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reikot · 3 years ago
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照明についてのあれこれ
個人的にすごく好きなお施主様がいる。穏やかな50代の女性で、すごく素敵な感性を持っていて、子供のような好奇心を持っていて、使う言葉がすごく綺麗で、会うたびに新たな発見があり楽しい。外見は年相応なのでおばあさんと呼ぶのは失礼かもしれないけれど、おばあさんと呼びたくなるような達観した感性と人生観を持っていて、穏やかな空気を纏っていて、不思議な気持ちになる。
その女性と、照明の打合せをしていたときに、「玄関や廊下が煌々と明るいのはあまり好まないんです」と言われて、驚いた。暗さに魅力を見出すのは建築を少しでも学んだことのある人だと普通かもしれないが、世間一般の人で、しかも自分の家を作る時に、明るくない方がいい人なんて実際はほとんどいない。大半の人の照明に対する考え方は、ここが暗いんじゃないか、だからここにも照明をつけよう、なのだ。20軒以上の家を設計して初めて出会った感性だ。でも、今まで、照明は無いよりはある方が良いの発想で設計していたので、明るさをコントロールできる経験値も知識もなく、どこまで減らしたら暗いと感じるのかもさっぱり分からず、自分が今まで照明は設計していたようで全然していなかったことに気付かされた。本やSNSで照明の計画を漁り、照明について考えるきっかけになった。
光を通さないシェードが大きめについたペンダントライトは、その下だけは明るいが天井は暗くなる。ある本で、これが綺麗に現れた写真を見て、格好良いなと思った。暗さを魅せる照明計画は、目につく明るい部分をどこにどんな形で持ってくるか、ということに行き着くと思う。ぼんやりと漏れてる���がどこから漏れるのか、もしくは鋭い光をどこかに配置するのか。どんな輪郭で光らせるのか。ってことだと思う。外観を考える上でも、夜に室内の照明がどうこぼれて、外部の照明がどこについて、ってことを考えて、光る場所の位置をコントロールできている建築は小さくても存在感がある。
古い日本の民家は天井を貼ってないから、屋根裏が剥き出しで、大きな梁に照明が吊り下がっていて、その下で人が過ごしていた。その照明よりも上の屋根裏は本当に真っ暗で、そこに何かが居るという怪談の絵本があったのを思い出した。ケーキに蝋燭を灯して電気を消した時のように、暗闇に小さな光があると光の届かない暗闇は本当に濃い闇になる。その闇を潰すように、闇が一切できないように照明を配置するのが、一般的な今の住宅の照明の考え方だ。
今主流となっている天井付のシーリング照明や、ダウンライトはいつ誕生したんだろう。西洋も日本も最初は照明は吊り下がってたはずだ。意外と戦後とかそのくらい最近の話なのではないかと勝手に思っている。きっと吊り下がっている照明よりも上の暗闇を潰していった結果天井に届いたんだろう。そしてダウンライトに至っては天井の表面を通り過ぎ、埋め込まれるまでになった。そんな感じだろうか。面白いな。
学生時代の設計で照明まで行き着く人はほとんどいないと思う。というか、あまりそれを要求されない。よくよく考えてみると不思議なことで、自然光を取り入れる窓の計画は考えられることも多く、求められることも多いのに、それは24時間のうちの半分の、昼の明るい時間の光の計画でしかないのだ。残りの半分の、夜の光の計画である照明計画は、私にとっては社会に出て初めてちゃんと接する計画だった。でも、住宅を考える上で、住人は日中は家に居なく、過ごす時間は夜がメインであるケースが多いことを考えると、窓と同じくらい、もしくはそれ以上に照明が大事だ。その照明計画を大学では設計する機会がほとんどないのは違うんじゃないかと最近思う。難しいけれども。
照明の難しいところは、それによってどんな空間になるかが、実際に建ってみないとあまり分からないところだ。もっと経験を積めば想像できるようになるんだろうか。その域に行きたい。照明に関してノーコントロール状態から早く抜け出したい。
照明ノーコン状態から脱することができたら、やりたいことがひとつあって、パフォーミングアートを作りたい。空間(照明)と人の動き(ダンス)と音楽のパフォーマンスを作りたい。照明を機械で制御して動かしたり角度を変えたりして、それこそピンポイントで光を作り出して闇を作り出して、ダンサーの動きも、そのどっちに行くかをコントロールして、見たことないパフォーマンス作り出したい。ちょっとした将来の夢のひとつ。
照明で、暗さが魅力になるようなコントロールできた上で、格好良い空間を作れたら、設計する人間として、1個上の段階の楽しさに行けるだろうなって感じてる。でもやっぱまだまだすごく難しい。
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reikot · 3 years ago
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ヘリンボーンについてのあれこれ
ヘリンボーンほど表現が無限大のものはないと思う。平面上の組み方だけで印象が全く違う。細いか太いか、長いか短いかでぜんぜん変わる。最初に床にこの組み方をしようって思った人は天才だ本当に。
ヘリンボーンにはフレンチヘリンボーンとそうでないヘリンボーン(ただのヘリンボーン)があって、フレンチだと板が斜めにカットされてそこで突き合わせるから目地が直線になる。フレンチでない方は板が直角にカットされ互い違いに配置される。フレンチヘリンボーンを使うと結構西海岸風のカフェとかみたいなイメージになって、ヘリンボーンだとアンティークな感じになる。
と、思っていたが、布の織り方から発祥した日本の伝統的な紋様である杉綾は、フレンチヘリンボーンの組み方のものも多いことを最近知った。木目をちゃんと選べば日本風にもできるポテンシャルがある。と思う。最強だ。フレンチヘリンボーンの日本料理屋とか作りたい。
トーヨーキッチンというキッチンのメーカーがある。ギラッギラのステンレスが格好良いメーカーだ。とにかく床や壁を選ぶので、特に比較的安価な一戸建て住宅ではあまり採用されない。でもすごく格好良いので、会社の先輩とどんな床だったら合うのか論を繰り広げたことがある。それがすごく楽しくて、しばらく色々と組み合わせを考えていたら、黒に近いブラックウォルナットのツヤツヤのヘリンボーンが思い浮かび、絶対素敵だなと思った。近未来的なギラギラステンレスと、古い洋館のようなウォルナットのヘリンボーン。そういう正対するイメージが魅力的に感じるのはなんなんだろう。古民家とガラスの彫刻とか、リノベーションと現代芸術とか。どっちも時間を感じさせられるものだからしっくりくるのかも。あとは未来的なものの緊張感を古さの持つ暖かみで対比し相殺するからなのか。でもただの暖かみじゃ負けるからどっしりとした強さも必要なんだろうな。重たさと、軽さの対比と相殺。でもこの重たさや軽さは中途半端な重さのものと合わせると一気にチープになってしまう。
そう言った意味では、ヘリンボーンのバックグラウンドにある重たさが、ヘリンボーンの魅力と扱いにくさを生み出してると思う。ヘリンボーンは使えば基本的に素敵になるが、使い方を間違えると本当に魅力が生きない。ただうるさくなる。
以前ヘリンボーンの型枠で作ったコンクリート壁の写真を見て、素敵だと思った。同時に、これで囲われた空間は嫌だと思った。
今ずっとやっている住宅は、その性質上心地よさや安心感が重視され緊張感を排除することが多いから、最近は店舗建築みたいな緊張感も歓迎される設計をしたい欲が強い。住宅の穏やかなヘリンボーンの使い方じゃなくて、少し穏やかじゃないヘリンボーンの使い方したい。
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reikot · 3 years ago
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サンプリングプレイリスト
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コレクションを見せびらかしたいこどもと同じきもち
個人的に最強なプレイリスト!
サンプリング元曲→サンプリング曲の順番
https://music.apple.com/jp/playlist/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8C%E3%81%93%E3%82%8C/pl.u-76oNl17FqkoxN6?l=en
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reikot · 3 years ago
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こういう時代だからこそ、圧倒的に貪欲に生き延びたいな。渋谷の開発は批判も多いし全てが良いとは思わないけど、建築中の巨大建築の生命力のようなエネルギーは最高だ。整然と綺麗にできていくのではなく、完成せず、常に、雑然と、圧倒的な存在感を持って成長し続ける渋谷みたいに生きたい。せっかく時代の変わり目にいるのだから、呑まれながらも溺れずに、切実なものを投げかけ続ける人生がいい。
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reikot · 4 years ago
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〇〇観という言葉がある。人生観とか恋愛観とかの、その人の信念やポリシー、ものの考え方のことを言う、「観」だ。
私が思うに、きっと人間には「観」を共有したい欲があって、だから色んな人が人生観をSNSで発信したり、人に語ったりするし、あるある話が需要があったりするのだと思う。マズローでいう、承認欲求に近いものかもしれない。そして、この「観」は特殊であればあるほど、同じ「観」との出会いは運命的に感じる。
私は恋愛観も人生観もそこそこに普通なので、SNSの誰かの「観」の発信にそれなりに共感できるし、あるある話にも共感できる。共感できないことも多いけど、共感できることも多いから、「観」の共有に飢えていない。
ただ、ひとつ、あまり共感できず、言語化できないから共有できずにずっと飢えていた「観」があって、それが「自然観」だ。でもその「自然観」が一致した、と感じた出会いが2つある。それが藤森照信と名和晃平だ。この2人の自然観が自分にとってはどんぴしゃで、存在を知った時に衝撃を受けた。そして、その自然観は言葉以外で表現できることを知った。
藤森照信
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藤森照信は建築史家で建築家。自然を綺麗に整えて建築に取り入れる建築家が多い中、人間は自然に勝てないことを感覚的に知っている建築家だと思う。うまく言えないけど、自然に勝とうとしてないけれど負けようともしてなくて、そもそも勝負をしようとしてない。それでいて共存をしている。建築家は自然に負けるか勝つか、つまり自然に同調して溶け込むか、コントロールするかで二分されがちだけど、藤森照信の感性はそのどっちでもない。自然に媚びてない。本人はハッキリとは何も言っていないんだけど、考え方はたぶん日本の神道というか、八百万の神のような日本人の神様に対する考え方に基づいている。神様を仰々しくは信仰しないんだけど、その辺のもの全てに神様は宿っていて、神様をそもそもコントロールしようなんて思わないし、神様に負けるとかいう概念もない感じ。私も自然に対してそういう感覚でいたから、緑化をシステム的に整備した建築も、自然に溶け込んだ建築もピンと来なかった。自然に対しての佇まいで唯一ピンと来た建築が藤森照信の建築だ。建築としては奇抜な建築が多いが、なんていうか、人間の作るものとしてあるべき姿というか、1番自然に対して違和感のない姿を持った建築に思える。
名和晃平
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名和晃平は彫刻家、現代芸術家。使う素材や表現の仕方は藤森照信とは全く違うが、自然観はかなり同じだと思う。私が名和晃平を知ったのは、一昨年行った犬島という島にあるBiota (Fauna/Flora)という彫刻だ。この彫刻は、外壁と屋根だけ残した民家の中にある。化学反応を繰り返して形を作った発砲スチレン?(素材は覚えてない)が素材の化学反応のままの形で建物を突き破りそうな勢いで置かれていて、そしてその一部だけ明らかに人間の手が加えられた直線的な形で、1箇所にスッと収束している。撮影禁止なので外からしか撮っていないが、インターネットでは見れる。収束した1箇所だけが作り手のコントロール下にあって、そこには意思が集中していて、でもそれはコントロール不能な全体がないと成立していない。手を加える部分とコントロールできずに成り行きに任せる部分、そのバランス感覚が藤森照信と同じだと感じた。そしてその感覚がすごくしっくり来て、そのときに自分の自然観がなんとなく言語化できるようになった。名和晃平は他の作品も、化学反応や素材の性質に頼るものの、野放しにせず、媚びず、負けるという概念もない感じの作品が多い。
藤森照信が昔の手法、昔の素材を取り入れ自身の自然観を体現してるのに対して、名和晃平は使ってる素材はむしろ新しい素材で、印象やスタイルは違うものの、自然観はかなり似ている。そしてこの2人は私が言語化も可視化もできずにモヤモヤ持っていたものを物質として形にして体現している。芸術の意味とは、「観」の体現とそれによって見る人に何かしらの影響をあたえることなのかな、と思う。
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reikot · 4 years ago
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好きな場所
東京に来て4年半。それまで生きてきた場所とは全く違う環境でも4年半も住んでれば完全に順応して、もはやここにずっと住んでたんじゃないかって錯覚することもあるくらい。もちろんそうじゃないことは理性では分かってるけど、ここでずっと育っていたとしても違和感がないくらい東京の景色が見慣れた景色になった。映画「パラサイト」の1シーンで、豪邸の地下シェルターに4年くらい住んでたおじさんが「俺はここで生まれたような気すらしてきた」的なことを言ってたシーンがあって、それもちょっとわかる。地下に4年間は想像もできないけど。
そんな東京で自分がとにかく好きな場所が、カテドラル大聖堂と明治神宮だ。この2つは、本当に好きで何回も行くけど、何回行っても全然見慣れた景色にならない。実は何回見ても見慣れないことがそれを好きになる原因なのかもしれない。見慣れたものも好きだけど、熱狂的になるには見慣れないことが重要だったりするのでは。っていう説。
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カテドラル大聖堂
これは今年の元旦に撮った写真。無加工なんだけど天気の力もあって神々しく撮れたオキニ写。帰省せず東京で年を越して、元旦の朝に歩いて行った。キリスト教徒ではないから新年最初に神社やお寺ではなく教会に行ったのは初めてだったけど、いい天気で静かな朝に神父さん(?)が聖書を読んでる聖堂の景色はごみごみした初詣よりもはるかによかった。
カテドラルは建築系の人なら必ず知っているかと思うが、丹下健三という建築家が建てた有名な教会だ。前のアパートから歩いて行けたので大学時代よく行っていた。世の中に見たい建築は無限にあるから、基本的にひとつの建築に建築を見るためだけに何度も行くことはあまりない。建築系の多くの人はそうだと思う。でもこのカテドラルだけは何度も行っている。
とにかく好きなんだけども、なんで好きなんだろう、外観はモダニズムの色や装飾のないシンプルなもので、形も単純なのに、ちょっと生き物みたいにかすかに膨らんでいるところがあるところとか、その曲面の先に切り口がそびえ立ってるところが魅力なのかも。中はもっとすごくて、RCが下から上までしかも斜めで曲線で続いて、巨大生物のお腹にいる感じがする。
私は行くたびに後ろから三列目の中央付近に座る。なぜかというと、その場所だと天井が高くて、かつ祭壇後ろの開口の上部がギリギリ見えなくてずっと上まで続いてるように見えるからだ。
こうやって好きな理由を言葉にしてみると、自分はあのシンプルでブルータリズムかつモダニズムの極みみたいな感じが好きだと思ってたけど、実はその生き物みに惹かれていたのかもしれない。とにかく好きだ。
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明治神宮
明治神宮の良さを知ったのは去年くらいで、代々木公園とか原宿渋谷とか周辺はよく行くのに明治神宮には入ったことがないな、と思って入ったら圧倒された。何に圧倒されたかというと、本殿ではなく鳥居と森だ。
生い茂る木の中で堂々としている鳥居が格好良い。それぞれの強さのバランスがちょうど良くて格好良い。
ほんとうの森は怖い。自分の出身地である大岡の森とか。得体の知れない恐怖、迷子になりそうで、人の気配がなくて、何かに遭遇したら怖いけど遭遇しないことも怖い、そんな感じ。
逆に、都市の森は威厳がない。丁寧に管理して、自然の持つ恐怖の一切を消してるから、魅力まで消してる感じ。ちょっと違和感。
神宮の杜が何がすごいかっていうと、この間をちょうど良く攻めているところ。自然の魅力はそのままで、恐怖をちょっと持ちつつそれを魅力に思えるギリギリで止めてる感じ。そのギリギリさが、多分鳥居とかのドーンとした人工物で保たれてる。ほんとうに格好いい。
なんでこのギリギリの感じが作れるのかというのは、まず森にはほとんど手を入れていないらしい。だから都市の森っぽくない生命力はたぶんそこから来てる。逆に生命力のある森なのに怖すぎないのは、ひとつはさっき書いた鳥居とかの人工物のおかげだと思う。もうひとつは、立地と地形だと思う。立地はもちろん駅近とか電車の音とかそういうことに関係するんだけど、それよりも地形が重要だと思ってて、あんな平らな森は少なくとも日本にはほとんど存在しないから、その違和感がこの感じを作ってるんだと思う。
社会人になってから好きな場所にフラッと行くことが少なくなった。平日は時間に縛られて、休日はせっかくの休日なんだから目的を持って生き���きゃいけない気がして、無目的に好きな場所に行けない。カテドラルが徒歩圏内じゃなくなったのが悲しすぎるから徒歩圏内にそういう場所を見つけたい。
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reikot · 4 years ago
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yesterday -BEP
https://music.apple.com/jp/playlist/yesterday/pl.u-38oWW0bFZvrdgJ
BEPのyesterday っていう、映像限定でリリースしている曲がある。
これはBEPが影響を受けたヒップホップをひたすらサンプリングというかリミックスして紹介していく曲。
そしてこのプレイリストは、そのyesterday って曲と、そこに出てくる曲を並べたプレイリスト。
ここに出てくる曲は比較的有名な曲が多いから聴けば聴いたことある!ってなるんだけど、でもマニアックでクールなチョイスで、BEPのセンスが爆発してる。これを聴けば90年代以前のヒップホップが分かる!その中でも特に好きな曲たちが以下!
1.The Champ -The Mohawks
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これは聴いたことないわけがない!たぶんヒップホップではないけどヒップホップにめちゃくちゃ使われている曲。
2.The choice is yours-Black Seep
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これもおなじみ!かっこいい〜ちなみにblack sheepって文字通りだと黒い羊だけど、爪弾きって意味もあるらしい。あ、黒い羊だからか!
3. Rebirth of Slick-Digable Planets
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ディゲブルプラネッツ!声に出して読みたい名前!本当に好き!オルタナティブヒップホップの中でも究極なやつ。ヒップホップの中で1番丁寧で上品。歌詞はもはやよくわからない。めちゃめちゃ上品なのに情熱的。ディゲブルプラネッツ、ほんと好き。マイブーム。3人とも美男美女でオシャレです。ぜひこれは白黒PVも見てほしい。PVもオシャレ。淡々と熱狂しちゃう。
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4.Scenario-ATCQ
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これも聴いたことあるはず!ATCQはサンプリングされることすごく多い!イーストコースト(東海岸のヒップホップ/NASとかジェイ・Zとかが有名)で、オルタナティブヒップホップって言われるけど、まあ確かにジャズの音とか使ってるけど、テンポとかノリはウエストコースト(西海岸のヒップホップ/ギャングスタラップって言われてる、N.W.A.とかのイメージ)に近いものも感じる!個人的な感想!
5.Night of the Living Baseheads -public enemy
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これはBEPがLabor dayって曲でサンプリングで使ってる曲。ヒップホップでよく聴く!みたいなフレーズがところどころある。由来とか調べたら楽しそう。あんまり和訳読んだことないけど、主張が激しい系とよく言われるから、今度歌詞ちゃんと調べてみよ。
6.straight outta compton-N.W.A
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これは説明するまでもないけども。ギャングスタラップの先駆者でこのタイトルのまま映画にもなったやつ。かっこいいよね。王者の風格、、そもそもメンツが王者、、
ギャングスタラップって汚い言葉や自分がどんだけ悪いかってことを並び立てるんだけど、その背景には温室育ちの奴らとは違うんだぜっていう主張とか泥臭さとかがあって、しかもそれが彼らのアイデンティティでもあって、その必死さがヒップホップの魅力のひとつだと思ってるから、日本語ラップでたまにあるただのワル自慢で生きる上での生々しさとか必死さを感じないのはあんまり好きになれない〜話が逸れたけどギャングスタラップが1番かっこいいのは間違いなくN.W.A.だと思う!
ここで紹介してないのもかっこよくて最高!全部好き!ヒップホップ、ハマればハマるほど時代が遡ってく気がする。
BEPって出す曲どんどんポップになっていってるけど、根底の影響とか作り方がめちゃめちゃヒップホップで、サンプリングもすごく多くて、音楽をジャンルで分ける無意味さをどことなく感じさせてくれる。
まとめると、
・BEPはすごい
・ディゲブルプラネッツ素敵
・BEPのyesterday 聴けばわかる
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reikot · 4 years ago
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GAギャラリーの世界の住宅プロジェクト展、なんかピンとこなかった。素敵なのは何個かあったんだけど、素敵なだけで、もっとゾワってなるのとか、びっくりしてガン見しちゃうのと���、そんな感じのがひとつくらいあるって思ってた。期待しすぎてたのかもしれないけど。なんかつまんない。ここに展示されてたレベルの素敵さなら早稲田の学部生の課題の時から出せてた人はたくさんいるよ、、
 本当に今の建築、特に住宅分野、つまんない。大きな公共建築とかは、技術の進歩で面白くなりようがあるから面白いんだけど、住宅は建築としてはもう行き詰まってるんじゃないかな。窓の断熱性とか、IOTとか、そっち方面の進歩はすごいけど。
今回の展示見て1番思ったのが、無駄が多すぎ。
奇を衒ったような形、グリッドに乗ってない形にすること自体は面白いしそんなに嫌いじゃ無いけど、それによってできたデッドスペース何に使うの?用途のない居場所?とかにするには狭すぎるのとか、居心地悪そうなのとかばっか。名のない空間を作りたいんなら計算して入れ込まないと。空間余ったからそれをなんか後付けでそれっぽく見せました、みたいなのってすぐ分かるしいちばんみっともない。あと、形複雑にすればするほど材料費がかかるけど、それを補う魅力ないのばっかり。材料費かけてその形にするメリットは?形もごちゃごちゃしてかっこよくない。
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本当にすごいな、って感動する名作住宅には無駄がない。篠原一男の白の家、コルビュジエの母の家、ルイスカーンのフィッシャー邸、スカイハウス、住吉の長屋、ファンズワース邸、これらは全部無駄がなくて、レスイズモアで、シンプルで、かっこよくて、言葉を並べなくても凄さがわかって、その時代の住宅像に正面から立ち向かって勝負してる。今溢れてる「つながる空間」「スキップフロア」を使えばいいねみたいな住宅じゃなくて。
あと日本の木造在来軸組工法。これも無駄がなくて本当にかっこいい。奥が深すぎて最近感動した。
住宅プロジェクト、もっと誰かの絞り出した答えみたいなのを見れるかと思ってたから残念。毎年やってるのに今回こんながっかりしたのはなんでなんだろ。私がひねくれただけなのかもしれない。
自分がおもろいのを生み出せるかっていうとまだ資格すら持ってないペーペーなんだけど。だからこんなギャーギャー文句言える身じゃないんだけど。でも自分の事務所持ったら必ず挑戦する。
今の住宅を取り巻く環境が変わってきていることは確か。人が地に足をつけなくなって、家のサイクルと人のサイクルがリンクしなくなってきて、一生賃貸の人だっているし、戸建て住宅すら売る前提で買う人も多くいる。「本当は大きなクローゼット作って部屋は2つにしたいんだけど、3LDKのほうが売る時売れやすいから3LDKにする」みたいな。アドレスホッパーやバンライフはもはや地に足をつけることを放棄した人たち。これは極端だけど。
自分がどこで「住む」行為を展開するかってことを選ぶ時代になってきて、住むための建築は「選ばれる」存在になってきている。じゃあそのための建築ってどうあるべきなのか、っていうことで、私は建築自体は地に足をつけている必要があると思ってて、それはもちろん基礎を深くまで打つとかの話じゃなくて、住み手がコロコロ変わることが前提なんだけど賃貸ほどユニバーサルじゃなくて、くらいまでしか考えられていない。結局私の考え方はハイパーで考えてたことと変わってない気もするけど。それを極めてるだけかも。
何が言いたいかっていうと(これ社長の口癖)、もっと時代に挑んでこ!てこと。挑んで、次に何か答えを打ち出せるのが自分だといいな。結局は文句をつけてるだけの私みっともないな。早く独立しよう、そのために何が正解かわからないけど。日々迷ってる、本当に毎日迷ってる。
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reikot · 5 years ago
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ベトナムのこと
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知り合いの愉快なベトナム人たちとの会話の中で、あまり旅行サイトとかには載っていないことで驚いたことを適当に書こうと思います。登場人物:ズイくん、グェン、リンさん、タンさん(勝手に名前使ってごめんなさい。正式名ではないからオッケーかな)
天井の高さ
ベトナムの家は天井が高いらしい。ズイくんいわく、普通の家でも3〜4メートルくらい。それに対して日本は、普通のアパートやマンションでは2.3メートルくらい。だから最初は天井が低いのが慣れずすごく気持ち悪かったらしい。今でもちょっと気分が悪くなると言っていた。天井高って高い分にはたまに落ち着かないくらいで済みそうだけど、たしかに低いと気持ち悪くなりそう。
バイク移動
ベトナムは基本的にバイク移動だからズイくんは車酔いを知らなかったらしい。で、日本に来た最初の1ヶ月は電車で酔ってバイト先に到着するなりトイレで吐く日々を過ごしてたらしい。大変だ、、ちなみにバイクに関しては、3人や4人で平気で乗っているが、一応それは違反らしい。しかも、18歳以下(たしか)は運転ダメだけど、高校生はだいたい乗ってるらしい。
密閉空間
ベトナムのダナン周辺に旅行に行った時に見たベトナムの家は、基本的に1階は道路側に大きな開口があって、(一面ほぼ全部開口)奥にちょっと細長い作りになっている。で、その開口は開けっぱなしにしてある。店や食堂、カフェも基本的に半屋外だ。冷房はそんなに使ってない。日陰と風で凌いでいる。意外とそれがちょうど良かったりする。だからズイくんは日本に来た時冷房も無理だったらしい。電車酔いも、冷房と低い天井と乗り物酔いに慣れてないのトリプル攻撃で余計しんどかったのだと思う。
お墓
ベトナム旅行へ行った時、墓地がカラフルなことに驚いて、写真を撮ってグェンに送ったら微妙な反応されて、よく聞いたらお墓の写真を撮るとそこで眠っていた魂が写真に取り付くから写真にお墓が写るのはタブーらしい。
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街路樹
ベトナムの街路樹は下半分が白い。これはなんなんだろうって思ってリンさんとグェンに聞いたけど、2人ともよく分かっていなかった。当たり前だと思っていたらしい。2人の憶測では、害虫除け、夜道がよく見えない時の目��、と言っていた。
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ハノイとホーチミン
ハノイとホーチミンはベトナム戦争時は分裂していて(ハノイ側の北ベトナムはソ連とかの共産主義国、ホーチミン側の南ベトナムはアメリカとかの資本主義国がついていた)ベトナム統一後も敵対意識が多少はあるらしい。(ここら辺の機敏は分からない)私の知り合いの中では唯一タンさんが南の方出身だが、タンさんは、北の方の人たちは優しくないと言っていた。実はグェンは問題児なのだが、タンさんがグェンの悪口を言う時はよく「北の方の人だから性格が悪い」と言っていた。まあこれだけでは南北の関係に関しては断言できないけど。ちなみにホーチミンとハノイに電車が通る(もう通ってる?)らしく、ホーチミンは中国の会社でハノイは日本の会社だからハノイのが安心だとグェンとズイくんが言っていた。実際はどうなんだう?よくわからない。
ベトナムで建築を作ることに資格はいらないらしい。起業も初期費用ほぼなくできるらしい。物価はめちゃくちゃ安い。ベトナム人は朝が早い。親日国で日本に対する信頼が大きい。発音が多くアの発音だけで10個くらいある。日本語のツとユがうまく言えず、梅雨のことをジュジュって言ってしまう。なんかベトナムらへんで暮らしながらリゾート建築家になるのアリだな〜と思い始めている最近。ふざけ半分、本気半分で。
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reikot · 5 years ago
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8 Mile
エミネムの半自伝的映画と言われる8 Mile。ヒップホップとはなんぞやみたいなことがよくわかる映画。日本人にはあまりピンとこない黒人と白人っていう考えや、銃とかFワードとかのNGな言葉の感覚とか、そういうのが何となくわかる。映画自体はそんなたくさん見ないから知識がないんだけど、この映画を久々に見たら色々考えさせられたし、エミネム好きだし、詳しくないなりに語ります。
他のヒップホップ映画ではStraight Outta Compton っていう、N.W.A.の伝記映画で、メンバーのドクター・ドレーやアイス・キューブの目線から見た映画がある。これはさらに昔の話なので、ヤバヤバなヒップホップの世界を見れる。(のでは、と思ってる。まだ見てない。)(別で、イージー・Eたち目線のドキュメンタリーもある)
で、この8 Mileは、それとは違って、いちおうフィクションである。エミネムの実体験がかなり入ってるとは言われるが、主人公はエミネムが演じるB・ラビット。
背景
デトロイトでは8 Mileロードが、貧困層の黒人の街と富裕層の白人の街を分けるラインになっている。B・ラビット(本名ジミー)はそこに住んでいて、ガールフレンドと別れて一緒に住んでいたアパートを出て、母親と妹の暮らすトレーラーハウスに居候することにした。妹はまだ幼く、母親は半アル中、仕事なし、ジミーの高校の先輩と付き合ってる。
この話はジミーがラップバトルに出て、黒人のブーイングを受けまくって頭が真っ白になって声を発せずに終わってしまうところからスタートする。ざっくりあらすじは、ジミーたちの対立グループがいて、そいつらと喧嘩しながら、基本的にはやられるほうで、殴られたり、新しい彼女を寝取られたりして、でも最後はラップバトルでそいつらを打ち負かすみたいな話。(省略しすぎるとつまらないストーリーっぽいけどもう少しちゃんとしている)
以下は、これをみて考えたこと。(認識が間違ってたらごめんなさいな部分もたくさんあります。)
まず、黒人と白人。ヒップホップは黒人の音楽ってよく言う。アメリカの負の歴史の代表例みたいな黒人問題は、その虐げられてきた歴史っていうのが黒人のヒップホップのある種のステータスというか、誇りではないんだけど、それに近いものがある。逆境を生き抜いて貧困で苦労してきた俺たち黒人と、苦労知らず温室育ちのお前ら白人、的な感じ。だから、温室育ちでは触れることのないようなヤクとか銃とかえぐめの下ネタとかそういうのが自慢になる。ここまではっきりとしたものでなくても、日本にもこういう状況は少しあるから理解できると思う。虐げられた側の、その事実に対する誇りみたいな。だから、白人がヒップホップに参入してくるのは場違いでいじめの標的になる。人種問題っていうのは、どっちが悪いとかじゃなくもう根本的に相容れないのかなぁ、とも思う。もちろん、歴史の黒人差別は白人が悪いし、肌の色に関係なくっていう世界が理想なのは分かるけど、人間の集団で何かに二分できるっていうのはどうしようもなく対立項になってしまうと思う。美意識の形成も肌の色に関係しているって陰翳礼讃でも言ってるし、ぱっと見でわかる肌の色は本能に近い部分で相容れないものなのかもしれない。
次にFワードとかの言葉と、銃に関して。どちらも日本にない概念だから、あまりうまく捉えられていなかった。Fワードは、日常会話のシーンではワンフレーズごと入ってるんじゃないかってほど使ってて、親しみとか仲良さみたいな勢いなのに、喧嘩のシーンでは使った瞬間に相手をガチギレさせる。ヒップホップの曲にもたくさん使われているのにその音が消されたりしている。銃に関しても、アクション映画で銃は躊躇いなく使うものだから、軽い気持ちで所持すると思ってたけど、喧嘩のシーンで誰かが銃を出すと味方ですら怒って止める。こういう、決定打みたいな概念が日本にはないのだと思う。曖昧さを美とするのは日本人の悪いところとよく言われるけど、悪いとかじゃなくて、そもそもそういう概念というか感覚を持った文化な気がする。敵意のあるFワードや銃はいっきに空気を変え、相手にダメージを与える決定打だ。それを日常で使うやばい奴らだぜ俺らは、っていうところからFワードは日常で使われるようになったのだろうけど、決定打であることには変わりない。でも日本では、相手に確実にダメージを与える手段を持つことはタブー視されている。だから銃もそういう言葉もない。ちなみに、関係ないけど、男に対してもビッチって言葉を使うんだ、って初めて知った。
ヒップホップとか、ヒップホップ発祥の文化は、たぶん、何が1番かっこいいっていう正解はなくて、観衆の反応でどんどん塗り替えられていく。この映画でいうと、白人が黒人のマネするのがだせえっていう従来の感覚を上塗りして、観衆を沸かせてそれがかっこいいって思わせて、かっこよさの基準を塗り替えた。エミネムも実際そういうことなのだろう。ヒップホップに限らず、自分が良いと思うものを心折れずに突き進めれば従来の���識をひっくり返せるよ、ってこの映画をまとめるのはいいように言い過ぎかもしれないけれど、そう思うと元気が出る。やってやろうじゃん!って思える。この映画をオススメするのはそんなところ。あとは、親友のMCフューチャーっていう登場人物がいい奴すぎて感動する。ということで、この映画、ヒップホップに興味がある人はぜひ、ない人もぜひ!
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あと、この映画ではエミネムがめっちゃ中指を立てるのだけど、これは、友人のジョークに対してだったり、彼女へのサインだったり。このポーズはエミネムがよくやってるから、こういうとこも半自伝的映画、って言われる理由なのかな?と思ったりもする。
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reikot · 5 years ago
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何においても、進めば進むほど底が見えなくて、もはや宇宙で、奥深いなんて生優しい言葉じゃなくて、もっと自分に打撃を与えるような深さで、怖くなる。最初のうちは浅くしか踏み入れてないからただ楽��くて、ちょろいな、とか、自分にはなんかちょっと才能あるんじゃ、なんて錯覚して突き進んでいけるんだけど、ある程度まで行くと、その世界の広さが分かってきて、というか無限に広がり続けて、すごいと言われる人達が自分がすごいと思っていた50倍はすごいことに気付く。そんな人たちのいる世界で生涯をかけて挑んでいくのかと思うとものすごい怖くて、それに勝る楽しさとか挑戦したさとかワクワクみたいな感情があるから挑もう、っていう気持ちになるのだけど、負けず嫌いだから、挑んだら負けたくない。だから相当苦しむだろうと思う。それが怖い。その覚悟を持って突き進んでる人がそれなりにたくさんいるのも怖い。そんな強い人たちと比べられて優劣をつけられる世界だから。楽な方に流されたときに、流されずにストイックに時間を使った人に負けるのも怖い。そういう人と比べた優劣だけじゃない価値観をいつか見つけられるかどうかも怖い。人生をかけてこういう恐怖に打ち勝ってかなきゃいけないのも怖い。全てが怖い。そんな身構えず楽しく過ごせたらいいのに、とも思う。でもこの恐怖はわたしの人生では一生消えない、ってなんとなく思う。この恐怖を感じても逃げずにいよう、って思えるものが、自分に向いていることなのだろう。だからもう、この恐怖を原動力にして生きていこうと思っている。
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reikot · 5 years ago
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Apple Musicで自分のプレイリストを整理更新したので、大好きなヒップホップについて思ってることを独断と偏見の塊で少しだけ語ろうと思います。
まず上の3人組はRun-D.M.C. で、ひたすらにレジェンド。
80年代半ばに爆上げで流行ったこの人たちの功績といえば、界隈だけでしか好まれていなかったヒップホップを一般人の世の中に浸透させたことだと思う。ロックとヒップホップを融合させたってことで有名。さらにいわゆるヒップホップファッションも確立させた。80年代はこの人たちの曲が1番かっこいい。他のレジェンドとしては、N.W.A.とかスリック・リックがいて、N.W.A.は、天才大御所たちの集まりで、汚い言葉を多用して自分がどんだけやべえやつかをアピールする、いわゆるギャングスターラップの代表格。歌詞の日本語訳をみるとビビるほど汚い。今こんなんリリースされたらめちゃくちゃ炎上するでしょう。スリック・リックは、Children’s Story っていう曲がヒップホップ初のヒットチャートで、これはまじですごくて、これをサンプリングした曲は何10個も存在する。
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次は90年代、写真はFugeesで、私的には90年代で最強。真ん中のローリン・ヒルが最強。かっこいい。後の時代のヒップホップに与えた影響もすごくて、エミネムとかカニエ世代の人たちは尊敬する人としてほぼみんなローリンヒルを挙げる。それまでのヒップホップはチルとは無縁の攻撃的な世界観か、思想強めの世界観な曲ばっかだったけど、それまでは考えられなかった分野からサウンドを引っ張ってきて、ヒップホップの幅を広げた。それで訴訟になったりもしたらしいけど。後の世代でもローリンヒルの曲をサンプリングしたヒップホップは多い。90年代なのに今聴いても新しさすら感じる。大好き。この時代はそれ以外では、Nasやdr.dreみたいにいろいろなサウンドを挑戦していた人たちが多い。この2人の曲もめっちゃかっこいい。今に���結する時代を作った人たち。
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そして90年代終わりから現れ始めたエミネムやブラックアイドピーズが無双するのが2000年代。エミネムとブラックアイドピーズはわたしの一部では?ってレベルで好き。毎日聴く。エミネムについては、白人ラッパーはヒップホップ界では当時異色すぎて相手にもされなかったのを根性と技術でのし上がってきた人。この根性はlose yourself っていう曲の歌詞を読めばめちゃくちゃにわかる。技術は言うまでもないけどGODZILLAやrap godで代表される高速ラップ。余談だけどrap godはワード数がギネス記録らしい。あとエミネムはヒップホップの文化に対するリスペクトがめちゃくちゃ高いイメージ。
ブラックアイドピーズ(BEP)は、ヒップホップを比較的ポップにしたことで有名。コンセプトはサルでもわかる音楽。初期はゴリゴリのヒップホップだったんだけど、エレファンクっていうアルバムらへんからファギーっていう女性ボーカルを迎えてそこからめっちゃポップと融合した感じのテイストになり流行った。ファギーは今は1人で活動中。(仲違いではない)思想強めの曲も多い。ヒップホップを保ったまま、わかりやすく良いサウンドを取り入れてヒットした感じ。確実にヒップホップファン層を増やしたと思う。エミネムは正統派の方向で、BEPはポップにする方向で、それぞれヒップホップを成長させたと思う。
あとこの時代といえばカニエ・ウエスト、ミッシーエリオットとかがすごくよい。関係ないけどカニエは美術学校出身でその時描いた絵めっちゃうまい。
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で、今の時代。90年代、2000年代が好きすぎてそればっか聴いてしまっていて、今の時代のはそこまで詳しくないなりに語ると、比較的チルなサウンドでゆったりとした感じの曲が多い。あとは心に響く歌詞が多い。従来の汚い言葉で俺はやべえぞ!みたいなヒップホップよりも、精神的なものになってる気がする。ファン層が増えて、かっこいいって思われるものの基準が変わったってのが大きいと思う。相手を威嚇する文化から、サブスクとかの影響で心に寄り添うようになる必要もあったのかな。今や世界のトップチャートをヒップホップが占めるくらいだしね。2020年代はどうなっていくでしょう。楽しみだ!
あとは、ヒップホップの流れはモダニズムの流れと同じだと思う笑 どんどんシンプルイズベストの傾向。めちゃくちゃ勝手なイメージ、今のヒットしている曲は安藤忠雄とかSANNAとかミースぽい。ローリンヒルらへんはライト。知らんけど。ファッションもモダニズム化してる。装飾ゴテゴテの80年代から服の素材や色で飾るようになり、レスイズモアになってく的な。これも知らんけど。
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reikot · 5 years ago
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地方の過疎化を少しでも解消したい。
少しじゃ嫌だけど。
現在の日本はかなり一極集中だ。この流れはどうしようもないほどに強い。都市に人が増え、それによって大学や企業や様々な施設が都市に集まり、さらに人が集まる、の繰り返しだ。一方、日本の総人口は減っているのだから、地方はどんどん過疎化していく。学校や市町村の統合が進み、それによって廃れるところはさらに廃れる。地方は地方でその繰り返しだ。
独自の自然とそこに根付く生活、他にはないような伝統文化、それぞれ個性を持つ日本各地の地区が人口減少や高齢化によって維持が難しくなり消滅してしまっていったら、日本は均一で面白味のない国になる。
どうしたら日本の一極集中を解消し、地方に人口が流れるかはすごく難しい。都会は便利で、地方が過疎化することに危惧を抱く自分自身ですら東京に進学し東京に暮らし東京で就職する。そんな便利で全てが集まる都会から地方へ移住する人をどうやって増やすのだろうか。
しかし移住しうる人たちの層は増えてきていると思う。コロナの影響でリモートワークが確立されていっている。実際にそういった人々の移住を促進し、街を活性化させた例もある。
ある人に、地方再生は自己満足でしかないし利益を生まないと言われ続けている。その通りなのだけど悔しい。自己満足で終わらないためには結果を出すしかない。結果というのは、実際に地方の価値を高めて、地方の地価が上がった、とかいうような数字にして見えること。理性的に判断しても価値のあることだと認めてもらえれば賛同者が増えてより大きく動ける。実際には地方再生は文化とか伝統を守るだとか、多様性の面白さとか、そういう理性的じゃない、数値化されないことによる意味の方が大きい。だから結果を求めるのも違うと思うが、結果がないと多くの人を納得させられないし大きな動きにはできない。都市に人が集まったって理論的には困らないし、今は都市の方が圧倒的に需要が高いから。
建築をやりたいわけじゃないんだね、とも言われる。でも、建築をやらないで、つまり建築物を設計しないで生きて行こうとは思ってない。好きだし。今の日本は行き詰まっていると思う。いろんな問題が複雑に絡んでいる。こんな社会では、建築を作りたい人が、ただ建築家のもとで学んでいずれ独立してっていうやり方だけでいいのかは疑問に思う。そうしなきゃ得られないものも多いと思うけど、そうすることが全てじゃない、とも思う。もっと複合的な分野を横断して考えたり動いたりしないと、行き詰まったままな気がする。何をすればいいのかは全くわからないけど。わかるまで考えて動き続けれてればいいと思う。
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reikot · 5 years ago
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思い返してメモ。
今のところの自分の最前線。
大学3年のこの1年は、後の人生でもたぶん何回も思い返すであろう年。自分の中で大きな決断を繰り返した1年で、初めて自分の人生をどうしたいか真剣に悩んだ。
1つめの決断は5月、ダッチのチームを辞めたこと。
それまでの大学生活ダブルダッチばっかりしていたわたしと建築に向き合ってきた学科のみんなとの乖離がすごくて、でもそれに食らいつきたくて、そんな感じで悩んだ結果ダッチを辞めることにしたのは自分の中では本当に大きな決断で、でもこれがあったから建築を、具体的には3年のうちは設計課題を頑張ろうって思えた。
それから取り組んだ第二課題、なんとか講評に上がれて、100選にも選ばれ、徐々に学科のみんなに追いつけてる気がした。
そんな夏休み中に行ったのがある会社のグループでコンペ形式のインターンで、全く乗り気じゃなかったのに1週間全力で頑張ってグランドファイナルに進めた。その中でその会社の実力主義ならではの活気が自分にすごくハマったのを感じてしまい、人事の人にうちに来なよ、と声をかけられた時にうっかり乗り気な返事をしてしまった。その時は当たり前のように大学院に行くと思っていたから、そこからずっと悩んで、いろんな人に話を聞いたりして冬まで悩んで、その会社に就職することを12月に決心した。人事の人に決心を伝えた後も1月までグダグダ悩んだ。これが2つめの大きな決断。
3つめの決断は、ハイパーで1位を取ること。決断ていうか目標。就職するけれど、院行��ないのは建築から逃げたと思われるのがすごい嫌だった。そういう風潮がわせけんにあるのも嫌だった。でもそう思われても仕方ないくらいの成績で結果も出せてないし、と思って、自分のためにも、今後学部で就職する後輩や同期のためにも、ハイパーは1位を取ろうと思った。上位、じゃなくて1位、だから狙わないと取れないと思ったから、狙いに行って取った。結果的にこれが自分にとって将来やりたいこととかをぼんやりとでも決めるきっかけになって、自分の将来が見えてきたら少し自信が持てるようになった。それと同時に、みんなの設計がすごく良くて、建築や自分に正面から向き合っている感じがして、主観的な評価でしかない1位にこだわっていたのが少し恥ずかしくもなった。結局与えられる評価はあくまでも自分を奮い立たせる手段であるだけだ。それを得ることができたのは良かったと思うけど。
悩みまくった3年生を終え、結局大学で勉強するのはあと1年だから、この1年は胸を張って建築を勉強したって言えるように、ひとつひとつ全力でやりたい。やりたいことは時間とお金が許す限り全部やる。結果も残したい。建築に関しては、3年の6月までは成績もボロボロで積み重ねがほぼゼロだから、実質まだ1年生、そんなんで研究室入るんだから必死で食らいつかないと周りに追いつけないな、って思う。
そして、悩みの相談に乗ってくれたり、背中を押してくれたり、グチを聞いてくれたり、決断する自信をくれた周りの人たちに本当に感謝しかない。
大学3年で経験した自分の変化なんてちょろかったわ、って後で思えるくらいには毎年進化し続ける人生でありたいな。
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reikot · 5 years ago
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これを語りたかったからtumblr入れた。笑
最近大学の友達と話してて土地の方向認識の仕方の違いに気付いた。自分は斜面の環境で育ったから必然的に標高が高い山の方を「上」、標高が低い方つまり川の方を「下」って呼ぶ。東京でもその標高による方向感覚でまわりの友達と話しててもなんか話が通じないな、ってずっと思ってた。最近、九段下らへんを友達と一緒に歩いてた時に、道を説明するときにその標高的な「上」「下」で話していたら、その言い方は初めて聞いたと言われて、それから大体の人が北が「上」で南が「下」ってことに気付いた。この方向を標高の上下で認識するのは自分だけの感覚なのか、それとも方言的なものなのかが気になって、帰省して家族や親戚に会ったときにそのことに注意しながら会話をしていたら、皆当たり前のように標高が高い方を「上」と呼んでいた。東京に家族が来た時も、坂道の上を「上」と呼んでいた。東京は長野みたいに付近の標高の変化が一方向ではなくいろんな方向に上り下りしているのに、方向を認識するのが標高の上下だった。自分の中では大きな発見だった。
私はウーバーイーツの配達がすごい好きで、それがなんでなのかもたぶんこの方向認識に関係している。今まで標高の変化ありきで土地を認識していたから、東京の点と点を線で繋いでできた地下鉄から始まる土地認識はしっくりこなくて、点が広がることはあっても全体像を面で把握できず、いつまで経っても知らない土地だった。でも配達をしていると、高さ情報のついた面で方向を把握できる、感覚的に知ってる土地の範囲が広がっていって、それがモヤモヤを晴らすから好きなのだと思う。
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