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たわごと
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適当に思った事をつぶやく2022/08/01
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shusdrift · 6 months ago
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Take me to the Paradice City 俺を楽園に連れてって、かな
Guns n Rosesの Paradise Cityって曲
もの心ないガキの時から親父に聴かされて育った洋楽
軽く800枚は親父にアルバムを聴かされた。
そりゃあ常人の軽く600倍は音楽詳しいんだ
小学生でスマホ持たされてからはディグリまくったしな
んでそんな俺がいっちばん好きなアーティストの話なんだけど、
Perfumeじゃないんだ残念ながら。
KEN-Uでももちろんないぜ
Guns N` Roses 通称ガンズってんだよね
そうそうまさにこんなの。
こんなのの横で休みの日にどっか行くときに流れてたのは
ガンズが多かったなやっぱり。
母親も学生の頃ロックが好きで話が合ったみたいで
再結成のわずか二回の来日、どっちも家族で行ったっけ。2017‐2022
ってまあ昔は最強にかっけえバンドなんだよこの通り↓
でもね、ぐっちゃぐちゃになったの。
Vo.のアクセルが難しい人だったからね。俺に似てるなって思うけど。
まあこの辺りは反面教師にしてるよ。俺の軍団っぽいからな。。。
前置��長かったけど、ちょっとガンズのだいぶ好きな曲について
語らせていただきたい。
youtube
訳すぜ、この曲についてさ
アクセルを描いた初期のリアルなそんな曲。
オレの生い立ちが悪かったからこその歌詞だと思うけどさ
上流家庭で育った俺も最強の反面教師になる理由
知りたい奴だけ教えるよ。
まあ、最後に和訳するから見てくれよ、
俺をパラダイス・シティーに連れてってくれ
草が青々として、女の子が可愛い街へ
頼むからそんな街に連れてってほしいな。
俺を楽園に連れてってくれ
草がきれいに生い茂っていて、かわいい女の子ばっかりのそんな街へ
地元に連れてってくれよ
路上で生きるただの半グレさ、
石岡と俺みたいなやつらさ
俺は君の情けの対象かもな
取りあえず、、、飯食わせてくんね?
出世払いで返すからなあ
まあ、そんな奴気にしないでね
無一文から大金持ちに
皆そう言う
財と名声を追いかけ続けないとなんねぇ
ただのゲームでも人によっては全ては勝負なんだよ
絞首刑みたいに扱うんだよな
誰もが懲役にいってんだ
死刑執行室のボタンの前に縛られたまま
なんで俺がここにいるのか、よく思い出せねぇ
法務長官は息を吸ったら俺はお前らに害があると言う
煙草をもう一本吸いてぇけど見えねぇ
誰を信じりゃいいのか教えてくれよ
俺をパラダイス・シティーに連れてってくれ
草が綺麗で、女の子が可愛い街へ
魂から連れてってくれよ。
俺をパラダイス・シティーに連れてってくれ
草が青々として、女の子が可愛い街へ
頼むからそれを俺の実家として、連れ帰ってくれないか?
はるか遠くの×4
キャプテン・アメリカ政府のズタにされた
奴は今や意気消沈した政府のコマさ
奴は言ったさ
「俺を振り出しに戻してくれ、俺は気が狂い始めたに違いねえ」と。お前はメクラか?
こんなこと全て100万回見てきたことさ
行きてぇ
行きてぇ
頼むから俺の実家に連れてってくれねぇか?
見てぇんだ
どうなってるんだ?
頼むから家に連れてってくれねぇか?
連れてってくれ
連れまわしてくれ
頼むから家に連れてってくれねぇか?
見てぇんだ
どうなってるんだ?
あぁ、家に連れてってくれ
俺をパラダイス・シティーに連れてってくれ
草が青々として、女の子が可愛い街へ
頼むから家に連れてってくれねぇか?
俺に似合う
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shusdrift · 6 months ago
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桃子へ
単刀直入なタイトルでごめんね。
一番愛したあなたへ2025年の俺の気持ちを伝えたくて書くな
せいぜい天国で笑ってくれ。
嘘偽りない本音ではなす、聞いといてや。
あんたが最悪な方法でこの世から居なくなった俺の前厄、本厄は絶望だったよまず。
職場だって次で三回目だよ、考えられるか?w
まあ、一緒に桃のおなかの中に居た子供のことを考えると、
一人で生計たてて、そして桃に専念してもらえるようなキャリアにはなったんだけどなw
人生は短いって、まあやりかたはよくねえけど教えてくれたあんたのおかげ。
こっから俺一人でも夢実現するからね。
あっ、最後に語っていいか?桃子? おれお前がいなくなって本当に消えるか何度も迷った。 でも周りの、あの馬鹿どもは
救いようのねえきっもちわりい馬鹿どもは
意に反してなんか俺のこと本気で考えて
本気で助けてくれたみたい
いや。きっもちわるいね
B型はきらい。きのこ頭のカス。だから断たねえんだ、
下ネタしか言わない中身のねえだっせえ馬鹿、
エヴァでも勝手に乗っとけ、俺のカルマをわかろうとするな木幡、
茶色い俺の相棒のタイ人、
そして
俺に対して犯罪して、
片棒させようとして、
絶縁してたけど俺の好奇心で腹心まで復帰したバカデブ。
そして興味の欠片もなかったけど、
話してていっちばん気にかけてる金黒髪の女。
案外そいつのことばっかり考えてるよ。
そいつ年下だぜ?でもそいつのことばっか考えてんだ
そんなのお前ぶり、比較するのも嫌で
ついついいやなこと言っちまった
おまえだよ。二重にしなくても十分かわいいぜ。
ありがとうバカくそ共。
桃、おれ案外未だに周りには恵まれてるかも。
お前そんなバカ嫌いだったよなwww
最後の一つ!
人間はみんなよわいけど、夢は必ずかなうんだ、
甲本ヒロトの至言だよ。
おめえが一番バカだ。
一瞬の感情で逝きやがって。
まあ、また向こうで、、、、、なあ?
大好きだぜ桃
頑張ろうな!
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shusdrift · 6 months ago
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前厄、本厄を乗り切ってみた
正直全然乗り切れてないし、人生の中で最大限のダメージを喰らった。
これでもかという位のダメージを。
俺の中のイデオロギーが完全に崩れ去った瞬間でもあった。
人間って汚ねえし愚かだしバカだし利己的なヤツしかいねえんだなって本気で認識させられた。
息苦しい社会。なんも期待もしたくないし考えたくもない。躁鬱っぽい考えかな、無理もねえだろう。
ヤサシサって奴は振りまけば振りまくほど自分が損する事を知った。誰かのために尽くしてら尽くすだけ付け入るヤツばっかだったってハナシ。
もう正直疲れた。全部の関わりを絶って1人でいた方が楽なのかとも思う。
下らねえ約束も守れねえ様な奴らと居たとこで1人でくたばんのだけは勘弁してえんだよ。
お前らに振りまく愛想はねえ。使う金もねえ。
平和に結婚して家庭持って人並みに笑って行きたいだけなんだ。
異常だ。損しかねえ。
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shusdrift · 3 years ago
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嫌悪、憎悪、イデオロギー
僕は窪塚洋介が大好きである。卍ラインのファンであり、IWGPも全部見た。GOを視聴した後に某��コマリアが全面的にコラボした凶器の桜を鑑賞した。
失敗であった。この世に生を授かり21年、ここまで不快な経験は指折りに数えられるものであろう。映画を鑑賞しただけで破壊衝動や不快感で埋め尽くされた感情に支配された感覚になる映画はおそらく凶器の桜のみである。現状は。
そもそも腹立たしいのは特攻服を着ているような街宣車に乗って中身のないくだらない俗称「右翼」と愛国者の定義を同属として作中内で語ったこと。時代背景的に、と一言で片づけてしまえば済むような描写ではあるが、自分は窪塚がGOのような素晴らしい在日朝鮮人についての作品に出演した翌年にこの様な配慮不足かつ歴史的な面を理解していないうわ面の胸糞映画に主演をしたのかも疑問はなはだしい。
と言うのも、本作とGOでの在日朝鮮人への思慮と配慮が両極端の極みであった事が根底の原因である。2001年公開の窪塚主演の「GO」では、在日朝鮮人ではあるが文化的で民主的な生活を根底として生きようとしている主人公像が掲げられていたが、翌年公開の「凶器の桜」では在日をひた隠しにした反社のボスが「在日朝鮮人」のステレオタイプとして演出されていた。一年という短いスパンで同じ俳優がこのような主演を交互にこなしていては疑問しか浮かばないのが大衆心理である。
この映画の最大の胸糞となるポイントは、思想を持って活動していた軍団の若者が誰も報われずに終わる点である。うわべや面白半分で思想を掲げていた物たちは半身不随や右翼とは上辺だけの政治結社をうたった反社に利用され40年の豚箱、そして家庭環境が複雑であった主人公は誰よりも思想が強かったゆえの死。結局は反社に利用されていただけであったが。
アナーキストに若いうちは幻想を抱いてしまいがちではあるが、よく言えば本作はその様な「民主主義にそぐわない考えを持っている者」を目覚めさせられるバイブルである。精一杯に皮肉を言っているが。
本作に私が苦言したいのは、設定が中途半端すぎたこと。そしてすべてが胸糞であり、だれがこの映画を好むのか、と言った原始的なものである。と言うのもこの様な中途半端な半グㇾとアナーキストが主題の映画で純粋な正義感を持った女子高生の役柄を出演させる必要性が存在したのか、そしてそのような純粋無垢な正義、言ってしまえば三島的な正義感を持った主人公と愛国者を自称した現代の反逆者(反社会のバカ)を同類にした必要はあったのか?
本当の愛国者を最大限に否定しつくした映画であり、愛国者=ヤクザ者と言った偏見を最も植え付けることに成功した映画だと個人的に感じられるために非常に不快な映画であった。
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shusdrift · 3 years ago
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不潔な生命体、大王
1.皆様は「大王」と言う生物を存じているだろうか?
私が21年間生きてきた中で最も不潔な生物である。今回、大王専門家の私がこの不潔な生命体についてまとめようと思う。
2.大王の行動
大王(属名 oomukai)とは基本的には人間と同様のライフスタイルを送っているが、その生態は非常に凶暴である。常に体を掻いており、慢性的な脱皮行動の一つであると報告されている。普段はニホン語を発しているが、時折「ウオオオオオオオ」と言った鳴き声を発する事もあり、大抵はアルコールを摂取したい時にこの様な鳴き声を発すると推測されている。 非常にアルコールを好んで摂取する生き物であり、限界を常に越えようと飲酒している姿は一種の愛らしさがある。また、慢性的に喫煙文化を好む類まれな存在であることも報告されている。
3.大王のすみか
この様に粗暴で不潔な生物は、マンションタイプの住居の一室に住み着くことで認知されている。 基本的に大王にはものを捨てる習慣が存在しないために、常に家の中は食料やアルコールのゴミで溢れている。正直不潔な生命体であると言った認識はこの様な住居形態より伝承されていった物である。だが、ごく稀に人間に金銭を渡して掃除をさせてると言った事例が報告されている。本能的な行動であるとも推測ができる。
4.大王の見た目
さて、ここまで大王の奇異な生態を報告したが、肝心の大王と言った生物を目撃したことのない方々に見た目を説明させて頂こう。大体の大きさは158cmであり、体重は平均して80kg程度と推測されている。見た目はアンキロサウルスに近いものがあり、人間で言う「角刈り」の様な体毛の生え方をしている。余談だが、この発毛パターンが近年若者の間で「アンキロ刈り」として流行している。大王は自らの意思で衣服を着用する生物であるが、人間のセンスと比較するとやや理解でき得ない衣服を着用している。
5.大王を見かけたらどうするか?
答えは大王専門家以外は早急にその不潔な生物から離れるべきである。私たちの様なごく少数存在する大王専門家には非常に友好的な生物であるために、友情表現として過度のアルコールを摂取させてこようとする少々厄介な生き物程度であるが、大王は先述の通り非常に凶暴な生物である為、専門家以外の人間には自ら肩をぶつけに行き因縁をつけ、横暴な態度で叫び出すために、一般の方々はこのコンパクトで不潔な生き物を目撃したら避けるべきである。だが、大王は自分よりも怖そうな人間には体当たりを避けるため、大王の標的である女性や真面目そうな人は注意してほしい。
6.総評、「大王との共存」
前述の通り、大王とは人類の脅威になり得ない危険な生態である。だが、この不潔な生物は自身を理解し、また趣味が一致する人間にはとことん忠誠を尽くす生物であるために、日本国宮城県に存在する某ガールズバー店員には忠義を尽くしている。また、私自身も大王研究を開始してから実に3年半の月日が経過していいるが、不潔で粗暴ながらも憎むことのできない絶滅危惧種であるのだな、と考えられる様になっていた。要は、大王に気に入られれば問題はないという結論である。
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shusdrift · 3 years ago
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八柳とQOL 2022
 私が最近考えていることは、いかにして健康で文化的な生活を送ることが可能になってくるのか、と言うことであり実践をしている。
 QOLという言葉とは正反対な生活を近頃送っていた私は、21歳ですでに階段で息切れがするレベルに到達していた。生活を振り返ってみれば酷いものであった。友人と頻繁に飲酒、その度に増え続ける喫煙量、移動手段は中型バイクや自動車であるから酷いものであり、QOL、健康で文化的な生活とは程遠いものである。流石にまずいと感じ、少々自分に酔っていると言われそうなレベルまで文化的な生活を送ってみようと決心したのはつい二週間前のことであった。我ながら極端な男である。
 この様な経緯もあり私は文化的な人間になろうと決心したのだが、行なっていることは全て高校時代の生活の二番煎じである事に気がついた。高校の時に私は休日になると決まって早起きをし、無心で自転車を漕ぎ、行き着いた先にあったパン屋でパンとブラックコーヒーを決まってテイクアウトし、図書館で借りた本を読みながら80sの音楽を聴く、と言った生活である。我ながら気取っていたな、と感じるがなぜかとても健康状態も精神衛生も素晴らしいものであったのは間違いがなかった。
 その際によく聞いていた音楽はロックもあれば、安いシンセポップも多かったのを記憶している。特にシンディ・ローパー辺りを聴きながら始まる1日はなぜか希望に満ち溢れていたな、と回想している。逆に言って仕舞えばオリジナリティを意識しすぎていたな、とも考える。想像してみてほしい、吉川晃司に憧れてダブルスーツのセットアップで投稿する高校生を。私なら友達にはなりたくないが、なぜか友人には恵まれた。不思議なものである。
 さて、話が脱線してしまったが最近の私のQOLの促進術の一つは読書である。中高生の頃までは自ら活字本に触れていたが、近年はすっかり疎遠となっていた。
 久々の読書との再会に私が選んだ本の作者は三島由紀夫である。リハビリには少々難易度が高すぎたことは事実であるが、引き込まれていったのもまた事実である。まるで私の愛車、マツダ・ロードスターのようである。人馬一体で車を運転しながら車と同化しているあの感覚のように、本の中の少々ダークな三島由紀夫の世界に吸い込まれていった。宮城県図書館は目の前がガラス越しの森であり、まさに健康的で文化的な、そして知的な時間を過ごしている気になれる。自身に心酔できるためお勧めである。
 だが、やはり私の中で一番好きな小説家は伊坂幸太郎である。非常に軽快に読み進めることができる。だが、裏を返せば外を見るとすでに暗くなっている、と言った結果になり得ない。
 文化、という物は非常に素晴らしい。音楽ももちろんのことだが、皮肉の文化を学ぶと言った行為は非常に深いものであると感じている。
 1980年代のアメリカで流行したヤッピー文化は、まさに人々の憧れの象徴であった。だが、1990年代にはそれは皮肉の象徴となった。
 音楽文化で非常に似ている例を挙げるとすれば、ガンズ・アンド・ローゼズとニルヴァーナと言った関係といえよう。豪華で飾り気のあったガンズをどこか退廃的な雰囲気のあったニルヴァーナは批判した。まさに似たような関係性である。
 そもそもヤッピーとは何か、決して酒井法子が発した死語を指しているわけではない。
 ヤッピーとは、主に20代後半から30代後半の名門大学または大学院を卒業した高学歴で高収入の人物を指す。金融関係などのエリートサラリーマンや医者、弁護士などがこれらに当てはまる。最も重要なのは彼らのライフスタイルである。ブランド物の服に身を包み、高級マンションに高級な家具をそろえて暮らし、予約が困難な人気のレストランで食事をすることを好み、BMWの様な高級外車を乗り回す人々を表す。まさに港区民である。彼らはルックスへの執着心も強く、男性でもダイエットやスキンケアを欠かさない。ある意味文化的な生活であると考えられるが、1990年代以降の文化形態の違いから、彼らは尊大で、他人を見下し、物質主義かつ拝金主義に支配された人々というイメージへと、それまでの羨望の対象から変化していった。他人には自分が金持ちであることをひけらかし、贅沢な生活で自己満足に浸ると言ったイメージが定着し始め、彼ら同士の付き合いも表面的で、見栄を張るための名目上の友情。彼らはお互いがどれほど裕福か、どれほど見た目やセンスがいいかの競争対象として人付き合いをしているイメージが定着していった。
 まさに、映画スカーフェイスで描かれているようなイメージであるなと感じているが、規模は違えど私の生活スタイルの変化はまさに1980年代から1990年代の米国の文化形態へと変化していっているのではないかと考えている。
 言ってしまえば無意識過剰的な90年代の様な退廃的文化、に変化しているわけではないが、やはり金銭を派手に使用して行動をすることが多くなっていた私が、本質的な文化と教養は何か、と再認識している。まさに私の中の1990年代が幕を開けた。COMPLEXの名曲「1990」が心なしか脳内で流れている。
 健康的な文化の���義づけは非常に有意義であるが難儀なものであると私は考える。肉体的な健康を求める方法は万人に共通するものである。そのため私は肉体的な健康の為に散歩を始めた。だが、精神衛生面での健康とは千差万別である。
 これは私の例ではあるが、私自身は案外精神衛生上の健康と肉体的な健康は案外共通項が存在していた。散歩はまさに私にとってその両方を共通して担うものであった。
 斯くして私は健康で文化的な生活に近づいていると考えてはいるが、所詮健康文化を追求する行為もまた、自己満足である事には変わりがない。ある種の悟りである。
 大衆文化の象徴は10年単位で分岐を迎えている。なぜだか明確な理由は理解できないが、日本の大衆文化の流行を考え直すと不思議と10年単位で分岐点を迎えていることが理解できる。煌びやかな時代も存在すれば、退廃的な空虚の美学がもてはやされる時代は米国も日本も相違なく訪れていることは間違いない。
人間みな、流行が変化するとそれまでの自分の中のポリシーまでもが全く異なるものとなり得ない。だが一つ私が心掛けて行きたい事、それはどの時代が訪れて、どの様な流行が生まれて、そしてどの様にライフスタイルが変化しても、その時々に自分が行なっているライフスタイルを好きでありたい、と考える。
 生活をしていく上でライフスタイルの変化はつきものである。その際に自身が触れていく文化の変化、そして自分自身の関心の変化はつきものである。
 あるときは派手なものを好むことはあるだろうし、またある時はそれらに疲弊して自然的なものや大人しいものを好む事になるかもしれない。人生はまだまだ長いのだから。
 だがやはり、自分自信が多少ナルシズム的な、言ってしまえば自己陶酔に陥っているレベルでも自分が触れている文化を愛し、そして精神衛生面を良好に保った状態で生活をしていくこと、それこそまさにQOL、健康で文化的な生活を送るという事なのではないか、私は考える。
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