Text
奈良県立大学 現代アート展「船/橋わたす 2018」
全然人がいないので不安でしたが、会場の係の方々はとても親切でした。
ありがとうございました。
■ 小川美陽《ネガ(記憶)》
大学の門を入ってすぐの外壁に展示されていました。
自分で撮影したネガを火で炙ったものと、そのネガで撮影されているものを一画面に合わせた写真作品を制作されています。今回の展示は、1,351枚のL版プリントと手書きのメモで構成されていました。
・作品解説ではデジタル化への風刺に言及されていますが、展示自体はインスタ映えを誘発するようにも見えました。
・記憶することのアナログだけでなく、作品を制作する上でのアナログ(紙に出力すること、文字を書くこと、その言葉を選ぶこと)についても、作家の考えを聞いてみたいと思いました。
・「似たものが大量に並べられている」という表現方法にまだ可能性があるのか、再考したいと思いました。(荒木由香里さんや伊能怜さんの展示でも同じように思いました)
・存在したことが消えていくという「記憶」の性質に着目した作品はたくさんありますが、それを留めようとする行動をそのまま作品にしているのは珍しいなと思いました。
炙られたネガで撮影されていたのは日常の風景で、一緒に展示された言葉も日記から抜き出されています。個人的な思い出が、大学の正門で堂々と陽をあびていました。
小川さんは、自分自身を「焼きつけて残したい」という力強さと、個人を公共にさらけ出す軽やかさを併せ持った作家です。共に写真を学ぶ上で、気が引きしまります。
■ 四方遼祐《生活の演劇―購買の妖精―》
上演があることに気づくのが遅れ、途中から入場させていただきました。
小さな食堂と売店が一緒になった、「生協」もしくは「購買」と呼べるスペースで、男性がひとり芝居をしていました。
30分程度の上演で10分弱しか観られなかったのもあり、ストーリーは全く追えませんでした。男性が脚本を書く悩みを、見えない存在(妖精?)に打ち明けているらしい、というところは分かりました。
冷蔵庫が時折ブーンというので聞こえないくらい、小さな声で演じられていました。
終演後の様子等から、何か本意ではない形で上演されていたらしい、ということもうっすらと感じました。
当日パンフレット(作品キャプション)の文章について、日常/非日常や生活/アートは、対峙することではでなくて地続きでもあるし、私はそれぞれに大切にしたいなと思いました。
「購買の妖精」という副題を見て、「購買」という言葉が生協のスペースと結びつく感覚を忘れていたことに気づきました。劇場ではない場所で上演したいと考えた上で、実際に上演するのが大学の生協というのも、会社員の私からは思いもよらぬ選択でした。
また、あまりに小さい声なので、これは観客のためではなく "その場所" のための演劇のように思えました。
その小さな場所で、今しか成立しない貴重な演劇に、短い時間だけでも立ち合うことができて嬉しかったです。
(2018年10月20日)
0 notes
Text
台北當代藝術館
Museum of Contemporary Art, Taipei
展覧会と作品の、正確な情報はこちらです↓
『穿越─正義:科技@潛殖』
Trans-Justice: Para-Colonial@Technology
http://www.mocataipei.org.tw/index.php/2012-01-12-03-36-46/current-exhibitions/2681-2018-06-05-11-36-28
台北での最終日は疲れていたので、英語の読解力がかなり落ちていたように思います。体力ぎりぎりでも気になった、4作品についてのメモです。大きな誤解があればすみません。
-----
◾️Ming Wong "Next Year"
黃漢明《明年》
『去年、マリエンバードで』(L'Année dernière à Marienbad,1961)というフランス映画を再現し、元の映画と合成?コラージュ?した作品。
基本的には元の音声(フランス語)らしきものが流れ、中国語と英語の字幕がついているが、どちらも現在形と未来形で書かれた2行ずつが表示される。
映画と時間が重なりを持ち、リンクしている深みも楽しめたが、自力でなんとか再現している部分や、わざと雑に切り貼りされているところが好きで笑ってしまった。会場にも観葉植物とそれっぽい椅子が配置されていて、庭園らしさが少しだけ出ているのもおかしかった。
Ming Wongさんは名前だけきいたことがあったので、作品が見られて嬉しかった。
◾️Huang Pang-Chuan "Retour"
黃邦銓《回程列車》
台湾に渡った祖父が写っている古い写真をきっかけとした、作家自身の旅の記録。(多分…)
古い撮影方法で撮っているのか、たくさんの写真をつないで映像にしているのか、隙間がある動画がパタパタとずれて流れるのが気持ちよくて、思わず長居した。階段の踊り場で上映されているのも、縦長な作品とサイズがあっていて観やすかった。
フランス語のナレーション、中国語・英語字幕。
◾️Kader Attia "Reflecting Memory"
卡戴・阿提亞《反映記憶》
一見すると、教会で祈っていたり、ピザの皿を前に座っていたり、山道をハイキングしているように見える。
角度を変えると、その人々は片腕や片脚を失くしていることがわかる。身体に鏡を当て、背景と撮影の角度に注意することで、失くした部分が「復元」されている。
こういう映像と、関係者へのインタビュー?で構成された映像作品。
ないはずの身体の部分に痛みを感じる幻肢痛に対し、失くした部分を鏡を使って「目視」することで、痛みをなくすリハビリの一種らしい
ということを、帰国後に知って驚いた。
◾️Wu Chi-Yu "CAPTCHA-CAPTCHA"
吳其育《反覆驗證》
CAPTCHA は、インターネット上で使われる画像認証。入力者が人間であることを確認する、歪んだ文字のやつ。
鉛筆を持った機械が中国語で文字を書いたり、有名人のサインを複写したりする様子の映像作品。中国語の音声と字幕?、英語字幕。
その政治批判を含んだメッセージの全てを把握することは出来なかったけれど、「ロボットではありません」の画面に機械がチェックを入れる様子は少し面白かった。
http://www.mocataipei.org.tw/
0 notes
Text
Jaha Koo "CUCKOO"
(具滋昰『電子鍋』)
@臺北藝術節 Taipei Arts Festival
臺北藝術節 http://www.artsfestival.taipei/index.aspx
海外初ひとり旅の2日目だったので、やや涙もろかったです。 ----- 机の上に炊飯器3台。1台から米が炊けると映像が始まり、舞台に男性・Jahaさんが登場する。
生い立ちを話す。1984年生まれ。幼い頃は、街がデモ等で混乱している(日韓ワールドカップの際、平和な群衆をはじめて見た)ここまでは韓国語で話す。中国語・英語字幕。
20代後半でオランダへ引っ越す。服とCuckooを持っていく。ここは英語で話し、中国語字幕のみ。
Cuckooは韓国の炊飯器で、一般名詞化した商品名。Cuckoo たちの自己紹介。「ごはんが炊けました」の声のまま話す。話すたびにLEDが点滅したりする。よく話すDuri と同じ外見のSeri は意地を張り合い、口喧嘩をする。Hana は寡黙だが、一番よく米を炊く。
Duriを抱くと、それまでの女性声ではなく、Jahaさんの家族(おそらく父親)からの留守電を再生する。「Jaha、ご飯食べてるか?(韓国語では挨拶のような意味)夜は音楽のことばかりしてないで、ちゃんと寝なさいよー」的な。
IMFによる韓国救済のニュースや、デモのショッキングな部分を切り取って構成された映像と音楽、Cuckoo たちによるややポリティカルな?パフォーマンスが続く。
個人的な経験を元に、救いなき孤独の感覚(中国語字幕に"孤立無援")や、犠牲を必要とする抑圧された社会についてJahaさんがひとりで話す。
・アジアの経済とその影響について、いかに自分が不勉強かよくわかり本当に恥ずかしく思った。特に韓国については、その混乱した状態を想像もしていなかった。 知的なだけでなく優しさとユーモアのある作品を上演したJahaさんを見て、同世代として反省した。
・韓国の経済危機の話もしているけれど、個人的なことからはじまる話がほとんどで、強く胸をうたれた。特に、家族からのメッセージが再生されるところは涙が出た。(海外に来て、炊飯器を抱える男性を見て泣くと思ってなかったのでびっくりした)
・独り語りで説明される部分も多いけれど、映像や音楽、Cuckooたちの会話やパフォーマンス等も含めて上演時間60分強なので、しんどくはなかった。中国語字幕は後方上部だが、英語字幕は手前(Cuckooたちの真下)なので比較的見やすかった。
・とても面白かったので、旅行中や帰国後に会った友人と家族には、もっと詳細な内容も話している。私がそれほど表現をかえずに説明しても、それぞれに面白がる部分や気にする部分が結構違うので、色々な人に話すのが楽しかった。
(Wellspring Theater/水源劇場、2018年8月12日)
http://www.artsfestival.taipei/FilmContent.aspx?ID=20
0 notes
Text
Liting Tan "PRETTY BUTCH"
(陳立婷『不男不女』)
@臺北藝術節 Taipei Arts Festival
臺北藝術節 http://www.artsfestival.taipei/index.aspx
ふたつだけ観ることができました。チケットを英語のメールで予約する段階からくじけそうでした。無事観られてよかったです。
私は中国語が全くわかりません。英語はTOEICで700点いかないくらいです。英語字幕を、本当に6〜7割くらいしかわからないなーと思いながら観ていました。ものすごい誤読や勘違いが混ざっていればすみません。 ----- 中山堂の舞台上に客席もつくられていた。デザインはバラバラの黒い服を着た5人(おそらく全員女性)が、横一列で椅子に座っている。薄暗い中で手元のボードにはさんだ紙を読んでいる。 もう役に入りこんでるやつかと思ったけど、もっとゆるやかだったようで、客席の様子を見て俳優同士で話したりしていた。
2人+1人+2人で別々の話。黒い長椅子2つを使って中央に出てきて演技する。
中央の1人は全体の進行・ナレーションとモノローグ。生理への戸惑いや、男性的な服や振る舞いについて母親へ語りかける。 他の2組のシーンが演じられる間は、写真作品を舞台上に吊る作業をしている。まれに、補助的な役を演じる。
上手の2人は女性同士のカップル。幸せそうにいちゃいちゃする。パートナーの卵子で?やや男性的な外見の女性が妊娠する。 マタニティ「ドレス」を着ないといけないことへの抵抗、二人とも母親になることの社会的な不便さ。
下手の2人は、どちらも男性の役。旅行か合宿に来て同室になった友人同士。 Mark(多分…)は、子どもの頃は外遊びの輪に入れず、もっと男らしく振る舞うよう父親に叱られた経験がある。今は、身体を筋肉質に鍛えることにこだわっている。 同室にいるもう一人も男性だが、胸があるのをスポーツブラで隠している。友人にはそのことを話していないので、部屋にブラジャーがあることで、女性を連れ込んだのか疑われたりする。 二人のセリフに何度か"I'm not pondan"と出てくる。プールでは、気になる女性にどう話しかけるか相談しあったりする。 人気俳優なのか、客席に関係者が多いからかわからないけど、字幕以外のところで何度か笑いが起こる。
・Webで見れる写真と全く違った感じの舞台だった。
・俳優や客席の雰囲気は、日本の(関西の?)小劇場とあまり変わらなかったのでリラックスして観られた。 役名はほとんど覚えられなかったけど、5人とも外見が違うのであまり困らなかった。
・大きな写真を吊るすのは、舞台美術としてはあまり効果的に感じられなかった。
・アフタートークを聴きたかったけど、英語通訳がなかったので自己紹介だけ聞いて帰った。自己紹介だけでも(照れながら"good evening..."と言っただけで)笑いが起きていた。
・ロビーで公式Tシャツを売っていた係の男性が、臺北藝術節の4種類のデザインについて、英語で説明をしてくれたのですごく助かった。
(Zhongshan Hall/中山堂、2018年8月11日)
http://www.artsfestival.taipei/FilmContentTAF.aspx?ID=17
0 notes
Text
KYOTOGRAPHIE2018 京都国際写真祭 テーマ「UP」
今年ははじめて、パブリックイベントのトークを聴くことがで��ました。
・その方法で発表することが最善か(写真集/雑誌/コンクール/展覧会) ※1
・オーディエンスは誰か ※1
・アーカイブの困難さと重要性 ※1 ※2
・私的な表現と時代性、社会・世界に提示すること ※2
など、他の芸術分野とも共通する話題が数多くありました。
メインプログラムのスタンプラリーは達成しましたが、初日はとても混んでいたのでゆっくり観られない所もありました。また、KG+に3ヶ所程度しか行けなかったのも反省点です。
メインプログラム5ヶ所の感想を書きました。
■ローレン・グリーンフィールド「GENERATION WEALTH」 @京都新聞ビル 印刷工場跡
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/01-lauren-greenfield/
新聞社の印刷所だった場所で展示されているため、ジャーナリズムと富の関係が わかりやすくアイロニカルで面白かったです。
ここに印刷機があった頃、新聞はここで生み出される "印刷物" だったはずです。 巨額の富やセレブの虚ろな美しさも、写真という"印刷物" に集約されてここに存在している、という点でも面白かったです。
■森田 具海「Sanrizuka – Then and Now –」@ 堀川御池ギャラリー 1階
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/02-tomomi-morita/
壁や塀の写真が、また塀のように展示されていました。
撮影テーマ含め、写真が時間や場所を "越える" メディアであることが実践されているように思いました。森田氏によるステートメントにも心打たれました。
■深瀬 昌久「遊戯」@ 誉田屋源兵衛 竹院の��
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/07-masahisa-fukase/
作家の魅力とアーカイブプロジェクトの意義が、丁寧に整理して提示されていました。
鳥のコンタクトプリント(のようなもの)にドローイングしてある作品では、深瀬氏の目がどこに向けられていたかわかりやすく、より興味をひかれました。ブラックパンサーの展示 ※3 や、去年の二条城 ※4 でもそうでしたが、コンタクトプリントが展示の一部に加えられていると、撮影者の意図が明確になるように思います。
(作品だけでなくコンタクトプリントまで見たい、というのは、鑑賞者が作家に甘えすぎかもしれませんが…)
■中川 幸夫「俎上の華」@ 両足院(建仁寺内)
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/12-yukio-nakagawa/
生け花を見るのは好きですが、その厳しさについては全く無知であったことを思い知りました。短い時間にしか存在しない芸術表現を追い求める孤独に、強く胸を打たれました。
黒い畳をはじめて見ました。
■アルベルト・ガルシア・アリックス「IRREDUCTIBLES」@ 三三九(旧氷工場)
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/14-alberto-garcia-alix/
独特の会場よりも、作品そのものが強く心に残りました。
アンダーグラウンドな雰囲気の人々がカメラを睨むポートレートも、殺風景な部屋の片隅をうつしたものも、ごまかしが全くありません。すっきりと潔い表現です。
"そのもの" を撮ることと、"そのように" 撮ることの違いについて考えさせられました。
---------
※1 トーク: 写真集を作る時に考えるべきこと
アンドリュー・サニガー(Thames &Hudson コミッショニング・エディター)
https://www.kyotographie.jp/public_events/1576/
※2 トークセッション:「写真で生きていく」ということ
中島祐介、トモ・コスガ、仲西祐介による鼎談
https://www.kyotographie.jp/public_events/1580/
※3 ステファン・シェイムス「Power to the People」@藤井大丸 ブラックストレージ
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/09-stephen-shames/
※4 KYOTOGRAPHIE2017
アーノルド・ニューマン「マスタークラス -ポートレートの巨匠-」
www.kyotographie.jp/fundamental/portfolio/arnold-newman#
(2018年4月14日~5月13日)
0 notes
Text
2018/5/1
東京の馬喰町で、gallery αM「絵と、」vol.1 五月女哲平さんの展示に行きました。
ほとんどの作品に写真が使われていますが、アクリル板やガラスやシルクスクリーンがその上に数層組み合わさっています。写真に撮られたものは他の層で隠され、僅かに色や形が見えるだけです。
ステートメントを読んで、遠い土地の冬を思ったり、作品の写真部分を見るのに思わず息を止めたり、つやつやのシルクスクリーンに自分が映りこむのを眺めたりしました。
知らない街に行くのは緊張しました。その緊張感を保ったまま、広くて静かなギャラリーで過ごしました。行ってよかったです。
写真に撮ってもかっこいい作品ばかりだったと思うけど、会場で鑑賞するのが楽しくて、何も撮りませんでした。
しばらくはポストカードを眺めて暮らします。
0 notes
Text
劇団冷凍うさぎ『No Surprises 』
考えすぎて頭だけ疲れているような状態で観たのですが、大量の台詞を受け止めるのには案外向いていたようです。
主人公がものを忘れていくことや、「記憶と記録」というテーマは気になりました (が、観劇中にはあまり考えを深められませんでした)。いろいろあってもおなかがすいたら食べるところが意外で、親近感を覚えました。
生死の基準が曖昧なままうろうろする人々や、殺人が手軽に扱われるところ等、春に観たコトリ会議と似ているように思いました。
たくさんのビニールで客席から仕切られた舞台美術は、「見えにくさ」を生み出していました。客席から見えるものを写真で表現するのが難しそう、という点も含め、劇場で観た甲斐がありました。
(ウイングフィールド、2018年2月24日20時)
0 notes
Text
2018/2/10-12, 17
三連休と土曜を使って、TPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)をのぞいてきました。
・blanClass Anthology #3 高山玲子『ゴースト ライター』 ・藤原ちから 演劇クエスト・横濱パサージュ編 ・ジューン・タン ディレクション プログラミングのポリティクス ・コンタクト・ゴンゾ featuring スカイチャーチ『群衆の音像(仮)』 ・ライトニング・スタディーズ:圧迫・抗争・汚染翻訳センター(CTCCCs) 『パサ・パサ』 ・サムソン・ヤン『カノン』 ・梅田哲也『インターンシップ』 ・ホー・ツーニェン『一頭あるいは数頭のトラ』 ・うんなま『search and destroy』
最先端の芸術や英語のトークを必死に追う数日間でしたが、『ゴースト ライター』や、演劇クエスト『彼方からの招待状』では、自分自身を振り返る貴重な時間を持つことができました。 今年は、関西でも活躍されている方々のパフォーマンスを別の土地で観られたのも、新鮮で有意義でした。
TPAMはプロフェッショナル向けのプラットフォームなので、観客には立ち入ることができない部分も多いです。難解なテーマもあったので、思いついたこと全てを書くのはためらわれます。(何度観劇を繰り返しても、己の小ささを知るばかりです) しかし、国際交流や異業種・異分野との連携の場として、また、世界の広がりと境界を思う機会として、確かに刺激的でした。 とても楽しい旅でした。お世話になった皆様、ありがとうございました。
0 notes
Text
チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション
若さを感じる内容を、若い俳優が演じていました。 俳優や登場人物と比較して、私は若くありません。自分が失いつつあるものを舞台上に見出すのは、本当によいことだろうかと疑問が生じました。だんだんと気持ちが悪くなり、ぐったりしました。 戯曲がそのままで、周囲の環境や人間は歳を重ねていくことについて考えていました(が、正直これはあまり自信がありません)。観劇から日が経った今は、団体名らしい作品なのかなと思っています。 確かに注目され得るパワーのある戯曲だったし、衣装はそれぞれに感じがいいし、上演中に顔と名前は一致しなかったけれど、魅力的な俳優ばかりでした。
(ロームシアター京都、2017年2月3日14時)
0 notes
Text
うんなま『search and destroy』
コピー用紙に書かれた言葉は、現代社会を飛び交う情報(を表現した舞台美術)というよりは、会社にある " 整理整頓 " とか " 社外秘 " というラベルを思い出しました。ぺらぺらと扱いにくい言葉に、俳優の手元がもたつくような、わずかな瞬間が面白かったです。 様々なシーンや映像が目の前に現れるのに、あっという間に消化してしまいました。誰かのライブに行った後に似ています。私は音楽に詳しくないので、現代におけるその誰かの価値を理解できないことも多く、申し訳なく思う時があります。でも、聴けば大体気持ちよくなります。割と気持ちよかったです。
(ウイングフィールド、2018年1月28日17時)
0 notes
Text
『はじめまして こんにちは、今私は誰ですか?』
ものすごく当たり前の感想ですが、踊る様子がとても魅力的でした。 舞台上でも映像の中でも、「踊るから見ててな」と何度も伝え、そして実際に踊ることで、相手の心に近づいたり、また時に遠のいたりしていました。 人との距離を自分の身体だけでつくることができるのを、羨ましく思いました。 また、作品に関わる他の人々も、それぞれにしかできない形で参加されているように感じました。 良いタイトルやなと思いました。
(故郷の家・京都 雲史ホール、2018年1月27日16時)
0 notes
Text
粘土の味『オフリミット』
全体にかなりつるっとした、つくりものみたいな感じがしました。果物を食べているのに、それもつくりものみたいに思えました。夢みたいな話と合っていたと思います。 そういう瞬間が自分にもあったな、と思うと同時に、あまり劇的ではないはずのそれを切り抜いて演劇にできるのはなぜだろう、とも思いました。 (これは今回に限らず、努力クラブを観るとよく思います) 「そういう瞬間が自分にもあったな」というのを、男性の主人公を観て思ってい��、 かなり悔しいです。もっと楽しい恋愛を経験したかった。
(京都芸術センター、2018年1月27日19時30分)
0 notes
Text
dracom『しじまの夜がこだまする』
もちろん、この作品が多くの観客に受け入れられ、話題が広がっていくのは素晴らしいことだと思っています。でも、この空間で、たくさんの人とこの話を共有していいのかと不安なまま観劇しました。 注意深く観ていないと、上演されている「夜」と、個人的な闇を重ねてしまいそうでした。共感を自分の中に探すことで、その演劇作品への畏怖が薄れてしまわないだろうかと心配になりました。そして何より私が怖かったのは、心のほとんどがいつまでも、その闇に留まってしまうことです。 登場人物の男性のように、足掻きながら観劇しました。それほどに強い作品でした。安易な答えに逃げずに、居心地の悪さ・乗り越えられない(乗り越えない)まま大人になること・孤独 を描く演劇でした。
(OPA_Lab、2017年12月14日)
0 notes
Text
『悪魔のいるクリスマス』
15年ぶりに行った劇場で、15年前と同じ演目を観ました。
同じ演目でも同じ「演劇」はあり得ない。私は本当につまらない大人になってきているのかもしれない。15年前、こうやって大人になるのかなーと感じる機会はあっても、どういう大人になりたいのかは考えていませんでした。
16歳の自分と共有できるのは、客席での不安だけです。でも、この場所が特別なのではありません。いつ/どの劇場に行っても、とてもとても緊張します。
今日の気持ちは、また15年くらいほったらかしにして生きると思います。
(ナビロフト、2017年12月24日)
0 notes
Text
庭劇団ペニノ『ダークマスター』
漫画っぽい演出が減っていた。俳優と舞台美術が徐々に一体化していって薄気味悪い、ということを、去年はあまり重要に思っていなかった。再演も観てよかった。
長い時間をかけて磨いていく、でも観客にとってはその一瞬しか存在しない。他と似ている部分はあるだろうけど、やはり演劇は不思議な仕事だと思った。
(オーバルシアター、2017年12月9日13時)
0 notes
Text
下町芸術祭2017 =境界の民=
多分、このタイトルであっている。 "家族の系譜" が副題かと思っていたけれど、これは 「KOBE-Asia Contemporary Dance Festival #4 新長田のアジア、家族の系譜より」のことで、下町芸術祭の一環だったようだ。他にもチラシが数種類あって、私にとっては複雑な祭だった。さまざまな情報の読み方を教えて下さった皆様、ありがとうございました。
下記の3企画では、私はどうやって生きてきたのか、どうやって生きていくのか、立ちつくし戸惑った。今もまた考えている。
・ダムタイプ『S/N』ヴィデオ・ドキュメンタリー上映
久しぶりに大泣きした。ただ、内容と直接関係なさそうなこともたくさん頭をよぎったので不思議だった。 それほどに普遍的な、愛についての名作だと思う。
「言っていることはわからない、言いたいことはわかる」と、思えたことは少ない。言いたいことがわからないことや、言えないことは何度もあった。心が通わなかった経験ばかり思い出された。
他にもすごくいいセリフばかりだな、と思ったけれど、ぐちゃぐちゃに泣いて忘れてしまった。
( ArtTheater dB 神戸、2017年11月11日)
・筒井潤+新長田のダンス事情『滲むライフ』
とても楽しかった。観たというより、貴重な時間に居合わせた。これまでの歴史と、この上演に至る創作過程、それぞれの途方もなさを思った。本当にライフが滲んでいた。敬意しかない。
と、Twitterに書いた。
歌や踊りで楽しかったのは本当だけれど、この上演の全てを "とても楽しかった" とだけ言ってしまうのは、浅はかすぎるのではないかと心配している。この日に感じた底なしの敬意を忘れたくないから、もう一度書いておく。
(ふたば学舎 講堂、2017年11月18日)
・森村泰昌「下町物語プロジェクト2017~2019」序説
コンセプトや展示に至る過程を全く理解せず、「何かあるらしい」という情報だけで最終日に行った。もっと散らかった展示かと勝手に思い込んでいた。全くそんなことなくて、とても見やすく整った展示だった。その場所(会場や町)に元々あるもので構成されていることで居心地よく感じた。
出展者のプロフィールをみて、縁のあることや気の向くことを少しずつやってみる生き方も全然ありやな、しばらくやめていたことを細々とでも再開しようかなと思った。
(旧駒ヶ林保育所、2017年11月3日��25日)
0 notes
Text
第4回 大阪短編学生演劇祭
・劇燐「花に荒らし」『あさきゆめみしワンダーランド』 “はっきりと伝えたいことがないと舞台に立ってはいけない” “ぼけないといけない” “大きな声を出さないといけない” …という前提はどこから来るのだろう、と考えていました。台詞が書かれた紙を撒いたり、サンドイッチを食べて話しているだけの時間は、投げやりで面白かったです。 舞台上のとても狭い範囲にものが散らかりすぎていました。(美術として散らかっているのではないように思いました。)特にサンドイッチを作る机の上が汚くて、とても気になりました。
・元気の極み『せかいのはじめ』 意外と明るい印象のする一人芝居でした。声が明るいからだと思います。会話のやり取りの部分は単調で、ややわかりにくかったです。 俳優がその人物としてそのまま出てくること、舞台上にある様々なテキストをそのまま読むこと等、今っぽい演出でした。世界と自分、現実と舞台の始まり・終わりがうまく重なっていました。子の生死に関する部分は共感できませんでした。音楽は、情緒を過剰に盛り上げるためだけに選曲されているように思えました。
・人生よくばりバリューセット『かえりの時間』 家族の依存関係と進化論はうまく結びついていないように感じました。“半分は同じ"という台詞は、微笑ましかったり気持ち悪かったりして、シーンを繰り返す構成の中で効果的でした。 姉のセックスは大変色っぽい演出でたっぷり2回あるのに、妹のはなぜ簡潔な演出で、独白だけだったのかわかりませんでした。
・劇情ロマンス『プリンと練乳と生クリームと』 団体名やタイトル、登場人物、アンケート用紙に至るまで、何かしら強い統一感がありました。 アリス役の俳優が印象的でした。 演劇人のきららが自分の夢を語る際、「お世話になった先輩たちのために…」という感じの台詞があったと思います。うろ覚えなので聞き間違いかもしれませんが、ものすごく驚きました。
(シアトリカル應典院、2017年9月24日)
0 notes