Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
2019/01/06
変な時間に寝たり起きたりしたせいで時間感覚がおかしい。昨日は自転車で図書館に行って資料を集め、ご飯を食べたり買い物をしたりしながら、こちらに引越してからまだちゃんと探索できてなかったあたりを回った。疲れたのか、あるいは単に寒かったのか、日が落ちる頃にはすっかり憂鬱な気分になっていて、皓々とだだっ広いドラッグストアーで栄養ドリンクをひとつ買って飲み、帰るために自転車に乗った。私の頭は身体的なしんどさを精神的なしんどさと誤認識しがちで、強烈な死にたさに襲われて呻きながら一夜を明かし、朝になって試しに熱を測ると高熱が出ていて結局、風邪から来るつらさだった、みたいなことがざらにある。精神状態がよくないときに栄養ドリンクを飲むのも、そういったところから編み出した技だった。気休めにもなる。
駅の周辺は高台になっていて、暮れ残る空のグラデーションがよく見えた。夕暮れの感傷的な気分は実際は非常に社会的に形成された感情だろうということを考えた。ぐるっとロータリーを半周し、ゆるやかな坂をくだって帰る。家の周辺は窪地になっていて、そのせいか、この家のまわりはいつも風が穏やかで暖かい。以前読んだキャンプのエッセイで、風が強い日は窪地を選んでテントを張るとあった。地形のことはよくわからないが、そういうものなのだろう。この家のまわりはいつも暖かい空気が溜まっている、ような気がする。
念押しで葛根湯を飲むと眠くなったので、寝た。次に起きたのが八時すぎで、図書館でコピーしてきた資料を読みながらだらだらして、そのあと「イット・フォローズ」を観た。「イット・フォローズ」はけだるい空気と、浮遊感のある音楽と、やりすぎない程度に美しい映像の、よい映画だった。怖いかどうかはわからなかったけれど、ホラー映画なので怖いのだろうと思う。ネットで評判を調べると、多くのレビューで怖いと書かれていた。最近は特にホラー映画を幻想文学のノリで摂取しているので(実際、そう違いはないけれど)自分の恐怖感覚が信用できない。ちゃんと思い出さないといけない気がする。恐怖だけじゃなくて、このところあらゆる感覚が鈍っている。気がする。もうずっと前からこんな感じのような気もする。
一回寝て覚めて映画を見たら回復したので、コンビニまで散歩に出て、星を見た。このあたりは夜になるとちゃんと暗いので、星がよく見えるのが嬉しかった。コンビニでおべんとうを買って帰って食べて、もう一度寝た。次に起きたのが六時頃で、起きるのも寝に戻るのもどちらもできなかったから、「イット・フォローズ」について考えたりしているうちに今になった。書きながらようやく今に追いついた。外では部分日食が始まっている。私は寝に戻るかどうか考えている。
0 notes
Text
日記 2018/02/01-07
◆2018/02/01
そのへんのチェーンではないお店よ���安心できる日高屋だった 鈴木ちはね「感情のために」(『よい島』収録)
この歌を読んで、そういえば日高屋ってあんまり入ったことないなとおもって日高屋で中華そばを食べたのだけど、なんなんだ。日高屋の中華そば超おいしい。びっくりした。なんか舌ざわりがざらざらしてて、え?え?って何度も蓮華を口に運んでしまう。調べたら魚粉というのが入ってるらしい。魚粉。聞いたことあるしたぶんこれだ。うちの猫のカリカリのなかにも入ってるやつだ。たぶん。
梅を見に行きたい。小石川植物園か、神代植物園か、どこでもいいけど、梅に囲まれたい、梅の匂いにやられたいと思う。
◆2018/02/02
久しぶりに機嫌良く起きて、窓の外を見たら雪が降っていた。
朝起きたら雪が降っているなんて、このままセーターを着込んで雪遊びをするしかない気持ちなのに、仕事に行かなくちゃいけないなんて変だと思った。階下に下りると、猫はぶすったれて寝ていた。天気が悪いといつもこんな感じだ。
夜、相田さんと会って、軽く食事をしてからユーロスペースで『わたしたちの家』を観る。
『わたしたちの家』は良いところも多かったけど、目につくところも多かった映画で、終わってからてきとうにカフェに入って好き放題に感想を言い合う。
予告編で流れていた『霊的ボリシェヴィキ』っていう高橋洋監督のホラーがちょっとおもしろそうだった。予告映像で「1970年代――"霊的ボリシェヴィキ"という謎の概念が提唱された……」とか流れてくるんだけど、謎の、とか自分で言っちゃうなよなと思ってうけた。みたいな話もする。
明日、原稿をやらなきゃだし小石川植物園に梅を見に行きたいから、相田さんに頼んで、相田さんが家を出る時間に外出をうながすLINEをしてもらうよう依頼する。
◆2018/02/03
朝、相田さんからLINEをもらって起きる。朝ご飯を食べて、家を出る。
小石川植物園の梅は種類によって咲いたり咲いてなかったりで、匂いに酔うまでにはならなかったが、種類のちがう梅のちがう匂いをかぎ分けて楽しかった。
なんだか鳥運に恵まれていたらしく、白い大きな鷺をほんの数メートル先に観察できたと思ったら、翡翠が飛来してしばらくその囀りを間近に聴け、さらに、シジュウカラがやたらと集まっている草むらを見つけた。
最近小原さんがつぶやいていたシジュウカラ語、「ヂヂヂヂ」が「集まれ」の意らしいのだが、確かに「ヂヂヂヂ」と一羽が鳴くとそちらに集まってゆくことを確認した。
小石川植物園では鳥の観察ばかりしていて、原稿は結局ほとんど書かなかった。
◆2018/02/07
昨日の朝、起きたときから胸のあたりに重苦しいつかえた感じがあり、なんだか泣きそうで、苦しくてつらいのをこらえながら会社に向かったところ、電車内で突如強烈な吐き気と腹痛に襲われ、途中駅で降りた。朝から感じていた痛みは精神のものではなく、肉体由来のものだったようだ。この二つの区別はよくあいまいになる。
職場に連絡して、這いつくばるようにして病院に辿りつき、まあウイルス性胃腸炎かなにかだろうと言われる。そのときにはもう体に力が入らないうえに関節のふしぶしが痛くなっており、じっとしているだけで息が上がるようになっていた。処方された抗生剤と痛み止めをすぐに飲み、身体を引き摺って帰る。
最寄り駅に着いて、よっぽどタクシーに乗ってやろうと思ったが、5時間で100円の駐輪場に駐めてきてしまい、このぶんだと次にいつ取りに行けるかもわからなかったから、仕方なく自転車を出して、ゆっくりゆっくりと漕いで帰る。振動が身体に伝わるたびに激痛が走り、200mも走ったときにはあまりの痛みに声を上げて泣きながら走っていた。幸い、通行人はほとんどいなかった。人のことを馬鹿にしてるとしか思えないまっさらに晴れている空に、午前11時すぎの光がまぶしくて、それが却って痛みを鮮明にした。歩く速度よりもゆっくりと自転車を漕いで住宅街を進んでいると、涙越しに、何もかもがくっきりと輪郭を持ちすぎていて、きれいに作り込まれたVR映像のように思えた。
やっとの思いで家に着いて玄関を開けると、この時間に家の者が帰ってくるとは思わず油断していたのだろう、猫が驚いて目をまんまるにして出迎えてくれた。
とにかく体が痛く、寝返りひとつ打つにも難儀するので、昨日はベッドの中で何もできずに泣きながら唸っていた。昼間は平熱だったのが、夕方になってから熱が出てきて、夜には38.3℃まで上がった。昼も夜もなく、意識を失うように短く眠っては目覚め、枕元に置いたポカリスエットを口に含み、ウイダーインゼリーを流しこんで、薬を飲んでまた眠った。
今朝になっても熱��下がらなかったが、午近くになって、いくぶんか身体を動かせるようになったと気づく。
ふと思い立って、Kindleで小川洋子『博士の愛した数式』を買い、ベッドの中で一日かけて読んだ。ずっと短歌に明け暮れていたから、まともに小説を読んだのは数ヶ月ぶりかと思う。風邪で寝込みながら、眠りのあいまに美しい本をすこしずつ読みすすめていくのは、ちょっとほかに味わえない愉悦がある。脚のついた銀の器に行儀よく盛られたアイスクリームを、匙ですこしずつ掬って舐めるようなことに似ている。宮沢賢治の詩集や『銀河鉄道の夜』もそういうときに読んだ。心身が弱っているから選書に失敗できない感じがあって、だいたいベタな名作で今までに読んだことがないもの、に手が伸びる。『博士の愛した数式』は言うまでもなく素晴らしかった。
夜になって熱は下がってきた。
1 note
·
View note
Text
日記 2018/1/22-31
◆2018/01/22
夢を見た。日本のどこかの田舎で、庭に、成人の人間ほども大きさがあるオオコウモリがいたりする。夢のあいだ、空はずっと黄昏時の橙と紫のまじりあうような色だ。そこでは「冬の七夕」が近づいているらしく、空に海月や蛸のモチーフのビニール飾りやぼんぼりが連なって、うすくあかりを点していた。お囃子の一団が家の前を過ぎていった。
◆2018/01/24
ホテルの部屋で目が覚める。
自分の家ではないところで寝起きするとたいてい一瞬「?」となるけど、昨晩からの非日常感が続いているせいか、今朝は疑問もなく目が覚めた。
昨晩は角川短歌賞授賞式だった。
あまりにもめまぐるしく事が運んでゆくので、すべてのことが夢の中での出来事のようにふわふわとして手触りがない。呼ばれて、檀上に上がったらライトがまぶしすぎて目をしかめたこととか、一斉にカメラを向けられて視線をうろうろと泳がせていたこととか、賀詞交換会の乾杯の音頭を高野ムツオさんが取られて、私は結構前から高野ムツオさんのファンで、同じ檀上でわずか0.5mななめ左後ろにいたのに一言も言葉を交わせなかったこととか、そういう、断片的なイメージ。母と妹が来てくれていたのだけど、二人はもう帰るという。近くにながやさんが見えて、ながやさんに家族写真を撮ってもらった。
二次会になるともうすこし現実味があって、谷川さんとひらくと伊舎堂さん、みたいな、まあいつものメンバーでふざけてくだらない話をしたなとか、このあいだカタン会したメンバーが集まったと思ったら私へのお祝いより先に伝右川さんに「角川カタン賞おめでとうございます」って寄ってたかって言ってふざけたり、翻訳家の金原瑞人さんに「(タンカフランカ)買うから、サインくださいよ」と言われて背中に大汗をかきながら表紙の裏に「金原様へ 睦月都」と書いたら、「日付も入���て」と言われて日付を入れたり、……。
閉会の挨拶にはまず東さんが、それから、穂村さんが出てきてくださった。
「ぼくが睦月さんと初めて会ったのは彼女がはたちくらいのときだったと思うけど、なんかもう、すごい全身がピンクで」――彼女が発している空気がピンクで、ってあとで付け加えられてたけど、たぶんこの頃髪がピンクだったからだと思うし、髪ですよね?と後で聞いたら「うん、髪も~」とおっしゃっていた――
「……で、ぼくがなんか言うと「それは違うんじゃないですか」ってワーっともうれつな勢いで反論してきたりして、かつてぼくにこれほどワーっと反論してきた人に水原紫苑ちゃんがいたけど、紫苑ちゃんはぼくより年上だし……こんなに反論してくる子って、いなくて……」
火曜日なので二次会で解散した。花束や贈り物がひとりではとても運びきれない量で、相田さんと、伊舎堂さん、鯨井ちゃん、田村さんが、ホテルのロビーまで荷物を運んで、見送ってくれた。チェックインの書類を書きながら、背後にみんなが待ってくれているのがなんかくすぐったくて、早くそっちに行きたいような、終わらせたくないような、気持ちだった。エレベーターの前で手を振って、別れる。
起きて、朝食を食べにレストランに行く。いくつもの席で、エリートっぽい多国籍のひとたちが美しい朝食を食べながら、なにやら商談をしている。ビュッフェにあったメロンがおいしくて、「ジュースの森のメロンジュースくらいおいしい」と感激したが、たぶん逆だ。
◆2018/01/25
People In The Boxの昨日出た新譜をデジタルで買って聴いてる。すごく良い。
◆2018/01/26
一月入ってからまじでなんでこんな鬱ひどいんだと思ったら、もしかしたら例年は秋に来る鬱が、去年の秋は忙しすぎて鬱になる暇もなかったので繰り下がってきたのかもしれない。というかたぶんそうだ。メカニズムは全くわからないが、そういうことはある。
あと、授賞式の(心の、を含め)準備でいっぱいいっぱいで、最近、通勤電車で歌集を読んでなかった。そうするとすぐに調子をくずす。
あと、あと……と考え始めて、漠然とした鬱を言葉にしていく。言葉にできる理由があると安心する。ぐにゃぐにゃでどろどろの感情というわけのわからないものを、硬化して切り分けて、適切な場所へ片付けていく。
帰ったら『短歌タイムカプセル』が届いてて、いつか誰かと「西荻窪は荻窪の西、ってなんだっけ」「え、なんだっけ」って喋ったのが佐藤弓生さんの「コーヒーの湯気を狼煙に星びとの西荻窪は荻窪の西」『世界が海におおわれるまで』だったことが判る。
◆2018/01/29
ままならない、些細なことが多く、そのほとんどは自分が自分の感情を許せないせいだ、とおもう。
土曜日の法橋ひらく批評会は盛況だった。授賞式に続いて、なんだか好きな人ばっかりに会えたことの気持ちよさ、があった。
幸せな空間、というのはこういう場所のことを言うんだろう、と、三次会のカフェで思った。法橋ひらくは誰にとっても、少しずつ特別に好きな存在なんだろうな、とも。配られた記念冊子に掲載された最新作「アパート」十三首が素晴らしかった。
好きだったひと、好きでいてくれたひと 胸の睡蓮枯れゆくまでを
猫のいる団地のなかを突っ切って帰る ちがうわ、米買うんだわ
―法橋ひらく「アパート」
◆2018/01/30
夜、阿佐ヶ谷のタイ料理屋で友人と飲む。
タイ料理屋はアジアの屋台のような内装で、壁に掛かったモニターにはタイのPOP音楽のPVが、タイ語の字幕付きで流れている。
友人が「字幕付きで流されてもわからんよねえ」と笑い、「でも曲調とPVの様子でだいたい何言ってるかわかるよ、」と私が言う、
(そのとき掛かっていた音楽は男性のバラードで、回想の女性像をはさみながら、街角や広いベッドルームで歌手の男性が苦しげな表情で絶唱しているPVだった、)
「些細な言葉で君を傷つけた……君を失ってはじめて本当の愛に気づいた……ベッドルームに独り目覚めるたび、隣に君の姿を探してしまう……」とてきとうに歌詞をあてはめていくと、友人が大笑いしながら「いい加減にしろ」と言ってくるのでわたしも笑う。
店を出てからなんとなく、荻窪まで歩くことにする。荻窪に住んでいた頃は何度かやったことのあるコースだ。住宅街を抜けて天沼陸橋に上がる。天沼陸橋を渡ると、昨年の5月まで丸3年間住んでいたアパートの近くに下りる。わたしはここが大好きだったので、すこし遠回りして、友人を連れてあの頃よく歩いた散歩道を歩く。睡蓮池を見て、魔女の家を通りすぎ、猛毒植物のダチュラが植わっている道を通って、すてきなはちみつ屋を教える。記憶とか時間とかが光の尾を引いているような、ふわふわして、夢の中にいるようだった。
◆2018/01/31
夜、英語学校に行くつもりで家を出たのだが、駅まで歩いているうちに気が変わって図書館に行く。いただいた原稿依頼で楽しみなものがあって、そのことを考えているうちに、そっちに行って資料を集めるしかない気持ちになった。
それに、対談原稿の校正依頼が今日〆切だったし、タンカフランカの仕事もしなきゃだったし、いい加減この日記も放出したかったし、数年ぶりに皆既月食が見れる夜だった。
中目黒の図書館から出ると月食が始まっていて、時間が止まったように、人々が道のまんなかに立ち止まって、それを見ていた。
0 notes
Text
日記 2018/1/8-21
◆2018/01/08
年が明けてから、すでに遠出をニ回している。友人に付き合っての小旅行だったけど、最近はもうめったに遠出をしないので新鮮だった。
きっと行ったら楽しいんだろうけど、映画館にも博物館にも旅行にも、昔みたいにすごく行きたいという気持ちがなく、欲しいものもあんまりなく、あらゆる欲求のレベルがいちじるしく低下していて、唯一積極的にするのが編み物と銭湯めぐり……と短歌、とかなのは、老後を超えて死が近い感じがする。なんだか穏やかな心持ちになる。
◆2018/01/09
夜中に伊舎堂さんから「明日、歌持ち寄って読むやつやらん?」と言われて、「やる」と即答して、読んできた。録音して記事化してくれるらしいので、たぶん再来週あたり伊舎堂さんのnoteに載る。
※載った→https://note.mu/gegegege_/n/n58873e8d6c9e
帰りに水中書店さんに寄り、大西民子『野分の章』を買って読む。大西民子は『鴨川短歌』の短歌のおしゃべりの企画で濱田友郎さんが推してた歌人で、もちろん知ってはいたけど、歌集単位で読むのは初めてだった。たまらなく良い。
数をそろへ磨きおくとも一本ずつ使ふ日多きスプーンとフォーク
膝の上に編みものを置きて聞く電話雪の降る夜と告げつつ遠し
匿まふはこころ一つよ薔薇の木をたわめてかかりゐし梯子あり
- 大西民子『野分の章』
◆2018/01/11
ここ3日くらい、相対性理論の「フラッシュバック」をずっと聴いている。
PVを撮ったのが黒沢清監督で、このPVは正直あんまりわかんないんだけど、黒沢清は好きだ。『叫』は日本ホラーの極点だと思う、怖すぎるし、笑えすぎる。
大学時代に映像制作の授業をいくつか取った。研究はバイオ系だったのでただの興味本位だが、文理融合型のキャンパスで、そういう単位の取り方が許されていた。そのうちの一つの授業の講師が、まだ非常に若い方だったが――黒沢清が好きらしく、授業時間に黒沢清監督映画を見せられては、そこに駆使されている技法をぼそぼそと、口数すくなに、詳細に、語ってくれて、そこで初めて黒沢清を知った。ゴダールとかタルコフスキーとか、そういういかにも授業で扱いやすそうな頭良さそうなのじゃなくて、刑事である役所広司が犯人を追ってるシーン、とかを出してくる無骨さというか不慣れさというかになんともいえず好感を持った。
この授業の最終課題は、実際に制作した映像の発表だった。
私は取り壊し寸前の母校の旧校舎で、ストップモーション映像を撮影した。大量の写真が生き物みたいにトイレの中から湧いてき��、廊下を進んで階段を降りていったり、友達の脚を這い上がったりする、へんてこなものだったが、なかなかの時間も熱意もかけて撮ったもので、出来上がったときにはずいぶん気に入るものになった。フィルムはすぐに紛失してしまって、その後二度と観られていない。
◆2018/01/15
朝からどうしようもない憂鬱が続いて、外にすこし出たり軽い運動をしたり温かくて甘いしょうが紅茶を飲んだりしたがどれも効果がなかったので、休みだったこともあり、昼から夕方にかけて缶ビールをゆっくり一本飲んだ。そこから二時間ほど寝て起きたら回復しており、夜は約束通り出かけることができた。
夜、渋谷のボードゲームカフェでカタンの会。参加者は山本まとも、相田奈緒、伝右川伝右。
19時から23時近くまでいて、2戦したが、2戦とも伝右川さんの優勝だった。とはいえ2戦目のラスト3ターンは私とまともさんと伝右川さんの誰が勝ってもおかしくない接戦だったのだ。相田さんは最後までのびのびと羊の毛を刈っていた。
ボードゲームカフェを出て宇田川町を歩いていると、坂の下の電話ボックスに人が入っていた。ニット帽を被った、細身で、背の高い、今風の、若い人だった。通話相手と何か揉めているのか、うなだれた首のうしろを苛立たしげにしきりに撫でながら、電話ボックスの光に照らされていた。
それが私には、20世紀から電話ボックスごと時空転送されてきたように見えて、信号が変わってみんなで歩き出すまで、目を離せずにいた。
◆2018/01/17
低気圧とかのせいだとおもうけど、憂鬱がどうしようもなくて、すべての予定を繰り下げて寝ていた。
◆2018/01/21
昼過ぎから渋谷で歌会。
17:30からPeople In The Boxのライブの生中継があるので、すこし早めに抜ける。
帰り道、桜ヶ丘方面の歩道橋で、杖をついて腰の曲がったおばあさんとB系ファッションのお兄さんとが並んで歩いてるので、なんかめずらしい組み合わせだなあ、意外とおばあちゃん子の孫? といぶかりつつ後ろを歩いていると、会話の様子から、渋谷まで出てきたはいいがどうやら帰り方がわからなくなってしまったおばあさんを、B系のお兄さんがひとまず渋谷駅まで誘導してるところらしい。
「神保町に、」というおばあさんの声が聞こえて、お兄さんが「それなら半蔵門線に乗って……」と丁寧に教えてやっているが、おばあさんが地理にうといらしくあまりよくわかっていない様子で、私は方面は逆だが同じ路線に乗るところだったので、声をかけてお兄さんとバトンタッチした。
このちょっと悪そうな格好をしているお兄さんは「おばあちゃんよかったねえ!東京の、しかも渋谷で、こんな親切にしてくれる人なかなかいないよー!」とニコニコとしきりに言い、いやそれはお兄さんがでしょう、と言って、JR前で笑って別れる。よく見ると人懐こい笑顔をした、お兄さんだった、私より年下かもしれない。
地下鉄まで並んで歩きながら、おばあさんは「私ねえ、88歳」となぜか恥ずかしそうに笑った。ああ、それじゃあ私の祖母と同い年ですね、と言いながら、私の祖母は数年前から寝たきりで、故郷を離れていまは福岡の親戚に世話になっていることを思う。
おばあさんは観劇が趣味のようで、渋谷の区民ホールでのお芝居のチラシを見せて「これを観に来たの」と、にっこりする。よく遠出するんですか、と訊くと、いつも近所をお散歩してるけど、ここまで出掛けるのはめったにないことだと言う。ハチ公の前を通ったとき、「あれがハチ公?」と、感激したように私に尋ねた。
自分の足なら���いぜい五分足らずで着いてしまう距離だが、足の悪いひとと歩いていると、人混みや、階段や、改札でのPASMOのエラーや、そういったものが結構な障害になるようだ。結局あの歩道橋から20分以上はかかって、でも大きな滞りはなく、正しい電車に乗せて別れた。
最寄り駅に着いた時にはライブが始まっていたので、ベンチに座って、スマホでしばらく観ていた。月がきれいだった。身体が冷えてきたところで家に帰り、夕飯を食べて、続きを観た。
0 notes
Text
日記 2017/12/22-28
○2017/12/22
猫に毛糸をかじられる夢を見た。
天気もいいし、気圧も安定してて、服は暖かい、きのうはよく眠れたし、原稿も終わってる、人間関係も仕事も問題なく、痛いところも悲しいこともひとつもなくて、今日は金曜日、なのに、朝からちょっとひどい落ち込みが続いている。まあそんな日もあるか、と思いつつ、温かいお茶を飲んだり腕を揉んだりしてやりすごす。
○2017/12/24
どうしようもないことで朝から気分が落ち込んで、昼過ぎにようやく布団から出る。
伯母のいる修道院から、クリスマスのお祝いにアップルパイが届いた。その修道院のシスターたちの手作りで、毎年、短い手紙とともに送ってくれる。
私は小さい頃に洗礼を受けてはいるものの、十代後半からはほとんど無宗教者なのだけど、クリスマスはやっぱりこういうアップルパイみたいなものを尊がりたいような気持ちになる。
今日はともだちとドレスショップに出かけて、授賞式で着るドレスをいっしょに見繕ってもらう。バスに乗る。
○2017/12/28
道場が終わってからずっとぼんやり過ごしてて、書く原稿ももうなくて、夕飯を済ませてから寝るまでの長い長い時間を、いままでどう過ごしてたか思い出せないまま、なんとなく誰かとLINEしたり、そのあいだ編み物をしたりしている。
伊舎堂さんの、
https://note.mu/gegegege_/n/n02da52cbb7b5
これを読んでたらまたなんか思い出して、ああそういえば「守秘義務」とか言ったなあ、とか、
帰りに寄った道の駅で、広大の眞子さんと瀬口さん、それから平岡さんと喫煙所でたむろしながら、今まではほとんど大学短歌会内で短歌をやってきたという眞子さんと瀬口さんが「関東の人たちの様子を見て、あーこれが歌壇…かぁ!と思って」と言って、私と平岡さんが大慌てでそれは全くの誤解だと弁明したこととかを、ふふ、ふふ、と目線を右の宙にやりながら思い出す。
0 notes
Text
日記 2017/12/03-12/18
○2017/12/03
昨日、ふと思い立って毛糸を買い、編み物を始めた。小学生時代から高校までは、ときどき手を出してはへんてこなものを作っていたのだが(おたまじゃくしのあみぐるみとか)、それきりやめてしまって、もう十年ぶりくらいになる。
童話でしか知らなかったのだが、猫は毛糸が好き、というのは本当らしい。というよりこれはもはや、異常偏愛、執着、妄愛といっていい。夜、いつものように猫が私の部屋に来ると私の手元の編み物を見るなり飛びかかってきた。太ももを負傷する。怒って追い払うが何度も何度も飛びかかってはじゃれつくので参る。
こんなに楽しそうに遊ぶ猫を初めて見た。うちの猫はあんまり人間と遊ばない。おもちゃを持ってきてせがむことはあるのだが、じゃあ遊んでやろと腰を上げておもちゃを取ると、途端に興味を失ってどこかに行ってしまい、後にはねずみのおもちゃを持って立ちすくむまぬけな私だけが残される。
それが、どうしたことか。私が一目編むごとに、黒目をまんまるにして腰をうずうずさせ、タイミングを見計らって飛びかかり(腕を負傷する)、編み針をかじり、毛糸をかじり、毛糸玉を転がしてはじゃれつく。マタタビでもやってんのかという興奮ぶり。
らちがあかないので、毛糸の切れ端を持って部屋の外に誘導し、しばしそれで遊んでやった後、階下へ投げる。猫は弾丸のようにそれを追いかける。その隙に私は部屋へ駆け戻り、「悪く思うなよ」と吐きすてて扉をきっちり閉めた。
それからもう半時間ほども、扉の外で甘い声を出しては扉を開けよと要求されている。こんなに猫に会いたがられたことがないのでいろんな意味で心が痛むが、心を鬼にして黙々と編み物を続ける。ハニートラップが効かないことを悟ると、次は恐ろしい鉤爪を立てて扉をガリガリと引掻いているのが聞こえる。
○2017/12/05
昨日、佐藤文香さんと谷川由里子さんと神保町で飲んでて、とても楽しかったし、朝起きても幸せなきもちが続いていたのだが、それはそうとして風邪を引いていたらしい。昼過ぎからいよいよ身体がつらく、すこし早退けさせてもらう。
会社を出るといい天気で、公孫樹はもうだいぶ散りかけだけど、風が吹くとさあっといっせいに葉が降ってくるのがきれいだ。晶子の歌の、金色の小さき鳥のかたちして……までいって、下句が思い出せない。
○2017/12/06
早朝、猫に部屋に押し入られる。
毛糸は衣装ケースの抽斗にしまってあるから大丈夫だろうと放っておいたら、抽斗のあたりでガリガリとする音が聞こえ、しばらくするとしんと静かになった。
不安が起こって電気をつけて見ると、猫が部屋のどこにも見当たらない。まさか、と思って抽斗を引き出すと、毛糸でぐるぐるまきになった猫がいた。
悪いことをして見つかった自覚はあるようで、「いや、あっしも気づいたらここにワープしていて、さっぱりわけがわからんのです」みたいな顔をして固まっている猫をむんずと掴んで、部屋から追い出す。
○2017/12/08
北の丸公園を歩く。
先週も同じ道を歩いたのだけど、武道館寄りの遊歩道で、ふっと桂の匂いがするのに、周りをどんなに探しても桂が見当たらない場所がある。
○2017/12/12
友達ふたりと夕飯を食べる。
最近編み物にはまってて……編み物してる間はつらいことを忘れられる……と話したら、ふたりともそのような編み物の経験があるらしく、わかるわかると言われる。
そこから発展して、ストレスがやばかったときにはまってた趣味の話になり、「数独を仕事のあいまに解きまくってたら、同じく数独が趣味の会社のおじさんに見つかって、それ以来、自分が解く前に問題をコピーして私にもくれるようになった」「何年も前からひとつだけパズルゲームのアプリを入れてて疲れたときについやっちゃうんだけど、いまステージが1400超え」などの独創的なエピソードが次々に出てきたが、一等は「紙、漉いてた。ミキサーで紙と水をドロドロにして、死んだ目で紙、漉いてた頃があった」
○2017/12/13
毛糸狂いだったのは猫だけじゃなかったらしく、気がつくと編み物のことを考えていて、仕事中も編みたくて編みたくてたまらない。
○2017/12/15
ミトンが一対編み上がる。
明日からの短歌道場の準備をしなくてはいけないのだけど、次に編むものを早く決めたくてたまらず、仕事帰りに千代田区千代田図書館に寄って片っ端から編み物の本を引っ張りだしては眺め、手芸品屋に寄って新たに編み針を買う。
○2017/12/18
短歌道場が終わった。われらがつよいズは準優勝で、海と珈琲と石井チームが優勝だった。
結成した当初からこの展開は予測してた……というか、石井チームのメンバーなんかよく知る人たちばかりで、彼らが若手の中でもトップレベルの実作者/読み手であることに疑いはないし、ほとんどのひとたちは個人的にともだちと言っても差し支えないくらいには付き合いが深いので、当然ながらわれわれも最初からガチガチに意識してはいたんだけど、けどさすがに、トーナメントのくじ引きでまともさんが1、石井さんが最後の8を引いて最後まで勝ち上がらないと対決できない展開に決まったときは「漫画かよ」と思ったし、お互いに勝ち上がって決勝戦での対決が決まったときは、頭の中にあったシナリオ通りに進みすぎて逆に嘘なのかと思った。
後で石井チームのひとたちと喋ってたら、石井チームは全部の試合で先攻、つよいズは全部の試合で後攻だったことがわかったり、あと、どちらが正解だったのかわからないけど試合中の並び順(先鋒〜大将まで順番に座るように指示されていた)が逆だったり、「そこまで対称なの?」とか言って笑ってしまった。
閉会後、廣野くんの導きで谷川電話さんと石井チームとつよいズとほか何名か居合わせたひとたちと噂の平和園に行って、そこでもまた短歌の話をたくさんして、解散して帰ってさっき家についたんだけど、ほんとにぜんぶが楽しくて、帰りの新幹線に乗ってるあいだずっとにへらにへらしてしまって、相田さんに笑われた。
0 notes
Text
日記 2017/11
2017/11/08
tanqua francaの表紙デザインがデザイナーの真田さんから届く。あまりにもすばらしくて、寝る前に何度も何度も見てしまった。
2017/11/10
作業が終わらないことへの不安からか、悪夢を見て夜中に目が覚めてしまった。リアルな、実際に起こりそうな悪夢で、夢の中で田口さんがわたしを助けてくれて起きてから田口さんにお礼を言いたくなったけど、さすがに意味がわからないだろうからやめる。
ねむれないのでともだちのことをひとりずつおもいうかべていく。今ごろねむっているだろうか。よく眠れていますようにと願っていると、みんなが眠っている時間に起きてこんなことを願っている自分は全能のような気がしてくる。
2017/11/18
ここ一、ニ週間くらいの記憶が飛び飛びで、ほぼずっとtanqua francaの制作にあたっていた。「寝食を惜しんで」という言葉があるが、まさか丸一週間以上もリアルに寝食を削ることになろうとは思わなかった。体重が結構落ちていた。
昨日、命からがら入稿し、印刷所のOKも出たので、東京文フリに並ぶらしい。
短時間睡眠の癖がついてしまったのか、朝七時に目が覚めた。
本棚で昔読んだサリンジャーとか歌集とか日本史の教科書とかを引っ張り出してベッドに寝転びながら乱読していると、ここ数週間失っていた正気や心がみしみしと音を立てて立ち上がってくるのを感じる。まともに本を読むことも数週間ぶりだった。
昼過ぎから短歌道場の打ち合わせで「つよいズ」のメンバーと会い、そのままの足で、新宿らんぶるで法橋ひらく批評会の打ち合わせに向かう。忙しさがマイクロソフトのCEOかよと思う。マイクロソフトのCEOは言いすぎた。明日は一日中寝る。
2017/11/19
一日中寝てた。
2017/11/20
夜に相田さんと神保町で会う。会うまでに時間があったので銭湯に寄る。
すごくたのしくて、結局23時をまわるまで喋ってしまったけど、明日相田さんは明日4時起きらしくて申し訳なかった。
2017/11/23
文フリに出店して一日中ブースにいた。タンカフランカはいろんな方々に手にとっていただけた。ありがたい。
出店側にまわるのは2014年5月にまみトリを出して以来なのだけど、売り子はやっぱりたのしい。たぶん短歌読者ではない方が訪れて、「表紙すげーいいっすね!今回の文フリで出るものをTwitterで検索しまくったんですけど、タンカフランカが一番表紙かっこよくて、楽しみにしてたんです!」と言ってお買上げいただいて、ラグビー選手のような体格の、強そうで、爽やかなひとだった。
2017/11/25
夜中に某氏から受賞第一作の感想をいただいて、あ、角川短歌もう出てるのかと気づく。いろんなことや時間感覚や現実感を伴う前にビュンビュン過ぎていってる感じで、自分の持っているものが四分の一くらいであれば、いっこいっこがきっと一ヶ月くらいは自分の支えになるようなできごとなのに、ぜんぶが自分をうわすべりしていくような奇妙な感覚がする。
2017/11/27
仕事の後、豊洲PITへMassive Attackのライブを観に行く。
開演まで適当にファミレスの喫煙席に入って時間をつぶすことにすると、隣り合わせた客が「骨」とか言ってゲラゲラ笑っていて、思わず耳がそちらに向く。中年女性二人と男性一人。どうやら共通の知り合いが亡くなり、その葬式の話題のようだ。
「焼き上がった骨見たらさあ、こおぉぉんなよ!(人差し指と親指でCをつくる)鶏ガラの脚よりちっちゃいの!もう笑っちゃって!」「XX(亡くなった方の配偶者?)見たら号泣してた!」「愛、残ってたのかよーー(爆笑)」……とかで、もう不謹慎とかそういうレベルじゃないし、ひどいし、むしろオカルトだし、逆にわくわくしてしまった。『キャスパー』とか『ビートルジュース』とか『アフターアワーズ』の理不尽でグロテスクでキッチュな世界の住人みたいだ。
この人たちも同じライブに行くらしい。まあMassive Attackを聴くのに9000円〜15000円も支払うやつなんか元から頭がおかしいか、多かれ少なかれラリってるんだろうから納得ではある。逆にこんな会話してて、好きな音楽はドリカム、とか���われたら、それっぽすぎて怖いだろう。店を出る段になって、会計の下三桁が666だったとかでまたゲラゲラと盛り上がっている。
Massive Attackは凄まじかった。恐ろしく政治的だし、反政府的だし、人道主義に懐疑的だし……、たぶんどこかのネットニュースの下卑た見出しをパッパッと見せていったり、「世界は繋がっている」だとかまともな神経の持ち主ならうげえってなるようなスローガンを��たすら映し続けたり、視覚的にはそういう人間の最悪の部分を浴びせ続けながら(このコラージュの手つきと、作り手側の体感を受け手に体験として手渡すという手法に、斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』を思い出したりもした)、聴覚的には、Massive Attackの音楽が流れ込んでくる。覚めて見る悪夢だ、と思った。悪夢を見ている。
豊洲駅の周辺はいかにも湾岸地帯を新興した、よそよそしくて冷たい感じで広い道が続く。駅に向かって広い道を帰っていると、事故ったらしいスポーツカーが車道に停まっていた。次々に横切っていく車のひかりをうっとりと流していて、とてもきれいだな、と思った。その白いスポーツカーは右のヘッドライト付近を強かにぶつけたらしくボンネットが左上がりに大きくひしゃげており、それがきれいな髑髏のように見えた。
0 notes
Text
日記 2017/10/19-10/31
2017/10/19 夢の中でまで歌会をしていた。 場面が変わって、夕方の踏切の前で何年も前に絶交した昔の親友にでくわして、気まずく笑って「元気?」と聞いた。何ヶ月かに一回はまだ、この子の夢を見る。
会社に行こうとしたら電車が止まっていた。にっちもさっちも、という止まり方だったので、あきらめてスープストックに入ってボルシチを食べる。
2017/10/20 毎日雨が降っていてしんどい。 今日明日と母と妹は温泉旅行、父は別邸にいるので、家には私と猫だけ。こどもみたいに浮足立って、仕事中もにこにこしてしまう。実家暮らしだと、思う存分料理できる機会は貴重だ。 家に帰ると猫がぶすったれた様子で出迎えてくれた。そそくさと着替えてひとりの食事の準備をする。リビングの大きなテレビで、YouTubeを繋いですきな音楽をかける。赤ワインを飲みながらボロネーゼを煮込む。煮込んでるあいだに牛乳とレモンでカッテージチーズを生成し、キッチンに余ってた梨を切りわけ、砕いた胡桃とオリーブ油、バルサミコ酢、塩コショウでドレッシングをつくり、レタスと水菜と和えてサラダを作る。ボロネーゼが煮詰まると、素材同士がまるで最初からこのソースの中で生まれましたみたいな顔をしはじめるので面白い。スパゲッティを茹で、ボロネーゼと粉チーズをかけて、サラダと一緒に食事とする。 サーヴァントの多くが出払っていて家に私しかいないからか、料理の最中も寝る前も猫が執拗に私に絡んできて、気が済むまで撫でてやらないと離れてくれない。
2017/10/21 土曜日。夕方から、さまよえる歌人の会。染野太朗さんの『人魚』を読む。レポーターは相田さん、太田青磁さん。 『人魚』は凄い歌集で、……感情そのものみたいに、複雑にいろいろの要素が混ざっていて、それを、うまく言えなくて悔しかった。お二人のレポートはすごく丁寧に考察されていて、聞きながら、もんやりと感じていた感触が言語化されていくのを感じた。 夜中に帰ると、母と妹が旅先から帰ってきていた。明日は相田さんの誕生日。
2017/10/22 台風が来ている。相田さんの誕生日プレゼントが決まりきらず、早い時間から街に出かけて探す。 相田さんがイヤリング狂いなのを知っているのでイヤリングを贈ることは決めていたんだけど、この世のアクセサリーショップに、イヤリングのなんと多いことか。迷いに迷って、雪みたいな白いビーズのきれいな三角形のイヤリングを買う。
誕生日会はまた、代々木の「ひつじや」。イヤリングを相田さんはすごく喜んでくれた。 私は誕生日がすごく好きで、聖なるものと思っていて、誕生日のひとはその日いちにちじゅう世界から大いに祝福されるべきだと思っているんだけど、だから、別れ際だいぶお酒入ってたし、相田さんはきれいでやさしくて強くて、相田さんにはほんとうに悪いことはきっと起こらないよ、みたいに言った気がする。そう思う。 以前の日記で「『自生地』を貸す云々のところで私からLINEしたみたいになってたけど、あれ、昼に睦月さんから来たLINEに返信しただけだから、ちゃんとそれ明記しておいてください」と相田さんから注文が入ったので、そうしておく。
2017/10/24 あほみたいに忙しいので日記書きづらい。今朝、いま手を付けてることが何も終わらないんじゃないかとパニックになって奇声を上げてたら母に叱られた。昼休みに歌を書くつもりでパソコンを持って家を出る。
2017/10/25 あるラジオのコーナーに呼んでいただき、収録だった。ラジオに出るのはじめてなのでおもしろかった。フロアにいくつもの部屋があって、そのひとつひとつがスタジオになっている。ディレクターの方に「狭いスタジオですみません。大きなスタジオは30分区切りとかでしかスケジュール空いてなかったんですよ」と言われ、あ、そんなふつうに会議室みたいなノリなんだ、と思った。
2017/10/26 夜、ゴールデン街のべるじゅらっくで歌会。最近路上歌会で知り合った藤井夏子さんが木曜日に店番をしているらしく、初めて行った。参加者は短歌プロパーじゃない、普段は小説や詩や漫画を書かれている方が大半で、短歌はあまり知らなくてもみんな文芸リテラシーが高く、すごくおもしろい批評を聞けた。 昨日発売の角川『短歌』の角川短歌賞について、Twitterでみてると反応がけっこうあって、いままでこんなに自分の作品が読まれたことなかったので、すなおにびっくりしている。作品もそうだけど、選考会についても好意的な反応が多くて、なんかもっとひどい目にあうんじゃないかとこわごわしていたので、肩の力が抜けた。 最近Evernoteに「死ぬ前に読む」というリストを作って、死ぬ前に読み返したい嬉しかった言葉を仕舞っている。作品への感想をありがたく仕舞っていく。
2017/10/28 猫に起こされて起きる。また、台風が来ていて雨。 夕方から、鯨井田村夫妻の企画で角川授賞式二次会の打ち合わせ兼飲み会。というか普通に飲み会。場所は元住吉の「おれんち」という酒場で、ここは寺山修司ゆかりの店だという。看板ねこのうにちゃんがたいそう愛らしかった。参加者に田村元、鯨井可菜子、相田奈緒、佐佐木定綱、法橋ひらく、+一名。敬称略、順は店への到着順。異様なメンバーだ。濃すぎて、それぞれのエピソードを書いていくと終わらなくなってしまうので書かないけど、とりあえず寺山が愛したというおから煮は素晴らしくおいしかった。
2017/10/29 朝から引きこもって歌を仕上げ、受賞後第一作をどうにか提出する。
2017/10/31 仕事帰りにともだちと吉祥寺オデヲンで「スイス・アーミー・マン」を観る。漂流した男とリビングデッドのサバイバル友情物語…?映画。 予告編の美しい印象を裏切って、マイナス五万点くらい下品で激しく気まずかったんだけど(しばしば目を逸らしてしまうくらいに下品だった)、映像の美しさが五万点、音楽の素晴らしさが五万点、こちらが全く想像していない方向に舵を切りまくるけど骨太で目が離せないストーリー展開五万点、死生観や愛や人間についての深い思索に十万点、「このバカテーマで逆に何でここまで全て振り切ってド名作に仕立てようとしたん?」という素朴な疑問、総合して、バグ技で測定不能のオール満点を叩き出した映画だった。 っていう、ほんとに反応に困る映画で(人と観るならなおさら)、無言で距離取ってエレベーターに乗って降りて、劇場を出た瞬間にお互い火がついたように笑いだしてしまって、人と観るもんじゃねえ!でも間違いなく今年イチだ!っつって歩いてハモニカ横丁のてきとうな店入って「ただただ強い酒を飲みたい」という気持ちで合意してウイスキーを頼んで終電近くまで喋っていた。
0 notes
Text
日記 2017/10/13 - 2017/10/18
2017/10/13 起きる。起きたときから頭にThe White Stripesの"forever for her (is over for me)"がずっと流れている。 そういえば以前、起き抜けに頭に流れている曲をEvernoteに書き留めていた時期があった。書き留めるだけで、分析をしたりどこかに発表したりとかは何もしない、無意味な趣味だった。自分の趣味としては長くも��たほうで、たしか2年くらい。このくらい無意味なほうが続くのかもしれない。
昨夜は神保町歌会だった。普段は主宰の三人で司会をまわしていて、本来は相田さん司会の回だったが、昨日はイレギュラーで伊舎堂さんが司会をやってくれた。 私は歌会の司会、すきなほうなんだけど、相田さんは苦手だという(ので、昨日は楽できたとうれしそうだった)。 上手いか下手かでいったら坂中さんがいちばん上手い。マイペースっぽくみえるのに、気づいたらみんなしゃべりたいだけしゃべってきっちり時間内���終わっている、みたいな、坂中さんはそういう不思議な舵取りをする。気遣いというか、場を見渡すのがうまいんだと思う。 歌会後、参加者の牛尾さんが『京大短歌23号』と『鴨川短歌』の行商をしてくれ、少数部しかなかったためじゃんけんで取り合いになる。じゃんけんは全員に負けてしまったが、お情けで京大短歌をゆずってもらえた。 ふと、夜の神保町の路上でこんな本気でじゃんけんまでして、みんななんでそんなに短歌好きなんだよと、不思議な気分になった。
なので今日は『京大短歌23号』を読んでいる。どのページもすごくおもしろい。
2017/10/14 夜、大学からの友人Mさんと、中野サンプラザで「仮面ライダーエグゼイド ファイナルステージ」を観に行く。
こういうのに行ったのははじめてで、なんというか、たまげた。私が一年間ずっと大好きだったひとたちが、目の前でうごいていて、生きていて、そのことを実感したいのに実感する暇もなくずっと面白くて、構成がすごく考えられていて、たのしさがインフレすぎて演られてる内容や話されてる内容がぜんぜん頭にとどまらなくて、なんか体がざるみたいで、くやしかった。
終わったあと、ふたりとも放心状態で居酒屋に入って、お互い言葉少なにぽつぽつと、来れてよかったね、と話した。作品のぜんぶを引き受けてできた舞台だったよね、とか、みんなが生きててうれしいね、とか、なんかちゃんと話せないんだけど、評論家ぶらずにお互いに感情をときどき洩らすだけの時間で、それがうれしかった。
仮面ライダーを私にすすめたのはMさんで、仮面ライダーにはまったのは、なんか、作品に嘘がないから、が、たぶん大きかったんだろうなとぼんやりおもう。
2017/10/15 朝、妹が衣替えがてら要らない服や靴を整理していて、「ほしいものがあったら持っていっていいよ」と言うので、ありがたくもらった。カーディガンやらセーターやらかなりかわいいコンバースやら十着ほど。 妹はおしゃれで、きれいな服をたくさん持っている。対して私は、きれいな服はすきだけどあまり頓着しないほうで、いまは学校に通っていて貧乏なこともあり、ファストファッションや古着の安い服をひとつの季節に一、ニ着買えばいいほうだ。譲ってもらったきれいな服をクローゼットにかけたら、おおげさに言えば可能性がすごく広がったかんじがして、きらきらしていた。
夜、さっそくもらったカーディガンを着て渋谷に行き、まともさんと大平さんと飲む。飲みつつ、大平さんと歌の評をたたかわす。読みの鋭い人と読みあうのってなんて楽しいんだろう、って、戦いながらにやにやが止まらなくなってしまう。大平さんの読みがあんまりにも良くて、負けたなと思って、負けましたと言った。
2017/10/16 起きる。雨。寒い。しんどい。 仕事帰りにムーミンショップに行って、妹への昨日の服のお礼に、牛乳瓶みたいなかわいい瓶に入ったチョコレートを買う。「いちおう、プレゼント用で」と言って包んでもらうと、なんだかりっぱな袋に入れてくれて、中身は千円くらいのお菓子なのにへんに大仰になっちゃって気恥ずかしくなった。 妹に昨日のお礼をいいつつ渡すと「くれるの!?」とびっくりされて、包みを開けたらその瓶のデザインが妹のツボに入ったみたいでかわいいかわいいと大喜びしてるので、よかった。私がもらったもののほうが多いのに、渡したお礼でこんなに喜んでくれる妹は本当にいい人なんだなと思う。
2017/10/17 昨日に引き続き寒い。12月の寒さだという。今季初のコートをひっぱりだし、マフラーを巻いて仕事に行く。 一昨日からお下がりの話ばかりしているが、そういえばこのコートももとは祖父の遺品だ。カシミヤの紺のコートで、軽く、なめらかで、暖かい。胸のうちがわに祖父の名字が刺繍されている。 やはり祖父の遺品で、もう一枚、ベージュのコートもよく着る。こちらはもうすこし嵩のある、どっしりとしたコートで、かなり暖かいのでもう少し寒くなったら出そうと思う。 祖父が二十年前に亡くなった際、まずは母が譲り受けたのだという。それを一昨年、箪笥の奥で私が偶然発見し、そのまま私のものとなった。ということでここ二年は、冬のあいだはこの二着のコートの着回しですっかり済ませている。自分ではたぶん一生かかっても手が出ないような上等のコートで、服を買うとなるといつも安物ばかりのわたしは、親族からのお下がりにずいぶん助けられている。
仕事帰りに原稿をやるつもりで、気つけに、表参道の銭湯「清水湯」に行く。評判はよく聞いていたが清水湯めちゃくちゃよかった。設備が行き届いていて、きれいで、温かいお風呂も水風呂もすばらしかった。水風呂があると、温かいお風呂と交互に入ってへいきで二時間くらいつかってしまう。それと清水湯には銭湯にはめずらしく炭酸泉があって、炭酸泉もすきなので、たぶん今後ちょこちょこ来るとおもう。 そういえばわたしは無趣味だけど、銭湯めぐりはまあまあ趣味といえなくもないかもしれない。このあいだまで住んでいた荻窪には歩いて行ける範囲に4つも5つも銭湯や温泉施設があって、だいたい週に1-2回は銭湯に通っていた。暇な休日とかほかに何もしなくても、銭湯に行くと「銭湯に行った」という実績ができて、全くの無為ではなかったという救いになっていた。今住んでいる場所のまわりには銭湯がないため一日を無為に過ごしがちで、無為に過ごすと精神がだめになってしまうので、ちょこちょこ開拓しはじめないといけない。
2017/10/18 仕事は休み。溜まってた短歌関係の仕事をもろもろ進め、部屋を整理する。 夜、出張に行っていた父が土産に鰻を買って帰る。私はずいぶん前から鰻を食べないことにしているので、今度から私の分は要らないと伝えて手を付けない。 母はもともと鰻が好物でなく、妹もそれほど得意でないのに加えて私と同様に昨今の環境問題を気にかけているためか、微妙な顔をしていた。静岡の、たぶん評判の店で買ったであろう鰻は、結局、父以外からはほとんど手が伸びなかった。 父は心外そうに「もうお前らには買ってこない」とぶつぶつ言っていた。それでいい、し、そうしてほしいと思って言ったのだが、心が痛んだ。 父は人格的に問題が多い人間で、これまでに彼から受けた差別や、侮辱や、暴言や理不尽を私は許さないけれど、一方で、今回の不幸の発端は浅慮ではあっても悪ではなかった。父には、鰻を買っていったら私たちが喜ぶという思い込みがあったのだろう。鰻は昔、私の好物だった。
ひとりよがりであっても善意は善意で、誰も受け取れなかった善意のゆきばと余ってしまった鰻のことを思うと、悲しさが込み上げた。
0 notes
Text
日記 2017/10/05 - 2017/10/11
2017/10/05
夜、部屋にひとりいて苦しくなると香水をつける、のは、べつにかっこつけてるわけじゃなくて香水の匂いを嗅ぐとすこし安心するからだ。
昔連れられて行った教会みたいなにおいがする。はじめて香水をつけてからもう十年ほど、同じものを使い続けているけど、ずいぶん前に廃番になっているから次はもう手に入らないかもしれないとおもう。
寝て起きて、会社に行く。体調が悪く、人事部のひとから頭痛薬をもらう。上司に書類持っていったときに、顔色が悪かったのか「風邪でもひいた?」と聞かれ、「あーなんか体調悪くて、すみません」と、笑顔で言うことができる。
定時まで働いて、定時ぴったりに帰る。身体がしんどくて電車の中で寝る。降りる駅で気づいたら隣の女の子に思い切り倚りかかっていた。すみません、と小声で言ったけど女の子はゲーム機に熱中していて気付かない。あ、なんだろうこれ、ありがたいな、と思う。もう一度会釈して電車を降りる。女の子は一度もこちらを向かない。
2017/10/07
土曜日。原稿やらやろうと思いつつ、あんまりしない。
夜すこし電話をする。電話をすると猫が絡みついてくる。
「猫が飼い主を構うのは、自分が飼い主と同じ目に遭うって警戒してるかららしい」「だから電話中に猫がやたらうるさくするのは、自分も電話しなくちゃいけないんだって警戒してるからだろう」ということを、先週べつのともだちに電話してるときにやっぱり猫に絡まれてて、いわれた。そうなのか、ってそのときは納得したけど、文字にしたらすごくなんか…あほらしい。左足をひどく引っ掻かれる。
2017/10/08
階下から猫の呼ぶ声がして起きる。夕方から斎藤見咲子ちゃん主催の「ごきげん歌会���。
渋谷に向かう電車で、子どもの声がすこし騒がしい方を見ると母子がいて、まだ言葉もおぼつかなそうな年齢の子が落ち着きなく動き回っていた。
その子と目があい、おもわずへらっと笑ってみると、向こうが顔を輝かせて笑みを返し、はずかしそうに母親の影に隠れた。かと思えばその後も何度も顔を出してはこちらに満面の笑みで目線を送ってくる。(ファンサかよ)と思いつつ私も引きどきがわからなくなってしまって、結局その母子が途中駅で降りるまで、子から目線を送られる→にこっとする→子、笑って隠れる、のサイクルを何回も繰り返した。この子、人生生きやすそうだなと思う。
歌会は面白い詠草が集まっていた。歌会後、公園通りのタパスタパスで二次会をする。公園通りのタパスタパスはいつのまにか禁煙になっていた。ここで毎年ガルマンの忘年会をするんだけど、もうできないな、と思う。相田さんが谷川さんにそのことをDMしていた。
2017/10/09
夕方から友だちの家に行く。先月、受賞のお祝いをしてくれた友だち二人と、大学時代からの友人Mさんとを引き合わせて、Mさんからハイローを布教されるの会。
Mさんは私の知ってるかぎりいちばん頭が良くていちばんバカでにばんめくらいにめんどくさいひとで、私はMさんのことが大好きだ。
大学に入って最初に取った生命情報科学の授業で同じグループになって、それからの付き合いだから、なんだかんだ8年も一緒にいることになる。8年。書き出してみて、そんなに経ってると思ってなかったのでびっくりした。まだ小学生だった従弟がいつのまにか成人してた、ほどの年月なのに、わたしたちは特に変わらずに、映画やら音楽やらの話をしている。ちょっとぞっとするけど、そんなもんか、とも思う。
まだ仲良くなってから一年くらいしか経ってないともだちを幼少期から知ってるような気がして、八年とか二十年とかのともだちを、一週間前に知り合ったような気がする。そんなもんなのかもしれない。
2017/10/10
起きる。会社に行こうとして玄関を出ると、庭の花壇がちょっとわっとするくらいきれいで、花は一日二日で咲いたわけじゃないんだから昨日もおとといもこんなかんじだっただろうに、なんにも見えてないんだなとおもう。
今日はすごくあつい。
仕事でちょっとみじめな気持ちになることがあって、お昼休み、皇居のまえのだだっぴろくてさえぎるものが何もない通りで日を浴びながらお弁当をたべる。ピクニックがしたいなとおもう。それから、誰かともだちと、ふたりでお金を出しあって一枚の宝くじを買って、わくわくしながらそれからの日々を過ごして当選発表の日にはふたりで集まって新聞を買って当選発表を見たらやっぱりはずれてて超笑って帰りにソフトクリームとか食べたい。でも、当たってたらどうしよう。老後にふたりで暮らす家、とか建てたい。
2017/10/11
仕事は休み。
名前だけよく見るようになってでもそれが何かわからないものを、いつまでわからないままいれるか、という遊びをたまにする。一人たほいやみたいな。たほいや、やったことないけど。
最近までのお題は「サチモス」だった。
「サチモス」という名詞がTLで散見されるようになったのが今年の6月くらいで、最初の頃は北欧のおしゃれ鍋とかのブランドかな、と推理していた。日本の音楽グループであることがわかったのが8月上旬。これは完全に事故で、TLでみかけた「ヨンス」という名前が気になってググったら繋がってしまったのだった。
それ以降は「サチモスの音楽を聴いたことがない」状態を貫いてきたのだけど、先日それをようやく破った。今橋愛さんと花山周子さんのブログで、今橋さんが花山さんの文章について「サチモスの"ステイチューン"のPVをおもいました」と書いていて(http://shuhuken.blog.fc2.com/blog-entry-6.html?sp)、ここが潮時だと思い、花山さんの文を読むまえにYouTubeでPVを観た。聴いたことのある曲だった。サチモス、ヨンス、ステイチューン、という、ばらばらに存在していた3つの要素が四ヶ月近くかけてようやく一本につながった。良いきぶんだった。
夜、小学校からの友人と会う。友人は先月誕生日で、そのお祝いに、ラーメンをおごり、ロフトに連れてって「好きなものを好きなだけ、千円分買え」という極めて雑な方法でお祝いをする。友人はちょっと迷って、普段そういうの買わないからと、ヘアケア商品を一緒に選ぶ。千円から足が出たぶんは友人が出してくれた。
下りのエスカレーターで、「誕生日って9/21…だったっけ」「うわー、そう思ってんならそれでいいよ」「待って、じゃあ9/17でしょ」「そう そっちは1/4?3だっけ?」「4」という会話をして笑う。
0 notes
Text
日記 2017/09/30-10/04
2017/09/30 起きる。土曜日。うれしい。斎藤見咲子ちゃんが「ごきげん歌会」っていうのやるってTwitterで流れてきて、ごきげん歌会って名前いかれてんな、とおもう。参加を申し込む。
今日はどこにも行かずに、部屋で歌を作る。
2017/10/01 階下から猫の呼ぶ声が聞こえて起きる。日曜日。うれしい。ドアを開けて猫を入れてやる。 午前、Twitterで流れてきてなんとなく目にとまった武術家のドキュメンタリー映画を観る。 「あくがれ(憧れ)」という言葉は古来、心が体から離れてさまよう、うわの空になるといった意味だったそうだ。水原紫苑さんは和泉式部を「あくがれの歌人」と呼んでいたけれど、歌人にはそういう、心がかってにふらっと散歩にいってしまうかんじの人が多いと思う。 武術家やアスリート、それから意外と舞台俳優や歌舞伎役者といった分野で一流の人たちを見ると、魂魄一体、肉体のすみずみにまで精神が満ちみちているように思えて、たたずまいからもう圧倒されてしまう。彼らはどのように、世界を体験しているのだろうか。
夜、赤坂の書店「双子のライオン堂」にて「染野太朗×花山周子トークショー(書肆侃侃房フェア記念) 」に参加。とても面白く、優しく、安心できる空間だった。 正岡子規の「藤の花房」の歌について、ほとんど常にセットで語られるこの時期の子規の病状と、臥せっていることによる視線の低さ、という"物語"に花山さんが強く違和感を表明し、「アララギ的な読みを遡って適用する必要はない」「物語を付随させることが、子規の活き活きとした描写の歌を読めなくさせている」ということを言われていて、はっとした。あまりにも当然のようにセットで語られているので、いままで疑ったことさえなかったが、その通りだ。 イベント後、残った何人かでサイゼリヤに入って食事をする。花山さんが島に行きたい、船旅がしたいとこのところずっと思っていると言い、「でもあるとき気づいたんだよ。私、島にいるじゃん」「島? って、」「うん、島国、ここ」と言われて、あ、花山さんはやっぱスケールが違うと心底思った。
2017/10/02 会社に行く。 夜から某イベントの打ち合わせで人と会い、打ち合わせののち、雨の代々木公園を散歩する。なんかずっと笑ってた気がする。
2017/10/03 四時くらいに目が覚めてしまい、そこから再び寝付けなくなる。水を飲もうと思い階下に降りると、寝ている母に「大丈夫?」と声をかけられる。よくわからないままうん、と応えると「足まだ痛む?治らない?」と続く。これは。このあいだから足を怪我してる猫と私とが寝ぼけてごっちゃになってるな、と気づき、そっとしておく。水を飲む。 少し寝直して、会社に行く。朝からなんか喉がイガイガして風邪かなと思ったけど、よく考えると、昨日喋りすぎたんだった。
2017/10/04 会社は休み。 夕方に妹が帰ってくる。食事をする。テレビでワイドショーがついていて、暴走族(いまは珍走団と言うんだそうだ)の映像が流れる。母が「今はこういう暴走族って、だいたいおじさんばっかりなんだって。若い子はお金がないから」と言う。なんか、日本って貧しいんだなとそういうレベルで実感してしまう。
0 notes
Text
日記 2017/09/25-29
2017/09/25 会社に行く。帰る。帰りに買う、除光液。むだに倒置法を使う、書くことがとくにないので。 夜、少し熱を出す。
2017/09/26 起きる。夜にともだちと会うので早めに起きて準備する。熱は下がっていた。 石川信雄『シネマ』を持って会社に行く。
一日ぢゆう歩きまはつて知人(しりびと)にひとりも遇はぬよき街なり 石川信雄『シネマ』
でも私はけっこう、街で偶然人と会って驚きあってすこし喋って別れるだけの、あのスパークみたいな時間好きだ、とおもう。
夕方にともだちと落ち合って日比谷公園を散歩する。 日比谷公園は去年のクリスマスに相田さんとクリスマスマーケットに来て以来だ。クリスマスマーケットのない夜の日比谷公園は見通しが良くてきれいだった。キンモクセイの匂いをたどって木を探した。 ともだちに教えられて空を見上げると、真っ白な鳥が群れ飛んでいた。それがあんまり白くて、立体感がなくて、式神が飛んでるのを見るような奇妙な感覚がした。夜の8時頃に飛んでたあれは、なんだったんだろう。 生物の群れの動きのアルゴリズムを研究する群知能という領域があって、とある群鳥のシミュレーションモデルでは、集合・離散・整列の3つの単純な動作の繰り返しが基礎をなしている。 これがとても良く出来ていて、たまにこのシミュレーションをするだけのサンプルプログラムを動かしてはぼーっと眺めてたりするんだけど、話をしながらそのモデル名が思い出せなかった。帰ってから思い出した。「ボイド」だ。 ボイド(人工生命) - Wikipedia
2017/09/27 起きる。昨夜あんまりお酒飲んでないのに、見た夢が飲み会の夢で、目覚めた瞬間にものすごい二日酔い感があった。起きてしばらくしたら普通に戻った。
昨夜、帰りぎわに「いまいるひとたち以上に、短歌の話を深くできる関係ってこれからできると思う?」と聞かれたことを思い出す。それは、わからないけど、それよりもいまわたしのまわりにいるひとたちが誰も欠けないでほしい、永遠に誰も死なないでほしいと、そのときはそう言って、今朝、もう一度強くそう思う。
夜、相田さんと『里』の俳人の田中惣一郎さんと代々木の「ひつじや」で会う。田中さんとは同い年で、最近ともだちになった。 ひつじやはすごく良かった。チュニジアを中心とした多国籍料理のビストロで、料理おいしいし、お酒安いし、あまり馴染みのない国のビールやワインがたくさん置いてあって、ワインリストを読んでるだけで時間が過ぎてしまいそうだった。 先週相田さんに福田若之『自生地』を押し付けて、田中さんももちろん読んでいたので、『自生地』の話をする。『自生地』の半ばに真っ黒な頁があるのだけど、相田さんに貸したとき即その頁を開いて読んでたの、実はちょっと引いた、だって変な頁があるなあとは思っても最初から読むじゃんと言って責め立てる。すると相田さんに「これ言うと怒ると思うけど、ミステリ以外は先にあとがき読んじゃうし、葛原妙子の全歌集、索引眺めて初句のいいのを読みに行くことある」と言われる。怒らないけど、いみわかんない、と言う。 ひつじやを出るとまだ20時半だったので、新宿まで歩いて、田中さんが前に連れてってもらったという文壇バーに入る。文壇バーってはじめてで、主に財布の中身のことを考えてどきどきしていたら、入るなり田中さんがマスターに「Kさん(大御所)のキープって飲んでいいですか?」と聞いてびびる。しかも快く出してもらう。Kさんと田中さんにありがたがって飲む。 高校時代の話とか古今東西の変な映画とか薬理作用の話とかで盛り上がり、出る頃にはKさんのお酒はんぶんくらい飲んでしまって笑う。笑ったあとに怖くなって、またちょっと笑う。それを見たマスターに「いいのいいの、あの人稼いでるんだから。大人が稼いだお金で若者が飲む、そういうふうに循環してるの」と、バンッ、と言われて、そうかこれが文壇バーか、と感動した。 でもKさん、今後の人生でお会いすることがもしあれば、にせんえんくらい渡します、と心に誓って、帰る。
2017/09/28 起きると昨夜からの大雨が続いている。廊下で猫とすれ違う。雨の日はいつも不機嫌なので、軽く撫でるだけであとはあまり構わないでおく。会社に行く。 夜、すこし相談がありともだちに電話をする。電話をしてると猫が寄り付いてきて会話に混じろうとするので困る。30分の会話のあいだに3回咬まれる。
2017/09/29 すごく悲しい夢を見て目が覚める。リビングに下りると母も猫もいない。そういえば動物病院に連れて行くって言ってたな、と思い出す。 億劫がって髪をきちんと乾かさずに寝たので、前髪にひどく寝癖がついている。ドライヤーと水で寝癖を直す。 受賞の言葉がずっとうまく書けなくて、とうとう〆切の日になってしまった。ポメラDM100を持って家を出る。 久しぶりに取り出したポメラには、プレミアムモルツのポイントシールがなぜか一枚貼ってあった。七月にやった百首合宿でともだちに貸したから、そのだれかの仕業かな、と思う。もしかしたら誰かにシールもらって、いらないよって笑いながら自分で貼ったんだったかな。百首合宿が、あれはほんとうに楽しくてうれしかったことが蘇ってきて、気分がすこし回復する。 悩んでいた受賞の言葉は夕方にかちっと回路にはまり、そこからはすぐに仕上がった。7時頃に編集部にメールを送り、簡単にパスタを作って夕食をすませる。
0 notes
Text
日記 2017/09/21-24
2017/09/21 会社に行く。福田若之『自生地』、なんとなく中央線っぽいなあと思って読んでたら、途中で国分寺の話がでてきて、あ、やっぱりとおもう。この句集は結構いろいろな都内のマイナーな地名が出てくるから、べつにそういうわけじゃないんだけど、国分寺という地霊感、はすごくしっくりくる。 昼休み、善く生きるとはなにかとか考えながら外歩いてたら前から会社のひとが歩いてきて、すこし雑談して、トマトジュースもらった。 2017/09/22 階下から飼い猫が呼ぶ声が聞こえて起きる。会社に行く。 パートタイムで働いてるので16時には仕事が終わる。そのまま帰ってしまうと夜が長くて無為でつかれてしまうので、ファミレスかどこかでやるつもりで、高校数学の参考書を持って家を出る。 福田若之『自生地』、そろそろ読み終わるがもったいないが早く読み終わって誰かとわーっと感想を言いたい、誰かにこの本を貸したい、と思ってたら昼休みのあいだに読み終わってしまった。 退社し、サイゼリヤに入って白ワインを飲みつつ数Ⅰを解く。ありがちな話だけど、隣にいた大学生男女がうるさかった。男の子のほうが女の子に迫ってて、性的な話題を繰り出しつつ隙あらば女の子にべたべた触ろうとしていて、女の子のほうも彼氏がいることを言いつつわりと「え〜」とか言いながら応じてて、うぜー、だったんだけどそういううざい話を聞く能力と数学を解く能力とは脳の違うところを使っているようで、勉強はかなりはかどった。どうせあなたたちこのあと「家近いんだけど、来る?」みたいな話になって行っちゃうんだろうよ、早く行きなさいよ、ということをもうすこし汚い言葉で脳内に毒づいていたところ、予想外に女の子のガードが堅く、男の子の「男に飲みに誘われたとして〜、二人で行くことある!?」っていう見え見えの誘い文句に「え〜♡一切行かないですね♡♡」ってハートマークいっぱいつけて返してたところで、強い、と思ってその女の子のこと好きになってしまった。 こういう、男女関係の非対称構造がある話を聞くのも書くのもダルくてやなんだけど、それはそれとして、現状どうしてもあるその規格の中で強く振る舞うひと、を見るとやっぱりちょっとかっこいいと思ってしまう。聞き耳を立ててたわけではないが、立ててたのかな、でもテーブルが近くてどうしても会話がぜんぶ聞こえてきてしまうので、隣が頼んだサラミの皿がまちがってわたしのテーブルにきたときに参考書から顔も上げずに「あ、そっちです」と断言してしまって、言った瞬間にはっとなって隣のテーブルもはっとなって店員さんだけえってなって、死にたかった。この世に居場所がなかった。この二人に後でなんて言われるのかひどい想像ばかりが膨らんで、ますます数式を解く手が早くなった。久しぶりに触れる数学はたのしい。数学はわたしと別れた後にわたしの悪口を言ったりしないとおもう。 隣の男女はその後、女の子のほうが「彼氏が迎えにくるかもー」というジャブを繰り出して、男の子のほうもそれで諦めて「なんかごめんね…」とかなんとか言って意外とあっさり帰った。なんか勝った、と思った。ワインをもうすこし頼む。
彼らが帰ると途端に数学への情熱が薄れ、Twitterをだらだら見たりする。それからしばらくして相田さんからLINEが来る。相田さんに『自生地』読んでほしいからどっかで押し付けにいっていい?と聞くと、なんだかんだあり今から神保町で会うことになって、会いに行く。 2017/09/23 寝ている私のお腹に飼い猫が乗ってきて目が覚める。猫、最近このスタイルで人を起こすことを気に入っているらしい。猫を乗せた��ま二度寝。二時間ほど後、家族中が猫を探し回っていて、私の部屋にも探しに来たが、見たところいないのでいないと答えて追い返すと、部屋のどこからともなく猫があらわれる。やっぱりうちにいた、と言って、母に猫を引き渡す。 受賞の写真を撮りに写真館に行く。プロはすごいな、という気持ちで楽しかったのだけど、あんまりきれいに撮れてるので気恥ずかしい。家に帰ってだらだらし続け、夜に「いいぞもつとやれ」を聞く。 2017/09/24 葛原妙子を夢に見た。私は葛原と合宿か何かで同じ広間で寝泊まりしていた。「葛原さん、寝ているとき静かすぎて不安になります」と私は言った。 午後から出かける。今日は数少ない、歌人ではないともだち二人に会う。先日彼らから招待状が送られてきた。

以前わたしが派遣で行ってた出版系の会社で知り合ったひとたちで、みんな酒呑みなことと性格的にも妙に馬が合うところがあって、会社がばらばらになってからも一、二ヶ月に一回は会っている。優しくておもしろくてよく気の回る、私にはもったいないほどのひとたちなのだが、さすがにこの「受賞記念パーティー」はびっくりした。いまのところ集合場所と時間と「パーティだから、ちゃんとドレスアップしてくること!」しか伝えられておらず、何が起こるのか楽しみであり不安である。アメリカのティーン映画の主人公ならこういうサプライズパーティに慣れてるのかもしれないけど、残念ながら暗い学生時代を送り、アメリカのティーン映画といえば『キャリー』だった私は、キャリーだったら豚の血被るやつじゃんとか思ってしまう。もちろん彼らはそんなことしない。一瞬でもそんな卑屈なことを想像する自分が恥ずかしい。 いつも二人にはいろいろよくしてもらってるし、二人にプレゼントを買おうと思って、プレゼントを買う。プレゼントを持って電車に乗る。 * ものすごいお祝いしてもらったし豚の血も被らなかった。すごい準備してくれてた。すごい。



2 notes
·
View notes
Text
感情のバッファオーバーフロー
「たのしい」とか「かわいい」とかの感情、理屈で言いづらいぶんその処理が苦手らしく、たのしかった歌会のあと家に帰ってから感情がぐしゃぐしゃになってきてこんな真夜中に
— 睦月都 (@xen_00)
2017年8月21日
この感情がなんとなく尾を引いてる。
悲しい、とか苦しい、あるいは嬉しい、といった感情は、程度にもよるが割とコントロール可能かつ上限値が見えやすいものだと思っていて、 対してここに挙げた「楽しい」「かわいい」、負の方面で言うなら「つらい」は衝動的で少量でも制御がむずかしく、無限に膨れ上がってしまいそうなこわさがある。
映画の中で両親が子供を「cookie」「peanuts」って呼ぶのが不思議で、以前留学生に理由をきいてみたことがある。可愛くて離せない、止められない、止まらない、という想いで呼んでるらしい。日本だと、かっぱえびせん、と呼ぶしかないよねーって言われたのが今でも忘れない。
— たにまの (@1eiri0n)
2017年8月19日
数日前にバズってたツイートだけど、つまりこういう「止められない、止まらない」感情がわたしにはこわい。いきものに対して「止められない、止まらない」感情が一瞬でも湧くことが、わたしにはとても怖くて、わたしはその瞬間に自分が何をしでかすのかわからないというか、それ以前にそういう感情をわたしが持つこと自体が暴力のように感じる。 一般的な両親がその感情の次の瞬間に取る行動は、抱きしめたり、キスをしたり、そういう相手を傷つけない愛情表現になるんだろうということはわたしも映画とかで知っていて、なのでこのツイートもいっぽうで微笑ましいのだけど。
「楽しい」も一種の状態異常だと思う。その場が楽しいのは良い状態なのだけど、度が過ぎるとなんらかの暴力のけはいを感じる。そこまで行かなくても、普段の自分からは考えられないような振る舞いをしたりして、後ですごくはずかしくなったりするし、それだけでもとてもこわい。
それと「かわいい」とか「楽しい」は単純につかれる。感情の波の振幅が平常時に5とかだとすると、「かわいい」とか「楽しい」は瞬間的に万くらい爆発的に出て、その後もしばらくは百や二百の大きな振幅が持続する。 想像だけど、感情にもたぶん恒常性があって、こういう異常があると負のフィードバック作用がはたらいてその振幅を小さく戻そうとするんじゃないか。そうすると負のフィードバックに精神のリソースが割かれまくるので、とてもつかれる。
15歳から23歳くらいまで、鬱と睡眠障害と乖離性障害で精神科通いだった。 「思春期は感情の形成に大事な時期」みたいなことを聞くけど、つまりわたしの思春期に形成された感情はほとんど「虚無感」とかだったんだろう。 病気が寛解してからほんとにバリエーション豊かに感情を感じるようになって、いまだにいろんな感情が新鮮に感じる。「言葉としては知ってたけど、悔しいって感情はこれか!」みたいなことがほんとによくある。 10代の頃、しんどくてつっぷしながら考えていたことのひとつに「幸せって何だろう」というのがあるんだけど、これは何のレトリックも含まない、そのままの意味で、一瞬でも幸せ、という状態になったことがないので、その言葉の意味が分からなかった。「想像するのよ。ジョンも歌ってる」というのはその時期によく読んでたジョージ朝倉『平凡ポンチ』の冒頭のモノローグだけど、全く知らないものは想像できなかった。
この半年か一年くらい、なんか普通に幸せだなー、みたいな気持ちで過ごしている。毎日穏やかで満たされてとっても幸せ、とまではいえないけど、週七日のうち五日くらいはおおむね機嫌よく過ごしてるし、ともだちって呼んでも気分を害されなさそうな人がいてくれて、仕事をして、勉強をして、歌を書いて、夜や休日はともだち・・わたしの好きなひとたちがわたしと遊んでくれる。数年前だったら想像もつかなかっただろう。べつの人の人生だと思うかもしれない。
精神も身体もようやく人並みに健康になって、いまはわたしの内部で、本来の納期からだいぶ遅れた突貫工事で感情が作られてるところなのかもしれない。 だからたまにバグって、大量の正の感情がそれ以上に大量の負の感情を引き起こしてバッファオーバーフローする、みたいなことが起こりがちだけど、そういうのも順次パッチが当っていくのかもしれないと思う。何れにせよ、たぶん私はもうけっこう大丈夫なんだろうと思ってる。
0 notes
Text
台湾料理屋
停電あったでしょ、だから今日はお客さん来ないよ、とおばちゃんは言った。確かにいつもお客さんでぎゅうぎゅうになってる狭い店内が、今日は私と店主のおばちゃんだけだった。 仕事が終わってから週末の勉強会に向けて資料を読み込み、22時をまわっていいかげん空腹だったので近所の台湾料理屋に行った。ピータン豆腐をつまみに瓶ビールを飲んでいると、おばちゃんが隣に座って、いろいろとしゃべりかけてくる。台湾出身、在日三十年で話し好きのおばちゃんがいつも話すことは主に、うちのお店はうまい、うまくてすごい、という話なんだけど、今日は妙にしかめっ面をして、「もしかしたら来月ここにいないかも」などという。どうして、と聞いたら、なん��も土地の大家さんが変わって、それから家賃を上げるか立ち退くかという話になったと。三年前から裁判をしていて、その行方がどうなるかわからないという。怒り心頭の様子で裁判の詳細を喋ってくれて、確かにひどい話だねえ、などと同調して聞く。
しばらくするともう一人お客さんが入ってきた。「もー、お腹ペコペコよ」と言って扉を開けたのは、五十過ぎくらいの、おかっぱ頭で水玉のシャツを着た女だった。 ひとつふたつ注文したあと、仕事の電話を掛けだす。スタジオって電波が入らなくて、とか、あのグループの音楽は本当に素晴らしいからぜひ立ててあげ���いの、とか言っている。マスコミ関係だろうか。電話を切って、ふっとこちらを向いて「ごめんなさいね」と私たちに謝る。いつもだったら店内の電話は嫌なのに、そのひとのパワフルで優雅な雰囲気にのまれてしまって、いいえ、ぜんぜん、とするっと答えてしまった。 おばちゃんは、この女にも停電の話をふる。ああ、あれびっくりしたわね、と会話が続く。
私が二本目のビールと香菜麺を平らげる頃、「まだ大丈夫?」と一人のサラリーマンが入ってきた。まだ大丈夫かなんて、このお店は深夜2時すぎまでやっていることを私は知っている。 「いやあ、20年ぶりに来たんだ!新卒で入社した頃にこの町にいたんだけど、転勤になって、それから長いこと岡山にいてね。今朝、この町に帰ってきたんだ。失礼だけどこの店がなくなってるんじゃないかと不安だったよ。大根餅がおいしかったなと思ってね」とまくしたてるように喋る男は、けれども、落ち着いた声音だった。男はビールと大根餅を頼んだ。 「あんた覚えてるよ、太っても禿げてもないからね、すぐわかったよ!」と笑うおばちゃんは、本当に覚えてるのかは怪しいものだが、予期せぬ来客に満足そうだった。 店のテレビに新座発電所の映像が映った。今日停電あったでしょ、とやはりおばちゃんは言ったが、もう「お客さんが来ない」とは言わなかった。見ず知らずのわたしたちは、あの停電なんだったのかしら、なんか発電所から煙が出たみたいですよ、だとか話した。男がビールを私にも分けてくれようとしたが断った。ふだんあまり知らない人と喋らないわたしは、なんだかこんな短編小説みたいな夜もあるんだなあと思いながら、お会計をして、ふわふわとまた家に帰った。
0 notes
Text
20160606
昨日、学会参加のため福岡に入る。新幹線で5時間は結構、しんどい。途中で京都だの広島だの、途中駅というにはあまりに大きい都市をつぎつぎ越していくので、なんだか落ち着かない気持ちになる。
昼過ぎに博多着。地下鉄で天神駅に移動し、前日にかもちゃんと鯨井ちゃんが別々におすすめしてくれた新三浦に行き、鶏の水炊きを食べる。とんでもなくおいしかった。つゆ一滴残さず飲み干してしまった。雰囲気もよく、また行きたい。
天神駅のまわりを散歩していると、「本とビールと焼酎」と看板にある洒落たバラックを見かけて、入る。下北沢のB&Bの系列で、オープンしたばかりのようだった。壁に西崎憲さんの言葉が書かれていて、知っている名前に驚くとともにほっとする。雰囲気も選書も素敵でもっと滞在したかったのだけど、あまり時間がなく残念。
博多駅に戻り、山下翔さんと落ち合う。山下さんとはこれが初対面。歌壇のことなど話す。なんの話の流れだったか「岡井隆さんとサイクリングがしたい」と言っていて、理由を聞いたら「自転車の歌がよかったから」と。岡井隆の自転車の歌……、思いつかない。帰ったら全集を読み返そう。 山下さんはとても穏やかに話される方だったが、お酒を飲むと結構暴れる、という。3月頃にしたという飲み会の写真を見せてくれた。寺井龍哉さんのうしろで山下さんがゴヤのサトゥルヌスみたいな顔をしてる、もので、これ何してるんですか、と聞くと、齧りついてます、と答えが返ってきた。とても良い写真でほしかったんだけど、どうも気恥ずかしくて言い出せなく、心残り。
夜、ホテルまで移動。部屋に着くとどっと疲れが出て、しばらく倒れこむ。頭痛がしてきて、持っていなかったので、頭痛薬を買いに出かける。小雨が降っていたけど、誰も傘を差していなかった。それから商店街の定食屋で胡麻サバとビールを頼む。旅先は心細くて、楽しいけど、どうにもつらい気持ちがこのあたりから増幅してくる。回復しないまま、就寝。
0 notes
Text
読みと作りと読まれること――正岡豊さんへの個人的な返答
ちょっとしたご縁があり、正岡豊さんにネットプリント「一月一日」を読んでいただくことがありました。たいへんうれしく、またいろいろと考える機会になりましたので、拙いながらまとめておきます。
「かばん」の睦月都さんから、佐々木朔さんと二人で出している「一月一日」というネットプリントのバックナンバーのファイルのリンクをもらったので、家でプリントしてみた。二号めは9枚もあるので完読はしていないが、睦月都さんの短歌作品におもしろく感じるところがあったので、少し書いてみます。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
合歓の花いづこより湧く われは夜半醒めて沼地をただよひてゐる/睦月都 (「一月一日」vol1) 薔薇食めば薔薇に骨あり骨吐けば銀河宇宙や食はさびしゑ/睦月都 (「一月一日」vol2) 二首くらいではわかりにくいだろうが、自分の所属する世代の現実感よりも一種の「美学」を先行→
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
させる歌い方をしていて、他にもこういう人はいるのだろうけど私はあんまり目にすることがないので、ほう、と思ったりした。「自分の所属する世代の現実感」というのはそんなに複雑なものではない。私の感覚ではおおざっぱだが、男性なら「就職活動でエントリーシートを作ること」か、→
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
「年老いた父母(むろん「母父」ではない)の介護をすること」がそうである。女性の場合はよくわからないが、日本なり世界なりでの原子力発電所の是非をめぐる問題に代表されるようなソーシャルな課題に意識や活動の点でコミットする、ということのように思えたりはする。→
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
複雑でないと言いながら複雑なような書き方かも。つまり名前も何も知らない人の短歌作品でも、あ、この人はエントリーシート書くような人なんだ、この人は介護とかする人なんだ、ということを作品の優劣や個性よりも先に私なら私に感じさせてしまう、というようなことである。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
もう少しわかりにくいかもしれないことを書くと、一首の短歌が作品というよりはその作者の「能力」のようなものとして意識、認識されているように感じられるということである。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
上手に編み物をしたり、パスタの方からフォークにからみついてくるように手際よくスパゲッティを食べたりすることを人は「能力」とは言わないが、個人個人のそうしたものが、どこかで「能力」になるような感覚の中に私はいるような気はする。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
睦月さんの歌に話を戻して。「美学」とさっき書いたけれども、ここでの私の使用法はそんなに厳密なものではない。(とか釈明しなくてもほとんど嫁さんのさき以外にはツイッターで書いたことを、「あれはどういうこと?」とか聞かれたりはしないので、書かなくてもいいのかもとも思うけど。)
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
ただ「美学」なり「美」というなりしても、それは形而上を根拠としているとは私は思わなくて、「市場」や「流通」といった経済面が根拠にあるようには思っている。美しいものやこと、は売れるものやこと、なのだと思う。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
単純な言い方をすれば、「『美学』を先行させているような書法で詠まれた短歌」を読むと、今の私はどこかで「ほっとする」ということなのかもしれない。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
長嶋有の『愛のようだ』は、頭の中で世代別ウィキペディアを常に書き続けているような主人公が、いたいけのないかけがえなさを捕まえてゆく、というような話なのだが、実際小説中で出てくる��田民生の「さすらい」という歌を、→
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
書かれてあるように40歳代以下ならだれでも歌えるのかと思って10歳違いの嫁さんや会社のそれ以下の世代の人間に聞いてみたらものの見事にみんな歌えるのでふーん、と思った。(私は歌えません)それはそれで私はとてもめんどくさい時代のように思える。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
長々と書いた割には結論みたいなものはないわけですが。昔正木ゆう子が高山れおなの初期の俳句について書いた文の中に「有季にしろ無季にしろ、意識的であるほうがいいに決まっている」という部分があって、私が言いたいのはつまりそういうことなのかもしれませんな。ではでは。
— 正岡豊 (@haikuzara)
2016年4月26日
正岡さんがおっしゃっている「エントリーシートを書く人、介護をする人」と「上手に編み物をしたり、パスタの方からフォークにからみついてくるように手際よくスパゲッティを食べたりすること」ってなんだろうと考えたとき、自己認識と自己表出、それから自分では無意識だけれど他者の目に映る「私」ということなのかな、と思った。
「エントリーシートを書く人」や「介護をする人」というのは、自己認識、自己表出可能な「私」だと言える。歌において「私はエントリーシートを書く人だ」とは言わないけど(生活でも言わないか)、たとえば「白紙のままのエントリーシート」とか、介護なら「食ほそき母の昼餉を」とか、適当に書きましたが、おそらくそういう感じ。 そうすると正岡さんは”この人はエントリーシート書くような人なんだ、この人は介護とかする人なんだ、ということを作品の優劣や個性よりも先に私なら私に感じさせてしまう”という。
それから”上手に編み物をしたり、パスタの方からフォークにからみついてくるように手際よくスパゲッティを食べたりすることを人は「能力」とは言わないが”、ではわたしたちはそれらを何と呼ぶだろうか?特徴とか雰囲気、もう少し広げると、品性とかが近い気がする。本人による意識的な操作が難しい、「私」のあらわれ。 そういったことが、正岡さんには”一首の短歌が作品というよりはその作者の「能力」のようなものとして意識、認識されているように感じられる”という。
短歌を読むとその人がどんな人かわかる、というのはよく言われることだ。 おそらく読者は、上に挙げたように、作者が自己認識・自己表出する「私」と、意識的ではないにしろあらわれてくる「私」とを総合して、歌の主体を見ている。
そんな「私」像と同時に、どんな「部屋」で生活しているのかということも、わたしにはよくイメージが浮かぶ。それは勝手なイメージかもしれないのだけど、連作や歌集を読んでいると、その人のいる部屋の様子が見えてくる。日当たりがいいのか暗いのか、整頓されているか散らかっているか、部屋はいくつくらいあって……。 実のところ、わたしはその「部屋」のイメージを、「私」像よりも信頼しているところがある。部屋って、自分の力ではコントロールしきれない部分が大きいために、むしろ雄弁に「私」をあらわす気がする。自己認識、自己言及できる範囲の「私」はあまり信用ならない。わたしはどちらかといえば、表出される「私」の主体的な声・言葉よりも、「私」の知覚するもののほうが興味があるのだと思う。 あと単純に(?)自分はやや人間ぎらいなのかもしれないんだけど、歌の上で歌よりも「私」が強すぎると若干引いちゃうところがあって、その歌における「私」を好きにならないと読み進められなくなってしまうことがたびたびある。 正岡さんの言われている”名前も何も知らない人の短歌作品でも、あ、この人はエントリーシート書くような人なんだ、この人は介護とかする人なんだ、ということを作品の優劣や個性より先に私なら私に感じさせてしまう”とか、”一首の短歌が作品というよりはその作者の「能力」のようなものとして意識、認識されているように感じられる”というのは、そういう感覚と近いのかなあ。
何が言いたいのかよくわからなくなってきてしまったのですが、普段そういうふうに思って歌に接しているので、歌を作る上でも「私の認識する私」をできる限り空白に戻しているために、経験や属性や能力とかがいったん無効化されている、その感じが、正岡さんの言及してくださった「私の使用法の厳密でなさ」に繫がるんでしょうか。
***
これは短歌往来5月号『今月の新人』ページに書いたことなんですが、世界にとって私は、また私にとって世界はほとんど常に現象であって、いまの世代に生きているのも、結果的にそうなったという感じがしている。たとえば、現実に私はSEとして働いていて、生まれは東京で、映画は何が好きで、休日は何をしてて、今気になる社会問題は……とか、色々と属性は持っているけど、属性をいくら並べても「私」あるいは「世界」の本質を突くことができないという無力感が強い。 歌はそんな「私⇔世界」のつがい目だと思っていて、その瞬間瞬間に、「私⇔世界」を繋ぐ絶対的に真なるものが歌になる。 それは自分で作る上だけでなくて、短歌とはそもそもそういうものだと、わたしは信じたい。短歌は言葉を切り捨てたり圧縮したりするものでなく、真なるものの抽出によって詩型の短さを保てる。その真なるものの抽出のしかたが、「美学を先行させる」という印象に繋がる、のかなあ。違うような気もしますが、わかりません。 歌壇賞の候補作になったとき、選評でもやはり「美意識」という言葉が出ていた。ただ現実にこうやってPCに文章を打ち込んでいる私自身(三上春海さんの分類で言うと「生活者」のわたし)は別段美意識の強いタイプではないし、歌を作るときも「美しい歌を作ろう」とは考えていない。全く考えていないわけではないけど、でも美は目的ではない。だからもし「美=絶対的な存在」と捉えるのであれば、私の歌においてそれは「真なるもの」なのかな、と思った次第です。 そういえば葛原妙子が第七歌集『朱霊』のあとがきで、”…省みて「朱霊」をおもふとき、「歌とはさらにさらに美しくあるべきではないのか」といふ問ひに責められる。”と書いていて、ゾッとしつつも強い感動を覚えた記憶があります。
余談ですが、私の友人が私の歌を読んだとき、彼女は普段短歌を読まないけど私の歌が載ったものを渡すとかなり鋭い読みをしてくれるのでおもしろくてたまに読んでもらうんだけど、そのときに言われたのが「プラネタリウムみたい」ということだった。 別に星とか出てくる連作じゃなかったので、それは歌から共有された景とか景の見え方のことを言ってたんだと思う。ともかくそれがすごく嬉しかったし、たぶん、わたしがどんな歌を作りたいかというと、そんな景を共有したいという感じです。
正岡さん、このたびはありがとうございました。歌に対して非常に親密なお言葉のかずかずに感銘して、いろいろと考えて今回書いてみましたが、正岡さんの言葉の意味を解きすすめていくようで、でもまったく違うことを考えているような気もやっぱりします。
0 notes