて目をつぶっていたが(つぶるな)、夫によるとゴジラと戦っていた怪獣が、落下の際に助けてくれたおかげで私たちは地面に衝突せずに済んだようである。でも私は安全な場所に避難できると思ってこの椅子に乗っているので、変なところで椅子が止まって困惑する。困惑していると、目の前の東京の街並みがバン!と暗転し、(これがいちばんびっくりした)真っ暗な画面にタイトルロゴが映し出される。
=ゴジラ・ザ・ライド= バーン…!
完。
え…?お、終わり…?もしかして私、死んだの…?暗転が死のメタファーだとしたら確実に死んだよ…?と思っていたら、部屋の照明がつき、映画館のキャストが、「ありがとうございました〜」とか言ってシートベルトを外しにきたので、そうか、私は死んだんだと思った。あの暗転の瞬間というのが私の最期に見た光景であり、たぶんゴジラの光線とか尻尾とかが飛んできて死んだんだろう。てっきり、もともとの出発地点である夕陽館に帰してもらえるとばかり思っていたので、まさか助からないとは思わなかった。したがって西武園ゆうえんちには、無事に帰してもらえなかった私の亡霊が今も彷徨っている。
同じ形式のアトラクションだと、USJのフォービドゥンジャーニーや、ディズニーシーのソアリンなどがある。フォービドゥンジャーニー(ハリーポッターエリアのホグワーツ城の中で乗るアトラクション)は、マグルのあなた達でも空を飛べる特別な椅子を用意したわよとハーマイオニーに言われて椅子に座らされ、ハリーやロンと空の旅を楽しみ、途中でディメンターに襲われるので必死にエクスペクトパトローナムと叫ぶがマグルなので呪文が効かず、ハリーになんとか助けてもらうなどして無事ホグワーツ城へ帰還するというストーリーになっている。ちなみに私はフォービドゥンジャーニーに初めて乗ったとき、自分の呪文が効かなかった悲しさとハリーに助けてもらえた嬉しさで号泣してしまったので、キャストのお姉さんに「ごめんなさい、こわかったですよね…!」と心配された。もしディメンターに魂をとられたところで暗転したらこわかったと思うが、フォービドゥンジャーニーの椅子はちゃんとホグワーツ城に生きて帰してくれたので大丈夫です。この涙はハリーに出会えた感動の涙なので、気にしないでください。
…というわけで、ゴジラ・ザ・ライドはまだ私を帰してくれていないんです。と職場のお姉さんたちに言ったら、みんなむしろ乗ってみたいという感想になった。ゴジラ・ザ・ライドのキャッチコピーには、「息つく間もなく迫り来る予想外の展開は、��まりに理不尽!」とある。たしかにこんな理不尽を体験できる機会はまたとないが、残念ながら現在ゴジラ・ザ・ライドはお休み中で、今は「ウルトラマン・ザ・ライド」という違うアトラクションをやっているようだ。まあ、ウルトラマンなら、ちゃんと夕陽館に帰してくれそうな気がする。
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やり直しスイッチについて-2023.12.3
人生をもう一度やり直せるなら修正したい出来事というのがいくつかある。
たとえば、大学時代、次の振込みまでまだ半月もあるのに通帳の預金残高が1,000円になってしまって、母に泣きながら電話したことや、電気もガスも止められて水道で髪を洗ったことなんかは必ず修正したい。
高校1年生の5月に男の子に告白して当たり前に玉砕したことも、1年付き合った彼氏にRADWIMPSの「遠恋」の歌詞を送って「別れたくない」と訴えたことも、付き合っていたヤンキーと私の部屋で「ラブ⭐︎コン」を観たことも、すべて意味が分からないので修正したい。(ヤンキーには「お前をワルの道に連れて行くわけにいかない」と言われて2ヶ月でフラれた。良い人だった。)
小学生の時に制服のブレザーが掛かっていたハンガーごと着て学校に行ってしまったことも修正したい。
でも、修正して恥のない人生を送る私は、本当に私なんだろうか。私は案外、恥の多い私のことが好きなのだ。(ただやっぱり修正できるならこれだけは…ブラジャーのストラップはちゃんと縫いつけろ…!!踊ってるとストラップが外れてえらいことに、というかエロいことになるから…!!)
今年の7月、続けていた不妊治療が功を奏して、妊娠したと分かったとき、これで私はもう絶対にやり直しスイッチが押せなくなったなと思った。不妊治療をもっと早く始めていたらこの子より先に授かれた命があるかもしれない、でも、この子を授かれる道は、たとえ失敗だらけでも今私が歩んできた道以外にないんだ。今、妊娠6ヶ月を迎えて、お腹も大きくなってきて、こないだの妊婦健診では赤ちゃんの心音を聞かせてもらうこともできた。もう、生まれる前から、私の中にいるあなたのことがこんなにも愛おしい。
…愛おしいのは置いておいて、先日鼻からココアを吐きました。口より鼻の方が通りが良かったんでしょうね。私は泳げないので、鼻を異物が通っていくときに必ず、プールの真ん中で底に足がつかなくて溺れたことを思い出す。人生やり直すならぜったいスイミングスクールに通うんだ。
毎日、自分の食べたいものが分からない。昨日食べられたものが今日は食べられない。
すっかり「わがままボディ」になってしまった私に友達は、「いまどのへん?も〜っとわがままボディ?どっかーん!まではいってないよね?」と言った。レベル感の話をするときにおジャ魔女どれみのシリーズ名で例えてくるやつ、なんなんだ。私は「まだまだ、「わがままボディ♯(シャープ)」くらいだよ」と言って笑った。こういうくだらない会話が人類を救う。
妊娠が分かって間もない頃、上記の友達含む大学からの友達3人で「ひとまず、しばらく行けなくなりそうだし」と言って旅行へ行った。妊娠2ヶ月くらいですでにゲロを吐きまくっていた私を友達2人はとても気遣ってくれた。その旅行は、友達のパパが持っている山梨の別荘で一泊2日好きに過ごすという推理小説みたいな設定の旅行だったが、誰も殺されたり容疑者になったりすることなく無事だった。名前に数字が入っていたら危なかった。爆弾で数字の若い順に殺されるところだった。
旅行中起きた事件といえば、それまで散々私を気遣って油っこいものや匂いのきついものを控えておきながら、友達の1人が酒を飲んだら気を抜いてしまい、スルメイカを齧りながら私に近づいて、「ごめん…臭い…」と言われてひどく落ち込むということがあったくらいだった。それから、帰りはそのスルメイカ事件の犯人の父親、つまり別荘の持ち主が迎えにきてくれて車で山を下ってくれたのだが、その山道で私がめちゃくちゃ車酔いしてしまい、「お客様の中にパインアメをお持ちのお客様はいらっしゃいませんか?!手持ちのハイレモンじゃ駄目みたいなんです!!」という事態になった。ふもとのスーパーで舐めたパインアメのことが私は今でも忘れられない。ありがとう、パインアメ。あんたはひとりの妊婦の命を救ったよ。
妊娠して、食べられないものや、我慢しなきゃいけないことが増えた。なにもなければぜったい観に行っていたようなお芝居や飲み会も、行けないと断ったりした。私と一緒に行動することで友達にも我慢してもらうことや気を遣ってもらうことが増えた。でもみんな、「おめでとう」と言ってくれて、子どもを授かった私とも変わらず友達で居てくれようとしてくれる。結婚した時も、友達との関係性が変わっていくことがこわかったけど、結婚や妊娠くらいではなにも変わらないんだな、と思うことができて、私は幸せだと思う。
人生にやり直しス���ッチが現れても、私は押さない。ただ子どもは、スイミングスクールに通わせてあげるんだ。
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選ばれることについて-2023.7.17
気を抜くと7月も半ばを過ぎようとしている。私はこの日記を、自分のためになるべく1ヶ月に一度くらいの頻度で更新するよう心がけているが、5月に母の話を書いて以降、この日記を書けずにいた。5月も6月も7月も、めちゃくちゃコントを書いていた。
6月から月に1回、プラトンチームとしてフリーのお笑いライブに出演している。どこのお笑いライブも大抵は観客からのアンケート投票があって、これまでプラトンチームで好きにやっていたコント公演では言われてこなかったことが耳に入ってくるようになった。プラトンチームを知らない人に私たちがどう映っているのか、笑い声や空気で如実に伝わってくる。ここでやるお笑いには、演者が手探りで提示するしかない正解があって、それを観客が評価しているということを毎回感じている。
私は、今まで怖くて避けて通ってきた、「選ばれるプロセス」の中にいる。お客さんは結構いろんなことを言う。面白かった、つまらなかった、声が小さかった、大きかった、オチが弱かった、コントというよりこれは芝居だった、などの言葉を受け取りながら、そのようにできればこんなに苦労していないが…とか、一丁前に思い悩む日々だ。
評価されることへの苦手意識は強い。お笑いライブの最後にアンケートの投票結果が発表される時、私は、中学生の頃に出場したカラオケ大会のことを思い出してしまう。その大会は規模が大きい夏祭りの催し物のひとつで、各市のカラオケボックスで予選があり、予選を勝ち抜いた数組が決勝戦として夏祭りのステージで歌えるというものだった。私はSPEEDの今井絵理子のソロ曲を歌った。通っていたダンススクールで教え込まれた曲だ。ちなみに齢29の今も歌えるし踊れるので、気分の良い私とカラオケにいく人は注意が必要である。(勝手に踊り出すので)
決勝戦の日、夏祭りの会場でダンススクールの先生にばったり会った。怖い先生だった。歌が上手かったり、顔が可愛かったり、ダンススクールに長く通っている子には優しい一面もある人だったが、先生が私にそういう目を向けたことはなかった。決勝戦の結果発表の時、先生が客席の後ろの立ち見席にいるのが見えた。でも私はステージの上で、ぐいぐい前に出て行く他の出場者たちに押されて後ろで縮こまっていて、そんな私を見た先生は、結果発表を聞かずに帰ってしまった。先生の冷たい表情が、私は今でも忘れられない。
選ばれる人になるためには、ぐいぐい前に出ていかねばならないんだろうなあと思う。ぐいぐい前に出ていくというのは、態度の話というより、胸をはって前に出ていけるようなものを観客に提示せよということ。私は、私が堂々と笑っていられるものを書きたい。鬱々と全身タイツに「H」を縫い付けている場合ではない。ていうかまた全身タイツ買ってんな。もう二度と演者に全身タイツを着せるような真似をしないと心に決めて、3着の全身タイツをこないだ捨てたばかりなのに。「全身タイツ 安い」で検索してんじゃねえよ。私はどうしてこういうしょうもないことばかり思いついてしまうのか。もっとこう、お洒落にいきたいものを。自分で着るわけじゃないのもタチが悪いし、いや全身タイツの話もうええわいつまで言うてんの。
自分が良いと思ったものを、自分で良いでしょと言って表に出していくために、これまでとは違う強さが要求されている。選ばれるためには、その土俵に立つ以外に道はない。けど、これまで自分が大事��してきたものを、捨てたり残したりすることって、プライドの研磨というか、とにかく己との闘いなのである。
今の私には、「映像研には手を出すな!」の名言がよく沁みる。「映像研」は、モノづくりに生きる人すべてに刺さる名言が数多く存在するが、私の特に好きな場面は、予算審議委員会当日、金森氏に「終わりましたか」と声をかけられた浅草氏が「終わるとか完成するとかではなく、魂を込めた妥協と諦めの結石が出る」と言うところだ。終わるとか完成するとかではなく、結石を提示することしか今の私にはできない。苦しい時もあるけど、平和な場所で書いている時の私よりは、選ばれること、つまりはステージの上で堂々と胸を張ることについて、向き合えているはずだ、と思いたい。
以上!
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母の昔話について-2023.5.14
私は、母の昔話が好きだ。そもそも人の昔話が好きなのかもしれない。人が昔の話をするとき、大抵はある程度エピソードとして話しやすい形になっていることが多く、そういうエピソードを会話の中で自然に引き出せると嬉しい。
たとえば、祖母が話す旧姓の話は、もはや漫談と言えるほどの趣深さがある。祖母の旧姓は「ワセダ」で、昔の学校は男子の五十音順が先に呼ばれ、そのあと女子の五十音順が呼ばれるシステムだったので、祖母の出席番号はいつもクラスの最後の最後だった。ただ、「ワタナベ」さんがクラスにいるときだけ、自分が後ろから2番目になるのよね。というところまでがセットの昔話。祖母のこの話はもう何度も聞いているのだが、私が(この話をする祖母が大好きすぎて)いつも新鮮なリアクションをとるため、祖母はいつもはじめて話すかのように話してくれる。
人が昔話をするとき、人は自分が語っているよりも多くのことを語っていると思う。
母の昔話の中でもかなり好きなのが、「子どもの頃のあだ名」の話だ。母自身のあだ名は、ちょっと苗字が珍しかったので、苗字の2文字に「ぶ」をつけて「とまぶ」だった。私の名前が「あい」で、家族全員が「あいちゃん」と呼ぶのは、自分の娘は苗字じゃなく名前にちゃん付けで呼ばれてほしいという母の切なる願いが込められている。そんな私は母のあだ名が結構気に入っているし、きっと母の友達も母のことを、愛着を持ってそう呼んでいたんだろうなと思っている。
母の友達のあだ名はもっと面白い。なにもひねらず名前にちゃん付けの人や苗字で呼び捨ての人もいれば、「ますまる」だから「まんまる」とか、幼馴染の友達がある日オナラをしたのがおもしろくて、お互いのことを「おならなじみ」と呼ぶようになったとか。
フルネームに濁点が一つもない美しい名前なのに、あだ名が「ベーコン」とか。なんでベーコンなのかは誰も覚えていないところまで良いなと思う。
ある日、ふと「お母さんとお父さんが出会うための分岐点ってどこなの?」と聞いてみたことがある。その頃私も母も「ブラッシュアップライフ」というドラマにハマっていて、もしもう一度人生をやり直す場合、お父さんともう一回出会うためには何をすべきだろうかという話で盛り上がったのだ。そしたら母の回答は、「グリコに会うこと」だった。グリコ、母のエピソードにこれまで一度も登場したことのない人物である。友達だったの?と聞くと、高校のクラスメイトだったくらいの関係性で、なぜグリコが父と母の出会いに関わりがあるのかこの時点では全然掴めない。
私の父と母は、社会人のバドミントンクラブで出会って恋人になった。母は中学時代にバドミントン部の先輩が怖くて卓球部に入ったという経緯があり、子どもの頃から密かにバドミントンへの思い入れがあった。つまり母がはじめから先輩にビビらずバドミントン部に入っていたら、私は生まれていなかったかもしれない。卓球部の先輩が優しかったことで宿りし命こと私である。
母は、大人になってから、すずちゃんという高校時代の友達に、一緒にバドミントンクラブに入らないかと誘われた。そのすずちゃんをバド���ントンクラブに誘ったのがグリコだった。すずちゃんはすでにクラブに入っているグリコに誘われたものの、ひとりで参戦するのが不安で母を誘ったのである。
そういうわけで、母は、それまでの人生では決して交わることのなかったであろう、ヤンキーのような風貌の父と出会った。ちなみに父はまわりの人間が「こいつだけはやめとけ」と諭してくるほどのプレイボーイで、女に脇腹を刺されたこともあるほどらしい。(父の脇腹に差し傷跡がないことは確認済み)
人生をやり直してもなお、そんな父ともう一度出会う前提の母が愛おしい。
ちなみにグリコは苗字が江崎だからグリコなんだそうだ。そのままなんかい。
人の昔話が好きだ。私にとって母の話は、歳をとっていくことへのささやかな希望なのである。
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おーい、2月、どこ行くねん2023.2.26
2月、ほぼ気絶していたらもう終わりそうでビックリしている。1月は行く、2月は逃げる、3月は去るなんて言うけども、本当にそのとおりでございますね。おーい2月〜、どこ行くねーん、言うてね。言うてる場合か。てかはやく冬終われ。
久しぶりにホグワーツ寮の組み分けテストをしたら(私は定期的に組み分け診断がしたくなる。なぜならオタクだから)、スリザリンになった。ちなみにこの組み分けテストは気分や環境などの影響を受けてその時々で診断が変わるし、私は4つの寮すべて診断されたことがある。
最新の診断でスリザリンに組み分けされた私だが、診断結果に「自尊心がブレやすい」と書かれていて、こんなにも私を表した診断あるんだ、と感動したし、自尊心がブレやすい人間がスリザリンにいるの、わりと解釈一致だなと思った。2月後半はもっぱら自尊心が揺らぎまくっており、乗りこなすのに大変苦労した。29年も生きていると、自分の体を操縦しているような気分のときがあって、そういうとき私は「今日はなんか乗り心地悪いな〜」とか考えている。まだ中央線の駅のホームで泣いていた頃の私は、自尊心の揺らぎにまったく対応できなかった。自分はできる人間なんだと思いたかったから、演劇部の打ち合わせに遅刻している自分が許せなくて泣きながら走って過呼吸を起こしたりしていて馬鹿だった。今はもうそんな自分の乗りこなし方が分かるし、なんなら日記に書いて紹介しちゃうぞ。何より、また乗りこなし方が分からなくなったときの備忘録として、ここに書き留めておこうと思う。
ある日ふと沈んでいる自分に気づく
自尊心がどうのこうの言いつつ、結局のところ生理周期とホルモンバランスが関係している。なんか調子悪いなって思うと生理がきて、あぁ君か…って解決することも多い。ただ生理にしては長くね?って思ったときにはじめて、あ、もしかして私、沈んでるな…?ってことに気づく。
沈んでいるときに焦ってもがくと、不器用ゆえに悪いことばかり重なって余計に沈むことが29歳の私には分かるので、沈んだときは大人しくしている。「大人しくする」というのは、何をするでもなくスマホをいじったり、ずっと布団の中にいたり、家事をサボったり。ぜんぜん「大人」な態度ではないが、これが私の「大人しくする」状態。それでもまだ底に行くなら、仕事を休む。そんなことで仕事を休むなんて、なんて子どもなんだろうと思う。でもこれを許してこなかったら私は今も走って泣いたりしていたから、来るべきところに来たのだと思うことにしている。
沈む原因その1「寒い」
老後は南国に住むことを本気で検討すべきかもしれない。だいたい2月頃は毎年元気がないんだけど、シンプルに寒いからだと思う。平日は毎朝アレクサに寒いんだよって八つ当たりしているし、休日は書きたいことが浮かんでも、パソコンを置いている作業部屋が寒いので筆不精になる。雪が降るほど寒い日に街で意地悪なことをされたあかつきには人をぶん殴ってしまう可能性があり、私はひそかにその可能性を恐れている。少なくとも今後の人生、もし「寒波」の擬人化に出会ったら殴るだろうなと思っている。寒さは人を変える。ので、大人しくしている。
沈む原因その2「インテリア夢想」
いや、寒い部屋にパソコンを置いてるのが悪いとか思いはじめると、じゃあどこでも手軽に使えるノートパソコンが欲しいなとか(持ってないのかよ)、リビングにちょっとした作業スペースがあれば…と考えはじめて、脳が理想のお部屋探しで夢中になってしまう。私はこれをインテリア夢想と呼んでおり、インテリア夢想に入ると、家具を見つめて動かなくなる。こないだ友達の家でそれをやったので「どうぶつの森?」とつっこまれた。この夢想はとどまることを知らないくせに結局叶える予算と計画性がなく、現状の生活に落ち込んでしまう。それにこのインテリア夢想はただの現実逃避であって、どうしても書きたければスマホで書けるんだから、「寒くて書けない」はちょっと言い訳に近い。(それでも寒波は殴るけど)
沈む原因その3「ゲーム鬱」
沈みかけているときにいちばん陥りやすく抜け出せないのが「ゲーム鬱」だ。どうぶつの森とかテトリスとか、終わりの見えないゲームにハマって抜け出せなくなる。達成感が得られるまでやめられないうえ、他のことは手がつかなくなるのでタチが悪い。2月が溶けてなくなったのは主にどうぶつの森が原因だと思っている。私が作っている島は児童文学をテーマにしており、3年ほどホグワーツの建立に力を入れているが、まだ城と呼べる状態ではないので納得していない。いつかお披露目したいと思っているが、あと2年ぐらいかかるんじゃねえか、てかその頃にはもう誰もどうぶつの森やってねぇよと思っている。昨日やっと、「いや…どうぶつの森なんてやってる場合か」ってふと思って、ゲーム鬱を脱した。こんな調子だから、どうぶつの森で達成感を得るにはあと2年ぐらいかかる。
沈む原因その4「不器用」
先日、スーパー銭湯のレストランでめんつゆを机いっぱいぶち撒けてしまった。せっかく風呂入ったのに。こんな人間サウナで干からびたらええねんと思った。夫がめんつゆを拭きながら私に「またか…って顔しないで笑」と言った。私は私のドジに毎回「またか…」と絶望しているが、夫からしてみれば言うとしたら僕〜!なわけで、それでも「またか」なんて言わない人なので、やさしいなあと思っている。私は私のことを、サウナで干からびたらいいと思っている。
ちなみに私が不器用な理由として1番格好いいのが「実は左利き説」で、幼少期にお手玉が右回しだとできなくて左回しならできたことからこの説が浮上した。(しょうもない)ちなみにドヤ顔で喋り続けることじゃないが走り高跳びも左からじゃないと飛べない。走り高跳びをはじめて飛んだとき右から飛んだら意味の分からない足クロス飛びをしてしまい、私も含めてその場にいる全員「なに今の」ってなった。このエピソードは厨二病心をくすぐるので気に入っている。でもたぶん私が不器用なのは右とか左とか走り高跳びとか関係なく注意力散漫なだけだと思う。だからサウナで干からびればいいと思う。
沈む原因その5「仕事」
不器用な話とつながるけれど、私は何かを効率良くこなすのが大変苦手で、職場では忙しい時期になるとパニックして無駄にファイルを出し入れしているだけのことがよくある。私の電話や窓口対応はまるでハリボテのようで、対応が終わる都度2秒ほど落ち込んで固まっている時間がある。そもそも「説明」とか「提案」とか「交渉」といった行為そのものが苦手だなと思っている。
これまでどの職場でもずっと私は「できない人」でいることを許してもらってきた。おどおどしていたり日本語が変だったり靴下と靴の色合わせが地獄だったりする人間がひとり職場にいる状態を、許してもらっている。それこそ昔は「できない自分」が恥ずかしかったし、今も恥ずかしいし、できることなら「できる人」になりたいけれど、今はあまり背伸びしなくなった。とはいえ、いつか役立たずになる未来を案じて落ち込むことに変わりはない。
じゃあどうやって浮上すんのか
こんなにも沈みポイントの多い人生だけど、ある日ふとしたときにふとしたことで浮上できる。私の中に「できたらうれしいこと」があって、それができそうな日を逃さないようにしている。「できたらうれしいこと」にはレベルがあって、たとえば「ホットケーキが焼ける」はできたらうれしいし、沈んでいても手を伸ばせる引き出しに入っている。「新しい本が読める」とか「新しい服を買う」は、ちょっと上の方の引き出しに入っている。でもこれができればもっと上の引き出しを開けることができて、「ちょっと良い自分」になれる。私はこうやって、より上の引き出しを開けに浮上していく。そのやり方以外はもうやらなくなった。
小学生の頃の私は、通知表に「明るくてなんでも前向きに取り組むことができる」とか「積極的な性格」とか書かれるようなタイプだったけど、29歳の私が積極的に取り組めるのは「書きもの」だけで、それ以外に積極的にやりたいことは特にない。放っておくと、受動的な、流れに身を任せるだけのだるんだるんな時間を過ごしてしまう。
日記やコントを書くってことだけは、私が積極的にやりたいと思わないとはじまらないから、自分でやるしかないと奮い立ててやっている。でも、それすら揺らぐこともある。「こんなこと世間に向けて書くほどでもないよね」と思ってしまう。私がこれまで書いてきたものなんてぜんぶぜんぶ「書くほどでもない」ことばっかりなのに、しょうもないことを書いてナンボの人生なのに。書くしかないし、できない自分を許す以外の選択肢は、私にはない。だから今日もこうして低いところにある引き出しに手を伸ばす。この日記はそういう意味でも案外だいじな存在なのだ。というわけで、2月ももうそろそろ終わる。3月は、ヒノキになろう。
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