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2025.05.04
恐山にて 密かに行ったらどうなってしまうんだろうと思っていたが、大事にはならなくてホッとしている、というのが本音で���る。まぁ私普通の人間だし。最初はまあこんな所か、という感じだったけれど、だんだん奥にいくにつれて雰囲気に持っていかれる。かいちゃんと言葉を交わすこともなく、雲の流れによって表情を変える風景を眺めていた。水辺に反射するキラキラを私はずっと昔に知っているような気がした。そう思ったら極楽浜の波や吹く風や、ひかりのことも、もうとっくの昔に出会っているような気がして、自然と足がそちらにむいた。引き寄せられる、でもなく意思を持ってでもない。自然と私が一体になって、私はあの時風景だった。境界というものはなくて、私という個もなくて、ただ全てがそこに在るということのみだった。上手くかいちゃんには伝えられなかったけれど、泣きたくなるような、懐かしくなるような、さびしくなるような、気持ちだった。幼い子がグズる時、きっとこういう心持ちになるのだろうな、なっていたのだろうな、とわかった。浜から離れたときに、ようやく気持ちが落ち着いて、かいちゃんに抱きつきたくなった。 その日の夜写真を見せてもらい「魂ぬけてたよ」と言われ、納得せざるを得なかった。また、翌日熱が出て滅多にない頭痛に襲われたのは完全に脳みそがキャパオーバーになった証左である。



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2025.03.01
人と関わるたび、自分の輪郭に線がまた書き足される。なぞられていく線はけして単純なものではなく、濃淡強弱さま���まなもので、私というものを形作っている。線を重ねれば重ねるほど、それははっきりとしていくものかと思っていたが、むしろあわいが強調されて、わからなくなっていった。 空白ゆえのわからなさは、孤独にも似ていて私はそれに苦しんでいたが、書き込みだらけの輪郭線は、やがて余白を楽しむ余裕を与えてくれた。ようやく、色んな私と生きていけるように思えた。
結婚挨拶の際に、「どこがいいと思ったの?」などという鉄板すぎる質問が、自分の親からまさか来るとは思っておらず、なんと返すのだろう、と他人事のように横顔をうかがっていた所、あなたの口から語られたのは、私が厄介だと思っている私の姿であった。頑固でこだわりが強く、人への頼り方が下手くそなものだから、周囲に迷惑をかけることもあるし、もう少し柔軟にできれば私が楽なのにと思い続けていて、何より「面倒くさいやつ」であるその姿を、「いい所」として語るあなたを見て、あぁあなたでよかったと思った。 私がいつもあなたに感じる、掬い上げてくれるような所や、ちゃんと見ていてくれるような所は、こうした認識のあり方に起因するのだろうと思う。欠点に対して「そんなことないよ」と言われると、反発してしまう。だって私にとっては「そんなことなく」ないのだから。私が知っている私がいなくなってしまう気がする。あなたは、それを認めた上で別の見え方を教えてくれるから好きだ。「大事にしていってください」とあなたは言う。あなたと一緒なら大事にできそうだ。
同じ線をなぞっていても、私が描く線と、あなたが描くそれでは全く違う軌跡をたどる。その違いが私に、世界に豊かさを生み出す。世界は多面体だから、自分では見えないプリズムの一角をきらめかせてくれるあなたでよかった。 発見は私にとって生きる糧で、あぁそうか、と気づくたびにこの世に生きる喜びを感じる。同じだと思っていたものが、反転して全く別の様相を呈することがある。現実が一瞬にして異界へと変貌することがある。当たり前が消失した世界でさまようのは、恐怖もあるけれどそれ以上の喜びがある。あなたとそんな旅ができるのならば、願ってもないことだ。
雪が止み、私たちが向かう先の空は、淡い青と伸びやかな雲の合間から、黄金の夕日がこぼれていて、絵画のようだった。今が冬であることを忘れるようなそれを見て、「夏の空みたい」と言うと、「特に夏の終わり、秋の初め頃だね」と返ってくる。春の海の色にも似ていると思っていると、「春の日が長くなった時にも似ている」と言われる。 あなたともっと色んな景色を見てみたい。同じものを見ても、見える色が、伝える言葉が、違うから。そこには新たな世界の扉が隠されているから。一緒に旅を続けたい。
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白昼夢27
2025.02.22 夢を見た。 私たちは小綺麗な大学のような建物の中にいた。彼女は、長い真っ直ぐな髪の毛を後ろで一つ結びにし、眼鏡をかけた女性だった。神経質そうな彼女は、何故か私には気を許しているようだった。 無表情で私を呼びつけ、紐を取ってくると言い、角を曲がったところにある部屋に入り、銀色の伸縮性のある紐を私に渡した。贈答用のお菓子などに使われている類のものだった。そして棚の上のものをとってほしいという。紐はそれのために必要なものであった。 棚をよじのぼり、言われたものを手にとり、彼女に渡す。二人で椅子に腰掛けた。目の前には工作室で使うような天板が木の古い机。これは、タイプライターだと彼女が言う。昔本物だと思って買ったものの、あとからコピーなのだとわかったと話す。確かにそれは、おもちゃのような軽さと小ささだった。ぽつりぽつりと話す彼女は、いつもと違う表情をしていた。文字が打てるの、と言ってcatと打ち込んだ。たった3文字しか打てないようだった。打ち込まれた文字は反転して、落書きだらけの机に印字され、すぐに他の汚れと一緒になってしまった。 ふと、彼女の方を見ると、さめざめと泣き出していた。私は普段だったらそんなことはしないのに、今日に限っては何故か手が伸び、隣に座る彼女の背をゆっくり撫でた。彼女に触れていると、なんだか彼女の悲しみは私の悲しみでもあるような気がし始め、涙がこぼれた。古びた机の前で、二人で静かに泣いていた。
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1999会 「Q体-解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」に寄せて
2025.01.26
あれは私「たち」の物語だ、と思う。私には複数の私がいて、いつも彼女たちとどう付き合っていけばいいのか頭を悩ませている。9人の彼女たち、一人ひとりの苦悩が、私「たち」の姿と重なる。そこにない体育館が見えるように、そこにいないかつての女子学生が見えるように、私「たち」の影が見える。
永遠の一声で、あの夏の蝉の声を思い出す。瞬間、風景が重なる。あぁあそこにも体育館があったな。永遠は滅多に出会わないが、刹那を生き急ぐ私のことがずっと気になっている。心の底でいつも静かな眼差しでなぜ、と問いかけているのを知っている。いつか答えを彼女に返したい。 息吹が笑うと光が差し込む。息吹が語ると風が吹き抜ける。命をことほぐ声がする。みんななんにも言わずにいなくなっちゃう、置いてけぼりにされる彼女は、あの夏、火星に行けなかった少女と、はち切れそうな自我を制服に無理やりおしこめた私と交差する。 哲学は素直で不器用で、���らしい。学問の面白さに目覚めた私がまさにそれだった。ページをめくれば世界の扉がいくつも開かれる。M1の初夏、私よりもそのことを知っている人は星の数ほどいて、私ができることなんてなんにもないんじゃないかと思い知らされた。声をあげて泣いた誰もいない院生室がよみがえる。 敬虔は出会えば出会うほど遠ざかってゆく。スイングバイのようだ。真理を求めれば求めるほど、世界は遠のき、静かで寂しい場所へ向かう。私に素直に生きているだけなのに。正しすぎる本能は時にぬるま湯のような親しみを遠ざけてしまう。私にとって、大学とはそういう所でもあった。 奔放は不自由だ。優しさは、愛は、その人を縛ってしまう。どうやって生きているのか分からなくなってしまう。境界線ギリギリをさまよっていた高校生の頃の私は、もっと悪いことをしたい、もっと逸脱したい、そうして生きていると思い知りたかった。救われないことによって、救われたかった。完結しない自己矛盾に苦しんでいた。 飴玉は甘く軽やかで刹那的だ。そして誰よりそのことを自覚している寂しさがある。彼女が覗き込む瞳は優しく大きいのに、伸ばされる手からはひらりとすり抜けてしまう。誰かの何かになれないなら、と見えないものさしで常に距離を測ってしまうくせは未だに抜けない。 癇癪は強くて美しい。そして、強いものはおしなべて脆い。触れれば落ちる花弁のように、割れるシャボンのように、あっさりと崩れ落ちてしまう。彼女の激情は切々と胸のうちに響く。欲しいものが欲しい。あなたが欲しい。2人がいい、2人だけでいい。獣のように狂おしい��着は今も私の中で牙をむくタイミングを狙っている。 沈黙はことばにしない贅沢さを教えてくれる。時折、震えるように発せられる声には、何を言うのだろうと耳を傾けさせてしまう力がある。書物とインターネットの味は私もよく知っていて、お腹はいっぱいになるけれど、分からないことばかりが増えていく。己の身体なのに不随意で、みんなができる普通が分からなくて、ことばにならない空虚さが募っていく。当たり前との距離はこんなに遠いものか、と途方に暮れた私の帰る場所は、インターネットだった。 平穏は宿り木のようだ。ただ、そこにあり続けるということは、忍耐を要することであり、孤独な営みだ。飄々とした横顔は、何かを堪えているようでもある。近づくことは出来るのに、踏み込むことは出来ない。そこには透明な川が横たわっている。彼女が信じてもいいかな、と言って川を渡った時、私にはあの子たちの顔が見えた。私にしか見えないと思った世界が見える人たちがいる、1人では見えなくても、あなたたちとなら見えるものがある。時折教室の中できらりとかすかに光るものがある。その予感は信ずるに値するものだ。
彼女たちは未来を語る。長く描き伸ばされる線もあれば、太く勢いのある線も、ぐねぐねと曲がりくねる線も、ぷっつりと切れる線もある。バラバラの彼女たちの人生は、私「たち」の人生でもあるだろう。線は幾重にも重なり、一筋の大きな流れを成す。そのひとつに私もいるのだろう。かつての女子学生は、大学生だった9人の彼女たちは、ひと夏の星間飛行をした少女は、小さな人たちとことばの海で航海をする私は、はるかかなたのまだ見ぬあなたは、旧体育館のひかりの中で巡り会う。
これは私「たち」の物語だ。
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2025.01.19
あなたはみなみの島にいるという 東京でさえ寒さにくじけそうな1月なのに そちらの天気は曇り、気温は17℃だそうだ こちらの天気は小雨、気温は7℃ 遠いから怖い 距離は簡単に互いを不寛容にさせてしまう 新しさは知らぬ間に馴染んだものを変容させてしまう 誰も悪くないのに
本屋で川島小鳥の明星をひらいた 写真に収められたみなみの島 パラパラと眺めているうちに空気が流れ込んでくる あたたかい風のにおいだ
ふと、なぜか、今こことは違う街並みをこの目で見たくなった 何気ない瞬間、渚のむこうが透けて見える みなみの島に降り立つ私がいる はじめて私の体で新しさに触れてみたいと思った 知らない怖さよりも、出会うよろこびに近づいてみたくなったのだ 少し大丈夫になった気がした こういうことを繰り返して息ができるようになるのだと思う
夜、明星を調べる 写真で見たあの島はあなたのいる島だった なんだそういうことか ずっと最初から私は知っていたのだ 気づかないだけで ずっと前から大丈夫になる準備をしていたのだ だから大丈夫だ
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2025.01.05
寂しさは病のように静かに体を蝕んでいく。どれだけ毛布に身をくるんで丸まっていても、心の奥の方がしんと冷え込んでいて、ずっとあたたかくならない。寂しさは寒さで、私の体の中にあって、いや、私がその中心にあって、どれだけ外側をあたためても消えてなくならない。
空は鈍色で、冬の寒さが一段と堪える空気だった。鉛色に押し込められた雲は、パンパンのスーツケースと相まって、帰り道の足取りを重くさせる。左足を痛めたあなたとゆっくりゆっくり歩く。どうしてあなたの痛みを私はわかることができないのだろう。当たり前のことに疑問を抱いてしまうくらいには、一緒に過ごしすぎてしまった。 私とあなたは別々の人間であるはずなのに、何をするでもなく流れる時間や、湯気でゆるむ空気の温度、ふと目を上げた時に合うやわらかな視線、美味しいねとほころぶ口もと、これら生活と名のつくかたちのないものを共有してしまったから、分かち合えなさが際立ってしまう。かすれた声でささやくおはようが聞きとれる距離にいたから、あなたは私で、私はあなただと錯覚してしまった。幸福で愚かな誤解だ。寂しいのは、私があなたではないことではない。誤解できる近さにいられないことだ。
セイカツと生活のことを初めて思ったのは、あなたがあの街で暮らし始めた初夏のことで、あれからもう3年が経とうとしている。ごっこ遊びみたいだったセイカツは、時間をかけていつしか生活のような顔をし始め、私の血肉の中へ染み込んでいった。これは明日食べるから取っておこう、なんて話をしていると、もうずっと前からこうやって暮らしていたかのような気分になる。特別だった頃は良かったのに、生活として馴染んでしまったセイカツは、普段の日々を侵食して、もう戻れない。これまではセイカツが一瞬のあわい夢だったのに、今やいつもの日常が悪い夢のようで、いつまでたっても覚めない。思い切りはがしたかさぶたは、生々しい傷跡を晒していて、いつまでたっても癒えない。
改めて見つめると、私とあなたの間に途方もない距離と時間が横たわっているのを実感して気が遠くなる。薄闇の部屋の中、日が暮れかけているのに閉められないカーテンからは、通り過ぎる車のライトが差し込む。天井が窓の形に白く切り取られる。きらりと流れるそれを見つめながら、そうかあなたはずっとこの寂しさを抱えていたのだな、と気づく。「早く来てください」と言い続けていた真意に3年近くかかってたどり着く。やっぱり、私はいつもあなたの後ろ姿を追い続けている。それでも私が追いつくのを辛抱強く待ってくれているのだから、寛容だ。 深く広い海のようなあなたの愛を渚でようやく抱きしめる。生活はどこへゆこう。追いつくたび、遠ざかるあなたの広い背中。私はあなたの何になれるだろうか。私は私の何になれるだろうか。あなたになれない私は、真冬の波うち際で考える。いつの間にか日は落ちて、部屋は夜の波に包まれていた。
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2025.01.02
「何年生になったの?1年生?2年生?」と尋ねる彼女は、3日目にして、ようやく私が25歳だということがわかったようで、笑うしかないという表情で驚いていた。ついで、「私は何歳なんだい」と隣に座る母に聞き、96と告げられると、またそんな冗談をとでも言うように笑っていた。 不思議な世界なんだろうと思う。小学生だと思っていた女の子は、急に目の前で大人の女性に変身するし、穏やかに日々を過ごしていた自分は、いきなり100歳近い老人になってしまう。老いるとは、過去と未来が常に様変わりしながら、現在として立ち現れる世界に生きるということなのだろう。かつてもこの先もごちゃ混ぜになりながら、時空間はメタモルフォーゼし続ける。直線的な時間を生きる者からすれば、正気じゃいられないことだ。しかし本来的に世界は躍動し更新し続けているから、過去と現在と未来が混在した時空の中で生きるということは、世界の根源的な部分に近づいているのかもしれない。我々が忘れかけている世界のしくみを、彼女は今まさに体感しているのだ。
ミヒャエル・エンデの『モモ』では、一人ひとりの心の中に、時間が生まれる場所があるとされていた。振り子が揺れるたび、この世界で最も美しい花が咲き、枯れる。つぎの振り子が揺れると、また新しい花が咲き、枯れていく。簡単には辿り着けない所だ。9月、夢の中でK先生は、「静かな場所」の話をしてくれた。あの時と昨日をつなぐ場所だという。師はそれを「空」と言った。わからないけれど、確かに知っている気がした。あれからずっとそのことを考え続けている。 日々を生きていると、その断片に触れる瞬間があるように思う。はっきりと形は捉えられないけれど、なんとなくそれだと思う時がある。 彼女のことも、そうしたかけらの一つなのだろう。きっと彼女は「静かな場所」のことを知っていて、時間が生まれる場所にも行ったことがあるに違いない。だけど、彼女にそのことをぶつけてみても、きっと返事は返ってこないだろうから、細く骨ばった指先や、変わらず魔女のように高い鼻、淡い色をした瞳をただ、見つめていた。
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2024.12.01
生きていてよかったと思う。これまでの私が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。途方もない時間が私に流れ込む。瞬間、それら全てが今日ここにつながっているのだとはっきりわかった。私は、生きてきたのだとわかった。生きてきてくれて、よかった、と思った。
帰る道々、そうかあれはいわゆるプロポーズというものだったのかと気づく。そう考えると大仰な愛の言葉をささやかれた訳ではないし、ロマンチックなムードを持ち出された訳でもないけれど、冬の初めのよく晴れた日の昼下がり、あなたと毛布にくるまれていたあの時間は、いつまで経っても忘れないと思う。 あなたといると、こんなふうにあたたかな場所で暮らせたらいいと感じる。同時に、私は思ったよりもずいぶんと、さびしい場所にいたのだな、と気づく。さびしさが持つ楽しさや、ひややかな心地よさはあるけれど、でもやっぱり、ずっとさむかったのだ。さびしさは、人の体の中に必ずあって、眺めるのにはちょうど良いが、さびしさの中に体があると、心は芯から冷え切ってしまう。
「結婚しましょ」ということばをゆっくり反芻しながら、その意味を確かめる。ふと、もうひとりぼっちじゃなくていいんだ、ずっとふたりで一緒にいられるんだ、ということに気づいた。途端に自分でもわからないけれど、涙が溢れた。涙に色があるのなら、きっとこれまでで群を抜いて透明だっただろう。12歳の頃、クリスマス会で朗読に耳を傾けながら、目をつむり、手を合わせた時のことを思い出す。おそらく初めて祈りというものを知ったのだ。あの時も透明な涙だった。 あぁ、よかったと思う。もう大丈夫になったのだ。これまでの私は、もう大丈夫になったし、これからの私も大丈夫だと思える。この先も生きていける。これまでの私を支えていたのは、根拠のない予言のような未来で、それは静かな所にあって、好むと好まざるとによらず、この先を私に伝える。多くを語らず、ただ、そうなるのだ、ということを示し続けている。その様は時に残酷だ。でも今度は、そんなこの先にあなたがいてくれる。予言ではなく確かなこととして。そのことが私の体の中に、消えることのないあたたかな場所を作ってくれる。心からよかったと思った。早く助かりたいと歯を食いしばっていたあの頃の私の祈りは、ここにつながっていたのだ。
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2024.10.26
Hさんに会えてよかった たくさん話ができた ほっとする人だ ひろくてふかくて優しい そして何よりつよい人だ とつとつと語るその横顔には、乗り越えてきた強さがあった 美しかった 私の目指すつよさはこれかもしれないと思った Hさんみたいな人になりたい これをやりたい、これをずっとやっていたら他はもういいというものに出会えたと言っていた すごくすごく腑に落ちた 多分私にもそれがあるのだと思う そして巡り会う時が来るのだと思う それをちゃんとことばにしてくれた気がする 私の単なる思い込みではないことを保障してくれた気がした ��かる時がくるのだろういつか 別れ際、Yちゃんが手を振ってタッチしてくれたのが嬉しかった そしてHさんも あの温かさを思い出すと涙が出そうになる 進み出す電車の窓から、3人で手を振る姿が見えた 両手を振っていた 小さくなってもまだふり続けていて胸が熱くなった ああ生きたいと思った あんなふうに 人にあたたかいものを渡せるようになりたい てらいもなく素直にまっすぐに生きたいと思った お守りみたいな時間だった
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白昼夢26
2024.09.20
夢をみた。
授業が始まる直前に、用事を済ませようと思って職員室を出た。
少し寂れた、細々とした店が続く商店街を急ぎ足で歩く。この通り沿いにホテルがあって、そこのエレベーターに乗れば教室に戻れるはずなのだが、どうにも見つからない。通りを行ったり来たりしながら歩き回るが、どんどんと遠くなるようだ。一緒に探してくれる子らも、検討がつかないようで、そうこうしている間に授業は始まってしまい、私の代わりの先生から、作文を書かせれば良いか、と連絡が来る。早く着かねばと思い焦る。
なんとか教室にたどり着いた頃には、もう授業は終わっていた。代行してくれた先生は厳しい人だが、怒るでもなく笑いながら「迷った?」と言うので、よけいに申し訳なさがつのる。
授業を見にきていたのであろう、K先生がつかつかと私に歩み寄り、いつも通り無遠慮に話し出す。「あの時→静かな場所→きのう→今日→明日」という図をメモ用紙に書き、「静かな場所」という箇所を指しながら、「あれこれは言わないけど、しすいさん、あなたは自分でよく考えなさい」とだけ言って、去っていった。その表情は、人好きのするいつもの顔ではなく、真面目な固さで、あぁ見透かされた、と一瞬にして思った。私は、この教材がそういう特性を持つことに気づいていたものの、それをどう活かすかが考えつかず、結局人任せにしてしまっていたのだ。彼も「静かな場所」に価値を認めたからこそ、見て見ぬふりした私に気づいていたし、その振る舞いにがっかりしたのだろう。
連続する時間の中に置かれた「静かな場所」とは一体全体なんなのだろう、と目覚める頭の片隅で思った。
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2024.07.29
2024.07.29
一つ歳をとるたびに、生まれ変わっているような気がする。
人生にはいくつかのフェーズがあって、ここ半年の間にそろそろ次への転換期が迫っているように感じている。第一期が小学生、第二期が中高生、第三期が学部からM1、そして、M2の途中から今にかけて第四期の訪れを感じている。もちろん、環境が異なるのだから、生活や生き方も異なるだろうが、それだけでは済まされない、もっと根本的な差異があるのだ。 一つのフェーズが終わると、かつての自分が別の人間のように思えてくる。あんなに慣れ親しんだ思考や感情や身体が別人のように一人歩きする現在があるのだ。過去は幽霊となり、今ここの身体をすり抜けてゆく。その奇妙さはいつまでたっても慣れないが、異質さの心地よさがそこにはある。「私」が同一ではないと知るのは、自我の根幹を揺るがす恐怖であるが、同時に、複数の「私」たちによって照射される現在の私がいる豊かさを知ることでもある。これだけ複数の「私」を生きてくることができたのだと気づく。手を伸ばせば世界のどこまででも触れることができたあの頃、生きることの閉塞感から早く逃げ出したかったあの頃、翼を捨て人間としての輪郭をゆっくり描き始めたあの頃、どれもが姿顔かたちの異なる「私」で、こんなにも多くの「私」を生きられたのかと思うと,感慨深く感じる。そして、どれもが今の私を眼差している。人は他者によって自己を規定されるというが、ならばその他者は,「私」たちのことでもあるだろう。あなたたちがいてくれたから、「私」がいるのだ。
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは,すべての存在を等しく実在するものと捉えそれらがつながり合って存在すると考えた。それは、同一のものとして存続し続けるのではなく、瞬間的に関係しては新しいものが生み出され、過去のものは消えていくのだという。さながら、アニメのコマ送りのように次から次へとセルは移り変わっているものの、描かれる対象自体はあり続ける。過去の内容は新しいものの内に内包されているため、失われることはない。複数の「私」たちもこれと同種の構造で考えることができるだろう。見えなくなっているだけで、失われることはないのだ。そして、関係の先には、出会っていない「私」たちがこちらを見つめている。
読むことと書くことが好きで本当によかったと思う。文字が好きで、文が好きで、ことばが好きで��本当によかった。ことばも私を好きでいてくれたから、生きてこられた。色彩もにおいも温度も、世界の手触りを教えてくれたのはことばだった。ことばを見ると風がふきぬけ、ひかりがまたたくから、走り出したくなって、ことばを選び、紡ぐ。いてもたってもいられない衝動を、ことばによって拡張された身体を使って解放していく。それは、走ることでもあり、編み上げることでもあり、扉を開くことでもある。散らばったことばたちをよりすぐって、手触りを確かめる。心は彼方まで駆けていこうとするから、追いつくのに必死だ。見えない足跡を、織り交ぜられたテクスチャでたどっていく。ザラザラしていたり、やわらかかったり、なめらかだったり、馴染みがなかったりすることばをつないで追いかけていく。ことばはことばと出会うことで、なんにもなかったところへ新たな扉を開く。扉は、細く開かれ、くもの糸のような光がこぼれる。平面だった世界は、瞬時に立体となり、昨日と今日が、どこかとここが、あなたと私が、透明な線でむすばれる。どこへだって行ける線だ。春の昼下がりの風も、夏の始まりの熱も、秋の夕暮れの音も、冬の朝の空気も、扉の向こうにあって、いつだってそれは開かれる。線は交わり、絡まりほぐれ、わからないことがわかったり、わかっていることがわからなくなったりする。私の衝動と、ことばのエネルギーが混じり合って渦になって、飲み込み、飲み込まれる。それが心地いいから、心はもっと向こうへ駆け抜けたくなる。生きていてよかったと思う。「私」でいられてよかったと思う。誰とも共有されないこの瞬間だけは失いたくないと思っている。いつかどこかのあなたたちや、あの日の私によって紡がれたことばは、音となり熱となり私を生かし続けている。
新しいフェーズを生きるにあたって「私」に覚えていてほしいことは、扉の向こうから差し込む光や、巻き起こる渦が、文字ではなく人間によっても生まれるようになったことだ。まっすぐに話をしてくれる人と、ことばを交わすとき、遠くで蝶番の軋む音がすることがある。相手のことばと私の心が混ざり合って、見たことのない動きを見せる。小さい人たちのことばに耳を傾けるとき、どこかでチカっとひかりがまたたくことがある。その先に私が知りたいと思っていたことがあるような気がして、もっともっと続きが聞きたくなる。ごくまれにこうした瞬間が訪れるので、生きていてよかったと思う。人間として生きることがようやく楽しくなってきた。それは、「私」たちも含めた、あなたがたとの出会いがあるからだろう。出会うことはどうしようもなく怖くて、影響や関係からは逃れられない行為だ。それでも、出会うことの歓びを知ってしまったから、新しい私を生きることになったのだろう。ならばこそ、開かれる扉とその先で結ばれるまだ見ぬ「私」たちのことも恐れずに、いつか出会う日を待っていることにしよう。
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2024.08.22 生きているだけで不安だ。私を始点として走り出した焦燥感は、結局のところ環状線のように私を終点に帰ってくる。感情だけにってか。いつだって自分のことしか考えられなくて、私、私になってしまう。私がどんどんと成長するたびに、心は肥大化していって、おさまらない。上手に付き合えるようになってきたと思った時に、足下をすくわれる。心が大きくなればなるほど、間隙の溝は深くて、落下する時の浮遊感がたまらなく不快だ。周りのみんなはどんどんと大人になっていくのに、いつまでも私だけ幼いままだ。美しくない。大人にはならなくていいけれど、幼いのは醜い。いびつでちぐはぐで、救われない。夏になると人間を辞めたくなる。人ではなかったあの頃に帰りたくなる。きっと美しくないのに。地に足がつかないのなら飛べばいいとほざいていたあの頃に、戻りたくなる。夜が眠れない。そのことにどんどんと自覚的になる。夢遊病のマネをしていたあの明け方に戻りたい。今はずっとノイズが乱れて騒がしい。音と光と熱が好きで、結局この世界の全てはそこから生まれているからだろう。原初にかえりたい。好悪も価値も意味も尊敬も侮蔑もすべては無にひとしい。人に生まれた歓びを知るから、逃れられない人生の恐ろしさに気づく。死んだ方がましだ、があるから、生きててよかった、があるんだろ。幸福を甘受するためには、絶望を味わわなければならなくて、今がいつの代償なのかを常に考えている。安寧を前借りし過ぎた。調和があるなんて幻想、早く捨て去ったほうがいい。溶けたい、希薄になりたい。光になりたい、音に、熱になりたい。あなた方の糧として終わりたい。それすら傲慢なんだろう。
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2024.02.16
2024.02.16
理論は乗り物で,自分で作った乗り物でどこまで遠くに行けるか試している。
この1年で,乗り物の形が定まってきた。そう簡単には壊れない強さも手に入れた。どこへ向かうのかも見えてきた。私の乗り物を知ってくれる人も増えた。あっという間の1年だった。なんにもできていないと思った。常に右往左往していた。もっとできたことがあった。それでも,私を遠くまで運んでくれそうな乗り物ができた。この先のまだ見ぬ景色に想いを馳せてはワクワクしている。
修論を書くにあたって、卒論を見返していた。てっきり書いていたと思っていたことは記されておらず,乗り物は乗り物としての形をちっとも保っていなかった。どうやら乗り物は,M1の間に組み立て始めたもののようだった。もう長いこと,これと格闘しているような気分だったが,その実,まだ1年半ほどしか経っていないらしい。気づかぬうちにずいぶんと遠くまで来ていたんだな,と思った。
目に見えた成果もなければ,学会の発表も一度しかせず,憧れていた研究生活なんてろくに過ごすことができなかった2年間だった。大学院に入学してすぐに,私がアカデミックに打ち込むなど身の丈に合わない幻想だと思い知らされた。言いたいこともうまく言えなくて,そのうち言いたいことすらなくなって,何にもないと思った。副指導教員と面談をして,いか���自分が空っぽであり,それに向き合っていないのかを諭され,誰もいない院生室で静かに泣いた6月だった。頑張ればなんとかなると思ったけれど,そもそも力不足なのだと気づいて,それを認めるまでに時間がかかった。優秀な周囲を見て焦り,空回りして,次第に諦めを伴いながら受け入れていった。
10月,初めて乗り物を形にして発表した時,年上の同輩が,わかるよ,面白いねと言ってくれたことが嬉しかった。他の人にも乗り物の形が見えたことが嬉しかった。一人じゃないんだなと思えた。同じ頃に翌年の進退が決まった。降ってわいた未来のことなのに,もうとっくに知っている気がした。あぁそうだよな,と思った。いつかこんな日が来ることは知っていた。それだとわかるまでこんなに月日を要した。それが決まってからは,瞬くように日々が過ぎ去っていった。
3月,もう一度乗り物について話をした。わかってくれそうな人たちばかりだった。だからかもしれない。質問が飛ぶたびに,乗り物のパーツは簡単に崩れ去り,バラバラと空中分解していった。原型を留めていない部品たちの前で,ヘラヘラと言葉を濁すしかできなかった。そこからずっと,乗り物のことを考えたくなくて,考える余裕すらなかった。目の前のことを言い訳に研究から逃げていた。このままじゃ��の先闘えないことはわかっていた。わかっていたけれど,プライドが邪魔して向き合うことも,負けを認めることもできずにいた。 7月にいやいや重い腰を上げて,無理やり乗り物を動かした。どうせどこにも行けないけれど,走らせなくちゃという義務感だけがあった。いざやってみると,乗り物は私に新しい景色を垣間見せた。何気ない一言だけで,こんな所へ辿り着けるのかとびっくりした。私一人が動かすものだと思っていた乗り物は,他者と共有することで,まだ見ぬ旅路を進むことができるようだった。このことを知ってから,ようやく諦めがついた。焦らずじっくりやってみてもいいのかもしれないと思えるようになった。
11月には,学会で旅のことについて発表した。発表は死ぬほど嫌で,直前まで二度と出ない思っていた。また3月みたいに,空中分解するのが目に見えていたからだった。また振り出しに戻りたくなかった。何にもないと思い知らされるのが怖かった。ところが,終わってみると,乗り物はその形をなんとか保ったまま,旅を伝えてくれた。その呆気なさに拍子抜けした。褒めてくれた人もいて,なんだか狐に摘まれたような気分だった。楽しかったと思ってしまう自分が何より悔しかった。乗り物が崩れなかった代わりに,今度は伝わらなさが滲み出てきた。その形は見えても,どう動くのか,どこへ行けるのかは見えていないようだった。そうじゃないよ,こう乗るんだよ,こんなところまで行けるんだよ,もっと言葉を尽くせばよかった,もっとできることがあったはずだ,と後悔がぽつりぽつりと浮かんできた。でも,3月のように悲しくはなかった。逃げずに向き合いたいと思えた。
その直後,ものすごい景色に出会った。こんなタイミングで,こんなところで,生まれるものがあるのかと目を見張った。それは,乗り物を強くするためにとっても重要で,一人じゃ到底見つけられないものだった。あなたたちとの旅だから見えるものだった。それが嬉しくって面白くって,ようやく研究が楽しくなった。
12月になんとかもう一度乗り物で旅をする計画を立てた。計画までしか修論には書けなかったけれど,組み上げながら,どんどんと乗り物の形が確かになっていく様が面白かった。発見の連続で,点と点が線でつながりそういうことだったのか,と光が弾けるようだった。長い長い旅だった。教授陣には,「新しいカード」と言われた。乗り物の形とその意義がようやく届いたようだった。この先を明るく照らす言葉ばかりで,不思議と不安はなかった。新しく始まる旅が楽しみだった。
今週から,彼らと乗り物で旅を始めている。もう私だけのものじゃない。みんなを乗せられる乗り物だ。その証拠は彼らの言葉にある。生き生きと言葉を紡ぐその様子,その顔,そうだもっと続きを聞かせてほしい。その先を教えてほしい。私もずっと同じことを思っていたよ。一人で考えていたよ。でも君たちとなら,その先を一緒に見られるはずだ。どこまででもいける乗り物はここにある。だから,一人じゃいけない場所へみんなで旅をしよう。
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今、すごく遠回りしている気分になっているけれど、それでもきっと、勉強し続ける楽しさはすぐそばにあるのだと思います。真正面からぶつかっていて、なんにも見えなくなっているけれど、きっと何かを掴んでいるのだと思います。でも、いつも、途方もなさに目の前をふさがれて、立ち上がれなくなってしまうから、この言葉を信じていいですか。遠回りしても、休憩しても、いいですか。
ことばたち
2018.10.27 幸福な呪いをかけてもらった。シャッターで切り取ったように、その瞬間が、彼彼女たちの姿が、柔らかで甘やかなことばたちがまぶたの裏で明滅する。夢ではないのだこれは。苦しみ、絶望に身を宿し、凡庸に従属しようとしている私が生み出た幻聴でも幻想でもないのだ。それならばこの呪いがとけるまで、また呪いをかけてもらうその時まで、まだここで闘ってゆけるように思えた。
「うちの学部が君みたいな学生ばっかりだったらいいのにな」 「読んだら感想下さい」 「皆早く絶望すればいいんだ」 「勉強は楽しいよ、あのね、遠回りしたっていいんだよ、休憩してもいいんだよ、でもね、勉強し続けるっていうのはとっても楽しいことだから」 「しすいさん、ちょっと来てよ いや、就職で笑」 「どうする?君らの頃には働くんじゃなくて働かされるんだよ」 「是非、来てください 待ってますから」 「3年生か4年生かと思うような話し方だったから 僕の母校の1年生とは全く違うよ」 「特に秀でていたり優れている人はどうしても浮いてしまうから」 「馴染めてるんですか?浮いてたりしない?」 「もう窮屈に感じるんじゃないの?これで後期やっていったら大学辞めちゃいやしないかと思って もっと自由なところに行きたい〜って」 「ちょっと〇〇さん、しすいさんの事引きとめておいてよ、大学辞めさせないようにしといて」 「あなたが受けてきた教育は特別なものであったし、それはもっと周りの皆に話して教えてあげるべきだと思うよ」
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2023.11.20
いつだって早く逃げ出したい。だけど,私がどこかへ行っても,私である限り,何も変わらないと思うから,大いなる何かに貫かれて,ぽっかりとしたうろになりたい。うろは空虚だ。うろは無だ。うろは無という有だ。
喉の奥に不甲斐なさと憎しみを飼っている。口を開くと忌まわしい言葉が飛び出しそうだ。噛み締めすぎた奥歯はとっくのとうにすり減っている。口をつぐむたびに喰む癖のあるくちびるはいつも傷だらけだ。
それならばいっそ,私の中心を空洞にしてほしい。何にもなくなっていいから,何にもなかったことにしてほしい。枯れゆく木でいい。実りはいらないから,虚を刻みたい。そうして中空を風が吹き抜けて,薄闇の中,霧の向こうで微かに響く船の汽笛のような音を立てていてほしい。
神さま,見ているんでしょ。わかっていて。
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2023.10.28
間隙に落ちる。
日々,あらゆるところに間隙は潜んでいて,私を飲み込むのを今か今かと待ち望んでいる。ふとした瞬間に,足元の暗闇が広がって,吸い込まれる。落ち始めると,その加速度に応じて,不安が私を追い立てるようにして全身を駆け巡る。些細なこと,つまらないこと,どうでもいいこと,取るに足らないこと,あらゆることが,私の首を絞めにかかる。世界それ自体が呪いとなって押しつぶされる。心臓から腐食が始まり,毒が身体へ回るように絶望は隅々まで行き渡る。致死である。遅死である。
深く暗い闇の中から光のある地上へ這い上がるには何より時間を必要とする。ただじっと手負いの獣のように傷が癒えるまで耐え忍ばねばならない。非常に根気のいる営みで,でも,それでしか回復できないことを心は知っている。だから,心は辛抱強く待とうとするが,身体の時間はそれを許さない。今日の次は明日で明日の次は明後日で,永遠に今日を続けていいわけではない。このちぐはぐさが歯痒い。身体の時間の割合が増えてしまったのも問題だが,人として生きるには心と身体の時間のズレを適度に飲み込み,調節しなくてはならないのだろう。そんな「当たり前」が上手にできない。
間隙は下手くそな私に存外寛容で,それもあってよく飲み込まれる。いや,私の方から飛び込んでいるのかもしれない。地上の光に嫌気がさすから,湿った闇の温もりが恋しいのかもしれない。そんなわけで今日も身体と心は別々の時間を生きている。上方に微かに見える乾いた光が目にさわる。間隙にて。
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