畑中(Hatanaka)の生活日記。交通・生活・政治について考えています。読書記録なんかもしていきたいなと思います。不亦遠乎。
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2025年、年頭所感?
年頭所感なるものがある。階層的に言えばまず天皇の発出するもの、次にpresident大企業の会長社長が述べるものが続き、最も下層なものは小学生の「ことしのもくひょう」だろう。その構造に異を唱えないわけではないものの、まあ社会一般にこうした構造で理解されているわけなので、そうした受容姿勢そのものに異を唱えることはない。
昨年はひどく混乱した1年だった。仕事では担当が大きく3つあり、Aは通年事業で政治的要素が絡む(ここでは人間間の原始的政治性のことを指す)、Bは通年事業だが会計等ちょっと頭をひねる必要がある、Cはどの職員も同じように担当��ている業務、このような具合である。
Aは担当者によりやり方かかわり方の異なる業務だ。前任者はいるものの引継ぎがほとんどない中で取り組むことになり非常に困惑した。社会一般の出来事として、引継ぎとはこんなにも欠如しているのだろうか?特に役場などは3年で人事異動となるから引継ぎは一定程度行われているという。だが私のA業務は前任者が目の前にいるにもかかわらず全く教えてもらえず苦労した。私固有の問題なのか、私と前任者の間柄の問題なのか、前任者の問題なのか、組織全体の問題なのか、このどれかには(あるいは複数選択に)なろうが、今の私はそれを俯瞰検討できるほどの立場にはない。引き続き尽力する他ない。
しかしそうしたゆがみの原因の一つだろうか、前任者との間で業務認識の差異があることは認めなければならない。我々がサラリーであるのに対し業務のお客さん(敢えてこう表現する)はみな非サラリーである。その構造的な違いに対して我々がどの程度介入しまた許容すべきかについて、組織として一定の解はあるものの実態はそうなっていない、あるいは組織として一定の解がそもそもなく属人的である、等の理由により業務にムラが生じてその結果ゆがみが生じている、可能性がある。しかしこれ以上の俯瞰検討はできない。私は多くを先輩の教えに請いたいが、現状それは叶っていない。
続いてB業務、古くから行われている委託業務の割に、引継ぎの書類がほとんど存在していない。まさに属人的な業務そのものである。なんなら前任者が既に会社を去っているため、過去の書類からたどるほかない。ただこの業務のまだ救われる点としては、いくつかの難解な会計処理などを除いて基本的には厳しい業務のないことである。属人的な業務体制を見直して、引継ぎ&業務マニュアルを作成することでこれらを克服していきたい。
あとはC業務、これはネットで調べられる社会一般的な業務であるわけだがしかしそれでも多くの業者に委託を受ける業務なわけで、気安くできる業務ではない。これについても各担当についてであるとか、引継ぎ書類を明確に準備すべきであると思うのは私だけだろうか。
また業務の他、今年度は職員としての資質を高めるべく資格取得に取り組み、また学業学務も一層推進したい。社会��評の同人サークルでは寄稿2本(論考1本、紀行1本)を目標にしたい。あとは古くから就任している大学サークルの顧問をあと一期だけ受けるつもりなのでそちらでも引継ぎ業務を積極的に実践していきたい。あとは結婚したいくらい・・・。
様々な懸案を克服し、人に必要とされる人材を目指し、今年一年を全うする、そんな決意をもって所感に代えさせていただきます。本年もどうぞよろしくお願いします。

【写真】相変わらずの大学7階からの景色:畑中撮影
2025年1月年頭 @S崎町
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一カ月が経過
就職して一カ月が経った。拾っていただいた先でしっかり頑張ろうなどと思ってはいたのだが、4月前半は、何も貢献できない自分がただただみじめになって仕方がなかった。ファイル整理をして眠気と戦い、退勤時間を待つことに嫌気がさした。
業務がわからず、自分にできることもなく、かといって職場の皆さんの邪魔になるわけにもいかないので聞くこともできず、居場所がなかった。業務の話も、そして雑談もすべて蚊帳の外な気分にさいなまれることばかりだった。
そんなわけで前半はただただ悲しかったのだが、後半になると若干持ち直すに至った。全体研修が行わ���たり、内外の関係者の皆さんに少しずつ顔を覚えていってもらったことで、いる意味が少しできた気がした。小さなことだが、頼まれごとを少しずつしてもらえるようになり、業務も出てきて、面白くなってきた。
大学院に4年いて感じていたことをここでも反芻した。人は一人では生きていけない。特に私は、人に頼られて初めて存在ができる人間なのだなと思った。北海道で自転車旅をしたのはもう7年もまえのことになってしまったのだけど、礼文の☆観荘の主が夜の歓談の席で言っていたことを今でもよく記憶している。
民宿の主というのはどこにいってもおおむね同じような雰囲気を持つ人たちだったような気がする。人と触れるのが好きで、かつては旅人。人情にも厚く、すこしおしゃれな感じの人たち。話していてとても楽しくて、どの主もよく覚えているのだけど、今日思い出すのは☆観荘のオーナーだ。
「人を旅する」が彼のモットーだった。昨今における観光とはSightSeeingのことを指す。五重塔、スカイツリー、あるいは有名な食事処。我々はこんにち、そうしたスポットに訪れることを観光と呼ぶようになった。宿も安く抑えようと思えばビジネスホテル・カプセルホテルなどになり、隣のブースにいる人など知る由もない。
だが民宿はそうではない。特に、夏の北海道という場所が人をそうさせているのだと思う。全国各地から様々な目的で、いろんな属性の人たちが集まるが、きまって民宿では歓談が起こる。各々に日々の話などをすると、おもずから人の人生に触れることになる。人の人生を��り歩く、そんな体験が夏の北海道の民宿にはある。人を旅するとは、つまりそういうことなのだと思う。
自己分析なんて、就活ではあまり意識していなかったのだけど、今ここにきて突然それを思い出した。根暗ではあるけど頑張って話に行けば、自分自身も楽しい。そういう性格なのだと思う。頼られるように、もっともっと頑張らないといけないのだとすると、それはとても疲れる気がするのだけど、でもそうでしか僕は生きていけないのかもしれない。
今晩はかなり涼しい。最近は気候が少し変だ。

[写真]山のふもとに広がる、歴史ある街。
2024年5月GW @S崎町
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ブログ開設と終わりの春
ひょんなことで大学に残り、気が付けば幾数年とここで消費してしまった。全く何もやっていなかったというわけではないが、学位は結局手に入らず、社会的な評価を受けるに値することは特段できなかったように思う。とはいえ、イベント運営にも携わり、地域貢献に少しでも寄与できたなら、まあよかったのかな、などと自分をなだめる。
手に入らないものを追い求め、その度に疲弊する毎日だった。だからこの数年を「卒業」してしまいたいなと思い、地域貢献できる仕事を探し、なんとか正社員採用をいただくに至った。拾っていただいて本当に感謝しかない。なので、配属先が決まり次第、人生の1合分を過ごした部屋をとっとと出ていきたいのだ。今は、引っ越しの計画を立てることが就職準備となっている。
アルバイトはそこそこ楽しかった。労働というものに不向きではないかなどと以前は思っていたが、周囲の皆さんが優しいのもあり、恵まれた環境で、労働に対する嫌悪感を若干は払しょくすることができた。自分で段取りを立てて、オペレーションを円滑に進めるために尽力する、そうした経験ができたのもよかったと思う。結局は、人間関係が一番大事だよなあと。

さてそんなわけで、新居もだが、今は家具をちらほらと見に行っている。ダイニングテーブルなるものを今まで購入したことはないのだが、いつか二人でテーブル越しに話しながら食事をするような、そんなささやかな幸せをかなえたいというのがぼんやりと頭の中にあって、それがためにどこで調達しようかを考えている。

無印ならIDEEのテーブルが気に入るフォルムなのだが、これは定価が8万もするので、予算が厳しい。そこで今日ニトリを見てみたら、そこそこのものが3万くらいであることが分かった。

これで妥協してもまあいいかなーなどと思いつつ、まだまだ悩ましいな。メルカリで見てみると、以前取引があった履歴が残っていたので、そっちで待ってみてもいいのかも。

碌なものではない数年を送ったとはいえ、もちろんそれは自責のことだし仕方がない(とはいえ��失0の交通事故に合ったのはなかなか強烈だった、幸いにして後遺症が残らず完治に至ってよかったが)。ただ私の道楽つながりで、後輩には恵まれなかったりそうではなかったりで、ひとりぼっちというわけでもなかった。食事は時々後輩と一緒に出向いていたが、自分一人で出ることはあまりなかったなとふと思い、家具見学のタイミングで、思い切ってしゃぶ葉に行った。しゃぶしゃぶ屋さんだと思ったら、思いのほか寿司がちゃんとしていてびっくりした。舌の肥えた人は敬遠するレベルなのかもしれないが、私はこれでも十分おいしかった。あとは、牛すき焼きよりも豚しゃぶが思いのほか美味しく、ちょっと驚かされた。そういえばしゃぶしゃぶなんて食べたことなかった気がする。

隅のほうで、とリクエストしたら、眺めの良い幹線沿いの席に案内された。雰囲気はとても良かった。最後のほうで、高校生が入店してきていて、手には花束があった。そういえば今日は私立高校の卒業式だったっけ。自分にもそんなこともあったなと懐古しつつ、帰路についたのだった。
2024年3月某日
@M香台
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