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モフセン・マフマルバフ『パンと植木鉢』(1996) ○
モフセン・マフマルバフ『パンと植木鉢』(1996) ○ 17歳のとき活動家として警察官を襲った監督自身の元にその警察官がやってき、当時を映画にする「映画撮影映画」。

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短)E・F・ベンスン『チッペンデールの鏡』(1915)
短)E・F・ベンスン『チッペンデールの鏡』(1915) - 鏡が過去に映していた事件を記憶し、形もサイズもまったく同じ「対」に転送する、だけでは掌編にするには弱い。
鏡が過去に映していた事件を記憶し、形もサイズもまったく同じ「対」に転送するもの。猫の予感に加え「冷たい空気の流れ」がその現象の始まりを示す。掌編にするには上記だけでは弱いか。
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ジョン・ランディス『狼男アメリカン』(1981) ○
ジョン・ランディス『狼男アメリカン』(1981) ○ わざわざ「in London」であること、引用の多さは「正当」への志を感じる。ゾンビと吸血鬼の中間のような継承方法が独特。

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短)木犀あこ『その屋敷にひそむ者』(2022) ○
木犀あこ『その屋敷にひそむ者』(2022) ○ 「都心部のマンションの最上階」を地の文でゴシック的「屋敷」と書き換えるのが面白い。二つの叙述的仕掛けのうち小説内での会話の曖昧性を扱うものがすごい。
ページ数は『幻想と怪奇12』から。 「都心部のマンションの最上階」(p161)をゴシック的な印象とともに地の文で「屋敷」と書き換えるのが面白い。富豪の狷介老人と若く美しい妻、彼を嫌いながら出資を受けるため屋敷に通う若者に三角関係が生まれるかも、というミスリーディングもそこから導かれる。若者の出資計画をメタバース関連とし「家の中ですべてを済ませる時代」と強調したあとにその家こそが危険なのだ、とする構成もうまい。 ショートショートらしく小説構造を逆手に取った劇的な展開がもたれる。最近読んだ黒川卓希『世界地図、傾く』(’22)にもあった「日本語小説は説明されないとその発話が日本語でなされたことを疑えない」ことに加えて、小説の「語り」を扱ったもう一つの仕掛けが巧み。小説では人物と人物の会話が実はあいまいだということに気付かされた。「語り掛けに、青年はまた作り物の微笑みを返す」(p162)「困…
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ツァイ・ミンリャン『西瓜』(2005) ○
ツァイ・ミンリャン『西瓜』(2005) ○ 観察的な映像それ自体の耽美と並行してMV的な脈絡ない固有の世界観、スイカセックス・バリエーションなど象徴が次々に挟まれて楽しい。

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ツァイ・ミンリャン『楽日』(2003) -
ツァイ・ミンリャン『楽日』(2003) - 「もう誰も私たちのことを覚えていない」と映画館から出た老優ふたりに映画産業の斜陽を担わせ全体を貫く穏やかな怪異の雰囲気に重ねる。

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エレノア・スミス『ウィッティントンの猫』(1934) -
エレノア・スミス『ウィッティントンの猫』(1934) - 猫ぎらいの人物の猫への強迫観念:一晩中の鳴き声、演劇中の着ぐるみ、友人の愛猫に悲鳴、から「人間大の猫」が人間の主人に、がよい。
両親はすでに亡く孤独な富豪マーティンの周囲に起こり始める奇妙な事象は以下のようなもの。住居の大邸宅屋根で一晩中聞こえる鳴き声、研究のため毎日通う劇場のお決まりで観客に絡む猫の着ぐるみが彼を標的に、友人の医師の愛猫が膝に飛び乗り悲鳴をあげるマーティン となり、猫ぎらいの彼にかえって突きつけられる猫へのオブセッションがよい。それに続き劇場でまた着ぐるみに襲われたと思うと「人間大の猫」、それがマーティンに命令してくるのを拒めない、邸宅を乗っ取られ生活のあれこれを世話する従者のような振る舞いを強いられる、の転倒が面白い。最後は「やっぱり着ぐるみでした」となるいっぽうマーティンの喉元は「切り裂かれ、引き裂かれて」(p158)いた二重映しのエンディングまできれいに仕立てられていた。彼が観劇しにいく「パントマイム」:クリスマスの家族向け滑稽劇への趣味披瀝も楽しい。
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短)ジャン・ルノワール『ピクニック』(1946)
ジャン・ルノワール『ピクニック』(1946) - 「都会人の『田舎の休日』はどうせ」と田舎人が話す内容を都会人がそのまま行う面白さ、それが象徴的な「窓=絵」で表現されるショットがよい。

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エレノア・スコット『彼奴(セルイ・ラ)』(1929) -
エレノア・スコット『彼奴』(1929) - 「くねくね」みたいな怪物の不気味、を呼ぶ呪術的な手続き:口に出す・名付ける、漆喰を剥がすと壁画が、教会の建て増し、など要素がいずれも面白い。

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ジャック・ベッケル『赤い手のグッピー』(1944) ○
ジャ��ク・ベッケル『赤い手のグッピー』(1944) ○ 各自を「守銭奴」「エンペラー」など綽名で呼び合うグッピー家のカラマーゾフ性、卓抜な人物造形・関係が大金を巡るサスペンスがよい。

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グレゴリー・ケズナジャット『開墾地』(2022) -
グレゴリー・ケズナジャット『開墾地』(2022) - 多国籍な舞台設定のなかで問題意識は「ここではないどこか」を求める実存、は「またか」ではあるけれど語りに言語感覚を採用する構成もその描写もうまい。
ページ数は『群像』2022年11月号から。 テヘラン・サウスカロライナ・東京と三つの場所を相手取った舞台設定のなかで問題意識は「ここではないどこか」を求める実存的なそれに留まる、は「またか」ではあるけれど、語りの方法に実地的な言語感覚を持ち込む構成もそれ自体の描写もうまくまとまっており、異国情緒を絶対化しないバランス感覚も持ち合わせていた。 異国語、意味の知らない書き言葉に対する「未知なるものの魅力」(p145)について。バブル期で日本企業の工場が多く存在したゆえに日本語教育を受けた主人公の幼少期、目新しさとともに感じていた魅力も院生となったいまは消えてしまった、というもの。ペルシャ語も「父親をずっと虜にしていたあの線と点の羅列」「父親の口から流れていたその美しくて異質なもの」(p147)と同様の感傷をもって回想される。 主人公が物語の大部分で抱える時差ボケのように、英語の土地にあ…

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佐藤厚志『荒地の家族』(2022) -
佐藤厚志『荒地の家族』(2022) - 過去にあった決定的な出来事に囚われ何度も思い出す、は常道だが本作は散漫だなと読んでいると「ほとんど同じ文章で」回想される方法に驚いた。
ページ数は『新潮』2022年12月号。 震災にまつわるマクロなあれこれも個人的なことがらも一緒くたに語られるなか、それと等価に主人公の見る幻想もないまぜに同じ回想が何度もループする、は「過去にあった決定的な出来事に囚われる」類の常道といえる。視点人物の語りから「震災」の言葉が忌避され、必ず「災厄」「海の膨張」と換言されるのもその一つ。人の死を身近に感じた、など視点人物の幼少時代の印象的な挿話も何もかも、土地に根付いた生活ごと津波に押し流されてしまうこと。 ①メランコリックな世界形成に資する2人の「ダブル」、②前時代的な地元コミュニティの持続とそこからの逃れられなさ、③40歳やもめ男性の老い、のいずれも面白い部分があったが、如何として散漫な印象があり、そのままなんとなく終わってしまった感があった。①は視点人物・祐治と同じ境遇の2人:妻に逃げられた明夫と祐治の弟子として働く京介 が「ダブ…
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鈴木涼美『グレイスレス』(2022) -
鈴木涼美『グレイスレス』(2022) - 「崩すために飾り立てる」主題はよく扱われるものだがうまく構成されていた。家の間取りや周辺事情の詳細な書き込みから描く生活史も基本的には好感。
ページ数はすべて『文學界』2022年11月号から。 生活の痕跡・生活史がよい。その中心として「父方の祖父の妹」が建てた家があり、その間取りや周辺事情の詳細な書き込みから生活を立ち上げるのはよかった。が、その過剰が奏功していないと思う箇所もあった(p204などうるさく感じられる)。時間軸は3世代ほどにわたり、前作『ギフテッド』(’22)が母・娘関係だったのに比べ時間軸のスパンが長い。「築20年」「ごくまれにしか帰ってこなくなって十年近く経っても」「母が出ていくまでのほぼ十三年間」「十年前、大学を一年足らずで辞めて」と数字が具体的なのもこの作家の特徴。 視点人物をAVの化粧師に置き、彼女が向けるAV女優へのアンヴィヴァレントな思いを中心に据える。それを化粧師の仕事内容から比喩的に語っていくのが大筋��最も強調されるのは「崩すために(需要に合わせ)顔を美しく飾り立て、やはりそれが崩される光景…

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ジャン・ルノワール『南部の人』(1945) -
ジャン・ルノワール『南部の人』(1945) - 小作��が過酷な労働に父を亡くしその遺言で自分の土地を持つことに伴う苦難のなかでしたたかに生きていく、という労働者映画。

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井上雄彦『THE FIRST SLAM DUNK』(2022) -
井上雄彦『THE FIRST SLAM DUNK』(2022) - 「絵が動いている」感覚はある程度は成功しているが、肝心の動きはトロい。山王戦に過去全編の要約をカットバックさせる編集にも少なからず無理が。

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ジャック・ベッケル『幸福の設計』(1947) -
ジャック・ベッケル『幸福の設計』(1947) - 貧しくても慎ましやかで幸福な、というもの。集合住宅の住人間交流が好ましい。その生活のなかでいきなり80万ユーロが目前に、に付随する心理効果はあまり高くなかった。

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ジョルジュ・フランジュ『ジュデックス』(1963) -
ジョルジュ・フランジュ『ジュデックス』(1963) - 「ゾロ」みたいな正義の味方、仮面舞踏会での暗殺、キャッツアイのような女盗賊、とこれもジャンル的。強引な展開や弱すぎるジュデックスの戦闘能力も子供映画劇場みたいで楽しく観られた。

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