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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ 結
今作は、バンドで初めてアルバム全体にわたって女性ボーカルのisato氏に参加してもらった。なぜかというと、実はジャンボえさぴはリモートで、つまり自分で、声を録音することができなかったので知り合いのやってくれそうな人に頼んだのだ。つまり最初の目的は単なる人数合わせというか、賑やかしだったのだ。だけど、isato氏に入ってもらって単純に良かったと思う。彼女の声はある種の魔法を持っていて、音源に特別な彩りを与えてくれた。彼女の声が聞こえる部分だけ、なんていうんだろう、虹色に聞こえるような感覚がする。あ��今右耳40パーセントぐらいのところだけ彩りがあるぞ、みたいな。浮いてるといえば浮いてるのかな。だけど今までのような男オンリーの男くさいコーラスも良いけど、女性がいてもいいじゃないか。どっちにも良さがあるなら、どっちでもいいじゃないかと思う。そして今作のようなふざけた曲を真面目に歌ってくれた女性がいるんだから、大したものじゃないか。もうこのバンドと関わるのはこりごりだ~ってなってないだろうか。なってないと良いな。また一緒に作品を作れますように・・・
また、今回は初めてバーチャルルームミックスというバージョン違いの音源を一緒に収録した。これは何なのかというと、DAW用のプラグインエフェクトを開発・販売しているWAVES社という会社がヘッドフォン上にミキシングスタジオのモニタースピーカーでの音鳴りを再現するというソフトを販売している。近年住宅環境などの問題で僕も含めヘッドフォンミキシングがメインになっている人も多いとかで、そういう層に需要があるのだ。もう少し詳しく説明しなきゃいかんか。つまりヘッドフォンだけでミキシングすると、スピーカーで鳴らした時の曲の印象が全然思ってたのと違うようになるという現象が起きるのだ。これは人生で一度でもミキシングという作業をしたことがある人にとっては常識である。しかしスピーカーでミキシング中の出来をチェックする場合、ある程度大きな音を出さなければいけないのはもちろんのこと、スピーカーのセッティングが非常に難しい。えと、つまりミキシング用にスピーカーを使うということはただ音が鳴れば良いというものではなく、低域から広域までバランスよくスピーカーが鳴って、その音が耳に聞こえなければならないわけで、そうすると音は部屋で反響したり家具や洋服に吸音されたりするので部屋の環境から整えていかねばならず、そういう作業は一般家庭ではできなくはないけれども限界がある。それならプロのスタジオでどう聴こえるかを強引にプログラムで再現しようや!というところで使われるソフトである。ふう、疲れた。説明につかれた。それでWAVES社が割に最近リリースしたCLA Nxというソフトを今回導入したのだがこれがまた面白いのである。ウェブカメラで顔面の動きを追跡する機能を使って頭を動かすと、本当にスタジオで聴いてるように錯覚してしまう。しかも、クリスロードアルジというまあその界隈で有名な人のスタジオの様子を無駄に画面上に再現しているのでテンションも上がるし。スピーカーも三種類選べて、中くらいのスピーカーをシミュレートしてぼーっとしてたら間違えてパソコン本体から大きい音が出てるかと思って焦る、みたいなこともあった。ので、本来ならばこういうスタジオシミュレーション系のソフトは当然最終的にはオフにして音源化するのだけれども、この面白さをほんの少しお裾分け出来ればと思ってバーチャルルームミックスと名を付けて収録したのだ。イヤフォンの場合はヘッドフォンに比べると部屋鳴りっぽさは薄れるようだが、それでもノーマル版よりも音楽的な響きに聞こえるのではないかと思う。耳が疲れない。まあ好みは人によるか。
アルバムアートはイラストレーターの磯辺氏に初めて依頼した。今回はタイトル的に『世界のザキ、ちゃんとやれ』と被るところもあり、女子高生に言われるシリーズにしようと思っていたのだ。しかし前回のアートを担当してくれたイラストレーターの飯野ふみ氏は今や売れっ子イラストレーター、アーティストイラスト兼『不明なアルバム』のアートを担当してくれたくまみねさんに至っては今や日本でも指折りのヒットイラストレーターである。この人達を今のように売れる前から見つけたのは、ゴシゴシおじさんなのである。今回、女子高生イラストを描いてもらう人を探すべくツイッターやらPixivやらを色々と探したが、なかなかビビっとくる人に巡り合わなかった。時々この人は!と思っても、結構アダルト系のイラストとかも描いている人が多かった。アダルト系のイラストを描くことを全く否定はしないが、もしも世界のザキのアルバムアートを見てこの人の絵が好きだなと思って辿っていったらアダルト絵に当たったりしたら嫌な人もいるかなと思って、そこは気を遣ったのである。そこが意外に難しいところだった。可愛い女の子の絵を描ける人は全員エロも描いているという錯覚に陥った僕を救ってくれたのはまたもゴシゴシおじさんだった。磯辺氏の女の子はとびきり可愛いし、流行に流されないような芯のある感じが良い。きっと自分の中にある可愛いを煮詰めて描きだしたら今のスタイルになったんじゃないだろうか。こうしていきなりゴシゴシおじさんという変な名前のバンドマンからきたDMを読んで快く引き受けてくれたのが磯辺氏である。感謝しかない。おかげでとびきり可愛いジャケットになったと思う。目の保養だ・・・
近年、音源に関わってくれたすべての人達の名前はメンバー欄に記載している。もちろんある程度固定のメンバーはいるけれど、その時集まって一緒に作品にかかわった人がその時のメンバーという扱いだ。迷惑かもしれないが。次はどんなメンバーになるか楽しみでもある。何か得意なものを持っていて、世界のザキのメンバーになりたい人はぜひ教えてほしいと思う。
これを書いている現在、世界のザキは初めてシングルの音源を製作中であり、レコーディングをメンバーに投げた僕は次のアルバムのデモ音源作りに入っている。いまだ続くコロナ禍の中、バンド活動をどうしていくかについては何の答えも出せていない。答えを出せていないから、音源を作る。答えが出ないなら自分なりのやり方で走り続けるしかない。答えを出せたなら、その通りに動けばいい。『世界のザキ、ふざけるな』を聴いたザキラーの方から、「いつかまたライブハウスで会いたいです」との言葉をいただいた。ありがたい。バンドに向けられた言葉は、短くてもシンプルでも本当に嬉しいし、励みになる。やっぱり会いに行くことの最上はライブハウスなのかなと思う。ツアーに出ることだと思う。だけどそれだけじゃないとも思う。今やっている音源制作は僕なりの「会いに行く」方法だ。音源なら時間を問わず場所を問わず会いに行ける。その昔お釈迦様は自分が涅槃に入ったら、つまり肉体の死を迎えたら、遺体を焼いて舎利、つまり遺骨を納めたストゥーパ、つまり仏塔を建てて供養しなさいと仰った。お釈迦様はなぜそのようなことを仰ったのか。自分の偉大さを誇示したかったわけではない。肉体を持つお釈迦様に会えない人達がストゥーパを訪れた時に「私はお釈迦様に会いに行って、会った」と思うことが出来るようにそう仰ったのだと思う。いわばストゥーパとはお釈迦様による信者へのファンサービスである。だから僕はここで宣言しようと思う。世界のザキの音源を聴く人は、世界のザキに会っているのだと。そして僕は皆に会いに行きたいから音源を作る。バンド結成10周年を迎えた今、僕はそういう気持ちで音楽をやっているんだ。
https://sekainozaki.bandcamp.com/album/sekai-no-zaki-fuzakeruna
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ ゆるし節
今回のアルバムは今までと違って名曲チックな曲がない?そんなことはない、ゆるし節があるじゃないか。ゆるし節は素晴らしい名曲だ。なんといっても歌詞が良い。今は誰かが悪いことをしたり、過去に悪いことをしていたことが明るみになったりすると皆で寄ってたかって叩く時代だが、本当にそれで良いのだろうか。今は叩きブームだけど、今ブームということはもうインターネットで叩くのは時代遅れになりつつあるんじゃないだろうか。次はゆるしブームが来る。来てほしい。叩くよりゆるす方がカッコいいじゃん。なぜカッコいいか。それは、ゆるすことは叩くよりも難しいからだ。今は冬季オリンピックがあっているが、競技を観ていればわかるように、難しい技の方が得点が高いのである。とすれば当然叩くよりゆるす方が得点が高い。高得点の方がカッコいいに決まっている。この曲はお釈迦様の弟子のひとりであるアングリマーラという人物のエピソードを元に着想している。興味のある人は、アングリマーラについて調べるといい。ただし、ある程度中立的な立場から書いている本やサイトで調べるといい。なんせ宗教の話なので、変な輩が自分の変な思想をねじ込んだものもきっと沢山あると思う。どうかそれらの変なものに引っかからぬよう、アングリマーラのエピソードを調べてみると良い。そうすれば、この曲のメッセージがより深いところで理解できると思う。因みに、ゆるす対象として一番難しいもの、一番許しがたいのは誰か。それは自分自身である。皆も、自分自身を許してやってほしい。過去は変えられないし、きっとその時その時ではそれなりに考えて判断しているんだろうから。
ギターは、珍しく自分も弾いている。3番のメロの裏でヘンテコなリードギターを弾いているのも私である。ゴシゴシおじさんのギターも良かった。同じリフでも上手な人が弾くと手慣れてる感が出るもんだなあと思う。ギターソロのところはコード一発なので大変難しかろうと思ったが、匙を投げたからなのか、スクラッチ奏法のソロが収録されている。これはこれで意表を突いてよかったんじゃないだろうか。せっかく意表をついていたのに、自分で「DJ!」と言ってネタバレしちゃうところもおちゃめで良いと思う。
ベースは決まったリフを基本的に弾いてもらっている。リフで曲を作ってメンバーに投げるときにいつも思うんだが、投げられたリフをただ弾くっていうのは楽しいんだろうか。僕は人の言うことを聴いて従うのがあまり好きではないので、嫌かもしれない。なのでメンバーにリフを弾いてもらうときはかたじけないなあと思う。
ドラムは相変わらず80点の出来だった。これくらいのテンポでダラダラ叩かせたらジャンボえさぴは本当に良いグルーブを出すと思う。
この曲が流行ればゆるしブームが来て世の中が少しはまっとうになると思うので、みんなで是非流行らせていこう。未来はきっと明るいさ。
次回は最後にまとめの記事を書きたいという気持ちはある。できるだけ実現させたいが・・・?
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ ギターロック節
この曲はなんといってもリフの曲だと思う。このリフをやるために完成された曲だ。アレンジは某バンドのオマージュというか、某バンドに頑張って似せようとしたんだけど、わかった人はいるんだろうか。いないかもしれない。某バンドは特段難しいことをしているわけじゃないのだが、果たしてバンドとはそういうものだからなのか、世界のザキにオリジナリティがありすぎるからなのか。似なかったかもしれない。音の雰囲気に合わせて切なげな、切実な歌詞にしようと当初は思っていた。しかし、思いつかなかった。思いつかないし、もっと他に言うべきことがあるんじゃないかと思ったのだ。ロックバンドが言うべきことってなんだろう。それを突き詰めたのがこの曲の歌詞だ。みんな一生懸命自分の表現を突き詰めている。そんないろんなミュージシャンが必ず言っていることはなにか。それは、「僕たちの音楽を聴いてください」ということではないだろうか。どんなミュージシャンでも、「僕たちの音楽を聴いてください」という意味のことをホームページやSNSやらで言っている。そんな大事なことなのに、それを歌にしているミュージシャンが存外少ないんじゃないだろうか。みんな何かを伝えたくて歌にするのに、ある意味一番伝えたいことが歌になっていないとは、これはまずいんじゃないの?まずは僕らの音楽を聴いてくださいよ、聴いた方がいいよ、とプレゼンしてから、本題に入るというスタイルがいいんじゃない?この曲は替え歌して歌っていいから、まず俺たちの音楽を聴くべきだ!と歌っていこうぜ。なあ!?そうだろ!?
ギターは某バンドっぽさを出すために一番頑張ってくれたと思う。ていうか某バンドっぽくと注文したらそれから凄いちゃんと聴いてくれたらしい。そこまでしてもらうつもりはなかったから、ゴシゴシおじさんから某バンド普通に良いですねって言われたときは恐縮して謝ってしまった。だけど研究の成果がよく出ていると思う。
ベースは歪み命で。うまい具合にやってくれた。
ドラムは、今回のレコーディングでは一番出来が悪かったが、出来上がった音源を聴いてみると意外とそこまで気にならなかった。なので結果としては悪くなかった。バンドって不思議。
今回のアルバムで一番ボーカルのレコーディングに苦労して、結局これで良いのかとは若干思いながら、某バンドのボーカルは下手だと思っていたけど実は普通にうまいんじゃないかとも思いながら・・・完成した音源。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ くつした節
この曲を書いた時には、僕は靴下がなくて大変だった。靴下は、すぐヘロヘロになる。こないだ買ったと思ってたのに。自分の中ではまだ新しい靴下なのに。なーんか今日靴下下がってくるなあ、靴脱いだらその勢いで全部脱げそうな気配すらあるなあ、ん?もうヘロヘロやんけ!ってなる。あるいは、今日はどの靴下を履こうかなー、あの比較的新しい靴下にしようかなー、いやヘロヘロやんけ!ってなる。靴下は、すぐ毛玉だらけになる。今日はどの靴下を履こうかなー、あの比較的新しい靴下なら大丈夫だろう、いや毛玉凄いやんけ!ってなる。靴下は、すぐかたっぽになる。今日はどの靴下を履こうかなー、あの比較的新しい靴下を履こうかなー、いや、右足しかないやんけ!ってなる。どうして、こういうことが起きるんだろう。靴下はいつヘロヘロになるんだろうか。ひょっとしたら僕が見ていないスキに、タンスの中でもういいやー、どうでもいいやー、とヘロヘロになっているんじゃないか。となれば、僕の靴下はルーズソックスもびっくりのルーズっぷりを見せているのだ。靴下はいつ毛玉だらけになるのだろうか。ひょっとしたら僕がみていないスキに、タンスの中で毛玉の元、毛玉虫みたいなのが急速に回りの毛をぐるぐるっと集めて、綿菓子みたいに毛玉を作っているんじゃないか。困る。人の靴下で勝手に毛玉を作らないでほしい。あと毛玉虫が靴下に住んでるのも普通に嫌だ。靴下は、いつかたっぽになるのか。ひょっとしたら僕が見ていないスキに、タンスの中で別れ話をしているんじゃないか。「お互い好きだけど、別れましょう」とか言ってんじゃないのか。困る。俺はまだ二人とも愛しているよ・・・気が付けば家にまともな靴下がほとんどない状態。それは、生活に潜むブルースである。
この曲は、出来たときはアルバムに収録するか迷ったが、たまたまリビングで弾き語っていたところ、女房が「みんなのうたみたいで良い曲だ」と言ったので、そういうものかなと思って収録することにした。歌のレコーディング前は実は歌詞が少し違っていた。「なぜだかもうかたっぽになってる靴下」という歌詞は元々「なぜだかもうかたちんになってる靴下」という歌詞だったのだ。僕は靴下が片方しかないことを“かたちん”という。「あ、この靴下かたちんになってる」と言うのだ。しかしよく考えたらこの“かたちん”という言葉は共通語なのか。方言なのか。あるいは僕しか使っていない言葉なのか。調べたところ、かたちんという言葉を使うのは少なくとも僕だけではないらしいということはわかったが、それよりも大きな問題があった。それは、“かたちん”は放送禁止用語に類するものではないかということである。今は障碍者などへの配慮から、いろいろな言葉が避けられている。めくらとか、びっこひいて、とかである。小説家である兄貴にそのあたりを確認したところ、物事をかたっぽしかできていない不完全な状態を表す“片手落ち”とかも今はよほど意図しない限り使わないとのことである。今は“パン屋”とか“○○屋”という表現も危なくなりつつある、とのことだった。もちろんこれは出版業界の共通認識ということではなく、一人の作家がどんな言葉を使うか、その取捨選択について訊いているだけだ。しかしながら少なからず僕は衝撃を受けた。パン屋がダメだったら、何と表現したらよいのだろう。使っちゃいけない言葉を使わないのは、仕方がない。まあ○○屋がダメみたいなことも、なんとなくニュアンスはわかる。しかし、代わりの言葉を僕たちは見つけなければいけない。それは大変なことなんじゃないだろうか。物事に名前が付けられることで初めて僕たちはその対象を認識することができる、といったような事を提唱したのは言語学者のソシュールだったが、今僕たちは名づけのその先を生きて、思わぬ問題に直面しているのである。かくも厳しくなりつつある言葉選びにおいて、やはり“本来あるべき”(という意識が前提として働いている)、“片方が存在しない”、ことをやや自嘲気味に表現する“かたちん”はやっぱり避けた方がよいのだろうという結論に達し、歌詞は変更された。僕たちはあまりにも自分自身が普通で、当たり前だと思っている。だからこれぐらい気を付けるのがかえってちょうどよいのかもしれない。言葉そのものが持つ独特の味が失われるのは、その代償なんだろう。
ギターは日常に潜むブルース、誰も慰めてくれない小さな悲しみを上手に表現してくれたと思う。この曲では僕も珍しくギターを弾いているが、自分のギターに関しては特に何もコメントがない。だけどソロも弾いたんだよな。前半。ゴシゴシおじさんのソロの方がやっぱ完成度高いね。でも、100人くらいに聞いたら僕のソロの方が好きっていう人もいるかもしれない。どちらが好きか選べるということ、そこに頭が働くということは大事だと僕は思っていて、そういうわけで世界のザキは二人が順番にソロを弾くみたいな曲が多いのである。
ベースはこの曲のスタイル、世界のザキではもう何曲目だろうか、よくわからないが、その定番スタイルでしっかりまとめてくれた。もう慣れたものだと思う。ちなみに僕はくつした節とか、メンタルとか、あの辺のリズムギターが6弦から1弦に向かってゆっくりストロークしてちゃんちゃらちゃっちゃっ、と弾く曲。このスタイルのことを”Prove It”スタイルと呼んでいる。“Prove it”といえば、もちろんテレヴィジョンの曲だ。
ドラムは無難に80点くらいの出来でなんの問題もなく上手だった。この曲に多くを求めてないので100点あげてもいいかもしれない。でも何気に引き出しにないとすぐには叩けないフレーズかも。
イントロで使ったピアノのフレーズは、作った当時は曲名を知らなかったが、THE ENTERTAINER という曲らしい。もはやポップミュージックの古典ですね。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ 暴れん坊節
俺は天下の暴れん坊 親の前でも暴れるぜ のフレーズをやるためだけに出来た曲。ここを歌うときのポイントは 暴れるぜ を あーばれるぜっ と歌うことだ。これで聴き手のイラっとポイントを飛躍的に高めることができる。コピーバンドをするときは必ず心得て歌ってほしい。
若い時は、つまり思春期以降社会人になるくらいまで、なんかわからんけど女子の前では騒いで見せるみたいな行動様式が少なからず僕にはあったし、たぶんモテ方を知らない一定程度の男共はそうだったと思う。世の中にはどう考えてももっと正当なモテ方があるにも関わらず、独自の道を行こうとして暴れまわる、暴れん坊野郎ども。愛しているぜ。好きだぜ。しかし、暴れにはいつか終わりが来る。周りに誰もいなくなったら、笑ったり突っ込んだりしてくれる人がいなくなったら、暴れは終わるのだ。周りにそんな人たちが誰もいなくなってもなお暴れていたらどうなるのか。人生が終わるのだ。暴れが終わった暴れん坊は、あとはシュンとするしかない。あのシュンの時の間が、ブルースだ。暴れても何も変わらないことを、しみじみと感じ入る時間だ。だけど、何も変わらなくないよ。暴れが笑いを産んだことだってあるじゃないか。顔を上げよう。暴れん坊よ。あと、単純に社会的立場が上の人達から怒られ���りしても、暴れは終わる。その場合、突っ込み役や笑い役も一緒にシュンとしなければならない。でもこのシュンは怒られがおわったあと取り戻せる。仲間って素晴らしいね。
迷惑系ユーチューバーみたいな人たちは、暴れが終わって一人になった時のシュンが、見てる人のコメントや再生数によってうまく機能しなくなるのだと思う。全世界の人達にみられることによって、シュンがなくなった暴れん坊が、そういう人達だろう。だが、美しい音楽にはメジャーコードとマイナーコードが必要なように、物事は調和で成り立っている。暴れで言うと、終わった後のシュンまでが、暴れなのである。美味しいとこだけ持っていこうとすると、必ず代償を払うことになるぞ。むしろシュンを味わいなさいよ。そこに人間の愛おしさってもんがさ、あるんじゃないの。世界のザキを聴いて、その辺を勉強しなさい。
ギターは男気の1トラック。正直ホーンセクションのソロじゃなくてギターソロを入れればいいじゃないかと言われるかもしれないが、まったくその通りだと思う。しかしこの曲のゴシゴシおじさんの仕事はギターよりもむしろボーカルの方にあると思う。もともと僕がお祭りとかで聞くよいしょお!という掛け声や、なんか古い歌手が歌うときのふっ、とかはっ、とかが面白い(特にフジテレビのごきげんようのオープニング曲のふっ、とはっ、は良い)ことに気づいて一人でやってたけど、これは二人なら二倍面白いと気づいてゴシゴシおじさんにも収録をお願いしたところ、あらどっこいときたもんだ。これはもうなんか面白すぎてミキシングとかが大変だった。あらどっこいって何なんだよ。
リズム隊は、上手いことこの曲のリズムを料理してくれたと思う。正直、この曲のどぅーんたどぅんた、どぅーんたどぅんた、というリズムは、僕はあまり好きではないのだ。このリズムを多用するバンドは、なんかお祭りバンドみたいな感じでライブも凄いハイテンションでうぇーい!みたいなことが多い気がする。悪いバンドではなく、わりに元気にツアーも回って、完成度は高いことが多い。単にそりが合わないことが多いのだ。ごめん。でも世界のザキのリズム隊なら、あんまり元気がなさそうに演奏できるよ。それともテンポが遅いとそこまでお祭りバンド感が出ないのかな。おかげでボーカルとホーンセクションだけテンションが高くて周りから浮いてる滑稽さが出たのではないかな。
かく言う僕自身も、ライブ後の身の振り方にいつも困る。ステージが終わったらすぐしゃがみこんで機材を抱えて、バーカウンターに行ってビールを飲む。このころには僕のシュンはもうとっくに始まっている。さっきまでステージで暴れていた男が、肩をすぼめてすみません、ビールください、と言って小銭を払ってビールを飲むのだ。ブルースだ。前はたばこでも一本吸っていればそれなりに格好はついたが、今は非喫煙者の前で堂々と煙草を吸うのも気が引ける。いっそのこと、ライブが終わったらみんな僕を神輿に担いで、遠くに連れてって、捨ててくれないか。でもやっぱ対バンの演奏も見たいから、やめてくれ。僕はいつの日かライブハウスのステージにまた立つことが出来たら、やっぱりシュンをゆっくり味わうとしよう。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ 全盛期節
この曲も、比較的今作の中では早めに出来ていた曲だ。当初はすごく面白い曲だと思ったのできっとアルバムの核になる曲だろうと思っていたが、別にそんなことはなかった。だけど世界のザキには珍しく変拍子を多用しているし、何気に新機軸じゃないだろうか。歌詞は、地獄のミサワの影響が色濃く出ているのではないかと思う。
自慢ばかりする人がいる。自慢ばかりする人は、なんとなく滑稽に見える。中には本当に凄い人もいるけど、本当に凄い人も、自慢ばかりしだすとなんだか滑稽に見えるのだ。自慢されたらされるだけ、なすがままにすっげー!すっげー!と羨望の眼差しを送る人もいる。そういう人が、GACKTとかのファンなんじゃないだろうか。もちろんそういう人達もいるが、少なくとも僕には自慢ばかりする人は滑稽に見える。何が滑稽なんだろう。他人を惹きつけるのに自慢以外の道を知らなそうな感じが滑稽なんだろうか。というより、自分をすっげー!と思ってほしい、という欲望がダダ漏れなのがカッコ悪いのかもしれない。ほとんど誰だって、他人から凄い人と思われたがっている。程度の差はあるが、あると思う。しかし、ダダ漏れはやっぱりカッコ悪いんじゃないか。この世にダダ漏れてよいことはあまりない気がする。僕のことを好きな女の子の、僕のことが好きだという気持ちは、ダダ漏れてよいと思う。でも、そうすると周囲の友達がよからぬ気を回して、積極的に僕とその子をカップルにしようと画策するかもしれない。そうしたら、僕には恋愛相手を選ぶ権利がなくなるかもしれない。だからやっぱりダダ漏れはダメだ。バンドなら大丈夫だ。世界のザキを好きだ、という気持ちはダダ漏らせばよい。
話を盛る人がいる。この曲の語り手は明らかに話を盛っていて、全然相手にされていないのである。みんな割と過去の話は盛るものだ。自分に起こった面白いことを相手と共有したいとき、相手に自分の感じた面白さと同じレベルの面白さを共有してほしかったら、どうしても盛らないといけない。なぜかというと、相手は同じ空間にはいなかったからだ。だから100オモローの出来事を相手に100オモローのまま伝ようとすると、相手には80オモローくらいしか伝わらなくなる。これはエレキギターも同じようなことが起こる。ギターからアンプに直接つなぐ、いわゆるアン直で伝わる電気が100ロックとすると、間にペダルエフェクターなどがモリモリ入ると、アンプに到達するころには80ロックになってしまう。これを補う役割を果たすのが、バッファーという装置である。バッファローではない。つまり話を盛るのはバッファーを噛ますということで、別にそれ自体は悪意のあることや悪い嘘ということはないと思う。ちなみに僕は、学生時代サークルの飲み会で飲み放題でじゃんじゃんビールを飲んでいた時に追加でまたビールを注文しようとしたら店員さんに「すみません、ビール冷えてないです」と言われたことがある。そのエピソードを話すときは、「店のビールを飲みつくした」と話を盛っている。これがバッファーである。しかしながら、バッファーを使うときに注意すべき点があり、それは盛った話を間違って真実だと錯覚してしまうことにある。話を盛るのは面白い話のときばかりではない。悲しい話の時や、あいつにこんなことされてムカつく―!という話をするときも、我々は話を盛る。そんな時に盛った話を真実だと思い込んでしまうと、必要以上に相手を憎んだり、悲しみにおぼれたりしなければならなくなる。そういうことをしていると、スカッとジャパンや、ネット上に溢れる復讐話にドハマりしてしまう。確かに日本人は忠臣蔵をこよなく愛する仇討文化だが、令和の現在にはまあやめておいた方が賢明だろう。ともかく、我々は話を盛るもので、だからこの曲の語り手のことは、うざいけど憎めないのである。聞かされてる方もいい迷惑だが、たぶん本気にしてないから、ずっと語り手は納得するまで自慢し続けるだろうし、聞かされてる方もずっと相手にしないんだろう。その時間は、虚無である。その虚無は、ブルースである。
この曲は、周りの人が全然相手にしてくれてない曲だから、ギターと歌を邪魔して勝手に弾いてるようなアレンジにしてくれと言ったら、ベースは地獄の唸り声のようなテイクを送ってきたので、怖くてパソコンを除霊してしまった。ギターは宇宙人との交信のようなテイクを送ってきたので、間違ってパソコンをエリア51に着払いで送ってしまった。宇宙人との交信のようなギターのテイクが入ったパソコンをエリア51に着払いで送ると、英語で「これはゴシゴシおじさんの弾いたギターのテイクであって、宇宙人との交信ではありません」と書かれた手紙と一緒にパソコンが送り返されてきた。しかも、お土産にエリア51名物のグレイ饅頭も入っていた。これだけは本当なので、信じてほしい。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ ゴリラ節
今回のアルバムの曲の中で一番古い曲だ。ひょっとしたら前作に入る可能性もあったかもしれないが、あまりにもふざけた曲なので、一旦お蔵入りして、今回の名盤に収録された。着想のもとになったのは恐らく『ピューと吹く!ジャガー』のポギーが書いた「ゴリラ人間」という詩、および恐らくそれにインスパイアされたであろう、どこぞの学生さんが詠んだ「僕ゴリラうほうほうほほ・・・」みたいな俳句か短歌かなんか、一回ネットで話題になった、あれだ。
この曲は、アイデンティティの問題を取り扱っている。皆は「そんなのあなたらしくない」と言われたことはあるだろうか。僕は一度、大学4年生の時に会った高校の同級生から、お前が普通に就職するなんてトゲが抜けたみたいだ、と言われたことはある。まあ似たようなもんだろう。しかし当時の僕は自分らしさとかいうこだわりを捨てて、やろうと思えば何でもやれる(実際にはサラリーマンはやれなかったんだけれども)ということがカッコいいと思っていたので、あまり響かなかったかもしれない。自分らしさというのは他人が決めているようだ。それは仕方ない。確かに。しかし、ゴリラがアルバイトを始めるとか、ボランティアを始めるとかいう状況で、「そんなのゴリラじゃない」と言う前にまず先に言うことがあるだろう。まず言うべきなのは「ゴリラすげー!」だろう。ゴリラがアルバイトやボランティアをやるって、まず驚くべき凄い進歩だろう。だから、時に僕らが「そんなのあいつらしくない」と思う時も、似たような状態なんじゃないだろうか。そいつらしくないことが出来るようになったということは、進歩じゃないのか。機械で言うと、新機能だろう。ゲームで言えば、新スキルじゃないか。大変結構なことのはずなのに、他人は自分の知ってる、自分にとって都合の良い“あなた”でいてほしいのだ。だから、ゴリラは悲しくてうほうほ鳴くしかないのだ。悲しきドラミングの音色は、ジャングルにスコールを連れてきた黒い雨雲に吸い込まれていく・・・
全体のアレンジは、久保田早紀の「異邦人」やジュディオングの「魅せられて」などの歌謡曲っぽい感じで、上手くできたと思う。そういえば今作は女性ボーカルに参加してもらったのだが、一番女性ボーカルが効果的に使われている曲だろう。いい声だ。この良い声の女性に「そんなのゴリラじゃない」と冷たく言い放たれたらすごくショックだと思う。僕もなんかミキシングしながらショックだったもん。
ギターは、非常に情熱的で胸が引き裂かれるような思いを大変よく表現できていると思う。ギタープレイの良さは今作の中でも出色だろう。
ベースは、特にないけどBメロの子気味良い感じが良いと思う。
ドラムは、どんどこどんどこフロアタムを叩いてもらって、スーパードンキーコングのバナナジャングルみたいな感じをよく出してくれた。あとアウトロのうほうほセクションで叩くフロアタムがゴリラのドラミングっぽくて非常に良かった。アイディアの勝利。
バカバカしい曲を演奏するバンドはそれなりにいるけど、やっぱり、このゴリラ節のようにその中にある種の悲哀とかブルースが含まれるからこそ、意味のある曲になるのではないだろうか。世界のザキは、ずっとそういう音楽をやっている。ただバカバカしいだけの曲は一曲もやっていない。やっていたら教えてほしい。やってるかもしれないから。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ パンツ節
この曲が降りてきた時は、僕はとにかくパンツが全部よれよれで大変だった。パンツが全部よれよれだと、当然家にあるどのパンツを履いてもよれよれなのだ。皆さんは、朝パジャマと一緒に下着も着替える派だろうか。中には、パジャマだけ着替えてパンツは着替えない人もいると聞く。僕は、朝はパジャマと一緒にパンツも着替える派だ。だから、パンツが全部よれよれだと、毎朝「今日もよれよれのパンツか・・・」と大変さもしい気持ちで一日をスタートしなければならない。やはり、ある程度パリッとしたパンツを朝履くことが出来ると、「あ、パンツも頑張ってるから俺も頑張らないとな」とそういう気持ちにもなる。だから、普通なら朝は比較的パリッとしたパンツを履いて、お風呂上りには多少よれよれのパンツでもいいや、という選択をすることになる。そんなパンツヒエラルキー、略してパンヒエを皆さんお持ちだと思う。ほかにも、今日は大事な仕事の日だからとか、今日はデートだから、とかいろんな場面で僕たちは無意識にパンヒエに基づいて判断をしているのだ。しかし全部よれよれだとどうだろう。パンヒエに基づく判断ができない。だって全部よれよれだから。だから、着替えの時に頭を使わなくなる。こうやって少しずつ頭を使わなくなっていくことによって、僕らはボケていく��かもしれない。逆に言うと、世の中にヒエラルキーが存在するのは、パリッとしたやつが存在するからだ。みんなよれよれだったら平等だ。本来であれば私たちのパンヒエのようなものが人間社会にもっとはっきり存在してもいいのに、建前上は平等だということにして、それがある程度機能しているのはやはり文明社会の先輩方が頑張ってきた歴史があるからだと思う。そして僕はパンツじゃなくて良かったと思う。
ピアノのアレンジが気に入っている。アコーディオンやギロなどを使って、全体的にとぼけた雰囲気をうまく表現できたと思う。この曲のような2ビートのピアノは、なんやらブギとか、ストライドピアノとか、ハーレムピアノとか言うんだろうか。なんかそんな感じである。
ギターは、ワウでコミカルな雰囲気で非常に愉快で良いと思う。ソロは結構オリジナリティのあるフレーズだし、非常に良いバランスでまとまったプレイだったのではないだろうか。ゴシゴシおじさんもつくづく器用だと思う。
ベースのテイクは、これまた運指とフレーズを覚えるのが非常にめんどくさそうだ。これどうやって覚えるのかな。もしかして楽譜に書いてる?教えて!いずみのセイバー!
ドラムは、何気にハイハットの跳ねるところとかが忙しくて難しそうだ。しかし、ジャンボえさぴのプレイは完ぺきだった。奴はできるのだ。何気にタムタムのチューニングとかもいいと思う。
こういう愉快な曲は、どんなアルバムに入っても箸休め的に良いと思う。個人的にはアルバムの中でも上位に入ると思われる名曲。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ 間に合わなかった節
今までにないオーケストラとバンドの共演。その萌芽は『あぶれた人達へ』に収録した「真夏の大王」にあった。あの曲ではRPGのラスボスというか、魔王キャラが登場した時のようなイメージをわりに上手く表現することができた。これで一度劇伴っぽいアレンジもできるぞ、と手応えを得たと思う。その後、僕とオーケストラのひとつの出会いがあった。それは、ピート・タウンゼントがTHE WHOの名盤中の名盤『四重人格』をオーケストラ化したアルバムである。もともと、オーケストラのアルバムは好きじゃなかった。なぜかというと、音量差が大きすぎて、気持ちよく聴けないからだ。もちろんそのダイナミズムがオーケストラの良さなのだろうが。しかし、ピートタウンゼントがその辺りをよく心得ていたからなのか、技術が進んだからなのか、そういったストレスがなかった。純粋に『四重人格』がオーケストラとなって甦ったことの感動と、原曲の各パートをオーケストラのどの楽器が担当しているのか、ということを聴いて学ぶ楽しさがあった。これは本当に素晴らしく感動的な作品なので、THE WHOのファン、とりわけ『四重人格』が好きなファンには是非聴いてほしい。また、オーケストラのアレンジを勉強したい人にも、原盤とオーケストラ版を聴き比べることで多く得るものがあると思う。この『四重人格』のオーケストラ版を聴いたことで、ああ、もともとロックアレンジの曲をオーケストラアレンジするというのはこういうことか、これならなんとか自分にも出来るのではないか?と思った。そこで、壮大なオーケストラのサウンドでめちゃくちゃスケールの小さいことを歌う曲を作ろうというアイディアを得た。また、ちょうど良いタイミングでIK Multimediaのオーケストラ用総合音源が手に入ったことも大きかった。まったく耳だけの独学でカンで各楽器でハーモニーを作ってみたところ、それなりに形になった。
この曲のメッセージは、明快だ。つまり、お前も漏らすぞ、ということだ。僕たちは漏らした人を笑うかもしれないが、しかし、次に自分が漏らさないという保証がどこにあるのか。条件さえそろえば誰でも漏らすぞ。ワイドショーではコメンテーターが通り魔事件や無差別殺人事件を起こした犯人について「理解できない」と言うが、次に自分が通り魔や無差別殺人事件の犯人にならないという保証がどこにあるのか。条件さえそろえば誰でもそうなるかもしれないぞ。理解しようとすることを放棄したら、世の中は良くなっていかないんじゃないか?
ギターのテイクは、非常に難しい注文を出したので、ゴシゴシおじさんは多少苦戦したようだが、世界のザキのメンバーは世界で一番演奏が上手いので、最終的には良いプレイができたと思う。特にイントロの見せ場は感動的だし、ソロも情熱的で素晴らしいじゃないか。
ベースは、シンプルに弾いてくれたので低域をしっかり支えてくれた。実はチューバとコントラバスで低域を支えようとしてもなかなか重心が下に向かわなくて苦戦していたが、ベースが入ってグッとよくなった。この辺はまだまだ勉強の余地があるんだろう。たぶん。
ドラムは、オーケストラ音源でもスネアやバスドラムを鳴らしているが、あえてドラムセットでも録音することで、バンドとの共演感をよく出せた。しかし、曲中でテンポが変わるクリックに合わせるのはやはり難しいらしい。そりゃ難しいよ。でもよく頑張ったと思う。
この曲は間違いなく今作のハイライト。なんじゃそれ、という気持ちが一番高まる曲じゃないだろうか。まあバンドサウンドが好きな人にはどうでも良い曲なのかもしれない。しかし、この曲をどうでも良いと言っているようではザキラーは務まらない。それぐらいの気持ちを込めて、僕は音楽を創っている。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ 健康節
急に頭に降ってきた 排泄~を、きちんとやんないと、ダメですよ~!!!!!
をやるためだけに出来た曲で、この曲についてはマジで語ることがほとんどないような気がするのだけれども、しかし、便秘は侮ってはいけないと思う。先日ガッテンで便秘をこじらせた結果、急激な腹痛に襲われて救急車を呼ぶみたいなことはよくある話だと言っていた。皆も気を付けた方がいい。ちなみに、僕はほとんど便秘にはならない。食べたら出るタイプだ。しかし、年に数回は便秘になる時期があって、そういう時は風邪をひいてしまう。やはり腸内環境というのは体全体の健康と密接にかかわっているのだ。腸や消化器官、つまり人間を貫く一本の管こそが人間の正体だという人もいるくらいだ。確かに生まれたばかりの子供でもほぼ完成された機能を持っているのは消化器系や心臓くらいなものだ。一理あるかもしれない。最近は晩御飯にモリモリ野菜を食べた日などでなければ、晩御飯の2時間後くらいに青汁を飲んでいる。青汁には、乳酸菌と食物繊維と酵素が入っている。これを習慣づけると、朝に絶対出る。快調だ。乳酸菌と酵素の入った青汁はおすすめだ。ちなみに食事と一緒に摂ると、食物繊維が水溶性ビタミンなどを絡めとってしまうと薬学博士の親父に言われたので、食後2時間は空けるようにしているけど、本当だろうか。うちの親父は時々間違ったことを堂々と言うのでわからない。わからないけど、信用してそうしている。
ところでこの曲のブラスセクションは確かトランペットとトロンボーンをMIDIで鳴らして使ったと思うのだけど、トロンボーンの方はピッチベンドを使っている。ピッチベンドとは、ギターで言うとスライド奏法のようなもので、音程が連続的に変化していく。なのでピアノのような楽器でMIDIによるピッチベンドを行うと、当然現実には起こりえない音が出る。トロンボーンはあの曲がった棒みたいなので音程を変えるので、ピッチベンドしても大丈夫なのだ。たぶん。トランペットはどうなのか。僕は篳篥を吹くことができる。篳篥はサックスのようにリードを使う楽器で、リードを咥える位置で半音から頑張れば全音くらいまでピッチベンドができる。トランペットは、なんか口元の具合でピッチベンドできるものなのだろうか。出来るといいな。出来てほしい。けど、確証がない。ので、トランペットの方はピッチベンドを使わなかったと思う。誰か詳しい人は、トランペットについて教えてほしい。
ギターのテイクは、なんか思ったより量的にたくさん来たので、パン振りやらに手こずって編集が大変だった。スイングしたリズムの裏拍で鳴らすカッティングギターは本当に気持ちがいいものだと思う。スイングは素晴らしい。とりあえず僕にスイングのリズムを教えてくれたデュークエリントンに感謝しておこうと思う。しかしゴシゴシおじさんもこの短くてくだらない曲に対して、よく沢山テイクを重ねてくれたものだと思う。実に細かいことを色々とやっていると思う。
ベースのテイクは、奇をてらわず教科書通りの感じではないだろうか。ウォーキングベースというのは、あまり同じ音を続けて弾くと様にならないので、フレーズを考えるのも大変だし、運指を覚えるのも大変なのだ。すでに世界のザキにもウォーキングベースを弾かねばならない曲がそれなりの数あると思う。僕なら絶対無理だ。でもいずみのセイバーはできる。よくやってくれている。ありがたいことだと思う。
ドラムのテイクは相変わらず80点くらいだったと思う。僕はドラマーだったころ、こういう跳ねたリズムでかつ裏拍を強調しなきゃいけない曲は、フィルインというか、まあオカズのフレーズでとちることが多くて苦手意識があった。でもジャンボえさぴはできる。できるんだ。まあ普通にドラマーとしてちゃんとやってる人は出来るのかな。
この健康節は、タイトルに悩んだが排泄節にしなくて良かったと思う。このあとの間に合わなかった節のインパクトが強く、陰に隠れてる割に両曲とも便の話をしているので、このアルバムは下着の話とうんちの話ばっかだと責められる要因にもなってしまった。だけど、下着の話とうんちの話ばかりのアルバムだったらなぜいけないんだ?いいじゃないか。この世界に生きる人はみな、なんらかの形でうんちをしたり、服を着たりしているじゃないか。人間について語りたいなら避けて通れないテーマだよ。この世でやらない人はない。トイレでうんちをしてる時、みんなちょっとカッコ悪くなるのさ。常にカッコよくいることは出来ない。そういうことを、この曲は教えてくれるんだ。
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世界のザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ やめてください節
今作の楽曲群で一番最後に出来た曲。というか、元々はこの曲以外の10曲でアルバムを作るつもりで、もうデモ音源も完成していた。しかし、いきなりこの曲が出来て、このタイミングでこの曲が降って来たことには何か意味があるだろうと思い、急遽デモ音源を追加することにした。なので、他はスタジオで録音したボーカルがこの曲のデモだけは自宅で録った気持ち悪いボソボソ声になってしまった。これは嫌なことだった。ボソボソ声で無理やり歌っているのは気持ち悪い。自分でも嫌なのに、メンバーはもっと嫌だったと思う。いつか罰ゲームでこのボソボソバージョンを公開してみても良いかもしれない。誰が得するんだ。
歌詞は、なんでもよかったんだけど、基本的にはちょろちょろ動き回るようになった子供にやめて!と言いたいことを羅列した。これも信じられない節同様、色々替え歌して歌ってみると良い。「税金の無駄遣いは~」とか入れようかと思ったが、政治色が出るのもいやなのでやめた。でも皆は替え歌してみると良い。
ギターのテイクは、カッティングが曲の素材はカッコよいということをシンプルに表している。因みにこの曲でも僕はギターを弾いていない。語りの部分で流れるスペーシーなギターもナイスアイディアだと思う。2バース目から歌の入りで来るヘヴィなギターも効果的だと思う。そろそろ僕らもこういうコマーシャルな音も作れるようになったのだと思う。そんなことないか。
ベースのテイクは、多少リテイクしたが、歌を邪魔しない程度の主張のリフで上手くいったと思う。この曲は、ボーカルを消したら普通にかっこいい曲だと思う。そうしているのはやはりベースラインではないだろうか。
ドラムのテイクは、思いのほかしっかりした演奏で来た。ジャンボえさぴは少しブランクがあると思っていたが、特に影響はなかったようで、テンポの速い曲でも素晴らしいテイクだった。
大抵、こういうぎりぎりで仕上がってしまいアルバムに収録するか否かバンドを悩ませる曲は、名曲が多い。やめてください節はそういう曲だ。Tiktokで流行りそうだから使えるようにしろと言われたので、そのうちtiktokで使えるように登録しようと思う。
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セカイノザキ、ふざけるな セルフライナーノーツ 信じられない節
今回の楽曲群の中でほぼ最初に出来た曲だ。知ってる人にはすぐピンとくるが、クレージーキャッツに影響を受けた曲だし、なんならパクリと言われるかもしれない。しかし、こんなにクレージー節が自分の中から出てくるとは思わなかったので、嬉しい曲だ。今作の曲名に全部“節”が付くのはこの曲をスタートにしている。○○節という曲名は、植木等の『スーダラ外伝』に収録されている「やせがまん節」からきている。「やせがまん節」はとても良い曲なので、是非聞いてほしい。最初はこのクレージー節でアルバム全編いけるかと思ったが、全然そんなことはなかった。これ以降似たような曲を作ろうと思っても、全然出来なかった。やはり作曲というのは不思議なものだと思う。
本当はもっと歌詞を増やして長い曲にして色々なことを皮肉ったりしたかったのだが、まあ3分くらいが良いだろうと思い、4バースになった。だけど、皆信じられないものがあったら替え歌して歌ってみると良いと思う。陰謀論とか。
ボーカルのテイクは、最初もっと植木等に寄せようかと思ったが、上手くいかなかった。植木等のボーカリゼーションは素晴らしいのだ。職人芸だ。特に、後年のテイクが良い。植木等の半笑いボーカルは、『植木等スーパーベスト』というアルバムでよく聴くことが出来る。本当に、笑いながら歌ってるように聞こえる。というか、たぶん本当に笑いながら歌ってるんじゃないか。しかし、色々なスタイルを模索して、僕なりの半笑い歌唱術を体得することが出来た。
ギターのテイクは、ジャズのビッグバンドみたいな感じで、と注文した。この曲で僕はギターを弾いていない。全部ゴシゴシおじさんのギターだ。というか、今回のアルバムでほとんどギターを弾いていない。ゴシゴシおじさんのテイクは正に目立たないけど色々やっているあのビッグバンドの美味しいギターだと思う。素晴らしい!
ベースのテイクは、ウォーキングベースの偽物みたいな演奏で面白かった。この正統派でないベースがこの曲の胡散臭さを引き立てていると思う。逆によくこんなプレイを思いついたなと思う。
ドラムのテイクは・・・まず、今回は色々な事情でジャンボえさぴがドラマー復帰してくれたんだけど、初めて録音したテイクを送ってもらって、にやりとした。ほんとうにジャンボえさぴはクリックに合わせるのが上手いし、手数は少ないがいつでも80点以上のドラムを叩くことが出来る���録音派のミュージシャンからしたら、喉から手が出るほど欲しい逸材だと思う。今回も前作に引き続きドラムはヤマハのEAD-10を使って録音している。機材の設定も上手い。音源を作るのに必要なドラムの音と、実際に鳴っているドラムの音との関係をよく理解していると思う。生の機材を前にしたその理解度は、僕を遥かに凌いでいる。因みに、EAD-10を使って多分軽く内蔵のコンプやらをかけて録音し、DAWに落として、focusriteのBalancerというプラグインを噛ましたあと、tone empire のLOCNESS2というプラグインを噛ましてプリセットを選んでドライウェットバランスを調整すると、すぐ今作のドラムの音が出来る。ドラムを綺麗に鳴らすことのできるドラマーの腕が必要だが、参考までに書いておく。サクサク使える音になる。
信じられない節は、アルバムを生み出すエネルギーとなった、まさにエース級の曲だ。ライブで再現できなさそうなのは残念だが。これを機に便利屋のキーボーディストでも探すかな。仕事でもない限りそんなことしたいキーボーディストがいるとは思えないなあ・・・
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世界のザキ、ふざけるなセルフライナーノーツ 序
序
2021年12月24日。クリスマスイブ。世界のザキは6th名盤『世界のザキ、ふざけるな』をBandcampで発表した。6th名盤という数え方は、もう毎回自分で名盤だと思うので、そういう数え方にしようと思いついたので、今後世界のザキのアルバムはナンバリング+名盤という数え方になるだろう。そのうちサブスクでも聴けるようになるはずだ。今のところ、いつもと変わらないくらいの再生数を頂いている。感想をツイッターなどに投稿してくれた方や、Bandcampで投げ銭してくれた方、ただ聴いてくれた方、その他聴きたいとは思ってくれている方、なんとなく気にしていただいている方などには感謝しかない。感想などはあまり目にしていない。ひょっとしたら、今回の作品の良さをあまり理解してもらえなかったのかもしれない。それについては、申し訳ないが、良さが分かるまで聴いてもらうしかない。とはいえ、自分の作品を自分で解説してみることで良さを理解する一助にはなるかもしれないし、極一部の人には好評なアルバムのセルフライナーノーツを今回の作品でもやってみようと思う。
曲毎に言及していく前に、今回の名盤がどのような意図や経緯を持って産まれたのか、概説しておかねばならない。今までもバカバカしい音源を発表してきた我々が、更に今までに無くバッカばかしい音源を世に解き放ったことにはどんな意味があるのか、この記事を読んでくれている人たちにだけ説明しておく。それを説明するためには様々なことを伝えなければならない。しかし、出来るだけこの作品に僕が込めた思いが伝わるように心がけて書こう。
前作『不明なアルバム』は、新型コロナの影響を受け、後半のレコーディングはリモート制作になった。ドラムは僕が自分で叩くという突貫工事ぶりだった。そして今作はあたまから完全にリモート制作となった。僕は、リモート制作にあえてこだわった。その理由を説明するためには、僕が新型コロナの影響下にある現在をどのように生きてきたか説明しなければならない。
僕の娘は2020年生まれだ。ちょうど娘が産まれた頃、病室のテレビでは横浜のクルーズ船でCOVID-19のクラスターが発生して騒ぎになっていた。まだ日本中、世界中で感染爆発を巻き起こすとは市中の人は誰も思っていなかった。少し体重が少なく産まれた娘が退院するまでは、特に影響なく通院して娘の顔を見ることが出来た。そういう意味では、ラッキーだった。その後京都で観光バスの運転手とバスガイドが感染したり、なんやかんやあって今に至る。今更確認するまでもないだろう。娘が産まれたあとの、自分を取り巻く環境の変化は凄かった。なかでも驚いたのは、両親と義両親の孫愛だ。とりわけ義両親にとっては初孫だった。じいちゃんばあちゃんというのは凄い。孫が出来た瞬間、孫が生きがいになる。まさに、目に入れても痛くないというやつだ。自分の両親にとっては3人目の孫だが、しかし変わらぬテンションで孫をかわいがる。とてもありがたいと思う。しかし僕は恐怖も覚えるのだ。この人達から孫が奪われたら、どうなってしまうのだろう。当時コロンビアのボゴタに勤めていた大学の先輩がいた。コロンビアでは赤ちゃんや幼い子供たちがコロナで続々亡くなっているとのことだった。
妻と娘が実家から帰ってきた頃、娘は2カ月くらいだったと思う。泣き声を録音して、「人間強化」に収録することが出来た。そう出来たことはよかった。その頃、残念なことにライブハウスではクラスターが起きていたと思う。ライブハウスというものをよく知らない人達が、こぞってライブハウスを叩いた。その後結局全国各地でクラスターは起きたのだが、ライブハウスを叩いていた人達は、同じ熱量ですべてのクラスターを出した人達を叩いたのだろうか。ライブハウスは休業を余儀なくされていた。その頃に、ライブハウス=クラスターが起き���すい場所という図式が多くの人達の中で出来てしまったことは、のちのち僕に大きく影響を与えた。今となってはライブハウスだけをやり玉に挙げるのは、はっきり言って差別や偏見だと思う。しかし、そういった差別や偏見にある程度付き合わなければいけない立場に僕はいる。加担しているわけではない。ただ、万が一自分がコロナに感染した場合に、ライブハウスなんかに行くからだと言われるような、余計な変な影響が起こりやすい立場なのだ。皆それぞれ悩みながら道を模索していた。僕はお世話になっているライブハウスに一万円ドネーションした。都知事がステイホームと号令をかけた。星野源が家で踊ろうというフツーの曲を流行らせた。当時の安倍首相も家で踊った結果、烈火のごとく叩かれた。家にいるだけで叩かれるなんて、さすが安倍首相だと思う。
ステイホームブームの中、家で踊ろうと一緒に流行ったのが、うたつなぎだった。弾き語り動画を、ツイッターのリプライで次の人を指名してどんどん投稿するみたいなやつだ。僕のもとにもバトンが回ってきた。バトンが回ってきたことは、自分としてはかなり有難かった。子供が産まれることもあり、久しくミュージシャンとの交流は途絶えていたので、ぎりぎりまだ自分のことを仲間と思ってくれてる人もいるなあ、ということを感じられた。眠っている娘が起きないかハラハラしながら、鈴木常吉さんの「さびしい時には」を歌った。しかし僕はうたをつなげなかった。もう僕の知人には先にバトンが回っていたのだ。その後、僕は『不明なアルバム』をなんとかリリースした。世の中は何度かの感染爆発を迎えつつ、様々な業界の人達の努力によって、動き始めた。ワクチン接種が進み、飲食店もライブハウスも少しずつ営業を再開した。本当に、そうした業界の人々の努力には頭が下がる。ステイホームでうたをつないでいた人達はライブハウスのステージに立ち始めた。ライブのオファーもありがたいことに頂いた。しかし、僕はライブハウスに出演する勇気が出なかった。子供の事。子供から見た、祖父母の事。置かれている立場の事。とても、そういう悪い考えを振り払ってライブに集中することは出来ないと思った。かくして、うたをつなげなかった僕はステイホームに取り残された。
おそらく似たような状況の人たちが自分以外にもいるはずで、たとえば病院や介護施設に勤務する人たちや、部署によっては公務員の人たちなどは、その業務や接する人の事情、あるいは単純に仕事量の激増によってステイホームを余儀なくされていると聞いた。他にも、家族に持病持ちの人がいるとか、色々な理由でステイホームを基本にしているのは恐らく自分だけではないだろうと思っていた。音楽を絶やさないために復活した現場を、そこに参加できない人達はどんな思いで見つめているのだろう。僕個人としては、いつかあそこに戻りたい、だから音楽の現場が復活することを単純に喜ばしく思っている。まあさびしいなあとも思うし、自分はライブハウス界隈の人たちから見れば裏切者なんじゃないかとも思う。はっきり言ってずっとこの葛藤に悩んでいる。この葛藤に悩むことに飽きているくらい悩んでいる。バンドのことを考えると、いつもこの葛藤に行き着く。ステイホームを余儀なくされている人達、めんどくさい、次からステイホーマーと呼ぼう、ステイホーマーはどうしたらいいんだろう。ステイホーマーは皆、ある意味取り残されているんじゃないか。ともかく僕は、ステイホーマーの立場から、音楽活動をしなければいけないんじゃないか。そう思うに至ったのだった。完全リモート制作にこだわってアルバムを作ろう、と思ったのは、こういううねうねした思考から来たのだった。
完全リモート制作でどんなアルバムを作るか。正直に言うと、やっぱり希望のあるような作品にしようと最初は思っていたのだ。しかし、頭に浮かぶのはあんまりにもバカバカしい曲ばかりだった。正直、世界のザキを結成して以降はあまり自分で作曲している感覚が無くて、僕はマイリトルオカザキが勝手に作るのを現実に再現しているだけなのだ。そこで僕はマイリトルオカザキのメッセージを受け取り、バッカばかしいアルバムを作る方向に舵をきった。僕の魂は、新型コロナに対して、お前らがどんなに世の中を深刻な状況にしても、こんなにバカバカしいものが作れるぞ、メンバーと離れ離れでも作れるぞ、全然効いてねえよ、と宣言しなければならなかったのだ。そうすることで、ステイホーマーに勇気を与えたいみたいな思いがあ���た。もしかしたら、自分自身に宣言しなければいけなかったのかもしれない。ミュージシャンであるために。タイトルは決まった。『世界のザキ、ふざけるな』だ。
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不明なアルバム セルフレビュー 地獄の寿司職人
アルバムのセルフレビュー、いよいよ最後の曲。ここまで正直長かった・・・最後を飾るのは、名曲地獄の寿司職人。
楽曲の解釈というのは聴いた側にゆだねられるべきで、作品として発表した以上は作曲者や作詞者の手からも離れてしまっている。だから、僕がここで曲について色々書くけど、別に皆さんそれぞれの気持ちいいところでの解釈をしてもらっていいというかむしろそうすべきであって、せっかく好きで聴いていたのに、作曲者はこういう意図だったなんて!もう聴かない!みたいなことが一番悲劇だと思うので、そこはご承知おきいただきたい。ただ、殊更に悪意をもった解釈をする必要はないはずて、仮に世界のザキのこの曲は○○差別だ!みたいなことを言われても僕は謝らないので、そういった変なことをしないと約束できる人のみ、世界のザキの楽曲の世界を一緒に旅してみましょう。
世界のザキ 地獄の寿司職人 https://youtu.be/m1bOt3EraXk
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タイトルから出来る曲というのがある。今までの世界のザキの曲でいえば、ふにゃふにゃぷぅや学校の怪談やおならぷぅ~ くっさ!!やじゃんけんぽんや蚊などである。そしてこの地獄の寿司職人もまたしかり。よく、曲を書くときに歌詞から作るのかメロディから作るのかコードから作るのかということを聴かれるが、タイトルからできてしまうのが世界のザキの凄いところである。そしてタイトルからできた曲は結構名曲になる率が高いのである。
この地獄の寿司職人は、いつから名曲になったのか。それは、1フレーズ目の、「いらっしゃいませ」からである。これはとっても凄いことなので皆に教えるか悩むところで、有料のメルマガとかで公開してもいいような情報なんだけど、実は、名曲を作る簡単で確実な方法がある。このブログを読んでいる素晴らしい人格者である皆様にはお伝えしようと思う。
それは、1フレーズ目を「いらっしゃいませ」にすることである。
僕は地獄の寿司職人という曲があるとしたら、どんな曲だろうかということを頭の中でイメージして口ずさんで、この「いらっしゃいませ」が出てきた時点で、あ、これは名曲だとわかってしまった。そして、続きもスラスラ歌うことが出来た。そして、1フレーズ目が「いらっしゃいませ」なら必ず名曲になるという確信を得たのである。みんなも使っていい。嘘だと思うならぜひやってみてほしい。名曲になるから。いらっしゃいませという、日常でよく耳にするのに意外にポップソングで使われてなかった言葉にこそ、名曲の方程式があったのだ。
カリフォルニアロールは実際食べてみるとそんなに悪い味じゃなくて美味いということを時々聞く。でも僕は食べたことがない。なぜなら、カリフォルニアロールはデカいからだ。せめて握りサイズに合わせてほしい。基本的にお寿司を食べるとき、軍艦はのぞいて、出来るだけ巻きずしは入っていてほしくない。お稲荷さんもいらない。できるだけ握りを食べたいのだ。できるだけ握りを食べたい僕の胃袋に入ろうというのなら、カリフォルニアロールには胃を圧迫しないようにサイズは控えてほしいと思う。
レコーディングの時は、ギターソロを歌謡曲っぽくしてくれという要望にゴシゴシおじさんはちゃんと応えてくれてよかったと思う。あと、イントロで鳴ってるピロリん・・・という音は、前作『?』のメンタルという曲で登場した、ギターの本来弾くべきところでないところを弾く、あの奏法をやってもらった。ミキシングの時にディレイを噛ませて、不穏な空気をよく演出できた。僕のギターもかなりえぐいモジュレーションをかけていて、といっても50パーぐらいしか混ぜてないんだけども、おなじく奇妙な雰囲気を出すのに一役買っていると思う。ドラムにも存在感を出すためショートディレイをかませている。
ボーカルのレコーディングは、大さびのところですぐ録音レベルが振り切れてしまうので、そのあたりの調整が大変だった。マイクに近づいたり離れたりへんてこな動きをして、なんとか録音できた。もしも録音レベルを気にせずレコーディングできたら、もっと情熱的な歌が録音できたはずだと思う。僕には福岡で、というか県問わずインディーズのボーカリストとして最も尊敬するボーカルがいて、それはThe Campsというバンドの安増さんという。
the camps サッドパラダイス https://youtu.be/LY2IOf6Tl_c
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彼にも、対バンした時に、レコーディングのとき大変じゃなかったですか、と聞いたら、近づいたり離れたりしていた、と仰っていたと思う。多分。素晴らしいボーカリゼーションは、マイクに近づいたり離れたりで生まれているんだと思う。
ともかく、色々なひらめきや苦労や工夫を経てこの名曲は完成した。完璧だ。TelevisionのMarsという曲を若干パクっている以外は。
Television Mars https://youtu.be/-9m7r4lfE78
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不明なアルバム セルフレビュー お腹いっぱい
セルフレビューも残すところあと2曲。最後の一曲の前に整理運動的な一曲。
楽曲の解釈というのは聴いた側にゆだねられるべきで、作品として発表した以上は作曲者や作詞者の手からも離れてしまっている。だから、僕がここで曲について色々書くけど、別に皆さんそれぞれの気持ちいいところでの解釈をしてもらっていいというかむしろそうすべきであって、せっかく好きで聴いていたのに、作曲者はこういう意図だったなんて!もう聴かない!みたいなことが一番悲劇だと思うので、そこはご承知おきいただきたい。ただ、殊更に悪意をもった解釈をする必要はないはずて、仮に世界のザキのこの曲は○○差別だ!みたいなことを言われても僕は謝らないので、そういった変なことをしないと約束できる人のみ、世界のザキの楽曲の世界を一緒に旅してみましょう。
世界のザキ お腹いっぱい https://youtu.be/lDAJrojMBpM
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いわゆる打ち上げとかお疲れ様会というか、そんなイメージで作った曲。飲み会の曲。飲み会がいつ終わるかというと、それは皆がお腹いっぱいになって、もうこれ以上食い物はいらない、飲み物もいらない、となった時である。食べる者も飲むものも無くなった時、会話も終わる。人間の会話に食事というツールがいかに役立つかということかもしれない。別に話したい事があれば話せばいいのに、そこで終わってしまうのは寂しいことなのかもしれない。でも、もうこれ以上みんなと話すことはないよ、さよなら、となるよりは、まだまだ話したいことがあったけど、もうお腹いっぱいだから今日はここまで、という終わり方の方が優しいのかもしれない。
一番の生クリーム付きのパンケーキ・・・のくだりは、大阪に今活動休止中なんだけどFunny Funk Fish というバンドがいて、そのギタリストのソエさんが凄い甘味好きというか砂糖狂いで、ツイッターでパンケーキ王子bot(パンケーキの店を教えてくれたり、画像をリプライするとパンケーキかどうかを判別してくれる)とかいうものを作ったり、ライブイベント中ずっと本人はパンケーキを焼き続けるパンケーキ食べ放題イベントをうったりする人で、彼にインスパイアされた歌詞である。
Funny Funk Fish ゴルゴ https://youtu.be/i8Mvb_rVVmg
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ギタリストとしてはとても弾きざまがワイルドでかっこいい。だけど本人はとても謙虚で努力家である。彼の結婚式のケーキ入刀に当時世界のザキがノリで配っていたしゃもじが使われたことは、あまりにも有名なエピソードである。当時ノリで配られたしゃもじには、かなり荷が重かったのではないだろうか。糖尿病にはならないように気を付けてほしいものである。
そんな風に、出会った人からもインスパイアされて歌詞というのはできるんですね。
二番の、悩み事や愚痴だとか・・・のフレーズは、今思えばミスチルの「友と嘘とコーヒーと胃袋」に影響を受けているのかもしれない。これを聴いてなかったら、概念を食べるという表現は自然に出てこなかったのかもしれないと思う。そんな風に自分の音楽もたぶん誰かに影響を与えているんだと思う。世界のザキに影響を受けたら素晴らしいミュージシャンになれるので、どんどん影響を受けてほしいと思う。
レコーディングの時、僕のギターをアコギにするかエレキにするか悩んでまあエレキでいいか、と思ったけど結局色々試した挙句エレキでアコースティックシミュレーターを使うという邪道なテイクになった。アコースティックシミュレーターを使って音源にするのは初めてだ。でもアコギのちょっと耳にうるさい成分とかが程よく中和されてなんというか中途半端な音なんだけど、中途半端な良さというのもあると思う。僕のギターはギブソンSGのスタンダードだが、これも中途半端さが良さだと思う。あと、ビールと黒ビールを半々に注いで飲むやつも、中途半端さがおいしいと思う。
何気にドラムのテンポキープに苦労した曲でもある。こういう曲の方が、粗が目立ちやすい。
この曲に関してはアレンジに口出ししない、と明言して取り組んだので、皆のびのび演奏したかな?
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不明なアルバム セルフレビュー ふたりの盆踊り
本当は盆に更新出来ればよかったのではないかと思うセルフレビュー。今回は、ふたりの盆踊りである。おかげさまで今回のアルバムの名曲枠扱いをされているこの曲。一体どんな曲なのかな!?
楽曲の解釈というのは聴いた側にゆだねられるべきで、作品として発表した以上は作曲者や作詞者の手からも離れてしまっている。だから、僕がここで曲について色々書くけど、別に皆さんそれぞれの気持ちいいところでの解釈をしてもらっていいというかむしろそうすべきであって、せっかく好きで聴いていたのに、作曲者はこういう意図だったなんて!もう聴かない!みたいなことが一番悲劇だと思うので、そこはご承知おきいただきたい。ただ、殊更に悪意をもった解釈をする必要はないはずて、仮に世界のザキのこの曲は○○差別だ!みたいなことを言われても僕は謝らないので、そういった変なことをしないと約束できる人のみ、世界のザキの楽曲の世界を一緒に旅してみましょう。
世界のザキ ふたりの盆踊り https://youtu.be/4mfN8b9LWzo
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「日本人ならお茶漬けやろ!」というフレーズを覚えているだろうか。というか、知っているだろうか。Jリーグの人気が凄まじかったころ、当時人気絶頂だったヴェルディ川崎の背番号10、ラモス瑠偉がホットドッグを食べようと話す子供たちに「日本人ならお茶漬けやろ!」と怒鳴るという、尾木ママが見たら泡を吹いて倒れそうなCMである。忘れられていた大和魂を、日本人が古くから食べてきたお茶漬けを食って思い出せと、ラモスの魂の叫びが聞こえてくる。ちなみにJリーグカレーのCMにも出ていたが、カレーは良いのか、ラモスよ。日本人ならお茶漬けじゃないのか。
日本人ならお茶漬けやろ https://youtu.be/cr0L8sJuEto
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Jリーグカレー https://youtu.be/li5UFwkt6d0
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何で冒頭からふたつもラモスの動画が出てきたかというと、僕が言いたいのはこういうことなのである。
「日本人なら盆やろがい!」
何が!?もちろん、昨今のハロウィンブームへの提言である。盆というのは今では仏教イベントになっているが、元々は日本人の先祖崇拝がスタートにあるわけで、それが死者とのやりとりを担う宗教者、つまり日本でいうと仏教の取り扱うイベントになったというわけで、要するに「盆」というイベントの出自は実ははっきりとしていない。とにかく日本人は古くから年に一回先祖帰って来るわ!お迎えせな!というのをやってたわけだ。ちなみに、ハロウィンも年に一度死者が帰って来るわけだが、これも似たような感じではっきりしない出自の行事を、キリスト教が包み込んでしまったような感じらしい。ただし、日本ほどご先祖様という感覚はないはずだ。もちろん各家庭に帰って来るわけでもない。ハロウィンの方が、ちょっと百鬼夜行的なムードはあるように見受けられる。
亡くなった人の霊魂が年に一度帰ってきてくれるなら、魑魅魍魎と一緒のハロウィン式が良いか、ちゃんとつながりのある家族やご先祖が各家庭に帰って来る盆式が良いか、少し考えてみてほしい。盆式の方がいいじゃないか!だってこれは、とってもロマンティックなことじゃないか。皆、七夕をロマンティックという風潮には、まあある程度賛同するだろう。七夕は織姫彦星が年に一度会えるんだけど、その感じの会い方を実はみんな毎年盆にやってるんですよ。
盆の方が絶対盛り上がるべきなのに、世間で今盛り上がるのはハロウィンの方なのだ。盆に盛り上がるのなんて、交通情報かサマーソニックぐらいだ。しかし、盆にも反省すべき点はある。コンテンツとしては、ハロウィンの方が盛り上がる要素を持っているのだ。ハロウィンだけは堂々とコスプレしてなんかアレして良いみたいな雰囲気がもう出来ているからだ。今、盆がハロウィンに押されているのはひとえにコンテンツ不足だ。では、盆がハロウィンに対抗すべくプッシュするべきコンテンツとは何なのか。
盆踊りだ。
盆踊りの輪に入ったことがあるだろうか。一度も入ったことがない人は、来年どこかの夏祭りで盆踊りの輪に入るがいい。盆踊りには、輪に入ってくる人を拒否しないというルールがある。多分。僕は追い出されたことはない。会場でイカ焼きでも食べてビールを数杯ひっかけた勢いで飛び込めばよいのだ。但し、一度輪に入ったら真剣に踊らねばならない。前の人の動きを頑張ってコピーするのだ。するとだんだんゾーンに入ってくるというか、面白くなってくる。この高揚感は、たぶんハロウィンのコスプレに対抗できると思う。だから、盆を盛り上げるなら盆踊りからよ。
ということを考えている頃、この曲を作曲しており、気が付いたらこういう唄になった。
ギターリフを自分が弾いているので、ライブで弾きながら歌うのはなかなか難しい。多分世界のザキ以外の人が挑戦したら指がズタズタに裂けるんじゃないだろうか。危険なパフォーマンスである。Bメロにあたる部分のギターアレンジがお気に入りで、元々自分が裏拍で弾いていたのでゴシゴシおじさんは表拍で弾いたらどうか、とレコーディング時に提案したら良い感じにはまった。ヴォーカルは、僕の盆愛を表現するため少し大げさな感じの歌い方になった。
世界のザキの盆愛が、皆に届きますように・・・
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不明なアルバム セルフレビュー がっかり
不明なアルバムセルフレビューも10曲突破。早く書かないとアルバム公開から二カ月が過ぎてしまう。
楽曲の解釈というのは聴いた側にゆだねられるべきで、作品として発表した以上は作曲者や作詞者の手からも離れてしまっている。だから、僕がここで曲について色々書くけど、別に皆さんそれぞれの気持ちいいところでの解釈をしてもらっていいというかむしろそうすべきであって、せっかく好きで聴いていたのに、作曲者はこういう意図だったなんて!もう聴かない!みたいなことが一番悲劇だと思うので、そこはご承知おきいただきたい。ただ、殊更に悪意をもった解釈をする必要はないはずて、仮に世界のザキのこの曲は○○差別だ!みたいなことを言われても僕は謝らないので、そういった変なことをしないと約束できる人のみ、世界のザキの楽曲の世界を一緒に旅してみましょう。
世界のザキ がっかり https://youtu.be/KNuP7U__m0c
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世界のザキには日常で使いやすい曲がいっぱいあるんだけど、これもそういう曲の一つだ。がっかりした時に口ずさめばよい。しかし、がっかりした時の曲というのは世の中にたくさんありそうでそうでもないなと思う。がっかりした時のBGMは沢山あるのに、歌詞付のがっかりソングが意外とないのはどういうことだろう。ミュージシャンはがっかりしないのだろうか。そんなことはない。たくさんがっかりすることがあるはずだ。多分、ソングライターはがっかりを凄い詩的に表現するか、がっかりを乗り越える歌を書くんだろう。今までのミュージシャンは人々のがっかりに寄り添えていなかった。これは反省すべき点ではないだろうか。でも大丈夫、もう世界のザキの「がっかり」があるから。途中の歌詞は、知人がある日、今日は占いでよいことがあるって書いてあったのに、全然そんなことはない、むしろ符の悪いことばかり起きた、ということで凹んでいたのが凄く印象に残っていて、その影響が出た。良い占いを見ることは場合によってはその後の不幸感を増長させるというのは興味深いというか、そんなことがあるのか!と感心してしまう。それなら初めから占いなんて見ない方がよかったのだ。まあだからどうということはない、単になるほどと感心した出来事だった。
ほぼ弾き語りだけで完結してしまう曲なのだが、ある日ライブに向けたスタジオ練習で新曲のアレンジがテンポよく固まっていったので勢いでこの曲もライブでやろう!ということになった。その結果、たむたろーが後半中米っぽいリズムを勝手に叩くし、ゴシゴシおじさんはギターを弾かずにその間踊っているし、でもそれでいいや、となって本番に臨んだのだった。でも、スタジオではキレキレだったゴシゴシおじさんのダンスは、本番では少し物足りなさがあった。事情を聴いてみると、「今日はちょっとドラムのビートが合わなかった・・・」とダンサーみたいなことを言っていた。ダンサーみたいなことを言っていたのだ。それ、ダンスを知ってる人の発言だろと思ったけど、そこが世界のザキの凄いとこなんだ。世界のザキはもうダンスを知っているから、知っている側として発言できるんだ。楽譜にもこの間リードギタリストは踊ること、と書いてある。バンドスコア発売の折にはその目で確認してほしい。皆で、シンコーミュージックかリットーミュージックかドレミ出版かヤマハに「世界のザキのバンドスコアが欲しいです」と嘆願書を出すべきだ。世界のザキはとってもシンプルな演奏でかっこいいので、初めてのコピバンにもおすすめだ。コピーしてみれば、本物の音楽というものが分かる。
ちなみに、楽譜にも書いてあるのでレコーディングでもちゃんとゴシゴシおじさんがダンスをする音を録音している。
というのはウソだ。
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