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◆Seien :une étudiante japonaise à Tokyo/Rennes/Annecy ou partout !!   自由に気ままにその日思ったこと、あったことを淡々と...または留学記。
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seieeeen-blog · 7 years ago
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私はポエマーであるということ。
基本的に、親しい友人や周囲の人、家族、私と関わったことのある人間はおそらくみんな私がとんでもないポエマーであることを良く知っていると思う。
基本的に、とてもうる��い、考えがまとまらない割にずっと喋っている。悪い言い方しか見つからないのだが、勉強をするよりもTwitterで呟いたりこうしてなにか文章を��いたりすることが多いように思う。
といっても、文章もただとりとめもなく書いた思いつきのもので、なにかを体系的に勉強したような論理的な文はないし、リアリティに基づいた作品を創りだす為に書いているわけではないから本当にただの自分の精神世界との問答だ。
今は新しいブログでなにか留学へ行く人たちの為に役に立つ情報を発信できないかと日々模索中。そんな中、レンヌに留学へ行くまえにつくったこのブログを思いだした。
実はこのブログも最初は留学記録を残すためのブログであった。しかし、更新する内容は基本的に私の感情的な日記ばかりになった。
最終的には私個人の記録として、とても読み返して面白い自己満足できる内容とはなったが、中にある情報は薄っぺらい。そして、大半はとても不思議な文体であまり読みやすいとは言えないと思う。
気取っていて、青臭くて、むずかゆい。みていて目を覆いたくなるくらい恥ずかしい書き方をしているなあと自分でさえ思うが、私はどこか根のそこからナルシストな部分があるため、そんな自分の文章にすらいとおしさがわく。
ブログと私の歴史は、おそらく小学校4〜5年生の頃からだ。 小学校のクラスの係活動で創ったブログがあった。その前からもヤフーブログを自分で運営していた。
とくに集客目的もなければ、有益な情報を更新していたわけでもなかったが、インターネットで自分の趣味を公開して仲間と語り合ったり、記事を書いたりするのがそのころは純粋にとても楽しかったのだ。
文章やこうした文章サイト自体はおそらく、夢小説を書きはじめてからの付き合いで。未だに中学生時代と高校生時代に書いていた夢小説のサイトは私の中で大切に管理している。ときどき自分で見返しては自分がした妄想を笑ったり、今よりももっと稚拙な文章を見て辟易する。しかしそれも私の経験であり過ごした時間なのでとても大切にしていきたい。
人間は、今と言う瞬間しかいきれないのに、海馬の発達のおかげで昔のことを覚えている。或は優秀な脳みそが夢をみせてくれたり、理想に思いを馳せたりさせてくれ���。
時間の概念がある生物としてこの世の中で生きていることって、本当に珍しい。と私は思う。他の生物がどう生きているのかは知らないが、うちの猫は少なくとも、昨日の自分や明日の自分を考えながら生きていない気がする。
彼女は私たちの愛や、その日のご飯や、外でひなたぼっこしているその瞬間が満足であれば、「幸福」でいられる。おそらく。 そんな彼女のように生きていたいけれど、そんな彼女のように生きるには私の脳の容量は大きすぎるし、この優秀な人間達に創られ縁取られた世界で生きていくには私はあまりにも矮小で空っぽで、凡庸な人間過ぎるのだ。
絶望しているというわけではないけれど、冷静にものや自分を見つめたとき、シンと私の心にそういう気持ちがわいてしまう。 それは私の性格で、もちろん変えられないとは思っていないが、変えるほど私は私のこの考え方が嫌いじゃない。
人間は自分の正当化が上手だ。
私はそれを忌み嫌うと同時に、自分でもよく行っている。皮肉なことではあるけれど、そういう世界で、そういう論理が息づいている。
本当にただの日記で、無意味なものでしかないけれど、更新しているブログとは別に、こちらのブログにはただただ私の気持ちや感情を(哲学的とまでは言わないにしても)、吉田兼好さながら徒然と記録していこうと思う。
よければ、是非、少し物悲しい私の自己陶酔日記に、お付き合いして欲しい。
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seieeeen-blog · 8 years ago
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12/22
そういえば、ベルくんの誕生日だ。
私が青春を捧げた、あの王子の、二番目の彼氏(のちにイルミさんに復縁)
そんなことは置いておいて、今日は13時に起きてご飯を食べてからずっと卒論のために部屋にいた。夜ご飯はもつ鍋。
なかなか進捗が悪い、進まなくて逃げてしまう。もうフランスのこと調べるのに飽きてしまった、何のためにこんなこと��やってるのか見失う。
というか、私はなぜフランスが好きなのか、私からフランスを取ると何が残るのか、私の好きなものってなんだったのかわからなくなって行く。嫌いなフランスもたくさんあって、それはもう嫌になるくらい嫌なところを知ってるのにまるでフランスが大好きな人間を装ってないと卒論が書き終われない、そういう内容。
本当にもうフランスに済んだところで何って感じだし、家族で迎える新年とか初詣とか⛩好きだし、我が家もこの森も大好きなのにいつもいつもどこか違うところに行きたがる、理由もなく、移動して。何がしたいのか、そもそも生きていたいのか、生きるのが大変。うんけいとう、今のとこ毎日飲めてる。爪がまた少し危機的だから気をつけたい。卒論が嫌だよお
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seieeeen-blog · 8 years ago
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12/21
危ない、二日間連続で日記を忘れてた。
年内最後のインターンに出かけ、前日に引き続きチームの担当さんが体調不良で軽作業。やることもなく年明け最後の出勤前の年内最後のインターン最終日は結局早上がりで、お昼はyさんと表参道の駅のフードコートで美味しいご飯を食べた。
あとクレープ屋パーラでも1300円の豪華なクレープを食べてしまった。とんでもないカロリーだったと思う。それなのにあいも変わらず夕飯でも肉まんと小籠包とその他諸々を食べたのででぶ活だった。きちんと明日からは引き締めよう。
山手線の遅延もあったけれど普段よりだいぶ早く家に帰ってこれたおかげで少しだけフランスの学校などを調べてた。卒論も少しだけ足した部分あり。
明日からは年内卒論完成を目標にひとまずはそれに向けて駆け抜けるラストスパートをかける。年始にはフランス語の直しをお願いできればいいだろう。本当に運動がおろそかになって食べてばかりだから、食事と体の管理も卒論と出願と並行して頑張っていこう。
ダメな習慣を一つ一つ改善していこう。
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seieeeen-blog · 8 years ago
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12/18
今日は起きて田中の薪運びに呼ばれたが疲れてて精神的にあの人間に合う力も何もなかったから行かなかったら後で何やら怒られてた、死ぬほどうざいしムカつくお前の顔見��くないから行かねえしこっちも疲れてるタイミングで呼ぶな。
小手指駅で誕プレ見つかったから明日は朝所沢に行かなくてはいけなくなった、私の自ら招いた事態だけれど本当に色々堪える。辛いしめんどくさいのに厄介事をやらねばいけない、行ったことのないところに行くつもりでまた初めて行くところが増えたとポジティブに捉えたい
顔がむくんでいて目が重かった、朝からパンを🍞食べ過ぎてまた嘔吐した。これが生理不順のおおよその原因。
今日たのほうせいのうなんとかという排卵をなかなかできない病気だという診断結果がでた、また自分で招いた事態だ、もう何もしたくない、ただ薬を飲むのは忘れないようにしないと将来の私にまた迷惑がかかるから今から飲みに行く。
鍵を直した、4000円で割高だった、これからは本当に落し物なくし物を気をつけなきゃ。しっかりしよう。
卒論はまたかけなかったけど、年末に着々と終わらせたい。
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seieeeen-blog · 8 years ago
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今日の出来事を、これから日記につけたいなと思ったので書きます。 朝起きて、眠くて、少しだけゆっくり出来ると思って、余裕を持って家を出て10:30に仕事場に到着予定だったのに 家に会場の入館書をわすれる。その前日に母のプレゼンの花を電車に忘れ、ペンを忘れ、忘れ物続き、毎日何か忘れている。本当に小さい頃からいつもこうでそろそろどうにかしなくてはいけない。本当に。きちんとものを管理できる人間になりたいと強く思ったし、それを本格的に改善したいがために日記をつけて、きちんと自分のことを管理するように努めて行きたい。 自転車の鍵もどこかに無くしてしまい、本当に散々で、疲労感がどっと押し寄せて、結局自分の至らないところにまた涙を流してしまった。 しっかりしなきゃと自分を責めては改善しない、ぐるぐる同じところを回っている。どこにいてもいつもそうで、フランスにいるときはそういう苦労が少なくて、日本で現実に戻された瞬間いろんなできないことが明らかになって精神的に辛くなることばかりだ。 強くなってきちんと自立して繰り返し同じことをできる人間にならなければいけない。それをすることができないと成長がない。だからせめてこれからは毎日日記を書くことにする。何か一つの行動だけでも習慣化させたいからだ。 本当は手書きがいいが変なこだわりで、とりあえず年内はタンブラーに投稿したい。 自分がきちんと1人で生きられるようになるためにやることは多すぎる。 仕事は少し疲れたけれど、今回の展示会も素敵なものがたくさんあって可愛くて楽しかった、友達にも久々に会えて話せて気持ちが明るくなった。自転車は申し訳ないけれど明日妹にとってきてもらうことになった。家族にはいつも迷惑をかけているのに私のためにみんな動いてくれて感謝しかない、そんな家族が好きだし、とてもありがたい妹も母も祖母も。 色々なことがあるけれど受験と卒論を中心に、じぶんでしっかりする。を目標にして、年内は新年に向けてその方向性で残り少しを走り抜けて行きたいなぁ。
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seieeeen-blog · 8 years ago
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感情と言葉
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写真は、台北の101のてっぺんで風が強く吹いてたから、シャンプーのCMみたいになるんじゃないかってふざけて元彼氏に撮ってもらったもの。残念すぎるくらいに自分がブスなのにあり得ないくらい幸せそうに笑っていて、写真を見ながら泣きそうになった。
もうこの写真が届いてから三日は過ぎてて(というか送られた直後に一度この文章を書いたのにネット不具合でハイパー長文が全部消えた)、今はもうあの時程のこみ上げる思いはないけれど、とりあえずやっぱり記憶を新鮮なうちに書き留めておきた��った。
自分のことを厨二だと思ったのはいつからか覚えてないけど、文章の書き方や感情の吐露の仕方は昔から何も変わらなくて、今は昔より遥かにこうして文字にすることは少なくなったけれど、私にとってある意味一つの節目だったので、やっぱり一度あとで自分で見返して笑ったり、馬鹿だなあと思ったりできるように書き留めておきたい。別に自己満足の為なのだけれど、自分のこういうのが誰かの目に留まったりするのは嫌いではないし自己主張の強さは認めているので、読んでくれたら嬉しいし、うざいと思いつつも慰めてくれたらなお嬉しい。ただの記録として、少し誇張も入った感情的で長くてめんどくさい文章になるけれど、それも私の一部で、こうしてめまぐるしく巻き起こる私の青い春の一部分を、自己陶酔の激しい私は書かずにはいられないのだ。
なのでもしここから先読んでくれる人がいたら是非読んで欲しいし、10年後の私はこの続きを見てあまり引かないで欲しい。これが今私が感じていることだというのをこのブログで少しでも思いだして欲しい。
台湾に11月25日から12月3日まで、旅行に行っていた。もちろん、旅行それ自体も凄く楽しみだったけれど、それより遥かに彼氏に会えることの方が楽しみで、久しぶりに彼に触れられて話すことができるのかと思うとそれだけで笑顔になっていたんじゃないかと思う。
添えた写真は台湾から帰った翌日の夜、彼が私にメッセンジャーで送信してきたものだ。他にも沢山写真が会って、その中に写っているいる私はどれもとても幸福そうに笑っていた。多少ブスだけど、それでも今の私からすればありえないくらい満ち足りた笑顔で楽しそうに笑っていた。
自分が物事を大きく誇張したり、感情的に書き連ねる癖があるのは知っていたけれど、3日から今に渡って感じているものと言ったらそれはもうなにからなにまで劇的で運命的で、いうこと考えること何もかもが自分ですら少し嘲笑したくなるくらいだった。
結果からいえば、私は台湾に彼に会いにいき、幸せな9日間を過ごし、最後の別れのその数分前に別れを告げてきた。
それはもう本当に、最高にドラマチックでなんならロマンチックでさえあったと自分で自分のいい女っぷりに酔いしれたくなるくらい素敵で激しい別れ方をしたんじゃないかと思う。
別れたと言う現実はどんどん身に沁みて涙が止まらなかった。私が彼に提案し、彼が私をきちんと振った。どれだけ愚かなことをしたのだろうと、その時は思うこともできず、私はただ自分に、彼に振られるという絶対的な自信と確信を持っていたと思う。だからこそ、彼のその答えは全く驚くべきものではなかったし,おそらく私はそれをはっきり彼から聞いた時、すとんと、心の中にあった大きい何かが腑に落ちるのを感じていたと思う。
大好きだったのだ。今でも。
恋愛という経験をしたくないと思っていた。結婚に繋がらない恋愛も、未来の確証がない恋愛も、安定しないそういった愚かな関係を、愚かなものだと思っていた。おそらく今も、愚かであると思っているし、次はもう誰かと終わるだけの恋愛なんてしたくないと素直に思う。
それでもおそらく多くの文学や映画や歌に出てくるように、この激しい感情は、想いは、経験して損はないと思った。私は確かに旅の中で死ぬ程幸福で、その瞬間は自分が世界で一番幸福な人間なのではないか、とさえ思えた。
確かに画面の中のイルミゾルディックだけでは得られないものがそこにはあった。
死ぬ程辛かった、多分私が彼のことを好きすぎたのが半分の原因だと思うくらい私は本当に彼のことが理性では止められない部分でとても好きだった。他にも多くの反省点はあるし決して私だけが悪いわけではなかったと思う。
ささいな喧嘩を繰り返す度に,私は彼との間に溝を感じていたし、この人間といたら自分が幸福にもならなければ、自分が彼のことを幸福にできる存在ではないと言うことを思い知らされていくだけだった。
何度も心に留めて、自分でいわなかった言葉を帰りの飛行機の前日にとうとう聞いてしまった。
多分そのとき彼はまだ本当に、別れるだなんて考えていなかったと思うし、少し涙まじりで「不乱想好不好」と寝る前に伝えてきた時、私は確かに彼が悲しんでいることがわかったし、私も涙をこらえられなくなるだろうから何も言えなくなった。
それでも結局は翌日にその話題を繰り返すことを避けられなかったのだ。
彼は本当にそんなこと何も考えていなくて、日本にも多少は来るつもりで、私に対して不満なんてなかったと思うけれど、それでも私がその話題を繰り返したのはやはりその不毛な関係にハッキリした答えが欲しかったからだった。帰国のその日すら自分から私に次いつ会うかも何も言わないで、日本に来たいの一言も、帰るのが寂しいということもそういったなにもかもがなく、おそらくそうしたすべてが私に別れ話をさせるきっかけになった。
残念なことに、彼はそこまでの”情熱”がないのだと、(実はフランスにいた時にも同じ話をした)告げてそれでも日本には行きたいということを言っていた。でも多分結局の所確かに私は愛されてはいたが、”それほどまでに”愛されてはいなかった、ということだけがそこに残った真実なんじゃないかと思う。
それからの話は、とても早くて、私が、今すぐに返答が欲しい。と告げたら、やはり彼は意を決していて(もちろん私も)、そうして
「faut arrêter」
と真っ直ぐに私の目を見て告げてきたのだった。
私は多分ぐっと涙を抑えて、大きく息をのんで、うん、と大きく一回うなづいていたと思う。色々な感情が駆け巡ったけれど、それでも私はとてもそれに納得して、悲しみを飲み込んで激励の言葉をかけた。少し不満も。
彼には申し訳ないが日本人と付き合った方がいいと言われたとき、むかっときてあなたもフランス人女性の方がいいよ。と言う風に返した。私は多分継ぎ付き合う人も日本人ではない、彼が私にそうしたように。
それでも旅の間のことも、1年1カ月の間に起こった全てのことも、全てが、どんなに些細なことでさえ尊かった。好きだったのだ、本当に。
あれほどのことをされても、早く話せと言われても、元カノとの事件があっても、どんなに辛くても、涙さえ出ないくらい追いつめられても。
出会ったときの彼の告白も、私の名前を呼ぶ声も、目の色も、大きくて高い鼻も、不細工な口元も、綺麗な歯並びも大きな背中と、つけているデオドラントの匂い、私の買った服を繰り返しきる姿も、中国語を話せることも、英語の発音が少しいい所も、イタリア語の真似が上手な所も、清潔感がある所、服のたたみ方が綺麗な所、料理を美味しいと言って食べてくれる所、そこには確かに私が彼を愛する要素が存在していた。
この一年間確かに彼には私しかいなかったと思う(真実がどうかもう知るすべはないがほぼ99%白だと思う)、私は確かに彼にとってQuelqu’unであった。
初めて自分が好きな人が自分を好きでいてくれる世界が存在するのだと思った。
初めて、大好きだと思っている人から告白をしてもらった。初めてきちんとキスをした。初めて少しいやらしいキスもした。誰か適当な人間ではなくて、大好きな人に初めてをしてもらうことができたし、初めてセックスをすることの悦びをしった。彼の大きな手はいつもとてもセクシーで、それが肌に触れる感覚はいつも心地よかった。終わったあともきちんと話しをしてくれて、私に寄り添ってくれていた。少し行き過ぎた行為をしたこともあったけれど、それもまあたまにだったから丁度いい刺激だった。恋愛にセックスは必要ないと思っていたけれど、彼は確かにそんな私の考えを大きく変えてくれて、恋人間におけるセックスと言う行為の尊さを見いださせてくれたと思う。
最低な時間は沢山あった、死ぬ程嫌でいやで怖くて怖くて嫌いになりたくて、何度も別れを告げては私がいつまでも別れきれていなかったのだ。私は確かにその男に激しく恋いに落ちていた、間違いなく私の人生の中で大恋愛と言っていいものだった。
別れの前日、龍山寺で引いた神籤には、このままものは散り散りになると書かれていて、母にはそんなことばかり考えるなと針を刺されていたのに。
彼が私にありがとうと言って以降、日本までの飛行機ではずっと泥のように眠っていた。着陸の一時間前のアナウンスで起きた時に窓から見えた空は澄み渡るような青い夕暮れを控えた美しい、美しいものだった。日本は私の帰りを歓迎していた。成田から地元までも同じようにして眠っていたら、今度は雲一つのないそれに月が大きく光を放っているのを見て、私はすん、と胸が晴れ渡るのを感じた気がする。それから迎えにきてくれたママの車に荷物を詰め込むのだった。
「なにがあったの」
と聞く母のその優しい声に私は、ひとまず冷静に空港で起きたことと別れた現実を家に着くまで話していた、それから車を降りて、���物を降ろそうとしたら抱きしめられてそこからまた塞き止められていたものが全部溢れてしまった。
わんわんと子供のようになく自分の姿は、今考えても客観的に滑稽で愚かな女のそれだった。それでも家に戻ってから母も妹もみんな私の話を長々と聞いてくれて、私は多分その日久しぶりに嗚咽しながら目を腫れ上がらせるくらい泣いたのだった。
全てが、嵐のように青くて激しくて臭くて劇的だった。
空港で最後、めいっぱいダミアンのことを抱きしめた。
泣くのをこらえて、見つめあってキスをして、名残惜しく、もう一度だけねだってキスをした。
手が緩められて彼が背中を向けると、意識的に背筋を伸ばして笑顔で手を振ったような気がする。
少し大袈裟に書きすぎなような気もするが、自分でもドラマの見すぎかと思うくらい、”できた”シチュエーションで全てが完結したし、確かに私が彼と過ごしたこの一年はドラマチックで、ロマンチックだった。
本当は旅行中にも素敵で何にも代え難い思い出が沢山できたのに、あまりにも印象的な”最終回”を自分で作ってしまったおかげで、別れのことばかりを綴った記録になったが、旅をしている間は本当に充実していて、私たちは確かに最高の恋人同士だった。
沢山笑って、沢山話して、沢山見つめあって、沢山手をつないで、沢山街を歩いて、沢山寄り添って、沢山食べて、沢山素敵な場所を訪れて、沢山キスして、沢山やらしいことをした。
私にも彼にも、どちらにも原因はあった。
それでも私にはまだ沢山やりたいことがあって、目指す目標がある。彼がいなくてもまた太陽が昇って、次の日がきて、私は私の進まなければ行けない場所に向かって動きださなければいけない。
今は、まだこの傷と痛みと感傷に浸って、お世話になっていたいけれど、卒論を書いて大学院の出願書類を準備して、英語の資格と中国語の資格を取って、またフランスへ戻って勉強を続けたいのだ。胸を張って凛と、復縁とか恋愛とかは一旦恥じにおいて前をみていこう。
彼がきっかけで考えはじめた私の未来は、彼をなくしても、確かに私の進むべきあるいは進みたいと思う道を示してくれている。全てはもう、私のものに、私だけの為のものなった。
いずれ何かの縁があれば、万が一がある可能性もあるし、なければ私はまた違う人と恋いに落ちて、おそらく今度は多分、その人を生涯かけて愛したいと思うに違いないし、次はそういう人と巡り会えることを願っている。
今はただ、時間に身を任せて私が癒えるのを待って、全てを自分に取り戻そう。自信も、夢も、好きなことも、私が私らしくいられる全てのものを。
恋することの、なんと幸福なことであろうか。
この気持ちを、感情を知らずに生涯を過ごすことのなんと悲しいことだろうか、とまるで誰か文学者のような人たちが言いそうな想いを胸に抱きつつ、素敵な文学や戯曲の世界のような体験を自分自身ができたことを、元カレ���神様に感謝して、明日も元気にアルバイトの面接にいってきます。
素敵な一年をありがとう、ダミアン。
Je t’ai vraiment très bien aimé Gros bisous et À la prochaine.
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seieeeen-blog · 8 years ago
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夏の夜
思えば、昨年のこの時期はアヌシーの湖を毎日のように眺めながらクラスメイトと自転車に乗ったりフランス語を話したり湖で遊んではアヌシーの街を散策していた。
先日久しぶりにホストマザーから連絡がきて、今年のアヌシー湖上での花火大会も感動的だったと聞いてから、あの夏は何もかもが始まった、私にとっての始まりの夏だった。
そこから一年が経ち、今はこうして落ち着いて実家で家族とのんびりフォレストライフを送っている。フランスのような時間の緩やかな流れは全くなく、家族との戦争のような生活がまた現実としてつきつけられているのだが、それもまあ、この家らしい。
なぜか唐突に書きたくなったブログは、何か言いたいことがあって書くわけでもなく。ただふと私の気持ちをメモしておきたくてのらりくらりとキーボドに指をはしらせている、終着点はおそらくない。
人生は長く、私は若い。
希望は大いにある、明日に寄せるものが絶望だけでは悲しすぎるだろうと、いつもどこかに悲観をしのばせている自分の胸に言い聞かせる。
こういた青年期の感情の揺れ動きのなんと輝かしいことか。
そうした破片を全ておさめていくと、偉大な作家達の残した名著になるのではないかと想像しては胸を躍らせることもしばしばある、けれど私の破片達は決して歴史に名を残すような名作にはなり得ないのだろうなあと自分を俯瞰して、嘲笑している。それもまた、青臭くて素敵だ。
フランスに行ってから、以前よりも少しだけポジティブになった。
きっとそれは私自身の自分に対する過大評価でしかないのだが、下手に自分を卑下して同じ場所に立ち止まるよりかは、根拠のない自信をもって自分を愛して許容していかなくては行けないことを学んだのだと思う。
世界は広く、人生は長く、私は可能性に満ちている。
小さな不快感と負の感情と戦いながら日々を過ごしていることに変わりはないけれど、長期的なスパンで見れば私はきっととても素敵なことに巡り会うことができるのだと思う。そう思わなければ、一瞬の小さな石につまずいて終わってしまう。
自分の為に、自分のできることを、精一杯。
こんなこと書いてる人は病んでるって思ったそこのあなた、その通りです。でもこうしないと生きていけない人もいるのも理解してね(はーと)
あ、卒論書かなきゃ
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seieeeen-blog · 8 years ago
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la tranquillité
que j’avais tout au long de la nuit avant de mon départ.
Je ressens le frémissement de mon coeur et donc la légère, toute légère palpitation qui me rendent insomnie. 
Il n’y a qu’un sentiment subtil que j’arrive pas à savoir ce que c’est.
toutes les choses qui me rendent folle, sont de moi-même, et comme
Comme ils sont beaux. 
C’est quand même dur de rester dans une tranquillité sacrement costaud et brutale.
mais Quelle beau moment dans ma vie.
y'a seulement, peut-être, le tourment ridicule, la jeunesse et mon corps dans une espace du monde, de la terre.
愛しい国を離れること、愛しかった土地を離れること、どんなに一時的なことだとしても離れる事実には変わりがない。
私の父と母、私自身、私の家族、それ以外の全ての人々。
日本を出た時にも慌ただしすぎて感じることができなかった、移動をすると言う事実を未だに、ここでも感じられない。
数日前に、フランスを離れることは悲しいかと言われた。
もちろん、ワインとチーズは今や私を構築する一部ではあるが、納豆と焼き魚だって私の一部だ。どこかをはなれることなんて悲しいことでも何でもない。
私が恐れるのは土地ではなくて、人だと思う。
もし私が悲しむことがあるとすれば、それはきっと、その土地ではなくその土地が生み出した人々と離れることではないのだろうか。
私が、私を深くどんな時も愛してくれる私の素晴らしい家族の元に悲しんだ顔で戻るわけ、ないでしょう。
n’est-ce pas ?
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seieeeen-blog · 8 years ago
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entre moi et
Quelqu’un très important,
ils seraient toujours autour de moi, 
Qui me fait mal dans un fond de mes pensées.
 Blessant, contrariant, énervant, navrant et rien qui me permet de le gérer .
Que pourrais-je faire à la moment-là, qu’est-ce je devrais faire ?
Que manque-t-il?
après un pénible moment, ça s’arrangera un jour.
Sera-t-il vrai ?
Soie impeccable.
je ne peux que être comme il faut ,si c’est la meilleur manière pour tout.    
parce que le monde est si lumineux, à la fois admirablement ténébreux. 
Aime-le tout simplement.
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seieeeen-blog · 8 years ago
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voyage au Maroc
一日目
前日の夜、うまく眠れずに早起きをして久しぶりのTGV、CDGでその日偶然日本に帰ることになっていた友人と最後のお別れをしてモロッコへ出発した。
マラケシュに着いて、一番最初に思いを馳せたのは、照りつける日差し、熱射だった。あまりにも強烈な日の光とジリジリと肌を焦がす感覚がcamusのl’etrangerを彷彿とさせた。太陽が眩しかったからと言うムルソーの言葉を身を以て体験していると言う感覚に囚われたのだと思う。(アルジェが舞台ではあるけれど)
それから、迎えのタクシーで街を進む。下ろされた広場は人ごみが凄く、車が通るのもままならない状態であった。人々の話す言葉が雑音にしか聞こえない国で、人だかりと街の喧噪の中心に下ろされる。動物の生肉やその糞尿の悪臭、人間の生きている匂い、汗、排ガス、道端に売られたローカルな食べ物の怪しげな匂いと、つまれた南国の果物達。ありとあらゆる有象無象が一緒くたになって混沌としている世界が広がっていた。
生命を感じる。
全く違う土地、違う人間、違う言語が私に両親の故郷を思いださせた。また違う町並みが広がってはいた、けれどもその汚さも混沌も私は既に知っていた。だから私は、その瞬間からこの街を愛せざるを得なかった。
宿泊先で飲んだミントティーの一口目は、私のハーブティーへの印象を180度帰るものだった、街と対象的な豪奢な建築に目を奪われ、ヴァカンス中だということを少しだけ実感する。フランスのあまりに長いバカンスで見失った特別な感覚を少しだけ���り戻せた気がした。
二日目・三日目
砂漠に行き、ラクダに乗った。夕日と朝日を眺めて、遊牧民の彼らと他のツアー客と一夜を過ごした。贅沢だった。きている人々と、迎えてくれる人々、文化も生活様式もかけ離れた人々がメリメロなって同じ場所で一晩を過ごした。観光地を回っている間に、彼らの歴史や建築、考え方の説明を受ける。漠然と知っていたことではあるが、私は無知であることをまた思い知らされた。世界はこれほどに多様であり、それはその土地やその民が経験から生み出し、創りだした一つの世界であることを、話を聞く度に深く感じた、違いを恐れていては知ることや理解することに繋がらない。そういったことを考えざるを得ないような話が多かったとおもう。そうして周りにいるフランス人やスペイン人、欧州や地球の反対側からきた他の旅行客、この国の人々と自分自身を見比べて自分の位置を探った、長い、砂に包まれた星の降る夜だった。
身体に着いた細かい粒子達がとれず、水も涸れた砂漠からの帰り道。貴重な体験をした後、一日ぶりにインターネットに接続した。現代人であることをやめられないことにうんざりもするが、もはやそのことを許さないでいるのは精神衛生に悪い。ただただこうして自分に甘くしていくことしか、現代に生きている自分を容赦する方法がない。同じなはずなのに、これほどまでに違う生活をしている人間が存在する。ネット環境がある所に戻った時、つくづく自分かこんなにも現代化された人間なのだということを実感した。
帰ってきて
ラマダーンの時期だったせいもあり、宗教的なことについての説明も沢山受けた。未知の文化、世界ではあったけれども決してその違いが恐ろしいものだとは感じなかった。ただただそこにあるのは“違い”である、けれどもそれには理由があり、それを形作る構造が存在するのだ。多くの学者が研究したことの片鱗を少しだけ自分も体感できていることに満足もした。フランスにいる間に、どんどん洗われていった自分の脳みそを、自分で再生する旅だった。
自分が本当に好きな世界がなにかを問う旅にもなった。
全てに全ての良さがある。私は博愛主義だが、確かにここ数年欧州や綺麗な世界に嫌気がさしていた。けれどやはり私は、綺麗な世界で生活することを選択する。
矛盾しかないことはわかっているけれど、それでも私はフランスに戻ってきたし、また戻ってくる。非日常的な旅行は私に世界を見せてくれるが、それでも私は現代化された場所に身を落ち着けたいと思ってしまう。私はそんな自分を甘やかし、ただただ容赦することしかできない。けれど久しぶりに見た、かつて慣れ親しんだその世界観は私の中でまた私を形作る要素として生き続けていくのだ。
レンヌより
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seieeeen-blog · 8 years ago
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愛すべきは
本当は書くつもり全くなかったことなんだけれど、なんだか辛くなったから小話程度に書いてみます。 月並みな言葉にはなるけれど、これから私たちの世代が社会を担っていくのか、と最近しみじみとする。それは多分今いる土地が国のトップを決める選挙戦で大いに盛り上がっているからだと思う。 私は留学前に二回程日本で選挙に参加しているけど、それと同じように世界の学生達も自分の国や世界や環境に目を向けて政治に参加している。 フランスの大統領選、つまり歴史の移ろいの瞬間に立ち会えていることをとても貴重なことだと感じる(5年に一回だし)。
どんな結果になっても、一つだけ私が言えることは、私の愛したこの国のこの人々達が、自分たちの後悔のないような選択ができること(もう二人に絞られて皆が満足、とはいかないだろうけど)。そして誰が大統領になってもフランスがフランスらしく、私が愛していける国であり続けること望んでいます。 l'importance c ça(pour moi)!
世界中の動きが、なにやらとても大きい気がする。漠然とあるこの感覚をまだ説明はできないけれど、日本にいた頃大切だと思っていた政治参加にこちらに来て少し嫌気がさした。 ただただ世界を閉鎖して、自分の中に閉じこもっていたいような感覚に今は陥っている。
私たちが過ごしていた緩やかな羊水のぬくもりに包まれて、おぎゃあ、と声を上げる前の静謐な世界にもう戻れはしないけれど、ときどき生きていると、優しかったその世界に憧憬してしまうことがあるのだ。
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seieeeen-blog · 8 years ago
Photo
Tumblr media Tumblr media
9月にマルシェで撮影してもらった一枚。
最近、レンヌの街を撮影した時の一枚。
気付けばフランスに来てから8ヶ月が経過した。
2016年の7月31日にジュネーヴに降り立ち、その翌日にフランスへ陸路で入国。ジュネーヴから既に私とフランスの付き合いは始まっていた。
去年の8月から今年の3月、ちょうどまる8ヶ月はフランス、及びフランス語圏で生活していることになる。長いようでいていつの間にか過ぎ去っていた時間達にふと思いを馳せては、自分自身の変化や自分の周りの移ろいを感じずにはいられない。
4月。
日本であれば、全てが新しく始まる季節に、私はこの一年のすべてを終えようとしている。テストがこれから二週間、またそのあとに一週バカンスを挟んでから最終テスト。再試験がない限りフランスの学生達は4月中旬から9月1日までの長いバカンス期間に入る。
そして、私はこの国を一度去らなければ行けない。
名残惜しい気持ちは確かに大きいが、決して日本に帰りたくないわけではない。むしろ家族や友人に会えることへの喜びや期待の方が大きい。私の人生を形成した大部分がある土地に戻るということ、会えていなかった人々に少しでも自分が成長した姿が見せられれば、それだけでもこの留学は無駄ではなかったと自分を誇りたい。
それでも、このフランスと言う土地で過ごした時間を、軽々しく捨て去るには長過ぎる。
やっと実感できた言語的な成長も、慣れてきた環境も、折角溶け込めてきた社会を離れてしまうことによって、自分自身がここで培った感覚を失うことが、今はとても恐ろしく感じる。
自分自身の意思を確固たるものだと言い聞かせる為に、この時点で書いておくが、私は日本で学士を終えたあと、フランスに戻ることになると思う、いや確実にフランスで勉学を続ける。
ナント大学のLEAでanglais-japonais-chinoisコースを専攻するか、その他の大学でdouble cursusもしくはLEAのanglais-chinoisを続けるつもりだ。
その為に、あと少しだけ、ここレンヌでせねばいけないことをきちんとやり遂げなければ。
私は、誰の為でもなく、私の為に生き、私のしたいことをするために自分自身の力でそれを獲得する努力をしなければいけないことを、6月28日の帰国を前に強く言い聞かせた。
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seieeeen-blog · 9 years ago
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まだ互いにどんなことも為してしまうとわかる。
そこに存在するものの価値は、私にとってどんなものか 関わりあう全てに意味があって、全てが私に何かをもたらしてる。 彼女の歌の歌詞や、彼女の考え方に影響を受けた。美しいものが好きで、それと同時にどうしようもなく醜いものを愛すことができた。
いつからか泣くことが少なくなった、吐きそうな嗚咽を辞めてから半年は経ったと思う。呼吸がしやすくなってからは、三年経った。 全てが通り過ぎて、全てが変化していく、私も何かを失って、何かを獲得していく。
耐え難い痛みとの数日を耐え抜いて、青い目を、見つめて、死にそうになって、殺意が湧いた。 恐ろしいほどに理性と感情の境目が不安定で、頭と心が二律背反していた。 口から溢れる言葉と、不透明な感情が不快だった、光の反射で灰色になった目を見つめて、ただただ全てを飲み込んでソレを私にしたいと思った。 そうすれば、もっと簡単なのに。
素敵なことの溢れる世界よりも、暗くて緩くて底の見えない世界の方が時々居心地がいいのは、中学生時代から続く病のせいなのか。 ジュテームよりも、殺したいと言われた方が、心が安らぐのだ。
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seieeeen-blog · 9 years ago
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久しぶりに、この街の話。 レンヌという街はとても小さくて、観光に来ても最大3日滞在したらもう十分満足してしまうような、日々穏やかに学生達が勉学に勤しみ生活している、活気があるようなないような、朗らかな街です。 ここに来た9月、あのモチベーションはどこに消えたのか、ぽっかりとくり抜かれた私の自尊心、半年間暫くは劣等感との戦いだったなぁと振り返ってまた感慨深くなる。冬なのにあまり寒くない火曜日を過ごし、また1日が過ぎ去った。 窓から見えている風景も、いつの間にか変わっていることにたまたま来た彼と外を眺めていた時に気がついた。黄色かった葉っぱはもう無くなっていて、それでも夕方になると部屋に入って来る西日の美しさは来た頃に見たものと同じだった。 愛おしい、この街が好きだ、と思うかと言われたら実はまだ謎で、でも旅行から戻るたびに心が休まるのはこの街にある私の部屋で、そこで会える人たちはやっぱり少しだけ私にお家を与えてくれるような人々だ。 見慣れた実家の周りの木々や富士山の頭の部分、畑と森と近所のコープと、キティちゃんはどうしても捨てがたい。そこで出会った友人たちも、交わし合った言語も私の根底にある大切なものだと昨日見た夢で噛み締めた。 私は、何がしたいのだろうか。 もし彼と会うことがなければ、私はフランスにまた来たいと思っただろうか。 私は、自分のためにちゃんと生きていれているだろうか。 自分でご飯を食べていくためにやらねばいけないことがある、それはどんなことがあっても貫き通さなければ。 人と人の縁は不思議なもので、私は人との関わりの中で生きてるのだと実感する。 家族のため、自分のため、社会のため、友人のため、恋人のため、あらゆる私を取り巻く繋がりと、未来と距離。 いつかどこでもドアが開発されたら、とくだらない想像をして、少しだけ一人で部屋で笑って。 日本での友人たちとの再会に想いを馳せて、この小さな街の人々との別れを想像して悲しくなった。 美しい曇天と突拍子のない雨雲と、大きな背中を抱きしめることが出来なくなる期間を想像して、自分の愚かさとインテリジェンスの欠如に少しだけ、ほんの少しだけ心が疼いた。
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seieeeen-blog · 9 years ago
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Au revoir mon front et mes longs cheveux , je vous ai aimé très bien.
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seieeeen-blog · 9 years ago
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Après un mois en Annecy .
Ça me manque tellement beaucoup.
Annecy, CILFA , la montagne, le lac, les camarades, la famille.
Grâce aux gens qui m'ont aidé, je me sens petit à petit progresser en français . Jamais je n'oublierai cet été.
Je les adore vraiment…un peu trop . Finalement aujourd'hui, je me suis bien installé à Rennes. 
En voyageant avec ma sœur ces derniers jours. 
Elle est aussi arrivée à Londres.
(Voici les photos de notre petit souvenir de voyage à Annecy et à Paris. Les catacombes de Paris, ça m'a plu 😳❤️) J'espère que tout se passera bien cette année universitaire . Je souhaite de faire beaucoup de connaissance des gens qui ont les idées différentes de moi et de les partager.
Et bien sûr j'espère que j'aimerai aussi bien Rennes :) 大好きで離れがたいアヌシーから、妹との旅を経てレンヌに。
山と湖と田舎風景、素敵な人たちに囲まれて一ヶ月があっという間に過ぎました。
パリでの夢のような一夜を過ごした後は、レンヌでの学生らしい寮へ。
新しい街、知らない人、初めての一人暮らし。
まるで上京した新大学一年生のような気分で、新しい生活にそっと期待を寄せて、人生で二回目の桜のない新学期を迎えます。
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seieeeen-blog · 9 years ago
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