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on1979 · 2 years ago
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敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポール・ティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。 1945年8月6日、広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイ」である。 2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。 私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。 彼の話には一縷の悔恨も出ない。 アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。 当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。 その3年後、彼は亡くなった。 聞けば原爆投下に批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。 今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己を正当化することでしか人生も家族も守ることができなかったのか。 戦争は勝ち負けにかかわらず関わったすべての人間の尊厳を破壊し、人生を踏みにじる。 市井の民にとって良いこと・正しいことなど何一つない。 私たちが彼らから学ぶべきことはこのことに尽きる。
長野智子(キャスタージャーナリスト)2023年12月8日10時44分
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on1979 · 5 years ago
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父が死んだ。
父が死んだ。 ここ1年くらい、よく倒れてた。 病院に行って検査もしたけど、原因がでてこなかった。 最近は手足がしびれると言っていた。 腰痛持ちだったのでそれが原因だと思ってた。 あまりにも倒れるし、60歳も超えてたから「もう仕事辞めてゆっくり検査しなよ」って言ったこともあるけど、「うーん、そうだなぁ」と言うばかりで、検査は1回行ったきり。 「お金かけて検査してまた結果出ないとなぁ…」って言ってた。 母は「まだ働いてもらわないと困るわ~」「でも病院はいった方がいいと思うけど…」などと言っていた。 死んだ前日も倒れて、顔色の悪い状態で帰ってきたらしい。 「ご飯もいらない、風呂も入らない。とにかく寝たい」って言って、いびきかいて寝て、そのまま。 もともと大��びきをかいてる人だったから、違和感もなかった、とは母の談。 退職まであと1年だった。 次にあえるまであと2週間だった。 父の日のプレゼント買う約束してた。 メールしようかと思うことは何度かあったけど、「ま、いいか」でしなかった。 「旅行に行かないか」という誘いも、「遠方に住んでるし仕事あるから。祖母と母と3人で行ってきなよ」とここ数年は断ってた。 退職したら、日にち選べるからいつでも行けるって思ってたんだ。 「親孝行したいときに親はなし」なんて言うけど、自分の親は平均寿命くらい生きるって思ってた。 だから退職してからでも十分間に合うって。 でもそれじゃ遅かった。 今母に毎日電話してるけど、父がいたときもそうやってやれば良かったな、と後悔ばかりです。 父の倒れる原因も、もっともっとよく調べてあげれば良かった。 親不孝な娘でごめんね。
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on1979 · 5 years ago
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なんであんな嘘に騙されるんだろう
どこから見ても虚言癖なのに見た目が愛らしい感じがするだけで騙される人が多い。
子供のころからどうしてか虚言癖を見抜く事ができて、そのたびに周囲からつまはじきにされるんだが、もちろん後で必ず全員が痛い目を見させられて、でも私に謝るのも癪だからと謝らない。 逆にどうしてわかったのかと気持ち悪がられる。
あの声がわからないのかな。 人を騙そうとする独特の響きと形。 嘘を言う時と本心の部分の音の違い。 嘘を言ってる時の声は、刺さってくる。 本心の声はどんなに怒鳴ってても丸く体に当たる。 だから本心の声で攻撃されると丸いもので引き裂かれて凄く痛い。 嘘は刺さるだけですぐ引きぬける棘みたい。
ああそうか。 本心から虐められた事がない人達には違いがわからないのか。
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on1979 · 5 years ago
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計画力と実行力と確実性
計画力1
おおよそ、その仕事をやれそうな2倍くらいの時��を取る。 で、期限までの進捗の測り方なんだけど。 「期限の20%の時間で 総量の30%を終わらせる」 ←スタートが巧くきれているかをチェック 「期限の50%の時間で 総量の60%を終わらせる」 ←うまく運べているかをチェック 「期限の80%の時間で 総量の100%を終わらせる」 ←期限に余裕を持てるかをチェック と、3段階のチェックを入れる感じにしたほうがいい。
計画力2
計画を立てる場合、1月、週ごと、1日~3日ごと と3階層くらいで計画を立てる人が多いと思う。 「今月これだけ仕事する」 「今週こんだけしごとする」ってのは、決めるのは簡単だと思う。 で、ここに加えて、 「1月あとのことを60%決めておく」とか、「1週間後を60%決めておく」ってことをしたほうがいい。 っていうのも、先の予定を決め忘れることがよくあって、そういう時に、『予定の無い状態』が発生してしまう。 だけど、60%だけでも予定を立てておくと多少のイレギュラーでも状態を立て直すのが簡単になる。
実行力
おおよそ、物事は3周繰り返した方がいい。
なんかの資料を作るってなったら、 「1周目は60%の量を60%の精度で作る」 「2周目は80%の量を80%の精度で作る」 「3回目は100%の量を95%の精度で作る」 ってしたほうがいい。
なんかの試験勉強をするなら 「1週目は60%の量を60%の精度でやる」 「2週目は最初やった60%を80%の精度まで上げる+1週目でやり残した40%をやる」 「3週目は最初やった60%を95%の精度まで上げる+2週目でやり残した40%を80%の精度まで上げる+残りの40%を95%の精度に挙げる」
なぜこんなことをするかというと、いろいろメリットがあるんだけど。
『完璧主義から逃れられるので、1週目を気軽に音楽でも聞きながらやれる』 「一番時間がかかるのは1週目で、一番効果が高いのは3週目なのだからさっさと3週目に入りたい」 「2週目でどの程度身につくかがわかるから1週目でのやり方が工夫される」 「1週目と2週目は使う脳みそが違うから、同じ作業でも脳みそをリフレッシュして使える、空きにくい」 「1,2,3週目でやることを変えたりといった工夫を考え付くので、3段階やる前提でやることを工夫して計画などにも組み込みやすくなる』
恥ずかしながら、自分はゴミ捨てや片付けすら難しい。そのくらい能力が低い。なので、これらも3段階で60%ずつ片づけてやっとできる感じである。
確実性
これは本当に、人生損したと思っている。
気づいたのが遅かったのだけれど、 『人間は2つのことをいっぺんにやるとミスが多くなる』 『人間が読むときは想像以上に見落としが多い』 『図を見ながら文章を書いたり、文章を見ながら図を描くのは想像以上に難しい』 ということだった。
たとえば、 3x+4×12=3*6/(3.2) みたいなのがあったとして、計算途中に何個かいっぺんに計算してしまう���てのは、ミスが多い。なので、1つずつ手順を確認しつつ、1個ずつやるのが必勝法になる。 ようするに、「手順が多いものは手順数を確認してからこなす」というのが大事になる。
『人間が読むとき想像以上に見落としが多い』というのは少し理解しにくいかもしれないが。複雑な文章だとか、1読で理解できているつもりでも見落としってのはかなりある。普段の生活ならいいけど、仕事の資料の場合はどうするか? もちろん、マーカーを引いたりするのも有効なんだけど。「手で隠しながら1行ずつ読む」ってのが使える。ホント見落としが少なくなる。さらに、「声に出しながら読む」ってのもかなり効く。
『図を見ながら文章をかいたり~~~』ってのは、これは本当に難しい。難しいので、かなり正確な確認が要求される。図を文章に起こしたり、文章を図に起こすときには、対応する文と図を、☆や◎や!で対応させて描くとミスが少なくなる。資料をもらったら、文章にラインを引いて☆ で、図の対応したところに☆ みたいに書き込むとかなり視認性が上がる。
ばかばかしいかもしれないが、「資料を確実に読みこなす」というのができるだけで、仕事でのミスが劇的に下がった。仕事での失敗の8割がミスだった自分からしてみたら、ミスが減っただけで相当楽になった。
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on1979 · 5 years ago
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愛人という生き方
母親が若いころから仲良くしていた女性は、いつも誰かの愛人であることで生計を立てていた女性だった。 40年以上前から整形にエステに、と今の美魔女(笑)もビックリの努力を重ねていた。 実際、まったく年に見えなかった。 そりゃそうだ、美しくないと、相手に飽きられて、捨てられて、路頭に迷うからだ。 わたしが生まれて、わたしより何歳か上の彼女の娘とよく遊んでいたときは、ある医療関係者とちゃんと結婚していたが、覚えている限りちゃんと婚姻関係を結んでいたのはそれだけだ。 わたしのいえの何駅か先に開業していて、4階建ての豪邸(一階は病院)で、家具はすべて日本じゃ見たこともないようなすばらしいものだった。 家の中はほこりひとつ落ちていなかった。 料理もとても上手で、美しい母親、子供たち、医者の父親、とすべてが素晴らしく見えた。 だが、子供は一番上の子はたしか父親が違うのだけれども、兄弟みなグレるか歪んでいた。 不登校、16歳で妊娠、タバコ、ひきこもり、などなど。 わたしが仲良くしていた少し年上の少女は、早熟であったためか精神を病んでしまい、不登校になった。 わたしが中学生ぐらいになるころ、彼女たちは引っ越した。離婚したのだ。 引っ越した後、すぐに後釜の既婚者の金持ちを捕まえ都内の1フロアに一部屋しかないようなマンションに家族と、その金持ちと住んでいた。 遊びに行ったら、すごくおしゃれだったので今でも覚えている。 中学生だから込み入った事情は知らなかったし知ろうともしなかったが、その金持ちは奥さんと愛人の間を交互に行き来し、それを奥さんも容認していたようだった。 少し年上の少女は、学校になじめず、弓道と油絵とヴァイオリンを習っていたようだった。 一緒に銀座三越に行って、いろいろきれいなものを一緒に見て回って、少女が化粧品を買って、千疋屋でフルーツパーラーを食べて帰ったのを覚えている。 その時のわたしは一切意識していなかったが、そのお金も金持ちからいただいていたものなのだろう。 わたしの母親と愛人の彼女はそのうち疎遠になった。 「生き方が違いすぎるのよ」と母親が言った。 母親は、学が無いながらも、自分で商売をおこし、わたしたち兄弟を立派に��ててくれた。 愛人の彼女は、今はまた違う金持ちの愛人として生きている、らしい。3年に一回ぐらいは母親のところに電話が来るそうだ。 彼女の事をいいとも悪いともわたしは判断できない。 それぞれが、それぞれの思うように生きればいいと思う。 不登校になって、そのあと専門学校に入りなおした愛人の彼女の娘のことだけはいまだに思い出す。どうしているだろうか。 ただ、わたしは愛人の彼女のような生き方は不可能だなぁと平凡な顔と体型を見ながら思う。 最初に結婚した医者の元旦那さんがTVに出ているのを見て、久しぶりに思い出したので。 もう、これからの人生であのレベルの金持ちとけっこう密接に付き合うことなんかなかなかないだろうなぁ。 いろいろいい体験をさせていただいた。
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on1979 · 5 years ago
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恋と社会とチョコレート
毎年、バレンタインが巡ってくると、コンビニで働いていた時のことを思い出す。 コンビニでバレンタインチ��コが一番売れる時期はいつかご存知だろうか?  一週間前、五日前、三日前、イブ。
答えは二月十四日の朝。
殺気立ったOLがガバリと棚からチョコをひったくってレジに持ってくる。
私「レジ袋にお入れしますか?」 OL「いい、そのままで!」
当たり前だ。チョコがコンビニ袋に包まれてたらゲンナリ��るわ。 この愛というより、憎しみがこもった義理チョコを、職場のオッサンがもらって食べるのだ。
ホワイトデー、オッサンは3~5割マシマシでお返しをしなきゃならない。ショボイと沽券に関わる。
チョコをもらう方もあげる方も、誰一人としてハッピーにならない。 いったい、バレンタインとは誰が得するイベントなのだろうか。あぁ、製菓会社か。
この資本主義の狂騒には後日談がある。 早くも十四日の昼には、チョコの投げ売りが始まる。後日じゃなくて当日だな。 この爆安チョコを買う層がなんとも香ばしい。 あんまり可愛くない女の子や昼から酒を呑んでいる赤ら顔のオッサン、垢抜けない感じの青年などが買っていく。 チョコとカネの殴り合いが終わると、こぼれ落ちた愛の欠片というか、社会の澱とでも言うべき売れ残りチョコが弱者に“再配分”されるのだ。 朝の一事だけ見ると、社会は酷く不条理に見える。 しかし、マージナルな人々の落ち穂拾いも含めれば、存外社会というものはうまく出来ているのかもしれない。
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on1979 · 5 years ago
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大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイト
留年した年、親からの仕送りがストップしたため、1年間日雇いのアルバイトをした。 残す単位は2単位だけだったので、学校に行く必要はほとんどなかった。 夕方6時から翌朝8時まで、自宅付近にあった運送会社の集配所で、荷物(ダンボール)の仕分けをする仕事だった。 アルバイトに集まるのは合計7人くらい。顔ぶれは毎日ほとんど同じ。 学生や見知らぬおじさんが来ることもあったが、二日以上勤務する人は本当にまれだった。 たまに続けて出勤する人もいたが、数週間くらいで来なくなってしまい、またもとのメンツに戻る。 学生は一人もいなかった。 勤務時間が長いし、ずっとダンボールを移動しつづけるのは本当に辛いし、常連メンバーの雰囲気も独特だった。
働く場所は、鉄骨で組まれた大きな倉庫だった。 夕方に倉庫に到着すると、倉庫の片側半分くらいが、うず高く積まれたダンボールで埋まっている。もう片側には運送トラック用の搬入・搬出口が8カ所ほどある。 僕たちアルバイトの仕事は、ダンボールに貼り付けられた伝票を見て配送先を確認し、それに応じたトラックの搬出入口までダンボールを運ぶことだった。 この作業が、夕方から翌朝までひたすら続く。休憩時間は1時間。 たしかアルバイト求人票には「倉庫内軽作業」とあった気がする。 日給は1万円だった。 軽作業といっても、これはフォークリフトなどの重機を使わない作業ということで、人力でやる分には重くて仕方がない。 とくに古着が詰め込まれたダンボール、それから木枠に収められた小型エンジンは、手首が抜けるほど重かった。
社員は、監督役が一人だけ。 朝方になると、その他の社員が出勤してきて、小さなフォークリフトを器用に運転し、人間の手では運べないような荷物を整理する。 そうこうするうちに運送トラックがやってきて、ドライバーたちが僕たちの仕分けた荷物をトラックの中に積み込み、各地域に向かって発車していく。 そのあたりで時計が8時を回り、アルバイトが終わる。 アルバイトが終わったら近くの吉野屋に入り、牛丼を二杯食べ、その足で銭湯に行き、自宅に帰るなり泥のように寝るという日々を送った。 銭湯に行き、風呂桶にとったお湯を身体にかけると、真っ黒になった水が排水孔に流れていった。 最初はびっくりしたが、どうやらフォークリフトのはき出した粉塵が、身体中の体毛に張り付いているようだった。 鼻の穴に指をつっこむと、指先が真っ黒になるので分かった。
常連のアルバイトメンバーは、自分を除いて全員住む家がないようだった。 といってもこれは仲良く話してくれた人から聞いたことで、直接本人に確認したわけではない。 日給が1万円あればアパートを借りれると思うのだが、そういうことを聞ける雰囲気ではなかった。 どこで寝泊まりしているのか聞いてみると、大抵はクルマの中らしかった。 休憩時間には、みんな競馬の話をするか、花札をしていた。 グチらしいものをこぼしているのは聞いたことがなかった。 自分の過去を話す人もほとんどいなかった。
自分のことを話す人は、みんなすぐやめてしまった。 そういう人が話すのは「自分は昔はこうではなかった」だとか「自分は昔上場企業に勤めていた」など、言い訳じみたことばかりだった。 たまに来る学生は「キツイ」「ツライ」と思ったことをそのまま言って、そのまま来なくなった。 常連メンバーが自分のことを話そうとしないのは、美意識というよりは、言っても仕方がないという感情があったからだと思う。 そこに踏みとどまるために、そうせざるを得なかったのだと思う。 それが奇妙に居心地がよかった。 人に対する優しさでは決してないのだが、そう錯覚してしまうようなところがあった。
自分は大学生だったが、身分を明かすことはしなかった。 半年ほど経ってようやく打ちとけたおじさんとだけたまに会話した。 このおじさん、九州出身でもともと会社を経営していたらしい。 それが経営が手詰まりになり、奥さん子供と別れて、今は独り身とのことだった。 一時期は羽振りがよかったらしいが「今はこんなや」と言って笑ってみせる。 このあたりが他のメンバーとは明らかに違っていて、それが自分に話しかけてくれた理由なのだろう。 この元社長から「化粧の濃い女の人は、お願いすればやらせてくれる」と教えてもらった。 「本気でお願いすればいける。一度ではだめ。そこであきらめず、タイミングを見計らってお願いしつづけろ。そしたら三回目くらいでやらせてくれる」らしい。 実践する度胸はなかったが、勉強にはなった気がする。
最後のアルバイトの日、その人にだけ今日が最後だと伝えた。 そうしたら「ここが社会の底辺だ。ここでの仕事を続けることができたのだから、どこに行ってもがんばれるはずだ」と太鼓判を押してもらった。 いい思い出になった。 でも、この時の経験以上につらいことがなかったかと言えばそうでもない気がする。会社勤めのほうが辛いことが多い気がする。 今でも自分がなぜそのアルバイトを続けることができたのか、はっきりと説明できない。 なんとも言えない居心地のよさがあったのはたしかだが、それだけが理由かと言われるとそうでもない気がする。 そういう仕事をする素養があるのかもしれないがよく分からない。
今から15年くらい前の話。あの頃のことを今でもたまに思い出す。 別にたいした内容の話ではないけど、あまり人には言わないようにしてきた。 今回はじめて書いてみた。 あの人たちは今どうしているのだろう。
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on1979 · 5 years ago
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俺に一番影響を与えた人
子供の頃から「坊ちゃま」「坊ちゃま」と言われて育った。 それは自分が病院の跡取り坊っちゃんだったからである。 しわくちゃな手をした人たちが自分を取り囲んで、 「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。
自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。 とはいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。 自分も弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。 「東大理Ⅲしか許さない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。
高校3年のとき、病気になって手術を受けた。 都内の大きな病院だが、執刀医は父親の親友であった。 受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いからに決まっているからで。 自分の高校名も父親の名前もバレバレであり、「さすが頭がいい人は勉強道具を持ってこないのね」などとナースがいう。 嫌味には全く聞こえなかった。 「あなたもお医者さんになるんでしょ」と皆が言った。いつの間にか病棟の患者さん全員が知っていた。 そういうつもりはないのです、とは言わずに、「なれると良いですね」と答えていた。
手術後は貧血があるだけで元気であった。 あまりにもやることがない��で、毎日の日課は回診だった。 今思い出せば、それは末期がんの患者さんが多くいる病棟であった。 当時、流動食(で、かつ高カロリー)というのは病院のメニューにはなかったようで、ラコールやらエンシュアやらいう薬もなく、 自分でミルクセーキのようなものを作ってチューブで流し込む、というような生活をする人がいた。 その人は喉頭が失われていたので意思の疎通は筆談なのだけれど、わざわざ病院の近所のスーパーに買いに行っていたから自分がお使いをしたり。 あとは各部屋で何時間も患者さんたちと喋りこむのである。
俺は高校生で全くの素人なわけで、そんな自分に健康相談をするのは全く間違っている。 全く間違っているわけだが拒絶するのもおかしな話だし、第一自分の家は病院で、物心ついた時には患者さんたちや従業員さんに囲まれて育ったわけだから、 死ぬとか、苦しいとか、そういう事について多少は自分なりの考えを持っていたんだろうとは思う。 (「死ぬのは苦しくはないんですよ」というような。それはうちの病院が30年前にすでに緩和ケアみたいなのをやっていたから本当の話) とはいえ、自分が何か話す、というよりは人々の話を聞いたり、会話の媒介者になる、ということをただただ繰り返していたわけだ。
そんな中に顔色の悪い「その人」はいた。 30歳ぐらいの「その人」はいつも口数が少なくて、元気がなかった。 家庭の事を聞いたかもしれないけれど、良く覚えてはいない。 でもだんだん日にちが経つうちに、打ち解けて来たかもしれない、という印象を持った。 今はその人がどんな病気だったかがわかる。乳がんで、たぶんあんまり予後が良くない状態なんだ。
俺が退院するという日になって、「ちょっと話がある」と地下に呼び出された。 なんだろうと思ってついていくと、めっちゃいかつい男性がいた。こわい。 どう見てもその筋の人である。 どうしよう、怒らせてしまったのだろうか。
喫茶店で俺の向かいにその二人が座ったが、 別に文句を言われるでもなく、 「夫です」などと自己紹介をされた。自分はといえば、どこからか刺青が見えるんじゃないかとかそんな事を考えながらさりげなく相手を観察しつつ 「はいはい」と話を合わせていたのだけれど、そのうち「その人」の顔つきがちょっとかわって、 「○○くん、絶対医者になってよ」と唐突に言う。 「はい?」 「○○くんは絶対医者になってほしい」 「と、妻が申しております」 とその男性までが頭を下げるのである。 頭を下げてお願いされたのは、その後の人生でもあまり記憶にないのだけれど、 こんな一瞬の出来事が、自分が医者になった理由である。
医学部の面接では、 「途上国の医療に貢献したい」 と言ったが嘘である。 知らない人に頭を下げて頼まれたから、という理由ではあまりにもいい加減すぎるだろう。
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on1979 · 5 years ago
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世の人は言う。 「WarCraft3を完成させたのは、彼だ。」と。 けれども、彼はプログラマーではない。 デザイナーでもなければ、プロデューサーでもない。 グラフィッカーでもなければ、マネージャーでもない。 ただの、1人の、ゲーマーだった。 少なくとも、シンガポールのあの夜までは。 その日、WarCraft3は死んだ。 いや、死んだのではない。 殺されたのである。 eSports Player of the Year 2006をはじめ、世界中のタイトルというタイトルをその手に収めた、プロゲーマーの中のプロゲーマー、歩く4K.GrubbyことManuel "4K.Grubby" Schenkhuizenの手によって、累計1000万本のセールスを記録した歴史上最も重要なリアルタイムストラテジーゲームであるWarCraft3はその体温を失い、ゆっくりと、静かに、大地へと飲み込まれ、そして消えていった。 そんなに遠くではないけれど、過ぎ去ってしまった古きよき時代。 まだ、Asiaと世界が繋がらず、別々に存在していた時代。 あの頃、WarCraft3は、生きていた。 アンデッド、オーク、ナイトエルフ、そしてヒューマン。 まったく違う特性を備えた4つの種族が、絶妙なバランスで共存していた。どの種族もうまくやれば他の種族を出し抜けるだけの潜在能力があると考えられていた。それぞれの種族には個性的なトッププレイヤーがいて、世界中のWarCraft3プレイヤー達は自らが扱う種族のスタープレイヤーに入れ込み、追いかけては、その結果に一喜一憂していた。 アンデッドには、2004年のeSports Player of the Yearにして、最初で最後のスーパースター、伝説の空飛ぶアンデッド、MaDFroGが。 オークには、今やWC3シーンそのものと呼ばれるまでになったプロゲーマーの中のプロゲーマー、歩く4K.Grubbyこと4K.Grubbyが居た。 ナイトエルフには、元マップハッカーという経歴を持つシーン最大の悪役、ロシアの犯罪者"The maphacker"deadmanが居て。 ヒューマンには、シーンで最も尊敬を集める男であり、模範的プロゲーマー、世界で2番目に有名なブルガリア人、Insomniaが居た。 そして、その日、事件は起こった。 欧州最強クラン、いや、世界最強クランSK-Gamingのエースプレイヤーであり、欧州最強ヒューマン、いや、世界最強ヒューマンであったSK.Insomniaと、4K.Grubbyが戦ったのである。 けれども、それは普通のありふれた対戦ではなかった。 世界最強オークと、世界最強ヒューマンの決戦ではなかった。 何が違ったのか? それは、Grubbyの選択した種族である。 WarCraft3には、前述の通り4つの種族が存在している。 けれども、実は、もう1つあった。 「random」 で、ある。 用意された数多くの個性的なマップで、それぞれの戦術や戦略を相手に応じて用意し、一分の狂いもなく繰り出さねばならないプロゲームの世界で、ゲーム開始まで自分の操る種族がわからないという「random」を選択する事は、当時としては自殺行為だと思われていたし、今でも自殺行為だと思われている。それは、シーンに未だ誰一人として、「random」を操るプロゲーマーが存在していないという事実からもよくわかる。 ところが、Grubbyはプロゲームの大会という1つの舞台で、世界最強ヒューマンを向こうに回して、「random」を選択したのである。 あのGrubbyがオークを使わなかった。 それは、確かに驚くべきことだった。 でも、本当の問題は、そんな事ではなかった。 世界の関心は、もっと深刻で、もっと重大な2つの事件に向いていたからである。 1つは決戦を前にGrubbyが放った言葉。 「Human sock」 そしてもう一つは、決戦の結果。 Grubbyは、一度も自らの種族であるオークを引き当てる事なく、SK.Insomniaを圧倒し、完膚なきまでに叩きのめし、葬った。いや、正確に言うと違う。4K.Grubbyがその日叩きのめしたものは世界で2番目に有名なブルガリア人SK.Insomniaではなく、"ヒューマン"という種族そのものだった。4K.Grubbyがその日破壊したものは、世界最強クランの看板エースのプライドなどではなく、WarCraft3そのものだった。 その日、WarCraft3は、静かに死んだ。 誰かが言った。 「WarCraft3のバランスは糞だ。」 もはや、誰も反論する事は出来なかった。 4つの種族が用意されていて、4つの選択肢があるはずだった。 それぞれの種族に強さがあり、それぞれの種族にファンが居た。 けれども、そんな時代は、この日、終わった。 Grubbyが看破し見出し先鞭をつけた対ヒューマン必勝法は、あっという間に世界中に広まってしまった。駆け出しの新人プレイヤーレベルから、トッププロに至るまで、全てのレベルでヒューマンは鴨にされ、いびられた。話にならない弱小種族として弄ばれた。同じ腕前のプレイヤー同士の対戦でヒューマンを選択しようものなら、もうその時点で負けたも同然だった。 「ヒューマンが相手だと負ける気がしないので楽しい」という声があらゆるレベルで漏れ始めたが、それはすぐに「ヒューマン相手のゲームは勝ったも同然なのでつまらない」という声へと変わって行った。 誰かが言った。 「WarCraft3は糞だ。」 誰も反論する事は出来なかった。 「ブリザードエンタテイメントはなにをやっているんだ!」 罵声が世界を駆け巡り覆った。 どうしてヒューマンを強化しない! なぜ最弱種族を放置したままにしているのだ! 返事は無かった。 まるで屍のようだった。 一人、また一人とヒューマンプレイヤーが他の種族に転向して行った。韓国で行われた世界大会の予選では、上位64名の中にヒューマンプレイヤーは1人も居ないという惨状だった。その昔最強プレイヤーの一人と目されていた北欧の雄はヒューマンに拘り続けた結果スタメン落ちし、やがて解雇され消えていった。最強ヒューマンであったSK.Insomniaまでもがスタメン落ちし、トップシーンから転落していった。ヒューマンはもはや、存在しないも同然だった。 もちろん、世界中のヒューマンを代表するプロ達が何の手も打たずに消えていったわけではない。世界中のヒューマンプレイヤー達は、なんとかしてゲームを成立させようと、自らの町に山のように防御塔を建てて陣地を構築し、引き篭もって守り、相手の失策を待ち続けた。 「負ける気がしないので楽しい」から「勝ったも同然なのでつまらない」へと遷移していたWarCraft3プレイヤー達のヒューマンという種族に対する素朴な感想はやがて、「引き篭もるしか脳の無い連中を相手にするのは退屈だ」というものへと移り変わっていった。 誰かが言った。 「WarCraft3は糞だ。」 もう、誰も反論する事は出来なかった。 「ブリザードエンタテイメントはなにをやっているんだ!」 罵声が世界を駆け巡り覆った。 どうしてなぜヒューマンを強化しないんだ! なぜブリザードは最弱種族を放置したままにしているのだ! 返事は無かった。 まるで屍のようだった。 事実、屍みたいなものだった。 「もう、終わったんだ。」誰かがつぶやいた。 親会社の経営失敗に端を発したお家騒動で、ブリザードエンタテイメント社はボロボロだった。Diablo、StarCraft、WarCraft、World of Warcraftといった、ビデオゲームの歴史に渾然と輝く名作を世に送り出した鬼才ビル・ローパーを始めとして、「100万本売れないゲームは作らない」というテーゼを抱えてそれを実行し続けてきた世界最強のゲームデベロッパーであったブリザードエンタテイメント社の中核を成した人々のほとんどがブリザード社を去り、誰も知らないどこか遠くの奥の方へと、飲み込まれるようにして消えていった。 「もう、みんな終わっちゃったんだよ。」 誰かが吐き捨てるように、そう言って席を立った。 それは、些細な出来事だった。 些細だけれど、深刻な事件だった。 ロシアの犯罪者、ナイトエルフのdeadmanを葬ったヒーローが最強ヒューマンを打ち破った事自体は、何の問題も無かった。伝説の空飛ぶアンデッド、��初で最後のスーパースターmad frogを前後不覚に陥るまでに叩きのめし引退に追い込んだ最強オークが、最強ヒューマンを打ち破った事自体は、何の問題も無かった。 けれども「Human sock」のあまりにも真実を貫きすぎた一言と、「randomに負けた最強ヒューマン」という事実は、WarCraft3の終わりの始まりだった。歩く4K.Grubbyこと、4K.Grubbyが見つけたヒューマンという種族の穴は、やがて大きな穴となり、WarCraft3そのものを飲み込んで、終わりに向けて、押し流し始めた。 かつてオランダの名も無き少年が、堤防に見つけた小さな穴に自らの腕を差し込んで決壊を防ぎ国を��ったのとはちょうど真逆に、オランダの悪童Grubbyは自らが見つけ出した小さな穴にその腕を差込み、こじ開け、シーンそのものを崩壊させて行った。 かつて、誰もがその勇気と技術に裏打ちされた斬新な戦略に驚き憧れたSK.Insomniaは防御塔を建てては引き篭もり、負け続けた。「私はヒューマンを決して捨てずに戦い続けるよ。世界中のヒューマンプレイヤーの為にね。」insomniaはそう言ったけれど、それは絵空事だった。彼がヒューマンを選択し続けていたのは事実だけれど、戦い続けてはいなかった。ただ、プライドだけを胸に、引き篭もっては惨めに負け続けていただけだった。 圧倒的に繊細な操作と革命的なテクニックでナポレオンとまで称された新時代のヒューマンプレイヤーであるToDは、負ける度にこう言い続けた。「俺は世界で一番上手い。俺は世界で一番強い。俺は世界で一番美しい。」それは確かに、事実であった。世界がそれに同意した。ToDは圧倒的に上手かったし、圧倒的に強く、そして圧倒的に美しかった。 「世界で一番上手い俺が負けるのはブリザードのせいだ。」確かに、そうとしか思えなかった。「世界で一番強いはずの俺が負けは俺の敗北ではなく、ブリザードエンタテイメントそのものの敗北だ。」それは紛れも無い事実だった。ToDは自らが敗れる度に、とてもここじゃあ書けないような暴言ワードで満たされた罵詈雑言でブリザード社を罵り続けた。世界中の、未だWarCraft3を見捨てられずにいる人達が彼を支持した。よくぞ言ってくれた、ToDは正しい、bliz(ブリザードエンタテイメント社の略称)は糞だ、と。 「ブリザードは何をしているんだ!」 皆が叫んだ。 誰もが懸命に叫んだ。 叫んだけれど、返事は無かった。 そこにあったものは、ただ屍だけだった。 かつて歴史上最も偉大だったリアルタイムストラテジーゲームの屍だけだった。かつてゲームの歴史の流れの中で最も重要なゲームデベロッパーの1つだった、ブリザードエンタテイメント社の屍だけだった。 世の中は不公平で、世界は不平等だ。 人であろうとする限り、未来なんてものは来やしない。 野蛮な奴らと、死んだ目をした奴ら、暗いところでこそこそやっている腐った老いぼれども。勝ち目なんて端から無いんだ。そんなふうに出来ているんだ。そういう仕組みなんだ。もう諦めて、どこか遠くへ行こうじゃないか。パーティは終わったんだよ。 一人、また一人と人はWarCraft3を見捨てて、他の知らない何処かへと旅立って行った。ヒューマンの弱さにうんざりとして。 バランスの崩壊した糞ゲーに見切りをつけて。 新天地を求めて。 ある者はWarCraft3を切り捨てて大学生になり、ある者はWarCraft3に見切りをつけてプロポーカープレイヤーになった。ある者はWarCraft3と決別してPerlHackerになり、ある者はWarCraft3を投げ捨ててブロガーになった。 ヒューマンの弱さを改善するパッチをブリザードエンタテイメント社に期待している人なんて、もうどこにも居なかった。世の中は不公平で、世界は不平等。そういうもんだと、みんなが諦め、去っていった。重たく冷たい現実と向き合う事に、嫌気がさして逃げ出して。 World Cyber Games 2005 Singapore。 dead or aliveで日本人選手が優勝した大会、と言えば、わかる人はわかるかもしれないし、2002年度にはhalenが優勝した大会と書けば、伝わる人には伝わるかもしれない��� 彼はそこに居た。 WE.Skyその人である。 誰も彼の事なんて気にしては居なかった。 World Cyber Games 2005には、Grubbyが居て、deadmanが居た。世界中から綺羅星の如き名手達が集っていた。古い人、新しい人、旬の人。それは最高のメンバーだった。最弱種族のヒューマンを操るプレイヤーに興味を持つ人なんて一人もいなかった。ヒューマンが予選を勝ち抜けるなんて、中国のWC3はレベルが低すぎると、人々は彼の存在自体を馬鹿にした。だが、それは束の間であった。 決勝の舞台。 彼はそこに居た。 WE.Skyその人である。 そして、起こった。 遠い昔に死んだはずのWarCraft3が、突如として息を吹き返したのである。 WE.skyに相対するは4K.Grubbyを破って決勝に進んで来た米国代表のShotround。GrubbyとToDの2人を軸に世界最強クランへと成り上がっていた4K(team four-kings)への入団が囁かれる程に、油の乗ったプレイヤーだった。その彼が、10分と持たなかった。何も出来なかった。見せ場の1つも作れなかった。戦う事すら許されなかった。skyは圧倒的だった。そして完璧だった。誰もが予測する事の出来なかった瞬間に、想像を絶するタイミングで現れた新手無傷の銃兵部隊の矢玉の雨に、世界中が絶句した。声を失なった大観衆の大声援が、次の瞬間会場を沸騰させ、Shotroundはマウスを静かに置いた。 何が今起こり、何が起ころうとしているのか。 何故、こんな事になっているのか。 もう、どうでも良かった。 死んではいなかったのだから。 それは、確かに、生きていたのだから。 「will played」 Shortroundは、最後に一言消え入るようにそう言って消えた。 世界中が彼を馬鹿にした。 「will playedてwwww」と、彼を笑った。 けれども、それを笑えない人達が、世界には存在していた。 負けても負けても負け続ける事自体が存在価値と化してしまっ��いたSK.insomnia。Skyの登場によって、insomniaが耐え忍んだ長く苦しい屈辱の日々は、一夜にしてただの道化となってしまった。 そして、もう一人。 でもそれは、まだ、フロックだと思われていた。 多くの人達が、そう受け止めていた。トーナメントの組み合わせの妙で生じたまぐれだと思っていた。事実、skyはその名声を確定させていたような世界的名手と一度も戦う事なく、楽な組み合わせを勝ち上がり優勝していたのである。 「skyはトッププレイヤーと当たらなかったから優勝出来た」 きっとそうだと、多くの人が考えた。 そんな僕らに、現実が突きつけられる日はすぐに訪れた。 WCG2005から間をおかずに開催された世界規模の大会で、skyはまたしても決勝に進んだ。決勝の相手は、プロゲームシーンから隔離されたアメリカの選手などではなかった。本物のGOSUプレイヤーだった。圧倒的な操作量と状況判断能力と知性で全ての種族を完璧なまでに使いこなし、「勝つ為に最強種族であるナイトエルフを選択した」と公言して憚らない"Master of WarCraft"の異名を持つプロゲーム先進国韓国が誇る最強ナイトエルフ���達人remindその人である。 remindはskyが繰り出してくるであろう戦術の全てを頭に入れ、それらそれぞれの戦術に対して100%の対策を立ててきていた。remindに、負ける要素は1つも無いように思えた。「ヒューマンに負けるremindの姿」どころか、remindの負ける姿そのものが想像出来ないくらいに、あの頃のremindは完璧だった。 ゲームはremindで始まった。 remindの操るヒーローはマップ中を所狭しと飛び回り、skyの出足挫き、その立ち上がりを完璧に封じた。ヒーローのレベルも、内政面でも兵力でも、remindは大きなリードを奪い、見事にゲームを支配していた。最激戦区の韓国予選を勝ち抜いた、達人の名は伊達ではなかった。中国と韓国では、あまりにレベルが違いすぎた。 ところが、remindがナイトエルフの最強ユニットである熊をそろえ始めた頃、なにか、奇妙な事が起こり始めていた。肉弾戦最強ユニットである熊を出されたならば、ヒューマンの側もナイトを出し、プリースト/ソーサレス/モルタルチームで後方から支援しなければヒューマンに勝ち目はない、というのがそれまでのヒューマンvsナイトエルフの常識だった。 ところが、skyはその常識を完全に放棄した。 skyが選択したユニットは、ナイトではなく、プリーストでもなく、モルタルチームでもなく、ヒューマンの最強Airユニットであるグリフォンライダーでもなかった。 skyが選択したそれは、「ライフルマン」だった。 skyはただ只管に、銃兵を生産し続けていた。 「skyは馬鹿だ」 世界中がそう思った。熊を相手にライフルマンを出すというのは、まったく馬鹿げた事のように思えたし、事実その日その時までは、確かに馬鹿げた事だった。いや、今でもそれは馬鹿げた事なのだ。けれども、その日、その瞬間、その場所でだけは違っていた。 銃兵隊を揃えたskyは敵陣へと猛進し、決戦を挑んだ。戦況は圧倒的に不利だった。序盤を完全に支配されたskyの勝算は0に等しく見えた。それは、やけっぱちのpushにしか見えなかった。 自陣を防衛すべく迎え撃った万全のremindの大軍勢は、skyのpushを事もなげに押し返し、skyに撤退を強いた。 自陣へ向けて一目散に逃げ出したskyの銃兵隊は時々足を止め、立ち止まっては斉射を行い、その射撃モーションが終わると同時にまた背を向けて逃げ始めた。skyの銃兵隊が足を止める度に、remindの軍勢がライフルマンに肉薄し、襲い掛かり、痛打を加えた。skyが立ち止まる度に、skyが斉射を行う度に、remindの勝利が近づきつつあった。最強肉弾ユニットである熊に追い立てられた間接攻撃ユニットのライフルマンは、紙切れのように脆く切り裂かれて行った。 remindは万全の精度でそれを行った。逃げ遅れたライフルマンを巧みに包囲し、退路を断ち、一人一人止めを刺していった。skyの銃兵隊はremindの猛追によって5時の方向と11時の方向に分断され、あとは各個劇はされるだけ、という局面であった。 「skyはよくやったよ」誰かが言った。 確かに、skyはよく戦った。あのremindを向こうに回し、見事に見せ場を作っていた。会場を盛り上げ、シーンを盛り上げるだけの戦いを見せた。勇敢に全軍総出の決戦を挑み、引き撃ち(退却しながら攻撃する)という自らが選択した戦術を、完璧なまでにやってのけていた。けれども、相手が悪かったのだ。達人remindに序盤を支配されて、勝てる人間なんてどこにもいないのだ。 次の瞬間、skyが反転した。 彼は「引き撃ち」を完全に放棄した。 右下5時の方向から分断された一翼が、左上11時の方向から分断された本体が、skyの本拠地がある左下7時の方向からは(Shortroundを葬ったあの時と同じように)新手無傷の銃兵部隊が突如として現れ迫り、remindの全てを包み込んだ。 全ての方角から銃弾がremindのヒーローに突き刺さり、remindはヒーローを立て続けに失った。あっという間の出来事だった。軍隊の核であるヒーローを失ったremindは、あと一歩で止めをさして壊滅させる事の出来る大量の瀕死のライフルマンを目の前にしながら、もはや退却するしか術は無かった。 remindは、「傷ついた兵は退却させて温存し、回復させて戦わせるものだ」というWarCraft3の常識に基づき、傷ついた自らの兵を繊細な操作で少し離れた位置に退避させて休ませていたり、より安全な戦線へと再配置をしたりしていた。瀕死の兵は丁寧に、本陣に退却させて回復し、敵に殺されて相手ヒーローの経験値に化けてしまう事を避けていた。それは教科書通りの完璧な操作だった。達人の名に相応しかった。 その誰よりも完璧な達人remindの「完璧さ」をskyは突いたのである。 「傷ついた兵は退却させて温存し、回復させて戦わせるものだ」というWarCraft3の常識を放棄し、ライフルマンという鈍足で脆く経験値の多いユニットを囮として意図的に使い捨てにしながらremindの戦線を引き伸ばし、戦力密度を拡散させた。 skyの兵にきっちりと止めを刺し経験値に変えていたremindのヒーローは、Lvアップを繰り返していた。 その軍隊の中核であったハイレベルなヒーローが僅かに突出した瞬間を見逃さず、skyは反転したのである。remindは慌てて熊を集め、ヒーローの退路を切り開こうとしたけれど、それはもう手遅れだった。何もかもが遅かった。skyの掌の上だった。remindのヒーローは皆、skyのヒーローの経験値となり、戦局は一変した。 skyはそこからも、常識を打ち破り、瀕死のライフルマンをほうぼうで囮として使い捨て、見殺しにしながらremindの陣地を壊滅させた。一見すると素人のプレイかと見まごうような、下品で乱雑な責めだった。中にはそのプロゲーマーとは思えないような"雑さ"即ち"下手糞さ"を馬鹿にする人もいた。けれども、それが幾多の理論と練習に裏付けられた彼のスタイルだったという事は、今では世界の知るところである。 remindは1ゲーム目を落とし、2ゲーム目も全く同じ手法で負けた。 remindが悪かったのではない。 skyが良かったのである。 もはや、それは、まぐれではなかった。 紛れも無い、現実であった。 insomniaは笑って言った。 「もう私の試合なんて見る必要なんてないよ。」 ヒューマンを見たいのならば、WE.skyを見ればいいんだ、と。 けれども、広い世界にただ一人だけ、その現実を受け入れる事を頑なに拒み続けている男が居た。年齢不詳の真実の��。フランスが生んだ物言うナポレオン。 "世界で一番上手い男"、4K.ToDである。 skyの登場に最もショックを受けたのは他ならぬToDだった。 「こんなにも上手い俺が負けるWC3のバランスはおかしい」というToDの考え事実真実本当のことが一夜にして崩れ去ってしまったのである。 世界は手のひらを返した。 ToDに対する評価の針は、端から端へと振り切れた。 「勇敢に物怖じすることなく、WarCraft3の問題点を歯に衣着せぬ物言いでブリザード社に突きつけ続ける全人民の代弁者」であり、正しくシーン最大の英雄であったToDは、skyの登場によって「醜い言い訳を繰り返す負け犬」になってしまった。 たった一人の男の登場によって。 「こんなにも上手い俺が負けたのはヒューマンが弱いせいだ」 「こんなにも強い俺が負けたのはヒューマンが弱いせいだ」 「こんなにも美しい俺が負けるのは全てblizの責任だ。」 ToDが繰り返してきた主張は全て、「sky」の一語で覆された。「コイツ何言ってんの?」「フランス人は口だけだな。」世界中から笑いものにされたToDは、やがて、言葉を失い沈黙した。 ToDは言葉を失った。 ToDは支持を失った。 ToDは逃げ場を失った。 けれども、ToDは消えなかった。 ToDに必要だったもの。 それは皮肉な事に、skyの存在そのものだった。 見果てぬ闇夜を切り開き常識を破壊する勇敢さを持った道先案内人だった。そして、その革命児が「WE.sky」であった事は、ToDにとって何よりの希望の源だった。 なぜならば、skyは「下手」だったからである。 そして、ToDは、世界で一番上手かった。 ToDはskyが切り開いた道を必死で辿って猛進した。ToDの強さはあっという間にskyに追いつき、そしてあっという間に追い抜いてしまった。 skyの全てを研究し、skyの全てをコピーし、skyの全てを進化させ、ToDは宇宙で一番上手いプロゲーマーとなって蘇り、シーンへと帰ってきた。 世界的な大会の決勝戦で、それまで一度として勝つ事の出来なかった、4K.Grubbyを打ち破って。 そして、ToDは言った。 「俺がGrubbyに勝てたのはヒューマンが強いからなどではなく、俺が圧倒的に上手く、強く、美しい、完全無欠のプロゲーマーだからだ。」「ヒューマンは明らかに弱すぎる。優勝した俺が言うのだから間違いない。」「ブリザードエンタテイメントは糞だ。」「WarCraft3のバランスは糞だ。」 そして、ToDは、こう言った。 「最弱種族を操りGrubbyを倒した俺を称えよ!」 「ブリザードエンタテイメントは糞だ。」 「WarCraft3のバランスは糞だ。」 不思議な事に、おかしなことに、4K.Grubbyを打ち破って世界タイトルを勝ち取ったToDを賞賛する声は、世界中どこを探して一つも聞こえてこなかった。 誰よりも上手く、誰よりも強く、誰よりも美しい、最も完成されたプロゲーマーである自らを、誰一人として賞賛せぬという理不尽。ToDはその理由を捜し求め、そして見つけた。その理由を。その男を。そして誓った。消し去る事を。 彼は中国に居た。 WE.Skyその人である。 ToDはskyより強い。 世界はぼんやりとその事実に気がついてしまっていた。中国のレベルは非常に低く、skyの練習相手のレベルも自ずから低かった。一方のToDには、世界最強オーク4K.Grubby、世界最強アンデアッド"名勝負製造機"4K.FoV、欧州最強ナイトエルフ"欧州の未来"creoplsという、鬼のようなチームメイトが居た。彼らはToDの練習相手であり、またブレインでもあった。問答無用の最強面子と切磋琢磨し続けた結果、ToDの上手さは異次元へと突入しようとしていた。 ToDはskyより上手い。 それは紛れも無い事実だった。 ToDはskyより美しい。 それは紛れも無い事実だった。 ToDはskyより強い。 それも残念な事に、事実であった。 誰よりも上手いToDは、常人では決して行えないようなリスクを背負い、その自ら作り出したピンチを圧倒的な上手さで切り抜けるというプレイスタイルで、見る者全てを魅了した。そんな人々の心を捉えて離さない芸術的な試合を繰り返し続けるToDを賞賛する声が世界中どこを探して駆け回っても一切聞こえてこなかった理由については、皆様の想像にお任せしようと思う。 そして、ToDは、中国へ飛んだ。 WE.skyを打ち破るべく。 万全を期して。 大蛇に四肢を書き入れて天高く舞わせた男、WE.IGE.sky。 宇宙で一番上手い奴、Grubbyの金魚の糞、4Kの汚物4K.ToD。 2本先取。 言い訳不能、逃げ場無し。 敵地中国に乗り込んで、ToD背水の決戦だった。 その、大事な1ゲーム目を、ToDは落とした。 WarCraft3には、プレイヤー以外の勢力(中立モンスター)が存在し、それを倒すとアイテムと経験値を手に入れる事が出来る。その落とすアイテム運によって、ゲームの流れが大きく傾く事がある。このゲームが、それであった。圧倒的な運で良アイテムを手に入れたskyを相手に回して、ToDに出来る事は何も無かった。 もしもその場でToDにインタビューすれば、きっとこう言っただろう。「ブリザードエンタテイメントは糞だ。」「WarCraft3のバランスは糞だ。」と。 けれども、まだ終わってはいなかった。 ToDには勝算があった。 WarCraft3にはアイテム運によって流れが変わるマップと、アイテム運くらいでは流れの変わらないマップが存在する。そして、残り2ゲームは後者であった。運の介入する余地の無いマップであった。 そして迎えた2ゲーム目。 ToDは中国全土を沈黙させた。 ToDを馬鹿にしていた世界中の人々までをも黙らせた。 ToDは圧倒的に上手く、圧倒的に強く、圧倒的に美しかった。 他のトッププロと比較しても、段違いに上手かった。 skyなど、比較対象にならぬくらいに上手かった。 ToDの操るヒューマンは、まるで別の生き物のようにぬるぬると動き、skyの全てのプレイングはその美しさの引き立て役にしかなっていなかった。もはや試合ではなかった。それはToDのプレゼンテーションだった。その異次元の強さは、ToDがこれまで放ってきたどんな言葉よりも雄弁に、ToDの素晴らしさを物語っていた。反論の余地は無かった。こんなものを見せ付けられては、もはやToDの凄さを認め称える以外に道は無かった。全人類が、ToDにひれ伏そうとしていた。 けれども、そこには運悪く、あの男が居た。 WE.Skyその人である。 最後のゲームとなった3ゲーム目。 泣いても笑っても最後のゲーム。 それは、ToDのゲームだった。 最初の農民がready 2 workと声を上げた瞬間からもう、ToDは美しく強かった。全く同じ事を行うにしても、ToDはskyよりも遥かに正確にそれを行う事が出来たし、はるかに素早く行う事が出来た。最初の1分で生み出されたたった5秒のアドバンテージは、鼠算式に膨らんで、ToDはskyの5分先を行き、あらゆる局面で圧倒し始めていた。一方的な、ワンサイドだった。あとはskyにggと言わせて負けを認めさせれば良いだけだった。それはToDにとって、あまりにもeasyなミッションだった。 そんな時、skyが旅立った。 全ての農民を引き連れて、自陣を完全に空にして、skyは遥か遠くを目指した。ToDは見事な偵察力でそれを捕らえ、行軍するskyの軍勢に襲い掛かった。農民を狩り、兵を狩り、召喚ユニットを消し去り、道行くskyをボロボロにしていった。 skyは、一切応戦する事無く、それを無視した。「俺を無視するな」と襲い来るToDを完全に無視した。「さあ戦え!そして敗れ去れ!」と叫ぶToDを、放置したままで歩き続けた。ToDなどという人は、地球上に存在していないかのように振舞った。 そして、出発時の半分以下になった大量の農民を含むskyの全部隊は、ToDの本拠地へと辿り着いた。skyの農民はToDの本拠地をまるで自らの本拠地であるかのように振舞いだした。防御塔を建て、陣地を構築し、ToDの生産拠点を次々と封鎖していった。もう、何もかもが手遅れだった。 ヒューマンの最強ユニットであるナイト。 回復を担当するヒーローであるパラディン。 瀕死の味方を本拠地にテレポートで退避させる事の出来る杖。 この3つを揃えたToDは無敵だった。 ToDのヒーローを倒そうと攻撃を集中させると、パラディンのヒールで回復させられ、パラディン自体を倒そうにも、パラディンが持つ無敵化のスキルのおかげでダメージを与える事すら出来ない。ToDのナイトを殺そうとして攻撃して瀕死に追い込んでも、退避の杖でテレポートさせられ、止めを刺す事が出来ない。 「それを揃えさせない為にどうすればいいか」 というのが、ToDへの唯一の対抗策だった。 ところが、skyはその常識を覆した。skyはToDの無敵モードを発動を許した。いや、許したのではなく、意図的にToDの無敵モードを引き出した。あとは、ToDの美しいショータイムが訪れ終わるだけだった。 ところが、ToDは、無視された。 「パラディン」「杖」「ナイト」という、ありとあらゆる戦闘での勝利を確約してくれるはずの三種の神器を揃えたToDは、skyに完全に無視された。 ToDは、呆然と立ち尽くした。 逆にskyの本陣を襲うという手もあった。 しかし、skyは農民をToDの本陣(資源地帯)へと到達させていた一方で、ToDの農民はskyの構築した鼠一匹漏らさぬまでの塔の壁に阻まれ、外へ出る事が出来なかった。 仮にskyの本陣を壊滅させた所で、それを奪う事が出来なければ、ToDの本陣を乗っ取ったskyの資金力の前に消耗を余儀なくされ、あとはあとは敗れるだけだった。 ToDは、瞬時にそれを理解した。 もう、何もかもが手遅れだった。 自らがskyに敗れた理由を。 世界が己ではなくskyを認める理由を。 ToDはそれから10分もの間、「パラディン」「杖」「ナイト」という三種の神器を揃えた本隊を、何をするでもなく、ただ右往左往させ続けた。ToDの本拠地を乗っ取ったskyの農民達が新しい建物を次々と建てて行く様を、何も出来ずにただ見ていた。 普通ならば、負けを認めて投了する場面であった。けれども、ToDはそれをせず、自らの最後の建物がToDの攻撃により破壊されるまで、芸術的な上手さでskyに嫌がらせをしたり、中立モンスターを狩ったりと、示威行動を繰り返しては、skyに無視され続けた。ToDは惨めだった。ToDは哀れだった。ToDは孤独だった。 そして、宇宙で一番上手い男は負けた。 中国で最も勇敢な男に。 それでも、まだ、そういう人達は居た。 skyを嫌う人達である。 彼らは、ToDに心酔していた過去を忘れる事が出来なかった。 insomniaを称えていた過去を捨て去る事が出来なかった。 思い出にしがみ付き、skyを否定し続けた。 頼るべき論拠は幾つか在った。 skyは確かに世界規模の大会で立て続けに2つのタイトルを取った。skyは確かに世界で最も上手く、世界で最も強く、世界で最も美しいToDを叩きのめして打ち破った。けれども、それらは全てskyのホームグラウンドで行われた大会であり、イベントであった。 シンガポール、上海、そして北京。中国で行われた大会で中国人が勝っただけ。遥々彼方の遠くから、遠征してきた相手にホームでちょこっと勝つくらい、レクレアティーボにだって出来る。一部の人達はそう思い、skyを決して認めなかった。 そしてなにより僕らには、あの男が居た。 圧倒的な前評判を覆し伝説の空飛ぶアンデッドを引退に追い込んだあの男。ロシアの犯罪者を完膚なきまでに打ち破り英雄となったあの男。"Grubby2.0"と称えられていたプロゲーマーを打ち破りその看板を自らの手で剥ぎ取って"Grubby 1/10"と名付けたあの男。"Grubby killer"とまで言われていたWarCraft3第五の種族を操る異才を、2v2でも1v1でも完封し「4K死すともGrubby死せず」と世界に衝撃を与えたあの男。あの日「Human sock」の一言で、WarCraft3の息の根を止めたあの男。 "one word"! "歩く4K.Grubby"! そう、Manuel Schenkhuizen! 4K.Grubbyその人が。 舞台は、すぐそこにあった。 欧州最高、いや世界最高のプロゲームリーグ戦、WC3Lである。 その大舞台に初参戦した、skyの初戦。 彼は、名も無き相手に0-2で負けた。 何も出来ず、惨めに敗れた。 見せ場も無く、退屈に。 つまらない負け方で。 世界が、活気付いた。 「skyが何だって言うんだ?ホームで勝っていただけの事だろ。」「こんなつまらない負け方をする奴の試合なんてもう二度と見たくねえ。中国に引き篭もってろ。」「結局skyがWC3Lに持ち込んだものは、戦術でも、戦略でも、新風でもなんでもなくて、欧州の大会のウェブサイトに中国語でコメントをする迷惑な中国人だけだよね。」これまで、溜まりに溜まっていた世界中のアンチskyの鬱憤がうねりを無し、skyへと殺到した。 それにskyは応えて言った。 「僕は世界で最も優れたプレイヤーではないし、世界で最も強いプレイヤーでもない。うまくいく事もあるけれど、うまくいかない事もある。少しでも期待に応えられるように努力するよ。」と。 女々しい台詞に皆が集った。 侮蔑嘲笑罵詈雑言が、世界中から集まった。 WC3Lシーズン9。 skyは初戦を除く全ての試合で勝利した。 驚くべき事に、たったの1ゲームも落とすことなく。 その勝利の中には、4K.Grubbyに対する勝利も含まれていた。 sky十八番のソーサレス/プリーストを打ち破るべくGrubbyが密かに用意した大戦車部隊が自陣を発ったその瞬間にskyの空軍がそれを襲い、対空能力を持たないGrubbyの大戦車部隊は、skyの軍勢に砲弾の一発も打ち込めぬまま、全滅した。 世の人は言う。 「WarCraft3を完成させたのは、彼だ。」と。 昨年末に行われたワールドカップのベスト8は、オークが1人、アンデッドが1人、ナイトエルフが1人、残る5人はヒューマンだった。あのinsomniaもそこにいた。蘇ったinsomniaはいつの間にか、再び欧州最強クランSK-gamingのエース格へと復活を遂げ、純粋な名声を再び得るまでに成っていた。 現状を見て、世の人は言う。 「ヒューマンはちょっと��すぎるんじゃないか?」と。 現実を見ず、彼は言う。 「ヒューマンは弱すぎるけど、まあ、ぎりぎり許容範囲かな。」と。 ブリザードはゲーム内最弱種族だったヒューマンを、パッチの度に弱体化させてきていた。その頃、ToDはこう言っていた。「ブリザードはWarCraft3を殺す気だ。」と。あれは、一体、何だったんだろう。ToDはあの頃からもうずっと、世界最強のプレイヤーになれるだけの力があったのに、どうしてToDじゃなくてskyだったんだろうかと。 skyと他の誰かとの違い。 それは、結局の所、ほんの少しの事だったんだと思う。 >>?了,高?,?了,也高?。 >勝って、喜んで、敗けて、うれしいです。 僕らに足りなかったものは、一体なんなんだったんだろう。 insmniaはメランコリックにヒーローを装ってばかりで自分を信じる事が出来ていなかったし、ToDは荒を探してはケチばかりつけていた。そんな事をしても何も変わりやしないんだって、知っていたはずなのに。そうしている間中も、WE.skyは、世界から、遠く離れた黄色い大地で、自分を信じて突き進んでいた。多分、物事は単純で、僕らもそうすればいいんじゃないかな。 >>失?了,从中受到了挫折,吸取了??, >>?了自己更大的?斗?力与目?, >>?了?个?斗的?力?也???之喜?。 >失敗して、中から挫折を受けて、経験を吸収して、 >自分にもっと大きい奮闘の動力と目標をあげて、 >この奮闘の動力のためにもこのために言うことを喜ぶべきです。 僕らはいったい、何を恐れているんだろう。 どうしてそんなに臆病になる必要があるんだろう。 もう随分と眠ったじゃないか。 そんな夜を繰り返しても何も変わらないよ。 さあNOW、PCの電源を落として(もしくは、本を閉じて)、くだらないものにしがみ付くのをやめて、全てゴミ箱に放り込んで投げ捨てて。空を自由に飛ぶ為に必要なものを取り戻しに行こうじゃないか。自分を信じる心と努力。簡単な事だろう。そうすれば誰だって空を飛べるし、そうすれば誰だって自由になれる。どうせ失って困るものなんて実はそんなにないんだから。ToDみたいな事してないで、hemanみたいになっちまう前にさ。 行こうじゃないか、僕達も。 WE.skyに随分と遅れて。
空を自由に飛ぶために必要なものと、少しの誇張。
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