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やせたい。食べたい。尻ぬぐいする人生
わたしはやせたいんだろうか。「痩せる」という言葉はなんか違うような気もする。ダイエット?ボディメイク?脂肪を減らして筋肉をつける。体重を落とす。わたしが「やせたい」と思うとき、ほんとうはどうしたいのかをよく考えなければね。
食べたい。おいしいものを買って食べたい。でもお金がない。朝ごはんを食べるなんて悠長なことを朝出勤前にはできない。休みの日だって起き上がれるのは午後になってからだ。いつもいつもおなかがすいてる。心も空腹。ずっとずっと食べたかった。苺と生クリームのショートケーキ、ピアノ教室のクリスマス会でしか食べられなかったシュークリーム、ねぎまのねぎをもらって食べていたという焼き鳥(ぜったい肉のほうがほんとは食べたかったんだと思う、今から考えれば)、おやつにポテトチップス、チョコレート菓子、アイスクリーム。米よりパンが好きだったけどパンは週末の朝にしか出てこなかった。夜ごはんにはお肉が食べたかった。山盛りおなかいっぱい、「もういいや」ってなるまで。
頭いいね、大人っぽいね、おとなしいねと言われてきた子ども時代だった。でももっとかわいいねって言われたかった。がんばったねって言われたかった。無邪気にふるまって、かわいくにこにこ笑って、のんきにおしゃべりを楽しんで、悲しいときには機嫌をとってほしかった。
でももうわたしは子どもではない。 もうすでに子どもではないわたしを、子どもに対するようなやり方で甘やかすことは、全然ちがう。むなしい。みじめだ。わたしの子ども時代はもう二度と戻ってこない。時間は巻き戻せない。ほんとうはもっと無邪気な子どもになりたかった。でももうできない。どこかにぽっかり穴があいているような感じ。でもその穴はもう埋まらない。一生この穴を抱えて生きていくしかないわたしは、何かやり方を考えなくてはならない。もう子どもではない自分をどう扱うか、その方法を。
わたしはわたしになりたい。でもなるべきわたしってなんだろう。25歳になってもまだ全然わからない。 内向的で他人のことがだいっきらいで誰ともほんとは関わりたくなくて誰にもわかられたくなくて誰とも話したくなくて誰にも興味なくて誰にも興味を抱かれたくない。でもかわいくなりたい、美人になりたい、他人から一目置かれたい。
尻ぬぐいする人生。 中学生のときも部活を最後までやらずに逃げた。中途半端。高校生のときは幽霊部員になって帰宅部してたしクラスにもなじめなくて友だちもできなかった。大学はなんとか卒業したけど卒業しただけ。もっと勉強すればよかった。なんにもできない日々が続いてほんとにつらかったな。ポーランドにも1年行ったけどなんにもしなかった。ポーランド人と交流するでもなく勉強するでもなくけっきょくB1も取ってないしただただつらかった。ポーランド語を話せるようになってB2を取ってポーランドの歴史を勉強して卒論ももっとまともなものを書けばよかった。カフェとかレストランとかでバイトすればよかった。もっとちゃんと就活すればよかった。 そう思うなら今からでもやればいいのかな。尻ぬぐいですらないのかもしれない。
財布にクレジットカードが入っていれば見境なくお金を使って、クレジットカードを抜いても財布の中のなけなしの小銭でお菓子を買って、次の日の朝起きたらやろうと念じて眠りについても翌朝起きられずにやることがたまっていく。わたしには自制心がない。そういう自分がほんとうに大嫌いだ。
3月。たまにあるかないかの2連休、まるまる彼氏と過ごして、やろうと思っていたことはできなかった。なんか急に異動を言い渡されて、でも今月も応援で来ることになるからと言われて別れを惜しむべきなのかなんなのかよくわからなくて疲れた。応援に行くのはいいけどいちいち靴を持ち歩くことになるのがすごく嫌。あと面談で休憩室には入りたくなかったのに入ることになって嫌だった。5000円分の商品券を使うためには5000円お金を使わないといけなくて急に買いものをしてすごく消耗してしまった。けっきょく7000円くらいは使っちゃったんじゃないだろうか。アップルパイはおいしかったな。
一人で行った卒業旅行でようやくポーランド語を抵抗なく話せるようになった。外国語を話すことは人格を増やすことだと思う。でもわたしはそもそも人格を増やして話すことが自分に許可されているとは到底思えなくて、わたしも話していいんだと思えるようになるまで5年かかった。だからやっぱり尻ぬぐいですらなくて、ただ漸進しているだけなのかもしれない。<br> 大学になんか行かないで、さっさと就職して自分で稼いだお金で生活してみればよかったのだとも思う。とにかく実家から出たかったし、実際一人暮らししながら大学に通ったけど、経済的な自立ができてようやく呪いが解けてきたと思う。これをずっと求めてた。そういう意味では今のほうがずっとまし。
睡眠は健康への投資だと言い聞かせてちゃんと睡眠時間を確保する。 部屋を暖かく保つこと、夏はクーラーをつけて過ごすことがこころにも効くという発見。
いつでもポーランドに2週間行けるだけのお金をまず貯める。 引っ越し代も貯めないと引っ越せない。 フェイスラインがないのがいちばん嫌なので脂肪を落とす。そのための食事をする。 ギャルになりたかったな。あとソプラノ。それからピアニスト。何も叶わないうちから、何も努力をしないうちから、言い訳も作らずただそっとあきらめてきたことばっかりかもしれない。最近はずっとそういう気分。そういう解釈で過去を振り返っては悲しんでいる。わたしは何ひとつできる気がしなかった。許されていないと思っていた。許可が欲しかった。そういう呪いだった。 だから尻ぬぐい、あるいは漸進を、25歳になったって続けなければね。今さらそれ?とわたし自身も思うけど、まだ25歳だとも思うから。
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漸進
「あけましておめでとう」とは言いたくない気分だなと書いているひとがいて、わたしも今年はそういう気分かもなと思って、おめでたいとは思えなくてもまあいいか、と思えた。 2021年。丑年。25歳になる。 大晦日は家で過ごせた。2020年の労働でいちばんつらいというか、大変というか、気合い入れる必要があったというか、そんな感じの日だった。労働を終えて家に帰ってきてすぐお風呂に入って、ベッドに腰かけて白ワインを飲んだ。ブルガリアのワイン、いつだか買おうと思って三浦屋に行ったらなくなってたやつがあったから選んでしまった。2021年末はスパークリングワインを選ぼうと思う。 2020年はどんな年だったかな。 ・引っ越した。三鷹から吉祥寺へ。シェアハウスから1K6畳のマンションへ。これは今日思ったんだけど、ようやく一人暮らしに戻ったんだな。2017年の2月に東小金井のアパートを出てから3年、ポーランドの大学寮の2人部屋、ヨーロッパのホステルのドミトリールーム、実家暮らしと���ェアハウスを経てようやく一人暮らしに戻ってきた。2014年の春のわたしは一人きりの家にいることを「底が抜けた」と感じたけれど、たぶん底は抜けていなくて、たぶん一人暮らしはとても楽だということなのだと思う。家事を自分でやるのはほんとにつらいけど。何時に寝てもいいし何時に起きてもいいしいつ何をどこで食べてもいいし食べなくてもいいし深夜にお風呂に入ってもいいし一日中冷房をつけて寒くなったら消して暑くなったらまたつけて、食器は洗う覚悟が決まるまでためておけばいいし洗濯も1週間に1回すればいい。お皿とか洗濯物とかたまってて全然できないとつらいけど。家族の顔色をうかがったり食事をいっしょにとったり同居人と洗面所使うタイミングがかぶらないように気を使ったりしなくていいのは楽だなと思った。そういう3年間はそれはそれでやっぱりつらかったなと思った。 ・ぴかぴかのシーリングライトを買ってつけた。ベッドを買ってベッドで眠る生活になった。テーブルランプも買った。かわいいカーテンも買ったしデスクと椅子も買った。
・11月に1口ガスコンロをようやく導入した。3月に引っ越してからずっと400mlの電気ポットだけで生活してたけど、9か月めにしてやっと気力が養われて決意がかたまった。ガスコンロを手に入れたことは、まちがいなく、前進だと思う。引っ越して、ベッドを買って組み立てて、コンロを手に入れて、鍋と砂糖と塩を買って、キッチンハイターを買ってトイレ掃除用品とお風呂掃除用洗剤を揃えて。たぶん全然進まないよりは、ひとよりも時間がかかってもちゃんと前進しているほうがいいはずだと思う。そう信じてる。 もう25歳になるのがほんとうに信じられない。実感がわかない。何度も言っていることだけど、自分がどんな25歳になりたいのかをまったく想像してこなかった。25歳になれるなんて思ってもいなかった。何歳になったら大人なのかわからなくて、大人になったらということをずっと先送りにしていたけど、気づいたら25歳になるんだって。25歳は大人かな?25歳は大人だと思ってた。背が高くてスタイルがよくて綺麗にお化粧してハイヒールを履きこなして都会を歩くひとが25歳で大人なひとだと思っていたけど現実はちがうな。現実はちがうしわたしはけっきょく何になりたいのかからまずわからないという状態でわりと困ってる。そういえば体重計も買ったな。体重を測るようになっても別に体重が落ちたりはしないということがわかった。 コンロを買って鍋を買っても家で夜、仕事終わりに料理をして食事をすると思うとぞっとして仕方がない。でもまだもう少し試行錯誤できると思う。 2020年は本もいっぱい買ったかも。買うだけ買って読んでないけど。古本を買うのが楽しくなってきてとてもよい。古本を買う自分は嫌いじゃない。25歳のうちに本棚を手に入れることを目標にしようかな。 髪が伸びた。へそのところまである。なりたい自分がわからないという話と同じことだけど、どんな髪型にしたいのか全然わからなくて困ってる。でも胸下より長くなるとどこまで伸ばしてもあんまり変わらないかなと思うのでそろそろ切る。そういえば(「そういえば」しか言わないな、このポストは)コテというものも買ったね。すごい、ほんとに小さなことの積み重ねだけどそれなりにがんばったな。ものを買うってすごく気力が要ることだけど色々買ったんだな。がんばったな~~。 コロナウイルスに負け続けた1年だったな。打ちのめされた。お金はないし働かなくちゃいけないしでみじめな1年だった。2021年もたぶんみじめだけど、たぶん勝てないけど、まあ死なない限りは生きる。なんとか。生活はむずかしくて正解がわからなくてふつうもわからなくて、でも別にふつうになりたいわけじゃないんだけどほんとうは、子ども時代への後悔と執着も相変わらず消えず、食べることとの折り合いもつかないし呪いもすべては解けないままだけれど、なんとか生きる。死なないからね。わたしはわたしのことが全然好きになれないけど、すこしは好きになりたいと思うので、そういう観点からがんばってみるつもり。 なるべく断言ときれいごとを避けてみたら後ろ向きな結びになってしまったけど、まあそんな感じで、終わり。
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生きづらい気持ちは消えないし、怒りと恨みと後悔と劣等感と無力感が湧き出てきて妖怪みたいになってるし、アンガーマネジメントはできないし、アンガーマネジメントができない自分に心底嫌気がさすし、食べても食べても次の日にはお腹がすくし、心の空腹がなくならないけど、まあたぶん、きっといつかには心はお腹がすかなくなるかなと思った。というよりたぶんまだ24歳になってもずっと心は空腹のままだということなのかなと思った。25歳になったら心の空腹がおさまるのか、それとも30歳になったらなのか、40歳になったらなのか、まあもしかすれば死ぬまで心は空腹のままかもしれないけど、それならそれでしょうがないなと今は思う。またそのうち心が空腹な自分のことをどうしても許せないと感じるときもくると思うけど。
30代のひとが近くにいたことがなかったので、30代というのがどんなものか全然わからない。わたしは今まで「正解」を見つける訓練しかしてこなかったから、誰にも「正解」を教わってないこととか、そもそも「正解」があまりないこととかがすごく苦手だ。だから大学受験の勉強は得意だったし、人生も生活も、「正解」がないし「暫定解」ですら見つけられないので苦手だ。仕事もなるべく「最適解」を探さなければいけないのでとても疲れる。
どうしたってわたしはやっぱり自我の形成が終わってない。慰めでしかないけど、30歳をひとつの目安にしようかな。あと5年ね。何回も書くけど、2011年の11月(高1)、2015年の夏(大2)、2017年の6月(ロンドンにいたとき)、まあほかにもいろんなタイミングがあったけど、全部逃して、かれこれ9年近く自分と折り合いがつかないってすごいなぁ。いやそんなにか。9年。全然呪いが解けない2020年。
電子ピアノがほしい。
小林エリカの本をちゃんと読みたい。『親愛なるキティーたちへ』、『マダム・キュリーと朝食を』、『光の子ども』。
読書したいな。『旧ドイツ領全史』も買って読みたい。『ニュルンベルク合流』も最近手が伸びてないけど読み進めたい。
"""世界観"""の作り込みが足りないなと思う。これも呪いと言えば呪いだし、まあこういう言い方が不適切だと言うならつまりわたしが怠惰だというか。食べものに1日3000円使えるのに家具、化粧品、雑貨には3000円/アイテム出すのとをなぜか躊躇してしまうということとか。食べること、一度見たアニメをだらだら流し見すること、家の掃除をしないこと、そういうことしかできないのは怠惰だ。鬱でもあるんだけど。でも、鬱でも家事をできるようなシステムを作り、「やったことになる」ラインを設定し、日々の自分の状態を精査して、なるべく「やったことになる」ラインを下回る日を減らすことだ。それができないわたしのことはわたしはけっきょく好きになれないのだから。
とりあえずコースターを編もうかな。
「規則的な不規則」をつくる。週に一度夕食をxxかxxかxxでとる。とか休みの前日には白ワインを飲む。とか。そして食事はやっぱりルーティーン化しないとだめそうだ。家ではなるべく何も食べないようにするのがよい。なるべくね。豆腐と納豆と今あるシリアルくらい。あとはお茶とお茶うけの軽いお菓子とベビーチーズとパン屋さんで買ったパン。誰かが作ってくれたもの食べたいな~。ほんとは。
明日からわたしの9月はスタートする。
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5 2020・kaltes deutsches Essen・豆の時間
自分が24歳であるということを思い出して���びっくりする。というかぎょっとする。こんな24歳になっていることをまったく想像していなかった。そもそも、私は私がどんな「おとな」になっているか想像することを避けてきた。未来なんか全然見えていなかった。2017年の6月にロンドンのホステルの共有スペースに座って考えていた「尻ぬぐい」をいまだに続けている。それでも2年前(それももう2年前!)の秋だか冬だかにふと思ったように、そしてこの1年なんとか働き続けられているように、ほんとうのところは、少しずつ私は変われている。わたしはずっと自分探しの途中だ。自我の確立が全然終わらない。あるいは「遅くきた思春期」が。 引っ越しが終わるくらいから、また過食の頻度が増えてしまっている。生活すること、家で過ごす時間のこと、どうしても好きになれない。生活することは、わたしにとってすごくむずかしい。このコロナ禍のストレスもよくない。お金も時間もないからステイホームしたくてもできない。わたしもパンつくってケーキ焼いて編みものして過ごしたかったけどできなかった。わたしは料理もむなしくなるのが嫌でできないけど、かと言って家でひとりで買ってきたものを並べて食事することもそんなに好きじゃないんだなぁ、たぶん。 "Nie jestem miłą osobą." かと言ってひとと住むのもそんなにうまくいかなかった。すごくすごく憧れていたけれど、やはりとでも言うべきか、わたしのいる場所にはならなかった。ざんねんだけど。「社会人」2年目で吉祥寺の家賃8万円の家に住む、どうやらこれがわたしの人生のこのフェーズのようだ。コロナがこんなことになるとは思わなかったな~残業代いっぱい稼ぐつもりで引っ越し先決めたのにな~時勢に負けたな~。 わたしはコンプレックスのかたまりだ。自分のことをいまだにぜんぜん好きになれない。もっとここがこうだったらな、っていうことがいっぱいあってつらい。たぶんわたしは移民一世にならなければいけないね。父も母も何を楽しみに生きてるのか、何のために働いてるのか、まだ子どもだったわたしには何も言わなかったし今さら聞こうとはあんまり思えない。彼らの「生活」は、わたしにとっては解くべき呪いでしかない。呪いを解くために、わたしはとりあえずこの会社で働くし、いつまでもこの外見でいちゃいけないし(つまり体重をもうすこし落として筋肉をつけ、脂肪を減らさなければならない)、食べたいものを食べ、ほしい本を買い、たくさん本を読んで音楽を聞いて絵を見て映画を見なくちゃいけない。わたしはわたしにならなくちゃ。もう24歳も3分の1が終わったよ。 ミニマリストになるつもりはないけれど、今持っている服を減らしたいという気持ちに取りつかれている。下着、パジャマ、部屋着、そして外出するときに着る服、カーテンとかバスタオルとかベッドまわりとかキッチンまわりのファブリックの色味をそろえて、アイテムも厳選して減らしたい。そうしたら、生活のノイズがさらに減って快適になると思う。そういえば、ここ2年でやってよかったことのひとつに、全身黒ずくめになれるように黒い服を増やしたことがある。黒ずくめがわたしの肌のトーンとか体型とかそれまでのイメージとかと合ってるのか合ってないのかはわからないけど、真っ黒いかっこうをしていると落ち着くということが、実践したことによってわかったのでよかった。 最後に。 「人間がいくら薪をくべても、豆は豆の時間でしか煮えない」 アフリカのことわざだという。いい言葉だなと思って、ツイッターで見かけて以来ふとしたときに思い出している。豆の時間。人生は煮えすぎたり生煮えだったりする豆をどうにかしようと試行錯誤する創作料理なのかもしれない。 明日またラストまで労働したら、あさってしあさっては休み。2連休。いろいろ手続きをして、洗濯して、恋人と会う。手の爪も足の爪もガタガタになっちゃった。またきれいに伸びるのを待とうね。
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2020🐭
こんばんは。めちゃいまさらだけども2020年の抱負てきな文章を。ずっとメモ帳に書きかけを残しておくのもなぁ、ということで。 ・顔をつくる。からだをつくる。 1月に53kg台という、ここ4年で見たことない数字を一瞬叩き出したけれど、幻だった…。それでも体重を落とすコツ・食べすぎないコツのようなものをつかみかけてきたので、のんびりやっていきたい。引っ越しが嫌すぎるのとかそのほかぼんやりしたストレスで2月は食べまくっててダメダメだけど。 前髪をね、どうしても伸ばしていたくて1年半伸ばしてきたけれど、「前髪作らないの?」と他人に聞かれてすごくわずらわしい。わかる、わたしは前髪あるとすごくかわいいんだよね。でもねえ、前髪はまだとうぶん作らないからね。たぶん。 ・なりたい"""社会人"""像としての佐藤さん�� 去年の11月の巣鴨研修を経て北千住に異動になってずいぶん仕事に前向きになった気がする。もちろん労働なんかしないで済むならこれっぽっちもしたくないけども。でも高校生のときのバトン部の子たち、大学生のときのみゃあちゃん・ゆうりさん、みたいな、追いかけたいモデルをようやく見つけたかもしれないなぁ、と思った。そして3月からまた異動。それなりにやる気になれたことは喜ばしいな。 この調子でメモに残ってる項目ぜんぶ書くのだるいのだがやります ・オルガ・トカルチュク読む ・小林エリカ読む ・ライブ・コンサートに行く Minato、プールと銃口、Maika Loubtéのライブに行きたいな。クラシックのコンサートとかオペラとかにも行きたいな。 ・アフタヌーンティーに行く ・深大寺、神代植物公園、ジブリの森美術館、カフェロシアに行く ・「外見が整えば内面も整う」 あるいは幸せになるための努力を怠らないこと。あるいはじぶんの機嫌をとるということ。 ・機嫌をとる、とは? いつでも「ご機嫌」であるかのように「演出」すること。ドライ&クールに、内心では自分に甘く他人にはきびしく。 ・ものを減らす。捨てる。 これも、毎年言ってていつまで言ってんだという感じなので、がんばってものを捨てる。とにかくこれに尽きる。がんばる。 ・人権とindividualism わたしはおとこかおんなかにんげんか。にんげんらしく生きたいと思う。にんげんとして生きたいと思う。にんげんどうしとして関係を築けたらいいと思う。わたしはなんだかんだ言っても、自他の境界を溶かしてしまうような恋愛のしかたしか知らないっぽいけれど、そしてそういう恋愛はほんとうにきもちいいけれど、なんとか自我を保っていたい。それがつらいことでも。 ・フルーツパーラーに行く、美術館に行く、古着を買う、音楽をする、たばこを吸って本を読む、憧れる行動がいっぱいあるの、こうして書き出すと恥ずかしいけど、わたしはもう子どもじゃないので、やってみたいことはお金をかけてやってみるんだ。そういう決意。ひきつづき、呪いを解いていこう2020。 ・てしごとをする ヤオモモがマトリョーシカをぽこぽこ出しつづけるシーンがすごく心に残ってる。 てぶくろとマフラーを編む。オーガンジーできんちゃくを作る。ベッドカバーをつくる。
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このまま一人 どこか遠くへ行ってしまいたい程
恋焦がれて見た夢/絢香 --- 絶望。ずっと、うっすらとした絶望がまとまりついている。もはやまとわりついているのが当たり前になって、絶望していることに気付かないくらいにずっと。でもふとした瞬間に気付いてしまう、あるいは思い出してしまう。わたしは絶望しているのだと。 うすい、軽い、それでもたしかな絶望にやられないように、なんとかギリギリのところで持ちこたえている毎日。ふっと何もかもがどうでもよくなり、明らかな破滅のほうに向かいたくなり、幸せになるための努力をやめてしまう。ずっとずっとそうだった。今でもそうで、なかなか変われそうにない。たぶん子どものころから、わたしはずっと、絶望していたんだろう、と、今のわたしは思う。後付けかもしれないけれど。 絶望にやられてしまわないように、ギリギリのところで持ちこたえようとする感覚を、わたしと彼氏とはそれなりに共有していると思う。ほんとうにギリギリの崖っぷちに毎日立っている。わたしたちは毎日ちがう、でもよく見慣れた崖っぷちに立って、踏みとどまっているのだ。 2019年12月中旬の、怒濤の1週間ののち、年越しを経て1月まるまる、二重生活を送ってしまった。わたしは一線を越えてしまったようだな、と、いつもの絶望に身をゆだねながら考えていた。あきらかにもう11月のわたしには戻れない。人生のフェーズが、この4年くらいずっととどまっていたところから動いてしまったようだ。だとしたら、ここからわたしはどう生きる?久しぶりの「恋愛」で自我を溶かしかけてしまい、何がなんだかわからなくなって、さらに睡眠不足でつねに頭が働いていなかった1月。でも、冷静に慎重にミスをしないように時間を・関係性を積み上げていかなくてはならない。たぶん。きっと。 どう生きる?溶けかけた自我、まとわりつく絶望、抜けた底にはまだふたをできてない。ねずみ年、24歳、どうにか踏みとどまり続けられるように。
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破滅、あるいは崩壊のあと
わたしはわたしの世界にあったいろいろなことを崩壊させてしまったあとを生きている。朝ごはんは食べられないし、1食で1日ぶんのカロリーを摂取してしまうような食事しかできなくなって3食食べるという概念を手放したし、自分のために料理するとむなしくかなしくなるのが怖くてできないし、明日の自分を信用できないし、恋人がいてもほかのひとを好きになってしまう。 怒濤の一週間が過ぎ去っていった。そういえばわたしはつねにすきな男がいたなぁと今日になってやっと思い出した。わたしが振りまく優しさのような何かは、優しさに見えてもぜんぜんちがうものだし。優しさに見えるように取り繕った、わたしの必死な願いでしかなくて、ただわたしのためだけに発揮されているものだから、優しいねと言われてちがいますと反論したけれど、どうちがうのかを説明できなかった。でもやっぱりわたしは優しくなんかないんだ。すごく必死だしそんなわたしはわたしにとってみじめだ。そして、相手を巻き込んでしまったことにも落ち込む。自分のことしか考えられないわたしは嫌なやつだと思う。 大学の同期に会った。語学の教室に通いたい・通っているという話、ポーランドへの情熱を語るその口調、飲むお酒のチョイス、楽しい夜だった。 30回洗濯したいな。洗濯機も掃除して。シャワーを浴びる時間は長くて1時間くらい洗面所から出てこない。自分の部屋はものすごく掃除している。なのに、当番のトイレ掃除やお風呂掃除はしない、という矛盾を抱えている。やっぱりこの1年はあくまで準備段階だったというか、妥協の結果だったというか、とにかく「本番」じゃないなという気持ちにしかなれなかった。じゃあいったいいつからが「本番」なのか?というのをずっと思ってて、でも勇気がでないというか、覚悟が決まらないというか、ずるずると仮の生活を続けている。……っていう、いつもの話に戻ってくるわけか、けっきょく。この家を出よう。お金もないし気力もそんなにないけれど、やはりまたここもわたしのいる場所ではないだろうなと思っている。ほんとうに残念だけれど。 2019/12/20 怒濤の一週間が過ぎ去り、9時間睡眠をとって、恋人に会って、かなり、落ち着いた。巻き込まないように、相手が困らないように、「たのしく」、できたらいいな。 呪いをとく人生。旅のあとの片付けはめんどうくさくて嫌なことなので、機嫌を悪くしなければならない。家事はてきぱき、最短の時間で最大効率でやらなければならない。そういう、別に呪いでもなんでもないような、でも気づいてしまったらもう元には戻れない、いろんなものごとを崩壊させていかなければならないんだと思う。崩壊させたくなかったものだっていっぱいあるけど、わたしはもう破滅の・あるいは崩壊のあとの世界を生きている。
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I've come so far
10月は秒で終わったな~ 文章を書きたかった。おはなしを書きたかった。音楽をやりたかった。ピアノを弾いて、歌をうたいたかった。ソプラノになりたかった。自分の外見に全然満足できないままもう8年だ。 かわかみくんの文章、妹の文章、すみれさんの文章、「よい」文章を読むたびに落ち込む。すしを握るスピードはぜんぜん速くならないし、魚の仕込みもうまくならないし、何もかも気に入らない。 それでもたぶんわたしはかなり変わったんだと思う。2014年の9月から、2015年の5月から、2016年の3月から、2017年の2月から。でもぜんぜん足りない。遅い。こんなんじゃ全然ダメだという思いが消えない。 「ダメになりたい」という願望めいたものがずっとあって、ずっとそれに負け続けている。自分がよりよくなろうとすることをどうしても認められない。わたしはたぶんメンタルも頭もおかしいけれど、平気なふりをして、「ふつう」のひとのように振る舞おうとしているからつらいのかもしれないな。
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8/2019
2017年7月半ばにグタンスクのホステルで洗濯をするまでの1か月間、どうやって生きていたんだろう。夏だったのに。そういう些細だけど重要な部分はほぼ覚えていないんだなあ。ヴロツワフでの夏セメスターが終わってビザも切れるからシェンゲン圏を出なくちゃいけなくて、寮を退去しなくちゃいけなくて、あとそもそもクラクフのアプライ騒動やその後のあれこれで疲れきっていたあの6月。ロンドンとエディンバラでひたすらカフェをはしごして散歩してほかには何もせず、毎晩シャワーを浴びてから寝ることだけを目標にしていたあの期間は、わたしにとってとくべつだったのかもしれない。 さて、2019年8月。お盆の季節だからなのか、「ここではないどこか」への思いが募った。とにかく「今ここ」にうんざりしてしまった。留学と旅行の日々をなつかしく思い出すばかりだったし、また旅に行きたいとだけ思って労働をやりすごしていた。でも、わたしにとって旅とは何なのかな。都市スタンプラリー?人と出会いたい?食い倒れ旅?「自分探し」?……たぶん、非日常がつづくことに焦がれているのだろうなと思う。わたしはいまだに、淡々と日常をつづける努力ができずにいるから。 こどもだったころのわたしは、すきなものをすきなときに食べたくて、すきな本はぜんぶ買って手元に置いておきたくて、すきな服を着ていたかったけどどれも叶わなかった。それらの「やりたかったこと」を、23歳・"""社会人"""1年めになってようやくやっているのだ、だから浪費するのも仕方ないのだという6~7月のまとめ。でも、わたしの「かわいそう」なこども時代は清算するべきものであって、いつまでもしがみつくものではないのだ。そして、そろそろもういいかなと思うようになったこの8月。こども時代の次の時代でやり残したままになっていることがあって、今度はそれを思い出した。それが旅。2017年2月~2018年3月、2019年2月のおよそ13か月間に行きそびれた場所が山ほどあるのだ。やっぱり行きたい場所に行ってから死にたいので、行くことにした。���ベリア鉄道に乗って、モスクワとサンクトペテルブルクに行って、中央アジアに行って、コーカサスに行って、南スラヴ語圏・バルカンの国ぐにに行って、チェコを一周して、オーストリアに行って、オランダとベルギーに行って、バスク地方に行って、パリに2週間くらい滞在して、ロンドンにも1週間くらい滞在して、イギリスを1周して、アイルランドにも行って、北欧に行って、バルト3国に行って、カリーニングラードに行って、ポーランドのシュチェチンとかオポーレとかマズーリ地方とかまだ行ったことのないところに行って、スロヴァキアとウクライナ国境の山に行く。2年くらいかけて。ニューヨークとイスラエルにも行きたいな。『GOSICK』のニューヨーク、中東欧移民のニューヨーク、ユダヤのニューヨーク。 まずは500万円ためることが目標になった。このまま仕事をつづけるか、転職するか。ワーキングホリデーの制度を使ってポーランドに拠点を作ると旅しやすいかな。わたしは1月で24歳になる。そう考えるとあんまり時間がないんだな。恋人と暮らす?いろいろ考え始めたので、こども時代のことはふっ飛びつつあるのだ。 今日は9月3日。だいたい月の始めはなんだか憂鬱で投げやりな生活になってしまう(実際今月の始まりもそんな感じになってしまって不満、不満もなにもぜんぶ自分がやってることなのだが)。家は家で、いろいろ思うところがあってあんまり満足できない。暮らしの写真の裏側、当番に対する信頼、わたしという個人に対する信頼、やっぱり夜にキッチンから声がすると今夜も眠れないのではないかと思ってすごく恐くて嫌な気持ちになる、洗面所が空いてるか帰ってくる人はいないかうかがうのも消耗する、etc.。東小金井時代の最後は生活が完全に崩壊していて、失意のうちに留学生活が始まり、なんとかバランスをとって生き延びようととしていたのが留学中の1年だった。実家での1年はまた別の方向につらいものがあって、この家での生活ではそれは解消されたわけだけど、わたしはやはり完全にひとりになることが必要なんだなと思っている。この家での生活は留学中の寮生活の延長線上にあって、「借り(仮?)暮らし」なんだなと最近思った。だから2月か3月には引っ越して、「ひとり暮らし」になりたい。留学中の生活は最低限surviveすることを試みるものでもあって、その性質も受け継がれているけど、わたしは今年のこの生活には最低限以上のものを求めたいので、そのへんの意識を変える必要もあるなとも思った。ねむいので文章がだめだ…。 文章がだめなので、あとはメモだけ。去年、大学4年生の1年間は、1コマごとに心があちこちの時代、あちこちの領域に飛んでいっていてそれがたのしかった。今ではもうできないことだなとできなくなってから気づく。久山先生の文学の講義がほんとうによかった。最後にとれてよかった。『クオ・ヴァディス』と遠藤周作『沈黙』、ヴィスワヴァ・シンボルスカと小林エリカのことを今もたまに思い出す。文学の読みかたをもっと学びたい。わたしはこれっぽっちも読めていないと思うようになった。 「旅するように生活する」?「生活 jako cudzoziemka」そういう意識をすっかり失いつつあるけど、保っていたいなと思う。これは基準になりうるな、と。 すっかり1か月に1回ペースで長文書く場所になっててけっこうおもしろい。今日は全然まとまらなかった。ねむくてだめだ。おやすみなさい。
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記録
2017年の12月。1週めの週末はマルボルクとグダンスク、ソポトに出かけて、2週めの週末はザコパネに出かけた。クラクフから列車ではるばる北まで行ってソポトで冬のバルト海を見て、その1週間後にはザコパネにいて、ケーブルカーで山にのぼっていた。あの2つの旅をなつかしく思い出すのは、海と山・北と南というギャップがあったから、ということのほかに、「(お金さえあれば)わたしはどこなでも行けるしなんでもできる」ということを改めて実感する日程だったからかな、と今日ふと思った。こじつけめいているけれど。"""社会人"""になってからの4か月でお金を盛大に使いまくっていることの根っこもそこにあると思っている。こどもの頃のわたしは我慢しかしていなかった。お菓子を食べたかったしジュースを飲みたかったし新しい服が欲しかったし漫画の単行本を買いたかった。でもぜんぶあきらめて何も言わず我慢していた。その反動なんだと思う。すきなときにすきなものをすきなだけ買って、すきなときにすきな場所にすきなだけ滞在する。すきな時間に寝てすきな時間に起きる。ずっとできなかったことだったけれど、一人暮らしを始めてすきなものを食べてすきな時間に寝て起きることができるようになり、ポーランドに行ってすきな場所にすきなだけ行けるようになって、去年の息苦しい実家生活を終えて"""社会人"""になって、ようやく自分のお金で生活できるようになった。そりゃあお金を使いまくるよなぁと思う。だってずっとやりたくてもできなかったことなんだから。 しかし、入ってくる量と出ていく量が見合っていないので、このまま使いつづけるとすぐに貯金が底をつく。あと今すでにクレジットカードの限度額ギリギリまで使いこんでいてカードが使えない(これは8/5に6月使用分が引き落とされれば解消されるけど)。だからそろそろ、今度こそは、お金の使い方を見直したいなと思い始めた。ちょうど月末だし。 ぜったいに辞めてやる、と思いながら仕事をしている。仕事に行きたくない、と毎日思いながら出勤している。そんな思いで毎日働いているのに、労働のストレスで浪費してしまうんじゃ本末転倒すぎる。労働のストレスは思っているよりすさまじいようで、お酒の飲みかたがへたになった。気持ち悪くなるまで飲んで、解散して一人きりになるまでヘラヘラした笑顔をキープして、一人になった瞬間駅のトイレに駆け込んで吐く。電車に乗って15分歩くことすらできないような気持ちになって、ホテルを予約して、1泊1万円払って、6時間くらい眠って、ホテルでも吐いて、次の日は二日酔いで過食する。お金と精神のむだづかい。もうやめたいと思っている。 すみれさんが「喫煙せずに労働できる人間は正気じゃない」みたいなことを言っていてすごく納得した。わたしは正気なので喫煙せずに8時間労働できません。喫煙もしないけど。でもそろそろたばこに手を出しそうな気もしている。それくらい労働はストレスなのだ。 7月はずっと精神がドン底だったけど、7月、湿度と気温高め、夕方、くもりっぽい晴れ、三鷹駅まで歩いているとき、に聞いたMinatoのアルバムが最高にはまって雷に打たれたような衝撃を受けた。7/20の夜、Maika Loubtéのインストアライブに行って初めて生で演奏を聞いて、人生は��線回収だなと思った。ヴロツワフの寮の誰もいないキッチンでSKYDIVERのMVを再生し、ロンドンからエディンバラへ向かうバスの中でYou & Iを聞いた。クラクフの寮の1階でCandy Hausをダウンロードした。そういうのすべて、ここまで死なずに生きるためだったんだ、と思った。死なないでよかった。生きてこの日を迎えられてよかった。ひさしぶりに、わたしの人生はわたしのためにあるんだと思えた日だった。 6月は風邪をひいてすごくすごくつらかったけどがんばって労働して、がんばってムーミン展とポーランド・ポスター展とクリムト展に行って、図録を買ったりムーミングッズを買ったりした。5月の終わりにディズニーシーに行ったのもよかったな!江ノ島に行って同期といっぱい話せたのもしみじみとよい時間だった。(時系列ぐちゃぐちゃ) わたしは生きる。この3年は時間と労働力を売ってお金を得る。でもポーランド語は忘れたくないしもっとできるようになりたいしほかの言語にも手を出したいし英語も話せるようになりたいし本を読みたいし映画もいっぱい見たいしまた引っ越して一人暮らししたいし国内旅行にも行きたいし大学院に行って歴史学の研究をしたい。これがわたしのほんとうの気持ちだから、隠したりごまかしたりはしないでいよう。8月はストレス解消を謳った過食をやめて、がんばって努力して睡眠時間を確保して、本を読む。
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for here or to go?/na miejscu czy na wynos?
人生死ぬまで夏休みがいいな。 2017年の6月、ロンドンで何をするでもなくだらだら過ごしていたあの1週間はまぎれもなく「夏休み」だったんだなぁ、と、2年たつ頃になってようやく思う。ビザが切れるのでシェンゲン圏外に出なければならなくて、ワルシャワからWizz Airでロンドン・ルートンに飛んだ。とりあえず4泊分の宿だけ取って、寮の荷物をぜんぶ引き払って日本に送って、リュックとスーツケースだけを持ってロンドンに行った。ヴロツワフ最後の1泊はHart Hostelだった。あの印象的なドミトリールーム。またいつか行きたい場所のひとつ。チェッ��アウトして、修了式みたいなのに出て、クラスメートに「Miłego Londynu」と言われて、最後は広場のマクドナルドの地下のMcCafeでケーキ食べてた。「閉店だから」と言われて追い出され、駅の待ち合い室で時間をつぶして、夜行バスでワルシャワまで行った。あんまり覚えてないけど、そのままショパン空港に行って、チェックインカウンターの並ぶフロアでスーツケース開けて広げて、荷物詰め直した気がする。…あぁ、何もかもがなつかしいなぁ。あのときはけっこうつらかったはずだけど。ということは、今の生活もまた、数年たつ頃にはなつかしいと思えるようになるのだろうか。たぶんそういうことなのかな。 さて、ロンドン。身体的にも精神的にも疲れはてていて、眠って眠ってだらだらして、コスタコーヒーをはしごして、ちょっとだけThe British Museumに行ってみたり、Wasabiでsushi買って食べてみたり、ぶらぶら散歩したり。ホステルをチェックアウトして、次のホステルのチェックイン時間まで何をするでもなく、スーツケースを引きずってぼんやりしてみたり。あんなに何もしなかった数日間が、今の生活からするとうらやましくて仕方がない。セントパンクラス駅だったかな、ヴィクトリア駅だったかな、どこか駅の構内のコスタコーヒーのお兄さんにウインクされながら「Have a nice day!」と言われたことがずっと忘れられない。The British Museumのカフェで食べたキャロットケーキのことも。 わたしは仕事、たのしくないです。大学の同期に卒業式ぶり、1か月半ぶりくらいに会って、「仕事たのしい?」って聞かれて、たのしくないにきまってる!と思った自分に、ちょっとびっくした。ちょっとだけ。仕事ってたのしいものだったっけ。まずそこから、ぜんぜん考えてなかったと思った。会社の同期のツイートを見ている限りでは、彼らはわたしと同じような研修をして、「たのしい」らしい。それにも驚いている。仕事って、たのしいものだったっけ?店舗研修3業態めに入って、いよいよ、飲食の接客業に向いていないなと実感してきた。始める前にうすうすわかっていたことではあったけど、あらためて、わたしは接客業には向いてない。わたしが生きるだけでせいいっぱいなのに、入れ替わり立ち替わりお客さんが来て、彼ら(oni)に接するというのは、わたしのこころをさらに消耗させるだけでつらい。そういうつらさ。感じない人もいるらしいつらさ。あとは従業員どうしの関係性がいろいろつらい。わたしはいまだに5/19のあのできごとに納得いってないし、削られてしまったたましいはまだ回復してない。まさか、あんなに陰険で陰湿なことをされるとは想定していなかった。うんざりしちゃうな。「人間」界に来たの、久しぶりだからしょうがないかな。 仕事ってたのしいものだったっけ?という問いへの、考えられる答え。・ほかにわたしが楽しいと思える仕事があるが、わたしはまだそれを見つけられていない。・この仕事のたのしいところを、わたしがまだ見つけられていない。・仕事である以上、わたしはたのしいとは思えない。どんな仕事であっても。……このうちのどれに当てはまるのか、あるいはどれにも当てはまらないのか、今はまだわからないような気もする。でも、去年就活をしていたときに、けっきょく突き詰めて考えることができなくて持ち越した課題のような気もする。わたしはかつて一瞬だけ、ピアノを仕事にできないものかなと考えたことがあるけれど、そのときのわたしは、ピアノを仕事にしたらきっとピアノを嫌いになるだろう、と恐れてやめた。それはほんとうにそうだったのかな、とたまに思う。それが諦めだと気付かないうちに諦めてしまっただけなんじゃないかと。わたしは今も、そうとは気付かないうちにいろいろなことを諦めつづけているだけなのではないかと。 わたしはどんな仕事だったらたのしいと思えるのかな。それを考えなければならない気がする。お金を得るためと割り切って、生活を崩壊させてしまうほどつまらない仕事をするか?そのつまらない仕事をどうにかしておもしろくするか?心の底からたのしいと思える仕事を見つけるか?あるいは、つまらない仕事をしつつ、生活を崩壊させてしまわないようにするか?このどれかをやらなくちゃいけないのではないかな。わたしがわたしでありたいならば。 わたしはずっと勇気がでない。あるいは強さが足りない。努力しつづけるという勇気。そういう強さ。それがないことがずっとつらくて、それでも変わらないまま、何年たったのだろう。いつになったらわたしはわたしになるの?すこしずつ進んでいるとは思うけれど、それでも足りない、それでも遅い、それでもまだまだ先に焦がれている。そう言い続けてもう4年たつ。あるいはもっとたつ。ずっとつらいままだね。とりあえず、コンビニで買ったものを歩きながら食べるのをやめようね。そういう行為を積み重ねることでそういう人になってしまう。わたしはそういう人にはなりたくないから、やめる。これは逆も同じことで、なりたい姿があるなら、その姿になったらやっているであろうことを、その姿になる前からやる。そういう積み重ねかたをする。 恋人の話、フェイスブックの友だちの投稿、大学の同期の話、などを聞くたびにわたしは焦燥感と軽い絶望と羨望の思いを抱く。わたしは何を専攻したかったのだろう。わたしはけっきょく何も修めていないのではないだろうか。そういう思いがくすぶって、それもつらい。わたしの人生には「それ」がない、と思ってしまう。わたしも「それ」が欲しい、と。わたしは何者になりたかったんだろう。わたしは何者になりたいんだろう。わたしは何者になるんだろう?こんなアイデンティティーがどうのこうのみたいな話、23歳になってまでまだ続けてるとは思ってなかった。30歳をとりあえずのひとつの区切りとして設定して、残りの時間の半分が終わる26歳がとりあえずの節目かな。あと3年。お金をためて、好きな外見を手に入れて、生活を愛せるようになりたい。 この前、初めてシーシャに行って、ぜんぜんうまく吸えなくて、びっくりした。深呼吸がへた。呼吸がへた。歌をうたうひとだったのに、呼吸がへたとはなにごとかな。5月初旬、からだをマッサージしてストレッチしたらあまりのバキバキさになんだか泣けた。からだをかえりみることができないほど追い詰めていたのか、と思った。3日前の夜、メンタルの不調がからだの不調を引き起こしてびっくりした。過呼吸ぎみになって、内臓が気持ち悪くなって、眠れない気がしてつらかった。涙も出た。すべてつながっている気がしてきたな。一人暮らし4年めでもまだまだぜんぜんうまく生きていけない。そういえば去年の今ごろに、大学図書館でムーミンシリーズを借りて一気読みした。あのときムーミンを読んだことで、わたしはまた違うひとになったと思う。individualismを身につけた。生活を愛することも知った。まだまだ実践はできてないけれど。 一年前といえば、ちょうどこの会社の内定が出たころだった。就活自体はたしかそのあと1か月くらい続いたけれど、そうか、あれから1年か。なんだか感慨深さがある。 生活を愛し、家を愛するひとになりたい。みほさんみたいに。何者になりたいのかを考えつづけて見失わないようになりたい。でも焦るのもよくないのかもしれないとも思っている。今は「仕事」の基礎を固める時期なのかも、と。バランスを保つ努力をできるようになりたい。 わたしはわたしでありたい。わたしはわたしを信じている。信じきりたい。会社の求めるスペシャリストと、わたしがなりたいスペシャリストとしてのわたしには齟齬があってどうしようもないという思いもある。まだもうちょっと考える��� 今夜もお風呂に入ろうね。明日はできたら洗濯してから出かけようね。でもまずはいっぱい眠ろうね。
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no title
ずいぶん遠いところに来てしまったという気がする。ヨーロッパに留学して、あちこち旅行してきたけれど、そのときよりもさらに、はてしなく遠い場所にいるような気がする。バルト海より先に見た北海、エディンバラの夕暮れ、ミンスクの夜、リヴィウの広場、冬のザコパネ、そのどこにいたときよりも強く、「私」との隔たりを感じる場所にいる。もっとも、いつどこにどんなふうに存在していても、そこが私の居場所だとは感じられないでいるのだけれども。それでもここは3月までの世界からは遠いところだなぁ。 生活がままならない。自分の生活を自分でかたちづくることができない。4/7の月曜日、宿泊研修を終えて出社したところで、まさかまた意識高い系の研修を受けさせられるとは思ってなくて打ちのめされた。それっきりだめになっちゃった。食費がかさんでいる。体重も増えてる。悲しいな~。食べてすぐ眠って、せきこんで目を覚ますの、2回もやってしまった。これはよくないよ。全然大丈夫じゃないな、社会人。私は生きることだけでもうせいいっぱいなんだずっと。社会人になったからってあっさり変わるかよ。ほんとうは他人のために価値を創造できることがすばらしいことだってわかっているつもり。それでも私はまだまだ自分のことだけでせいいっぱいだからね。冷めてても社会のことなめててもサイコパスでもなんでもいいよ。どうとでも思っててくれ。 遠いところに来てしまったけれど、以前の世界とはまだつながっていられるはずだ。でもそうするためには私が力を尽くす必要があるみたい。流されるな。「時間は作る」!さすが一時つるんでいただけあって気が合うね。時間は作る。周りに流されない。今このときの過ごし方が未来の私をつくる。そういう気持ちで、環境をととのえて生活できますように。どうか。
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2019/04/06
年明けからここまでわりと怒濤な感じだったということかな~ 卒論をなんとか提出して最後の学期末をなんとかsurviveして1年生の春学期ぶり?に授業うけてた単位ぜんぶ取ってディズニーシー行って、それでも会社に出す書類が間に合わなかったりして卒業旅行一人旅!たのしかったなぁまだまだ振り返り足りないからちまちま写真加工していきたいな 海外旅行の前日と帰国してすぐ卒業旅行(?)でおもしろい感じだったね そっからなんとか家を決めてもう感情殺して準備&片付け、そんなこんなで3/26卒業式。もうオールはしない…。そろそろ"大人"の遊びかたを覚えたい。つかれはてて寝込んだら3月終わってびっくり。あ、でも3/31一人でうろうろして楽しかったな~。そしたらもう4月でまさかの入社式からそのまま研修だった。ほんと~にありえないな~無事に帰ってきた今でもそう思う。でもなんとかここでがんばっていこうという気分。お金ほしいし。休日はなるべくおしゃれしてお化粧もちゃんとして口紅塗って外に出ようと思う。 あんまりぼんやり振り返って感傷に浸るみたいなことをしないで、それでもやっぱりイライラや不安から彼氏に意地悪いことをしちゃったりもしたな。あと彼氏側もこの4月から環境が変わってそれで無意識のうちに不安があるっぽくてちょっと情緒不安定。おたがい乗りきりたいね~。 研修はもう、もう、もう死ぬかと思ったけどあらためて自分のモットーを確認できたかな。他人に厳しく自分には甘く、外面はよく内心は自由に、ドライ&クールで!住んで2週間足らずの新しいおうちに、「帰りたい」と思うことができるしあわせを感じた。 まずは3年働こうね。目的はお金をためること!さらに言うならこの1年は家賃を安く抑えられるから、その分を貯金して引っ越し資金にしよう。 それからやっぱり大学院に行く人生がいい。少なくとも修士はとる。そのために行動する! あとは外見を磨く。そのために食事を律しよう~~そんな感じかな?
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にゅーいやー
愚痴を書くための場所ではないつもりなんだけど。 2019年の目標。働いてお金をかせいで一人で生きる。実家を出る。2014年から2017年までうまくいかなくて失敗したけど、今度こそほんとうにもう戻らなくて済むようにがんばる。ここは私の居場所じゃないから。 父の話には興味ないし妹のことは嫌いだし母の言葉に精神かき乱されるからこの家にはいたくない。土日の朝布団から起き上がれなくて部屋から出られないのも、母の声が聞こえて嫌な気分になるのを避けたいからだったんだなと思った。だから出ていく、今度こそ。留学も経験したし、今度は就職するのだから、きっと次はできると思うんだ。がんばりたい。 目標その2。美しくなる。前髪は伸ばす。髪型を考える。肌をきれいにする。まゆげはお手入れする。いつでも唇に色をのせる。フェイスラインを手に入れる。体重を落とす。香りを身にまとう。マニキュアする。手もケアする。下着と服を少しずつ変えていく。姿勢よくする。外面をよく保つ。他人の前で不機嫌にならない。他人の悪口を他人に言わない。 目標3つめ。彼氏との関係を見直す。より良い関係をつくり直す。彼氏を一個人として尊重する。母が父に言うようなことを彼氏に言わない。イライラしたら深呼吸して落ち着く。かっとしない。瞬間の怒りを表に出さない。されたら嫌なことはしない。彼氏の行動の理由を検討する。ふたりでしあわせになりたい。 1月の展望。 卒論提出まであと5日。卒論を出したら、そのほかの授業のレポートを書いて単位を取る。香水を買う。新しいツイッターアカウントを始める。ぬいぐるみをかわいがる。自分の誕生日を祝う。タスクも片付ける。書類作成してポストに投函するとか、家を決めて引っ越しの手配をするとか。買いたいものいっぱいあるな。ゆっくり考えつつ揃えていこう。 あ、2019年の目標その4。食と向き合って改善する。生活のしんどさも見た目への執着もここに一因がある。解決しよう2019!
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2018
眠たいのでささっと。 去年の大晦日は急遽予約したクラクフのホステルで、みんなSylwesterでこれから遊びに出かける!ってときに一人だけパソコンでひたすら旅行の手配してた。ろくでもねえなと思った。それに比べて今年の大晦日はどうかな~ やってることは同じだった。旅行の手配!今年は終わらなかったけど!でも年末はろくでもなかったかな?どうかな?クリスマス会は楽しかったな。私も人を招いてもてなしたいと思った!卒論は全然進まなかったけどね。あと、私は人と会うと楽しいけど終わったあとに反動がくるタイプの人間だなって自覚した。26日も調子乗って飲みに行ったけど、楽しかったけど、みごとに次の日撃沈した。それで言うと外語祭はがんばったなぁと思う。楽しかったな。 1月はまだポーランドにいた!留学終わってなかった!メンタルはけっこうぼろぼろだったけど、Ginger hostelと18/12 hostelにお世話になった。23歳の誕生日はもうちょっと達成感味わいながら迎えたいって思ったけど、どうなるかな?あと13日! 2月の旅行でも起き上がれないことがネックになった。どうにかしたい。3月は就活を始めたり始めなかったり。2017年5月~6月あたりに考えてた、22年間の尻拭いが始まったわけだけど、どうだったかな?これもまだわからないね。でもがんばったと思う。大学に行って授業を受けてアクティブラーニング書いて提出してゼミの発表もやって就活して会社落ちまくって内定これっぽっちも出なくて、でもとりあえず4月からは働くことになって、春学期の単位はほぼ回収することができて、夏になって、ダイエットを始めて、4.5kgぐらい落として、教習所に通って、免許取って、新しい口紅を買って、2月の飛行機取って、10月! 3月に帰ってきて実家で暮らし始めてすぐ、なんで高3のときあんなに家を出たかったかを思い出した。9月くらいからどうにもこうにも心がうまくいかなくなった。卒論を書かなきゃという焦りと今いる家が自分の家のはずなのにそうは思えないストレスで彼氏への当たりが強くなった。そのまま10月も11月も12月もあんまり良い関係性ではなかったな。すごく後悔してる���反省してる。2019年はもっと真剣に向き合えますように。真剣に相手に向き合うんだよ、私。10月からも毎日大学に行って、通勤通学時間帯の電車のすさまじさに疲れはてて、あんまり楽しくなかったな。私のどこが異常でどこが「普通」なのかがもうわからなくなってる(ということがすでに異常だ)ってことにいよいよ気付いた。食がぶっ壊れていること。食とそのほかの生活が直結していること。起き上がれないこと、あるいは起き上がれないほどこころとからだが疲弊していること。実家にもういられないこと おととい「おそ松さん」が描く個人のしんどさについて、自身の体験をまじえて書いているブログを読んで、私もそうだなぁと思った。個人でいることのしんどさ、個人になりたいゆえのしんどさ、個人でいられないことのしんどさ、いろいろいろいろ私はほんとうにしんどいよ。生きててつらい。でもどうにかしていきたいと今は思ってる。だからどうにかする。いつどんなときでも深呼吸して一度落ち着いて考え直すのを心がけていきたい。明日から。彼氏との関係をもっとちゃんと真剣にとらえる。今のままじゃだめなんだと思うから。 今のままじゃだめだとずっと思い続けていることはすごく嫌なこと。だからちゃんと変わっていけるように変えていこう。香水買って身にまとうようにして、マニキュアして、手のケアして、メイクツールの洗剤買って、顔の脱毛して、ダイエットする。私は食とも真剣に向き合ってどうにかしないとだめなんだ。今の状態はたぶん異常だから。異常じゃなくなりたいから。 2018年どうだったかな。あんまり楽しくはなかったけど、すっごく必死になった瞬間は何回かあったと思う。少しずつだけどフェーズを進めている感覚がある。2019年の終わりはどうなってるかな。働いてるかな?うーんけっきょくあんまり考えをまとめら��なかったな。 よいお年を。
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語ることをやめてしまったのがダメージになってきているなという感じ。高2の終わり、受験勉強を始めるとき。そして、2回目がいつだったかな?生きてるのがつらくてつらくてどうしようもなかったあの頃。3年生の冬?もうちょっと前かな?秋くらい? わたしはわたしが誰だかわからない。ピアノを弾くのが好き。そうだっけ?食べるのが好き。うーん、でもめんどくさいときもある。でも食べてしまう。病的だと思ってる。ポーランドが好き。日本じゃなければどこでもいいという説もあるよね。……うーんつまり、わたしはわたしを信じられなくなったんだな。そもそも信じるってなんだろう。思考停止のことかな。いや違うな。思考停止して、わたしはこれが好きなんだって思い込むことが信じることではない、たぶん、きっと。わたしはわたしの未来を信じられない。未来を考えられない。そういう大問題をずっと解決できないでいる。 実家が嫌い。実家はわたしにとっての鬼門だ。地雷ってやつ。あの場所にいても、前向きになれない。せまい。寒い。夏は暑い。わたしも日光のさしこむ場所でお茶飲みたい。飲めない。嫌。ほこり。うるさい。と、ここまで書いて、じゃあ2年前は?と思ってしまう。実家を出てもダメだったじゃないか。戻ってきてからやっと、なんであの家を出たかったのかを思い出すくらいにはダメだった。生活できなかった。つらいなぁ。わたしは生活がしたいのに、生活ができない。けっきょくそこか。うんそうだな、ずっとそれが大問題で、解決できなくて、つらい。 あと10日で卒論を終わらせて、そしたら、最後の学期末だ。美術館に行って、レポート書いて、ロシア語勉強して、レポート書いて、レポート書いて、どこに住むか決めて、引っ越しの準備をして、会社に送る書類をそろえて送って、、、うーん、やることいっぱいでつらいなぁ。 どんな家にしようかな。白い壁。白いシーツ。かわいいテーブル。掃除を勉強して、家をきれいに保ちたい。今度こそ!外語祭はがんばったね。ゼミも、4月から12月初回まではがんばった。春学期も、レポート一本書かなかったけど、そのほかの単位は取れた。そういえば教習所にも通って運転免許とった。がんばったね。やればできるんだね。やってもできないんじゃないかと思うようになってたけど、やればできることはあるなという再確認をこの9か月つづけてきた。それでもまだくじけちゃうけどね。あともうすこしがんばろう。部屋はきれいにしようね。しあさっては旅行の計画を立てちゃおう~。今日あしたあさっては卒論をやる。去年の年末はほんとうにろくでもなかったけど、今年は少しでもましにしよう。2019年、年明けて、卒論出したら23歳の誕生日だ。何するかどこ行くか考えよう。
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・遅刻されることは尊重されてないことだと感じてしまう ・遅刻されたくないという気持ち ・一度(ならず、すでに複数回)伝えた「されて嫌なこと」を、きみは記憶にとどめることがなく、私がいちいち嫌な気持ちになるたびにわざわざ指摘し続けるのは大変ストレスに感じる。ほんとうに嫌だから嫌だと伝えていることを、やり続けるとはどういうことか?
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