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はなざかり。
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物書き・いちははな。のポートフォリオです。
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sarahflow · 5 years ago
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sarahflow · 5 years ago
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こえど湯 シリーズ 抜粋
『こえど湯』の暖簾をくぐり、スニーカーを脱いで下足箱に放り込んだ。下足札を引き抜いて、男湯の木戸を押し開ける。
 ウィークディの午後四時。さすがにまだ客は少ない。
 パーカーのポケットから掴み出した小銭で入浴料金を払うとき、ちらっと番台に座る人物を見た。
(ふ、ふわあああああああ)
 またもや、なんとも言えない絶望的な衝撃を覚えて、大吾は思いきり天井を仰いだ。掃除の行き届いた清潔な格天井は、少し赤みのある板と黒ずんだ格縁を使用している。子どもの頃から見慣れた懐かしいものだ。
 大吾はぷるんと頭を横に振ってから、番台に置いた小銭を回収し、下足箱からスニーカーを掴み出す。土間に投げ落としたら、「もういい加減にしろよ」と嘲笑交じりのハスキーな声がした。
 びくっとして、大吾は恐る恐る振り返った。
 番台に座っていた人物が軽く身を乗り出して大吾を見ている。  肩に届くくらいの栗色の髪。あまり陽に焼けていない肌は滑らかでつるつるで、まるでファンデーションを叩いたみたいに整っている。丁寧に手入れした眉や形良い鼻筋、口角が自然にきゅっと引き上がった唇。  実に整っている。  赤っぽい天井同様、九歳のときにグラウントで顔を合わせて以来、よく見知っている綺麗な顔立ちだ。いつも、どんなときも、��囲から褒められていた。
 そして、大吾にとってもスターだった。心の支えだった。彼がどこまで突き進んでいくかを楽しみにしていたのは、どんなファンよりも大吾が上だ。
(だからってなぁ!)
 大吾は大股で番台横に戻った。小銭を握り締めた拳で番台をがんがんと殴りつける。
「どういうことなんだっ、千幸っ!」
「いきなりでかい声を出すな」
 番台の人物――里梨千幸は呆れたような溜め息を深々と吐き出して、腕を組んだ。藤色の袖が手の甲を隠している。
「だっておかしいだろっ! おかしいぞっ!」
 大吾は更に強く番台を殴った。手のひらの中の小銭が皮膚に食い込んでかなり痛い。
「どこがおかしい?」
 千幸は、外国映画の登場人物みたいに大袈裟に首を傾げた。絹糸めいたやわらかな髪が肩先で揺れる。
「わかんないのかっ?」
「なんの説明もなしにわかるもわからないもない。理解させたいなら、きちんと説明しろ」
「説明しろって……」
大吾は改めて千幸を見つめた。
 座っていても長身だとわかるスタイルの良さだが、身に着けているのは、何度見ても、どう見直しても女物の着物だ。藤色の袷で、桔梗の花を丸型に文様化した柄が入っている。帯は片方の垂れ先を長めにとった結び方だった。男結びではない。
(なんで、女の格好なんだよ。意味わかんねぇわ)
 のんびり湯につかった後、十年近くバッテリーを組み、ともに甲子園出場までした千幸と久しぶりにたくさんの想い出を語り合うつもりだった。
 確かに、千幸は思いやり深いとか優しく労わってくれるとかいう性格ではない。むしろ、大吾よりもずっと気が強くて、口の悪い奴だった。まともに大吾の名前を呼んでくれたことはないし、急にむっとして喋らなくなったり、ぷいと帰ってしまったりと、つかみどころもなかった。
 それでも、辛辣であることこそが、間違いなく懐かしい千幸の口調を聞いたら、会社倒産で先行きが見えなくなっている不安も落ち着くような気がしていたのだ。
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sarahflow · 5 years ago
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sarahflow · 5 years ago
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「しがや」でごはん。
 ――はじまりは「味噌豆」だった。
 底の深いフライパンに油を敷き、軽く水洗いした大豆を入れながら、志賀真幸(しがまゆき)はそう思う。  ゆっくりとへらでかき混ぜて大豆に油をまわし、強火にかける。十五分ほど煎っていると、豆がしわしわになっていく。さらに煎り続けていけば、しわがなくなって、ぱちぱちと音をたてはじめる。表面が少し割れてもくる。  ちょっとずつ焦げ目がつく、この過程が真幸はとても好きだ。  どんなメニューを組む日でも、「味噌豆」は必ず作ってタッパーに入れておく。あまり甘くしないから、ごはんのおともにも、お酒のアテにもなる。  真幸がひとりで切り盛りする『しがや』は、昼の十二時から夜の十一時までが営業時間だ。ランチが午後二時まで。三時間の休憩を挟んで、午後五時から再開する。  八人でいっぱいになるカウンター席と、二人かけのテーブルがふたつに四人かけのテーブルがひとつの小さな店。  夕方からの営業には、食事だけでなく、お酒をメインにする常連さんも多いため、「味噌豆」を含むお通し三点付けはとても喜ばれる。もっとも、真幸はアルコールには詳しくなくて、ごく普通のビールと廉価な焼酎、日本酒しか置いていない。こだわりのある飲兵衛には向かない店だ。  それでも、『しがや』の個性や、ある法則をもったメニューのほうが重要だと言ってくれるお客さんに守られていた。  いまは、ランチあとの休憩時間。  ランチの片づけをして、食材のチェックをしてみたら、今朝作った「味噌豆」がこころもとない残量になっていた。夜の営業で足りなくなるのは困るので、追加で作っている。  中火にし、砂糖と味噌を入れて擦り合わせつつ混ぜはじめたとき、まだ暖簾を出していない店の引き戸が開いた。
「姐さん、これ置かせて」
 挨拶もなく入って来た青年がよく通る声で軽やかに言う。
「ちょっと待って」
 真幸は声の主を見ようともせず、ちゃっちゃとフライパンの中の豆を仕上げていく。砂糖も味噌も焦げやすいので、眼を放せないのだ。
「おう」
 青年は短く答えると、カウンターの角席に腰かけたようだった。椅子を引き、とんとなにかを置く音が聞こえた。  彼はその席が好きだ。絶対にそこでなければいやというわけではないのだが、何人かの仲間と顔を出してもテーブル席ではなく、角席を含んだ数席を選ぶ。  胡麻を加えて「味噌豆」を完成させてから、真幸はカウンター内を移動した。青年の真ん前に立った。
「見せてよ」 「あ、おう」
 青年はまた短く答えて、手元にあったA4サイズの封筒を真幸に差し出した。一センチほどの厚みがある。  真幸は受け取った封筒からぺらっと一枚引っ張り出してみた。「ふうん」と呟いて紙を見つめる。
「正之丞(せいのすけ)さん、出世したよねぇ」 「出世ってこたぁねぇですよ」
 正之丞と呼ばれた青年はへっと鼻先で笑い、カウンターに支度されている透明なポットに手を伸ばした。トレイに並んだグラスをひっくり返し、冷えた緑茶を半分ほど注ぐ。ごくごくと咽喉を鳴らして一気に飲み干した。
「でも、たいしたもんだよ。菱野ホールってキャパ二百五十くらいあるでしょ。そこで毎月やれてるんだもん」
 真幸の手にある紙は、いわゆる宣伝チラシだ。青っぽい背景の中央に着物姿の正之丞がいて、寄席文字と呼ばれる独特の太い筆致の文字で『日月亭(たちもりてい)正之丞月例独演会』と二行に分けで書かれていた。  ちなみに、寄席文字とは、提灯や半纏に使用されていた字体と、歌舞伎などで用いられていた勘亭流の字体を折衷して編み出したビラ字をもとにしている。天保年間に神田豊島町にあった藁店に住んでいた紺屋の職人が改良したものらしい。  たくさんの客が集まって、空席が少なくなるようにとの縁起を担いで、文字と文字の間隔を詰め、隙間を最小限にして書く。その際になるべく右肩上がりにもする。
「次からはチラシデザイン、もっと凝ったら? 正之丞さんイケメンなのにふつう��デザイン過ぎてつまんないよ、これ」
 真幸は淡々と言うと、チラシを封筒に戻した。  正之丞はもう一杯緑茶を注ぎながら、「だったら姐さんがやってよ」と唇を尖らせた。
「じょーだんでしょ。もうわたしは引退したのよ。いまは���だの食堂のおばちゃん」
 自嘲気味に笑って、真幸はできたばかりの「味噌豆」といんげんと山芋のおひたし、小女子の佃煮入り卵焼きを三点付け用の小皿に盛り合わせ、正之丞の前に置いた。  正之丞は「うまそう」と呟いて、割り箸を手に取った。
「おばちゃんだなんて思ってないくせに」
 まず卵焼きを口に運び、正之丞はにっと口角を引き上げた。
「わたし、何歳だと思ってんの?」 「おれより四歳上だっけ?」
 正之丞はもぐもぐと咀嚼しつつ、首を捻った。真幸はすぐに「五歳」と返した。  正之丞は、スポーツ医療系専門学校卒業後に日月亭正治(せいじ)に弟子入りし、八か月の見習い期間のあと、前座として寄席に入った。四年半務め上げ、五年前に二ツ目となった。確か、早生まれの三十歳だったはずだ。  二ツ目になってからしばらくは、三十人キャパ程度の会場で勉強会を繰り返していたが、ある新鋭監督の映画に準主役で期用されてから注目されはじめた。  端は整った見た目ばかりが話題にされていたものの、ネタ的にほうぼうに呼ばれているうちに噺家としての実力もあがっていった。  真幸は、集客に苦労していた姿も知っているから、とんとん拍子に飛ぶ鳥を落とす勢いの存在となっていく正之丞に圧倒された。  多くの注視は自信の裏付けになると同時に、敵も生まれる。諸刃の剣だ。ファンの好意はちょっとしたボタンの掛け違いで嫌悪に変わってしまう。  そして、それを含め、目立ってナンボの世界だ。潤沢とはいえない客の数を多くの噺家たちで食い合いするのだから、売れていて、魅力がなければ勝ち抜けない。  真幸は『しがや』を開店するまで、日本橋にあるデザイン事務所に所属して、多種多様のチラシをデザインし、寄席文字を書いていた。売れはじめるまえの正之丞のチラシを作ったことも、独演会用に高座のめくりを準備したことも一度や二度ではない。  真幸のデザインするチラシは、噺家たちにも落語会に足を運ぶ客たちにも好評だった。  母が亡くなり、『しがや』を継ごうと決めて一線を退くとき、相当に残念がられたものだ。事務所を辞めても個人的に仕事を請け負ってほしいと頼まれたけれど、それではなんだか示しがつかないような気がして、すべて丁重にお断りをした。  仕事としてかかわらなくなっても、落語そのものは好きだったから、『しがや』のメニューに演目にちなんだものを出すようになった。 「味噌豆」も落語の演目からきている。  主人が隠れて「味噌豆」を食べようと便所にこもる。使用人もやはり隠れて食べたくて、椀によそった「味噌豆」を持って便所へ向かう。そこには主人がこもっているから鉢合わせになり、使用人は機転をきかせておかわりを持ってきたと言い放つというオチを迎える噺である。  もともと「味噌豆」という言葉の響きが妙に好きで、どんなものなのか興味があって個人的に調べて作って食べていた。いろいろなパターンのレシピに挑戦し、自分なりに改良を重ね、『しがや』の落語にちなんだ新メニューのトップバッターに決めたのだ。   真幸が作っている「味噌豆」は、落語に登場するものとはちょっと違うのだけれど。 「味噌豆」が好評だったから、真幸は少しずつ落語の演目絡みのメニューを増やしていった。 「目黒のさんま」にちなんださんま料理、「かぼちゃ屋」や「唐茄子政談」に絡めてかぼちゃ料理、「二番煎じ」に出てくる味噌味の肉鍋風煮物、などなど。  あとは、ランチ時には「時そば」にちなんで、もみ海苔を散らした花巻そばや、玉子焼き、蒲鉾、椎茸、くわいなどをのせたしっぽくそばを常に出している。  夏場には「青菜」に登場する鯉の洗いを用意したこともある。  つまり。  これが『しがや』のある法則をもったメニューなのだ。  このおかげで、母の代からのお馴染みさんや地元だから贔屓にしてくれるお客さんとともに、落語好きの常連さんが多くなった。飲みながら、落語話に花を咲かせているお客さん同士も、落語会帰りに一杯というひとたちもいる。  そのため、多くの噺家たちがチラシを置かせてほしいと言ってくる。去年からは頼まれて彼らのCDや著作物なども販売するようになった。置いてあるチラシやCDなどを目当ての客も結構いた。  正之丞の初CDが出た際には、サイン会を兼ねた特別落語会を開催もした。二百五十のキャパをコンスタントに埋められる正之丞なのに、二十程度の席しかないため、チケットはとんでもない争奪戦となった。  この会がうまくいけば、隔月くらいで落語会をやってみてもいいかなと思ったけれど、ファンの血眼ぶりがトラウマで、尻込みしている。正之丞ほどの動員能力を持つ噺家ばかりではないし、まだまだこれからの若手を呼べば、あんなことにはならないだろうとは頭ではわかるのだが。  思い切るにはもうちょっとの勇気が必要そうだ。
「正之丞さん、まだ時間ある?」
 真幸はチラシの入った封筒をカウンター下の棚に収めてから、ふわっと訊いた。
「ん? あるよ。今日は寄席の昼席二か所だけだから、夜は空き。なんで?」 
 山芋のおひたしを口に入れて、正之丞は訝しそうな顔をした。眉間に薄く皺が寄る。
「さんまのつくね食べる?」
「ランチ残ったの?」
 正之丞はいたずらっぽく眉を上げた。
「あーー、やな言い方するなぁ。そういう態度だと出してあげないよ」
 真幸はむっとしている振りをした。  正之丞とはついじゃれ合いをしてしまう。異性であることを意識したことは、少なくとも真幸側からはない。きょうだいか喧嘩友達みたいな関係をずっと続けている。  真幸には大勢の噺家の知り合いがいるが、たぶん正之丞がいちばん親しい。家族関係もつきあっていた女性のことも知っている。  そして、ひとつひとつの恋愛があまり長く続かないことも。  正之丞がいろいろな女性と交際をしている間に、真幸は取引先の会社にいた相手と恋愛をし、シンプルな式を上げて結婚した。二歳上の物静かな男性だった。軽口を叩き合うような関係性ではなかったけれど、しっとりと静かに穏やかに時を重ねていけると思っていた。  だが、ともに暮らしはじめて三年目に突入して間もなく、「好きなひとがいる」と離婚を切り出された。相手が女性であればもっと引き止めたり、もめたりしたかもしれない。  でも、夫が選んだ相手は同性だった。  それも、高校時代からひそやかに続いていた。「女性の中ではいちばんきみが好きだけど、それ以上にどうしても彼がいとしい。もう嘘はつけない」と言われれば、もう返す言葉はなかった。  惚れていたぶんだけ、離婚直後は恨みめいた気持ちもあったものの、真幸といっしょにいるときよりも自然に幸せそうに、よく笑う元夫を見ているうちに、これで良かったのだと思えるようになった。  元夫は、いまでもあの彼氏とともに生きているらしい。  真幸は、職場ではずっと旧姓で通していたから、たぶん正之丞は結婚離婚を知らないだろう。
「食べる?って訊き方したんだから、ひっこめんなよ。オトコに二言はねぇだろ」
 正之丞はぶんっと割り箸を回した。
「行儀悪いことしないっ!」
 真幸は腕を伸ばして、正之丞の割り箸を掴んで止めた。
「あと、誰がオトコだ!」
 そのまま握り締めて拳にすると、正之丞の額を小突いた。正之丞はでへへっと笑った。
「いしる汁、ひとりぶんにちょっと足りないくらいなんだけど」 「いしるってどこの料理?」 「料理っていうか、能登の調味料ね。いしる出汁っていうの」 「能登かぁ。能登ねぇ」
 正之丞が感心したように頷き、「一昨年呼ばれて行ったなぁ」と続けた。 
「噺家はいろんなとこ行けていいねぇ」 「行くだけで観光もうまいもの食うのも、めったにできないけどね」
 真幸の拳の中から割り箸を奪い返し、正之丞は今度はいんげんのおひたしを食べた。  噺家たちは、確かに地方公演は多いが、余裕をもったスケジューリングにはされていない。  たとえば、福岡公演の翌日の昼に東京公演が組まれていたり、昼は名古屋、夜は仙台なんてむちゃくちゃなことになっていたり。その合間に師匠方に稽古をつけてもらいに行ったり。  噺家は、大抵は個人事業主で、事務所などがマネージメントしているわけではないのに、ファンの多い人気者や名人ほど大事にされていない。ひっぱりだこと言えば聞こえが良いが、ただの過重労働だ。  売れ出して以降の正之丞のスケジュールもそうなっている。昼席のあと、空いているというのは珍しい。
「正之丞さん。もうあとがないんなら、ごはんも食べて呑んじゃう? 奢るよ」
 真幸は断っても問題ないのだという隙間を持たせて、言ってみた。
 正之丞は性格的に年上や先輩からの誘いにノーと言わない。多忙な売れっ子をやっかむ先輩たちや、人気者を連れまわし���いタニマチ風の主催者たちにも従ってしまう。  だから、落語を離れたプライベートの場では気にせずに首を横に振っていい。つまらない上下関係や重圧を離れて、羽根を伸ばせばいい。夜が空いているのなら、彼女とデートだってしたいだろう。  そんな思いも内包していた。  まあ、もっとも、いまの正之丞に交際している女性がいるかどうかは知らないが。
「いいの?」
 正之丞は間髪あけずに返してきた。  真幸の見る目が歪んでいなければ、だが、正之丞にいやがっている様子はない。年上からの誘いだから仕方なく了解したという感じもしない。  正之丞の如才なさの賜物で、うまく本音を覆い隠している可能性もあるな、なんて臍の曲がったことを考えつつ、真幸は薄く笑みを浮かべた。
「ランチの残りと、普段、大皿で出してるような料理しか、まだ用意できないけど」 「充分充分。助かるよ」 「そう? じゃあ、ビール? 焼酎?」 「う~~ん。焼酎かな。ここの緑茶で割るから、グラスに氷と焼酎だけ入れてくれたらいいよ」
 真幸は「おっけー」と答えて、大きめのグラスに氷を四つと七分目ほどの焼酎を注いだ。正之丞の手元近くにグラスを置く。  正之丞はいかにも嬉しそうに「ありがと」と笑んだ。  正之丞は結構酒が強い。深酒も泥酔もしないし、醜態も晒さないが、酒量はいつも多いほうだ。真幸も酒飲みだから、ふたりで飲めば長くなる。  正之丞が緑茶で軽く割った焼酎を飲みはじめるのを見やり、真幸は残りが少ないので小鍋に移してあったいしる汁を火にかけた。汁には、つくねの他に大根、人参、牛蒡、三つ葉が入れてある。  さんまのつくねは、「目黒のさんま」にちなんだ料理のひとつとして作っている。  あの演目だと、「さんまは目黒に限る」で形容されるさんまの丸焼きがメインだ。もちろん『しがや』でも九月に入るとさんま焼きを提供する。  それ以外の時期に出すのが、さんまのつくねなのだ。演目の後半に、殿様が屋敷に戻って「さんまが食べたい」と言ったときに、使用人たちがさんまの脂っぽさや小骨をとりまくってぼろぼろになったものを椀に入れて出す場面を参考にしている。  汁に入れる以外では、揚げたり照り焼きにしたり、にんにくたっぷりでソテーにしたりする。  さんまを使ったメニューとしては、他に味噌煮、蒲焼き、野菜あんかけ、竜田揚げなど、我ながらレパートリーに富んでいると思う。お客さんにも人気がある。  真幸はいしる汁とごはんをカウンターに置くと、続けて、大皿料理として常に用意している筑前煮、かぼちゃの煮付、きんぴら、切り干し大根、肉じゃが、小松菜とツナと玉子炒め、オクラの豚肉巻き、鶏の唐揚げを少しずつ取り分けて出した。  ひとつひとつは凝ったものではなくても、全部が並ぶと途端に贅沢な食卓となる。和食中心の店だから、どうしても色合いが茶色っぽくなってしまうのは否めないが。
「こりゃ豪勢だな。ありがてぇ」
 落語の登場人物の江戸弁めいた口調で喜んで、正之丞は箸をつけていく。  緑茶割を飲みながら、ほんとうに美味しそうに平らげる。細い身体のどこに入ってしまうのかと思うくらいの食欲だった。見ているだけで楽しくて、嬉しくなる。  よく食べる人間は好きだ。ひとは食べたもので作られるのだから、気取って小食のふりをするよりも、食べるべきものをちゃんと食べる姿のほうが素敵なのは当然なのだ。
「おかわりする?」
 グラスの中身が残り少なくなったのを見て、真幸は訊いた。正之丞は「う~~ん」と低く唸って、グラスの底の薄い緑色と、皿に残った惣菜を見比べた。
おかわりを頼むには、つまみが足りないということか。
「えっとさ」 「うん?」
 真幸は、珍しく歯切れの悪い正之丞を見つめた。
「おれね、真幸……姐さんの料理好きなんだ」
 正之丞は、真幸の呼称代わりにしている姐さんの前に名前を入れた。これも珍しいことだ。
「このいしる汁も肉じゃがも筑前煮も豚肉巻きもぜんぶ美味いし、どれも好きだ。ほんとに口に合う」 「あ、ああ。そうなんだ。ありがとう」
 淡々と、だが、真摯に料理を誉める正之丞の口調が妙に照れくさくて、真幸はさり気なく目線をずらした。正之丞を正面から見ているのが、なんともいたたまれない気分だった。
「実家のおふくろのメシより好きだ」
 正之丞の「好き」は更に続く。真幸はかあっと顔が熱くなるのを感じた。  いま、彼が言い続けている「好き」は、あくまでも真幸の料理に対するものなのに。
 すべてが自分に直接跳ね飛んでくるみたいな感覚だった。
「できれば、これからもずっと姐さんのメシを食いたい」
「……う、うん」
 真幸は小刻みに頷いて、「いつでも食べに来てよ。毎回は奢らないけど」と続けた。  正之丞はふうっと深く大きなため息を吐いた。こんなに誉めたのに奢らないと言われて、つまらないと思ったのかもしれない。  でも、正之丞みたいな健啖家を毎回ロハで食べさせていては、『しがや』が立ち行かなくなってしまう。
「そうじゃないよ」
 少しの間を置いて、正之丞は低く言った。  なんとなく怒っているように聞こえて、真幸はちらっと正之丞を覗った。正之丞はまっすぐに貫くように真幸を見つめていた。
「『しがや』の客としても、だけど、それ以上に個人的にって意味」 「え、え? あ?」
 あまりに意外な言葉で、真幸は間抜けな反応しかできなかった。声もいびつに裏返った。
「どういう……」 「おれ、姐さんが好きだよ。何人かの女性とつきあってみて、余計にはっきりとわかった。おれは姐さんが好きだし、おれに合うのは姐さんだけだ」
 訊き返そうとした真幸の声に被せて、正之丞は一気に言い切った。手にしていた割り箸を肉じゃがの小皿に置いた。
「え、いや、でも、ほら、わたし年上だし」
 間抜けな動揺を色濃く残したまま喋るから、真幸の声は自分でも笑ってしまいそうなくらいに上擦っていた。  きょうだいや喧嘩友達のような存在の正之丞からこんなことを言われるなんて、想像したこともなかった。いまのふたりの関係に変化が起こるわけがないと、ずっと思っていた。
「五歳くらいどってことないんだけど」
 すかさす正之丞が答えた。
「え、でもね」
 なおも否定を続けようとした真幸に、正之丞は「姐さんのでもでもだっては、ぜんぶ打ち返せると思うよ、おれ」と微かに笑みを浮かべた。
「いますぐに答えがほしいわけじゃないんだ。おれの言葉を聞いた今日から、考えはじめるんでいい。姐さんの恋愛対象におれがいなかったんなら、これから加えてほしい。そういうことなんだよ」
「……でも、正之丞さん……」 「でもは、もうなし」
 うだうだと「でも」を並べる真幸を迷いなく見つめ、正之丞はびしゃっと切り捨てた。噺の中で誰かを叱りつけたときのような口調だった。  思わず背筋が伸びた。  真幸はぎくしゃくと正之丞に向き直った。正之丞は微笑みを湛えたまま、その動きを待っていた。
「考えてみて」
 正之丞は真幸と眼が合うのを待って、ひどく穏やかにそう言った。
「たくさんたくさん考えてみて。姐さんとおれがいっしょに生きていけるかどうか。真剣にちゃんと考えた結果がごめんなさいなら、おれは受け止めるから」
 あまりに真剣な口調に、真幸は唇を引き締めた。  いままで正之丞と自分を男女として意識したことはなかったけれど、ここまでしっかりと伝えられた以上、直視しないわけにはいかない。誤魔化したり予想外だからなんて言い方で逃げてはいけない。
「時間はいっぱいかけていいよ」
 正之丞は、これまで一度も見たことがないくらい穏やかに優しく頷いた。笑みの形になったままの表情がひどく美しかった。
 ――考えよう。これから、きちんとまっすぐに。
 真幸は言葉にはのせずに、ただ強く頷いていた。
「……良かった。ありがとう」
 心底から嬉しそうに、正之丞が頭を下げた。
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sarahflow · 5 years ago
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短編:似非SFテイスト。
 ふしゅっと蒸気の音がする。  噴き上がる黒と白の煙が交ざり合い、いつの頃からか青い空は見えなくなった。食堂の前に植えた花々たちもしょげている。  水をやりながら彼は全身から絞り出すような溜め息をひとつ。
「花にも動物にも人間にも青い空や綺麗な空気は必要なのに」
 それを諦めてまで、求める明日ってなんだろう。  ひとは自分で掴むために二本の腕があり、二本の足があるのに。機械がそんなに必要なのだろうか。  俯きかけた赤い花をそうっと撫でて、彼はもうひとつ溜め息をつく。
 ごほっ。
 ごほっごほっ。
 乾いた咳がはじまった。  機械と蒸気がかえって人びとの未来を奪っている。みんな気づいているのに、なぜ見ない振りをしようとするのだろう。  彼はベストのポケットから青いカプセルをふた粒取り出す。  ぎゅうっと握り締めて、その硬くて柔らかい感触にぞくっとする。こんなもので命を繋ぐ我が身が情けない。
「おはよう」
 いっそカプセルを握り��してやろうかと考えていたら、背後から擦れたような低く重たい声がした。  彼は、咳を堪えながら、わざとらしく溜め息をついてみせた。背後の男がくくっと笑った。
「おはようと言ったのに、お返しはそれか」
「毎日様子を見に来なくていい」
 彼は吐き捨てるように言い放つと、食堂のドアノブをひっつかんだ。男に一瞥すらくれず、引き開ける。ずずっと錆びついた音がした。
 ――まるで、俺の断絶魔みたいじゃないか。
 彼はカプセルをわざと手のひらから落として、つま先で蹴り上げた。ごほっと一際大きな咳が出た。咽喉の奥、肺の入口あたりが重たく軋む。疼痛が奔る。  たぶん、いちばん人間らしい部分だからこそ痛むのだ。
「おいおい」
 男は呆れたように呟いて、カプセルを拾い上げる。節の目立つ大きな手のひらが彼の眼路を過った。
「そんなに死にたいのか。愚か者が」
 男は彼の腕をぐっと掴み、カプセルを握り込ませた。あっさりと彼のテリトリーに侵略してきたのだ。
「誰もが望むものを持っているのに、自ら捨てるな」
 男は かっと熱く尖ったものが眼球の裏側にぶつかった。思考は滾る。苛立ちとヒステリックな叫びが弾け飛んだ。
「誰がそうしてくれと望んだっ!」
「それでは死にたかったのか」
「そのほうがずっとマシだったなっ!」
 彼はカプセルを男に向かって投げつけた。  真黒なスーツに漆黒のフロックコート。ひょろりと背が高いから、まるで誰かの影のようだ。煙の向こう側に閉ざされてしまった空みたいに、青く澄んだ瞳がじっと彼を見つめている。
 彼はぐっと睨みつけた。
「ひとは、そう遠くないうちに機械によって救われていくのだ。おまえはその最初の一歩ではないか。胸を張れ。堂々と見せびらかして生きればいい」
「……俺は人間じゃないだろうっ、もうっ!」
「人間じゃない? ちゃんと肌も髪も手足もある。言葉も喋れる。心臓だって動く。どこからどう見ても人間にしか見えない」
 男は薄い唇をすううっと引き上げた。蛇の顔によく似ている。病院ではじめて会ったときと印象はなにも変わらない。その気持ちに従って、あのとき首を横に振ればよかった。
「それでも人間じゃない! 工場の底にある蒸気と同じだっ!」
 彼は足元に転がって来たカプセルを力任せに踏みつけた。ぷちゅっと熟しきった果実がつぶれるような音がした。
「あんたらみたいな科学だ医療だ技術の進歩だってほざく奴らが機械なんてものを作って、ひとから仕事を奪い、工場の蒸気で空を奪って、人間の生命さえ弄んで奪っていくんだっ」
「結果、病気が恐ろしくなくなる。どこがいけない? 大切なひとを失って嘆くこともなくなるんだぞ」
「それは……っ」
 男の言葉に返すべき怒りがうまく形にならなくて、彼は俯いた。
「恐れることはない。自分を恥じることもない。そのうち、ひとはみな、おまえと同じように変わっていく。そうやって救われるのだ。心も身体もなにもかもすべて」
 男は穏やかに言い切ると、彼の頭をふわりと撫でた。
「わたしは、おまえを病気に奪われたくはなかった。嘆き暮らすのはいやだった。病床の我が子を助けたいのはどんな親も同じだ。そうしてやれる技術をもつのなら駆使する」
 男は小さく溜め息をつく。
「それが……父親というものだ」
                          END
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