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歌舞伎町でもの凄くボラれた
人生初めてぼったくり、というものに遭遇した。被害額は相当に大きい。
火曜日深夜1時、電車を逃してしまい半ベロで宿でも取ろうと歩いていたらマッサージの客引き(しつこいアジア系女)に捕まる→別の店のオカマのママのアドバイスを貰い、その場を切り抜ける→ラーメンを食った後ママと再会、「さっきはありがとうございました」となり「3000円で飲み放題だから、ウチで飲んで来なさいよ」となり、(寝る前に2,3杯飲むか)となった。
そしてそこでクソ程にボラれた。
朝10時、丸ノ内線にて会社からの電話で目が覚めた。一旦家に帰り、体調不良ということで休ませてもらった。
お店の中での詳細は、全てが初めての経験ではあったものの自分がバカすぎて恥ずかしくて言えない。今回得た気付き、学びをここに羅列させて頂きたい。
・女の子にチヤホヤされると喜んでしまう、断れなくなってしまう情けなさが自分にはめちゃめちゃあるということ
・40分3000円など、そういった料金体系の店は信用してはならないということ
・「遊びに不慣れなお人好し」こそ絶好のカモであるということ
・いくら社会人1年目で金が無いと言っても容赦など全くしてくれないということ
・ここまで悪意のある店がその辺りにザラに存在するということ
・悪意のある人間(店のママ)はお金の受取りが粗雑(こちらが財布から出した札をバッ!と奪う感じ)であるということ
・金を払っているのはこちらなのに、なんで俺が場の空気を読んで行動する必要があったのかということ
・疑問点を感じてもその疑問を封じ込めてしまい、「こんなものなのか」「そういう感じ、世界なのね」とわからないまま納得してしまう癖があるということ
・「○○円で〜す」「高っ!でもそんな相場なのかな…」ではなくその場をしっかり疑うクセが必要であったということ
・たまにはゴネてもいいのではないかということ
・でもヒドい酔いは俺から元々無い思考能力を更に奪うということ
・「男らしいとこ見せて〜」と頼んでもないのに焼酎水割りをゴボゴボ物理的に飲ませてくる、飲めなくてゴホゴホ言うと「全然飲んでないじゃ〜ん」と言ってくる奴をその場で敵と瞬時に判断しなければならなかったこと
・「明日会社に行けなくなる!」って言ってもっと飲ませてくる店は店じゃないということ
・「店」というより「敵」といったほうがしっくりくる店もあるんだということ
・本当にそんな悪意が世界には存在しているということ
・一人飲みが趣味ではあったが、今までこんな店に出会ったことがなかったというのが如何に幸運だったかということ
・詐欺は渦中にいると本当にわからないということ
・学生時代の余裕のなさから「セコすぎ」「金に汚い」と人に言われ続け、今そのコンプレックスから「払わない」という選択が出来なくなってしまっているということ
・汗水かいて働いた結晶である「○○万円」の価値がわからなくなってしまうこともあるということ
・社会人になって半年、ATMに行ってまでお金を払ってしまったということは以前より多大に金銭的余裕を感じ、○万円の価値が自分の中でだいぶ軽くなってしまっているということ
・そこを付け込まれているということ
・しかしこんなカモを相手に商売してしまったら、店的にそれ以後ぼったくらない理由が無くなってしまったんだろうなということ
・自分がアホ過ぎたので出来ることが泣き寝入りしかないということ
・自分が認識の数億倍情けない人間であるということ
・飲み過ぎで会社を欠勤なんて、大人として許されないこと
・平日に夜中まで飲むもんじゃないということ
・まさに「学生気分」であったということ
・ライフワークバランスを酒で補おうとしている部分が大きくあったということ
・社会人になってからの生活(部屋、勤務中のストレス、健康状態)の乱れがここに来てピークに差し掛かっているということ
・こうして信用、金、健康状態、全てを失ってしまうことも有るということ
・こうしてアウトプットしとかないとこのしんどさを忘れてしまうかもしれないということ
・40分3000円など、そういった料金体系の店は絶対に信用してはならないということ
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ファッションヘルス "富野節倶楽部 さんらいず"
富野アニメの見すぎ
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「…来たのかい」
(なんだこの女…? 写真で見たより…いや、それ以上の力を感じる)
(こいつ、何者なんだ?)
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「フン、お前のような子供がノコノコ来るだなんて、思ってもなかったのさ」 「貴様!」 「早く脱ぎな!」 「こんな狭い風呂に…正気か!」 「子供のくせに!脱げ!(石鹸を投げる)」 「そんなもの!」
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「イソジンなんかで今更…!」 「フ、わからないのかい」 「何?」 「嫌いなのさ、アンタみたいな男が」 「何が!」 「馴れ馴れしいんだよォ!!」(洗面器で格闘戦)
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「この女…!本気なのか!」 「こいつ!お前が私の心をザラつかせる!」 「なんだと!」 「自分の欲も抑えられなかったような男が!」 「なめるな!(後ろに回り込む)」
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「!… どこだ!」 「落ちろッ!!」ブッピガァン!! ブムォ~ン…(画面暗転)
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「こいつ…、こんな…!! やめろ!触るな!」 「うるさい!許せないんだ、お前は!」 「乳を揉むなと言っている!」 「聞けるか!」 「こいつ、何故触る!」
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(わかっているはずだ!!) 「何!?」 (30分コースだからだろ!!)
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「そうか…単純なこと…今ならそれがわかる… しかし、…お前を許す訳にはいかない!!」 「!? やめろ!俺たちわかり合え��かもしれないじゃないか!ここに来るまで!」 「黙れ!お前はいつもそうして!」
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「このプレッシャーは… やめろ!」 「お前みたいなのが店に来るから!」 「それは理屈だ!」 「なぜわからない!その理屈がさ!」 「わからなくちゃなんないのかよ!」 「わかれ!!」 「なぜ拒むことしか考えない!」 「帰らせる手立てがッ…!バランサーが!!」
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「退かないのなら!」 (下に手を延ばす) 「来るのか!?」 「これで決めてみせる!」 「させないよ!」 「!? 当たらなかった?」 「…甘いんだよォ!」 (握られる)
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ギュオンギュオンギュオン… 「しまったッ…!」 「直撃…! …フ、遊びは終わりなんだよ!」ビシュォォォォ!! 「イクかよォ!!」
youtube
-CM-
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レポート:「スーパーテコンV」に見る玩具に振り回されるロボットアニメビジネス
昨今の情勢の中生活の大半を自宅で過ごす事になり、最近もっぱら80年代ロボアニメを視聴し順調にオタクとして活動を行っていた。作品や放映リアルタイム時のCM、当時の制作事情を語るインターネット記事や当時物のムック本等資料を集め読むなど充実したオタ活に励んだ。そうした中で最近(というか昨日)に発見、研究した事柄を本稿にて発表したい。
1.テコンVの概要
韓国に「テコンV」というロボットアニメがある。一部界隈で非常に有名な、いわゆる「マジンガーZに激似」でお馴染みのロボットである。興味が有る方は是非youtubeで調べてほしい(あと初代マクロスのバルキリーが巨大ネズミや悪魔と闘う「スペースガンダムV」もお薦めである。本稿を執筆するに至った原因は初代マクロスを見ていてふとスペースガンダムVのくだらない主題歌を思い出したからだ)。
テコンV は1976年軍事政権下の韓国で誕生し今も絶大な人気を誇るらしい、テコンドーをベースにした韓国産ロボットアニメである。妙に儒教思想が強かったり日本人がテコンドーで負けるシーンが無意味に挿入されたりと珍奇な内容をしているらしい。
日本の大衆文化が禁止されていた同国であるが65年の日韓国交回復条約以後日韓共同でのアニメ制作、つまり韓国のスタジオが日本の制作会社下請けを担うケースが多くなった(67年の黄金バットや68年の妖怪人間ベム等がそれの最初期のケースである。82年初代マクロスのクソ作画回に毎回クレジットされていた"スタープロ"などが韓国下請けプロとして有名)。そうした背景で生まれたのがこのテコンVである。
テコンVは劇場用作品であったが好評であったため90年までに7作品制作されている。76年公開のテコンVは72年放映のマジンガーZに酷似、82年に新機体として登場したスーパーテコンVは同年放映のザブングルに酷似している。ここで一つの疑問が浮かび上がる。
76年時点ですでに日本で大人気だったマジンガーZを模倣する事は理解できる。しかし82年時点でガンダムやダグラム、ザブングル前番組であるダイオージャ等模倣できるデザインは大量にあったはずなのに、同時進行であるザブングルを選んだのは何故か。また完全にザブングルのみのデザインが模倣されており、他のロボットの成分が一切そこに無いのは何故か。
何故ザブングルなのか?
2.ザブングル、スーパーテコンV両方の可変機構デザイン
ザブングルとは82年放映「戦闘メカザブングル」に登場する主人公メカである。支配階級との闘争というストーリーやサブ機体のメカデザイン、美少女キャラの存在等は高年齢層を意識したものであったが、前番組ダイオージャが低年齢層向けの物語であったため本作もそれを意識した部分があり、特に主人公機にはそうした年齢層に向け玩具のプレイバリューとしてトレーラーと戦闘機との2機が合体して変形するという機構が取り入れられた。ザブングルは上に載せた動画の通り変形する設定となっている。
しかし当時の放映時間帯メインスポンサーであったクローバー(ガンプラ発売以前のガンダム本放送時、視聴年齢層に全くマッチしない低年齢層向けの玩具のみを販売し番組打ち切りの直接の原因を作った事で有名な企業。翌83年倒産)が発売した玩具では頭部が上にスライドする機構が再現できず、代わりに胸板を開きそこの空洞に頭を折り曲げて収納するという何とも言えないギミックで問題を解消している。可変の限界をなんとか玩具に落とし込んだ、正に名(か迷)ギミックと言える。上記動画は本放送時のTVCMのものである。
一方スーパーテコンVの可変機構はどうなっているのか。
上記がスーパーテコンVの戦闘機(?)形態である。本シーンはこれに搭乗している女性パイロット(喘ぐだけで何も攻撃しようとしない)を敵ロボット(ガンダムの敵メカに酷似している)の攻撃から救うため、画面右上の戦闘機から胸のVの字へ主人公が飛び移るシーンである。 パイロットが2人になりスーパーテコンVはロボット形態に変形。
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勘の良い方はお気づきだろうか。この変形機構はザブングルのものではない。しかしまた一方でこれはザブングルの可変機構をしているとも言えるのだ。
クローバー製の玩具と、全く同じ機構をしているのである。
3.何がスーパーテコンVをそうさせたのか
今週土曜日、本当に何気なく先程のスーパーテコンVの動画を視聴していたところこの変形シーンと出会い、それにより先述の疑問全てに終止符が打たれた。
クローバー製玩具を真似たスーパーテコンVの玩具が絶対にあるはずである。これは純粋な発想から生まれた新作ではなく、コピー玩具を売るため制作されたフィルムだったのだ。
その発想に至り急いでインターネットで調べると、ピクシブ百科事典「スーパーテコンV」のページにて「 韓国の玩具メーカーが、出資の条件として監督のキム・チョンギ氏に日本のロボットアニメ「戦闘メカザブングル」の玩具を持ち込み、製作された 」と明記されていた。自分のくだらない知識の蓄積が一つのアンダーグラウンドカルチャーを解明するに至ったのだと、非常に強い感動を覚え一人で興奮していた。


インターネットにてキャプチャした比較画像で、左がクローバー製ザブングル、右がポパイ科学(?)製スーパーテコンVである。なるほど、メカデザを模倣したというより本当に玩具そのものをパッケージから何から何まで模倣し作られたロボットだったのだ。ちなみにザブングルはライフルを所有しているがテコンVはテコンドーで戦うため、敵から銃を奪いすかさず相手にブッ放したりしている(結構非道に映る)。玩具に同封されている銃のためにわざわざそんな描写を盛り込んだりしたのであろう。
胸のギミックはこうなっている。可変を再現しきれずそういうギミックになったクローバーザブングルとは違い、テコンVは玩具ありきのアニメ設定であったため胸板の奥はパイロットシートになっている。またザブングルの両腕についてあるロケットパンチは本編と全く関係なくつけられた玩具オリジナルのもの(クローバー問わず当時の玩具によくあったこと)であるが、玩具ありきであったテコンVは本編中しっかりロケットパンチを発射している。82年でアニメ本編でロケットパンチは流石に古いだろ、と思うがお隣の韓国ではそんな事無かった様である。
スーパーテコンVが公開されたのは82年の7/30である。一方ザブングルの放映開始日は同年2/6。本家玩具発売日を放映開始同日と考えるとザブングル玩具を韓国に持ち込む→監督にデザイン提示→アニメ制作、公開 とのプロセスが半年に満たないものであったと知り非常に驚愕している。20分のTVアニメの制作に3カ月と聞いているため、このスケジュールが如何に強行であったかがわかる。
本件は特殊なケースであるが、世界を問わずロボットアニメと言うものが収入源をロボット玩具に大いに依存し、玩具先行で制作されていることがよくわかる。マジンガーZは永井豪本人考案の企画としてスタートしたが、放映半ばの時にポピーが発売したダイキャストフィギュアが爆発的に売れた。以降ロボットアニメのビジネスモデルは如何に売れそうな主人公機を玩具ありきでデザインしそれをカッコよく動かす「おもちゃの宣伝フィルム」をどれだけ放送できるかに凝り固まってしまった。全く独立した物語を無理矢理「ガンダム」にしてしまいプラモデルを売ろうとする魂胆や、おもちゃ会社の意思で肝心の物語にテコ入れされ右往左往する等「超合金の呪い」は現代も続いている。
スーパーテコンVも結局玩具企業の思惑でザブングルに似せられた悲しきモンスターであったのだ。だがコピー商品を販売する玩具企業も酷いが、作品として戦闘シーンが全く面白くなくノリノリで劣悪にコピーしているアニメ会社も酷い。絶対にどちらも許してはならない。興味のある方は是非youtubeにて韓国パチモンアニメの世界に浸ってみてほしい。
文章の練習にと書いてみたが、こんなもの書いたところで人生の何の得にもならないのだ。世知辛いね。終わり
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同期飲み そして100日後に死ぬ大須賀
先日土曜日に5男留年ズ+たのくん、途中のりちゃんとで飲む機会があった。博多満月にて真面目な話は全くせず、クソしょうもない話とテキーラのショットのみとで3時間程大いに盛り上がる非常に楽しい会だった。
何か不思議なことといえば大須賀くんの右腕が包帯で巻かれていることだった。右鎖骨が折れており、全��何ヶ月なのか未だわからないとのこと。折れた理由は?すがくんは「ジャイロ大横転」と言っていたが、要はハローサイクリングで電気自転車に乗っていたらバランスを崩し打ち所が悪かったらしい。全員から「ダセぇ」とこき下ろされていた。というか鎖骨が折れた状態でよく飲みに来たな、とその溢れるバイタリティに全員感心していた。
飲み会はいつも通り非常に盛り上がったのだが、酔いが回るにつれ私は大須賀さんが骨折していることなどつい普通に忘れてしまい、すがさんがボケたため「何言ってんだよ」と右肩をポンと叩いたり立ち上がる時無意識に右肩を借りようとしたりしてしまった。「痛い痛い痛い痛い!!!!」。鎖骨を押さえて悶えている…本当に申し訳ないことをした。
ワンカンとか言って西池に最後いたのだが、本気で痛みを訴えるようになり大須賀さんは苦悶の表情を浮かべよろめきながら歩いて帰っていった。つらいのを堪えて飲み会に来てくれた、というのとは別にここまで痛がっているのは自分のせいであるため本当にどう謝ればいいのか…と思う。骨折、他人事ではあるのだが本当に苦しんでいる様子を見ていると本当にいたたまれない気持ちになる。
最近とあるワニがとうとう死んで話題になっている。お花見を楽しみに待っていたワニくんであったが、倒れている様子が描かれた1コマのみに写る彼の"死"、そのコマのみを説明にして桜吹雪の中ワニくんは命を落としてしまった。
この漫画によくあったのは「感動���ました」だとか「命の尊さを感じる」だとか「人間いつ死ぬかわからない」だとかのJpop臭い薄いコメント。正直自分はそうしたコメントを浅いと思っておりこうしたマンガに乗せられる人々を軽く蔑視している部分があった。
だが痛そうに帰るすがさんの姿を思い浮かべ、打ち所がもっと悪かったり運悪く車に当たられたりしたらもう会えてないんだなぁ と思うとゾッとした。骨折で相当痛く苦しいであろう大須賀さんも、運良く生きているからまだ自分もこうして正気を保って生きていける訳でいつ大切な友達と会えなくなる日が来るのか、すがに限らず自分の糧である友達に会える時間がいつどのように終わりを迎えるのか。これまで考えてこなかったというより頭に浮かべるのを無意識に拒否してきた。
ワニの最終話、「死に方が強引すぎるだろ」というコメントに対し「死は強引なもんだろ」とリプライが飛んだ、らしいというツイートを読んだ。ワニくんの死と同様、大須賀さんの鎖骨骨折は突然だった。だが突然ではあってもワニみたいに死んでは無くてよかった、 と電車にて思うテキーラでキマったベロベロの頭に浮かぶ戯言であった。
P.S. 鎖骨をイジめた自分にお土産を買ってきてくれた大須賀さんに心から感謝を述べたいと思います。
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9/13 北海道3日後半
写真が10枚しか貼れないためテンションが下がりずっと書いてなかった
釧路から網走までの移動を繋ぐのは原生花園駅。花畑(全く咲いていない)を抜けて真っ青なオホーツク海を眺めサンダルで海に足を入れ、原っぱに二人寝転んで老夫婦やギャル達にガン見され、駅横の道の駅的な建物で「オホーツク」なるアイスを食い、確か2万弱した鹿の毛皮を購入するか考え、外に出て放牧されている馬をただただ眺めていた。グーグル調べの4時前に来るはずのバスを待ちながら─
4時になったというのにバスが来る気配が全くしない。インフォメーションカウンターのお姉さんに一応聞いてみる「ネットではこの時間にバスがあると…」「う〜ん…この時間のバスはないですね、、」じゃあこの情報何だよ。「Walk?」とか言って(予想はしていたが)強制歩きジョイ開始。「1分100m」を目標にバシバシ歩いていく。アホだな。小学1年生の時泣きながら登下校で毎日1.5km歩かされた記憶が頭を掠める。こんな歳になって、こんな訳のわからない土地で小学校時代鍛えた脚筋が活きるとは。日が暮れていく。二人の後ろから轟音…5時頃に乗るはずだった電車である。「ハァ… 腹立つわ… マジで…」疲労困憊である。日が落ちる前に早く駅に辿り着きたい。この乾いた喉に(103円の)ビール(もどき)をブチ流し込みたい!!その一心で只々、歩き続ける。
夕陽の中一つの小さな橋を渡ったら駅舎が見えてきた。
小せえ!この「北浜駅」は夏の昼間、池袋だんだんで会議していた頃から行くことを決めていた、言わば今旅行のプチメインイベントなのだ。真冬になると一面雪化粧が成され、ホームからオホーツクの流氷を眺めることができるスポットとして有名らしい。しかし9月時点だと只々肌寒いだけだった。



とりあえずヤニとビールっしょ の図。今思い返してもこの「オランダモルト」なるビールもどき、クリアアサヒやのどごし生と同ジャンルなのに比較にならない程美味い!(旅行バイアスかかってるかもしれないけど)。やっぱ歩きの後のビールは最高!今までの足の疲労が回復してるよう感じる、あくまで感じるだけである。「ヤニうめぇわ」「もう動けねえ」。メインの駅舎には寄ろうともせずセイコーマート前で不毛に10分弱チルってしまう我々。早く行けよ。

駅舎正面とホームからの光景。もう5時10~20分頃。単線の人がいないホームから夕景を眺める。静かに聞こえる潮騒と徐々に青く染まっていくトワイライトゾーンにうっとり。

駅舎内は古い鉄道がモチーフの喫茶店になっており、そこで6時ちょうどに網走に向かうバスを待つことに。ついついカレーを頼もうとしたら止められる、「今日焼き肉行くんじゃないのぉ」。焼き肉?マジ?そうだっけ?話を詳しく聞くと、網走駅から徒歩圏内に「YAKINIKU 網走ビール館」なる建物があるらしく、それをチェックしていたとのこと。ビール館?やっぱりこいつ最高の男なんだわ。「じゃあホントにカレー食ってる場合じゃねえな」とコーヒーを注文。大須賀さんは確かアーモンドマキアート?とかのなんかメスっぽい飲み物を飲んでいた。アーモンドとラキストとを交互に味わっていたが、この微妙なミスマッチ加減がなんか印象に残った。「内装いいね」なんて喋っていたものの疲れからか、10分程経つとマジで無言タバコタイムに突入していたのであった。



6時前、バスを捕まえるため直前のトラウマを引きずりながら5分前からバス停に待機。ブルーブラックな空と駅舎、見とれていたら「寒ぃ、ションするわ」。すがさんはおもむろにチンコを出しベンチ横の草むらでジョボジョボと音を立てながら立ちションしていた。台無しである。ウンザリするも束の間何故か俺も微かな尿意を感じ取ってしまい、「バスに乗る前に…」と立ちションすることに。あっ、なんか涼しい。北海道での立ちションはいいものだ。自然と顔が緩む。焼き肉とビールが待ってるから。旅先だと立ちション如き行為でもなんか特別感を感じるものである。俺だけかなそんな事言ってんの。
バスにて。鉄道旅youtuberオススメの民宿「ランプ」と、焼き肉とビール。それが待ってる網走に向かい、我々はテンションMAXである。マジでウッキウキである。
「網走っしょ、絶対寒いじゃん、死ぬだろ、この格好だと。ユニクロ行こうよ」とは言うものの、ユニクロや携帯ショップや本屋などが並ぶ地方都市ブロードウェイみたいなとこを抜けるとユニクロの気配を全く感じない風景にだんだんシフトしていった。心なしか足下が本当に冷えてくる。数多の罪人が凍死した地獄の番外地がどんどん近づいてくる。俺の格好は下サンダル長ズボン、上ジャージ。もしかしたらここが俺の墓場になるのかもしれない。

午後7時前、網走駅到着。次回「網走ナイト」編また書きます
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9/13 北海道3日目前編
6時半か7時頃に起床。歯を磨いて冷たい水に顔を洗う。民宿銀鱗荘の女将、というかババアに先日の食事の礼と別れを告げて宿を発つ。改めて宿の通り横の港に立ち寄り朝日と潮風と鳥の鳴き声を味わう。もう旅も折り返し地点に来てしまった。
駅まで話題は確かあの花の内容の話。そして昨日昼ダッシュした道を優雅に歩き、「こんな距離10分で走るってイカれてるよな」と自嘲。セコマにてすがさんがグラタンか何か、俺が確かパスタを200円かで買い、9時前発の網走行の特急に乗り込む。
快晴。開けた窓から新鮮な涼しい風が車内に入り込み超快適。先日遊んだ釧路湿原を通り抜ける。昨日の思い出と綺麗だった自然に思いを馳せる…と気付いたら寝ていた。
すがさんに起こされ、右手を見ると真っ青なオホーツク海。目的地「浜小清水駅」が近づいてきたようだ。眠たい…。

浜小清水は道の駅と接続されており、飲食店4軒とモンベルまでついてくるというまあまあビッグな駅だった。セコマで激安ビール、「オランダモルト39(通称オランダ)(98円)」を購入。税込102円やぞ!それを片手に展望台のある小山を登る。

オホーツクの風を受けるすがさん。色々撮った今旅行の写真の中でもまあまあの自信作。
展望台には双眼鏡が。しかし首が全く動かず、地面の草を拡大するのみの謎のマシーンと化していた。我々何故か盛り上がる。


今日の行き先は網走、後の層雲峡での事も考えると今のうちに上着を買っておきたい(先日釧路にてユニクロを調べるも遠すぎて断念、すがさんも何故か応急処置用の歯医者の予約を時間的に断念、釧路では全てを手に入れられない結果となった)。そのためモンベルに入店、もやはりペラッペラの上着が1万何千円、最低価格8000円のモンベルに我々のお財布事情では全く歯が立たない。「ふーん…」と言いながらテント用のペグとかを弄りまわし、店を後にする。何しに来たのか?

これはモンベル敗北直後のご機嫌なすが。珍しく自分からこんな物を持ち出し撮られたがった。

飯食おう、となる。選択肢はスープカレーか味噌ラーメン。どっちも北海道名物、迷うな〜、お前どっちがいい? 「俺さあ、スープカレーに何の魅力も感じないんだよね」。却下である。ラーメンタイム。チェーン?店だからであろうか、学食ラーメンって感じ。可も不可もない、普通の味噌ラーメンって感じだ。旅先の食事で「ハズレ」認定をすると負けた気がするので俺は何も言わなかったが、すがは「アレはハズレだったね〜」と普通に言ってた。ラーメンを外す、痛恨のミスだった。
忘れていたがもう1時半。歩きジョイの限界(目的地北浜駅にてゲットしなければならない電車の発車時刻)は5時半。それまでに8.6km北浜に歩きで辿り着けるのか??
1時間強で4km歩き、「余裕じゃん」とか言いながら着いたのは「原生花園駅」。その名の通り辺り一面には人の手つかずの花畑が広がっているのだ。まあ9月はシーズンではないため、一面緑のただの原っぱだったのだけれど…。
駅横のSA?的なお土産センターにてやたら「お兄さんお兄さん!」とプッシュの強いババアからジェラートを購入。塩バニラベースに「流氷」(クラッシュアイス)が入っているという「オホーツク」なるオリジナルフレーバー、試さざるを得ない。俺がハスカップとオホーツク、すがさんがメロンとトマトのジェラートをゲット。トマト?トマト味のジェラートを試しに頂く。案外悪くない、夏だったらビールとかに合うかも。ただメロンと合ってるのかどうかは全くわからなかった。

駅に汽車が着く様子。駅舎もその周囲もメルヘンないい味を出していて素敵だった。広場の順路を辿っていくとオホーツクの砂浜。海がマジで青い。ふざけて近づき、まんまと波(めっちゃ冷たい)を食らって退散。
その辺の原っぱで二人で10分弱ほど無言で寝転ぶ。観光客の老夫婦やギャルたちにめちゃめちゃ見られる、が何も気にならない。空が青くて広い…。人工物一つ無い空と池袋で味わったことの無い新鮮でクリアな空気、これをめちゃめちゃ堪能した。「…こっから歩きやめて北浜行くとして、��車どうすんのこれ」「ん〜、まあ……バスあんだよ確か、4時前とかに出るやつ」「…ホントか?」。グーグルによるこの情報が嘘だとわかるまであと20分。

タイムリミットを6時ちょうど発の北浜発網走行のバスに延長、残り1時間半で北浜まであと4km、出張歩きジョイは完遂なるか!!?続く
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タピオカよ、お前はどこへ行くのか
ポイ捨てされたタピオカに思う
秋津にて丼丸がタピオカ屋になったとのニュースを聞き、私の愛する優良海鮮丼チェーンを飲み込んだ「流行」そのものへの怒りや憎悪が増幅していた今日この頃であった。
しかしこうして公園に捨てられ蟻の浮いたプールと化したタピオカミルクティーを見ていると、ブームの空虚さや弊害を感じずにいられない。タピオカよ、持ち主はお前を最後まで味わってくれなかった。お前はお前を粗雑に消費し、飽きたからと言ってお前を簡単に捨てるこの社会に何の復讐も出来ないままここで朽ちていくのか。
私はタピオカに同情している。最初は(恐らく)ただどこか巷のJKコミュニティで「美味しい」と評判になっただけであったはず。なのにそれを広告代理店やマスメディアに目をつけられてしまい(まあそういう仕事で飯食ってる人たちだからしゃーないんだけれど)、金儲けのネタとして持ち上げられ祭り上げられ、信じられない程のマーケティングがなされ、結局残ったのは大量発生した同じようなタピオカ屋と行列を作る少女たち、店の前でカップ片手に写真を撮る通路妨害。そして写真を撮って満足されたのか、植え込みに捨てられた無数のゴミ。こんな物だったのではないか。
写真を撮ることそのものが「消費」になった現代であるが、「カワイイ写真撮れたからもういいや〜 ポイッ」みたいな風潮、ホント良くないと思うよ。ツイッター上にて「タピオカガエルの卵が乱獲されています!」といった面白いジョークがあったのを思い出す。実際それが事実であったとしても消費者はそんな情報を気にも留めなかったであろうし(「え〜おいしいから仕方なくない?」みたいな)、タピオカガエルはとっくに絶滅していたであろう。事実アザラシやバッファローで人類はそれを経験しているためあながち笑えないジョークでもあったかもしれない。
しかしタピオカガエルが絶滅したとして、100%消費者が悪い、と言えるか?その無用な消費を巻き起こした���扇動した存在それこそが悪なのではないか?
カエルのジョークは置いておいて、大事な事を言いたい。私は流行そのものが嫌いなのではない。
それが儲かると知った瞬間涌いて出てくる、本家へのリスペクトが感じられない人間たち又は彼らによるプロダクトやプロジェクトに嫌悪感を感じるのである。言うね〜。
例えば「入場料で1200円取られてトイレがないのに再入場不可」や「知らないタピオカ屋4店しか用意されていない」や「暗い、天井が低い、展示が文化祭レベル」など言われてプチ炎上した"東京タピオカランド"なのであるが…。このニュースを見て「これでブームも終息ですね」と言ったのは加藤浩次であった。そうだね。広告代理店の「稼げるうちに稼いどけ!」「適当にタピオカランドとか作ったらアホが並ぶっしょ笑」的マインドがもの凄く透けて見えるニュースだった。写真を撮るためだけの施設、こんなのが出てきたら本当のタピオカ愛好家をうんざりさせるのではないか。プロダクトへの"リスペクト"が全く感じられない、薄っぺらい施設。せっかくなのだから行って「2019年の出来事」として現状を見ておきたかった。
タピオカはうまい。うまいから人が並ぶ。おいしいからまた買う。こうしたシンプルな循環で回っていた筈なのに、一部の広告業者やメディアによって大袈裟に映し出されそれに踊らされてしまい、「平成最後期~令和最初期の大ブームアイテム」なんてものと化してしまったよう思う。そして最近耳にしたのだが、タピオカの次はバナナジュースが来るらしい。もう消費の矛先は向きを変えつつあるのだ。
捨てられたタピオカに思う、いつの日かお前が誰からも手に取られなくなり、そしてまるで何も無かったかのように忘れられる日が来るのだろうか。お前がただの「一過性の流行りもの」として終わり、バナナに役割を置き換えられてしまう日が来るのだろうか?タピオカよ、お前はどこへ行くのか。2019年の記憶として消えるのには余りにも勿体無い甘味であったと思うので、皆さんタピオカの事をもっと大事に扱ってあげてください。終わり
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9/12 北海道2日目 後編

この日の目的は釧路湿原のネイチャー。電車に揺られて宿泊地である漁港の町釧路に到着。涼しい風を浴びながら港沿いのコンクリートに寝転ぶ。展望台に登るも日差しで密室サウナ状態にまっておりガッカリ。ちょっと大きい商業施設内部の飲み屋ゾーンみたいなところで昼食、俺カレーすがさん歯を痛そうに刺身定食。
14:15には電車が出るというのに14時時点で食事を完食。徒歩15分の距離、そのまま歩くと確実に電車を逃すため食後ながらダッシュ!!1日2ダッシュの頭の悪さに自分たちのガバガバさを痛感。10分で駅に着きなんとか電車に乗り込む。
釧路湿原駅に到着、山道を登り休憩用ロッジに直行。途中空気の澄みに感動、空気美味ぇ〜と話す。しかしものの数分後にロッジにてタバコをスッパスパ吸い台無し。空気の美味だどうこうを何も感じず、大須賀さんだけソフトクリーム(ハスカップ味だったかな?)を味わう。ここの高台名物は釧路湿原を見渡せる展望台。足並み揃えて行くが、飛んでるヤブ蚊まみれ。俺がサンダルなので死ぬ程足を食われる。「(蚊は)仕方ないじゃん」。サンダルで北海道は死ぬ、という事をここで学ぶ破目になった。

めちゃめちゃ蚊に襲われ且つうるさい大学生集団が展望台にやって来てうんざり、ロッジに再度避難。その集団がロッジに戻ってソフトを味わってるところで改めて展望台へ足を運び人のいない場所から景観を楽しむ。


2か3駅行けばレンタサイクルを借りれて遊べるとの情報。俺はこれに食いつきすぐ4時何分発かの電車に飛び乗り2駅先の塘路駅へ。その時には午後5時、1時間だけ自転車を借りネイチャーを満喫。駅そのものがカフェであるため駅カフェを管理、そのおじさんがレンタサイクルも管理している。1時間だけ自転車を借りネイチャー散策の旅へ。

凄かった。野生のシカを遠くで見るし、キツネが近くに歩いて寄ってくるし…流石に触らなかったけど。可愛かった。キタキツネを人生初めて間近で見た瞬間であった。持って帰りたいとすがが言っていた。最後の写真は、夕日がキレイだという丘に半分チャリ半分歩きで登った先に見えた光景である。そこにクルマでいたオッサンに「蚊スゴいでしょ」と言われた。確かに辺り一面蚊まみれ。よく写真に蚊が写ってないなと思う、足元にいたからだろうか。写真だけ撮ってすぐ退散した…。

駅を後にし、釧路市街へバック。自然と夕日に溶け込む風景とにエモみを感じてしまい、40分程の道中ずっと車窓を車両立ちっぱ無言で眺めてしまった。途中鹿が線路に現れて、なかなかどかなかった為遅延。釧路駅に着いた頃には真っ暗、宿行くかあ、とマップを見ながら歩みだす。

今宵の宿は民宿銀鱗荘。釧路駅到着後徒歩20分程で到着。着いた頃には7か8時過ぎ。遅い!と言われながら夕食。飲み物(酒)は持参のシステム。ビール大缶一人2本を同じく宿泊のオッサン夫婦とチャリで北海道で遊んでる大学生、と宿舎夫婦と俺達の7人で飲む。オッサンのノリで話に参加しながらカニをほじくって喰らう。美味い!刺身、美味い焼酎も頂きご満悦。

10時を超えて釧路飲み屋街へ散歩、2杯程引っ掛ける。↑は行者にんにくの天ぷらにテンションが上がっている人。日本酒を飲んでちょうど良く酔っ払う。そして寒いなか歩いて宿に戻り寝支度。「やっぱあの花のパチンコってやべえよな」。本日午後にトイレついでのパチ屋でゲットしたCRあの花のパンフを見ながら部屋で爆笑、歯磨いて寝袋敷いて電気消して寝る。「明日歩きジョイあるから距離ちゃんと覚悟して」の言葉に不安を感じながら就寝。北海道に来てまで勘弁してくんねえかな。続く
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9/12 北海道旅行 2日目前編



朝5時半に叩き起こされる。目覚しは水どうのテーマの「1/6の夢旅人2002」。ウッキウキの大須賀くんに困惑…なんでこいつはこんなに元気なんだ?
6時に宿を出る。曇り空、寒い。「朝市やってて、そこの食堂が美味い」という前日得た情報を手掛かりに1km以上歩き続ける。向かうは「帯広地方卸売市場 食品関連総合センター」。名前から伝わる食材、食事のガチ感!期待大である。



朝から俺豚丼、奴ジンギスカンとまあまあ重めの朝食。美味い!朝とはいえビールがあったら絶対飲んでいた。最高。


帯広市街を1時間程散策。途中行ったカフェにて雑誌に載っていた素人お洒落キャンパーがいっぱい写っているページ、それのプロフィール欄の「好きな音楽」の項目にケチをつけまくる遊びをしていた(「こいつらアザスペしか聞いてねえな」、「オルタナ野郎いるわ、きっしょ」みたいな)。それにて40分弱程溶かしてしまい、本来の目的六花堂本店に行くも運悪くジジババの団体に先に入られる。六花堂、中に席があってできたてを食べられるかと思いきや店内はただのケーキ屋、お土産屋って感じ。期待外れと不運とがあり店を出る事を決意。しかし特急が帯広を発つまであと5分!!高校生ぶりに全力でダッシュ!!!なんとか出発1分前に電車を捕まえる、これを逃したら2,3時間か溶かす所であった。動悸が止まらない…死ぬかと思った。

特急に乗れた為余裕をかます人の写真。攻めが求められるにしても、5分前とかの命に関わる攻め方は止めよう、とここで話をする。
続く
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9/11 北海道旅行 初日
朝7:40起床。9時にスガと日暮里合流の予定なのに間に合わない。15分で荷造り洗顔着替え全てやりダッシュで駅へ。なんとか9時に間に合いそうだ。8:59日暮里。着いたと連絡を送るも既読が付かない。何か事態を察し、電話を掛ける。しかし全く出る気配がない。
「歩夢なら実家の番号を知ってるかもしれない(錯乱)」と思い歩夢にライン。こちらの必死さと説明不足から事故か何かで連絡取れなくなってるとの誤解を与え歩夢を震えさせる。申し訳ない事をしました…。9:18発の京成電車に乗り一人成田へ向かう。9:28、「ごめーんねぼう」とライン。スカイライナーで来るらしいため合流が10:48。
LCCのピーチ航空で行くため成田第3ターミナルへ。しかしそこにはジェットスターやバニラはあるものの、ピーチの文字がない…。電子チケットを見ると「Terminal 1」との記載…!出発は12:00。時計を見ると11:10。もしかしてヤバいのでは?
ターミナル行バスに逃げられた為タクシーで第1ターミナルへ。時計を見ると11:26。着いたものの何階のどの位置にカウンターがあるのか全く分からない。無人カウンターに着いた頃には11:31。「出発30分前を過ぎますとどう致しましてもご搭乗頂けません」と係員に突っぱねられる。飛行機を乗り過ごした…。人生初の体験、金と時間を溶かしたという事実に二人で震える。
喫煙所会議。JAL使うのも考えたが、今回の旅行はJRがピーチとの協賛で発行する「ピーチ東北海道周遊きっぷ(5日間)」を利用する事が大前提である。ピーチを利用した証拠、発券&使用済のチケットを提示しないと新千歳空港でそれが購入出来ないのだ。「仙台→新千歳なら5時にピーチで8000円で行けるよ」。仙台?マジで?新幹線で行くの?という訳で(開始直後既にの)ヤケ酒を嗜みながらスカイライナーで上野にバックする事に。
上野から仙台へ、スガさんが弁当俺はプリッツを食いながら1時間半新幹線。「あっ、」と言って数秒うずくまるスガさん。「やべえ、歯の詰めもん取れたわ」。なんでこのタイミングで??一時的処置の詰め物を詰めたまま治療をずっとサボっていたためらしい。「もうプリッツとかせんべいとか、硬いの食えないわ」。あまりにもな不運と色々なガバガバさに、本気で心配になる。

歯が取れた直後の写真。とりあえず仙台に到着し、空港へ。

仙台空港は何故かエンタメが充実しており、飛行シュミレーターや客室座席、コックピット(本物)の展示があった。飛行機の時間までガッツリ遊ぶ俺ら。大須賀曰く「男の子だね〜」。



千歳を出る頃には7時前。なんとかきっぷを12000円で購入し空港脱出。空港駅から特急?で1駅の南千歳駅で買った豚丼弁当(豚丼は帯広名物)と北海道限定サッポロビール(でも関東のニューデイズに売ってるらしい。本当か?)を帯広行の特急で食らう。勝利の美酒。
寝てたら8時半過ぎ、帯広に到着。案外シティだった。そこから二駅離れ西帯広駅へ。単線、ホームがジャリジャリのスゴい味のある駅だった…。「ややすず」か「やややや架純」風な美少女JKがここの駅で降りていった。

ライダーハウス、バイカー天国の北海道特有(?)の民宿みたいなもので、バイク用車庫と屋根暖房シャワーがあって寝袋持参で一泊1000円(!)みたいな、そんな形態の宿である。今回泊まる宿はライダーハウスPit。ポストに料金を入れた封筒を入れ、支払い完了。緩い。歩いてセイコーマート(北海道特有のコンビニ。以後セコマ)に向かい日本酒と肉じゃがをゲット、シャワーを浴び2階の共有スペースでテレビを見ながら酒を飲む。至福。11時からのニュースを見た後、12時から本家HTBで水どうアメリカ編を見た。やっぱおもろい。
いきなりめちゃめちゃ大変だったがとりあえず安息を得る事が出来た。テーマは最初の移動の時に出た「攻めるな〜」という言葉にちなみ「攻め」に決定。明日から何を攻めていくのか、よく分からないまま寝袋の中で眠りに就く。
旅行記を書くのが趣味なのでこうして今回の旅行を5日分書き記していきたい。
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初DJ体験記
それは金曜夜の新宿の店での事だった。「来週DJやらない?」なんて言われた事今までに無かった。「好きな曲かけ続けるだけでもいいんですか?」「全然いいよ!おいでよ」という訳で初めて知らないお客さんの前でDJをしてきた事をなんとなく書いてみたい。
六本木共同ビルの横、ドンキの向かいにある地下1階のバー。イベントが6時からと聞いたため5時45分から待機していた。初対面のバーのマスターと女性。共通の知り合い、私をDJに誘ってくれた人が現れるのを待つ。酒も入っておらず、適当な会話も盛り上がらなく、気まずい。そのうち「うっす!久しぶり、今日はよろしくね!」とその人が来て6時半くらい、色々話しながらその人はターンテーブルに自前の針をセットしていた。DJはレコードの針のカートリッジを持参しなければならない、という事実を知らず衝撃を受ける。
「じゃあ曲かけちゃって」という訳で持ってきたLPレコード30弱枚を嬉々としてブースに持ち込む。人生初プレイの曲は杉山清貴の「君のハートはマリンブルー」であった。「渋いね~」なんて言われながら、杏里を流す。ただただ、好きな曲を終わりまで全がけして次を流す、これだけの事しかしなかった。しかし自分の流す曲がBGMとして店を充満する感覚は非常に感激するものがある。ただ所詮BGM、誰も反応してくれない。その時一番盛り上がった曲は店の雰囲気とマッチさせるため考え込まれたどの選曲よりもピンクレディーの「渚のシンドバッド」なのであった。なんだよそれ…といった風な、少々不服に感じる初プレイだった。
店に人も集まりだし、その人に交代。やはりテクとコミュ力(レコード弄りながら客とベラベラ喋る)とが違う。それにその人はレコードをシングル盤のみ持ち合わせ、矢継ぎ早に取り換えていく。それもわかりやすいシングルヒットばかりを。視線をカウンターの横に移すと、ほろ酔いの客が楽しそうに歌って盛り上がっている。客が私に求めた役割は通な音楽を流す小粋なDJではなく、「あの頃の昭和の名曲大歌謡祭」の進行役であったのだ。こんな超ド基本的なミスマッチにここで初めて気づいた。
次のプレイを任され、聖子ちゃん→明菜ちゃんと流すと客が何となくノッているのがわかった。途中レコードから針が外れガガガガガガッとノイズ、客はビックリ。そして本気でその人から怒られる。「バカ野郎!ブース入ったらもうプロなんだから、そんなミス許されねえぞ!あと人のカートリッジ使ってる事忘れんな!」「お客さんの反応見て曲選しろ、自分の好きなやつだけかける奴はゴミだよ」。なんとなく予測はしていたが「好きな曲だけ流す」なんて甘い戯言が許されるはずもないのである。わかりやすい達郎をかけ、わかりやすいサザンを流すとお店の空気は一気に温まり「お兄ちゃん、いいね~!」なんて声も貰えるようなった。単純。妙に気張って「王道しか流さないと音楽知らない奴って思われる…」なんて思考をしていたが、それこそがその空間では大きな間違いだったのだ。合宿の宴会で妙な曲なんかよりソング2やタッチミーアイムシックが流れる事と原理は全く一緒だ。
そこでは案外場を盛り上げてプレイを終えることが出来、色んな人と話をして帰ることが出来た。後に「いい選曲だったよ」とラインを貰った、多分またお誘いが貰えるであろう。しかし客と楽しく話しながらの歌謡曲ヒットパレードが自分にできるか、現段階では不安だ。若き日の達郎(23)もラジオにて毎回誰も知らないポップスやフルアルバムでビーチボーイズを流すといった蛮行を行っており、ラジオディレクターから「10曲中8曲は誰でも知ってる曲をかけろ!!」と毎週怒られ毎週ケンカ。半年でオールナイトニッポンをクビになったという過去を持つ。今あいつのエゴまみれの選曲がラジオで出来ているのもキャリアと実力、名前のブランドがあるからだ。好きな曲流し放題(かつそれが客から喜ばれる)ステージに辿り着くまで、どれだけの時間と実績が必要なのだろうか…?
DJとはサービス業である。
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宇都宮〜池袋間の暇つぶし
午後5時の宇都宮駅で降り出した夕立に物思いをふける。激しい雨音と速く流れる大量の白い縦線、地面を埋め尽くす水しぶきをじっと眺め続けることが好きなんだと思う。夕立、こんな単語が頭に浮かぶということは夏への扉はもう開かれているはず。毎年感じるこの気分は22回経験しても飽き足らない。
ネットニュースによると日照時間3時間以上の日が6月下旬を最後に今まで無かったという。つまり我々はほぼ1ヶ月もの間陽の光を浴びず過ごしてきたのだ。「暑いから晴れなくて結構」という声が多数聴こえそうだが、現実問題生活者目線の話をすると洗濯物が干せない、これだけで充分この天気を恨む理由になる。布団が干せない為湿気でずっしり重くなっているのだ、1ヶ月以上も布団が干せないなんて事が有ってたまるか、まあ有るんだけど。
それに中途半端な天気、曇りなのか雨なのか分からないような天候が終わり無く続いている事もストレスなのかもしれない。白黒ハッキリつかないグレーな空、こういったスッキリしないもの、割り切っていないものはやはり昔から好きになれない。パラパラ、パラパラとしょうもない水滴が髪とTシャツをじっとりと湿らせる(感覚的に"濡れてる"訳ではないのだ)あの感じが今までずっと続いていたような気がする。ニュースは8月まで梅雨が空く気配がないと言っていた。サンシャインアンドブルースカイズ、ザウォームスオブザサンを真っ白の曇天の下ビーチボーイズのプレイリストで待ち望む俺は季節感を早とちりしたアホだ。
だから轟音をたてながら空中の水分を全て地上に叩きつけているような、夏だけの雨、夕立が好きなのだ。電車に乗って10数分、あの心躍るスコールはまるで何も無かったかのように降り止み少しの感傷といつもの中途半端な空を残して消えてしまった。あ〜あ楽しかったのに。子供の頃から感じるこのちょっとしたセンチメンタルに浸るのがなんとなく心地良く感じてしまう。急にダーッと降られてびしょ濡れになった子供の頃の思い出、高校の3階の窓から眺める夕立を浴びる徳島の街の光景。好きだった女友達の話し声を遮る雨音。何故かよく分からないけど俺の夏の思い出には夕立が多く登場する。今感じる感傷はノスタルジアでもあるのかもしれない。
「夏への扉」というワードが好きなので高校生以降毎年梅雨を超えた頃夏を迎えた、と感じるようなイベントに「今日でとうとう扉抜けたか」など考えるのが最近毎年恒例のマイイベントなのである。前5限のテストを受けた後の西池で、今年初めてのセミの声を聞いた。ビックリした。そして今日は宇都宮で1年ぶりの夕立を堪能した。こうしたイベントにより夏への扉はとうに抜けているはずなのに、空が真っ白なままなのは明らかにおかしい。俺の好きな季節の夏がまだ始まらない。もし夏が始まってるなら毎日夕立降ってください、皆迷惑がるだろうけど。
吐き気がする程ロマンチック?
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イギリスにお出かけ 1日目
ES書かなきゃ...の前に、PCで文章書く練習。リハビリ的な感じで3月初旬に高橋圭一郎さんとサシで行ってきたイギリス旅行について、適当に垂れ流していきたい。

出発前日、というかそれより数日前から筆者である私もとい佐伯家は私の留年という大事件(くだらないけど個人的には「大事故」である、と主張したい)に翻弄されまくり、これまで経験したことの無いパニックに陥っていた。そして私が申し訳なさそうに口を開く。「あの... 前から計画していたので、明後日から一週間イギリスに行きたいです...」。行くな、という大バッシングを乗り越え、私を落としたクソババアの勤める大学に「連絡を取らせてくれ」と頭を大いに下げ、その日にたまたま天王洲アイルに出張に来ていた父に酒をもらいながらその報告をした。壮絶...な体験の話をありのまま話し、ここまでしたけどダメでした、飛行機は明日なのでイギリスに行かせてください...。「まあ、行ってこいやイギリス」「ただし!日にち短縮の話はその通りにしろよ」。
という訳で出発日。爽やかな快晴が新座を照らしていたが留年直後のゾンビと化した私にはモノクロにしか見えない。出発直前から旅行5億回分は超えるであろう疲れと精神的ストレスを背負った状態でのスタートとなった。
昼3時、芸術劇場前で集合。ガッタガタの道を10数キロのスーツケースを転がして歩く。「遅れてすいませんでした」「...まあ現地でやられるよりマシだから、いいよ」。幸先が思いやられまくる最悪のスタートであった。
とりあえずパルコのニコアンドに行ってビートルズ(今回の目的はこいつらの聖地の巡業)のポーチを買いに行きたい、とのことなので駅地下を通り東口に出ることに。俺のバッグもまあまあ重いが、高橋君はそれ以上に重っそうにバッグを運んでいた。まあ、重いわな。持たしてみ?...何入れてるんだ、こいつ??たぶん30キロ弱あった。小学3年生一人分くらいの荷物を抱えてこいつはわざわざイギリスに行こうとしている。スーツケースの自重もあるんだろうけど...こいつは向こうで何をするつもりなのか?不安を同行者に与える、そんなスーツケースだった。
パルコにニコアンドが無いことをパルコで知るマヌケっぷりを晒し、その足でサンシャインに出向くことに。店舗でやってたビートルズフェアにテンションが上がる。お目当てのポーチは食玩でよくあるブラインドボックス形式。ファーストからラストアルバムまでどれが当たるかわからない、そんなイカした400円するポーチなのだ。缶ビール片手に浜松町から羽田に移動、チケット発券を終わらせレストランでカレー食うついでに開封。高橋君が当てたのは「ビートルズ・フォー・セール」。まあ興味があったら調べてほしいけど、初期の4人が疲れた顔で写っている小洒落たジャケのやつだ。いいな~、そう思いながら俺の袋を開けたら入ってたのはホワイトアルバム。...「サイケ全盛の超カラフルなのが大流行の今、裏表真っ白なジャケのアルバム出す俺らカッコよくね??」、そんな魂胆だけで作られたジャケ、それがホワイトアルバム。いや、まあ、別にいいけど...これがポーチになって400円も取られるって、それは違うんとちゃうんか?デザイン的に100均以下のものを当ててしまい、失意のうちに食うカレーは量が少なかった。
出国を済ませ換金も済ました。激安エアチャイナに搭乗し、まずは北京空港に到着。3時間のトランジット、深夜帯なのもあり何も目ぼしい店が開いていない空港ではこれが地獄みたいに暇だった。あと中国人、優しくなさすぎるし愛想のなさに本能的にこいつらは敵なんだな、と思わざるを得ない。ライター1個とマッチ1個は持ち込み可のはずなのに、ちゃんとしたオイルライターを没収してきやがった。ギリギリな英語で猛抗議!も「ノー、ノーライター」しか言ってこないカスみてえな奴だった。てめえ没収理由も英語で話せねえのかよ。結構リアルに職員が全く優しくない。

広がる...空虚。

そして紙コップがこんな形なので、お湯を飲もうとすると湯がめっちゃ下から零れ落ちてきて凄く嫌な気持ちになる。

搭乗リミット20数分前、ゲートに向かったら女の職員が聞き取れない英語?っぽい言葉で俺らにめっちゃキレていた。ロンドンに向かう機内、「チャイニーズブレックファースト」と言われて出されたのは味の全くしないお粥(本当に米の甘味とか、そういう「味」が一切無かった)とドス黒いピータン、くせえザーサイだった。一言で言うと、最低。
前途多難すぎない?そんなこんなでエアチャイナの飛行機はロンドン、ヒースロー空港に向かって真夜中のユーラシア大陸を横断していたのであった。
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LAで本物のアメリカを見た話

高層ビルが多く建つロサンゼルスの中心部であるダウンタウンまで空港からバスで約30分。1時に空港に到着、3時にホステルにチェックインしてから3時間程そのダウンタウンを散歩した、という話。
宿は治安のまだいいところに存在し、その周囲のエリアは安心できる。「la downtown record store」で早速調べて、候補に出てきた数件をハシゴするため散歩に出掛けたのだ。
中央黄色の星のマークが宿。色々まわったが1軒を除く全てが潰れた?のかそもそもレコ屋なのか?不明であった。つまり、上のマップはほぼ嘘なのである。残りの1件もレコ屋っていえばレコ屋なのだが、売り場が古本屋の1コーナーに過ぎず、品揃えもココ池以下であった。言い換えると、ゴミである。そこでレコード掘ってるDJ風の兄ちゃん、熟女などに他の近所のレコード屋はどこか、聞いてみるもののわからんとかハリウッドならあるとかの答え。(ちなみに地図右側のスキッドロウというエリアは昼間でも絶対近づいてはいけないレベルの治安の悪さらしく、遠目に見たら古い建物の上の方に汚いスプレー文字でSMILEと書かれていた。マジで近づきたくない)
マップを左にずらすと"Zapata Records 2"の文字。1もあるんだろうか?歩いて30分、とのことなのでいつもの歩きジョイ精神で気軽に歩いていくことにした。

ロス中心部はハイウェイによって区切られている。時刻は午後5時。夕陽がヤシの木を照らして…あ〜キレイだな〜なんて思いながら高速の下をくぐるとバス停が。そこに座っている服がめっちゃ汚い奴が俺をじっと見つめ、目線を下に写すと汚い水たまりに大量の段ボールの破片とピザの箱。う〜わ、きったねえ…そう思ってとりあえずスルー。
進んでいくとどんどん街の雰囲気が変わっていく。低い建物、平屋が目立つようになり、その建物も老朽化が明らかに激しい。ハングルが目立つようになり、ボロボロの車から悪臭が漂っている。これはまさか…足を踏み入れてはいけない場所を俺は今歩いているのか?多少不安になりながらも、まあ、いけるっしょでやり過ごす。それからもどんどん進んでいくと今度は民家のボロボロさが目立つように。歩いてくる人もなんだかくせぇ。進むにつれどんどん人がいなくなっていく。ハイエースから電源を供給されてるフードトラックは肉を焼いてるのだろうが明らかに焦げてる、紙燃やしてるみたいな異臭が感じられた。もっと進むと建物の1階の窓に鉄格子が張られるようになる。アカン、マジでヤバい。引き返すことも考えたが、まあまあ進んでしまった為恐怖からのダッシュでレコ屋に向かう。
そしてレコード屋に到着。…だと思ったがどこをどう見てもレコードを売っている雰囲気の店はない。そこにあるのは、そこのコミュニティの社交場と化しているボロッボロのコインランドリーだった。
コインランドリー中も、そこの向かいの角の屋台(と言ってもただのBBQグリル)で真顔でとうもろこしを焼いてるおっさんも、その横の真顔の子供も全員中東系。歩くとボロボロのアパートの窓全開の部屋にごった返しで住んでる絵面が見えた。子供と目が合った…。
中心部ではハイソなリーマンと観光客が人口の多数を占める、つまりお金にまだ余裕のある人間が多い為そこまで危険を感じることはまだない。ただ俺が足を踏み入れたのは明らかな低所得層の外国人コミュニティ。本当に、何をされるかわからない。誰もいないし。命知らずなほうではあるが、旅行中にここまでの恐怖を感じたのは初めてだった。

チラッと横を見るとヤバい雰囲気を醸し出すマックと、その横にモーテル。マックの向かいにラブホって…と思うが人生初めてあのレトロアメリカンな「モーテル」を見た為、感動して恐る恐る写真を撮った。
あの地獄みたいなコインランドリー(角店だったのでその横の謎の店も雰囲気すごかった)の写真も撮っときゃよかった…とも思うが、あんな恐ろしい空間で観光客で〜すって感じで写真なんか撮れる訳ない。アメリカ舐めてたわ、いや〜怖かったホントに…。
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ノヴェンバー・ブルー
「佐伯、お前老けたな」の一言がグサッときた。自分でも実感している事実が他人にも察知されてると知ってしまったからだ。
朝、鏡で見る自分の顔が嫌になりつつある。むくんだ頬、腫れぼったく薄い一重瞼、伸びたヒゲ、そして生気のない表情。若さ、瑞々しさというものが全て欠落している。一体いつからこんな顔になってしまったのか。何に疲れているんだろう
一雪さん含め、留年組以外の就職先が決まった。喜ばしいことではあるはずなのに、一雪さん曰く「決まったら決まったで、なんか先が見えて寂しい」との事。 それはあるな! 就活とかいうクソイベント、本当に憎むレベルのクソイベントを経て手に入れた就職先。よかったね、頑張ろうね、で済めばいいだけの話なのに…。なんか空虚な気持ちになってしまう。一種のマタニティブルーか。
「来年はもう遊べないぞ」という強迫観念を感じている。だから呼ばれてもいないのにハブに行ったりしてしまう。もう、止めないといけないというのは分かっている…筈である。本当に情けなく思う。遊んでいるのにこんなにブルーな気持ちになるのがよくわからない。
何故こんなにウジウジしているのか?「お前、男だろ!」と言いたくなると思うが…それは幼少期に父親から散々言われたセリフだから嫌だ。しかし「悩める美青年」であるならまだしも、美青年じゃない俺がただただウジウジしているだけでは周囲、社会から置いていかれる事も知っている。一人ぼっちは嫌だ。
直近で1番つらかったこと。そういちろうを気に入ったから、だいぶ熱く遊びに誘った。俺ん家来い、レコードかけながらただただ音楽の話をしよう。「いや〜迷うな〜」「行きたいっすね〜〜」とのこと。少し期待はしていた。夜の西口公園、奴は普通に帰った…というのは織り込み済みなのだが、「佐伯さん、そういちろう誘ってました?」「『あんな片田舎誰が行くんだよ、行くわけねえだろ』って飲み会で言ってましたよ」と聞かされ、なんかショックだった。
そっか……どんだけ熱くラブコール送っても、お前からしたら俺ん家なんて「田舎」っていう認識でしかなかった、のね………。傷つくと同時に、どうしてこんなに人を遊びに誘っていたのか、何がしたかったのか、わからなくなっちゃった。人間不信とまでいかないけど普通につらいよ。
衣食住に友達、生活に不足はないはずなのに、時たまこんなに死にたくなるのは何故だ?
トイレに行って、鏡を見た。なんか、擦り減った。そんな気がする。本当に、嫌だね。
同期も後輩も俺のことなんか勘違いして何でも言っていい、していいくらいに思ってるけど、決してそんなことはないからね。タンブラーくらい、たまにはダウナー吐き出してもいいよね。
そう問いかけたところで目の前に誰もいないから嫌だね。
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渋谷系その3
〇ピチカートファイブその2
そしてピチカートファイブは1987年にファーストアルバム「カップルズ」をリリース。80’sっぽいシンセを極力排除し生楽器にこだわった、小西康陽渾身の一枚であった。「77年以降のレコードは聞かない」と豪語する(キモいな)小西康陽の肥大したエゴが実を結び、全曲の音色が本当に実際の60’sポップス”っぽく”仕上がっている。スゴい。制作陣からの評判もだいぶ良かったらしく「大名盤」と言われたが、いざ発売すると全く売れず...。
レコード会社との話し合いにより「ライブが出来るバンド」になるため、佐々木麻美子と鴨井諒が脱退。第一期ピチカートはこうして終了。オリラブリーダーの田島貴男をヘッドハンティングし、ソウルフルな第二期がスタート。小西康陽は相変わらずな曲を作っていたが、田島貴男のおかげでノリがよくなって少し売れ線になってきた。88年にセカンドアルバム「ベリッシマ」発売。ファーストとセカンドはアップルミュージックにあるから聞いてみてね。
そして89年「架空のスパイ映画のサントラ」っていうコンセプトのサードアルバム、「女王陛下のピチカートファイブ」発売。超いいよ~。
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そして90年、田島貴男はオリラブに専念するためピチカートを脱退。渋谷系が「渋谷系」と周りから呼ばれる前にはピチカートファイブ、小西康陽がこんなことをしていました。
2年遡って1987年、小西康陽がファーストを出していた頃、当時18歳の小山田圭吾少年は井上由紀子(キーボ)と2人でテクノバンド、「Pee Wee 60’s」を結成していた。
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渋谷系 その2
〇1985年という年とピチカートファイブ その1
スーパーマリオが社会現象になり、プラザ合意によって円高ドル安が進んだ1985年という年。"Japan as No.1"という本がアメリカで発表された1979年から6年、既に日本の豊かさは飽和しており好景気をあおるメディアによって社会はバブル景気へと突き進む。
音楽面では、83年頃から流行りだしたヤマハDX-7系のエレクトロシンセの音が世界を席巻し、ドラムはシモンズドラムと言う電ドラが大流行。後に80’sと呼ばれるサウンドが完成された年である。例えば、A-haのテイクオンミー。
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またはDead or Alive の You Spin Me Round。
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または中森明菜のミアモーレ。
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こんな年に、こうした「売れる音」、商業主義を完全無視して晴れてデビューしたグループがあった。ピチカートファイブである!
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↑初代ボーカルの佐々木麻美子がちょっと可愛い。
リーダー小西康陽の趣味、エゴによる、60年代前半のフランス映画、イタリア映画風なお上品なカルチャーの再現。ヘップバーン風に歩かせたりハイヒール落ちてくるナンセンスギャグであったりピストルが無意味に出たり
ビルエヴァンスのパロディっぽい絵も出してきたりする。あと自分たちのことを「TOKYO’S COOLEST COMBO(バンドって言わないところが大事)」と言ってるのにも何か執念を感じる。音は簡単なリズムボックスと電ドラ、エレピ、ヤマハかカシオかの比較的安価なキーボを使っている感じがする。しかし!これを分類できるジャンルは歌謡曲でもロックでも、増して「シティポップ」でもない(ここ重要)!このデビューシングル以前にも何かそうした動きはあったかもしれないが、このシングルこそが1番わかりやすい形での渋谷系の萌芽であった、と言えるだろう。
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↑ちなみにB面。タイトルはビーチボーイズの曲からの引用。渋谷系のミュージシャンって何故かみんなビーチボーイズ、ブライアンウィルソン好きだよね。ビーチボーイズはアメリカ本国でよりイギリス、ヨーロッパで大ウケしたらしいけどやっぱビートルズ、ストーンズにはないお上品さやソフィスティケイテッド感?がウケたんだろうか。
続く
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